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今年の「紅白」は、少し変わったようだ。新しく聴く歌や聞かせる歌があり、愉しんでいる。せめて今年最後のブログだから、「涙そうそう」歌謡曲が少ないのは良い。音楽祭で良い。下手なコントはいらない。歌詞の音楽ではない。音楽の中に詩があればよい。日本語は音楽に乗り難いだろう。可能性はテストしてよいだろう。ひとのこころは何処の国でも同じだろう。怖気ないで、行こう。あなたの一年が終わろうとしています。そして、私の一年も終わろうとしています。幸福だろうと、不幸だっとしても、グッドバイ、グッドバイ、2005年も、過ぎてしまえば、みな同じグッドバイ、グッドバイ、グッドバイバイどうぞ皆さん、良いお年を!!
2005.12.31
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一葉「にごりえ」の一節「・・・溝板の上の氷にすべり、足溜りなく転ける機会に手の物を取落して、一枚はづけれ溝板のひまよりざらざらと翻り入れば、下は行水きたなき溝泥なり、幾度も覗いて見れど是をば何として拾われませう、其時私は七つであったけれど家の内の様子、父母の心をも知れてあるにお米は途中で落としましたと空の味噌こしさげて家には帰られず、立てしばらく泣いて居たれどど何うしたと問ふて呉れる人もなく、聞いたからとて買てやろうと言ふ人は猶更なし、あの時近所に川なり池なりあらうなら私は定し身を投げて仕舞ひましたろ、・・・私は其頃から気が狂ったのでござんす・・・」「母も物いはず、父親も無言に、誰一人私をば、叱る物なく・・・今日は一日断食にせうと父の一言・・・」一葉の有名な一節であり、解説することもないが、自戒を籠めて引用したくなった。誰も悪い訳ではないが、少女の絶望が厭というほど伝わってくる。この時代にも寂しく正月を迎えるひとたちがいるだろう。身を削ってつくったカネをざらざらと世の中の泥水の中に落としてしまうような悲惨を味わってはいないだろうか。この一節は、「にごりえ」の一部でしかないが、作品に流れているのは、一葉の時代認識の重さであろう。そして、人々の感慨を思いを呑み込んで、あと5時間余で 2006年だ。
2005.12.31
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曇天である。寒さが緩いで穏やかな大晦日になった。’05年は、尼崎脱線事故や福岡県西方沖地震もあった。イラク戦争が深刻さを増しており、世界規模で異常気象も続いている。必ずしも平穏とは言えない世界が待ち構えてもいるだろう。次々と事故や事件が起きるに違いない。「無知と貧困」が人類を苦しめ続けている。私もそのひとりだろう。「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」啄木の心境にもなる。ただ、豊かさを追い求めてきたが、それがどれだけの価値があるのだろうか。私たちは疑問を感じてもいる。このまま進んでいけば、勝ち組と負け組みに色分けされ、底の浅い人間になってしまうのではないか。求めてきた豊かさとは、そも何だったのだろうか。必要ないからと弱者が無視される社会が私たちがもとめてきた豊かさなのだろうか。汚染される環境が元に戻ることができるだろうか。切れた親子が親愛を取り戻せるだろうか。不安が募るばかりだ。深刻さを無視して明るさを囁くひとが正しいひとなのだろうか。志ではなく、狡賢い左脳人間が横行しているだろう。さても地獄の沙汰もカネ次第とか。悠々たる哉「一葉」を読んでいる。
2005.12.31
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期待されると大抵裏切られることになるらしい。韓国のBS細胞疑惑の詳細は判らないが、韓国民の強い期待があっただろう。我国政治にしても、ことは殆ど期待されるようには推移しないことだらけだ。目測を誤れば、出直しをしなければならなくなる。「ミイラ取りがミイラになる」ことばかり繰り返してもいる。何故ことは、ショートするのだろうか。自分の努力だけではすまない。環境は一瞬にして激変するだろう。人生は誰かが知っているが自分が知らないことばかりが自分の行先を阻むものだ。周囲が期待することと自分の目標は元々一致しないのが普通だ、自然周期と自分の体内時計のようにタイムラグがある。人間の体内周期は、平均25時間なのだから、自然周期との調整ができないと体調は狂い出すだろう。総てに完璧な人間などどこにもいないし、期待もなどできない。ひとは、期待されない人生を生きてきたに過ぎない。だからひとは期待をしたがるのだろう。期待されないとできないというのは間違いだ。明日がわからないのに何を期待することができるだろうか。ヒトには、目的がない。人間が目標をつくるのだ。わずかなことばを知ったとしても真理ではない。学問に真理などない。過去の論理に真理を証明などできはしない。これからの未来に役立つものは、未来にしかないのだから。
2005.12.31
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一葉の「十三夜」は、少年のころ読んだことがあり、「いかにしたるか車夫はぴたりとカジを止めて、誠に申しかねますが私はこれで御免をお願ひます、代はいりませぬからお下りなすってと突然にいはれて・・・」の場面が、妙にこころに残っている。もし、車夫が、自分のことだったら・・・と思ったりしたものだ。暗い夜道を弱気な自分を鍛えようとひとりで走っていたころだ。男女のことなど判りもしなかったが胸が騒いだ、というより不安に近いだろう。今読むと「ふうん」くらいでしかない自分がいる。世の中を知ることに価値があるのだろうか。「にごりえ」の「おい木村さん信さん寄ってお出でよ、お寄りといったら寄っても宜いではないか、・・・」も凄い。一葉のだらだらした序文がない。古典を模した「弁解」がない。小説はこうでなければ小説ではない。読者に甘えていては自分の思いは伝わらない。半井桃水と絶交して一皮剥けた女がいる。傷つくのを懼れては恋愛はないのだろう。そして破れなければならない。ハートブレイクが知る境地があるだろう。不幸でなければ見えないものがあるかも知れない。一葉がたどり着く境地は、喩え貧しく短く未熟な魂だとしても、それが「片恋」であったとしても一葉のエリアだろう。それほど利巧でもない現代人は、先を急ぎたがるが先に何がある訳でもないのだ。文化は砂利にしか見えないだけで、何も知らずに駆け抜けていく間抜けだろう。知ろうとしないだけだ。どれだけデータがあっても意味がない。音が大きいだけで「花火」でしかない人生にしている。自分の人生に工夫のないひとの生き方は間違いだ。あはは。
2005.12.31
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考えるスタートが元日であるはずもない人生を生きているから、反省もしない1年だ。過去のことは過ぎたことで、遣りたいことを抱えているのだから不幸ではない。少なくとも何もないよりかは良い。できるかできないかが問題ではない。酒を飲み過ぎるとニューロンを破壊してゆく、食べ過ぎると早死にさえするだろう。健康と反対方向に歩いているが、他人を傷つけるよりかはましだ。何よりも自己撞着が一番醜いと知っていますか。本当に、真のひとの美醜が見えていますか。人間は、皆「成長」し、ある時間から突然「老化」に変わる過程を生きているけど、現在の貴方の1年とは、何でありますか。もうあと一日で、2005も終わる。「ザ一葉」を読もう。誰にも走り出す勇気が必要だ。
2005.12.30
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年末には価値ある特番もある。NHKで生命科学者柳澤桂子が紹介されていた。これまで図書館にあったものは殆ど読んでいるし、彼女の写真も観ていたので、すぐ柳澤と気付いた。坊主と仏教の話があっていた。35年間寝たきりの闘病生活と臨死体験で仏教との出逢いを述べていた。生物科学者であり、啓蒙書やエッセイを数多く出版している数少ない患者の立場を経験した科学者だ。だから、価値がある存在だと思う。併し、佛教に対してはプロではない。だが、「般若心経」を科学者の目でみた貴重な話があっていた。「空」をどう理解するかは、個人の脳力もある。併し、それは、如何に悟りを拓いた経典であろうと、それは過去の人間の想像力に由来したものである以上、それが真理であるかは、結論付けることはできないだろう。それを信仰することは自由だが、それは探究者の立場ではないと考える。宗教と科学はまだ、融合してはならないのではないか。科学的真実への探究をひとは始めたばかりだ。寧ろ、私は、生命科学者柳澤桂子が、現代医療という悲惨な現実を告発したことの価値の方が大きいと思っている。
2005.12.30
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先程電気店にプリンターのインクを買いに出かけたが、どこも人出が多いようだが景気の回復してきた影響からだろうか。どうにか天候も良く、九州は穏やかだが、東北は例年にない大雪になっているらしい。これから、正月の買物である。漸く始動のお呼びが掛かった。どうも暇そうにしていると見えて妻子が家にいると忙しくなる。今夜あたりから「一葉」を読もうと思っている。愉しみだ。兎に角読むにもタイミングが大切だ。助走も大切だ。「よく見る」ことは、中々難しい。時間をかけ過ぎても失敗する。マイペースをまもることだ。思えば、家族揃って正月を迎えられるのだから好しとせねばなるまい。日常は、別に不愉快なことばかりではないだろう。それでも娘たちがそれぞれにエリアを持ち出しているのは、寂しくもあるが、時の流れだろう。一寸雑踏を覗いてきます。
2005.12.30
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戦後60年を経た現在、これまでの安心や信頼が崩壊しつつある。多くのひとびとが、不安を口にし始めている。「何を信じたらよいか、わからない」を何度も聞いた。NHKの「ハイライト 2005」では、政治、経済、そして天災、人災と今年も多くの犠牲者を出したことを報道していた。中でも、JRの安全や、建物への信頼、そして子供の安全が揺らいだ年でもあったろう。更に大地震に対する不安も高まった。ひとの信頼を裏切る犯罪が増加し続けているし、アスベストや食の安全も不安材料になっている。ハイエナのような経済的アニマルが社会に横行し企業は安全地帯ではなくなり、公務員もリストラの対象だ。学校も安全ではなく、信頼していた教師もいつ豹変するか分からない。家庭もドメステック・バイオレンスで騒がれている。人間は、いつも平安ではなかったが、これからの時代は、修羅場の様相かも知れないと思わせる。明日で2005年も幕を閉じる。
2005.12.30
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早や住之江に着きにけるかな。今年もスケルトンでありしか。他人のことを知りたがるのは、本人が自分に未練があるからだろう。自分の身分と比較しないと安心できない性質はストレスの攻撃を受けやすいだろう。然もあまり価値はない。飽くまでも一部でしかなく、ストーカーでもないかぎり情熱もないだろう。人間にはそれほどの余力を持った者はいないだろう。精々身内に対して尽すひともいるがすぐに息切れしてしまう。そうマザーテレサのようなひとはいない。理解し合えることさえ難しいのは何故だろうか。これだけの脳細胞を持ちながら、もともと言語を利用し出したのは新しいことで、初めからあったのではない。脳や声帯もあとから作り出したものだ。五体も進化の過程で造り上げてきた。自然に在るものを利用した点で素材はあっただろうが長い時間が必要であっただろう。ところで、日本人はスピーチを自分の弁解から始めると言われる。講演会などで聞いていると特にそう思う。欧米ではジョークだ。個人主義では、人間は皆悪人であって信用できないと考える。世の中は闇でもある。だからファミリーがないと生きて行けないと考えるし、愛する人が必要なのだろう。そこで会話は重要だし、ジョークでスピーチを始めるのであろう。日本人は、同一民族でしかも島国だし狭い世界でもある。他人を信用しないと生活などできはしない。日本人は、自分のステータスで生きている。相手が自分より上か下しかない。問題の中味や重要性などではないところに、議論は噛みあわず、報告会になることが多いだろう。会話が下手なのではなく、会話にならないのだろう。日本語自体にも曖昧な語彙で概念が定まらないものが多いのは、拡大解釈をし易くしているからでもあろう。「天下」にしろ、いくつもの解釈ができる。狭いスペース生きていくには多くの意味をもたせて争いを避けようとした国民性が、世界環境の変化に翻弄されているだろう。やがて地球も狭くなりつつあるが、日本人的インスリン分泌もまた飢餓を経験するだろうか。取りとめのないことを考えている。
2005.12.30
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阿久悠という作詞家の特番があっている。昔何気なく聴いていた歌が悪寒を覚えてきた。これが本当に日本の名曲なのだろうか。好きな人も恐らく多いだろうから反発されそうだが、上手く嵌められていた気がしてならない。それにしても、たったひとりの阿久悠という男の歌詞に踊らされていただろう。というより過ぎない。何とお粗末なイデーだろうか。何と無駄な時間でしかない。黙って聴いていた自分に嫌悪感を覚える。そして当時の歌手が殆どいまは廃れているのは感慨深い。阿久悠は、宣伝家だ。その節度のなさは堕落した詩人だろう。さて、余り言い過ぎるとイエローカードが出そうだから止めるが、どうも仕組んだ側を肯定だけの番組は荒廃でしかない。時代は変わっているというのに、時々妙な番組をやるの謎だ。ことば遊びが繰り返されるのは復古調の所為だろうかと思うのはどうか。>上の写真は、庭の青のアサガオ
2005.12.29
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周辺の清掃を休み休み。流石にわが家の暮れの大掃除だ。どうせ寝正月のつもりでいる。こころの整理だけで良い。形式などゼロだ。何故同じことばかり繰り返すのだろうか。他人と同じことをしないと気が済まないのは自分がないからに過ぎない。自分の我儘であれば、妻子にしてあげれば良いが、必要でもないのに風邪を引きに年賀に行くことはないし、初日も毎日出ている。今年は、年賀状も書いていない。テレビで「国盗り物語」を遣っている。信長、秀吉、家康が日本人は好きなのか、或いは権力者が好きなのかは判らないが、年末年始の「定番」なのは何故だろうか。これは、歴史認識の甘さから来るというより、meme だろう。ところで「天下」とのコンセプトとは、時代により変わるだろうが、そも何だろうか。中国ではどうだろうか。日本では、余りにも漠然としている。掴み所ないことばが、よく使われている。すべては幻想なのだろうか。我欲がないだけの行為が正しい訳ではない。これからますます難しい選択をしなければなくなるだろう。摂理を学ぶべきだろう。平面的な理解では行き詰るに違いない。どうも今の芸術家たちが、窒息してきたようだ。文化の危機だろう。彼らは五感を磨く努力を見失っている。もう未来を夢見る能力を持たない人たちのように思える。こころで見ることを忘れているだろう。我的晦日前だ。結局、本の整理だけになってしまった。>写真は、ハリーの本。
2005.12.29
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「・・・思うままを通して離縁とならば太郎には継母の憂き目を見せ、ご両親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思わく、弟の行末、ああ此の身一つ心から出世の真も止らずはならず、戻ろうか、戻ろうか、あの鬼のような我良人のもとに戻ろうか、・・・」は、一葉「十三夜」。この作品は24歳の時で、細やかな心情に溢れた表現力だろうか。そして、いまの妻たちはそこからどれだけ解放されているだろうか。一葉の作品は、明治の女性のモラルを表象して汲めども尽きぬ水源地だ。女性の社会的地位が見えてくる。ひとは本能的に基づく血縁に支配されている。母性が造り上げている世界がある。併し、男社会が立ち塞がり、未だに男女共同参画が叫ばれるもう21世紀だというのに。ブログも日が当たらないと何時か萎むだろう。ビジュアルも同じだ。一葉も読まれて始めて、価値があるだろう。太陽は、数十億年も生物に膨大なエネルギーを送りつづけているが、誰も自分を救ってはくれないだろう。
2005.12.29
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生まれたばかりで、凄い天才なのに誰もシナプス結合に失敗してしまい、裸のままで荒野に放り出されてしまう私たちは何だろうか。余り利巧な生き物ではないらしい。どうにか人間らしくなる頃には、自分のコンパスを忘れている。不注意な人間は、目印を見落としてしまう。知らない道を歩いて行かなければないとしたら、他人の歩いた道は参考でしかない。他人を殺して自分が生き延びるしかない時代ではないとしたら、自分を生かす道を探さねばならない。自給できないとしたら、他人と手を繋がねば生きて行けない。誰も知らない人生を行くとしたら、自分のエリアを知るしかないだろう。そして、マップがいるが、アバウトでしかない。そしてコンパスだ。残念ながら役に立つものはない。先人の言葉や文化遺産など飾りでしかないだろう。そして現在は、コンパスの代用をさがすとしたら、自分の脳と生物学くらいだろうと思う。何も決められないが、できるだけ高いところを目指して歩いて行き虚心に眺めてみよう。よく周囲を観察して、自分の脳で考えてみよう。莫迦みたいな自分が見えますか。全方位で考えることだろう。東西南北だけではない。上下もあるし、四次元もあるかも知れない。目に見えることだけを信じる人間は、真実はさがせないかも知れない。さて、何を人生のコンパスにしますか。
2005.12.29
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はじめルーシーは、戸惑いながら一歩を踏み出したのだろうか。誰も本当の明日は見えないのだ。人類は歩いてきた道を少しづつ知り始めたが、どうしてそうなのかを知らないし、これからの未来に活かすことができないである。人間は、胎児から脳細胞をスタートさせている。そして誕生から生後8ヶ月の間で、シナプスの結合は、50兆から1万兆へと急激に増加する。この過剰な結合は、神秘的ですらある。まるでファンタジーの如くだ。子供はどのような環境でも順応できるためだが、一定の段階を経ると結合は減少を始める。外界の刺激を受けることができず、強化されなかった結合の音、視界、嗅覚、触覚は、遂に収縮し、死滅してしまい、「マップ」を形成する脳細胞だけが残り、ひとりの人間が造られる。そして、科学者たちは、胎児は最初はすべて女性だと考えている。男性ホルモンは、テストステロンのシャワーを浴びた場合のみペニスなどをつくり、男性脳を作るのだ。「ブラック・ボックス」であった脳から、私たちは知る道を歩き始めて20数年しか経過していない。月面に残した「足跡」くらいのことしかしていない。誰も、ルーシーのように勇気を振り絞り、暗黒の宇宙への旅をつづけねばならない。それが、人間の子供に与える脳のシナプス結合の意味だとしたら・・・。
2005.12.29
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人間が言語を使い始めたのはまだ新しい出来事だと言われる。人間には、もともと言語を処理する能力はなかった。だから人間は、脳の中の古い部品を材料して組み立てて「言葉」を使っている確率が高いという。古い部品とは、知覚、記憶、概念化等である。言葉にするには、これらの部品をインテグレートできるハイスピードのコンピュータが必要なのであろう。しかし、もう子供は耳だけで言葉を覚えてしまう。読み、書きする必要もない。まだ複雑なプロセスを経なければ、言語にできないのは、人間の持つ後進性に根差しており、まだ進化の過程にあるだろう。言語を使うことは、もう人間に不可欠な道具であり手放すことはできない。ことばで理解し合う事は、まだ脳内の古い部品を使わなければならず、厄介であるが、これからもみなさんとスキルを遣りましょう。
2005.12.28
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考えてみたら今年最後のクリニックだった。顎が草臥れて閉じそうになるのを我慢しなければならなかった。何も考えずに口を開けたが、やがてジィーという音と妙な薬品が口内を刺激した。私は、どうも堪え性がないらしい。歯科は苦手なのだということに今更気付いた。医師たちは優しく声をかけてくれるのだが、どうも緊張してしまう。大した時間でもなく、子供だって我慢しているのだから、自分にできないことはないのだ。と思いつつ、平静を装っていた。これでは、それこそ手術台に乗っただけでショック死した病例に連なりそうだ。世の中には孫が自分の鼻に触っただけでショック死した人もいるそうだから、何が起こるか分かりゃしない。私のメディカル・ステージは、余程酷いと見えてまだまだ治療は続くようで1月も予約がはいった。それでも、ことし最後のデンタル・クリニックさん、お世話になりました。それでも、総入れ歯にならずにすんでいるが、いまもこういう原始人がいたのかと呆れられていることだろう。こころをいれかえていまのところは、口中は清潔を保っております。結構歯の手入れも大変です。習慣になれるだろうか。
2005.12.28
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学名オイカワ。川釣りの醍醐味は遣ってみないとわからない。清流で釣り糸を垂らし一日川のせせらぎの中で過ごすのは素晴らしい。関東以西に生息する川魚で、産卵期にはオスが婚姻色になる。体調15cmくらいまでになるが小魚だ。清流を好み吊り上げるとすぐ死んでしまう。釣りは、賢者の趣味と言われて奥行きの深いところもある。私は、釣人までには修行はしていないと見え悟りがない。それでも、料理法は覚えた。先ず素焼きして暫く日干ししてその後お茶を浸して、砂糖と醤油と酒でトロトロと炭火で時間をかけて煮詰める。当時は自分で食べるより、退院後で寝込んだ大好きだった伯父がいて、大きな弁当箱に綺麗に並べて持参すると喜んで食べてくれた。「旨い」と美味しそうに食べる伯父をみると嬉しくなったものだ。殊に、「寒バエ」と呼ばれて、油が乗り冬は美味かった。寒くなると食べたくなる。博多に来て釣り場もなく「ハエ釣り」も止めたし、伯父もその後亡くなり、もう今は昔になった。それでも、「ハエ釣り」をしていたころの菊池川の情景が浮かぶことがある。サラサラと流れる浮きがスッーと消えてゆく瞬間の感動は長期記憶になっている。
2005.12.28
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世間では仕事納のようであるが、私はいつものと同じだ。然し何かほっとした気分になるのは、不思議だ。来年初めから復帰せねばならないので、今のうちにという気持ちもしてるが、勉強は続けたい。何せまだニューロンのネットは隙間が空いたままだ。人生を悲観しているのでもない。問題はエネルギーだろう。できるだけ深い泉を掘らねばならない。ひとり芝居をしていては光合成はできない。できれば若い頭脳と話をしたい。年齢ではなく脳がだ。生きていることは可能性を秘めていると思う。意識も表章されたものよりも隠れたスペースが大きいだろう。可能性を引き出すには訓練しかない。多くの感動をする必要がある。そのための感性を磨くべきだと思う。知識でも文学でも美術でも音楽でも自然からでも感動は得られるだろう。瞑想からだって通路はあるはずだ。体は疲労しても、こころは疲れないようにしたいものだ。>上の写真は、先日携帯より福岡市東区・博多湾
2005.12.28
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無数の生物が地球上で生命活動を営む。併し無数というのは科学的ではない。寧ろ有数にすべきだろう。現在人間が知っているの恐らく2000万種以上だろうと言う推定だし、或いはその倍以上かも知れないくらいだ。何れにしろ、まだ人間が、総数をカウントする能力がない「ブラック・ボックス」でしかない。どれだけの価値のある生物が存在するか、これからの人間に取って回避できないテーマであろう。人間はこれまでそれこそ順調に進化している訳ではない。それこそデッドロックを乗越えてきた歴史をもつのだ。個人にとっても、何とイライラさせられる人生だろうか。何度もギブアップしたくなる経験をさせられた。勉強をしたい時に違うことをさせられ、勉強したくない時には課題を強制され、したくもないテストをさせられた。教育システムは苦役でしかなく、勝手にしろと社会に放り出されもした。知らない都会を歩き回りもした。親切な社会ではなかったのは皆同じだろう。世間知らずの私は、無駄な浪費をしたし、消耗もした。やがて社会人になり子育てや住宅ローンそして会社勤めでも自分のエネルギーを売らねばならなかったし、自分の時間を見失いもした。そして今考えるのは、人間は皮肉な時間を生きているだろういうことだ。それは誰が悪いというのではないが、時代が悪過ぎただろうか。戦前であればもっと理不尽な社会だったかも知れない。併し戦後といえども基本的人権は保障されたわけではない。いまだに具現化できずにいるだろう。人間は、「ヘイフリックの限界」を生きており、寧ろ短い一生でしかない。無駄な時間を浪費する訳にはいかないが、いつも皮肉に泣かされる。SEXや社会的ステータスにしても、自分の欲しいものだっただろうか。いつも忍従させられる罠ではなかったか。何故、大学や社会一般から自分は莫迦にされなければないか、どれだけ苦しんだであろうか。貧困のためにどれだけチャンスを逃したろうか。ノー天気なひとが、「私は、こうして幸運を掴んだ云々」という話を聞くとイライラする。自分が幸運だったが他人はどうでも良いのかと言いたくなる。偶々好き勝手できたから世の中がみなそうなのではなかろう。利己的な奴が好きなことをしただけだろう。偏頗な社会構造が個人の能力を閉塞させて皮肉な人生を歩かせているのではないか。確かに、種としてのヒトは、生き残りをかけた自然淘汰という戦略をとっている世界でもある。多くのリスクから明日を選択をしなければならない。少なくとも最良の選択をすることのできる能力のあるものを殺しては明日はない。>上の写真は、香椎浜。
2005.12.28
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情報の何を選択するか、だろう。ひとつは間違いなく先端科学だろう。「ブラック・ボックス」のままにして脳を知らなければ、希望は何処にも届かないで挫折することになる。小さなことに拘る人は、マイスペースを失うことになる。生物学も必須科目だ。いよいよ困難な未来だが、個々人の真の能力が問われるだろう。これまでのスキルが問われる。口先で生きようとしても直ぐ嘘は露呈してしまう社会になるだろう。論理がなけれ議論ができなくなる。狭い視野では生きていけない。日本人は上下で生きて来れたが、これからは物事をヨコに目を向けなければならなくなるだろう。家庭は、もうハーレムではない。莫迦な男は、居場所がなくなる。男たちも自分の食べる料理くらいできないとひとり暮らしできないだろう。どんなに学歴やキャリアがあろうと自己表現のできない日本人の男の、これからは厳しいことを覚悟すべきだろう。残念だが、ガイドとなる教科書はない。自分の脳でニューロンを使うしかないのだ。>上の写真 香椎浜
2005.12.27
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ただそれだけ・・・です。感慨もない。今年3月から、殆ど毎日の投稿をした。最近は、1日5件。数日旅行してできない日もあったけど。暇だから遣れたのだろう。さて、これからどうするか。決めていない。気が変わるかも知れないし、書けなくなるかも知れない。周囲を気にせずにいたから遣れたのだろうけど、それでは本来のブログの趣旨と違うかも知れない。投稿数の割にはコメントの少ないブログです。案外分析するとくだらなくなる。私としては「ブログ」は、メモしかない。「ヘイフリックの限界2」は、飽くまでも、メルクマールだ。急にブログが衆目を集めているけど、商売していてはながくはないかも。付き合いの良くない日本人には、刺激になるだろうか。まあこれからも当分の間は、どちらさまもよろしく。>1000回記念写真は、香椎浜の花火です。自分で載せるのもちと恥かしいけど。
2005.12.27
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昔は、謙虚で誠実な日本人がいた。そして貧しさの中豊かなこころの親たちが私たちを育てたのだ。誰もが黙々として義務を果たし、自分の身を飾ることもしなかった。奢ることせず、衒わず子育てに懸命で、然も隣人に対し慈悲を忘れることはなかった。いつかバタバタと倒れて逝った。そして、ふと気付くと老いた自分の世代だ。私たちは、親ほど強く隣人や子供たちを愛しているであろうか。自分の身と同じくらい周囲に対して慈愛の目を向けてきたか。少なくとも、俯く自分がいる。私たちの親たちのようには愛情深く子を守り優しい目で隣人を見てはいない。ただ、私は世間並みであろうとし自分らしく老後を過ごせれば良いと自己本位でしかない。私たちは、日本人は、物質的な豊かさだけを渇望して、多くのものを見失って来た。否、それだけではない、知らず「日本人のこころ」も棄てようとしているのではないだろうか。経済的なアニマルになってモノで幸福を買おうとしても、買うことはできない。友人は買うことはできないのだ。>上の写真は、福岡市・香椎浜。
2005.12.27
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仲が良いのは結構だが、甘いばかりの夫婦が離婚する破目になるのは当然だろう。「原因と結果」があり夫婦でせっせと原因を編み出しているようにさえ見えるのは私だけだろうか。みせかけの夫婦愛に危うさを感じてしまう。どれだけ「幸せの法則」を考えたところが何の価値もない。ひとつの夫婦がどれだけ上手く遣ったとしても駄目になる原因はそれこそ無数にあるだろう。男女が仲良くなるのは遺伝子の企みであり、そのセオリーに過ぎない。妥協するのではなく理解しあうことだろう。夫婦だから理解できると思うのは思い上がりでしかない。その証明が離婚の増加だろう。余程、我慢強い配偶者でない限り離婚の危機があるだろう。何故こういうことを投稿するかというと、別に仲の良い夫婦が多いから焼餅を焼いているからではない。どうも「鬼嫁日記」的なブログが多いこともある。自分の考えること伝えることはことばにしろ文章にしろ難しいが、そのためのブログでもあろう。勿論、美しく見せようとすることは判るが、そこに想像力があるだろう。ファンタジーでもひとのこころを打つものがある。ハートのないものはつまらない。ランキングなどを気にするのは商売人の考えることだろう。
2005.12.27
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止揚と訳されている。ヘーゲル弁証法の考え方だ。どうも議論の空回りばかりしている政治がある。そればかりでなくどうも短絡的な議論で見切り発車ばかりしているようなものばかりだ。妥協はしてもアウフへーベンのない議論には不毛でしかない。哲学のないのが売りの堀江貴文氏が、株主から「自分だけがもうけようとしているのでは」と想定外の厳しい指摘を受けて思わず「涙が出てきた」と泣き声を出したというニュースに絶句した。未だその場面をみてはいないが、巨額のカネを動かすひとも悪人でもまだ小悪人なのだろうか。底の浅い人間が政財界に存在しているのは風潮なのだろうが、如何にも心もとないことだ。日本人の優秀は世界の優秀とは限らない。彼らはテスト優秀者でしかない。国際社会で通用するには、甘さや温情ではない。「アウフへーベン」できる人間なのではないか。自己撞着している人間では、役に立たないことをどれだけ理解されているだろうか。弱いところを突かれて凹むような人物では先が思い遣られる。理論なき議論ばかりしているようでは世界をリードなどできはしない。赤字国家が、カネをばら撒いて得た国際的信用など何の価値もないだろう。>上の写真は、福岡市東区香椎浜にて。
2005.12.27
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統計学者全員は、現在の若い父親と母親の多くは、一世代前の親より子供を育てる準備ができていないと指摘する。子供の潜在能力を十分に引き出すには親からの莫大な投資が必要にも拘わらずだ。増加している幼児虐待は、社会に多大な損害を与える。この不利な状況は、生まれてくる7人に1人が背負っている。ハーバード大学のジェローム・カガンは、中産階級のボストンの子供を対象とした研究から約3人に1人が劣悪な環境が引き金となった心理的悩みを抱えており「原因は子供の生物学のなかにかならずあるはずだ。それは、親から受け継いだなんらかの神経化学的要因、胎児期の構造上の異常、劣悪な環境のいずれの要因が絡んでいる。なかでも一番の原因と考えられるのは劣悪な環境ー家庭内不和・虐待・悪友・役割モデルの欠如ーである」という。環境からのストレスがうつ病などの精神障害に関連する遺伝子を活性化させてしまうらしい。いずれにしても、「負のスパイラル」が考えられる。>上の写真は、香椎浜にて。
2005.12.26
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笑いのない日常は、ストレスの蓄積を招きかねない。適度のストレスは、必要だが多くの場合は、ストレス過剰だ。特に現代社会は、日常ストレスのないスペースはないだろう。ないとしたら逆に問題だろう。「私にはストレスがありません」というのは、この世に関与なしで生きているということにもなる。心理学で、「笑い」のメリットが注目されている。上質の落語を聞いたり、見物したりすることは、脳の活性化に繋がるという。ストレスの解消になり、効果も証明されている。どうも愉快に笑うことが少なくなっている気がしている。テレビで見かけるお笑いはお寒いものが多いようだ。それとお笑いタレントの司会も戴けない。余程レベルが下がったとみえて、紅白もお笑いのひとが司会をするらしい。まあ愚痴かも知れないが、テレビで笑えないものが増えた気がするのは、寂しいと思う。それからドラマも韓国ドラマがブームというのも世相なのだろうか。作為を感じないでもない。何でも、グループ指向なのも個性がなくなりつつある証拠だろうか。スポーツも愉しいゲームではなくなってきたのは、私が老人になった由縁であろうか。何が、自分にとってのストレス解消の笑いになるか探さねばならない。生き残れるかの問題でもある。P.S.上の写真は、今日の香椎浜です。語源が「橿日浦」とのこと。晴天でしたが風は冷たかったけど少し散歩しました。
2005.12.26
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人間は夜空や鳥の声や花の香りを感性豊かに感じる能力をもっている。そしてこれらの感覚を奪われると脳は衰弱し、活動を停止してしまう。脳は、詩人を作り、芸術家にする能力をもつが、使い方を間違えると犯罪者にもなるし極悪人もつくるだろう。幼児期に脳の基礎架線工事がきちんとされていないと学習能力が奪われてしまう。幼児教育は、人間形成に最も重要な意味を持つと言われる。何処の国でも弱い母親がその役割を担っている。特に、人の脳は可塑性に富んでおり、そのための良好な環境は絶対条件である。ところがどこの国でも母親は、恵まれているとは言えない歴史をもつ。人間の野望により膨大な資金が浪費されていないだろうか。必要なことは、幼児教育にもっと投資すべきだ!!!子供たちが、誰も皆健やかな脳によって教育さるべきだろう。そのための環境を整備することが、やがて人間の「叡智」を生むことになると信じたい。これまで、人類は、脳という「ブラック・ボックス」を抱えて過ちを繰り返してきたが、21世紀後半では、人口問題が地球規模の危機になるだろう。そのために何ができるかを考えねばならない。女性が母性を喪失し、子供の産めない時代が来ないとも限らない。
2005.12.26
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20年前まで、脳は「ブラック・ボックス」でしかなく、脳の機序が解明できるとは誰も知らなかったのだ。分子生物学や遺伝子学が注目されるのは、その鍵を握っているからだろう。冷酷な犯罪の裏側で、背筋の凍る現実と囁かれる少年犯罪も、脳の発達に特に重要な誕生から3歳までの劣悪な生活環境が関与している。脳は壊れやすい脆い器官である。それを助長しているのが、人間社会の「貧困と暴力が渦巻いている環境」であることに間違いないことが証明されたのだ。幼児期に健やかで過ごすことが何よりも大切である。それができない社会は、それこそ背筋の凍るような現実を増産している温床なのだ。そして、現在数万人を超える脳研究者が参加して、この「ブラック・ボックス」の解明の旅に出ていると言われる。併し、それを支えているのは、これまで、「貧困と無知」を是認していた社会であることを忘れてはならないだろう。私たちの多くは、脳という「ブラック・ボックス」をもって生きてきた人々であり、背筋の凍る現実を黙認してきたのだ。野蛮で蒙昧な歴史が、それをしめしており、そのことを認識するかは保障できないからだ。「ヘイフリックの限界」でさえ、まだ肯定されるかは判らないのだ。
2005.12.26
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昨年の今日。スマトラ沖でM9クラスの地震による大津波で東南アジアに18万人を超す犠牲者を出す被害が発生した。もし日本近海で起きていたらと心胆を寒くした日本人も多い。勿論、何処で起きてもそこに住むひとの悲嘆は同じであるが、地域により、その被害規模が増大するであろう。その後、米国本土に二回もハリケーンが襲来し荒れ狂いもしたが、如何に米政府が偏頗な組織であるかを露呈した。地球規模の天災、人災が世界中何処でも起きてもおかしくないことを知り、暗澹たる気持ちになったひと多いに違いない。地球環境の悪化は、これからますます異常現象を多数発生させるであろう。にも拘わらず一部の人間だが、人類は不死身だと信じている人たちがいる。被害は身内に残るだけ、その残骸もモニュメントにしようとさえする。経済優先社会は、他人の痛みを感じないひとたちを増産するだろう。ひとは、ひとを生かしてきた感情さえ棄てようとさえしているように思えてならない。34.9mの高さの波が覆い被さる恐怖を知っているひとたちは何を私たちに伝えたかっただろうか。富士山は、必ず噴火する。関東大地震も、必ず起きる。地球温暖化、南極メルトダウン上の写真は、新宮図書館周辺。
2005.12.26
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楽しようとする奴など碌な奴ではない。ぬくぬくと生きようなどする輩は、一昨日おいでだ。そう言ってやりたい。無能な政権が、抵抗勢力などと言うのであれば、其れほど我慢もいらないで明日がくるだろう。そんな声に怯えるようでは底が知れている。神社に祈りに行くようでは大した未来などないだろう。運動に行くのであれば、神社を数回周り、「ワン」とでも叫んで帰ろう。小さな夢で終わろうとするから、不幸に溺れるだろう。もっとでかい夢をもとう。せめて、ひとりになり、自分を蹴飛ばせば良い。何が孤独だ。ひとりが寂しいなどと甘えるな。もともとひとりではないか。孤独に震えるのは死んでからで良いだろう。笑おうよ。笑おうよ。クタバレ!! 抵抗勢力でない奴ら。そして、今年のクリスマスに、さよなら!!グッドバイ、グッドバイ、2005年も晦日を過ぎたら、グッドバイバイ・・・上の写真は、今日の午後図書館の駐車場から
2005.12.25
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創る学は学ではない。歴史も恣意的に作られた。自分でつくる哲学などマイスペースでしかないだろう。一握の砂を知ったからといって世界を解した訳ではなく、自分が中心ではない。誰も中心にはなれないだろう。自分が見たものは夢でしかなく、自分の限界は超えられるはずもない。封建社会の女性たちには、男を愛する自由はなく、姥捨て山に棄てられる運命を生きていただろう。ひとは自分の存在を客観的に理解などできはしない。それはまだ科学事実ではない。見極める力などないだろう。どうも私には、封建時代の日本人の女性に男に対する愛があったのだろうかと、疑問に思う。いまもお芝居が上手くなっただけではないかという気がする時がある。女性が、本音をいつから話し出すだろうか。何故両性か知らない。部屋の掃除をしたら、ひろくなり正月が来たようだ。そろそろ正月の準備をしなければならない。来年は、少しある意味「ハイ」になり超えたい山がいくつもある。今年最後の図書館から、ビートルズとカーペンタースのCDを借りてきた。上の写真は先ほど、新宮町立図書館の周辺で撮影した。
2005.12.25
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「アメリ」は、観る人を幸せにする「アメリ」なのだろうか。素敵なフレーズだ。そういえば何回も観て笑った。自分の青春を思った。ブログを開いてアメリが多いのに驚いている。観る者を幸せにしてくれるブログが溢れているだろう。当初は自分では一日何本も投稿するのに「知らぬが仏」をきめこんでいたが、千葉の女性からコメントが何度かあり、返事していてその女性がアメリであることに気付いた。私のブログは、誤解されそうな投稿が多いし、他人が観て幸せにするものではないし、只の親父ギャグであろう。余程、こころの広いレセプターでないと無理だろうと思っていたが、意外とコメントを呉れるようになった。恐らく自惚れ屋さんでは、どこまでブログがつづくか疑問だろう。自己愛だけのひとはあまり利口な生き方ではない。人間は、自己本位のひとは好きになれないようにできている。利他的な行動をひとは、赤ん坊から母親から「刷り込み」されて育つのだから、愛情にあふれて育った子供たちは違和感なく生きれるのだろう。世の中の痛みの判るひとのブログが、観る人のこころを幸せにする。健気に生きているひとのブログが、他人に受けいられるような社会になって欲しい。心配なのは、損得勘定で支配されている社会になり、家庭や環境が悪化していることだろう。ある心理学者は、「おしめ」を使わなくなり、母と子の信頼関係が揺らいでいるという。やがて、切れる若者が増えて、スイッチの入らない若い母親が子供を顧みなくなり、愛情という大事な刷り込みができていないこどもが増えていることだという。観る人を幸せにするブログは、X'mas に相応しいかも。
2005.12.25
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朝ブログのあとひと眠りしてしまい気がついたら外は明るい陽射しだ。昨日義母が「天水みかん」を宅急便でお歳暮してくれたので、これから明太子を義母の住む熊本に送る予定だ。例年外と一緒にお歳暮を先に贈るのだけれど今年は遅れてしまった。天水みかんは甘くて美味しいみかんである。海風にあたるかららしい。そういえばみかん山が有明海に面している。その眺望は一見に値する。郊外にある明太子店の出店に注文に行く予定である。遅れたが年内には間に合うだろう。クリスマスは、日本にも定着しているらしい。クリスチャンでもないのに、「聖夜」を大事にすることは悪いことではないだろう。寧ろ一日だけにすることの方が問題だろうが。本田美奈子が「アメージング・グレース」を唄うのにはじめ違和感を覚えたが、最近38歳で亡くなりその最期の話を聞いてすこし違和感が消えたようだ。ひとのこころは、如何にも理解し合えるのは難しいことだろうか。自分と価値観の違う多くのひとと触れ合うのは、バランス感覚しかないのかも知れない。美しいものばかり愛するこころは本物ではないのであろう。真実は砂漠の中に隠されているのかも知れない。せめて今日は、優しい心に触れるひとが多くいることを祈りたい。P.S.上の写真は、国立公園海の中道公園で。
2005.12.25
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社会でいつも正しいことが為されているかと言えば、必ずしもそうではない。国政にしても、企業にしても、家庭内に於いても同じだ。勿論ルールはあるし、法もそのためにある。然しその中で理不尽は行われており自殺者も後を絶たない。それは、社会が自殺者を間接的に殺してもいるからだ。例えば姉歯建築士にしたも彼なりの理屈があるが、それは自分を生かしても他人の生命を害することになり、社会規範に反し、法律違反であり処罰されるだろう。「法の無知は許さず」が法諺だ。殺意を持ってひとを殺せば殺人だし、胎児も人間だ。併し、合法的な殺人もある。それは死刑がそうだが、村八分や間接的に殺しているケースもいくつもあるに違いない前述した自殺者に対する非情もあるだろうし、地球環境問題もある。戦争もあるだろう。直接手を下さなくとも関与することはあるだろう。この世界を戦場と思っている民族もいるだろう。今も悲惨の海に沈んでいる人々も多いに違いない。耳を澄まさなくてもその声が何処からでも聞こえてくる。自分のファミリーしか目にない憐れなひとたちがクリスマスを愉しむのか、この社会を正しく理解して、それだからこそクリスマスなのかは知らないが、今年のクリスマス デイが行われる。いつかどこでも正しいことがおこなわれる社会であって欲しいと祈りたい。戦場のクリスマス!
2005.12.25
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何か世間離れしていたようで、外は電飾が賑やかなようだ。寒くもあり、のたのたと過ごしていたらもう外は暗くなり始めている。ケーキもまだ買っていなかったのでこれから買いに行こうと思う。今夜くらいからテレビで特番も色々あるようだ。どうも最近皆同じようなひとばかりがいて面白味がないようにもある。色んな人間がいるから人間なのだから、のびのび遣れば良いだろう。ただ「姉歯建築士」では困る。国家資格を取れば食えた時代ではない。権威は地に堕ちている。傷口を舐めあうようでは進歩もないし明日もないだろう。それでも静かな夜になりそうだ。墜落事故もあるようだが、今宵は、平和を祈る夜でありたいものだ。科学者が嘘をついてはならない。勿論普通のひとだから嘘もつくが、嘘をつく内容にもよるだろう。笑えない嘘は止めたが良い。生きていることを感謝しよう。そういう夜もあって良いだろう。 P.S.上の写真は、福岡市で開催された「アインランド花どんたく」で撮影したサントリーが販売している「青のカネーション」です。「青いバラ」は、撮影禁止でしたが、10数回鑑賞に行きましたので、かなり脳に残っています。青より薄紫に近い色調ででした。あと5年か10年くらい経由すれば、「青」に近くなるのではないかと期待しています。「青い菊」もそのうち開発されるのではないでしょうか。バイオによる遺伝子組み換えが食糧問題に道を開くでしょうか。近未来では、見たことのない花が咲いていることでしょう。
2005.12.24
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地球学は悲鳴を上げている。地球環境の悪化とエネルギー資源の枯渇の危機は、年間1.5%以上のスピードで増大している。1972年ローマクラブのリポート「成長の限界」等、多くのリポートは、人類が、21世紀前半に史上最大の危機に直面すると警告している。1.地球環境問題2.人口(食糧)問題3.エネルギー問題その具体的内容は、大気汚染、酸性雨、オゾン層の破壊、地球温暖化、海洋汚染、水質汚濁、砂漠化、土壌の流失、重金属汚染、環境ホルモン、森林減少、生物多様化への影響だと云われる。誰もが、知っているこの事実をなにひとつ解決できずにいることは、解決が不可能ということであろうか。それがひとの能力を超えた現象であれば、ひとに健やかな明日はないだろう。改善する意欲を失くした生物は自然淘汰されるだろう。どれだけ科学が進化しようと、文明が高度化して知識を蓄積したところが、生活の基盤を失えば死滅するしかない。まだ、時間はあるだろうか。絶望ではないだろうか。知恵はあるだろうか。ひとびとがそれぞれの豊かさを追いかけている間に、地球は今も荒廃しつづけているだろう。世界中が、クリスマスのイブである。美しい電飾が眩しいのは私だけだろうか。夜空の花火のようだ。
2005.12.24
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ぎすぎすした社会になりつつあるようだ。高齢者にも豊かなひとがいるから税負担を政府は増やすという。それこそ税の無駄使いを撒き散らしている癖にすぐ皺寄せを取れる弱者にもってくる姿勢が厭らしい。老人はこれだけ名誉を傷つけられていきているのにまだ台所まで、入り込んでくる根性が卑劣だ。日本政府は、外国に甘く、国民ことに善良な市民に過酷な政策を取ってきたがまだ足りないらしい。少なくともシルバーは、明るい明日を夢想してはいないだろう。個人的には老後の社会保障を危ぶんでいる。国家財政は、政府の場当たり的なご都合主義で破綻しそうである。それは、政治家の志の低さに原因があるだろう。利己的な意識で識見のない人物ばかりだ。それはたおやかなこころでいきていないからであろう。老人の住みやすい社会を目指してこそ、この社会が求めるものが見えて来るのではないか。功利にばかり走り、目先の結果を重視する社会は何れ行き詰るだろう。損得が優先するから、真の友人を見失うのではないだろうか。志高く、ゆたかで、たおやかな峰峰がひろがる社会にして欲しいものだ。
2005.12.24
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耐震強度偽装問題で関係者の主張は、全く世間を甘く見た人たちの発言としか思えない。これだけ多くのひとの生活環境を奪いながら自己弁護に終始している。彼らがいう論理が通用するなら、何も思わなければ何をしても良いことになってしまう。法を犯せとは言っていないとか、確認計算書は正しいと思って遣りましたとか。仕事が無くなると思い遣りましたとか。まるで、子供の弁解だ。なんとかなるだろうという精神があるとすれば、世間を甘く見ているからであり、許すことはできない。それで稼いでいるものが、その商品を知らないで売っているとしたら責任を取るべきだろう。まして、ひとつ間違えれば大惨事になるだろう。人の命にも拘わる住居がこれでは堪らない。戸建にしてもこれだけ地震がありながら耐震構造になっていないものがあるとすれば大きな問題だ。世間を甘く見る風潮があるとすればどこでも同じことが起きるだろう。安全に無防備な社会が多くの命を奪うことになる。今日は、イブである。ツリーまでは飾らないがケーキでも家族で食べることにしようと思っている。
2005.12.24
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「術もなし法もなし正直は我身の守り、逃げもせず隠れられもせず、欲かしらねど盗みましたと白状はしましよ、伯父様同腹で無きだけを何処までも陳べて、聞かれず甲斐なし其場舌かみ切って死んだなら、命にかへて嘘とは思しすまじ、それほど度胸すわれど奥の間へ行く心は屠処の羊なり」一葉の「大つごもり」の最終章だが、一葉は聖書を知っていたのであろう。明治中期の一葉の作品は、当時の文化を表象して興味深い。もし一葉を理解したいと思うなら、露伴や鴎外や紅葉を読まねばならないし、当時の歴史も知らねばならないだろう。奥深いところまで覗かねば見えない世界もある。この暮れに、何をしようかと漠然と思っていたが、ふと一葉を読もうと気付き、下ごしらえもしてきたことだし、これは良い旅行ができるかも知れないと考えている。何と贅沢な男であろうか。10月から気鋭の文学部教授より「一葉」の集中講義を少人数で受講しており、これから一葉の懐に入ろうとする今、然も、この忙しい正月に、日本の桜でもある一葉の珠玉の作品に見えるとは。この思いつきは、ひとり満足している。断じて読むべし。心の中にさくらが咲いたような快感でもある。宿題を忘れて、よく蝉取りに郷里の熊本城に走り出した時の気持ちが蘇った。
2005.12.24
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データは、少し古いが、ここ50年間の世界の耕作地は5.9億ha から6.9億ha に増大した。穀物生産量は、この100年余で4億トンから19億トンへ増加した。19世紀末世界の平均寿命35歳から66歳とに延びている。(1999年)これだけでも激変の大きさが判るだろう。人間は、これから何かを棄てなければ先に生き延びることができないとしたら、その決意があるだろうか。新しい言語を覚えなければ、生活できない事態があるかも知れない。足の短い日本人がダンスをしても、演歌歌手がシャンソンを唄ったところでもう嘲笑されることはないだろう。時代は、破滅を目指しているのだろうか。誰にも応えられないまま、時間ばかりすぎているだろう。自分だけに感けていて周りのことに関心を失くしているひとばかりだ。やがて、知らない世界が蝉脱的に発現するだろう。誰も知らない。
2005.12.23
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ひとりの作家の作品とは思えない奇跡だと言われる。大衆文学からのジャンプなのだろうか。「武蔵野」から「文学界」への昇華か。或いは桃水との絶交やトラブルが介在したかは判らないが、「大つごもり」という一葉が求めていた作品が結実したのは事実だろう。そして「やみ夜」は奇しくも晒しものになってしまう。然し、「とても狂はば一世を暗(やみ)に」というフレーズは、「もの狂い」の世界を描く一葉のこころと重なる箇所であり、作品をしてリアリティ化できなかったからだという。所謂推敲に失敗しているのだ。それに引換え、「大つごもり」は、世話物であるが、ひとを瀬戸際に立たせて、そのリアリティを表現した作品として高い評価がされている。文章の価値は、そのリアリティにあると言って過言ではない。どう表現するかで作品を生かしも殺しもする。とても並みの力ではできない。「大つごもり」のお峰は、憐れを誘う。伯父夫婦を援けるために盗みという犯罪まで追い込まれる。お峰は、伯父から前給金で身売りさせられて尚且つ伯父の借金返済のために盗みまでするのだ。醜悪な大人たちに翻弄されてしまう。お峰は「私は悪人になりまする」といい、「舌かみ切って死んだなら・・・」と思い詰めるのだ。それでも薄情な伯父の汚名を隠そうとする。これは一葉が書きたかったことだろうといわれる。そして、あとの「にごりえ」などの伏線がいくつかある。緊迫した心理描写がされており、ひとつの文学作品として評価されている。それまでの作品と違い文章が引き締まり無駄がないのは何故だろうか。進化論でいえば、「突然変異」だろうか。それはありえることだと思う。一葉の心に何か大きなストレスがあり、その緊急事態に一葉の潜在力が発現したのではないか。勿論そこに追い込むのは一葉の非凡な才能でもある。一葉の死後「三人冗語」「雲中語」で、鴎外、露伴、斉藤緑雨が一葉を評価された。どうやら、これまでの講義は一葉を形成する助走を見てきたらしい。来年から一葉の本来の姿をみることになりそうだ。(県立女子大講座 I教授講義メモより)私のブログも、リアリティがないと文章が死んでしまうことはいつも感じることだ。それこそ一葉の爪の垢でも研究したいところだ。
2005.12.23
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試験管などの培養容器の中で花を咲かせて花成現象を観察するのをインビトロ開発という。植物は置かれた環境で生長を制御する仕組みを持っている。花成現象にはアクセル役とブレーキ役とが存在して花成は両者のバランスでコントロールされている。花の咲く機序が解明されれば、花はいつでも咲かせられる。「光の強さ」と「光の明暗周期」そして「光質」が関与することが解ってきた。向日葵を始め多くの植物では、光合成には赤色光の効果も量も大きいこと。また形の制御には青色光の作用が強く影響すること。植物によってその影響は異なり、一定の法則は見つかっていない。もしこれらのメカニズムが解明されれば、新しい農業生産の可能性があるという。何れ、人口問題は食糧問題になるだろう。それまで研究は間に合うだろうか。花の研究は、人類の生死をも担うことになるかも知れない。このまえ、近所のこどもたちと公園で遊んだが、自分の身体が昔とは大分違ってきた。まるでこれでは油の切れたロボットになっていくようである。時々油を注す必要がありそうだ。
2005.12.23
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憂いを地上に残すのみか。我執に溺れて果てるも哀しい哉。何が、「醜美善悪曲直邪正」かの線引きなどできはしない。勝手な判断で生きている。あるのは「志」の高さの差だろうか。何も綺麗ごとを言っても詮無きことではあるが、虚しいことばではある。何故あるかといえば、権力者に必要だからであろう。格差をつけて自分の権力と権威を誇示したのだろう。ことばはそのために作られている。好きな男とか女が、それに値する対象かは疑問だろう。或いは自分で勝手に造り上げた偶像でしかない。それでもそれを仮想世界を健気に演じている。ただ瞑想しても何もないのだ。その時が来なければ。それでも、何もしないでは酸化するだろう。そこに自分は立っていないか。
2005.12.23
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一葉の講義の準備のため、朝から読んでいる。一葉は、作家としてプロを目指した最初の女性である。そして25歳で結核で早死にした。最期の数年間の作品は奇跡と言われる。今日の講義は奇しくも「やみ夜」「大つごもり」である。「あはれ三十一文字に風雅の化粧はつくるとも、いつ失せにけん幼な心の誠意は愚に似しものなりけり、・・・」(「やみ夜」)古典にない、明治の匂いがする。この貧しい若い女性には若芽の勢いが迸っている。その目は醒めており、現代の日本文学にはない遺伝子が感じられるだろう。然し、今もうどこにも meme はないのであろうか。少なくとも作品は日本人に愛されているが、あとを継ぐ作家がいない。面白いことに、突然変異を生じるのは、緊急事態が必要なのだという。ふやけてしまう長い時間があり、生死をかける事態が潜在的な力を呼び起こすのであろうか。其の時が来るのかどうかは知らないが、確かに減数分裂があり数多の実験がおこなわれ、削除されるプロセスを通して、遂に明日が生まれるだろう。頑なな時代にこそ咲く華には蓮の香がするだろう。現代の日本人嗅覚はその匂いを嗅ぎ分ける能力を失っているかも知れない。最早、珠玉の日本人である一葉の、その神経細胞のネットは消滅してしまっているだろうか。
2005.12.23
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ひとつの集合が他集合に比して大きな場を占めることをいう。・インスリン優位・成長ホルモン優位・アドレナリン優位・副腎皮質ホルモン優位 ホルモン指向の方向性がある。優位の場の移行を蝉脱という。其の移行は瞬時に蝉脱的に起きる。どうも判り易い方向性は正確ではないことの方が多いだろう。人間は、恐らくアバウトにできているからこそ進化を遂げたのだ。ところで、還暦とは面白い表現だ。元に還るというのは、そういう思いが確かにあるかも知れない。最近、これまでのことがリセットされて、初めからやり直してみようと思う気持ちがしている。ネガティブ・フィードバックは生態学では、抑制的ホルモン指向と訳されている。この二次作用の役割は評価されるべきであろう。
2005.12.22
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日本文学もひとつの財産であろう。そして樋口一葉もかけがえのない至宝だ。外ばかり見ないで、年末にでも読みたまえ。一葉は誰にでも読破できるエリアだろう。「奇跡のジャンプ」をものした稀有な日本人である。清張と同じようにこの得体の知れない現実の内側から描いた世界は、見ようとするものがだけが見えるだろう。浮世の哀しさと憐れを知らなければ文学ではなかった時代の作品群だ。明治に散らばる世界は、現代の日本人から抜け落ちようとする香気でもあろうし、病的な何かのシンドロームであるかも知れないとも思える。せめて文学は苦手でも一葉と清張は読む方が良いだろう。日本文学は、私小説から昇華できないでいる。謂わば、読み物でしかないだろう。明日は、「大つごもり」I教授の講話が愉しみである。「井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゆうと吹ぬきの寒さ、おお堪えがたと竃の前に火なぶりの一分一時にのびて、割木ほどの事も大台にして叱りとばさる下女の身つらや・・・」
2005.12.22
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九州に雪が降るのは珍しい。福岡市内は最高気温5℃だったようだ。夕方歯医者から、「もっと口を開けてェ」と遣られた。口の中をガリガリと凄い回転音がすれば、「もっと遣れ」と口を開けるほどの勇気はない。何も考えないで歯科に出かけて、突然の不幸にショックだ。逃げ出したくなるが見栄もあるので我慢していた。どうやら治療は年を越しそうである。多寡が歯の治療、されど歯の治療だというのが解ってきた。歯が老化に影響する。脳にも噛む力は影響しているし、歯は、健康に対する様々の要因にもなるだろう。「もう少し早く気付けば良かったが・・・」は歯科医の弁だ。何がそのひとの死因になるか死ぬまでは解らないが、どこかでそれはスタートする。それが虫歯であっても可笑しくはないだろう。少しの油断が、取り返しの利かないことになることが多いに違いない。何が、私たちをリードしているか、個人レベルで解るようになってきたことは、「個」としての自分知ろうと思えばかなりの精度で知ることができる。今日は、冬至である。明日から陽の光が永くなる。
2005.12.22
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生存競争も色々あるが、一番激しいのは種間競争だ。人間なら同じ人間との競争がある。相手を確保できなければ自分の遺伝子を残せない。ダーウィンの「自然選択説」だ。西洋タンポポは、日本に入ってきて凄まじい勢いで増えて、在来種の関東タンポポは、あっという間に生存競争に負けてしまった。戦後の日本人と似ている。ところで、性があるのは至極無駄である。性がなぜ普遍的なのだろうか。しかも性のために費やすエネルギーは、並大抵ではない。有性生殖は半分しか残せない。理由のひとつは多様性だろう。そして減数分裂だ。ランダムな方法で行う行為は、たまたまうまくいったものが生き残ればよいと言う、最初から重要な情報と不必要な情報を分別する装置を作らなくても結果的にそうなるという「自然選択」でもある。減数分裂で、染色体を修復することや遺伝的多様性を増大させるという行為には、♂♀でなくても良いはずだ。そのストラテジーとは何か。面白いのは、同じ人間でありながらどちらかの性で生きて行かなければならないことだろう。片方が男で片方が女である人間はいない。ホモセクシャルもどちらかの性を選ぶ。私たちもこの情報社会で、生存競争と減数分裂をしながら科学的真実を探している。ヒトが登場するための素材が、地球誕生から準備されていたとすれば、壮大なスケールであるだろう。そしてこの人間というこの「馬に乗った騎士」は、自分の手にまだそのストラテジーを持っていない。
2005.12.22
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なぜ短期間のうちに人間はこれほど進化してしまったのだろうか。DNAが変化したのではなく、システムそのものが進化したのだという。進化の機序は複雑で未だ解明されていない。それは遺伝的浮動と突然変異が関与するようだ。突然変異はランダムに起きるが、ストレス状態に晒されると、ある場合には突然変異が起きるのではないか。こう考えると必ずしもランダムではないかも知れない。それは通常よりも多くの突然変異を起こして、精子のようにより適応的な個体を選択するのかも知れないという。削除するのだ。環境が緊急事態になることが一種の引き金になるのではないか。そして進化を押し進めるのだ。普段はだらだらと生きているが、緊急事態が起きて、「火事場莫迦力」が起きるのであろう。それは、ヒトという種が、他の種に比べて短期間に急激に進化してきたとすれば、短期間に死滅することを示唆するだろうか。進化のスピードばかりを上げようとすることは必ずしも幸運とはいえないのではないか。どうも周囲を見渡すと、アクセルばかり踏み込むひとが多い気がしてならない。何が待っているか解らないところで、然も蓋の無い側溝も多い社会で、格好ばかりつけても仕方ないだろう。何れ、緊急事態となり突然変異が始まるのではないか。その場に居合わせる幸運は誰に訪れるかは知らないが、其の時は、眼を覚ましていたいものだ。今外に出てみたら、未だ暗いがうっすらと雪景色だ。愛犬ミルクが公園を走り回った。もう老犬だが元気は良い。交通機関が乱れそうだ。携帯で写真は、無理でした。
2005.12.22
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