全337件 (337件中 1-50件目)
上の写真は、昨年のゴーヤとニガウリの種。ゴーヤの種の存在を忘れていた。部屋を整理していたら出てきた。置きぱなしにしていたようだ。あれだけひと夏貴重な野菜の供給と娯楽を与えてくれたのに、どうもいけない。早速、今日にでもまた忘れないうちにプランター用の土でも買ってきて植えようと思う。雨が降らなければよいが。植える時期が遅れたかもしれない。確か前回はもっと早く植えたのではないだろうか。その時は余り期待もしていなかったが、それがびっくりするほど芽を出したので驚いた。 ・生命の粘り強さには感嘆する。硬い皮を破り発芽してくる。その健気さが勇気をくれる。昨年は50位芽が出て、その苗をプランターや手作りの畑に植えて、植木と植木の間にロープを張り、一大グリーンカーテンにした。毎朝をそれを見るのが楽しみになり、大いに生きる活力をくれた気がする。その恩を忘れていた。やはり苗から育てると愛着も違うようだ。 ・へ2・・・今年も、ゴーヤ、ニガウリ、そしてミニトマト、キュウリなどを栽培してみるつもりでいる。最近は野菜も高くなっており、気兼ねなく食べられる家庭野菜のメリットは高まっている。経済的恩恵だけでなく、ものつくりの楽しさもある。ゴーヤは芽をだしてくれるだろうか、期待と不安がある。
2010.01.31
コメント(0)
資源は無尽蔵ではない。人間も同じだ。限られた時間と限られた世界で生きている。個人にとって、未だ自分のスペースを選択できるが、いつかそうもできなくなる。のびのびしていられるのにも限界があるだろう。私たちはただ黙って、それを受け入れるしかないのだろうか。一生恙無く生きられれば幸福といえるだろうか。何か今しなければならないことが私にもあるのではなかろうか?それが、正直な気持ちでもある。 ・石炭や石油や、或いは人間の生命でさえ限界がある。自然は、人間の文明や社会的活動を後押ししてくれた。私たちは子孫に誇れるものを残せるだろうか、悩み始めている。彼らの健やかな一生を守るべき資源を残すことができるだろうか?それだけの時間と智慧があるだろうか。生気を失った残骸だけを残すのではないだろうか。勝ち負けや損得だけを追求している社会が、人間の叡智といえるだけの資源をのこせるのか? ・へ2・・・個人主義の限界があるのではないだろうか。無謀な野心がすべての存在を絶滅させ、目的を見失いショートしてしまうかもしれない。そう思い始めてはいないか。少なくとも個人としてそのことを思っている。人間の未来を類としての存在として考えることはある。そろそろ部屋の中にたまった資料を整理しなければならない。このままではゴミの山になる。後継ぎはいないから、妻子はすべて焼却場に捨てるに違いない。消されないためにもこれから少しは残ったエネルギーを使わねばなるまい。今日から2月のスタート。
2010.01.31
コメント(0)
<太宰のぼんやり> ・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。「女語りをするものは女である。」女語りを太宰はやめようとしなかった。・太宰と鱒二との相違点 ・太宰も芥川も、生涯にわたり庶民への差別意識をもっていた。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰の本質。・太宰:ブルジョアに生まれた。貧困に対して屈折したコンプレックスがある。・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭い。庶民の考えに共鳴できないという思い。・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。・太宰は落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。・太宰は、同じキーを叩き続ける。・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。・太宰は自意識過剰の人。・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。・太宰の心理的コンプレックス・・あばただった。・堤重久「太宰との七年間」・・なぞるように書いている。作品・・をそのまま評価できない。・作品だけが救い。芸術は私だ。という太宰が、芥川賞に落選した。自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。・太宰にとって、芸術とは自分のこと。「芸術は私だ」・太宰の読み方は普通(単純)にはいかない。・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」一方的に書いている。・鱒二と太宰の師弟関係。師はいやなもの。オリジナル・・・めざめる。・「ヒューマンロスト」・・・「パピナール中毒」になり太宰は拘りを持っている。・太宰の入院。鱒二に入院させられたことを恨んでいる。・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いている。太宰の恨みは続いた。・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・作家の発想はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。それから抜け出せない。・「背後にひそむ何者かがいる」「死は背後にある」・・・気付かない。・太宰の純潔に対する考え方。嗅覚の比喩。悪臭という表現を使う。・文壇・・・ 井伏、川端。 太宰は、疎外されていた。集団嫌い。被害妄想。・富嶽百景は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから変わる。・小説に使う「私」を使うのを嫌った。大庭葉蔵ペンネームとして気に入っていた。「人間失格」に出てくる。・「滝」をみたら滝を忘れない。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし作家はぼんやりと書くときは実は本気である。 ・恥ずかしことを書く。本当のことはなかなか書けない。作家になりたくない。・「ぼんやり」という表現。・・・アンニュイ。ボードレール。・ストーリーがない。分かり難いのは当り前。・・・太宰の本質。 ・才能のある人間のある話を書く。小説家が、小説家を書く。 ・川端を憎んだ。菊地寛は、当時文壇のボスだった。芥川賞に絡んで太宰は落選。 ・昭和10年は、太宰のターニング・ポイント。 ・道化の華。道化の精神(太宰の道化)
2010.01.31
コメント(0)
朧月があすの雨を知らせていた。どうにか雨は落ちてこなかったし、一月の終わりの日を気分よく歩くことができた。雨もあったし、決して上手くいったウオーキングではなかった。しがらみが先行して、いまいちの一ヶ月間でもあったが、「二月は、逃げる」というが、逃げられないようにしたい。心と体が一体とならねば健康にはならない。気力を充実させるようにして春を迎えたいものだ。 2010年1月度歩数実績表 年月日 起床 歩数2010/1/1 金 7;01 26,5492010/1/2 土 5;30 20,5212010/1/3 日 3;30 21,3142010/1/4 月 5;20 21,7312010/1/5 火 4;10 24,7632010/1/6 水 4;40 24,3162010/1/7 木 4;00 23,6542010/1/8 金 6;11 20,7712010/1/9 土 5;20 22,7322010/1/10 日 6;50 20,1912010/1/11 月 4;50 23,8932010/1/12 火 2:55 20,8022010/1/13 水 5;01 22,2532010/1/14 木 5;30 15,1192010/1/15 金 5;10 9,3702010/1/16 土 4;05 24,7182010/1/17 日 2;30 16,8182010/1/18 月 5;20 23,8002010/1/19 火 5;01 23,1902010/1/20 水 3;05 14,5152010/1/21 木 5:05 21,6932010/1/22 金 3;55 21,3702010/1/23 土 4:50 22,0222010/1/24 日 3;15 23,6022010/1/25 月 5;05 27,1202010/1/26 火 3;05 23,0762010/1/27 水 3;40 20,8112010/1/28 木 5;00 31,6172010/1/29 金 3;55 21,7152010/1/30 土 4;51 20,3292010/1/31 日 4;30 21,150 675,525 累計2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月635,399 312008年11月562,374 302008年12月629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月749,592 312009年11月682170 302009年12月683,681 312010年1月 675,525 31合計13,273,671 656
2010.01.31
コメント(0)
・太宰が穏やかな心境だったころ。 <作品>「I can speak」、 「富嶽百景」、「黄金風景」、「女生徒」、「愛と美について」、「花燭」、「秋風記」、「新珠の言葉」 「黄金風景」=「花燭」=「新珠の言葉」 共通する作品。・姉―弟がテーマ。「I can speak 」 家族の話(物語)似たような題材。リレー形式。・富嶽百景の前の作品。解り難い。表現したいことがうまく出てきていない。・「無心」にひかれている。・井伏・・・「夜ふけ」と「梅の花」。「秋風記」・・・姉と弟の関係に関心をもったこと。発禁。「花燭」 ・・・姉と弟。全小説につながっている。・<作家の発想>はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。<自分>・・・から抜け出せない。・話す・・・はじめにことばありき。初心に戻るということ。「富嶽百景」は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから考えも変わる。・日本文化・・・「風景」・・・国木田独歩が初めて書いた。風景を対象として・・・で見方が違う。日本にはそれまで「風景」という概念がなかった。・<亀井秀雄、柄谷行人>見ることが自覚的。仏教・・自然を受け入れる。・キリスト教は、砂漠の宗教。そこから創り出したもの。・仏教とキリスト教は自然の見方が違う。自然を対象化できるか、できないか。・漱石の見方は単純ではない「富士山」。・太宰は、自分の見た富士を描こうとした。読者の寧ろ「期待はずれ」がテーマ。・志賀直哉・・・小説に悩んだ。天才ではなく、努力家。見たままを書く才能があるといわれた。(注、全集でないとわからない。全集も最新版しか価値がない。但し、今の分は買わない方がいい。内容が間違いばかりで誤解する。)・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・太宰のことばは、俗化され易い。自分の共鳴しているものを、相手にも共鳴させたい。(できるのか?)・「ラス・ゲマイネ」(俗化)気の利いた事を書きたかった。・「似ている」が太宰のキーワード。愛情表現である。・文章全体を流してみること。部分的なことに拘らないで全体を見ること。・女性の「一途さ」に魅かれている。富士を見ながら人間を描いている。太宰には所謂「風景」がない。「心」で風景を見ていない。見えない。太宰は素直には読めない。ひねくれたこころがある。「黄金風景」と「花燭」は裏返し。表と裏。・梶井基次郎の作品の太宰のパクリである。・太宰と梶井は雪国の育ち。共通する観念がある。イプセンが頭にある。「秋風記」だけが違う。出版前に<発禁>となる。・「有明淑日記」のパクリ。圧縮して一日にしている。「女生徒」異性を内側から描こうとした。男のマザーシップ。「にんじん」・・母親との関係の障害。母と息子。父と娘。交叉や、ねじれもある。いじめ。閉塞感。・レオン・フラピエ「女生徒」<参考>堤 重久( 1917年8月 - )は京都産業大学名誉教授。太宰治の一番弟子で、著書に『太宰治との七年間』がある。>クロツラヘラサギ
2010.01.31
コメント(0)
ひとの弱みに付け込んだ商法が罷り通り文化人なるハイエナがあちこち這いずり回っているように見える。何か流行語狙いの浅墓セールスがある。文春あたりは早速「不老革命」なる特集を組んでおり、座談会が記載されている。参加者は、立花隆、茂木健一郎、玄侑宗久、白澤卓二、大内尉義という面々。どうも偏った意見が流されているのではないだろうか。 ・読物として存在しているのはあるし、単なる商業主義の雑誌社でしかない。しかし読者はそれほど多い選択肢を持っているわけでもない。テレビで見る情報だけでは纏まった意識にはならないだろう。新聞だけでも不十分だろう。では大学の論文か何かのちゃんとしたレポートを読めるだろうか。そこまで見れる人はそれほど多くはないに違いない。その代替としての雑誌だろう。それで確りした見識が持てるのだろうか。何とも頼りない。図書館で、古い論文を読むくらいしかできないのが一般だろう。それもそれだけの熱意のある人でなければならない。数年前の論文ではもう、新鮮ではない。腐った魚を食べるようなものかもしれない。 ・へ2・・・どうやら状況は深刻なのだろう。欠陥がある社会で、アンチ・エイジングも空々しく聴こえてくる。それができる者にとっての話だろう。そういう話をする神経がわからない。それより先に議論すべきはないのだろうか。言葉が独り歩きする。アンチ・エイジングという言葉が、如何にも新しい言葉のように使われている。できるはずもない夢だろう。そういう言葉を使えばそれで、何か変わるのか。
2010.01.31
コメント(0)
刺激のない日常よりも変化に富んだ多様性が人間性を高めるのだろう。どうしたら都会の中で、それが可能になるだろうか。それが問題だ。そこには発想の転換が必要だろう。そのためにコストを払わねばならない。そのための努力は惜しむべきではない。核兵器を製造するよりか、どれだけましだろうか。 ・小手先で政治が行われようとしている。それに加担する者は誰か、国民は目を皿にしてみなければならない。誰が何をしようとしているか。根掘り葉堀りせねばならない。その試練に耐えたものだけが、政治家足り得るのだ。政治家にプライバシーなどはない。彼が支払う対価は小さいものではないだろう。だからこそ、安易に政治家になろうとするものを信じることはできないのだ。 ・へ2・・・明日から2月だ。体がむずむずしてきた。新しい意欲が湧いてくる気がする。地上に這い出してくる生命が、溢れだすのだろう。このエネルギーこそ、あらゆるものを変化させるだろう。もう気の早い樹木たちがざわめいている。
2010.01.31
コメント(0)
一日雨のようだ。昨夜は面白い体験をした。久しぶりに営業の現場をみた。車の査定というのを体験した。デイラーとか、色々。不動産取引を経験しているので、交渉事はわかるが、昔と違うのは、ノートPCを使って本部と連絡を取りながら、商売をするようだ。経済的アニマルはまだ現場で活きているようだが、少し幼稚ではないだろうか。誤魔化して、通用するとは限らない。前提となる契約内容の加減乗除が確りできれば真実は解かる。 ・商取引が見れるというのも、あとそうはあるまい。いくつかの商取引のノウハウも持っていないわけではないが、大した役にも立ちそうにない。アプローチからクロージングまで、どれだけ苦労したかわからないが、それもその時の実力でしかない。ツールをいくつも持っていたころとは違い。選択でしかないのは地とさびしい気もするが面白い体験ではある。 ・へ2・・・大事な選択を誤って人生を台無しにする人たちもいる。無知に乗じた取引が横行しているのではないだろうか。相手を素人だと思っていると、かえって逆ねじを食らうだろう。こちらは商売ではないから、損をしないようにしたい。一日雨になりそうだ。あすから二月だ。
2010.01.31
コメント(0)
モタモタしていたら、もう明日は二月。寒気が張り出して寒い二月のスタートになりそうだ。別に死ぬほどの寒さではない。こころが凍りつかなければいい。西欧の精神的ルーツとは何だろうか。それは手に負えないものだろうか。最近のニュースで、些細なことで簡単に人を殺しているのではないだろうか。人間の尊さをどこまで学んでいるだろうか。そうさせている社会の背景とは何だろうか。処罰を厳しくすることが、そういう犯罪を減少させることはできないだろう。何が、現実と言えるのか。その認識がなければならないだろう。ご都合主義では駄目だ。もっと真剣でなければ真実を見失うかも知れない。それは、現在の日本をどう観るかでもあるだろう。「美しい日本」とか、世界レベルだと言えるだろうか。「女性は、産む機械だ」とする発言単なる失言ではない。それを、言い逃れようとする政府や本人の姿勢こそが問題だ。それこそ、世界の日本の評価にもなるだろう。安易なことばがこれまでも命取りにもなってきたではないか。柳沢が言っていることは女性蔑視の何ものでもない。そんな大臣が、厚生労働相なのだから恐れ入るし、安倍首相は辞めさせないと言い切っている。このままで頑張って欲しいのだそうだ。何をどう頑張るのだろうか。
2010.01.31
コメント(0)
ひとはそれぞれのエリアの中で虚構と誠実さとの間を揺れているようだ。どちらに針が振れているかであろうか。日々も朝から夜のあいだである。すべてが始まり、そしてすべてのことが終わる。点を線に考えられるのは人間には記憶があるからだ。刹那で生きている動物もいる。人間でさえいつも同じ感情をもつのではない。虚構を作り自分を守ろうとする。許されるものと許されないものがあることを識別しなければならにだけだろう。そして誠実さも、自分に対してだけではなく、他人にもあまねくそれを証明できるかでもある。 ・作家たちが激しく虚構と誠実さを揺れつづける生き物であるかを見るだろう。彼らは何時までも虚構だけにいるのでないが、誠実さにも留まり続けるのでもない。読者を騙そうとさえする。それは、決まり文句のことばで表現されるようだ。松林は、幼い頃心を寄せた場所であり、古里の安らぎをさしていたりする。起伏の激しさがあるから、小説が書けるのかも知れない。決してウソつきではないのだ。誠実さにとらわれていては、小説は死んでしまう。 ・へ2・・・香椎に冬牡丹を見に行こうかと思っている。そのタイミングを狙っているが、そのふんぎりがつかないでいる。どうもそとが薄ら曇りで、太陽の光を浴びた美しさが得られないのではないかおもうこともあるから。こころを奮い立たせるものがまだ足りない気がしている。どうも慾張りだ。色々と注文を付けたがっている。どこでも読書はできるし、真理に近づくことはできるだろう。こころに怠惰が巣食っている。
2010.01.31
コメント(0)
静かに時を待った死神は人知れず動いて当然嵐のように私たちに襲いかかってくる。何も用意して待つことはない。ファウストのように悪魔との契約など必要はない。環状ではなく直線状のヒトの染色体は、タンパク質と結びついた特別な染色体末端に結びついたDNA配列をもっている。この非コード配列タンパク質であるDNA末端、テロメア telomere は、ヒトの中で唯一接近しやすい染色体複製の構成要素である。テロメアは、150~ 2000の TTAGGG 配列をもっている。 ・染色体の末端はテロメアの核タンパク質によって保護されている。 ・テロメラーゼは老化した染色体を維持している。 何故 telomere crisis は起こるのだろうか。ヒトの分子生物学は、まるで初心者にとってパズルのごとくである。テロメアの欠損による染色体末端の欠失は染色体の不安定化をもたらす。つまりそのような損傷は高い割合で組み換えが起こりやすい。 それこそ、精子の如く数億の競合を経て、苦難を乗り越えて、始めてひとの遺伝子は卵子にたどり着くことができるのだろう。ヒトの生命の先端で繰り広げられる闘争は、単純でも平易でもない。まさに複雑で熾烈な闘いの場でもあるのだ。そこにこそ、人間の生命の根源があるのであり、私たちの日常はその上に立った社会でもある。
2010.01.31
コメント(0)
昔、写真集を見たことがある。世界中にある豪華ホテルだ。恐らく宿泊のチャンスなどないだろう。どんな贅沢でもできる人もいれば、そうでない人が圧倒的に多いだろう。宿泊できる人でないと、ホテルの素晴らしさも、エージェントの洗練された接待も判らない。VIP待遇や、スィート・ルームも知らないが少しも羨ましいとは思わない。清潔で、暖かい布団があれば、気持ちよく眠れる。Ritz Carlton名前だけ、印象に残っている。片田舎に、ポッンと豪華ホテルがある。それが崖の上であったりするのはどこが夢があり良いなーと思ったまでだ。カネの苦労もせず食えればそれだけで良いと庶民は考える。城のような家に住み、幾つもの遣わない部屋があっても、不幸なひとは、不幸だろう。狭い部屋に、抱き合って寝れた方が、どれだけ幸せか判らない。自分の気持ちに相応しいサイズで生きていたいと思う。
2010.01.31
コメント(0)
現代は数々のストレスとの闘いの中にある。謂わば生まれてから死ぬまでストレスとの闘いが続く。それこそ気圧か水圧みたいなものだ。「ストレスに対してどう闘うか。知らない者は早死にする。」私たちが生きている限り、自己以外からストレスを受け、そして私も他人のストレスの原因になるかも知れない。平気で楽々と耐えている人もいるし、無神経で判らない人もいるだろう、人はさまざまだ。私などは、負けて病気だ。それでも、未だしぶとく生きているのは生への執着だろう。愚かな努力かも知らないが、私は、これまで楽して生きてきたので世間にお返しをしたいだけだ。吸い込んだものを吐き出したい。吸い込んだ思いは、数かずあるから。ひとはいつか炭素に戻り、空気となり、地上に暫く留まりそして、宇宙へと還っていくだろう。ストレスは、生きている証明かも知れない。私たちは、歴史を学んできたが、いつか私たちも歴史になるだろう。
2010.01.31
コメント(0)
あらゆることがこれまでの体験に根ざしたものである以上発想というのもそこからスタートせざるを得ない。資本主義の中で経済理論を学んできた人たちに、新しい理論を容易には創造できない。資本主義の終焉といっても、それは自分の考えている準拠枠の中で考えられることでしかない。資本主義は変質しても消滅はないのではないか、という思想を捨てきれない。希望的観測がある。まさかあのアメリカ経済が・・・、と思ってしまう。経済は循環する。大恐慌を経験してもそれを克服してもきた。産業、金融の次に何かあるのではないか? ・発想の転換と言われながらそれが到頭実を結ぶことはなかった気がする。どうしてできなかったのだろうか?真剣さが足りなかったからばかりではない。物事に確りけじめをつけたことができないまま、問題の先送りをしている。いつか時間がくれば自分ではない誰かが遣るだろう。そんな無責任が通用してきた。他人の遣ってきた成果ばかり追いかけている。解っている人が何もしない社会ではないか。遣った人が莫迦をみるからではないか。 ・へ2・・・公正や、公平が行渡らないでいる。大学でも講演会で、奥歯にものの挟まったようなことを話される。ずばりという先生が少ない。正しいことを言うのに不利なことがあるからと怖れていては何もできない。そういう姑息さがやがて大きな社会の過ちを惹起させる。分からないでいる人たちを覚醒させるには、頭を叩いてでも知らせる勇気がいる。猫の首に鈴をつけねばならないのではないだろうか。
2010.01.31
コメント(0)
何故この部分または他の部分が変異したのかということの原因を特定できない。条件の変化は、普通にただの彷徨変異性を誘発するに過ぎないが、時々直接に明確な効果の原因となることがある。これらの効果は時間の経過とともに極めて明確なものになることもある。習性が体質の特徴を生じ、使用が器官を強化し、また不使用が器官を弱く縮小させる効果は多くの場合に有力であったように見える。相同部分は同じ状態に変異する傾向がある。また結合し、節約し、他の部分に影響を及ぼすだろう。多様に使用し、未発達で、下等な有機構造は変異し易いのだ。自然淘汰はもっぱら有益な変容の保存によってのみ作用する。私たちは、前さえ向いて生きていれば、明日を見失うことはないと言うことか。
2010.01.30
コメント(0)
テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2010.01.30
コメント(0)
<作品> 「女神」、「フォス・フォレッセンス」、「朝」、「斜陽」、「おさん」・敗戦のあと太宰は死に向かう。マタイ伝に触れる。・アウフヘーベンすること。・「斜陽」天皇制とのつながり。外側から見ていてはわからない。「斜陽」は「桜の園」ではない。太宰は革命ではなく、解体に向かう。・解釈が安易ではない。MCの解釈。太宰と聖書。・母なる存在。「女神」・細田の「斜陽」と同じ、人名を使っている。・細君の姿・・・女神。信仰の世界?アナロジー?母なるもの・・存在。・男性がだめになる。病んでいる。・男に欠落したもの・・・女語りの意味。・狂人であろうとなかろうと構わない・・・細君の考え。常識を超えている。・細田は、敗戦後の日本の姿を象徴している。「フォス・フォレッセンス」・女神から続いている観念がある。母の存在。・現実と夢想。・フロイト。・私・・男。・それが・・・何かを太宰は云わない。全部を言わないで書いている。親友とは?・羽左衛門・・・についての太宰の考え。・芸術家と市民(太宰の生涯のテーマ)トーマス・マン、森鴎外。・「トニオ・クレーゲル」の影響がある。市民になれない・・トラになる。芸術家はトラである。心の中に虎を飼っている。市民にはない。・正気と狂気。・・天才と才能。ある種の異常さ。・漱石・・時々、顔が変わる。・太宰の狂気はこれとは少し違っている。・山の男と芸術家は相似している。街には住めない。・当時の知識人は太宰を信用しない。 そこで市民の存在。・ロマン主義者でありたいという太宰の理想がある。リアリストではない。先鋭的なクールさ。意外に現実家。未だ夢想の側にいる。「朝」・夜の次の朝の意味。・男の仕事。・「・・・キクちゃんは、じつとしていた。」瀬戸際が去っていく。そして朝になる。・貴婦人が、平気で小便をする。「斜陽」にモチーフがある。・バイブルが出てくる。難事を乗り越える。・「明り」がててくるのは要注意。「斜陽」・弟・・・世間と交渉できない。交渉が下手だという。太宰と同じ。・敗戦後の日本の姿を描いている。・象徴がわからなければ芸術を理解できない。母・・キリスト・・襟巻・・うけつがれること。第三章が冒頭は、母子像に重要性がある。・「水田が素晴らしい。」当時の太宰の意見は正しい。現在の日本を言い当てている。・数子の胎内の子が問題。継承されるものとしての存在。・太宰の「空」は象徴的表現。「青」梶井基次郎もおなじ。・「趣味の悪い家」・バラが咲いた、も象徴的。・「国破れて山河あり」は、中国では、敗戦ではなく、離散することの意。・堀辰雄「あら野」・・・数子の心象。夢が破れていく。・太宰の「怪談好み」・・・蛇が出てくる。・冒頭の貴族の書き方がうまくないと批判された。母の姿が貴族ではない。・貴族の没落。「細雪」「桜園」「ともしび」・弟の麻薬中毒。没落の原因。・「私の恋は消えていた」自分の思いが重要である。片恋。相手の恋はどうでもいいこと。・尋常なモラルでは成り立たない。女しか革命は起こせない。自分の子によって。MCの意味。マイ・クライスト。肉体としての子ではなく、精神としての子。没落した家の子ではなく、数子の子として継承するため。子供にすべて託される。・ピエタのマリア。・数子と直治は象徴的存在として書いている。太宰のロマン主義。・蛇の子・・・まともな子ではないことを匂わせている。・西行の「桜」・・夏の好きな人は、夏に死ぬという・・・。・徒然草の引用がある。「おさん」・女語り。・心中。・自己嫌悪。革命家の犠牲になる。・おさん・・妻の比喩。・細君から見た夫。敗戦後の日本の男の姿。・遠いところを見る夫。魂の抜け殻。・「革命は、平和な家庭を破壊する」・招魂祭とパリ祭。・蛇のモチーフがある。・狂気になる夫。(太宰のこと。)「狂ったほうが、気が楽だ」・家庭の幸福を考えていない夫。・テーマ上で「斜陽」に近い作品。
2010.01.30
コメント(0)
車の査定をお願いしたので、担当者の来るのを待っているところだ。雨になってしまったようだ。昼間の方が良かったが、忙しいらしい。ネットで無料査定といので入力したら、すぐ東京の本部から電話があり、すぐ福岡のセンターのオペレーターに代わり、それから担当者のスケジュールを問い合わせをして、今夜に決まった。その手早いこと、取り敢えず、査定を出してみてからと思っている。暖かいと思ったら、雨になったが、娘たちは出掛けてしまった。 ・車もステータス・シンボル的なこともあったが、いまや温暖化の一端を担っている。できるだけ歩くようにしなさいが健康のキーワードになっている。5年間で18,000キロ弱でもある。殊にこの年間は、4,000キロも走っていないのだから、必需品でもなくなっている。まだ決めたわけではないが、処分の方向である。さて査定をして貰って検討したい。 ・へ2・・・5年使用の割には走行距離が少ないとのことで、いくらでるか楽しみだ。がっかりするかも知れないが。時間前にきて今査定をしている。暗いし雨も降っているが、20分間くらいかかるらしい。どうやら、夜のウオーキングはできないようだ。
2010.01.30
コメント(0)
2009-6 「タイツアー」のブログ 阪〇 まる得バンコク5日間スケジュール<日時>2009-6-21~6-25 (5日間) <1日目>福岡空港発~バンコク着 11;45~15;05 宿泊:トントラホテル <2日目>バンコク観光 ・ワット・アルン ・王宮 ・エメラルド寺院 ・黄金の涅槃像 ・タイ式マッサージ ・「タイスキ食べ放題」 <3日目> アユタヤ観光 ・ワットプラマハタート ・ワットプラシーサンペット ・ワットヤイチャイモンコン ・バンパイン離宮 ・タイ古典舞踏ショー <4日目>バンコク観光 ・タムヌァンサドゥア水上マーケット ・民族舞踏と伝統結婚式など ・象ノリ体験・ビレッジショー <5日目> 帰国 バンコク発~福岡空港 0;50~8;002009年6月20日福岡を昼前に立つので、今頃は、BABGKOK の空気を吸っている。どんな大地なのだろうか。何故「黄金のワット」なのだろうか。輪廻転生を切断できないだろうか。悟りを得られない人がいなければならないだろうか。行ってみないと分からないことがあるに違いない。ひとは最期まで辿りつかないままでいられるのだろうか。分からないことが分からないままでいられるのだろうか。産まれたことを悔やまないでいられる世の中にできずにいる。 ・明日の一日はどんな軌跡を行くのだろうか。期待と不安があるが、なるようになる。このままであろうとなかろうと、人は自分の人生を生きるしかない。ありのままであろうとすることだろう。それを懼れてはならない。なるようになるからだ。また、逢える人にはこのブログで逢えるだろう。そろそろ今日にお別れをする。尻切れトンボのように。 ・へ2・・・親の敵のように写真を撮ってくるつもりです。
2010.01.30
コメント(0)
経済について、新聞記事という「短期の目」を、如何に長期的な目で見通すか、という視点で講演された。現代に起きている経済という問題を簡単に解説することはできないのではないだろうか。アバウトな話にならざるを得ないと思う。複雑怪奇な歴史でもある。経済は生き物であり変貌していくからだ。何故変貌するかといえば、社会が変貌しているからでもある。 ・大学の会場まで、自転車で15分くらい。いつも最近朝夕ウオーキングをしているコースでもある。キャンパスの隅に広い駐輪場がある。そこから教室まで離れているのでぶらぶら歩くが、講座は何時も土曜日でもあり、学生の姿はない。冬でもあり、桜並木も落葉してしまい枯れ木の枝になっている。若干寂いしい感じもするが、学生がいないので静かでもある。 ・へ2・・・最近の講座は、パワーポイントを使った講座が多い。事前に整理されたレジュメに従って説明もされるので、一々ノートにメモを取ることも無くなっているが、便利過ぎて頭に入らないかも知れない。90分間で、話せることと言ったら、限定される。どうも短絡的なものになりがちだ。スポットの話をつなぎ合わせることができる人がどれだけいるのだろうか。断片的な話をつなぐためにはパワーがいる。それが、問題だ。講座が丁度正午に終わるので、太陽の当たっているベンチを見つけて、持参したおにぎりを食べてきた。
2010.01.30
コメント(0)
なぜ変貌するか?経済社会はなぜ変化し、変化するのか?アメリカと日本の経済について、リーマンショック以後と以前について、学んできた。金融資本主義のあとにどんな経済・社会が来るのだろうか。経済の変貌は必ずある。成長と危機は循環する。果たして資本主義は変質するだろうか。そこまでは見通せないようだ。講師は最後に二人印象的なフレーズを紹介された。 1.資本主義はその成功ゆえに没落する。(シュンペーター) 2.何も根本的に変化しないためには、すべてが常に変化しなければならない。 (ヴィスコンティ監督「山猫」) ・上記(1)の「成功」の中にはリスクを包含しているのではないか。完璧な成功もないからだろう。何を成功とみるかもある。(2)は、何も変化しないものはないのではないか。変化しないという前提が問題だ。資本主義が利潤の追求という意味では、モノやカネを商品化することによって成長をしてきたが、それが人に向かっているのは最近の傾向でもある。ひとや心まで商品化しようとするとすれば、あとがないような気がしてくる。 ・へ2・・・「順調な経済社会は必ず危機に陥る」。というのは人体に喩えれば必ず病気になるということでもある。それを克服できるかどうかであり、経済社会ではそれ(病気)は「危機」と呼ばれる。今後の経済の変貌を見極めるだけの能力をもちたいものだ。
2010.01.30
コメント(0)
これから講座に出かけます。今回は「世界経済や日本経済は何故変貌していくのか」というタイトルの予定で講演会がある。「変貌する世界と日本」というシリーズの2回目。何故変貌するのかの視点ですが、前回は総論で、これから各論になる。ひとりで勝手に考えても限界がある。他人の話を聞くという姿勢が必要でもある。それがなかなかできなくなる。頑迷さがいつも自分を縛ってしまう。 ・市民講座がどこかで意義を持っているかは、中身次第である。どうも自分のものにするには都合よくはいかないものです。それでも、忍耐と努力でもある。無知なこともある。レベルが違うことも。それでもいくつか熱心に聴いていれば、おやというものもある。意外と感動することもある。少しでも理解しようとすることが何かのスタートにもなる。 ・へ2・・・新しい知識を得ることは楽しいことです。人生はすべてが明るいだけではないが、何かを学ぶことは新しい勇気を与えてもくれる。新鮮なものを食べるようなものでもある。あちこち出かけて行って、自分の活力にしたい。そう思って出掛けてきます。>和白のクロツラヘラサギ
2010.01.30
コメント(0)
がん告知をされた人たちがグループ療法で、免疫力を高めている話があった。人が免疫力を高めるというのは重要な要素であろう。好きなものを見ると元気になることでもその価値が判るだろう。心は持ちようである。妻の従姉が、孫の顔が見たいと思う気持ちがその夢を叶えることができたのも、強い意志が免疫力を高めたのではないだろう。孤立して孤独になり、まだ十分その体力があると思える人もその生きる力を失うこともある。人間の免疫力の力は疎かにできるものではない。寧ろ免疫力こそ私たちの生命を守っているのだろう。 ・グループ療法が医療行為に見られないということで問題になっているらしい。医師が病気を全部治しているというのだろうか。アメリカの高名な医者が、患者が治るのは殆ど医者の医療行為ではないといった。一番大きいのは本人の治癒力だという。それは免疫力ではないだろうか。その力はどこから生まれるのか。それは容ではない。強い精神であり、強い意志ではないだろうか。生きるとことへの執着ではないだろうか。何かをやり抜くことではないだろうか。それが免疫力を高めるのではないだろうか。心と体は同源なのだろう。
2010.01.30
コメント(0)
昨年の3月26日海の中道海浜公園に行き、帰りに和白干潟を廻って徒歩で帰宅していた折、干潟と近くで、あっとおもった。何しろ草臥れていた。公園から雁の巣を通り、家の近くまで来ていたので、自分ではかなり歩いた方で頭がぼーっとなっていた。いつも干潟で天然記念物のクロツラヘラサギで探していたが、そのチャンスがなかった。突然目の前に現れたサギ姿に半ば夢中でチャッターを切っていた。初めてでもあり、自分の眼を信じることができなかった。近くには誰もいなかったし、しばらく夢のような時間が流れた。 ・先日、市の図書館に行ったとき、クロツラヘラサギの写真展があっていたので、やはり本物だとわかって、今紹介している。その時もブログで紹介したが、あまり自信がなかったので今詳しく見ていないが一枚か数枚しか載せていない。結構写真も増えていつ撮ったのか、探すのに苦労するようになっているが、やっとその時の写真の日付がわかり、これからぼつぼつ紹介することにしたい。慌てていたらしく、変な写真もある。 ・へ2・・・サギは腹が減っていたようで餌を夢中で探していて、私には気付いていただろうがそれどころではなかったのだろう。結構長い時間見ることができた。疲れていなかったらとその時思ったものだ。然し、それが天然のクロツラヘラサギに相応しいのかも知れない。こんなところまでよく来てくれた遠来の賓客でもある。和白にきて長いがやっと会えた。
2010.01.30
コメント(0)
ルソーの言葉 「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこと、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じく自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(『社会契約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する」 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。
2010.01.29
コメント(0)
<作品> 「器楽的幻覚」、「冬の蠅」・草稿からいくつかの作品が生まれている。モチーフ・・・複数の作品になる。・連想。羽虫・・・船。空・・海。作家の思考のスタイルである。・「テーマ」を隠す。草稿と決定稿との相違。連関。・作家が何を考えていたかを考えてみる。・理由は書かない。決定稿ではわからない。寧ろ草稿を見る必要性が梶井にはあること。・「海のような闇」。空が闇になる。・「桜の木の下には」屍体が埋まっている。・・・メモは昭和3年ころ。・「冬の蠅」・・・メモの存在。・着想・・・梶井の作品に対する視点。・「かいつまんで言えなければ理解していない」。理解できていないという意味。・梶井はある一つのものがひとつではなく、ふたつのものが混在する。感覚の世界。二つのものが一つに融合する。 「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。知識ではない。・小説は説明の世界であり、それを梶井は、「感覚」で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価が高い。・草稿は散文的で、「決定稿」で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや?」、の感覚。日常が非日常に変わる。・刺激が強すぎる。・・・老人には。理解できるかどうか?・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。「ふっー」と浮かぶ。・「おりてくる」。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲には容易には分からない事が多い。・この作品の梶井のアイデア。「こころの緊張」が別のものをもたらすという。・「破れ目がもたらすもの」。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。固まるようになる。聴衆は、演奏者に注目が集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。に梶井はその相互作用に関心がある。・他人に知られない犯行とか。・侯爵を殴り倒すことを想像する。危険なことを想像する。・調和して物を壊す。「石化」で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。 「冬の蠅」・<3>で私の意志で殺しているのではない。自分の運命と重なっている。・志賀直哉「城の崎にて」に於いて「蜂・鼠」の連想。「生きんとする意志」。死んでゆくさま。悪戯心。関連。・故意か過失か。「高瀬舟」どちらかわからない。・・・「藪の中」「范の犯罪」・蠅からみた着想。横光利一「蠅」。・蠅・・・病気。バイ菌。病人である梶井が蠅を見る目。距離感。・見ているものの一部が乗り移る。同化がある。・高村光太郎「冬が来た」光太郎は冬が好きだった。・草稿では「冬がやって来た」が書き出しだった。・落日・・・文学的表現。・・・冬の日。・蠅と自分の共通点。・疲れているのにうっかりバスに乗る。危ないことをする。わざと相反することをする。・「意志の宙ぶらりん」危険を呼び込んでいる。・蠅が死ぬこと。蠅の運命と自分と運命と重ねている。・瞬間、瞬間を書いている。一瞬のことを見つめる。凝視する。・死神をモノ化して書いている。・テーマを暗示するものを書かない。わざと書こうとしない。 以上。>和白干潟のクロツラヘラサギ
2010.01.29
コメント(0)
累計歩数集計2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月635,399 312008年11月562,374 302008年12月629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月749,592 312009年11月682170 302009年12月683,681 312010年1月 634,046 29合計13,232,192 654 どうにか 2010年1月度の月度の目標をクリアーできた。少し春の匂いみたいなものを感じている。まだ寒い日もあるだろうが、気分は軽くなったようだ。>名門大洋フェリー瀬戸内海の夜明け
2010.01.29
コメント(0)
和白干潟のクロツラヘラサギ クロツラヘラサギは、体長は75センチほどで、ヘラサギよりも少し小型である。全身の羽毛が白いが、夏期には首が黄色くなり、後頭部に黄色の冠羽があらわれる。ヘラサギと似ているが、ヘラサギがくちばしの先と顔の裸出部分が黄色なのに対し、クロツラヘラサギは名前のとおりくちばしと顔が全て黒い。(Wikipediaより) 去年の三月だが海の中道海浜公園から途中塩浜海岸を廻ってきた時、そこで黒いくちばしの鷺らしい鳥を見つけて、まさか、「クロツラヘラサギ?」とサイトで詳しく調べようと思いつつも、どうもサイトの写真ばかりではよく分からない。日本では少し増えたとあり、150羽くらいいるらしい。まさかと思いつつも写真を撮ったが、もう一羽いたが、少し離れて処にいた。番ではあるようだ。 ・10数キロの距離を公園から歩いて来て、多少へばっていたので、頭がボッーとしていたこともある。低血圧になっていたかも知れない。こういう時に限ってチャンスがあったりもする。和白干潟に飛来するというのは知っていたが、まさか?まさか?独り言を言いながら、周囲に人影もない小川の河口でひとりでシャッターを押していた。これは夢だとは思わなかったが、確かに夢のような話だと思った。黒いくちばしばかり探していたから。 ・へ2・・・どうやら彼も小魚を探すの夢中になっていたようだ。私には気付かないで、しばらく探し続けていた。もう日も蔭って来そうだった。多分勘違いなのではないだろうか。こんなにまじかに餌を探しているのを見たことはない。草臥れていたが時間がゆっくり流れて行くようにさえ思えて、ラッキーな時間を過ごした。
2010.01.29
コメント(0)
何が豊かさなのかはそのひとの世界観でも違う。新しいものを得られなくなるから持っているものが惜しくなるのではないか。人もものもある。友人は去っていくものだ。それを一々惜しんでばかりいたのでは苦しくて生きていけない。新しいものを常に求め続けることが、生きるあかしにもなると思う。昨日とは違う今日があることを自分で自覚できなければ、新鮮さは得られない。真剣さを失くしたとき、倦んでも来る。豊な社会と言いながらいつまでも経済的な富だけを固執してはいないか。時代はカネの時代ではなくなりつつある。 ・変貌する世界と日本の講座の中で、日本の危機が話されていた。 ・急激な少子高齢化 ・輸出依存型日本経済の限界 ・55年体制の崩壊 戦後の政治構造の変化が、今日的苦境を招いている。新しい事態に立ち向かわねばならないのに、これまでと同じようなことをしていては適切な行動とは言えない。現代の世界潮流は潮目を迎えてもいる。日本のアメリカ追随政策では、立ち行かない。それが解っていながら、これまでと同じことをして乗り越えられる世界でもない。 ・へ2・・・次元の違う問題が起きている。そのことに気付いているだろうか。未来のカードをもっているかどうか、それがこれから問われるのではないだろうか。もうこれまで敷かれていたレールはない。これからコンパスをもって国際社会で生きていかねばならない。どこでも生きていけるだけの勇気が求められている。環境に適応できなければ排除される。
2010.01.29
コメント(0)
周囲に調和させようと思うあまり、自分が個性を見失っているのではないかと思い続けていた。一人っ子で周囲は殆んど大人たちで自分は、彼らたちに従わなければならないのだと思い込まされようとした無言の刷り込みだったろうか。兎に角或る種の劣等感があったようだ。一見素直に振舞うしかなかった。溢れるような疑問をもっていたのは事実だ。 ・どうも疑うことを始めたのは幼いころからだろう。幸か不幸かそれは私だけの特別な事例ではなく誰でも感じる世間の中であり、誰でも感じる挫折を味わう破目になったことだろう。謂わば、「みんなで渡れば怖くない」という世界にいたことだ。もし、戦争でもあり、徴兵でもされていたらどうだろうか。それはもしもの仮定でしかないが。恐らく違う人間になっていただろう。 ・へ2・・・社会的ステータスがそのひとの意識を決定している人は一般的な人間の傾向だ。オバマ大統領はどこまで個性を発揮できるのだろうか。もし、それができたとしたら、アメリカ人の見識の高さだろう。どうも日本の政治は「みんなでやれば間違いはない」式の無責任システムではないだろうか。国会はその最たるものだ。誰も考えてはいない。何しろ理屈ではなく多数決が正義でしかない。偶々法務大臣になった人物が死刑執行も命じるのだ。>北九州八幡
2010.01.29
コメント(0)
漱石「幻想の盾」の中に、出てきたクララとウィリアム。「武士の命は女と酒と軍(いく)さである」。何と分かり易いフレーズだろうか。それ以外はない。装飾語を身にまとい右でもない左でもない。どちらでもないことして散っていく。「くらら」という融資物件があり、それがいつまでも台帳に残っていて、北九州の小倉駅前の昔の「そごう」の裏手にあって、飲み屋街の中にあった。その土地建物を取得して、建物を取り壊し、更地にした。その後売却を決めて、土地の実測をした。隣地者の同意が必要になり、苦労した。どうやら土地というのは境界がはっきりしているとは限らない。境界標も当てにはならない。 ・「くらら」というのは女主人の名前ではなかったろうか。洒落た名前だと思ったことがある。そのクララが、漱石の作品の中に出てきた。漱石の恋愛表現は、現代文とは違っている。露骨ではないが、女の描き方が矢鱈上手い気がする。これは漱石がかなり女性を知っていたからではないだろうか。クララのイメージもさして書いてはいないが女を感じる。 ・へ2・・・冬牡丹を見に行きそびれている。今頃気づいても少し遅いが、明日でも天気が良ければ会いに行こうかと。もう萎れた牡丹もあることだろう。花は一時の盛りだ。ウィリアムがクララに逢うためなら海の底でも行かずにはおかない。恋のためなら千里でも行く。
2010.01.29
コメント(0)
他人の不幸は蜜の味とか、厭なことばですね。でも本音を吐露している所もある。例えば童話はこどもたちは大好きですが、自分たちは安全であることを知っているから、怖い話を聞けるのでしょう。それにしても、最近何と悲惨なニュースが多いのでしょうか。それを平気な顔をしてニュースキャスターは知らせています。アナウンサーとは、新しい時代のフェースなのでしょうね。次から次と他人事で、他人に不幸を伝えています。勿論仕事を終われば普通の人でしょうが、妙に人間味のない話方です。あれも話法があるのでしょう。誰が決めたか知れませんが一様です。そういえば、最近北朝鮮のアナウンサーが、妙に高い声で喋る中年の女性が目立ちますね。党の方針でしょうか。金正日の宣伝ばかりしています。あれを見ると胸が締め付けられる思いがします。でも、日本のアナウンサーも同じではないだろうか。五十歩百歩ではないだろうか。少なくとも決められた内容を話しているだけでしょう。前からみるか後ろから見るかの違いではないか。小泉前首相の時も思ったのですが、まじめなひとの顔ではない。ブッシュの前で、プレスリ-の真似をしてみせる小泉純一郎が素顔ではないでしょうか。そう思いました。他人の不幸だとしても、涙を流す人たちがいるに違いない。その人たちは喩え騙されているとしても、豊かな感性を持ち続けている人びとではないでしょうか。化粧をした人たちばかり目立つ社会ですが、もっと優しい日本人がいましたね。自分の子どもと分け隔てなく他人の子を抱きしめる姿を昔はよく見かけました。私たちは、かけがえのないものを捨てながら、自分だけは、と考え出しているのではないだろうか。それは、正しいことでしょうか。他人の不幸が、どうでもいいと思っているのではないか。余りにも不幸が多くて、慣れてしまっただろうか。情報が多過ぎて整理できないでいるでしょうか。
2010.01.29
コメント(0)
ゲルマン人の観念によれば、部族の繁栄のためには、みなが共同で祭祀を行なう必要があった。というのは、つねに敵に対する勝利、豊作、狩猟の成功、健康、子宝などは、超自然的な諸力の善意と考えていたからだ。それゆえ、「部族のための」数々の祭祀、とくに供する犠牲である「供犠」が行なわれる必要があった。タキトゥスのいう祭司の役目は、「へーグング」と民会の平和の維持と祈祷、供犠、神託のような祭祀の遂行、神々によって保護されている部族の秩序に反する犯罪の処罰だった。厳しい冬の時代を学ぶことはある意味で、私たちの自由の価値を感じさせるものだと思う。新しい定住地を手に入れると、ふつうその部族は、先住民と出会い、彼らと対決しなければならなかった。主な対決の方法には追放、隷属化、共生の三つがあり、それらの組み合わせは多様であり、また変化に富んだものだった。征服者の論理がまかり通り、それが正当化された。真実を知るのは容易なことではなかったのだ。
2010.01.29
コメント(0)
寒くなったり暖かかったり、目まぐるしく変化している。今日は少し暖かい感じだ。もう29日で、すぐ2月。弥生3月になる。行商のおばさんが昨年の暮れから来なくなってしまったが、どうしたのだろうか。ご主人を亡くされて気丈に働いていたが、無理をしていたのではないだろうか。畑と行商の両方をしなければならなくなったと言っていたから、年を取ってからでは無理は無理だろう。昨年はみかんがオモテだといっていたが、小さい体で運ぶのが一苦労と言ってもいた。農作業は働き手がいないと成り立たない厳しい仕事でもある。 ・ひとは予見しながら行動しなければ、パニックにもなる。どうやら妻子は車を手放すのが予見できていなかったみたいで、反発している。車はあれば便利だし、九州のようなところではないと困る地域も確かにある。それでも福岡市は、車がなくても、それほど困るというほどでもない。バスもあるし電車もある。歩いて大抵済ませる。自転車もある。現に5年間で、18,000キロしか走っていない。これでは、必要だとは必ずしも言えないだろう。 ・へ2・・・温故知新も、料理次第だろう。いつまでもウジウジしていてもつまらない。新しい環境に適応して、それで自分らしさを身につけていくべきだろう。コストを払いながら前に進まねばならない。コストのない選択肢はない。大事なのは選択を誤らないことだ。
2010.01.29
コメント(0)
手島実郎は「脳力のレッスン」の序文で、「狂気に満ちた時代に正気を保つことは、容易ではない」と書いている。9.11以後、アメリカは「力と正義の論理」という不可思議な論理で「新しい戦争」へ乗り出し、日本はといえば、戦後培ってきた平和の資産をかなぐり棄ててまで、アメリカに追随している。謂わば、「仕方がないシンドローム」だと指摘している。「イラク戦争」後のステージは、やがて、日本の将来に暗雲を招き入れるだろうか。03年夏のバクダッド崩落後のあるシンポで、イラクのひとりの高校生の質問が紹介されている。「佐世保で少年が、一人の幼児を殺害したことで、大騒ぎしている日本なのに、何故イラクでの何千万何万人もの人間が殺されるかも知れない戦争を日本は支持するのか」日本の大人社会の欺瞞を衝く質問だろう。それは、何故日本の高校生からではないのだろうか。否勿論ないはずはないだろう。そうさせない大人社会があるからだろうと信じたい。日本も第二次世界大戦では、何百万人もの犠牲者を出して、日本国憲法を制定して、世界に「戦争の放棄」を宣言したではないか。かって、ナチの台頭を許したワイマールのドイツは、ヒッラーを冷笑しているうちに、抑え難い潮流は大津波となり、多くのドイツの知性をなで斬りにした。日本も同じだ。「テロとの戦い」「核の脅威」とは、それは如何に繕うとも戦争を正当化しようとする陰謀でしかない。自分だけは、平和を愛しているというだけで良いのだろうか。それは、「ワイマールのドイツ」ではないだろうか。何れ何もできない愚民となり、むざむざ殺されていく子供たちさえ守れない人間になろうとしているのではないか。それこそ、私たちは何ものなのだろうか。この時代の、世界の社会事象の変転の背後にあるものとは何だろうか。
2010.01.29
コメント(0)
これまでずっとマイカーで暮らしてきた。車は必需品という考えがこびりついてもいた。何をするにも車が必要だった。以前は毎日のように使用していたのも事実だろう。然し此処数年車の運転をする機会が減っていた。できるだけ歩こうという考えもあったし、家族が使うことも殆んどなかった。今度車検をして、2年間で4,000キロしか走っていないので、自分でも驚いたくらいだ。車は車庫で眠っていた。使ったのは正月大分に初詣に行ったのと、お盆に熊本に行くくらいだ。あとは病院とか図書館や大学の講座に行くとかだろう。最近ガソリンが単価129円になったので、また高騰するのでは、と思ったりしていた。 ・車を運転しながら、こうして便利に乗り回しているが、いつかマイカーも終わりが来るのではないか、と常日頃感じてもいた。そしたらどうしようとも。環境問題が問われている現在、周囲のひとたちも高齢になれば運転を止め、車も手放している。別に珍しいことではない。車も必要だから使うので、それほど要らなくなれば処分するのは常識だろう。ただ、それが自分の番だという判断を先の延ばしたいのもあったのだろう。昨日査定を貰って、そのことを妻子に告げたら、反対されてしまった。 ・へ2・・・言わばマイカーもステータスシンボルだという意識が妻子にはあるようだ。正直言えば私にもないことはない。古い体質は容易には払拭できないものだ。マイカーがなくてもそれに代わる交通手段はいくらでもあるし、健康のためには歩いた方が良い。見栄を張っていても何時までもつづきはしない。車の維持費も莫迦にならない。そろそろ我が家にも車とお別れする日が近いようだ。
2010.01.29
コメント(2)
珍しく3万歩を超えた。気分よく歩けたので、疲れはそれほど感じないが、それ以外は、余計なことをしていた。雑用をしていた。謂わば俗事にかまけていた。何かとも厄介な世の中だ。恐らく死ぬまでつづく世事がある。要らないものを身につけても仕方がないが、それを気にする人たちもいる。自分だけのことではすまない。柵に縛られている。全部放棄してしまえば何ということもないのだろうが、悟りのないひとで溢れている。 ・脳が右往左往している。マイペースも怪しい。明るい日差しで春の気配がした。水仙や梅花やらで散歩していると嬉しくなる。暗闇と明るさと交錯している世界に生きているようだ。いつもと変わらない日常だが、断絶する日も来るに違いない。危うさを感じてしまう。それでもこれまでに感じたことのない平安を感じもする。 ・へ2・・・いつかは終わるとしても、まだ終わってはいない日々があるだろう。何も嘆く必要はない。あるべくして明日がある。どんな一日が待っているとしても、それは自分の時間の証でもあるだろう。日々是好日。
2010.01.28
コメント(0)
共感する脳 「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。小さな愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたいことでもある。
2010.01.28
コメント(0)
只管打坐「一行専一」が日本の禅という。中国の禅の「無事」の禅が変質した。「学道」の禅となる。 親鸞は念仏の一行に、日蓮は唱題の一行に、道元は打座の一行に 集約した。一事を専らにするのが鎌倉仏教の特徴で ある。禅は、「無心」から「無事」への思想だ。無事は日常性に生きることとされる。 「無事」とは、ゆっくり と焦らず、さわがず、悠々として生活することをいう。天地の運行、自然の摂理に逆らわずに生きることが 無事となる。「一坐して四十年」という中国の禅がある。時間と空間がひとつになり哲学がある。 科学の向かうところは、平坦ではありえない。今日は、31,617歩。気持ちよく歩いてきた。月も出ていた爽快だった。
2010.01.28
コメント(0)
宗教戦争をみていると到底宗教による世界平和の実現は困難に思えてくる。三大宗教がそれぞれ目指す世界が違うだろう。最近の報道を見ているとその観を強くする。他宗を排斥して宗教の存立があるとすれば、共存は自ずと制限があるだろう。世界は急速に国際化が進みつつあるが、行き着くところ共存を前提としなければ、コンセンサスは得られないだろう。政治に宗教性を優先させれば必ず軋轢が生まれる。中東は依然として世界の火薬庫でありつづけるのであろうか。宗教を信じるひとと信じないひとがおり、どちらがどうといってもまだ議論になる段階でもないが、何れ結論を出すときが来るかも知れないし、或いは、来ないかも知れない。併し、平和は、実現せねばならない人類の大きな課題で在ることは間違いないとすれば、宗教も解決しなければならないだろうことだけは分かる。
2010.01.28
コメント(0)
漱石は明治元年の前年に生まれた。そこから50年生きてあれだけの作品を残した。生涯の作品をというわけではないが、「明暗」から遡及しながら読んできて、「漾虚集」までどうにか辿りついて、今その七つの作品を読んでいる。あと「吾輩は猫である」で、漱石講座は終わる予定になっている。昨年の4月から始まり、今年の3月で終了する。一年間のプログラムである。これまで月二回がベースで、一月から三月は月一回である。始めてから一年近くになるが、漱石が、明治元年から大正までに生きてきた人間の業績とはとても思えない。 ・人間の脳の偉大さに感嘆もする。日本では当時最高の教育を受けた人間だとしても、今日に比べればスタートは明治維新で西欧文化も何も知らなかった約150年前に生まれた人である。その人が、現代人と変わらないことを考えていたということ、繊細な心理や表現で、然も殆んど一気呵成に描いているという事実に驚愕する。明治時代の日本人たちは西欧から、「猿」のように思われていたし、脇差や、丁髷を断髪に替えたばかりの文化だった筈だ。 ・へ2・・・流石に漱石も、ロンドンでカルチャーショックを受けて神経衰弱になっている。それでも2年間我慢して持ち帰った西欧の体験は、多くのものに結実し、彼の留学の業績というべきものになっている。ただ貴重な国費を浪費した他の留学生とは違う。どれだけ期待を裏切った人間たちがいただろうか、それは留学生だけではない。国内の恵まれた教育を受けた優秀だと称えられた人たちも、自滅したのか潰されたのかは別としても、何の成果もなく消えて行った。漱石はやはり稀有な存在だったのだろうか。「吾輩は猫である」と書き始めた人がたどったユーモアのある作家が必ずしも明るい人生ではない。
2010.01.28
コメント(0)
あらかじめ組み込まれた睡眠プログラムを人がもつにいたったのは、熱帯環境で進化した由来だ。われわれは温帯に未だ其れほど長くは住んではいない。人は依然として、基本的に熱帯性の生物だ。これは、朝方遅い時刻と午後遅く活動すると言うリズムをもつ。すなわちアフリカの草原を旅立ってから続いている。日中休むのは、高温を避けるための適応であり、われわれの睡眠プログラムのリズムは、依然として、アフリカの太陽のもとで生きている。社会環境は、大きく変化してもひとの遺伝子から自由ではありえないだろう。意外と、いまも頭の中で、宏大な砂漠を走り続けているのだろう、種としてのヒトでしかない。
2010.01.28
コメント(0)
くだらないことを小説に書くものだ。作家は暇な人間だろう。小説を全部並べてそれを品評したら、書く奴はいなくなる。「風立ちぬ」と「カーライル博物館」と、比較するべき理由も何もないが、どちらが文学なのだろう。然し思えば、自分の人生も何の意味もない。意味を見出し得るかだろうか。これからオバマ大統領の就任一年後の一般教書のスピーチが始まるところだ。 ・朝は逃げる。あっという間に過ぎてしまう。何もない。朝歩いて、一休みして、ウロウロしていたら、もう11時になる。まだ数ページを開いただけだ。元気な朝が消えてしまう。物憂い昼が来て日が暮れてしまう。一日は終わってしまう。ネコが冷蔵庫の上から見ている。なんてお粗末な日常だろう。オバマへの期待は露と消えようとしているだろうか。彼がやりたかったのは大統領になることでしかなかったのか? ・へ2・・・世の中に期待するものはない。時の流れでしかない。まあ、オバマ大統領の弁解でも聞いてみよう。
2010.01.28
コメント(0)
風邪の原因のウイルスは確認されているだけで200種以上あり、それで何度も風邪になる可能性がある。免疫力の低下の最大の原因は「加齢」による胸腺の縮小と乾燥とストレスらしい。どうやら今年風邪を引かないのは暖房を使わないことがある。皮膚の表面の角質細胞の隙間を埋めている水分の量が減少すると微生物などの異物が侵入し易くなるためだ。主として自然免疫の機能を低下させる。 ・風邪を引かないためには免疫力を下げないことが有効だ。加齢はどうしようもないが、対抗手段はある。当たり前のことをするだけだが、何を日常的にしなければならないかだ。それを知っているのと、知らないとでは予防が違ってくる。ストレス、遺伝、乾燥、加齢、睡眠不足、タバコ、酒など、免疫力を低下させる知識が必要だ。 ・へ2・・・やはり、定期的な運動によって免疫細胞の活性を底上げすることがあるようだ。体力の向上が総合力を高めることになる。ウォーキングが、私には風邪の予防になっていたのだろう。生活習慣の見直しがポイントでもある。
2010.01.28
コメント(0)
アポートシスがあるから細胞の進化が可能だった。不能の作家が溢れていることに絶望を感じなければならないのかも知れないが、それを誰も認めようとはしない。子殺しは種の絶滅につながるのだろうか。サインを見落としているのではないか。女たちが男を恐れなくなっている。それは復讐につながるのであるか。増えすぎた種は一挙に絶滅するか。魅力を失いつつある男は存在価値を失いつつある。 ・この社会を頽廃させているのは誰でもない私たちの油断だろう。油断する者は自然淘汰されてきた。そのルールはいまでも当て嵌まるに違いない。そのことを誰も気づかないのは頽廃しているからに他ならない。かっての中国がそうあったように疲弊して崩壊している。現代の作家たちがなにをしているのだろうか。政治家になったり、タレントになったり、社会批判さえしなくなっている。読者は古典しか読むものが無くなり、こどものようにしか喋れない。 ・へ2・・・何を誇れるのだろうか。そんなものは何もない。まだ立ち上がることができるかを考えているだけだ。まだ歩いてさえいない。歩かねばならないということだけを知ったところだ。これからいくつもの山を越えて行かねばならない。この世界を読み解く汀に届くだろうか。それは知らない。立ちはだかる岸壁をどう登るかだろう。
2010.01.28
コメント(0)
その人の立場によって、「現代の世界」の評価も違う。人々はその共通項を探している。それがまだ建前と本音がある。その間が遠いから困る。日本語でどれだけ世界に近いかが問題だった。国民に知らされないことも多かった時代が長い。鎖国の意識があったのだろうか。余計なことを知らせたくないという支配者が多かった。諸々の原因があって結果もある。アメリカのしてきたことがすべて善ではない。中国の政府のやっていることも後で現在と未来では違うだろう。 ・信じているのものの中に嘘もある。何を信じているかでもある。何でも信じてしまう人は騙される。虚偽が多い社会だからだ。或いは何も信じられない人は、ストレスで潰されるかも知れない。或いは病気にもなる。適度に信じ、適度に疑って、適応できるかが問われるだろうか。すっきりと過ごせないのが普通だろう。自分の体調も揺れている。保湿性も環境でその対応も違う。格差社会が大き過ぎると悲劇が起きる。 ・へ2・・・雨が降るかどうかで気分も違う。暖かくて晴天が続いて気分よくウオーキングもできたが、鳥渡雨が降っただけでぶり返してしまった。車検をして車がどういう状態か知らないことを知ったが、車のことを忘れてもいた。いつかものには終わりが来る。そういう意味で自分のブログのタイトルにしたが、それでさえ、自分の視ているものしか視ていない。
2010.01.28
コメント(0)
民族社会学者リヒャルト・トゥルンヴァルトは「同じ言語を話し、類似した制度や風俗、慣習を有し、文化装置がお互いに似ている家族、ジッぺ、共同体、集落の集団をヨーロッパ人は「部族(Stamm)」と呼んでいる。しかし、歴史学からは、当該人間集団の自己意識、彼らの共属意識、そして他の集団に対する彼らの対立意識が無視されている。歴史家にとっては、部族意識は部族概念の不可欠な構成要素である。共通の始祖の子孫であるという概念は、純粋で混じりけのない血統という理念と容易に結合する。ある部族のエスニックに純粋な構成は、他のエスニック集団との混合より高く評価されている。ゲルマン人は、明らかにこれを肯定的した観念をもっているように思われる。部族が血統共同体であり、エスニックに純粋であるという観念はいうまでもなく虚構であって、歴史的現実とは一致しない。にも拘らず、それは自己理解の本質的な部分であり、また、政治的イデオロギーの根幹をなす要素であっただろう。そして血統共同体の観念は「部族」関連することばの語源でもある。・ドイツ語の Stamm・ラテン語の gens・ゲルマン語の theodaliut と folk は、どちらかといえば、政治的・制度的な意味での民族を意味する。ドイツから見た日本人とは、単に極東の「部族」のひとつだろうか。それはラージであってもグレートではないのではないか。偶々西欧かぶれの一時期があったにしても、それは物真似としか評価しない世界があるだろう。日本人が、アジアのリーダーと思っているとしたら思い上がりだろう。そう評価されるまでのことは何も遣っていないだろう。族社会学者リヒャルト・トゥルンヴァルトは「同じ言語を話し、類似した制度や風俗、慣習を有し、文化装置がお互いに似ている家族、ジッぺ、共同体、集落の集団をヨーロッパ人は「部族(Stamm)」と呼んでいる。しかし、歴史学からは、当該人間集団の自己意識、彼らの共属意識、そして他の集団に対する彼らの対立意識が無視されている。歴史家にとっては、部族意識は部族概念の不可欠な構成要素である。
2010.01.27
コメント(0)
The hasty mouse and the rabbit are ephemeral and the slip of activated oxygen by the thing and the mitochondria that the gawky turtle lives long isn't unknown. Of more course, it consumes a lot of energy to more intensely around is formed into a great deal of activated oxygen and therefore, move will cause the short life.
2010.01.27
コメント(0)
知らない間に雨になっていた。そういえば予報でも雨だった。仕方がないので傘をさして何とか一日2万歩を達成。あと4日間で、一月の目標が達成できそうだ。まとめ歩きができないので距離数が伸びない。気分が乗らない。マンネリだろうか。雨になると解かっているのに何もしなかったから、あとで後悔することになる。失敗もそうして起きる。 ・同じ過ちを繰り返している。ぼんやりしていると取り返しが効かないこともある。解かっている筈だが手を打たないのが悪い。責任を押し付けられることが何度もあった。自分の責任を他人に転嫁してのし上る人間がいた。ポストはあるが責任を持とうとしない。うまく逃げてしまう。そういうことばかり長けている。そんな奴が偉くもなる。他人の知らないことを知って人の上に立つ人たちがこの社会を牛耳っている。 ・へ2・・・一日が過ぎた。そろそろ眠くなった。「世界を見る目が変わる 50の事実」という本を斜めに読んでみた。数字にしてみると面白いこと、深刻なことがある。数字は変化していくが、どうにもならない切なさもある。「毎年、10の言語が消滅している」。というのがある。生き残るために何をしてきただろうか。
2010.01.27
コメント(0)
なにごともそれほど急ぐことはない。まだ終わろうとしているのではない。それでも漱石は「明暗」を書き終わることができなかった。計算間違いだろうか。もっと生きているつもりだったのだろう。長編小説を書こうとしたらしい。あまりゆっくりしていると自分の計画通りには行かなくなる。然し、それは漱石ばかりではない。人間はみなそうかも知れない。明日自分が死ぬことを知っていた人は中々いないのではないだろうか。それを感じだとしても他人には伝えられないのかも知れないが。慌てると失敗するし、余計なことをしてしまう。それでもゆっくりしていると時間がなくなってもしまう。コツコツ何かをしている時が愉しいという自覚があるだろうか。それはやりたいことをしているからだろうし、それが目的をかなえるからだろう。 ・ウオーキングをしていて思うのは、子供たちや少年たちが軽々と歩いていることだ。何と素晴らしいだろうかと惚れ惚れする。赤ん坊が<あんよ>をしているのもほのぼのする。種としてのヒトが手に入れた二足歩行は、多くの恵みをヒトに与えた。その恩恵を私たちは日ごろ味わい楽しんでもいる。這い這いから立ち上がり、そして杖に頼るようにもなるだろう。人間の姿は、容にすれば、4-2-3 だとスフィンクスはいう。人は自分たちを偉大な生物だというが、そうだろうか? ・へ2・・・ゆっくりし過ぎたり、急ぎ過ぎて間違いばかりしてはいないだろうか。思えば反対のことばかりして時間の無駄遣いばかりだ。地球上だけでなく、宇宙空間までゴミをばら撒いている。自分たちの生きるスペースを汚している。おごりがすべてを台無しにするのではなかろうか。
2010.01.27
コメント(0)
全337件 (337件中 1-50件目)
![]()

![]()