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いえの鍵を落としてしまった昨日雨が降り出しそうなので、朝のウオーキングを中断して、一旦帰宅して、デジカメを家においてから、紐に付けたキーと携帯用の傘を持って家を出たが、どうやら、サングラスをかけていたこともあり、夢中で歩いていたらしく、はっと気付いた時には、手に持っていた筈のキーがない。慌てて引き返し、もう一度自転車で同じ道を観て回ったが出て来なかった。 ・もしやと近くのJRの駅に落し物を訊いてみたがないという。どうやら似た者夫婦で、妻も実は先日行った宗像大社で家のキーを失くしていた。これは電話で拾って呉れた人がいたらしい。どうやら私の場合は、時々強く手を振って歩く事もあり、その時でも傘をもっていたこともあって、外れたらしい。其の事に気づかないのは感が鈍くなってもいる。 ・へ2・・・妻のキーもないので娘から嗤われながら、借りている。今朝はウオーキングの時にもう一度探して見るつもりだが、よほど見えない処に飛ばしたようだ。スペアーを作れば問題はないので、それほど困っているわけではないが、落とす筈のないものを落としたことがショックでもある。自分で余計な仕事を増やしているようだ。
2010.07.31
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路傍の石現在の社会で、商品価値のないものは、無視され軽蔑される。人間の存在もその影響を受けている。稀少性がなければ価値もないとされる。よく犬が人を噛んでも話題にならないが、人が犬を噛めば・・・といわれたりする。人の驚く事をしないとニュース性がないとも。はたして「路傍の石」では、話題にはならない。然し、そうとばかりは言えない時代になるかも知れない。路傍の石が、社会的価値がないとは言えないからだ。新時代のキーワードというものは、固定観念ではありえないことが、時代の変化の中でこれまでも起きている。 ・栄枯盛衰は、身近の問題でもある。親は瞬く間に去り、子の時代になる。其の子もいつか老いて行く。やがて孫ができるだろう。親は、いつの間にか消えてしまう。そして、今度は子の番である。鏡に映る自分の顔を観て、親の顔と重なるようになる。中学の時読んだ「路傍の石」を思い出す。それこそ其の「路傍の石」も、話題になることはない。題名だけは覚えているが、その内容までよく記憶していない。こんどWEBで読んでみたくなった。 ・へ2・・・本当は、何が問題の所在だろうか?それは、その時の個人の問題であり、社会の問題でもある。「阿蘇エコパーク」を現地見学してきて、それこそ、貴重な石がいくつも大地にあることを知った。太古の昆虫がまだ阿蘇に生息しているかもしれない。視る眼を養いさえすれば、この世の中も違って視えてくるに違いない。商品価値は人間が生み出すものであり、時代がつくるものでもある。発見する旅に出かけよう。>阿蘇ー4 の時できた「ポットホール」 (小国の下城滝下流で)。
2010.07.31
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あまり顔もシンメトリーではない。あまり器量が良くないので棄てられたのではないかと、家のものの意見である。そういうこともあるのだろうか。公園に捨てられていたのを小2の女の子が拾って、親から育てるのは駄目だと言われて、猫好きの妻がそれを貰ってそだてるというパターンである。丁度10年以上いた猫が春に死んで、妻はそれに代わる愛情の対象を欲しがっていた。其れで、矢鱈と餌を家の前に来た猫に与えるので、猫たちが寄ってきたいた。近所から苦情が来るのではないかと。好きな人は嫌いな人の気持ちがわからないらしい。 ・不潔で、汚いという気持ちもわかる。それこそバイ菌の総合庁舎でもある。最近野菜を庭で育て始めるとあちこち身体が痒くなったのは色んな生物が押し寄せているからだろう。ダニもいる。何かをすれば何かも来る。作用には必ず反作用がある。するから何かも付いてくる。然し、何かをしないで生きてはおれない。困ったものだが、生きるとはそんなものだ。花火大会があるが、愉しいが、終われば寂しくなる。祭りのあとの寂しさは身に沁みる。 ・へ2・・・愉しく人生を過ごした人ほど、死ぬ時はその分余計寂しいに違いない。悟りをひらいた坊さまは、死ぬ前に数か月絶食をして死んで行ったという。だから静かに往生もできるのではないだろうか。醜いかどうか分からないが、我が家の子猫は、みんなから可愛がられている。私はまだ友達になるかどうか決めていない。子猫がブスだとしても私には関係がない。こねこが私の「Kai」(南風)になってくれるはずだ。
2010.07.31
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7月 最終歩数実績 年月日 ようび気温 起床 歩数2010/7/1 木 23 2;05 29,0792010/7/2 金 25 4;10 31,3112010/7/3 土 28 0;00 20,2572010/7/4 日 24 5;05 21,9292010/7/5 月 23 3;35 24,6502010/7/6 火 25 2;55 28,0282010/7/7 水 24 2;50 32,8052010/7/8 木 24 4;00 26,1642010/7/9 金 25 2;50 27,8352010/7/10 土 24 4;30 21,9342010/7/11 日 26 4;00 20,5072010/7/12 月 27 2;50 10,1352010/7/13 火 24 3;05 12,2382010/7/14 水 24 2;35 20,4432010/7/15 木 24 3;05 31,0542010/7/16 金 24 5;30 24,0202010/7/17 土 24 5;03 22,1312010/7/18 日 26 3;30 25,7012010/7/19 月 27 2;05 27,2412010/7/20 火 27 3;55 21,7452010/7/21 水 25 4;30 21,3932010/7/22 木 27 4;31 20,5482010/7/23 金 26 3;35 24,0752010/7/24 土 26 3;33 26,7372010/7/25 日 26 3;33 24,7502010/7/26 月 26 2;33 25,0842010/7/27 火 27 5;05 22,1252010/7/28 水 27 1;00 18,5222010/7/29 木 26 3;20 27,6592010/7/30 金 28 3;48 27,0382010/7/31 土 29 4;45 31,505合計 748,643年月 歩数 日数2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月 635,399 312008年11月 562,374 302008年12月 629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月 749,592 312009年11月 682,170 302009年12月 683,681 312010年1月 675,525 312010年2月 637,727 282010年3月 735,903 312010年4月 778,075 302010年5月 814,547 312010年6月 780,407 302010年7月 748,643 31合計 17,768,973 837
2010.07.31
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花がつぼみを破るのは何故か。果実が花弁を散らすのは何故か。熟した種子がさやを壊すのは何故 か。それは、先行するものが残り続けたら、後続するものが存在し得ないからだ。先行するものが尊大 であれば後続するものがいつまでたっても現われないことになるだろう。 完璧でないから、引き継がれるし、進化もあるのだろう。多くの存在は、帰結のための前提だろう。 つまり、前提は、帰結というものこそ前提のあり方を正しく解明し発展させ完成させたものだという、まさ に帰結のもつ意義を否定しようとしている。前提の方が帰結の存在権を否定している。娘が母に対し て恩知らずなのではない。母の方が娘を認知しようとしない。根底においては、娘の方に高次の権利が あるだろう。以前のものが利己的なのは、それが自己は欲しているが発展を欲しないからである。 「認識の鍵を有すれども、なかに入らず、また入らんとするものを妨げている」 (ブルーノ・バウアー「ユダヤ人問題」より)>釜山港
2010.07.31
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・意外と厄介に思い煩わしく思いながら自分のエリアから離れられずにひとは死んで逝くのだろう。西太后も子孫から見れば偉大な人なのだ。一般の話とは随分と違う。当時西欧人とは多くの中国人にとって、「毛唐」どもでしかない。李来中は義和団を前にして檄をとばす。 「・・・長年にわたり西洋の奴らは我らの土地を侵略し、いわれもない理由で無辜の同胞の命を奪ってきた。奴らは宗教を利用して我らを愚弄し脚下に踏みつけて、いばりちらしてきたのだ。・・・朝廷では皇太后陛下が我らを支持され、・・・赤子の如き素直な心で朝廷への帰服を受け入れ、官軍とともに奴らに立ち向かい、我ら血を持って我らの大地を守り抜くのだ!」 ・少なくとも八カ国連合軍を前にして、当時の中国人たち統治能力を失っていた。大清国は崩壊の寸前でもあった。権力者が換わるたびに歴史も変えられた。それは史実に基づかない歴史でしかない。それでも語られることばはすべてが間違いではないだろう。だがそれは一部の話であって総体ではない。ラストエンペラーにも視点があったというだけだ。 ・へ2・・・当時も紫禁城では、皇帝だけでなく、数千人の宦官や妻や女官たちの存在は不気味である。それは歴史的所産であろうが、それを支えた人々のことを忘れてはならない。それが原因であり、その歴史的史実や結果を招いただろう。恐るべき歴史観だ。 「替天行動、扶清滅洋!」 ・日本では「尊王攘夷」だろうか。短いフレーズでアイデンティティを得ようとしたのだろう。中国では、いまもその手法は使われているようだ。まあ小説を読むような面白さがあるが、とても史実とは思えない。>居庸関長城
2010.07.31
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どこまでの健康であるか、ベストではないが、ベターなのだろうが、それでも歩くのが楽しいのは何と幸福なのだろうか。最も安全でカネもかからないし、自分のスペースで人間的でもある。誰もそれができない筈はないのだろうが、中々だ。こう暑いと昼間歩くというわけにはいかない。未だ歩きたい場所があることは幸福なのだろう。私たちの環境は悪化しており、よくなるという保障はどこにもない。私個人としても、明日が、いまより良くなるとは思えない。今という時間はかけがえのないステージなのではないだろうか?そう、思えてならない。これでもまだ、少し長く歩いた方が、体調は良くなる気がしている。日々を慎ましく生きているつもりでいる。運転したり、肥満にならない程度に食事をし、PCで自分の能力に応じた世界で、それらしく生きていたい。
2010.07.31
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ことばを遺す自分の言葉を残したいと願う人は多いだろう。身体は何時か終りが来る。ことばが残ることが出来る。然しその願いは、容易なことでは達成されない。有能な才能だけが活かされているわけではない。偶然の産物が、或るものは幸運の中で残り、他の多くのひとのことばはのこされてはいない。文字になって残るだけではないが、はたしてそれが其の人の言いたいことだったかでもある。日記は其の人の記録であり、それがどんな意味であるか後の世までは解かっているわけではない。価値あるかどうかは、その時になってみなければ、誰にもわからない。 ・以前紙に日記を書いていたが、死んで誰が読むだろうかと思うと、どうも気が引け出した。恐らく他の本と同じように、処分されるのが落ちだろう。誰も読んでは呉れない筈だ。父も日記を書いていたが、その数冊が残っているが、どうもその気持ちにはなれない。父とは言え、人の日記とは、その人のためだけのものでもある。ことばでは視えない部分か必ずある。表現力の問題もあるだろうが、ことばは全人格を表現することは出来ないのではないだろうか。 ・へ2・・・にも拘らず、ブログを書いている。一本のラインで描いて、修正しないのが天才だろう。潔いひとなのだろう。凡人はそうはいかない。気分は変わるからだ。迷いながら、何度も線を引く。其のリフレインの中で考えている。猛暑の中で、久しぶりに頭から水道の水を被ってみた。学生時代、そうしていたのを思い出した。真夏の匂いがした。
2010.07.31
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「汚れつちまつた悲しみに」(中原中也) ・・・ 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる・・・作家は何かを表現しようとし、読者はそれを理解しようとする。ストレートに通じてくるものと、その反対側にいる視点もある。その時々で、違う自分がいる。受け手の心が変われば詩歌の響きも違って見える。少年のこころに戻りたいが、戻れない。只最後のフレーズが、いつまでも、消えることはい。
2010.07.31
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人の感情は複雑だ。「ひとは悲しみで死ぬ動物だ」という本を読んだことがある。ひとは惨めであり、時に悲惨であろうか。ひとの生きざまは時々そのように思えるのは紛れ無い事実だろう。ひとのコンセプトは必ずしも一致してはいない。殆どの人は、明日自分が死ぬことを予想してはいないように思える。或いはそれは外見からはそう見えないだけだろうか。それほど人間は解り難いのかも知れない。 ・人の思いを一言で表現することはできないだろう。何度も繰り返される人間物語は、いまだに続いている大きなテーマでもある。ひとは、何かに躓いて死んで行くだろう。それを挫折というだろうか。死ぬことは挫折だろうか。どこかで何か不安を持ち続けながら生きてもいるそれが何れ現実になる。その恐怖に怯える老人たちは段々夜眠れなくなるのではないだろうか。何度も目が覚めて、自分が生きていることを知って、ほっとし、そしてこの世との別離を想像し、何度も別離を思うだろうか。「人は死ぬのが悲しいのではない、この世との別離が悲しいのだ」というフレーズを思い出している。 ・へ2・・・何か言いたいことはないかと考えてしまう。やはり惨めに死んで行ったひとたちのことが思い出される。志なかばで死んで行ったのではないだろうか。それが即惨めとは限らないだろうが、怨念がないとはいえない。生きている者たちがやがて感じるだろう終着は、死をもって購われねばならない。人は誰も、さまざまにこの世のことに執着し、突然この世から断ち切られる。>小国鍋ヶ滝
2010.07.31
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鼻歌を唄いながら声を出して歩く事は、遅筋を使うことになる。呼吸を整え中ら歩くことでもあるからだ。山登りで疲れない歩き方でもある。自分で納得したことは遣ることにしている。ただ歩くだけでは勿体ない。テニスボールを握って指を動かしたり、腕を振って腹筋を動かしたり、鼻歌を唄うというのは息を吐く事であり、目指している肺の運動でもある。 ・ところが鼻歌なるものを歩きながら唄うというのは、意外とやったことがない。まず歌を知らない。童謡とか民謡とか、歌謡曲を殆んど知らないというのは、いつも同じ歌を唄うことになる。やく一時間歩くので、熊本の民謡なばかりでも飽きる。演歌でも覚えておけばよかったが、知らない。昔なら、よく藤村の詩集などを覚えていたが、それも忘却の彼方である。 ・へ2・・・何か、歌の本でもと思っている。般若心経は少しは覚えているが、まさかそれを唱えながら歩くというのも、気が引ける。音痴なので、傍迷惑でもあるだろう。ますます人通りの少ない小径を行くしかなくなる。
2010.07.31
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地球が宇宙のミラクルと言えるかどうかは別としても、それに近い存在であることを、漸く科学的に解明されようとしているが、もし、そうだとすると、人間の存在も、そのミラクルの線上にあるとすれば、こうして存在している私たちもミラクルの中である。生きていること自体が、それが、たとえ一瞬の出来事だとしても、ミラクルの歓喜を感じるべきでもあるのだろう。今朝は、二度起きしたので、遅い。 ・ブログに構わず、外は白みは白み始めたので、朝食をさっと澄ませて、ウオーキングに出掛けることにしたい。薄曇りのようだ。生きていることができるということは何とミラクルだろう。日々、新しいことを発見できるということは限りない歓びでもある。一日は待ってはくれない。時間は刻々ととどまることなく新しい時を目指している。
2010.07.31
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主な登場人物が白色人種として描かれているために、欧米の多民族国家においては人種的マイノリティー(ヒスパニック、黒人、アジア系など)に属する児童からの支持が得られ難い[1]との指摘がある。宗教的批判 詳細はen:Religious debates over the Harry Potter seriesを参照 ハリーポッターシリーズは魔女・魔法使いの冒険を描いたストーリーであり、児童文学において同様のテーマ(オカルト)を扱った小説が多数出版される原因となった。本国イギリスはもとより、子どもの活字離れに歯止めをかけ、世界中にセンセーションを引き起こしたとも言われる。そのため、大ベストセラーになるにつれて、神以外に由来する超自然的な力である魔術を罪だとするキリスト教やイスラームの保守派・原理主義者から、『オカルトを助長し魔術を美化する』、さらには『悪魔的で許しがたい邪悪な物語』などと批判を浴びた。(聖書では魔術を罪と明確に定めている)(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 偶々横浜で読み始めた本で、それほど人種問題や、宗教のことまで考えず読んでいたが、ここまで大ベストセラーになると色々あるものである。必ずしも愉しいというばかりではすまないらしい。賛成もあれば反対もある。どうも西欧型の思考が刷り込まれてしまっているのだろう。少し甘いのも確かだ。英語の勉強のつもりだったが、白人社会のはなしではある。 ・然し、殺し合いをしなければ生きていけないはずはない。ローリングは白人であり、自分の環境でのイマジネーションで創作したに過ぎないのではないだろうか。それを責める気にはなれない。寧ろ彼女の経歴が示しているように、シングルマザーが書いた本であることには間違いないのだろう、と思う。 ・へ2・・・横浜での単身赴任の4年間を慰めてくれたのは事実である。そしていつも出かけていたスタ―バックスコーヒーが営業不信で従業員の解雇や多くの閉店をするというニュースを聴いて、なにか一つの夢が消えていくような思いもないわけではない。せめて後味の悪いもになって欲しくないものだ。やっと、熱帯夜も暑さが引いて行くような時間帯になったようだ。
2010.07.30
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言行一致せず。 年月日 気温 起床 歩数2010/7/1 木 23 2;05 29,0792010/7/2 金 25 4;10 31,3112010/7/3 土 28 0;00 20,2572010/7/4 日 24 5;05 21,9292010/7/5 月 23 3;35 24,6502010/7/6 火 25 2;55 28,0282010/7/7 水 24 2;50 32,8052010/7/8 木 24 4;00 26,1642010/7/9 金 25 2;50 27,8352010/7/10 土 24 4;30 21,9342010/7/11 日 26 4;00 20,5072010/7/12 月 27 2;50 10,1352010/7/13 火 24 3;05 12,2382010/7/14 水 24 2;35 20,4432010/7/15 木 24 3;05 31,0542010/7/16 金 24 5;30 24,0202010/7/17 土 24 5;03 22,1312010/7/18 日 26 3;30 25,7012010/7/19 月 27 2;05 27,2412010/7/20 火 27 3;55 21,7452010/7/21 水 25 4;30 21,3932010/7/22 木 27 4;31 20,5482010/7/23 金 26 3;35 24,0752010/7/24 土 26 3;33 26,7372010/7/25 日 26 3;33 24,7502010/7/26 月 26 2;33 25,0842010/7/27 火 27 5;05 22,1252010/7/28 水 27 1;00 18,5222010/7/29 木 26 3;20 27,6592010/7/30 金 28 3;48 27,038合計 717,138年月 歩数 日数2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月 635,399 312008年11月 562,374 302008年12月 629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月 749,592 312009年11月 682,170 302009年12月 683,681 312010年1月 675,525 312010年2月 637,727 282010年3月 735,903 312010年4月 778,075 302010年5月 814,547 312010年6月 780,407 302010年7月 717,138 30合計 17,737,468 836
2010.07.30
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肥料が足りない今年の胡瓜やゴーヤの「緑のカーテン」は、あちこち隙間があいている。どうやら肥料を遣り損なったようだ。今更だが、今日追加しようと思っていたが、図書館に先に行って来たので、肥料を買いに行く元気が出ない。本を借りたついでに、新聞とか、雑誌を読んできた。猛暑もあって図書館の利用者も多い。PCを持ち込んでいるひともいたが、流石にコンセントまではないようだ。どうせなら、提供して欲しいが。電気代も大した消費ではあるまい。女子大では私も利用させて貰っているが、まだまだ一般的ではない。 ・果実が育つには、豊かな大地や、太陽や気温や空気や水や、そして栄養も必要だ。風も吹かないと生育が悪くなる。多くの要件をクリアーする必要がある。文春には「ゲゲゲの女房」の水木しげるの家族の記事が面白かった。テレビも朝の連続ドラマがあっていて、大体毎日観ている。貧しい時には皮が茶色になったバナナを食べたそうだ。20年前、家族で欧州旅行をしてドイツでは、ゲーテハウスも訪れたそうだ。飾らない人柄に好感が持てる。水木氏は現在88歳になっている。 ・へ2・・・科学雑誌の9月号のニュートンでは、「地球」が特集されていた。果たして地球の存在は奇跡なのだろうか。銀河系に9,000億の恒星があるが、砂粒のような地球の生命は、それこそ数多くの微妙な驚嘆すべきバランスの上に存在している。庭の野菜たちにも肥料を遣らなければならないが、私の脳にも肥料が不足している。今度ゆっくり図書館に出掛けて来たい。
2010.07.30
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餌食にできるか? どうも丁寧に読むということができない。その作品だけではなく背景まで。そのシーンは作家がどのようにして想像したかである。ストーリーを創造するにはそれなりの拠って立つ背景がある。他人の作品から盗んできて、それを消化しながら自分の作品に分からないように刷り込む。作品には痕跡がある。それは容易に消えない。自分がそれまで読んで仕入れた知識やデータを下敷きにしている。然し出てくる排泄物には摂取したものが含まれている。個別に切り刻んで、それをインテグレートしていく。 ・一つ一つ作品の分析をすれば充分時間はかかる。それこそ一人の作家を研究していけば、10年間くらいはかかるだろう。もっとかも知れない。とてもあれこれ遣っている暇はない。途中で嫌になるような作家では後悔もする。恐らく何度もそれを経験するだろう。それこそ選択が難しい。「門」で、マクベスが出てきた。英語も勉強しなければならない。遣ることは果てしなくある。好きにならなければ良かったと人間たちは後悔ばかりしている。 ・へ2・・・自分に能力があるかなど、どうでもよい。子猫のように恐れないで動くものに興味を持って、飛びかかればいい。相手がどんな奴だろうとそれは関係がない。そこで自分を試して行けば好い。相手が強過ぎれば殺されるだけの覚悟は要る。自分が餌食になるか餌食にするかだ。
2010.07.30
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消えなければ残らない 母が50歳で死んだ時、死を母が教えてくれたと当時思った。死んで消えてから、本当の母の存在を知ったのかもしれない。消えなければ残らないというのもある。ばたばた周囲の人たちが死んでいき、人の命のはかなさを思ってばかり来たが、自分の眼と父母たちの眼の双方向の中にいる時間と空間は、見逃がすべきではないだろう。遺物ばかりに眼が行ってしまいがちだろう。 ・いつも前にはできて、今はできないことばかり考えてしまうが、そうではなく、いま何が出来るかを考えるべきなのだろう。残りたいばかり考えるのではなく、どのように消えるかでもある。北山修は40年間九大で教えていたらしい。最終講座をテレビで放映していたが、あれが彼の存在の集大成なのだろうか。そうではあるまい。いくつかの最終講座を、観たことがあるが、それはほんの断片でしかない。 ・へ2・・・本人たちは格好良く消えていくつもりでも、そうは問屋が卸さないのだろう。40年間は何だったのだろうか?ひとの存在は、見る側の尺度でも違う。父母から投資を受けてここまで来たが、それこそ父母への対価はなにもない。それでいいのだろうか?自分の消え方も知らない。何も残したくないが、現実は甘くない。
2010.07.30
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市街地の中に農地があるのではなく、農地の中に市街が侵入して来たのだろう。福岡市の東部の東区に住んでいるが、少しだが農地が残っている。恐らく農地というより菜園に近いのだろう。里山も近くにはあるが、西瓜を栽培している話は聴かない。西瓜と言えば、植木町が生産地として熊本では有名で、盆地にビニールハウスが一面に拡がっているのをよく見かけていた。昔は、近くを通りかかると、生産者に声をかけて、それこそ500円も出すと、大きいスイカをいくつも車の後ろに入れて帰っていた。 ・夏休みに、生産者の伯母の農家に泊まり込んで、早朝にスイカ畑に行き、夜の冷気で冷えたスイカを二つに割って、ど真ん中の種のないところに鼻と口を一緒に着けながら食らい付いていた。無我夢中で食べていたものだ。行儀は悪いが、それがスイカの美味しい食べ方だと信じていた。勿論顔はスイカの汁でべとべとになったが。スイカの食べ放題で、太っ腹の伯母の存在は私たちの多くの従兄弟たちの懐かしい思い出でもある。 ・へ2・・・戦後の食糧難の時代に、何と豊かな環境だったことだろう。スイカで成長したわけではないが、スイカを見ると伯母を思い出すし、従兄弟たちとふざけあったころを思い出す。何の心配もせず、おなかいっぱいに食べていた。優しい伯父さんや伯母さんが周囲にいて見守ってくれていた。美しい思い出でもある。
2010.07.30
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人は都合よくいかない人間はどこかちぐはぐに生きている気がする。正しい伝え方を知らないのだろうか。或いはできないようにできているのではないか。それでも何かが離れない感情がある。果たして国家は、国民に何の教育をしたいのだろうか。恐らく都合のいいことだけなのだろう。寧ろ知らせたくないことが多いのではないか。国民が必要以上に悧巧になって貰っては困る、と思っていないとも限らない。 ・もうこれ以上勉強したくないと思う人がいるだろうか。「遊んでいないさい」と云われて、嬉しいのは子どもの時だけではないか。使わなければ死んだと同然になるのが動物の宿命でもある。絶えずキョロキョロしている仔猫のように動くものを観ている。 ・へ2・・・よく生きるの反対概念と思っていた死が実はそうではないかもしれない。消えたくないと思っていることが、むしろ消えることに意味があるという考えは面白い。徒なことをするのも意味がないとはいえない。さて、ウオーキングをしてきます。これも・・・。
2010.07.30
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北山修の最終講座を聴いて 昨夜北山修が九大で最終講義の一部を4回シリーズ(NHK)で放送しているのを観た。最初と4回目をみた。2・3回目も観たいと思っていたが失念していた。随分編集されており、市民にも解かり易く編集しているが、それが却ってマイナスになる。解かろうが解かるまいが全部見せるべきなのだと思う。学生だって理解できるものと出来ないものがいる。編集者の理解が全部網羅されているわけではない。北山は、最後に、「消えていくからこころに残ことができる」と云うような言葉を残した。 ・母がこころにのこるのは直ぐに死んで消えていくからだという。恋愛もそうだろうか。私も日頃「限界」について考えているが、或る意味「消える」と通じるところがある気がした。NHKという存在が、北山修の講座を半分殺していると思う。4回などに分けないで、初めから最後まで編集しないで放送すべきなのだ。ひとのことばを他人はどれだけ理解し得るだろうか。全部記憶できる人はそうはいまい。一部のフレーズを、自分の頭で解釈している。 ・へ2・・・相変わらず、恰好つけた北山修だったが、講座はそれなりに面白いと思った。大学と市民がもっと垣根を越えて行かなければ文化のレベルは向上しないのではないだろうか。それこそ訳のわからない組織が介入するから誤解もする。公共放送が、市民を愚民化もする。これまで果たしてきた役割も終わらなければならない時が来る。愚直に生き残ろうとするから陳腐化もする。「消えることを知って始めて心に残ることが出来る」と思う。
2010.07.29
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それこそ日本で一番ノーベル賞に近かった一流の科学者でさえがん死するという現実をどう受け止めたらいいのだろうか。それは、それで仕方がないと諦めるしかないだろうか?立花隆にしろ、これまで取り組んできた題材をみれば、その科学的解明について並み並みならないものを感じさせた人でもあったが、予防という意味で万全だったと言えるだろうか。どうも疑問を感じる。知識のないものがそれは想定外だというのは理解できるが、知識を持っているものが、それに対応していないという現実はどう理解したらいいだろうか。 ・そうならないために、つまり病気にならないために、どうすべきであるか。その方法を知らない訳ではない人が、何故、それを遣らないだろうか。これだけ、禁煙や、禁酒が叫ばれながら、それを止めないのは何故だろうか。誤魔化しが多過ぎるのではないだろうか。或いは社会システムに大きな欠陥があるのではなかろうか。足元がガラガラと崩れ出してはいないだろうか。そういう危機感を感じさせるようにもなっている。その足音がきこえなくなってはいないだろうか。もし、私たちの子供のころに、急に昆虫がかいなくなれば、その異変にすぐに気付いただろう。しかし、いまでは誰も昆虫のことを口にしなくなっている。知らないからだろう。死んで行く者も、自分の死を語ることはない。 ・へ2・・・言うべき人が言わない社会になろうとしている。知識のある人が知識を信用しないからだろうか。ひとは信用ならない、ひとは信頼できない社会システムになっている。周囲はマシーンだけになってしまうのだろうか。私たち一人一人が違うものを追っており、その追い求めているものは何なのだろうか。
2010.07.29
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死者3憶人? 一旦人に感染し、その条件さえ整えば、強毒性の強力な新型インフルエンザの脅威に直面することになる。それというのも、強毒性のウイルスが流行したのは、何万羽のニワトリがすし詰めで飼育される養鶏場が出来たからだというから、皮肉だ。ふつうなら強毒性のウイルスは宿主が死ねば、そのまま広がることがなく宿主とともに消えていくはずだからだ。併し養鶏場で発生すれば、感染はあっという間に拡がり、汚染されたウイルスは、トラックなどで遠くまで運ばれてしまうことになる。飛沫感染であり、汚染は圧倒的なものとなる。 ・想像するだに恐ろしい話だが、どこまで政府はこのリスクに対応しているのだろうか。人口密度の高い都市に発生すれば、その被害は甚大なものになるはずだ。発生してからでは遅いのではないだろうか。既に世界各地のその被害の発生が伝えられているが、日本にはその準備ができているだろうか。どうもそうではないらしい。 ・へ2・・・それにしても、次から次と、懸念されるリスクが増加しているようだ。地球温暖化もそうだが、有効な手立てが打てないでいる。そして、ある日突然身に迫る危険に為すすべもないのではないだろうか。それも運が悪かったと諦めるしかないだろうか。何のための、厚生労働省だろうか。どんな国家であろうと、政府は無能では務まらないのだ。>和白干潟
2010.07.29
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今日は、27,500歩。何とかいつものペースに戻った。涼しい風が吹いていて、夜のウオーキングは快適だった。最近帰宅してくる娘と途中で出逢うことが多くなったので、暗い中を歩いてくるのが何となくわかるようになったが。どうやら、私よりも娘の方が目が良いらしく先に解かるようだ。今夜も誰か手を上げているので近づくと娘だった。 ・今夜は、3万歩歩けるチャンスだったが、手荷物を重そうにしているので、一緒に帰宅して来た。歩くスピードは私と変わらない。どうやら、最近は、バスを止めて電車にしたらしく、娘も「歩き」を始めたつもりらしい。毎日弁当持参もするようになり、親父のすることは少しは影響しているらしい。 ・へ2・・・世の中に甘えないで、生きていたい。することをしていればなるようになると思う。野良ネコの仔猫たちもまだ餌を食べに来ている。いつか別れが誰にも来るが、それまでは仲よくしていたいものだ。
2010.07.29
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自宅から和白干潟まで直線距離で400mもない。干潟には直ぐ近くに住居が迫っている。生活排水が流れ込んでもいる。干潟は汚染して干潟に生息する生物は絶滅に向かっている。博多湾は元々10mもない水深しかない。殊に人工島周辺は水深5mしかない。海底はヘドロが堆積しているとの調査をしている研究者の報告であった。いつも講座に通っている女子大の研究成果の講演会があり、毎年その報告会で聴いている。時々干潟の様子を見に行くが、野鳥が減り、干潟の汚濁が進んでいるようだ。 ・それこそ、人の目には変化は好く解らないが、隠れたところで深刻化しているのではないだろうか。稚貝の生育が悪化している。アサリの数が減り、潮干狩りをする人たちがめっきり減少している。何しろ、閉塞した干潟であり、汚染は堆積していく。それこそ干潟の周辺には人家が無秩序に形成されており、手のつけようがないのではなかろうか。すべてが手遅れだろう。余程思い切った手を打たないと何もできない状態だ。おまけに人工島までできた。 ・へ2・・・人間は自分たちの環境を破壊して、真綿で首を絞めるように自分たちの世界をも喪失させている。利便のために多くの土地を開拓し、そして守るべき自然を失いつつある。あとどれだけだろう。自然のポイント・オブ・ノーリターンまで。>今夕の和白干潟。
2010.07.29
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・日々新たなリで、然も日常は決して平坦ではない。あらゆるものが私たちの行こうとする先々に立塞がり、妨害するだろう。しかしそれは、おそらくは只、生きとし生けるものの生存ということの営みの中でもある。 ・へ2・・・「The 9.11」リースコットの作品は、そういう意味ではアメリカ人の世界観をよく表現しているレポートであろう。彼らが考えているものが決して緩やかな流れの中にいるとは思っていないということでもある。9.11が何を意味し、それはアメリカ人の安全に対する脅威であり、それを排除するために何ができるかではない。リスクを排除するためにすべてのことをするためだ。そして先ず、誰が9.11でミスをしたかでもある。CIA・FBIは何をしていたか、が検証される。彼らにとって自分たちに逆らうものは敵であり、忌むべき悪でしかない。テロとの戦いはキャンペーンになる。そして日本政府もマスコミも同じ言葉を繰り返してもいる。 ・人間が如何にグロテスクな存在であるかを描いてもいる。没交渉のモンスターたちが世界で蠢いてもいる。それは終わりのない悪夢のようだ。 ・へ2・・・そうだ。それは虚偽であり作られた事実でもある。事実は演出されたものばかりだ。そうして「敵」がつくられる。利己的な遺伝子がそれをさせている。人間は遺伝子に操られた道具でしかない。道具が道具として蠢いている間いつでも、モンスターになり得るのだろう。それでも私たちは、美しい自然の中でまだ新鮮な朝を迎えてもいる。それは明日につながってもいる。 ステップ・バイ・ステップ!!
2010.07.29
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次回のツアー?まだ決めてもいないことをとやかく書くのも何だが。DMでもう、今年のドイツのクリスマスマーケットの案内が届いた。ニュルンベルクなど“4大クリマル“ を周るものらしい。この前といっても、もう4年前になるが、心残りは、フランクフルトで写真が撮れなかったことと、マリアンネの墓に行けなかったことがある。娘が旅行社に勤めだして、色々情報を呉れることもあるが、夢は棄ててはいない。 ・まあ、どこへ行こうかと考えることも楽しみである。大抵格安ツアーしか行けないが、行くところに事欠かないのは有難いことだ。豊富な情報もある。態々行かなくても大概は知ることはできるが、自分の眼で視るのはまた違う感動がある。行けば感じるものが必ずある。其の時ではなくてもあとで成程と思うこともある。大学で、「世界遺産の話」があったり、講座でも異文化交流の話が多くなっている。広い視野と、深い洞察力が大学のテーマでもある。 ・へ2・・・国内にも見逃がしていたものも沢山あるから、海外ツアーに行けなくても困らないが、足腰が弱くなって行っても面白くはない。まだ頭の柔らかい裡に視てくることは悪くない。マリアンネが、ハイデルベルク城を訪問して作った詩がある。その翻訳された詩を持って城を歩いてきた。其の時ツアーで同行した女性が帰国して私たち夫婦の写真を贈ってくれたが、いまこうしてみると私たちには感謝すべき貴重な写真である。さて、やはり次回は、トルコかな?
2010.07.29
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庭でわいわい蝉が鳴く何しろ庭で蝉が生まれている。それでも去年より少ないようだ。その声と云うより音に近い。騒音はいま家の前の公園で雑草を刈っているカッターの音と相乗して、何が何やら機関銃で家を攻撃されているようである。ここを先途と鬨の声だ。暫く時の収まるのを待つしかあるまい。まだ30分ほどウオーキングの時間が遅れたようだったが、それでも涼しくて気持ちが良かった。どうやら、ウオーキングをするのは、暑いより寒い方がいいと気付いたのは歩きだして解かった。 ・考えるのと遣って見て違うことが沢山あるようだ。思い込みがどうやら違うのは、世間の常識が違うことがあることでもある。世間で言われている豊かな国と貧しい国の評価も違うことが多いだろう。尊敬していた人に裏切られたりする。それが重なると信じられなくもなる。そういう意味では村上春樹も。まだちゃんと読んでいないので。評価はしないが。 ・へ2・・・自分の眼で、確かめてみないと解からない。自分がどうだからではない。本来そうすべきだという意味だ。鳥渡何かあると挫けてしまう。それでも直ぐに挫けることは悪いばかりではない。自分を買被らなくて済むからだ。自信を持つ人ほど挫けたら立ち直れなくなる。まあ、弱点は克服できるが、自分を買被ると命取りにもなる。 うらの松山 蝉が鳴く (「五木の子守唄」)では、哀し過ぎる。蝉の声をどのように聴いているかだろう。
2010.07.29
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思うことあり日中が暑かったり雨が降ったりと一日2万歩も苦戦したりする。どうでもいいようなことが実はそうではないことはある。一日二回ウオーキングするのが、現在の自分の体に適合しているように思えているが、それでも障害になるものが次々に生まれる。適応と云うのは難しいことである。昨日は朝1時に起きてブログを書いたが、気分が楽だった。どうやら、朝のウオーキングの時間を気にせず書いたからだろう。そういえば、いつもバタバタ書いている。 ・リラックスすべきなのに、次の行動に気が盗られる。夜もウオーキングで疲れている。朝の6時から一時間、夜の7時過ぎから一時間歩いている。どこかに無理があると次の時間が窮屈になる。どうも若い時のようにあれもこれもが苦手になってきた。シーズンごとの一日のスケジュールを立てたりしたが、それも鳥渡したことで変更しなければならない。 ・へ2・・・土台毎日変化しているのであり、昨日と同じ日はない。気分も其の時次第で変化する。決めたことと実際との違いを如何に調整していくかでもあるのだ。日の出のある少し前に歩きたい。そして、1万歩を歩きたいだけなのだが・・・。それでさえ、気を入れていないと見逃がしてしまう。思うほど自分は要領がよくないようだ。さっと家を飛び出して行きたいが、遣る事が多過ぎる。手足を縛っているのは自分自身だろうか?
2010.07.28
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星座とスター星座とスターとは、比較にならないが。星座は人間の想像力の豊かさだという想いがする。暗闇に浮かぶ小さな星をみて、多くの星座の名前をつけたのだ。そして何の意味もないことだが、星座はいまも通用する。あの厖大な宇宙を視て、蟻のような人間が宇宙に星座の名前を付けたという事実に驚く。そして映画スターなどということばも。何の根拠もない絵空事でしかないが、その落差に。 ・ひとの幅の広さは何だろうか?生と死も捉え方で違って視えても来る。これも人間の能力の豊かさでもあるのだろう。地球より大きい星ばかりではないが、ひとりの人間をスターに見立ててしまいもする。傲慢と云おうか、大袈裟と云うのか、或いはアイロニカルなのだろうか。それこそ隣の星にも行けないくらいの生物が、こうして生きているという事実は驚嘆に値するだろう。 ・へ2・・・あと3日間で、8月になってしまう。今朝は少しひんやりする。もう秋が忍び寄っている。これから夏本盆だが、その裏の自然界では、着々と冬の準備が始まっている。ウオーキングをして周辺の風景でもそれを感じる。春の野草が枯れている。星座の名前を覚えようとしながら、なかなか覚えられなかった。どうも現実のそれとイメージが合わないからだったが、それが人間の偉大さだとは気付かなかったからだろう。まだ勉強が足りない。
2010.07.28
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昼間も雨で、到頭、夜になってしまい。一日2万歩歩けなかった。何とかしようかとも思ったが、無理はしないことに。拘りがないわけではないが、まあ、仕方がない。風呂に入って、テレビを見ていたら、いつの間にか、22時を過ぎてしまった。やれやれ。少し緊張感が足りないようだ。 年月日 曜日 気温 起床 歩数2010/7/1 木 23 2;05 29,0792010/7/2 金 25 4;10 31,3112010/7/3 土 28 0;00 20,2572010/7/4 日 24 5;05 21,9292010/7/5 月 23 3;35 24,6502010/7/6 火 25 2;55 28,0282010/7/7 水 24 2;50 32,8052010/7/8 木 24 4;00 26,1642010/7/9 金 25 2;50 27,8352010/7/10 土 24 4;30 21,9342010/7/11 日 26 4;00 20,5072010/7/12 月 27 2;50 10,1352010/7/13 火 24 3;05 12,2382010/7/14 水 24 2;35 20,4432010/7/15 木 24 3;05 31,0542010/7/16 金 24 5;30 24,0202010/7/17 土 24 5;03 22,1312010/7/18 日 26 3;30 25,7012010/7/19 月 27 2;05 27,2412010/7/20 火 27 3;55 21,7452010/7/21 水 25 4;30 21,3932010/7/22 木 27 4;31 20,5482010/7/23 金 26 3;35 24,0752010/7/24 土 26 3;33 26,7372010/7/25 日 26 3;33 24,7502010/7/26 月 26 2;33 25,0842010/7/27 火 27 5;05 22,1252010/7/28 水 27 1;00 18,522合計 662,441年月 歩数 日数2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月 635,399 312008年11月 562,374 302008年12月 629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月 749,592 312009年11月 682,170 302009年12月 683,681 312010年1月 675,525 312010年2月 637,727 282010年3月 735,903 312010年4月 778,075 302010年5月 814,547 312010年6月 780,407 302010年7月 662,441 28合計 17,682,771 834>博多湾
2010.07.28
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「ザ・漱石」には、今度の漱石講座にはない作品が含まれている。「文鳥」もその一つだ。短編でもあり読んでみた。これは読んだ記憶がある、もしかしたら中学の教科書にあったのではないだろうか。作家よりも、叱られる下女の少女に同情した覚えがある。作家は自分の趣味で文鳥を飼うのだから、自分の責任で世話をすべきだと思った。無神経な大人よりも少女の方が傷付いていたに相違ない。主人は大事にしていたのかどうか、忘れていたではないか。「家人の不注意で文鳥が死んだ」と友人に手紙を書くのは酷い。 ・これで短編とはいえ小説であり人気の高い珠玉の作品だという。大切なものなら自分で大事にすれば好いのだ。どうでも好いから忘れる。鳥籠が猫に襲えわれも直ぐに立とうともしないではないか。文鳥を飢え死にさせたのは作家の責任の何ものでもない。それを文鳥の死骸を少女の前に投げつけるとは、何たる不遜な男だろうか。それが小説になり、珠玉だろうか。どうも神経が可笑しい。自分だけが千代千代と洒落ているに過ぎない。 ・へ2・・・漱石の作品の中でこの「文鳥」が一番好きだという人気の高い作品だそうだから驚く。編集者の偏見ではないだろうか。得てして、見当違いの評価があるものだ。漱石を文豪にしたのはただ日本にはそれほどの作家が当時はいなかったでけではないだろうかとさえおもえてくる。そして、いまもなお。>釜山の夜
2010.07.28
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破壊するだけではなく、現在あるものを利用する方が難しいが価値がある。分類ばかりしていても、それを統合できなければ意味がない。どうやら意味のないことの方に目が向きがちだ。優秀な解析ができても、現実社会に役立つものに繋げなければならない。学者が学者で終わろうとするから、自己撞着になる。知り過ぎて身動きのできなくなる人がいる。それは実は中途半端でしかない。何でも分析して見せるが、まとめられないひとは優秀とはいえない。 ・ことばにして表現し解かるように翻訳できなければ、科学者の価値も半分しかない。自分だけ分かっていても仕方がない。科学は文化であり、科学が活かせ切れない社会は、不毛な社会でもある。社会システムに科学的認識が活かされないからだ。批判することは誰にでもできる。如何にそれを社会に繋げられるかであり、点を線にそして面にできるかだろう。 ・へ2・・・普遍的なものを見出していかなければ、分析も分析で終わるのだろう。どこを向いて努力するかでもある。箱庭の隅を突いてばかりいては、大海を見ることはない。浮ついた世の中に惑わされず、普遍的な論理に思いを致すべきなのだろう。分析だけではなく、その先の統合こそ重要だ。
2010.07.28
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明治を引き摺って生きてきた日本人はみな西欧コンプレックスから抜け出せなかった。それは文学界に顕著でもある。説話しか知らなかった浅薄な文学が、大波に呑み込まれもしただろう。漱石の神経衰弱もそうした西欧コンプレックスの反動ではないだろうかとさえ思えてくる。彼も文学は、所詮「坊ちゃん」の延長線でしかないのだろうか。世間を知らない「木偶の坊」でしかない。勿論日本人はみな同じではある。病気になった漱石は疲労困憊して早死にした。彼の残した文学とは、広く世界を意識してはいない。然も狭い教養ある人士へのアイロニカルなユーモア小説なのだろう。 ・ひとは誰も何かのコンプレックスを持ちながら生きてもいる。それが時々大きくなる。それに潰されることもある。吝嗇なことを考える。人生を狭くしてしまうように凋んだシャボン玉にもなる。何故読書をするのだろうか。それは時間の無駄ではないか。刻々と時は不可逆である。一瞬の喜びもすぐに消えて行く泡沫でしかない。人の苦しみや悲しみも本音は見えないのかも知れない。漱石の文学も哲学も見ように依っては、みな仇花でしかない。 ・へ2・・・彼が意識していたものは、西欧コンプレックスでしかなかったのだろう。そして日本人は均しくそれ以後長い深刻な同じ病のシンドロームであった。そしていまもその兆候はある。何故留学をしなけらばならないのだろうか。そんなことはない。自立心がない。国家が人間を育てようとはしない。ひとびとは生きる目的を見失っている。日本の畑は荒廃している。まだ西欧コンプレックスの塊でしかないからだろう。いつまでも西欧コンプレックスではつまらない。別に西欧が国際社会ではない。
2010.07.28
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二度とないこうして少しは永く生きてくると、出来ごとの多くは二度とないことに気付き始める。善いことも悪いことも。其の時味わった感動や驚きは、同じことを繰り返しても得られるものではない。「ファースト・ラブは、ビューティフル・ハートだ」というフレーズを思い出すが、それは色々なことにいえる。薬品に刺激を求めても直ぐに切れてしまうが、脳内ホルモンはその比ではない。何度同じことをしようとしても舞台は違うだろう。 ・学生時代の友人たちも、現在の私の友人とは限らない。お互いに違う環境にいることだろう。社会的ステータスが違えば、世界観も、価値観も違う。金権主義者に、損得以外のことは意味はない。あるのは利害関係でしかないだろう。無理に妥協して、許せる範囲で付き合うことはあっても、必ず襤褸が出るに決まっている。手の届かない処で、お互いに静かにしているほかはない。 ・へ2・・・他人から理解されたいと思うのは、それだけの必要のある人だからでもある。自分の人生は二度ない。そうおもうと、しなければならないことは無数にある。未だ、「種としてのヒト」の自分のルーツを科学的に理解してはいない。自然や哲学や、芸術のそれも知らないことばかりだ。すべての世界遺産を視るわけにはいかないが、そのいくつかくらいは観て措きたい。できれば、孫の顔くらいみたい。そのために、ウオーキングをしているというのは口実だろう。どうやら一日雨になりそうです。今日は一日2万歩も厳しい。部屋の中で、足踏みしています。傘をさして買物にでも行くしかない。堀辰雄の小説も美文というのだろうか。どこかムカムカしてくるような、どうも他人の恋愛のダラダラというのはいけすかない。
2010.07.28
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経済学では、人は合理的意思決定者であり、損失・利益のバランスによって、最大の利益を追求するはずである。では、人は実際そのように行動しているだろうか? 何らかのコストを負いながらもある事柄、個人に固執しつづけることであり、人はコミットメント感情が非常に強い。コミットメント感情は適応的である?友人が文無しになったら捨てられるか。コミットメント感情を見せる人は信頼できるし、信用される。故に、パラドキシカルにコミットメント感情をもつことは適応的だ。 人には利他的行動の進化があり、血縁淘汰を通じた互恵的利他的行動がある。コミットメント感情の適応性は人に固有のものであると考えられる。 松林が朝の雨と爽やかな微風に揺れている。耳を澄ましてみると小鳥の囀りが聴こえる。ゴルフ場の緑が鮮やかだ。 宗教、イデオロギー、探求、特定の個人に対するコミットメントについての旅がつづくだろう。>仔猫との別れの時が近づいている。
2010.07.28
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一本の線中学で美術の時間でデッサンしていたら、校長が知らない内に後ろに立って、突然声をかけて来たので驚いた。「プロは、そうやって何度も何度も線を引いて、一本の線を探す」。その校長は、あとで熊本県美術館の館長になったひとだった。芸術家とは、同じことを繰り返し、自分だけの線を必死でみつけるまでやめない。漠然だがそのスピリットを感じた。才能があるなしは別として、少なくともその努力が必要だと。私には、ひとりの師と呼べるひとはいないが、心に残っているフレーズがいくつかある。芸術に憧憬があったが、語彙を知らないことを痛感したので、ある国語辞典を「あ」から、一語一語覚えようとした。どうも授業が疎かになりがちだった。自然や空想に夢中になった。人生は、振り返れば選択した一本の線だが、複数の線のひとつだろう。自分だけの一本の線が描ききれるかだ。その時「君は、美的感覚がある」と、校長は誉めてくれた。多分のたのたと線を引き続ける私を励ましてくれたのだろう。然し、確かに励みになっている。このブログも、いつか自分の一本の線にしたい。
2010.07.28
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自分という現象先日、「変わりましたね」と何気なくいわれた。講座で以前一緒だった人だが、どういう風に変わったのか尋ねてみたい気がしたが、そのチャンスがなかった。老けたと思われたのだろうか。かれこれお逢いしていたのは数年前になる。他人からどうのように思われているのだろうか。関心がないわけではないが、恐らく、本当の自分と云う存在とかけ離れたイメージなのではないだろうか。人の眼は意外と真実を見抜いてはいない。 ・その作品だけを視ては、作家のことは解からない。文脈を読めといわれる。どうしてそれを書いているのか、言っている事の反対を考えているかも知れない。人間のこころは複雑で捉えどころがない。その時の気分で違う。ひとは「変わる」のは当然でもある。環境が変われば考えも違ってくる。北海道で暮らすのと、沖縄で暮らすのでは考え方も違うだろう。九州にいても違う。社会的ステータスでも違う。同じ人間でも、5年前と今では随分違う考え方をしている。 ・へ2・・・恋愛だって5年もすれば心変わりをする。それが人間でもある。浮気心は誰にでもある。それでも恋愛に浮かれてばかりはいられない。どちらが本当でも嘘でもない。その時の感情は違いもする。自由でありたいと思うのと、ふわふわしたくないと思う気持ちを両方持っている。右と左とふたつのあいだを針は振れる。自分という現象は、自分でもつかみ難いのだ。片方の顔だけを視て、私といわれても私でもない。>和白干潟
2010.07.28
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はじめましてヘイフリック限界について、考えていることがあります。何処まで書けるかわかりませんが、ある青天の霹靂があり、ブログをする気持ちなりました。 時々ですが、載せますのでよろしくお願いします。 先ずは、処女の如く、新鮮な気持ちで、皆様のブログを見せて戴きたいと思います。 Mar 13, 2005 11:10:25 AM上記の記述から始めたが、もう5年間過ぎてしまった。早いものである。丁度車を買ったばかりだった。その車がまだ2万キロ走っていない。ウオーキングも現在1万キロを超えて、2年先の2万キロを目指している。どこまでつづくのだろうか? 自分でもわからない。いつまでも、処女の如くでもないが、新鮮な気持ちではいたいものだ。
2010.07.27
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何のために、誰のために大相撲にしろ、何のために、誰のためにあるのだろうか、と思わないでもない。政治もある。タレント議員をみて腹の立たない人はいまいが、それが現実でもある。利用されながら利用する人は利口なのだろうか、強かなのだろうか。国民はいい面の皮だ。碌に勉強もしていない若い奴が高額な契約金を貰ったりする。ゲームのためにだ。愉しませるというがそれは何なのだろうか。遊びのためにだけ働いている人もそれほどいるわけではあるまい。外国人の横綱で成り立っている国技と云うのは何なのだろうか。 ・それこそ訳のわからないことが罷り通る社会でもあるから、不思議でも何でもないのかも知れないが、それに慣れきっている大衆も文化が高いとは言えない。運動は健康のためにするものであり、遊びだけではない。利益社会だからだろうか。何か利益を生み出さねばならない社会の呪縛がある。建前と本音が、また隔絶して来たのではないだろうか。 ・へ2・・・硬直化して行く傾向がある。これも老化現象だろう。国家が柔軟性を失いつつあるようだ。悪いものはさっさと終りにして、大事なものを活かして行かなければ社会は枯渇してしまう。いつまでも古いものにしがみ付き、新しい芽を活かさなければ、社会は死んでしまう。古い体質を捨てるべきだろう。子どもたちの未来を閉ざしてはならない。>ローテンブルク
2010.07.27
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文学講座のテキストに使われている本で、これまで「ザ・一葉」から始まり「ザ・龍之介」「ザ・太宰治」「ザ・基次郎」「ザ・漱石」そして、今年は「ザ・堀辰雄」を読んできた。一葉は半年で、あと龍之介からは一年間で、全作品を読むという企画である。同じ文学部教授の講義である。考えてみれば幸運な講座を受講しているわけだ。途中からノートPCを使っている。受講するのが精一杯で、整理できていないが、そのつもりになれば遣れることはあるだろう。資料も随分溜まっている。 ・まさか日本文学とは思わなかったが、それが五年間も続くとは予想外でもある。いま堀辰雄の「鳥料理」を読了した。次回は7回目で「美しい村」「旅の絵」「鳥料理」の3作品の解説を中心にした講義があるので、その予習である。作品そのものの解説というよりも、同時代の作家たちや、作者が誰の影響を受けて書いているかなど、作品の構成に係わる講義内容になっている。専門的な講義レベルの高いものが多くて、時々付いていけなくなる。 ・へ2・・・こちらの不勉強もあるが、ザ・日本文学も、些か一般的教養からは程遠いところがある。日本のインテリは、孤高のわりには常識がない処がある気がする。大学も、社会性という現場の不明なエリアがあるようだ。それだけらこそ、面白いと言えなくもない。寧ろ解からないから興味も湧くのだろう。ことばという幻想は色んな人間を誕生させそして消去してもいる。>メコン
2010.07.27
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<福岡市の6月・7月の気温の比較> 年月日 曜 気温(7月) 気温(6月)2010/7/1 木 23 17 2010/7/2 金 25 17 2010/7/3 土 28 17 2010/7/4 日 24 18 2010/7/5 月 23 18 2010/7/6 火 25 19 2010/7/7 水 24 20 2010/7/8 木 24 20 2010/7/9 金 25 20 2010/7/10 土 24 ー2010/7/11 日 26 ー2010/7/12 月 27 23 2010/7/13 火 24 21 2010/7/14 水 24 21 2010/7/15 木 24 24 2010/7/16 金 24 21 2010/7/17 土 24 22 2010/7/18 日 26 23 2010/7/19 月 27 24 2010/7/20 火 27 24 2010/7/21 水 25 23 2010/7/22 木 27 22 2010/7/23 金 26 23 2010/7/24 土 26 22 2010/7/25 日 28 22 2010/7/26 月 26 23 2010/7/27 火 27 25 2010/7/28 水 27 24 2010/7/29 木 ー 24 2010/7/30 金 ー 23 計測時間は、私の起床時間である。大体3時から5時までの間。今朝は、昨夜早寝をして22時前ころそれで1時の起床になった。余り眠くもないので、このまま暫く起きていることにするが、できれば、今日から、少しウオーキングの時間を、陽射しの強くならない内から始めたいとは想っている。上の記録を見ると、福岡市は7月18日から熱帯夜が続いているが、日中の猛暑も25日ころから30℃を超えている。世界中で異常気象だ。 ・色んなデータが簡単に手に入るようになったのは、PCやインターネットのお蔭だろうし、整理も入力も容易である。私のような生き方もできるようになったのも時代の流れだ。その価値があるかどうかは解からないが、多様な暮らしができるようになったことは確かだろう。それをどうするかでもある。 ・へ2・・・庶民は、沈黙して、文化という伝統の中に消えていった。ことばとして残されていく歴史の中に埋没もしている。これまで、ヒエラルヒーの底辺に目を向けてこなかったが、それではすまなくなりつつある。21世紀はそうした時代になろうとしている。
2010.07.27
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加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より 特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。
2010.07.27
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宮崎の口てい疫の問題にしろ、どこにリスクが隠れているか解かったものではない。現代社会は、寧ろこれまで以上にリスキーな社会なのだろう。能天気で生きてけるような世界ではない。それでも、できるだけリスクを回避しながら遣っていくしかない。どんな未来が日本社会に待ち受けているのだろうか。どうも最悪のケースをひた走っているのではないかという懸念が払拭できないでいる。有効な手を打つことができない政府をいつまでも抱えている。それはまだ甘い認識から来ているのではないだろうか。 ・むざむざ可能性を潰しているのではないだろうか。誰にもわからないが時間だけが過ぎていく。猛暑がつづいている。熱中症でひとが死んでもいる。全国で109人もいる。誰のせいでもないが、うだる暑さの中で死ななければならないひとたちは憐れだ。自分の生命を守れないひとが増えている。無理をしないことだ。
2010.07.27
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肯定的であること 生物は、本来肯定的であることは大事な資質なのだ。それが加齢と共に物事を否定的に受取るようになるのも、或いは遺伝子からのミッションからだろうか。20代をピークに30代から所謂増悪期に入り、様々な細胞のコピーの障害がでてくる。そして老化していく。如何に、自分の環境をいい状態に保てるかと物事を肯定的に考えられるかだろう。それは、一部のものがいい場所を占有してしまうからでもある。アメリカ社会をみれば、その貧富の差は、度を超えている。不公平さは、やがて社会不安を起こすだろう。それは、日本社会にも今後その傾向が強まるだろう。逆境を経験しない者が、長じて頓挫するのは、よくあることだ。自分の身心を包む袋を薄くしてはいないだろうか。それでは、少しの傷で破れてしまう。少しづつ皮膚は鍛えるものだ。裸足で歩くことを経験することだろう。他人の作ったものだけで生きようとしてはならない。よくあるのは、被差別者が、差別者になり易いことだ。被抑圧者が、抑圧する側になりやすい。すべてのことが、逆転することもある。肯定的に生きることは容易ではない。それは哲学でもある。世の荒波を避けるものが一番溺れやすいだろう。立ち向かう勇気のないものには、ながい時間があるだけだ。フランクフルト市長ぺトラ・ロート女史によると、ゲーテは「フランクフルとの有名な息子」なのだそうだ。ゲーテ大学もあるくらいだから自慢の息子なのだろう。ひとつ心残りがある。肝心のフランクフルトで写真が撮れなかったこと。日曜日でフイルムも買えなかった。もう一度チャンスがあれば行きたい。
2010.07.27
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風邪の原因のウイルスは確認されているだけで200種以上あり、それで何度も風邪になる可能性がある。免疫力の低下の最大の原因は「加齢」による胸腺の縮小と乾燥とストレスらしい。どうやら今年風邪を引かないのは暖房を使わないことがある。皮膚の表面の角質細胞の隙間を埋めている水分の量が減少すると微生物などの異物が侵入し易くなるためだ。主として自然免疫の機能を低下させる。 ・風邪を引かないためには免疫力を下げないことが有効だ。加齢はどうしようもないが、対抗手段はある。当前のことをするだけだが、何を日常的にしなければならないかだ。それを知っているのと、知らないとでは予防が違ってくる。ストレス、遺伝、乾燥、加齢、睡眠不足、タバコ、酒など、免疫力を低下させる知識が必要だ。 ・へ2・・・やはり、定期的な運動によって免疫細胞の活性を底上げすることがあるようだ。体力の向上が総合力を高めることになる。シーズンだけでなく日頃、ウオーキングが、私には冬の風邪の予防になっていたのだろう。>菩提樹
2010.07.27
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ゲルマン人の観念によれば、部族の繁栄のためには、みなが共同で祭祀を行なう必要があった。というのは、つねに敵に対する勝利、豊作、狩猟の成功、健康、子宝などは、超自然的な諸力の善意と考えていたからだ。それゆえ、「部族のための」数々の祭祀、とくに供する犠牲である「供犠」が行なわれる必要があった。タキトゥスのいう祭司の役目は、「へーグング」と民会の平和の維持と祈祷、供犠、神託のような祭祀の遂行、神々によって保護されている部族の秩序に反する犯罪の処罰だった。厳しい冬の時代を学ぶことはある意味で、私たちの自由の価値を感じさせるものだと思う。新しい定住地を手に入れると、ふつうその部族は、先住民と出会い、彼らと対決しなければならなかった。主な対決の方法には追放、隷属化、共生の三つがあり、それらの組み合わせは多様であり、また変化に富んだものだった。征服者の論理がまかり通り、それが正当化された。真実を知るのは容易なことではなかったのだ。
2010.07.27
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・突厥では死者が、生前に戦場で殺した敵の人数のバルバル(立石)をその墳墓にたてた。多いものは千百に及んだという。 ・貴人たちはその喪葬に、捕虜の敵将を殺して「バルバルに立てる」といった。立石にまつわる殉死の慣習は、日本の埴輪に伴う殉死の説話に通じているようだ。騎馬民族国家の慣習が遠く日本の同じような喪葬の習俗を生んでいる。同じような観念の所産の所以だろう。・もうそろそろ8月だ。お盆も近くなってきた。くらげが出る前に海でも行こうか。・お盆に家族で墓参りに熊本に行くのと阿蘇をドライブするつもりだ。その前に車の半年点検がある。・九州の装飾古墳には壁画に馬があるが、埴輪の馬と同じように喪葬的意味があったと思われる。死者の霊魂が自分の馬に乗せられ、犬に導かれて鎮魂の山(赤山)に行くという伝承もある。埴輪の馬もその憶測がされている。・島国の日本も大陸の一部であったことが想起させる。大化以前のわが国が、天皇制をはじめ、政治・社会・軍事・文化の各方面で大陸の騎馬民族、とくに征服王朝国家と共通した性格の現象をもっていたことを示している。(江上「騎馬民族国家:より)。・誰も殺し殺されて嬉しいわけではあるまい。然し、生命に執着するだけではできないこともある。生き残るものが果たして最適者とは限らないが、否定だけでは成立しないこともある。妥協の産物としての正義もあったに相違ない。遺物の上に築かれた歴史がある。
2010.07.27
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猛暑の中で日本各地で、しばらく猛暑が続くようだ。流石に昼間はクーラー無しでは、熱中症になりそうである。汗をかいてシャワーをしてクーラーにあたって風邪を引いては仕方がないが、一つ間違うとそういう破目になる。何かに夢中になっていた方が良さそうだ。中途半端な時間を過ごすからだろうか。 ・それにしても、他人の真似ばかりしていると善悪の判断が短絡的になってしまう。昨今は一般的に付和雷同の傾向がある。自分の責任を顧みることなく、社会への恨みに転嫁してしまい、それが他人を傷つけるとすれば極端な犯罪にもなる。社会現象として起きている事件をみると、エゴイストの増加が根底にあるようだ。甘やかされて育った人間が、犯罪を犯す事が多い気がする。 ・へ2・・・精神の弱さがあるのではないだろうか。それを創り出しているのは社会であり、教育システムでもある。安易なペーパーテストで優劣が決められ、長い目で見た人格の形成に注意を払わないからではないだろうか。教育者がお粗末でもあるのだろう。事件が起きてからどうのといっても始まらない。どこまで真剣に教育がされているだろうか。それを助長するようなテレビ番組ばかりではないだろうか。歌謡曲や漫才で世の中があるのではない。
2010.07.27
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どう過ごすか?余り、ぱっとしないが、胡瓜やゴーヤが食卓を賑わせるようになっている。胡瓜はそのまま食べたり、浅漬けにする。ゴーヤは、炒めて食べている。殆どゴーヤチャンプルだ。他にも庭を菜園にして野菜作り遣りたいが、頭と体が一致しない。どうも自分で遣ったことがないのと、知識がないからだ。祖母や両親がいたら、良いアドバイスをしてくれたことだろう。 ・たった一度の人生だが、自分のことは、自分で経験したことがないことばかり遣らなければならない。他人の真似をしても、すぐに行き詰るだろう。思い付きだけでは務まらない。それこそもたもたしながらやっているが、それが自分流でもある。失敗もするが、立ち直りも早い。挫折をしてきたから、出来ることもあるに違いない。どれだけ順風できたとしても、最後に何も出来ないのでは仕方がない。 ・へ2・・・烏滸がましくも先輩に、論語の話をしたことがある。役付きになると皆がサポートしてくれる。会社の名前で下請けの人たちは頭を下げる。自分が偉くなったと勘違いもする。それが会社を辞めると途端にメッキが剥がれてしまう。何も出来ない自分だけが残ってしまうと。自分に何が出来るのか問うていないと手遅れになる。現在、それは自分のことでもある。
2010.07.27
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「偸盗」・・「羅生門」の続編。二作に分けた、合作。「忠義」・・鴎外の「阿部一族」。村上春樹の芥川英訳が始まる。『阿部一族』は、森鴎外の短編小説。1913年1月に『中央公論』誌上に発表した。1912年に発表した鴎外にとって初の歴史小説となった『興津弥五右衛門の遺書』とともに乃木希典陸軍大将の殉死に刺激されて書かれた小説で、殉死を巡る諸問題を問うた。・“There is something in the darkness, says the elder brother in the Gate of Rashomon.”・「煙草と悪魔」・・「イワンの馬鹿」「白痴」「カラマゾフの兄弟」「罪と罰」・芥川とドストエフスキー・・・血縁問題を抱えている。・「偸盗」・・親子の関係が分からない。「どうせみんな畜生だ」子供が誰の子かわからない。・「羅生門」の下人には、草稿では名がつけられていた。「交野の平六」。・太郎と次郎が「沙金」を殺す。男女、親子・・すべて<闇の中>である。・「白痴」も人間関係から解き放たれていることを言っている。・「坊ちゃん」も異常性行。正直ものも度を超すと異常(非常)になる。・異常の正直さ=漱石。ゲーテの「ファウスト」も非常識がある。芥川も読んでいた。・「尾形了斎覚え書」切支丹宗門。・「狢」(むじな)ありえないことを信じる。ロマン。・キリスト教は信じる世界。奇跡。・民間信仰の日本・・迷信・・お化け・・幽霊・・二人。・「運」運・不運について書いている。その中心には意志がある。芥川は意志の力を信じていた。
2010.07.27
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