信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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三学期 第五回

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第二十回 古代の終わり


 本日で、古代を終わりにいたします。

 最初に、当たり前すぎて誰も教えてくれない、だけど決定的に大切な情報をお知らせいたします。それは、「古代」って何か、ということです。

 大学で教えていますと、ハッと気づかされることがあります。誰でも知っているはず、と皆が思う言葉が、実は理解できずに流通してしまうということがあるということです。誰でも知っているはずと思いこまれているので、取り立てて教えないで済ましてしまい、その為に知識が混乱してしまうことがある。「古代」という言葉も、そうした言葉の一つです。

 今生きている時代を、「現代」と言います。「現代」を起点に、歴史をさかのぼってみます。すると、現代では全く理解できないような別世界が、ある時代まで展開していたことが、分かります。「現代」とは異なる「古い時代」がある。それを、「古代」と呼ぶのです。そして、「現代」と「古代」の間にある時代を、「中世」と言います。「中世」の時代、少しずつ「古代」の世界が変わっていき、そして「現代」に至る。「中世」の時代、まだ、私たちにも理解可能な世界が広がっている。でも、あるところから断層があって、その先の古い時代には、全く異なる世界が広がっている。それが、「古代」という時代になるのです。

 「現代」「中世」「古代」という時代は、上記のようなものです。だから、この三つの時代区分は、地域によってズレを生じます。日本史と中国史とヨーロッパ史では、「中世」の時代がそれぞれ異なった時期にに確認されるのです。

 更に言えば、ヨーロッパでも、東欧と西欧では、「古代」の終焉=「中世」の始まりの時期が、異なっています。ヨーロッパは、古代ローマ帝国の終焉をもって古代を終わりとします。西欧の古代が終焉するのは、5世紀=400年代の後半です。東西に分裂した古代ローマ帝国のうち、西ローマ帝国が滅びて行くのが、5世紀後半ですから、その辺りが、西欧における古代の終着点になる。対照的に、ローマ帝国の東側は、その後1000年ほど維持され、滅んだのは15世紀=1400年代半ばです。地域によって、古代の終焉の時期がずれるということが、よくわかる事例といえます。

 私たちは、西欧を舞台に、キリスト教の歴史を取り扱っています。そして、今日は西欧における古代の終焉となる。まず、ここまでの流れを簡単に確認してみましょう。

 全体としては、「三位一体論」の確立が「自由」の確立につながっていることを、確認してきたのでした。そのために、「三位一体論」の確立の過程を、古代ローマ帝国の歴史の中で、確認したのでした。

 古代ローマ帝国末期の様子は、単純に図式化できます。

 まず、(1)ネロ以降の大混乱がある。そして、(2)テトラルキアの試みを経て、「新しいローマ」を作る大帝の登場により、統一が達成される。しかし、その結果として、(3)ローマ帝国は最終的に東西二つに分裂してしまう。これが、古代ローマ帝国末期の流れでした。

 この流れの中で、キリスト教は帝国内部に組み込まれていきます。キリスト教は、(1)まず最初、帝国の混乱の中で迫害に耐え、信仰を強めてから、(2)コンスタンティヌス大帝のキリスト教として帝国内で保護と特権を与えられ、(3)東西それぞれの地域で、それぞれの状況を反映し、異なる温度でのキリスト教の理論的な整備が行われる。それが、前回確認した、東西それぞれ二つずつの論争でした。

 帝国西側において、論争の中心人物は、アウグスティヌスでした。この人物は、西欧における古代を締め括る人物として、重要です。更にアウグスティヌスは、中世への橋渡しとしても、重要な人物といえます。今日は、この人の仕事を三つ取り上げて、西欧古代の到達点を確認したいと思います。


1.神の国――見えるもの・見えないもの

 アウグスティヌスが中世西欧に遺した仕事の第一は、「神の国」という思想でした。それは、アウグスティヌスの晩年に完成したものです。

 アウグスティヌスは、北アフリカの都市ヒッポで働きました。地中海の向こう側で起こっているゲルマン人の暴力を、遠く眺めながら、です。しかし、時代の動きは急意を増して進みます。避難民を送り届けた地中海の海路に沿って、武装したゲルマン人を乗船させた船舶も、北アフリカに到着するようになってくる。豊かな北アフリカの都市もまた、イタリア半島と同様、戦乱に巻き込まれることになるのです。アウグスティヌスの晩年、ヒッポの町は、海を渡って来たゲルマン人ヴァンダル族によって包囲されてしまいます。町を守るローマ兵は苦戦を強いられている。そうした混乱の中で、アウグスティヌスは「神の国」ということを考え、その思想を著作に遺してこの世を去るのです。

 キリスト教は、ローマ帝国によって保護され、整備されて確固とした宗教となりつつありました。でも、今やローマ帝国は、もう、当てにならなくなりつつあります。それでは、誰に頼ればいいのでしょう。一体どの国が、自分たちを守ってくれるのか。

 アウグスティヌスの答えは、大胆なものでした――教会を守ってくれているように見える国家も帝国も、実は、神のものである! 国王であれ皇帝であれ、全ては神の下にあるのだ!――この考え方に基づいて、アウグスティヌスは「神の国」ということを主張します。地上のすべては消え去るが、キリスト教の神は永遠に残る。そして、教会は、この神の国の先駆けとして、永遠へと続くのである――そんな思想でした。

 これは、誇大妄想というべきものです。ローマ皇帝にとっては、キリスト教は統治のための道具だったのです。キリスト教は、皇帝の下で整備され、帝国のために活用された。そのことと引き換えに、教会は帝国から様々な特権を与えられたのでした。

 あるいは、アウグスティヌスは、ゲルマン人に圧迫されたせいで、苦し紛れに「神の国」などと言ったのでしょうか。そうかもしれません。でも、時代をすこし遠くまで見通しますと、驚くことが分かります。アウグスティヌスの行ったことは、気持ちが悪い程、的中していったのです。

 476年、西ローマ帝国が滅亡します。ローマ帝国の西側に、ローマ皇帝がいなくなる。帝国の西側に限って言えば、ローマ帝国は、早々に敗退するのです。しかし実は、その後も、“ローマ”は生き残るのです。教会が、“ローマ”を生きながらえさせるのです。

 ゲルマン人によって滅ぼされた後、西ローマ帝国の地域は、群雄割拠の戦国時代を迎えることになります。そしてそれから約500年が経った後、ようやく、天下統一を果たす勢力が出てくる。その勢力は、天下統一を果たした後、自らを何と名乗ったか――962年に天下統一を果たした勢力は、自らを「神聖ローマ帝国」と名乗ったのでした。「神聖」とは、どういう意味でしょうか。「キリスト教によって神聖なものとされた」という意味です。西ローマ帝国は滅びました。しかし、“ローマ”は、教会の中に、神聖なものとして、保管されて後世に伝えられたのです。

 帝国も皇帝も、国家も国王も、目に見えるものです。それに対して、「神」は、目に見えません。アウグスティヌスの「神の国」という思想は、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」の、どちらが最終的に支配力を持つのか、ということを洞察したものでした。アウグスティヌスの答えは、明快です。「見えないもの」が、結局、「見えるもの」を支配する、というのが、アウグスティヌスの答でした。そして、歴史は、見事にそれを裏打ちすることになります。

 よく似たことは、私たちの身近にも、起こっています。

 この授業で、私はたくさん、「漢字」を使っています。「漢字」を使わなければ、日本語での授業は、絶対にできません。では、「漢字」とは何でしょうか。それは「漢の文字」です。「漢」とは何でしょうか。今から1800年も昔に滅んだ、中国の大帝国です。約400年間の長きにわたって中国大陸全土を支配しましたが、滅んだのです。今、純粋な意味での“漢の民族”は、もうほとんどいないと言われています。ちょうどローマ帝国と同様、中国大陸もまた、北からの異民族の侵入を受け、混血が進み、漢帝国は永遠に消失しました。しかし、「目に見える」帝国が滅んでも、「目に見えない」文化や宗教は、生き残るのです。今でも私たちは「漢の文字」無しには、ものを考える事すら、できません。また、漢の時代に整備された儒教は、現在でも「天」を奉ずる一神教として、世界中の数億の人々を支えているのです。

 文化や宗教は、「目に見えない」ものです。それは、一見すると、頼りなく思われる。しかし、実は「目に見えない」ものは、「目に見える」ものよりも遥かに力強く、営々と人々を支配し続けるものである。

 キリスト教も、「漢字」や「儒教」と同様に、“目に見えないもの”です。だから、“目に見えない”神の支配は、永遠に続くのだ。だから、教会は「神の国」としての自覚をもって、安んじて時代の荒波を乗り越えていけばいい。

 アウグスティヌスの「神の国」の思想は、一見すると、苦し紛れに吐き出した荒唐無稽の誇大妄想のようにも、思われます。しかし、その根底には、深遠な洞察が隠されているのです。そして、この思想に支えられて、西欧中世は展開する。それは、教会と政治家・軍人の戦いのドラマとなる。それは、「自由」を巡る、中世のドラマとなります。


2.修道院――不合理故に我信ず

 古代の締めくくりとして、アウグスティヌスの残した業績を三つ、ご紹介しています。第一は、「神の国」という思想でした。第二に御紹介しますのは、修道院という宗教施設です。

 一般に、西欧の修道院は、ベネディクトゥスという人によって成立したといわれています。それは、間違いないと思います。でも、ベネディクトゥスは中世の人物です。実は、古代に、西欧中世を支えた修道院の形態を、アウグスティヌスが作っていました。そのことを、第二に取り上げたいのです。

 もともと、修道院は、エジプトで始まりました。修道院のことをmonasteryと言います。これは、文字どおりに直訳しますと、「独居する場所」という意味です。つまり、もともと「修道院」というのは「独居場」だった。しかし、現在私たちが知っている修道院とは、集団生活をする場所を意味します。つまり、修道院は、歴史の流れの中で、全く姿を変えたのだ、ということになります。

 エジプトで始まった修道院は、どんなものであったでしょうか。

 キリスト教が公認され、数々の特権に守られるようになりますと、多種多様な人々が教会に集まるようになります。なかには、信仰心など持たないで、御利益のためだけに教会に来る人も、いたりする。そういう雑多な人の集まりに堕した教会では満足できないという、真剣で熱心な宗教家も、いました。そうした真面目な宗教家たちは、次第に教会に幻滅していきます。そして、町から離れて、一人で砂漠に出ていき、そこで難行苦行の修行を行って、神様に近づこうとし始める。そういう人たちの修行場のことを、「独居場=monastery」と呼んだわけです。

 アウグスティヌスは、北アフリカで、これとは全く違う「修道院」を始めました。まず、自分が責任をもっている教会の中に、共同生活の場を作ります。そこは、神様に近づきたいと思う人は誰でも、受け入れる事にする。結婚していてもいい。子どもがいてもいい。男でも女でもいい。参加条件は一つだけ。持っている財産を、修道院のメンバー共有の財産として、寄付すること。それだけでした。

 人間の心の中は、見えないものです。だから、真剣に生きようとすると、周りの人の不真面目さやいい加減さが気になる。そうなった人が、一人で暮らすことを選び、「独居場=修道院」を作って砂漠にひきこもったのでした。世界と他人に対して、見切りをつけたわけです。しかし、アウグスティヌスが始めた「修道院」は、これと全く違うものでした。不完全な者同士、互いに「神の民」と認め合って、一緒に努力する場所を、「修道院」としたのです。

 アウグスティヌスにとって、教会は、神の国なのです。でも、実際の教会は、あちこち破れている。不完全で間違いだらけである。それが、目に見える教会の姿です。しかし、その直中に「神の国」を見る。不十分で不真面目な人間の心に、神の国の民の姿を認める。こうした態度が、「共同生活の修道院」を生み出すことになります。残念ながら、アウグスティヌスが作った新しい修道院は、ゲルマン人の攻撃によって町ごと消えてなくなってしまいます。しかし、「独居場」ではなく「共同生活」の修道院は、イタリアに飛び火して、重要な宗教施設となり、西欧中世を支えたのでした。

 西欧中世に生まれたことわざに、「不合理故に信ず」というものがあります。ラテン語では、「credo quia absurdum」。「不合理」という言葉を、ラテン語では「absurdum」と書きました。これは、「離れていて聞こえない」という言葉でした。「信じる」というのは、相手の言っていることが充分に分からない状況において、初めて立ち現れる事柄です。相手のことが充分に分かってしまっていれば、もはや「信じる」必要もない。遠く離れて、確認できない状況だから、人は相手を「信じる」ことになるのです。

 アウグスティヌスが始めた「新しい修道院」は、まさに、「不合理故に信ず」ということを実践するものでした。人の心の奥底は、分からない。だから、相手を信ずる。信用できない相手だからこそ、信ずるに値する。一緒に暮らし、一緒に励もう――そういう修道院を、アウグスティヌスは作り始めた。そしてその伝統は、西欧中世を支えるものとなって成長します。後にこの「修道院」において、宗教家が、自由を求めて教会と戦うことになります。宗教改革者マルチン・ルターは、まさにこのアウグスティヌスの名前を冠した修道会の系列から、出てきたのです。このようにして、アウグスティヌスが始めた形の修道院は、自由を巡る教会との戦いのドラマの一つの中心となり、現在の西欧文明を生み出す原動力になっていくのです。


3.照明説――知解を求める信仰

 アウグスティヌスの始めた新しい修道院は、「不合理故に我信ず」という中世のことわざを古代末期に実践する場となりました。しかし、このことわざには、危険な臭いがします。「分からないから信ずる」とすれば、悪徳宗教に騙されてしまうかもしれない。実際、オウム真理教その他、所謂カルト宗教の教えの中には、「不合理故に我信ず」という思想が活用(悪用)されています。批判精神を停止して、とにかく教祖の言いなりになれと、そのように説得してくる。それは、宗教のもっとも危険で邪悪な側面を体現するものです。

 どの宗教も、「不合理故に信ず」ということを、その教えの中に含み持っています。そうでない宗教はありません。ただ、健全な宗教は、もうひとつの大切な真理を保持しているのです。この“もうひとつの真理”をもたないと、宗教は「カルト」になる。宗教を「カルト」から遠ざける“もうひとつの真理”とは、なんでしょうか。それは、中世西欧のことわざでは「知解を求める信仰」と言われるものです。もしこれを英語で言えば、faith thinking(考える信仰)となる。そして、このことを明快に語った人物もまた、アウグスティヌスでした。アウグスティヌスは、この真理を「照明説」という思想として提示したのでした。

 アウグスティヌスの「照明説」とは、どんなものでしょうか。

 アウグスティヌスによると、“神は人間の知性の光である”と言います。私たちが何かを「分かる」時、それは、誰かに教えてもらうから分かるのではない。そうではなくて、“神様そのものである知性の光”が、私たちに何かを知らせるのだと、アウグスティヌスは言うのです。さて、何度も繰り返しますが、この「神様」は「唯一の神」です。ということは、博士も学者も教師も生徒も学生も、だれも皆平等に、この「神=知性の光」に浴しているだけなのだ、ということになる。つまり、「知性の光」の前で、人は皆、平等なのです。だから、人は全員、自分で自由に考えてよい。いやむしろ、自由に考えなければならない。

 一見、教師は教える立場に立っているようだけれど、それは仮の姿なのです。「唯一の知性の光」の前では、教師も生徒も、本当は全く平等のなのですから。

 あるいは、一見、カリスマ宗教指導者は、自分を導いてくれるような気がするかもしれません。けれど、それもまた、「唯一の神=知性の光」に照らされてそう見えるだけである。本当の本物は、その宗教指導者その人などではない。だから、「知性の光」に照らして、カリスマ宗教指導者であっても、私たちは疑ってかからなければならない。知性の光は、全ての人を平等に照らしているのだから。

 このような思想を、「照明説」と言います。それは、全ての人を神の前に平等にしてしまう、強烈な革命思想です。

 この思想は、中世の後半に、大きなカタチをもって結実します。それが、大学の誕生です。大学では、全てが疑われ、全てが批判され、全てが議論されます。大学には自由な思考が跳躍している。それは、全ての人が知性の光の前に謙虚に立つことによって生まれる自由の実践なのです。そして、その自由の展開した先で、教会と学者が衝突することになります。学者と教会の間の、自由を巡る戦い。それは、宗教改革の時に修道院の活動と合流し、近代という時代を生み出します。そしてさらにその後、学者たちは現代西欧文明を進展させるべく、いよいよ自由を活性化させて行く。それは、アウグスティヌスから遥か後の出来事ですが、その源流に、古代末期の思想があることは、特筆すべき事柄だと思います。


4.まとめ

 以上、古代の終わりを学ぶために、アウグスティヌスの三つの業績を確認しました。この三つは、繋がりあっていることに、お気づきでしょうか。
まず、「見えないもの」の価値が確認されました。「神の国」の思想です。それは、「見えるもの」の奥底で、ときに「見えるもの」を引き裂くようにして、立ち現れるものです。

 しかしその価値は、「見えるもの」としては、確認できない。だから、人は「不合理故に信ず」という冒険をしなければならないのです。人は、成長したいと願うなら、必ず、最初に先ず全てを信じて受け入れなければならない。もっと具体的に言いましょう。たとえば、皆さんは学校に来る。先生が前に立つ。その時、皆さんが各自の心の中で「この教師はつまらない・くだらないことを言うに違いない」と、そのように考えてしまえば、皆さんは永遠に全く成長できないことになるのです。あるいは、見た目、つまらないかもしれない。実際、目に見えて、くだらないかもしれない。でも、そこに価値があると信じてみる。そうする時、どんなヒドい教師からでも、皆さんは学ぶことができるのです。なぜなら、人は皆全員、「信ずるチカラ」をもっているからです。そのチカラは、無から有を生み出す巨大なものです。そのチカラを信じて、アウグスティヌスは修道院を新しいものに組み替えたのでした。

 全てを信じて、無から有を生み出し、どんな物からも学んで成長する。そして、更にその先があるのです。全てを信じた後、人は、全てを疑うことができる、ということです。全てを信じるのは、自分を成長させるためでした。全てを受け入れた後は、受け入れたものを踏み台として活用するのです。少しでも遠くを見るために、全てを受け入れ、活用する。そのために、信じて受け入れた事柄を、すぐさま疑い、批判し、乗り越えなければならない。人にはそれができる。なぜなら、学び受け入れる知性の光は、唯一の神そのものだからです。人間は、神と直接つながっている。だから、人間は、全てを受け入れた後、全てを疑って、自分で考えるようになる。全てを信じ、全てを受け入れ、そして、最後に、自分を信ずるのです。それが、古代の末期に到達した西欧の知性のあり方でした。それは、現代の私たちに、学ぶということの奥義を教えます。

 全てを信じ、全てを受け入れ、全てを疑うことで、自分自身を信ずること。それができた時、皆さんは、本当の自由を手にすることができる。皆さんの学びがそのようなものであることを心から願いつつ、今日の話を終わりたいと思います。


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