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元旦の朝 私にとってはいつもの朝でしかないが、それは社会にとってはそうではない。2011年の元旦であって、すべての行事の新しい一年の最初の一日でもある。朔日ともいう。こうして元旦を迎えられたということは自身にとっても意味がない訳でもない。社会の一員として、参加できということでもある。大晦日の最後の日に「右手が石になる」と書いたが、ひとは何か重荷を背負って生きねばならないのではないかという想いがした。目には視えないところに真実もある。 ・ある覚悟がなければ、自分の掘っているトンネルは先に進めないのではなかろうか。罪を負っているという罪悪感がなければキリスト教の精神は理解できないように、それは比喩の中で語られる物語の内容を理解しなければならない。年齢とともに理解できるものがある事を漸く分るようになったのは、私にとっても永い時間の経過が必要だったのだろう。まさか60歳を過ぎて、日本文学に触れることになるとは思わなかったが、関心がなかったわけではないことは言える。疑問はまだ払拭されず、裡なる課題なのだろう。 ・へ2・・・準拠枠の中で、こうして躓きながら歩いている。このチャンスが在るだけでも、私は満足している。それは自分がそれだけ器が小さいからでもあろう。大晦日の夜のウオーキングをしてきたが、強風の中、小雪も降っていたが、こうして歩けることに自分なりの生きる喜びを感じた。それは、今朝こうしていつものように起きてくることのできた証でもある。油断をしたら、一発でアウトにもなる、その覚悟でこの一年を遣ろうと思う。元旦の朝、福岡市の気温は2℃だ。強風が吹く音がしている。 >トルコ西部
2010.12.31
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右手が石になっても 右手が石になって鉛のように重い。どうして石になったのか?抱えた悩みが右手に来た。俺だけだろうか。君の右手も・・・。自分の不幸を感じなくなっていないか。それがからだにまわっていないか。体がいつか鉱物になってしまうだろうか。それともやはり炭素に戻るだろうか。体は炭素に為り、こころは石に為るか。来年は、どんな一年だろうか? ・新しい価値を見出す事が出来るものが、明日を活きる。たとえ国家といえども、存在価値のないものは消える。宇宙ではどんなことでも起きる。無から有が生まれる。有が無にもなる。来年こそ、できなければそれまで、その決意があるか?石になった右手に血を通わせることが出来るだろうか。隘路はつきもの。 ・へ2・・・来年もどうぞよろしく。
2010.12.31
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・「キング自伝」は、生存中に、普通私たちが理解しているような意味での「自伝」を自ら執筆はしてはいない。クレイボーン・カーソンが「自伝」のかたちでまとめたものだ。別途「キング著作集」という詳細なものが完成予定である。その中からキングの生涯と思想のトータルな姿とキング自身の晩年を想定してまとめたものである。作中で、 あなたはそれを見ることはないかも知れません。夢は実現しないかも知れません。しかしあなたがそれを実現しようと願っていることは、よいことなのです。 「それは今日実現できないかも知れない。また明日も実現できないかも知れない。しかしあなたが心にそう思ったことはよいことである。あなたが試していることは、よいことである」(「列王記上八。17-19」) ・それが、暗殺という非業の最期を遂げた人の言葉だけに、私たち与える言葉の意味はより深く重いものがあるだろう。彼が牧師であったということを考慮すれば彼の言いたいことを聴く価値は大いにあるだろう。 もし私が通りすがりにだれかを助けることができたとしたら、もしだれかを一つの言葉、もしくは歌で励ますことができるとしたら、またもしだれかにその生き方は間違っているよと忠告できたとしたら、私の人生は無駄ではなかったでしょう。・・・。 ・へ2・・・マーティン・ルーサー・キング牧師が宗教活動にとどまらないところに彼の凄さがあったのだろう。その遺志がアメリカで引き継がれているのだろうか。私の日常は矛盾の塊である。
2010.12.31
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人間は夜空や鳥の声や花の香りを感性豊かに感じる能力をもっている。そしてこれらの感覚を奪われると脳は衰弱し、活動を停止してしまう。脳は、詩人を作り、芸術家にする能力をもつが、使い方を間違えると犯罪者にもなるし極悪人もつくるだろう。幼児期に脳の基礎架線工事がきちんとされていないと学習能力が奪われてしまう。幼児教育は、人間形成に最も重要な意味を持つと言われる。何処の国でも弱い母親がその役割を担っている。特に、人の脳は可塑性に富んでおり、そのための良好な環境は絶対条件である。ところがどこの国でも母親は、恵まれているとは言えない歴史をもつ。人間の野望により膨大な資金が浪費されていないだろうか。必要なことは、幼児教育にもっと投資すべきだ!!!子供たちが、誰も皆健やかな脳によって教育さるべきだろう。そのための環境を整備することが、やがて人間の「叡智」を生むことになると信じたい。これまで、人類は、脳という「ブラック・ボックス」を抱えて過ちを繰り返してきたが、21世紀後半では、人口問題が地球規模の危機になるだろう。そのために何ができるかを考えねばならない。女性が母性を喪失し、子供の産めない時代が来ないとも限らない。
2010.12.31
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<作品> 「器楽的幻覚」、「冬の蠅」・草稿からいくつかの作品が生まれる。モチーフ・・・複数の作品になる。・連想。羽虫・・・船。空・・海。作家の思考のスタイル。・テーマを隠す。草稿と決定稿との相違。連関。・作家が、「何を考えていたか」を考える。・理由は書かない。決定稿ではわからない。草稿を見る必要性。・海のような闇。空が闇になる。・「桜の木の下には屍体が埋まっている」。・・・メモは昭和3年ころ。・「冬の蠅」・・・メモの存在。・着想・・・梶井の作品に対する。・かいつまんで言えなければ理解していない。・梶井はある一つのものがひとつではなく、ふたつのものが混在する。感覚の世界。 「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。・小説は説明の世界であり、それを梶井は感覚で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価がある。・草稿は散文的で、決定稿で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや」、という感覚。日常が非日常に変わる。こどものような鋭敏さ。ナイーブ。・刺激が強すぎる。老人には。・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)。・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。ふっと浮かぶ。・おりてくる。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲は分からない。・この作品の梶井のアイデア。こころの緊張が別のものをもたらす。・破れ目がもたらすもの。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。演奏者に集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。壁を越えようとする感覚。・他人に知られない犯行。・侯爵を殴り倒すことを想像する。・調和して物を壊す。石化で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。 「冬の蠅」・3で私の意志で殺しているではない。自分の運命と重なる。・志賀直哉「城の崎にて」蜂・鼠の連想。「生きんとする意志」。死んでいくさま。悪戯心。関連。・故意か過失か。「高瀬舟」・蠅からみた着想。横光利一「蠅」。・蠅・・・病気。バイ菌。病人である梶井が蠅を見る目。距離感。・見ているものの一部が乗り移る。同化がある。・高村光太郎「冬が来た」光太郎は冬が好きだった。・草稿では「冬がやって来た」が書き出しだった。・落日・・・文学的表現。・・・冬の日。・蠅と自分の共通点。・疲れているのにうっかりバスに乗る。危ないことをする。わざと相反することをする。・「意志の宙ぶらりん」危険を呼び込んでいる。・蠅が死ぬこと。蠅の運命と自分と運命と重ねている。・瞬間、瞬間を書いている。・<死神>をモノ化して書いている。・テーマを暗示するものを書かない。書こうとしない。
2010.12.31
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小雪混じりの中を歩いて、今年最後のウオーキングを木星と一緒にできたことに満足した。まだ努力は足りないが、また来年に繋げられることを感謝すべきだろう。今日で990日目。あと10日間で、1000日。どこまで続けられるか分からないが、自分の健康の目安でもある。来年も頑張ろうと想っている。皆さんいいお年をお迎えください。 <12月度歩数> 年月日 曜日 気温 起床 歩数2010/12/1 水 19,5192010/12/2 木 7,5822010/12/3 金 6,4032010/12/4 土 5 4;50 27,0422010/12/5 日 5 6;05 26,5822010/12/6 月 8 6;35 17,5232010/12/7 火 12 5;50 7,5702010/12/8 水 6 2;50 3,5772010/12/9 木 10 5;50 23,1322010/12/10 金 2 2;10 21,5022010/12/11 土 12 4;20 21,3142010/12/12 日 3 7;30 24,5422010/12/13 月 9 4;30 5,5562010/12/14 火 13 3;15 31,6622010/12/15 水 7 3;31 30,7672010/12/16 木 5 3;00 31,1312010/12/17 金 2 5;15 16,9032010/12/18 土 8 4;15 41,0672010/12/19 日 3 4;25 20,8522010/12/20 月 12 5;05 22,0772010/12/21 火 9 0;30 19,3572010/12/22 水 9 4;40 20,6512010/12/23 木 7 4;15 26,0772010/12/24 金 11 2;45 20,1522010/12/25 土 2 3;20 15,6112010/12/26 日 4 5;00 15,2462010/12/27 月 6 5;05 23,6612010/12/28 火 6 1;55 16,1662010/12/29 水 6 3;10 20,2912010/12/30 木 5 4;10 24,1212010/12/31 金 3 4;20 27,368合計 635,004 年月歩数日数平均2008年4月258,1241517,2082008年5月461,5053114,8872008年6月454,8283015,1602008年7月492,0533115,8722008年8月479,1753115,4572008年9月607,6123020,2532008年10月635,3993120,4962008年11月562,3743018,7452008年12月629,7233120,3132009年1月628,6033120,2772009年2月587,3912820,9782009年3月700,3663122,5922009年4月686,1263022,8702009年5月704,5173122,7262009年6月610,3923020,3462009年7月646,1263120,8422009年8月655,7423121,1522009年9月682,6473022,7542009年10月749,5923124,1802009年11月682,1703022,7392009年12月683,6813122,0542010年1月675,5253121,7912010年2月637,7272822,7752010年3月735,9033123,7382010年4月778,0753025,9352010年5月814,5473126,2752010年6月780,4073026,0132010年7月748,6433124,1492010年8月733,6653123,6662010年9月706,6563023,5552010年10月714,4283123,0462010年11月646,6983021,5562010年12月635,0043120,484累計21,205,42499021421
2010.12.31
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冷え込んできた 7時30分から紅白があるらしい。一応見るつもりですが、これが日本の大晦日の過ごし方だと思うとうそ寒い。他のチャンネルを回しても、それというものもなさそう。今年最後のウオーキングをしようと思っている。余り寒そうな時は、止めるかもしれない。それでも福岡の寒さといえば、それこそ嗤われそうな暖かさでもあるだろう。恐らく零下ではない。 ・誰がどういう基準で番組を構成しているのだろうと不思議で堪らない。余程、予算不足や人材不足なのではないだろうか。それは想像力の欠如でもあるだろう。文化の低下が根幹にある気がする。国民が諦観を持ち始めたのではなかろうか。批判する能力を失いつつある。それは戦前の無抵抗な国民の態度に繋がってはいないだろうか。何か言い知れない悪寒を感じる。 ・へ2・・・自分たちの状況に気付かなくなっている。それは無関心、無批判な日常がさせている。向上心のない人間が増えている。どうでもよいではないかという風潮が、下劣な番組の反映でもある。なぜ52年も紅白なのだろうか。こころが洗われるような話題がない。それはないのではなく、それを視る目がないだけだろう。感動のない活き方をしていると、人間は堕落するのだ。
2010.12.31
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今年はトルコで暮れそう一年を振り返れば、今年は遊んだ。初詣は、高塚地蔵、宇佐神宮と周り、伊勢神宮へは船旅をした。春に釜山へもフェリー。今年の海外ツアーはこれだけかと思っていたが、暮れにトルコツアーをした、夏は、高千穂へ、天岩戸バスハイキングと、講座の現地見学で、阿蘇に。成果は別として、愉しい講座が多かった。ウオーキングもどうにか一日2万歩をクルアー出来たのは、運も好かったのだろう。 ・それでもA1cは、0.5%悪化したので、まだ許容範囲ではあるが、来年は厳しい管理も必要になると覚悟している。思ったより以上に加齢のダメージはあるし、ハイリスクの病気との闘いもある。転んで想ったが、いつ何があるかわからない。転ぶということを安易に考えていればそれこそ一発アウトに為る。親父も、義父も心筋梗塞と脳溢血でそのまま死んだ。ひとの生命は、それこそ一枚の皮で繋がっている。 ・へ2・・・段々と、その時が近づいている。そのリスクの中で、自分の生命を味わい続けていかねばならない。これも親たちの投資のお蔭でもあるのだろう。自分が子どもたちに何が残せるのか心もとない気持に為るが、出来ることはして遣りたいと思っている。トルコの旅は、思っていた以上に、よい刺激を与えてくれそうである。来年に持ち越しになるが、追い続けたい。
2010.12.31
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17;00前 スーパーを覗いてきたが、正月用品は確かにあるが、どうも正月らしさのない正月が来そうな感じだ。そう思うのは私の独断でもある。特別の感情もない。然し、今夜は寒くなりそう。予定も予定だけに為りそうだ。妻が一人で大掃除をしているが、娘たちも寒いこともあって気乗りがしないようだ。居間だけが正月で、その他はあまり変わり映えのしないことになりそうだ。三箇日が過ぎれば、元に戻るのだから。 ・文化の質の低下が、気に為らないでもない。司会がお笑い系ばかり。番組もチープなものばかりだ。この社会の一員として暮らしている事に何か僻み目を感じないでもない。何故こうなったのだろうか。決して、高いとか低いとかだけではないが、確かに人間の重さが違う気がしてならない。真剣さもない人ばかりが目立ってしまう。根性のなくなった社会が、人間を軽薄にしている。 ・へ2・・・年越し蕎麦の具材を買ってきて、何時食べるか決めて準備をしようと思っている。あと7時間。さて、各地は雪で大晦日は寒さの中だ。今年一番の寒さの中で正月を迎えそうである。 >和白干潟の野鳥
2010.12.31
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違いが解かるまでどこか違う何かが違うと思っているが、その違いが解からなければ何にもならない。自分の思惑と、自分の暮らしが目指してきたものと違う。社会的正義も、普遍的真理も理想と現実では違う。法の解釈でもそれこそ自衛隊が違憲もあれば合憲もあり、政府の考え方も歴代内閣で違いもする。テレビのタレントたちの栄枯盛衰のように目まぐるしく交代して行くのは人ばかりではない。そのコンセプトさえ変化している。日米安保で日本の政治は世論は二分したが、今や、アメリカ政府の考えも変化した。 ・国際社会はニューリーダーの登場を待っている。アメリカの正義は、いまや世界の正義ではない。中国の底力は、世界に幸福を齎すだろうか。あの北朝鮮でさえ、正しく指導できない。それが現実ではないだろうか。世界の指導者として相応しいものが為るべきであって、覇権を求めるものであってはならない。アメリカや中国は、もっぱら国益を重視しているのであり、これからの国際社会には通用しないものだ。世界から紛争をなくすために何をすべきか、強いリーダーシップを発揮できなければならないのだ。 ・へ2・・・日本の政治の、混迷は、この国の未来に陰りを投げかけるものだ。若者に信頼をおけないのであれば、未来はない。どこが間違っているか、理想と現実は、どう違うのか、その根源にあるものが、広い視野と、深い洞察力によって導かれた論理で解明すべきであって、日和見的な観念であってはならない。どんなスキルを体験しながら成長しているのだろうか。その確信がない若者たちばかりが目立っている。見せかけの華やかさに、酔いしれてはいないか。異性ばかり気にするばかりでは、不安である。簡単に罠にかかるような人間でも困る。>カッパドキアで
2010.12.31
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街歩き 歩くことによって得られるものは計り知れない。歩きながら考えるというのは、纏まり易いのかもしれない。それは、余計なものが排除することが出来るのだろうか。その活用法でもあるのだ。脳の働きや、体の免疫系等の働きを知ると、その使い方を間違えていた気がしてならない。自分に何が出来るか、何をすべきか、誰も的確に教えてはくれない。それは当然のことであって、自分で自分の人生の意味を見出さねばならないのだ。 ・今朝、12月度の目標である、最低ライン一日2万歩の62万歩をクリアーしておこうと、近くのゴルフ場を一周して、14,000歩(約10km)を寒風の中をウオーキングして来た。強風が吹き、霙になったりしたが、これで何とか2010年も最後の月まで、最低ラインをクリアーできたようだ。内容的には、勿論満足していないが、続けることが重要である。来年につなげられるだけでも好いと思う。 ・へ2・・・ハワイで、早朝大きな公園を散歩をして、ウオーキングしている人たちから、気持ち良い挨拶を交わして以来、その悦びを知った気がする。自分の住んでいるところにどんな人が住んで居るか、ウオーキングしながら情報を得ているのではないだろうか。それは環境を知ることでもある。より深く関心をもつことであり、朝の空気を吸い込んで、元気を貰うのだ。街を歩けば、自分の人生が視えてくる。
2010.12.31
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よく生きるために よく活きたいと思うが、それが中々行かない。何故だろうか。期待>現実。客観的に自分を把握できない。実力と願望が一致しないのは、よくあることだ。大望を抱けと言うが、それは不可能もある。20年×4回。ヘイフリックの限界ではないが、20年毎に生まれ変わるという学者がいた。20歳、40歳、60歳、80歳で平均寿命だ。60歳になれば、過去のことは全部、捨てて新しい自分になる。 ・妻子もいるだろうから、ひとりで生きていくわけではないが、精神的には生まれ変わることはできる。ひとにも変態があっていい。ひとは変わることはできるのだ。凡人が天才にはなれないが、努力家にはなれる。下らないことを考えないこともできる。よく活きるとは、自分にとって何であるか、その最善を尽くす事でもある。 ・へ2・・・アバウトに20年と書いたが、疑問はある。それはアバウトな数字であり、20年に拘るべきでない。4回が、5回でも構わない。それが個性でもある。ただからだには、細胞分裂があるように、心に節目があっていいと思う。遺伝子も設計図が在り、それは成長し、或る時点から死へと向かうのであり、それにともなって人のあるべき容も変わるべきだろう。60歳になって過去と別れたつもりでいる。それで自分の好きなことをしている。
2010.12.31
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大荒れの予想 外に出たら雨は降っていないようなので、朝のウオーキングに出かけようと思うが、予報では、荒れそうだ。どうやら高速道も通行止めが多いようである。今夜からまた寒気団が強まる予報のようだ。2日に大分にはつ詣でに往こうと思っているが無理かもしれない。何しろ、日田から先が雪が降れば通行止めになる地区でもある。山は雪には弱い。自然に逆らえば、命の保証はない。 ・無理はしないが、しないと出来ないこともあるから困る。窮屈な世の中でもある。直ぐ勝ちか負けるか、とばかりいわれる。反骨を悦ばない社会は堕落もする。他人の言うことばかり聴いていたら、先には行けないことがある。八方美人は誰とも結婚できなくなる。「わが道を行け」と言いながら、世間は違うルールである。政府の言うままの人間は、世界から措いて行かれもする。 ・へ2・・・自分で好いと思ったことをやり遂げるしかない。自在で逢って活きるしかない。世渡りが上手い、下手ではない。自分の表現ができるかどうかでもない。それは誰に対してかだ。大荒れは、何とも思わない。自分のすることがはっきりできて好い。何でもする。その決意が必要だ。トイレの中にも手を入れる。ひとのいやがることもする。優しい社会でなければならない。劇場ではないし、芸人でもない。日常の中に勇気を発揮すべきだろう。
2010.12.31
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生命は、自己と他者と別れるに因って成立っている。人はよく建物に喩えられえる。手入れをしない建物は、どんなに立派な御殿でも、すぐに老朽化してしまう。身の程知らない奴は、大きな建物に住みたがるが、そのスケールに潰されもする。自分のサイズに合うものに住むべきなのだろう。日本の家が「うさぎ小屋」と、よく嘲笑されるが、狭い島国だから仕方がない。世界のどこも同じようなものだ。寧ろ、不相応な豪邸を欲するとすれば思いあがりなのだろう。最期の行き先は同じだ。路地が好きだ。路地は狭い方がいい。毎朝窓を開ければ、向かい側の窓に「おはよう!」と挨拶をする、くらいできる方が、素敵だ。それが、人間らしい付き合いのスタートだ。来年も自分らしくありたい。新しい価値を見出せなければ未来はない。
2010.12.31
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大晦日の朝 暦の2010年の最後の一日でしかないが、何かどこか違う感慨を覚えるのは、それが日本の伝統的な12月31日という一日に対する思いが込められているからだろう。人は、誰も産まれて成長し、生殖し、移動して死ぬという1クールである。それは社会で創り上げたルールに従いそれを守ることであり、個人差はあるとしても、人核形成をしながら、その時間の経過とともに暦によって制限されている。ヘイフリックの限界もそのことを教えている。 ・私たちには個性があって、個性はない。人間としてみな同じであるが、然し一人ひとりの生き方は自分で決める。それは誰にもそのオールを渡さないと決めて活きているから人権もある。それは人間の最低の基本的人権だ。国家の意志が優先した社会があったが、それはアンシャン・レジュ-ムの話でしかない。残念なことに未だに人権無視の国家在るのは事実だが、何れはなくなるだろう、そうでなければ未来はない。 ・へ2・・・来年が、すべて明るい訳ではない。前進だけではなく、後退もある。明日は死ぬかも知れないというリスクもある。生き馬の目を抜くような出来事があるかも知れない。然し、死を恐れない勇気が、私たちの遺伝子の中に残っている限り、懼れることはない。脅迫するものはいるが、それは長くは続かない。いつか過ぎていく。人間として在るべきことはあるだろう。それを目指しているだけだ。今日は大晦日、明日は正月で2011年は明けるだろう。人々夢を実現するために。 >来春から女子大は国際文理学部に一本化されるようだ。来年が期待の通りの一年であってほしい。
2010.12.30
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まだ夢の見られた時代に生きておもうことあり眠っている間の脳はどのような働きをしているのだろうか。個人差があるとしても、自分の脳の働きには興味がある。睡眠の質が悪くなっているのではないかと、日頃思うことがある。何故そうなるのだろうか。睡眠が学習にもたらす影響は大きいし、重要な役割を果たしているに違いない。SW睡眠の間に、海馬から大脳皮質に伝達が起こり、これが安定した長期記憶になる。だからレム睡眠は一旦大脳皮質に移った知識を強めるために必要であり、SW睡眠はまず情報を海馬から移すために必要だという。 ・ある研究では、新しい技術と知識の習得は、ひと晩の睡眠の後に向上し、さらにその後の数日のあいだ、毎晩充分な睡眠をとる限り向上するという。最初の晩の睡眠をすっぽかしたら、その埋め合わせは絶対に出来ないらしい。つまり、記憶をインテリゲートするためには最初の睡眠と記憶を外せないのだ。はたしてどれくらいの睡眠が必要なのだろうか。勿論個人差があるとしても自分のことは知りたいところだ。 ・へ2・・・6時間以上睡眠しないと学習促進効果のレム睡眠が得られないらしい。とても、それだけ長く眠っていないだろう。宣言型・非宣言型の記憶の双方にSW睡眠とレム睡眠は殆んど新しい仕事の学習に重要な役割を果たしている。目覚めている時の意識的な視点と普通に意識的にアクセスできない脳の部位にある記憶が同じことをしている可能性がある。記憶は、同じ情景でも一人一人違う見方をするものだ。それは自分で見たいと思うものをみているからだろう。
2010.12.30
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只管打坐「一行専一」が日本の禅という。中国の禅の「無事」の禅が変質した。「学道」の禅となる。親鸞は念仏の一行に、日蓮は唱題の一行に、道元は打座の一行に集約した。一事を専らにするのが鎌倉仏教の特徴で ある。禅は、「無心」から「無事」への思想だ。無事は日常性に生きることとされる。「無事」とは、ゆっくり と焦らず、さわがず、悠々として生活することをいう。天地の運行、自然の摂理に逆らわずに生きることが 無事となる。「一坐して四十年」という中国の禅がある。時間と空間がひとつになり哲学がある。 科学の向かうところは、平坦ではありえない。今日は、24,000歩。気持ちよく歩いてきた。
2010.12.30
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民族社会学者リヒャルト・トゥルンヴァルトは「同じ言語を話し、類似した制度や風俗、慣習を有し、文化装置がお互いに似ている家族、ジッぺ、共同体、集落の集団をヨーロッパ人は「部族(Stamm)」と呼んでいる。しかし、歴史学からは、当該人間集団の自己意識、彼らの共属意識、そして他の集団に対する彼らの対立意識が無視されている。歴史家にとっては、部族意識は部族概念の不可欠な構成要素である。共通の始祖の子孫であるという概念は、純粋で混じりけのない血統という理念と容易に結合する。ある部族のエスニックに純粋な構成は、他のエスニック集団との混合より高く評価されている。ゲルマン人は、明らかにこれを肯定的した観念をもっているように思われる。部族が血統共同体であり、エスニックに純粋であるという観念はいうまでもなく虚構であって、歴史的現実とは一致しない。にも拘らず、それは自己理解の本質的な部分であり、また、政治的イデオロギーの根幹をなす要素であっただろう。そして血統共同体の観念は「部族」関連することばの語源でもある。・ドイツ語の Stamm・ラテン語の gens・ゲルマン語の theodaliut と folk は、どちらかといえば、政治的・制度的な意味での民族を意味する。ドイツから見た日本人とは、単に極東の「部族」のひとつだろうか。それはラージであってもグレートではないのではないか。偶々西欧かぶれの一時期があったにしても、それは物真似としか評価しない世界があるだろう。日本人が、アジアのリーダーと思っているとしたら思い上がりだろう。そう評価されるまでのことは何も遣っていないだろう。族社会学者リヒャルト・トゥルンヴァルトは「同じ言語を話し、類似した制度や風俗、慣習を有し、文化装置がお互いに似ている家族、ジッぺ、共同体、集落の集団をヨーロッパ人は「部族(Stamm)」と呼んでいる。しかし、歴史学からは、当該人間集団の自己意識、彼らの共属意識、そして他の集団に対する彼らの対立意識が無視されている。歴史家にとっては、部族意識は部族概念の不可欠な構成要素である。
2010.12.30
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なにごともそれほど急ぐことはない。まだ終わろうとしているのではない。それでも漱石は「明暗」を書き終わることができなかった。計算間違いだろうか。もっと生きているつもりだったのだろう。長編小説を書こうとしたらしい。あまりゆっくりしていると自分の計画通りには行かなくなる。然し、それは漱石ばかりではない。人間はみなそうかも知れない。明日自分が死ぬことを知っていた人は中々いないのではないだろうか。それを感じだとしても他人には伝えられないのかも知れないが。慌てると失敗するし、余計なことをしてしまう。それでもゆっくりしていると時間がなくなってもしまう。コツコツ何かをしている時が愉しいという自覚があるだろうか。それはやりたいことをしているからだろうし、それが目的をかなえるからだろう。 ・ウオーキングをしていて思うのは、子供たちや少年たちが軽々と歩いていることだ。何と素晴らしいだろうかと惚れ惚れする。赤ん坊が<あんよ>をしているのもほのぼのする。種としてのヒトが手に入れた二足歩行は、多くの恵みをヒトに与えた。その恩恵を私たちは日ごろ味わい楽しんでもいる。這い這いから立ち上がり、そして杖に頼るようにもなるだろう。人間の姿は、容にすれば、4-2-3 だとスフィンクスはいう。人は自分たちを偉大な生物だというが、そうだろうか? ・へ2・・・ゆっくりし過ぎたり、急ぎ過ぎて間違いばかりしてはいないだろうか。思えば反対のことばかりして時間の無駄遣いばかりだ。地球上だけでなく、宇宙空間までゴミをばら撒いている。自分たちの生きるスペースを汚している。おごりがすべてを台無しにするのではなかろうか。
2010.12.30
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・凍える寒さ・・地獄のような寒さ。 ショールの中で乳児マグダが死んでいる。 ・空腹・・・・・ジャガイモ1個のためなら魂を売ってもよい、というものが空腹である。 ・ローザは生き残り、ホロコースト難民としてアメリカへ。彼女は58歳、トラウマ、自己嫌悪、他者不信に悩み、偏屈で、気難しい女性になり、今はマイアミの安ホテルに滞在している。35年後もホロコーストは終わっていない。 過去>現在 過去のトラウマにとらわれたままである。 ・メンターとなる人はいた。71歳ユダヤ人。ローザのメンターになる。 メンターとなるひとの叡知 ・「お茶を飲み、おしゃべりしよう」 ・「私は申請用紙かね。よかろう。お前さんが申請し、私が受理しよう」 ・「どんなことにもいい面と悪い面がある」 現実的でなければ生きていけない。 「彷徨」(習作)、・同じものが二つある。書き直している。繰り返している。・はじめはモノトーク。・比喩として書くのが上手い。「手に砂が付いている。」詩的。詩になっている。正岡子規が始めた。「目で見たものをそのまま写す」。写生。梶井の特徴でもある。写生文。変容していく。心理を目に見るようにモノ化したのが漱石。・梶井と太宰との相違。太宰は、梶井を真似た。梶井のパクリがある。・すっきりしたもの・・・。晴朗な空気。太宰との違いがある。三島は梶井は好き、太宰は嫌った。・小説は判り易いとダメになる。・辿り着くべき結末。方向・ベクトル。容の違った反復。「檸檬」の爆弾がない。「檸檬」で成功し、ここではうまくいっていない。・梶井にとって、善悪が重要ではない。モラルで書いていない。・直哉の場合は、好悪=善悪と一体化している。・美・・・惹きつけられる。・この段階であるとどまっている。 「裸像を盗む男」(習作)、・他人と自分との関係。・標題を納得させるものがない。・肝心なことができていない。・暗示されている3人について書きたかった。書きたかったが、書かなかった。目指しているものが違う。本人と意図したものが違う。散文詩から散文(小説)他人の評価と自分の評価が相違している。・「丸善」が出てくる。「檸檬」にも出てくる。・金・借金・・・拘り。分からない。人間を支配しているもの。説明できていないもの。まだ「檸檬」・・までにはここではたどり着いていない。散文詩のレベルにとどまったが、多くの作家たちは散文と見做した。三島に影響を与えたなど。・梶井は自分の良さに気付いていない。堀辰雄・梶井の違い。 「鼠」(習作)、・「愛撫」・・と相対している。「愛撫」の着想がある。ねこ。猫に対する鼠。この作品が下敷きになっている。・完成された作品。ただ「愛撫」の方が文学としては優れている。当時は、梶井は、より小さいものに関心があった。レトリックを磨いた作品。・みるべき作品になっている。結末の選び方が上手くいっていない。良質な作品を残しながら、結末だけがうまくいっていないのではないか。・注目していい作品である。 「カツフエ・ラーヴェン」(習作) ・親しいRと敵対するSとの間の私を書きたかった。自分を脅かす存在がいる。・Sという存在。脅かすものではない。書かれなかった後が問題。完成していない。・Raven(からす)・卑屈な自分を許せない。・腕力・・暴力。に対する人類。檸檬に書かれていないものを書こうとしていたが、・・・。・中野重治「歌のわかれ、鑿」佐野の無礼は許せるが、それを許す自分が許せない。・ジュリアン・ソレル・・「赤と黒」。軍人か僧侶か。「罪と罰」自尊について書いている。・梶井の拘り・・・自尊。漱石や志賀直哉の影響を受けている。三島を評価している。・他人への拘り。立っているところが漱石と同じ。対人関係が漱石のテーマ。「道草」と「明暗」に、梶井は辿り着いていない。・詩・・私の感情を書くもの。私でありながら普遍性をもつ。私小説ではない。プロの作家が梶井を評価する傾向がある。本格的な小説は、むしろプロの作家たちには関心がない。
2010.12.30
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前年との歩数比較 滅入るようなことばかり起きている気がする。それでもそれに耐えねばならないとしたら、突き破るパワーが必要だ。年末になり歌番組が増えたが、これしかないくらい文化は低迷している証明だろうか?いつまでも軽薄で大人こどものようなチープなフレーズの歌謡曲ばかり。それで、年越しをしなければならないのは、こころまで寒くなる。 <2009年の歩数累計>2009年1月 628,603 (31)2009年2月 587,391 (28)2009年3月 700,366 (31)2009年4月 686,126 (30)2009年5月 704,517 (31)2009年6月 610,392 (30)2009年7月 646,126 (31)2009年8月 655,742 (31)2009年9月 682,647 (30)2009年10月749,592 (31)2009年11月682170 (30)2009年12月659,048 (30)合計 7,992,720(364) <2010年の歩数累計>2010年1月675,525312010年2月637,727282010年3月735,903312010年4月778,075302010年5月814,547312010年6月780,407302010年7月748,643312010年8月733,665312010年9月706,656302010年10月714,428312010年11月646,698302010年12月583,51529 合計 8,555,789(363
2010.12.30
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予報によるとこれから天候は荒れそうだ。何故こうも天候に拘るかというと、先祖由来でもある。天候を見て一日の予定を決めていた。天候を圧してでもやらなければならないのは、それが何であろうと苦役でしかない。ガラス窓が曇っているので、外は寒そうである。 ・くだらないことに気を使っている。然し、それは誰にでもあるのではないだろうか。後先を間違えもする。何かに夢中になると大事なことを見逃してしまう。昨日もジョギングして汗を掻いて、早く風呂に入ろうとしたが、ブログを始めてしまい身体が冷えてしまった。途中でブログを止めてしまえばいいのに、つい風邪を引くところだった。その影響がどれだけあるだろうか。まだよく分からない。 ・へ2・・・こころに余裕があるのは、おそらく何時もではない。意外と気が小さいのではないだろうか。妙な心配をしている。年末にならないと大掃除をしないのも、可笑しな話だが、自分では気がつかないで決めてしまっている固定観念があるのだろう。然しそれも日常を安定させる装置でもある。頑固さがあって成立することもある。多寡が天候されど、天候だ。
2010.12.30
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晦日のウオーキング 今年も晦日まで、切れずに来れたなあと、霙に為りそうな空を見ながら歩いてきた。朝から強風と雨で、15時ころからやっと、約2時間ばかり。和白干潟は、強風が吹いて野鳥の姿は少なかったが、人影もなく静かな波が立っていた。出水の鳥インフルエンザの影響は、和白干潟は近いので心配でもある。 ・「断捨離」ということばが、片付けられない娘たちへの妻の警告であるが、どうやら来年への持ち越しでもある。身辺整理の出来ない人間は、頭も悪いのだろう。整理整頓ができないでは、先に進めなくなる。ことばの概念は難しいが、確かに、決断の出来ないのは問題でもある。昼から年賀状作成でPCを娘たちに貸していたので、これからブログも再開します。 ・へ2・・・どうも正月が来るという感じもない。いつものような一日だが、一段と寒さが増してきたので、あと一度ウオーキングをするつもりだが行けるかどうか。
2010.12.30
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来年も もう来年の話をしても、鬼は嗤わないだろう。1月10日で、ウオーキングを始めて1000日に為る。石の上にも三年という。三年続ければ何とかつづけられるというが、それは一般的な話であって、個別に必ずそうだというのではない。少しは慣れたがウオーキングは、1000日過ぎたからといって、何でもない。節目に考えるに過ぎないが、「千日行」という荒行もあるから、その月日の厳しさを説いている。突然歩けなくことだってある。 ・アクシデントもあるし、社会環境や体力もある。一日2万歩も、いつまで続けられるだろうか。自分でもまだ大丈夫と思うのは、何の担保もない。願い通りには行かないのが世の常でもある。一生懸命に遣ればできることはあるというだけだ。努力することを軽く見てはならない。こころとからだが釣り合ってできることでもある。いつも自分の限界を考えている。甘いのは自分を励ましているからだ。愉しみがあって疲れも感じなくなるのは人間の心理でもある。 ・へ2・・・遣る事が無くなれば仕合わせにはなれない。忙しくしているから疲れない。油断するから怪我もする。することがあるから楽しくなる。向上心があるから長い努力もできるのだ。80歳近い老人が、文学講座で受講している。それは、頭が下がる。その意欲が、なければならない。すべて足りてやることはないのだ。生きている限り、前を向いていたいものだ。
2010.12.30
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汚職 何故汚職があるかといえば、その原因となるものがあるからだ。中国で公職の汚職が絶えないのも、必ずそうした温床があるに違いない。それこそ中国4,000年の歴史はそうした過去を引き摺っていると言えなくもない。伝統はえてして善いことばかりを承継しているのではない。過去の経験を基にしてそこから淘汰していくが、人間の損得勘定には卑劣なものも付いてくる。 ・表と裏と使い分けに慣れているのは、洗練されているといわれるが、汚い所が消えたわけではない。誰でも食べれば排泄する。臭いもする。人のからだは酸化する。病気もする。人間は弱い生き物でもある。どんなに公平であろうとしても、利他的な行為だけで生きてはいけない処が必ずある。利己的動物とだけではいえないが、その傾向があるのは否めない。 ・へ2・・・組織が汚職が出来ないようにしても、なくならないのは、人間の持つ欲望から来るのだろう。ハードとソフトで成り立っている人間社会の組織であれば、ヒトの遺伝子の中にあるへびのような狡猾さも出てきてしまうのだろう。公務員の存在は、どこの国にでも必要な機関である。その身分や階級が、汚職の源泉でもある。社会主義国で、汚職が多いというのも、人間の組織というものが、形式的には行かないものだということの証明ではないだろうか。 >アヤ・ソフィア
2010.12.30
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自己表現 自分を晒すというのは、そう簡単なことではない。誰でも風呂に入る時は全裸になって入っているし、着替える時も裸になる。多分他人と同じものが付いているし、それほど違ってもいないだろうが、やはり一人一人見分けられるくらいには違いもする。恥ずかしいという感情がどこから来るのだろうか。それは確かにあるから、原因はあるのだろう。それを知りたいと言うつもりもないが、身も心も。人は素直に為れないで苦しんでもいる。 ・それこそ産まれたての仔猫から育てるのは初めてだが、その可愛さには敗ける。私も普通の感情はあるらしい。赤子の可愛さは、誰に教わらなくても判る。人間の持っている遺伝子で、蛇が怖いとか、高い崖の上では足がすくんでしまう。危ない所に行かないようにするのも、そうした本能の所以だ。自己表現も、人間の社会が、簡単ではないからこうした屈折したものに為るのだろう。外は雨になっている。寒くなりよく眠るのも先祖由来なのだろう。 ・へ2・・・人は裸で産まれて、着るものを知るまで、寒さとの闘いをしなければならなかった。道具や火を発見し、暖かい場所から寒い所まで住むようになったのは二足歩行に為り、衣服を発見してからだ。長い間に培われた知恵が人間を生き残させただろう。人が何故裸なのだろうか。恐らく、先祖は猿のように全身に毛が生えていたことだろう。自然淘汰を経て得た形質が今日の私たちの存在でもある。人間と猫の関係も、何時までも同じではない。人間が猫に為ることはないだろうが、猫が人間のような理性を持たないとは限らない。何時も夢を見ながら、今年も早や晦日に着きにけり。 >イスタンブル駅
2010.12.29
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・吉本隆明が、「言葉の根幹は沈黙だ」の意味をどう考えるか。(文春7月号)「蟹工船」と新貧困社会)について考えていた。 ・「檸檬」が爆発した。ポーの作品。(「13時を打つ」・・)を梶井は読んでいた。森鴎外翻訳「十三時」がある。(柱時計が13時を打つというありえないことが起きる) ・梶井が死ぬ前、「おれの書きたい小説を書いていない」「瀬山の話」に近い小説を書きたかった。代表作「檸檬」とは違う・・・ものがあったのではないか。・今日の分は、「檸檬」にいたるプロセスではない。のではないか。・丸善の棚にレモンを置いた後の話。そこで終わる方がいい、のか。「檸檬」が梶井のかきたかったのではない。一般の「梶井像」が違っているのではないか。作家の考えていたことが何かを知ることは、重要だ。・梶井の小説には、無頼的な「危険性」を内包している。・「瀬山の話」参照。・自分を冷静にみる視点・・・「非人情」(漱石)・太郎と街・・・繰り返し・・・歩く。(「小さき良心」)。横光「街の底」。織田「木の都」・<街歩き>のテーマ。横光「街の底」。織田「木の都」。影響はなくそれぞれ書いている。・「・・・た。」止めの文体。・「太郎と街」の中で、新感覚派風の比喩。横光を読んでいた。横光利一「蠅」大正12年5月作品。蠅の目から見た人間。 <作品>「「檸檬」を挿話とする断片」、「太郎と街」、「瀬山の話」(いずれも習作) 「「檸檬」を挿話とする断片」、 ・日記の中にあったもの。を抜き出している。・憂鬱が何度も出てくる。・作品「檸檬」との比較。・借金の話。隠していない。・孤独の中にいる自分。・狂気。・・・傍迷惑なところがある。・酔っている。自覚している。・恋愛・・・失恋の話も重くない。・「檸檬」の原形。・たくらみ・・・のちのたくらみとの違い。絵を鑑賞するように・・・。レモン爆弾の構想はない。悲しい遊戯。店頭の爆破をしたら・・・。「檸檬」では消していく。冷めた目で見る。空想して、それを否定していく。その繰り返し。作品の「檸檬」では、終わらせている。・・・「瀬山の話」になっていく。・祈祷が出てくる意味。トルストイの人生論。・自分の神経に対する執着。・涅槃・・・空疎にならない。・理屈ではない。矛盾を書こうとしている。隠そうとしながらそれを言おうとする矛盾を書く。ポーの世界。天の邪鬼。同時に自分の罪を告白したくなる。梶井にもそれがある。・汚れ。中也「汚れちまった・・小雪が降りかかる」。幼児性。・悲しい玩具。・後年の多くの要素を含んでいる作品である。・精神的な分裂がある。まだ下宿に帰っていないのに、下宿に帰っている自分を想像している。・置き去りにされた子供。比喩的。太宰にもある。孤独感。 「太郎と街」、・震災の前。前後で街が変わった。文化が変わったという。街の見方が変わる。震災があって考えが変わるという意味。梶井は大阪にいたことがある。・大震災以後の作品。 「瀬山の話」 ・「蒼穹」との関係。・何度も自分の名を呼ぶ「瀬山、瀬山・・・」。梶井の特徴的な言動。・作家は女になれる。女になれるのが作家でもある。微妙な側面。・闇固有の絵巻がある。・他人の私が、「瀬山」を書くという設定。小説にして書く。・梶井の書きたかったもの・・・。・異性関係を描いている。「檸檬」では削っている。こちらを書きたかったのではないか。自分にとっての異性を書きたかった。自分と母親。小さなモチーフではないこと。・母親と借金を返しに行く。・ひとつのものがいろいろ変化することを書く。・冷めた自分を語る。・ポーの「十三時」から小悪魔、「瀬山の話」にいたり、梶井の「檸檬」の発想が生まれた。・ポー「黒猫」「天の邪鬼」・三島・・・危険なのも出ないと美しくない。・セザンヌではなくゴッホ作。間違えたのか、わざとか分からない。・梶井には宇宙的な拡がりがある。・観念をモノ化したいと思っている。 >Ahmet Library
2010.12.29
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一葉「塵中につ記」より、「・・・かひなき女子の、何事を思ひ立ちたりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きをむさぼりて、百世の憂を念とせざるものならず。かすか也といへども、人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず、天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫も愚人も、男も女も、何のけじめか有るべき。笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。わがこころざしは、国家の大本にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のえじきに成らんを期す。・・・。」・碌に教育を受けていない一葉が、明治の世で、女流小説家になろうと決意したのは、数えで20歳の時である。過酷な環境と貧困と偏見が渦巻く時代にここだけが陽光が射したように輝いている。やがて金子みすずも生まれている。 どこかでみた詩を思い出す。 ・・・ では さやうなら仏さま 地獄は 一定わたしたちのすみかださうでございますから ・・・・ ・思えば、わたしたちの目は何ものも見えていない節穴だろうか。見ようとしないだけなのだろう。我ことの悩みや哀しみの涙で溺れようとしているだけなのだろう。どこが痛いとか、苦しいとか、メランコリーだとか、何だとか、いう前にすることをして、ひとりの人間として、立ち上がれ。>Serpent Column
2010.12.29
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一つの社会は、ある一つの全体として評価せねばならない。その弱点をぼかしたり、その暗い側面を触れることを拒んだりしてはならない。ある文明がいかにして一体性を保ち、進化し、存続しているかを理解するかだ。 サタンが西洋文化圏で、決定的に重要な位置を占めるのは12世紀から13世紀頃のことに過ぎない。ましてや悪魔にまつわる強迫神経症的な恐るべきイマジネールが確立するのは、さらに遅い中世末期である。こうした現象は、神学的かつ宗教的な領域のみを出来事として把握すべきでない。これも一つの文化の表象だからだ。 ヨーロッパは、当時言語も文化がバラバラだったのは、自らの独自性を確立しようとしたバベルの塔でしかなかった。教皇庁と強大な諸王国は悪魔と地獄とを発明したという事実を、大して重要ではない宗教上の現象とみなすわけには行かない。絢爛たるサタンのイメージを練り上げた思考システムの誕生こそ、西洋の活力が飛躍的に増大したことと密接につながるのだ。 すなわち「中世の秋」は、近代の幕開けを告げる「西洋の春」でもあったのだ。何の為にサタンがあるかは、よく考えれば解かることだろう。それほど、頭の良いひとが滅多にいない代わりにその逆もいないだろう。あとは、自分の想像力の問題だ。
2010.12.29
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マルコ・ポーロにしろコロンブスにしろ、或いは宣教師たちや、シーボルトにしたところが長い苦しい旅をしたあとに、ヨーロッパ人に知らされたものは何だったのだろうか。何故偏見や誤解や、妄想をさえ生んだのだろうか。それが大航海時代を迎え入れ、さらには帝国主義の植民地への道を開いた。 「シーボルト、波瀾の生涯」という本の中に、スペインやポルトガルの商人が日本に来航し、彼らと共に来た多くの宣教師たちが精力的に布教して、比較的短期間に日本でのキリスト教の信者は200万人にも達した? と書いている。 宣教師たちにしろ、キリスト教を布教する目的で、使命に燃えて世界を自分たちの宗教を広めようとしただろうが、反面国益のためでもあったことは、例外はあるとしても、言い逃れることではない事実だろう。それが正しいと信じても、利用されたとしてもだ。国家権力と宗教の権威はともに功罪を繰り返している車の両輪の如くだ。>アヤ・ソフィア
2010.12.29
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あと2日で大晦日。ウオーキングを始めて990日になる。来年の1月10日で、1,000日。それから、355日間ある。それが月日であるだろうか。私は、私であり続けたい。それだけだ。 年月歩数日数平均2008年4月258,1241517,2082008年5月461,5053114,8872008年6月454,8283015,1602008年7月492,0533115,8722008年8月479,1753115,4572008年9月607,6123020,2532008年10月635,3993120,4962008年11月562,3743018,7452008年12月629,7233120,3132009年1月628,6033120,2772009年2月587,3912820,9782009年3月700,3663122,5922009年4月686,1263022,8702009年5月704,5173122,7262009年6月610,3923020,3462009年7月646,1263120,8422009年8月655,7423121,1522009年9月682,6473022,7542009年10月749,5923124,1802009年11月682,1703022,7392009年12月683,6813122,0542010年1月675,5253121,7912010年2月637,7272822,7752010年3月735,9033123,7382010年4月778,0753025,9352010年5月814,5473126,2752010年6月780,4073026,0132010年7月748,6433124,1492010年8月733,6653123,6662010年9月706,6563023,5552010年10月714,4283123,0462010年11月646,6983021,5562010年12月583,51529 20,121 累計21,253,93598821,512 >イスタンブル
2010.12.29
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問題の所在は、 極小粒子の人体への影響だ。人の肺の奥まで入り込んでくる。肺胞に極小粒子が付着する。・炎症-肺胞損傷-慢性呼吸器症-喘息。・毛細血管-毒性物質の流入-血液粘度増-血管収縮・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出す。・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。写真添付あり。 <自然発生源> 火山爆発、大規模山火事、黄砂、植物による炭化水素の発生源、花粉。アレルギー発症。 春に木、秋に草による花粉 <人工発生源> 家庭の暖房、製造による汚染、自動車の排気ガス、ゴミ焼却、火力・ガス発電による汚染。 ダイオキシンの問題。 生活の中で発生している極小粒子が人の肺の中に入り込んでいる。 殊に、Road Particles が問題。 ・排ガスだけでなく、道路のアスファルがタイヤによって削り取られ空中にまき散らされる。 ・タイヤの摩耗。 ・排ガスが太陽の熱で変化する。 自然から発生する土地や海などの極小物質は無害だが、人工的なものは有害になる。<室内空気汚染物質> バイオエアゾル 粒子上物質、ガス上物質、微生物、その他騒音、放射線。コピー機や事務用品などによるオゾンが人体にどのような影響を及ぼすか?
2010.12.29
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<作品> 「朴の咲く頃」、「四葉のクロ-バー」 ・ホオノキ・・・ モクレン科・脇役から主役にのしあがっていく背景。・「おえふ」・・・葉っぱ。水族館。「ふるさとびと」・水族館の結末。雪国の結末と関連がある。・「菜穂子」。・「鹿鳴館」の結末。・三島・・・「われわれは待った」。待つはなし。待つ・・・重要な意味。・芥川・・・待ちつづける。太宰にもある。母親とのスキンシップがないという共通点がある。・「待つ」という行為。モチーフがある。・受け継がれるもの。・堀辰雄の「水族館」は、作家の堀辰雄は作品を削除したがった。であるが研究には、重要な作品。・悲劇を、惨劇を待つという物語。・テーマは重いのに、この作品はたいしたことがない。作家の思惑は外れた。・「悲劇の中の悲劇が・・・」。・川端・・・「雪国」結末の部分。・芥川「舞踏会」・三島「鹿鳴館」 ・読者が、作品に対して、自分がどう解釈するかが一番問題である。それを日本の教育はしていないのが問題。だから大学でしかできない。自分の頭で考える。他人の感じているものを間違ったもので感動している。採点できない。 ・トップもあればビリもある。日本の教育は、ひとを選別する教育でしかない。 ・文学では、答えは一つしかないというのはない。 ・自分の印象は、自分だけのものである。 ・若い人に解かる作品ではない。或る年齢でなければ分からない心境。 ・ゼロからみると救えない。だから宗教がある。 ・淋しさは、どこからくるか。 ・若い堀辰雄という作家がどうしてこの作品を書くことが出来たのか。孤独・・・想像力から。 ・老人の死・・・爺やの話。いつの間にか主役に為る。SF的。・「朴」白い花・・・爺やに手向けている。好い匂いの香り。 ・世間の堀への評価と違うイメージがある。・あとのない寂しさ。亡くなってしまう寂しさ。病気の身。 ・健康な人は病人のことは、解からない。 ・老人の寂しさ・・・病人だから理解できたのではないか。 ・さびしいということばが繰り返される。孤独な寂しさ。 ・因業な爺さん。としか観ていないものが変化する。 ・横川・・・信州・脇役を主役にしている。・何の係わりのないものが、却って・・・どうにもならない心の存在。生理的な寂しさを書いている。 ・爺やのどこかさびしい姿を見ていた。孤独死。現代の孤独死に繋がる。・表に出さない。・若い人が読んでも判らない作品。・ロマネスクに拘っているが、ロマネスクではない。・エッセイ風の凝縮したもの。 ・「ふるさとびと」・・・で登場した「おえふ」が、主役になるという発想。 ・「目覚め」おえふさん。・書き始めて、脇役だったが、思考の過程で、別の作品では、主役になることはある。・長編型作家は、結末を決めないで書き始める。書いているうちに新たに別の発想が生まれるのはよくある。脇役が注目されることが、次に繋がる。 「四葉のクローバー」 ・少女のこと。「朴の咲く頃」が寂しさを表現。の対称的。少女一般。・集合的な少女。・昔の不良少女。独特の雰囲気があった。・暗記されないと覚えられない。現代の歌詞は一年だけ、後世には残らないものが多い。・少女・・・不思議な国のアリス。ロマネスク。・モデル・・・アリス。・ロマネスクをリアル化する。・写実とロマネスクと合体する。・青春と老人。・ポジとネガ。・少女だけが知ることのできる幸福がある。・不気味な空虚さ。・・・少女の幸福との対称。・「晩夏」・・・「朴の咲く頃」・・・少女の幸福。が浮き立つ。・白の花のイメージが孤独な生涯と、少女の幸福と色合いが違う。・さるすべりの白い花。象徴するもの。・少女は何か空(うつ)けたような様子で。・結末。「雪国」の結末との比較。・堀辰雄は、試行錯誤している。・雪国、舞踏会、鹿鳴館・・・水族館に繋がっている。・川端「バッタと鈴虫」・(伊豆の踊子)ころころ・・・堀辰雄との関係。・水車、花売りなど、要所、要所に出てくるもの。盗みあいをしている。・脇役がクローズアップされる。・・・「菜穂子」
2010.12.29
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昔、写真集を見たことがある。世界中にある豪華ホテルだ。恐らく宿泊のチャンスなどないだろう。どんな贅沢でもできる人もいれば、そうでない人が圧倒的に多いだろう。宿泊できる人でないと、ホテルの素晴らしさも、エージェントの洗練された接待も判らない。VIP待遇や、スィート・ルームも知らないが少しも羨ましいとは思わない。清潔で、暖かい布団があれば、気持ちよく眠れる。Ritz Carlton名前だけ、印象に残っている。片田舎に、ポッンと豪華ホテルがある。それが崖の上であったりするのはどこが夢があり良いなーと思ったまでだ。カネの苦労もせず食えればそれだけで良いと庶民は考える。城のような家に住み、幾つもの遣わない部屋があっても、不幸なひとは、不幸だろう。狭い部屋に、抱き合って寝れた方が、どれだけ幸せか判らない。
2010.12.29
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生物は、身体を構成する過程で、多めに細胞をつくり、不必要な細胞を削り取る方法で生命を形成する。脳細胞も同じだ。これをアポトーシスという。内部崩壊するシステムをもっているのだから、脳は、自殺のプログラムを内在しているといえる。外からの死を促す少しのシグナルにも作動するだろう。今日の社会は、全て脳のプログラムに従って構成された脳化社会でもあるだろう。それは何を意味するだろうか。コンピュータが脳と親和性を持っていることだ。身体機能を劣化させていけば、精神的エネルギーを枯渇させて、少しの身体的苦痛に耐えられなくなり、何れ、人は生きようという気力が低下してゆくことになるのではないか。ヒトの進化は、アポトーシスで生き延びてきたことを忘れてはならないだろう。 >Egyptian Obelisk detail
2010.12.29
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アウフヘーべンとは、止揚と訳される。 ヘーゲル弁証法の考え方だ。どうも議論の空回りばかりしている政治がある。そればかりでなくどうも短絡的な議論で見切り発車ばかりしているようなものばかりだ。妥協はしてもアウフへーベンのない議論には不毛でしかない。哲学のないのが売りの堀江貴文氏が、株主から「自分だけがもうけようとしているのでは」と想定外の厳しい指摘を受けて思わず「涙が出てきた」と泣き声を出したというニュースに絶句した。未だその場面をみてはいないが、巨額のカネを動かすひとも悪人でもまだ小悪人なのだろうか。底の浅い人間が政財界に存在しているのは風潮なのだろうが、如何にも心もとないことだ。日本人の優秀は世界の優秀とは限らない。彼らはテスト優秀者でしかない。国際社会で通用するには、甘さや温情ではない。「アウフへーベン」できる人間なのではないか。自己撞着している人間では、役に立たないことをどれだけ理解されているだろうか。弱いところを突かれて凹むような人物では先が思い遣られる。理論なき議論ばかりしているようでは世界をリードなどできはしない。赤字国家が、カネをばら撒いて得た国際的信用など何の価値もないだろう。>HAGIA SOPHIA MUSEUM
2010.12.29
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従士団は、原則的には主君のまわりに集った自由人男子の戦士の共同体である。従士制についての具体的な叙述が中世の英雄叙事詩のなかに、すなわち、北欧のサガ、アングロサクソンのべオーウルフ、ニーべルンゲン伝説、グードルーン伝説の中に見られる。これらの叙事詩は、「従士叙事詩」ともいわれる。従士を率いていたのはたいてい国王や太守などの高貴な男たちであったが、北欧では、従士団がこれらの者たちに独占されていたとは思われない。むしろ従士団への加入は自由意志に基づき、自由男子であれば誰でも加入は可能だった。若者のなかには名声と栄誉を得る為に、信望ある従士団の首領の屋敷に行ってしばらくの間仕える者もいれば、高齢まで主君の屋敷にとどまる者もいた。デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王権のいっそうの強化は、従士団の拡大をもたらした。親衛隊として君主の宮廷で生活するものは一部に過ぎず、他の者たちは自己の所領に居住した。このアルカイックな組織は国王の支配権や国家構造の重要な構成要素となっていた。フランク王国の建設は、ゲルマン人の民族移動の中で最も重要な出来事のひとつであった。ヨーロッパのその後の発展に影響を与えたからだ。ゲルマン人とローマ人の共存により、ゲルマン、ローマ末期、およびキリスト教に由来する制度、生活形態のよび理念の融合がもたらされたという。フランクの従士制はゲルマン起源の要素のひとつである。しばしば、奸計と暴力が行なわれた。国王は自分の競争相手の家来をそそのかして主君を裏切らせたものの、それが成功すると今度は、不忠な従士には贋物の金で十分だとする立場に立ったのだ。
2010.12.29
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フランクの法史料において従士団は、国王直臣団という特殊な形で現れる。「サリカ法典」によれば、国王の従士団の成員は国王の保護下におかれて、三倍の人命金が認められた。従士の人命金は600ソリドゥスとされた。自由身分のフランク人の三倍の額だ。人命金とは、殺人に対して被害者の親族に支払われる賠償金のことだ。その額は地位や身分にに応じて段階付けられていた。Rectum est, ut qui nobis fidem pollicentur inlesam, nostro tueantur auxilio. Et quia illi fidelis, Deo propitio, noster veniens ibi in palatio nostro una cum arma sua in manu nostra trustem et fidelitatem nobis visus est coniurasse: propterea per presentem precernenus ac iobemus, ut deinceps memoratus ille inter numero antruscionrum conputetur. Et si quis fortasse eum interficere presumpserit, noverit se wiregildo suo soledos sexcentos esse culpabilem.(Formulae Marculfi,MGH Form.S.55)国王の手のなかで「臣服と忠誠」を誓う。宣誓後、国王直臣の仲間に加わり、以後国王の保護を享受した。
2010.12.29
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人の絆 幼い子が母親に育児放棄をされて、2か月も部屋に閉じ込められて死亡した話など、今年は。人間の絆を問うものが多かった。高齢者への介護の冷たさなどもある。これまで世界からの客観的な評価は別としても、日本人は優しい民族だと私は思い込んでいたが、それは幻想でしかなかったのだろう。自分は安心して老後を暮らしていけるという想いがどこかにあった気がする。それが崩れつつある。寧ろ絶望だろうか。 ・母親から見放されて幼い子が死亡する。それも身勝手な母親の考えや、冷たい周囲によって。それはこの社会の責任でもある。この社会が歪みつつあることの現象の徴表でもあるのではないだろうか。子どもが泣き叫んでいる声を聴いても係わりたくない人間が周囲にいる。もし自分が援けを呼んで来てくれないかも知れないのだ。豊かさを求めてここまで来たが、そこは人間で溢れているが、人の絆を失った人たちの社会でもある。 ・へ2・・・私も、他人との絆を求めなくなっているのに気付く。それは、そのことによって自分が傷つくかも知れないという想いが先立つからでもある。自分が他人を求めないのに、他人は余計、自分を求めようとはしないだろう。寧ろ、弱い人間を排除して行こうという利益社会でもある。どうすべきなのだろうか?
2010.12.29
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哀しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる。無意識に動いている感情が身体に表現されている。自分の性質を自分で勘違いして、思い込みがある。自分は弱い人間だと思っている人が本当は太い神経だったりする。思いもよらないことが世の中にはよくある。その場に連れていく自分のモードをコントロールすることは重要でもある。脳と身体は一体ではなく必ずしもコントロールされてはいない。エイリアンハンドもあるくらいだ。 ・ウオーキングを始めて、脳と身体が違うことに気付いた。気紛れな性格だが、身体が歩けという。もう止めようという脳に対して、身体が動いている。末梢神経が鈍くなりかけれいたが、歩くようになって改善したし、色々からだの変化があったようだ。悪くではないのは、これまでが間違っていたのだろう。加齢はどうしようもないが、身体を動かすことは遣ればできるものがある。それが大事なのだろう。知識は増えたが人間の体は動かなくなり、その分病気も増えたのだ。他人に頼って知識を得ていたが、自分の見識にはならない。 ・へ2・・・どこまで自覚的に行動できるだろうか。モードを切り替えられるかだ。脳と身体を一致させられるか。どれはできない相談なのだろう。それでも脳内ホルモンを出させて楽しく生きることが長生きできるコツではないだろうか。ここまでウオーキングを続けられたのもモードの切り替えができたからだろう。一つのモードのキーばかり叩いていては長続きできない。自分の心の窓から見えるものは、そこまで移動させないと見えないかも知れない。 >イスタンブル
2010.12.29
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暴力装置 自衛隊が暴力装置だという論議が問題になったりしたが、時代の流れを感じる。自衛隊が違憲だという議論されていたころ、とは随分違うようだ。それはマスメディアの常識の違いから来るところがあるのだろう。常識は変化している。政府の世論のコントロールもある。なし崩しにされた面もある。法の下にする暴力は暴力ではないというのだろう。死刑は、一定の法手続きがされることによって許される国家の行為であり、有形力の行使であるが、暴力ではないとされる。 ・セクハラにしろ、外観と内面の違いがある。同じ行為も、非難され或いは黙認もされる。余り立ち入りたくない人間関係があるからだろう。個人の問題であるとされるがそれでは済まない事もある。虐待もあるからだろう。親と子の関係も、親が躾だというが、どう見ても暴力であり、虐待であることもある。歌舞伎の役者の事件も、また藪の中だろうか。凋落して行く過程で起きることが余りにも多い。大相撲も野球もその兆候があるように思えてくる。 ・へ2・・・兵器は、殺人装置であろう。その兵器を持っている軍隊は暴力装置ではないだろうか。自衛隊は軍隊でないだろうか。どうも歯痒いような議論がされる。そうした曖昧さが、日本を駄目にしてはいないだろうか。漠然とした不安という文学者の文学的表現では済まない。はっきりさせないことが多いと、どうも世の中が可笑しくなってくるような気がしてならない。 >福岡市東部
2010.12.28
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戸惑いながら 人はある意味初めての経験をしながら日々を過ごしている。それこそ昨日と同じではない今日がある。こころを平穏に保つために同じだと信じようとさえする。そのための方法が考えだされてきたのだろう。それは永遠に同じだという信仰でもある。自然への畏怖の念が背後にある。漢字の「おそれ」という「恐れ」「畏れ」「怖れ」など個人にとっても意味は多様にある。そしてそれは少し筒違うのだろう。自然への畏怖が、人間社会の畏怖になっていた時代から、様変わりして来たが、それでも受け手の解釈で随分違ったものに見えても来る。 ・震えて眠らねばならなかった時代の「おそれ」は、「恐怖」に近い。それは直接自分の生命の危機でもあっただろう。いつ理由もなく殺された時代が続いたのだ。権力者に気に入らないと思われても殺された市、逆らえば火あぶりにもされた。ハレムの女にされるかもしれないし。奴隷になって一生屈従の人生にもなったのだ。犬猫と変わらない暮らしもしなければ生きられない時代もある。現代に於いても「おそれ」は、容を換えて存在している。 ・へ2・・・この世界をどのように解釈するかであろう。それが主観的か、客観的であるか。見識の広さや、洞察力の深さで違うだろうし、措かれた環境での常識でも違う。現実的であるか、非現実かもある。いくつかの外国をツアーで周ったが、人間の営みの多様性に感動しながら、その生様の違いをも感じる。人は何を求め感じてきたかはその生まれた国の歴史で違うだろう。どんな幼児体験をしたかで思いも違う。あることに戸惑い、そして「おそれ」ながら活きてもいる。受け取り方で明るくも暗くもなり、幸福にも不幸にもなる。どこまで自分だけではなく、他人との共感が出来るかでもある。 >和白干潟
2010.12.28
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<作品> 「漾虚集」 ・7作品。(上巻)「倫敦塔」「琴のそら音」「一夜」、(下巻)「カーライル博物館」「幻影の盾」「かい露行」「趣味の遺伝」・あと1回「吾輩は猫である」が3月にある。・「漾」とは、 ただよふ(漂流)。ただよはす、水の揺動する貌。「揺漾」。 ながし(長)。 川の名。 「漾水」ただよえるみず。一説、始めて山を出たる泉。 「漾碧」みどりの色をただよはす。 「漾漾」ただよふ貌。 水の動く貌。など。・漱石蔵書への書き込み(リーフレット)・「一夜」が難解、厄介な作品。 「一夜」・問題となるのは、「折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。・・・」。・「合わせ鏡」になっている。こちら世界の三人と、隣の世界の女ひとりと男二人をそれとなく書いている。清浄と醜悪な世界。精神と肉体、対比させている。・隣りでは、生々しい現実を想像させている。乱れた男女の関係がある。然しそれとは明確に表現せず、想像させる方がインパクトがあることを漱石は想定している。・隣の関係が現実社会である。違う男が登場してくる。三角関係。女一人に男二人。・清と濁。・「こちらの世界の女は、「誹」と賤しむごとく答える。」・髭のある男と髭のない男が象徴的に区別された人格者として描かれる。・「琴の」合奏・・・男と女の関係を指している。匂わせる。・タイトルには意味がある。比喩。「趣味」・・・男と女。・「グループ」・・・で読む意味がある。三人と三人として。・「倫敦塔」地獄の門。漱石の翻訳。ダンテの翻訳をした。「神曲」地獄篇。十五歌。 地獄である魂。これらの引用。・トリスタン・イズ・物語。 「幻影の盾」 ・フランチェスカ 「パオロ・フランチェスカ」(「行人」)・ランスロット 「かい露行」 に出てくる。・漱石は連想で書く作家。・運命的な出逢い。不倫の恋。で地獄に落ちる。・ダンテの影響。・「在天の処女」。・ユリの花に包まれた女。・「神曲」と「漾虚集」の関係がある。・「神曲」を読んだほうがよい。・「一夜」は、こちらでは何も起こらない。然し、現実社会の、「隣」では男女の醜い三角関係がある(汚れた社会)。・「かい露行」との関係がある。・ミステリーが解けないと解からない小説・仕組まれた内容である。 「倫敦塔」・「ポンペイ夜話」を読んでいる。・これから「倫敦塔」を思いついた。発想。・たった三行から思いついた。同じニュアンス。・Theophile Gautier・ゴーチェ「死霊の恋」「魔眼」女は、「眼」で男を殺す。・芥川も読んでいる。・どこかで「漾虚集」の7篇がつながっている。・(これらの作品は)西欧人が書いたとしか思えない作品。と評した評論家がいた。・鴎外は「漾虚集」に深い関心をもっていた。・「鴎外と漱石」。鴎外が漱石より早く作品を書いている。お互いに対抗意識があった。同じ東大卒。・鴎外「金貨」は、吾輩は「猫」である。・吉本隆明・・・漱石は天才。鴎外はそうではない。・二人は、タイプの違う作家。・読んで得るもの。どちらか。・漱石は異常でもある。・中世の騎士物語。 「倫敦塔」「カーライル博物館」・ロンドン留学の時。・家の内と外の世界。世界が違う。・20世紀に対して批判的。・昔の人への共感。・漱石は、ロンドンの現実世界に嫌悪感を持つ。・文化批判。・「草枕」では「鉄道」を嫌う。「倫敦塔」では、西欧の文化を嫌う。・漱石「学友」・・・カーライルが出てくる。幻想。カーライルの真似をしたくなるようなひとだった。真似をするのを嫌っていた漱石らしくない。それだけ尊敬していた。・漱石の後年は真似ることを嫌った。対照的な人物として登場している。そういう時代があったという意味。稀有なところ。それだけカーライルに感じていた。・変人でも生きていける。・変人カーライルの外の世界・・・に共鳴した漱石と同じ。外には出てこない。・漱石は、狂人扱いされたことがあった。・漱石は模倣嫌い。病的なくらい。・コピーを戒める。自分に警鐘を鳴らしている。・新版の全集にしかない。「学友」はない。・ドラロッシュの絵。・「倫敦塔」 最後のシーン。対照コントラストを使う。戯けたことをいう。ぞっとする恐怖を狙っている。・マクベスの「門を叩く」シーン。小説の技法として漱石は使う。惨たらしい場面。・漱石の書き込みがある。・「人間と悪魔」。突然のノックで立ち直る。悪魔の心になっているのがノックの音で人間の心に戻る。「趣味の遺伝」。効果を狙っている。このときには、漱石は作家の目が育っている。・「戯けた歌」によって効果を狙っている。文学理論に通じている。手の内を証している。・太宰の作品にもある。・創作技法「恐怖」を際立たせる効果を狙っている。・「肝心要」になることは作家は言わない。・「マクベスの幽霊」に触れている。 「琴のそら音」「趣味の遺伝」・何で書いたか。・男女の恋愛。その子孫が見えない糸に引き寄せられるように知らない間に出逢う。・霊的なものと、学術理論の相違。・迷信的なもの・・・深入りすること漱石は避けている。・霊の感応・・・幸田露伴。・ウイリアムとクララ。「幻影の盾」 ・世の中の道徳に反した部分がある・・・「かい露行」の作品。・現実には叶わない恋。小説では、深刻だがハッピーエンドでは面白くない。・「誹」と賤しむ。・漱石は男女の恋愛はこの世では叶わない。その人間の「哀切」を漱石は描きたかったのではないか。・落語。戯言。・マクベス。「趣味の遺伝」のポイントを読んでから全体・他を読む方がよい。・歴史的事件・・・乃木と鴎外がいる。中野重治が書いている。
2010.12.28
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ダイエットで脳力UPの可能性 カロリー制限は、寿命を延ばすことは、70年前から知られている有名な方法だ。食物摂取を30%~40%減。動物実験では、長生きできるだけでなく、延びた生存期間を健康に生きられる。ガン、糖尿病、神経変性疾患を含む大半の病気を防げるという。臓器が活力を保てるが、引換えに低下するのは生殖能力くらいだ。カロリー制限に寿命を延ばす効果があるのは、代謝の速度が落ちることと、有毒な副産物も減るためと長い間考えられてきた。併しこの見解は正しくない。哺乳類の場合、カロリー制限では、代謝が遅くなることはないし、酵母や線虫では、逆にスピードアップされる。これは、カロリー制限は、ストレス因子の一種で、食物不足によって防御反応が誘発されて、生存可能性が高まると考えられる。適度なストレスが SIRT1 の活性を高める。klotho 遺伝子の発現を過度に高めるとインスリン不足になる。つまり、抗老化作用の正体は、抗インスリンなのだ。さじ加減が難しい。・日本近代思想体系「開国」のなかで、面白いのを見つけた 異国船退治につき遊女渡世藤吉願書という。1853年8月16日。若年寄に駕籠訴を試み、町奉行の吟味を経て提出された。異色中の異色の提案で、奇想天外な遊女屋経営者だ。「・・・近年異国船所ゝ渡来之由、・・・此処に碇をおろし御待此れ有るべくと種々申し置、鶏薪水外にも被国人望候会津ぬり盃椀木皿膳之類錦絵杯差遣し、懇意にいたし、追々互い打ちくつろぎ、同船一統品々持寄、異国船え乗移り、酒宴等相催、興たけなわに相成、酒興之上此方之面々口論を仕出し少々計打合せ候はば、必ず異国人口出し手出し等可致を指図に此の方一統合詞を以立合、第一に火薬之在所を兼て見定置、火付役之者は、火薬へ火を付け候事を第一之手柄と定め、面々鮪包丁以片端しより切捨申すべく、1千艘の七分は集り、人数四千人余を以、異国船凡八艘渡来候共、一艘五百人之面々相働、其内首尾能火薬之移り候ば、即時に勝利仕、尤此の方之者過半焼死は兼て御国恩之為覚悟仕罷在候間、必勝之利疑無存じ奉候。・・・。」
2010.12.28
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コーランに、「彼らは彼らが自分で稼いだだけの報いを受け、お前たちはまたお前たちの稼いだだけも報いを受ける。(遠い昔に)他人がなしたことの責をお前たちが負わされるようなことなどありはせぬ。」。 多くの知識を得ようとして、さまざまな書物によって見識を拡げようと努力しているが、その人がやがては回帰する一冊の本が在る。それは自分の帰る場所でもある。絢爛豪華に花を咲かせた桜の木も散り、青葉になり、秋が来て散ってしまう。だが、自然は、冬を耐えた後のもう蕾を用意し始めている。ひとも植物もルーツはみな減数分裂のルーチンを活きている。 ・コーランも信じる者には、未来であり、明日を信じることのできるものだろう。明日を信じなければ人間は生きてはおれない。自分の稼いだだけの報いを受けるのが、この世のルールであると信じているからこそ、ひとびとは、研鑽して、日々を過ごす事が出来る。 ・へ2・・・人はいつか老い、やがて散っていく落ち葉のように、炭素に戻るだろう。そう仕組まれているからである。他人も、そして私も、自分で稼いだだけの報いを受けねばならない。 >指を360度回転できれば願いが叶うのだそうだ。
2010.12.28
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2万歩は歩けなかったが、まあ、こんなものだろう。ドントマインド。できない日もあっていい。歩けるという喜びは価値がある。小さなことで挫けないことだ。福岡地方は、年末に向けて荒れそうな天候のようだ。どこまでできるか分からないが、努力はしたい。 年月日曜日気温起床 歩数2010/12/1水 19,5192010/12/2木 7,5822010/12/3金 6,4032010/12/4土5 4;5027,0422010/12/5日5 6;0526,5822010/12/6月8 6;3517,5232010/12/7火12 5;507,5702010/12/8水6 2;503,5772010/12/9木10 5;5023,1322010/12/10金22;1021,5022010/12/11土12 4;2021,3142010/12/12日3 7;3024,5422010/12/13月9 4;305,5562010/12/14火13 3;1531,6622010/12/15水7 3;3130,7672010/12/16木5 3;0031,1312010/12/17金2 5;1516,9032010/12/18土8 4;1541,0672010/12/19日3 4;2520,8522010/12/20月12 5;0522,0772010/12/21火9 0;3019,3572010/12/22水9 4;4020,6512010/12/23木7 4;1526,0772010/12/24金11 2;4520,1522010/12/25土2 3;2015,6112010/12/26日4 5;0015,2462010/12/27月6 5;0523,6612010/12/28火6 1;5516,166合計 563,224
2010.12.28
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宗教は、ひとを救う為にあるだろうか、いまや人を隔てる壁でもある。トルコの加盟は容易ではない。EUは、キリスト教が多く、トルコが、イスラム教徒の国だからだ。融和は遠ざかる方向にある。超えられない壁があるだろうか。長い憎悪の連鎖は続いているようだ。不信感はいまだにある。 容易に壁を超えられないのは、民族主義があるが、EUは、それを克服したのではなかったのか。如何に底の浅いものでしかない。政治と宗教を分離することを克服できない限り融和は遠いだろう。流血の歴史的背景が、簡単には拭えないのだろう。ローマ法王の発言が、その宗教の火種に火をつけたようだ。トルコの選択は、宗教に傾きつつあるようだ。その原因は、EUの低レベルの拒絶でもある。恐らく、EUとトルコの統合が先なのではないだろうか。そこから得られるものは、対立を際立たせるよりも、より利益が大きいといえる。EUとトルコとの統合の躓きは、世界の平和に取っても、大きなマイナス要因だろう。そこに宗教的対立言う、避けがたい課題への試金石がある。何しろ、5,000年の歴史があり、それは殺戮の歴史でもあった。お互いに蔑視した関係では解決はあり得ない。
2010.12.28
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今日は、小雪の舞い始めた寒い一日だった。寒気団が上空に流れ込んでいる。今は、のこりの年賀状を出して、車にガソリンを入れてきた。正月2日は、前から恒例になっている、家族で大分の高塚地蔵尊に参詣の予定である。明日は、大掃除をするというミッションだ。私は、ガラス窓拭きと庭の清掃をする。何もしない年越しをしている。義父がいたころは、妻の実家で正月行事を済ませていたので、暮れから出掛けていた。子供たちも大きくなり、正月の気分も薄れてしまった。環境も変わったこともあるが、テレビを観ながら、ダラダラ過ごしている。毎年、娘たちが、正月にいないこともある。昔は、正月といえば、色々遣ることが沢山あった。餅つきも自分たちでして、旨い餅を食べたものだし、母の手の込んだ旨い雑煮を楽しんだものだ。日本の正月の慣習が、いまの娘たちに残せそうにないのは残念だ。慣習とは残るものと残らないものがあり、これからどのように変わっていくのだろうか。杵で突き上げた歯ごたえのある餅も少なくなってしまった。
2010.12.28
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司馬の「坂の上の雲」は、懐古的な思想がある。明治を懐かしむ傾向は歴史家に多いのではないだろうか。それは現代に足りない情熱を感じるからでもあるだろう。その点松本清張は違うようだ。人間は生まれつき善でも悪でもない。善をおこなうから善人になるし、悪を為せば悪人にもなる。カネのあるなしではないし、身分があるかないかでもない。品格は自分でつくりつくられるものだからだ。カネに甘いものはカネに溺れてしまうまでだ。政治家がカネに甘ければ必ず失敗する。 ・政治家はカネに厳しくあらねばならないのは言うまでもない。司馬は懐古主義者でしかない。日本を肯定するために歴史を肯定したかったのだろう。そして英雄を創作しつつ肯定して眺めつづけたのだろう。だからこそ、ヒーロー主義がある。清張には清張史観と呼べるものはなかった。それは自分の立場を庶民の側に立たせたかったからではないだろうか。権威に逆らった反骨があると思う。権力に迎合していない。 ・へ2・・・国民的史観というのは怪しいものだ。司馬史観もその一翼でしかない。みんなが同じ考えを持っていたら、寧ろ偏頗なものでしかない。懐古趣味では、歴史を客観的に把握などできない。NHKの歴史的価値も、もう終わったのではないだろうか。進歩の跡が見えなくなっている。いつまでも同じドラマでも面白くはないし、前進もないだろう。 >トルコのマス料理
2010.12.28
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曠野に生き延びた人たち カッパドキアは不思議な世界だった。高地の草木も生えない岩場に暮らしている人たちがいた。農夫のアルファベットいう言葉があるが、その土地で生き残るための最低の知識と適応性がないと生きていけない。人間の持つ適応性の能力の偉大さは、想像以上なのだろう。私だってカッパドキアで生まれれば、平気で生きていられるのかもしれないが、こうして違う環境で生きてきた今では、それは不可能だと思えてくる。何が困難で何が、生き甲斐だろうか。 ・自分の今を、客観的に考えると、視えてくるのは自分の甘さである。他人に頼り過ぎているのではなかろうか。好きな時に食べ物が食べられ、飲み物だってある。快適というほどではないにしても、好きなだけ寝ていられる。それは居住環境があり、社会が整備されているからでもある。自分で創ったのではなく、生まれた時から存在していた。努力すればもっと違った生活もしていたことだろう。それをしなかったのは、自分の価値観でしかない。 ・へ2・・・飢餓に悩み、宗教戦争で生死の狭間にいる人たちが大勢いる。何故そうなのかわからないまま泥沼の中で苦しんでいる。柵の中で、一生そこから出れないでいる人もいることだろう。曠野の中でも家族と肩を寄せ合って慎ましく生きている人たちもいることだろう。何が幸福かは、その人がどう思うかでもある。宗教では終わらないのが人間の大きさでもあると思う。人の心に宿る曠野は別にあるのだろうか? >カッパドキア
2010.12.28
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