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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ
第4回 時の満ちるに及んで(前編)
第4回 時の満ちるに及んで(前編)
0.はじめに
今日は、教科書の14頁から15頁をご案内します。
この授業で私は、皆さんが高校を卒業した時に役立つことをお話しするつもりでいます。皆さんが高校を卒業したら、最初にぶつかる大問題は、「お金を稼ぐこと」です。前回、そのためのヒントを一つ申し上げました。それは、「学がある」ということの意味です。他人が尊敬してくれれば、信頼してくれて、仕事を一緒にしてくれる。逆に、他人から侮られるようだと、なかなか一緒に仕事をしてくれる人を探せないから、「お金を稼ぐ」ことに苦労してしまう。だから皆さんは今大切な準備の期間です。いろいろな「知識」を豊かに吸収すること。それは、この現実の世間を生き抜くためにどうしても大切なことになります。
それにしても、人は何でもかんでも記憶することができない。みんな、自分の「学識」に完全な信頼なんて、置いていません。そんな心のアヤを利用した裏ワザを、今日は皆さんにお話ししたいと思います。それは、「慣用句」というものです。
人は、「自分が知っていることを相手も知っている」というふうに感じたとき、その相手に一目置くようになります。「こいつはこんなことも知っているのか。侮れないな・・・」となるわけです。そんなふうに錯覚させる便利な道具が、「慣用句」です。
たとえば、今日の教科書14頁冒頭に書いてある「時の満ちるに及んで」という言葉。「時が満ちる」という言葉は、まさに、「慣用句」です。これは、キリスト教の文化の中では自然に使われる慣用句。実は、この「時が満ちる」という言葉は、イエスが運動の最初に語った宣言として知らる言葉です。もしこの「慣用句」をポッと自然に使ってみせると、相手がキリスト教文化圏の人(たとえば西欧や米国の人)である場合、それだけで「こいつは日本人なのにキリスト教を知っているのか」と思って、「侮れないぞ」と思わせることに成功する。
さて、それでは、この慣用句「時が満ちる」とは、どういう意味なのか。「時が満ちる」というその時、いったい何が起こったのか。それはどんな意味を持っているのか。そのことを、今日は皆さんにご案内したいと思います。
1.二つの「時」
「時の満ちる」というときの「時」の意味に、重要な秘密があります。聖書は、ギリシャ語で書かれました。聖書が書かれた時代の世界の公用語は、ギリシャ語だったのです。それでは、ギリシャ語で「時」とはどういう意味か。
日本はすごい国で、聖書のギリシャ語のための辞書も、日本語で読むことができます。それでは、ということで辞書を引いてみると、「時」という言葉には二つのギリシャ語があることがわかります。ひとつは「クロノス」で、もう一つは「カイロス」です。ギリシャ語では、二つの言葉で、「時」という言葉を使い分けている、あるらしい。「クロノスという時」と「カイロスという時」。両者には、何か、違いがあるのでしょう。
更に辞書をよく読んでみると、この二つの言葉の違いが見えてきます。
「クロノス」という言葉は、もともと「クロノー」という言葉から生まれたものであると、辞書に書いてあります。それでは「クロノー」とはどういう意味かと調べてみますと、それは「流れる」という動詞だと分かります。そうすると、「クロノス」という「時」のイメージは、とてもわかりやすくなる気がします。
時間は、流れるものです。だから、私たちは予定を立てることができる。だから、私はこの時間にこの教室に来て、皆さんに間違いなくお会いすることができる。時間が、淀んだり曲がったりしないで、ちゃんと流れる(クロノー)から、時計を見て私たちは予定を立てることができるわけです。この、時計で計ることができる「時間」、流れて行く「時間」のことを、「流れるもの」を意味する言葉「クロノス」と、ギリシャ人は呼んだ。
ネットで調べてみますと、今でもスイスあたりで作られている高級時計のことを「クロノ・メーター」と呼んだりすることがわかります。「クロノス=流れる時間」という古いギリシャ語は、今でも生きて使われているわけです。
流れる時間。営々と続く、変化のない時間。それは、もしかすると退屈な「時間」かもしれません。たとえば――また、「聖書」の時間だ・・・つまらないなぁ・・・たいくつだなぁ・・・どうせ寝てりゃ、しぜんとおわるだろ・・・退屈だなぁ・・・早く終わんないかなぁ・・・。
そうなのです!「クロノス」の時間は、寝ていようと、内職をしていようと、おしゃべりをしていようと、そんなことには全く関係なく流れて行く。それはとても退屈で飽き飽きするような「時間」です。
でも、もしここで私が、突然怒鳴り声を上げてみたらどうなるでしょう。「君たち!勉強しなさいよ!君たちがここで勉強するために、君たちの親御さんはどんなに苦労して働いているか!学ぶことは大事なことだ!学を身につけないと、世の中でひどい目に遭うんだ!しっかりしろ!目を覚ませ!眠るな!!諦めるな!!!」――青筋を立てて、目を血走らせ、オーバーアクションで私が怒鳴り散らしたら、いったいどうなるか。皆さんは一瞬、びっくりされるでしょうね。なんだ、突然、どうしたんだ。
意志力の強い皆さんであれば、程なく、「川上は頭がおかしくなったんじゃねーのか」と納得(?)して、また普通の時間の流れに戻るでしょう。でも、たったの一瞬だとしても、「何だ?」と思い、びっくりしたその「時」は、「時間の流れ」が止まったように感じるものです。いつもどおり、退屈にダラダラと流れるはずの「時間」が、教師の異様な様相で、一瞬だけ、止まる。「流れる時間」を止めるような「一瞬」。そんな「一瞬の時間」もある。そうした「一瞬の時間」のことを、ギリシャ語では「カイロス」と呼ぶのです。
「カイロス」という言葉を辞書で調べてみますと、それは「カイロー」という動詞から生まれたのだと分かります。「カイロー」というのは、「切り裂く」という意味だと、これも辞書に書いてあります。すると、「流れる時間=クロノス」を「切り裂く時間=カイロス」がある、ということになる。ギリシャ人は、こうして、「時間」というものを二つに分けて考えていた。さすがは、ギリシャ哲学を生み出した言葉。なかなか、深いものがあります。
でも、「カイロス」と「クロノス」の区別は、中国にもあったようです。私たちが馴染んでいる「漢字」という言葉には、「時」と共に、「機」という言葉があります。「時」と書きますと、これは「クロノス」と同じ意味でしょう。でも、「機」と書けば、これは英語でいうchanceで、つまりそれは「カイロス」ということになる。なかなか、中国の言葉も奥が深いようです。
さて、イエスは、その運動のはじめに「カイロスが来た」と宣言したのだと、聖書に書いてあります。さて、これをどう翻訳したらよいのか。学者たちは困った。「時間の流れを切り裂くような時がきた」と訳せば、正確かもしれませんが、どうも長々しくていけません。それで、うまい訳を思いつきます。つまりそれが、「時の満ちる」という言い方です。「コップに水が満ちる」イメージ。だんだんたまっていく水が、ある瞬間に、コップからあふれる。その瞬間、「水が満ちる」その時、「カイロス」が訪れるわけです。つまり、「時が満ちる」という言い方で、「カイロス」をイメージさせる。上手い翻訳だと思います。
2.絶望の淵からの復活
教科書14頁一番上には、フィリップ・シャーフという人の「教会史」という本からとった短い文章が掲載されています。そこには、「時が満ちるに及んで」という言葉が、これ見よがしに書いてある。つまり、「ここに慣用句を載せましたので、意味は分ってね・・・」という書き方です。つまり、「時が満ちる=カイロスが来る」と言ったのはイエスでしたから、「イエスの時代において」ということを、この慣用句で示しているわけです。「意味が分からない人」を切り捨てるという点で、こう言う書き方は「嫌らしい」と思いますが、でも、こうやって、人は他人を査定する。こいつは「学」があるかどうか・・・と、品定めするわけです。
さて、そんなフィリップ・シャーフさん、「カイロス」としての「時が満ちる」その時、いったい何だ、というのでしょうか。言い換えれば、「イエスが運動を起こしたその時」、いったいどんな状況だったと言いたいのでしょうか。
「『時の満ちるに及んで』、学問と芸術の美しい花びらは枯れしぼみ、世界が絶望の淵に立っていた時、キリストは新しい不滅の生命の創造者として、死にかけている世界に来りたもうた」と、そう書いてあります。ずいぶん、大げさな表現です。
「学問と芸術の美しい花びらは枯れしぼみ、世界が絶望の淵に立つ」「死にかけている世界」。そんなこと、あるのでしょうか――実は、結構身近にあるのです、ということを、今日はお話ししてみたいと思います。
最近、「蒼天航路」というアニメが始まりました。そして、昨年と今年と「レッド・クリフ」が大人気です。これはどちらも、「三国誌演義」という400年も昔に中国で作られた物語のリメイクに過ぎません。でも、それが21世紀の現代、新しい魅力を持っている。これは驚くべきことだと思います。つまり、「三国志」として知られる古い物語は、今でも新しい命を持っていて、今でも新鮮なものとして楽しめる。
それでは、「三国誌演義」という古い物語が描かれた400年前の中国は、さぞかし文化の生き生きした時代だったのだろうと思って調べてみますと、意外なことがわかります。
「三国志」が書かれたのは、中国宋王朝の時代です。この時代を「宋代」と呼びます。実はその時代、まさに「学問と芸術の美しい花びらは枯れしぼんで」いたのでした。中国という国は大変な歴史を持っていて、今から3000年以上昔に、既に「文学」は生み出されていました。そうすると、400年前の宋代の人々は、既に2500年以上の文学の歴史の積み重ねを持っていることになる。2500年以上の歴史の中ですから、もう既にあらゆる文学の可能性は全て試され、各ジャンルの最高峰はすでに出払っています。物語であれば、司馬遷の「史記」がある。詩であれば唐の時代の杜甫・李白に適うわけがない。舞台のお芝居であれば、元の時代に名作がたくさん出されてしまった。もう、宋代の自分たちには、新しい文学の余地は、何も残されていない――それで、この時代の人々は、ひたすら一所懸命に、所謂「コピペ」を励むことになります。つまり、素晴らしいものはすべて過去に出揃っているのだから、その過去の名作を上手にたくさんコピペする。その「コピペ」競争が、宋代の「文学」の状況でした。
宋代の天才たちは、自分たちの不幸を嘆きました。「こんな時代に生まれなければ良かったのに」――宋代の天才たちは、自分たちの時代が「世界の終り」のように感じたに違いありません。もう、何も、新しいものなどない。つまらない「コピペ」だけをひたすら繰り返す。それだけが、自分たちを評価する基準となっている。
絶望したこの天才たちは、町に出て行きます。すると、聴いたことのない歌や物語が聞こえてくる。どこから聞こえてくるかというと、それは酒場とか、路上とかです。そこでは、酒を飲みながら、下品な話をしながら、人々が愉快に騒ぎつつ、歌を歌い、物語を聞いている。それは、下品極まりない世界です。でも、そこには、聴いたことのない魅力的な物語が語られていた。宋代の天才たちは、そこに活路を見出します。つまり、この「下品で粗野な物語」を拾って来て、自分たちの文学の洗練の中に放り込み、仕立て直してみる――そうしてできたものが、たとえば「三国誌演義」であったり、あるいは「水滸伝」であったりしたのでした。
似た話は、30年前のニューヨークにもありました。それは、音楽の話。ヒップ・ホップの話です。
当時、音楽業界は行き詰まりを感じていました。ビートルズが出てきて、ロックもあって、ヘビメタ・パンクもあった。日本からはYMOのようなものが出てきて、シンセサイザーのような新しい楽器も試した。そしてそれらはどれも皆すばらしい作品を残していった。もう、新しいものが出てくる余地がない。そんな状況が、ニューヨークにありました。そんなニューヨークで、一人の「おばちゃん」が、町に出て行きます。この「おばちゃん」は、スゴ腕の音楽プロデューサーで、レコード会社の社長でした。この人が町に出てみると、今まで聞いたことのないような音楽が聞こえる。それは、ニューヨークのスラムの中、ギャングの溜まり場から聞こえてきました。ちなみに、当時のニューヨークは「世界で一番危ない町」と呼ばれて、日常的に殺人事件が起こっている、そういう状況でした。
ギャングの若者たちは、酒を飲み、あるいはドラッグをやりながら、どこから持ってきたかも知れないレコードをかけて、一晩中踊りまくって遊んでいた。その時かける音楽は、いくつもの名盤を同時に流してみたり、手でレコードを逆転させたり、実に破天荒なものでした。そのグチャグチャに組み合わされた音楽を聴いたこの「おばちゃん」は、そこに新しい音楽を見出します。ギャングたちがドラッグをしながら一晩中踊りまくって遊ぶ音楽――ヒップ・ホップを、このおばちゃんは自分の手で音楽の商品として流通させることにしました。すると、そこにはまったく新しい音楽が展開することになる。こうして「ヒップ・ホップ」はメジャー・シーンに躍り出て、今では一番元気なジャンルになっている。
文化が行き詰まり、学問と芸術の花が枯れしぼむ、世界の終り――それは、何もない真空状態ではないということ。むしろ反対に、すべてが出そろって、何ももう新しいものが出てこない、そんな「恵まれた」状況においてこそ、「世界の終り」はあるということ。そのことを、宋代の文学状況と、30年前のニューヨークの音楽状況は、私たちに教えてくれます。それはもしかすると、私たちの毎日の状況とよく似ているかもしれません。私たちは、すべてを持っている。ただ時間の流れに乗ってさえいれば、普通に暮らすことが出来てしまう。何か足りないものがあれば、データーベースにアクセスして、そこからコピペすればいい。新しいもの・ドキドキするものなんか、もう何もない。何でもすべて出揃った。なんと退屈なことに、すべては出揃っている。
キリスト教が始まったのも、だいたい、そんな時代でした。「古代」という時代が数千年を重ね、もう必要なものはすべて出揃っている時代。退屈な、世界の最終盤。しかし、そんな状況を舞台にして、キリスト教が登場する。そして、「新しい不滅の生命の創造」を行う。それはちょうど、「三国志」が今でも尽きない魅力を放つように、「ヒップ・ホップ」が今最も元気でありつづけているように、常に新鮮な魅力を発揮して、死にかけた世界を活気づけるものとなった。キリスト教が作り出した歴史とは、そうした物語を持つものなのです。
3.ローマの平和
教科書14頁の本文冒頭に、「大いなるバビロン」と書かれています。これもまた、「慣用句」です。「大いなるバビロン」といえば、「それはつまり、古代ローマ帝国のことでしょう」・・・となる決まりです。なぜかというと、聖書の最後に入っている「黙示録」という書物の中で、ローマ帝国のことを「大いなるバビロン」と呼ぶくだりがあるからです。かつて、「バビロン」という巨大な帝国がありました。それは世界征服をたくらみ、実際、世界中の人がバビロンに征服されるかもしれないと思った、そんな巨大な帝国でした。でも、それは亡んでいった。同様に、巨大なローマ帝国も、いつか亡ぶのだ。そんな皮肉を込めた「慣用句」です。
キリスト教は、ローマ帝国が支配する世界に誕生しました。既にご案内した通り、ローマ帝国は、最初「素晴らしい民主主義体制」でしたが、いつか「皇帝が支配する政治」つまり「帝政」となります。強力な皇帝のリーダシップの下、ローマ帝国は領土を拡大して行く。ローマは軍隊を各地に派遣して、「平和」をつくり出し、繁栄を享受する。
「平和」といいました。これは、日本人の大好きな言葉です。でも、日本人は「平和」の意味を本当に分かっているかどうか。もし本当にわかったら、みんな、それほど「平和」を好まないのではないか。そんな気がします。「平和」とは、いつもその裏側に「戦争」をもっている。それが、「平和」の本当の意味です。ローマが戦争をして、ローマが軍隊を置いているから、ローマ帝国内はいつも平和である――このことは、「平和」という事柄の本質をよく示しているのです。
私たちは、「平和」に生きている。特に皆さんは「平和」に過ごしています。ただ学校に来て、そして机の上で眠っていれば、それでいい。それで、別に困らないのです。食事は食べられるし、服も着れる。それは、「平和」だからです。でも、世界中で、食べ物がなくて死ぬ人が、1分間に30人程度いるそうです。私たちは、何もしなくてもゴハンにありつく。特に皆さんは、働かなくてもご飯を食べられる。これは、世界では異常なことです。これは、「平和」だからです。でも、それは、1分間に30人程度、1時間に1800人程度、食事がなくて死んでゆく人々の、その裏側の「平和」に過ぎません。
でも、私たちは何故そんなに「平和」なのでしょう? 何故、働きもせず、ダラダラと無為に過ごしていても大丈夫なのか?――それは、誰かが必死で働き、すさまじいストレスの中でお金を稼いでくれているからです。もちろん、その誰かとは、皆さんの親御さんです。戦争のような毎日を必死に過ごしていてくれる人がいて、その人がお金を稼いでくれるから、皆さんはこの教室でひたすら眠っていられる。実に「平和」なこと。実に羨ましいこと。でも、その裏側には、戦争のような毎日が隠されている。
いやいや、日本は「平和」なのです。たとえ、リストラにあったとしても、生活保護その他の福祉サービスがあって、守られている。親御さんたちも、その平和の中で競争しているだけだから、川上先生、あなたの言うことは極端ですよ――と、そう思われた方はいませんか。その方は、正しい。実に正しいのですが、もう少し考えてみてください。なぜ、日本は「平和」なのでしょう?それは、アメリカが基地を置いてくれているからです。アメリカが、世界中で絶え間なく戦争をして、世界中がアメリカを怖がっている。そのアメリカの軍隊がいつも駐留しているから、日本は安心していられる。北朝鮮がどんな武器を持ったって、それは大した問題にならない。
とすると、アメリカが「戦争」をしているから、私たちは「平和」なのでしょう。「アメリカが戦争をして作り出している平和」――このことを、「パクス・アメリカーナ」といいます。これは、翻訳すれば「アメリカの平和」。これも、慣用句です。この慣用句は、もともと「パクス・ロマーナ」という言葉をいじって作られたものです。そして、「パクス・ロマーナ」というのは、「ローマの平和」という意味です。つまり、「ローマが戦争をして作り出している平和」。そうした世界に、キリスト教は生まれました。
4.翻訳ということ
「平和」であることは、すばらしいことです。何が素晴らしいかというと、あらゆるものが淀みなく流れる、その「自由な流通」ということが、素晴らしいのです。食糧がスムースに流通するから、私たちは食べ物に困らない。食べ物だけではありません。あらゆる物が自由に流通するとき、経済は活性化します。「物」は、道路の上を走って流通します。それで、ローマは平和を維持し、軍隊がどこにでも即座に展開できるように、道路を整備します。そうやって、「物」が自由に行き来して、ローマはどんどん豊かになりました。
「平和」だと、「物」が自由に行き来する。でも、それだけではありません。更に、「文化」もまた、自由に行き来します。ローマは、平和を維持して「文化」が自由に行き来するように、「文化」の交通路を整備しました。それは、言葉の統一です。ローマ帝国内に、一つの共通語が誕生しました。それは、「ギリシャ語」でした。
ローマは土木技術に裏打ちされた軍事力でヨーロッパを制覇しました。でも、ギリシャの文化はローマの文化の遥か先を行っていた。それで、ローマはギリシャの文化を自分のものとして取り込みます。そして、この文化を使って帝国を安定させようとする。それで、ギリシャ語が帝国内の共通語になりました。
そんなわけで、「ローマの平和」の中では、ギリシャ語が共通語となった。それはちょうど、「アメリカの平和」の中では英語が共通語であるのと、よく似ています。今は、「アメリカの平和」の時代です(あるいは、もうすぐ終わりそうですが)。だから、皆さんは一所懸命に「英語」を勉強しなければなりません。そうしないと、とても不利になってしまうのです。逆に、英語が使えれば、私たちは自分たちの文化を世界中に流通させることもできる。2000年前、始まったばかりのキリスト教もまた、自分たちの新しい思想を、ギリシャ語に翻訳することにしました。そうして、自分たちの新しい宗教・思想をローマ帝国内に流通させようと考えたのです。
ところで、皆さんは本当に一所懸命に「英語」を勉強されます。でも、なかなか、身につかない。不思議なことです。インドやフィリピンなどでは、ほんの小さな子供ですら、英語をペラペラと使いこなしている。なぜ、日本人は英語が下手なのか。
答は、簡単です。日本は、つい65年前まで、アメリカやイギリスと戦争していたからです。その頃、フィリピンやインドは、アメリカやイギリスの植民地になっていました。だから、普通に英語を日常会話の中で使わせられた。無理やり、どうしても、英語を覚えなければならない状況の中で生きた。だから、フィリピンやインドの人は英語が上手です。でも、日本は、つい65年前まで、英語を使う人々と戦争をしていた。そして、1945年になってから、アメリカやイギリスと「平和」になった。それから「英語」を勉強している。だから、フィリピンやインドの人たちに比べると、「アメリカの平和」の中に入るのが遅かった。後発組なのですから、どうしても遅れる。それでなかなか、英語が身につかない。だから、皆さんは頑張って英語を勉強しなければなりません。
でも、皆さんが「英語」に苦労することは、果たして悪いことか、どうか。それは、考えてみる必要がありそうです。
今日、授業の冒頭で、私は「時間」というものの意味を、ギリシャ語に照らして、考えてみました。これは、実は、一つの実験だったのです。もちろん、ギリシャ語は外国語です。理解することがとても難しい。でも、そんな「異質な言葉」と日常の言葉を照らし合わせると、「当たり前に思って気にもしなかった普通の言葉」の意味が、突然、増えて広がる。そのことを、体感していただきたくて、「時」を巡るギリシャ語の話を致しました。
三国志の話も、同じことを示唆しているように思います。町の酒場に、くだらないものだと思って気にもしなかった下品な歌や物語があった。でも、それを拾ってきて、別の言葉の世界(中国3000年の洗練された文学の歴史)に移し替え、仕立て直してみると、それは突然、光を放ってみたりする。
実は、キリスト教の思想も、同じような展開を示しました。最初、キリスト教の思想は、アラム語と呼ばれる言語で語られていました。それは世界共通の言葉であるギリシャ語とはずいぶん違う言葉です。もし、イエスの教えがアラム語のままだったら、たぶん、それは一地域のローカルな思想として閉じられて、それでおしまいだったと思います。でも、イエスの弟子たちは、それをギリシャ語に翻訳していきました。すると、自分たちがそれまで気付かなかったことに、たくさん気づかされるようになります。イエスの言っていたことは、もしかしたらこんな深い意味があったのではないか・・・と沢山、気づく。ちょうど、「時間」ということをギリシャ語に置き換えてみると、「時間」についての哲学的な考察が深まるように、キリスト教徒たちは次第に自分たちの持っている思想の豊さに気づかされて行くことになります。そして、パウロによって世界宗教へと脱皮したキリスト教は(先週の授業を思い出して下さい)、ギリシャ語への翻訳によって、いよいよ普遍的な内容を豊かに整えて行くことになるのです。
このことは、英語を学ぶ皆さんに、大切な励ましとなると思うのです。私たちは、ただ仕方ないから英語を学ぶのではないということ。ましてや、テストのためにひたすら暗記をしているのではないということ。そうではなくて、現代に新しい思想を吹き込むチャンスを得るために、英語を勉強しているということです。「学問と芸術の美しい花びらは枯れしぼみ、世界が絶望の淵に立っている」状況は、今現代の世界ではありませんか。でも、そこに、私たちは「異質な言葉」を翻訳して持ち込むことができる。そうしたら、私たちが「新しい不滅の生命の創造者」になれるかもしれない。「英語」を勉強するということは、それくらい気宇壮大なことなのです。このことは、ぜひ、覚えておいてください。
5.宗教の世界・迫害の始まり
以上が、教科書14頁の前半部分の説明でした。以下に、後半部分について説明します。
まず、教科書の訂正が必要です。14頁下から8行目に「またこの時代は、宗教の時代と呼ばれているように、さまざまな宗教が栄えていた」と書いてあります。21世紀となった現在、残念ながら、ここには訂正が必要となります。「またこの時代は」と書いてある部分は、「またこの時代も」と、ご訂正ください。この本が書かれた1980年代には考えもつかなかったと思うのですが、21世紀になってはっきりしたことは、今も昔もずっと、「宗教の時代」が続いていたのだった、ということでした。
試みに、世界を見渡してみましょう。「西洋」と呼ばれる国々の中で最大の国家は、何といってもアメリカ合衆国です。この国の大統領選挙を見てみますと、結局、宗教が決定的な役割を演じました。ブッシュ大統領があれほど無謀な戦争をして、国民にその滅茶苦茶であることが知れ渡った後も尚、ブッシュ大統領は大統領に再選されました。理由は、ブッシュ大統領がキリスト教の最大勢力に支えられていたからです。そして、大統領は皆、聖書の上に手を置いて大統領就任の宣誓をする。それは、キリスト教が、アメリカ合衆国の権力者を支配していることを、儀式として示しているのです。
更に、イスラム世界ではどうでしょうか。イスラム世界で最も元気な国家は、イランでしょう。イランの正式名称は何か。それは、「イラン・イスラム共和国」です。この国では、大統領よりもイスラム教の宗教指導者の方が偉いことになっている。
よく見てみますと、宗教が支配していない国家というのは、日本とEUくらいなものです(北朝鮮や中国は、「宗教」ではないものが支配していますが、でも、それは「宗教」によく似ています)。しかも、日本だって、宗教が支配しなくなってから、まだ65年程度しか経っていない。それに対して、人類は、少なく見積もっても7000年以上、宗教で民族を統治してきました。
なぜ、宗教にはそんなに力があるのでしょうか。
教科書には、「祭り」という言葉が出てきます。「祭り」ということが、カギになります。
東京在住の人によりますと、東京では、ご近所の人と挨拶をしないのだそうです。挨拶をすると、変な人と思われる。みんな忙しくて、相手のことなんか、かまっていられない。隣がどんな人か、なんて、全く興味がない――もし、そんな状況が極端に進んでしまうとなると、どうなるでしょうか。たとえば、道端で「助けて!」と叫んでも、誰も関心をよせない。銃声が鳴り響いても、気にしない。人が死んで転がっていても、ほおっておく。
実は、冒頭で申し上げた30年前のニューヨークは、そういう状況になっていました。実際、1980年代まで、ニューヨークは世界一危険ない都市といわれていました。日常茶飯事に銃撃戦があり、人がしょっちゅう死んでいたのです。今は、違います。1990年代になって、ジュリアーニという人が市長になって、巨額のお金を投じて、警察を強化し、ちょっとした犯罪でも次から次に逮捕する。そうしたら、治安は良くなった。お金をかければ、治安は維持できます。でも、お金をかけないと、治安は維持できなかった。
今、日本はどんどん治安にお金をかけています。でも、いつまで・どこまでお金をかけるのでしょうか。たぶん、どこかで無理が来る。それでは、そうしたらよいか。
そこで、「祭り」です。皆さんは、「お祭り」はお好きでしょうか。縁日に行ったりするのは楽しいかもしれませんが、皆さんくらいの年齢になると、「祭りを手伝え」と言われたりして、嫌だなと、そう思ったりしないでしょうか。でも、「祭り」は、巨大な力を持っています。まず、「祭りをしよう」と思ったら、忙しくても、仕事を休んで、ご近所の人のお宅へ相談に行く。仕事の話ではないのですから、まさか、祭りの事務打ち合わせだけで話を終えるわけにはいかない。「お宅のお子さんはどうですか」「うちのおばあちゃん、最近物忘れがひどくなって・・・」と、お茶でも飲みながら、世間話をすることになる。すると、自分の住んでいる地域の「ご近所付き合い」が始まる。そうなれば、ご近所で叫び声が上がれば「どうした?どうした!」と、みんな家から出てくるようになります。見知らぬ人が怪しい素振りで地域をうろつけば、みんなで注意してその人を監視することになる。そうなると、簡単には犯罪が起こらなくなる。そうなると、治安が保てる。しかも、ものすごく安価なコストで。
宗教は、共同体を創り出すことができるのです。「祭り」を中心に、人々は「ご近所付き合い」を始める。そこには「ムラ」ができ上がる。商店街だったら、互いに助け合おうという機運が出てきて、活性化に役立つ。そうして出来上がってくる「共同体=ムラ」を集めれば、「大規模共同体=クニ」になる。その「クニ」を統一すれば、「帝国」が出来上がるでしょう。巨大な帝国の内部に安価で確実な秩序を作ろうとすれば、当然、「宗教」が利用される。そうやって、人類は昔から「宗教」で秩序をつくり出してきたのでした。
でも、キリスト教が生まれた頃、もう人類は数千年の歴史を数えていました。宗教も、大体、出揃ってしまった。もう新しい宗教なんて、どこにもない。ドキドキするような刺激的なお祭りはないものかな・・・と、特に若者たちはそう思うでしょう。そうしたところに、東のペルシャの方から、「イシス教」とか「ミトラ教」とかいう「神秘体験」を味わわせてくれる新しい宗教が入ってくると、それがブームになったりします。また、古いギリシャの思想の中から「愛」の素晴らしさを説く「新プラトン主義」というものも出てくる。そして、キリスト教もまた、新興宗教として、古代末期のローマに新しい宗教として受け入れられることになる。
でも、新しい宗教は、古い宗教とバッティングしてしまいます。なぜなら、「お祭り」は人手を必要とするからです。若い人たちが「新しい宗教」に行ってしまって、「古い宗教」のお祭りの方が人手不足なれば、どうなるか。地域社会は「お祭り」で成立しているのです。「お祭り」ができなければ、地域社会は崩壊してしまう。とんでもないことだ・・・と、おじさん・おばさんたちは怒りだす。「変な宗教にハマってないで、こっちの祭りを手伝え」――でも、そう言われた若者は、「そんなのつまんねーもん」と反抗する。すると、オトナたちはこう思う。「なんだか、とんでもないヘンな宗教が出てきたんだな・・・なに、人面犬みたいなことを信じているんだって?それじゃ、つまり、邪教で迷信だってことじゃないか。とんでもないことだ。そんなもの、ぶっつぶさなきゃいけないよ」。
実は、パウロ以降、キリスト教はひそかに小さなブームを引き起こしていました。それは、従来の宗教の側にとっては、とても困ったことでした。だから、キリスト教は各地で排除され始めます。その排除の仕方も、かなり露骨で乱暴なものがありました。その排除の中で、多くのキリスト教徒たちは殺されて行きます。そのうち、この「いじめ」をローマ帝国も利用するようになる。それは、「平和」ということの裏面をよく教えてくれることです。
学校の教室内で、「いじめ」があったとします。本当に立派な先生であれば、もちろん、それを止めることでしょう。でも、残念なことに、時々悪い教師がいて、「いじめ」を助長したりすることがある。本当に残念なことですが、2006年、日本のある中学校で、教師が「いじめ」を積極的に煽って、遂に生徒が一人自殺してしまった事件がありました。
なぜ、教師はそんなことをするのか。考えてみれば、分らないでもない、と思います。
教師は、クラスの秩序を守る責任があります。でも、手に負えないこともある。クラスが不安定になる時、誰か一人の「いじめられっ子」がいれば、みんなでその子供をいじめている間だけ、クラスは「平和」になる。だから、「いじめ」を利用することも、あるかもしれない。
ローマの皇帝は、帝国内が「平和」であれば、それでいいのです。新しい宗教が出てきて、古い宗教とそれによって維持されていた地域社会が動揺している。それなら、動揺を治めるために、皇帝も一緒に、「新しい宗教」を排斥してみる。そうしたら、みんなから感謝されて、秩序は維持できて、一石二鳥――というわけで、皇帝がキリスト教徒に害を与える政策を取るようになります。こうしたことを、「迫害」といいます。
更に、このことはエスカレートします。「いじめ」を助長しても秩序が回復しないことがある。たとえば、「いじめられっ子」が根性を見せて、反撃したりしたら、どうなるか。大変なことになります。そうなれば、「ケンカ」になって、教室は混乱の極みに陥るでしょう。そうした時、どうしたらよいか。
これは実話なのですが、そうした時、ある教師は、大きな声で「リンチ!」と叫びます。すると、皆が立ち上がり、机を後ろに下げて、教室に広い空間を作ります。そしてみんながぐるりとまわりを見回している状況にして、教師が真ん中に立ち、「反撃したいじめられっ子」を教室の真ん中に引きずり出す。そして、プロレス技をかけたり、腹を蹴ったりして、いたぶる。生徒たちはそれを見て興奮する。そして、みんなの心に「先生は怖い」という気持ちが植えつけられて、クラスの秩序は維持されることになる。
これは、実話です。私が小学生のころ、実際に、されました。私はキリスト教徒で「変わり者」でした。それで「いじめられっ子」でしたが、いかんせん、図体が大きかった。だから、時々は、大きな声を出して反撃したりした。そうしたら、教師は私を狙って「リンチ」した。私だけではありません。他にもクラスの中は「リンチ」を受けていました。それは、ホンの20年ほど前の、小学校の風景だったのです。
2000年前のキリスト教徒たちもまた、それと同様に、「平和」のために、皇帝によって虐殺されていくことになります。「平和」は、そうして保たれるのです。そして、「それでいい」のです、「平和」を求める皇帝にとっては――もしかすると、「平和」ということの本当の意味は、そうした暗黒面にあるのかもしれません。
以上のことを理解していただければ、教科書の14頁から15頁は、ご理解いただけるものと思います。
沢山のことをお話ししました。人生に役立つはずの事柄です。どうぞ、深く理解していただければと願います。
以上で、今日の授業を終わります。
第5回は
こちら
からどうぞ。
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