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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ
第三章 第三節:ロンドン
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第三節:ロンドン・ハクニー
フォーサイスがハクニーのセント・トーマス・スクエアーに在職していたのは1880年から1885年までであった。
既述した通り、前任者ピクトンとフォーサイスとは“まったく反対の思想”を持っていたことが指摘されていた が、確かに、ロンドン郊外のハクニーにおいて、フォーサイスは前任者とは異なる仕事をした。
ストッダートの記事によると、ピクトンはその強烈な個性を前面に出して、この教会を纏めてきた。これに対し、フォーサイスはむしろ、ロンドン市内にある会衆派教会立の図書館に通い、必要とされるあらゆる本を読み、「それ以前のどの時期よりも勤めて学んだ」 。つまり、この時期のフォーサイスは、よく学び、よく教えた。
『ブリティッシュ・ウィークリー』誌上に投稿された次の証言は、当地におけるフォーサイスの活動の特色をよく著している。
拝啓――自分の学生時代フォーサイス博士に大変お世話になった者のひとりとして、
感謝の言葉を寄せて博士の思い出話に加えさせて頂きます。
今から三十七年前、博士がハクニーのセント・トーマス・スクエアーで牧師をしていた頃、
私は博士を知りすっかり感化されました。
医学生として唯物論的な科学を学び、そのために信仰に関しては不安定であった私は、
フォーサイス博士から質の高い講義を聴けたことによって、
本当に計り知れないほど助けられました。
当時為された福音書の起源についての講義のノートを、私は今でも持っています。
この講義に触れて、初めて私はセント・トーマス・スクエアーに魅了されたのです。
講義は土曜日曜を除く毎日の夕方に行われ、黒板を用い、
講義の要点をまとめたものを前にして進められました。質疑が喚起され、
いつも講義の後に議論が続きました。
通常、博士は
「守りたまえ、主よ。我等の為す全ての事柄を」
という祈祷文の言葉を以って講義を開始しました。
この祈祷文の文言は私の記憶の中でいつも博士と結びついています。
講義のシリーズが終了すると、
博士は一晩か二晩をかけて私たちと一緒にブラウニングの詩を読みました。
・・・また別の週の夕方、
集まって「二つの声」(テニスン)を読んだことも思い出されます。
私たちはその解説を、最上の楽しみとして聞きました。
実際、博士の文学講義は、私たちにとって本当に特別な楽しみでした。
確かにここからは、フォーサイス独特の個性が強く反映した教会の活動の様子が浮かんでくる。
この時期のフォーサイスについて、以下のような証言が寄せられている。
フォーサイス氏はハクニーにおいて、当初の予想を超えて注目を集める牧師となった。
教会の会員数は少なかった。
しかし、街の人々が続々と日曜日にこの教会に集まるようになった。
フォーサイス氏の説教が評判を呼んだからである。
私も、しばしばその評判につられて教会に足を向けた者の一人である。
この証言者によると、とりわけ子供向けの説教は、大人が聞いても感銘を受けるもので、「完璧な単純さ 」を示していたという。
このフォーサイスの説教の魅力とは何であったか。上記の証言者は以下のようにフォーサイスの言葉を伝えている。
先代の牧師[フォーサイスのこと]は多くのことを書き著してきたが、
私が思い出すのは次のような言葉である。
「皆さんは私の友なる方[my Friend]について、
何も知ることはありません。
皆さんが知っているものとは、
この方を視界から隠してしまうものなのです。」
あるいは、次のような証言もある。
煎じ詰めてみると、
この数年、私の脳裏にフォーサイス氏を鮮明に思い出させる、ある言葉に行き当たる。
それはフォーサイス氏の説教者としての力の源を伝える、このような言葉だ――
「ほんの少しの時間があれば、
人はフォーサイス自身について語り知らせることができる。
そして人は家に帰り、彼を才気縦横な人物と認めるようになるのだ。」
この証言の中に、フォーサイスの説教の魅力が何であったかが語られているように思われる。自らを隠すことで、自らを啓示する神。フォーサイスがハクニーで語ったのは逆説であったということである。
この逆説を語るフォーサイスは、聞く者に強い印象を与えずにおかなかった。逆説の神秘を蔵する人物。このフォーサイス像は、その後のフォーサイスの姿として繰り返し現れるものである。こうしたフォーサイス像は、少なくともハクニーで牧師をする期間中に、人々に良く知られるものとなった。
更に、ロンドン・ハクニーで牧師をした期間、フォーサイスが獲得した二つの新しい局面について、付言する必要がある。ジェシーが語った“ワインのように酔わせるロンドン ”は、フォーサイスの神学思想に二つの新しい彩を加えた。それは後にはっきりと「継続」して行くものであった。
その第一は、政治への関心と参加である。市政や国政に関わる会議に参加し、あるいはロンドン北部のショーディッチ地区でピクトンと共に演説台に立つなど、この時期積極的に政治活動に参加したフォーサイスは、その後「健康上の理由から政治活動への参加は控えるようになった」が、その後折りに触れ自由党の支持者として発言し続けたと、ストッダートは述べている 。
そして第二に、文化・芸術の愛好である。先ず、ワーグナーへの傾倒がこの時期に始まった。これはロンドン時代に得た友人の手引きによるものであった。ジェシーは以下のように述べる。
ある裕福な友人が父をバイロトへ連れて行ってくれました。
父はその時、ワーグナーの最高傑作『パルジファル』の初演に出会ったのです。
1882年のことでした。
それ以来、常に『パルジファル』は
父にとってオペラというよりむしろサクラメントになってしまったようでした。
後に「バイロトの舞台の周りにはこの世ならざる空気が漂っている 」と述べる程、その後のフォーサイスにとってバイロトは特別な場所となった。
また、文芸と絵画への造詣が、この時期に深まって行った。既述の通り、平日の夕方に行われた新約聖書についての講義は、時にテニスンやブラウニングの講義となった 。同様なものとして、以下のような証言もある。
夕方行われた講義は、その主題が発表されるや否や、多くの人びとの集まるところとなった。
他の教会員や、教会に行かない人々がそこに集まったのである。
私が今でも覚えているのは、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖家族」についてのフォーサイス氏の講義である。
それはベスナル・グリーン・ミュージアムで絵画展が開かれた時に開講されたものであった。
ハクニー時代のフォーサイスは、七つの論稿 と一冊のパンフレット を残した。ただし、その文書は、口頭で語られた講義・講話の魅力を再現することはできなかったという 。この時期に著されたものの中で注目すべきは、1884年6月23日に没したジェームズ・バルドウィン・ブラウンへの追悼文である。これはジェームズの妻エリザベス(Elizabeth)の編纂による『追悼:ジェームズ・バルドウィン・ブラウン 』に寄稿したものである。
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