信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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第7回 信仰の戦い(後編)

第7回:信仰のたたかい(後編)

0.はじめに

 一応、今日の授業で今学期の試験範囲を終えることになります。そして、次回とその次に、試験対策をすることになります。

 この授業は、ハイブリッド方式を採用しています。

 皆さんは、今、高校2年生の一学期をお過ごしです。そして、皆さんの関心は期末テストに向かっている。でも、今学期の期末テストというものは、高校生活の一部に過ぎません。そして、高校生活というものは、学生生活の一部にすぎない。更に、学生生活というものは、人生の一部にすぎない。皆さんは、そのほんの一部である学期末テストに、意識を集中されている。それはとても大切なことです。それは、今後の人生の核となるでしょう。その意識の集中は、とても大切なことです。

 でも、皆さんが意識を集中している「期末テスト」は、あくまでも人生の一部にすぎない。だから、教師である私は、もう少し視野を広くして、射程距離の長い話をしてきました。つまり、この授業では、人生全体に役立つことをお話ししているつもりなのです。私は、非常勤講師=フリーター教師です。だから、来年度皆さんにお会いできるかどうか、定かではありません。だったら、適当にやってお金をもらって終わらそう、としてもいいのですが、それでは人生がつまらないものになる。だから、私は、本気で「教育」をしてみたい。皆さんの人生に影響を与えるような何かを、ここに遺して行きたい。私は本気でそう思っています。

 だから、皆さんは、期末テストの点数向上を目指して授業をお受けになる。私は、人生全体に役立つことを目指してお話をする。この二つの動機が重なって、この授業は構成されています。つまり、「ハイブリッド」の授業であるというわけです。

 次回から、この授業でお話しした事柄を文字にしまして、皆さんにお配りすることにします。そして、それを手元に置かれて、模擬試験をして頂く。その試験の結果を見て、本試験の問題を作成したいと思います。次回からは、私も「期末試験モード」にしてみたいと思います。

 以上のことを確認した上で、今日は、まだ、「人生全体」に関係する事柄を皆さんにお伝えしようと思います。皆さんは、それを「期末試験」の為にお聞きください。今日は、教科書の18頁真ん中の段落から20頁をご案内いたします。


1.カタコンベと「魚」

 18頁真ん中の段落に、「今日、ローマなどで発見されているカタコンベと呼ばれる地下の墓は・・・」と書いてあります。カタコンベ、というもののご案内が、今日のお話の最初です。

 1578年、イタリアの農夫が、葡萄園を耕していた時、偶然、巨大な地下道を発見しました。そこにはキリスト教の古い絵画がたくさん残されていた。キリスト教徒たちはびっくりして、色めき立ちます。いにしえの昔、迫害されたキリスト教徒たちが難を逃れるために地下を掘り、巨大な地下帝国を造ったのではないか・・・。そう思った人々は、この地下道のことを「カタコンベ」と呼ぶようになりました。

 19世紀になって、発掘が本格化します。現在までに分かっているだけでも、総延長は600km以上あり、巨大な迷路のようになっているので、時々人が迷子になって遭難するということです。そしてそこにはたくさんの古代ギリシャ文字やローマのラテン文字がありました。それを解読すると、そこはお墓であったことがわかりました。それで、教科書にあるとおり、このカタコンベは「もともと古代のキリスト教徒の埋葬所であった」と、みんなそう思いました。でも、最近の研究は更に進みまして、カタコンベにはキリスト教以外のさまざまな宗教のお墓が集まった地下墓地であることがわかりました。それで、教科書は書き直さなければなりません。この教科書は1980年代に書かれていますから、いくつか、間違っているところがあるのです。「もともと古代のキリスト教徒の埋葬所であった」と書いてある箇所は、「もともと古代の貧者の共同墓地であった」と訂正ください。

 なぜ、地下を掘ったのか。それは、貧しかったからです。貧しくても、人は死にます。死んだら、お墓が必要です。お墓が必要になっても、ローマのような大都市には、なかなか、土地がない。とりわけ貧しい人々は土地が買えないので、しょうがないから地下を掘る。古代の人々の感覚では、「地下」には「闇の国」があることになっていました。「闇の国」は、つまり「死の国」です。だから、だれも地下を掘りたがらない。それで、貧しい人たちも自由に地下を掘り進めることができた。

 既に第三回の授業でご案内した通り、最初のキリスト教徒たちの多くは、学のない貧しい人々でした。そして、その人々は草を刈り取るようにして次々と殺されて行く。それは徹底した迫害でしたから、すごい人数が一斉にお墓に入ることになったわけです。そして、共同地下墓地があった。そこに、たくさんのキリスト教式のお墓があったのは、そういう事情でした。

 迫害にあって殺されまくったキリスト教徒たちの大多数は、本当に名もない貧しい人々でした。その人々がいたことなど、歴史は記録してくれません。貧しさというものは、本当に残酷なものです。貧しい人は、簡単に殺される。そして、貧しい人が殺されると、その人がいたことの痕跡まで、きれいになくなってしまう。貧しい人は、最初から存在しなかったかのように取り扱われる。
 でも、カタコンベは特別な場所となりました。カタコンベは地下にあり、そしてそこはお墓でしたから、ローマの警察も軍隊も役人も、そこに入り込まなかった。それで、名もなき貧しい人々は、カタコンベに自分たちの生きた証を残したのでした。無残に殺されてしまった家族や仲間を葬る。その場所に、自分たちの心の証を残す。それは、素朴でも美しい絵画やシンボルとして残されたのでした。

 その遺された絵画やシンボルの例が、教科書18頁の下の方に書いてあります。イエスが「私は葡萄の木で、あなた方は枝である。私に繋がっているかぎり、あなたがたは豊かに実をつける」と言った、そのことを思い出して、葡萄の木と実を描いたもの。それから、特に大切なのは、魚の絵です。ギリシャ語で、魚のことを「イクテュス=Ιχθυs」といいます。このギリシャ語5文字を分解して、それぞれを頭文字にして、暗号を作ることができる。キリスト教徒が作った暗号は、こんなものでした――「イエス(Ιησουs)+キリスト(Χριστυs)+神(Θεου)+子(Υιοσ)+救い主(Σψτηρια)」――つまり、「魚」の絵で「イエスはキリストであって神の子である救い主だ」という意味になるわけです。この「魚」のマークは、今でもキリスト教徒が好んで使うシンボルです。お店でもこのマークのシールが売られていますし、時々、仙台でも、車の後ろにこのシールを貼っているのを見かけます。「成田山の交通安全のお札」みたいなもの、とお考えくださればイメージしやすいかもしれません。

 ただ、大切なのは、この「魚」のマークを使っていた背景です。「皇帝が神である」ということを強引に押し付けている時代です。その前から、「皇帝がキリスト(解放者)である」とか、「皇帝が救い主である」とか言うことは、普通に言われていた。そこに、「皇帝が神である」とか「皇帝は神の子である」ということが加わってきた時代。キリスト教徒はそんな時代に「イエスが神の子で、イエスがキリストで、イエスが救い主なんだ」と語って譲らず、結果、次から次に殺されていったのでした。そして、殺されながら、じっと迫害に耐えるキリスト教徒たちは、この「魚」のマークに自分たちの心の証を託したわけです。

 心を折らないこと。それには、しなやかな強さが必要です。この魚のマークには、そうした強さが込められていると思います。

 そうやって、貧しい名もなき人々は、じっと迫害の嵐を耐え抜きました。次第に、思わぬところから、キリスト教徒を支援する人々もあらわれてくる。他の宗教の人々で、キリスト教徒の姿に「本物の宗教」を見た人々が、こっそりと助けてくれる。人々は次第に、キリスト教徒を尊敬し始める。すると、いつしか、皇帝はキリスト教徒への迫害を緩め始める。そうすると、人々が言うわけです「今度の皇帝は、なかなか分かってるな。やるじゃないか・・・。」こうして、キリスト教徒への迫害の緩和は、政治的な「人気取り」に利用されるようになります。そしていつしか、キリスト教はローマ帝国を支配するようになって行く。その辺りは、2学期のお話しになります。


2.今日の私たちへの教訓

 教科書19頁にはこんなことが書いてあります。「皇帝礼拝にたいする初代教会のたたかいは、今日の私たちにも深い教訓を与えているといえよう。第二次世界大戦の中で、天皇の神聖を主張する政府と日本の教会は戦わなければならなかったし・・・」

 皇帝礼拝を巡る「信仰のたたかい」は、古代の外国の事柄ではありません。日本において、つい65年前に、実際に同じことが起こりました。日本中が「天皇は神だ」と信じて、学校でもそう教えられ、天皇への礼拝が学校行事として行われたのです。その時、キリスト教徒は苦しみました。「天皇とキリストと、どっちが神かはっきりしろ」というわけです。そして、残念ながら、大多数のキリスト教徒たちは、態度をあいまいにして、お茶を濁してやり過ごしました。教科書に出てくるような「信仰のたたかい」というものは、なかなかできなかったのです。

 ただ、はっきりと「信仰のたたかい」をした人々もいました。ごく少数で、キリスト教徒の中でも「変わり者」と思われた人々です。「変わり者」は、「極端に異なった教え」をキリスト教の教えとして信じている人々でしたので、一般に、キリスト教会はこういう「変わり者」のことを「異端」と呼ぶことになりました。

 キリスト教の「異端」の代表的なものの一つは、「ものみの塔」とか「エホバの証人」と呼ばれる人々だと思います。別に悪い人々ではありません。「邪教」もない。でも、一般に「異端」と呼ばれる人々です。それは、皆さんのご自宅に訪ねて来て、「聖書の勉強をしましょう」と誘ってくる人々です。子供を連れていたり、だいたいみんな同じような格好(1970年代以前のアメリカの上層中流階級の大人の格好)をしていたりしますから、外見的にも特徴的な人々です。

 この人たちの最初の日本人代表者に、明石順三という人がいます。第二次世界大戦中に50代の働き盛りだったこの人は、警察に逮捕されます。なぜ逮捕されたかというと、戦争に反対して平和を主張したからでした。聖書には、「人を殺してはいけない」と書いてある。それから、聖書には、「敵を愛せ」と書いてある。だから、戦争に反対しました。すると、「非国民・日本の敵」と見做されて、逮捕されたのです。

 今でも、警察の取り調べは非人間的で酷いものだと言われます。でもそれは、1940年代、もっとひどいものでした。拷問を繰り返し、食事を取らせず、睡眠を妨害して、取り調べを行う。目的は、戦争に賛成させること。聖書の教えよりも、国家の方針を尊重させること。心を入れ替えさせること。天皇に忠誠を尽くさせること。

 心身ともにズタズタにされながら、1942年、明石さんは法廷に立たされます。そして、法廷でこう言いました。「現在、私について来ている者は4人しか残っていません。私と共に5人です。1億対5人のたたかいです。1億が勝つか、5人が言う神の言葉が勝つか、それは近い将来に立証されることでありましょう。私はそれを確信します」――そして、その証言の後、この「5人」は勝った!のでした。明石さんは治安維持法違反で有罪判決を受け、懲役刑に処せられます。牢屋でも、ひたすらに迫害される。でも、1945年の夏、突然釈放になる。外に出てみると、天皇は「人間宣言」をしているし、戦争は間違いだったとみんな言っているし、「戦争放棄」の憲法は出来上がるし・・・確かに、明石さんたち5人は、日本国民総勢1億人に勝利したのでした。

 でも、その後、明石さんは悲しい歴史を辿ります。「勝利」した明石さんに、アメリカの宗教本部から、連絡が来る。今後はアメリカの言うとおりに行動するようにという指令でした。おかしいと思った明石さんは、アメリカの本部に手紙を書きます。まさか、あなたたちは、星条旗に忠誠を誓って、日本人に銃を向け、人殺しに協力したりはしなかったでしょうね・・・。すると、本部から、手紙が来る。お前なんか、破門だ。

 こうして、明石順三さんを破門して、今の「ものみの塔」あるいは「エホバの証人」が生まれます。キリスト教会は一般に、この団体を「異端」と呼んで自分たちと区別しているのですが、その背景には以上のような経緯があります。


3.魅力ある異端の教え

 でも、「異端」だからこそ、明石順三さんは見事な「信仰のたたかい」を見せたのだとも、思います。つまり、「異端」でない「普通」のキリスト教徒たちは、ほとんど揃って、天皇を神とする政府に協力し、率先して戦争を遂行したのでした。私の所属する日本基督教団も、まさに、戦争協力の急先鋒でした。そんな私から見れば、「異端」の明石順三さんは、「魅力ある」ものに見えます。

 でも、「異端」というのは「極端な教え」ですから、多くの場合、どこか変なところが残ります。ちょっと、無理をするところがある。全体としてはよく似ているのだけれど、肝心のところでものすごく違っていて、結果として本当におかしなことになる。たとえば、こんなにも見事な「信仰のたたかい」を実践した明石さんを切り捨てるようなことをしてしまったりする。「異端」というのは、魅力があるのですが、危うさも同じくらいあるということを、申し添えなければなりません。

 2000年前の古代ローマ帝国に起こったキリスト教徒たちは、外部からの迫害という大変な危機の中で、「信仰のたたかい」を進めました。でも、「たたかい」は内部からも起こってきます。その概要が、19頁から20頁に書かれている事柄になります。それは、「異端」との「たたかい」ということです。それは、「内輪揉め」ということでもあります。

 第4回の授業でお話しした通り、聖書の世界は、地中海世界とオリエント世界で構成されています。西半分が、地中海世界。東半分が、オリエント世界です(教科書19頁には、「東洋(オリエント)」と書かれていますが、これは間違いです。「東洋」であれば、中国やインドの文化県も含まなければなりません。ここは、「東方(オリエント)」と訂正ください)。そして、アレクサンダー大王の登場によって、二つの世界は一瞬だけ統合される。統合したのはギリシャ人ですから、ギリシャの思想が、二つの世界を覆い尽くすことになる。とりわけ、オリエント世界はペルシャ文化が巨大な影響力を持っていましたので、そこにギリシャ文化が流入して行くことになったわけです。二つの文化がまじりあうと、新しい思想がそこに生まれてきます。宗教も、そこに新しく生まれてくる。こうした融合した文化や宗教や思想のことを「シンクレティズム」と呼びます。

 ギリシャの文化のことを、「ヘレニズム文化」と呼びます。「ヘレニズム」というのは、「女神ヘラの子孫の人々の考え方」という意味です。ギリシャ人は、自分たちを「女神ヘラの子孫」と考えて、「ヘレニスト」と呼んでいました。それで、その思想を「ヘレニズム」と呼ぶわけです。

 では、「ヘレニズム」の特徴は何か、といえば、それは、「霊と肉の二元論」です。それはつまり、「肉」とか「物」とかに関係するすべてを「キタナイ」と考える文化です。皆さんは思春期の最終盤ですから、「性的なもの」に対して、まだ複雑なお気持ちをお持ちだと思います。体臭や体液といった事柄にも、きっと、敏感でいらっしゃるかもしれません。そうした感情を極端に突き詰めていきますと、「カラダはキタナイ」という思想になる。そして、「心はピュアでキレイ」というのが、その反面に出てきます。簡単に言ってしまえば、「体はキタナイ/心はキレイ」という考え方が、ギリシャの文化=ヘレニズム文化の基本に入っているのです。

 でも、オリエント世界の文化では、そんな考え方をしません。そして、ユダヤ教は、オリエント世界で生まれました。つまり、「バビロン捕囚」によって「旧約聖書」は形作られ、その思想は確定していったということです。

 アレクサンダー以来、ヘレニズム文化がオリエント文化を飲み込んでいきます。オリエントのいろいろな文化が、ギリシャ由来の文化と合体し、新しい思想が生まれて行く。それは、時間をかけて、ローマ帝国の時代に形を整えて行きます。いつしか、そうして生まれた様々な思想は、「誰も知らないような神秘的な新しい真理への認識」という意味で「グノーシス」と呼ばれるようになりました。そうした思想がたくさんある中に、キリスト教は、ユダヤ教の中から、ユダヤ教の殻を破って出てきたのでした。

 当時、新しい宗教思想キリスト教は、不思議な魅力を放っていました。命を賭けて教えを守らせるような、そんな英雄的な生き方ができる宗教。それは、最初は貧しい人々の間に広がったのですが、次第にお金持ちたちの間にも広がります。ローマ帝国のお金持ちたちは、学識豊かな人たちでもあった。その人たちは、既にローマに広がっていた新しい宗教思想である「グノーシス」のことも、よく分っていたのでした。それで、この人々の中から「グノーシス」的にキリスト教を理解しようとする運動が生まれました。それは様々な形を取ります。そのうちの二つだけが、教科書に書いてありますから、それをご説明しましょう。

 「グノーシス」的なキリスト教の第一に、「マルキオン派」の人々がいました。オリエント的な雰囲気が強い「旧約聖書」はいらないのだと言って、パウロの教えだけを「キリスト教の教え」として守ろうとした人が、マルキオンでした。この人は強い影響力を持った人で、たくさんの人を自分の弟子として、100年以上、「マルキオン派」と呼ばれる教会を造りました。ただ、教会全体の会議が開かれて、それは間違いであると決定し、「異端」として取り扱われることになります。それで、いつの間にかその思想は歴史の闇に消えていきました。

 「グノーシス」的なキリスト教の第二に、「仮現説」という思想がありました。これは、イエスとは神であるか人であるかという大問題を巡って、大きな一派を形成した思想でした。素朴な人々は、「イエスはキリストで神の子・救い主」と信じました。それが「魚」の絵になったわけです。でも、学識ある人々は、考えます。ギリシャの思想的伝統に即してみれば、人間が神になれるわけがない。人間は死んでしまう。人間は肉体をもっていてキタナイ。イエスだって、肉体をもっていて、キタナイ存在だったはずだ。そして、イエスは死んで果てた。イエスという人は、神ではないだろう。ただ、イエスの肉体の中にあった魂は「神」そのもので、イエスが死んだことで、その魂が解放されて、神になったのだ――そんな考えが、流行し始めました。「イエスは神の仮の姿の現れ」だとするこの説を、「仮現説」と言い、この説を支持する人々を「仮現論者(ドケティスト)」と呼ぶ。それが、教科書19頁に書いてあることです。

 既に何度もお話しした通り、イエスの教えは、「人間は何度でもやり直せる」というものでした。そして、イエスの弟子たちが言って回ったことは、「人間は死んだって大丈夫」ということです。「なぜなら、イエスは死んだのに甦ったから!」。さて、「人間は死んでも大丈夫」という理解は、強力なものです。「生きたまま間違った人生を歩むよりは、死んででも正しい道を歩もう、だって、死んだってきっと復活するから」と、そういう信仰が、無学で貧しい人々に「信仰のたたかい」を選択させました。でも、学識豊かなお金持ちたちは、自分たちの家の中にひきこもってこう言うのです。「こんな世の中、キタナイことだらけだ。早く死んだ方がいい。そうしたら、私たちの魂もこの世界から解き放たれて、キレイになれるよね。」

 「死んだって大丈夫、復活するから」ということと、「死んだ方がいい、キレイになれるから」ということ。この二つのことは、とても似ていますが、実はものすごく違っています。「死んだって大丈夫」という方は、「信仰のたたかい」を選択して進む。「死んだ方がいい」という方は、「信仰のたたかい」から逃げて退く。多くの無学で貧しい人々が草を刈られるように命を落とすその同じ時に、お金持ちの学識溢れる人々が、「グノーシス」のキリスト教を奉じて、自宅の中でこっそりとイエスを崇拝し、戦おうとしない。そうした様子に、たくさんの心あるキリスト教徒たちが怒りました。そして、学識ある人々の中で「グノーシス」の立場を厳しく批判する人々が出てきます。いつしか、その人々は、「グノーシス」の思想と戦って教会の教えの基礎を固めた人々、ということで、「教会の父親」という意味の「教父」と呼ばれるようになりました。


4.まとめ

 キリスト教は、以上のように、内側から出てくる新しい「異端」との戦いを通じて、その基礎を固めて行きました、ということが、今日のお話の内容でした。大切なことを申し添えます。もしかすると、皆さんは、これから宗教に触れることがあるかもしれない。世の中には色々な宗教があります。いかがわしいものや、逸脱した危ないものも、たくさんある。そして困ったことに、「いかがわしいもの」の方が、魅力的に見えたりするのです。そこで、皆さんに今日の話を覚えておいていただきたい。この世界から逃げるように勧めたり、この世界をひたすらに「キタナイ」と言って切り捨てるような宗教は、「異端」の臭いがするということ。自分だけ救われようと思って、苦しむ人のことに頓着しない宗教は、怪しいということ。このことを、どうぞ、覚えておいて頂ければと願います。


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