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戸神山は、仙台から山形に向けて20kmほどで国道48号から白沢から秋保長袋に抜ける道に登山口がある。登山口といっても仙台市水道局の配水施設の入り口門扉脇をすり抜けるのである。 今日もまた花の写真をゆっくり撮りながら(つまり十分に休みながら)登る計画なのだが、松倉山では春の花が終わり、夏の花はこれからというあまり良い時期ではなかったのだが、その条件はクリアできていないだろうと考えた。 じつは、この5月から終活として山行と水行を何とか復活させたいと始めたとき、いわば体を無理をさせないために写真を撮ることで休憩を入れながらやろうと考えたのである。そうして、二度の山歩き、二度の川歩きをしたのだが、せっかく写真を撮るのだからカメラも終活の一つにすればよいと考えた。これまでは、カメラ任せでシャッターを押すだけだったのだが、以前に購入したカメラの本を引っ張り出して「良い写真」を撮るための勉強を始めたのである。山歩きで疲れた体で家でゴロゴロしているとき、本を見ながら庭の花をどんなふうに撮るかなどということ始めたということである。 というわけで、この花の少ない時期の山歩きで写真を撮ることが必須だとすれば風景写真しかないということになったのだが、標高が低い山で森林限界を越えることなく頂上まで林が続く山なので、風景といっても山道のまわりしか移せないのである。つまり、今日の写真修行のテーマは「山道(登山道)」と決めたのである。 さほど変化のある山道ではないのだが、絞り優先のオートフォーカスにして同じ場所で何段か露出補正を変えて撮ることから始めた。雲の厚い曇天なのだが、いくぶん露出をアンダー気味にした方が草木の緑のがよく映る。 この山は登り口からしばらくは大木の少ない雑木林が続くが、しだいに木々が大きくなってくると杉林に変わる。中腹から6、7合目までは杉林なのである。 その杉林が終わると戸神山主峰(男戸神山)と女戸神山の間をつなぐ尾根にたどり着く。尾根道を辿ると頂上直下の急坂である。頂上までロープが張られた急坂は、松倉山の急坂を思い出させていくぶん気分が落ち込むが、あの時よりは体が慣れているとわが身に言い聞かせてなんとか登ることができた。 頂上はちょっとだけ開けていて仙台市街を遠望できるはずだったが、近くの山も霞むほどの雲量で一面の灰色である。隣接する山並みの中腹も見えないのだった。 頂上にいくつかの石の一つに腰かけて、おにぎり2個の朝食、食後のコーヒーを飲むともうやることがない。上ってきた急坂を下り、尾根道から分岐する裏登山道(登ったのは表登山道)へ下る。 頂上直下の急坂をあっさり下る終えると、道はずっと緩やかな下り道で快適に距離を稼ぐことができる。なにか登山路と下山路では標高差が違うのではないかと思うほどだったが、じつは登山路の杉林の中に下り坂があってそこから登り返したので、標高を稼いだ気分になっていたのである。 10年以上もまえにこの山は2回か3回登ったのだが、今回初めて山中で人に出会った。下山路の比較的平坦な山道で休憩を取っていた女性3人、男性一人の4人組に出合ったのである。ほぼ同年齢ほどの高齢のグループで、口ぶりから頂上へは向かわず山裾を半周する道をたどる予定らしい。お年寄り向きのコースでいい山歩きになるだろうと思いながら別れたが、「年寄り」といい「高齢者」などともいうものの、こういうところで出会う人たちは、いまやほとんどが私より若いだろうと思う。あの人たちもきっと私より若いだろうと思うとちょっと可笑しくなった。きっと苦笑いしていたに違いない。 さて、花は望めないと思って登ったのだが、ポツリポツリと見つけたいくつかの花をカメラに収め、家に帰って調べたら、ミヤマヨメナ、ママコナ、シロバナエゾウツギなどけっこう珍しい花が含まれていた。思い込み、先入観のつまらなさを思い知らされた山行でもあった。 花の写真の整理はこれからである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.06.07
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「登山」と呼べるような山歩きは2018年7月31日の泉ヶ岳が最後だったのだが、低山とはいえ頂上まで登ることになれば、松倉山でも登山と呼んでもいいだろうと思った。とはいえ、6年ぶりのことである。単にブランクがあったというだけではない。70代の6年は体力の衰えという点では実に深刻なのである。とにかく無理はしない、年齢相応に、山の花の写真を撮ることを主な目的の山歩きであれば十分などと考えて家を出たのである。松倉山(右) 小さな花もきちんと写すためにマクロレンズとコンパクト三脚もザックに入れてきたのだが、1枚目の松倉山の山容を撮った時、カメラの電池が切れかかっているのに気づいた。慌ててザックのなかを探したが予備の電地は持ってきていなかった。しょうがない、撮れるだけ撮って、あとはスマホのカメラでと思いなおして歩き出した。 10年以上も前にこの山には2度ほど登っているが、山裾の林の中にはいろんな花が咲いていた記憶があって、その写真を撮りたいと思ったのだが、少し季節がずれていてほとんど花を見ることができなかった。春になると始まる私の山登りは、低山から始めて雪が消えるのに合わせて山の標高を上げていくので、たぶん松倉山は4月初旬に歩いたのではないかと思う。その時に見て感動した花たちの花期はとうに終わっていたのである。かろうじて見ることができたのはマムシグサ、シャク、咲き残りのオドリコソウぐらいでだった。 花がないのでマクロレンズも三脚も必要がなくなったのだが、電池のなくなったカメラも必要がないということで、マイナスが二乗して何となく収まってしまった。私の失敗のためにできることもできなくなった、というわけではないのである。急坂とロープ 見つからない花を探しながら沢沿いの道を登って行くと、突然「松倉山登山口」という標識が現れて、急坂が始まった。花のことは思い出したが、この急坂のことはすっかり忘れていた。夜から朝にかけて降った雨で斜面は濡れていていっそう登りづらくなっていた。登山道のほとんどにロープが張られていて、そのロープにつかまりながらかろうじて登山道を辿ることができた。さほど息が切れるわけでもないのにちょっと登っては一息入れ、また登っては一息という繰り返しになった。急坂とはいえわずかな高低差なのに、2回ほど腰を掛けての休憩が入った。 頂上尾根に着くと左に行けば三角点のある頂上、右は薬師如来の祀ってある頂上という三差路に出る。三角点のある頂上には1mほどの山ツツジがあってパラパラと4,5輪の花が咲いていた。一方の山頂には高さ60cmほどのずんぐりした石仏が据えられていて、薬師如来像ということである。 さて、下りはいくぶん楽だろうと思っていたが、雨に降られた粘土質の登山道は立っていられないほど滑るので、結局は下りの道もロープだよりでなかなか距離を稼げないのだった。隣接する大倉山にも登れるなら登ろうと計画していたのだが、途中まで登ってから遊歩道へ下るコースを選んだ。12年に来た時には、松倉山の次に撫倉山(354m)に登り、次いで大倉山(327m)を辿るコースだったのだが、60代後半と70代後半の年齢差を考えれば、まぁ当たり前といえば当たり前だと自分を慰めながらアップダウンの道をゆっくりと歩いてきた。 登山道も終わりに近づいた頃、きれいなマムシグサを見つけた。たった1本だけ生えていて、電池切れのカメラに代えてスマホで写真を撮ろうとしたらこちらも電池切れになっていた。こっちは大容量バッテリーをザックに入れてきたので大丈夫と高を括っていたのだが、こっちも充電切れで全く役に立たなくなっていた。登山用のとソーラーモバイルバッテリーなのだが、こちらも6年のブランクでメインテナンスをおろそかになっていたのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.05.17
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【ホームページを閉じるにあたり、20119年11月21日に掲載したものを転載した】【続き】 福禄山から40分くらいで銭山山頂である。山頂で記念写真(Photo H)を撮るが、すぐ白森に向かう。Photo H 陽射しがまぶしい銭山山頂。(2009/9/18 9:22) 銭山と白森のあいだはやせ尾根ではないが、いちおう緩やかな尾根道でである。眺望はよいが、道そのものには大きな変化はない。白森は遠くから見ても木々の背丈が低く、頂上からの眺めは良さそうである。 結論からいえば、福禄山を出て少し経った付近から、銭山、白森、黒伏山の少し手前までは、ずっと眺望の良い尾根道が続き、1000m前後の山でこれだけのコースはめずらしいのではないかと思う。登る山に迷ったときは、このコースだな、と思わせる良さがある。Photo I 白森の頂上標が見える。頂上近いのでイオは張り切って私を先導する。(2009/9/18 9:53) 白森の頂上標がけっこう遠くから見える。連れは急ぎ足になって、私を引っ張る。少し暑くなってきて、記念写真も体半分日陰になる場所を選んでいる。地図では「白森」であるが、山頂標には「白森山山頂」となっていた。Photo J 白森山頂で。日陰もこの程度。(2009/9/18 9:54) いとしい者の上に風が吹き 私の上にも風が吹いた 愛しい者はたゞ無邪氣に笑つており 世間はたゞ遙か彼方で荒くれてゐた 中原中也「山上のひととき)」部分 [2]Photo K 白森から銭山をふり返る。(2009/9/18 9:56) 白森山頂はなかなか離れがたいのであった。蔵王連峰には雲がかかっているが、東の方、歩いてきた福禄山、銭山はもちろん一番向こうの船形山まで重なる山々が青く霞んで広がっている風景に惹かれる。 しかし、昼食の蕎麦に遅れるわけにはいかない、と思いなおして出発した。Photo L 白森から黒伏山に向かう途中で白森をふり返る。 (2009/9/18 10:10) 白森の頂上から黒伏山を目指して南に下っていく。黒伏山の北斜面に取りつくまでは、やはり気分のいい鞍部、稜線の道である。 黒伏山の北斜面にかかるころ、直径1mほどの円盤形の石が道をほとんど遮るように突っ立っている。脇をすり抜けた連れが、心配そうに石の向こうでから覗いていた。 その石を過ぎるころから、周囲の木々の背丈が高くなり、勾配がきつくなるあたりで、何となく荒れた雰囲気になる。北斜面で積雪が多いせいか、木々は押しつぶされたように斜めに伸び、それに下草や蔓が絡まっている。しかも地面はじめじめしている。里山でも北斜面の谷あいにこういう雰囲気の場所があって、突っ切って歩くのが憚られるようなことがある。 黒伏山は頂上近くでも木々の樹高があって、見通しが悪い。頂上そのものも展望がないので、少し休んだだけであっさりとパスすることにした。Photo M 逆光の中を黒伏山頂上へ。向こうに頂上標が見える。(2009/9/18 10:42) 沢渡黒伏山の南壁の上にでると、急激に切れ落ちるキワに立つことになって、すばらしい眺望と恐怖とで気持がざわざわするのだった。黒伏山本峰の南斜面も急激に落ちているが、全面が樹木で覆われている(Photo N)。 南、蔵王連峰や大東岳、面白山の方向は雲がかっている。東、船形山の方はずっと晴れて眺望がよかったが、ここにきて船形山にも雲がかかりはじめた(Photo O)。Photo N 黒伏山本峰の南斜面。斜面の向こうに柴倉山。さらにその向こう、青く霞むのは船形山。(2009/9/18 11:02)Photo O 南壁の上(1185mの峰、沢渡黒伏山)からの黒伏山本峰、中央、柴倉山の向こうに船形山が霞む。(2009/9/18 11:02) 沢渡黒伏山の南壁からの眺めを堪能すると、今日の山歩きの楽しみはみんなこなしたような気になった。それで 沢渡黒伏山の西斜面の道を何となく急ぎ足で下った。 遅沢林道と黒伏スキー場への道の分岐にあった円形の案内標識が洒落ていた。一瞬字が読めなくてそばに近づいたら、90度回転した状態で木に括りつけられていたのである。 たぶん(そして、もちろん)はじめは真っ直ぐに架けられていたものの、その木が朽ちたか倒れたかしたのち、適当な新しい木がないため、方向を正しく指し示すために90度回したものだろう。目につくところに正しい表示を、と工夫されたのである。 表示板によれば、黒伏スキー場までは5.5km もある。周回してきた尾根の分を黒伏山と村山野川にはさまれた麓の平坦部の林を引き返す感じなのである。分岐ですでに11時30分である。早めに昼食にして蕎麦はおやつ代わりとするか、遅めの昼食として蕎麦をがっちりと食べるか、少し悩んだが、このまま進むことにする。蕎麦の方が大事なのであった。 しかし、黒伏山の麓の林は、急いで駆け抜けるのはもったいないような美しい林だった。強い陽の光の木漏れ日は、ハダラに光る残雪か、かたまって咲く白い花のようである(Photo P)。Photo P 林の中に強い木漏れ日が差し込む。(2009/9/18 11:50) 人消えて雑木かがやきすでに風 金子兜太 [3] まもなく林のなかの道は、大きな石が重なった上を走るようになる(Photo Q)。Photo Q' のような石組みが道なのである。連れの体はもちろん、私でも落っこちれば体半分は入りそうな空間が隙間を開けて待っているのである。大きな石だらけの川原を歩いた幼年の思い出にあるような、ちょっとした冒険心のようなものが湧いてくる気がする。Photo Q ずっと続くほぼ平坦な林の道。(2009/9/18 11:56)Photo Q' 大石が重なる林の道。落っこちてしまいそうな大きな隙間もある。(2009/9/18 11:58) 岩が根のこごしき山に入りそめ山なつかしみ出でかてぬかも 読人知らず 「萬葉集 巻第七」 [4] いくら早く蕎麦が食べたいからといって、駆け足で過ぎるのはもったいない林で、結局は、キノコも探しながらのゆっくりした歩きとなった。道沿いしか見ないキノコ狩りは獲物が少なく、2種類のイグチの仲間をいくつか見つけただけだった。4日前の白髪山から奥寒風山までの縦走往復では、ナラタケやヌメリスギタケなどそこそこの収穫があったのだが、林の性格が違うのでしょうがない。Photo R 犬だって疲れるし、 バテるのである。基本的に暑さに弱い。(2009/9/18 12:56) 駐車場にたどり着いたのは午後1時くらいである。日影で涼をとる連れをせき立てて、蕎麦屋に走る。 先日は私ひとりだけの客だったが、今日は2組6人ほど先客があったので、調理場から一番遠い座敷に席を取った。それにはそれなりの理由があるのである。 先日、ひとりだけの客として、調理場に1番近い座卓に席を取って、おろしたてワサビがちょうど食べ頃になるまで待たされて、やおら食べ始めようとしたとき、「ワサビはつゆに溶かさないで蕎麦に直接つけて食べるとおいしいですよ」と教えられたのだ。 確かにおいしい、ワサビの味が鮮烈なのだ。刺身もまた醤油にはワサビを溶かさず、刺身につけて食べるとおいしいのと同じ理屈だろう。でも、刺身の場合とは明らかに違うのである。もともと魚が苦手な私は、生臭さを消す効果を最大限にするために刺身に直接ワサビをつけ、そうしておいしく食べるのだ。しかし、蕎麦はもともと好きなのである。そして、蕎麦に直接ワサビをつけて食べると、おいしいワサビを食べているのは間違いないが、蕎麦の味がワサビで霞んでしまうような気がするのである。 先日食べたときから4日間考えた。「おいしい蕎麦においしいワサビの風味が添えられている」状態が望ましい、というのが結論である。蕎麦の味8~9に対してワサビの味1~2が理想的。ワサビを蕎麦に直接つけると、ワサビ5~8くらいになって、多すぎるうえにその時々で大きく変動するのである。つけるワサビの量や啜る蕎麦の量の加減に熟練すれば良いとは思うのだが、熟練するまで、味覚的に不都合な状態で食べ続けるのは、人生の大損である。 結局、調理場から1番遠くの、奥の席に陣取って、つゆにワサビを溶かして「おいしい蕎麦においしいワサビの「風味」を添えて食べる」ことにしたのだ。せっかく親切に教えていただいたのに、むげに無視することになってしまうのは、どこか申し訳ない気分で遠慮だったのである。[2] 「中原中也全集 2」(角川書店 1967年) p. 372。 [3] 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 255。[4] 「日本の古典 4 萬葉集 三」(小学館 昭和59年) p. 121。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.03.01
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【ホームページを閉じるにあたり、20119年11月21日に掲載したものを転載した】 Photo A 駐車場から見た黒伏山(右)、左は沢渡黒伏山と言うらしい。 (2009/9/18 6:13) 黒伏山に登るきっかけは、船形山登山である。あるとき、また船形山に登りたいと思った。仙台に住む私は、宮後県側の(夕日沢コースを除く)4つの登山口それぞれから登ったことがあり、違ったコースを歩きたいと思って決めたのが、山形県黒伏高原から登る観音寺コースだったのである。ここの登山口までは、国道48号線、関山峠を越えればあっという間であり、長い林道を走らなければならない県内の大滝キャンプ場登山口などよりは近いのである。 国道48号線から黒伏高原に向かう道に入り、間木野(山形県東根市)という集落を通りかかると、蕎麦屋の看板を見かけた。下山後には是非寄ってみようと、蕎麦好きは考えたのだった。船形山から登山口に帰り着いたのは12時30分、昼食はざる蕎麦だ、と車を走らせたら定休日だったのである。 リベンジはそれから3ヶ月後、同じ登山口から白髭山、前白髭山、戸立山を経て奥寒風山まで歩き、そこから引き返してきて、やっと果たされた。本山葵をすり下ろして、「辛みが出るまでもう少し待って」と言われつつ食べた蕎麦は、リベンジ戦という思い入れがあったにせよ、ほんとにおいしかったのだ。 「あの蕎麦をもう一度」と思って決めたのが、4日後の黒伏山登山だったのである。蕎麦と登山をくっつけなくともよいようなものだが、蕎麦だけで県境を越えるのは何となく遠慮だったのである(もちろん、妻に)。「山登りの帰りに蕎麦屋さんがあったので寄ってきた」というのはごくごく自然で、感覚的にすんなりといくように思えた。 もちろん、蕎麦だけが目的ではない。黒伏高原にせり出すように偉容をみせるこの山はそれだけで十分魅力的で、4日前には白髪山からもしみじみとその山容を眺めてきたのである。 黒伏山のような絶壁がそそり立つ山の上には、異界に心引かれるのに似た魅力がある。宮城県の大東岳の麓、二口渓谷には磐司岩という絶壁があって、観光スポットになっている。若いころ、地元の人の案内で磐司岩の上に上がったことがある。磐司岩の東端近いところで木によじ登ってから岩に取りつくと、上には道があるのだった。「クマオトシ」とその人が言ったように記憶するが、太い木々と一抱えもあるいくつかの石でできたクマ捕獲用の罠の痕跡がいくつもあって、少し前まではこんな絶壁の上もまた山人の生活空間だったのだ、と感動したのだった。 けっして蕎麦だけではない山の魅力に引かれての黒伏山山行は、2009年9月18日であった。 Map A 黒伏山周辺と2009年9月18日のコース。 地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。 Map B Map A の拡大図。A~Sは写真撮影ポイント。 Photo B 村山野川にかかる橋。橋を渡って右へ。(2009/9/18 6:15) 黒伏高原スキー場を右手に見ながら進むと、スキー場の東端の道向かいに、駐車場と登山口の案内看板(と入山届け箱)がある。車は村山野川のそばまで入れたが、駐車スペースが充分ではないので、スキー場向かいの駐車場に引き返して、そこから出発した。 J 村山野川には鉄パイプ製の橋が架かっていた。工事中の仮橋だと思っていたが、工事前もやはり鉄パイプ製だったらしい。この橋を渡ってすぐ右の沢を越えて、「柴倉コース」に入る。稜線上の道は木の根と石が混じってしっかりしており、針葉樹の多い林の下をくぐってゆく。 沢を渡ってから20数分で雑木だけの緩やかな尾根筋(Photo C)に出る。この道は適当に尾根からはずれ、左手にこれから周回する山々が見えたり、また尾根に戻ると、目のまえに当面の目標の福禄山が見えたり、右手が開けて柴倉山が見えたり、と変化がある。Photo D は右手が切れ落ちている尾根の部分である。Photo C の林のなかの道から、Photo D の細尾根への変化は数分でである。 Photo C 上りはじめの坂が終わると、緩やかな尾根筋の道が続く。 (2009/9/18 7:11) Photo D 右が切れ落ちている道。(2009/9/18 7:15) Photo D の付近から右手には、白髪山から黒伏高原スキー場までの展望が開ける。道はまもなく柴倉山と福禄山のあいだの鞍部に向かってやや急な上りになる(Photo E)。比較的小さな山では、頂上手前ですこし傾斜がきつくなって、ひょいと頂上に出るということが多く、連れ(イオ)はそれが分かっていて、頂上近くでは私より必ず先行して急ぐのである。Photo E はまもなく頂上だと誤解したイオが張り切りはじめた瞬間である。 実際は、それから20分ほどかかって鞍部尾根のやや下にある柴倉山と福禄山の分岐点に出るのである。 Photo E このやや急な道を上り、20分ほどで福禄山-柴倉山の分岐 に出る。(2009/9/18 7:45) 柴倉山は、いずれ「南御所山縦走コース」を辿ってみたいと思っているので、左へ折れ、福禄山へ向かう。分岐標識板は小さいけれど、鮮明なブルーの地に赤い矢印で描かれたよく目立つ立派なものである。標識には「福禄山0.5m」と書いてあってちょっとクスッとした。 福禄山の頂上はコースから少し入ったところである。コースからの眺望はあるが、頂上そのものは、灌木がちょうど目の高さくらいでそんなに眺望は良くない。ここで朝食とする。秋の朝の気持ちの良い陽ざしがあたる場所に座をつくって、一人と一匹は弁当を食べる。こういうときには登山者が来ないことを期待する。こういう食餌の場所に人が近づくと、イオは極端に怒るのである。仮設営のテリトリーを守ろうとするらしい。 Photo F 最初の頂上、福禄山。(2009/9/18 8:19) 上:マイヅルソウの実、中:ツバメオモトの実、 下:これはなに? ゴゼンタチバナと思って写真を撮ったが、 4枚葉に花は咲かないし、色も、咲く季節も違うし、その実 でもない。ヨツバムグラの仲間でもない。 Photo G 眺望の良い尾根道に出る。右、銭山、左、白森の頂きが見える。(2009/9/18 9:00) 福禄山から銭山に向かう。はじめは背丈以上の灌木の曲り道で、見通しが悪い。イオは見通しの良い道では、私の前を歩いて、私を先導するふりをする。見通しの悪い曲り道では、必ず私の後ろへ回ってしまう。 私はイオを「熊よけ」と考えているのだが、イオは私を運転手で、弁当運びで、そして熊よけもするボディーガードだと考えているらしいのである。 わが背後ひそとつけくるものあれば山の木の葉は色づきはじむ 永井陽子 [1] イオが不安そうに後を付いてくる見通しが悪い道も、その沿道は、木々の紅葉ばかりではなく、足もとのマイヅルソウの実の赤さ、ツバメオモトの実の青さに彩られていて飽きない。 それもすぐに眺望の良い、どちらかといえば崖沿いの道と呼べるような、稜線となる。こういう道になると、イオは私の前にさっと出て、得意そうに私を引いていくのである(Photo G)。 この道はアップダウンも少なく快適なコースだが、途中、崖の崩落が道の際まで進んでいるところがあり、雨の日や暗い時間帯にはだいぶ危険そうである。 [1] 「永井陽子全歌集」(青幻社 2005年) p. 140。 【続く】読書や絵画鑑賞のブログ かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログ ヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.03.01
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【ホームページを閉じるにあたり、2011年11月18日に掲載したものを転載した】 標高は1000m前後、行程はは5~6時間、というあたりが、今の私にはベストフィットの山歩きのように思う。 谷かげに苔むせりける仆れ木を息づき踰ゆる我老いにけり 島木赤彦 [1]ということである。 三方倉山(971m)は、仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉のさらに奥、二口地区にある。印象としていえば、大東岳(1366m)の南東の麓の山という感じである。実際には山形神室岳、(仙台)神室岳に連なる東端の山で、大東岳とは名取川本流、大行沢で隔てられている。登山口が大東岳登山口のすぐ近くにあるというだけである。 若いときには大東岳に登るものの、三方倉山の名前も知らなかった。すぐそばの大行沢にイワナ釣りにも通いつめた。仕事が忙しくなって、休日に体力を消耗することを恐れて山登りを控えていた時代にも、大行沢沿いの大東岳登山道周辺の山菜採りや茸取りには通ったが、やはり三方倉山には目が向かなかった。連続して山に登ってみて、体力の程度をしっかり確認しないと大東岳には気楽に登れない年齢になって、やっと三方倉山が視界に入ってきたのである。 2009年6月8日の山歩きである。晴天ではないが、雨は降らないという天気予報を信じて家を出た。 二口街道を、大東岳登山口である本小屋を過ぎて少し行くと、道は名取川の支流、大行沢を渡り、二口キャンプ場前の駐車場に着く(5:51)。駐車場は名取川本流(といっても源流域で、沢である)の傍にあって、登山道はコンクリート橋を渡った対岸から始まる。 名取川の左岸には車道が、右岸には遊歩道(「二口遊歩道」)が整備されている。三方倉山の周回コースは、この遊歩道の一部が組み込まれる。Photo A 登山道に入ると、ギンリョウソウが次々に現れる。(2009/6/8 6:23) 遊歩道からすぐに分かれ、標識にしたがって「三方倉山 ブナ平コース」に入る。倒木に群生するニガクリタケを踏み越えて進む。この茸は春にも秋にも発生するようだ。 次第に太く高い林になってくる。ガスがかかり、暗い林の地面に真っ白なギンリョウソウが浮かびあがる。しかもあちこちに生えている。歩を進めると、次々にギンリョウソウが現れてくるのである。ギンリョウソウはめずらしい花ではない。5、6本が簇生することはあるが群生するのを見たことはない。ぽつぽつと、しかしこんなにたくさん生えているのは初めて見た。 葉緑素を持たない植物とその花というのは、やはり少し異和がある。木の栄養を茸の菌が取り込み、その菌にギンリョウソウが寄生して木の栄養をもらう。木の栄養を、茸の菌を媒介にしてギンリョウソウが利用するという高度なシステム、葉緑素を必要としないシステムが成立しているのである。Photo B 上:リードをはずして霧の林でイオの記念写真。下:撮影後、張り切って登ろうと して、「リードなしではだめ」と呼び止められたところ。 (2009/6/8 6:30) 万緑や霧の峠の山毛欅雫 秋本不死男 [2] 道はガスのなかである。ガスが濃くなって体が濡れるようなことにならなければ、「霧に包まれた林」というのはそれなりの風情をかもし出す。霧の林の中で思慮深げに遠くを見る犬は、それなりに賢そうにさえ見えるのである(基本的にはわがままで、家では「アホイオ」となにかのかけ声のように呼ばれている犬なのだが)。 登山道の脇には、サラサドウダンやヤマツツジが適当の頻度で出現する。よく案配された山だ、などという感想が湧き出たりする。ガスで視界が狭められているときには、道端の花々はほんとうに救いである。Photo C サラサドウダン。Photo D 上:ヤマツツジ、下:シロヤシオの落花。 途中、手袋をしていないことに気づいた。最近の山歩きでは、真っ赤な園芸用手袋を愛用している。手にぴったりとフィットし、何をつかんでも滑らない。それにアイコ(ミヤマイラクサ)を摘んでも、手に棘が刺さらないのである。 ザックから手袋を取り出してはめようとすると、手に黒いものが二つ付いている。ヤマヒル(ヤマビル、山蛭)である。慌てて1匹をすぐに引き剥がして投げ捨てたが、これが初めてのヤマヒル体験であることに気づいて、記念写真を撮ることにしたのが Photo E である。最初に捨てた1匹はとても細かったが、これはだいぶ血を吸ったらしくおなかが膨らんでいる。しばらくのあいだ、私の手にゆられて山道を登ってきたにちがいない。Photo E 左手に食いついたヤマヒル。吸い口から体が半回転ひねられている。(2009/6/8 7:37) ヤマヒルが分布を広げているという話を聞いたことはあったが、経験的には宮城県にはいないものとずっと思っていた。この初めての経験は、ちょっと驚き、ちょっと嬉しいような変な感じである。 ヤマヒルは初めてだが、ヌマビルと言うのだろうか、子供のころ水中に住むヒルにはよく食いつかれた。夏、私と仲間たちは、水があれば飛び込み、「アゼサグリ(畦探り)」といって手づかみで魚を捕まえるのがふつうの遊びであった。そしてだれかの足や尻にヒルが食いつくこともふつうであった。誰も怖がったりはしない。年寄りは、病気によっては蛭に血を吸わせると直るのだ、ということを言ってもいた。 ヒルは何でもないとはいうものの、引き剥がした後は血がなかなか止まらないのである。このヤマヒルも同じだった。だいぶ長い間、右手の指で左手の吸い口をぎゅっと押さえつけながら歩く破目となった。寄生虫といえば、山にはヤマダニがいる。人間には寄生しないが、犬にはよく付くので、イオのための対策は慎重に行っている。ところが、人間には付かないヤマダニに、一度、取りつかれたことがある。近くの大行沢でイワナ釣りをした4日後に、血で肥え肥えと太ったダニが目の下に付いているのを発見したのだ。ずっと気がつかなかったのは、ちょうど眼鏡の下の縁に重なっていたためである。鏡を見る私も、私の顔を直接見ていたであろう家族も気がつかなかったのだ。 人に付かないはずのダニが寄生したたった一度の経験である。犬なみだったのである。ほんのわずかな出血なのだが、血が止まらないというのは気になるもので、抑え方を変えてみたりしながら歩いていくと、下山に利用する予定の「シロヤシオコース」の分岐標の前に出た。そこからもう2,3分で頂上である。 頂上から西へ少し進むと、蔵王がよく見える場所があるということだが、まったくの曇り空なので、頂上で朝食をとってそのまま下ることにした。Photo F 三方倉山頂上。 (2009/6/8 7:57) 定年退職後は、毎日にように遊び回ろうと思っていた。そのためには、弁当を自分で作って出かけるのが、妻とのフリクションを軽減する方法だと考えて、ずっとそうしている。 その手製の「私の」弁当を連れと分け合いながら食べる。もちろんイオの弁当も用意してきたのだが、ドッグフード製の弁当はどちらかと言えば遠慮したいらしいのである。 20分ほどで朝食を終え、下りはじめた。「シロヤシロコース」に入ると、 登山道に白い花が点々と落ちている。文字どおり、シロヤシオの花だ(Photo D 下)。てっきり頭上にはシロヤシオが満開になっているのだと思って見上げると、何にもなくてがっかりする。花が少ない木の、その花が落ちてしまったのだろう。その後はシロヤシオを探しながら歩いたのだが、それっきりであった。頂上から20分ほどのところに、すばらしいオブジェがあった(Photo G)。枯れ木と石が絶妙に組み合わされている。どうすれば、こういう形状が完成するのか、しばし、考えさせられた。人工的な感じがしないでもないが、この石と木の組み込み方を人手でおこなうのは無理だろう。Photo G 枯れ木が石を抱え上げている。(2009/6/8 8:40) おそらく、こういうことではないか。 石の多い地面に芽を出した(おそらく針葉樹の)木は、その根にいくつかの大石を抱え込んで生長した。そのような木はよく見かける。その木が立ち枯れとなる。幹は朽ちつつ、折れたのではないかと思う。さらに根の先端も朽ち、石を抱えた根元部分が残った。しかし、これだけではこのオブジェは完成しない。根の支えを失っていたため、大雨か地震か分からないが、なんらかの形で斜面を転がったにちがいない。こうして、下に抱えていた石が、上方に抱え上げられているような形が完成したのだ、と思う。 制作期間30~50年(もっとか?)のオブジェというわけである。Photo H 緑の海に沈みこんでいくような下り道。 (2009/6/8 8:54) ガスと万緑が溶け合い、まるで湖かなにかの底へ潜って行くようにジグザグの道を下るのである。(Photo H)。下草の丈が高く、犬の視線を遮っているので、イオは緊張しつつ立ち止まり、じっと底の方の様子を窺っている。 Photo H の場所からすぐ下で、生きた大木の幹にあいている穴で、蜂が出入りしているのを見つけた。日本蜜蜂(西洋蜜蜂との区別を私はできないが、状況的にたぶん)である。この大木の中心に洞があるのであろう。自然木で作った養蜂箱で日本蜜蜂を育てている養蜂家のことはなにかのテレビ番組で見たことはあるが、自然そのもののなかで自然木に蜜蜂が巣を営んでいるのを見るのは初めてである。 出入りする蜂の数はそんなに多くはない。天候のせいかもしれない。草や花はまだ湿っぽくて蜜の採取に適していないのではないかと、想像したりしながらしばらく眺めていた。Photo I 自然木の洞の蜜蜂の巣の出入り口。(2009/6/8 8:56) こんなふうに蜂の巣をじっと見ている自分、ということに気づいたとき、8才か9才のとき、雑木林の縁の地面に作られた巣に出入りするスズメバチを小1時間ほど眺めていて、遊び仲間にからかわれたことを思い出した。ここでは、イオが鼻を鳴らして促すので、その場を離れたのである。 蜜蜂の巣から15分ほどで杉の植林地に出る。。そこから二口遊歩道まではあっという間である。道端のトリアシショウマの花や、地味なフタリシズカの花を眺めながら、手すりなどの整備された谷沿いの遊歩道を歩いて、山歩きは終わりである。Photo J 〔左〕トリアシショウマ、〔右〕フタリシズカ。 駐車場を5時50分に出て、9時40分に帰り着いた。 この山の印象は、「ギンリョウソウ」と「ヤマヒル」と「ニホンミツバチ」につきる。初めての大量のギンリョウソウ、初めてのヤマヒルの実体験、初めてのニホンミツバチの営巣。こんな年になっても、まだまだ「初めてのこと」がたくさんあるということなのである。 [1] 島木赤彦「赤彦歌集」斎藤茂吉・久保田不二子撰(岩波文庫 2003年、ebookjapan電子書籍版) p. 233。 [2] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 102読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.02.07
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【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月8日に掲載したものを転載した】 笹倉の秀嶺たまゆら明らみて時雨来たれば空に虹見ゆ 原阿佐緒 [1]笹倉山(大森山) 七ツ森湖(南川ダム)から七ツ森大橋越しの眺望。Mapのコースは、右(北)麓から登り、東(左手前)麓に下り、手前の車道を戻った時のもの。 仙台に住んでいると、北の方に低いけれども印象的な山々にすぐ気づく。ビルや丘の上からよく見える。国道4号線を北上し、仙台市を抜けた頃に左手にはっきりと見えてくる。「七つ森」と呼ばれる低い山群である。 笹倉山は、この七ツ森のうちのひとつとされているが、もともとは含まれていなかった。七ツ森は、七ツ森湖(南川ダム)の東側に連なっている300m前後の山群である。そのうちの一つ、一番低い「だがら森」をはずして、七ツ森から少し離れて(七ツ森湖と宮床ダムの中間)にある507mの独立した笹倉山を加えて、現在の七ツ森となっているということだ。 古い「七ツ森」は、鎌倉山、遂倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山、そして「だがら森」で、たった一つだけ「山」の名辞をさずけられていない。山名が確定したのが、「七ツ森」構成の新旧交代の前か後なのかはわからない。 七ツ森は人里に近い山のならいで信仰の山でもある。七山それぞれに薬師如来が祀られていて、一日で七山すべてを登頂し、すべての薬師如来に参ると願うがかなうという信仰があった(今もある)ということだが、ある頃から、笹倉山一山でそれを代表できるということになったらしい。そのあたりが、「七ツ森」構成変化の理由ではないかと推測したりする。チベット仏教のマニ車のように、簡便だけれども深い信仰心が表明できればそれにこしたことはないということのようだ。 仙台に長いこと住んでいるが、七ツ森に足を運んだのはごく最近のことである。山歩きが好きだといっても、冬山、沢登り(イワナ釣りで少し似たことはやったが)、ロッククライミングのようなことは一切やらず、いわゆる夏山トレッキングしかやらない私の活動は春からということになる。 低い山で体を慣らしながらシーズンを始める。若いときは、一番近い1000mクラスの泉ヶ岳が最初の山と決めていたが、最近は300~500mくらいの里山 [2] から始めるようになった。冬を越した老体に自信がなくて心配なのである。その代わり、2月や3月で雪があっても歩けるので、長い体力回復期間がとれるというというメリットもある。 笹倉山に初めて登ったのは、2008年4月5日であった。若いころ、この辺は4,5回ほど来たことがある。七ツ森ダム(南川ダム)がまだ工事中のころ、ダムの上流側に2度ほどヤマメ釣りで入ったことがあるし、宮床地区の山林を日本春蘭の変異種を探して何度か歩きまわった(成果はなかったが)。 しかし、すっかり土地勘は失われていた。国道457号から七ツ森湖に向かう道に入ってすぐ道を間違えてしまった。Map A 笹倉山周辺と2010年4月9日のコース。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。 道を間違えてうろうろしているときに、原阿佐緒の生地の看板を見つけた。そうだったのだ。情熱の歌人、原阿佐緒は宮床の生まれなのであった。冒頭の歌のほかに、もう一首、笹倉山を歌ったものがある。 笹倉の高嶺の霧の明りつつ晴れゆくなべに淋しあさあけ 原阿佐緒 [3] 原阿佐緒はアララギ派の歌人だが、同じアララギ派の石原純との恋愛スキャンダルの方が、彼らの短歌よりよく知られているようだ。石原純は理論物理学者で東北帝国大学理学部物理学科の教授であったが、この不倫スキャンダルで1921年に大学を辞した。 それから80年ののちに、同じ大学、同じ学部、同じ学科で、同じ職に就いた私から見れば、石原純は恐懼すべき大先達ではある。だからといって、実際のところ、特別な感情や思い入れがあるわけではない(理論物理学者として尊敬はしている)。情熱的な恋愛スキャンダルというのは、私の人生のカテゴリーには含まれないものである。 私と同年代の歌人は、 美しく生まれしゆえのおみなごの不幸語れば雪蛍舞う 道浦母都子 [4]と、原阿佐緒を偲んでいる。彼女もまた、美しく、激しく生きてきた歌人である、と思う。 さて、笹倉山である。初めてのときは、御門杉登山口(Map B のJ ポイント)から難波御門口に下る予定であった。ところが、頂上の薬師如来堂の裏手に回り、下り道を探したのだが、簡単には見つからない。そこにはカタクリが一面に咲いていて、うろうろ道を探すとカタクリを踏んでしまいそうになる。 カタクリの花を踏みつぶしてまで、下り道を探すのはどうしても躊躇してしまい、結局、もと来た道を引き返したのであった。Map B Map A の拡大図。Aの「難波御門登り口」から登り、Jの「御門杉登山口」へおりた時のコース。A~Jは写真撮影ポイント。 カタクリの群落に道を阻まれたのである。カタクリはけっしてめずらしい花というわけではないが、初春の山で見るのはいつでも楽しいし、美しい。好きな花のひとつである。インターネットで球根を購入し、我が家の庭でも毎年、春先に数輪は咲く。原阿佐緒にもカタクリの歌があった。 汗ばみてわがのぼりゆく墓地下の土手に咲きつづくかたくりの花 [5] 児の手とりかたくりの花今日も摘むみちのくの山は春日かなしき [6] この「児」は、テレビドラマ「7人の刑事」などに出演していた俳優、原保美であろう。渋くて良い俳優さんであった。 また道を外れてしまった。 反対の難波御門口から登れば、道に迷うことはないと考えて、2回目の笹倉山は2010年4月9日であった。2時間くらいの行程なので、ゆっくりと家を出た。家で朝食を食べてから山に出かけるというのは、たぶん初めてではないか、記憶にない。近郊の山であれば、明るくなるころに登り始め、朝食を食べて降りてくるというのがほとんどいつものケースである。最初の笹倉山は、朝食前に歩き終わってしまい、家に帰って朝食弁当を食べたのである。 「難波御門登口」からしばらくは杉林である。道に迷わないようにと、こちらからチャレンジしたのに杉林に入ってすぐ迷ってしまった。冬のあいだの杉林の手入れのためか、作業用の道が何本か造られていた。登山道と較べれば、小型ブルで均した作業道は立派(?)なのである。しかも切り払った杉の枝が敷き詰められていて小さな登山道は簡単に見落としてしまうのであった。2回ほど行きつ戻りつして、20分ほどで杉林を抜けた。Photo A 登山口、しばらくは杉林である。(2010/4/9 8:40) 杉林を出れば快適な雑木林である。まだ葉が出ていないので、見通しが良くて気分がよい。早春や晩秋の山歩きで、見通しの良くなった林を歩いているとき、必ず思い出すことがある。 ずっと若かったころ、季節季節には山菜や茸取りを生業としている人に、山を案内してもらって茸取りをしたことがある。その人が、「山を覚えるには、冬が一番だ。」と教えてくれた。葉が落ち、見通しがよいときに山の地形を、その細部をたたき込んでおけ、ということだ。 その後の私は、山菜も茸も採るものの、山道の脇で少し採れれば十分なので、真剣に山を覚えようという気にはならなかった。冬は冬でやりたいことがあり、雪山を歩かないのである。それでいて、明るい林の中では、ずいぶん前に亡くなったあの山人を思い出し、申し訳ないような切ない気分になる。Photo B 杉林を抜けると、明るい雑木林。まだ花は少ない。(2010/4/9 9:07) 林の中は、まだ下草もほとんど生えておらず、すっきりとしている。Photo B のポイントを少し行くと、小さな尾根になって、笹倉山の頂上部が眺められる。写真も撮ったが、杉の混じる雑木林越しで、良い写真にはならなかった。新緑が萌え出すと、頂上は見えなくなるだろう。 10分ほどのクマザサの道を抜けると、小さな花が見えた。オウレンである。下草がない早春の林に中では、こんな小さい花でもよく目立っている。造りが繊細で可憐な花であるが、もう少し季節が進み花々が多くなれば、私なんかの注意力ではきっと見過ごすような気がする。Photo B' オウレン(黄連)。(2010/4/9) 頂上近くになり、カタクリが一面に咲いているのではないかと期待したが、葉ばかりで花はほとんどなかった。前の時は、歩くのが憚れるくらい咲いていたのに。 頂上の薬師如来のお堂に着いた(Photo C)。このお堂の後ろから登ってきたのである。お堂の後ろは開けた感じの林で、まえの時にはカタクリの花がたくさん咲いていたところである。 記念写真を撮ろうと、連れ(犬のイオ)のリードをはずしたが、何か気になるのがあるらしく、こちらを向いてくれない(いつもはカメラを向ければポーズをとるのだが)。Photo C 頂上の薬師如来堂。(2010/4/9 9:36) 頂上には「大森薬師瑠璃光如来」と大書された紫地の旗が立っていた。笹倉山は大森山とも呼ばれる。たぶん、旧名称であろう。もしかしたら、七ツ森に加えられたときに、名称の整合性(7山すべてに倉をつける)のために変えられたのではなかろうか(根拠のない推測だけれど)。 周囲には、輪郭が崩れた石仏が数体あり、それぞれにお供えがされている。風化している石仏には、長い長い時間の人々の信仰心が積み重ねられてきているようなふしぎな雰囲気がある。欠けてしまった部分のその欠如こそ、信仰の証であるかのように。仙台産の昔の石は風化しやすいのだと、墓石屋さんに聞いたことがある。神社の狛犬にも同じように風化してしまったものを見かけることがあるが、風化仏のような敬虔な感覚は生じない。Photo D 頂上から四阿に下る道。四阿の先は「国見ヶ崎」見晴台である。(2010/4/9 9:40)Photo E 少し下ってから四阿をふり返る。(2010/4/9 9:40)【左】Photo C' カタクリ。【右】Photo F' イワウチワ。 頂上をすぎて少し下ると、四阿(あずまや)が見えてくる。とても短いけれど、快適な尾根道である。平成5年に立てられたことを示す立派な扁額が、四阿につり下げられている。 四阿の先は、「国見ヶ崎」という展望の良い突端になっている。東南に開けた展望は、大和町、富谷町から仙台市へと広がっているのだが、前回も今回も晴天の春霞で遠くは霞んでしまっている。眼下の宮床ダムはよく見える。 雑木林を下っていくと、「亀の子岩」と呼ばれる大石がある。半分朽ちかけた説明板があり、「祈願の甲斐あって戊辰戦争から無事に生還した人が……」ここで何かをしたらしいのだが、それが何かは朽ちた部分に書いてあったようだ。まさかいくら何でも、この大きな岩を担ぎ上げて薬師如来に奉納したということはあるまいと思うが、信仰心の薄い私には、こういう領野での想像がうまく働かないのである。 道は、葛籠(九十九)折りの急坂(姥坂)にさしかかる手前で分岐し、北の小高い峰(眺子ノ石展望台)に続いている。その坂道にはイワウチワが一面に咲いていて、少し心が浮き立つような道である。 低山のイワウチワ、高山のイワカガミはどちらも目を引く花である。中間にはオオイワカガミが生えていることがある。オオイワカガミは「秋田から新潟の日本海側の山地に生えている」とされているが、宮城の山にも生えている。 若いころ、日本春蘭の変異種を探して里山を歩きまわっていたとき、小山の尾根伝い前面にイワウチワが群生しているのを見て感動したことがある。ここよりずっと仙台に近い里山である。しかも、その小山を下り、谷あいに出たところで、斜面いっぱいに咲いているヤマブキソウ(山吹草)を見つけて驚いた。イワウチワと山吹草の大群落が小山の尾根と裾にあったのである。 10年ほど後に感動の再現とばかりに見に出かけたのだが、住宅地に開発されてしまって、小山の位置さえ確認できないのであった。そういえば、イワウチワもヤマブキソウも、自治体によっては絶滅危惧種、危急種に指定されているのである。Photo F 北の峰(眺子ノ石展望台)に続く道にはイワウチワの群生。(2010/4/9 8:40)Photo G 北に突き出た峰(眺子ノ石展望台)からの眺望。七ツ森の山々と七ツ森湖(南川ダム)が一望できる。(2010/4/9 10:16) 北に突き出た眺子ノ石展望台はごつごつとした岩山で、松が生えている。岩山に松、というのは水墨画に典型的な景色で、盆栽好きなどには耐えられない風景ではある。 その峰から七ツ森湖(南川ダム)とその東に展開する七ツ森を一望で眺められる(Photo G)。春霞で煙って見えるが、七ツ森の配置がよくわかる。 七ツ森もつい最近登ったのだが、じつは、写真まん中手前の蜂倉山だけはまだ登っていないのである。3山程度を組み合わせて一日の歩きとしたいのだが、蜂倉山はコースの都合上、はじかれてしまうのである。(これは余分なことだが、七ツ森には私の好きな山菜はそんなに多くないようだ。) 眺子ノ石展望台から引き返し、九十九(つづら)折りの姥坂の急坂を下るのであるが、坂の上に「姥坂の石」という大石がある。道の脇に誰かがポンとおいたような風情の石である。 姥坂は急坂であるが、手すりがあって歩きやすい。Photo H 九十九(つづら)折りの姥坂をふり返る。しかし、連れ(イオ)は坂道をふり返っているわけではない。ポーズをとった姿勢からなにかの音がした斜面を見上げたところ。(2010/4/9 10:23) 姥坂を下ると、すぐに麓に広がる杉林に入る。緩やかで、静かで申し分のない坂道だが、やはり山歩きでは杉林は少し気が滅入る。むかし、斜度は小さいものの、眺望も変化もないブナの原生林を4~5時間歩きつづけたときとは別の種類の気落ちがある。 山菜の時期の杉林には、アイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)やウルイ(オオバギボウシ)が生えていたりするし、秋にはスギエダタケやスギヒラタケが確実に採取できる場所であって、それなりに楽しい。雑木林の茸狩りが不調の時には、わざわざ杉林を探して帳尻合わせをするほどのものではある。 しかし、単純に歩くことだけという楽しみでは、シチュエーション設定に幾分わがままが出てきてしまうのである。Photo I 麓の杉林。手入れもされ、道も申し分ないのだが。(2010/4/9 10:32) 杉林のなかに「日本刀「葉山丸」作刀の地 七ツ森観光協会」という白木、墨書きの表示が立っている。ということは、このあたりにはかつて人家があったということか。少なくとも刀工一族の家はあったのではないか。 いや、問題はそういうことではない。日本刀「葉山丸」がまったくわからないのである。日本刀の知識が全然ない。「葉山丸」がどれほどの名刀なのか、あるいはまた歴史的遺物なのかも皆目見当がつかないので、「ほぉー、すごい」と反応したものか、「どうってことはない」と無視するのか、悩むのである。街中なら、ふつうに無視するのだが。ネットで検索しても、「ネットで検索してもよくわからない……」というブログが見つかるばかりなのだった。Photo J 終点、御門杉登山口。これから車道を歩いて難波御門口まで戻る。(2010/4/9 10:38) 8時40分に難波御門登り口を出発して、10時38分に御門杉登山口に到着。犬との朝の散歩時間のちょうど2倍、快適な散歩というところか。十分な年なので、このような山歩きで満足できたら、平穏で健康的な人生になるとは思うのだが。 さて、これから車道を難波御門口まで戻るのである。アスファルトの硬い反作用を気にしながら、それでも途中でバッケ(フキノトウ、蕗の薹)を五つほど摘んだ。 幼いころ母が作ってくれた「バッケ味噌」は、じつはあんまり好きではない。天ぷらはそれなりにおいしいが、朝の味噌汁に細かく刻んだバッケをほんの少し放したのがじつに良い。もうひとつ、「バッケの漬物」は抜群である。ただし、自分では作れない。ときどき、京都から取り寄せている。 何たることか。山歩きは漬物の話で終わるのである。[1] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 106。[2] 宮城県の里山は、「みやぎ里山文庫」というたいへん有用なHPがあり、利用させていただいている。また、宮城の山全般は、「マルゴ」さんという方が作っているHP「あの山に登ろう」が山の様子がよく分かってとても参考になる。[3] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 54。[4] 道浦母都子歌集「花眼の記」(本阿弥書店 2004年) p. 155。[5] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 201。[6] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 59。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.01.30
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【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月17日に掲載したものを転載した】【続き】 頂上標を過ぎると、やや複雑な地形に残雪が広がっていて、道を間違えた。道は真っ直ぐに薮道へと続いていたのだが、笹が雪で倒されていたうえに左手に下っていく細い残雪の下に道があると思って下ってしまった。頂上を過ぎたので少し下っても不思議はないと思い込んでいたのである。下りながら右上の斜面を見ると道がはっきりと見えて、15mほどで引き返すことができた。Photo G 残雪の向こうの道に頂上標が見える。 (2010/5/31 9:49) 道は尾根のやや南側を走る。頂上標から10分ほどのところでPhoto H のようなダケカンバを見た。根本から分枝するダケカンバもないわけではないが、これだけきっちりと根元で分かれて、空を受け止めるように広がっている木は珍しいと思う。 船形連山の北泉が岳から泉ヶ岳西麓の水神に下って来る道にダケカンバの林があるが、ほとんどは直立する太い一本の幹を持っている。尾根とはいえ、形からは風の影響とは考えにくい。積雪のせいでもあろうか。Photo H 頂上標を過ぎた尾根道で見たダケカンバ。(2010/5/31 10:01)空の奥から こぼれ墜ちてくる小鳥を そのつど灌木は たなごごろに享けとめるが 鳥や樹木にそうやって 形を与えてやまないのは 背後の空間の優しさだ 鳥や樹木に形をわけ与えた そのぶんだけ 空は欠落し 誰も知らないところで 血を流しながら 空は途方にくれるのだ 鈴木漠「拾遺」部分 [2]Photo I 頂上標を過ぎてから見る地図上の須金岳の眺望。(2010/5/31 10:02) 道はすぐ下が急斜面のところをトラバースして尾根筋に戻るのだが、その手前から、尾根筋にそって残雪が続いているのが見える(Photo I)。ここから見るかぎり、残雪の端には灌木が茂り、危険な雪庇はないように思える。見つゝ来しごとく残雪峰に寄る 山口誓子 [3] 麓でも確かに残雪があるのを見てはいたが、尾根にこんなに残っているとは。しかし、どうして、この句のように、残雪は「峰に寄る」のだろう。たんに標高差という理由ではないだろう。風が吹き通る尾根ではとくに積雪量が多くなるとも思えない。 尾根から下る斜面の斜度が問題なのかもしれない。良く見ると写真の中央付近の斜面に下に伸びる何本もの筋が見える。雪崩が雪を落としたために、斜面の雪が早く消え、相対的に遅くまで尾根に雪が残ったということかもしれない。 道が尾根に直角にぶつかろところには、3mほどの雪の壁であった。オーバーハングはしていないので、危険はないとおもうのだが、足がかりがない。道はこの残雪を右に折れていくはずなのだが、その方向には這い上れそうな斜面はない。 遠回りだが左手に回ってみると少し傾斜の緩やかな斜面があったので、そこを上がることにする。連れと私をつなぐリードをつけたままでは無理なので、連れのリードをはずすと、そのまま雪面を駆けあがり、早く来いと急かすのである。私は、山靴で削って足場を堅めながらなので、早くはあがれない。連れは上から覗きこんで、じっと待っていてくれた。Photo J 荒雄岳(次に登る予定)。 (2010/5/31 10:02)Photo K 残雪の上にもなにかの痕跡があるようだ。(2010/5/31 10:09) 残雪の稜線は、灌木にも邪魔されず、きわめて展望がよい。上ってきた道の方向をふり返れば、向こうに禿岳が見える。あの山は、三回目のチャレンジでやっと登れたのである。一回目は、大雨になってしまい、連れの散歩代わりにと、30分登って引き返し、毎朝の1時間相当の散歩とした。二回目は台風の後で、花立峠登り口への道が閉鎖されていたのである。 南には、やや低い荒雄岳が意外に複雑な山容を見せているし、北には虎毛山がゆったりとしたふくよかな印象の姿を見せている。いずれも5月の清新な青空と白雲を背景として、映えている。 私が山に登るときはいつもこんなふうに良い天気である。当たり前である。こんな良い天気にしか登らないのだ。雨具はもちろん持ち歩いているが、ここ7、8年で使用したのは、先の禿山と、天気予報になかった急な低温におそわれた蔵王連峰、熊野岳山頂で防寒着代わりに着た、その2回だけである。Photo L 北方には虎毛山(1433m)。 (2010/5/31 10:10)嶺々の雲ばなれよき五月かな 鷹羽狩行 [4] これは麓で読んだ句だろうが、鮮明なきっかりとしたイメージがとても良い。でも、次のような句が、私は好きだ。子規、虚子から続く俳句の王道たる写生句から少しはずれた句が好きなのである。峰雲や生きてひとりの強さ弱さ 秋本不死男 [5] 残雪の上を、地図上の須金岳の峰の方向に歩き始めたが、実はあんまり期待したほど楽しくない。安全を期して残雪のまん中を歩く。ごく緩やかな傾斜で、単調に続く。もういいか、と思ったのである。臆病なので、事故が起きないうちに、とも思ったのだ。 引き返すことにした。Photo M 残雪の上から望む禿岳。右手前に来た道が見える。(2010/5/31 10:28) あまり急斜面のない山の下りは快適である。老骨の膝へのダメージの心配もあまりない。気休めかもしれないが、急な下りの山では、膝保護のサポーターを両膝に着用することもあるし、トレッキングポールを使うこともある。持参してはいるが、この山ではどちらもその必要を感じなかった。 頂上標の手前の道脇には、イワカガミが群生している。もちろん花はまだだが、葉が照り輝いていて、植木の下草に使えたらすてきだろうなと思うが、まったく無理な話である。 林の中に入ると、マイヅルソウの道である(Photo N)。これも花はまだである。マイヅルソウは丈夫な山草としての園芸的な人気もある。山草趣味は30年も以前に止めてしまったが、わたしもかつて大きな平鉢に満杯に咲かせたことがある。それくらい、丈夫でよく増えるのである。Photo N マイズルソウの道。(2010/5/31 11:06)上:ムラサキヤシオ、下:ヤブデマリ 行程の中で一番目を引いたのはムラサキヤシオの花である。この花が好きで、2mほどに成長したものを買って庭に植えたことがある。6年ほど花を見せてくれたが、突然枯れてしまった。草も木もいったん枯らしてしまうと、二度目はなかなか手が出ない。また殺すのか、という感じが離れないのである。 登っていくときには気づかなかったのだが、登山口近くで不思議なものを見た。太い立ち枯れの木の、朽ちた中心部に一本の木が生えているのである(Photo O1)。朽ちた木の上に実生で生える木があっても不思議はないが、少なくとも10年以上成長したような太さなのである。その間、朽ちた木が立ち枯れのままでいるというのは想像しにくいのである。Photo O1 枯れ木の空洞のなかの一本の樹?(2010/5/31 12:22)Photo O2 細い命脈が上の太枝の命を支える。(2010/5/31 12:22)そのとき 一本の樹が、 さらに大きい自分のなかに沈みこみ、 そのたっぷりした容量だけで やさしく自負している。 菅原克己 「野」 部分 [6] 生き抜く命のすごさ、生命体のこの極端な可塑性に、少しのあいだ呆然としていた。ハルゼミの鳴き声に促されるようにして正気に戻ったような気がする。その寸時の間、ハルゼミは鳴きやんでいたわけではない、ずっとうるさく鳴き続けていたはずなのに。けふはけふの山川をゆく虫しぐれ 飴山實 [7] そのハルゼミを見つけた。この蝉を間近に見るのは初めてである。弱っていて、クマザサの葉に止まっている。持って帰って子どもに見せてやろう、と一瞬思い、それからゆっくりと、二人の子供はとうの昔に大きくなって家を出ていることを思い出すのであった。 いや、それでも我が家にはハルゼミの声を聞いたことのない人間がいる。106才の義母(妻の母)である。たぶん、義母にはハルゼミとヒグラシの区別はつかないだろうから、持って帰って見せてもどうにもならないだろう。ただ、この強烈なハルゼミならではの大合唱だけはめずらしいと思う。デジカメには録音機能のオプションがあること思い出し、何度か録音して見た。義母に聞かせてみようと思ったのだ。 家に帰り、録音したはずのハルゼミの大合唱を再生してみた。まったくだめなのである。大合唱どころか、たしかになにかの音がするという程度なのである。「何でもできる装置は、どれもろくにできない装置である」ということは、実験物理屋の常識であるのに、こんな失敗をいつもするのである。ハルゼミ 旧仙秋ラインのゲートを6時13分に抜けて入り、抜け出たのは12時50分の山歩きであった。[2] 「現代詩文庫162 鈴木漠」(思潮社 2001年) p. 66。 [3] 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 22。[4] 鷹羽狩行「句集 十二紅」(富士見書房 平成10年) p. 26。 [5] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 78。[6] 「菅原克己全詩集」(西田書店 2003年) p. 64。 [7] 「飴山實全句集」(花神社 平成15年) p. 164。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2019.11.03
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【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月17日に掲載したものを転載した】須金岳全景 108号線を鬼首温泉郷を抜けた付近から。(2010/5/31 5:52) 宮城県の北部の小さな農村で生まれた私にとって、幼いころの山といえば栗駒山であった。小学校の校歌にも、「あおげ自由の栗駒を」という一節があった。(「自由の栗駒」というのは、小さいころは何となくそうかと思っていたものの、どんなことをイメージすればよいのか、いまだに解らないのである。中学校でも高校でも、校歌は一見簡単そうで、じつはその実質を理解するのは難しいもののようだ。) 高校時代の登山で、雫石(岩手県)から秋田駒ヶ岳を越えて、帰りは小安温泉(秋田県)から栗駒山に登り、駒の湯温泉に下りたことがある。台風の日で強引な登山であった。お金が底をついて宿泊できなくなって、友人と二人でそんな無茶をしたのである。 登山のことなど考えられなかった大学、大学院時代が過ぎ、また山歩きを始め、子供をはじめて連れていった山も栗駒山だった。その時は、私の母と妻の母は駒の湯温泉での湯治をしながら、まだ小さすぎた娘のお守りをしていてくれた。 駒の湯温泉は宮城県のもっとも主要な栗駒山登山基地であったが、その私の記憶する宿は、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震で壊滅してしまった。 仙台に住んで山歩きをしようとすると、船形山を中心とする連山、大東岳とその周辺、蔵王連山に目が行ってしまい、船形山と栗駒山の間の地域にある山々はすっぽりと意識から抜け落ちてしまっていた。 日帰りができて体に無理のない山行を、というのが最近のスタイルで、それに適した山を探していて、翁峠や禿岳、荒雄岳などとともに須金岳もやっと候補となった。翁峠、禿岳と北上して、やっと須金岳というわけである。雪の多い冬だったので、半月ほど延ばしての2010年5月31日の山歩きである。Map A 須金岳周辺と2010年5月31日のコース。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。Map B 須金岳。A~Oは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。 旧仙秋ラインのゲートが開いていることを期待していたが、だめだった。仙北沢林道を歩くことになったが、林道でのゆったりした歩き始めは良いことなのだ、と言い聞かせながらの歩き出しである。ついつい急いでしまわないように、花を探しながら歩くのである。歩行軌跡が林道から外れているのは、花を見に沢へ下ってみたためである。左:ラショウモンカズラ、右:カタクリPhoto A 仙北沢林道、仙北橋から仙北沢上流を見010/5/31 6:34) 旧仙秋ラインのゲートから20分ほどで仙北沢にかかる仙北橋に出る。若いころの一時期、イワナ釣りに夢中になったことがあったが、荒雄川流域に入川したことはない。 この沢かどうかはわからないが、荒雄川のいくつかの支流の奥には、純系のイワナが生存していることが最近明らかになった。種苗に気を配ることのなかったかつて(現在もか?)の放流事業で、多くの河川のイワナ、ヤマメは混血となってしまった。山奥に孤立するイワナは、地域変異が大きく、その保存は重要である。 施設や資金にやや困難がつきまとうものの、いまこの原種系のイワナを増やそうとする一部の人たちの努力が進行しつつある。期待している。 橋を越えるとすぐ右手に、棒杭に記された「須金岳登山道入口」の道標が見つかる。細い登山道に上がると、林道から離れることができて、少し気分が上がる。 登山道は杉林から始まるが、数分で明るい雑木の林となってすぐに分岐道が出てくる。案内標識があって、道はほぼ直角に折れ、斜面に取りつく。といっても、すぐにPhoto B のようなおだやかな道になる。 道はちょっとした尾根道のようになり、大木が次々に現れる。三合目の標識は、ちょっとした峰になったところである(Photo C)。Photo B 緩やかで快適な林間の上り道。(2010/5/31 6:59)Photo C 3合目のちょっとした峰。(2010/5/31 7:15) 針葉樹の大木もある。たぶん、サワラ(椹)ではないかと思うが、じつはよく分からない。私には、ヒノキ、アスナロ、サワラの区別がつかないのである。他にもヒムロというのがあるらしい。枝がまばらなこと、葉がおおぶりで粗い感じがすることからサワラではないかと思ったのであるが、当てずっぽうである。 花が美しいとか、実が食べられるとか、そんなことがないとなかなか覚えられないのである。クヌギとコナラの違いも判然としない。何回も調べてみるものの、すぐに忘れて、現物を前にして何の役にも立たないのである。「どんぐり」がおいしく食べられたら、問題はなかったのである。私は、モミとカヤの区別が直感的にできる。子供のころ、カヤの実を拾い、煎っておやつとして食べていたからである。 木々の切れ目から、これから行く峰が見える(Photo D)。尾根筋に白く残雪が光っていて、少し心配になる。数年前の春先、たしか寒風山から白髪山の尾根筋の登山道でだったと思うが、尾根の雪庇が崩れて、比較的年配の人が遭難死したニュースを聞いていた。 私は冬山には登らない。残雪の時期には、アイゼンなどの装備があればよいと思うときがあるが、購入はしない。へたに装備を持ってしまうと、雪山に出かけてしまうのではないかと心配してしまう。基本的に臆病なので、危険には近づきたくないのである。それに、山ばっかりの生活というわけにもいかない。冬は冬でやりたいことがある、ということもあるのだ。 かつて釣り全般に夢中になって、一年中釣り三昧になって、支障が出たことがある。そのときは、海釣りの道具一切を処分し、アユとヤマメだけに限定することで切り抜けた。夢中になると、崖から飛び出すように走ってしまう自分がおそろしいのである。「なにごとも適当に、いいかげんに」というのが今の目標である。平らな野原に立っていてはならぬ! あまりに高く登りすぎてもならぬ! 世界がもっともすばらしく見えるのは 中庸を得た高みからである。 フリードリッヒ・ニーチェ「処世術」 [1]Photo D 3合目を過ぎた尾根筋からみる山頂。(2010/5/31 7:20)上:タムシバ、下:アオダモ左:オオバキスミレ、右:シラネアオイキクザキイチゲ(上:紫花、下:白花) いつかサワラの大木の道から雑木林の道になり、タムシバの花が咲いていた。コブシは仙台市内でもよく見かけるが、タムシバをそれとして認識したのも最近である。 加美町小野田の鍋越峠から商人沼、吹越山(939m)を経由して翁峠(1075m)まで歩いたときの山中で、しみじみとタムシバを眺めたのである。その頃にやっと、コブシとタムシバの区別がつくようになった、ということである。 水沢森の頂上付近まで来ると、結構な量の雪が残っているが、危険というほどのことはない(Photo E)。 雪のない陽当たりを探して、朝食をとる。 連れ(イオ)の朝食を先に準備して、次に私の分を開く。どちらも弁当である。もちろん、連れのは、2種類のドッグフードでできたものである。少しだけ食べて、私の弁当が開くのを待っている。肉が入っているのを期待しているのだ。家では食べない果物も、山で私からもらうといくらか食べるのである。犬だって、山での食事は、それなりに別格なのであろう。Photo E 水沢森頂上付近。(2010/5/31 8:37) 水沢森から先は、鞍部の尾根筋の道で歩きやすい。林のなかの道だったり、眺望が開けたり、足もとにはオオバキスミレやシラネアオイが咲いている。 シラネアオイは低山から1000mあたりまで分布していて、山菜採りで山を歩いてもたくさん見ることができる。我が家の庭にも20年生くらいのシラネアオイの大株があって、毎年たくさんの花をつける。庭のシラネアオイが咲くのは、山菜採りに出かける時期の知らせでもある。 七合目、八合目、九合目とじつに順調な道である。この時期に典型的な、よく見かけるキクザキイチゲはやはり白花も紫花も咲いている。むかし、紫花がキクザキイチゲで、白花がアズマイチゲだと思い込んでいた。これも最近区別できるようになったものの一つである。Photo F 九合目付近の道。(2010/5/31 9:41) 道が間ノ岳近くになるとまた残雪である。道は間ノ岳のすぐ北を通るのであるが、そこに「須金岳山頂」の道標が立っている。実際の須金岳の山頂はそれより1.5kmも先である。道標の標高部分は消えてしまっているが、すぐ傍の薮に「1.253M]という別の金属表示板が落ちていた。これは、地図表記の標高と同じである。たまたま同じ標高なのか、頂上というからには地図表記と同じ標高にしなければならないとしたのか、謎である。どんな事情があって、こんなことになったのだろうか、不思議な話ではある。 南雁戸山のツインピークも、GPSデータで確認すると、国土地理院の地図に「1486」と記されたピークのもう一方のピークに1486mと記した山頂標があった。この場合は、ごく近いピークだし、もし標高が同じであれば、とくに矛盾があるというわけではない。しかし、須金岳のこの違いは、よほどの事情があるのではないかと思う。[1] フリードリッヒ・ニーチェ(秋山英夫・富岡近雄訳)「ニーチェ全詩集」(人文書院2011年) p. 154。【続く】 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2019.11.03
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泉ヶ岳に登ることにしたのは、今の私の体力がどれほどのものか、早く知りたかったからである。440m(傾城森)、621.3m(寒成山)、994.2m(龍ガ岳)とリハビリ登山は進んできたが、龍ガ岳は途中で登山道を失ってほとんどリハビリに寄与していない。 かといって、龍ガ岳に代わる手ごろな山というのも思いつかない。それなら、少し無理目かもしれないが泉ヶ岳に行こうと思ったのである。泉ヶ岳に上れば、これからの山行がどれほどのものになるか、想像できるだろうと踏んだのである。 何度も登っている泉ヶ岳はとても手軽で、冬山をやらない私にとってシーズン初めには必ず登る山で、いわば年々衰える体力を確かめる基準になる山である。このブログにも、2012年5月7日、2013年5月18日、2015年5月18日と山の雪が消えかかるころに昇った泉ヶ岳の記事を掲載している。 全天雲に覆われた暑い日になった。 車で山麓に近づいて行っても、どの山も雲のなかである。泉ヶ岳スキー場の大駐車場はほぼ満杯になっていた。こんなことは初めてだが、夏休みの時期の午前9時半ごろに泉ヶ岳の登山を始めるのも初めての経験で。季節も時間帯も違うので何とも判断しがたい。Photo A 「オーエンス泉岳 自然ふれあい館」。 (2018/7/31 9:46)Photo B1,B2 コバギボウシとその白花(?)。Photo C シシウド。Photo D ガクアジサイ。 登山口から一番遠いところに車を止めて、歩き出した。昨夜、雨が降ったらしく地面が濡れていて、やたらと蒸し暑い。駐車場の西端近くに「オーエンス泉岳 自然ふれあい館」という施設があって、15人ほどが玄関に入って行った。駐車場が満杯なのはこの施設の利用者が多いということもあるのだろう。 施設横の舗装道路を通って登山口に向かう。前に私と同年配の先行者がいる。道端のコバギボウシやガクアジサイの写真を撮っている間に、その人は林のなかに見えなくなっていた。 舗装路が終わり、いよいよ登山道というところで女性二人の登山者が休憩している。私ももうすでに大量の汗をかいている。いくら夏とはいえ、ここの標高(580mくらい)で、この湿度、気温の高さは異常としか思えない。私は、汗の処理もせず、挨拶をして通り過ぎた。Photo E 先行者。(2018/7/31 10:23) Photo F 分岐。(2018/7/31 10:30)Photo G 水神。(2018/7/31 10:41) 泉ヶ岳の水神コースを上りに選んだが、このコースは水神までは傾斜が緩やかで体が慣れるまでの歩き出しとしてはいいコースである。振り返れば、林のなかにちらちら見えていた先ほどの女性二人の姿もしだいに見えなくなった。 できるだけゆっくりと歩くように心がけていたが、上の方に先行者が見え出した。私と同年配のご夫婦らしいカップルで、「どうぞお先に」と挨拶されて追い越した。今日は追い越されることはあっても追い越したりしないようにしよう、そんなふうに思っていたが、もう計画倒れである。 どんなゆっくりでも登り切って帰ろうと思っていたのだが、歩きながら「登り切れずに引き返すことになったらどうなるのだろう、ということに思い至った。ちゃんと登り切って帰ることばかり考えていたが、もしダメだったら私のこれからの登山はどうなってしまうのだろう。潔く諦めるのか、もっとしつこく体を鍛えることに向かうのか、この年齢で体力は回復するのか、などと考え出していたのだが、水神に到着し、そこから始まるごろごろ石の急坂に取りかかると、みんな吹っ飛んでしまった。とにかく登らなくては、そればかりになった。Photo H オヤマボクチ。Photo I1,I2 キンレイカ。Photo J 賽の河原。 (2018/7/31 11:44) 足は予想以上に動くのだが、息が切れて長続きしない。花の写真を撮っては一休み、大汗を書くので意識的に水分補給回数を増やしてひと休み、そんなペースになった。 途中、下ってくる2人連れ、2組に出合った。最初の二人ずれは、私を待っていてくれたので、礼を言って通り過ぎた。次の二人組のときは、私が先に止まって待っていた。そうやって休んだのだ。 「さいの河原」の道標がみえてほっとしたのだが、疲れた身にはその道標が賽の河原からかなり下の方に設置しているとしか思えないのだった。なんとか眺望がいいはずの賽の河原にたどり着いても、何にも見えない。賽の河原の上をガスが通り過ぎてゆくだけだった。Photo K フジバカマ。Photo L ヤマハハコ。Photo M 泉ヶ岳山頂。(2018/7/31 12:04)Photo N ノアザミ。 賽の河原を過ぎれば傾斜は緩やかになり、頂上はもうすぐだ。ヤマハハコの写真を撮るためにしゃがみこんでいる私に声をかけて登ってゆく人がいた。私がついた頂上にはその人が休んでいるだけだった。大駐車場を満杯にした人たちのほとんどはやはり下の施設の利用者ということらしい。 頂上尾根を北に向かい、いつも休憩をとる船形連山の眺望がある(はずの)場所で昼食とした。ここも眺望はまったくない。灰色の雲に覆い尽くされているだけである。 ここは、ずっと私の相棒だったイオと登った時に、いつも朝食をとりながら休んだ場所だ。泉ヶ岳に登ると決めたとき、イオのことを思い出して感傷的になるだろうとも思ったのだが、そんなことはなかった。たぶん、疲労が感傷を追い出してしまったのだろう。 20分ほどの昼食休憩で頂上に戻ったら、頂上広場は人で満杯だった。次々登ってくる二十歳前後の若い人たちで賑わっていて、かき分けて下山口に向かうのに苦労するほどだった。登り切った人々は、喜びからか、疲れからか、私など眼中にないのである。 下山路に入っても、次々登ってくる。集団の切れ目を見つけは下り、一グループをやり過ごしてから下り、ときにはリーダーらしい人が声をかけて待ってくれていたりして、ゆっくりと急坂を下って行った。最後の集団とすれ違う頃には、急坂の半分以上を下っていた。 Photo O オミナエシ。 Photo P ヤマユリ、コバギボウシ、ヤマドリショウマ。Photo Q1,Q2 ソバナ。 集団とすれ違う時にも、花を見つけては写真を撮っていたが、若い登山者のなかには写真を撮っていることに興味を示す人が結構いた。たしかに大集団の彼らのなかには一眼レフをぶら下げて登っている人は一人もいなかったので、珍しかったのだろう。 さて、その花の写真だが、オミナエシは写真のたった一本だけを見つけただけだった。上りの頂上近くで見つけたキンレイカは、はじめアキノキリンソウだと思ったのだが、澄んだ明るい黄色はアキノキリンソウのものではない。帰宅して写真を拡大してはじめてキンレイカということが分かった。オヤマボクチはまだまだ若くて、威厳ある風姿というわけにはいかなかった。 私には、頂上の尾根道にあったノアザミの色が見慣れているとはいえ、一番好もしかった。アザミは種類が多くて判別が難しいが、ノアザミだけは容易に見分けがつく。正確に言えば、私に見分けられるアザミはノアザミだけということだが………。Photo R 大壁。 (2018/7/31 12:57)Photo S 見返平。 (2018/7/31 12:57)Photo T お別れ峠。 (2018/7/31 12:57) 大集団と別れてからはもう新たな登山者とは行き会わなかった。「大壁」の」急斜面を下れば、ほどなく「見返平」に着く。上り道で振り返れば、遠く仙台平野が望め、下り道で振り返れば泉ヶ岳の山容が望める場所で、泉ヶ岳のコースの中で私がいちばん好きなところだ。 だが、今日は何も見えない。びっしり張りつめた雲で遠望はまったく効かない。泉ヶ岳は頂上がすっかり隠れている。 見返平からは緩やかな道になる。「お別れ峠」というのは私が下って来た「滑降コース」から「カモシカコース」や「水神コース」へ向かう道が交差している場所である。ここを過ぎれば、駆け出したくなるような快適な林の道になる。以前なら速足になるのだったが、今日はそうならない。 緩やかな下り道で、足の負担もさほど感じないし、息切れもしない。それなのに体全体がゆっくり歩くことを強要している。そんな感じだ。自覚はないが、とても疲れているのだろう。 大駐車場に着くと、出発する時にはなかった大型バスが3台駐車していた。あの大集団のグループが乗って来たものだろう。「いじめ○○リーダー研修会」という団体名が貼ってあった。○○がなんだったか思い出せない。バスの定員50人とすれば150人の集団で、すれ違ったときの実感とよく合う。 何とか登って降りてくることができた。疲れをさほど感じていないことが恐ろしいが、結果が判るのは二日後か、三日後か。それでも、少しは希望が繋げたということだ、そう結論した(心細いが、いちおう)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2018.07.31
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440m(傾城森)、621.3m(寒成山)と続いた5年間の空白を埋めるリハビリ登山の3回目は、994.3mの龍ガ岳である。 福島県の西北端で山形県へ越えてゆく国道399号の鳩峰峠から登る龍ガ岳は、楽しい山歩きができそうな匂いがした。奥羽山地を越える峠から登る山は、いつも強風が通り抜ける風衝地である可能性が高く、草地か低木だけの見晴らしの良い尾根歩きが最初から楽しめることが多い。峠そのものが尾根を越える地点なのだから、標高もだいぶ稼いでいるということもある。 東北道を白石ICでおり、国道4号から国道113号(七ヶ宿街道)に入り、田中という集落で左折して稲子峠を越える道で福島県を走る国道399号に行く。稲子峠への道の入り口に「国道399号は山形県側の工事のため鳩峰峠は全面通行止め」の表示があった。 ガイド本にも、国道399号は工事でしばしば通行止めになると書いてあった。曲がりくねる山道を延々と走ってから諦めるか、ここで諦めるか、悩みどころだった。もっと手前の峠田宿から入る峠田岳に変更することも考えたが、峠田岳の詳細地図(国土地理院)の準備をしていなかった。いつも携行するGARMINNのGPSmapは1mほどの精度で緯度、経度を確定することができるが、詳細な緯度、経度を記した地図がなければ役に立たないのだ。 山形県側の工事ということは県境にある鳩峰峠(またはそのごく近く)までたどり着ける可能性がある。それに期待して行くことにした。Photo A 国道399号鳩峰峠から見る龍ガ岳。 (2018/7/17 9:55)Photo B 放牧場から森林への再生を記念する石碑。 (2018/7/17 10:00)Photo C クマザサで覆われた登山道。 (2018/7/17 10:00)Photo D 放牧場跡の草原。(2018/7/17 10:03) 稲子峠の道から国道399号に出て右折すると、道の半分に車止めの柵が建てられ、通行止めの案内があった。半分は開いているのでここで全面通行止めというわけではないと判断して通り過ぎた。 集落近くの国道は車のすれ違いも難しいほどの狭さだったが、曲がりくねった道で標高を稼ぐとしだいに道幅は広がり、中央線がひかれているところもあった。 鳩峰峠に着き、駐車場(道脇のただの広場)に車を止めたその先、山形県側に入って100mほどのところに全面通行止めの関が設けられていた。 登山道の案内はなかったが、大きな道路標識のところに道がついているのが見えたので、さっそく身支度をした。 9山道に入って数歩のところの藪の中に石碑があった。登山道からは裏面しか見えず、そこには昭和26年から平成6年まで放牧地として利用されてきたこの地を休牧後に福島森林管理署に返還する際に森林復活を目指して植栽をしたときの記念の碑で、平成16年に建てられたことが記されていた。 藪を漕いで表側にまわると、「共生の碑」と題して次のような碑文が刻まれていた。小川流れど山は荒れ冬来たれば糧はなしひとの社会の領域荒れど食なければ徳も危うしいま森の復活を喜び永遠の共生をこの碑に刻む 碑文を読み終えて、あらためて登山道を歩き始めたが、30㎝ほどの熊笹が一面に生えていて登山道が見えない。矯めつ眇めつ眺めているとなんとなく筋のようなものが見える。 短い斜面を登りきると放牧地跡の草原が広がっている。登山道はこの尾根筋を辿っていくとガイド本に書いてあった(国土地理院の地図には東斜面を大きく迂回する道が描かれている)ので、とにかく前へ進むのだが、いつの間にかただの草地を歩いている。うろうろと登山道を探すと5mほど外れていたりする。そんなことの繰り返しで草原を渡っていく。Photo E1 ミヤマナデシコ。 (2018/7/17 10:10)Photo E1 イワオトギリ。 (2018/7/17 10:11)Photo E1 オカトラノオ。 (2018/7/17 10:12)Photo E1 ノアザミ。 (2018/7/17 11:00)Photo F 952mピークに向かう登山道(?)。 (2018/7/17 10:22) 傾城森や寒成山ではほとんど花を見なかったが、ここではミヤマナデシコやオカトラノオが道を見失わないように下ばかり見て歩いている目に飛び込んでくる。 草原が終わり、952mピークへの斜面に取りつく段になって、戸惑いは大きくなった。登山道は分かるのだが、小灌木にすっかりと覆われているのだ。草原は30㎝ほどの草やクマザサばかりなので、道を歩いても道から外れても大差ないのだが、私の背丈以上ある灌木では道を外れたら消耗は激しいだろう。 ため息が出たが、とにかくブッシュ道に突っ込むことにした。私としては滅多にないのだが、快適な尾根歩きを想定して、ストックを出してトレッキング気分で歩き出したのだったが、灌木の枝を押し分けて歩くのにこのストックは邪魔になるばかりだった。畳んでザックに縛り付けたが、次は首からぶら下げている一眼レフが枝に引っかかって邪魔になり、これもザックに収めた。Photo G1 トリアシショウマ。(2018/7/17 10:32)Photo G2 ミヤマウツボグサ。(2018/7/17 10:34) 急斜面では枝を押しのけると下に登山道が確認できるので、いちおうは安心して前に進める。952mピーク直下の急斜面の灌木を潜るよう(這うよう)に進むと急に開けて、目の前にミヤマウツボグサが叢生していた。Photo H 952mピークから見下ろす鳩峰峠。(2018/7/17 10:36)Photo I 952mピークから遠望する山形県高畠町方向。(2018/7/17 10:48) 952mピークについて振り返って見下ろすと、鳩峰峠がはっきりと見え、駐車場のたった1台の私の車が小さく光っていた。 952mピークを出発していよいよ龍ガ岳に向かおうとしたが、道は完全に灌木に塞がれている。道を間違えたと思って頂上台地を歩きまわっても、道らしいものが見つからない。唯一はっきりした道が峰の西端に向かっていたが、それは山形県方向の遠望を楽しむ場所までの道で、急斜面で切れていた。 結局、最初の場所が登山道らしいという結論に達して、1mほど入り込んだが、灌木に阻まれて前に進めない。これまでのように枝を手で払ったくらいではとても歩けないのである。もう一度周囲を歩き回って登山道を探したが、どうしてもほかの道を見つけることができない。 尾根筋の登山道と分かっているので、コースを誤る可能性はないが、背丈ほどの灌木のなかを押し切って進むほどの体力に自信はない。諦めて引き返すことにした。 「鳩峰峠から龍ガ岳へ」。地名だけを見れば、なにか素晴らしい山旅が起きそうなイメージだったのだが、なんとも言いようのない結末となった。ふたたび、激しく屈曲する山道(国道399号)を下り、稲子峠を越えて七ヶ宿街道(国道113号)に戻った。 予定時間よりずっと早いため、七ヶ宿街道を山形方面に左折してみた。湯原という(たぶん、七ヶ宿街道の最後の)集落で一軒の蕎麦屋さんを見つけた。メニューには「全そばもり」と「二八そばもり」というのがあった。全そばとは十割ソバということである。メニューにはほかにもおいしそうな名前が並んでいたが、もうここは「全そば大もり」しかない。途中で引き返した山行の埋め合わせとしては十分であった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.07.17
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2週間前の火曜日、恐る恐る小さな山登りを敢行した。4、5年もまともな登山を止めていたし、この年齢の数年の空白は大きいと考えて、山ならぬ森を歩いてきたのである。 山行再開のリハビリのような山歩きだったが、日々のリハビリも大切だろうと思って神社の階段や仙台城址までの上り下りを朝の散歩に加えて、一週間後の山行を計画していたのだが、月曜日に発熱し、計画当日の火曜日を含め二日間寝込んだ。水曜日からは連日の会議と宴会、地域合同避難訓練とその前準備、地域清掃と日曜日まで暇なしだった。 前回は、標高440mの傾城森だったので、今回は少し標高を上げて621.3mの寒成山である。じつは、熱を出して取りやめにした山行は、1200mクラスの山に行こうと思っていた。じわじわ体を慣らしていくというやり方にもう不満が湧いてきて、駄目なら駄目で体力の限界をさっさと知ってしまおうと思ったのだった。短気というか、こらえ性がないのである。 いくら気持ちが急いても、体がついて行ってないのだ。それで熱が出たのだろう。そう思うことにして、候補地を探したら、先日の傾城森の近くに手ごろな高さの山があった。 621.3mの寒成山である。 Photo A 大熊大橋から望む寒成山。 (2018/6/26 14:29) 東北道を白石ICでおり、国道4号を少し南下して国道113号に入るコースは傾城森へ行った時と同じである。小原温泉郷を過ぎ、七ヶ宿湖の手前で飛不動尊への案内看板に従って左折する。 道は、大熊大橋で白石川を渡り旧道に出る。大熊大橋から寒成山を望むことができる。北と南が切り立って、尾根は東西に伸びているのだが、写真はその山容を東から見ている。 この写真は帰り道でもう一度立ち寄って撮ったもので、朝からの晴天がすっかり雲に覆われてしまっている(写真は往復で撮っているが、時系列ではなく、麓から頂上へのコース順に掲載している)。Photo B1 飛不動尊の夫婦杉。 (2018/6/26 9:42)Photo B2 飛不動尊の本堂。 (2018/6/26 9:43) 大熊大橋を渡ってすぐ旧道を右に折れて西進する。この道は、先日立ち寄った材木岩への道でもあるが、材木岩への分岐の手前で、飛不動尊への案内看板があって、狭い林道に左折する。 「もう少しで飛不動」などという看板があるうねうねとした林道を進めば難なく飛不動尊の前に出る。道向かいに広い駐車場があり、木陰になりそうな場所を選んで駐車した。 飛不動に着くと、まず杉の古木が目に入ってくる。享保16(1731)年の大地震のとき材木岩近辺にあった飛不動尊を落石から守った大杉があったという。その3年後に飛不動尊が現在地(旧七ヶ宿街道の江志峠)に遷座した時、集落の若夫婦が加護を願ってそれぞれ杉の苗木を植えたものが、現在の夫婦杉になったのだという。樹齢284年ということになる。 伊達政宗が天正19(1591)年に現在の国道113号に近くに建立した不動堂は、文禄3(1594)年に火災に遭ったが、そのとき本尊自ら岩窟に避難したことから「飛不動」と呼ばれるようになったという。 敷地内には、不動堂のほか六地蔵尊や観音菩薩が祀られているほか、お守り売り場などもあったが、まったくの無人だった。Photo C 登山口へ向かう林道。 (2018/6/26 11:34)Photo D 車止めパイプ脇で咲いていたウツボグサ。(2018/6/26 11:32)Photo E 杉林の中を行く林道。 (2018/6/26 10:21)Photo F ホタルブクロ。(2018/6/26 11:23、10:05) 飛不動尊近辺には寒成山に関する案内はまったくない。飛不動まで車で来た林道を少しばかり引き返して、南に向かう林道に入る。林道を少し入ったところの看板には「一般車通行禁止」として「下戸沢牧野農業協同組合」の看板が立てられているが、ここにも「寒成山」の名前はない。じつは、国土地理院の地図にも「621.3m」の表記はあるが、寒成山という山名は記されていないのである。 林道入り口は舗装されていたが、すぐ車止めがあってその先は舗装されていない。杉林の中をうねって進む林道の陽当たりのよさそうなところに白のホタルブクロが群生していた。 林道の急なカーブを曲がると、上から原付バイクで降りてくる人がいた。挨拶をすると停まってくれたので、寒成山に行きたたいのだ話してみた。「寒成山、奥寒成山、どっち?」というのである。この地元の人は牧野に近い山を寒成山、その背後の山を奥寒成山と呼んでいるらしい。 地図を見せて話をすると、私が目指す寒成山は、その人の言う奥寒成山らしい。そこへ上る登山道が「あったような、なかったような」という感じで話されて、心細いことこの上ない。「道が見つからなかったら、諦めて戻ります」といって別れ、林道を歩き出すと、林道を横切って行くニホンザルの群れに出会った。杉林を行くサルにカメラを向けて数枚撮ったが、どれにも写っていなかった。偶然なのか意図的なのか、シャッターを押す瞬間には幹の陰になってしまっていた。Photo G1 右手に登山口。(2018/6/26 10:13)Photo G2 登山口。(2018/6/26 10:13) 「右に別れる林道には入るな」というバイクの人の注意に従って、二つの分岐を過ぎると、東西に伸びる寒成山の尾根裾を林道が割っているような地形のところに出る(Photo G1)。右手に細い登山道らしい踏み跡がある。1メートルほどの棒に赤い布が巻き付けてあったので、それまでの不安はほぼ解消されて、その踏み跡に入ったのである。Photo H 杉の木のてっぺんで繁茂するハンゲショウ。(2018/6/26 10:44)Photo I 杉林から雑木林に。(2018/6/26 10:19)Photo J 大石があちこちに。(2018/6/26 10:25) 登山道は文字通り東西にのびる尾根筋のその尾根を辿って行く。南面と北面は大きな崖のある急斜面なので登山道の選択肢はほとんどないのだろう。尾根筋とはいえ、けっこうな斜度の道が続く。 杉林の中に陽を浴びて輝いている木がある。一本の杉の木のてっぺん付近に葉を広げたハンゲショウである。杉の木が少し疎らになっていて比較的日が当たる場所と思われるのだが、下部の方にはハンゲショウの葉はほとんど見えない。その杉の木に当たる太陽光を独占するかのように繁茂するハンゲショウなのである。 杉林から雑木林に変わっても斜度は相変わらずである。高度を上げると少しずつ大石が散在するようになった。Photo K 傾斜が緩むあたり石祠が。(2018/6/26 10:56)Photo L また急坂が(ここで道を間違えた)。(2018/6/26 11:09) 一休みしたいと思いはじめたあたりで、傾斜が緩む。ちょっとした棚道なのだが、その道が始まるところに中には何もない小さな石祠があった。 ゆるい傾斜の山道を楽しんで歩いていると、頂上直下の急斜面にぶつかる。大岩が点在する急斜面に、はっきりを確認できる道は見えない。急斜面の手前から南の斜面をトラバースするような踏み跡らしきものが見えたので、そこに入った。 急斜面を行く踏み跡は滑りやすく、握れるほどの木の枝を手繰りながら進むが、しだいに踏み跡らしいものは薄れていく。それに地図によればこの先には断崖があるらしい。 諦めて引き返すことにした。滑る斜面に苦労しながら、それなりに急いで戻り、急斜度が始まる尾根筋を探して何とか登山道を見つけた。一か所だけ大岩が点在するあたりで道がわかりにくくなっていたのだが、とにかく尾根筋から離れてはいけなかったのである。たぶん、急斜面を忌避したい疲れた体と精神が、道を誤らせる原因だったのである。Photo M1 頂上。(2018/6/26 10:59)Photo M1 頂上の標識。(2018/6/26 11:02)Photo M1 七ヶ宿湖と霞む蔵王連山。(2018/6/26 11:00) 短い急斜面を登りきると、細長い頂上尾根の東端である。尾根を西に歩けば、621.3mの狭い頂上の空がぽっかりと口を開けている。 木製の頂上標もあったが、古びた板の文字はほぼ完全に消えていて、左上の隅に小さく「寒成山 621.3m」と彫り付けてあった。この山行で初めて見る「寒成山」の文字である。 尾根の西端にある頂上からは七ヶ宿湖が望める。また、不忘山を南端とする蔵王連山も見えるはずだが、霞んでいてかすかに不忘山らしき影が確認できる程度である。 道を間違えて浪費した時間を差し引けば、ほぼ1時間の登りである。休憩もそこそこに下り始めた。下りはほぼ30分で飛不動尊に着いた。 時間はたっぷりあるので、これからの登山候補の山、蛤山(981m)の登山口の確認に行くことにした。国道113号を西に進み、七ヶ宿湖を過ぎて白石川の支流、横川に架かる橋を渡って右折し、横川集落に向かう。 道脇に蛤山登山道の入り口の案内がすぐに見つかったが、周辺に車を止めるスペースはない。ガイドに青少年旅行村の駐車場を利用するような案内があったが、その通りらしい。 ここまでの道々、案内看板にあった横川渓谷に架かる「やまびこ吊り橋」を見に足を延ばした。強風のときは危険という案内があったが、渡っても少しも揺れないリジッドな吊り橋で、その高みから眺める横川の渓流は釣り好きにはいくぶん刺激的なのだった。 ついでなので長老湖にも行ってみた。不忘山から眺めた湖とは違って、木々や岬に遮られて全部が見えない湖はさほどの感興がなかった。長老湖は、火山活動でできた古「長老沼」を発電所用の貯水池として拡張したものだと、古びて消えかかっている看板に書かれていた。 七ヶ宿街道は、山形県の高畠町に続く「そば街道」という触れ込みなので、113号をさらに奥へ進み、湯原という集落にある蕎麦屋さんで昼食である。ソバのメニューは、「ざるそば」と「大ざるそば」の2品しかないなんとも潔い蕎麦屋さんだった。 国道113号の帰り道、大熊大橋に立ち寄り寒成山を遠望する写真を撮って、本日の山行の行程はすべて終了である。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.06.26
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私が山らしい山に最後に登ったのは、3年前の2015年5月18日の泉ヶ岳だった。その時のブログの出だしにこう書いていた。 一昨年の8月に仙台神室岳の仙人沢ルートを往復して以来の山歩きだ。神室岳から下山したとき、一緒に登ったイオの後肢が弱っていることに気付いて、本人の承諾を得たわけではないが、登山からは引退させた。13年間ずっと山歩きの相棒だったイオが山に行けなくなると、私もその気が失せてしまって、昨年は一度も登山はしなかった。 つまり、5年前の2013年6月24日の仙台神室岳が「13年間ずっと山歩きの相棒だったイオ」との最後の登山で、それから2年後、このままでは体力が減退するばかりだと思いなおして泉ヶ岳に上ったのだった。 しかし、イオのいない山登りはまったくつまらなかったし、山登りが無理になっても家で普通に暮らしていたイオを置いて私だけが山に行くことが後ろめたくて、ふたたび山に行くことをやめてしまったのである。 そのイオが今年の正月、2018年2月4日に老衰で生を終えた。それから4ヶ月が過ぎたころから、イオと一緒に上った山々の写真を見直し,整理することができるようになった。そして、思ったのだ。もうイオを家に残して山に行くことを気遣う必要はないのだ。私の日々の行動の理由にイオの存在を根拠とすることはもう一切ないのだ、と。 「また、山登りを始めたい」と妻に言うと、「イオ離れだね」という言葉が返ってきた。いくら何でも、そろそろイオの存在、イオの死から自立しなさいよ、という意味らしい。 山登りを再開すると思っても、そう容易には始められない。なによりも体力(足の筋力)が極端に衰えているだろう。それに当分のあいだは、イオの思い出が濃密に残る山は避けたい。 『宮城県の山』(山と渓谷社、2004年)というガイド本で、七ヶ宿町にある傾城森という標高440mの山を見つけた。福島県と山形県の県境に位置する七ヶ宿町そのものに私は足を踏み入れたことがない。そこに一番近い山といったら蔵王連山の最南端の不忘山(1705.3m)にイオと一緒に上ったことがあるだけだ。 七ヶ宿町近辺には、蛤山(1014m)、峠田岳(1081.7m)、龍ガ岳(994.2m)と、以前の私なら手ごろと思える山がいくつかあるのだが、無理をして最初から躓きたくはない。傾城森ならまったく問題ないだろう。往復で2時間ほどの歩きで済む。何よりも、ガイド本に「遊歩道が整備されおり」と書いてある。登山道ではなく、遊歩道なのである。少なくとも登山と呼ぶのが憚られるほどがちょうどよいだろうと考えた。Photo A 山伏森(左)と傾城森(右)。 (2018/6/12 14:04) ヘルパーさんが来る日の日中は、義母の介護の手伝いが免除される。ヘルパーさんが来る火曜日に決行することにした。ずっと雨の天気予報が出ていたが、短い時間なのでレインウエアで強行しようと考えていた。ところが、前日の夕方頃に予報が曇りに変わった。 東北道を白石ICで降り、国道4号を少し南下してから国道113号に入って七ヶ宿に向かう。この道は、小原温泉まで行ったことがあるだけだ。小原温泉入り口をあっという間に過ぎ、そこからの道のりは七ヶ宿町の奥深さを印象づけるに十分だった。 白石川に造られたダム湖、七ヶ宿湖から下は白石市、そこから山形県境までが七ヶ宿町になる。傾城森は七ヶ宿湖の最上流部を過ぎたあたりにある。上の写真は、さらに奥にある七ヶ宿の中心集落である「関」地区で昼食をとった後、集落のはずれで写したものである。 Photo B 逢瀬橋の向こうに山伏森。 (2018/6/12 10:08) 国道113号から傾城森は見えるのだが、遊歩道入り口へ入る道を見過ごして通り過ぎてしまった。白石川の支流に架かる横川橋を渡って100mほどで左に入るように地図には記載されていたが、実際の道はほとんど橋の西詰から始まっていた。 赤い吊り橋(逢瀬橋)が遊歩道の始まりである。橋の向こうに見えるのは山伏森で、傾城森はその陰になっている。逢瀬橋の前に傾城森の由来が書いてあった。そのまま書き写しておく。 横川と白石川の合流するこの地に女性の乳房を思わせる二つの岩山、北峰が「山伏森」(三九〇メートル)南峰を「傾城森」(四四六メートル)といい、総称して傾城森と呼んでいます。この二つの岩山には哀れな物語が伝えられています。「今からおよそ三百年前の話です。 冬のある日の夕暮れ時、修験者と気品のある尾錠がこの辺りにたどり着きました。男は仏道修行中の山伏、女は傾城の誉れ高い京都祇園の名妓。楼主に抱えられて自由のない芸妓と、厳しい掟に縛られた山伏との恋は世間に認められるはずもなく、二人は手を取って京都を逃げだし長旅の末この地にたどり着いたのです。 二人はさっそく草庵を結んで住み、人目を忍びながらも楽しい日々を送りました。 しかし、それもつかの間のこと。女は重い病気にかかってしまいました。修験者は、病気が回復するように一心に祈り、薬を求め一生懸命看病しました。そのかいあってか、女は少しずつ快方に向かいました。 ところが、所持金も乏しくなってきて、生活に困るようになったので、二人は将来を危ぶみ世を儚んで、山下の地獄渕に身を投じて死んでしまったのです。 一方京都からは、かつて名妓に仕えたことのある下女が、この二人を追いかけてきましたが、二人はすでに死んでしまっていたのでした。下女は、たいへん悲しみ、後を追って東方の山下(現在の下女森)で自らの命を絶ってしまったのでした。」 この二つの岩山は、江戸時代から旅の人への観光説明の材料となっていて、富田伊之著の『奥州紀行』安永六年(一七六九)にもこの物語の概要が記されています。 平成二十年十一月 七ヶ宿町教育委員会Photo C 林のなかの遊歩道。 (2018/6/12 10:14)Photo D 山伏森分岐。(2018/6/12 10:16)Photo E 山伏森中腹の鳥居。 (2018/6/12 10:21)Photo F 山伏森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:24)Photo G 山伏森山頂の祠。(2018/6/12 10:25) 歩くと少しばかり揺れる赤い吊り橋を渡ると、初めにコンクリート製の階段があり、その先は石だらけの道と階段道が林のなかに続いている。写真で見るように、低いが急峻な山容を反映して、ほとんどは階段状の勾配のきつい道になっている。 橋から7分ほどで「山伏森」分岐に着く。ガイド本には帰り足で山伏森によるように書かれていたが、先に山伏森に向かう。 階段道が続いて、息が切れることおびただしいが、中腹の鳥居を過ぎるとあっという間に頂上に着く。頂上の木々の間から七ヶ宿湖が望めるが、眺望はそれほどでもない。小さな祠が祀られていて、中に陶製のお稲荷様が納められていた。Photo H 傾城森の分岐。(2018/6/12 10:44)Photo I 傾城森頂上尾根。(2018/6/12 10:52)Photo J 傾城森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:49)Photo K 傾城森頂上から見る七ヶ宿関集落。(2018/6/12 10:49) 山伏森を分岐まで下り、傾城森に向かう。道は傾城森の西斜面を南まで迂回し、遊歩道入り口の反対側から頂上に上がる。傾城森への道が北に向かうあたりにダム公園に向かう分岐標があった。その分岐から5分で頂上に着く。 頂上は南北に伸びる尾根上になっていて南の部分からは東に七ヶ宿湖が望め、北端からは北西に七ヶ宿町の中心部である「関」の集落が一望できる。ここの頂上にも山伏森と同じような小さな祠が祀られていた。 階段道の上りで大いに息が切れたのだが、短時間だったのであっというまに息切れもおさまる。 下りはじめれば、何の造作もなく逢瀬橋に着く。10:05に逢瀬橋を渡り始め、帰りは11:16に逢瀬橋を渡り終えた。時間的には毎日の朝の散歩程度だが、標高差150mほどの階段道はそこそこ足にこたえた。Photo L 滑津大滝。(2018/6/12 12:27) 山歩きの計画は早々に終わってしまったが、昼食にはまだ早いので、国道113号をさらに奥の方へ行ってみることにした。 まず初めに、傾城森への入り口の直ぐ西で横川沿いに北の長老湖や蛤山登山口に向かう道を確認した。そこから関宿の集落を過ぎ、滑津大滝を見る。 滑津大滝からさらに113号を西進して峠田集落で七ヶ宿スキー場への入り口を確認した。七ヶ宿スキー場には、峠田岳への登山口がある。 龍ガ岳へはこの113号から稲子峠の道に入り、国道399号に出なければならない。稲子峠へ行く分岐を確認するために113号をさらに西に向かった。Photo M 山伏森(左)と傾城森(右)。(2018/6/12 14:00) 国道113号から分かれるいくつかの登山口への道を確認して、同じ道を引き返し、関宿の集落のなかの蕎麦屋さんで昼食をとった。いつもできるわけではないが、山登りの後に山麓の蕎麦屋さんで昼食とするのは、わたしのお気に入りのパターンである。 昼食を終えて、関宿を出かかるあたりで傾城森と山伏森がよく見えるところがあった。初めに見つけた場所からは、傾城森と山伏森の高さの関係がよくわかた。もう少し、113号を東に進むと二つの山塊の様子がはっきりと見える場所があった(Photo A)。Photo N 七ヶ宿湖と噴水。(2018/6/12 14:37) 国道113号を戻り、傾城森の横を過ぎ、七ヶ宿湖に沿って下っていくとダム湖のなかで噴水が上がっているのが見えた。ダムサイトに入って写真を撮ったが、これは決められた時間に噴き上がるらしく、偶然のタイミングで通りかかったということらしい。Photo O 材木岩。 (2018/6/12 15:00) 滑津大滝を見、ダム湖の噴水も見た。せっかくなので有名な材木岩を見ておこうとダムの下流で旧道に入った。この旧道からは材木岩に行く道ばかりではなく、寒成山(621.6m)の登山口である飛不動尊への道も分かれているので、その確認も兼ねていた。 材木岩は写真で見るばかりだったが、崩落した岩もまたみごとな角柱が多くて、材木という名称が「まるっきりそのまんま」なのだった。 あっという間に終わった傾城森歩きのおかげで、いくつかの山の登山口への道の確認もでき、いくつかの観光スポットにも立ち寄り、遊びとしては十分と思いなして帰途についた。 問題は、これから継続的に山行ができるかどうかである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.06.12
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【続き】Photo K 船形連峰の峰々。 (2015/5/18 10:13) 北泉ヶ岳に向かう道が下りはじめる直前から船形連峰がきれいに望める。すぐ手前の北泉ヶ岳の向こう、1番奥が船形山本山である。その左手前に三峰山、その左肩に蛇ヶ岳、左に大きな山容を見せているのが後白髪山だ。 どれも馴染みの山々で、雪がもっと少なくなったら登ってみたいのだが、それも体力があればの話である。Photo L 賽の河原(上にケルン積みの人が)。 (2015/5/18 10:27) いつもは上りに使う水神コースを、今日は下りに使う。頂上から下り始めて間もなく賽の河原というところで、見返平であって話をしたご老人がケルン用の石を抱えて運んでいた。そこには半分まで積み上がったケルンがある。 賽の河原まで下りながら、また少し話をうかがって、最後に写真を撮らせてもらった。ネットに公開する承諾をもらい忘れたので、遠くの後ろ姿の写真になった。 Photo M 立派に仕上がったケルン。 (2015/5/18 10:31)Photo N 賽の河原下部からの眺望。 (2015/5/18 10:31) Photo Mのケルンは、「写真に撮るならこれ!」とその人が案内してくれた完成したばかりのものだ。石を重ね、途中から赤いポールを立ててある。Photo Lに写っているケルンのポールは昨冬に折れてしまって、これから積み直しをするらしい。この石積みの目印は、賽の河原の下部まで10m置きくらいに建てられている。Photo O 小さな登山犬。 (2015/5/18 10:42) 賽の河原を過ぎて、大石の急斜面を下って行くと、プードルを連れて登ってくるご婦人と出会った。この犬の何倍もの高さの段差が続くような急斜面を登ってきたはずなのに、とても元気にはしゃいでいる。「ときどき抱っこしましたからね」と飼い主さんが笑う。 しばし、犬と山についての立ち話が弾んだ。私は、先代犬ホシの最初の登山での水やりの失敗話をした。犬は水の飲みだめがきかないので注意しなければ、という話を最後にお別れした。Photo P 水神の分岐(右:泉ヶ岳頂上へ、左:北泉ヶ岳へ)。 (2015/5/18 10:31) 急な下りが続く。筋肉の負担はぐっと減って息が上がることもないが、今度は膝の心配である。膝を軽く曲げた状態にして、なるべく筋肉で体を支えるようにして歩く。それに今日はストックを2本使って両手でも体を支えるようにしたので、けっこう楽に降りられる。 一挙に水神まで下るとだんだん登山客が多くなってくる。水神の石碑の後では1歳ほどの赤ちゃんを連れたご夫婦が休んでいる。Photo Q1,2 水神コースの道。 (2015/5/18 11:15、29) 水神を過ぎると、次々と登ってくる登山者に出会う。水神コースを上りに使う人が多いのだ。水神までは比較的緩やかな上りが続くので、その間にアドレナリンが出て体が登山用に順応するのである。 急坂もないので、膝の心配もなく歩ける。途中でストックを畳んでザックに立て、いつものスタイルで歩き出す。両手が自由になるこのスタイルが好きだ。初めてストックを使ったとき、疲れ方が変だと心配になったことがあった。両手が仕事をするので、いつもはあまり疲れない上半身も疲れたのだった。Photo R 水神コース入口。 (2015/5/18 11:40) 木漏れ日の山道、しかも軽い下り道を歩くのは楽しいが、楽しみはあっという間である。水神コース入口(出口)を出れば、しばらくは日射しの強いアスファルト道を歩かねばならない。 あまり快適ではないアスファルト道は、泉ヶ岳山麓にあるおいしい蕎麦屋さんの蕎麦だけを考えて歩いた。ちなみにその蕎麦屋さんで食べたのは月山の湧き水に3週間晒したという「寒ざらし蕎麦」のもりそば(1300円)である。この店は、2年前までは良く通っていたのだが、「寒ざらし蕎麦」というのは初めてである。まったく、言うことなしだった。少しばかり気が引けたので「持ち帰り蕎麦」をおみやげに買って帰った。 「泉ヶ岳山歩きMAP」(泉区役所発行のパンフレットから)。A~Rは写真撮影ポイント。
2015.05.18
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一昨年の8月に仙台神室岳の仙人沢ルートを往復して以来の山歩きだ。神室岳から下山したとき、一緒に登ったイオの後肢が弱っていることに気付いて、本人の承諾を得たわけではないが、登山からは引退させた。13年間ずっと山歩きの相棒だったイオが山に行けなくなると、私もその気が失せてしまって、昨年は一度も登山はしなかった。 私にしても、登山から引退する年齢に不足はないのだが、犬は人間の4倍の早さで年齢を重ねていくから、イオに歩調を合わせて老いていくことはできないのだ。それぞれはそれぞれの固有の時間を生きるしかない。私は私でもう少しじたばたしてみようと、やっと山に出かける気になったのである。 いつもより1時間早くイオとの朝散歩を終わらせ、イオの朝食を用意して、イオが私を気にしなくなってから家を出た。イオに追いかけられたら挫けてしまう気がして、ザックなどの山用具は前もって車に積んでおいた。 Photo A 滑降コースの入口。 (2015/5/18 7:21) 泉ヶ岳スキー場の前の大駐車場にはすでに二台駐車していて、登山道の方に歩いて行く人も見えた。車から出ると、小さな羽虫が群がってきて、防虫スプレーを準備していなかったことに気付いた。 イオが山に入るとダニが取り付くので、あらかじめノミ、ダニ用の滴下薬を定期的に使用した上で、山に入る直前には防虫スプレーを散布する必要があった。そのついでに人間用の防虫スプレーもしていたのだが、イオがいないせいで、虫対策は完全に抜けてしまっていた。 少年自然の家に向かうアスファルト道をできるだけゆっくり歩き出す。極力体力の消耗を減らしたい。今日の一つの目的は自分の体力の程度を知ることで、「ダメなら途中で帰ってくる」と妻に言い置いてきたが、本心はいくら時間がかかっても頂上まで行くことに決めていたのだ。 今日登る予定だった滑降コースの入口がなくなっている。少年自然の家の敷地内を通っていたのだが、案内表示がなくなっているばかりではなく、立ち入り禁止表示が出ている。場合によっては水神コースへの変更をやむをえないと、そのまま進むと、道脇に滑降コース入口の表示が現われた。少年自然の家の施設を迂回するように道を切り替えたらしい。Photo B ヤマツツジの道。 (2015/5/18 7:25) 雑木林の道は、ガイドなのか規制なのか分からないが、入口からしばらくの間は左右にトラロープが張られていた。細いトラロープに過ぎないのだが、山を歩く開放感がけっこう削がれてしまうのだった。 トラロープがなくなる頃からようやく道脇のヤマツツジを楽しめるようになった(登山道で見つけた花の写真は別のブログにまとめてある)。Photo C カラマツ林。 (2015/5/18 7:42) 小さな沢を渡り、斜面を上がるとカラマツの林である。雑木林と違って林内を見通すことができるので、気分がいい。Photo D しばらくは平坦な道。 (2015/5/18 8:05) 緩やかなカラマツ林の道が雑木林にかわり、短い急斜面を上がるとフラットな歩きやすい道になる。このあたりは、水神平からスキー場上部の兎平につづく台地状の地形のまんなか辺りに位置している。Photo E お別れ峠。 (2015/5/18 8:16) 歩きやすい道はお別れ峠という五叉路に出る。ここから水神コースやかもしかコースの途中へ行くことができるし、兎平にも行ける。この三つの登山コースはいったん同じ台地の西端、中央、東端を通るということである。 Photo F1(上) 目の前に泉ヶ岳の山容。(2013/5/18 8:31)Photo F2(下) 見返平から見る泉ヶ岳。(2013/5/18 9:43) お別れ峠から短い急斜面が始まる。このあたりから山を登ってるという実感が否応なく湧いてくる。短いとはいえ急な斜面で息が切れだした頃、フラットな道が現われ、目の前に泉ヶ岳の全容が開ける。 山頂まで行くには5つのコースがあるが、登山道から泉ヶ岳の山容を眺められるのは、ここから見返平までではないかと思う。私の好きな場所の一つだ。 そこからもう一段上がったところが見返平で、泉ヶ岳の山頂がもう少し近づくし、背後には仙台市西部の眺望が開ける。残念ながら、今日は晴天なのだが遠くは霞んでしまっている。 見返平の道標がある小さな広場で朝食とした。食事が終わって片付けているところに、一人のお年寄りが上がってきてなにやらメモを取っている。私よりだいぶ年上のように見えるが、息を切らしている様子がまったくない。 話をしたら、週2回は登っているという。「いや、頂上に行くわけではないんですよ」と言う。冬山登山のための目印のケルンの石積みに通っているのだという。「登山道の石を積むわけにはいかないので、ブッシュの中から担ぎ上げなければならないんでね」と笑って、先行して登って行った。Photo G1,2 ゴロタ石の急斜面。 (2015/5/18 9:11、16)Photo H1,2 大壁の上にも大石の急斜面。(2015/5/18 9:26、44) 標高550mほどの滑降コースの入口付近では満開だったヤマツツジが、920mの兎平ではまだほとんど蕾のままだった。 兎平からからは急斜面が続くので、花を眺めながらできるだけゆっくりと進もうと思ったのだが、それほど花は多くない。はじめに見つけたのはオオカメノキの終わりかけの白い花だった。 そこから少し上るとシロヤシオの花が咲いていた。標高が1000mを超えた付近からシロヤシオの木が目につくようになった。登山道入口付近では満開だったヤマツツジは、この高さではまだ蕾のままだった。 足元にはシラネアオイが咲いている。シラネアオイはもっと低いところにもたくさんあるはずで、私の庭のものはもうだいぶ前に咲き終わっている。 大壁に辿り着いた頃には、花を見る余裕はあまりなくなっている。大壁からさらにゴロタ石の急坂は続く。まったくスピードは上がらないが、そのぶん息切れも激しくならない。心肺機能に大きな負荷をかけられるほどの筋力が私の脚にはないのである。Photo I 「かもしかコース」との出会い。 (2015/5/18 9:52) 何とか急坂をクリアすれば、かもしかコースとの出会いだ。かもしかコースから登ってきた人が上を行く。多少の坂は残っているが、ここからは灌木も低くなって、頂上台地と呼んでもいいくらいだ。Photo J 泉ヶ岳山頂。 (2015/5/18 10:04) 頂上に着くが、誰もいない。見晴らしのいい頂上尾根の北端へ行ったのだろうと、私も頂上標を過ぎて北尾根に向かう。「泉ヶ岳山歩きMAP」(泉区役所発行のパンフレットから)。A~Rは写真撮影ポイント。【続く】
2015.05.18
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(続き) Photo G 「道がないよ!」 仙人沢の源頭。 (2013/6/24 7:46) 尾根道は次第に右手に尾根を持つ山腹の道になり、さらに沢に向かって降っていく。そこは仙人沢の源頭なのだが、沢の向こうに道が見えない(徒渉点5)。イオが困って後を振り向いている。 沢を7、8mほど下ると対岸に道が見える。じつは必要な場所には赤い(色褪せてピンクだが)布が木に括り付けられていて、見落とさなければ心配はないようだ。 Photo H この沢が登山路。(2013/6/24 7:53) 仙人沢の源頭を渡った後の道は、人の踏み跡が残らないような沢道だ。イオには道に見えないらしく、少し戸惑っているようだ。突然、支沢が分かれたりするが、ここでも赤い布が過不足なく目印となっていて迷うようなことはない。 ゴロタ石の沢道は歩きやすいわけではないが、このあたりにはまだショウジョウバカマが咲き残っていて目を楽しませてくれる。 左手に真っ黒な泥道の急斜面があらわれて4、5mを這い上がると、もうそこは背丈ほどの笹原のダンゴ平である。道脇には濃淡の紫のハクサンチドリがたくさん咲いている。 Photo I ダンゴ平出合いから見る前山、仙台神室岳。(2013/6/24 8:03) 道は三叉路となって、左手の山形神室岳と右手の仙台神室岳を結ぶ道に出合う。ずっと木下道を歩いてきたので、日射しが気持ちよい。東の方向には登山路がはっきりと刻まれた前山、その後にこれから登る仙台神室岳が逆光で黒い姿を覗かせている。 左:ハクサンシャクナゲ、右:マルバシモツケ。 1230mほどの前山の頂上も眺望がよいが、ここでは白い花を咲かせているハクサンシャクナゲに目が引かれる。近くの雁戸山にはピンクのアズマシャクナゲが咲いていたが、ここではピンクの花は見えない。隣の山形神室岳では咲いているシャクナゲを見ることができなかった。シャクナゲの木はたくさんあるが、どれにも花が着くというわけではないらしい。 Photo J 前山からの仙台神室岳。(2013/6/24 8:22) 前山から見る神室岳は、やはり逆光で黒々と聳えている。これから頂上直下の急坂に喘ぐのである。ここの急坂は粘土質の道で滑りやすい。足がかり、手がかりが少ないのだ。上りは這うように登れるが、下りが心配になる道だ。 左:ハクサンチドリ、右:コケモモとゴゼンタチバナ。 息を喘がせてのぼれば、そこにはマルバシモツケがたくさん咲いていたし、群生するゴゼンタチバナの中からコケモモが顔を覗かせていたりする。 Photo K 仙台神室岳頂上。(2013/6/24 8:49) 予定よりだいぶ遅れて、8時49分の頂上着である。登山口の案内看板には「仙人沢入口-ダンゴ平 150分」とあった。20分のロスを除いて、実際には140分を要した。ダンゴ平-頂上は45分ほどかかったことになる。 遠く南の雁戸山、熊野岳には雲がかかり始めている。太平洋側は曇り、日本海側は晴れである。笹谷峠に斎藤茂吉の歌碑があったが、この地にちなんだ歌が他にもある。 はかなかるわれの希ひの足れるがに笹谷峠のうへにゐたりき [1] うつせみの胸戸ひらくわがまえに蔵王は白く雁戸ははだら [2] 蔵王のぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ [3] 白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに [4] 蔵王山に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり [5] 頂上で遅い昼食である。イオはイオの、私は私の弁当を食べる。相変わらずイオは私の弁当の方が気になるらしいが、ほぼ完食する。雁戸山、山形神室岳から3回続けて完食というのはイオには珍しい。食欲があるのはいいことだ。ご褒美に甘いクッキーを少しやる。 食事をしていると夫婦連れ(たぶん)の登山者が頂上に着いた。女性が大きなザックを背負って先に到着し、その3分1ほどの荷物を背負って息をハァハァ言わせながら男性が5分ほど遅れ到着した。高速「笹谷IC」付近から歩いてきて仙人沢コースを登ってきたのだという。 少し離れて休んでいるお二人に挨拶して、9時30分過ぎに下山をはじめる。下りには不向きな悪路のことを考えれば、下山路に仙人沢コースを取るのは賢い選択ではない。 仙人沢コースを上り、山形神室岳-トンガリ山-ハマグリ山-笹谷峠と周回するコースを勧めている登山書もある。ただ、そのコースでは笹谷峠から仙人沢入口まで炎天の舗装路をイオが歩く羽目になりそうなのだ。犬は炎天のアスファルト道路に弱い。 舗装路をバイパスする山道が地図には記載されている。しかし、笹谷峠付近で数回探したのだが、未だにその道を発見できていないのだ。 とにかく、仙人沢コースを下るのである。頂上直下の急坂をそろそろと降り、ダンゴ平の下のゴロタ石の沢では転ばないように気をつける。つまり、時間さえ気にしなければたいしたことではないのである。 とはいえ、サワラ林の尾根からの急降下には苦労した。下りで登山者に出合う可能性が高いのでイオをリードから放せない。イオを4mの伸縮リードの範囲内でコントロールしなければならない。イオとすれば、4足で一気に駆け下りて行く方が遙かに楽なのである。 4mの範囲でイオに「待て」と言い、私がイオに近づくまで静止させておくのは意外に難しい。「待て」で待っているのだが、私が動き出すと自分も動いていいと判断するらしい。2度ほど4mを越えて宙づりになってから少し問題を理解したらしい。しかし、最後の岩の壁は途中で止まりようがない。イオを上に待たせておいてロープを伝って私が途中まで降り、イオが一気に駆け降りられるようにした。ところが、私の目測が間違って50cmほどリードが足りなくて、最後にもう1度、イオは宙づりになったのだった。 徒渉点4の仙人沢の上流200mほどの仙人大滝に行ってみることにする。ザックを置いて右岸の道を辿ると途中から沢の中を行くことになる。大きな倒木があって結構歩きにくい。 小さな沢の上に渇水で水量は少ないが、滝全体の構造は圧倒的である。写真には写っていない左右の岩壁は大きくハングオーバーしている。真下からはとても写真には収めきれないのである。かといって、離れれば狭い谷の両岸に隠れてしまう。 Photo L 渇水の仙人大滝。(2013/6/24 11:24) 3つの急斜面を無事に降り終え、仙人大滝も見た。あとはひたすら歩くだけである。下山路では何人かの登山者と出会うだろうと思っていたが、まったく出合わなかった。午前中に、仙人沢コースを登ったのは3人と1匹だけのようだ。 ゆっくり歩こうと心がけていたせいか、ほとんど疲れを感じない。年齢相応の歩き方というものがあるのだろう。そんなことを思いながら歩いていると、どうもイオの様子がおかしい。歩いている私の前に回っておやつをねだるのだが、後ずさりするとペタンと座り込んでしまう。後ろ肢に力が入らないらしい。 家に帰り着くと、イオは左の後ろ肢をほとんど動かさなくなった。家族みんなでああだこうだと心配したのだが、次の朝には、いつものように散歩に出かけ、いつものように普通に歩いていた。 イオの症状はひとまずはおさまったものの、次の山歩きが心配なのである。[1] 『斎藤茂吉句集』山口茂吉/柴生田稔/佐藤佐太郎編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 232。[2] 同上、p. 230。[3] 斎藤茂吉『歌集 赤光』(新潮文庫 平成12年)P. 210。[4] 同上、P. 109。[5] 同上、P. 55。
2013.06.24
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6月4日に雁戸山、6月10日に山形神室岳と同じ笹谷峠の駐車場から登った。ものはついで、次週はさらに隣の神室岳(仙台神室岳)に計画を立てていたが、天候に恵まれなかった。多少の雨なら登山できるとは思うのだが、退職後の今こそ良い条件だけで登ることにして、もう無理はしないのである。 1週間延期した今日は快晴である。いつもより早めに家を出た。今日の仙人沢ルートの出発点は旧笹谷街道の中腹で、駐車スペースが1台分しかないのだ。少し離れた場所にも駐車スペースがないわけではないが、どっちみち早く目が覚めるのでさっさと車に乗り込んだのだ。 さすがに今日の出発は早い。5時20分の歩き出しだ。仙人沢コースを往復する予定なので、連れ(イオ)の水場には困らない。それでも頂上近くの暑さ対策にイオ専用の氷水魔法瓶は用意してある。 Photo A 仙人沢。小滝の上流で左岸に渡る。 (2013/6/24 5:34) 沢沿いの斜面をトラバースする道は細かなアップダウンが続いてけっして歩きやすいわけではないが、ほとんど高度を稼がない。右手下方の沢音を聞きながら15分ほどで道は仙人沢を渡る(徒渉点1)。 歩き始めはいつも興奮状態のイオが、張り切って沢を渡るが、そこはその辺でたぶん1番深くて、途中から大慌てで対岸の大きな石に飛びついた。前肢で石にぶら下がり、腰から下は水の中。2mほど上流を渡ってイオを引き上げる。私は靴底をぬらすだけの渇水だというのに。水が嫌いなので、ちょっとの深みでパニクるのだ。 仙台神室岳Map。A~Lは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV7」、歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」 によるGPSトラックデータによる。(谷底、岸壁の下では誤差が大きい。) 沢沿いの林内には花が少なく、5枚の大きな掌状の葉で丈の高いヤグルマソウの白い穂咲きの花だけが目立っている。所々にミヤマカラマツも咲いているが見落としそうになる。 左:ヤグルマソウ、右:ミヤマカラマツ。 沢の左岸を10分ほど辿ると再び右岸に渡る(徒渉点2)。そこから4、5分で小さな滝が見えてくる。 Photo B 小さな滝。(2013/6/24 5:48) この小さな滝の上流で右岸に大きな支沢が合流する。トンガリ山付近から流れて来る支沢だ。2週間前トンガリ山付近の尾根から覗いたときにはこの沢には残雪がたっぷり残っていた。 Photo C 右岸からの支沢と仙人沢の間の斜面へ。(2013/6/24 5:51) 登山道は仙人沢とトンガリ山からの支沢に挟まれた斜面に続いている。合流点の下で左岸に渡り、ふたたび仙人沢の右岸に渡って登山道に取り付く(徒渉点3)。道はふたたび仙人沢の右岸をへずるように進む。道を塞ぐような倒木に10cmもある大きなナメクジがいて驚くが、イオはまったく気がつかない。犬は動きを見るので、ナメクジは石と一緒なのだ。 徒渉点3から15分ほどでまた仙人沢を左岸に渡る(徒渉点4)。ここから200mほど上流に仙人大滝があるという。下山時に体力に余裕があれば、大滝を見に行くことにして、通過する。 沢を渡ってすぐに斜面に取り付き、沢に平行に走る急峻な尾根に上がる。 Photo D サワラ(アスナロ?)林の尾根道。(2013/6/24 6:24) 尾根道はサワラの林である。私にはサワラとアスナロの判別はできないが、少なくともヒノキではない。 やや勾配はあるが、快適な木の根の階段道が続く。狭い尾根を進んで行くと「北蔵王縦走コース」という赤い標識があって、道は尾根から右手に離れて下っていく。ただ。今まで歩いて来た道はまっすぐ尾根を登って行くようにも見えるのだ。 たぶん、まっすぐに続く尾根道は登山道ではないと思いながら、これだけはっきりと道になっているのはこの先に面白いもの(こと)があるのでは、などと余計なことを考えた。行ってみることにした。6、7分登ると眼前に現れる大きな岩で道は途切れる。左右は切り立った崖で、けっして安全な道ではない。少し後悔して戻る。20分ほどの無駄である。 結局、尾根から離れる道は、迂回してふたたび上部の尾根道に取り付くためということがわかった。 Photo E 迂回路の最後。左の岩に取り付く。(2013/6/24 7:01) 先ほど行き止まりになった大岩の絶壁の下を通って東に進み、Uターンするように西へ進む。突然、道が消えている。少し慌てたが。左の岩にロープがぶら下がっていて、そこが道なのだった。ここからはふたたび尾根に上がるための急斜面である。 この急斜面をイオと繋がって登るには4mのリードは短いようだ。つまり、4mの範囲内に必ずしっかりした足場がないと危険なので、リードを外すことにする。さいわいとても早い入山だったので、まだ近くに人はいないと判断した。 Photo F 急斜面の上で心配顔のイオ。(2013/6/24 7:07) 10分もかからないで急斜面を上がれたが、恐るべき斜面である。下山するころには登山者も増えるだろうし、イオには十分な協力を頼むしかない。 両手を斜面に張り付けながら這うように登って行く私を、さっさと登って行ったイオが上から覗いている。私を心配していると思いたいのだが、さて本心はどんなやら、あきれてるのか、焦れてるのか、わからないのである。 落葉樹を巻き込んで根本が融合した2本のサワラ(アスナロ?)。 尾根道にはやはりたくさんのサワラの木があって、しかも下よりもずっと大木なのだ。2本のサワラの根が融合してしまって、間に挟まれた落葉樹(確証はないが、タカノツメという木に似ている)の根本が完全に埋まっている。上には3枚の複葉を持つ枝が普通に繁茂していて、抱え込まれた木も元気に生長しているように見える。(続く)
2013.06.24
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(その1からの続き) Photo F 二つの神室岳。(2013/6/10 7:36) 灌木の生えるトンガリ山の頂上を少し外れると見晴らしは良い。とくに、ここから見る神室岳は左右ともに切り立つ威容(異様?)を見せている。あの切り立つ斜面に登山道があるわけではないが、次回の登山予定が少し不安になるような形である。 Photo G 快適な尾根を行く。 (2013/6/10 7:37) 見晴らしの良い快適な尾根道が過ぎて、いよいよ頂上への登りに取り付く。少しずつ高度を上げていくと、道脇にはハクサンチドリやアカモノの花が現れる。この種の花を見つけると、「あぁ、山に登っているんだな」という実感がわいてくる。 左:アカモノ、中:ハクサンチドリ、下右:ミヤマオダマキ。 トンガリ山への登りよりは楽だが、やはり少しは喘いで、そして頂上である。頂上に着く直前に、念のためイオをリードに繋ぐ。先頭を登ってきたはずだが、他のコースからの登山者がいる可能性があるからだ。 Photo H 山形神室岳頂上。(2013/6/10 8:12) 頂上に着くと、予想通り誰もいない。さっそく記念(証拠)写真を撮る。この頂上も灌木が生えていて眺望は良くない。北側に刈払いの場所があって山形市を望むことができる程度である。 Photo I 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:25) ザックを置いて仙台神室岳へ行く道を辿ってみる。急な下り道をすこし進むと神室岳方向の眺望が開ける。ここから見る神室岳は普通に登山できそうな平凡な姿である。左手に大東岳が霞んでいて、手前には糸岳が見える。 真夏の真っ盛りに糸岳に登り、イオが暑さにすっかりやられてしまって、木陰を辿りながら休み休み下山したことがあった。それ以来、イオの暑さ対策には気を遣うようになった。イオの先代、ホシという犬は大東岳からの下り、渇きに耐えかねて谷川へ降りようとして滑落したことがあった。ホシはその事故以来、強度の高所恐怖症に悩まされたのだった。 今日は氷詰めの魔法瓶を用意してきたのだが、薄曇りで過ごしやすく、せっかくの冷水をイオはたいしてありがたがっているようではないのだった。 頂上で朝食弁当をとっていると、私と同年齢くらいのご夫婦の登山者が到着した。私が歩き始めたころ、登山の準備をしていたご夫婦である。先にご主人が到着し、10分ほどして奥さんがやってきた。 お二人と少しばかり犬と花の話をして、私とイオは先に下山を始める。 Photo J 下って行く尾根道の向こうに霞む雁戸山、蔵王連山。 (2013/6/4 9:05) これから登ってくる登山者と次々に擦れちがうだろうと予想されて、下りではイオをリードから放せない。たいがいの登山者はイオを見て話しかけてくる。犬が山を登ることに驚く人が多いが、小さな愛玩犬ならいざ知らず、ほとんどの犬は人間よりも能力的に優れている。筋力、心肺機能に比べてとても軽いのだ。人間は筋力もないのに無駄に重くて、しかもそれを2本の足だけで支えて歩くのだから、4肢駆動の犬にかなうわけがないのである。 途中、両手にストックで登ってきたお年寄りがいて、イオを見て驚いたらしい。道を譲ってくれながら、「びっくりした。シロクマだど思ったど。山にシロクマはいねんだげどな」というのだ。 長いこと山登りをしながら、熊を恐れていたのだろう。人間以外の山の動物はみんな熊に見えてしまうらしい。よりによって、シロクマなのである。 二人ずれのご婦人にも擦れちがった。私と同年配か少し上のようだった。この二人は、先ほどのご老人とは大違いで、遠くから「おっ、ワンちゃんだ」と叫び、擦れちがいながら「おぉ、めんこいごど」と言い、ワシャワシャとイオを撫でていくのだった。概して、山の女性は逞しい。 Photo K トンガリ山北面のガレ場 (2013/6/4 9:36) 下りの尾根道では足が速い。給水休憩だけで降りてきた。山形神室岳山頂発8時55分、駐車場着10時30分だった。
2013.06.10
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期待に満ちてハコ乗り状態。(2013/6/10 5:38) 6月4日の雁戸山登山と同じ笹谷峠の駐車場に向かう。笹谷峠から南へと歩いて雁戸山へ登ったが、今日は北に歩いて山形神室岳に登るのである。 山形自動車道を笹谷ICで降り、旧道で高度を稼いでいくと、どんどん深くなる山に連れ(イオ)の興奮もどんどん高まるようだ。完全にハコ乗り状態になっている。 山形神室岳Map。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ。 5時55分、薄曇りの駐車場を出発する。暑くなるという予報で、イオの体温調節のために今年初めての氷入り魔法瓶を持ってきたが、このまま、薄曇りが続いてくれれば助かる。 なにしろ、雁戸山コースと違って、今日のコースはほとんど尾根歩きで、イオが息をつける日陰はほとんどない。人間にとって快適な尾根歩きは、犬にはとくに素敵なわけではないのだ。 左:キンポウゲ、右:アズマギク。 歩き始めから急坂である。とにかく一気に尾根に登り、あとは尾根筋を辿る。登り口から満開のヤマツツジが次々と現れる。道の端、足下にはキンポウゲの光沢ある黄色が散らばっている。 Photo A アズマギクの咲く道。 (2013/6/10 6:29) 高度を少し稼ぐと、キンポウゲにアズマギクが混じってくる。急坂の高度に応じて、アズマギクの花がどんどん増えてくるようだ。この道は夏と秋に1度ずつ歩いたことがあり、夏のタカネナデシコが印象的だった記憶がある。 私のほとんどの経験では、たいていの場合、数本のアズマギクを見つけてありがたがっていたのだが、ここでは驚くほど無数のアズマギクが道ばたに連なっている。 左:タニウツギ、右:ツクバネウツギ。 急坂を登り終えると、これから歩く峰々が見通せるようになる。三角点のある1146.4m峰→ハマグリ山→トンガリ山→山形神室岳と辿って行く。体力に自信があった頃には、さらにその先、神室岳まで足を伸ばしたこともあるが、たぶん今の体力では限界ギリギリだろう。無理はしないで、山形神室岳から引き返すのだ。 Photo B 1146m峰から山形神室岳へのコース。 (2013/6/10 6:37) 案内書には1146.4m峰をハマグリ山と記しているものもあるが、1146.4m峰には三角点があるだけで、その先の小さな峰にハマグリ山の頂上標がある。また、神室岳を山形神室岳に対応させて「仙台神室岳」と呼び慣わしているようだ。 Photo C ハマグリ山、トンガリ山、山形神室岳が重なって。 (2013/6/10 6:58) 台地上の1146.4m峰の頂上付近は背丈より高い笹原で、特徴のない道ばたに三角点がある。笹原を抜けると、ハマグリ山の小さな峰が見える。1146.4m三角点から10分ちょっとでハマグリ山頂上に着く。 Photo D ハマグリ山頂上。 (2013/6/10 7:00) ハマグリ山頂上には枯れ木に手製の頂上標が括り付けられている。鉄板に「ハマグリ山/1.146M」とくり抜いた看板である。ハマグリ山の名の由来は知らないが、その下には本物のハマグリの貝殻をたくさん張り付けた板が置かれていた。 ハマグリ山からは規模は小さいがロープが用意された岩場などがある急坂を下る。フラットな鞍部を少し歩けば、長い登りである。トンガリ山の名の通りにここの登りはこのコースでは1番の難所であろう。 Photo E トンガリ山頂上。 (2013/6/10 7:31) コース1番の登りとは言え、ハマグリ山から30分でトンガリ山頂上に着く。ここはとくに見晴らしがよいわけではないので、イオの給水休憩だけで通過する。 上:ヤマツツジ。 下左:ガクウラジロヨウラク、下中:ムラサキヤシオ、 下右:ムラサキヤシオ?(葉にも紫が)。(その2に続く)
2013.06.10
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(続き) アズマシャクナゲ(遠くに蔵王連峰・熊野岳) 狭い尾根筋にはアズマシャクナゲ(色が濃いのでハクサンシャクナゲではないと思う)が美しいピンクを見せている。たくさん咲いているが、狭い尾根道なのでそばに寄れる木は少ない。足下にはイワカガミがまとまって咲いている。 しゃがみ込んでイワカガミの写真を撮ろうとしたら、イオが「なんだなんだ」とばかりに寄ってきて、しばらく調べるのだ。私が食い物でも見つけたと思ったのだろうか。 Photo F イワカガミを調べる。(2013/6/4 8:22) 何度かの上り下りの斜面は急で、助走を利用できないイオがジャンプしても上がれない大岩が2ヶ所ほどあって、前肢だけでぶら下がっているイオを押し上げたり、脇に抱えて這い上がったりして、ようやっと頂上である。 Photo G 雁戸山頂で記念のポーズ。 (2013/6/4 8:48) 頂上着が8時35分で、ここで朝食を取ると9時くらいになるので南雁戸山は諦めることにした。現時点では6時間くらいの山歩きが体力的に妥当だろうという判断である。 Photo H 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:37) Photo I 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:42) 雁戸山山頂は、実に眺望の良い場所である。南に蔵王連峰が望め、北には大東岳周辺の山々から船形連山(船形山から泉ヶ岳まで)が見通せる。写真に写っている峰々の名前を挙げてみると、それらの全てを登っているし、その目立つ峰の間の小さな山のいくつかも登っていることに気づく。 Photo J 登って来た(下って行く)尾根道。 (2013/6/4 9:12) 私もイオも朝食弁当を完食(私の弁当の肉の半分はイオの胃に収まったが)して、9時10分に降り始めた。 急坂の岩道をイオは軽快に飛び跳ねながら降ることができるのだが、人間はそうはいかない。両手を使い、そろりそろりと岩を降るしかない。4mのリードの限界を越えないように「待て!」を連発しながら降っていく。イオはそのノロさに明らかに不満そうだが、イオには登りで私に抱え上げてもらった恩義があるはずだ。遠慮なく待たせるのである。 Photo K 木の根道を戻る (2013/6/4 9:52) 尾根道が終り、東斜面の木の根道に入る。ここでもイオの足は速く、ときどき振り返っては、私を待っている。この木の根道は、体も神経もだいぶ消耗するようだ。 このあたりから何組かの登山者と行き会うようになったが、分岐から宮城コースに入るとまったく誰とも出会わない。ほとんどの人は私と同じように、山形コースを登るらしい。 分岐から宮城コースに入るとすぐ「有耶無耶関跡 雁戸山」と記した黒御影石の立派な道標がある。その少し先には遭難者の慰霊石碑もある。 そこから5,6分登ると古い避難小屋のある小さな草地の峰に出る。その草地に黄色い花が咲いていて、近寄ってみればタンポポなのであった。どんな種類のタンポポか分らないが、黄色のイングリッシュ・デージーといっても通用しそうな美しさなのである。 避難小屋からの下りのはじめは、やや滑りやすい粘土道で、2度ほど転んだ。いずれにしても緩やかな下りで、後半は歩きやすい快適な林の下道である。 林が開けて空が大きく広がるところで道はほぼ直角に左に折れる。地図に三角点が記されている場所だが、その三角点は細い木の丸棒に半分壊れた白い樹脂製らしいものがかぶせてあるだけだった。 三角点からの道はほぼフラットで、三つほどの空沢を渡ると八丁平に入る。道はいくつかに分かれたり出合ったりするが、「有耶無耶関」や「六地蔵」、「仙住寺跡」をめぐる散策路である。そのどれを辿っても駐車場への案内表示はしっかりとある。 八丁平の散策路ではヤマツツジとレンゲツツジが競うように咲いていた。笹谷峠まで登ってくる車中からは満開のタニウツギを見ることができたが、この八丁平のタニウツギはまだ蕾である。ドウダンツツジもまだ小さな蕾だけだった。 左:ムラサキヤシオ、中:レンゲツツジ、右:ヤマツツジ 6地蔵の内の4体ほどを眺めながら、駐車場に帰り着いたのは11時20分だった。
2013.06.04
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雁戸山(山形神室岳山頂から)。(2009/9/7 9:00) 雁戸山は蔵王連峰の北端の山塊である。健脚は、雁戸山、南雁戸山、名号峰、熊野岳、刈田岳と辿って行くらしいのだが、もちろん、私には無理である。仙台から東北自動車道に入って村田JCTから山形自動車道に入り、笹谷ICで降りる。そこから旧道を笹谷峠まで登り、高度を稼いでからの登山である。 雁戸山Map。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。 笹谷峠には大きな駐車場があって雁戸山や山形神室岳、仙台神室岳の登山口になっている。その駐車場の入口に斎藤茂吉の大きな歌碑がある。 ふた國の生きのたづきのあひかよふこの峠路を愛しむわれは 笹谷峠は昔日の交通の要所であったが最大の難所でもあった。特に冬の遭難者が多く、そのため仙台伊達藩によって笹谷峠付近に広がる八丁平に「仙住寺」が建立され、助小屋の役目を果たしたという。 八丁平には寺跡や六地蔵が残されていて、散策コースが網目状に広がっている。 雁戸山登山路は、この八丁平とそれに続く緩やかな長い道と最後の岩の急斜面からなっている。山形県側のコースを登って、宮城県側のコースを降って来る予定である。八丁平の高みに通信施設があって、そこに続く舗装道路から山小屋のところで右の登山道に入る。 Photo A 林の中の緩やかな登り路が続く。 (2013/6/4 6:52) 風の吹き抜ける具合によるのだろうか、2、3mの灌木の道から普通の林になり、また低い灌木林というふうに変化する。ムシカリの花がいたるところに咲いている。ときどき、アオダモの白い花が青空に映えていて美しい。 左:オオカメノキ(ムシカリ)。右:アオダモ。 いずれにしてもゆるやかな登り道だと安心していたら、目の前に大石だらけの急坂が現れた。気を引き締めて、足下を注意しながら登り始める。沢跡の道だと思いながらゆっくり辿っていくと、木が倒れていたりしてどんどん歩きにくくなる。 こんな悪路はなかったはずだし、登山人口から考えてこの悪路を放って置くはずがないと気づいた。道を間違えたに違いない。GARMINのGPSで位置確認をして地図と照らし合わせると微妙にずれている。地図の登山路がいつも正しいわけではないが、引き返すことにした。 先ほどの大石の急坂を下ってすぐ、左に折れる正しい登山路が現れた。まっすぐ登ってきて、目の前の急坂に気を取られてそのまま直進したのだ。その後の道は、やはり緩やかな登りである。 左:アズマギク、中:ミヤマカタバミ、右:ツバメオモト。 山形県の関沢からの登山路と出会うあたりも、快適な林の下道である。南に向かう道が少し左に曲って朝日に向かうように歩くと山形コースと宮城コースの出会い(分岐)に出る。登り始めからここまで1時間45分かかった。 念のため、7年前の秋に登った時の時間を調べたら1時間30分であった。緩やかな登りでは年齢の効果はそんなに現れないらしい。 Photo B 急斜面をトラバースする悪路。 (2013/6/4 7:47) 山形、宮城コースの出会いからの道は、急な東斜面を横切って進む。進行方向にはほとんどフラットと言えるが、傾斜している道を、横に生える木や根を越えながら歩くのはかなり消耗する。 連れ(イオ)にしても何度も何度もジャンプを繰り返さなければならないのだ。ときどき雁戸の峰が見通せるのが救いである。 Photo C わずかな残雪、イオの大好物。 (2013/6/4 7:51) 急斜面のトラバース道が終るころにわずかな残雪があった。イオはすかさず雪にかじりついている。犬は体温調節が人間のようにはいかないので難しい。しょっちゅう水を飲ませることと日陰で休めるように気を遣う。 ここで、だいぶ減ったイオの飲料ボトルにきれいな雪を掘り起こして満杯にしておく。もう少し暑くなれば、氷を詰めた魔法瓶の水を用意しなければならない。 残雪を跡にするとすぐ、「新山を経て山形市」という分岐に出る。そこから頂上までは、ほとんど急な上り下りの狭い尾根道である。 Photo D 狭く急な岩尾根を登る。 (2013/6/4 8:04) 雁戸山の名前の由来の1説に、大型の鋸である「ガンドウ」がその基だというのがある。遠目からは雁戸山、南雁戸山の双耳峰がそれに相当するのだろうが、実際に登ってみると雁戸山にいたる小さな峰々が鋸の歯の一つ一つに感じられて、より「ガンドウ」の実感が強い。 Photo E 眼下の山形市、遠くに月山と朝日連峰が霞む。 (2013/6/4 8:16) 鋸の歯の一つを登り終えて振り返ると、眼下に山形市が望める。右手遙かに月山が白く輝いているし、左手には朝日連峰が望める。(続く)
2013.06.04
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(続き) Photo G 左から蔵王連山、雁戸山、大東岳、南面白山、面白山の眺望。 (2013/5/18 9:09) 泉ヶ岳に登っての頂上での休憩はいつもここである。蔵王連山から舟形連山までの奥羽山地の山並みはもちろん、遠く飯豊連峰、朝日連峰までよく見える。 朝食は私もイオも弁当である。私は定番の生姜焼き弁当で、イオには鶏ガラの水煮から身や軟骨を選び出したものに少量のドライフードを加えてある。10日ほど前の戸神山山頂では自分の弁当を一口も食べなかったイオも今日は完食である。その上に、私の弁当の肉とゆで卵をねだって満足そうなのだ。 Photo H しっかりと休憩中のイオ。(2013/5/18 9:12) この頂上台地にはコブシの花が咲き残っていた。そういえば、水神コースの途中に、花がほとんど散ってしまっていたが、コブシの大木があった。あんなに大きいコブシの木はかなり珍しいのではないかと思う。 左:山麓のモミジイチゴの花。右:頂上台地のコブシの花。 コースの途中で何人かの登山者から「表コース」で熊が出たという話を聞いた。「犬がいて安心ですね」と話しかけてきた人もいたが、本当に安心かどうかはわからない。私はイオを熊よけだと思っているが、イオは私を熊よけと思っている可能性がないわけではないのだ。何しろ、見通しの悪い山道では私の前に出ようとはしない犬なのである。 Photo I 「かもしかコース」を下る。 (2013/5/18 9:52) かもしかコースを下ることにする。このコースは「岡沼」(たいていは涸れ沼)まではほとんど急な下りで、とくに「ひがら坂」と名付けられた付近は険しい。今日は土曜日とあって、この急坂を喘ぎながら登ってくる登山者が多い。登山者と出会うたびにイオは道ばたで「待て」姿勢で待機である。山道では「人間優先」で、イオは喜んで待っている。ご褒美おやつが待っているからである。 Photo J 「ひがら坂」付近の急坂。 (2013/5/18 10:02) じつは、登る先で誰かに待たれているというのは、場合によっては苦痛なことがある。急坂に喘ぎながらもなるべく早く通り過ぎなければ、と思うからだ。そう思いながらも、やはり犬のほうが待たねばならない。でも、とても上手な人がいて、私たちより先に「どうぞお先に」と言って、そこで一息入れるのだ。 急坂の終わりころ、下は5、6才から小学生、上は30歳前後の大人たちの30人ほどのグループが登ってくる。私とイオは、道を外れて大休憩となる。大人たちは「犬も登ってきたんだよ」などとイオをダシにして子供たちを励ましながら登っていく。 Photo K 岡沼手前の分岐。 (2013/5/18 8:35) 大集団をやり過ごして、少し下ると岡沼の上の分岐に着く。4,5人が休憩していた。ここで「犬は山ではあまりマーキングしませんよね」などと話しかけられ、少しばかりの犬談義となる。 ここからかもしかコースをはずれて、お別れ峠に向かうことにする。この道は、1度だけ歩いたことがある。かもしかコースを下って来たとき、前日の雨と雪解けで岡沼が満杯になっていて登山道が水に沈んでしまい、やむを得ず迂回路として利用したのだった。 このあたりは、泉ヶ岳スキー場のリフトを利用して「兔平」まで上がってしまえばアップダウンの少ない散策路として利用できる山道になっている。お別れ峠まで出て滑降コースを下る。登りで上半分、下りで下半分を利用することで、今日は滑降コースの全部を歩くことになる。 Photo L 快適な林の下道。 (2013/5/18 10:55) お別れ峠からは緩やかで快適な雑木や落葉松の林の道である。できるだけゆっくり歩く。お気に入りの山麓のおいしい蕎麦屋さんでそばを食べて帰るにはまだ少し時間が早いのである。 イカリソウ3種。 やや暗い感じの林にイカリソウが咲いている。よく見ると紫のやや濃いもの、薄いもの、真っ白なものが同じ場所に咲いている。もしかすると、紫から白の間で連続的な変異があるのかもしれない。 花といえば、頂上近くで可憐な白い花を見つけたのだが、何という花かよく分らない。とても小さな花だが、気品があってとてもよろしい。 何という名前の花か不明。 下山路は小さな沢に出るとほどなくおしまいである。駐車場で少しぐずぐずすると蕎麦屋さんにちょうど良い時間だ。そんなほどのよさで今日の山行は終るのである。
2013.05.18
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船形連山遠望(泉区根白石付近から)。(2010/5/18 6:15) 「泉ヶ岳山歩きMAP」(泉区役所発行のパンフレットから)。A~Lは写真撮影ポイント。 もちろん、徘徊コースなどというのがあるわけではない。徘徊するように山を歩くかもしれない私と連れのためのコースである。 発熱して3日寝込んで、私に唯一残されたパブリックな仕事で2日遠出をしてその夕方からまた2日発熱した。やっと直ったと思っていたら、連れ(イオ)が41℃の高熱を出して、行きつけの動物病院で点滴1本、注射2本を打ってもらい、3日間投薬を飲んで過ごした。犬は病院で治療、人間は市販薬でごろ寝ということである。 そんな後の山行で、家人からはずいぶんと反対されたのだが、慎重に様子を見ながら、万が一の場合はすぐに引き返せるコースを選ぶから、という言い訳をして家を出たのである。そのコースが、中腹以下を周回する(うろうろと徘徊する)コースのつもりだったのである。 Photo A 水神コースはじめの緩やかな登り。 (2010/5/18 7:03) 前半は緩やかな登りが続いていて、歩き始めにはやさしい水神コースに入る。道脇にはスミレがたくさん咲いているがタチツボスミレばっかりで、場所によっては群生している。他には、丈の低い木性のモミジイチゴの白花が目立つ程度である。 左:シラネアオイ。右:エンレイソウ。 しばらく歩いてやっと1輪のシラネアオイを見つけた(道なりで見かけたシラネアオイはこれっきりであった)。 ゆるい登りが終って「水神平」に出ると、そこから「滑降コース」中間の「お別れ峠」へ向かう分岐がある。そこから折れてお別れ峠に向かい、滑降コースを下れば、毎日の朝の散歩程度の山歩きとなる。家人には、そんなコースだよ、と言い置いてきた手前もあって、右折する。 Photo B 水神平の「お別れ峠への分岐」。 (2013/5/18 7:37) 分岐から明るい雑木林の斜面をトラバースするように7、8分歩くと、すぐにお別れ峠である。ここは5叉路になっていて、水神コースから来た道、滑降コースの上りと下り、スキー場上端(リフト)への道、カモシカコースの岡沼の上に出る道が合流している。 Photo C 「お別れ峠」。 (2013/5/18 7:45) さて、ここからが問題である。「病み上がり」(と家人は言う)の一人と一匹だが、いまのところ何の支障があるわけではない。口とは裏腹に心で決めていたとおり、左折して滑降コースを頂上に向かう。お別れ峠を出るとちょっとした急斜面が続くが、すぐに見通しの良い台地に出る。2段の台地になっていて、上の台地を「見返平」と呼んでいる。 Photo D 目の前に泉ヶ岳の全容が現れる。 (2013/5/18 7:56) この台地からは泉ヶ岳の全容が眺められて、私のお気に入り場所の一つだ。見返平からは文字通り南西の眺望が開けていて仙台市街から蔵王連山まで望める。ここで景色を楽しんでおかないと、後は頂上までの急登に喘ぐだけになる。 Photo E 大石だらけの急坂。この先にはさらに「大壁」の急坂が。 (2013/5/18 8:19) 見返平からは急登である。「病み上がり」の一人と一匹は、休み休み息を整えながらゆっくりと登る。犬は水の飲み貯めができないこと、汗腺がないため体温調節が人間のようにはできないことがあって、そのために水分補給には気を遣う。先代の犬(ホシという)の時、山行途中の水分補給が十分でなく、渇いたホシは水を求めて谷へ転落するという事故があった。そういう前科が私にはある。 Photo F 泉ヶ岳頂上到着。(2013/5/18 9:02) 「かもしかコース」合流点まで喘ぎ続けると、そこからは幾分緩やかになって10分ほどで頂上である。頂上はそのまま通り過ぎて、北泉ヶ岳方向に頂上台地を進み、船形連山から蔵王連山までの眺望が開ける場所で朝食休憩とする。(続く)
2013.05.18
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(続き) Photo G 戸神山頂上で。陽が出てイオは眩しそう。(2013/5/2 7:20) 頂上は東に開けていて、仙台市街から太平洋まで望める。朝日に海が輝いているが、逆光で仙台市街は判然としない。先週の木曜日に歩いた蕃山の尾根筋も見える(写真右手、一番上の山並み)。 Photo H 仙台市街の向こう、朝日に光る太平洋。(2013/5/2 7:22) ここで朝食である。定番の生姜焼き弁当である。私の好物で、しかも手軽に調理できるのでたいていはこの弁当である。イオにはドライフードとレトルトパック状のものを用意してきて、器に開けてかき混ぜて出したが、見向きもしない。しょうがないので、非常食用にいつもザックに入っているクッキーをやると、それは食べる。結局、クッキー数枚と、私の肉をいくつか食べてイオの朝食は終る。 この犬には肥満の心配をしたことがない。自分で調整しているのではないかと思えるほどなのである。むしろ。心配は食べないことなのだ。 あっという間に頂上で何となく物足りないが、朝食も終ったので下山することにする。もう1度、女戸神山の登り返し、「正式」の裏コースを歩くことにする。 女戸神山からは緩やかな下り尾根で、気分の良い雑木林である。 Photo I 快適な下り尾根。 (2013/5/2 8:03) 女戸神山の頂上から5分ほど下ると右手下方に伐採地が開けている。その伐採地の作業道が戸神山の南面を迂回する旧林道跡の道(裏コースの道)に出会う場所で下りはほぼ終る。そこからは旧林道のゆったりした道が続く。道の右手は急斜面、左手には所々地面の露出した崖が続く。 Photo J 北裏から見る戸神山の峰。 (2013/5/2 8:12) 裏コースからは戸神山を北方向から眺めることができる。戸神山をほぼ半周する裏コースは、旧林道跡なので道は広く歩きやすい。半周して、南に折れるとやがて表コースと合流する。この分岐点は、白い粘土層がむき出しの広場になっている。 Photo K 表コースと合流する広場が見える。 (2013/5/2 8:35) 分岐からは同じ道を戻るだけである。ゲート入口を6:00に出発し、表裏の分岐6:26、鞍部の分岐6:59、女戸神山山頂7:06、戸神山山頂7:20、裏コース旧林道分岐8:10、表裏の分岐8:36、そしてゲート到着は8:54だった。もう少し距離が長いように思っていたが、あっという間である。 ゲート前の車に辿り着いたとたんに雨がぱらぱらと落ちてきた。急いで車に乗ったが、時間が早いので帰路とは反対方向、秋保の馬場地区あたりで戸神山を眺められる場所があるのではないかと探しに走った。馬場地区の北裏の田んぼの中を走る農道から1ヶ所だけ戸神山が見えるところがあった。カメラを向けたが、南からなので女戸神山は隠れている。 南、秋保町馬場付近からの戸神山。 (2013/5/2 9:01)Map戸神山。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ による。
2013.05.02
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戸神山遠望(青葉区折立付近から)。(2010/5/8 5:19) 昨日はときどき小雨の1日だった。今日の予報は晴れのはずだが、何となく雲が多い。昨夜降ったらしい雨で地面はしっかりと濡れている。薮道だったら結構下半身は濡れるだろうと、レインウエアばかりでなくスパッツも用意して出かけた。 国道48号線を白沢から秋保への県道に入る。関山峠から下ってきて国道48号線に沿って流れる広瀬川と大東岳と神室岳の間から流れてくる名取川の間の丘陵に戸神山はある。広瀬川と名取川のちょうど中間くらいに登山口でもある白沢配水所へのゲートがある。 Photo A 白沢配水所へのゲート脇から入山。 (2013/5/2 5:58) それにしても寒い。5℃である。長袖のアンダーシャツ、ウールのボタンダウンシャツにウインドブレーカーでは心許ないが、まずは歩いて見ることにする。 連れのイオに防虫スプレーを振りかける。ものすごく不機嫌な顔で耐えている。月1度の滴下薬、その都度のスプレーは犬の山歩きには必須である。今年一番のフィラリアの薬は昨日飲んだ。 ゲート脇を通り抜けて舗装されたワインディングロードを登ると数分で白沢配水所の施設である。その右脇を回るように道があって古い林道跡の登山道が始まる。このあたりの地質は崩れやすい白い粘土層で、至る所に崩落跡、崖があって白い地肌を見せている。 Photo B 表コースと裏コースの分岐点の道標。 (2013/5/2 6:25) スパッツを付けて歩き出したのだが、道が広いのでほとんど濡れずに歩ける。むしろ道脇の立木から落ちてくる滴が多いので、立木に触れないように歩く。 歩き始めて20分ほどで、表(東)コースと裏(南)コースの分岐の広場に着く。結構、賑やかな道標が何本か立っている。いつものように、表コースから登り、裏コースを降りてくることにして、右の道に入る。右手に松林があったりするが、ほとんど松混じりの雑木林の快適な道である。 林越しに戸神山の双耳峰が見える。地図では、504mの戸神山しか名前が記されていないが、地元の案内道標では504mの男戸神山、470mの女戸神山となっていてわかりやすい。 Photo C 松混じり雑木林の向こうに戸神山の双耳峰。 (2013/5/2 6:30) 分岐から12、3分で休憩所がある。コの字に廃されたベンチ代わりの丸太は多少朽ちかけているが、立派な休憩所である。休憩所は雑木林と杉林のちょうど境目にあって、ここから杉林に入っていくのである。タチツボスミレ(上左)、ナガハシスミレ(上右)、エイザンスミレ(下左)、スミレサイシン(下右)。 雑木林ではタチツボスミレとナガハシスミレばっかりだったが、杉林にはエイザンスミレとスミレサイシンが咲いている。まだ若いが、あちこちでヒトリシズカが花穂をのぞかせているし。ヤブレガサもまとまって芽を出している。ほんの少しだったが、白花のイカリソウが蕾を持っていた。この白花イカリソウは日本海側に自生すると図鑑に紹介されているが、この辺では平地に近い方に紫花が多く、山が奥まると白花が普通に咲いていて、そんなに珍しいわけではない。 ユウシュンランをしばらくぶりで見た。山道を歩き始めてすぐの白い花を付けていた木イチゴの根元に咲いていた。若いころ、野生の蘭科の花が見たいだけの山歩きを熱心にしていたことがあって、そのころは特に珍しい花ではなかったが、最近はあまり目にしていない。小さな蘭で、その気になってみないとなかなか見えないのかも知れない。ユウシュンラン(上左)、ヤブレガサ(上右)、イカリソウ(白花)(下左)、ヒトリシズカ(下右) 杉林の中に「水場」がある。石の間からわずかに滴っている。斜面が少しきつくなるあたりから杉林が雑木林に変わる。下草のほとんどない、雑木もまばらな明るい開けた感じの斜面である。その斜面をまっすぐ双耳峰の中間の鞍部に上がる。 Photo D 男戸神山と女戸神山の鞍部へ。 (2013/5/2 6:57) この鞍部から左は戸神山への道、右は女戸神山への道である。案内道標には記されていないが、鞍部尾根をそのまま突っ切って越えるような道がある。人があまり利用しない道らしく微かな踏み跡の道だ。私はいつもこの道を利用して裏コースへ下っていたのである。 女戸神山には行ったことがないので、まずは右に道を取った。緩やかな尾根道を7、8分登れば女戸神山の頂上である。その頂上から西に下る道があって、案内標でそれが本当の裏コースだということを初めて知った。 Photo E 女戸神山の頂上。 (2013/5/2 7:05) 女戸神山の頂上からすぐに引き返し、戸神山に向かう。道々、イオがおやつをねだるので、ときどきはやろうと思うのだが、用意してきたおやつを食べようとはしない。小袋に分けられていて山歩きに便利だろうと、安いものを見つけることに夢中な妻が珍しく「ちょっと高いのよね」と文句を言いながらわざわざ買ってきてくれた「シニア犬用」のおやつである。それをやると口には入れるのだが、ペッと吐き出す。食わず嫌いのある犬なので、いったん食べさせてしまえばと思って強引に口に入れると、私から見えない方の口脇から吐き出す。 そんなやりとりをしながら下ってきて先ほどの分岐を過ぎるとすぐに急坂が始まる。「熊落ち坂」と呼ぶらしい。ここからは「おやつ」についてのやりとりはしない。 Photo F 戸神山頂上への急坂、「熊落ち坂」。(2013/5/2 7:11) 坂路脇にはずっとロープが張ってある。確かに急で息が切れるが、ものの10分ほどで頂上である。頂上について、「やった。やった。」とイオを褒めながらおやつを出したが、そんな勢いにごまかされることなく、やはり吐き出すのである。(続く)
2013.05.02
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(続き) Photo G 蕃山開山堂、倒壊した石灯籠と石碑。(2013/4/25 8:47) 展望所から「栗生経由国道48号(落合橋)」への分岐を過ぎて頂上へは3分もかからない。蕃山開山堂は、雲居禅師が開山である大梅寺の奥の院でもある。由来記によれば、雲居禅師は松島瑞巌寺の開山で、後にこの地で庵を結び、没後蕃山頂上に葬られた。墓石は建てられなかったが、伊達綱村(4代仙台藩主)によって墓の上にお堂が建てられ「常寂光塔」と名付けられたという。つまり、このお堂は、雲居禅師の墓でもあるということらしい。 お堂の前には、一対の石灯籠と寺の由来を刻んだ(らしい)古い石碑があるが、とも倒壊している。3・11大地震の爪痕がここにもある。 Photo H 蕃山頂上からの眺め、仙台市南部(太白区、若林区)の 向こうに太平洋。 (2013/4/25 8:47) 蕃山頂上は南東の1部の眺望が開けている。春霞で判然としないが、遠く太平洋まで眺められる。春はハイキングにはいい季節だが、遠望という点では秋や冬にはかなわない。低山の雑木林は冬がふさわしいかもしれない。吉野弘の詩の感じも強くするだろうし、見通しの良い林は山の地肌の直感的な把握に適している。「山は冬に歩け」とは、若いころ奥深い山里に住む人に教えられたことだ。山の地理を頭にたたき込む必要のある人の必須事項なのである。 左:センボンヤリ。右:フデリンドウ。 蕃山からその先、西風蕃山へ向かう、西風は「ならえ」という、などと偉そうなことは言えない。ずっと、「ならい」と思い込んでいたのだ。蕃山頂上から狭い尾根筋を辿っていくと小さなピークに送電鉄塔が立っていて、その近くの道標に「西風蕃山に至る 0.33K」という道標があって、そこに「ならえ」というふりがながあった。それで、今日初めて正しい呼び名を知ったのだ。 尾根筋には、カタクリ、ショウジョウバカマ、イワウチワなどが咲いていた。急斜面に咲いているショウジョウバカマとイワウチワをまとめて写したが、斜面に逆さになるような姿勢で写したせいか、まるっきりのピンぼけだった。 たった一つ見つけた小さいセンボンヤリがとても美しく思えるのも、花が少ないせいだろうか。フデリンドウも写真のものを一つ見ただけである。このフデリンドウは葉に黄色の斑が入っている。フデリンドウは2年草らしいので、斑入りの葉を持続するのは難しいだろう。多年草や宿根草のように栄養繁殖ができるのなら園芸品として珍重されるかもしれない。我が家の庭には、白覆輪の葉を持つチゴユリが生えている。30年以上も前に雑木林で見つけたものがずっと育っているのである。 Photo I 二つの電波塔の間に小さな西風蕃山頂上標。 (2013/4/25 9:16) 西風蕃山の頂上は、二つの大きな電波塔のあいだにひっそりとある。東の電波塔は建てたばかりらしく、周囲は裸地になっていて50cmくらいの苗木が1面に植えられていた。何の苗か全部見たわけではないが、少なくとも数本は桜も木のように見えた。 さて、西風蕃山から蛇台蕃山へ行きたいのだが、蛇台蕃山の名がある案内表示はない。西風蕃山の頂上にいるつもりなのだが「西風蕃山を経て栗生に至る」という表示板がある。もうひとつ「白滝不動尊に至る(戸内)」という表示があったので、その途中に蛇台蕃山があるのだろうと思って歩き出した。ところが、地図で見当を付けた蛇台蕃山の峰から逸れていく。Mapにみえるループ状の軌跡は、間違いに気付いて別の道を戻った跡である。なんとか、目で見える蛇台蕃山に向かうとおぼしき尾根道が見つかった。 尾根筋を辿っていくと道は急坂になって、そこが頂上だろうと張り切ったのだが、それは偽ピークで道はまだ続くのだった。どうも蛇台蕃山の名の由来は、西風蕃山からいくつかの小ピークをうねりながら連ねている山体にあるらしい。 頂上に着くと「蛇台山」の頂上標がある。これまでのほとんどの道標は仙台市が設置したものである。どうも、蛇台山は仙台市が考える「蕃山ハイキングコース」には含まれていないらしい。頂上には手製の矢印道標があって「黒滝不動 弥勒寺へ」とある。 Photo J 蛇台蕃山山頂。 (2012/9/7 9:31) 大梅寺口から蕃山まで1.86 km、蕃山から西風蕃山まで1.06 km、西風蕃山から蛇台蕃山までの距離表示はなかったが地図からはおおよそ400 mと推定できる。全体で3.3 km、1時間45分の行程だった。あとはひたすら引き返すのである。 Map蕃山 A~Jは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ。 [1] 『吉野弘詩集 幻・方法』(飯塚書店 1959年)p. 45。[2] 『日本の古典54 芭蕉句集』(小学館 昭和59年)p. 47。
2013.04.25
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権現森から眺める蕃山の山並み。 (2012/9/7 10:36) 山歩きにはとてもいい季節になった。なんとか今日になって今年初めての山入りである。じつは、昨日は仙台市立図書館へ行って本を借り、今日はのんびりと読書の予定、山歩きは金曜のはずだった。朝の散歩の途中、スマホで天気予報を確認したら、天気の崩れが早まって金曜の昼は雨という予報に変わっていた。予定変更である。慌てて自宅に引き返し、簡単に朝食をかき込み、助手席に連れのイオを乗せて出発した。 シーズンはじめは、体力確認が第1である。低い山、短い歩きから始めなければならない。年々、初めて歩く山の標高は低くなっていく。そうした準備のため、昨年は意識的に里山を歩いて、いくつかの候補を探してもいたのである。 加えて、相棒のイオは12才となって立派な老犬である。どれほど歩けるのか、こちらも慎重に調べて無理をさせないようにしなければならない。老老の連れの山歩きはなかなかに手続きが難しい。 さて、今年の初めての山は、近くの蕃山である。自宅から青葉山トンネルをくぐれば、すぐそこに蕃山がある。ずいぶん昔に1度歩いたことがあるが、ほとんど記憶がない。たぶん、シュンラン探しで歩いて何の収穫もなかったのだと思う。それに、以前は里山をわざわざ山歩きの対象と考えることはほとんどなかったということもある。 広瀬通からまっすぐ西へ、2階構造の仲の瀬橋の下の橋から青葉山トンネルをくぐって高速入口を過ぎ、すぐに「生出、川崎」方向に折れれば大梅寺である。大梅寺参道の途中から蕃山に入るコースである。 Photo A 「蕃山へ登る口」。 (2013/4/25 7:49) 古い石積みの階段を上がっていくと、「山道を登りながら、こう考えた」と始まる漱石の「草枕」の有名な冒頭の1節を刻んだ石碑が現われる。続いて「山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉」の石碑である。あまりにもふさわしすぎて、気恥ずかしいくらいである。 右手に「蕃山ハイキングコース入口 仙台市」の石標があらわれ、大梅寺の参道と分かれる(登山コースではなくてハイキングコースというのが今日の私たちには大切である)。杉林を少し登ると小さな十字路になっていて、右に大梅寺、左に墓地への道と交わっている。何となく、ここまでは寺域で、ここから本当のハイキングコースが始まるという雰囲気である。「蕃山へ登る口あり冬の寺」というぴったりの阿倍みどり女の句碑が建っている。 Photo B(左) 急な階段道。 (2013/4/25 7:49) Photo C(右) 明るい雑木林。 (2013/4/25 8:06) 道の真ん中に太いロープの手摺のある立派な階段道(Photo B)を登るのだが、イオが右に左に行くたびにザックに繋いであるリードを外さなければならないという面倒な道でもある。 急な階段を登りきれば、あとはゆったりした起伏の尾根道(Photo C)である。地図で見ても東西に長い山稜の東端から西端へ歩くようなコースになっている。 左:マキノスミレ。右:ナガハシスミレ。 山道を歩きながら春の花を探すのだが、思っていたよりはるかに少ない。ポツポツと小さなスミレがある。最初に見つけたのはマキノスミレ、つぎにナガハシスミレが現われた。じつのところ、スミレの種類はなかなか同定しにくい。写真に撮って、家に帰って図鑑を見て、それでも決められないこともある。まぁ、たぶん「マキノスミレ」と「ナガハシスミレ」だろう、という程度である。 ハイキングコースの石仏(地蔵菩薩)。 ハイキングコースには、所々に地蔵菩薩が安置されている。この道は蕃山頂上にある大梅寺の奥の院、開山堂への参道でもあるということだろう。なかには頭部のかけたものもあったが、5体の石仏を見かけた。これですべてかどうか分からないが、Mapにその位置を示してある。冬枯れのこずえに うっすらと緑が走り樹木がそのすべてを少しのためらいもなく春にゆだねようとしているのを見るとそのすばらしさに胸をうたれるそして気付く。ぼくらの季節があまりにも樹木の季節と違うことに。 吉野弘「名付けようのない季節」部分 [1] 葉がまだ萌えだしていない雑木林を透かしてみると、遠くに青葉山丘陵が見え、その尾根筋に宮城教育大学や東北大学の建物群が霞んでいる。このあたりになると、足下にカタクリの花が点在しはじめる。この時期の低山歩きでは、カタクリの群生を見るのは珍しくないので、なんとなくこの山の花の少なさが気になる。 Photo D(左) 岩の道。 (2013/4/25 8:26) Photo E(右) 電波反射板。 (2013/4/25 8:34) 道が少し急になると、岩の道である。切れ目のない大岩を剔って進む道である(Photo D)。岩道を過ぎて5分ほどのところに地蔵尊があって、その背後に、白い長方形の板状の建造物が見える。「建設省東北地方建設局」設置の「反射板」という説明があった(Photo E)。電波の反射板である。電波を反射させて通信用に使うというのは、電波の中継基地などと比べればなんとなく原始的な手法にも思えるが、途中で中継増幅されずに小さな反射板から反射された(つまり、極端に減衰した)電波を受信するのはそれなりに難しいことだろう、などと余計なことを考えながら、折立団地へ下る分岐を過ぎると南が開けた狭い展望所が現われる。 Photo F 展望所から南、太白山が見える。(2013/4/25 8:44) 展望所からは太白山とその山に広がる団地(人来田、ひより台、山田自由が丘など)が見える。太白山はどこから見ても三角形でよく目立つ印象的な山である。太白山以外の遠くの景色は春霞でぼんやりとしている。「すみれ草」の句も悪くはないが、こんな日は次のような句が似合っている。春なれや名もなき山の薄霞(うすがすみ) 松尾芭蕉 [2] (以下、続く)
2013.04.25
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仙台市大沢市民センター主催の「地域の自然再発見! ~大沢を取り巻く山の風景~」市民講座の3回目で最終回は、「黒森山国有林」である。 前の二カ所の里山と同様に「みやぎ里山整備クラブ」という麓の仙台市泉区館地区の住民が中心となっている市民団体が、名前の通りに主として放置林の整備をボランティアで行っている。 今日の講師は、「みやぎ里山整備クラブ」の笠原昭彦さんと五戸良明さんのお二人。参加者は受講生が12人、主催の市民センターから4人、「みやぎ里山整備クラブ」から講師以外に2人、二回目の蒲沢山の「里山ねっと赤坂」から2人というメンバーである。 集合場所の保育所建設予定地で、三回とも上天気に恵まれたことを歓びながら挨拶、受付を終え、軽い準備体操をして10:41に出発である。 Photo A 館一丁目と館二丁目の間の道を行く。 (2012/10/26 10:52) 途中、「八百ふじ泉ビレジ店」というスーパーで出発前のトイレを済ませる。館一丁目と館二丁目の境の道を山に向かう。ハナミズキの並木が紅葉していて、中にはほとんど葉が落ちて真っ赤な実がたくさん見える木もあって美しい。 Photo B 山に入ってすぐの短い急坂。 (2012/10/26 10:57) Photo C 珍しいソヨゴ(青冬)の葉。 (2012/10/26 10:59) 急坂を上り終えてすぐ、道を逸れて案内されて教えてもらったのがソヨゴ(青冬)の木であった。群生なのか株立ちなのか分からないが7,8本がまとまって生えている。初めて見る木である。常緑の木で、従来は福島県が北限とされていたらしい。そうであれば、この黒森山が新しい北限の地となるかも知れないという珍しい木なのだそうだ。 Photo D,E 手入れした檜林(左)と放置されたままの檜林。 (2012/10/26 11:07) 次のハイライトは、「みやぎ里山整備クラブ」が力を注いでいる森の整備の場所である。黒森山国有林は「保存林」ではなく「生産林」である。そのため、地図でも明らかなように林道が整備されている。主として檜が植林されているが、ある頃からほとんど放置されたままである。それを整備して身近で親しめる里山として再生しようというのが「みやぎ里山整備クラブ」の趣旨だろうと推察した。 手入れは、下草(とくにスズタケの藪)刈り、下枝払いに加えて間伐も行っているとのことだった。ちょうど道を挟んで手入れをした林と放置されたままの林が眺められる場所があって、その比較は一目瞭然として林の善し悪しがわかるのである。まもなく間伐材の引き上げ、運搬の講習会まで開くということだ。 Photo F 快適な秋の陽ざしの中を。 (2012/10/26 11:19) 最初の狭い山道はすぐに林道跡となり、歩きは快適である。開けた場所にでると、秋の陽ざしが快い。 ふたたび道を逸れて案内されたところは、下生えを手入れした雑木林である。「みやぎ里山整備クラブ」の自慢の場所で、「魅了の地」だという。かつて里山と里人とが深く関わり合って生きていた頃、こうであっただろうと思わせる美しい雑木林である。 Photo G 手入れが生みだした美しい林間、「魅了の地」。 (2012/10/26 11:30) この「魅了の地」の近くの林間には用具入れなどがしつらえてある広場があって、「みやぎ里山整備クラブ」の活動の拠点としているという。そこから、道のない林間を歩いて林道に戻る。林の中を自在に歩けるというのは本当に楽しいことだということが分かる。 今年は紅葉が遅いね、などと話ながら林道を15分ほど歩くと、右手がぱっと開けてゴルフ場である。林との境界にはイノシシ除けの電線が張られている「西仙台カントリークラブ」のゴルフ場だ。ゴルフという遊びを一切やらずに山歩きが好きな私にしてみれば、広い山林を潰すゴルフ場が恨めしいのである。 週日(金曜日)のせいか、プレーする人は一人も見えなかった。今も昔もやはり私には不似合いなぜいたくな遊びらしいのだ(帰り足で、遠くに一組見えた)。 Photo H 木漏れ日の中での昼食。 (2012/10/26 12:16) ゴルフ場を過ぎて10分ほどで昼食休憩、林道や林道脇の林で三々五々昼食である。透明な秋の空気の木漏れ日が美しい。これがブナ林だと木漏れ日に輝く樹肌がはっとするほど白く輝くことがあるが、ここはクヌギ、コナラときどきミズナラの雑木林で、落ち着いた色合いで光っている。 遅い紅葉も、さまざまに。 昼食後、少しだけ前に進み、開けた場所で終点である。この場所は以前は伐採木の集積場所でここから材木を運び出していたということだ。 開けた場所なので昼食休憩の候補地だったが、このような開けた場所の林辺にはスズメバチが営巣することが多いので林の中を昼食場所に決めたという。そういえば、子どもの頃に眺めていたのだが、大人が採る地バチの巣は畑と林の境界辺が多かったことを思い出した。 帰り道では、少し斜面を下って二,三週間前だという熊の糞の場所を教えてもらった。その後、新しいものはないのでこの付近にはいないだろうとのことだった。そのままの糞をそれとして見るの初めてだが、8年ほど前に大東岳の中腹くらいまで遊びに行ったとき、連れの犬が体中に熊の糞をまとってきて閉口しことがあった。犬というものは山中の獣として同化しようとするのかときどきそんなことをやるのだ。大東岳の北東面を流れる穴戸沢に、水の大嫌いな犬を引きずり込んで徹底的に洗う破目になったのだった。 Photo I(左) 刈り払いしたスズタケで落葉用箒を作って。 (2012/10/26 13:33) Photo J(右) 最後の歩き、まもなく出口。 (2012/10/26 13:50) 講師の笠原さんが、刈り取ったスズタケで箒を作って見せてくれた。濡れ落ち葉に最適だという。せっかく教えてもらったのだが、我が家にはその箒を使って掃くべき十分な庭がないのだった。 これで市民講座の里山歩きはおしまいだが、権現森以外の二つの里山、蒲沢山と黒森山は初めてで、遊べる山がまた増えた。この冬の散策の候補地である。森を出た所で。今度来るときの駐車場所を探していたら、講師の五戸さんに良い場所を教えてもらった。先日の蒲沢山の時は、やはり講師の松崎さんに駐車場所を教えてもらっていたので、ほぼ準備は完璧である。 楽しかった。 Map 黒森山。A~Jは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、歩行軌跡(往路のみ)は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。
2012.10.26
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蛇ヶ岳分岐から3分、10:05、蛇ヶ岳山頂である。この山頂は狭く、展望もさほどではない(三峰山方向は見える)ので、水を補給しただけで通過である。 Photo J 蛇が岳山頂。 (2012/10/8 10:05) 蛇ヶ岳を少し過ぎた付近から見ると船形山に東から雲がかかり始めている。厚い雲ではないので、心配はないだろう。 Photo K 蛇が岳からの船形山。山頂は雲の中。 (2012/10/8 10:09) 蛇ヶ岳山頂から升沢コース分岐までは笹で道が隠れてしまっている道が続く。今日は晴れているからよいが、雨が降っていたり、露が落ちている時には辛い道だ。 若いころ、泉ヶ岳-北泉ヶ岳-三峰山-升沢小屋泊-船形山-蛇ヶ岳-後白髪山-(後白髪コース)-定義と歩いたことがあったが、升沢小屋から定義まではずっと小雨だった。帰りを急ぐため、飯盒の飯を食べながらこの笹藪道を歩いたことがある。そのうえ、後白髪山に着いたら山頂一帯がぶすぶす煙っていた。雷か何かで火が出たのだろうが、雨が幸いしてくすぶっているだけだった。煙の多いあたりを足で踏みつぶしたものの、這い松が深い所はどうにもならないのでそのまま下りてきて、家に帰り着いてから県庁に連絡した記憶がある。 Photo L 笹の海に潜行するガイド犬。 (2012/10/8 10:11) 上の写真、リードの先、4mほど前の笹藪の下をイオが先導して歩いているのだ。まるで笹の海に潜行して進んで行く潜水艦なのである。リードに繋がった私はひたすらその後を付いていけば、間違いなく早足でも道を辿ることができて、大いに助かったのだ。 突然イオが魚のように空中に飛びだし、ふたたびさっと潜っていった。直径40cmほどの倒木が道に直角に倒れていたのである。リードの動きにさえ注意していれば、段差があることもよく分かって、歩きやすいことこのうえない。 ただし、向こうから来る登山者にはイオはまったく見えないので、驚かせないように早めに待避する必要があることだけは気を遣わざるをえない。 登山者に遇うと、「たいへんな道ですね」というのが挨拶代わりになるような道なのだった。 蛇ヶ岳頂上からほぼ1時間、必死に薮道を歩いて1428m峰近くの升沢コース分岐に着く。ここからも少しは薮道もあるが、歩きやすい道になる。ここから少しの上りを頑張れば、頂上台地の南端、いわば船の舳先に上がる。 ここの登り道で二人連れの青年に出会った。二人は口々に「おっ、ここまで登ってきたんだ」などとイオに話しかけながらすれ違ったのだが、5,6m下ったあたりで一人が滑って転んでしまった。イオはすかさず走って行って上から覗きこんでいる。二人は「いやぁ、覗かれてるよ」と笑いながら下っていった。どういう風の吹き回しか、今日のイオは少し人慣れしている感じである。 Photo M 船の舳先から艫(山頂)を望む。 (2012/10/8 11:34) 頂上台地に上がると急に植生は低くなる。尾根の真ん中を通る道と西の崖の際を通り道があって、少し危険だが際道を通っていく。中道を通っていた登山者がイオを見つけてわざわざ戻ってきて写真を撮っていった。 頂上近くでは上から下りてくる人に話しかけられ、なかなか前に進めない。イオがいるといつもこうなる。イヌ好きの人だったりすると、しばらくはイヌ談義になる。 Photo N 船形山頂での記念写真。 (2012/10/8 11:46) 頂上標の前での記念写真、お得意のポーズである。どういう心の変化かは分からないが、最近は以前のようにカメラを正面から見ないようになった。もしかすると、「めんどうくさい」とか思っているのかもしれない。11才になる経験豊かな「おばちゃん犬」らしいということか。 急いで記念写真を撮って、次のグループと交代である。 Photo O 船形山頂から北の眺望。 (2012/10/8 11:48) 朝食が遅かったので、ここではおやつタイムとして、私はキャラメル、イオはクッキーを食べる。 頂上には森林管理局の人が4人ほど待機していて、登山マナー向上のチラシを配っていた。その内の一人が、イオのダニ対策を聞きに来た。先日、犬を連れて山に入ったら、ダニがたくさん付いたというのである。 月1回の滴下薬に加えて、歩き出し直前に必ず噴霧式の防虫剤を使っていることを話した。メモを取りながら熱心に聞いていたが、残念ながら私は薬の名前を覚えていなくて、ペットショップにあるだろうということで納得してもらった。 頂上を出発して下山しようという段になったら、イオが抵抗する。頂上南斜面にある山小屋の方に行きたいということらしい。小屋の南側に行って少しぶらぶらしたら満足したらしい。 この小屋の南側の陽だまりで、イオと食事したことがある。北から強い風の吹く日だったので、歩きまわることなく一匹と一人はけっこう寄り添って親密な時間を過ごしたのである。その場所を確認したかったのかもしれない。 帰りは崖の端道ではなく尾根の中道を通る。升沢コース分岐まで来ると、イオはそちらに行きたいという。蛇ヶ岳方向の薮道をまた歩くというのは嫌だということらしい。 升沢コースの道をイオは二回ほど歩いている。イヌは一度歩いた道をよく覚えているのだ。そうは言うものの、イオの希望には添えない。イオは少しの間、私の目をじっと見つめて、そしてあきらめた。 しばらく薮道の「潜水歩行」をしていたら、夫婦連れの登山者が前方に見えてきた。頂上直下で少し長い立ち話の挨拶をした人たちである。 Photo P ごちそうさま! (2012/10/8 13:12) 13:03、蛇ヶ岳頂上。13:09、蛇ヶ岳草原コース分岐。この分岐で先ほどのご夫婦が昼食休憩をしていた。また、しばらくイヌ談義である。「甘いもの、大丈夫ですか」とご主人が気にしながらケーキを差し出したが、イオは食べようとしない。私がその一部を小さくして差し出して食べさせると、その後はご主人の手から食べ始めた。 いつものことで、初めての食べ物はなかなか食べないし、大きいものも苦手だ。小さくした食べ物をちびちび食べるのである。飼い主がケチで大きなエサをやったことがない、というわけではけっしてない。 そんな話をして別れた。二人は、蛇ヶ岳草原コースを下って大滝キャンプ場まで戻るということだ。 13:25、三峰山・後白髪山分岐。14:11、後白髪山頂到着。ここで遅い昼食とする。私はおにぎり1個とキャラメル。イオはクッキー2枚。おにぎりがボロボロ崩れて食べにくい。今日は朝食を弁当、昼食をおにぎりとしたのだが、いつもおにぎりを固く握ってしまうので、少し加減しようと思ったのが徒になった。 Photo E(左) 朝の仙台市街と輝く太平洋。 (2012/10/8 8:36) Photo Q(右) 午後の仙台市街。左端は泉ヶ岳。 (2012/10/8 14:40) 後白髪山頂から仙台市街が望める。午後の日を浴びてビル群が光っている。頂上に着いたとき、この景色の写真を撮ろうと思っていたのだが、すっかり忘れて出発してしまった。 14:32、後白髪コース・横川コース分岐。14:38、1334mサブピーク到着。ここで仙台市街の眺望を写す。朝は、仙台平野の前に広がる太平洋が朝日を反射して輝いていた。そのため、仙台市街は暗く見えてはっきりしなかったが、午後は私の背後からの太陽がビル群をはっきりと浮き上がらせている。 後白髪山から仙台市街が一望できるように、仙台市街から船形連山を眺めると、泉ヶ岳、三峰山も見えるが、あたかも後白髪山が主峰のように見えるのである。主峰の船形山は隠れてしまってほとんど見えないのである。 サブピークを出発してあとは一気に下るだけ、といいたいところだが、実際は膝の負担を軽減するためにだいぶ慎重に、つまりそろそろと歩くのだ。 15:19、登山口到着。休憩込みながら8時間半の山歩きである。今は平気だが、この影響は明日、それとも明後日に出てくるのか。Map 船形山。A~Qは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSxによるGPSトラックデータによる。
2012.10.08
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横川林道登山口から後白髪山、蛇ヶ岳を経て船形山へ往復の山歩きである。じつは後白髪山から三峰山まで往復するというのが当初の予定で、体力の消耗の具合に相談してあわよくば船形まで行こうと考えていたのだが。 すばらしい快晴だ。週間天気予報で、今日しかないと判断して計画したので当然なのだが。 イオも私も人出が苦手なので、退職してからの山行・水行は週日と決めていたが、車中で今日は祝日の月曜日だということに気がついた。祝日なんてまったく念頭になかった。明日の火曜日は、妻と美術館に行く約束をしていたが、これも振替休日でたぶん休館だ。 国道48号線を熊ヶ根で右折、大倉ダム、定義を過ぎて横川林道に入る。林道入口に「通行禁止」の看板があるが、要するに一般車両の通行のために林道保全をしているわけではないので、許可なく通行する場合には安全に責任は持てない(自己責任で通行しなさい)、ということらしい。心のなかで「はい、そうします」と返事をして林道に入る。 この林道は長い。大滝キャンプ場からの船形山登山コースは一番楽なコースだが、キャンプ場までの林道も嫌になるくらい長い。悪路で曲がりくねった林道は神経を使うので、長いのは疲れる。 初めてこの林道を走ったときは、後白髪山の西面へ向かう林道から別れた後の道は藪のせり出しでやや不安な走行だったが、今回は完全に刈り払いされていて問題がない。 Photo A 行ってもいい? (2012/10/8 6:43) 4,5台くらい駐車できる登山口には1台も先客はいない。ゆっくりと身支度をして出発である。身支度の間、イオの朝1番のウンチを監視していたのだが、まったくその気配がない。 登山口標の前で記念写真を撮って、出発である。イオは大張り切りで、少し興奮気味である。誰もいないので、少しの間はリードなしで歩かせる。 リードを外すと、すぐにウンチである。背負ったばかりのザックを下ろし、回収セットを出して、ウンチを始末する。ザックを背負う前に済ませばいいものをと思うのだが、こればっかりは。 Photo B(左) ブナの原生林の急坂。 (2012/10/8 6:54) Photo C(右) 急坂だが歩きやすい。 (2012/10/8 7:13) 道は比較的急なブナ林のなかの斜面で、今日のコースは最初の1時間くらいが勝負である。そこを過ぎれば、距離は長いもののきついところはほとんどない(はずだ、体力低下が問題にならなければ)。 歩き出しから1時間ちょっとでブナ林が急に低くなって、斜面が緩やかになったと思ったら、後白髪山の頂上台地の南端、1334mのサブピークに到着する。ザックを下ろして休憩。イオは家を出てからここまで1滴の水を飲んでいないことに気づいて、あわてて水をやる。たいていの場合、山麓の歩き出し近くには沢があって、イオは自給しているのだが、今回はまったく水場がなかった。 Photo D サブピークから後白髪山山頂(左)と三峰山(右) (2012/10/8 8:03) サブピークからの道の周りにはオヤマリンドウが途切れることなく咲いている。他に花がほとんどないので、リンドウばかりが目につくのである。サブピークから後白髪コース分岐までの間は、「リンドウ道」と名付けたいほどである。 後白髪山尾根道のオヤマリンドウ。 後白髪コース分岐付近は、いつものことだが、水はけの悪い泥濘道が続く。イオは、道脇の渇いた部分をさっさと歩いて行くので、下に注意しながら後を付いていくと張り出した木の枝に頭をぶち当ててしまう。 ところで、(プロアトラスでも国土地理院のでも)地図では後白髪コースと横川コースの出会いは1334mのサブピークの南になっているが、実際の分岐と分岐標はサブピークから北へ(後白髪山方向へ)10分ほど行ったところにある。少なくとも私は、1334mピークに近くで出会う道を見つけられなかった。 Photo F(左) 後白髪山山頂 (2012/10/8 8:41) Photo G(右) それ肉でしょ? (2012/10/8 8:50) 8:40、後白髪山頂到着。ここで朝食とする。イオの弁当を先に用意して、次に私の朝食にかかる。イオはさっさと自分の朝食を済ませ、私の膝に頭をのっけそうな近さで、私の弁当を覗き込みにかかる。無言でじっと見つめ続ける。これには勝てない。どうせこうなると分かっているので、いつも私好みよりはずっと薄い味付けをすることになる。Photo H 左から船形山、蛇ヶ岳、三峰山(後白髪山から)。 (2012/10/8 9:04) 9:03、後白髪山出発。歩いて行く道の向こう、左に船形山、右に三峰山、その真ん中に蛇ヶ岳という山塊が広がっている。これから二つのサブピークを越えて三峰山分岐へ向かう。サブピークを越えると行っても緩やかなアップダウンである。二つめの1350m峰は「宝森」という名だということを、この春に教えてもらった。「宝」は「たんがら」に由来するのだという。 次第に道は3,4mの灌木の中となって見通しはなくなるが、しっかりした岩と木の根の道で、細かな変化があって楽しい。後白髪山から40分ほどで船形山・三峰山分岐に着く。T字路を左、船形山に向かうことにする。たぶん体力は持つだろう、という判断である。 分岐からの道は、次第に笹が道にはみだすようになる。そういえば、横川コース登山口から後白髪山を経て三峰山分岐まではしっかりと刈り払いされた道だった。 Photo I 蛇が岳への登り道か振り返る後白髪山の紅葉。 (2012/10/8 9:58) 蛇ヶ岳への登り道から振り返ると、紅葉する後白髪山の山容が見える。三峰山分岐から17,8分で蛇ヶ岳草原コース分岐である。升沢コースや大滝キャンプ場からのコースでは蛇ヶ岳草原コースを周回することが多い。草原コースは、花の季節には楽しい道である。
2012.10.08
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仙台市大沢市民センター主催の「地域の自然再発見! ~大沢を取り巻く山の風景~」市民講座の2回目は、「蒲沢山」である。 権現森の場合と同様に、この里山は「里山ねっと赤坂」という赤坂地区住民の有志の市民団体が「林道を整備したり標識を作るなどの活動」をしているところで、本日の講師を担当していただくのである。 「赤坂集会所」に集合、受付、班編成などの後に、そこに車を置いて、まず「1号公園」まで赤坂の住宅地を歩く。この団地の北面の道沿いは桜並木になっていて、そこから泉ヶ岳、北泉ヶ岳が望める。 まもなく1号公園というところで、車のリーフにGARMIN・GPSmapを載せたままで忘れてきたことに気づいた。最初のGPS信号検出に多少の時間がかかるために、いつもの山歩きでの習慣なのである。それが、「はい、出発しますよ!」という合図で皆に合わせて歩くことに気を取られて、すっかり忘れてしまったのだ。一人歩きばっかりやっているので、こういう失敗をする。 急いで戻って、公園までの道は車を使って追いついた。公園で出発前のトイレタイムを取る予定だったことで助けられたのである。 赤坂団地の西端から蒲沢山国有林に入る。林に入ってすぐ「あそ歩」と書かれた大きな板看板が木にかけられていて、子供たちを対象にした遊歩道や森林の整備が図られていることが分かる。また、その周辺の林は団地内の川前小学校の学校林になっているとのことだった。 Photo A 「里山ねっと赤坂」が建てたツリーハウス。 (2012/10/5 10:15) 林の中を5,6分歩くとツリーハースが見えてくる。建設ほやほやで、つい最近、完成記念の集まりを持ったということだ。 参加者は2班に分かれ、私たちの班の講師は、蒲沢山に植生する草木に関する部厚い図鑑を一人で作ったという森啓祐さんである。歩き始めてすぐ、まず最初に、「オクモミジハグマ」と「キッコウハグマ」と「オヤリハグマ」の区別を教えていただいた。つぎに、タムラソウの花とその見分け方を。私には、ずっとアザミとの違いがよく分からなかった花である。現場で現物を教えてもらうというのは、じつに効率的である(忘れなければ、という条件付きだが)。 また、「ギンリョウソウ」によく似た「シャクジョウソウ」の枯れ残った姿を教えてもらった。季節は違うので、ギンリョウソウもシャクジョウソウも花を見ることはできないので、森さんが作った図鑑の写真を見せていただいた。 シャクジョウソウはギンリョウソウとそっくりであるが、ギンリョウソウほど透明感はなくやや黄色みを帯びているということだった。シャクジョウソウはまったく知らなかった。たぶん、ギンリョウソウと区別しないで眺めていたのだろう。来年の山歩きの一つのテーマとして楽しめそうだ。 Photo B 遊歩道の切れ目から見える笹倉山を含む北方の山なみ。 (2012/10/5 10:53) 道は低い稜線の尾根を辿っていく。突然、部分的に林が切れて北の眺望が開ける。ここのあたりからは七ツ森は見えないだろうと思い込んでいたのだが、写真中央右手の山は笹倉山だった。右手の中腹が切れ落ちてコブが出ているところが「眺子ノ石展望台」があるところだと気づく。 Photo C 見晴台からの南の眺望。 (2012/10/5 10:58) そこから1分足らずで「見晴台」に着く。尾根に建てられた送電線鉄塔の周囲が刈り払われていて格好の展望台になっている。送電線に沿って北と南に眺望が開けている。写真は南側の眺望で、雲がなければ蔵王連峰(左端に不忘山、右端に雁戸山)がすっぽりと嵌って見えるのだそうである。今日は雲のせいで不忘山の山裾のゆったりした斜面がかすかに見えるだけである。 北の眺望は、Photo Bのさらに東の部分で、天気のいい日には北上山地から牡鹿半島まで見えるとのことだった。 全体に緩やかでよく整備された林道が続くが、樺沢三角点を過ぎたあたりからやや傾斜がきつくなる。右手の麓の方に小さな民間飛行場が見えてくる。頂上台地らしいところまで上がると、右は林。左はススキの草原となる。日当たりのよい道脇の草地にはワレモコウや野菊がたくさん咲いている。この野菊も大問題である。野菊として括ってしまっているが、明らかに何種類もあるのだ。「ノコンギク」と「ユウガギク」を教えてもらったが、これはまったく自信がない。 Photo D 目的地の三叉路。 (2012/10/5 12:26) 左のススキの草原の向こうの丘に牧草地が見え、さらにそのはるか遠くに奥州山地(中心は蔵王連峰)の眺望が広がる道を少し行くと、今日の目的地の三叉路に出る。蒲沢山の頂上はここから少し北東の所に位置していて、三角点はないとのことだった。三叉路はちょっとした広場になっていて、ここで三々五々散らばって昼食である。 講師の森さんの傍で昼食弁当を開いたが、そこでも図鑑を開いていろいろ教えていただいた。なかでも、モリアオガエルが産卵する沼がこの山中にあること、水苔が群生する湿地があることなど、とても興味深かった。低い里山も丁寧に探索すれば、豊かな生態が観察されるということだろう。ただ、前の権現森もこの蒲沢山も国有林で開発の手が入っていないということが重要な条件にはなっていると思うが。 左:タムラソウ。右:ワレモコウ。 12時30分までの昼食休憩が終わり、同じ道を引き返すことになる。帰り道では講師の先生が交代して、今度はキノコのプロの松崎良太さんという方である。始めにキノコの各パーツの呼び方から始まり、見分け方の基本などの話で、学術的というか体系的なのである。 今年はこの時期でも秋キノコが出ていなくて、まだまだ夏キノコが生えているという。これは近年の傾向で、秋キノコの出る時期が少しずつ遅れていて、地球温暖化の影響ではないか、という。たしかにキノコは環境にきわめて敏感で、ちょっとした天候の変化で豊作だったり不作だったりするほど変化が激しい。もしかしたら、他の草木よりも地球温暖化の影響を敏感に反応している可能性もあるだろう。 そして、「キノコを食べるときは自己責任」でと話され、つまり毒性についての判断は慎重にかつ自分の責任で、ということである。また、最近の東電福島第1原発事故によるキノコの放射性物質による汚染についても触れられた。放射能汚染したキノコまで「自己責任」でよいのかは、放射線被曝の影響をどれほど知識として持っているかによるので、簡単な話ではない。 私は山歩きの一つとして茸狩りが大好きだが、一方で、大学院修士課程まで原子力工学を専攻した人間として、昨年から茸狩りはやっていない。自分の責任で放射能汚染キノコを食べる人を止める権限はないが、けっして人には勧めない。これは、政府が決めた規制値以上であるとか規制値以下であるとかは関係ない。もともと、政府が定めた数値に科学的根拠があるわけではない(だからこそ、規制値がころころ変わるのである)。 Photo E 気分のよいススキ原の道。 (2012/10/5 12:56) ずっとキノコを探して山を歩いていたので、講師の先生の話はとても参考になって面白い。しかし、茸狩りを禁じている身には若干複雑である。それでもいつかは普通に茸狩りができるようになることを信じて、一所懸命、話を聞き、質問もした。いつか役に立つだろう、ということである。 ツリーハウスに全員集合、ここでひと休みして記念写真を撮る。ここからはひたすら赤坂集会場まで歩くだけである。 Photo F まもなく林の出口の最終地点。 (2012/10/5 14:10) 出がけに忘れ物をした私だけが森を出てすぐ車に乗って集会所1番乗りと思ったら、帰り道の講師だった松崎さんがもう着いていた。そういえば、松崎さんは先に山に入って見本にするキノコを取っているということだった。そのため、林の入口付近に駐車していたらしい。 予定通り、ほぼ14:30の解散となった。私は急いで帰って歯科医院に行かねばならないのだった。 Map 蒲沢山。A~Eは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」 によるGPSトラックデータによる。
2012.10.05
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翁山は、地図では「翁峠」、山形県が立てた山頂標では「翁山」とされている。以前に、宮城県側の商人沼から歩き始め、吹越山から翁山までの尾根を往復したことがあった。その時、国道347号から商人沼までの林道を車で入ったのだが、張り出した薮で車のボディに無数の擦り傷をつけてしまい、修理費が80万円超といわれてへこんだことがあった。車両保険ですませたが、一日の費用が80万円を越す遊びというのは、古いはやり言葉で言えば「階級的裏切り」というものである。 吹越山から翁山への尾根歩きは快適だが、商人沼コースは避けたい。そこで、山形県の尾花沢から吹越峠まで入る予定にした。吹越山の南麓まで車が入れる道があるという情報だったが、それらしい道をかなり奥まで入ったものの、薮に阻まれてしまった。道を間違えたのかもしれないが、以前のことがあるので、無理はしないで引き返し、ハリマ小屋からのコースを取ることにした。 山の匂いがする! (2012/9/26 6:08) 仙台から東北道を大和インターまで、国道4号から国道457号に入り、色麻町から小野田に抜け、国道347号を鍋越峠で県境を越え、尾花沢市の坂本という集落から山刀伐峠を抜けて赤倉温泉に向かう道に入り、高橋小学校を過ぎたところから案内看板に従って林道に入る。 Photo A ハリマ小屋。 (2012/9/26 6:43) 林道の途中、狭いコンクリート橋があって、たぶん私が車で渡ったなかでは最も狭い橋である。そこを通るときはさすがに少しビビったが、それ以外はハリマ小屋までの林道は問題なく走れた。 ハリマ小屋の中の入山届けに記帳して出発である。2週間前の不忘山の時とは季節ががらりと変わり、気温は14度と涼しいくらいである。歩き出しにはちょうどよい。 歩き出してすぐ分岐に出る。右の道、吹越山と翁山の間の尾根に取り付くコースに入る。しばらくはフラットな林の道である。道端のトリカブトの花が美しい。いくつかの細い沢を渡る。その沢のどれにも板が渡され、靴が濡れることがない。 連れ(イオ)はよく沢で水を飲むが、「飲み貯め」ということはしない。そのため、暑いときの山歩きでは、水分補給のタイミングに気を遣わざるをえない。「もっといっぱい飲んでおけばいいのに」と思うのだが、飼い主の心配などに頓着はしないのである。 20分ほどで「不老長寿の泉」に着く。途中の沢に水は充分だったのに、この泉にほとんど水はない。不老長寿の泉を過ぎるとすぐ、尾根まで直登の道に取り付く。ほとんどの個所にロープが張られているブナ林の急斜面である。 25分くらい急坂に喘ぐと、急に低い灌木になったかと思うと、ぽかっと空が広がり、尾根に飛び出る。右は吹越山への道で、手前の950m峰に登山道がはっきりと見える。左が翁山への道で手前の965m峰が広がっている。 吹越山から翁山の尾根筋は風衝帯になっていて、チシマザサ、ススキ、ごく低い灌木などの見晴らしのよい快適な登山道になっている。 Photo B 950m峰から吹越山への尾根。 (2012/9/26 8:10) 965m峰の斜面に取りかかって、後ろを振り返ると、950m峰から吹越山へ連なる山塊、尾根筋には登山道がくっきりと見える。 登山道脇には、アザミ、エゾシオガマ、オヤマリンドウ、ツルリンドウ、キンミズヒキが咲いている。ミヤマコンギクかタカネコンギクか区別が付かないが、小さな花に小さな露をのせて朝日に光っている。 左:ナンブタカネアザミ(たぶん? 後はイヌ科イヌ属イヌである)、 中:エゾシオガマ、左:キツリフネ(これは山麓の林道で)。 Photo C 965mから眺める翁山。、 (2012/9/26 8:16) 尾根道を30分ほど歩くと965m峰の平らな頂きになる。向こうに緩やかな山容が見え、左が翁山(1075.0m)、右が1062m峰である。手前斜面のふところには、尾根道には珍しいやや高い灌木林が見える。風の当たりにくい陽だまりのような場所なのだろう。 Photo D(左) 頂上手前の灌木林の道。 (2012/9/26 8:26) Photo E(右) 頂上での記念スナップ。 (2012/9/26 8:47) 4,5mの灌木の林を潜って15分ほどで頂上に到着する。お決まりのポーズで記念写真を撮る。これもお決まりだが、被ってきたキャップで私の代わりとする。ハリマ小屋の駐車場では私たちの車だけだったが、頂上にも誰もいない。 Photo F(上) 翁山頂から北の眺望。 (2012/9/26 8:48) Photo G(下) 南の眺望。 (2012/9/26 8:49) 頂上からの見晴らしをカメラに納める。遠く、かすかに鳥海山(2,236m)が見える(Photo H)。雲の上に頂上が覗いていて、右側のゆったりとした山裾がうっすらと見えている。月山も探してみたが雲に隠れていて、まったく見えない。 Photo H 霞む鳥海山。 (2012/9/26 8:51) 頂上で朝食である。イオの弁当を開いてやると、今日は素直に食べている。さっさと食べ終わり、いつものように私の弁当の30cmほど近くでじっと観察を始める。気持ち悪いくらい無言で、じっと見つめるだけである。何となく根負けして、肉を分配する。肉で勢いがついて、サラダのキュウリまで口にしたが、さすがに横を向いて吐き出した。連れとはこうやって食事どきも遊ぶのである。 9:25、山頂出発。尾根筋の緩やかな下りである。膝に負担が少なくて、心配がない。林の中の見通しの良い道では、連れは勢いよく先導をしてくれる(ただし、低い灌木の見通しの悪い道では必ず私の後ろを歩く。我が身の安全にたいへん気を遣うのだ)。 緩やかな下りが急坂に差しかかる頃、道は急に折れ、斜面をトラバースしていく。「こぶの王様」という看板があり、斜面のやや上に直径6,7cmの枝の途中に30cmを越えるかと思われるコブができているのだった。どうしてこんなふうになるのか、かいもく見当がつかないが、球形の見事なコブである。 Photo I 見通しの良い道では立派な先導役。 (2012/9/26 8:51) トラバースする道は、沢の頭を越えて沢向かいの緩やかな斜面をふたたび下り始める。「白髪の泉」の看板があったが、水は涸れていた。白髪の泉から20分でハリマ小屋到着である。10:18。 吹越峠に行けずに予定を変更したので、だいぶ早く帰り着いた。帰りは、尾花沢市街に出て、国道13号、東根市で大森工業団地方向に左折して、国道48号に出て、関山峠を越える道をとった。朝の道よりはるかに運転しやすい。 帰りの車中、連れは助手席で爆睡である。私は、連れをほっといて山形の冷たい鶏肉蕎麦を楽しんだ。 爆睡中(いつものこと)。 (2012/9/26 10:58) Map 翁山。A~Iは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。
2012.09.26
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先週(9月7日)は権現森(314m)を歩いたが、山に登ったわけではない。6月11日の禿岳 (1261.7m)以来の山で、2ヶ月のブランクがある。その禿岳も、あまり負担がかからないという理由で選んだ山だった。 例年なら7,8月はアユ釣りで、大石ゴロゴロの河原歩きで足の筋力を鍛えるのだが、3・11大震災からこっちは、アユも従来の姿にほど遠い。それに放射性セシウム汚染が加わって、アユ釣りもヤマメ釣りも足が遠のいている。 山歩きで耐久力を、魚釣りで筋力を、という計画もさっぱりで、はてさて、どこへ登ればいいのだろう。ガイドブックを見ていて、全行程4時間20分という不忘山が良さそうと見当をつけた。不忘山は、南蔵王縦走の最南端の山という認識でいたが、東麓から不忘山単独は初めてである。 登山口のみやぎ蔵王白石スキー場までは、東北自動車道・白石ICを下り、国道4号を少し南下して、国道457号、県道51号を行く。初めての道だが、案内看板の表示に従っていけばまったく問題ない。 6:00すぎに着いたが、広い駐車場に一台の車もない。人が誰もいなければ、連れ(イオ)と少しは気ままに遊べるというものである(その少しの時間が欲しくて、いつも朝早く出るのだが)。 Photo A さぁ、こっちだね。(2012/9/13 6:34) 嫌がるイオの全身に虫除けスプレー(1ヶ月の1度の滴下薬だけでは不安なので)をして、少しぶらぶらしてイオの朝1番のウンチを始末して(拾って密閉してザックのポケットへ)、やっと出発である。 Photo B ブナが一本。(2012/9/13 6:49) 6:30頃から歩き始める。スキー場の草原の南端をゆったりと上がっていく。草原には、ノコンギク、ナンブアザミ、リンドウ、今はずいぶん珍しくなったオミナエシなどが咲いている。 スキー場から離れ始める頃、草原に一本のブナが立っているのが見える。これからブナ林の中を歩いて嫌というほど見るだろうが、孤立して立つ樹木には、勝手にドラマを付与するせいか、心惹かれるものがある。 Photo C 白女高小屋跡からの林下の道。(2012/9/13 6:58) 南に向かう緩やかな道の終端に白石女子高校山小屋跡地があって、道は直角に西に折れ、林の道に入る。少し傾斜がつくがまだまだ緩やかな上りである。 7:30を少し回ったあたりで「ユキトリ沢」の標識を過ぎる。そこから10分ほど登ると、道は緩やかになり、少し見晴らしもあって、これから登る不忘の峰が見えたりする。まばらな林の中にシラビソの木が目立っている。日当たりのよい道脇には、リンドウ、マツムシソウ、トリカブト、アキノキリンソウがたくさん咲いていて、斜面から解放されたこともあって楽しい道である。 Photo D 平坦な道に出ての不忘の山容。(2012/9/13 7:44) 左:オヤマリンドウ、中:マツムシソウ、右:ヤマトリカブト(オクトリカブト)。 水が流れていない小さな沢(雨が降ったときだけの沢?)を過ぎると、道はしだいに角度を増していく。粘土の滑りやすい道で、丸太で作った土留めや短い木道などが設置されているが、だいぶ雨で削られてしまっている。 歩き始めて1時間ほどたってから、そろそろ誰かが追いついてくるだろうと、イオをリードに繋いでいたのだが、滑る急斜面に思いのほか手を焼いてしまって、私の両手を少し自由にしてもらった。あらためて手袋をして、両手を動員しないとうまく登れないのである。 さすがにこの道はひどいということらしく、途中から右手に新しく切り払った迂回路ができていた。そこは歩きやすいので、イオをふたたびリードに。 Photo E ここはまだ立派な土留め。(2012/9/13 8:03) 切り開きの迂回路の終端に「弘法清水」がある。ここで朝食とする。イオの弁当、私の弁当を広げる。イオは自分の朝食は匂いだけで終わらせ、私の弁当を覗きこむことに専念する。結局、おかずの鶏肉を半分ほどせしめる。 朝食で大休憩、「さぁ、最後の仕上げ」と張り切って出発したが、この後が大誤算だった。バテバテなのである。真後ろから暑い陽ざしが首筋を炙る。しばらく炙られてから、キャップを回してツバで首筋の直射を防いだらよいことに気づく。いつもやってることも、登ることに必死になると忘れてしまうのだ。 急斜面で体がきついときによくやるのが、200歩でひと息、300歩でひと息という歩き方である。今日はどんなに頑張っても150歩でひと息というのが最高であった。 ひと息入れる度にイオがおやつを催促する。これは、花の写真を撮ったりして道草をする私をちゃんと待っているご褒美が習慣化して、私がへばって休んでいても容赦はないのである。たぶん、朝食弁当の分をおやつで間に合わすつもりなのだろう。じっさい、それほど何回もひと休みが多かった。 灌木が低くなり、不忘の碑がある尾根の大石が見えてくる。一歩ずつ目標が近づくという実感に支えられて歩いている感じである。不忘の碑の前で硯石からの登山道に出会う。 Photo F 不忘の碑の前の出会い。(2012/9/13 10:10) 不忘の碑から頂上までは大岩の間の滑りやすい砂利道である。急斜面を登るとその尾根の向こうに頂上が見え、2,3人の人が見える。 いつものことだが、イオは頂上が見えると俄然張りきるのだ。バテバテの私を引っ張るように急ぎ足になる。 Photo G 頂上です。(2012/9/13 10:33) 頂上には、私と同年配の単独行の男性と、中年婦人二人のパーティが休んでいた。二人のご婦人に、代わる代わる撫でてもらったりしたイオだが、さすがのイオも疲れているらしく愛想がない。二人とも犬を飼っているとのことで、ひとりは夏山に飼い犬を連れていったら大バテになって、それっきり連れて行けないということだった。 イオも夏山、とくに日影のない高山は体温調節に苦労するので苦手である。今日のように1000mを越えてこんなに暑いのは誤算だった(ちなみに仙台では33℃だったそうである)。 Photo H 「疲れた~」、不忘山頂で。(2012/9/13 10:40) おやつボックス(非常食兼用)を開いて、イオとクッキーを分けながら食べる。バテバテの私は、ブドウ糖やキャラメルなども取った。 東斜面からガスが上がってきて、水引入道や屏風岳が霞んでくる。 Photo I 不忘山頂から見る南屏風岳。(2012/9/13 10:45) 11:10分過ぎに山頂出発。ガスが晴れて水引入道が見える。今日と同じ登山口から水引入道への登山道がある。当初の計画では、1週間後に水引入道に登ろうと思っていたのだが、今日のバテ具合ではちょっと考え物だ。今日の行程よりさらに長いのである。 Photo J 左:屏風岳、右:水引入道(中奥:後烏帽子岳、右奥:馬の神岳) (2012/9/13 11:19) 左:タカネイバラ(実)、中:ハクサンフウロ、右:イワインチン。 帰路は黙々と下るだけである。弘法清水には12:04。弘法清水から切り開きの迂回路を通っていくと同年配のご夫婦と出会った。往復の登山路で出会ったのは、この二人きりである。頂上の3人は刈田岳から縦走してきたということだった。犬連れの私には人が少ないのは何よりである(登山者で賑わう刈田岳からの南蔵王縦走の時、イオは留守番だった)。 ユキトリ沢を12:45に通過、白石女子高山小屋跡を13:07に通過、13:29に駐車場の車に到着。 いやぁ、疲れた。これじゃ、鍛え直しだ(鍛え直せばなんとかなる年齢か、という問題はさておいて)。 Map 不忘山。A~Jは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSxによるGPSトラックデータによる。
2012.09.13
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里山がどんどん大切になってくる。私は冬山をやらない。そのため、初春のシーズン初めは、その年の体力しだいで山を選ばなければならない。若いときは無頓着だったが、最近はどの程度の山から始めるかはとても大事である。 年々衰える体力としっかりと相談しなくてはならないのである。一年どころの話ではない。ちょっとした都合で、3ヶ月ほどのブランクがあると心配になる。 ここ数年のシーズン初めの山は、ほとんど300~500mクラスの里山である。体力の心配がなくて、気軽に出かけられる。多少の積雪なら冬も歩けるので、できるだけ歩ける里山を見つけておきたいと思っている。 仙台市の広報誌で、「地域の自然再発見! ~大沢を取り巻く山の風景~」という市民講座があるのを見つけて、さっそく申し込んだ。大沢市民センターでのオリエンテーションに参加すると、大沢地区近辺、3回の里山歩きの企画で、私の希望にぴったりなのである。 第1回目の権現森での講師は、「権現森自然研究会」のメンバー数人が担当する。権現森自然研究会は仙台市の「緑の活動団体」の一つで、権現森一帯の遊歩道整備や、自然観察の活動を行っていて、講師としてこれ以上はない人たちである。 9:30、権現森の北からの入口、活牛寺に20人ほどが集合した。準備体操をして出発である。道々の解説などの関係で2班に分かれて遊歩道に入る。 30年ほども前に2度ほど権現森に入ったことがあるのだが、その時はまったく反対の南の松尾神社参道口と葛岡線口から入った。当時は、まだ遊歩道の整備はされていなかったと思う。 Photo A 活牛寺口の遊歩道へ。 (2012/9/7 9:50) 遊歩道は、良く整備されていて足もとの不安はまったくない道だ。最初は杉の植林だが、まもなく雑木林になって気分は快適である。しばしば立ち止まって、木々の話、花々の話、丁寧な解説がある。花を見つけては立ち止まるので、疲れる暇がない。 Photo B 快適な雑木林の道。 (2012/9/7 10:13) Photo B 快適な雑木林の道。 (2012/9/7 10:13) 低い山の林の下の遊歩道なので見晴らしが良いわけではないが、1カ所だけ「パノラマ展望所」と名付けられた権現森頂上のすぐ下の場所からは、南西方向の眺望が開けている。 Photo C 展望所からのパノラマ。 (2012/9/7 10:37) すぐ目の前に蕃山、その向こうに青麻山の双耳峰、さらに蔵王連峰の南端の山裾が見え、連なる不忘山の頂きは雲の中、シーズン初めによく登る戸神山の峰が緑の向こうに半分ほど姿を現している。 この展望所脇の分岐から権現森頂上へ向かう。傾斜はきついが、あっという間に頂上の四阿である。やけに屋根の低い四阿だと思っていたら、柱の根本が腐ったので、その分を切断して全体を下げたとのことだった。 Photo D あの四阿が権現森頂上。 (2012/9/7 10:44) 314mの頂上は、残念ながら木々に囲まれていて、眺望はない。頂上には三角点の石標があり、方位磁石を乗せて石標と方位の関係についての解説があった。おおよその方向は合っている、ということらしい。 頂上では休憩もそこそこに松尾神社めざして出発である。ここからの道は、第1峰の権現森頂上と第2峰の松尾神社の間の尾根道ということになる。途中、「おじゃま石」と命名された直径1mほどの石が遊歩道の半分を占めていたり、雑木林が赤松林に変わったりする道である。 Photo E 「カタクリの園」近くの十字路分岐でひと休み。 (2012/9/7 11:34) 春先には全山至るところにカタクリの花が咲くが、松尾神社の峰の北側の鞍部付近のカタクリの群生はとりわけ見事だということで、一帯は「カタクリの園」と呼ばれている。 ここはまた遊歩道の分岐で、十字路になっている。東から来て左折して松尾神社に向かう道は、松尾神社脇の電波塔の工事のためにブルが均して通った道になっている。 この十字路でひと休みして、ブルで均された急斜面を登る。遊歩道の中でどこが一番きついかといえば、たぶんこの坂だろうが、あっという間に終わる。つまり、どこも快適な遊歩道で、きつい場所はないというのが正しい。 Photo F アカマツ三兄弟を左へ。 (2012/9/7 11:44) 三叉路を左折する場所に「アカマツ三兄弟」と命名された三本の松の木があった。その脇を通る最後の坂を登りきると松尾神社である。 Photo G 松尾神社に到着。 (2012/9/7 11:48) 松尾神社からは、北の泉ヶ岳方向の眺望がわずかに開けているだけである。この頂上には立派なブナの木があった。道の途中では、大きなミズナラの木を見てきた。ミズナラ、ブナがあって、それにカツラの木が加わったら、これはもう深山のおもむきではないか。 神社で昼食休憩である。今朝四時半頃に起き出して作った弁当を食べる。遊びのきつい私は、とてもじゃないが、妻に弁当作りを頼めなくなっている。山歩き、川遊びの時の手製の定番弁当である。 昼食後、松尾神社がお酒の神様で、酒飲みに関するもろもろの願いを聞き届けてくれる(かもしれない)という話があって、全員で拝礼して、その後、神社の前で記念の集合写真を撮る。 そのまま戻るグループと、少し回り道をして帰るグループとに分かれて、松尾神社を出発する(12:30)。回り道は、いったん下って上り返すので、希望者だけということだったが、半分以上の人が参加した。その回り道は、カタクリの園付近の十字路に戻る(13:03)。そこで、分かれたグループとふたたび合流して帰途につく。 左:ヤマジノホトトギス。中:ジョロウグモ、右:オヤマボクチ。 帰り足も、草花や木々の解説を受けながらの遊歩道歩きである。ヤマジノホトトギスは至るところに咲いていた。オヤマボクチは、写真のものを含めて2カ所で見られた(私が見つけたかぎり)。パノラマ展望所の看板には立派なジョロウグモが張りついていた。産卵前らしくよく肥えた立派なクモだった。 ちょうど14:00くらいに、活牛寺遊歩道入口に帰り着いた。14:10解散。じつに快適な歩きだった。じつは、この後夕方から脱原発デモを歩く予定があり、疲れはしないか心配していたのだが、まったく問題はなかった。 さて、次回は10月5日、樺沢山の自然観察である。 Map 権現森。A~Gは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」 によるGPSトラックデータによる。
2012.09.07
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この春に七ツ森を歩いたとき、七ツ森山域に含まれながら七つに加えられていない「たがら(たんがら)森」の名称のことを少し書いたのだが、そのことについて「仙台タウンウォッチング」の講師だった三原征郎さんから「たがら(たんがら)森」の名称由来について、メールで貴重な教えをいただいた。 私は「たがら(たんがら)森」を「宝森」と理解して得心していたのだが、もっと古い由来について、次のようなご指摘をいただいた。「たがら」または「たんがら」とは縄で編みこんだ背負いかごのこと。「宝」の文字を当てたのは明治以降のことではないか。「たんがら山(森)」「宝山(森)」は各地に見られ、近辺では後白髪山の峰続き、さらに泉ヶ岳から東に下る稜線上にもある。いずれも親山にくっついた子山またはこぶ山といった姿である。※上記の2山を含む七ツ森連山中のたがら森は「みやぎ里山文庫」に記載されている。 そして、七ツ森そのものの由来伝説として、二つのネット記事を紹介していただいた。一つは「ウィキペディア」の「七ツ森」の項で、次のような記述がある。七ツ森の生い立ちを語る朝比奈三郎についての民話が伝わっている。 伝承には色々な種類がある が、共通する概略は、 朝比奈三郎が土を運ぶことで七ツ森ができたというものである。 土を運ぶのにはたんがらを使ったとされ、これが遂倉山に添って立つたんがら森の名称と結びつけて語られる。 もうひとつのネット記事は「ボクらのまほろば探検」というWEBサイトの一節で、次のような記述である。朝比奈三郎という弓作り好きの大男が、矢の的になる山を作ろうと原っぱからたくさんの土を入れて七回運びました。その途中にそれぞれ1回ずつ休んだ所で、たんがら(土を運ぶ背負い籠)からこぼれた土が七つ森になったという、ずいぶんスケールの大きな話です。七つ森とは笹倉山、遂ヶ倉山、鎌倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山という山々のことをそう呼んでいます。なぜかすべて名前に「倉山」とつきます。 で、それに加え、最後に余った土を捨ててできた小さな山をたんがら山というそうです。さらにさらに土を掘ったあとが品井沼になり、歩いた足跡に水がたまって吉田川に、そして作った的山が矢喰山(やくらいさん)になった。 ここで言う矢喰山は薬莱山のことである。 結論から言えば、「たんがら」とは背に負う荷運び(土?)の道具であり、人間が「たんがら」を背負った姿からの連想で、大きな山の背にくっついたような山を「たんがら山(森)」と呼ぶようになった、と推測できる。つまりローカルには、ある形態の山の一般名称のような性質を持つ名前ということになる。「たんがら」は仙台弁では宝(たから)を「たがら(たんがら)」ということから、後世、「たんがら森」に「宝森」の字を当てたということが、三原さんのご指摘である。 その三原さんのご指摘にある泉ヶ岳に隣接する「宝森」や、船形連山の「宝森」は、それと知らずに撮した私の山歩き記録の写真に入っていた。 泉ヶ岳東麓の宝森(国道457号、根白石から)。 (2011/5/18 5:29) 船形連山の中の宝森(泉ヶ岳山頂から)。(2012/5/14 7:42) そのほかに、七ツ森の北、加美町に鬢櫛山(756.3m)という山があって、その北東に宝森(676m)があるのを地図上で見つけた。その二山は、加美町から登った翁峠(翁山、1075m)の東にあるので、山歩きの記録写真を調べてみたが皆目見当がつかなかった。それもそのはずで、翁山と鬢櫛山、宝森に間にはその二山より高い山がいくつかあって、とても眺望することは無理なのであった(地図上での判断だけれども)。
2012.06.14
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須金岳から眺めた禿岳(左)と1259.5m峰(右)。 (2010/5/31 10:28) 須金岳から眺めた禿岳はよく目立つ姿を見せていたが、禿岳に登ったときの記憶に須金岳がどんなふうに見えていたか、さだかでない。それで登ってみようと思った、というのは確かだったが、小さい理由である。 じつは、先日に柴倉山までの歩きの最初の2時間にけっこう苦しんだのである。それで、楽な山はないか、歩きやすく景色のいい山はないか、それで禿岳である。 前夜にザックを用意する様子を見ていた連れ(イオ)は、私のベッドから一度も離れず夜を過ごした。登山行の気配を察したときはいつもこうである。 連れと一緒に車に乗り込む。雲一つない晴天、仙台から東北道、古川IC、国道47号、鳴子大橋へ右折、国道108号、鬼首から左折、県道最上鬼首線で花立峠へ。峠道は斜面いっぱいのタニウツギのピンクの花で、つい車を止めて写真を撮った。 鬼首、県道最上鬼首線から見上げる禿岳。 (2012/6/11 5:57) 花立峠登山口出発は、6:16、まだ雲一つない快晴である。登り口の両脇にはヤマツツジが満開である。100パーセント、水原秋桜子の句そのものである。山躑躅燃ゆれど山はひそかなる [1] 登山道に入ってすぐのヤマツツジ。 (2012/6/11 6:19) もう一句、歩き始めなので余裕があるのだが、いつまで「すがしい」気分でいられるか。額の汗いまだすがしや躑躅咲く [2] 登山口は典型的な風の通り道であるため木々の丈は低く、眺望の良い峠である。登山口から4,5分で礫地の丘に出て、山形県側のすばらしい眺望が広がる。雲海と月山と葉山(村上)の取り合わせである。朝日連峰や鳥海山は判然としない。日本海側の遠くには雲が浮かんでいるし、この季節では霞んでしまうのだろう。 雲海の向こう、月山(右)と葉山(左)。 (2012/6/11 6:22) 歩き始める。「一合目」標まではあっという間だが、そこから急坂にかかって、行けども行けども「二合目」標が出てこない。前にもここでまったく同じ経験をしたのだが、まだ体が慣れていない時の急坂で、なかなか二合目に辿りつかないので、体力の衰えで前にほとんど進んでいないのではないかといやな気分になるのである。「三合目」標があってやっと納得したのである。事情が分かっていても、励みの「合目」標がないのは、やはりいくぶん気が落ちる上りなのであった。 三合目を過ぎると右手に鬼首のカルデラ盆地の眺望が開ける。禿岳は、カルデラの外輪山の最高峰なのでカルデラ盆地側が切れ落ちているのだと思っていたが、地質学的には火山活動と前後して隆起してできた山の可能性が高いらしい [3]。 朝日が差し込んで明るく、しかも歩きやすい登山道は気持ちよく歩ける。五合目を過ぎるとまた右手が開ける。ここからはとくに、花立峠から南へ連なっていく小柴山(1056m)、大柴山(1083m)、花渕山(985m)の外輪山の峰々の眺めがよい。 六合目を過ぎると尾根道となって前面の眺めが広がり、正面にこれから登る道が見えて気分が上がる。八合目を越えると樹高はかなり低くなり、登山道脇には、ミヤマキンバイ、ヒメウメバチソウ(コウメバチソウかもしれない)、ゴゼンタチバナ、ヒメイワカガミ、オオバキスミレなどが次々と姿を見せて、飽きない。さらに進むとノウゴウイチゴの白い花が目立ち、まだ蕾のアカモノの群生がある。 左から、1259.5m峰の後が虎毛山、須金岳、栗駒山、荒雄岳。 (2012/6/11 8:31) 九合目の不動明王に挨拶をして頂上へ急ぐ。道の向こう、頂上の手前には残雪が見え、右手に眼を転じると栗駒山に雲がかかり始めている。気がつかないうちにだいぶ雲が多くなっていたのだ。少し慌てて写真を撮る。栗駒山や虎毛山、荒雄岳は目立つのに須金岳はまわりの山に溶け合って目立たないのである。特徴的な長い頂上尾根も手前から向こうに伸びていてよく分からないのだった。それでも須金岳を確認し、ささやかな目的の一端は達成された、ということである。 残雪に喜び、齧りつく連れ(イオ)。 (2012/6/11 8:32) 頂上直下(といっても高度差はほとんどないが)に残雪が登山道を覆っていて、連れは一瞬に沸騰して、ぐるぐると駆け回る。残雪を見たときから私は準備をしていたけれでも、不意打ちだったらリードを引っ張られて転びそうになるほどの勢いで興奮するのである。人間とは体の冷却システムが異なる連れにとって、登山時の体温を容易にコントロールできる雪は、本能的に好きなのであろう(もしかして、雪山で狩りをしていた父祖たちから受け継いだ本能かも知れないが)。 イオの先代犬(ホシという)が1才の頃(つまり、26,7年前)、真夏の登山の下山時に、喉の渇きと体温の上昇に耐えかねて、沢の水音に惹かれて谷に墜落し、後遺症の「高所恐怖症」にしばらく悩まされたことがあった。私がまだ犬の体温制御システムをよく理解していなかったころの話である。 「着いたよ。」 禿岳頂上で。 (2012/6/11 8:37) 雪で気分が良くなった連れは、勇んで頂上に向かう。頂上にはいつも連れが先着なのである。頂上に近づくと、私を引っ張りながら先を行かないと気が済まないらしい。 左から、火打岳、小又山、天狗森、神室山(鳥海山は雲の中)。 (2012/6/11 8:41) 頂上から鳥海山を探したが、雲の蔭であった。残念ながら、私はまだこの山から鳥海山を見ていないのだ。 朝食を済ませた後、さらに新(中道)コースを尾根の端まで辿ることにした。頂上から5分ほどで「九合目」標、花立コースの残雪や東急斜面の眺望を振り返りつつ進むと尾根の突端である。そこから急激に道は下り、1259.5m峰の鞍部の中間に続く登山道がはっきりと見えていて、鞍部の中頃で新(中道)コースは東斜面に消えていく。 新(中峰)コースからの見る頂上。 (2012/6/11 9:27) 尾根を引き返し、ふたたび頂上まで所要時間は30分である。頂上では、忘れていた記念写真、連れはお決まりのポーズ、私の代わりにいつものキャップ、ワンパターンの写真である。 忘れていた記念写真を。 (2012/6/11 9:30) 帰り道で、すべての「合目標」を確認しようと決心していたが、「五合目」まで確認した後、季節はずれのヒラタケを発見した。家族三人、三回のすまし汁に十分な量である。その近くに三,四本のナラタケもあって、気分はすっかり「茸狩り」である。 眼はキノコを追ってばかり、「四合目」標は見落とした。三合目を過ぎてから、気を取りなおして探したが、とうとう「二合目」標は見つけられなかった。 下山路では、7組13人の登山者とすれ違った。たいていの登山者は、私ではなく連れの方に丁寧な挨拶をするのであった。 花立峠登山口には、10:45着である。家に帰って昼食か、途中で食べるか、微妙な時間ではあった。[1] 『季題別 水原秋桜子全句集』(明治書院、昭和55年) p. 53。[2] 同上 p. 54。[3] 早川輝男『宮城県の山』(山と渓谷社、2004年) p.26。
2012.06.11
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山形県の天童温泉での研究会と懇親会をミックスしたような集まりからの帰り道、黒伏高原から柴倉山へ登ってきた(厳密には頂上までの登山道がなく、中腹まで)。 福禄山、銭山、白森、黒伏山の周回コースを歩いたとき、その1部が御所山(船形山)縦走コースに組み込まれているのを知った。周回コースの最初の分岐を逆に折れれば、縦走コースである。いつかはその縦走コースを歩きたいと思ったものだが、年々その可能性は激減している。そこで、柴倉山往復だけでも、と思い立ったのである。ただし、地図上では縦走コースは柴倉山の頂上北面の1200m付近を迂回していて、頂上を通らない。行けるところまで行って、柴倉山を歩いたことにすると決めた。 登山口から見る柴倉山(右)と越えて行く1101峰(左)。 (2012/6/3 9:07) 温泉宿の朝食を採ってからの出発で、黒伏高原スキー場の登山口駐車場には9:00くらいに着いた。 登山道は福禄山の少し手前までは黒伏山周回コースと同じである。村山野川にかかる鉄パイプ橋を渡ってすぐ、上流川で流れ込む支沢を渡って斜面に取りつく。登りはじめはしばらく急坂で、体が慣れないので、大汗と息切れで閉口する。 登りはじめの急坂。 (2012/6/3 9:18) 最初の目標は1101峰だが、急坂に四苦八苦しているせいで、偽ピークに二回ほど騙される。しかし、偽ピーク付近では視界が開け、息を整える格好の場所だが、眺望の中に越えるべき1101峰もあって気を落とすのである。 道にはマイズルソウがたくさん生えているが、花はまだだ。白い花びらがマイヅルソウの上にたくさん散っている所がある。見上げると満開を過ぎたムシカリの木である。また、盛りの過ぎたムラサキヤシオが、それでも鮮明な色を見せている。 マイズルソウの葉に散るムシカリの花びら。 (2012/6/3 10:27) 歩き始めて1時間半ほどで、1101峰を過ぎた。三角点があるだろうと、道の脇を探してみたが見つけられなかった。1101峰から見える柴倉山は、崩落の斜面や頂上直下に突き出た大岩のある荒々しい感じの山容を見せている。 1101峰付近からの柴倉山眺望。 (2012/6/3 10:51) 道は、もうひとつ小さな峰を過ぎるといったん柴倉山の前山(1209m)(山名を知らないのでここでは「前山」ということにしておく)との鞍部に下っていく。北斜面の谷筋にはたくさんの残雪、その谷上の縁にはシラネアオイの群落があって、這いつくばって花に近づき写真を撮った。 崖上のシラネアオイ。 (2012/6/3 11:06) 前山の中腹にぶつかるように進み、そこから左、北方向に道は曲がっていく。つまり、柴倉山から遠ざかるように前山の中腹を迂回しているのだ。途中、水が滴る岩盤の斜面のトラバースするところが2カ所ほどあった。一カ所は、虎ロープがあるものの肝心の場所まで届かず、たった数歩だが冷や冷やする思いをした。 道がしだいに東に曲がり、林床にはツバメオモト、ミヤマカタバミの白い花がよく見える。福禄山への分岐には11:22に着く。福禄山方向とは反対の道、初めての登山道の前山への急坂に取り付く。左斜面には頂上近くから長く続く残雪がある。 この急登は、体が慣れたせいか、何となくひと息の感じで登ることができる。所々に咲くタムシバを眺めつつ、頂上に近づくとコイワカガミの群落が花を咲かせている。頂上は、草丈の低い、高山の雰囲気のある狭い尾根になっていて、きわめて展望がよい。登山道の向こうには北斜面に残雪を見せる柴倉山が広がり、右後方には、福禄山、銭山、白森、黒伏山の周回コースの山が一望に見渡せる。左手には船形連山の眺望が広がる。じつに素晴らしい頂きを持つ山である。前山などと勝手に呼んでいるが、本当にちゃんとした名前はないのだろうか。 前山(1209峰)から見る柴倉山。 (2012/6/3 11:44) 休息もそこそこに、柴倉山へ向かう。道は急に下るやせ尾根を辿り、左は所々で崩落がある急斜面で、気を遣っての歩きになる。柴倉山の中腹に続いた道は左に折れ、残雪の斜面をトラバースしていく。慎重に残雪上に足場を削りながら渡り、写真の柴倉山の右(東側)の中腹まで進み、南方向が見えるあたりで柴倉山はおしまいとする。 そこから引き返し、前山頂上には12:30、昼食である。ただし、今日の昼食は非常食としていつも持ち歩いているクッキー4枚、ブドウ糖キューブ2個だけである。急いで降りて、黒伏高原から帰り道の途中にある蕎麦屋さんに直行したいのである。 柴倉山中腹の縦走路から見る前山(1209峰)。 (2012/6/3 12:19) 登山口到着は、14:20、予定どおりこれから蕎麦屋さんで遅い昼食である。
2012.06.03
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今年は山菜採りの適期を逃してしまった。例年なら、5月の連休を挟んだその前後、我が家の庭のシラネアオイが満開になると、山菜採りに出かけるのである。今年は5月初めの山歩きで、奥羽山地の残雪が多いので逡巡していた。中旬頃が適期だろうと、その予定だったが、つまらない用で行きそびれてしまった。 それでも、季節のものだから1度は、と未練がましく出かけた。場所は例年通り、大東岳山麓である。この辺は仕事が忙しいときも山麓の登山道の散策(とキノコ狩り、山菜採り)で馴染んでいるので、つい足が向いてしまう。といっても、私の山菜採りのフィールドは3カ所くらいしかないのだが。 登山道から小さな沢を目指して杉林を横切ってゆくと、テンナンショウの明るい緑が暗い林床に際だっている。私はこの花が好きだが、妻は形が気持ち悪いという。ずいぶんと以前に、こっそり庭に植えたら、えらい目で睨まれた。 杉林の中のコウライテンナンショウ (2012/5/28 6:10) 沢の急斜面を下ろうと、連れ(イオ)のリードをはずして先に下ると、イオは上から見下ろしていて降りてこようとしない。強い調子で呼んでも来ないので、私の方から斜面を戻ると、イオは勢い込んで登山道を駆け上がって行く。今日は登山だと信じ込んでいるらしい。イオは3,4回この道を辿って頂上まで歩いていて、道を覚えているのだ。 水が少ない沢に安心するイオ。 (2012/5/28 6:19) リードを引っ張って沢までおろすと、まんざら不満そうではない。水の苦手なイオは、どうも沢の水に恐れをなしていたということもあったらしい。傍まで来てみればどこもかしこも浅いので安心したようだ。 伸びすぎのシドケ(モミジガサ) (2012/5/28 6:23) 時期はずれとはいえ、狙った山菜はちゃんとある。成長しすぎていて、じつに見つけやすい。シドケ(モミジガサ)は穂先を摘むようにして採った。それでもあっという間に予定量(もともと少ない目標量だが)に達してしまう。アイコ(ミヤマイラクサ)は、指でなぞって折れやすい上部を探す。 アイコ(ミヤマイラクサ)。 (2012/5/28 6:41) 予定していなかったが、広い崩落跡の荒れ地にワラビが生えていて、それは上部5分の1くらいを折りとった。山フキもちゃんと見つけた。 1時間くらいで予定数量に達したので帰ることにする。朝食弁当は自宅に持ち帰りである。もっと歩けばもっと収穫できるのだが、商売でもない身はそんな愚かなことはしない。たくさん採って喜んでいると、たいてい後処理でえらい目に遭うのだ。帰り足で広瀬川に落ち込む沢でこれまた伸びすぎのタゼリを摘んだ。 家に帰って食べてみると、シドケは独特の香りが薄れてはいるもののまぁまぁ食べられる。アイコは堅い茎をだいぶ捨てないといけなかったが、味は十分。フキは全く問題なし。セリは筋が堅いうえに香りも薄くて一番ダメだった。タゼリはまだ横に広がっただけの時が最良で、茎が立ち上がり始めるとダメなようだ。 まぁ、これでも一応、季節の山菜を楽しんだ、ということにしておく。
2012.05.28
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一週間前に続いての泉ヶ岳登山に格別な理由があるわけではない。今年は残雪が多くて、奥の高い山への選択肢が狭いこともある。もうひとつ、トラックデータの誘惑があった。先日の泉が岳からの帰宅後、GPSトラックデータを地図ソフトにダウンロードしたとき、昨年の泉ヶ岳の軌跡にそのときの新たな軌跡が重ねられた。それを見て、滑降コースと北泉コースの軌跡が加われば、全部の登山コースが私の足の軌跡で描かれることに気づいたのである。トラックデータのための登山というのはあまり立派な理由とは思えないのではあるが、今の体力相当ということも理由に付け加えて、決定したのだ。 登山口(スキー場)の大駐車場の桜は、一週間の間にすでに盛りを過ぎていた。スキー場の施設に植えられている八重桜は今が満開である。その駐車場の出発は5:30、もちろん、駐車場には私の車が1台だけ。できるだけ早く登り始めるのには、いくぶんの理由がある。確実に誰とも出会わない時間であれば、連れ(イオ、牝犬)を少しの間、リードなしで山道を歩かせることができるのである。後続登山者が追いついてくる時間になったり、他のコースから来る人がいる可能性がある場所ではリードなしというわけにはいかない。 歩き始めは少年自然の家のキャンプ場の中で、キャンプ場を過ぎて林に入ると古い鉄製の門扉(いつも開いている)があって、「←滑降コース」の標示板が括りつけられている(5:40)。 カラマツ林の登山路。 (2012/5/14 5:47) 薄紫のイカリソウや白花のミヤマイカリソウを見ながら小さな沢を渡り、沢の斜面を上がるとカラマツ林になる。一週間前と比べれば、カラマツの萌の緑はずっと多くなり、薄緑のガスで煙っているようで美しい。 カラマツの木に「三角山入口」という標示板が括りつけられている(5:58)。左手の小山のことらしい。そこから10分ほどで路が広くなって「見晴台」という標示板が地面に置かれている場所に出る(6:08)。実際には林に遮られ、見晴らしはない。その辺から林は雑木とカラマツの混じったものになり、道はその中を緩やかに上っていて、私には実に快適である。 見返平から仰ぐ泉ヶ岳の山容。 (2012/5/14 6:35) やがて、「お別れ峠」といういくぶん感傷的なネーミングの十字路に出る(6:20)。直進は滑降コース、左は水神コースへ、右はかもしかコースの途中の兎平リフト(スキー場上端)への路である。そこからはやや急な坂となり、赤みがかった葉とピンクの花で彩られたヤマザクラを見ながらちょっとだけ頑張れば、すぐに平坦な道になる。「見返平」である(6:46)。見返平は、泉が岳のなかのお気に入りのスポットの一つである。正面には泉ヶ岳の全容を仰ぎ見ることができ、振り返れば仙台市街が青く霞んで広がっている。 霞む仙台市街(見返平から)。 (2012/5/14 6:44) 見返平の終わりは、急傾斜の登山路の始まりである。ちょうど水神から斜面に取りついた感じと同じである。大石の路を喘ぎながら登ると、少しだけ斜面をトラヴァースする「大壁」と呼ばれる場所に出る。この辺の残雪が多かったため、先週、このコースは通行止めだったのである。それなのに今日はまったく雪は残っていない。 大壁を過ぎると右手に眺望が開けて、遠くに残雪を載せた蔵王連峰が白く輝いている。路はすぐにかもしかコースと合流する(7:23)。そこからおよそ10分、少し頑張って頂上である(7:34)。頂上標には「表コースの下山はできません」と道路崩落のために通行止めとなった旨の表示が掲示されていた。先週、ちょうど私が崩落道路の脇を通った時からの通行止めである。 いつものように頂上台地を北に5分ほど進み、船形連山の眺望が開ける場所で休憩(今日は朝食)とする。今日も連れに狙われつつのワンパターン生姜焼き弁当である。 船形連山の眺め。右は北泉ヶ岳。 (2012/5/14 7:42) 朝食を終え、下山である(8:08)。北泉コースは、泉ヶ岳と北泉ヶ岳の鞍部を通っていく道である。遠回りの分だけ、全行程を平均すれば傾斜は緩やかな道と言える。つまり、膝が心配になりつつある私向きで、下りにはよく利用する。 まだ花の少ない季節だが、頂上付近にはショウジョウバカマがぽつぽつと咲いている。中には白花というか青みを帯びた淡いピンクというか、不思議な色のショウジョウバカマもあって、赤みの強い花と見比べながらの軽快な下りである。眼を上げれば、遠くに栗駒山がくっきりと浮かんでいる。 鞍部はちょっとした尾根道(8:30)で、見通しはないものの、まだ葉が茂っていないので明るくて気持ちがいい。鞍部からは緩やかな上りになり、まもなく北泉ヶ岳登山道との出会い、「三叉路」に着く(8:43)。例年であれば鞍部からこのあたりまでは残雪が多いところなのだが、今年はまったく雪が残っていない。先週までは残雪のための通行止めの登山道があり、谷にはまだたくさん残っているというのに、不思議なことではある。 三叉路(北泉ヶ岳登山路との出会い)。(2012/5/14 8:43) 三叉路を左折して水神に向かう。しばらくは大きなダケカンバの木がたくさん生えている林の中を歩く。やがて、大石だらけの急坂にさしかかると、下から私と同年配の登山者がやってくる(9:02)。挨拶をしてお互いの行く先や残雪の話、犬のことなどを話題にして、つまり二人とも休息をとったのである。それにしても、その人が以前に飼っていた犬と友人の飼い犬のことを話してくれたが、ともに凶暴でよく噛みつく犬だった、というのである。犬種によるかもしれないが、最近は噛みつく犬は少ないのに、巡り合わせでそんな犬が身近に多くなるのであろうか。 その急坂は、たしか「うぐいす坂」といったような記憶があるが、坂道が終わる頃になって思い出して、その標示板を探したが見落としてしまった。そこから10分ほど下ったあたりの右、山側の斜面は「お花畠」のはずだが、その看板も見落として過ぎてしまう。快調な下りなので、ついいい気になって早足になるためである。 そのあたりから、左手の沢沿いの道になり、谷にはたくさんの残雪が、谷の向こうには泉ヶ岳が木々の間から眺められる。すぐに案内標のある三叉路に出る。直進する道は山仕事用と思われ、案内表示はない。左、沢に向かって下ると、水神の沢に出る(9:22)。 水神の沢に出る。 (2012/5/14 9:23) 休息もせずに水神を通過して、水神コースを下る。この頃にトラックデータ取得の登山でもあること思い出し、「お別れ峠」経由の遠回りをすることにした。水神から10分足らずで「水神平」標のある三叉路となり、ここを左折して「兎平リフト」に向かう。途中、「お別れ峠」の十字路にふたたび出て、登りで使った滑降コースを横切り、兎平の草原に出るまで10数分である。 笹原の兎平からは泉ヶ岳の山容がよく見え、草原に点々と生えるダケカンバが美しい樹肌を輝かせていて、気分が上がる。道はすぐにスキー場の上端に付き、スキー場そのものの右端付近を急激に下っていく。 途中、何人かのワラビ取りに出会う。「まだ、早くてね」と苦笑する人や、連れに興味があって近寄ってくる人もいる。人怖じする私にとっては、連れは挨拶のための良い動機なのではある。 スキー場施設の満開の八重桜の付近には30人ほどの小学生が集まっている(10:10)。そこから5分、車に到着である。
2012.05.14
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泉ヶ岳は、船形連山の東南端にあって、仙台市方向に突き出たように位置している。そのため、仙台市民にはなじみ深い身近な山である。山麓には「泉ヶ岳少年自然の家・野外活動センター」や「仙台青年の家」もあって、子供たちが山に親しむ機会を提供しているし、二つのスキー場もある。 冬山をやらない私にとっては、泉ヶ岳に登ることからシーズンが始まるのが常であったが、体力が落ちた最近は、七ツ森や戸神山などの低山から始めるようになった。それでもそのあとに一度くらいは必ず登る。3・11で気分が落ちていた昨年も、なんとか一度だけは登ったのである。そのすぐ後、薬莱山も歩いたのだが、やはり気分は上がらず、私の山歩きシーズンは5月で終わってしまった。 泉ヶ岳には、「表」、「水神」、「滑降」、「かもしか」の4つの登山コースがあるほか、水神コースから北泉が岳へ向かう登山路から分岐する「北泉コース」もある。水神コースを上り、かもしかコースを下るというのが、私の標準的なコースどりである。シーズン初めとしては、緩やかな上りから始まる水神コースが体力的に楽なせいである。今回も水神コースを登ることにする。 広い駐車場に私の車が1台だけ、駐車場の周囲の桜は今が満開である。出発前にトイレを使うと、入口の壁に「残雪が多いため、滑降コ-スは閉鎖」という掲示がある。かもしかコースも頂上から途中までは同じ道を使うので似たような状況だろうと考え、今日の下りは表コースをとることにしたのである。 駐車場の桜を長めながらの出発は6:02であった。左に水神から流れてくる(泉ヶ岳と北泉ヶ岳の間から七北田川へ流れる)沢、右に少年自然の家のキャンプ場、その間を緩やかに登っていく。途中で、入山届けを書く(6:15)。 歩くのに何の支障もないが、登山道はたくさんの大きな石の道になっている。恐らく、5月3日の大雨(仙台地方では20年ぶりくらいの激しい降雨だったという)が登山路の表土をかなり流し去ったためと思われる。雪解け水で沢の水も多い。 ほんのわずかの萌えで見通しの良いカラマツ林を過ぎ、「水神平」標に付いたのが6:50、やはり以前より時間がかかっている。そこら水神までは10分ちょっと、昔はこの路の向こう行手にに水神の森が見え、右手に泉ヶ岳の全容が仰ぎ見ることができたのだが、今はすっかりカラマツが大きくなって、そんな眺望はない。 水神(向こうに大きな自然石の水神碑)。 (2012/5/7 7:12) 沢を渡り、水神を直進する道は北泉ヶ岳へ向かう。泉ヶ岳へは水神から右手、東方に曲がる。。水神ではほんの5,6分の短い休憩をとり、斜面に取りつく。「ならのき林」標を過ぎる頃から、斜面はさらにきつくなる。大石の急斜面を40分ほど喘ぐと「賽の河原」につく。 途中の残雪はそれほど多くはなく、道の脇に数ヶ所だけだったが、連れはそのたびにがりがりと噛んで渇きを癒すのである。たぶん、汗腺のない犬は、喉の渇きを癒すばかりでなく、直接体温を下げる雪が大好物なのである。 賽の河原で、南に広がる眺望を少し楽しんで、頂上着は8:20である。頂上は背丈を越える灌木に囲まれていてとくに眺望がよいわけではない。頂上標から北へ5分ほど尾根を北に辿ると、北西に船形連山がすべて見渡せる眺望の良い場所がある。いつもと同じく、ここで朝食である。 船形連山。(2012/5/7 8:27) 写真、1番右の台形の頂上を見せる奥の山が船形山である。左隣、手前に重なっているのが三峯山、その左肩に見える小さく見える峰が蛇ヶ岳、写真の左半分にゆったりと広がっている山塊が後白髭山である。 朝食休憩も終わり、9:00に下山出発。かもしかコース、滑降コースの下山口(同じ道)には黄色のテープが張り巡らされて通行禁止である。表コースの道に入り、頂上台地を少し進むと、、初めて見る小さな社がある。 泉ヶ岳薬師如来が祀られているお堂。(2012/5/7 9:02) 脇に「誌名録」石碑が建てられていて、安永6年(1775年)に造られたものだが、ここ数十年。土に埋もれていたものを平成2年に発見され、お堂を造って祀ったということが記されていた。まったく知らなかった。じつのところ、表コースはたった二回しか歩いていないのだ。若いとき(つまり、35年くらい前)に上りで使い、傾斜がきつく、それ以来敬遠していたのだが、つい5年ほど前に下りで使ったことがある。後者の時には、すでにお堂はあったわけで、何で気がつかなかったのかわからない。不注意というしかないが、すこし横道に入るもののけっこう目立っているのだったが。 急傾斜の下りでは膝を痛めないか、というのが心配になる。アユ釣りやヤマメ釣りでは水に入って足を冷やすので、それはそれで膝に悪い。下りの歩きは膝に負荷がかかりすぎる。因果な趣味ではある。 まだまったくの裸木の「どうだん林」(9:29)を過ぎ、大石の急坂を慎重に下り、「胎内くぐり」(9:46)の大石はくぐらないでその脇を通る。まもなく、一本の満開の桜が見えてくる。ヤマザクラと思えないほどの満開ぶりで、傍まで行って見ると、ヤマザクラらしく葉も出ているのだが、まだうんと小さいのだった。もう少し葉が大きくなったものばかりを、ヤマザクラとしてみていたらしい。 あまり花はなかったが、「薬師水」の沢近くまで下る(10:12)と、イチリンソウ、アズマイチゲ、数種のスミレの花々が現れてくる。アズマイチゲには、白花と紫花があるが、写真のような濃色の紫のアズマイチゲは珍しいのではないか、と思って写真を撮った。 濃色のアズマイチゲ。(2012/5/7 10:13)。 道は杉林となり、10:20に表コース登山口に着く。ここは上下2車線の舗装道路で、「スプリングバレー」スキー場を経て桑沼(北泉が岳への登山口)へ至る道だ。この舗装道路を歩いて、駐車地点に戻るのである。 この帰路の途中、舗装道路のほぼ半分が崩落している場所があった。近寄って写真を撮っていると、作業着を着た数人がやってきて、崩落場所の見聞を始めた。中に一人だけ作業着を着ていない人がいて、仙台市泉区役所に勤めている知人(アユ釣り仲間)であった。 知人によれば、5月3日の大雨による崩落ということだ。大雨は残雪も大量に解かし、降雨と雪解け水で激しい流量なったのだ、と思われる。本日から工事終了まで、この道は通行禁止、それに伴って「表コース」登山路は閉鎖、その作業にやってきたということだ。他の登山道も調べる必要があるということで、その場で、私が歩いてきたコースの状況を報告した。 「表コース」登山口に至る道の崩落現場。。(2012/5/7 10:39)。 知人に別れの挨拶をして、「青年の家」を横目に見ながら下って来ると、道の分岐にはすでに通行禁止の措置が取られていた。 駐車場には11:05着であった。
2012.05.07
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前回の達居森のコースは起伏の緩やかな遊歩道歩きだったので、今回は極端なトンガリ山であるオボコンベ山に登ってみたいと思ったのである。オボコンベ山は、非常に鋭いが極端に狭い頂上を持ち、三角点もないため、地図上には等高線が描かれているだけで、頂上の位置も山名も記されていない。 オボコンベ山は、名取川畔にある神ヶ根(かんかね)温泉の上流で右岸から合わさる支流「本砂金(もといさご)川」のずっと上流の左岸に登山口を持つ。本砂金川は、本流に雪代の多い時期のヤマメ釣りが良いそうである(私は雪代期にはほとんどヤマメ釣りをしないので、自分で確かめた情報ではない)。 仙台からは、国道256号を西進して、途中で秋保温泉への道に右折し、温泉を過ぎてから長袋地区を川崎町に抜ける道に左折する。もうひとつのルートとして、作並温泉に向かう国道48号を西進して白沢地区から長袋に入り、一旦仙台方向に戻って右折して川崎町への道に入っても良い。 道は名取川の竹ノ内橋を通り、二つほど丘陵を越えると本砂金地区の集落に出る。長袋地区から5.8kmくらいである。集落が終わるころ、本砂子川の手前で「栃原』地区への案内がある道に右折する。そこから3.4kmくらいを本砂金川に沿って入ると左手に登山口の案内が見えてくる。舗装は途中までである。 「おぼこんべ山登山口」標の前、6:05の出発である。道はすぐ本砂金川に降り、やや上手を渡渉し、右岸から流れ込む支沢沿い(ときどき沢中)をたどる。歩き出すとすぐに、倒れかかっている杉が多いことに気づく。まもなく、じつに多くの杉や雑木が倒れている場所に、次々出くわすようになるのであった。谷が狭いところでは、倒木で谷が埋まっている感じである。 崖の部分崩落と沢を埋める倒木。 (2012/4/24 6:18) 上の写真は、左の崖の上から杉の倒木が、右の林から雑木が倒れてきて、谷を埋め尽くしている個所である。それまでは倒木をくぐり抜けたり、跳び越えたりして、張り切って先導していた連れがさすがに進みかねている。ここでは、ずっと上の高巻きを強いられた。 倒木はずっと続いている。冬の積雪のせいだと思われる。今年は本当に雪が多くて、仙台市内を流れる広瀬川も例年よりずっと多い雪代を流しているので、私の今年のヤマメ釣りはまだ始まっていない。 おそらく、3・11大地震で地盤が弛んだうえの大量の雪で、崩落と倒木が重なってしまったのではないか、と思う。谷が広くなっているところでは、相当に伸びた杉の先が対岸まで届いており、倒木があれば、とにかくまともに歩くことができないのである。 杉の倒木で沢が見えない。 (2012/4/24 6:25) ほぼ一年のブランクと老化による体力低下を、なんとか低山歩きで回復しようとしてきたが、それは所詮、足と心肺機能をほんの少しばかり鍛えただけで、倒木のよじ登り、跨ぎ越え、あるいはくぐり抜けと、思わぬ全身運動で本当にバテバテになってしまった。 沢から尾根への取り付きまで50分ほどを要したが、そこからの急斜面を、あえぎあえぎ、休み休み何とか這い上がったものの、オボコンベ山の西に隣接する桐の目山に寄り道する計画はあっさりと放棄である。 まっすぐオボコンベ山への尾根を辿る。オボコンベの頂上とその手前のマンモス岩の鋭く尖った姿がしだいに大きく見えてくる。道はだんだん狭くなり、連れの目線より高い起伏があると、前に進まなくなる。連れにしてみれば、その障碍の向こうは空中で、ちゃんとした地面があると信じられないようなのである。この犬は、林の中を歩いても見通しが良ければ先導し、道が曲がりくねったり、薮だったりして見通しが悪いときには私のあとに付き従うのである。私は連れの仕事のひとつを熊よけだと思っているが、連れは連れで私を熊よけにするのだ。 オボコンベ山頂上、右はマンモス岩。(2012/4/24 7:46) マンモス岩にはアーチがあって、その中から覗く景色はじつに楽しい。アーチの写真を撮ろうと思っても、立ち位置の左右は崖で身動きができない。広角レンズなどないちゃちなデジカメしか持たない私は、なかなか良い写真は撮れないのある。下の写真は、7枚の写真を「Adobe Photoshop]で合成したものである。適当な感じで映したら端っこが欠けてしまった。 マンモス岩のアーチ。 (2012/4/24 7:52) マンモス岩を過ぎれば、短い急斜面をよじ登ってすぐに頂上である。頂上もまた狭い。トンガリ頂上だけあって、眺望は抜群である。蔵王連山、南と北の雁戸山、山形神室と仙台神室、大東岳が真っ白な残雪を載せて輝いている。すぐ目の前には、あっさりと諦めた桐の目山が見える。 オボコンベ山頂で記念写真。 (2012/4/24 8:04) 眺望をしばし楽しんでから、朝食である。最近の山(川の場合もだが)の弁当は、お決まりというか、定番というか、つまりワンパターンなのである。まず豚の生姜焼き、たっぷりの数種の野菜の浅漬け、梅干し1個、柴漬けなどのほんのわずかな漬物2,3種、ゆで卵1個、リンゴまたはオレンジの果物、これで全部である。ワンパターンとはいえ、本人がこれが好きで、自分で準備するので問題はないのだが、唯一、連れが生姜焼きに執心するので味付けを薄めにせざるをえないのが難点といえば難点である。 狭く切り立った頂上というのは、やはり何となく落ち着かない。休憩に飽きてしまった連れが端から端まで探索を始めると、滑り落ちないかと気が気でないこともあって、食事を終えるとすぐに下山である。 西斜面から登り、下山路は東へ下る道をとる。こちらも頂上直下は急斜面である。途中、急斜面どころか、「ロープ付きの崖」としか思えない個所もある。 登山道? 崖である。 (2012/4/24 8:32) 4mしか伸びないリードでこの崖を下ると連れを吊り下げることになりそうで、リードを外し、先に下ろしてやる(逆コースの登山者がいないことを祈りながら)。4駆というものはすごいもので、逆さまに駆け下りていくのである。 大変な道だが、そんなに長いわけではない。あとは雑木と松の混成林のなか、所々杉林の脇、という道は楽は楽だが、とくに快適というわけではない。平凡な道である。途中で旧林道に出て、歩きやすいので少し急ぎ足になったりする。この旧林道から仙台神室岳が杉林の向こうに真っ白な山容が見せる所があって、しばし足を止めた。山というのは、高みからの眺望としての姿と、低い場所から仰ぎ見るように眺める姿とは、受ける感銘が微妙に異なる。前者は美しさが強調され、後者は崇高さが強くなるようだ。 下山路は、本砂金川に突き当たると左に折れて、しばし右岸を上り、そこで川を渡る。水が苦手な連れは、両足を川に突っ込んでから、雪代でやや多めの水量に逡巡して、私の顔を見つめ、何かを期待しているようだったが、無視して渡渉する。横目で見ていると、いやいや歩き始めたが、半ばあたりから急ぎ足、最後は駈けだした。駆け出さなければそんなに濡れないのに、ずぶ濡れである。 本砂金川を渡渉する。 (2012/4/24 9:34) 渡渉点は、登山口駐車場から700mほど下流になっている。キブシ(十五倍子)の花などの写真を撮りながら(キブシくらいしか花はなかったのである)、林道をのんびりと戻り、車のところには9:50着であった。
2012.05.01
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3回続けて七ツ森に通い、七つの峰を歩き終えたころ、七ツ森の全景を見たいと思ったのである。『宮城県の山』 [1] という登山ガイド本に、達居(たっこ)森頂上から七ツ森の全景が見えることがその写真を添えて記されていたので、さっそく達居森を歩くことにした。 また、前に登った笹倉山の眺子ノ石展望台からも七ツ森の全景が見えたのを思いだし、北の達居森、南の笹倉山の両方から七ツ森の全景写真を撮りに向かったのである。 仙台市中心部から達居森へは、まず国道4号線を北上し、大和町の大和中学校や吉岡小学校のあるあたりからおよそ1.3kmで中新田方面に向かう国道457号に左折し、その分岐からさらに1.4kmほどにある牛野ダムへの案内板にしたがって左折する。457号の分岐から6kmでダムサイトの下の駐車場に着く。 土曜日のせいか、その広い駐車場にはたくさんの車が駐車しており、40人ほどの団体が輪を作ってなにかしら打ち合わせをしているようであった。 ダムからの流れ出しに架かる橋を渡っての歩き出しは9:45であった。雑木林の緩やかな上りで、道は登山道と呼ぶにはじつによく整備されていて、いわば快適な遊歩道である。少し急な上りには必ずといっていいほど階段がしつらえられている。しかも、その道のほとんどが尾根伝いのうえ、尾根幅が広くないので、左右の見通しが良く(雑木林に葉が茂っていない時期ということもあるが)、ひたすら気分の良いハイキングコースになっている。黒伏山に登ったときも、福禄山、銭山、白森、黒伏山の周回コースの半分は快適な尾根道で気分が良かったが、スケールは小さいものの、それに良く似た気分の良さである。 歩き始めて10分もしないうちに、左手の斜面の雑木の幹に白木作り、家型の鳥の巣箱が括りつけてあるのが見える。「愛好者があちこちに巣箱を設置しているんだな」と思ったのだが、私が見たのは結局それ一つだけであった。 雑木に松が混じる緩やかなアップダウンの道の途中にはベンチがあったり、案内標も、大きな木製の立派なものが整備されている。 25分ほどで「東屋」への分岐に着く。東屋へは急勾配のアップダウンだが、階段が整備され、しかも一つ一つの坂が短いため、息切れする前に下り坂になり、10分ほどで東屋である。途中に旧道から登ってくる道が合わさる。東屋展望台から大和町方面の見晴らしが良く、達居森の説明案内板には次のように記されている。大衡村の最西端に位置し女達居森(北方約一,五〇〇メートル)と対をなしている村一高い山である。「達居」の地名はアイヌ語で「孤立した丘」を意味する。中世時代 福田太郎左衛門の居館 折口館(東北約一,二〇〇メートル)の見張り所であったと伝えられている。 東屋から引き返し、頂上に向かう。道はさらにさらに尾根道らしさが増し、その尾根が右手に曲がっていて、その先の頂上らしいところまで見通すことができる。 達居森のハイキングコース。 (2012/4/21 10:52) 頂上と間違えそうなピークがあって、そこから大和町吉田へ至る道の標示がある。牛野ダムからの道は南下する道で、吉田は頂上の南の地区である(じつは、頂上往復の予定だったが、時間に余裕があったので、帰り足で吉田への道を途中まで歩いてきたのである)。いくつかの偽ピークを越え、ほぼ直角に曲がる尾根を辿ると三角点のある峰に出る。ここに「達居森頂上」の板標示が松の木の高いところに掲げてある。 三角点のある頂上。 (2012/4/21 10:56) この頂上の少し先に尾根の先端があり、展望所となっていて、七ツ森の全景を見ることができる。あいにくの曇天と私のちゃちなデジカメのせいで、鮮明な写真は無理だったが、目的の半分は、これで達成したのである。 北からの七ツ森全景。(2012/4/21 10:59) 一番右に遂倉山(307m)、はっきりしないがその手前にたがら森(232m)が重なっている。少し離れて鎌倉山(313m)、蜂倉山(293m)、撫倉山(354m)、大倉山(327m)と続いて、大倉山の肩に松倉山(291m)の峰が覗いている。 遂倉山と鎌倉山の谷間から仙台のビル群が見えると、『宮城県の山』に記してあったとおりに、3,4のビルの頭が霞んで見える。 遂倉山と鎌倉山谷間に見えるビル群。(2012/4/21 11:02) 七ツ森の全景写真の写りの悪さに四苦八苦していると、駐車場でミーティングをしていた大集団が到着した。相棒は大勢に囲まれ、いろんな言葉をかけられたり撫でられたりしながら、おおいに戸惑っている。じつは人間が苦手なのである。町場の散歩でも、人間が集まっている場所には行こうとしない犬である。反対に、山歩きに行くことが理解できると、文字通り、狂喜乱舞となる犬である。 リードなしで連れてこられたやや小型のシェルティ(シェットランド・シープドッグ)がいて、連れにまつわりついて少し心配したが、何ごともなく相手をしてくれた。小さい犬に対しては滅多に敵意を見せないが、うるさくまとわりつかれるとすごい形相で追っ払うことがあるのだ(噛みつきはしないが)。 さて、下りは途中で少しばかり脇道の探索をした(じつのところ、立派な杉林のなかの谷筋に山菜を探しに下りたのである。なかったが)ものの、12:00ちょうどくらいに駐車場に戻った。昼食は後回しにして、さっそく笹倉山に向かった。 笹倉山へは、国道4号線には戻らず、457号線を南下し、七ツ森登山の際に入った地点を過ぎてから右に入る道をとる。この道の入口には、交通安全のためか、古いパトカーが道路脇に置かれていて良い目印になっている。 達居森駐車場から笹倉山御門杉登山口には30分ちょっとで着く。この登山口から眺子ノ石展望台までは20分くらいである。ちょうど13:00くらいで、七ツ森の写真を撮ってから、昼食とした。 南から見る七ツ森。(2012/4/21 13:08) 右端の木枝の向こうに見えるのが松倉山で、左に向かって大倉山、撫倉山、蜂倉山、遂倉山、鎌倉山と続いている。たがら森は鎌倉山の蔭になっていて見えない 七ツ森からさらに左に目をやると、先ほど歩いてきた達居森が見える。アイヌ語で「孤立した丘」という名前どおりに周囲から浮き立っている。 南と北の両方から七ツ森の全景写真を撮る、という目的は果たせたので、昼食をゆっくりと食べて、眺子ノ石展望台からそのまま下って帰ることにした。駐車場には6台ほど駐車していて、眺子ノ石展望台までの上りで3組と出会った。下りでは、登り始めた単独登山者と出会った。今日は土曜日なので登山客が多いようだ。週日に登るとせいぜい一人くらいにしか会わない山なのだが。 御門杉登山口には13:40に戻った。[1] 早川輝男『宮城県の山』(山と渓谷社、2004年) p. 104。
2012.04.21
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3・11のアフター・エフェクトで衰えた体力回復を狙ってのリハビリ低山歩き、その3回目は、七ツ森の残りの3峰、鎌倉山、遂倉(とがくら)山、たがら森(たんがら森)である。現在では、たがら森は七ツ森に加えられておらず、少し離れた場所にある独立峰の笹倉山を加えて七ツ森とされている。 七ツ森のそれぞれの山名についている「倉」は岩の意らしい。確かにどの山も岩(大石)の登山道が特徴である。ところで、たがら森の「たがら」の意味は何だろうと、ずっと不思議に思っていたが、分からないままでいた。Wikipediaには「仙台弁ではたんがら森」と記されているけれども、仙台人(高校から住んでいるので、「約・仙台人」だけれども)の私にも「たんがら」は分からないのであった。このブログを書こうと、再度、ネット検索をしてみると「宮城県:七つ森一つ、たがら森」というブログ記事に次のような記載があった。「黒川郡大和町(歴史の町、伝説の町)に、七つ森という七つの山があり(山でなく森である。)プラス一つの森「たんがら森」とか「たがら森」とか「宝森」とか呼ばれる山である。」 「宝」だった。「宝」であれば、「たがら(たんがら)」の「が」は鼻濁音ではないのに、私はずっと鼻濁音として読み、発音していたので、まったく「宝」に行きつかなっかったのである。私よりもっと純粋に仙台人である108才の義母もその娘である妻も、分からなかったのは当然である。仙台人度が高いほど、かえって不明の言葉になるのであった。仙台人にしてみれば、鼻濁音で発音されなければ「たがら」も「たんがら」もそのまんま「宝」そのものなのである。どうして私は鼻濁音だと思い込んでいたのだろう。 さて、山歩きである。 登山口は、前の4山のときと同じく、国道457号を東北理工専門学校から左折して、その道を南川ダム(七ツ森湖)まで出て、ダム湖にかかる七ツ森大橋を渡って右折、ダムサイトの下まで行くと見えてくる。 南川ダムサイトから見る二つの笹倉山。(2012/4/19 6:13) 七ツ森遊歩道入口から、ダム右岸の旧道(車通行不可)をダムサイトまで上がっていくと湖の向こうに笹倉山(大森山)が見えてくる。曇っているのがいささか残念だが、立派な「逆さ笹倉」である。写真の真ん中に見えるのが、さっき渡ってきた七ツ森大橋である。ダム湖に沿ってほどされた道を進むと、湖の入り江に架かる旧道の赤い鉄橋の手前左に案内板があって、そこが登山道(遊歩道)の始点である。 遊歩道入口から100mも歩かないうちに鎌倉山登山道が遊歩道から左に分かれる。道はすぐに急坂になって、七ツ森に特徴的な岩だらけのロープの伝い上りを強いられる。 ロープを頼りに鎌倉山頂上へ。(2012/4/19 6:47) 道はひたすらまっすぐ、直線的に頂上に向かう。時々は、岩と岩の間に咲く日本春蘭の花などを眺めては息を整える。途中、「岩すべり展望所」の表示があった。まだ芽吹いていない雑木林の見通しは悪くないためか、とくに展望所として良いスポットだという実感はないのであった。 遊歩道入口から40分ほどで頂上である。この鎌倉山頂の薬師如来は立派な屋根付きの小屋に祀られている。また、「七薬師がけ由来」の看板が設置され、現在の七ツ森山頂の薬師仏は1762年(宝暦12年)に運び上げられたものだという旨が記されている。 南から頂上に登ってきて、下りは北の方、遂倉山方向にまっすぐ向かっている。下る途中に大きな自然石が立っていて、脇を通り抜けて北面を見ると文字が彫られている石碑である。その文字はまったく読めなくて、上の二文字が「南無......」らしいことと、脇に「但木成行代建...」と記されていることが分かっただけである。 鎌倉山と遂倉山の間のもっとも低いと思われる鞍部で、十字路に出る。交差する道は、車を止めた場所からさらに300mほど北から入って七ツ森を縦断する遊歩道である。十字路に下る15mほど手前から、この交差する道を走っていく狸くらいの大きさの獣を見つけた。連れ(イオ)も気づいたらしく、リードを強く引っぱって、獣が消えた薮に入ろうとするのを、とにかく宥めて、まっすぐ遂倉山への上りの道に入った。 遂倉山は、他の七ツ森の山々とは異なり、ずっと土の道が続いている。しかも、つづら折りの緩やかな登山道となっている。山の形状がほとんど対称的な円形のせいで、道の設定が自由にできたためだろうと思われる。この道の途中に「たがら森頂上へ」の表示板がある。 十字路から20分ほどで遂倉山頂上である。もちろん、ここにも薬師仏があって、「やはり「宝暦十二年」の記載がある。また、見晴らし用らしい鉄塔も建てられている。この鉄塔の裏手に廻ると、崩れ落ちた建屋の木材が朽ちかけているのが見られる。木組みから見ると、社かお堂らしいと思われた。 ちょうど午前8時だったので、ここで朝食とした。相棒は、あいかわらず自分の食事は見向きもせず、私の弁当が気になってしょうがないのであった。 同じ道を途中まで下り、たがら森への道をとる。この道は、じつに狭い尾根道の場所が多く、とくに右手には崩落したような地形になっていて、相棒のリードを短めに持って慎重に歩かなければならない個所もあった。鞍部になると左手の杉林に入る分岐がある。この分岐は帰りに利用しようと思っている道である。 杉林のちょっとした急斜面を登ると、たがら森頂上である。遂倉山の分岐から20分ちょっとでたどりついた。たがら森にも石仏が祀られているが、どうも薬師仏ではないらしい。 たがら森頂上の石仏。 (2012/4/19 8:50) 薬師如来は左手に薬壺を持つはずである。この仏様は、左手に巻物(経文?)、右手に剣らしいものをもっている。如来像でも菩薩像でもこのような形の像を私は知らない。剣といえば不動明王を思い出すが、左手は縄のはずである。私の知識ではどうにもならない石仏ではあった。 しかも、この石仏の頭部は横に真っ二つに割れ、光背も無残に割れ落ちている。たがら森は七ツ森からはずされたうえ、石仏も例外的な扱いで、何とも気の毒なのである。加えて、ここには他の6山の頂上に設置されている金属板製の立派な頂上標もない。その代わり、「たがら森山頂!232m」という木製手書きの頂上標が「たんがら森 232m」という木板も添えられて木に括りつけられてあった。6山の「官製」に対して「民製」である。しかしこれは、この山を愛してやまない「ある人」が確実に存在することを顕示しているのだ。他の山は、官が認めた、観光行政的に処理された事実しか顕在していないのに、である(他の山を愛している人がいないと言っているのではない、少なくも外形的には、という意味である)。 気分的には、私も「たがら森応援団」の一員になりたいのである。判官贔屓なのだ。 たがら森の頂上からは西へ下る道がみえるが、分岐標には「頂上より下りは廃道注意」とあったので避けることにした。登って来た道を引き返し、途中の分岐から杉林に下る道に入った。 杉林が終わりかけるころ、急に立ち止まった連れが杉木立の向こうをじっと見ている。よく見ると、大きなカモシカがこちらを振り返った姿勢のままで、じっとこちらを見ているのであった。カモシカとイヌとニンゲンは、しばらくの間、すくんだように互いを見つめ合っていたのである。 連れは、鎌倉山から遂倉山へ向かう十字路で見せたような興奮も見せないのである。相手が大きすぎてビビっていたのかも知れない。騒がないでじっとしている方が無難だと思っていたようなのだ。 杉木立の向こうにカモシカが。 (2012/4/19 9:05) いつまでもカモシカとイヌのにらみ合いに付きあってはいられないので、連れを促すと、何ごともないかのように歩き出した、道は、鎌倉山から遂倉山へ向かう十字路で交差した道に出会い、そのすぐあとに遊歩道は終わり、その向こうは田圃である。舗装道路には出ないで、あぜ道や、小川の土手を通って出発点の駐車場にたどり着いた。6:06発、9:30着の山歩きであった。
2012.04.19
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リハビリ低山歩きは当分続ける必要があるだろうと考えて、このさい、七ツ森の七つの峰をすべてまとめて登ってみようということにした。しかし、昔の信仰篤い人のように七つ掛けは今の私にはとうてい無理なので、今日は東の三峰、松倉山、大倉山、撫倉山の順に登ることにした。 国道457号を東北理工専門学校の建物の手前で左折するところまでは先日の蜂倉山と同じだが、左折してから600mほどですぐに右の道に入り、信楽寺遺跡前が登山口の駐車場になっている。 民家の脇を通る登山道。右は信楽寺遺跡への道。(2012/4/16 6:22) 民家の脇を過ぎると、道はすぐ撫倉山と松倉山への分岐となるが、右の道、松倉山へと向かう。前に歩いたときには、道が杉林に入るころからニリンソウがたくさん見られたが、今年は春が遅くてまだほとんど見られないだろうと思っていたが、20分ほど歩いたあたり、道の右が雑木林のところでカタクリとニリンソウがけっこう咲いていた。アズマイチゲはほんの少し、キクザキイチゲは見られなかった。 40分ほどで二つの峰の鞍部にあがる。どちらが頂上だったか、思い出せないまま上がる。最初は右の峰に上がることにした。 大倉山頂上尾根の下から。(2012/4/16 6:57) 右(南東)の峰に三角点の石標があり、国土地理院の地図上の頂上である。引き返し、左(北東)の峰には「松倉山291m」の頂上票と薬師如来の石仏が安置されている。こちらの方が山塊の中心に感じられ、仏や神の依り代としては高みであるとともに中央という概念も必要らしいことが窺えるのであった。 そのまま北西の道を下っていくと、左は撫倉山、右は七ツ森の中央を縦断する遊歩道の分岐に出る。大倉山を先に登るため、右の道をとる。5年ほど前の4月下旬にこの道を歩いたときには、ヤマブキソウ、ムラサキケマン、キケマンなどがたくさん咲いている「花の道」であったが、今年は春が遅く、ほとんどその気配がない。 道はまもまく、左、撫倉山、右、大倉山の十字路に出て、そこから大倉山に取りかかる。道はほとんどまっすぐに双耳峰の鞍部に上がり、右(東)の峰に頂上標と石仏が祀られている。ここでも左の峰に三角点があり、地図上の頂上となっている。ここの三角点の傍で朝食とした。 大倉山の頂上からそのまま西へ下る道をとると、先日歩いた蜂倉山からの道に出る。そこからさっきの十字路まで戻り、撫倉山に取りかかる。この登山道はおそらく七ツ森の中では最大の難所道であろう。ほとんどがロープ伝いの岩の道で、狭い岩尾根や、鉄梯子の崖もある。そこでは、片手に相棒(イオ)を抱いて這い上るのである。 撫倉山へのロープ道。(2012/4/16 9:16) 撫倉山は七ツ森の最高峰で、東方向、富谷町から大和町方面の眺望が開けている。下りは南への道をとり、三山を周回するようなコースで戻ってきたのである。フキノトウとヒメオドリコソウ。(2012/4/16 10:39) 民家のある麓まで下り、休耕田らしきところにフキノトウが出ているのを見つける。ヒメオドリコソウの紫に囲まれて、なんとなく気品のある風情なのであった。見慣れているはずの草でもそのようなことがあるらしい。
2012.04.16
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3・11以来、かなり気力が落ちてしまい、山歩きからも釣りからも遠ざかり、本を読む日が続いた。5月くらいには気を取りなおして、泉ヶ岳、薬莱山を歩いて見たが、なかなか楽しめず、昨年の山はそれきりになってしまった。7月になってアユが解禁されて、川に入ってみたが、アユの姿はほとんど見えず、2時間ばかり広瀬川のなかを歩いてみただけで、釣りももそれっきりになってしまったのである。 今年になって少し気力が戻ってきたので、衰えた体力を回復させるべく、リハビリとしての低山歩きを始めることにしたのである。手始めは、七つある峰のうち、まだ登っていない七ツ森の蜂倉山(293m)である。 蜂倉山登山口ゲート前(後方の小山が蜂倉山) (2012/4/12 9:59) 登山口は、国道457号を仙台から北へ進んで、宮床ダムを過ぎ、宮床の集落を過ぎるころ右手に現れる東北理工専門学校の建物の手前を左折し、南川ダム(七ツ森湖)に向かう途中にある。道から右手の林道ゲートが見えてわかりやすい。 林道は蜂倉山には向かわず、まっすぐ隣の撫倉山(354m)に向かい、その西麓を半周して撫倉山の真北まで廻り、そこからほとんど引き返すように折れて蜂倉山に向かう。蜂倉山に取りかかるころ、女性二人が横から合流した。連れの犬(イオ、牝11才)に話しかけ、ついでに私にも挨拶してくれた。一人歩きに比べれば、犬連れの時は犬を介して良く挨拶が成立するのである。 中腹から上は岩だらけの急斜面である。この急斜面は七ツ森の特徴で、そのため七ツ森は幾つもの籠を伏せたような形で、遠目からよく目立つ山群となっている。頂上近くの急斜面になると、健脚の二人の女性はリハビリ中の私からどんどん離れていくのであった。 頂上では先着の二人が昼食中である。少し離れて私も弁当を広げる。イオは残念ながら朝晩の二食だけなので、少しばかりの弁当のお裾分けで我慢している。二人の先客が下りていったあとに一羽の蝶が飛んできて、腰掛けていた岩に羽を休めている。小さいがよく目立つヒオドシチョウである。 蜂倉山頂上のヒオドシチョウ (2012/4/12 11:57) 下りには反対の道をとり、北の麓におり、大倉山との間の道、蜂倉山の東麓をぐるっと回って帰ることにした。まだ若葉が萌えだしていない雑木林は快適な散歩道であるが、花もまだ少ない。カタクリとスミレはそこそこ、そしてたった一輪のアズマイチゲを見ただけであった。イチリンソウとニリンソウはまだ葉ばっかりで、同じように葉だけのトリカブトがたくさん混じって生えているのであった。(どうか皆さんが間違えませんように) 東麓の雑木林から見る蜂倉山 (2012/4/12 12:55) 周回した道はふたたび撫倉山北麓の分岐に戻り、そこからは登山口の林道ゲートまで緩やかな下りなので、少し大股の急ぎ足で、リハビリの一環としたのである。途中、谷の向こう、林の中をカメラを抱えて歩く人がいて、イオが唸って吠えようとするのを必死に宥めた。イオにしてみれば、道を歩かない人間はどうしたって不審者なのである。
2012.04.12
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