信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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第9回:「正統」な教会

二学期 第二回(通年第9回):「正統」な教会の誕生

1.はじめに

 前回から、「西欧の誕生」という話を始めています。ドイツ・オーストリア・スイス・イタリアよりも西側で、地中海よりも北側の広域を「西欧」と呼びます。現代は、この地域と、この地域から飛び出して生まれたアメリカ合衆国が、世界の中心となっている。この「西欧」というものがどうやって生まれたのか。このことを知ると、今の日本の私たちの社会のことを知る手掛かりが得られます。なぜなら、「明治」という時代に開国した日本は、「脱亜入欧」をスローガンに掲げて、現代に至るからです。「脱亜入欧」。つまり、「欧州」に入るために「亜細亜=アジア」を脱する、ということ。更に詳しくいえば、東の「亜細亜」を脱し、「東欧」に追いついて、遂には「西欧」に並ぶこと。それが、「文明開化」のプログラムだったのです。日本はそのプログラムを見事にこなし、日清戦争でアジアを制し、日露戦争で東欧の雄と互角に戦って、第一次世界大戦の頃には「世界の一等国」を任ずるようになります。そして遂に、「西欧」の大国・ドイツと組んで、第二次世界大戦に進み、敗れ、アメリカ合衆国の強い影響の下、現代にいたるのです。

 私たちの社会は、「西欧」を目指し、「西欧」の影響下で、現代の姿に至りました。しかし、この「西欧」というものは、とても特殊なものです。前回申し上げた通り、「西欧」のモトモトは、西ローマ帝国です。欧州全体を支配したローマ帝国がだんだん弱ってきて、東西に分裂する。紀元286年のことです。そしてその西半分が、480年に滅亡します。「ゲルマン民族の大移動」が、その大きな原因であったといわれています。それ以来、欧州の西半分は、政治的権力・軍事力による統一を果たせませんでした。いつまでも群雄割拠の戦国時代が続いたのです。しかし、政治権力や軍事力が統一を与えない混乱の中で、宗教的権威が、欧州の西半分を一つにまとめて行く。前回お話をしました「神の平和」ということが、その説明だったのです。

 実際、「国」という単位で見ると、長く西欧は不安定であった。しかし、その不安定な中で、「宗教」が安定しました。それが「キリスト教」でした。そしてその「キリスト教」が、西欧に秩序と調和を与えた。その「宗教」が安定する基盤は、「教会」という組織・制度です。これが土台になって、「キリスト教」という宗教が機能し、安定がもたらされる。社会が混乱しても、戦争が多発しても、「キリスト教」が秩序を維持してくれる。実際、西欧は1000年間、キリスト教によって一つの平和な時代を過ごします。いわゆる「中世」と呼ばれる時代が、その時代なのです。

 社会が混乱し、戦争が多発する、そんな中で、安定した宗教を支え続けた「教会」。それは、一体どうやって形づけられてきたのか。今日は、そんなお話をすることになります。


2.自由参加・離脱自由の宗教

 既にお話したとおり、「教会」というものは、もともとギリシャ語で「エクレシア」と呼ばれるものでした。それは、単なる「寄り合い」を意味するもので、イエスの弟子の「寄り合い=エクレシア」が「教会」のモトでした。それは、組織や制度によるというよりは、信仰とか情熱によって形作られ維持されるものでした。そしてそれは地下組織として、ローマ帝国内に広まっていきました。

 なぜ、キリスト教の「寄り合い=エクレシア」は、広まっていったのか。

 この問題に対する答えの一つは、既にお話しました。ローマ帝国の無茶苦茶な迫害を受けながら、死を恐れないで立ち向かう勇気。それを見たローマ人たちが、感動してキリスト教徒になって行く。そうして、帝国が迫害すればするほど、キリスト教徒は増えていった。そんな説明を、「信仰のたたかい」というお話の中でしたのでした。

 今日は、更にもう一つ、キリスト教徒が増えていった秘密を、出来るだけわかりやすく、ご案内したいと思います。

 皆さんは、現在キリスト教徒が何人いるか、ご存知でしょうか。いろいろな説があります。多いものでは数十億人以上いるとか、世界で一番広がっている宗教であるとか、あるいは、それほどでもない、とか、色々な統計があるのです。ただ、キリスト教の性質を考えてみると、実は、キリスト教徒の人数は「数えられない」ということになります。なぜでしょうか。

 既にパウロのところでお話したとおり、キリスト教の特徴は、「信仰」だけを要求する、という点にあります。信じさえすればいい。生活や習慣などは、信じた後、キリスト教徒になった後でゆっくり変えていけばいい。とにかく、「イエスはキリスト(救い主)だ」ということを信じれば、それでその人はキリスト教徒です。

 ということは・・・たとえば、今ここで、私が土下座して、皆さんにこうお願いしたとします。「みなさん、お願いですから、これから5分間だけ、“イエスはキリストだ”と信じてみてください。」そう言われた皆さんが、「川上がそんなにまでするなら、5分間だけ、本気で信じてみるか」と思ったとする。すると、その「5分間」だけは、皆さんは「キリスト教徒」になれるのです。5分たった後、「もうこれでおしまい」と思えば、それでいい。この「5分間」、皆さんの数(だいたい30人くらいですね)だけ、「キリスト教徒」の人数は増えたことになる。そしてその「5分」が終わった後、皆さんの数だけ、「キリスト教徒」の人数は減ることになる。

 「キリスト教」というのは、本当に敷居の低い宗教なのです。身分も、国籍も、年齢も、能力も、一切問わない。誰でも、いつでも、どこでも、キリスト教徒になれる。だから、その方が得だと思えば、大勢の人が突然キリスト教徒になるし、それが損だと思えば、大勢の人が突然キリスト教徒をやめる。今の「キリスト教」が変だと思えば、自分好みのキリスト教を新しく作って立ち上げてもいい。自由参加で、離脱自由。それが、キリスト教の特徴です。

 実は、この特徴こそが、キリスト教が爆発的に拡大した大きな原因でもありました。

 自由参加・離脱自由ということ、そのことが、爆発的な拡大を齎すということ。そのことを分かりやすく説明してくれるものに、日本のビデオの話があります。

 今はもう、デジタルデータの時代です。DVDやハードディスクが、録画の基本になっている。でもほんの少し前まで、映像の録画はすべて、ビデオテープでした。1970年代に、このビデオテープは生まれます。私が生まれたころ、やっと世の中に出てきたのです。しかし、それは本当に驚くほど速く、世界中に広がっていきました。それは、なぜだったか。

 「陽はまた昇る」という映画が、2002年に公開されました。それはもともと「プロジェクトX」というNHKの番組がモトでした。この番組では、日本ビクターという会社のドラマが描かれていました。

 1970年代、日本ビクターは、苦しんでいました。そして起死回生をかけて、ビデオのシステムを作り上げた。それは、VHSと呼ばれるシステムでした。でも、ちょうどその頃、ソニーが「ベータマックス」というシステムのビデオを作り上げていた。「ウォークマン」などで世界に隆々たる勢いを示していた頃の、ソニーです。その技術力は素晴らしく、画質においてVHSを凌駕し、そして何より、コンパクトで格好よかった。社運をかけたVHSは、実は、最初の段階から、ソニーに完敗していたのです。

 そこで、日本ビクターの社長さんは悩みました。これで会社が終わってしまうかもしれない。その時、大逆転の発想が生まれました。記者会見を開き、VHSのシステムを公表すること、そしてその規格は、全ての会社・組織に開放することを、発表したのです。

 品質において絶対的に有利なソニーは、日本ビクターに先駆けて、「ベータマックス」という規格を発表し、着々と発売に向けて製品を作りつつありました。絶対の自信を持っているソニーは、利益を最大化することを目指し(それは会社の至上命題です)、自社の録画・再生技術を企業秘密として、これを使いたい人や会社に対しては、それなりの対価を払うことを求めます。
すると、どうなるでしょうか。

 VHSは、その品質において、ソニーの技術に後れをとっています。でも、日本中・世界中の企業がこれを自由に使えるとなれば、皆がその欠点を埋め、長所を伸ばしてくれます。更には、様々なお客様の要望を拾い上げる小さい会社が工夫を凝らし、VHSはどんどん使いやすくなっていく。一方、ソニーは巨大な企業で優れた技術を持っていますが、孤軍奮闘せざるを得なくなる。結果、VHSが市場を席巻し、「ベータマックス」は生産を中止することになる。

 自由参加・離脱自由であるということは、巨大な可能性を秘めていることなのです。世界中の様々な文化や技術が、そこに乗り入れ、それを改善して行く。キリスト教という宗教は、最初は素朴な内容で、ユダヤ教の中から追い出された弱小集団のものでした。でも、それが逆転劇を体験する。世界中から尊敬を集めていたユダヤ教を追い越し、世界を席巻する「世界宗教」になってしまう。それは、自由参加・離脱自由の「敷居の低さ」という体質のもたらしたものです。


3.拡大と混乱、そして「正統」

 ただ、「自由参加・離脱自由」という体質は、問題も含みます。

 もう一度、VHSの話に戻ります。

 VHSは、人々の生活を一変させました。VHS登場以前、テレビで見る番組は、自宅で録画することができませんでした。また、長時間のドラマやアニメは、映画館で見なければならなかった。でも、VHSが誕生してから、録画ができるようになったので、テレビ番組は自分の好きな時間に見ることができるようになります。また、映画もまた、ビデオとして発売されるようになり、家で見ることができるようになりました。

 そうなると、どうなるでしょうか。

 自分の好きな時間に見れるテレビ番組を、人々は「自分の好きなように見たい」と考えます。そうなると、邪魔になるのはコマーシャルです。そうした人々の声に応えて、「コマーシャルスキップ機能」を搭載したビデオデッキを作る企業が出てきます。何といっても、「敷居が低い」のです。自由に、様々な企業が競争しながらVHSを使って商品を作ることができるのですから、お客様のご要望に応える新商品が誕生するわけです。

 映画においても、同様の事態が生まれます。まず、みんな、ビデオで映画を見るようになるから、映画館には人が来なくなる。映画館の入場券で収入を得ていた人たちは、しょうがないから、ビデオを販売して映画の製作費を稼ごうとする。でも、今度は「ダビング機能」を搭載したビデオデッキが誕生する。すると、映画を製作する人々の収入が激減する。

 そうなると、結局、全てがダメになっていきます。お分かりになるでしょうか。

 コマーシャルが見てもらえなくなれば、テレビ局の収入はなくなります。テレビは、コマーシャルを見てもらうことで、企業からお金をもらい、「タダ」で番組を放送できるのです。同様に、映画館に来てもらえなければ、映画関係者の収入はなくなります。仕方がないからビデオで出しても、買った人が勝手にダビングしてしまえば、みんなが「タダ」で映画を見てしまう。そうなれば、映画を作る人たちにおカネは入らない。そうなれば、当然、映画が作れなくなる。番組も作れなくなる。結果、番組や映画などの「コンテンツ」がなくなる。そうなれば、だれも、ビデオなんか見ない。だって、見るべきものが作られなくなるのですから、ビデオデッキがあったって、意味がないわけです――よく考えてみると、VHSが持っている「敷居の低さ」は、まわりまわって、VHSを取り巻く全ての環境を破壊してしまうことに繋がります。
同様のことが、キリスト教においても起こりました。キリスト教は、あらゆる文化やあらゆる思想に開かれていました。だから、色々な考え方が入り込みます。その中には「危険思想」もありました。たとえば、「奴隷制度は間違いだ」とか、「男と女は平等だ」とか、そういう「危険思想」も、キリスト教に入り込んできたのです。それは、古代の社会を崩壊させる可能性がある、「危険な思想」でした。そんな「危険」なものが入り込むと、キリスト教自体が「危険」と見做される。そうなったら、ただでさえ「迫害」を受けて苦しいのに、本当に、息の根を止められてしまうかもしれない――そう、キリスト教の指導者たちは、心配をすることになります。

 VHSを含むメディア関係のオトナたちは、「このままでは皆で沈没してしまう」ということに、気付いたようです。VHS以後、録画再生機能を持った様々な技術が開発され、今はディスクにデジタル情報を記録するようになりましたが、その技術を使った製品には、どれにも「コピーコントロール」の制限がつけられるようになりました。つまり、勝手に複製をすることができない技術を、わざわざ皆でつけるようになったのです。もちろん、企業の技術者たちは、「コピーコントロール」を解除する方法を知っています。でも、製品には、その方法を盛り込まない。無秩序に複製がなされれば、コンテンツ産業が崩壊して、結局みんなが沈没してしまう。だから、統制を加えて、ダビング=複製を制限するようになりました。

 同様に、キリスト教も、だんだんと変わっていきます。どんな人でもキリスト教に参入でき、離脱も自由、という「敷居の低さ」はできるだけ保ちたい。けれど、全体を沈没させかねない「危険」なものは、排除したい。そこで、ガイドラインを作って統制し、その枠内でキリスト教をやっていこう――そう考えるようになります。ここに、「正しい統制の枠内で行われるもの」という意味の「正統」というものが生まれるのです。そうして、「エクレシア=寄り合い」であった集団は、「教会」という「正統」なまとまりになっていきます。それを、教科書21頁には「古カトリック教会とよぶ」と、説明しているわけです。この「カトリック」とは、「普遍的なもの=どこでも共通の同じもの」という意味です。つまり、「古い時代の普遍的な教会」が、正統なものとして、成立した。それが、「神の平和運動」を担う団体へと成長していったのです。

 纏めますと、「敷居の低さ」という体質の結果、急激にキリスト教は規模を広げました。それは、迫害にもかかわらず、拡大したのです。しかし、その拡大が混乱を呼びました。迫害の現実があるのです。あまり「危険」なことは困る。だから、「正統」が定められました。ガイドラインを設定し、その枠の中に「教会」を正しく統制して、無秩序による崩壊を防止する。「正統」な教会(古カトリック教会)の誕生です。

 「神の平和」運動を推進し成果を挙げ、西欧を作り上げた教会は、「正統」という枠組みを得て、一つのカタチをもつことになります。そのカタチとは、どんなものか。次回からは、そのお話をいたします。

第10回は こちら からどうぞ。


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