全420件 (420件中 1-50件目)
9月のスタート もう5時だが、外は暗い。あっという間に暦の上では秋でも今年の残暑は一段と酷暑のようだ。気象台始まって以来の暑さらしい。熱中症で亡くなった人が既に400人を超えているという。何か不屈な予感さえする。異常気象の影響は、私たちが予想する以上に深刻なのではないだろうか。虫の音が高くなり、秋を予感させるものはあるが、肝心の熱波が去らない。四季のある日本も怪しくなっている。 ・外来生物が日本に侵入して来て、古来の生物を死滅させているらしい。それこそ日本も赤道のような気候に変化して行くのではないだろうか。砂漠にもなっていくかもしれない。地球の歴史からいえば、種としてのヒトの存在も芥子粒ほどの小さいことでしかないのだ。宇宙のゴミでしかない地球のやがては闇の中に消える運命でもある。 ・へ2・・・8月は、海に行く間もなく過ぎてしまった。ウオーキングも思うようにはできなかったし、我慢の一月でもあった。夏を楽しもうと思っていたが、何も出来ないまま終わってしまった感がある。それこそもたもたしていたら、自分の人生さえ、過ぎ去ってしまうだろう。自己管理票だけが残っても仕方がない。ぼっーとしていたら自分が風倒木になるだろう。
2010.08.31
コメント(0)
サムライ日本 「サムライの娘」というのが、伯母のことだった。母が、そう教えてくれた。質素倹約の典型のような伯母さんだった。そして毅然としていた。伯父の家は、広い庭があり古屋敷で、その家に入る時は、長い生垣と、大きな門とそこから少し木々の中を歩いて、薄暗い玄関の前で挨拶をした。母の話では、伯母は後妻だった。母は農家の出である。母は伯母のことを「食事のあとの残った醤油も捨てない」ひとだと話した。それが、武士の家の作法なのだと。 ・「武士は喰わねど高楊枝」。伯父の家は農家であり、母から見れば異色の親戚でもあったのだろう。よく噂話をしてくれた。その伯母は、いつも背筋を伸ばして慈愛に満ちていた。そして、「男はどんな時も向上心を忘れないものだ」と教えてくれた。その言葉が今も残っている。侍というのは、身分社会の中で藩主に奉公し、農民や商人たちを人間扱いしない人たちだった。そんな侍を懐かしむというのは美化することでしかない。 ・ことばが間違った使い方をされるのは、誤魔化しがある社会だからだ。スポーツの社会で「サムライ日本」が使われるのは、陳腐だ。伯母は、生まれはサムライの娘でも、サムライの子ではない私を、可愛がってくれた。そしてそれこそ、向上心を忘れないことの伝統を伝えてくれた人だ。侍は、農民のアルファベットも知らない遊び人であった。論語は、どれほど学んでも、世の中を変える足しにはならなかった。
2010.08.31
コメント(0)
日々は功利だけを考えるのではなく、それは思いっきりゆるりと時のながれを噛み締めるべきかも知れない。そんなときもあっていいと思う。私は、それこそここにきて、思えば無駄なことばかりをしている。キーン著「明治天皇」が面白い。今度「明治天皇紀」も読んでみたい。たとえそれが誰でも一言で、評価されてしまうだろう。江藤新平も首を晒された。大久保は「江藤醜体笑止ナリ」と書き、その写真を内務省の応接室に掲げ続けた。ひとは、慌てるべきではない。他人のことばを鵜呑みにするのは間違いのはじまりだろう。今更、明治天皇でもないが、いまだから感じることもあるに違いない。そういえば、横井小楠も歴史の中に埋もれているのではないだろうか。案外、ただのアダ花だろうか。どうも私の寄り道は長引きそうだ。キーンも余程暇とみえて寄り道ばかりしている本だ。それがまた面白い男もいるだろう。日本は何とやぶの中を歩いてきただろうか。
2010.08.31
コメント(0)
世界には、様々の風が吹き、色んな名前がある。その有名な風だけでも100を遙かに超えるだろう。日本では「おろし」「やませ」になる。「セガン」は、フロヴァンス地方の昼間の微風だ。「太陽を追いかける者」の意で、作物の惠みの風になる。フランスの南東部、ローヌ川の東、アルプス山麓から地中海のエリアに吹き、一度はその恩愛に満ちた「太陽を追う風」に触れたい誰しも思うであろう。何と隔絶された世界で、私たちはそれぞれが感じる風が違うことであろうか。そして、私たちは、世界でどんな風が吹き、ひとびとがどんなふうに生きているかを知っている。少なくとも知ろうとさえすれば、知ることができるだろう。目先のことのみに齷齪せず、生きようではないか。ケセラセラ・・・と。いつか、自分の心にも「セガン」を感じる時が来るだろう・・・と。
2010.08.31
コメント(0)
余り完璧に遣ろうとしないで良いのではないだろうか。余程の天才でない限り、そこそこでしかないだろう。なにも自爆することはない。それをさせる人がいて、そいつらは憎いと思う。ひとの弱みに付け込むのが一番卑劣だ。だが恐らくそれで成立っている世界があるだろう。公式タイムでしか、世間は評価をしない。本当は誰が能力があるかなど分かりはしない。絶対評価はない。語彙の多過ぎる日本語が何故あるのだろうか。正しく表現できもしない言葉やフレーズがある。複雑にしてしまって手がつけられない文化になってはいないか。これでは、日本文化はIT時代に生き残れない。もっとスローでいい。
2010.08.31
コメント(0)
8月度は、連日の猛暑は福岡でも気象台始まって以来の平均気温が30℃を越えたようだ。猛暑日も新記録を更新中で、まだ残暑は続くとの予報である。あまり無理をしないで秋を迎えたいと思っている。さて、明日から9月だ。 年月日曜日気温起床 歩数2010/8/1日28 3;4028,5512010/8/2月27 3;5027,1112010/8/3火28 3;1025,0562010/8/4水27 2;2024,3582010/8/5木28 3;4025,2302010/8/6金27 3;5524,7112010/8/7土26 4;1024,6222010/8/8日25 2;4023,6832010/8/9月26 3;5022,8152010/8/10火26 4;3622,5332010/8/11水28 4;5016,0652010/8/12木26 4;3523,1922010/8/13金29 5;0523,8912010/8/14土30 4;1016,3812010/8/15日28 4;0124,5112010/8/16月28 5;0222,2532010/8/17火27 4;3023,1552010/8/18水27 3;1521,9782010/8/19木26 4;4922,0982010/8/20金28 3;3023,1132010/8/21土27 2;5022,2512010/8/22日28 4;4530,1302010/8/23月273;2521,5152010/8/24火28 32022,5142010/8/25水27 4;3924,2262010/8/26木27 3;4527,4072010/8/27金27 4;2026,3232010/8/28土28 4;5524,2552010/8/29日28 3;3124,8152010/8/30月26 4;3022,8122010/8/31火25 3;3022,110合計 733,665年月 歩数 日数 平均2008年4月 258,124 15 17,2082008年5月 461,505 31 14,8872008年6月 454,828 30 15,1602008年7月 492,053 31 15,8722008年8月 479,175 31 15,4572008年9月 607,612 30 20,2532008年10月 635,399 31 20,4962008年11月 562,374 30 18,7452008年12月 629,723 31 20,3132009年1月 628,603 31 20,2772009年2月 587,391 28 20,9782009年3月 700,366 31 22,5922009年4月 686,126 30 22,8702009年5月 704,517 31 22,7262009年6月 610,392 30 20,3462009年7月 646,126 31 20,8422009年8月 655,742 31 21,1522009年9月 682,647 30 22,7542009年10月 749,592 31 24,1802009年11月 682,170 30 22,7392009年12月 683,681 31 22,0542010年1月 675,525 31 21,7912010年2月 637,727 28 22,7752010年3月 735,903 31 23,7382010年4月 778,075 30 25,9352010年5月 814,547 31 26,2752010年6月 780,407 30 26,0132010年7月 748,643 31 24,1492010年8月 733,665 31 23,666合計 18,502,638 868 21,316
2010.08.31
コメント(0)
アメリカ科学アカデミーの会員でもあった元スローン・ケタリング・ガン研究所会長のルイス・トーマスは、患者の治療成功率についての講演で「あらゆる病気の90%は医師の手助けなしで、自然に治癒できるという。医者は残り10%のうち7%はレスキューすることができる。しかし残り3%に関しては、何もできない。」と述べている。医者の実力は、そんなものだと思う。何と患者たちは、博愛主義者なのだろうか。それこそ97%を医者のおかげだと思い込まされているのだ。ことさら否定はしないが、治療費の高さで患者が受けるショックを和らげる方法だとしたら、何ともお寒い医者たちではないだろうか。
2010.08.31
コメント(0)
「これからの科学、これからの人間」は、今も探し回っている。処が、探し場所が解らない。死に瀕してる老人は、知っているかも・・・。或いは、もう絶滅したかも知れない種に、ヒントがあったかも・・・。何れにしてもみらいを担う「種子」は見つかっていない。ひとが愚かな行為をしている間にチャンスを失うのではないだろうか。人は「第二の脳」を現実のものとするかも知れないが、まだミミズの脳でしかない。どれだけ優れた教科書を作っても、ひとは「ごろつきの国際社会」で窒息しかけているではないか。「みらいの種子」を本気で探さない政治が罷り通り、それを黙過しているひとびとと社会がある。何とこの社会には、唾棄すべき論理が、蔓延り続けているだろうか。時代性のない世界観で何をしようというのだろう。「ひとりで死ぬ決意」さえない輩が何ができるだろう。哀しくなる。恵まれている奴ほどだらしがないのは情無いではないか。こんなことで、ヒトのみらいの種子は、" クール" だろうか。
2010.08.31
コメント(0)
行動の柔軟性は若者の極めて大きな特質だ。そして年をとることは成熟と伴に新しい行動パターンを受け入れ難くする。即ち本質的にこうした柔軟性は若い動物が環境に適応する為のなくてはならないものだ。コピーはあらゆる複雑な行動を習得するために不可欠でもある。ロールプレイングも同じ。そして、現代は「遊びこころ」があらたな価値を生むかも知れない。ヒトの幼児化は、複雑系に生まれた現象。未来を定めない戦略は、ヒトをぼろぼろにするかも知れない危険な選択だが、敢えて選択した賭けであろう。この道を辿らねば明日をみることはできないとしたら、この道を行くしかない形質を抱えている。同性愛だろうと何であろうと先に辿り着くものが「ニッチ」を得る。
2010.08.31
コメント(0)
答えが見つからないまま、問い続けている。 「私はどこから来たか・・・?」 同時進行には慣れている。もう8月も今日までと思うと、よく遊んだなあ・・・と思うが、失ったものもあるが、そんなことはどうでもよい。問題は、明日のマイスペースだ。過去のことで悩むことはないが、お土産にもならない。あっさりと過去と別離の決意ができるだろうか。どちらかと言えば、女よりも男は駄目だ。ひとは見かけではない。弱いのは男だろう。さっさと適応して明日への切符を手にするのは女性だろう。何が変わるだろうか。見るのは目ではない。脳で見るのだ。
2010.08.31
コメント(0)
時々、「これは、自滅かな」と思う。念のため「自滅」を広辞苑で引いてみた・自然に滅びること。・自分の行為が原因となって自分の身を滅ぼすこと。 英語では、 its pertishes naturally. 併し、キリスト教では、自殺を認めない。 勿論、自殺は誤った解決策だろう。でも、案外それに近いことを遣っているのではないだろうか。雨が降れば、気が塞いできてやる気を失くすかも知れない。他人から好かれないからと陰気になるひともいるだろうし、何の支障もない身体や顔のことで悩むひとも多い。まさに、「自分の行為が原因となって自分の身を滅ぼす」ことばかりしているのではないだろうか。誰も自殺しようなどとは考えないだろう。併し、日本人は年に何万人も自殺するという。それは、追い詰められると、普通の人間も、遣るかも知れないということではないだろうか。自分を傷つけるだけではない。他人を傷つけることにもなるのではないか。意識は脳でつくり出しているから、脳は自分を守ろうとするだろう。必ずしも、最後まで自分の行為をコントロールできるとは限らない。学識者が、破廉恥行為をするのも、説明することができるだろう。脳の荒業の為せることだろう。「自滅」するのは、自分の行為が原因なのだから、そうしないように努力すればいいのだ。ことは簡単だ。自分を好きになり、周囲のひとを大切にして、環境に適応すればいい。自滅しないために。何てね、いうのは簡単なのだろうか。 >愛すべきバンベルク
2010.08.31
コメント(0)
このごろは、一日に、日の出1分遅れていき、日の入りが1分早くなっている。一日2分のスピードで日照時間が減っている。早朝歩いていると、東の空から太陽が昇ってくる位置が、北から南へとずれ始める。それをこれから毎日確かめながら、ウオーキングすることになる。ここ数日晴天で、爽やかな空気を吸いながら、こんな親父になって歩くのではなく、もっと元気の良かった頃に何故歩かなかったのだろうと思ったりする。 ・歩けない理由はいくらでもあるが、そんなことはどうでもいい。遣らないのが馬鹿なのだ。何が自分に大切なことなのかを少しも解っていなかったのだろう。口実は何でもつけられる。だからと言って何だろうか。要するにしなければならないことを後回しにしていたにすぎない。あとのまつりになるだけだ。 ・へ2・・・人間は何時も後悔しながら生きているのだろう。あとで気付くことばかりだ。それをいつまでもくよくよ考えている。時は不可逆に過ぎていく。今朝の太陽を見て死んでも構わないとみんなどうして思わないのだろうか? >本妙寺の胸突雁木。加藤清正由来の寺社で、400年の歴史がある。強い陽射しが少年のころ来た頃と同じだった。
2010.08.31
コメント(0)
忽ち秋色に染まり始めている。昨日鹿児島本線の線路沿いを歩きながら、線路脇の雑草が枯れてしまったのをしみじみ見ながら歩いてきた。勿論8月の初めから枯れかかり始めていたが、今はもう冬のように枯草になっている。この枯草の下では、春の準備をしているのだろう。私たちには枯れた草としか見えないだけだ。こうして無残に見える枯草にも子孫を守るという役割をになっている。この世に無駄なものはない。誰も親はなしには生まれてこない。親がいなければならないのだ。 枯草は、新しい芽の豊かな苗床にもなる。私たちもいつか子孫を残すための肥しになるのだろう。 視点を換えてみれば、到る所に自分のスペースがあるに違いない。それが思うように活かされていないのだろう。焦っても仕方がないが、時間もそれほどない。やがて秋になり、冷たい風も吹くだろう。この猛暑も、裸で一日を過ごせる懐かしい日々に思えるに違いない。
2010.08.31
コメント(0)
肺年齢 肺機能も特徴的な年齢による衰えがある。老化は外部だけではなく内部でも起きている。殊に肺機能は最盛期の2分の1,3分の1までにもなるが、使い方次第では生命を維持できるからすごい。肺活量も漸次、減少していく。肺には痛みを感じる神経がないそうだ。私は、鼻茸ができて鼻が詰まり手術したことがある。その後も長い間、呼吸がスムーズにできず苦しんでいたが、嘘のようにそれが治癒したようだ。 ・肺に色んな病気を持っていたようだが、それが原因で、肺機能も落ちていたようだ。走るとすぐ息切れがした。いつの間にか走るのが好きだったのに、山歩きさえしなくなった。運動は嫌いではなかったが、気が付いたら殆どしなくなり、それがメタボの原因でもある。肉体的なだけでなく、メンタル面もあったのだろう。ひとつやふたつのことではなく、多重の原因が自分の体に蓄積されて行ったに違いない。 ・へ2・・・体質改善を心掛けたのは、かなり以前からだが、頭と体が一致しだしたのは、数年前からであり、それまで長い時間がかかった。気になっていたのは肺年齢でもある。頻脈の傾向もあったからだ。歯が大事だとか、足が第二の心臓だとか、色んなことばを聴いても、その意味が解かってきたのは、自分の体験がある。本当に理解することは難しい。よく美容の話がテレビであっているが、大切なのは肺でもある。呼吸が旨く出来なければ、どれだけ見かけに拘っても自滅するだけだ。
2010.08.31
コメント(0)
目の前にあるもの人はいつも自分の目の前にあるもので考えてきた。情報が広く公開されるようになり、格段と情報網は拡がりつつあるように見えるが、見せかけもあれば、仕組まれたものもある。普遍的であるかどうか、一概には言えないものばかりでもある。小沢氏の出馬にせよ、庶民の感覚では到底理解できないことである。これでは、法秩序もへったくれもないことになる。起訴が相当とされる事案はどうなるのだろうか。 ・選挙違反をしても、遣り方次第では、あるいはある地位を得れば、罪を負わなくて済むことになりはしないか。公権力も巨悪に勝てないことになりはしないだろうか。然し、選挙で選択されることがいつも正しいとは限らない。自惚れ屋の政治家が大勢いるのではないだろうか。エゴイストが国家のためにどれだけ尽くす事が出来るのだろうか。疑念はある。 ・へ2・・・それ程自覚はないが、この連日の猛暑のダメージを受けている事だろう。ウオーキングをしていて、少し疲れやすいような気がする。朝晩少し涼しいようだ。昨日の早朝の高い空に渡り鳥らしい白い鳥を見かけた。近くの和白干潟に姿を見せる日も近い。自分の時代がどういう意味があるのだろうか。考えたいことはいっぱいある。 >宗像大社のミステリーゾーン
2010.08.31
コメント(0)
風倒木のこと 今日一日で八月も終わる。連日の猛暑で日本列島も悲鳴を上げているが、日本経済も同じのようだ。不吉な前兆というものが至る所にある。誰もが感じているがそれを的確に応えられないでいる。右脳が解かっているが左脳に翻訳できないでいる。日本人には細い脳梁しかないのだろう。以前鎌倉の鶴岡八幡宮の公暁由来の大銀杏が強風で倒れたことがあった。その時はそのニュースに驚いたものだ。 ・何度も観ているので、あの銀杏を知っているが、意外と弱い地盤の上にあったのだろう。どうも見かけに捉われてしまう。鳥渡した風だと思っていたら植林した杉や檜が風倒木になってしまったりする。それこそ人間も、スポーツマンで立派な体格もしている人が、突然倒れて驚くことがある。突然死が忍び寄っているかも知れない。サイレント・キラーもある。倒れる原因が必ずあるのだろう。 ・へ2・・・狭い庭に槇の木とモチノキがあるが、植えてから30年近くになり、随分高く伸びてきた。時々伸びた枝の剪定をしているが、ふと心配にもなってきた。もともと荒地を造成しており、それほど根を張っているようには見えないので、あまり高くなれば、強風に持たないかもしれない。いつも倒れてから騒ぐがそれではあとの祭りだ。ぼんやりしていては後で哭く破目にもなる。
2010.08.30
コメント(0)
雷が鳴って、夕立があり、ウオーキングが遅れてしまったが、爽やかな風が吹いて気持ちが好かった。あと一日で、9月になる。少しは涼しくなるだろう。 年月日曜日気温起床 歩数2010/8/1日28 3;4028,5512010/8/2月27 3;5027,1112010/8/3火28 3;1025,0562010/8/4水27 2;2024,3582010/8/5木28 3;4025,2302010/8/6金27 3;5524,7112010/8/7土26 4;1024,6222010/8/8日25 2;4023,6832010/8/9月26 3;5022,8152010/8/10火26 4;3622,5332010/8/11水28 4;5016,0652010/8/12木26 4;3523,1922010/8/13金29 5;0523,8912010/8/14土30 4;1016,3812010/8/15日28 4;0124,5112010/8/16月28 5;0222,2532010/8/17火27 4;3023,1552010/8/18水27 3;1521,9782010/8/19木26 4;4922,0982010/8/20金28 3;3023,1132010/8/21土27 2;5022,2512010/8/22日28 4;4530,1302010/8/23月273;2521,5152010/8/24火28 32022,5142010/8/25水27 4;3924,2262010/8/26木27 3;4527,4072010/8/27金27 4;2026,3232010/8/28土28 4;5524,2552010/8/29日28 3;3124,8152010/8/30月26 4;3022,812合計 711,555
2010.08.30
コメント(0)
問題は、極小粒子の人体への影響だ。人の肺の奥まで入り込んでくる。肺胞に極小粒子が付着する。・炎症―肺胞損傷―慢性呼吸器症―喘息。・毛細血管―毒性物質の流入―血液粘度増―血管収縮・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出す。・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。写真添付あり。 <自然発生源> 火山爆発、大規模山火事、黄砂、植物による炭化水素の発生源、花粉。アレルギー発症。 春に木、秋に草による花粉 <人工発生源> 家庭の暖房、製造による汚染、自動車の排気ガス、ゴミ焼却、火力・ガス発電による汚染。 ダイオキシンの問題。 生活の中で発生している極小粒子が人の肺の中に入り込んでいる。 殊に、Road Particles が問題。 ・排ガスだけでなく、道路のアスファルがタイヤによって削り取られ空中にまき散らされる。 ・タイヤの摩耗。 ・排ガスが太陽の熱で変化する。 自然から発生する土地や海などの極小物質は無害だが、人工的なものは有害になる。<室内空気汚染物質> バイオエアゾル 粒子上物質、ガス上物質、微生物、その他騒音、放射線。コピー機や事務用品などによるオゾンが人体にどのような影響を及ぼすか?
2010.08.30
コメント(0)
<作品>彷徨(習作)、裸像を盗む男(習作)、鼠(習作)、カツフエ・ラーヴェン(習作)・習作群。自分と他人の関係を書いている。自と他がテーマである。「他対自」かじ・死んだ妹を想う。自分をどう思うか。他人との関係を書かない作家。・日記との関係が重要。・矢野潔は実名を避けている。・「檸檬」・・ポーに傾倒した。同じように、結末にポイントがある。・伏せられた名前がある。渡辺・矢野と自分。・「日記」143ページ以下。・何のために習作が書かれたかの意味がわからないと関心が希薄になる。他人と自分の関係ではない。・人間がどこにもいない。・梶井は何を描こうとしたか。 「彷徨」(習作)、・同じものが二つある。書き直している。繰り返している。・はじめはモノトーク。・比喩として書くのが上手い。「手に砂が付いている。」詩的。詩になっている。正岡子規が始めた。「目で見たものをそのまま写す」。写生。梶井の特徴でもある。写生文。変容していく。心理を目に見るようにモノ化したのが漱石。・梶井と太宰との相違。太宰は、梶井を真似た。梶井のパクリがある。・すっきりしたもの・・・。晴朗な空気。太宰との違いがある。三島は梶井は好き、太宰は嫌った。・小説は判り易いとダメになる。・辿り着くべき結末。方向・ベクトル。容の違った反復。「檸檬」の爆弾がない。「檸檬」で成功し、ここではうまくいっていない。・梶井にとって、善悪が重要ではない。モラルで書いていない。・直哉の場合は、好悪=善悪と一体化している。・美・・・惹きつけられる。・この段階であるとどまっている。 「裸像を盗む男」(習作)、・他人と自分との関係。・標題を納得させるものがない。・肝心なことができていない。・暗示されている3人について書きたかった。書きたかったが、書かなかった。目指しているものが違う。本人と意図したものが違う。散文詩から散文(小説)他人の評価と自分の評価が相違している。・「丸善」が出てくる。「檸檬」にも出てくる。・金・借金・・・拘り。分からない。人間を支配しているもの。説明できていないもの。まだ「檸檬」・・までにはここではたどり着いていない。散文詩のレベルにとどまったが、多くの作家たちは散文と見做した。三島に影響を与えたなど。・梶井は自分の良さに気付いていない。堀辰雄・梶井の違い。 「鼠」(習作)、・「愛撫」・・と相対している。「愛撫」の着想がある。ねこ。猫に対する鼠。この作品が下敷きになっている。・完成された作品。ただ「愛撫」の方が文学としては優れている。当時は、梶井は、より小さいものに関心があった。レトリックを磨いた作品。・みるべき作品になっている。結末の選び方が上手くいっていない。良質な作品を残しながら、結末だけがうまくいっていないのではないか。・注目していい作品である。 「カツフエ・ラーヴェン」(習作) ・親しいRと敵対するSとの間の私を書きたかった。自分を脅かす存在がいる。・Sという存在。脅かすものではない。書かれなかった後が問題。完成していない。・Raven(からす)・卑屈な自分を許せない。・腕力・・暴力。に対する人類。檸檬に書かれていないものを書こうとしていたが、・・・。・中野重治「歌のわかれ、鑿」佐野の無礼は許せるが、それを許す自分が許せない。・ジュリアン・ソレル・・「赤と黒」。軍人か僧侶か。「罪と罰」自尊について書いている。・梶井の拘り・・・自尊。漱石や志賀直哉の影響を受けている。三島を評価している。・他人への拘り。立っているところが漱石と同じ。対人関係が漱石のテーマ。「道草」と「明暗」に、梶井は辿り着いていない。・詩・・私の感情を書くもの。私でありながら普遍性をもつ。私小説ではない。プロの作家が梶井を評価する傾向がある。本格的な小説は、むしろプロの作家たちには関心がない。
2010.08.30
コメント(0)
金峰山5,000回以上の5人 先日、漱石「草枕」に出てくる「峠の茶屋」に久しぶりに行き懐かしく思った。昔と随分イメージが違っていたが、それでも、帰途小天天水方面を周って帰ったので、金峰山登山口の看板があり、時間があれば登りたかった。車でも頂上近くまで行ける筈だ。熊本のシンボルは阿蘇山だが、熊本市の山は、665mの金峰山である。子どもの頃、何度か登ったことがある。娘たちが幼いころ義父も連れて登ったことがある。その時、義父が大変喜んでくれた。昔から登ってみたかったそうだ。玉名からも金峰山系は眺望されるからだろう。 ・金峰山は休火山でもある。頂上にテレビ塔があるのは、それだけ眺望が好いからでもある。若いころ何度か上京して、熊本に帰ってくる時、鹿児島本線を、荒尾から玉名にかかるころに金峰山が見えだすと熊本に帰って来たと実感したものだ。毎日のように、自宅が、金峰山の麓に住んでいたので眺めていた。 ・へ2・・・急ぎ足で歩いたら、慣れた人は1時間もかからない。驚くのは熊本市内から、毎日のように登っている人がいたことだ。昔も頂上に記帳する名簿があったが、いま気になったので、ウエブで調べてみたら、なんと5,000回以上のひとが5人いるそうだ。世の中には凄い人がいる。さるすべりという坂もある。ふうふういいながら登っていたことを思い出す。
2010.08.30
コメント(0)
ユダヤ系アメリカ人シンシア・オジック(1928~)「ショールの女」(1989)の紹介が女子大の講座であったことがある。「ユダヤ人」とは誰か」というテーマだった。ローザというユダヤ人の少女が、幸せなワルシャワでの少女時代からユダヤ人絶滅政策によって強制収容所で最悪のスラム地区ゲットーで(すし詰め状態の50万人と同じように)不潔、飢餓、チフスの中で暮らす。しかも孤立する。(外界から完全に隔離されていた。) ・凍える寒さ・・地獄のような寒さ。 ショールの中で乳児マグダが死んでいる。 ・空腹・・・・・ジャガイモ1個のためなら魂を売ってもよい、というものが空腹である。 ・ローザは生き残り、ホロコースト難民としてアメリカへ。彼女は58歳、トラウマ、自己嫌悪、他者不信に悩み、偏屈で、気難しい女性になり、今はマイアミの安ホテルに滞在している。35年後もホロコーストは終わっていない。 過去>現在 過去のトラウマにとらわれたままである。 ・メンターとなる人はいた。71歳ユダヤ人。ローザのメンターになる。 メンターとなるひとの叡知 ・「お茶を飲み、おしゃべりしよう」 ・「私は申請用紙かね。よかろう。お前さんが申請し、私が受理しよう」 ・「どんなことにもいい面と悪い面がある」 現実的でなければ生きていけない。 ・ユダヤ性の回復。ウィットがなければならない。感謝のこころ。ローザはポーランド人・ユダヤ人、そしてアメリカ人という重層している。そこにアイデンティティの確立ができるかであろう。そして「アウシュヴィッツは終わらない」
2010.08.30
コメント(0)
何もしないでいられるか? 作用と反作用と、原因と結果とあるように。やり過ぎても、自滅する。じっとしていたほうが身の安全かもしれない。ひとは何故危険を冒しても遣ろうとするのだろうか。そうしなければならないと思うからだろう。絶対ということはこの世にはない。神以外にはない.と信仰する人たちは言う。無神論者が間違いを冒し、普遍的真理を理解しないではないだろう。信仰があるために不幸になると言えなくもないと思う。 ・出自や、才能だけで豊かな人生になるわけではない。腕力や権力で、相手の心を動かすとは限らないだろう。若者たちは自分が何をしなければならないのか苦悩する。自分の役割を知ろうとする。与えられたものが何であるかを決めなければならない。学校では、与えられた課題を上手く遣る事であるが、社会ではそうではない。自分で課題を決めるのだ。それが自立でもある。 ・へ2・・・国家が個人に対して自由を奪い或いは義務を課して檻の中へ追い込んでしまうこともある。死ぬ自由しかなかった兵士たちもいた。そして現代社会において、そのことがないとはいえない。自爆テロはどうしてあるだろうか。何故独裁政治があるだろうか。誰か一人や少数の犠牲の上にある社会ではない。多くの人たちがそれを信じ、そして支持することがなければならない社会でもある。動きださなければ不幸も幸福もない。
2010.08.30
コメント(0)
アメリカの活力は、異文化の坩堝だからだ。然も黒人差別と女性差別の克服をずっと続けている。変動への動力は、同質ではなく、異質を取り入れることで活力化が可能となり、進歩が生まれる。差別を克服しようとして、アメリカは勢力の拡大を可能にしてきた。日本の場合は、同質な文化を守ろうとし、異質を排除したために政治的動態が閉塞している。世襲は、衰退の幕引きをする。北朝鮮もそのことに何れ気付くだろう。日本も異文化を積極的に導入して行くべきだ。純血主義は、リスキーな選択に過ぎない。かって、教養のない下級武士が明治をリードしたように、地方出身者が、躍り出て、国を活性化した。世襲を以て謀ろうとしても、ことは成立しなかったに違いない。日本の政治も、旧弊を捨て切れないようでは、真の活性化は望めない。日本の政治が低迷し、疲弊しているのは、政治家が多く世襲でしかないからに他ならない。勿論政治ばかりではない。異質を拒絶しているセクトはどこも同じだろう。
2010.08.30
コメント(0)
いつまでもどこまでも先がある個としての自分の生命は、一瞬のうちに終わってしまう。まだ随分先にあると思っていたリタイアが始まり、訳が解からないまま数年来たような気さえする。まだ高齢化社会の中でガイドラインのないスペースでもある。少し甘やかされてきた。あなたは何ものですか?それに確りと応えられるひとはいるだろうか。勿論いるに違いないが、それでも自立心を以って自分らしくある人は少ないのではなかろうか。・本当に豊かな社会に住んだことのない人ばかりだろう。だから歪な社会のなかでもそれと感じないのではないだろうか。自由であることを懼れていたところがあるだろう。他人と同じでないと不安に駆られても来た。本当は自分は何をしたいのか明確にできることさえ難しい。自分では、勝手に活きてきた思いがしないでもないが、それでも五十歩百歩の違いでしかない。 ・へ2・・・向上心のない人間は駄目だと言われてきた。寧ろプロセスが問題なのだとも。それをどれだけ実践できるだろうか。今自分がどういう考えを持っているかと言えば、それは教育の所為ではない。現実の社会で生きてきた経験からきているものが多い。過去のことは過去でしかない。今何をすべきか今考えるしかないと思う。
2010.08.30
コメント(0)
いまのうちに これまで生きてきたが、はたして自分の受けてきた教育がどれだけの価値のあるものであるかよくわからない処がある。それは食べ物に似ているようだ。なにがどのように栄養素が作用して、どのような形になって、自分の体に作用しているか隅々まで理解しているわけではない。たんぱく質とか炭水化物とかビタミンといったところで、恐らくミクロの世界になれば専門家だってどこまで解かっているかわからない。或るものは他のものと混ざり、そしてさらに他のものと溶解して変化もする。 ・梶井や堀辰雄は、これまで殆ど読んだことはない。作家と作品くらいはテストで覚えたが中身までは知らない。そういえば教育と言っても入門編を遣ったくらいだろう。社会で役立ったことがどれだけあるだろうか。刷り込まれた道徳があり、親の真似をし、友人との遊びの中で学んだし、学校で自分より優秀な人間が大勢いることしり、博学の研究者に頭を叩かれもした。それで学んだと言えるわけがない。一葉や漱石や芥川など講座で一読して来たが、少し読書の仕方を教えられたと思う。 ・へ2・・・日本人が日本文学を学ぶことは考えてみれば、到って当然のことであり、老化して行く中で、私にとっても、ことばの世界は残された処女地でもある。自分にできることをすべきであり、できないことをしようとしてもできはしない。おそらく70歳になれば何も出来なくなる。今のうちに。
2010.08.30
コメント(0)
教義の下で 多神教徒をみつけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、あらゆる計略でこれをまちぶせよ。(第9 悔悟章5) ・・・そのとき、なんじらは、彼らの首をはね、また彼らのそれぞれの指先を打ち切れ。・・・信仰するものよ、なんじたちが不信者の進撃に遭うときは、決して彼らに背を向けてはならぬ。(第8 戦利品章12~) ・イスラム教では来世は現世のつづきであり、そしてアッラーのために死ぬならば楽園行きが保証される。ジハードに参加することは宗教的美徳の証とされたのだ。どうやら日本人の常識をはるかに超えている世界がある。・コーランの詩文は(伝統的な韻律詩文は複雑だったが)単純な韻律の散文詩で、誰でも唱えやすく、そのコーランの音楽性にも魅了されるといわれる。しかしそれよりも重要なのは、ムハンマドが無学文盲にもかかわらず、これほど美しい詩文をつくりだせるはずがなく、にもかかわらず、だからこそ、確かに神からの言葉なのだ、とアラブ人たちは信じたことだ。 ・メディナに住んでいた人々は農業で生計を立てていたが、ムハンマドが連れてきたイスラム教徒は農業になじみのない人々であった。そこで彼らは飢えないために、メッカからくる隊商を襲って金品を強奪した。事実上の強盗であるが、何かを生産するという観念がまったくないため、金品や女子を強奪することは正当な経済的行為として認められており、彼らの冒険であり、娯楽でさえあったという。彼らはこういう戦いを「ジハード」と呼んでいた。・私たちは自分の育った環境で、自分たちの世界観を作り上げる。それは生物の宿命でもある。神が存在すると教えられ、その教義を学べばそれを信じてしまうのは当然の帰結だろう。それでも、違う世界が存在し、違う言語ともに全く反対の教義があるかも知れないこともある。
2010.08.30
コメント(0)
物事は絵のようには中々いってくれない。何か欠けてしまう。然し世の中にはわざと完璧を避けることさえある。東照宮がどこが完璧かは知らないが・・・。酒井法子も創られたイメージであったのだろう。その化けの皮が剥がれたに過ぎない。その裏があるだろうか。あるかも知れないが、それはどうでもよい。絵のようにあって欲しいというのは、童話の世界ばかりではない。夢と現実を割り切ることのできない人間もいる。それで内に秘めていれば良いが、時々コントロールの利かない人もいて、暴走もする。 ・自分が先にあるのではなく、社会の中に自分がいることを忘れている。時代認識を忘却することがある。ブレーキを持たない車を運転することにもなる。いつも整備された有料道路を走っているのではない。日本では有料だが、有料ではない国もある。それこそ、民主党政権は無料にするだろうか。絵に描いた餅は食えない。 ・へ2・・・自分が描いているイメージ通りに社会がある訳ではない。人間も同じだ。美人の全てがきれいなのではあるまい。汚いところもあるが、やはりみた目が美しいから美人なのだろう。それに異存はない。だが、世の中は美人ばかりではない。美人だけの世界でもない。人間はみな美しいのであり、美人だけが美しいのではない。老人にも若さにはない深い歓びがあるに違いない。
2010.08.30
コメント(0)
ベトナム戦争は、1960年から15年間泥沼の戦闘が続いた。代理戦争だった。南北ベトナム人の200万人が犠牲となり、米軍が介入し米兵が54千人戦死し、米国は、1500億ドル戦費が注ぎ込まれたが小国に敗れた。以前「エノラゲイ」の特集があり、アメリカの少女が「原爆投下」を正しかったと主張していた。どうやらアメリカの一般的世論らしい。原爆投下は終戦を早め、将兵を救ったというのが彼等の主張だが、わざわざエノラゲイの乗組員が今年も「われわれの遣ったことは正しかった」との声明を毎年繰り返していた。200万人と5万4千人との生命のバランスはどう考えてたら良いのだろうか。原爆投下は、たとえどれだけの論理を積み上げようと、それは人類への反逆であり、すべての人道主義に対する否定であろう。それを許すのであれば人類は、何も未来を語る資格さえないだろう。原爆の廃絶、そう決意しなければ、人類の生き残るべき余地はないだろう。「偏見」が悪なのは、それが平和に最も遠いからであり、人類を崖の淵に追い込むものだからだ。ベトナムは、200万人の犠牲の上に建設された共和国とは、圧倒的な敵と不屈の精神をもって闘ったひとびとの誇り貴き子孫だろう。
2010.08.30
コメント(0)
自分を甘やかせているもの 自己保存の法則が、生物としての自分を守っているのだから、それはどうしようもない。加齢による免疫の低下は避けようがない。こうしていつもの朝を迎えられるのは、ある一定の条件の下で繰り返されているに過ぎない。何も奇跡でもなんでもない当然のことが、因果律によって起きてもいる。自分で独りで悦んだり悲しんだり。人間の存在が「複雑」だ、という意味をどこまで理解しているかの程度の差でしかない。 ・その人の裡で起きている感情は、複雑過ぎてことばには到底表現できないでいる。然し作家たちはそれをやろうとして、様々な表現力で人間の複雑さを文章にしようとする野心家たちでもある。読者はそれが高く上がり、大きくて優美であればある程悦んで賞賛するが、それは花火のように一瞬で消えてしまう。それは僅かな人の瞬間のことであり、人間のすべてではない。 ・へ2・・・物語は遍く針小棒大に過ぎない。人間には美しい時も醜い時もあるだけだ。どんな天才も、どんな凡才も跡形なく消えてしまう。人びとの記憶にあるものはそのひとだけの脳細胞の中でしかない。もう朝晩虫の声が高くなってきた。然しその声は、昨日と同じではないだろう。私にはその違いが解からないだけだ。豊かな自然の営みをすべて嗅ぎわけるだけ能力などない。だが知っている。私は奇跡の種としてのヒトの末裔でもある。
2010.08.29
コメント(0)
人間が死ぬ瞬間には、脳内にベータエンドルフィンが大量に分泌されて快感を得られる のだという。但し自殺者は違うらしい。私は、今の生活にストレスを感じているが、乗越え られるだろうと思う。拠って立つ自分の置かれている環境と、遺伝的要因が限界をも想 像させるが大したことではない。日本人は、忍耐強いと言われる。国民性もあろう。狭い 国土で鎖国を経験し、世界の列強に伍して行くためには、富国強兵で国民の権利を制限 しなければならなかっただろう。そして、現在資本主義経済の只中で、新たな選択を迫ら れている。個々人が個性を問われてもいる。「甘えの構造」があるだろう。周囲を頼る依 存性も抜け切れてはいない。ナオトニー的な資質もあるだろう。それが何であろうと正面 から取組んで克服しなければ、明日はない。「青いバラ」は、ペチュニアで失敗して、パンジー由来の青色色素で、バイオテクノロジー の遺伝子組み換えによって成功したと聞いている。
2010.08.29
コメント(0)
人生はあきらめないひとのためにあるのかもしれない。決して止めたりしない。明日があることを信じて。 年月日 曜日 気温 起床 歩数2010/8/1 日 28 3;40 28,5512010/8/2 月 27 3;50 27,1112010/8/3 火 28 3;10 25,0562010/8/4 水 27 2;20 24,3582010/8/5 木 28 3;40 25,2302010/8/6 金 27 3;55 24,7112010/8/7 土 26 4;10 24,6222010/8/8 日 25 2;40 23,6832010/8/9 月 26 3;50 22,8152010/8/10 火 26 4;36 22,5332010/8/11 水 28 4;50 16,0652010/8/12 木 26 4;35 23,1922010/8/13 金 29 5;05 23,8912010/8/14 土 30 4;10 16,3812010/8/15 日 28 4;01 24,5112010/8/16 月 28 5;02 22,2532010/8/17 火 27 4;30 23,1552010/8/18 水 27 3;15 21,9782010/8/19 木 26 4;49 22,0982010/8/20 金 28 3;30 23,1132010/8/21 土 27 2;50 22,2512010/8/22 日 28 4;45 30,1302010/8/23 月 27 3;25 21,5152010/8/24 火 28 320 22,5142010/8/25 水 27 4;39 24,2262010/8/26 木 27 3;45 27,4072010/8/27 金 27 4;20 26,3232010/8/28 土 28 4;55 24,2552010/8/29 日 28 3;31 24,815合計 688,743
2010.08.29
コメント(0)
テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2010.08.29
コメント(0)
久しぶりの虹がみえた雨雲がかかり時々強い雨になった。いつまで親子でドライブが出来るのかわからないが、猛暑日になった昼間に宗像大社へ。さほど広いというほどでもないが境内を小一時間かけて一周してくるだけだ。運動不足になりがちな妻子を連れだして好い運動になっている。半分は、買物が目的でもある。これまで娘が仕事で忙しいこともあって出来なかったが、一年前に転職したので、どうやら時間の余裕ができたようだ。 <作品> 「器楽的幻覚」、「冬の蠅」・草稿からいくつかの作品が生まれている。モチーフ・・・複数の作品になる。・連想。羽虫・・・船。空・・海。作家の思考のスタイルである。・「テーマ」を隠す。草稿と決定稿との相違。連関。・作家が何を考えていたかを考えてみる。・理由は書かない。決定稿ではわからない。寧ろ草稿を見る必要性が梶井にはあること。・「海のような闇」。空が闇になる。・「桜の木の下には」屍体が埋まっている。・・・メモは昭和3年ころ。・「冬の蠅」・・・メモの存在。・着想・・・梶井の作品に対する視点。・「かいつまんで言えなければ理解していない」。理解できていないという意味。・梶井はある一つのものがひとつではなく、ふたつのものが混在する。感覚の世界。二つのものが一つに融合する。 「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。知識ではない。・小説は説明の世界であり、それを梶井は、「感覚」で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価が高い。・草稿は散文的で、「決定稿」で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや?」、の感覚。日常が非日常に変わる。・刺激が強すぎる。・・・老人には。理解できるかどうか?・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。「ふっー」と浮かぶ。・「おりてくる」。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲には容易には分からない事が多い。・この作品の梶井のアイデア。「こころの緊張」が別のものをもたらすという。・「破れ目がもたらすもの」。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。固まるようになる。聴衆は、演奏者に注目が集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。に梶井はその相互作用に関心がある。・他人に知られない犯行とか。・侯爵を殴り倒すことを想像する。危険なことを想像する。・調和して物を壊す。「石化」で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。 「冬の蠅」・<3>で私の意志で殺しているのではない。自分の運命と重なっている。・志賀直哉「城の崎にて」に於いて「蜂・鼠」の連想。「生きんとする意志」。死んでゆくさま。悪戯心。関連。・故意か過失か。「高瀬舟」どちらかわからない。・・・「藪の中」「范の犯罪」・蠅からみた着想。横光利一「蠅」。・蠅・・・病気。バイ菌。病人である梶井が蠅を見る目。距離感。・見ているものの一部が乗り移る。同化がある。・高村光太郎「冬が来た」光太郎は冬が好きだった。・草稿では「冬がやって来た」が書き出しだった。・落日・・・文学的表現。・・・冬の日。・蠅と自分の共通点。・疲れているのにうっかりバスに乗る。危ないことをする。わざと相反することをする。・「意志の宙ぶらりん」危険を呼び込んでいる。・蠅が死ぬこと。蠅の運命と自分と運命と重ねている。・瞬間、瞬間を書いている。一瞬のことを見つめる。凝視する。・死神をモノ化して書いている。・テーマを暗示するものを書かない。わざと書こうとしない。 以上。
2010.08.29
コメント(0)

私たちは日ころから「普遍性」について理解していると思っている。そして疑おうとはしないものらしい。周囲の人々がその世界観や価値観をもっているという期待をもってもいるが、それが確信といえるか?ということがどこかで不安もある。常に検証しないと安心できない人間もいる。人々は或る種の共感の上に成り立つ社会の環境を夢想しているのかも知れない。少なくともそれでは挫折するのは目に見えている。 ・然し時々姿を現す現実社会に落胆もする。「普遍性の確信」が途端に崩れてしまうかも知れない。教育システムは「現実」と「理想」の存在を証明しようとはしなからだ。現実は、理想社会ではない。テキストに書かれたものと違う環境にさらされている。 ・へ2・・・幼児教育から「普遍性の確信」についてのスキルを受けていないが、これからでも、学ぶ努力をすべきだ。何が「普遍性」といえるかを検証しなければならない。それは社会と個人の問題でもある。そして国際社会で通用するものかだ。世界から孤立しては意味がない。小国であろうと大国であろうと・・・。
2010.08.29
コメント(0)
・シラーの詩「人質」と古伝説のカバーとアレンジで「走れメロス」で学校の教科書というのはどんなものだろうか。確かに国語の時間で読んだ。芥川にしろ、太宰にしろ、評価は違うとしても文学者の一角をしめた作家たちだろうが、それがあちこちからそれが発掘はあるとしても、余りに安易なのではないだろうか。 ・へ2・・・少なくとも、文学者の名を貶めているのではないか。作家の品格がないのではないか。もしそうだとすればそれを商品化した文学界とはなんぞや。サロンのどうのというレベルではない。まあ素人ですから、見当はずれかも知れない。文学とは綺麗ごとではないといわれるだろう。現実とかけ離れてあるはずがない。それが時代の反映でしかないともいえる。太宰が昭和15年書いた中で、市民とはなにかと問い、2.26や日中戦争といった時代背景があることは想像できるが、どれだけ真剣に作家がどうあるべきか?とどれだけ考えたのだろうか。 ・乱作しまくりで、やがて枯渇していく作家たちを見殺しにしたのは大衆の存在でもあるだろう。日本の作家たちにみられる貴族趣味は愚劣でしかない。等身大で描けるだけの内部蓄積がなかっただろう。宗教を持たなかった思想の貧困であっただろうか。日本の女性が自分の一枚の皮膚に拘りつづけて、ついに精神の気高さを忘れてきたように、その陰で男社会が堕落して芸術を作家という名の子供たちの玩具にしただろうか。 へ2・・・狂い咲きしたか、それとも熱砂の砂漠に潜り続けているだろうか。底の浅いものでしかないだろう。そして成功者と呼ばれた文学者が陥りやすいリスクに容易くも刈とられていったのだろうか。それこそ貧者一燈にも値しないとすれば日本語は絶滅するだろう。
2010.08.29
コメント(0)
静かに考えてみる とうとう8月は毎週日曜にドライブになりそうだ。どうも空が怪しくなってきたが雨になるかも知れない。宗像大社で森の中を歩くのが好い。娘も来るらしい。どんな気分で暮らしているのだろうか。親子でさえ、よくわからない人間関係であるが、どこかでつながるものもあるに違いない。それがどこまで理解できているだろうか?大社の中を歩いてから、帰途道の駅で買物をして、太閤水の水を汲んでくる。これも、家族と一緒に過ごす大事な時間でもあるだろう。一日を、安楽に活きているものもいれば、苦しみながら24時間を過ごしている人たちもいるに違いない。今日は、「24時間テレビ」があっているが、その時だけのことだけでなく、自分の暮らしや、生き方を静かに、考えてみることは必要なことだろう。
2010.08.29
コメント(0)
<作品> 「聖家族」 ・題名・・・の意味。 ・ラファエロの「聖家族」の絵画がある。・父の問題が潜んでいる。・母と子の絵画。・「九鬼」・・・芥川のこと。・堀辰雄・・・関東大地震に遇う・・・母の死。と肺病が発覚した年。・片山廣子・・・総子(ふさこ)母子。・フィオナ・マクラウドの翻訳(者)「かなしき女王」。・片山は、芥川の年上。年齢差がある。14歳ぐらい。普通の男女の恋愛ではない。・自分の名はどうでもいい。周囲に知られ始めていた。片山は未亡人。・細木(「ほそき」)ではない(「さいき」)と読む。・芥川・・・実母は狂人だった。ということは鴎外も世間もそのことを当時は知られていなかった。それを告白したのは、当時は、衝撃的だった。・文士と片山は名家の未亡人。銀行頭取の妻。・施頭歌。・片山の手紙・・・添付資料。芥川の死の直後の手紙を講師が読まれた。・秀しげ子・・・芥川の愛人。肉体関係がある。38 復讐。・芥川と片山の関係は、プラトニック。・「或る阿呆の一生」の引用。・・・「聖家族」・・・似ている。・メレメの書簡集。・「死の素描」にもある。 「どちらが相手を多く苦しめることができるか試して見ましょう」 ・総子・・・宗瑛。「物語の娘」・細木夫人・・・片山廣子のこと。その娘の総子。 ・小説の読み方・・・個人差。素直に尊敬することはない。師に反逆している。 ・堀辰雄も芥川に対して尊敬だけでない。反逆の気持ちである。・絹子は、堀辰雄に好意をもっていないといっているが内実は解からない。・江藤淳「昭和の文人」堀辰雄を嫌っている。極端な見解。・絹子。ラフアエロの母子像。・堀は、前に書いたことをひっくり返す。繰り返し書く。・書きだしの「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」 芥川の「或る旧友へ送る手記」 何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」 ・宮本顕治「敗北の文学」・・・芥川論。 ・井上良雄・・・芥川の死がきっかけになった。・芥川の死は、大きな影響を世間に与えた。時代の空気を端的に反映した文学者。・三島の死とは違う。飛び抜けた行動。現在は評価されない。・江藤淳と小林秀雄の対談。・梶井・・・理由のわからない不安。・「聖家族」にもある。・中村真一郎「死の影の下に」。・末期の眼・季節は開く。・死→生・小説のパターン。この「聖家族」も、 「死は何ものかを生む」 ・母子・・・聖家族なのかよくわからない部分がある。・芥川・・・廣子ではなく、総子が好きだったのではないかという疑問がある。堀辰雄が、この関係を利用したのではないか。読者に誤解させるように書いているのではないか。彩を付ける。実際のところ解からない。影を落としている。読者が事実とフクションが交錯している。予想以上に複雑な影を落としている。・開かれたイメージ。・死の連鎖ではない。あらたな生を生む。・芥川の「蜃気楼」「海のほとり」・漱石・・・芥川。九鬼の死が、扁理の生へ。・堀辰雄・・・芥川の死後編集したことの意味がある。・死の下にあった新たな生の諸相。ここで小説を閉じる。ことが冒頭の言葉になっている。死から何が生まれる。連鎖ではない。様々な生。陰影を帯びてくるというのが堀辰雄の好みでもある。・複雑微妙に思わせようとする小説が多い。堀辰雄の好きなのは解からない方が好きである人間ではないか。・本当は、死の影だけでは、生きてはいけない。 ・フランスの小説のように書きたかったのが、堀辰雄の「聖家族」である。 ・好みは価値ではない。・「めざめ」影響が、つぎつぎに連鎖を生んでいく。「死」に引き留めようとして書いている。生と死の相克がある。
2010.08.29
コメント(0)
何の目的? ブログを書いているのをみると、どうしてそんなことを書くのか知りたくなるのは当然だし、それに書く方も何らかの意味で応える義務もあるに違いない。お互いに話し合いながら、意識を高めあって行くのはブログの一つの目標にもなっていると思う。人間関係を悪くしては、ブログの存在理由にはならない。最近はマスコミをブログに就いて騒がなくなったが、或いはブログ人口も減少しているのだろうか?詳しくは知らない。 ・つぶやく方が、流行っているのかもしれない。社会現象は、つねに流動的でもある。自分のことはある程度判っているつもりだが、他人からどう思われているかとなると、あまり関心がない所がある。どうしてか?に対する親切な回答をあまりしていない節がある。それは、こちらに時間がないこともある。他人との付き合いも、遣りだしたら、もとの木阿弥にもなる。それは口実かもしれないが、そんなに甘い社会でもない。 ・へ2・・・八方美人で生きていける人はそんなにはいないだろう。自分も世の中をみているが、世間から自分も「肴」にされている。お互い様だから腹を立てるわけにはいかない。利用し利用されているのが、この社会のルールでもある。私は風景を視ながら思っているが、「風景」も私を視ているかも知れない。堀辰雄の講座で、風景が自分を視ているというフレーズに就いて講師が解説していた。とても「小説」では語れない人間がいるのだろう。或る一面のことでしかない。多様な人間の姿はことばだけではない。
2010.08.29
コメント(0)
個人的には右と左の両の手がなければ困る。二本の手が合わさって、モノを運ぶし、両手で色んな役割を果たしている。もし片方の手しかなければどんなにか不自由だろうか。数え上げたら限がないくらいにあるだろう。片手で受けられる水の量は少しでしかないが両手を合わせて、喉を潤す水を得ることもできる。互いに助け合ってモノを為すことができている。 ・然し、社会には、一人には片方の手しかない。それは自分の意志を示す時に使われるものだ。賛成か反対かだし、イエスかノーであろう。社会では他人の手と協力しなければ、水道の水も自分の片手では満足した水を得ることができない。他人の片手と自分の片手を合わせて水を飲まねばならない。独りでは生きていけない。プラスとマイナスと世の中にはあるが、プラスだけでは、この社会は成立しない。マイナスを引き受ける者がいる。そして成立し秩序づけられてもいる。 ・へ2・・・個人としては、円満に生きるとことができても、社会ではそうはいかないだろう。自分だけで社会がある訳ではない。他人と協力しなければならない。自分の意志通りにはならない。我慢し、忍耐し、待たなければならない。賛成ばかりでは社会は捩じれてしまうだろう。反対する者がいて、確りその主張を聞かなければならない。どんなときにも、どちらかの手を上げて選択しなければならない。もう一つの手は、白旗を揚げる時にしか使えないのだ
2010.08.29
コメント(0)
狙っているものは何か? 視野を拡げようとするあまり精度が落ちてしまう。全体が暈けて視えてしまう。「美しい村」のポイントは「野薔薇」であり、野薔薇は少女の比喩である。それを作品の中で、その箇所にアンダーラインを引いて、そこだけを追いかけるという読書法もある。これは文学部の教授の助言だ。天才の書いた作品には色んな装置が準備されており、それほど読み熟しているわけではない読者が、すべてを知ろうとしても無理だろう。日本文学を40年近く研究して来た教授の眼は、私たちとは違う。 ・その人に相応しい読書の仕方があり、取組もある。自分が読んで感じたことが核心を捉えているのかそれは、簡単ではない。おそらく何度も読んで、すこしづつ解かるくらいだろう。堀辰雄の「風立ちぬ」で、「・・・ような」という文字をどれだけあるか、数えるように言われて数えたことがあった。成程多かったし、漱石の作品では、登場人物の名前が何回出るか、数えたこともあった。堀辰雄は雰囲気を描きたいのであり、漱石の場合は、作家の関心が誰にあるか、を知るためだった。 ・へ2・・・余りに広く視野を広げ過ぎると、自分の脳が付いていけなくなる。それこそ自分の小さな網で捕らえようとする獲物は大き過ぎては逃げられてしまう。研究者でさえ、小さなものを追いかけている。そんな小魚で満足するのかと思えるが、それがまた、遣れば大変なのだろう。
2010.08.29
コメント(0)
個人のフラストレーションもそれが自分内のエリアで終われば大したことにならないのが普通だろう。暴走するフラストレーションもある。これが他人の権利を脅かし、ついには社会秩序のルールを逸脱して、犯罪にもなる。引き起こすものはストレスだろう。ストレスは万有引力による重力のように常に生物を地上に押し付けてもいる。ひとは膨脹し易い厄介な存在でもある。身の程知らずという。 ・物議を齎す人間の多くが、身の程知らずのフラストレーション野郎でもある。人間が抱えている自分の課題を卑劣に逃げようとしていることが多い。誰もが苦労して生きている。ズルをして生きてはならないのだ。自分だけが楽をしようとする。「薬」に頼ろうとする。それを許している社会がある。「薬」にも合法と非合法があるだけだ。麻薬によって人格を破壊され、国家も存立を危殆に瀕した歴史さえある。この社会には目には見えないタブーがいくつもあるがいってはならない名前さえある。 ・へ2・・・自由社会だと勘違いしている。自分だけがフラストレーションを持っているのでも、ストレスがあるのでもない。誰もがもっている。そしていつも軌道を外れる。常軌を逸してはならないのであって、そのためには自己修正しなければならない。それは自己責任でしかない。「Aは非Aに非ず」が公理である。そろそろ私もフラストレーションが蓄積してきたようだ。イエローカードが出る前に、すべきことがあるようだ。
2010.08.29
コメント(0)
加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より 特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大は、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 問題の所在は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているの だ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。 どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ 移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな 異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは消去される。
2010.08.29
コメント(0)
社会の企み 壮大でもないが、ある企みのある社会だ。狭い隙間から社会を学び始め漸く総体が視えてきた頃には手足が無くなっている。何も言えなくなってしまうのだろう。砂浜で築いた砂の城は、一つの波で消されてしまう。涙の雨も降るわけだ。ひとは後悔するために活きているだろうか。ただ成し遂げられそうもない夢を嘆いているのだろう。個としての人間の存在が益々小さくなっている。人間の存在が神の末裔のように見えた存在から、コペルニクス的転回がされて、地球でさえ、宇宙から見れば砂の一つでもない。人のたくらみもそれは、無意味なのだろう。何の重さもない。時間の中ですべてが消滅してしまうのだ。月面から中継されていた漆黒の宇宙が普通の宇宙の容であり、私の仰いでいる宇宙ではない。夢はいつまでも続かないだろう。
2010.08.29
コメント(0)
一つの特徴 商品価値を求めている社会があり、謂わばその鬩ぎ合いがあり、神経をすり減らしてしまう。ストレスは社会が仕向け自分でも創り出してしまう。ニッチを追及するのは種の保存の宿命だけではない。社会的動物である人間は、つねに生存競争に晒されてもいる。複雑化した社会では、価値観が一様ではない。敵が敵であり、味方も敵になる。ステージをアップするほど先鋭化する。 ・この社会で生き残るためにスペシャリストになろうと高い壁を越えなければならない。そのためにどれだけの時間と労力を必要とするだろうか。縦しんば運よくその専門家になったとしたところで、その先がある。社会的ステータスを得なければ一人前に発言できない。常に前進しなければそこへは届かないらしい。一生かけてそれにチャレンジしろと社会から要求されている。 ・へ2・・・年々社会の壁は高くなってきた。とても越えられそうもない目には視えない万里の長城が立ちはだかっているようだ。そう思ってきた。それは幻想ではないだろうか。時代が描きだす集団陶酔がある。イラク戦争はなんだったのだろうか。独り勝ちのアメリカでさえ、あの巨大なエリート集団でさえ、誤りを起こすのだ。そしてそれを未だに修正できていない。
2010.08.28
コメント(0)
アポトーシスから老化死まで、1日あたり数万レベルのオーダーでニューロンは死滅する。タテ社会日本の科学界では、まだ 権威主義が蔓延り続けている。この枠を突き破る者が出て来ぬ限り、未来は窒息し続けるだろう。彼らは適応に乏しい 人たちでもあるだろう・・・。悪条件では長生きできない。ラッキーな偶然が重なり幸運が味方しないと消えてしまう。 それこそ未来のカードを持った少年たちが専門家を凌駕するかも知れない。一学者のたった数十年間の知識など知れたもの。 逆転の発想により生まれた新発見は数知れない。権威に溺れる者の醜悪な末路はアポトーシスに相応しい。 全く無駄、無価値で害毒だと思われるものも、その時そう思われただけで実はそうではなかった例はいくつ もある。かって 酸素がそうであったように・・・。 そして下半身不随の脳性まひの喋れない天才がヒトの救世主になるかも知れないのだ。 厄介者扱いされている人たちの中から救世主が生まれるかも知れない。 むしろ、その人たちをサポートする装置がこの社会に整備されていない方が問題なのではないか。 どこからでも天才が出て来なければならない、そしてこの社会を未来に導くのだ。 これまでの権威には少なくとも明日の光は射さない。 準備をして、新しい朝を迎えたい。
2010.08.28
コメント(0)
この暑さに歩数も伸びませんが、何とか最低ラインは達成した。あと3日間しかない。明日からも暑さは続くようだ。この猛暑は逃げられない。無理はしないつもりだが。自分なりの挑戦は生甲斐でもある。皆さんも熱中症にはどうぞ気をつけて。 年月歩数日数2008年4月258,124152008年5月461,505312008年6月454,828302008年7月492,053312008年8月479,175312008年9月607,612302008年10月635,399312008年11月562,374302008年12月629,723312009年1月628,603312009年2月587,391282009年3月700,366312009年4月686,126302009年5月704,517312009年6月610,392302009年7月646,126312009年8月655,742312009年9月682,647302009年10月749,592312009年11月682,170302009年12月683,681312010年1月675,525312010年2月637,727282010年3月735,903312010年4月778,075302010年5月814,547312010年6月780,407302010年7月748,643312010年8月663,92828合計18,432,901865
2010.08.28
コメント(0)
NHK的史観 テレビで学んだ視覚から来る知識がベースになってきたのは、どこの国でも同じなのだろう。子どもの頃テレビはなかった私たちでさえ、戦後のGHQによる大衆支配でもある、NHK的言語の標準化に始まる文化支配が刷り込まれたと言えなくもない。方言は、軽視され無視されている。果たして地方分権は現実的な課題なのだろうか。コロコロ変る政策は、ビジョンのなさが根底にある。 ・NHKの高校野球や、大相撲や文化の権力迎合が果たした役割はまだ続くのだろうか。それに代わるものがないという理由で情報は固定化するしかないとすれば、日本に未来はあるのか。問題の先送りばかりしてきた政府が、国民に赤字財政の負担のツケを回している。破綻につながることばかりしてはいないか。 ・へ2・・・「空白の十年」のバブルの原因を創ったのは誰か。日本は国際社会から見棄てられるかも知れない。活力のない国家は生き残れない。GHQの指導や、権力に従属した機関から、創造的なビジョンは生まれない。何から脱却しなければならないだろうか。何が普遍的論理であり、何が拘束か?
2010.08.28
コメント(0)
日々嬉しくなったり悲しんだり、些か恥ずかしい話しだ。明日のことも知らないのに、来年のことはもっと判らない。それでも悩んでしまう。地震は突然くるし、人々が不安に怯えている。これからの社会がどうなるか誰も不安でたまらない。これは勿論一寸したどころではない。それでも、起きるモノは起きる。個人の悩みも国家レベルの 大事件もある。次々に物事は惹起しては、大騒ぎをし、そして忘却される。宇宙からみれば、私たちの日常は全てほんの一寸した出来事に過ぎない。人間の遣ることはすべて些細なこと。軽薄な思考で生きている私などは時々落ち込む破目に。そうだと判っていても直ぐ肝心なことを忘れてしまう。 自分が他人より優れているとか、利口だとか、幸運だとか思っている人は、大抵自惚に過ぎない。 それは間違いない。
2010.08.28
コメント(0)
オリジナル 作家は、オリジナルであろうと苦心して出来る人とできない人がいる。そう思う。そっと他人の才能を盗んで自分の物に消化して、それを違うものに作り変えることはどうなのだろう。同じ言語だけでなく、翻訳もある。漱石の弟子たちが、小説家になることもある。精神ですら、誰かの延長でしかない。自分とは何だろうか? ・何かや、誰かの真似をしている。と言えなくもない。多くのフレーズを記憶することが優秀なのだろうか。ことばを知らない人が、豊かな感性を以って人生を活きていないとも限らない。文字を知らなくても、神や家族や、愛国者もいたのだ。無教養なひとが、英雄的な生き方もしている。作家になるわけでもないひとが学ぶ文学もあって好い。 ・へ2・・・70歳代の文学講座を受講しているひとが、もう受講しても頭の中に残るものは、たいしたものではないと漏らされたが、本音でもあるだろう。そこまで言ってはいないが、私もその淋しさを痛感している、だが、何かを学びたいという真摯な気持ちがないとは言えない。オリジナルはどこにあるか。それを見つけられるか。挫けない精神こそ、価値があると信じたい。
2010.08.28
コメント(0)
バックグランドの意味 ・バックグランドのない意見は軽視されるか、無視されるだろう。ライスは、自分自身の限界について語っているソビエトについては専門家として広範な洞察を与えられたが、他の地域の政治史についてはほとんどバックグラウンドがなかった、アジアやアフリカ、ラテンアメリカその他のヨーロッパ以外の国々についてははっきり把握していなかった。 ・へ2・・・ブッシュは、諸外国の首脳の名前を知らないとやり玉にあがったとき、コンディは、こうした攻撃を「空論のもてあそび」に過ぎないと一蹴した。歴代大統領も助言者や専門家チームに頼ってきたと主張した。そして「私はヨーロッパを専門として来ましたので、他の地域について、速習しなければなりません」と語っている。 ・私たち凡人はどれだけ真実を正しく把握しているだろうか。あらゆることは先入観でしかないのではないかとさえ思えてくる。それとバックグラウンドを持っているかだ。それをどれだけ準備できるかでもある。ライスのソビエト以外の地域に対するバックグラウンドも「速習」でしかない、とすればどれだけのものだろうか。それも易々と手に入れただろうか。 ・へ2・・・そして助言者や専門家チームのサポートなしには政治的な判断ができないのだろうか。国家の指導者というのが、どこの国でも同じとすれば、それだけの組織を持っていない政府とは、どれだけの正しい政治を実施できるのか。
2010.08.28
コメント(0)
全420件 (420件中 1-50件目)
![]()

![]()