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「貧困日ましにせまりて、いまは何方より金かり出すべき道なし」と一葉は日記に書いている。1896年11月、24歳の若さで死去した。その貧しさの質が今とは違うのかも知れない。そうして才能が散って行ったが、一葉の貧困のどん底が、古めかしさや、まずい小説しか書けなかった彼女を追い込み、リアルの世界に目覚めさせたのだろう。一葉と、清張の目の鋭さは日本の作家たちの怠惰を打ち破り、新境地を拓いたのだろう。 ・多寡が知れたもので芸術家気取りに辟易してきたが、それもこれも、発掘の努力さえしないで、「斜陽」に明け暮れている日本の文化人や、その取り巻きの行く先は知れている。自分たちの視野の範囲でしか考えようとはしない知識で、普遍性など生まれる筈もなく、セピアに色褪せたものに郷愁を感じているようで破先はない。胸を食い破って生まれてくるものが新たな時代を形成していくまでは、怠惰な澱みが続くのだろう。水面に映る空しか見ようとはしなかった日本人たちがいたのだ。 ・へ2・・・そして、今も変わらずその小さな池を自分の世界だと信じている連中が、戦艦を浮かべようとでもいうのだろうか。青空は上にある。上さえ見ようとはしない。それだけで一生を終わればいいだろう。それが一生だと思うものは所詮囚われたものでしかないだろう。「近代名作紀行」なんと、愛らしい紀行だろうか。しかも小便の臭いがする。
2009.01.31
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これからもつづけるつもりですが、1年間くらいは真面目に遣りたいと。また明日から新たなスタートですが、今朝は強風でしたが傘を差して歩いていたら、傘の骨が強風で折れてしまった。自分で可笑しくなった。台風の時はレインコートにしようかと思ったり。何とかなるものだと。それにしても、良い場所に巡りあったと思う。片道632mの直線で5mくらいの幅員があり、安心して歩ける舗道である。コンクリートの舗道の下は、溝川である。 ・何故今年は風邪を引かないか、少し解かった。因果律がある。何故歩いて疲れなくなったか。勿論それだけの時間があるからだろう。自由に使える自分の時間は貴重だ。どれだけ恵まれていたとしても、自分のための時間がなければ、自分のためになにができるだろうか。どれだけ快適な暮らしができたとしても。 ・へ2・・・雨上がりの舗道は少し歩き難かったが、快適だった。寒くはなかったし、汗を掻いていた。気温も10℃くらいだっただろう。帰宅して歩数を確認したら、1月度は、648,715歩だった。推定454キロ。(1歩:70cm) 2009-1月度21,22121,15514,19520,11926,50820,87120,12022,40620,15420,71525,07520,80620,52123,36120,37221,10121,42420,52526,11322,51515,07024,08015,32015,51020,34120,23030,15023,15015,38020,09520,112合計648,715
2009.01.31
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時代のパラダイムの中で時代の空気に合わせてモノを言おうとする姿勢は日本人の知識人の劣性遺伝子だろうか。固定観念から距離をとり、できるだけ可能な限り高い視座から観察するしかないのだろうか。戦後60年も米国への過剰依存と屈辱のなかで、「米国を通じて世界を見る」ことしかできなくなった日本人の知性の敗北の帰結がある。対米コンプレックス症を抱えた奇妙な右傾化は、何を意味するかを見定める必要があろう。強い「準拠枠」を内部に感じながら、然も私たちは固定化したパラダイムに繰り込まれている。謂わばその偏狭した世界を突き破らなければ、何時までも「井底の蛙」でしかない。そこからテイクオフできるひとはまだ少ないのではないか。少なくとも、その「量」を増やすまでに時間がかかるであろう。何れ「量」が「質」的に変質までには、まだ先があるだろうし、逆流もあるだろうが、日本人は、独立国としての気概を持たねばならないだろう。日本人が、国として、個人として、真のプライドを取り戻しているだろうか。最近の混迷現象は、日本人がプライドを喪失していることの証左のような気がしてならないのだが・・・。
2009.01.31
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韓国での「言論の自由」論議が報道されていた。ややもすると政権与党は反対意見を抑え込もうとするものだ。ごり押しで政治をしようとする傾向がある。サイバー規制法の網が掛けられようとしているようだ。新聞などが保守化してしまうと、世論は偏った情報しか知らされなくなる。そのことを嫌というほど経験したのは大衆の苦い歴史でもある。自由を当然のように享受してきた社会もその時の政治状況で暗転することはよくある。 ・市場経済の自由を世界に発信してきたアメリカの豹変は世界を驚かせたが、それは必要に迫られているからでもある。それだけ深刻な事態を示している。形振り構わない事態が時に理性を眠らせてしまう。権力に物言わせた強権が国民を不幸にしてきたのは明らかだ。それは、先ず表現の自由としての言論統制に繋がっている。 ・へ2・・・韓国では、インターネットの悪辣な書き込みでタレントが自殺したことがあるらしい。言論の自由と権利の濫用という問題は難しい問題でもある。然し、稍もするとこういう過剰な報道を口実にされ易いのではないだろうか。本当に書き込みが自殺の理由だったのだろうか。私たちも「表現の自由」が如何に国民にとって重要な権利であるかをじっくりと考えたいものだ。
2009.01.31
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人間の進化には、原猿時代に生じた夜行性から昼行性への移行が重要だと言われる。夜と昼の区分は、ひとの物に対する考え方に大きな影響を与えたことは想像できるところだ。時間生物学の研究は、ひとの生体リズムの機序が他の多くの生物の間でも共通していると述べており、測り知れない驚きだ。千葉喜彦「からだの中の夜と昼」は、何度も読んでいるが、読む度に面白い。どうも私などは、先日の女子大の教授ではないが、「文学は、文脈で読むものだ」との話と同じらしい。これは、まるで、蛙が柳の枝に跳びついているようなものかも知れない。夜は、闘う相手が自分の「敵」ばかりではない。多くの危険を呼び込んできたことを教えている。夜を安らかに過ごすことのできないものは、現在でも。本来の実力を昼間発揮することができないだろう。殆どの人は、朝がくると起きる。夜の不安が幾分残っていても、それは急速に薄らいで気分が楽になってくる。また新しい気分で生活を始める。一日のはじまりは、日の出だと思っていたが、柳田国男は、むかしの日本人は、「日の入り」を一日の始まりとしていたと言う。夜と昼は別の世界と捉えていたようだ。さて、現代は昼夜の区別が無くなりつつあるが、生活リズムの変化は、物事に対する考えも変化してきているであろう。どうもよくわからない世界がくるのかも知れない。
2009.01.31
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太宰の講座も「斜陽」と「人間失格」がメインになる。「斜陽」を読み始めたが、貴婦人が公邸での隅で小水をする話があった。それこそ、広大な敷地でトイレがあちこちにある現在とは違う。然も暑苦しい服装をしていただろうし、用を足すのも大変であったろう。我慢して膀胱炎になったのではないだろうか。外見はどんなに立派は宮殿も見かけほど清潔ではない。隅に行けば堪らない臭気がしたことだろう。 ・そういえばレジデンツに行って市内を案内されたが、室内に置かれた装飾棚のなかに便器が仕込まれていた。司祭は客の前で用を足したらしい。それが客の名誉だというから可笑しい。男たちはワインを飲んで暖炉でも用を足したから、暖炉周辺では小便の臭いがしたらしい。そこで多くの香料が必要になった。アジアへ香料を探しに出かけねばならなかったのだ。 ・「斜陽族」も太宰の「斜陽」から来ている。作中自分たちを「高等御乞食」と自嘲気味にいうが、それは本当はどうなのだろうか。人々は空想する動物でもある。一生空想したまま死ぬ奴もいるかも知れない。こんなものだと思うと、そこで蓑虫のようになってしまう人間もいる。何を読んだかで凋んでいく人間もいるのだろう。それが怖いことでもある。ジハードもそうではないだろうか。意外と人間はものを考えようとはしないのだろう。 ・へ2・・・病気から逃れるために侍医の進言で自分の歯を全部抜いた国王が、ものが噛めなくなった。何でも贅沢な物が食べられる国王が歯を抜かれるとは皮肉な話だ。それでいつも下痢をしていた。それこそ豪華な服を身につけていたのだから、たびたびでは臭いが服を汚したらしい。謁見する家臣たちは臭くてたまらない。そこでいつも自分の服に香水をつけていたらしい。 ・人の見る角度でいかようにも違ってくる。それは自分の想像で物事を見る傾向があるからだろう。事実は違うことの方が多い。幻想で悩んでいる。太宰は、自分の心を弄んだに過ぎないだろうか。
2009.01.31
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ゲーテの生前も死後も、相愛の詩人マリアンネは思い出のハイデルベルクを度々訪れている。とくにハイデルベルクからネッカー川を数キロ遡ったノイブルクの旧修道院を好んだ。彼女の晩年、1850年頃にはドイツ鉄道で、フランクフルトから行くことができた。修道院は、1825年に友人の弁護士が買い取り、親しい人たちの安息所だった。1860年10月3日から5日にかけてノイブルクに滞在した。そしてハイデルベルク城を訪れた。遠縁のエミーリーエ・ケルナー夫人が「ゲーテとズライカの原型」を書いている。「小さな石門のそばで、マリアンネは立ちどまって、一人にさせてほしいと言った。彼女は庭に入っていったが、なかなか戻って来ないので、付き添いの私は心配になって、同じ門を通って中に入った。・・・人けのない緑の林の中に彼女は物思いにふけって立っていた。両手を合わせ、顔には涙があふれていた。そこで彼女は、この庭の中でゲーテは自分にキスをした、と語った。・・・城の中庭から出て、右にまがると、公園のみちばたにいちょうの木が立っています。彼女は、そこに立ちどまって、日傘でいちょうの葉をニ、三枚取ろうと試みて、<これが、ゲーテがあのとき、葉を一枚ちぎって、私にくださった木です。そしてあの詩を作って送ってくれたのです。>つまり、彼女が「西東詩篇」のズライカであることを明かしました。」マリアンネについて「彼女は死に付いても、感傷的になることなく、間近に迫っている避けがたいできごととして語っていた。生に対する愛がいつも彼女の中に目ざめており、たえず彼女を若返らせた」とヘルマンも「ゲーテとズライカ」の終わりに記している。ハイデルベルクからフランクフルトに帰り、その後二ヶ月、病気らしい病気もせず、死ぬ二日前にも夕方散歩したくらいだった。1860年12月6日マリアンネは、この世に別れを告げた。フランクフルトの中央墓地に埋葬された。その飾りもない鉄の十字架には、 「愛はやむことなし」(Die Liebe horet nimmer auf.)>ネッカー川から遠景はハイデルベルク城
2009.01.31
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アメリカの帰還兵士の自殺が増えている。自殺者128人とのニュースが流れていた。イラクやアフガンの派遣された兵士のPTSDが原因のようだ。以前はベトナム帰還兵で話題になったが、今回も長期派遣による戦闘行為に対するものらしい。残虐な場面に遭遇するからでもあるだろう。彼らも国に帰れば、普通の若者でしかないのだ。銃で対峙した敵味方の殺し合いでは誰でも神経を損傷するに違いない。 ・戦争というのは非日常性を否応なく強いられる。過酷な規律で人格が否定されもする。宗教もへったくれもないのではなかろうか。日本でも突撃前にばたりと倒れてしまう兵士がいたらしい。行かねばならないという義務感と身を守りたいという本心が葛藤して、身体が動かなくなり、目が見えなくなったといわれる。人間は繊細な生き物でもある。殺し合いの状況で長くまともではいられないのが、寧ろ普通の若者ではないだろうか。 ・へ2・・・まして、敵といわれる人々の中には色んな人間がいる。民間人や子どもたちもいるのではなかろうか。味方の中にも卑劣な奴もいるに違いない。そういうものを見なければならない。それが戦場でもある。世界観が変わるかも知れない。それは果して彼らの人生に幸福をもたらすだろうか。そういう戦争に駆り立てた国家を何と思うだろうか。そのことを自分で感じていた日本人ももう少なくなってしまっている。それが怖い。これから、どうなるだろうか?皆が考えねばならない。
2009.01.31
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教育とは、知識の習得ではなく、これから起きるあらゆる課題に対して、それを「自分で解決できる能力」を養うことだという。世界で最も教育レベルが高いというフィンランドの教育関係者のことばだ。知識の蓄積だけが重要視されるべきではない。寧ろ自分で想像し、考える力をどうしたら伸ばすことができるかだという。記憶力はコンピュータに勝つことはできない。それをどう効果的に使いこなすかでもある。自分の脳のパワーを引き出すことができなければ、勝ち残れない時代だろう。 ・これまでのやり方を真似ていただけでは先に進めなくなっているのではないだろうか。哲学者でさえ数学ができなければ数式を立てられない。小さな国が、巨大国をリードするようになるのではないだろうか。それは、優れた思想家が、どこで生まれるか分からないからでもある。知識は共有化すべきだろう。それがEUでは始まっているのではないだろうか。まず教育の一元化に取り組んでもいる。日本はどうなのだろうか。アジアはどうなのだろうか。アメリカは孤立化するのではないだろうか。 ・へ2・・・日本はアジアの中ではいち早く西欧の知識を学ぼうとしたが、現在はどうだろうか。新しい知識に対して貪欲であるだろうか。目先の損得ではなく、長い目で教育を考えるべきだ。そして、どんな事態が起きてもそれに果敢に取り組んで解決できる能力を幼児教育から始めねば間に合わない。
2009.01.31
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全国的に天候は荒れ模様のようだ。小鳥の声は聴こえてくるが、強風もまだ止んでいない。先ほど外を見に行ったが小雨が降っていた。午前中は小雨模様のようだ。一日ぐずつく予報だ。世界的な経済不況が深刻になってきた。果たして日本政府はどれだけ、それを受け止められるだろうか。定額給付金に拘るくらいだから、目先のことしか観ていないのではないだろうか。 ・日本経済がアメリカナイズされ労働者が切られようとしている。株主優先の体質が、働く者に厳しいものになる。雇われ経営者も株主から尻を叩かれ続けるのだ。大企業が赤字に転落している。これは中小にはどんなリアクションになるだろうか。アメリカ型の経営がこれまで以上に従業員には過酷な状況を招くのではないだろうか。 ・へ2・・・これから切り捨てられるひとたちが社会に溢れて来る。新しい価値を求めて動き出すとすれば社会も混乱する。ついて行けない人が悲鳴を上げ始めている。今年は例年にない一年間になりそうだ。ピンチがチャンスなどという経済学者がいるが具体的な考える訳ではあるまい。そんなに甘い国際社会でもない。戦争と同じで、総力戦の時代でもあるだろう。アメリカも脇を締めて保護主義を推進してくるのではないだろうか?日本人は頭の切換えが必要だ。 >近所の田圃
2009.01.31
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どうも目を覚ましたのは家を叩く強風の音だったようだ。海に近いこともあり意外と強風が屋根を叩く。ゴルフ場の森を風が渡る音も聴こえて強風の時は賑やかになる。春一番を思わせる風の音がした。いつもより遅く起きてきたのは、風の音を聞いて、もう一度眠ったからだろう。今朝は、娘が起きている。休みの朝は徹夜している。 ・昨日は、これまで歩いた歩数を出してみた。エクセルに入れているので出すのは簡単。ただトータルで出していなかった。単純な計算で一歩を70cmにしたが、キョリ測では男と女で違っているし、歩幅となると個人でも違う。2万歩を14Kmと計算した。同じところを歩いているが、毎日違うところを歩いたとすると、人間の足も大したものだと思う。 ・へ2・・・今更「歩く」ことに目覚めたというのではないが、HbA1c 2ポイント下がり、体重が10Kg減量したのでこれはと思い続けている。然も、リバウンドも今のところないので、歩くという基本的な運動がそれをサポートしているのではないかと思うからだ。漠然とやっていたのでは、健康管理はできないことが判った。数値管理することだろう。それで問題点が相当明らかになるものだ。何故遣らなかったのだろうか。自分でも不思議である。遣ろうと思えばできるだけのツールを持っていた筈だ。一つ、誰も自分の生命を守ってくれているわけではないことだけは言えるだろう。
2009.01.31
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脳と一緒に歩く-2 年月 全歩数 2008年 4月 258,124 (15日から )2008年 5月 461,505 2008年 6月 454,828 2008年 7月 492,053 2008年 8月 479,175 2008年 9月 607,612 2008年10月 635,399 2008年11月 562,374 2008年12月 629,723 2009年 1月 628,603 (30日まで ) 合計 5,209,396 歩 歩幅を70cmとして計算すると、3,646キロになる。ちりも積もれば何んとかだ。データに残して見ると、分析できるものが色々ありそうだ。少し安易に始めた記録だが、これでも何かの自分のためにはなるだろう。時間ごとの歩数もインプットしていたが流石に面倒になった。簡単にデータベースに載せるものができているらしいが、まだ完全ではない。健康管理とはもっと深いものでもあるだろう。健康のための投資が少し軽く見られているのではないだろうか。 ・自己管理表ももっと充実させたい。モードとか体温とか、必要な情報を詳細に簡単にできないものだろうか。すぐに目に見えるものが増えて欲しいものだと思っている。専門家の意見も聴きたいと思っている。 ・へ2・・・去年の4月から歩き始めた。今日までの歩数を合計してみた。まだ始めたばかりで改善の余地は随分ある。それは解っている。歩きながら考えたいと思っている。スタートのスタートだ。
2009.01.30
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只管打坐「一行専一」が日本の禅という。中国の禅の「無事」の禅が変質した。「学道」の禅となる。 親鸞は念仏の一行に、日蓮は唱題の一行に、道元は打座の一行に 集約した。一事を専らにするのが鎌倉仏教の特徴で ある。禅は、「無心」から「無事」への思想だ。無事は日常性に生きることとされる。 「無事」とは、ゆっくり と焦らず、さわがず、悠々として生活することをいう。天地の運行、自然の摂理に逆らわずに生きることが 無事となる。「一坐して四十年」という中国の禅がある。時間と空間がひとつになり哲学がある。 科学の向かうところは、平坦ではありえない
2009.01.30
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川辺川ダム建設に絡んで五木村は翻弄され続けている。もう20数年経ち、今般熊本県知事より白紙撤回の話が出された。何という拙劣な行政だろうか。問題の先送りがされ住民無視もこれに過ぎるものはない。かっては平家の落人たちの村といわれていた。あの「五木の子守唄」の故郷でもある。純真な村民を巻き込んで生活の本拠であるその住まいを奪ったのだ。今更だが、ダムは本当に必要だったのだろうか。水害予防と言われた、あれからどれだけ大規模な水害はあったのか。 ・住民の意志を無視してダム計画がされた証拠だろう。既に2000億円と40年間という投資がされている。誰がこれを補填できるだろうか。住民を苦しめた物的損害と精神的慰謝料はあるのだろうか。行政のすることは果して地域の利益に根差しているだろうか。諫早の干拓地も同じだろう。次々に計画されたものが、必ずしも地域のためだけではないことは明らかだ。利権に絡む裏があるのではないさえ思われてくる。 ・へ2・・・政治に絡んだ裏取引があるのではないだろうか。五木村は、住民たちの生活の基盤である住居が水没するとして移転をさせられた。強い反対運動がつづいていた。今頃になって白紙撤回をしてどうするのだろうか。住民から県知事の説明に対して「責任を取れ!!」という怒号が飛んでいたのも当然だ。余りに長い政治の空白だろう。悲しいい次の子守唄の歌詞が思い出される。
2009.01.30
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博多は、灰燼に帰した。たった一日で元軍に敗れた。火力に勝る元軍の敵ではない。レベルの違う戦 闘だ。そして、あっけない終焉となる。博多は歴史の舞台に登場したが、すぐに沈黙してしまう。 弘安の役では、壱岐を制圧して1281年6月6日志賀島に東路軍は到着した。海上での戦いは火力 で退けられた。戦闘は13日まで続く。志賀島の戦いという。七月になると江南軍が五島から平戸に到 着する。7月27日連合軍は鷹島に集結し日本軍との戦闘になる。そして。30日夜から所謂神風だ。 元軍は7,8万人の壊滅的な打撃を受けたと言われる。13世紀のモンゴル襲来は、如何に、外圧に 弱い国家であるかを露呈しているが、余り反省はないようである。ただ運が良かっただけだが、これを神 風にしてしまうところが日本的なのだろうか。神国主義なのだろうか。 歴史に学ばない国家は、何度も同じ轍を踏むことになるだろう。志賀島は、今も、黙して語らない。 >海の中道からの 志賀島眺望
2009.01.30
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誤算と誤解がこれほど多いのは何を意味するのだろうか。アメリカの読みは悉く違っているように見えてならない。これは日本政府も同じだろう。それこそ、これだけ情報社会でありながら、真実は隠されているのだろうか。やることなすこと思い通りにならないとブッシュ大統領は思っているのではないだろうか。多くの人間や組織が関わるだけ核心がずれてしまうのだろうか。 ・人間とは不思議な生き物だ。それこそ最先端にいるものが何事にも鈍感であることはあり得る。一つのことに優れていることが、他のことには鈍重でさえあることはよくある。バランス感覚は、むしろ庶民にあるのかも知れない。天は二物を与えずというが、長所が短所にもなる。今回のイージス艦が、20数人も見張りのために夜間当直が必要だということも何が最新鋭なのか分かったものではない。 ・へ2・・・それにしても、相手が避けると思ったというのなら、何のための回避義務だろうか。訳が分からない。それくらいの認識なのだろう。情報の集中しているアメリカでさえ、9.11を防げなかったのだ。それでは何のために市民の傍聴さえ許すのだろうか。自分たちのイメージしているだけの「蜘蛛の巣」で世界の動きを捉えようとしているのではないか。客観的現実は「蜘蛛の巣」の間からすり抜けてしまっている。 >近所で見つけた紅梅
2009.01.30
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散歩していたら、「ロマンチック街道」に出会った。マーケットの駐車場に停まっていた保冷車の看板である。「ロマンチック街道」はドイツではローマ人が通った道路のことだと聴いた。古城がいくつも残っている。それをドイツ人は大事にしている。其れを観光地にしているのだ。まさか、ハム会社の保冷車の看板になっているとは。 ・それだけ一般化している観光地であるのだろう。世界一美しい城として有名でもあるノイシュバンシュタイン城でもある。この城は庶民には見せないつもりだったという。それが今では有名なドル箱になってもいる。皮肉な話だが面白い話ではある。 ・へ2・・・犬も歩けば棒に当たるというが、色んなものが見えて面白い。街歩きというのは、文学の世界でも小さな旅の一テーマでもある。どれだけ注意力があるか、観察力があるか試してみるのも面白いのではないだろうか。ぼんやりと生きてはいないか。ローマ人の通った道が「ロマンチック街道」であり、日本ではロマンが「浪漫」になっている。
2009.01.30
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傘をもって歩いてきた。どうやら月トータル62万歩・1月度の一日2万歩を達成した。自己満足でしかないが。まあ、若干の励みにはなる。雨が途中で降り出したが、それほど強い雨でもなく、却って気持ちが良いくらいだった。梅や小鳥や、よくみると色々春が近付いている。中国でも春節というくらいだから春を意味しているのだろう。もう汗を掻くようになった。 ・考えてみれば、私のスタートもコンプレックスからの出発ではなかっただろうか。うじうじしている間に時間ばかりが流れてコンプレックスの塊のようでもあっただろう。それを克服するために余計な時間がかかってしまった。今それが克服できたという訳でもない。それは自分がそう思っているだけかも知れないからだ。或る意味誰でも様々なコンプレックスがあるのではないだろうか。あのオバマ大統領でさえ、アフリカ系アメリカ人としてコンプレックスがなかったとは言えないだろう。然し、彼はそれがあったから大統領に就任できたのではないだろうか。 ・へ2・・・マイナスを逆にプラスにすることもできる。バネにして這い上がることができる。心理学では昇華という。スポーツではハングリー精神と言ったりする。逆境がバネになる。コンプレックスを自覚することが寧ろ大切なのだろう。甘やかされた人間にろくな人間はできない。叩かれる人間ほど強くなるだろう。寒い冬を乗り越える蝶が増えているという。寒さを乗り越え残ったものが子孫を残している。
2009.01.30
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いつの間にかモチノキの赤い実が無くなっている。色んな野鳥が来ていたが、数日の間で食べ尽くしたようだ。近くにゴルフ場があり、森があるので野鳥の種類も多いこともある。先日はメジロがいた。毎朝小鳥のさえずりを聴いている。写真を撮ろうと思っていたがまたチャンスを逃したようだ。撮影のためというわけではなかったが、剪定したばかりだったので小鳥の写真が撮れるかも知れないと期待していたのだが。 ・昼から雨だという予報だったので諦めていたが、いまは小休止らしい。これから歩いて来ようと思っている。何しろ一日2万歩を歩く目標を立てているので、今月は31日間合計62万歩になるが、昨日で608,508歩になっている。何とか今日30日でトータルで達成できるかも知れないからだ。あれだけ赤い実が成っていたが、一つ一つ野鳥たちも啄んだに違いない。一歩の積み重ねが62万歩にもなる。距離に直したら相当な距離にもなる。日々の積み重ねが大切なのではないだろうか。 ・へ2・・・モチノキの赤い実がなくなったら、えらく寂しい風景になってしまった。春が待ち遠しくもなる。それでも赤い実も野鳥たちの餌になったのだから本望だろう。雨の降り出す前に少しで歩こうと思っている。今朝も歩いて汗をかいたが暖かい一日になっている。
2009.01.30
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個性が確立しなければ自己主張もあったものではない。曖昧な態度は自分の考えが明確でないからだろう。これは幼児教育から養成されなければ至難なことでもある。それがない社会であったことも事実だ。個性を重視した教育ではなかった。社会の歯車としての人づくり優先されていたからだ。これは占領政策下の戦後教育の日本の悲劇でもある。 ・人権意識も、民主主義の思想も皮相的なものに過ぎない。人材育成の欠落も将来に禍根を残すだろう。現在国会議員たちが国民の代表者として国会活動をしているが、どれだけ国際社会で通用する人たちだろうか。党利党略で自己保身の器ばかりではないだろうか。金権や当選回数で総理が決められているだけではないのか。未だに出自やカネで当選しているではないか。頭は空っぽではないか。 ・へ2・・・何のための二院制だろうか。都合のいい解釈で政治がされている。現代を正確に理解した頭脳集団であり、真剣に政治がされ、国民による、国民のための政治だろうか?国民が真に期待している政治が行われているとは誰も思っていないのではないだろうか。それほど偏頗になってはいないか。何故雇用情勢は悪化し続けているのだろうか。それを黙って政府は見過ごしている。
2009.01.30
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国会中継があっている。多くの日本国民が注視しているだろう。日本だけでなく、今や世界からも見られている。ここで繰り広げられる政治のプロセスが何を意味するのか、それは見る人の見識でも違う。普遍的、客観的視点を持つことで、より深い洞察にもなる。昨日は久しぶりに田中真紀子節なる代表質問を聴いていた。麻生首相は「高そうな背広のおじさん」とは笑える。確かに、麻生首相は、何か軽い人だ。 ・日本人は演説は苦手のようだ。書いたものを間違えないように読むのが仕事のような演説ばかりである。個性とは言えない。雁字搦めの枠の中での決められた内容をスピーチしているに過ぎない。そして相も変わらず、カビ臭い固定観念の延長の議論でしかない。何がカビ臭いのかも考えていない。 ・へ2・・・自分の言葉で喋っていない。誰のコピーでしかない意見でしかない。時代社会に根ざさない議論がされてはいないか。これだけ国家財政が放漫経営になったのはまさに国会の責任であり、政府の責任だろう。政治の無責任体質が、国民を奈落に落とすのではないだろうか。腹が立ちむかむかしながら聴いている。これが現実だ。
2009.01.30
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<作品> 女神、フォス・フォレッセンス、朝、斜陽、おさん・敗戦のあと太宰は死に向かう。マタイ伝に触れる。・アウフヘーベンすること。・「斜陽」天皇制とのつながり。外側から見ていてはわからない。「斜陽」は「桜の園」ではない。太宰は革命ではなく、解体に向かう。・解釈が安易ではない。MCの解釈。太宰と聖書。・母なる存在。「女神」、・細田の「斜陽」と同じ、人名を使っている。・細君の姿・・・女神。信仰の世界?アナロジー?母なるもの・・存在。・男性がだめになる。病んでいる。・男に欠落したもの・・・女語りの意味。・狂人であろうとなかろうと構わない・・・細君の考え。常識を超えている。・細田は、敗戦後の日本の姿を象徴している。「フォス・フォレッセンス」、・女神から続いている観念がある。母の存在。・現実と夢想。・フロイト。・私・・男。・それが・・・何かを太宰は云わない。全部を言わないで書いている。親友とは?・羽左衛門・・・についての太宰の考え。・芸術家と市民(太宰の生涯のテーマ)トーマス・マン、森鴎外。・「トニオ・クレーゲル」の影響がある。市民になれない・・トラになる。芸術家はトラである。心の中に虎を飼っている。市民にはない。・正気と狂気。・・天才と才能。ある種の異常さ。・漱石・・時々、顔が変わる。・太宰の狂気はこれとは少し違っている。・山の男と芸術家は相似している。街には住めない。・当時の知識人は太宰を信用しない。 そこで市民の存在。・ロマン主義者でありたいという太宰の理想がある。リアリストではない。先鋭的なクールさ。意外に現実家。未だ夢想の側にいる。「朝」、・夜の次の朝の意味。・男の仕事。・「・・・キクちゃんは、じつとしていた。」瀬戸際が去っていく。そして朝になる。・貴婦人が、平気で小便をする。「斜陽」にモチーフがある。・バイブルが出てくる。難事を乗り越える。・「明り」がててくるのは要注意。「斜陽」、・弟・・・世間と交渉できない。交渉が下手だという。太宰と同じ。・敗戦後の日本の姿を描いている。・象徴がわからなければ芸術を理解できない。母・・キリスト・・襟巻・・うけつがれること。第三章が冒頭は、母子像に重要性がある。・「水田が素晴らしい。」当時の太宰の意見は正しい。現在の日本を言い当てている。・数子の胎内の子が問題。継承されるものとしての存在。・太宰の「空」は象徴的表現。「青」梶井基次郎もおなじ。・「趣味の悪い家」・バラが咲いた、も象徴的。・「国破れて山河あり」は、中国では、敗戦ではなく、離散することの意。・堀辰雄「あら野」・・・数子の心象。夢が破れていく。・太宰の「怪談好み」・・・蛇が出てくる。・冒頭の貴族の書き方がうまくないと批判された。母の姿が貴族ではない。・貴族の没落。「細雪」「桜園」「ともしび」・弟の麻薬中毒。没落の原因。・「私の恋は消えていた」自分の思いが重要である。片恋。相手の恋はどうでもいいこと。・尋常なモラルでは成り立たない。女しか革命は起こせない。自分の子によって。MCの意味。マイ・クライスト。肉体としての子ではなく、精神としての子。没落した家の子ではなく、数子の子として継承するため。子供にすべて託される。・ピエタのマリア。・数子と直治は象徴的存在として書いている。太宰のロマン主義。・蛇の子・・・まともな子ではないことを匂わせている。・西行の「桜」・・夏の好きな人は、夏に死ぬという・・・。・徒然草の引用がある。「おさん」・女語り。・心中。・自己嫌悪。革命家の犠牲になる。・おさん・・妻の比喩。・細君から見た夫。敗戦後の日本の男の姿。・遠いところを見る夫。魂の抜け殻。・「革命は、平和な家庭を破壊する」・招魂祭とパリ祭。・蛇のモチーフがある。・狂気になる夫。(太宰のこと。)「狂ったほうが、気が楽だ」・家庭の幸福を考えていない夫。・テーマ上で「斜陽」に近い作品。
2009.01.30
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すべての生物の細胞には多くのミトコンドリアが存在している。このミトコンドリアの役割は、吸収した酸素をエネルギーに換えることである。しかしそのプロセスで、DNAやその他の細胞内の要素を破壊する酸化物を生み出す。生きるためのエネルギーと同時に、死をもたらす要素も生み出すという、生命にとって矛盾した働きをするのだ。 ミトコンドリアに拠って破壊された細胞を修復する機能をつかさどる遺伝子も現に存在することから、そのような遺伝子を人工的に増やすことができれば、ヒトの寿命は30%近く延ばすことが可能だと考えられている。この細胞因子は、レスぺラトロールという。赤ワイン用のブドウや落花生の種皮に多く含まれていることが確認されている。 私たちは、この社会でも多くの矛盾に悩ませられるが、それは元来人間が生きる上で内在的に抱えているものなのかも知れない。それこそ「過ぎたるは及ばざる如し」なのだろう。また「あり余る才能が身を滅ぼす」こともなるだろう。それこそ適宜の範囲というのは、人間にとって、生きる知恵を示しているのではないだろうか。 遣り過ぎでも心身を病む原因にもなるだろう。むしろ矛盾から何を学ぶかだろう。
2009.01.30
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共感する脳 「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。小さな愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたいことでもある。
2009.01.30
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周囲に調和させようと思うあまり、自分が個性を見失っているのではないかと思い続けていた。一人っ子で周囲は殆んど大人たちで自分は、彼らたちに従わなければならないのだと思い込まされようとした無言の刷り込みだったろうか。兎に角或る種の劣等感があったようだ。一見素直に振舞うしかなかった。溢れるような疑問をもっていたのは事実だ。 ・どうも疑うことを始めたのは幼いころからだろう。幸か不幸かそれは私だけの特別な事例ではなく誰でも感じる世間の中であり、誰でも感じる挫折を味わう破目になったことだろう。謂わば、「みんなで渡れば怖くない」という世界にいたことだ。もし、戦争でもあり、徴兵でもされていたらどうだろうか。それはもしもの仮定でしかないが。恐らく違う人間になっていただろう。 ・へ2・・・社会的ステータスがそのひとの意識を決定している人は一般的な人間の傾向だ。オバマ大統領はどこまで個性を発揮できるのだろうか。もし、それができたとしたら、アメリカ人の見識の高さだろう。どうも日本の政治は「みんなでやれば間違いはない」式の無責任システムではないだろうか。国会はその最たるものだ。誰も考えてはいない。何しろ理屈ではなく多数決が正義でしかない。偶々法務大臣になった人物が死刑執行も命じるのだ。
2009.01.30
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4000年の伝統の牡丹。牡丹に溺れる人は古代からいたようだ。牡丹に魅入られてしまうと、他はどうでもよくなったのかも知れない。併し、牡丹もひとつの花に過ぎない。ひとの美しさに比肩はできない。然し牡丹の魅惑さは理解できる気がする。その色の深さはどうだ。そのイメージはどこか高貴でさえある。 物の本質は、容易に理解できるものではない。欺瞞に満ちた社会の中で人を陥れよとさえする人間もいる。何故他人の心を欺こうとするのだろうか。花の美しさに恥じることはないか。花はそのためにあるかも知れない。ひとに精神の高貴を問うてもいる。 いわく「立てば芍薬座れば牡丹」、そして、歩く姿は「百合の花』である。この百合は「白百合」でもあるだろう。如何にも、ゆったりとして迫らないものが牡丹にはある。芍薬は草で、牡丹は木である。その安定した美しさは芍薬と対比される。
2009.01.29
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テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2009.01.29
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手島実郎は「脳力のレッスン」の序文で、「狂気に満ちた時代に正気を保つことは、容易ではない」と書いている。9.11以後、アメリカは「力と正義の論理」という不可思議な論理で「新しい戦争」へ乗り出し、日本はといえば、戦後培ってきた平和の資産をかなぐり棄ててまで、アメリカに追随している。謂わば、「仕方がないシンドローム」だと指摘している。「イラク戦争」後のステージは、やがて、日本の将来に暗雲を招き入れるだろうか。03年夏のバクダッド崩落後のあるシンポで、イラクのひとりの高校生の質問が紹介されている。「佐世保で少年が、一人の幼児を殺害したことで、大騒ぎしている日本なのに、何故イラクでの何千万何万人もの人間が殺されるかも知れない戦争を日本は支持するのか」日本の大人社会の欺瞞を衝く質問だろう。それは、何故日本の高校生からではないのだろうか。否勿論ないはずはないだろう。そうさせない大人社会があるからだろうと信じたい。日本も第二次世界大戦では、何百万人もの犠牲者を出して、日本国憲法を制定して、世界に「戦争の放棄」を宣言したではないか。かって、ナチの台頭を許したワイマールのドイツは、ヒッラーを冷笑しているうちに、抑え難い潮流は大津波となり、多くのドイツの知性をなで斬りにした。日本も同じだ。「テロとの戦い」「核の脅威」とは、それは如何に繕うとも戦争を正当化しようとする陰謀でしかない。自分だけは、平和を愛しているというだけで良いのだろうか。それは、「ワイマールのドイツ」ではないだろうか。何れ何もできない愚民となり、むざむざ殺されていく子供たちさえ守れない人間になろうとしているのではないか。それこそ、私たちは何ものなのだろうか。この時代の、世界の社会事象の変転の背後にあるものとは何だろうか。それは、個人レベルの脳力が試されようとしており、この時代に向き合わねばならないしたら、私は、非才を顧みず法を学んだものとして知る権利を行使せねばならない、と思う。
2009.01.29
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風邪の原因のウイルスは確認されているだけで200種以上あり、それで何度も風邪になる可能性がある。免疫力の低下の最大の原因は「加齢」による胸腺の縮小と乾燥とストレスらしい。どうやら今年風邪を引かないのは暖房を使わないことがある。皮膚の表面の角質細胞の隙間を埋めている水分の量が減少すると微生物などの異物が侵入し易くなるためだ。主として自然免疫の機能を低下させる。 ・風邪を引かないためには免疫力を下げないことが有効だ。加齢はどうしようもないが、対抗手段はある。当たり前のことをするだけだが、何を日常的にしなければならないかだ。それを知っているのと、知らないとでは予防が違ってくる。ストレス、遺伝、乾燥、加齢、睡眠不足、タバコ、酒など、免疫力を低下させる知識が必要だ。 ・へ2・・・やはり、定期的な運動によって免疫細胞の活性を底上げすることがあるようだ。体力の向上が総合力を高めることになる。ウォーキングが、私には風邪の予防になっていたのだろう。生活習慣の見直しがポイントでもある。
2009.01.29
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生物を作る素材を地球はすべて持っていたと言われる。そういう意味で、ひとも、その幸不幸も可能性をすべて持っているだろう。ひとの幸運でさえ環境と契機としての素材であろうか。若いひとが、誇らしく都会を語るが、田舎に較べてそれだけ恵まれているとも言えないと思うのだがややもするとそう思いがちだ。多くの可能性があると思わせられているに過ぎない。それこそ、自分の内なる素材を知らずして何事もできはしない。非科学的な自己分析で何ができるだろうか。着実に論理を積み上げるスキルを粉してこその蓋然性が高まるだろう。この社会は謂わば「鋼の壁」できているそれを突き破るには、それだけの素材と拠って立つ強かな決意がなければならない。都会は、生気の無い砂漠だ。それは田舎も同じだが、まだ、少しは優しいものが残っているかも知れない。
2009.01.29
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枯れ木もひとの役に立つだろう。知恵の無いものは、生きることを壁としか見えないかも知れない。ネガティブな側面だけを見ていても恐らく人生が厭になるだけだ。然し良いだけの人生であるはずはない。光と影とこの社会を形成している。一葉の世界が遠くなってきたようだ。然し、老耄れたお蔭で見えてきたものがある。多分若い時には感じなかっただろう複合の文脈が面白い。でも、一葉や、明治や、昭和に嵌っても仕方がないだろう。本当に分かるものが分かるだけだが、それでも仕方がない。時代は、ただ必要なものだけを残すだろう。価値があるからではない。「たけくらべ」の最終章で、美登利は、「ある霜の朝水仙の作り花を」一輪挿しにする。
2009.01.29
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雨になり、車で図書館に行き、CDを返却して、新聞類をみてから「ニュートン3月号」を読みました。生殖と脂肪と寿命の間に何らかの関係性がある。ハーバード大学のワン博士たちが、線虫を使い、生殖幹細胞GSCsの量と脂肪の蓄積量および寿命の関係を遺伝子操作によって明らかにした。(K04A8.5 の分解酵素が重要な役割)と、免疫力のことなど。横浜にいたころ、図書館で関心のある記事をノーとして歩きました。 ・N.B.(ノート ブック)の略で、自分の本にはいつも、記しを入れていました。借りた本はそういう訳にはいきませんでしたが、ノートに筆記していましたが、簡単にできないものかといつも思っていましたね。「点」をいっぱい作り、「線」にする。気に入ったフレーズを繋ぐと意外な展開があったりもする。 「免疫力とは、リンパ球などの免疫細胞の能力だけではなく、体力や気力などもあわせた人が病原体に対抗するための総合力だ」とありました。免疫力とは学術的な表現ではない。風邪を引かないのは何故かと思っていましたが、ヒントがありました。免疫力の低下がある。その最大の原因が「加齢」。後、乾燥とストレスがある。胸腺の縮小、免疫細胞数の減少、皮膚の水分量の減少らしい。 ・へ2・・・体力などを含めた総合力としての免疫力が、10代後半から20代前半がピークで免疫力が低下してくる。では、免疫力を低下させないために、ポイントは4つある。 ・同一食品を繰り返すのを避ける。 ・鼻で呼吸する。 ・定期的な運動でNK細胞を活性化させる。 ・生活習慣の見直し・・・ストレス・タバコ。アルコール睡眠不足を避ける。 詰まり、体力を向上させて、総合力を高めること。当り前のことばかりだが、日常的につづけることが難しい。どうやら、私はそのルールに則った生活を心がけているので風邪を引かないでいられるようです。納得。
2009.01.29
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和白干潟は、80ha の国の鳥獣保護の指定でもある。236種1万羽といわれる野鳥が棲んでいる。以前は26千羽いたのが、今は1万羽に減少してしまったのは、これも人工島や、環境破壊の所為であろう。生き物の小宇宙が展開して何とも素晴らしい世界でもある。遠くヨーロッパや中国から飛来する野鳥たちの楽園だ。クロツラヘラサギは、絶滅危惧種で100羽のうち10羽が飛来している。中国奥地が開発のため追われて来たらしい。もう14年経過した。あとスグロカモメもいる。ミヤコドリも30年飛来している。コウノトリも。ここは、福岡市内の東部である。ひとと野鳥が仲良く共存できるかが問われるのでケースになる。自宅から500mも離れていない。然し、喜んでばかりはいられない。博多湾は赤潮で汚れがひどくなりつつあるそうだ。人口の増加などで和白干潟は生態系を乱されている。いつまで野鳥の楽園として生き残ることができるのだろうか?近くにある女子大でも、定期的に舟を借りて調査を続けている。県や市も調査を続けているらしいが、限定的なものでしかない。鳥インフルエンザが心配されているが、それに対する手立てがあるのだろうか。病気が発症してからでは遅い。干潟は私の散歩コースにしており、時々心配になる。
2009.01.29
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昨年11月に亡くなった筑紫哲也氏のノートが文春2月号に「がん残日碌」として記載されている。人間にとって誰にでも訪れる死に対して如何に震え上がるものであるだろうか。彼は当初はジャーナリストのそれとして著名人との交流を書いている。他人の興味を引きそうな話題だろう。そして、段々寡黙になり、中学生の箇条書きのようになる。文章ではない。それこそ、加筆しなければ文にさえならないのだ。筑紫氏だからではない。皆そうなのだろう。最期まで全うする生き方はできないのだ。 ・どんなに鋭敏で才気のあった人も同じだろう。「もっと光を」といいつつ逝くのだろう。ひとは死まで格好よくは生きられない。周囲の人たちに見守られて逝かねばならない。あの龍之介でさえ、妻は死の床で、失禁したかどうか手を入れて調べたという。有名人と言われた人たちのプライベートは、悲劇ではない。 ・へ2・・・多くの人びとは、粉飾されたイメージになれてしまっている。油断なく生きているようで、それこそ間が抜けているような生き方ばかりしているのではないか。それは自分の体を知らないのだ。何で生きているのか、それさえ考えようとはしない原始人と変わらない存在なのではないだろうか。背広を着た裸のOO様でしかないのではないだろうか。ふと、寂しい想いがした。
2009.01.29
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有難いことに死神は勝手に遣ってくるものだ。何も用意して待つことはない。悪魔との契約など必要はないだろう。環状ではなく直線状のヒトの染色体は、タンパク質と結びついた特別な染色体末端に結びついたDNA配列をもっている。この非コード配列タンパク質であるDNA末端、テロメア telomere は、ヒトの中で唯一接近しやすい染色体複製の構成要素である。テロメアは、150~ 2000の TTAGGG 配列をもっている。 ・染色体の末端はテロメアの核タンパク質によって保護されている。 ・テロメラーゼは老化した染色体を維持している。 何故 telomere crisis は起こるのだろうか。ヒトの分子生物学は、まるで初心者にとってパズルのごとくである。テロメアの欠損による染色体末端の欠失は染色体の不安定化をもたらす。つまりそのような損傷は高い割合で組み換えが起こりやすい。 それこそ、精子の如く数億の競合を経て、苦難を乗り越えて、始めてひとの遺伝子は卵子にたどり着くことができるのだろう。ヒトの生命の先端で繰り広げられる闘争は、単純でも平易でもない。まさに複雑で熾烈な闘いの場でもあるのだ。そこにこそ、人間の生命の根源があるのであり、私たちの日常はその上に立った社会でもあるだろう。
2009.01.29
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早朝は凛として爽やかである。睡眠によって得られるのは生命力の回復なのであろうか。昨夜の疲労がどこかに消失している。もうこれ以上生きることもできないと困憊していても、朝になると忘れている。然し、何時か眠れぬ夜があり、それは己の肉体との別離となることにもなるのであろうか。たとえそうだとしても、そのことを思うことを念じることもない。その時は、真宗では、 為 証 以 両 手 印 仏教徒ではないが、両手を合わせることは日本人として自然と度々あるだろう。それは、物真似ですることだが何か、自分のこころを謙虚にさせ、相手を敬することであろうと思っているので、抗うつもりはない。自分には理解できないことでも、世の中に尊重しなければならない物事は多くある。 時としてわが身の蒙昧から傲慢とみえることはあるとしても、決して本意ではない。それ程優秀な人間でもないし、他人を蔑んでもいない。勿論人並みに喜怒哀楽はあるが、それは拠って立つこれまでの自分の本拠となる所為であり、所以でもあるからだろう。ひとは一人であるのではない。世間であり、巷の中であるべくしてあるのだろう。 残念に思うことは、それ程多くあるがそれを論って仕方がない。あるがままにあるべくしてありつづけるだけだ。「朝に紅顔あるといえども夕べに白骨なれる」も人の世の常の出来事であるだろう。それは、そうだと思っている。 にも拘らず、私は、この社会が正しいことをして来たとは思えないし、なるようになるのだとも思わない。寧ろ、他力本願ではならないのであって、事実を明らかにすべきであり、ひとはそれほど愚かな生物ではない。自分の限界に挑み続けるのを本懐とすると思う。
2009.01.29
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昔からしたかったことをしているのだから、気分が悪い筈はない。我儘放題を遣っている。それをいやいやでもさせてくれる家族には感謝もうしあげなければならないだろう。あとのことは知らない。朝起きて、何をするかというと、先ずトイレ。次にPCを立ち上げるためにスイッチをオンにする。そして湯を沸かす。そしてウオーニングアップをする。立ち上がるのと湯が湧くのが同時進行している。どうも一つだけだと面白くない。台所も料理をしながら片付けないとイライラする。 ・のんびりなのかせっかちなのか、自分でもよく分からない。どうも気質は分裂気質だった。専門家に調べて貰った訳ではなく自分で、あるテストを遣りその後自分はそうだと思い込んでいる。つまり、「敏感と鈍感のあいだ」だ。何でも「あいだ」にしないと気が済まないわけでもないが、針は振れると思っている。 ・へ2・・・こうして書いている間に、コンソメスープを作り始めてしまった。残り物の野菜があったので、何にしようか迷ったが、何しろできる料理といえば、・・・。あれから料理もあまり捗っていない。同じことを続けている。幸か不幸か貧乏なので、美食するわけも行かないし、またできない理由もある。でき上った橋を渡るのは簡単だろうが、自分で川を渡らないと生きる意味がないと考えている。彼岸は遠い方が良い。
2009.01.28
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気管支の弱かった私が、このシーズンはまだ風邪を引いていない。その傾向はここ数年間続いているけど、今年は全く風邪を引いていないので自分でも驚いている。胃が悪かったり、風邪をひいたり冬は苦手だったし、寒い日に出かけることも用事がなければ外出しないことが多かったが、ウオーキングするようになり毎日外に出ている。それと暖房だろう。すぐ寒いとエアコンを使っていた。部屋が乾燥して喉が渇いていた。 ・色々風邪を引かない原因はあるようだ。体を冷やさないために、よく部屋の中でもウォーニングアップをしたりする。別に何も要らない。どこでもできる。朝起きてすぐ1000歩くらい万歩計を使ってやってみると、大抵冷えた身体が温まってくる。無理はしない。歩数はウオーキングで。何しろ九州に住んでいるから、外気もそれほど冷えることはない。先日の大雪もここ数年来のことだ。そうこうするうちにいつも春になる。もう梅の花がほころび掛け始めている。木々の蕾も膨らみ始めているだろう。 ・へ2・・・ひとの住んでいる環境の影響は大きい。生命は環境に守られてもいる。そのことを忘れないことだ。他人を恨まないこともあるし、自分を追い込まないこともある。他人の犬が家の庭にフンをする話を書いたが、別にそれほど怒りを感じていない。多分犬の世話のできない老人が飼い犬を放しているのだろう。犬のフンくらいで腹は立つがどうということもない。家の前の枯葉を掃除すると思えばいいだけだ。それよりも、風邪を引かないことがうれしい。それだけ自分の置かれている環境に適応しているからだろう。
2009.01.28
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人間はよほど頭のいい人でも二分法で考えがちだろう。それほど頭の良い人にお目にかからないのかも知れないが。アメリカ人はたいてい計算ずくのことしか言わない。それは、計算ずくの国家だからだ。日米軍事同盟もそうだし、ベトナム戦争も、湾岸戦争も、最近のイラク戦争も計算ずくだろう。六カ国協議でアメリカのスタンスはじつに計算ずくであろう。アメリカ人は、北朝鮮を観ていない。注目しているのは、中国であって、日本でもない。 よいやつか悪いやつ。計算ずくのやつか、計算ずくでないやつか。よほど頭のよい人でもいっぺんに二つのことを考えられないから厄介だ。つい敵か味方かになる。計算ずくでないやつがよいやつで、計算ずくのやつが悪いやつとか、ひっくくっていいわけでもない。 日本人は非常に曖昧だといわれるが、計算ずくじゃないと思っているだけでじつはそうでもないかも知れない。アメリカ人は確かに非常に計算ずくだ。それは合衆国という国内事情がそうさせているからでもある。3億人の寄せ集め国家だからでもあるだろう。 すぐ何でもニ分法にして解かり易くしなければならない。民主党と共和党も、どちらかを選ぶしかない。その他はない。敵か味方か、で物事を判断してしまうと簡単だが、とんでもないことをしでかすかも知れない。かってのキリスト教は、信徒か異教徒しかなかったし、人々は一生を狭い国土で暮らさなければならなかった。 アメリカ人はどこが計算ずくかは、知ろうとすれば解かるようになった。それは将来、世界が知ることになり、アメリカは追い落とされることになるだろう。ウイークポイントでもあるからだ。それは、二分法でしかない。これからの戦略は二分法では負けることだけは確かだからでもある。
2009.01.28
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無暗に歩いても意味がない。自分の脳と一緒でなければ効果は希釈される。脳と細胞が一体でないと意味がない。どうも言われたから歩いていたところがある。他人から言われて歩いても脳が納得しているとは限らない。自分の脳がどこを向いているかだ。ミトコンドリアが悲鳴を上げるようでも困る。威張って歩くようでは長続きしない。「乞食」の如くだろう。こじきではない。「コツジキの如くだ」。 ・自分の脳と細胞が歩けという。まだ歩き初めて1年間にもならないが、やっと納得できたことがある気がする。誰のためでもない歩くという生命活動が自分のベースなのではないだろうか。重力のない生活はないのであってそれに抗うために日常はある。そのための行動であるに過ぎない。これまで、脳が付いてこなかったのだろう。だから、すぐに横道に逸れてしまっていた。 ・へ2・・・歩いて少し解かってきたのは、自分の脳が「コツジキ」の精神を持たねばならないということだ。
2009.01.28
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考えると、人間はそれこそ一寸したことで死んでいる。小さな石もそれが高いところから落ちてくれば致命傷にもなる。自転車から落ちても、ベットから落ちても、死ぬことがある。毎日使っている階段や、風呂場でだってはずみで怪我をすることがあるし、それですまないこともある。それから、最近では、何十年も真面目に仕事をしていた公務員が、鳥渡した気の緩みや、一度の飲酒事故で懲戒解雇になることもある。現代では、たった一度の出来心で一生を棒に振るかもしれない。 病気も、老化も、外部からみれば長い時間をかけて進行しているが、本人はそれに気づこうとしない。人間は、先祖の形質を遺伝子で受継いでいるが、いくつかの変異を起こす細胞も受継いでいるし、反面それを修復する免疫も持っている。しかし修復できないときがある。それがアポト-シスや病気の原因にもなる。生命の営みの中から発生する。 例えば、戦争でさえ、外部から見れば突然起きるように見えるが、実は多くのプロセスを経由している。第二次世界大戦も、多くのそれまでのプロセスがあった。それで1億人近い人が犠牲にもなった。 それは、経済であり、政治的情勢であり。大衆の意識でもあっただろう。だから、よく国際社会の状況を観察すれば、この世界の健康状態が解かるのかも知れない。それの処方箋を提示できないのは、学者たちの怠慢だと思う。原因は、客観的で、冷静な目を持っていないからだ。 忍び寄る危険を知らないで生きている。ひとはたった一度のダメージで死ぬかも知れない。どれだけ用心深く生きていても、たった一度の失敗で命を失くすだろう。不運は、ひとに纏いつくものだからだ。病院の検査を何百回受診してなにもなくても、最後の一回でガンが発見されるかも知れない。ふとした気持ちの弛みが、或いは驕りが最後のダメージになるかも知れないのだ。 どうも、そんなことばかり考えていたら、厭になってしまった。モードの切換えが必要なのだろう。
2009.01.28
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宗教戦争をみていると到底宗教による世界平和の実現は困難に思えてくる。三大宗教がそれぞれ目指す世界が違うだろう。最近の報道を見ているとその観を強くする。他宗を排斥して宗教の存立があるとすれば、共存は自ずと制限があるだろう。世界は急速に国際化が進みつつあるが、行き着くところ共存を前提としなければ、コンセンサスは得られないだろう。政治に宗教性を優先させれば必ず軋轢が生まれる。中東は依然として世界の火薬庫でありつづけるのであろうか。宗教を信じるひとと信じないひとがおり、どちらがどうといってもまだ議論になる段階でもないが、何れ結論を出すときが来るかも知れないし、或いは、来ないかも知れない。併し、平和は、実現せねばならない人類の大きな課題で在ることは間違いないとすれば、宗教も解決しなければならないだろうことだけは分かる。
2009.01.28
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「一行専一」が日本の禅だという。中国では「無事の禅」といい、それが変質したのだという。即ち学道の禅だ。親鸞は念仏に、日蓮は唱題の一行に、道元は打座の一行に集約した。一事を専らにするのが鎌倉仏教の精神である。禅は「無心」から「無事」への思想とされる。無事とは日常性に生きることをいう。焦らず、騒がず、悠々として生きるのが本旨である。「自然の摂理」に逆らうことなく、無用な争いをしないことだと言う。封建社会は、現世を肯定しようとする、「儒教」を支持した。「一坐して四十年」という中国の禅である。現代では、最早通用しない面もあるが、余りにも煩雑となる社会に住んでいると、素朴な思想が懐かしく感じるのかも知れない。西洋思想の基本である「有」は、やがて限界が来るのかも知れない。其の先にあるものが「無」なのかは、よく分からない。
2009.01.28
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図書館が休みだったので、和白干潟を歩いてきた。晴天で朝の寒さが嘘のように暖かくなっていた。丁度干潮だったようだ。気の早い人が、どうやら潮干狩りをしていた。或いは研究者だったのだろうか。数人見かけた。どうやら風もなく、暖かい日差しに誘われたのか珍しく散歩している人たちが多かったようだ。家の近くの干潟から、雁の巣の方面の海岸を歩いてきた。3月中旬まで植栽工事を大規模にやっている。随分見違えるような海岸通りになるのではないだろうか。何かのプロジェクトかも知れない。 ・15時前に家を出て約2時間歩いてきた。約1万歩だった。どうやら明日も図書館まで歩くつもりなので、1月はどうやら毎日2万歩の目標は達成できそうである。約一日14km位になる。あまり疲れないので、それくらいが無理のないところだろうと思っている。特に注意とか指摘も、医者からないので良いのだろうと思っている。 ・へ2・・・それで何時までも良いわけでもないのは承知だ。TPOに適合して行かねばならない。今年は渡鳥が少ないのではないかと心配していた。データでは1万羽が渡来しているとあったがそれに比べれば私の観察では、そんなにいるとは思えなかったが、今日は干潮の所為もあり、多くの野鳥が岸の近くに集まっていた。白い鳥もチラホラ見かけた。大型の望遠カメラで撮影している人もいた。晴れていたので撮影には最高の日でもあったからだろう。私も負けずにバチバチ撮ってきたので、これからアップします。 >今日の和白干潟
2009.01.28
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何を学んで来たのか。この社会に適応できる常識を体得をしているのか疑うような学生が大勢いるようだ。今では大学を出ても、すぐにはモノの役に立たない複雑な社会である。何度も経験しているが、大学はお座成りで社会人として役立つような教育をしていない。寧ろ社会人になり、社会の常識を学ぶことになるが、勤めた会社にその教育装置がない。底での常識とは多くは処世術でしかない。理想は溝の中に転落するだろう。要領だけを身につけて出世ばかり考えるようになりがちだ。それでも最近は、それをドロップーアウトする若者が増えているらしい。どうやら自由の名の下に人としての「常識」が欠落している社会ができている。人間として、日本人としてどう誇りをもって生きるべきかのスキルが放置されている。勿論特攻精神を植えつけられては困るが、すべて自己責任というのも、それは教育ではない。選択肢を多くして、「人間とは何か?」を若いうちに学ぶ機会を与えるべきだろう。一国だけで生きていける時代ではない。少なくとも国際人としての最低のレベルを明確にしれ教育すべきではないか。そこそこ努力して、甘い親と、甘い社会と、甘い配偶者に塗れてふやけた人間たちに未来を託したいと誰が思うだろうか。そうしているのは、日本社会の現状であることを思い知らねばならない。このままでは、「大人こども」の社会になりそうだ。世界から嘲笑されるであろう。よく再構築と叫ばれているが、「何をどう再構築する」というのであろう。その素材になるものは何で、何を目標にするのかを示さないのは不思議なことだ。余りに抽象的過ぎるのは、却って、不信を招いている。 >香椎宮の綾杉
2009.01.28
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これから図書館にCDの返却に行こうとしていたが、ふと水曜日で月末が休館日だったのを思い出して、図書館に問い合わせてみたら、やっぱりそうだった。明日に返却日が延長になっていた。折角歩こうと張り切っていたが、行っても返却だけで新しいCDが借りられない。予定変更だ。庭に出たら、晴天で明るい陽射しが溢れており、気温も上がって気持ちが良い。然し最近うちの庭にどこかの犬がフンをしに来るようになっている。探してみたらやっぱり二か所あって、一つを知らずに踏んでいた。どうやら奴は、腹具合いが悪いらしい。昨年から続いている。犬も人間と同じで毎日の習慣らしく困ったものだ。 ・うちにも以前二匹犬を飼っていたから、犬の面倒は大変だということは知っているが、躾の悪いひともいる。自分の犬の面倒ぐらい責任を持つべきだろう。恐らく野良犬ではない。野良犬なら毎日うちにしに来る筈はない。一度見つけたいと思っているがどうも、こっそりくるらしい。以前は木戸を開け放しにしていたが、最近は気を付けて閉めているが、それでも入ってくるらしい。どうも、違うところから入ってくるかも知れない。 ・へ2・・・犬は嫌いではないが、世話をするのが大変だ。毎日時間をきめて外に連れて行かねばならないし、フンの世話もある。暫く連れて行かない時があったが、周囲が臭くて堪らなくなった。生き物は責任をもって付き合うべきだろう。できないことをすべきではない。よく寒い中を愛犬家の人が歩いている。どうも人間の運動になっているとは思えない。自分がそうだったので知っているが運動にはならない。飼い犬は死んだが、死んだあとも他人の犬のフンの世話をしなければならないのもアイロニカルではある。これもジョークだろう。
2009.01.28
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・ふつう生物は、主観的昼夜を環境の昼夜に同調させている。・人間の場合は、環境とのあいだに社会的時間割りと意志が働く。・研究の趨勢は、根底にある生物時計の実体解明に向かう。・生活リズムの基本的性質が、多くの生物のあいだで共通し、比較ができること。・昼夜の時間的枠組みが、物の考え方に大きな影響を与えていること。・食事・性・物音・時間的夜と空間的夜の関係。・眠りは、決まった場所で取る習性があり、安全な場所であること。・用心棒としての家畜の存在。蚊と野獣への守り。・火の存在。・からだの中にも夜と昼の自転があること。 (千葉「からだの中の夜と昼」より) 昼から図書館に行く予定。今日も歩こうと思っている。日本の経済は暗転し始めている。どんな事態になるだろうか。こころは穏やかではいられない。然し、なるようになるだろう。冷静さを失わないことだ。何でも起こりうる時代だ。それさえ覚悟していればよい。大きな津波が来るだろう。其れに呑み込まれないようにすることはできるだろうか?それは来てみなければわからない。私たちは、謂わば喫水線のところで暮らしているからだ。どんな防波堤も役には立たないだろう。さて、僅かな時間の微睡の中にいる。さて、晴天なので気温も上がりそうだ。
2009.01.28
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外に出たら晴天だった。周囲は霜が降っており、道路の水たまりも凍っている。いつも新しくできた公園を通るが、親子がキャッチボールをしていた。この寒い朝に。この親子は、小学生の女の子と父親らしい人だ。今朝は久しぶりにみたが、数か月以前は毎朝遣っていた。どうやらソフトボールのピッチャーか何かの選手になろうとしている補欠か何かではないだろうかと想像した。それで父親が手ほどきしているような感じだった。初めのころは見ていて吹き出しそうになった。それくらい下手クソだった。暫く、それがつづいていたのでそのうち諦めるだろうと思っていた。私もウオーキングを続けられるか余り自信もなかった頃だ。 ・前にも書いたが、私も父から公文のような計算を就学前に毎日遣らされていた。恐らく仕事で疲れて帰ってきてゆっくりしたかったに違いないが、我が子のためと思って父は遣ってくれていたのだろう。それはどれだけ役に立ったのかは問題ではない。今朝久しぶりに見た少女の投球ホームを見て驚いた。別人のように上手くなっていた。「まさか」と目を疑った。同じ人だろうかと思ったからだ。背も伸びているのではないだろうか。 ・へ2・・・少女は自信を持ってきたように見えた。それは確信でもあるかも知れない。もう喋ってはいない。訊いてもいない。黙々と投げている。以前はホームに拘った投げ方をしていたが、無心になっていると思った。繰り返した練習の成果だろう。女子のソフトボールで金メダルを日本は取ったが、後継ぎはここにもいるかも知れない。 >香椎宮
2009.01.28
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BSで放送されている各国の報道を見ていると、みな自己肯定したものだ。自分たちの言っていることは間違いないという確信に満ちているように見える。時には北朝鮮張りの報道もある。それらをみていると、報道の果している役割を思わずにはいられない。恐らく、NHKが選んだ各国の代表的なメディアであり、穏健なタイプをセレクトしているのだろう。一部の報道であり普遍性をもつかは疑問だ。それでも見ないよりか分かるところもあるだろうか。世界はコモンセンスがあるような気さえしてくる。それは正しいだろうか。 ・ドイツ人のユダヤに対する罪の意識は深いようだ。かってのナチズムを思うと、その針の振れは小さくはない。どちらが本物か疑いたくもなる。或いはひとはおかれた環境でそれだけ変貌するということだろうか。よく分からないユダヤ人がある。否、全くわからないというべきか。600万の犠牲者は、何のためだったのだろうか?時々悲鳴を上げたくなる。 ・へ2・・・理解しようと思うことが思い上がりなのかも知れない。どうも意識を超えたところで世界は動いているのだろうか。解らないで済ますべきなのだろうか。自分の脳を納得させるだけの根拠が見つからない。どんどん国際社会はつぎの era を目指しているのだろう。日本には多民族からの大量の情報が流れ込み、多くの外国人も入ってきている。それに私たちは、何ができているだろうか。考え込んでしまう。
2009.01.28
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何故生きていなければならないかと問われたら困るだろう。自然科学では、生命は目的をもって生まれていないという。偶然の産物でしかない。それを神が創りたもうたといってきただけだ。その慣習を今更止められないで苦労している。長い歴史の果てでもある。どうするつもりか誰も知らない。アメリカの大統領でさえ44代にもなって、「神のご加護」と言っているくらいだ。それでも神のご加護を待っているわけではない。 ・本音を隠している。そうして、言葉を弄してきた。人々は言葉を信じなくなっている。その場限りのウソをつく。人間の特徴は、ウソをつく動物なのかも知れない。分かったようなウソをついているが、それをぼんやりと皆が知っている。悧巧な人間は上手に話している。「私はウソを言っています」という。「ああ、またか、あの人は解ってうそをついているのだ」と聴いていて理解する、ことのできるのが現代人であり、社会人なのだ。 ・へ2・・・妙な話になった。私がしていることは私の問題で、他人には何の関係もないことだろう。それが個人の存在でもある。社会的な動物だとしても、いつもそうだとは限らない。社会性をもつときだけその行動を問われる。自由であることは、自分の前の自由でしかない。神ではない。さて、今日も詰まらない男の一日のスタートである。目的は別にない。
2009.01.28
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