信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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第5回 時の満ちるに及んで(後編)

第5回:時の満ちるに及んで(後編)

0.はじめに

 今日は、教科書の15頁から16頁を、ご案内いたします。

 今日の箇所は、聖書の世界全体の理解を必要とする内容が書かれているところです。それで、今回は旧約聖書の話から始めなければなりません。

 皆さんは、旧約聖書の話、と聞くと、どうも漠として掴みにくいとお感じになるかもしれません。でも、もし皆さんが旧約聖書から新約聖書に至る「聖書の世界」のことを大掴みに把握されましたら、きっと、いいことがあります。それは、「世界史」というものの理解が容易になるということです。

 皆さんの中には、「世界史」の科目を履修されていない方も、いらっしゃるかもしれません。でも、「世界史」というものと無関係に、今の日本で生きることは困難です。毎日起こるニュースは「世界史」の枠組みの中で組み立てられて、報道されています。その本当の意味を知ろうと思ったら、「世界史」の枠組みの舞台裏を知らなければなりません。逆に言えば、「世界史」の枠組みの裏側を知りますと、「世界史」の膨大な情報は整理しやすいものとなります。

 今日は、「世界史」の枠組みを皆さんにご案内します。それも、ものすごくわかりやすくやりますから、どうぞ、よろしくお付き合いください。


1.聖書の「世界」

 「世界史」という枠組みがあります。でも、その名称は、ちょっと変です。「世界史」という授業用の教科書を見てみれば、それはほとんど、ヨーロッパを中心としたものとして描かれています。そして、それに中国史やインド史が付け加わった格好で、「世界史」というものは構成されている。そして、「世界史」とは別に「日本史」がある。それはまるで、「世界」が「日本」から切り離されて存在しているように見える、不思議な構成です。

 実は、今私たちが「世界史」という時の「世界」は、「聖書の世界」を中心に考えられるものだから、こんな構成になっているのです。というのも、今の「世界史」という学問は、ヨーロッパで生み出された「歴史学」を使って書かれているからです。ヨーロッパの学者が作り上げた学問として「歴史学」がある。ヨーロッパの学者は、キリスト教の文化の中で育ってきますから、「聖書の世界」が「世界」そのものとなる。それだけではもちろん足りないから、それを補うためだけに、東洋や南洋の歴史も参照する。でも、中心はあくまでも、「聖書の世界」の歴史。だから、「世界史」は「聖書の世界の歴史」の叙述を中心に構成されることになるのです。

 それでは、「聖書の世界」とは、どんなものでしょうか。それは、ずいぶん広大な面積と、ずいぶん長い時間にまたがる、巨大な世界です。

 具体的に、サッカーのワールドカップをイメージしながら、申し上げましょう。

 まず、地理的範囲です。「聖書の世界」の面積は、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアを足した全て)の、およそ3分の2にまたがる。この「聖書の世界」は、東西二つに分かれます。西側は、「地中海世界」です。地中海を挟んで、ヨーロッパとアフリカで構成される世界。ヨーロッパの代表国はギリシャとローマ。アフリカの代表選手はエジプトとエチオピアです。他方、東側は「オリエント世界」といいます。チグリス・ユーフラテス川を中心に展開する文化的地域。この地域の、聖書における代表国は、たくさんいます。でもその中でも特に注目される代表国は、バビロンとペルシャです。バビロンは今のイラク、ペルシャは今のイランに当たります。

 これらの国々が、世界制覇を目指してシノギを削るのが、聖書の世界です。その戦いの歴史は、だいたい2000年程度に及ぶ長大なもの。そこには当然、様々なドラマが無数に展開する。しかし聖書は、その中の一つのドラマに注目して、歴史を物語っていきます。


2.奴隷を解放する神

 今からおよそ3500年以上昔のこと。「聖書の世界」の中で、巨大な事件が起こります。当時、世界を制覇しそうな勢いを持っていたのは、エジプトでした。巨大なピラミッドを建てる技術を持ち、確固たる支配体制を確立していたエジプトは、世界最強の帝国として、世界征服を視野に入れて拡大していました。当然、ものすごい数の奴隷が、エジプトの支配のもとに生活していた、そんな状況です。

 エジプトの覇権は、いよいよ確固としたものとなりそうな様子でした。でも、異変が起こります。北の方で、天変地異と疫病が相次ぎ、多くの人々が地中海を渡って南下してきました。あるいは、オリエント世界の方からも、異民族が続々とエジプトに入り込んでくる。その人々は、北方の文化や財産を持参してきてくれる場合もあったでしょうが、困ったことに、軍隊を引き連れてくることもあった。するとどうしても、エジプトとしてはこれを迎え撃たなければならない。南下してくる人々は、もう戻るところがないと思い定めてやってきますから、激しく戦う。そんな軍隊が次から次へと南下してくるのです。さすがの大帝国エジプトも、だんだんと足もとが揺らぎ始めます。

 そんな中で、大事件が起こりました。「奴隷解放」という大事件です。この事件を引き起こしたのは、モーセと呼ばれる人でした。伝説によると、この人は10回もの奇跡を引き起こし、最後には海まで割って奴隷たちを脱出させたといいます。実際に奇跡が起こったかどうかは、わかりません。でも、そうした事柄が「どうでもよいこと」と思えるほど、「奴隷解放」ということは、信じられないこと、まさに奇跡のような出来事でした。

 人類は、古今東西、いつだって「奴隷」を生み出し、「奴隷」を酷使して歴史を作ってきました。今の日本にだって、「奴隷」は沢山います。「不法滞在外国人」や「風俗嬢」と呼ばれる人々は、職業選択の自由も基本的人権も一切何もなく、ひたすら働かされている。そうした人たちの犠牲の上に、やっとやっと、私たちの社会は「繁栄」を享受している。それは、いつの時代でも同じです。そして「奴隷」は通常、諦めて「奴隷」のまま死んで行く。多くの場合、「奴隷」はその存在すら気づかれない。今の日本だって同じです。

 しかし、今から約3500年前(もっと前、かもしれません)のこと。「奴隷」たちが絶望を振り棄てて立ち上がり、大脱走を成功させた。これは、本当に大事件でした。そして、解放された奴隷たちは、「解放奴隷の共和国」を作るべく、長い旅をしたようです。そして、行き着いた先は、「辺境」の地でした。それは、「地中海世界」と「オリエント世界」の接する場所、両方の世界から見て一番はずれの場所でした。たまたま、「地中海世界」も「オリエント世界」も混乱していた時期だったものですから、巨大帝国はこの「辺境」を無視していた。それで、この人々は(もともとそこに住んでいた人々に対する激しい侵略戦争の結果として、ですが)夢のような理想の共和国を設立することに成功します。「解放奴隷の共和国」。もう、誰にも支配されない、みんなが尊厳をもって暮らす、夢の国の実現。

 でも、この夢の国は、すぐに現実の厳しさに直面します。新しくできた新興国家ですから、周囲の国々との軋轢は絶えません。それから、ヨーロッパから海を渡って「ペリシテ人」と呼ばれる人々が大挙して押し寄せます。こうした外国との戦いに、共和国は惨めに敗北してしまいます。なにしろ、「理想的な共和国」です。なかなか、意志の統一がとれない。対する諸外国は、王様がいて、見事なまでに統率がとれている。これでは、勝負になりません。それで、何度も戦争に負け、それでも独立を回復して、また戦争に負け・・・ということを繰り返しているうちに、いつしかこの共和国の人々は「普通の国」になりたいと考え始めます。

 そして、この国は「王制」を採用することになります。王様がいる政治体制です。なにをしてもしなくても「偉い人」を、「王様」として尊敬しておく。そして、議論が紛糾して意見がまとまらないとき、「王様」に決めてもらう。そして、「王様」が決めたことに、みんなで従う。

 こうして、この国は「理想」を掲げながら、現実に対応する体制を確立します。そうした時、国は強いものとなります。ついでに、ソロモンという大変な賢者が王様となりまして、いよいよ、この国は強いものとなる。今から3000年ほど昔のことです。ソロモンは、エジプトに接するところからバビロンに接するところまでの広範囲をその支配下におさめます。そして、当時の最強兵器を手に入れる。それは、「巨大神殿」です。

 当時は、今よりもはるかに宗教の力が強い時代です。人々は本気で「祟り」とか「呪い」というものを恐れている。兵隊だって同じです。ちょうど、科学を信じている私たちが、見たこともない「放射能」を怖がって、核兵器の存在に敏感になるように、当時の人々は「巨大神殿」に敏感になります。「こんな巨大な神殿に祭られる神様だ。下手に手を出せば、どんな祟りがあるか分かったものでない。」――巨大神殿は、ちょうど、現代の核兵器みたいなものです。核兵器は、結局、張り子の虎に過ぎません。それは、決して役に立たない兵器です。それは、使ったら最後、世界中を敵にしてしまう、最悪の武器なのです。でも、それは「使えない」武器であるけれど、「怖い」ものですから、「強力な武器」となる。巨大神殿も、同じです。それは単なる神殿ですが、「怖い」と思わせることによって、最強の兵器となり、盾となり、バリアーとなる。

 ところで、巨大な神殿を作れるほどに、この解放奴隷の国は強大な権力をもった「王様」を持つことになったわけです。つまり、「何をしなくても偉い人=王さまと貴族」がそこにいる国になった。それは逆に言えば、「何をしても偉くなれない人=奴隷」が、そこに生まれることになる。つまり、この「解放奴隷」の国は、気がつくと、「奴隷を使う普通の国」になってしまっていました。そうなると、収まらない人々も出てきます。自分たちの理想はどこに行ったと、怒る人々も出てくる。そしてその人たちは、この国を割って独立してしまいます。つまり、この「共和国」は「王国」となって、それから分裂してしまう。

 そうなると、あとは弱っていくばかりです。それでも、巨大神殿に守られて、分裂したこの小さな国は数百年持ちこたえるのですが、やっぱり耐えきれなくて、歴史の波に飲み込まれて消えていきます。この国を滅ぼしたのは、バビロンという帝国でした。今から2500年ほど前に、バビロンは破竹の勢いで勢力を拡大し、この小国を、神殿もろとも、木っ端みじんに破壊してしまいます。

 バビロンという国は、もともと、北ペルシャを中心とした「メディア帝国」の支配下にありました。しかし、ペルシャ帝国が衰退して行く流れの中で、急速に力をつけます。バビロンの住民は、「カルデア人」といいました。この人々は、「魔術」を自由自在に使いこなせる人々であるとして、周囲の人々に恐れられていた。どうも、何か特別な技術を持っていたようです。そして、この高度な技術を持つカルデア人は、ペルシャのメディア帝国に独立戦争を仕掛けて「バビロン」という国を造り、そして、世界征服へと驀進(ばくしん)し、解放奴隷がつくった巨大神殿をも破壊してエジプトに迫ります。

 もともと解放奴隷だった人々が頼りにした巨大神殿を粉砕して、なお隆々と勢いを増すバビロン帝国。巨大神殿の祟りすら、見事に跳ね返しているかのようです。もうすぐエジプトもバビロンに滅ぼされることだろうと、皆が思っていまいた。そうした巨大帝国に粉砕された元‐解放奴隷の人々は、意気消沈して各地へ離散します。つまり、国民全員が難民となって散っていったわけです。これで、この国は消えてなくなるはずでした。

 ところが、そこで奇跡のようなことが起こります。

 まず、宗教家たちが踏ん張って頑張ります。宗教家たちは、自分たちの古い宗教の儀式の中に遺され伝えられてきた「御先祖たちの教え」を取り出して、人々を励まして言うのです。「我々は、今から1000年ほど昔に、神様によって、奴隷から解放された民族である。神様は我々を選んで、奴隷であったのを解放したのだ。我々は、神に選ばれた民である。今、我々はまた奴隷の状態になった。しかしそれは、また神が我々を解放する前兆にすぎない。だから、わが仲間たちよ、絶望してはいけない。希望を持とう。」

 そして、この宗教家たちは、自分たちの古い教えを文字にして残すことにします。その際、オリエント世界にあったいろいろな物語も採用して、自分たちの「神」の物語を組み上げていく。そうして出来上がったのが「旧約聖書」でした。そして、この「聖書」を作る作業の中で、「ユダヤ教」というものが成立していきます。

 「聖書」と「ユダヤ教」は、非常に独特の教えを内側に秘めて立ち上がりました。それは、「奴隷を解放する神」という考え方です。これは、本当に画期的な「神」の理解でした。

 普通、「勝ち組」の人は「運がいい」ものです。「運がいい」ということは、言い換えれば「勝利の女神」が味方している、ということでしょう。「勝ち組」の人は、「負け組」の人の上に立つ。「負け組」の最下層の人々は、「勝ち組」の人々の「奴隷」となる。「勝ち組」はそうしてもいい。だって、「運がいい」のだから。「勝利の女神」はその人たちの味方なのだから。「神」はその人たちを助ける役回りを演ずるのだから――これが、普通の「神」のイメージです。

 これに対して、「旧約聖書」の神・「ユダヤ教」の神は、本当に異質なものでした。そこで語られる神は、「負け組」や「奴隷」の味方になる神・「奴隷」を解放してゆく神なのです。そんな神は、今までに見たことがない。でも、もし本当にそんな神がいるなら、それは世界中に信者を獲得することでしょう。だって、世界中に、奴隷はいるのです。その奴隷の味方をする神であれば、世界中に信者を獲得できる。

 でも、そんな神様、いるはずないよ・・・という人も、いたことと思います。それでもとにかく、宗教家たちは「旧約聖書」を作りながら、「諦めるな」と言い続ける。すると、びっくりすることが起こります。誰も予想しなかったこと。なんと、もう老いぼれて衰退し続けるほかないと思われたペルシャが突然息を吹き返し、新しい帝国を作って急速に力をつけ、東から攻め上ってあっという間にバビロンを滅ぼしてしまったのです。そして、この新しいペルシャ帝国(アケメネス朝ペルシャ)はそのままエジプトを占領し、あとはヨーロッパを残すのみで、ほとんど世界統一間近、というところまで上り詰めます。

 宗教家たちは狂喜乱舞します。ほら、見たことか。我々の言った通りだ。神は奇跡を起こしてくれた!

 実際、ペルシャ帝国はユダヤ教徒たちにとって、救い主に見えました。というのも、ペルシャの大王は実に賢い人で、バビロンのやったことを全部「なかったこと」にしてくれます。もちろん、バビロンに圧迫されていた人々は皆、感激してペルシャ帝国を迎える。そしてペルシャ大王は言います。「私はバビロンからお前たちを解放した。私に従え。」

 バビロンが国を亡ぼし、人々を難民にしたのであれば、ペルシャ大王は、その難民に帰国を許可する。難民に身をやつしていたユダヤ人たちは、この幸運に神様の働きを“勝手に”読み込む。そして、自分たちは「神に選ばれた民族――ユダヤ人」だと理解する。

 そこで鍵になるのは、「奴隷を解放する神」という理解です。この理解に基づいて、ユダヤ教の指導者たちは、全国に散っている仲間たちに呼びかけます。「世界にたった一人の神様がいる。それは奴隷を解放する神で、我々の神だ。この神の下に、みんな、結束しよう」。そして、難民だった人々は徐々に故郷に帰り、そこに小さくとも心のこもった神殿を建てて、「ユダヤ教」という宗教を確立して行きます。

 以上のことがご理解いただけると、教科書15頁に書いてありますことの意味がお分かり頂けることと思います。


3.「辺境」

 以上の通り、ユダヤ教は本当に新しい思想をこの世界に遺しました。それは、強烈な思い込みと幸運の積み重ねの結果でした。でも、新しい思想が生み出されたのは、幸運と思いこみのせいだけではないようです。ユダヤ教が誕生した背景には、特殊な「場所」があった。その「場所」とは「辺境」ということです。

 「辺境」とは、「すみっこ」ということです。「辺境」には、モノも情報も行き渡りません。「辺境」はいつも忘れ去られています。しかし、一旦問題が起こると、「辺境」が一番酷い目に遭う。「辺境」は、二つの世界の境界線上に位置します。だから、二つの世界が正面切って衝突するとき、「辺境」が戦場になる。普段は無視され放っておかれるのに、非常事態になると一番の割を食う。それが「辺境」です。

 考えてみますと、私たちは時々「辺境」に追い込まれることがある。たとえば私は「非常勤講師」です。教師の中では「非常勤講師」は「辺境」に位置しています。普段は無視されていますが、学校が経営に苦しむと、最初に切り捨てられるのが「非常勤講師」です。

 あるいは、皆さん高校生は、社会の「辺境」かもしれない。社会は、小さい子供とオトナに対して、丁寧な言葉づかいをします。でも、十代の人にはたいてい乱暴で粗雑な言葉を使いがちです。また、行儀や作法において大人のようにふるまうことが求められるのに、皆さんには選挙権も自動車免許の取得の権利も認められていない。もしかすると、皆さんは社会の「辺境」に位置付けられているのかもしれません。

 あるいは、テストで良い点が取れないとき、皆さんは学校の中の「辺境」に追いやられるのかもしれない。本当は、テストの点数で人物評価など、できないはずです。でも、世間が偏差値で皆さんを判断する以上、学校もそれに倣わざるを得ない。それは本当に理不尽なことですが、それは現実です。

 でも、是非皆さんに覚えておいていただきたい。新しいものは、「辺境」からのみ生まれる、ということです。「辺境」の反対は、「中心」です。「中心」は、今の世界をつくり出している。ということは、今の世界の枠組みを超えるものは、「中心」からは出てこない。今うまく行ってブイブイ言わせている人は、「今」の枠組みの中でしか生きられない。「今」どこにもないような画期的で新しいものは、「中心」ではなくて「辺境」にだけ、生まれる。

 オリエント世界と地中海世界の境界線上=まさしく「ザ・辺境」というべき場所だからこそ、「解放奴隷の共和国」は生まれました。そして、「ザ・辺境」であればこそ、そこは踏みにじられた。そして、まさにその苦しみのなかから、「奴隷を解放する神」という全く新しい思想が出てきた。

 そして、時代は下り、その「ユダヤ教」のなかの「辺境」において、また新しいものが出てきます。それが、イエスの運動であり、それを引き継いだ弟子たちの活動であり、そしてそれを洗練させて行ったパウロの運動だったわけです。


4.ローマ帝国とユダヤ教の滅亡

 さて、先ほど、ペルシャ帝国があと一歩で世界征服を成し遂げる勢いであったといいました。最後に残ったのは、ヨーロッパだけです。当時のヨーロッパの代表は、ギリシャでした。ギリシャは結束して、東から攻めてくるペルシャを迎え撃ちます。数では、圧倒的に不利です。それでも、ギリシャ軍は誇り高く団結して戦い抜く。ペルシャ大王は三度も大遠征を試みるのですが、ギリシャを打ち破ることができない。そうしているうちに、ギリシャの北方、田舎のマケドニアから、すごい王様が出てきました。その名をアレクサンダー3世。小さい頃に大哲学者アリストテレスから教育を受けた秀才。この人は、戦争の天才でした。あっという間にギリシャのチャンピオンになって、そのままペルシャ帝国に攻め込みます。この人は本当に戦争の天才で、一気にエジプトを奪い取り、バビロンを奪い、そしてついにペルシャを完全征服して自ら大王となります。そして更に、その向こう側のインドとアラビア半島のすべてを征服しようとするも、ある夜高熱に倒れ、そのまま病死してしまいます。戦いすぎ・働き過ぎ・過労死だったのでしょう。

 アレクサンダー大王は、「最強の者が帝国を継げ」と遺言して死んだそうです。そして、「最強」は誰かを巡る激しい戦いが始まる。アレクサンダーの部下たちがそれぞれ「後継者」を名乗り、戦国時代の様相を示します。その戦いは熾烈を極めるのですが、その戦いを、またまた、誰も予想しなかった形で終結させたのが、ローマでした。ローマは地中海世界の外れにあった田舎の小国にすぎなかったのですが、いつしか巨大な力を獲得して世界統一を目指すようになります。そして、地中海世界のすべてと、オリエント世界の半分、そして北ヨーロッパに至る広範囲の帝国を築き上げます。

 ただ、ローマも、オリエント世界のすべてを支配下に収めることはできませんでした。パルティアという王国が、ペルシャ地域を支配してローマの侵攻を阻みます。結局、オリエント世界と地中海世界は統一されないままに時代は過ぎて行き、そしてイエスの事件が起こる時期に至るのです。

 ですから、イエスの住んでいた地域は、イエスが生きていたころ、相変わらずの「辺境」でした。この「辺境」は、敵であるペルシャのパルティア王国に近い。それで、ローマ帝国はこの「辺境」に巨大な軍隊を駐留させていた。その軍隊が、イエスの運動を潰すために動員され、そしてイエスは処刑されたのでした。

 ローマは、ペルシャ帝国の統治方法に似て、各地の自治を認めていました。その代わり、ローマ帝国の利害に触れるような時は、大規模に軍隊を動員する。それがローマのやり方でした。当然、帝国内にはローマの支配を憎む人たちも出てくる。ユダヤ人の中にも、「過激派」の人たちがいつしか数を増していきました。そしてある日、過激派はクーデターを起こして、ユダヤの支配者たちを殺害してしまいます。この事件はユダヤの全地域に愛国心を燃え上がらせる。クーデターを鎮圧するために出てきたローマの軍隊は、この時、ユダヤ人たちの激しい抵抗に遭って、敗北してしまうのです。

 軍事的に敗北することは、ローマ帝国にとって衝撃的な大事件です。放置すれば帝国が瓦解しかねない。それで、時の皇帝ネロは決断を下します。ユダヤ人を完全に滅ぼそう。

 そして、ローマ帝国の総力を挙げた徹底的な破壊が始まる。紀元70年、ユダヤ人の心のよりどころであった神殿が陥落します。その時、神殿の土台石までも掘りかえす徹底的な破壊が行われました。

 更にユダヤ人の独立戦争は、神殿陥落から60年後にも再び勃発します。それで、その対応に手を焼いたローマ政府は、「ユダヤ」という民族を完全に消し去ることを決めます。具体的には、「ユダヤ」という地名を抹消する。伝説によると、かつて、この地にヨーロッパから「ペリシテ人」がやってきて、ユダヤ人と戦ったという。それなら、その伝説の時代まで戻してやる。この地は、もともと「ペリシテ人の地=パレスチナ」である。「ユダヤ」なんて、もともといなかったのだ――こうして、今に至るまで、イエスの生まれた地域は「パレスチナ」と呼ばれるようになります。

 以上のような経緯を辿り、「ユダヤ教」は一旦滅亡します。そして、ユダヤ教の中の非常に熱心な一派と、そしてユダヤ教の中では外れに外れていた「おかしな連中」だけが、生き残る。このうち、「熱心な一派」は、今私たちが知るところの「今のユダヤ教」を作って行きます。そして、もう一方の「おかしな連中」の方が、キリスト教徒となる。そして、ヨーロッパはこの二つの宗教を奉ずる人々の手によって作り上げられていきます。


5.まとめ

 以上のような歴史を踏まえるとき、教科書の15頁の意味がわかってくると思います。

 「キリスト教」が誕生したばかりの頃、「ユダヤ教」が一定の尊敬を集めながらローマ帝国内に存在していました。そして「ユダヤ教」の一派として、「キリスト教」も認知されていた。その頃は、「ユダヤ教」の中で「キリスト教徒」は「変な奴」と思われていじめられていましたが、でも、それは「コップの中の嵐」のようなもので、「ユダヤ教内部の問題」だった。それが、「ユダヤ教」そのものが破壊されるという事態になり、「キリスト教」は独立せざるを得なくなる。そうやって、遂に、独自の宗教である「キリスト教」が成立することになる。

 今日、どうしても大切なこととして申し上げたかったことは、「辺境」ということです。世界の「辺境」から、「奴隷を解放する神」という、誰も考えなかったような新しい考え方が生まれ出ました。そして、「ユダヤ教」の中の「辺境」から、「キリスト教」が生まれ出てくる。更に、「ユダヤ教」が滅んでいくその過程において、「キリスト教」は独立する。それは、ユダヤ教を引き継いで「奴隷を解放する神」を信仰しつつ、そこに「イエスの教え」を加え、「絶望してはならない」ということをいよいよ固く握りしめる、新しい宗教の誕生です。そしてそれは、世界中の「絶望している人々」の為の宗教=「世界宗教」となって、歴史の中に展開する。そうした大きな流れの中で、今の私たちの「世界史」は営まれていること。そのポイントは、「辺境からのみ、新しいものは生まれる」という事実にあること。このことを、今日は覚えて帰って頂ければと思います。以上で終わります。


第6回は こちら からどうぞ。


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