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何も挫ける理由はない 毎日元気でおれるのは挫けるだけの理由がない。もしあったとしても、別に知らなくてもかまわない。それを知ったからと云って、私の人生観が換わることはないだろう。いわば、 自己否定<人生肯定 自分の知っている世界で充分だ。結構ドラマチックで、刺激的な日常でもある。 自分であることに満足してはいない。新しい一日を受け入れて、歩きだす勇気だけはもちつづけたい。私には何も、挫けなければならない理由はない。
2010.04.30
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何かを破壊し、また再生して来た。生き延びてきたからこそ現在がある。それが生命の宿命でもある。その個としての自分のエネルギーもいつか消滅する運命だ。その限界を感じながら生きている。限界を予見しながら生きる生命体は宇宙でどれだけ生存しているだろうか?少なくとも私たちの知っている宇宙ではそれを発見できずにいる。他の種で知的生命体が、この宇宙にどれだけいるのか、知りようがないだろうか? ・個としての私の視野は狭い。知ろうとしなければ益々凋んでしまうだろう。五感は成長し、そして老化していく。自分の持つDNAのプログラムに従って生きている。そして何れタイムオーバーになる。手足の筋肉が衰えていく。頭皮も硬くなり始めた。免疫力も減退している。面白いことも少なくなった。一日は長くもあり、短くもある。その振幅が激しくなりつつあるようだ。庭の手入れをしていて、時間の経過するのを忘れている。時間がとまったように思えるときがある。それが至福の時間でもあるのだろう。 ・へ2・・・人間の遣れることは小さい。何者かであろうとするが、誰もキリストやブッダや、マホメットにはなれはしない。能力には限界があり、生きる時間は短い。何を嘆き、苦しまねばならないだろうか。人間の抱えている苦悩は、自ら創り出したものだ。生きるために創造して来た。そしてそれに住めなくなり、それを破壊し、再生して来た。繰り返しの中に想像する泡のごとき力こそ人の所以でもある。
2010.04.30
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月度のトータル歩数としては、2009.4月以来最高記録を更新した。 778,075歩 一日平均 25,935歩(約 18キロ)。 2010-4月度歩数実績表 年月日曜気温起床 歩数2010/4/1木16 5;0020,5282010/4/2金12 2;4025,1132010/4/3土6 5;3027,1322010/4/4日6 3;4022,1512010/4/5月15 3;3023,6232010/4/6火12 3;1050,1322010/4/7水13 2;5024,4292010/4/8木7 4;0024,6512010/4/9金11 2;1722,0412010/4/10土12 3;0024,2252010/4/11日16 2;3022,7482010/4/12月12 6;1020,3422010/4/13火13 2;3025,8532010/4/14水9 2;3026,3332010/4/15木7 4;1526,1212010/4/16金8 1;0535,1122010/4/17土8 3;308,3842010/4/18日9 3;1031,4842010/4/19月16 4;2020,1412010/4/20火14 3;5022,1822010/4/21水15 2;3021,4282010/4/22木15 2;5026,5122010/4/23金12 2;2023,7932010/4/24土10 2;0026,6692010/4/25日93;5032,0882010/4/26月11 3;3031,0882010/4/27火14 4;0024,0882010/4/28水11 4;;0041,1322010/4/29木111;5020,1322010/4/30金84;3028420 合計 778,075 年月歩数日数2008年4月258,124152008年5月461,505312008年6月454,828302008年7月492,053312008年8月479,175312008年9月607,612302008年10月635,399312008年11月562,374302008年12月629,723312009年1月628,603312009年2月587,391282009年3月700,366312009年4月686,126302009年5月704,517312009年6月610,392302009年7月646,126312009年8月655,742312009年9月682,647302009年10月749,592312009年11月682,170302009年12月683,681312010年1月675,525312010年2月637,727282010年3月735,903312010年4月778,07530合計15,425,376745 目標(2万キロ)28,571,438
2010.04.30
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摘心はいつやるか 先日書店で、野菜の育て方という本を探してみていたら、「摘心」のことが書いてあり、サイトで調べていたら、色々勉強になった。知らないというのは怖ろしい。勝手な解釈をしていた。相手を知らなければ、うまく誘導していくことはできない。自由にさせればよいと思っていたが、それが素人の浅はかさだと知った。そういえば政治もどうなのだろうか、赤字ばかり増やすような政策で好いのだろうか。それでは政策ではない。 ・摘心とは「親ヅルをカットして、実が付き易い子ヅルや孫ヅルを伸ばすこと」。をいうらしい。親ヅルの先端をチョン切りする。それと風通しを良くすることも大切らしい。どこか政治に共通する部分があるのではないだろうか。親ヅツは実を付けないらしい。収穫を得るためには時期を遅らせないことだ。優れた戦略がある。因みににがうりのイボイボは、熟した時に割れやすくして種の保存を図っている。 ・へ2・・・ヒントがいくつもある。栽培とはコントロールなのではないだろうか。肥料をやるのも太陽に当てるのもどこか人間社会にも相似している。やはり因果律がある。にがうりでこの夏を涼しく過ごそうと考えている。
2010.04.30
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〈生物多様性条約〉 1992年の地球サミットで日本を含む各国が署名し、93年に発効した。生物多様性の保全と持続可能な利用、遺伝子資源から得られる利益の公正な配分を目的とする。締約国には国家的な戦略や計画の作成、重要な生物の監視などが求められる。日本は95年に国家戦略を初めて策定。07年に第3次戦略を閣議決定した。締約国会議(COP)は隔年で開催される。 ・人類が生きていくのに欠かせない生物の多様性が失われていく速度に歯止めがかからない中、有効な手だてを打ち出せるか、正念場の会議となる。 上記のように、環境問題は、全てが手遅れになるのではないだろうか。人間の手が手が広がっていくだけ、それだけとんでもないことになっていく気がしないでもない。 ・へ2・・・生物の多様性が、地球を豊かにした源泉であり、それないしには種としてのヒトもあり得なかったのだ。それを蔑ろにしてきているという事実は、無視すべき事柄ではないだろう。重大問題としてな関心を持つべきだし、時期を逸してはならない。
2010.04.30
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もしも・・・「もしも・・・」、を考えるのは多細胞生物で、複雑系だからできる。種としてのヒトが手に入れている偉大な成果を私たちは時として無視をしているか、無知でもある。狙い通りにならないのもいい加減に考えるからだろう。精確なデータを以ってすれば事は思い通りになるに相違ない。暮らしを変えることはそれほど難しくはないのかもしれない。それを遣ろうとしないだけだろう。いまの私の暮らしも偶然の結果だ。まじめはまじめな結果を生じ、不真面目は不真面目なものに終わる。 ・胡瓜とゴーヤの苗を、プランターと鉢に植え付け、夕食の用意のために近くのスーパーまで自転車で行って来た。歩きたいが、どうも両手にぶら下げて帰るのは格好がよろしくないし、どうも重い。世間体を気にしているわけではないが、多寡が3,500歩だが、途中で嫌になってくる。それはまあどうでもよいことだが、実は何度か買物をしているときに在職中部下だった女性と出会うが、その人が挨拶をしない。どうしてだろうと思うが思い当たらない。どういうわけだか知らないが、忘れたのだろうか。そんな呑気な女性ではなかった。 ・へ2・・・ひとは様々だ。すれ違いは人の数だけあるに違いない。別に無視されているとも思わないし、何でもないことだが気にはなる。自分はこの社会から軽蔑され無視されている存在だと認識すれば、私はどういう態度をとるだろうか。ふと、そんなことを思った。恐らく、このブログも書かないに違いない。偏屈な女性なのだろうか。どちらが世間に近いか遠いかでもない。こちらから挨拶をする気持ちもないから、まあどちらかがいなくなるまで、会話することはないだろう。 もう十年以上も直接会話したこともないひとではある。まさかアルツハイマーではあるまい。
2010.04.30
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昨日熊本へドライブに行き、そろそろ庭つくりをして、緑のカーテンを今年も挑戦しようと、キュウリやゴーヤの苗を買ってきたので、今日は、晴天だし、長靴を履いて、プランターとか、プラスチックの鉢とか、去年の泥を水洗いして準備を始めました。頭の中でイメージしているところです。去年の写真集を覗いたら、鳥渡今年は着手が遅れた。 ・何しろ天候不順もあり、寒かったり暖かくなったりで、どうも気にはなっていたが着手できなかった。妻に始めようかと言っていたが、苗が寒さで駄目になる・・・とか。それでも、何とかやれそうだと始めることにした次第。これから、培養土とか肥料とか、プランターの新しいのとか、色々準備をしなければならない。土とプランターなど近くの日用雑貨の店「ナフコ」で売っているので、キャンターをもって買ってこようと思う。 ・へ2・・・上の写真は、去年の「緑のカーテン」。一昨年のゴーヤの種を蒔いたのが一度にどっと目を出したので、大量の苗ができたので楽な「緑のカーテン」ができたが、ことしはどうだろうか。さて、これから始めます。
2010.04.30
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久しぶりの家族サービス 普段は、自分のことだけである。ソーシャル・ステータスが、その人の意識を決定する。人波にGWというのも、自分がと云うよりも、家族を優先してしまう体質は、子供ができてからつづいている。そうしなければ、だれから言われたからでもないが、それが人間として最低限のことだ。然し、それが引き摺られることではないと感じたのは、定年も近いころだった。それこそ周囲のだれもそのことをいってはくれなかった。自分のことで精一杯の人たちばかりの社会でもある。他人どころではないのだ。私の人生観はあるが、それを他人に披歴したことは余りない。 ・どうすべきであり、どうあるべきだったのだろうか?それを考え始めたのは。このブログを通じてである。私には、現在、物事を冷静に判断し、社会を客観的に洞察できる力と広い視野があるだろうか。自信はないことに気づく。果たして、私はどの道を来たのだろうか?これまで視てきた自分の人生は、他人の描いた仮想的な世界ではなかったのだろうか?疑問が出てきた。 ・へ2・・・こうして、自分を振り返る時間を呉れたのは、家族の協力があるからできたのだろう。我儘な親父である。肥後モッコスである。取り柄はまだない。 好く眠れました。疲れはありません。これから朝のウォーキングをしてきます。昨日で、月度の最高記録でしたので、月末の今日一日が記録更新分です。はりきって行ってきます。単細胞ですが。 >熊本で。
2010.04.29
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<作品> 「吾輩は猫である」 ・アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486年7月16日 - 1531年1月21日)は、ルネサンス期のイタリアの画家。(ウィキぺディアより)「アンドレア・デル・サルト」は「仕立て屋のアンドレア」の意である。ミケランジェロやラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じころ、フィレンツェの美術の伝統を守っていた画家である ・問題を含んで作品。難しい。講師著「漱石と次代の青年」。講師は漱石の研究者。 ・ホトトギスの虚子が書くように勧めたといわれる。漱石は、1回で終わるつもりだった(1の章)。連載のつもりはなかったが、評判がよくつづけた。同時に「倫敦塔」を出版しているので虚子の勧めばかりではない。自分の意志がある。・「気が紛れるだろう」ではおかしい。漱石ではなく、他人の言っていることはあてにならない。・「漱石神話」は必ずしも正しくないものが多い。・漱石の考えは、当初「猫伝」というタイトルだった・・漱石は、最初「小説」を書くつもりではなかったかもしれない。・「1の章」では、登場人物に、人の名が出て来ない。・寧ろ「写生文」を書こうとした。・虚子や妻鏡子の証言もあるが、それが事実かどうかは疑問。・虚子の「添削」がどこかわからない。(1の章だけか?)。(虚子)・・・最初は、漱石よりも作家の経験があったので。あとではしていないのではないか。・漱石は、小説家としては無名であり、虚子の添削がどの部分かは解かっていない。(1の章)。・「2」でもまだ連載のつもりはない。「1」が売れたので、「2」を書いた。虚子が「ホトトギス」を多く売りたいに勧誘した。・即興的な書き方をしている。それが漱石にはできた。・ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの争いがある。・「個人と集団の闘い」。漱石は、集団は苦手。・金田一家・岩崎弥太郎のこと。・・・漱石は商売人を嫌いで、目の敵にしている。・「坊っちゃん」「吾輩は猫である」に共通する観念。「集団」をリアルに描けていない。個人についてはリアルだが、集団はない。社会悪を把握していない。・社会集団に対する認識が薄い。・・・対比松本清張。社会悪の内側から見る視点がある。・個人・集団(社会)・・・「それから」・・・「明暗」漱石の認識が高まる。・前近代。反近代。・古い新しいは意味がない。・「猫」を書く人がそれまでいなかった。という意味で偉大。・偉そうに書いているという評価がある。漱石のエリート意識。・「うっ、と来た」。辟易した。「猫」を読んで。・漱石の中にあるエリート意識。「集団」と闘うためにエリート意識を持とうとしたのではないか。・大江健三郎にもエリート意識がある。・「天然居士」。そろり。の墓。事実を書いた。「猫」の中に出てくる。・米山保三郎・・・畏友。逸話の多い人物。・森セン三「月夜車」弥生書房。・漱石には写生文を書くという意識が強い。それが小説に変容して行った。・変幻自在である。・写生文と云うエッセイを書こうとした。それが「猫」になった。・自己批判も出来る。・坊っちゃんの僕が主人公ではない。主筋は違うところに坊ちゃんがあとからやってきた。・水島寒月と金田富子の関係。金田富子・・・下品な女。・・・が主筋になる。坊っちゃんのマドンナも同じだが書いていない。・見え隠れしている上の二人の関係がストーリーになる。・「三四郎」もあとからストーリーを書いている。・イギリスのトリストラム・スターン「シャンデイの生涯と意見」・小林信彦・・・落語的。・悲劇が喜劇になる。ベクトルが変わる。・落語の「落ち」がある。・与謝野晶子・・・「みだれ髪」・・・・浪漫主義へのパロディ。苦沙弥先生の妻の洗い髪・・・「はげ」が落ち。・北越奇譚・苦沙弥先生の妻が、パロディになる。・場面と場面が響きある。同種のもの。・組み立て方がいくつも出てくる。相似形。・同種の場面が繰り返される。・死にそうな目に何度も遇う。それが小説のキーになる。つねに死が背後にある。・ステイーヴンスン「自殺クラブ」。・文明批判。個人主義は長続きしない。個人主義と死の誘惑。理由がはっきりしないものを引き寄せる。現代でも当たっている。個人主義が招いている自殺がある。・@おれが、おれが」は、個人主義。それが、死につながる。・首くくりの話。・悲劇と喜劇が表裏にある。・漱石は「連想中枢」が発達していた。(死後の漱石の脳の解剖で証明されている)。・日本人は元々連想的。・方法的だが、資質がそうさせている。・前と後ろが繋がる。本を読むのも自分の読み癖による。作家にもあるので重なる人と会わない人がいて当然。・ストーリー上の繋がりではない。理屈ではない。同じパターンの繰り返し。・作家をどう読むか。・漱石は悲劇から喜劇への繰り返しである。「落語」の落ちと下げ。・落語の延長として「猫」を読むと解かる。前近代・反近代。・無関係と思われるものがあとで繋がる。・ブラックユーモア。落語でも、人間の死をコミカルに描く場面がある。・主人と猫が初めてであるシーン。「吾輩の顔をしばらく眺めておったが、・・・やがてそんなら」猫と主人の表裏の関係。通じ合う関係。主人は、同情した。捨て猫への同情。ポイント。・同情から始まっている。主人から拾われる瞬間。主人だけである。・迷亭像が、1章と2章では、人物像が変化している。・車屋の黒の憐れな最期。心象風景が書かれている。情景描写でもそれを締めくくっている。・1の終わりと13の終わりと同じ終わり方をする。・8 「鏡」が出てくる。自分の正体を晒すから。狂人扱いされた。あばた顔でコミカルに描いている。深刻さがないように書く。・逆上。インスピレーション。異常なもの。狂人。カフカ変身。・狂気から異常なものを生まれる。自覚している。漱石自身でも思っている。・おれは可笑しいかもしれないと思う。 9章。・笑いと悲惨とが、内省的になる。・自分の中の非情さを感じている。苦沙弥は非情に書いている。漱石は違うのではないか。・「水底の感」藤村操女子。寺田寅彦宛の手紙。漱石と寺田との関係が出てくる。・自己批評に向かう。内省的。寒月には、同情があるが、先生にはないように書いている。・「呑気と悲しい」の表裏にある。漱石の構造の中核。「猫」も同じ。・悲しいと美しい・・・川端の世界。
2010.04.29
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いつも自由にさせてもらっているので、偶には家族サービスもしないと文句もいわれる。義母のお見舞いをして、ついでに、買物にも付き合ってきた。久しぶりに外食もして、只今帰宅したところだ。一日潰れた。こういう日があっても悪くはない。何か昔に戻ったような感じのする一日であり、・・回の結婚記念日でもある。娘が張り切って寿司を御馳走する話だったが・・・。まあ、愉しく過ごせました。 ・一番嬉しかったのは、義母が元気になり、私たちの来訪を喜んでくれたことだ。一時はどうなるかと心配したが、どうやら、これまでとおなじお洒落な義母に戻っていた。別れの挨拶をした時、思わず涙ぐんだ義母の姿が、印象的だった。私たちもみんな感動した。人間の触れ合いが、突然途切れるとすれば何と寂しいことだろうか。見舞いのあと、すぐ帰宅するのが勿体無いような気がして、鳥栖のアウトレットで、買物をした。 ・どうにか、今日一日の歩数トタールで2万歩をクリアーしたので、今日現在で、これまでの月度の最高記録 749,000歩を越えることができた。 >鳥栖のアウトレット
2010.04.29
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義母の見舞いへ GWで高速は混むので一般道で玉名へ、家族と義母のお見舞いに行くことに。時間は相当かかるだろうが、今日しか娘の時間がないらしい。私はアッシー君で、且つナビでしかない。どうやら晴れてきたようだ。今朝はいつものようにウオーキングすることができた。天気も好くなってきたので、行楽地も賑わうことだろう。いつもこの時期外出を控えていたが、今日といい、後半ではバスハイクがある。 ・義母は、まだ入院しているが、そろそろ退院もするようだ。大したことがなくて良かった。高齢なので、油断はならないが、長寿の家系のようだ。芯が強いと云うか、根性が違うようでもある。これで今回病院見舞いも三回目であるが、田舎を走っていると昔のことを思い出して懐かしい。玉名も、来年新幹線が走るようになり、新しい駅も出来ている。随分新しい道も出来ている。 ・へ2・・・いつまでもできると思って軽く見ていたことも、そのうちできなくなる。今のうちに遣れることはやっておくべきだと思うようになった。あとで、後悔しないようにしたい。そのつもりで出掛けてきます。
2010.04.29
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経済学では、人は合理的意思決定者であり、損失・利益のバランスによって、最大の利益を追求するはずである。では、人は実際そのように行動しているだろうか? 何らかのコストを負いながらもある事柄、個人に固執しつづけることであり、人はコミットメント感情が非常に強い。コミットメント感情は適応的である?友人が文無しになったら捨てられるか。コミットメント感情を見せる人は信頼できるし、信用される。故に、パラドキシカルにコミットメント感情をもつことは適応的だ。 人には利他的行動の進化があり、血縁淘汰を通じた互恵的利他的行動がある。コミットメント感情の適応性は人に固有のものであると考えられる。 朝の温もりが還って来た。松林が朝に爽やかな微風に揺れている。昨夜の強風は嘘のように過ぎて穏やかなだ。耳を澄ましてみると小鳥の囀りが聴こえる。ゴルフ場の躑躅の絨毯が、少しづつ色を変えてきている。 宗教、イデオロギー、探求、特定の個人に対するコミットメントについての旅がつづくだろう。
2010.04.29
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学問はある意味の拘泥でもある。どこまでドラステックに拘ることができるかだろう。信念がなければならない。フレキシブルな生き方ができるかではないだろうか。他人と逆の発想も必要だ。行って還ってくる。何度も繰り返して考えることができるかでもある。無駄を惜しまないことでもあるのだろう。無駄は無駄ではなくなる日までやれるかでもある。どれだけ智慧を出せるのだろうか。相手の心を読まねばならない。 ・中国は、何をするだろうか、注目される。日中がどれだけ智慧を持っているだろうかが問われるのだろう。新しい時代には試練が付き纏うが、それは調整のために必要でもあるのだろう。何があるのだろうか。期待されるが、できなければ失望になる。それだけの準備ができていなことを示すことになるからだろう。いくつかの選択を持ち得るだろうか。それとも、これまで通りなのだろうか。
2010.04.28
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あれもこれもができない 同時進行が、できなくなりつつある。せっせとウオーキングすると草臥れる。ブログがその分疎かになる。昨日は4万歩歩いたが、相当時間がかかっている。草臥れもした。考える力もなくなり、好い加減なブログになっている。それも仕方がない。「二兎を追うもの・・・」だが、それだけではない。もっと多くの獲物がある。大抵ものにならないだけだ。今月は、歩数累計のトータルで最高ができそうだが、どうも雲行きが怪しくなりつつある。最後でコケル。今朝の雨と、義母の見舞いがある。 ・日々は優先順位で決めなければならない。選択を誤れば取り返しの効かないこともある。まだある命もいつ終わるかわからない。大抵の人は、今日死ぬことを知らないのだ。ガツンと頭を叩かれないと解からない。理解することが怖い。ひとは見かけによらないものだ。威張っている人間ほど脆い。遜っている人間ほど傲慢でもある。人の価値は何で決まるだろうか?それはまだ結論が出ない。
2010.04.28
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ひとは変化し、移動する まさにヒトは、日々変化し、移動を続けて活きているのだろう。生命活動は、恐らく私たちの意識を超えて存在している。とても理解の及ぶべきレベルではない。生命現象を唯驚嘆の想いで視ているだけに過ぎない。解かるものに解かるだけの世界だ。思い上がり諂い、挙句は姑息な手段でお茶を濁しているだけに過ぎぬ。変化の程度が足りず、移動も足りないのだ。白昼道路に棲みかを見つけられず乾燥してミイラになって乾涸びたミミズでしかない。それをみて自らの姿だと思うことさえできないとすれば何をかいわんや。 ・ひとは適当に生き、適当に死ななければならぬ。他人の迷惑にならないように。自分のためだけの世界ではない。69億人分の1でしかない。人の価値も希薄になっているだろうか。そうではないと否定できるだけの人間を育てられるのか。それは知らない。自分のことしかわからない。否、自分のことさえ理解してはいないだろう。一枚の風景の一コマのエリアでしかない。一生で駆けずり回る範囲は狭い。それでも変化し、移動を続けるのだ。 ・へ2・・・自分の準拠枠の中で死ぬ。生きている間が自分の1クールだ。やがて夜が明けるが、このひと時が私の時間でもある。
2010.04.28
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今日は、何の日? 以前は、天皇誕生日と云っていた。その言葉を使うと思いだす言葉があったが、緑の日になって、つい失念してしまっていた。実は、私たちの結婚記念日だった。今更、恥ずかしい話だ。それこそお互い好い年齢だったが、好い加減でもあった。一応世間体もあり「らしい」こともしなければならないくらいだったが、大台を越えた。考えてみると、自分たちの力というより、親たちの恩愛であろう。その恩愛に報いるだけのことを少しもしていないのは痛恨の極みである。どうも人間が出来ていない。 ・人格の欠如だろう。他人のことはよくわかるが、自分のことは一向頓着がない。それこそ、まともな教育を受けて来なかったリアクションだろう。人生の師と目されるような人物と感じることが出来ないまま今日に来た。そして、いま振り返ってみて、その人たちが大勢いたことを思い知っている。時は過ぎて、その人たちはみな故人である。この年齢になって知るは、鳥渡どころではなく、随分遅い。こうして考えてみると、自分も子どもたちに何を求めることが出来るだろうかと思わずにはおれない。天に唾すれば還ってくる。まさに、すべての責任は自分にあると思う。 ・へ2・・・何を学んできただろうか。それこそ無知蒙昧でしかない。そして厚顔無恥だろう。他人を非難すべき理由はない。恥多き人生でもある。それで、これまでやって「来れた」、のだから、余程運のよい人間でもある。天罰はとうに受けて可笑しくはない。さても自戒から始めねばならばならない一年だ。たとえどこで、野垂れ死にしようとも誰を恨むこともできないと思っている。
2010.04.28
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体内での様々な化学反応副産物として形成される。行く先々で破壊活動をする。正常ではフリーラジカルを抑えつける方法が人体には備わっているが、喫煙、大気汚染、汚染された食物等によって相乗して過剰に形成されてしまう。その他老化やいくつかの疾患の発症に関与するらしいことが分かっている。フリーラジカル形成をブロックする研究が課題だ。 ・これに似た政治的運動がある。テロ行為だ。社会は正常であれば酸素フリーラジカルを抑止できるだろう。しかし、異常気象をはじめ環境破壊による影響はじわじわと生態系を破壊し始めており、国際社会は大きな曲がり角のにも来ているのだ。テロ行為もやがて国家の騒乱に発展しないとも限らない。少なくとも鋭敏な若者の感性が異常行動を起こすようになるのも、その兆候でもあるのではないだろうか。そんな気がする。 ・へ2・・・つまり、フリーラジカルが何と関係するかで、一挙に社会的事件にもなるということだ。それだけ多くの爆弾を抱えていることにも問題があるだろう。これまで見逃されがちだった課題の中でも、重大化する恐れは多分にあるということだろう。チベット問題も最悪のシナリオになるように配慮すべきだし、台湾問題、北朝鮮問題も打つ手のタイミングが問題なのだろう。日中の関係も予断を許さないと思うが、どうだろうか。国家は、人体のように上手くはできていないだろう。打つ手を誤れば大変な事態にもなる。今日は一日検査と講座で、ゆっくり散歩もできないスケジュールだ。
2010.04.28
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今月もあと2日間。明日は、家族と熊本に義母の見舞いに行くかもしれない。ということは、ウオーキングが思うようにはできない。何とか記録更新はできそうですが、折角だから、できるだけ高い数字を上げたいという慾もないではない。だからどうということでもないが。4/17 は、やはり熊本の義母の見舞いの時で、ドライブしていたので歩けなかった。これも仕方がない。 ・できるだけのことすればいいし、無理はしないつもり。それが長く続けられることでもある。今日は、41,132歩。約29キロ。箱崎から、宅までウオーキングした。これからも、愉しく歩くことができるような工夫をして行きたいと思っています。遊んでばかりで。今夜は良く眠れそうです。 年月日曜気温起床 歩数2010/4/1木16 5;0020,5282010/4/2金12 2;4025,1132010/4/3土6 5;3027,1322010/4/4日6 3;4022,1512010/4/5月15 3;3023,6232010/4/6火12 3;1050,1322010/4/7水13 2;5024,4292010/4/8木7 4;0024,6512010/4/9金11 2;1722,0412010/4/10土12 3;0024,2252010/4/11日16 2;3022,7482010/4/12月12 6;1020,3422010/4/13火13 2;3025,8532010/4/14水9 2;3026,3332010/4/15木7 4;1526,1212010/4/16金8 1;0535,1122010/4/17土8 3;308,3842010/4/18日9 3;1031,4842010/4/19月16 4;2020,1412010/4/20火14 3;5022,1822010/4/21水15 2;3021,4282010/4/22木15 2;5026,5122010/4/23金12 2;2023,7932010/4/24土10 2;0026,6692010/4/25日93;5032,0882010/4/26月11 3;3031,0882010/4/27火14 4;0024,0882010/4/28水11 4;0041,132合計 729,523
2010.04.28
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筥崎宮神苑花庭園へ少し、出遅れた感じですが、箱崎に用事があったついでに、花庭園の牡丹の観賞を思いついて行ってきました。晴天ならよかったのですが。それでもゆっくり観賞が出来て満足です。牡丹だけではないが、手入れの良い品格のある庭園だといつも感心しています。庭師のレベルが高いのではないだろうか。といって、それほど目利きができるわけではないが、プロの神経を感じます。ご近所でも牡丹を育てる人は多いのですが、どこか違う。 ・前回もリコリスの苗を戴きましたが、今回も入園した時、招待券を呉れました。どうやら少し牡丹も見頃を過ぎているので、別の花の時に来て下さい、というのではないだろうか。6月は百合の季節になる。 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」ですか。なるほど、百合も見たくなりました。写真は沢山撮りましたので、ぼつぼつUPします。
2010.04.28
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どうも訳のわからないのは他人様ばかりではない。自分のことも自分で時々わからない。だから他人のことを笑うつもりはない。昔の人たちは恐らく私たちよりももっと分からないことが多かったことだろうから、さぞや困ったことだろう。天を見上げて怨んだことだろう。 勝手なことをいい勝手に自己満足しているのだろう。そいつを態々言うこともないのだろう。個人の理屈は、理屈として何のことでもない。泡沫の如きものだ。自分のスケールで社会の広さを知ることはできない。只の蒙昧でしかない。真面目に遣ろうと思えば思うほど陳腐にもなるから時々は、脱皮せねばなるまい。自分の裸の儘では生き延びることはできない。生き延びる知恵があるかだろう。 そこにある海は海ではない。ただの池のようなものだろう。そいつを海だと勘違いして人生を誤るのだ。けちな池は大海ではない。自分の内にあるのも海ではない。自分の目の前の池を海だと思う奴は・・・。・・・で終われば・・・。
2010.04.28
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人間だけが進化しているのではない。猫も自分の環境に適応しようと必死になっているのだと思う。宅のサビ猫は昨年の7月に近所の小学生の女の子が、自分のいえでは飼ってくれないというのを妻が引き取って以来だ。未だ生まれて1カ月くらいだった。どうも器量が悪い。変な顔だとか。毛並みがどうとか。体のわりには小顔だとか。まあ色々言われてきたが、何とか我が家の市民権を獲得したようだ。 ・子猫は成長してきて外に出たがるようになったが、どうも野良ネコがいるので、病気の感染がある。前の猫も次々に感染して早死にしている。どうも猫は好きではない。何しろ黴菌の総合庁舎のように思えてくる。それでも妻子が可愛がっているので追い出すわけにもいかず共存するしかない。以前10年ばかりいた白ネコは毛が抜けて、衣服に付いて困ったが、今度の猫は目立たないのかあまり気にならない。 ・へ2・・・別に何の取り柄もないサビ猫だが、水を水道の蛇口で飲むという特技を持っている。果たしてそれが特技かどうか知らないが、器用に飲んでいるのが面白い。中々其の写真が撮れなかったが、やっと目の前で遣って呉れた。その写真です。晴天になったので、どこかへ出かけたくなっています。
2010.04.28
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細やかな挑戦まだウオーキングを始めてこの4月で新三年生になる。これから朝のウオーキングが早くなりそうだ。流石にウオーキングも初心者でも、三年生になると足腰が少し確りしてきた感じがする。時々自然にジョギングもしている。怪我をしたくないので、広い道路の安全地帯を走れる時に走る。身体が自然に疲れている時と、そうでない時を教えてくれる。少し敏感になってきたようだ。 ・朝日が綺麗に見えてきた。今日は晴天で気持ちが良さそうだ。もう吸い込む空気も冷たくはない。肺の中で空気がほんわかと温かい。こんな澄んだ空気を吸っていたら、この一年をまた生きていられる気がしてくる。いや10年だろうか?欲張りになっている。それとも欲が出てきたのかも知れない。何か生きていられるという自然に起きてくる気持ちがある。 ・へ2・・・朝の散歩をすると止められなくなる。生きている実感がする。朝日はそんな勇気を与えてくれるらしい。今日を入れて4月もあと3日間になった。現在、4月度は昨日27日まで 688,391歩。何とか、これまでの 月度最高の記録更新を狙っている。 年月歩数日数2008年4月258,124152008年5月461,505312008年6月454,828302008年7月492,053312008年8月479,175312008年9月607,612302008年10月635,399312008年11月562,374302008年12月629,723312009年1月628,603312009年2月587,391282009年3月700,366312009年4月686,126302009年5月704,517312009年6月610,392302009年7月646,126312009年8月655,742312009年9月682,647302009年10月749,592312009年11月682,170302009年12月683,681312010年1月675,525312010年2月637,727282010年3月735,903312010年4月688,39127合計15,335,692742 目標(2万キロ) 現在の目標2万キロは、歩数では、28,571.438歩になる。
2010.04.27
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もっと早く知っていれば・・・ もっと早く知っていれば、私の人生も今とは違うだろうと思うことはいくつもある。然しそれは過去のことである。今更どうしようもない。時は不可逆に過ぎていく。原因と結果の因果律が支配した世界だ。出来ないことは沢山ある。そして自分自身で墓穴も掘っている。社会環境だけに気を取られていると、自分の身体が病気にもなるし、更には脳まで可笑しくなる。どんなエゴイストも自分の脳がどうなっているか知らなければ、自分の本当の存在を守れない。脳の描くイメージで私たちは存在を認識しているに過ぎない。 ・海外のテレビで、一瞬間も眠ることのできないひとの話が報告されていた。眠ることが出来なければヒトは長く生きて入れない。どんなに社会環境に恵まれ、体を大事にしている人も脳を簡単には守れない。この複雑系の脳は単純ではない。免疫反応をコントロール出来ているわけではない。脳の一部を取り換えるだけの科学を手にしているのではない。解からない処は解かっている事の何乗倍もある。解からないことが解からないだけだ。それでも利口だと思うだろうか。誰も思ってはいない。ひとは愚かなことを繰り返している。すぐそこにあるものを見逃がしてもいる。 ・へ2・・・昨夜、ウオーキングをしていたら、雲の合間に丸い月がちらちら見えては隠れていた。その月が、晴れてきたのか早く私の目を覚まさせた。目が覚めた時が私の朝である。今朝は2時少し前だった。早く寝た所為だ。娘が遅く風呂に入っていて、まだ浴槽には残り湯があるのを確かめで久しぶりに朝風呂と洒落ることにした。いま風呂から上がって、ドリップコーヒーを飲みながら、今朝のブログに”グッモーニング!!”
2010.04.27
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ポーの作品に「天邪鬼」がある。片意地な根性が引き起こす恐ろしい物語である。しかし、誰しも内面に潜むものではないだろうか。逆上して身の破滅を招く人たちにも、この天邪鬼があるのではないだろうか。小さなことも堆積していけば取り返しの利かないものにもなる、おのが天邪鬼もそうなる可能性があるだろう。 してはならないことを分かっているのに、何度となく繰り返し下劣で、愚劣な行為をしてしまう人間が、如何に世間には多いことだろうか。 ・片意地は人間の心に内在する原始的な衝動のひとつである。時に他人との調和を欠き暴走もする。そして犯罪を犯すことになる。そこまで行かなくとも人間の悪癖になり、感情表現のひとつになる。どうも、孤立は孤独となり、やがて片意地になり、天邪鬼にもなるのではなかろうか。油断すると、引き込み線になっているその罠に嵌まる。 ・へ2・・・心地よくあることは、その人の素直な感情によってあるのかも知れない。それは健康であることも必要なのだろう。勿論体だけではない。こころが豊かであることでもあるだろう。体と同じように心のケアもいるだろう。それは、偏らず多くの知識を得ることから、不断の努力によって得られるのではないだろうか。
2010.04.27
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新規性や先見性とは、人間の努力で容易に得られるものではない。固定観念を超えねば得られない。医師は最早エリートではない。あと50年もすれば、医師はミスのないロボットに職場を追われる。先見性のない者に覇権を委ねるべきではない。先見のない選択のミスは世界の破滅になりかねない。明日何をすべきか判らないで、何ができるだろうか。愈々これから洞察力と先見性が必要だ。そのためには精確なデータを収集しなければならない。そのことを理解するものたちを教育しなければ、この社会は間違ったデータのために、何れ崩壊するだろう。人類は、破滅との闘いをはじめてしまった。このままどこまでニッチを続けられるだろうか。過酷な生き残りの闘いは、相手が「エントロピー増大」との、それである勝ち目はない。
2010.04.27
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横浜で同僚だった知人から珍しく電話があった。元気そうだった。外資系の会社に再就職してここ数年経過している。先日博多で会議があって来たのだそうだ。時間がなかったので電話しなかったとか。横浜にいた時は、二人で箱根や鎌倉などに出かけたりした。郷里の宮崎で暮らしている。相変わらず仕事は厳しいようだ。今度高千穂に行くと言ったら、ついでに宮崎市まで遊びに来いという。延岡と宮崎では鳥渡というわけにはいかない。 ・神楽のあるときに行けばいいのにといわれてしまった。高千穂は神楽は有名だ。横浜で撮った時の彼との写真も数枚残っている。多分彼は観たことがないだろう。元々二人とも九州から関東の支店に転勤したので、休日には名所巡りして周っていた。さっぱりした性格で、気楽に話のできる男でもあった。 ・へ2・・・彼も、私が帰省した後、福岡に戻って来たので、その後も付き合いもある。再就職を宮崎にしたのも実家があるからである。一度、宮崎に遊びに来てくれと言われているが、その機会がない。既に死んだ人もいる。時の経つのは早いものだとつくづく思わされた。これから、夜のウオーキングに出かけます。少し福岡は冷え込んでいる。このブログを見るそうなので、偶にはメールでも下さい。
2010.04.27
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目の前の危機 2012年が、日本の危機になるという記事を読んでいて、国債とか年金が深く係わり、何れは押し寄せる大津波にもなると思った。それはもう2年間を切っている問題でもあるが、こうして太平楽でいる。知らぬが仏の呑気さだが、その時になってパニックになっても遅いだろう。大半流されてもしまう。モノだけではない人間もだ。原爆でも、関東大震災でも、戦争でもそうだが、国家や政府は、何をしてくれただろうか。何も出来はしないのだ。 ・日頃、とやかく言うし、できるのは国家が正常に機能しているからでしかない。一旦、沈んでしまえば無力である。体制が整うまで何も出来ない。基盤があって出来るからだ。オタマジャクシがカエルになるが、カエルはオタマジャクシを知らないと云うだろう。あとで気付く事ばかりだ。日本経済が破綻するかもしれないという警告が、随分増えている。これは現実味を帯びてもいる。本当になるかも。 ・へ2・・・放漫経営とは、杜撰な経理と、経営者の甘い見通しが一般的にある。「大きい、小さい」の問題ではない。国家だって破綻する。潰れれば悲惨さは言語を絶することになるだろう。資金がショートすれば、経営は行き詰る。それだけのことだ。GMも破綻したが、トヨタだって安全ではない。リスクはどこにでもある。節約だけで経済の立て直しが出来るとは思えない。それしかないのであればお先真っ暗だ。
2010.04.27
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ウオーキング どうやら、自分だけのウオーキングを楽しんでいるが、世間も健康志向でウオーキングは流行りらしい。今朝がた雨が降ったので、朝遅くなって雨が上がったのを機に、近くの図書館まで歩き、雑誌でも読んで来ようとぶらりと出かけて来た。丁度1万歩くらいの距離にはなる。大学の構内を覗いて、それから目的の図書館は、JRの駅ビルの中にあるので、久しぶりに旅行のカタログを貰って来たが、その中にJRの宣伝紙に春夏の駅長おすすめのJR九州 ウオーキングという特集が載っていた。今年の春参加者60万人達成とある。過去形か現在進行かは知らないが、兎に角多彩なプランが載っている。 ・鳥渡読むのが遅かったようだ。大半もうすでに月日は過ぎているものばかりだが、5月もある。九州の何処かの駅に集合して、周辺をウオーキングすると云うもので、参加無料で、事前申込みも不要。それはそうだ。コースマップと参加シールを渡すだけだ。JRは、電車の利用が目的だ。それでも下心が明確でまあ理解はできる。それにしても暇な人が多いのは確かのようだ。ウオーキングにお友達や、ご家族と気軽に参加しませんかとある。何かポイントをためでプレゼントもある。 ・へ2・・・図書館といいウオーキングといい、カネのかからなものばかりだ。カネとは縁の遠い方へ、誘導されている。いっそカネのない世界を創ってはどうだろうか。老人ばかりが住む町が、どこかの国にあったようだ。住み分けられた社会ができるのだろうか。ぞっとしないでもない。アパルヘルトの変形になりはしないか。メリットとデメリットがあるだろうが、究極はそうなるのかもしれない。私などはどうもワイワイ喋りながら歩くと云うのは苦手だ。ウオーキングは一人マイペースで静かに歩くのが好い。偶には愉しいとは思うが。 >シャクナゲ
2010.04.27
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日色ともゑのナレーションでCD「たけくらべ」を聴きながら、好きな時間を過している。どこかに悩みがない訳ではないが、それは凡そ些事でしかない。一葉の世界は、日本人のこころの内奥を去来して止まない子どものころの記憶だ。その甘く切ないその記憶はいつまでも消えることがない。それは懐かしさだけではない哀愁でもある。この明治の彗星は、平成の世でも人びと懐古の彗星だ。もう誰も一葉にはなれない。なりたくもない。図書館通いを当面止めつもりはないが先は長い。それは、或る意味ヒトの精子のようでもある。おそらく一個の精子も、何かの卵子に届かない。それでも圧倒的な努力がなければ何もたどり着けはしない。誰かが小径をつくり、誰かがそこを歩く。マラソン競技のペースメーカーは、面白い仕事だが辛かろう。それはスポーツではない。職業だろう。それと人生とは違う。マラソンは人生ではない。与えられた道を走るのではないからだ。何故「減数分裂」なのか、生命はその戦略を続けている。 思えば人間にも "heat and cold "しかない。
2010.04.27
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今テレビで、大学の心理学の授業で、友人との接し方の講義があっているのを紹介している。何でも教える親切な社会だろうか。ひとを莫迦にしている。幼児扱いされている。何をされても恥ずかしいとも感じなくなっている、のだろうか?知識はあっても、相手の気持ちを察することが出来ない。話してよいか悪いか解らない。それだけ経験したことがないのだ。スキルは一番肝心なことが抜けている。医師が、患者の心理が理解できないでは治療にはならない。検査結果だけで診察しているポーズだけだろう。 ・脚の長くなった若者が、颯爽と歩いている。然し、見かけばかりの格好良さでしかない。有名大学を卒業しても、応用力の効かない人間ではモノの役には立たない。電話の応対も出来ない。顧客のサービスも出来ないものが多かった。大学では必要だから、講座を創っている。それだけ人間力が低下している。体力もない。気力もない。日本の人口はこれから半減する。経済力の低下は、国際社会で不利に働いて行くに違いない。 ・鳩山首相をみていると、親が大事に育てた培養された子どものように思えてくる。色々教えてくれる人が周囲にいて、そのひとが責任も負って呉れる。殿様は傷つかない。「王は悪を為さず」。それでよい筈はない。型に嵌まって生きることだけを求めて来たのではないだろうか。そのひとたちが、今後の、厳しい国際社会に耐えられるのだろうか。堀辰雄の「水族館」を読了したが、「私は諸君に、なんとも説明のしようもない浅草公園の魅力を・・・」何とも、其の白けた登場人物たちを苦々しく思っている。
2010.04.27
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人間というその有限性にもかかわらず究極的にはこの真理に接近しうるという可能性を信じて疑わないのは何故だろうか。 ニイチェ「力への意志」の中で、「真理とは、それがなければある種の生物が生きられないような誤謬のことである。生きることにとっての価値が最終的な決定を下す。」「もっとも固く信じられてきたいくつかのアプリオリな「真理」は、わたしにとってはーーとりあえずの仮定である。たとえば因果律。それは非常によく仕込まれた信仰の習慣で、それを信じなければ種族が没落するだろうとほど、身についてしまっている。」ニイチェがいう「真理」とは、主として認識論的真理である。「AはAである]「あるものがAであり、同時にAでないということはありえない」「あるものがAでなく、同時にAでないものでもないということはありえない」「わたしがただわたし自身としてしかいきられないことのー論理面への反映である。」ハイデッガーはニイチェを「力への意志」の思想を「存在に優先するものととして存在者全体を思惟する」ところの「形而上学の完成者」と見做している。ニイチェに於けるニヒリズムの真理の虚構性、力への意志と並んで難解は「同じことの永遠回帰」の思想である。 ツァラトゥストラは「あるがままの現存在は、意味も目標もなく、不可避的に回帰し、無に終わることもない。すなわち「永遠回帰」。これがニヒリズムの極限の形式である。 すなわち無が.(「無意味なもの」が)永遠に!」 真理・ニヒリズム・主体がテーマである。
2010.04.27
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地球46億年の長い進化の過程で人類は誕生した。その進化の歴史は、私たち一人ひとりの体に刻みこまれている。それは確かな事実だろう。そこから物事を考え始めねばならならない。そうすると確かに科学技術の発展は目を見張るものがあるが、人間の種としてのヒトの人体の進化は殆どどうだろうか、そして脳でさえ巨大化が重要だとすれば、平均1400gから増加しているだろうか。2000年前に生まれたイエス・キリストを神とするなら、それを学んだ成果とはなんであろうか。マホメットや仏陀を超える人が、その後出ないのは何故だろうか。人間としての本源的な力が増しているだろうか。哲学は進化したか。 ・少なくとも人間誕生の軌跡が証明ができたとしても、それは人間にとってこれまでの数世紀にわたる、あるいは数10万年かけた歴史の蒙昧を浮き上がらせるだけではないだろうか。だが、ネガテイブ・マインドをどれだけ寄せ集めたところで人生の否定でしかないだろう。何も、破壊してしまえというのではない。拡大解釈をやめて等身大で人間を見、やってきた歴史を見直さなければとんでもないことになるのではないかと心配するからだ。少なくとも間違っている政治がおこなわれ、人間の本来持っている正しい進化というものがないとしても、その進化とは何かを知り、真実を明らかにすることが大切なのではないだろうかと思うからだ。 ・へ2・・・善悪を決める権力は誰が決めてきたか。そも善悪とは何であるか。その境界はその時代の持っている人間たちの判断力でしかなかった。そしてローマ人と私たちの理性の違いはそれ程進化したとは言えない。環境の違いでしかないのだ。喜怒哀楽が進化しているわけではない。もう数100年も同じ「わからない」を繰り返してもいる。ポアンカレ予想を解く力のないものが彷徨い続けているだけではないだろうか。人間は凡庸化するためだけにあるのではあるまい。 ・私たちは何かをリピートするだけのためにだけ生きているのではない。その繰り返しのなかから新しいものを見出し、さらにそれを追い求め、知り、生かさねばならない。それが進化と言えるか、どうかは子孫たちが決めてくれるだろう。 ・へ2・・・忘却の彼方に消えていくものがあり、それがどこかに残っていくものがある。その証人としての役割が私たちにはあるに違いない。 今朝は雨になっております。ウオーキングはできそうにない。午後からは雨も上がる予報ですので、それに期待します。上の写真は、昨日古賀市のふるさとの森づくりの地
2010.04.26
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知識はツールでしかない どんな知識も知恵もTPOで、使い方を誤ると陳腐にもなる。知り過ぎて身を滅ぼした人は多い。何が、自分を活かしているのか方向を誤ると命取りになる。如何に、自分を知ることが難しいかは、措かれた社会環境の客観的把握が人間社会の難しさでもある。ひとは偏見と高慢に陥り易いからだ。深刻に考え過ぎると、すべては暗黒の世界になり、軽薄だとバラ色にも見えてしまう。人生の針は極端に振れやすい。まだ種としてヒトの誕生の機序を解明できない。 ・いまある知識も、次の瞬間には非常識にもなる。常識も中てにならない。有能だった人が突然のようにアルツハイマーにもなる。知識の蓄積も一夜で徒労にもなる。ジョギングをして健康を誇示していた人が、そのために怪我もするし、そのために突然死もする。自社のビルの長い階段を毎日昇り、良い運動だと云っていた社長がそのために倒れてしまった。知識が自分の寿命を縮めることだってある。4月は雨などがあったが何とかやり繰りしながら歩いて、 昨日で、今月(4月)累計664,303歩。 ・へ2・・・今日も含めあと4日間あるので、合計で9万歩いけば、月度の新記録になる。歩くのは手段であって目的ではない。歩く理由はある。その知恵は自分には貴重なものだが、縛られると自縛にもなる。知識はツールでしかない。諸刃の剣になる。高慢でも、偏見でもひとは誤りを冒してしまう。これまで正しいことばかりしてきた人間も、一つ誤れば、間違う。
2010.04.26
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ホメオスタシス 「ホメオスシス」と命名したのは、ウォルター・キャノンで「恒常性」と訳されている。アントニオ・ダマシオは、その著「生存する脳・・・心と脳と身体の神秘」の中で「進化の過程では、脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体のない生物は存在しなかった」と述べている。人間の感情も合理的な思考もW.E.も「生存」があって創めて可能なのだ。生物の体内にある器官が、外部環境の変化に応じて、内部環境を一定の範囲に保っていることを「ホメオスタシス」といい、その維持には「情動」が重要な役割を担っている。ダマシオは、脳内には、内部環境を評定するシステムを持ち、評定が悪いときは、ネガティブな感情が起きるという。そして行動や理性という高次脳機能もその評価に対して改善を誘導するのだ。それは、そうすることが生存する確率が高まることを意味している。「情動」は、人間にとって未来予測やW.E.をする上でも重要なポイントになるものだ。脳科学の研究の成果は、殺人や社会問題に対する解明に役立つはずだ。
2010.04.26
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バスハイクGWで車の多い時に出かけるのは久しぶり。今日切符が届いた。今年の正月に初めてお伊勢参りをしたが、同じ年に、今度は天孫降臨の高千穂に行くとは思わなかった。何かパワースポットか何とか?流行りなのかどうか知らないが。娘の会社の配慮で、何か船旅は待遇が好かったようだ。今度は、別の会社であり、娘は、GWは別行動。処が、どうも天候が怪しいようだ。 ・今日も、31,000歩。順調だが、明日は雨らしい。月度の新記録を狙っているが、そうは問屋が卸さない。バス旅行と云えば、大学の現地学習でここ数年出掛けているが、自分で運転するのと違いのんびり写真が撮れるのが嬉しい。昨年は秋月で、一昨年は、山鹿市に行ったが、殊に料理が中々だった。普段粗食なので外食が旨い。 ・へ2・・・今度のバス旅行でも弁当が出るらしい。自分で作る弁当よりは、少なくとも旨いのではないかと期待している。一人旅は気楽で好いが、今度は妻が隣にいるので、どうなる事やら。まさか国内旅行まで一緒に行くとは・・・。
2010.04.26
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人の感情は複雑だ。「ひとは悲しみで死ぬ動物だ」という本を読んだことがある。ひとは惨めであり、時に悲惨であろうか。ひとの生きざまは時々そのように思えるのは紛れ無い事実だろう。ひとのコンセプトは必ずしも一致してはいない。殆どの人は、明日自分が死ぬことを予想してはいないように思える。或いはそれは外見からはそう見えないだけだろうか。それほど人間は解り難いのかも知れない。 ・人の思いを一言で表現することはできないだろう。何度も繰り返される人間物語は、いまだに続いている大きなテーマでもある。ひとは、何かに躓いて死んで行くだろう。それを挫折というだろうか。死ぬことは挫折だろうか。どこかで何か不安を持ち続けながら生きてもいるそれが何れ現実になる。その恐怖に怯える老人たちは段々夜眠れなくなるのではないだろうか。何度も目が覚めて、自分が生きていることを知って、ほっとし、そしてこの世との別離を想像し、何度も別離を思うだろうか。「人は死ぬのが悲しいのではない、この世との別離が悲しいのだ」というフレーズを思い出している。 ・へ2・・・「何か言いたいことはなかったのだろうか?」。志なかばで死んで行ったのではないだろうか。それが即惨めとは限らないが、怨念がないとはいえない。生きている者たちがやがて感じるだろう終着は、死を以って購われねばならない。 人は誰も、さまざまこの世に執着し、裏腹突然に、この世から断ち切られる。
2010.04.26
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。
2010.04.26
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ふるさとの森づくり 九電の「ふるさとの森づくり」という事業で古賀市も参画したのだろうか、「古賀市 10万本 ふるさとの森づくり」という看板が出ていた。昨日、宗像大社の帰途、立ち寄った「コスモス広場」が、意外と近いし、買物や、散歩も出来そうなので、夜雨が降るかも知れないと云うので、昼間少し歩いておこうと出掛けてきた。車で、約7キロ余り。広い駐車場に車を置いて、ぶらりと周辺を歩いていたら、上記の立て札に出会った。 ・「森づくり」は、平成19年にスタートしたらしく、すべて完成したわけではないようだ。それでも、色んな施設も完成している。ウオーキングをしている人もいたので知らないのは私が、隣町だからでもあったのだろうが、教えてくれたのは娘で、娘の友人は以前から話をしていたらしい。「コスモス広場」の造りは「道の駅」そっくりだった。ひとまわりしたら、7千歩だった。どうやら、季節になったら、ホタルも見れるようだ。どうやら何とか遺跡のあったところらしい。グラウンドもあり、昨日の日曜日には大勢のひとも来ていたようだ。 ・へ2・・・九州のあちこちに「ふるさとの森づくり」ができれば嬉しいことだ。大規模なものでなくても、小さな森でもよい。人と森は切っても切れない長い歴史の由来がある。人は森の中で生まれたのだ。先祖は木の上で暮らしてもいた。古賀市には、通院している病院があり、2か月毎に出かけているが、その少し遠回りにはなるが、その途中にあり、これからも近くで森の中を歩けるし、好い散歩コースが出来たと歓んでいる。
2010.04.26
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タイの文化と日本の文化は比較したら面白いと思う。そういう研究も恐らく沢山あるのだろうが、これまで関心がなかったので読んだことはない。タイはプライドが高く、独立心のある国家ではないだろうか。大抵看板はどこの国家も英語表示が普通だが、それが少なかったのはベトナムや中国と変わらない。自立心が確りしているのではないだろうか。どこの国家にも優れたところと、そうでないところがある。その特徴をどう活かすかだろう。それは個人でも言えることだ。 ・自分の弱点を知らないものは、いつか行き詰る。行き詰ることを未然に知って行動できるのとできないのとでは結果は大いに違う。足りないものを補おうとして西欧は科学の進歩を遂げもしたのだ。怠慢が人間を敗残者にする。「一病息災」という。病のあるものが寧ろ生命を完遂するかも知れない。 ・へ2・・・弱点を克服するには努力が必要だ。病人であれば、それも健常者以上に努力をしなければならない。それがまたエネルギーにもなる。マイナスはプラスに向かう契機にもなる。どんな人間が生き残るのだろうか。それは未だ誰も知らないのだ。只言えることは、恐らく生きることに飽きない人であり、エネルギーのある人だろうと思う。
2010.04.26
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タイも東南アジアの一国でもあり、車窓からみる風景は、どこも似たところがある。ゴミゴミした感じもするが、鳥渡街を出ると、宏大な自然がある。道路沿いは埃で汚れていても、新鮮な空気に包まれたスペースがあるのだ。そこの土地で生きている、暮らしをしているのは土地に馴染んできた生物がそうであるように、環境に適応してもいる。他所者を退ける力があると言えるのかも知れない。それは時には灼熱の大地だったりもする。濁った川も他国の人間を拒否する武器にもなる。 ・アユタヤは14世紀に開かれ、17世紀に全盛を誇ったアユタヤ王朝があり、日本人町もあった。(1355~1767)。その後トンブリ王朝、そしてチャクリ王朝(1782~)へと変遷した。タイは日本と同盟を結んでいたが、一方で連合国とも裏で通じていた。これが戦後の敗戦国の処理を免れ、国連の敵国条項に名を連ねることもなかった理由だ。大戦終結後、ラーマ8世は王宮内で殺された。真相は究明されないままだ。タイは国土の一部を割譲して列国の植民地化を回避している。国王ラーマ9世の外交のパワーが底辺になるのだろう。 ・へ2・・・たとえ二重外交と言われようとも、国益のために中立を貫くのは、スイスなども同じではないだろうか。パワーがない国にはできないからだ。戦後も日本に対して友好的な交流を続けている。タイの経済と日本の経済が強い絆で結ばれてもいる。それも国王に対する国民の心情が深くかかわっているのだろう。そして、やはりそのなかでも貧富の差が問題でもあるのだろう。問題の所在が、現代における国民の宗教観がその根底にある。
2010.04.26
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得てして若いころは勘違いして飛躍した考えもする。抑圧された社会では殊に顕著でもあるようだ。目立った人を安易に甘やかす社会も悪い。二階祭上げて梯子を下すようなことをする。実力もないのに実力以上の期待をかけられて沈んでいく。学生の誇大妄想はひとつの通過儀礼のようなものでもある。偉大な人物の話を色々聴いて、自分もその一人のように想像してしまう傾向があるのだろう。 ・そこに至るプロセスが一番問題であるが、それを省略してしまえば何ということはないことにもなるからだ。原因と結果の間には、長いプロセスがあるからだ。ひとの業績も、年譜にしてしまえば殆ど1ページにも満たない。「吾輩は猫である」も、作者に気負ったところがある。堀辰雄にも思い上がったところを感じる。若いからでもあるのだろう。みな同じかもしれない。猫が部屋の中で高いところに登りたがり、上から人間を見下ろそうとしているのに似ている。 ・へ2・・・我慢できるものであれば、それは仕方がない。そういう形質は誰にもあるからだ。表に出すか出さないかでしかない。いつまでも、その思い上がりを棄てられなければ自滅もする。色香が、いつまでも通用しないように、才気も一瞬のことでしかない。人生も野草の露に同じだ。
2010.04.26
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最近のPCが重たくなったのは、整理をしていないからで、それは写真とか、色々で、何を何とかしなければならないわけで、脳内の交通整理が麻痺しかけていたりで、脳委縮もあるのではないだろうか、とか。心配もしなかったけど、娘も帰ってきたし、自分ではわかっているつもりのものもお荷物になってこないとも限らない、とか。それにしてもGWのラッシュも始まっているというのに、冷たい目線のいたりする。まだ夏でもないのに裸になる奴もいたりで、鳥渡変な世の中。総理が党利党略でもないでしょう。選挙日を何と思っているのだろう。こんな姑息な男は見たことがない。 ・そんな風だから、国家権力も脳性マヒを起こしてしまう。外交交渉の強かな戦略さえ立案できずにいる。一番にこの世界不況を乗り切って見せると見栄を切ったのは誰だっただろうか。韓国では、回復の兆しが見えてきたと報じている。本当かどうかはまだ分からないが、中国もそれほどのダメージではないらしい。これもまだ疑問はあるが、それにしても挙党一致で取り組まねばならない時に党利党略でもないでしょう。 。へ2・・・どうも<ババ引き>を選挙民は続けている。そうしている間にGDPは悪化の一途をたどり、世界から取り残されていく。他国の援助どころではない。台所に火が付いているというのに、それにさえ気付かない。カネをばらまくことしか脳のない人間では、お先は、真っ暗だろう。また、言いたくなりました「オタンチン、パレオロガス!!」 >宗像大社
2010.04.25
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軽く視てしまう癖 慣れると云うことは「恐ろしい」ことでもある。段々生きている事が何でも当然と思うようにもなる。簡単にできるとついそれが当前にもなる。そしてそのことのゆえに失敗もする。成功のゆえに没落する。遣らなければならないことが結構あるが、つい目先のことに目を奪われてしまう。漱石も遣らねばならないが、「堀辰雄」の次回予定の分も読まなければならない。5時から朝食もしなければならない。そのあと朝のウオーキングに出かける。自分で決めたことだが、日課だから仕方がない。 どうも物事を軽く視てしまうようだ。 ・毎日のことが矢のように過ぎてもいる。これで好いのだろうかと思わないでもない。出来るうちしかできないのは確かだが、抜けている事は沢山あるだろう。他人のことはあまり心配しないことにした。出来ることは遣るが、出来そうにないことが多過ぎることもある。他人の力を借りてしたことが、自分の力ではないことは昔から感じていた。人の存在は余りにも小さい。何でも軽く見てしまう傾向がある。それはエゴイズムもある。個人主義の定義は、人によっても違う。 ・へ2・・・他人を軽く見るものは結局、自分も軽くするだけだ。大きなテーマに向かわなければ、小さな存在でしかない。関心のあることが自分のレベルでもある。固執すれば、その殻の中でしかない。準拠枠をどれだけ拡大できるかで、その人も価値も違う。自己保存で終わるのか、そうでないかは、出てきた結果でしかない。暖かくなり、ノートPCを、キッチンテーブルに持ってきて、お茶したり、料理したり、本を読んだりしている。これまでは電気こたつを机にしていたが、この方が都合がよい。いつでも運動が出来るからだ。いまいくつかの・・・「ながら族」で、得意の? 人参と牛蒡炒めを作っている。
2010.04.25
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幸福の時はいつか? 「無事」とは、「ことがない」。「事」は、何かあるのであって、良いこともあれば悪いこともあるが、大半悪いことが起きると普通思うのだろう。それだけ、人生を彩る様々な出来事は、人びとに喜びを与えなかった。人生は、四苦ともいう。生きることが「苦しみ」でもあるという。好いことより、むしろ悪いことを考えておく方が、起きた時にパニックにならない。世間では、人を見たら泥棒と思えが、世界の常識だと云われもする。最悪のケースを考えておけば、・・・という先人のフレーズもあるくらいだ。 >鹿児島本線 ・朝、起きて、すぐブログを書くことにしている。目が覚めて、タイトルを何にしようかと考える癖が出来てしまった。今日は、「幸福の時は、いつか?」だ。「無事」が幸福の時間かも知れないと思った。それが現在ではないだろうかとも。これまでにも、そういう時が何度もあったに違いない。その時はそれと気づかないでいたかも知れない。目先に大きな苦悩もなく、苦痛もなかった時はあるからだ。昨日も、あちこちに出かけて、行楽地などでは、若い親子連れで、小さな子供たちを見かけたが、天真爛漫の笑顔だった。 ・へ2・・・親たちがどれだけ苦労して子育てをしているかなど関係ない子どもたちの笑顔を視ていると、みているこちらも笑顔になる。幸福な気持ちにさせてくれる。そういう時間を呉れている事を有難いとも思わない頃が、私にもあった。それもある意味幸福な時間でもある。この笑顔をみて親もその反射で幸福感を覚えたりする。人の視点によって、人生も違った感想にもなる。苦しいと思えば苦しい。然し、それを克服するために「たいしたことではない、何でもない」と、思うことも出来ない訳ではない。自分を幸福だと思うことも必要だ。本当に苦しい時もあるからだ。
2010.04.25
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stress 精神的・肉体的刺激によって生じる心身のひずみ。また、そういう刺激。謂わば、私たちの日常はストレスに晒された生活を送っている。刺激のない生活はないのであり、もし、ないとすれば、日常から離脱した時だろう。併し、心身のひずみとなると心身はひずみによる影響を受けてしまう。これほど病気が蔓延する所以でもある。若いころと老年期ではその闘いは違っても来る。平時と戦時でも違う。一人として同じ環境というものはないのだろう。全く同じ人生というものはない。 ・ダーウィンの悪夢 Darwin’s Nightmare のDVDをみて、あのEUの良心というものの真実を見た思いがした。そして、日本も同じなのだろう。話はナイルパーチという外来種の話から始まっている。 <ナイルパーチ>は、1954年に、乱獲を原因とする固有種の漁獲量の激減を中和するために、アフリカのビクトリア湖に導入されました。この魚は、他の種を捕食したり、餌の競合を通して、200以上の固有の種を絶滅させました。 ・へ2・・・飢餓に苦しむ人たちの日常は、とても日本に住んでいる私たちの想像では考えられないほど悲惨なものである。それを考えさせられた。飢餓の中で生きて行かなければならない苦しみは、私たちが経験している苦しみと比較することはできるものではない。そういう意味では、まだまだ真剣さにおいて及びもつかないものであろう。自己嫌悪になるくらいでは済まない。自分を甘やかせてはならない。それでもなお、国を愛する人たちの歌が悲しく響いた。
2010.04.25
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今日は、32,088歩 少し遊び過ぎているようです。どうも早く眠くなって困ります。今日は晴天で、暖かくなり、和白干潟や、宗像大社、蓮華見物や、道の駅にも。終わりかけのハナミズキも見たし、結構楽しみました。夜のウオーキングをして帰宅したところですが、オーバーウオークにならないようにしています。無理をしない。少し歩いた後は、ゆっくり歩いて「ギガビート」で音楽を聴いたり、テレビで「龍馬伝」を見ながら歩いたりします。 ・楽しく歩くのをモットーにしている。でなければ長続きしない。自分を飽きさせないためには、気分転換しながら遣っております。なまけものですから。 年月日曜気温起床 歩数2010/4/1木16 5;0020,5282010/4/2金12 2;4025,1132010/4/3土6 5;3027,1322010/4/4日6 3;4022,1512010/4/5月15 3;3023,6232010/4/6火12 3;1050,1322010/4/7水13 2;5024,4292010/4/8木7 4;0024,6512010/4/9金11 2;1722,0412010/4/10土12 3;0024,2252010/4/11日16 2;3022,7482010/4/12月12 6;1020,3422010/4/13火13 2;3025,8532010/4/14水9 2;3026,3332010/4/15木7 4;1526,1212010/4/16金8 1;0535,1122010/4/17土8 3;308,3842010/4/18日9 3;1031,4842010/4/19月16 4;2020,1412010/4/20火14 3;5022,1822010/4/21水15 2;3021,4282010/4/22木15 2;5026,5122010/4/23金12 2;2023,7932010/4/24土10 2;0026,6692010/4/25日93;5032,088合計 633,215
2010.04.25
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<作品> 「それから」・「それから」予告。(M42.6.21) 朝日新聞。・「漱石日記」が重要。・「アンニュイ」は、行為を引き寄せる。然も危険な行為になる。(非道徳)・「檸檬」と「それから」の共通性。 「檸檬」の結末と同じ箇所がある。・「それから」は、代助は、神経を病んでいる。生の不安。・眠りから覚める。漱石には「門」にも同じ場面がある。特別の意味がある。・他人の妻を奪うという設定。他にもある。・実篤 「自然と社会の対立」(背反)・「それから」・・・運河にたとえた。・「それから」は、構想通り書いている。成功作。・「門」は失敗作。・「それから」の主人公に当時の若い人たちが共鳴した。親との対立。・世紀末の文学の表現形式アンニュイ(倦怠)が行為(危険な)非道徳。・当時の若者に受け入れられた。他人の妻を奪う。・生活欲・道義欲の対立・・・こういう時代から代助はアンニュイに陥る。・何故漱石は、「代助」を書いたか。百も承知で書いている。・親の脛かじり。何故働かないのか(平岡)。主人公にしたか?・「小人閑居して不善を成す」・三千代に対する思いは自然ではない。激化しないと恋愛はできないか。・漱石の主人公は、「行為」を失っている人物。(男)。漱石に意図がある。・インテリは行為できない。インテリ向きの小説。そういう人間もいるのも事実。・分かりやすいようには描かない。漱石は、恋愛至上主義ではない。・漱石は、懐手の生き方ではない。それが何故代助を書いたか。・吉本隆明。妻を奪う行為。姦通。・読者が、代助贔屓をつくるために平岡を悪役にした。フェアーではない。・代助と三千代の恋愛。平岡を悪く書いている。同情されるように書いている。・結末・・・最後を書いてない。憶測でしかない。狂人になる?異常な結末にしただけで狂気に入っていくことを意味しない。・二葉亭訳 アンドレイーエフ「血笑記」結末が似ている。・生の不安の表現。・・・赤に象徴される。椿の花。赤。 堀麦水(近世の俳人) 椿落ちて 一僧笑ひ 過ぎゆけり・鈴蘭・・・根に毒がある。漱石はそれを知っていた。・椿・百合。不安。・代助・・・だけが、「誠」が抜けている。 誠之進・誠吾・誠太郎(「中庸」)・誠の道。これを誠にするのは人の道なり。・社会道徳に背く・・・代助。・「三四郎」 草カンムリに「長」の語源を調べると思いがけない意味がある。
2010.04.25
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陽気に誘われてまた家族でドライブして来た。結局宗像エリアのドライブになった。宗像大社の境内を歩くのは広いので結構歩数が稼げる。忽ち朝の分を入れて2万歩になった。未だ行っていない古賀市の郊外にできた大型直売店を覗いてきた。周辺には蓮華草が満開だった。スポーツ施設もあり、周辺は散歩コースには最適の場所でもある。宗像といえば元々田園地帯の風光明媚なところでもある。沖の島が世界遺産にでもなったら、途端に観光客があふれるコースにもなるのだろう。 ・春になったら、途端にドライブの日が増えてきそうだ。来週は義母の見舞いに玉名に行くし、GWには高千穂にバスハイクしてくる。4月は大学の入学などで、講座も少ないが、5月からは色んな講座が始まる。ドイツ人講師の集中講座もある。体調も良くなり5月の定期検診もないので大いに羽をのばしたいと思っている。勉強を気合を入れた頑張りたい。気持だけは大いに、ある。 ・へ2・・・口だけでなく。頭と身体も多いに使って、呆けないようにしたいものだ。忙しくて呆ける暇もないほうがいい。くよくよしていても仕方がない。今月は頑張って、歩数の月度の新記録でも達成できればと思っている。 >宗像大社・濱津宮。
2010.04.25
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・沢庵から大根の糠漬けを「たくわえ漬けです」とふるまったところ家光が「これはたくわえ漬けではなくて<沢庵漬け>」だといった。沢庵が一休のようにとんち和尚であり、庶民に親しまれていたことをしめしている。しかし沢庵は大徳寺の僧であったことは、代々反骨の僧でもあったことを物語る。 ・そもそも大徳寺は大燈国師を開祖とし、彼は正覚(禅の最高の悟り)を得た後、五条の橋下の乞食の群れに身を投じたと噂されるほどで、足利幕府の京都五山のような保護は受けずにいた寺であり、反骨精神の寺でもあった。大徳寺の僧で、兄弟弟子を痛罵し、あえて盲女森侍者との情交したといわれる一休、秀吉の寵愛を受けながら最後に反抗して殺された千利休、大徳寺が廃亡に追い込まれるや、使いにきた家康らを懐剣を忍ばせて説得し、大徳寺を危機から救ったといわれる古渓宗陳など、日本文化史に輝く反骨の僧たちの寺でもあった。 ・へ2・・・沢庵の出生の秘密がある。「萬松祖録」という沢庵の伝記によれば、沢庵は実は父秋庭綱典が留守をしているときにできた子であるという。父の詰問に母は、自分が肌身離さず一寸八分の青銅仏をもっていたからだと弁明した。父も納得し、ますます仏教信仰の心を強めたとある。さすがに「萬松祖録」もこの話を妄言とするが、沢庵は武士の長男でありながら幼くして出家させられた。二千首におよぶ歌を詠みながら父母を詠う歌がないのはこの噂も無視はできないだろう。それにしても、日本にも肝の据わった女性がいたことだけは確かだろう。沢庵は死や流罪をおそれない強い自立の精神があったのは言うまでもあるまい。
2010.04.25
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GWの高千穂バスハイク 高千穂にバスツアーの予約が取れたようだ。妻と二人で行くことに。義母入院のことがあって迷走していたが、GWだけは決まった。6月に海外ツアーに出かけており、今年はインドの予定をしていたが、どうも妙な雲行きになっていた。暫く義母は入院しているらしいので、もう一度近く行く予定にしている。今日は久しぶりに晴れ上がり、暖かい。ぶらりと和白干潟を周ってきたが、大潮のようだ。日曜でもあり、潮干狩りの人たちがいた。アサリが採れるが昔に比べれば環境も悪化しており、数は減っているが、それでも人は集まるようだ。 予定では、 博多駅・・・通潤橋・・・天岩戸神社・天安河原 何度も高千穂には行っていますが、バスは初めて。写真が撮れるのが楽しみです。 >和白干潟。
2010.04.25
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