信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

三学期 第四回

前回は こちら




第19回:三位一体論と自由の成立


1:自由と規律

 三学期は、キリスト教の神を説明する理論である「三位一体論」と、西欧文明のチカラの秘密である「自由」との関係を、キリスト教の歴史を辿りながら、ご一緒に学んでいます。「三位一体論」と「自由」は、それぞれ、繋がりあって成立したのです。

 「三位一体論」は、キリスト教の中核をなす理論です。だから、「キリスト教の成立」は、三位一体論の成立によって達成される。そして、「三位一体論の成立」によって、「自由」が確立してくる。特に、ここまで、私たちが確認したのは「一神教」としてのキリスト教がローマ帝国に定着するドラマでした。時間の流れに載せて考えてみると、抽象的でヤヤコシイ事柄も、案外、すっと胸に落ちるように理解出来たりします。それが、「歴史」を学ぶ醍醐味です。この授業では、「自由」という抽象的でヤヤコシイ事柄を説明するのに、「(キリスト教の)歴史」を用いているわけです。

 「一神教」としてのキリスト教は、当然、神様を「ひとつ」と考えます。しかし、歴史を辿るなら、キリスト教はもともと、ユダヤ教以来の神(ヤハウェ)と、イエス・キリストと、二つの「神様」を持つ可能性を持っていたのでした。でも、その「二つ」を“一つ”にして、ローマ帝国のキリスト教は確定します。「二つ」を“一つ”につなげるために、「霊」という概念が導入されるのです。こうして、「父(ヤハウェ)と子(イエス・キリスト)と霊」の「三位一体の神」が、“キリスト教の神”になる。それが、「三位一体論」です。この理論が成立することで、「自由」が立ちあがるのだ、ということを、いよいよ、今日からお話することになります。

 「三位一体」という形で「唯一の神」が確定する。それが、「自由」の成立基盤になる――これは、理屈にあいますでしょうか。「“ひとつ”の神様で、世界と人生のすべてを説明できる」というのが、「一神教」です。それは、一見すると、多様な可能性を排除するような気がします。むしろ、「多神教」の方が、たくさんの神さまがいるのですから、「自由」が保障されるのではないか――そう考える方がおられるかもしれません。

 でも、「自由」というものをよく考えてみると、そうでもない、かもしれません。

 「自由」とは、不思議なものです。それは、正反対のものによって支えられて初めて、存在します。正反対のものとは何か。それは、「規律」です。

 皆さんは、高校生でいる間、「不自由」を体感されるかもしれません。“制服を着なければならない”“時間割通り生活しなければならない”等、いろいろ、面倒です。早く大学生になりたい。そうすれば、「自由」になるのだから。

 実際、大学生は皆、本当に自由になります。衣服だけではありません。大学生は、時間割だって、自由に決められるのです。生活のすべてが、本当に、自由になる。

 しかし、大学生になると、おそらく皆さんは全員、お困りになると思います。何でも好きな服装をしてよい。自由に時間を使ってよい。決めるのは、自分自身である。

 でも、「イケてる」恰好をしなければ、恥ずかしいような気がする。それで、大学生になると、皆、周りを見渡してキョロキョロします。どんな格好だと、「イケてる」のだろうか。誰にも強いられていないのに、なんとなく周りに合わせて、一律の格好にまとまっていく。誰に制服を決められたわけでもないのに、「みんな」と同じ格好をしなければならないように、追い立てられてしまう。

 もっと顕著なのは、時間割です。大学生は、本当に自由に、時間割を決められます。大学に入ると、「履修要項」という、巨大な冊子を渡されます。そこに記載された、無数にある授業を選んで「自分の時間割」を作らなければなりません。でも、大学に入学したばかりなのです。授業とはどんなものなのか、更には、大学生活がどれくらい忙しいものなのか、まったく分からないのが、当然です。それで、不安になる。多くの場合、サークルがありまして、先輩から後輩へ、「必勝」の時間割プランが情報伝達されます。そうした情報にアクセスした人は、それを友だちに伝え、結局、みんな、だいたい同じような枠の中で時間割を選択することになる。

 実は、「自由」というのは、「不自由」な状況において初めて、憧れの対象になるものです。逆に、実際に「自由」の中に放り込まれると、人は「規律」を求めて不安になる。その不安を跳ね除ける強い意志を持った人も、ごく稀にいます。でも、通常一般の人は、周りを見る。自由を一部放棄してでも、安心を得たいと思う。

 実は、「自由」というのは、「規律」によって支えられているのです。でも、「規律」の中にいると、人は「自由」を渇望するようになる。「規律」があればこそ、「自由」が具体的にイメージされる。逆に、「自由」の中で、人は「規律」の価値を実感する。「自由」と「規律」とは、正反対の概念ですが、互いを自分の基盤として必要とし合っている、不思議な関係を持っているのです。

 「新しいローマ」において、やっと、規律が帝国内に行き渡りました。それは、「唯一の神」で世界と人生を説明する「一神教」の成立によるものです。そして、この「一神教」の規律を背景に、人々は「自由」に手を伸ばし始めます。ローマの一神教は、キリスト教の「三位一体の神」を「唯一神」とするものです。その理論は、「三位一体論」といいます。それは、実は、無理やりに「ふたつ」を「ひとつ」にした「唯一神」の理論なのです。それで、ローマでは、「規律」の中で「自由」への憧れを引き起こし、「自由」の中で「規律」を求めさせる、そんな事態が成立することになりました。

 今日は、そんな「不思議な一神教」が自由を成立させて行く現場に、立ち会いましょう。分かりやすく、ローマ帝国を東西二つに分けまして、それぞれの教会の論争を、それぞれ二つずつ、確認します。それは、古代の末期、特に西欧において、「三位一体論」が「自由」成立へと繋がっていく過程を確認することでもあるのです。


2:東の論争

 前々回、「三位一体論」を巡る議論の温度がローマ帝国の東西で異なっていったということをお話しました。両方とも、熱心に議論したのです。しかし、東西では、議論の温度が異なる。東は、非常にクールで観念的な議論を、熱心に行います。そんな特徴がよくわかる事例として、ここでは、東で行われた議論のうち、二つの論争を取り上げてみましょう。

(1)イオタ論争
 コンスタンティノポリス公会議の決定を受けて、ローマ帝国全土の教会は、「神は一つ」ということを前提事項としました。その結果出てくる矛盾がどれだけあったとしても、これを前提として、議論を積み重ねる。そう決めたのです。

 コンスタンティノポリス公会議では、ニカイア信条の「正統性」が確認されました。ニカイア信条とは、トルコ半島(つまり帝国の東側)ニカイアで行われた公会議で決定されたものです。この公会議での議論は、「イオタ論争」と呼ばれます。まず最初に、復習の意味も兼ねて、この「イオタ論争」を取り上げてみましょう。

 「イオタ」とは、ギリシャ語の「ι」の文字です。この一文字を巡って、ニカイアでキリスト教徒たちは喧々諤々の議論を行いました。それは、どんな論争でしょうか。

 議論のポイントは、「父なる神(ヤハウェ)」と「子なる神(イエス・キリスト)」の関係を巡るものでした。その概要は、既にお話しましたが、重要なので、ここで復習します。

 対立は、二つの派閥の抗争となりました。

 片方の派閥は、アタナシオス派。こちらは、「父と子は同質」と主張しました。「同じ」というのを、ギリシャ語で「ホモ」といい、そして本質のことを「ウーシア」といいました。それで、「同質だ」ということを、ギリシャ人は「ホモ・ウシオス」と表現しました。「父と子は、ホモ・ウシオス」。これが、アタナシオス派の立場を表す標語になります。

 他方の派閥は、アリウス派。こちらは、「父と子は同等」と主張しました。「同じ」は「ホモ」、本質は「ウーシア」なのですが、「だいたい同じ・同じっぽい」ということを表現するために、「イ」の音を現す「ι(イオタ)」を挿ませて、「父と子は、ホモ・イ・ウシオス(同等だけどちょっと違う)」と言った。これが、アリウス派の立場を表す標語になったわけです。

 神とイエスが「同じっぽい」のであれば、キリスト教は成立します。神の ような イエスが、救い主(キリスト)として救いを持ってきたのだ、とすれば、死んだイエスを救い主(キリスト)として拝むことができる。これは、分かりやすい。

 論争は、「ホモ・ウシオス」か「ホモ・イ・ウシオス」か、どちらを教会として正式に採用するか、という点に絞り込まれました。「ι(イオタ)」一文字を巡る論争です。それで、カルケドン公会議で争われた論争は、「イオタ論争」と呼ばれるようになりました。

 論争は、結局、アタナシオス派が勝ちました。「父と子はホモ・ウシオス」と定められたのです。こうして、「キリスト教の神」は「ひとつ」であることが、確定しました。その背後には、「唯一の支配者」として君臨するコンスタンティヌス大帝がいたことは、既にお話したとおりです。

(2)テオトコス論争(ネストリウス論争)
 「イオタ論争」の結果、キリスト教に「神は一つ」という考えが、大前提事項として、導入されました。しかし、実際問題として、「神は一つ」という考えをキリスト教に持ち込むことは、たいへん大きな矛盾を引き起こしました。

 ギリシャ・ローマの伝統では、「神」というのは「死なない存在」と定義されていました。しかし、「イエス」は人として生まれ、人として死んだのです。ですから、「イエス・キリスト=神」とした瞬間に、話は非常に分からなくなってしまいます。イエスが死んでよみがえった。だから、「イエスはキリスト」なのです。イエスが死なないのなら、「イエスはキリストではない」。しかし、神は死なない。それで、「イエス=神=死なない」となってしまう。しかし、これでは、キリスト教そのものが、成り立たない。

 そこで、人々は真剣に矛盾解決の糸口を探しました。特に、ギリシャの人々=帝国東側の教会の人々は、議論に議論を重ねたのです。「イエス」という人物のどこまでが人で、どこまでが神なのか。それが分かれば、議論は決着する――これが、帝国東部の三位一体論の論点となります。

 キリスト教がローマ帝国の国教となり、その後帝国が分裂をした後、上記の問題は、もっぱら東側で、大問題となりました。問題提起をしたのは、ネストリウスという人でした。

 イエスが神ということは、イエスの母マリアは「神の母」である――これは、論理的に筋が通っています。それで、キリスト教の中に、「マリア崇拝」が流行り始めました。これを放置していては、キリスト教は「一神教」でなくなってしまうかもしれない。混乱を治め帝国を安定させる最新の宗教として、やっと、キリスト教は「一神教」として整備されたのです。それが、内部から崩れてしまってはいけない。そうした危機感から、ネストリウスという人が立ちあがります。「イエスの母マリアを“神の母”と呼ぶのは間違いだ」と、ネストリウスは主張しました。この主張は心ある人々の賛同を得て、特に東側の教会で、大きな論争となっていくのです。

 「神の母」ということを、ギリシャ語で「テオ(神の)・トコス(母)」と言います。ネストリウスは、“イエスの母マリアは「神の母(テオトコス)」ではない”と主張して、論争を巻き起こしました。ネストリウスが提起した論争ですから「ネストリウス論争」と呼ばれたこの論争は、その内容から「テオトコス論争」とも、呼ばれることになりました。

 教会は、悩みます。「マリア=神の母」と認めてしまうと、「神の伯父」「神の弟」「神の友」その他、いろいろ出てきてしまうかもしれません(実際、その後、出てきました)。でも、「イエス=神」ということは、揺るがせにできない。どうしようか――結局、教会は、ネストリウスを黙らせる事にします。つまり、マリアが「神の母」となってしまってもいいから、とにかく、「イエス=神」ということを断言する。その結果出てくる問題は、すべて先送りすること。「イエス=神」という一点だけは揺るがさず、あとは、自由に議論すること。それを定めます。

 こうして、東側では、「一神教のキリスト教」が確定します。「唯一の神」を、矛盾を承知で、とにかく確定した。その結果、自由な議論の噴出を導出することになるのです。「神は一つ」ということで全体の規律を守ること。それが、矛盾を生み出す。だから、矛盾を解決しようとするエネルギーをも、生み出す。ただし、矛盾は一番根本のところに埋め込まれている。ですから、永遠に解決しない。だから、矛盾を解決しようとするエネルギーも、永遠に生まれ続ける。そこに、自由の源泉が誕生する。

 以上が、東側の教会で真剣に議論された成果です。それは、三位一体論という奇妙で魅力的な神様の理論を確定するものでした。その理論は、矛盾を承知で先に進む点、奇妙です。でも、それは「自由」を生み出す構造を持っている点で、魅力的なものだったのです。


3:西の論争

 「イオタ論争」も「テオトコス論争」も、帝国の東側で盛り上がった議論でした。それぞれの論争を解決する公会議は、すべて、東側で行われたのです。西側は、公会議を開催できる状況ではありませんでした。ゲルマンの大地から次々と侵入者がやってきて、あちこちの都市が襲われる。しばしば、ローマ兵は敗れ、町々は荒らされている。そうした中で、教会は厳しい問いかけに直面していました。「キリスト教になったのに、なぜこんな酷い目に遭うのか?」「キリスト教になったから、こんな酷い目に遭っているのではないか?」「キリスト教の神は、いったい何をしているのか?」――このような批判が出てくるのは、当然のことでした。教会は、この批判に応えなければならない。「唯一の神」を信じるなら、その「神」で、目の前の悲劇に説明をつけられる、そういう「神」の理論を作らなければならない。そうした課題に迫られて、西側では、現実的でホットな議論が展開しました。それは、帝国東側の抽象的でクールな議論とは、いささか趣を変えるものとなります。

 西側の現実的でホットな議論は、一人の大思想家によって串刺しに眺める事ができます。その大思想家とは、アウグスティヌスという人です。

 アウレリウス・アウグスティヌス。354年に現在のアルジェリアで生まれ、430年同地にて死亡。この人は、古代ローマ帝国末期の北アフリカ(アフリカ大陸の地中海沿岸地域で、エジプト以外の場所)の町ヒッポのエピスコペーとなり、その時代を代表する思想家・宗教家となります。更にこの人は、現代に至るまで、西欧の思想を決定づける巨大な思想家として、その名を残します。「西欧の人文科学は、アウグスティヌスについての説明で全て語り尽くされる」と、現在でも言われる大人物。今から挙げます西の二つの論争は、この人の論争として、纏める事ができます。

(1)ドナティスト論争
 まず最初に、ドナティスト論争について、お話しましょう。この論争は、アウグスティヌスの若い頃の論争です。

 「ドナティスト」とは、「ドナトゥス派」という意味です。「ドナトゥス」というのは、人名です。生年も没年も詳細は不明ですが、おそらく「ミラノ勅令」より前に生まれ、大都市カルタゴ(現在の現在のチュニジア)で活躍し、アウグスティヌスが生まれた頃に亡くなったといわれています。この人の一派が中心になって、主にローマ帝国の西側で盛り上がった論争が、「ドナティスト論争」です。

 事の起こりは、ローマ帝国最後で最大の迫害に遡ります。ディオクレティアヌスの大迫害。帝国を上げての迫害でした。多くのキリスト教徒が殺されました。そして、もっと多くのキリスト教徒が、棄教(キリスト教を棄てること)をしてしまった。しかし、この大迫害が始まってから10年後、世の中がひっくり返ってしまいます。コンスタンティヌスが天下統一を果たし、キリスト教が公認され、むしろキリスト教に特権が与えられるようになるのです。

 キリスト教でなければ出世できない。キリスト教でなければ商売が儲からない――そうなれば、人々はこぞってキリスト教に改宗するものです。これは、日本でも起こったことでした。1945年に日本が戦争に敗れ、アメリカを中心とする占領軍に支配された時のことです。ものすごい数の人々が、キリスト教会に集まりました。キリスト教国アメリカが有り余るほどの食糧をもってやってきて、日本を支配している。そうした状況下においては、日本でも、教会に人があふれたのです。日曜日のみならず、平日も、教会には人がたくさんいたといいます。若者たちが、教会にタムロしてダベり、遊び、学んでいた。それを見た牧師たちの中には、もうすぐ日本がキリスト教国になると本気で夢見た人もいた。これは、宗教というものの本質を現す、歴史の一コマでした。

 コンスタンティヌス大帝の「新しいローマ」においても、同様のことが起こったようです。人々が教会に集まってくる。場所がないので、帝国がお金を出して立派な教会堂が続々と建てられる。でも、そこで働く人が足りません。そんな中、「大迫害」の時に棄教した人々が、教会に戻ってきました。教会としては、働く人手が足りません。棄教した人々の中で、元聖職者であった人々が、戻ってきている。この人たちを使わない手はない。

 気がつくと、教会の中に、たくさんの「元・棄教者」が、聖職者として大きな顔をして働いている。こうした状況に厳しい異議申し立てをしたのが、ドナトゥスでした。彼は、ミラノ勅令の頃にカルタゴのエピスコペーに就任していました。おそらく子どもの頃に「大迫害」をその目で見たのでしょう。ドナトゥスは、その苦しみの中で英雄的に死んでいったキリスト教徒のことを知っていたようです。それで、キリスト教を棄てて生き延びて、今頃になってノコノコと教会に戻ってきた人々のことが、許せませんでした。そんな人々を平気で指導者に据える教会の姿に堕落を読み取ったドナトゥスは、教会批判を展開する。当然ですが、ドナトゥスに賛同する人々は多くいて、大きな派閥が形成されることになります。

 教会当局としては、頭の痛い問題となります。人手は、足りないのです。その現実に対応しなければならない。でも、そうすると、理想主義的な目には、教会の姿勢は堕落して見えてしまう。確かに、ドナトゥスの批判は、耳が痛い。でも、しょうがない。

 こうして教会がグズグズして現状を維持していると、そのうちに、ドナトゥス派の人々は怒りだし、教会を割って出て行こうとし始めます。教会は慌てます。せっかく迫害を耐え抜いて、今や帝国内で特権を与えられるようになったのに、教会が分裂してしまうのは、たいへん困る。

 事態は悪化して行きます。そんな中で、アウグスティヌスが生まれ、成長し、北アフリカの教会のエピスコペーになっていきます。アウグスティヌスは、ドナティストを厳しく批判する立場をとります。アウグスティヌスの批判は、決定的なものとなりました。アウグスティヌス以降、ドナティスト論争は終結に向かうのでした。

 アウグスティヌスの論点は、「ひとつの神」を巡るものでした。

 ドナティスト達は、確かに、正しいことを言っています。キリスト教徒の集団として、教会は、聖人の集まりであるべきだ。それは、その通り。しかし、そう言う根拠は、何でしょうか。根拠は、「キリスト教の福音」です。「キリスト教の福音」とは何でしょうか。それは、「神様が罪を赦した」という知らせです。この「よい知らせ」を信じるとき、キリスト教が始まります。さて、罪を赦すというその神様は、「ひとり」です。古今東西で「ひとり」なのです。昔、ドナトゥス派の人々もまた、「罪を赦された」ということを喜んで、キリスト教とになりました。この人々を赦した神は、今も、全ての人を赦す「同じひとりの神」である。だから、どんなひどい罪でも、赦される。だから、失敗し裏切った人々を、私たちも赦さなければならない。

 「ひとりの神」をキリスト教の路線の上で徹底させると、ドナトゥス派の異議申し立ては間違っていることになります。「唯一神」をキリスト教的に構成すると、「全ては赦される」ことになるからです。これは、大きな思想です。この思想から、「自由」というものが成立するからです。

 「自由」というのは、常に、“失敗”を含意します。「絶対に失敗するな」と言えば、そこには「自由」などないのです。もし、「自由」が成立するとすれば、それは「失敗する自由」が保障されなければならない。「失敗する自由」とは、何によって保障されるか。キリスト教は、「罪を赦すイエス・キリスト=唯一の神」という「一神教」を成立させることによって、「失敗する自由」を保障するものとなったのです。それは、東側の観念的でクールな議論によって基盤を固められつつあった三位一体論を、西側の現実的でホットな議論に持ち込んだ時、具体化しました。こうして、西側では「自由」が現実のものとして立ちあがってきたのでした。

(2)ペラギウス論争
 こうして、ドナティスト論争はアウグスティヌスの登場によって終息しました。実際、教会は分裂していられる状況ではなかったのです。異民族の武力侵入は激しさを増していました。アウグスティヌスがヒッポのエピスコペーに就任した頃には、西側のいくつもの都市が、ひどい目に遭っていたのです。

 アウグスティヌスが仕事をしていたヒッポの町は、地中海の南側、豊かな土地にありました。イタリア半島は、地中海の向こう側です。その「向こう側」は、ゲルマンから襲来する異民族によって焼き払われたりしている。「向こう側」の人々は、海を渡って「こちら側=北アフリカ」に、難民となって流入する。その人たちを受け入れるのが、アウグスティヌスを含む教会指導者の仕事になっていました。

 難民となって命からがら逃げてくる人々。どうしてこんなことになるのか。こんな人生に意味はあるのか。こんな世界に希望はあるのか。神はいったい何をしているのか――教会は、そうした人々の心の傷と向き合わなければならりません。

 まだ、アウグスティヌスのいた北アフリカの教会は、気が楽でした。なぜなら、地中海の「こちら側」にとっては、「対岸の火事」だったからす。でも、地中海の「向こう側」であるイタリア半島の教会にとって、この問題は抜き差しならない切実なものとなりました。そして、410年、遂に1000年の都ローマ市が、アラリックによって陥落し、荒らされてしまいます。大量の難民が、断続的に海を越えて北アフリカへ逃げてきました。その難民の一群の中に、次の論争の中心人物となる人物・ペラギウスも、いたのでした。

 ペラギウスは、アウグスティヌスとほぼ同時代を生きた、教会の聖職者でした。長くローマ市にいて、たいへん尊敬される人物となっていました。この人は、難民となって逃げる人々と共に逃亡の苦しさを味わい、真剣に考えます。唯一の神が世界を支配しているなら、なぜ、自分たちはこんなことになっているのだろうか。神はいったい何をしているのか?――ペラギウスは考えます――いや、そうした考え方自体が、間違えているのではないか?神を責めるのはやめよう。全ては、自己責任だ。苦しみにあった自分たちは、いよいよ、清く正しく生きなければならない。

 北アフリカに逃げ込んだ難民たちの胸に、ペラギウスの教えは、鋭く新鮮に響きました。結果から遡る自己責任論。その考え方に立てば、どんな不幸も将来への糧になる。これから、やり直そう。

 しかし、この考え方に立つと、問題が起こります。苦しみの体験を切実に覚えている人と、そうでない人と、ずいぶん人生への態度に差が生まれるからです。

 北アフリカに逃げてきた人々は、これから真剣に生きようと思います。ローマでの自堕落な生活を改めて、新しい土地で真面目に生きよう。そうして、神様からの裁きを逃れよう――そう考えて周りを見渡しますと、なんと、北アフリカの人々は、かつてのローマの人々と同じ程度に、自堕落で怠けてテキトーに暮らしているように見える。不愉快である。

 北アフリカの教会の中に、新しい分裂が生まれ始めます。この分裂の始まりに、素早く反応したのが、アウグスティヌスでした。この頃、60歳代です。もう、人生の終わりを意識する年齢でした。

 アウグスティヌスは、ペラギウスという人については、尊敬していた様子です。でも、その教えは間違えていると考えました。まして、ペラギウスの周りに集まっている弟子たちは、自分たちを正しいとして周りを馬鹿にしている。これはいけない。そう考えたアウグスティヌスは、ペラギウスを攻撃するのではなく、キリスト教の教えを煮詰めて抽出し、人々に訴えて教会の分裂を防ごうとしました。後世「ペラギウス論争」と呼ばれる論争は、そのようにして始まるのです。

 アウグスティヌスの主張したことは、やはり、「キリスト教的唯一神」の考え方を突き詰めたものでした。それはこうした主張です。

 たった「ひとり」の神で世界と人生が全て説明されるのだとすれば、その「神」は、未来永劫、変わらない神である。そしてその「神」は、イエス・キリストと等しい。イエス・キリストは人の罪を赦す。ということは、未来永劫、人は神によって罪を赦される存在である。逆にいえば、人間は、自分の力で自分を清くするのではない。だから、究極のところ、人間は自分の人生に責任は負えない存在である。だから、神様が責任を負ってくださる。未来永劫、何度でも、どんなことでも赦す神。その「唯一の神」の力で、人は清くなるこうして、救いは確かなものとして存在することになる。逆に、それ以外には、人間の救いはない。

 以上の主張を突き詰めると、こうなります――「人は、全ての事柄が、許される。/他人のすることは、どんなことでも、許さなければならない。」

 ドナティスト論争の時、アウグスティヌスは、全てが「 赦される 」と言いました。今、ペラギウス論争において、アウグスティヌスは、全てが「 許される 」というのです。この違いが分かるでしょうか。

 「全てが される」というとき、それは、過去のあらゆる過ちが“水に流される”ことを意味しています。それで、人は過去について応分の責任を負えば、「失敗する自由」を保障される。でも、実は、それだけでは「自由」は成立しません。その後、「だから自己責任で生きていく」となってしまっては、「自由」は絵にかいた餅になるのです。

 お分かりでしょうか。

 過去の失敗は全て水に流してもらえる。では、未来は?――もし、失敗の結果を全て「自己責任」として背負いこまなければならないとすれば、いったい誰が「自由」に挑戦するでしょうか。みんな、リスクはとりたくないものです。過去の罪を赦された後、未来に向かっては、ひたすら慎重に生きるべきだ、となってしまう。そうなれば、「失敗する自由」は、不完全なものになります。

 しかし、「一神教」において、神は唯一なのです。未来にわたって、同じ神が、人間の過ちを引き受けてくださる。だから、人は挑戦してよい。極めてリスクの高い、失敗が確実に予想されるような事柄に対してでも、挑戦することは「 される」。その失敗の責任は、究極において、神様が引き取ってくださるのだから――こうした時、未来に向けた「失敗する自由」が保障される。そうして初めて、「自由」は本当に成立するのです。


 「失敗する自由」が保障される時、「自由」というものが成立します。「失敗する自由」が保障されるのは、「全ては赦される」ということと「全ては許される」ということ、この両方が確保される時です。そして、ドナティスト論争の結果「全ては赦される」ことが確認された。更に、「全ては許される」ことを確認したのが、ペラギウス論争となる。二つの論争をアウグスティヌスで串刺しにしてみると、「キリスト教的唯一神」の成立(三位一体論の成立)が、「自由」の成立につながっていることが、お分かりいただけると思います。

 最後に、一つだけ捕捉します。「全てが許される」という理論は、ただ一つだけ、例外を持ちます。それは、「人を殺すことだけは許されない」ということです。「全てが許される」という考えは、全ての人に再挑戦する可能性が与えられるということを保障するものです。神が、全ての人に、再挑戦の可能性を保障するのです。しかし、「人を殺す」といことは、その神の保障を人間がダメにすることを意味します。それは、神に対する反逆となる。もし、神に基づいて「全てが許される」と考えるなら、一つだけ、例外が生まれる。それは、「人を殺すことだけは許されない」ということです。ただし、同じ理由から、「人を殺した」としてもその人を「赦さなければならない」となります。それは、「失敗する自由」を保障するためです。従って、この理論において、死刑は廃止されなければならないことになります。死刑が行われている限り、そこに「自由」は成立しにくいかもしれないということ。これは、余談ですが、重要なことだと思います。

 以上、「キリスト教の神を説明する理論=三位一体論」の成立が、西欧における「自由」の成立に深くかかわっていることを、歴史を教材に、ご案内しました。次回は、今回登場したアウグスティヌスに注目しつつ、古代の終わりを確認します。そこには、中世の始まりの胎動が感じられることになる。今日は、ここまでで終わりです。



つづきは こちら


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: