金子みすゞへの想い

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私は昨年一年間、家族やPTA役員仲間や図書館仲間にずっと言い続け、とうとう実現できなかったことがあります。

それは、昨年ちょうど生誕100年を迎えた“幻の童謡詩人 金子みすゞ”を尋ねる一人旅でした。

金子みすゞ、本名テルは明治36年(1903年)4月11日、山口県大津郡仙崎(今の長門市仙崎)に生まれました。仙崎は萩と下関の間、日本海に面した三角州の漁師町です。

テルの育った大正時代、町は漁師たちで活気に溢れていました。

特に大羽いわしの時期になると、夜の11時ごろから明け方まで、海には漁船が並び、1キロ近い海岸線にはガス燈がともり、男や女や子どもまでが総出で網を引く様子は、「大漁」そのままの、まるで祭りのようだったといいます。

金子みすゞの甦りは、みすゞの残したこの一編の作品によっておこなわれました。『日本童謡集』(与田準一編・岩波文庫)の中に、金子みすゞという名前と、「大漁」が載っていたのです。

「大漁」

朝やけ小やけだ 大漁だ

大羽いわしの 大漁だ

浜は祭りのようだけど

海のなかでは何万の

いわしのとむらい

するだろう


金子みすゞを甦らせた矢崎節夫さんが、この作品を読んだ当時、彼は大学1年生でしたが、それは、人間中心のまなざしをひっくり返されるほどの衝撃を受けました。「大漁」との出会いが彼をみすゞ探しの旅に向かわせたのでした。

生き死にをこんなに鮮烈に歌えるなんて・・・。

見えない海の底の悲しみにまで佇めるなんて・・。

“みんなちがって、みんないい”でおなじみの「私と小鳥と鈴と」や“みえぬけれどもあるんだよ。みえぬものでもあるんだよ。”の「ほしとたんぽぽ」も、私の心にどれほどの輝きを与えてくれたことでしょう。

いのちのこと、こころのこと、いかされているということ、みえないけれどあるということ、ちがうことの素晴らしさなどがこんなにあたたかく素直に響いてくるなんて・・・。

それはまるで、結晶のように私の心の奥底に残っています。

みすゞは日本の童謡の興隆期、大正から昭和にかけて、彗星のように現われ、西条八十らに賞賛されながらも昭和5年、26歳の若さで3通の遺書を残し、自らの手でこの世を去りました。

結婚をし、最愛の愛娘をもうけながら、残念なことに相手の人は、みすゞの心持ちとは遠い人でした。ついには、みすゞに童謡を書くこと、投稿仲間との文通を禁じたのです。

夫は遊郭遊びに日を過ごし、遊郭の病気淋病さえ、移されてしまいます。

愛娘を残しながら、命を絶たなければいけなかった、みすゞの心の中はどんなものだったのでしょう。私には想像もつきません。

みすゞさん!私は、あなたに、ふーちゃんと共に最後の最後まで強く生きてほしかった。

もし、あなたが今の時代に生きていたなら、自ら命を断つことなどしなくてすんだでしょうに・・・と思うと本当に残念です。

私は、どうしてもあなたが生まれ育った町を訪れ、一人静かな風に吹かれたいと切望しました。

「夏休み中の一泊か二泊、一人で金子みすゞのふるさとに訪れたいなあ!」

なんと家族からは、意外にも「いいよ!行っておいでよ」という言葉が返ってきたんです。

長門市のHPにアクセスしたり、心はあなたの故郷に向かっていたのに、結局日程が取れなくて、実現することができなかった。

今年こそは、あなたの生まれ育った故郷に会いに行けるでしょうか?

ああ~!その前にやるべきことをしっかりやらなければね!!(^_-)★


ほしとたんぽぽ


 ◆『ほしとたんぽぽ』金子みすゞ童謡 矢崎節夫選 /上野紀子絵/JULA出版局

「星とたんぽぽ」他、「大漁」「私と小鳥と鈴と」等を含めた金子みすゞの童謡に上野紀子さんが本当に愛らしい絵を添えて、宝物のような絵本になっています。 

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