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自然に順応して人間は生き延びたのであって、人間が自然を克服したのではない。人間の驕りには果てしがない。自分のことを過信して尊大に振舞う人がいるが、あさましいというべきだろう。雑草でさえ、光をあてさえすれば宝石のように輝いて見えるものだ。まだその価値を知らないだけだろう。何かを支え健気でさえある。一人の人生もそうではないだろうか。自分が凡庸だとしても卑下することは何もない。 ・人としてあるべき生き方を謙虚に学び、他人とともに生きようとさえすれば、やがて道が開けると信じたい。紆余曲折が予想される。直線ではなく、スパイラルだろう。予断を許さぬ現実を忘れてはならないと思う。 ・へ2・・・軽佻浮薄が一般的な社会になっている。安易な判断が、人々を苦しめている。容易に落胆しない強い精神を鍛えねばならない。それを自然に学ぶことができるだろう。自然に親しむということが、そのことを必ず教えてくれるだろう。草花を愛することができれば、人間をもっと好きにもなるのではないだろうか。歪んだ価値観が、世界を覆っているのではないだろうか。
2014.01.28
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アメリカ西部のグランドサークル8日間のツアーに出掛けます。福岡から、羽田経由で成田~ロスへの直行便ですが、6時前には家を出発しなければならない。長い一日になりそうです。今夜は、ラスベガスで宿泊の予定です。ザイオン国立公園等楽しんでまいります。 福岡市の日照時間と気温 年月日 曜日 日の出 日の入り 現在気温 2014/1/1 水 7;22 17;20 6 2014/1/2 木 7;22 17;21 2014/1/3 金 7;23 17;22 1 2014/1/4 土 7;23 17;22 6 2014/1/5 日 7;23 17;23 6 2014/1/6 月 7;23 17;24 4 2014/1/7 火 7;23 17;25 5 2014/1/8 水 7;23 17;26 8 2014/1/9 木 7;23 17;27 7 2014/1/10 金 7;23 17;27 3 2014/1/11 土 7;23 17;28 2 2014/1/12 日 7;23 17;29 1 2014/1/13 月 7;23 17;30 3 2014/1/14 火 7;22 17;31 1 2014/1/15 水 7;22 17;32 2 2014/1/16 木 7;22 17;33 0 2014/1/17 金 7;22 17;34 2 2014/1/18 土 7;22 17;35 6 2014/1/19 日 7;21 17;36 5 2014/1/20 月 7;21 17;37 4 2014/1/21 火 7;21 17;;38 6 2014/1/22 水 7;20 17;39 1 2014/1/23 木 7;20 17;40 -1 2014/1/24 金 7;19 17;41 2 2014/1/25 土 7;19 17;42 10 2014/1/26 日 7;18 17;42 12 2014/1/27 月 7;18 17;43 3 2014/1/28 火 7;17 17;44 2 2014/1/29 水 7;17 17;43 3 アメリカツアー2014/1/30 木 アメリカツアー2014/1/31 金 アメリカツアー
2014.01.28
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ブログのない生活。ツアーの時ぐらいブログから離れていたいと思う。PCが壊れた時、しばらくブログを書けなかったが、それはそれであまり気にしなかった。なければないで、することはある。努力をしないで知った知識は、すぐに忘れてしまう。いつも新しいものがないと暮らしていけないような状況を自分で招いたいる。明日は、かなり早く出掛けることになりそうなので、もう寝ます。
2014.01.28
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9世紀末のフランク人の歴史著述家であるプリュムのレギノは、「部族の区別は、出自、慣習、言語、法に拠ってなされる」(diversae nationes populorum inter se discrepant genere, moribus, linqua, legibus)という。出自、慣習と並んで言語は部族に固有な判別標識であった。即ち、部族は言語共同体を形成したのだ。 言語の共通性は連帯感を促がし、異なる言語は、反感を生んだといえる。同じ言語や非常に類似した言語を話す異なる部族はお互いに同族と感じていたし、他の部族からもそのように見做された。ゲルマン諸部族が、どの程度に言語上の諸部族と一致するかは、ゲルマン語学でも論議されているが、原ゲルマン語から、東ゲルマン語、西ゲルマン語、北ゲルマン語の3分流をへて、個々の部族言語へと分かれるという系統モデルは現在の研究では否定されている。 言語の役割についての研究は、文化の根底を揺るがしかねない重要問題だと思う。語学教育は そういう意味では、日本語文化の崩壊につながる危険をも包含しているだろう。部族イデオロギーを最も特徴的に表現している言語の存在は、安易なものであってはならないだろう。
2014.01.28
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女性の相手を選択する能力はその”Sign of good health”を持っているかだ。でなければ、「ハンサム・サン」を残せない。それが、何なのか鳥でさえ知っているが、人間の感性は免疫系だけではない。何をもって、スキルとするのか、それさえ考えていない女性がいるとすれば生き残るべき子孫を残せない。 ・鳥は空を飛ぶ。ひとには創造する能力がある。 ・自分を残した脳を最大限に利用したものが、生き残る権利があるのだ。
2014.01.28
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一日一日を、たっぷりと生きて行くより他はない。明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮かべてみたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音を立てて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことし始めて驚いている。・・・」。 (太宰「新郎」)・太宰も意外なことを書いている。これも太宰の一面なのだろう。しかし彼には風景はものでしかなく見えるのは人間ばかりだった。もともと関心がないのだろう。綺麗か、そうでないかしか、「風景」はない。西洋人の美の原点はシンメトリーである。おそらく太宰もそうだったのだろう。・へ2・・・私が読んで感じるものと講座の講義が相当違うのが面白い。専門家に感心することが多いが、何でそんな風に思うのだろうというところもある。どちらがどうのでもないだろう。文学は読者の解釈の自由がある。自己撞着した男がなぜそんなに自分を書くのだろうか。自家中毒してみせて快感なのだろうか。よくわからない。「死」が美学だと思っているとしたら、それは幼い。太宰も、すべてを捨てて、世界一周でもすれば良かったのではないか。ウオーキング歩数累計(2008.4~) 年月 歩数 日数2013.12.31まで 45,191,674 (2,086)2014.1.22まで 561,217 (28)合計 45,752,891 (2,114)
2014.01.28
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息をすることが下手かどうかも寿命と関わりがある。つまり呼吸は人間には欠くことのできない生命活動でもあるからだ。食うことも運動することもある。人間として活動するための基本的な行動には皆関連がある。何も知らなかった原始の時でさえ、自分の体の調子を解っていたのだ。現代では、健康も商品になる。新しい価値を見つけようとするあまりあらゆるものを商品にしてきた。未だ隠された商品があるに違いない。それに気付いていないものがあるだろう。発見者がものすることができるだろうか。その資格があるかだろう。それを誰が決めるだろうか。それは解らない。 ・リスクのない活動はないのだから、一概にウォーキングが身体やメンタルに良くても、社会的な価値があるとは限らないし、個人の状況によっても違いもする。私には好くても他人に善いとは限らない。毒にも薬にもなる。仕事もしないで要られるかどうか、それを社会的に認知されるかでもあるだろう。 ・へ2・・・それにしてもウオーキングは、別に資産を抱えて歩いているのではない。自分の身体があるだけである。遣り過ぎれば痛くなるし、転べば怪我もする。轢かれれば只では済まない。雨も降れば雪も降る。時間を決めているようで天候次第でもある。同じ場所を歩いて何が面白いのだろうか?それは、生きていることに相似してもいる。歩きながら、想像することはできる。ゆったりと時間が流れてもいる。
2014.01.28
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価値を見出すことは難しい 他人の真似をしても得られるものは少ない。自分で価値を見出すことは簡単ではないが、それだけやる努力は報われなくても自分の足跡でもある。表に出ることばかりがすべてではない。ひと努力は距離ではなく深さにある。目には視えなくとも解かる人にはわかる。焦らず「うんうん」いいながらわが道を歩くのみだ。1日は誰も同じであり、ベクトルが違えば、進む方向も違うが、同じ時代の人間同士である。 ・言葉が通じまいと、その心情に変わりはないと思う。親は親の気持ちを以って子に接している。人の価値をどこで感じるか違うだけだ。いまウオーキングに凝っている。歩くのに夢中だ。歩くことで人生を感じている。哲学を愛するというが、そこに価値を見出せば何でも価値が視えるのだろう。愛されるのではなく、愛した方が好い。 ・へ2・・・5時になった。パンを焼いて、朝食を摂り、朝のウオーキングをして来ようと思う。何時ものことが出来るだけで嬉しくなる。大相撲で八百長があると報じられている。理事長がこれまでにはなかった・・・ということばがあったが何を証拠にいっているのだろうか。どこか破綻しているようだ。時代遅れの人間たちが多過ぎるのでは社会は停滞してしまうだろう。卑劣な社会が卑劣な人間も作る。
2014.01.28
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人知らずなりけり 素直な人間ほど、解かり易い行動もとる。「寄らば大樹の影であり」、カネの臭いのする方に己の顔は向きがちだろう。世間は、単純であり、冷酷でもある。誰もホームレスの所へは行かないし、見て見ぬふりもする。それは自分も同じだ。どんなに威張ってみても、それ以上ではない。それ以下に為らないように努めるしかない。カネに集まる習性は未だに誰にもある。カネで苦労もする。誰にも公平であるように見えて、そうではない社会が矛盾の根底にある。 ・他人の目は視ているようで視ていないし、反面みないようにみせて視ている。つまり知っているのだろう。カネがあるかどうかくらい誰にもわかっている。派手に暮らしていれば、それが解かりもする。容を視て、あそこは景気が好いらしいと思うのだろう。騙される人もいる。附け込まれて追剥ぎのような目に遭うひとたちがいる。ハイエナのような人間はいまもいる。判断力の弱った善良な高齢者を狙ってオレオレ詐欺がそれだろうし、いまだに後を絶たないらしい。 ・へ2・・・日本人のタンス預金が未だに、タンスの中で眠ってもいるらしい。死んであの世に持って行くことできない巨額の金が、死んでもいる。一方でひとりあたり700万円の借金がある。妙な国家だが、それほど住み難いということでもない。もっとひどい国もある。ひとはひとをしらずだ。自分さえよくわからないでいる。他人の生きている姿を視てほっとする。自分よりも苦しんでいる人をみて、そして自分よりも・・・健気な人もいる。さて、今日は節分。二月に為り春めいてきた。
2014.01.28
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好いことばかり求めても これまで理想的な社会があっただろうか、一度もない。どこを探しても何か欠陥があるだろう。ひとは快適に一生を終えた人がいただろうか。マリーアントワネットでさえ最期はギロチンになった。何が好いか悪いかは其の人でなければ分からないが、好いことも悪いことも、あるのが人生なのだろう。それが平等にあるかどうか?それは、其の人の思いもある。傍目には貧しい人生も、内実は、そうとは限らない。マザー・テレサのような人もいる。他人を見たままで評することはできない。そして自分を果たして客観的に評価できるだろうか。 ・自分で好いことと思っている事が、実はそうではないことはある。リタイヤしてのんびり暮らす事が好いことだと思っていたが、そうではなかったようだ。善いことも悪いこともある。寧ろ仕事をしていたころの方が気楽だろう。社会は、働くものたちのために構築されたものだからだ。然し、人間社会が、生残って行くために避けられないものは、新陳代謝でもある。ステージは換わらなければならないのだ。時は矢の如く過ぎ、然も不可逆でもある。 ・へ2・・・この今をどのようにとらえるかで、自分のエリアも決まる。いつも享楽は一時のものでしかない。水脈は枯れる。大国のアメリカの政策もコロコロと変わっている。そうしなければ生き残れないからだ。それこそ個人も日々変転の憂き目であるのは言うまでもない。何も懼れることはない。為るようになるからだ。そう思う。
2014.01.28
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社会は変動の中にあり、水流は忽ち枯渇する。社会的な存在理由を持たない企業は崩落の憂き目に会うだろう。癌死は、メディカル・ステージを進んで、最終ステージに到る。組織はパニックになり、意外の行動をとるものだ。未だ同情に価することはあるだろう。然し、人として尊厳あるを忘れるべきではない し、一滴の涙を見たいと思う。それが企業であっても、最後は惨めなものであろう。然しそれに耐えて処 理するものが必要だ。往々にして、下劣なる行動をおこす輩がいる。他人を非難する前に己の行いを反省せよ。苦しき時の友こそ真の友という。枯葉は、水流が枯渇して、大地に戻るのだ。全て世にある ものはいつか消えるだろう。永遠などない。全て、限界があり、有限の中でこそ価値を見出すべきだろ
2014.01.28
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから5万年~10万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2014.01.28
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またしばらくブログから離れてツアーをしてきます。こんなに書いていると飽きられてしまうが、これもしたいからしている。同じことばかり繰り返しているが、自分の脳も飽きてしまう。手を抜いたことばかりしてしまう。写真は、添え物のつもりでいたが、文才がないので、写真だけでいいと思う人もいるのかもしれない。写真は口より物を言う。 ・自分の目で見た方を信用する。百聞は一見に如かず。どんなことばよりも写真が印象に残るのだろう。こうしてこれたのもこの社会がそれを許してくれるからでもある。それはいまだからでもあるのだろう。然し、これからのひとたちは、辛酸なこともあるのではないだろうか。節目ごとに自分の人生を振り返ると、やはり塞翁が馬でもある。 ・へ2・・・今度のツアーがまた、次のステップの節目ではないだろうか。好いこともあれば悪いこともあるのが人生だ。好い時を楽しまない手はない。「アメリカ大自然紀行」とは、これはなんとも素敵なツアーになることだろう。娘の話では、添乗員さんはきれいな女性だということだった。
2014.01.28
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おそらく私と同年配の人たちは、健康寿命と平均寿命との間の二年間が、自分にどのようにかかわってくるか心配しているだろう。子どもは当てにならない。妻の方が長生きしてくれればいいが、これは「チョコレートの箱」でしかない。こころとからだのバランスを保ちながら老後を過ごすのも他人任せでは、航空機が自動操舵で着陸するようにはいかないだろう。 ・仕事をしているときは、仕事で草臥れてしまい、勉強したい気持ちはあっても時間がなかったので悔しい思いをしてきた。日本文学も勉強したいと思っていたが、縁がなかった。どこから手をつけたらいいかわからなかったこともある。それが定年後、女子大の市民講座で、男も受け入れてくれる日本文学講座を同じ教授で6年間も受講できたのは、奇跡に近い出来事だった。 ・へ2・・・しかもフリーだった。よほど前世でいいことをしたのだろう。学生には厳しい教授だったのではないだろうか。受講者は老人が多かったが、手を抜かない真摯なレクチャーをされたのは感謝に耐えない。他の大学を含め年間100日の受講をされる猛者の受講者の人が、こんな講義は外にはないと言っていた。その先生も定年退職されたので、寂しい。脳に新鮮な空気を吹き込んでくれる先を探している。
2014.01.28
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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。
2014.01.28
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悟りヘの道 「維摩経」の第4章 ぼさつに、さとりの記述がある。 「・・・さとりは、身を以てこれを得ることができないし、心をもって得ることもできない。 「寂滅」がすなわちさとりである。それは、もろもろの相を滅しているから。 「不観」がすなわちさとりである。それは、もろもろの対象を認識することを離れているから。 「心の作用がないこと」がすなわちさとりである。それは、そこでは思いつづけるということが無いから。 「断絶ということ」がすなわちさとりなのである。それは、もろもろの邪まった見解を捨てるのであるから。 「捨て離れること」がすなわちさとりである。それは、もろもろの妄想を離れるのであるから。 「障(さわ)り」はすなわちさとりである。それは、もろもろの願を障(ささ)えるのであるから。 「不入」はすなわちさとりである。それは、貪り執着することがないから。 「隋順」がすなわちさとりである。それは、真如に隋順しているから。 このあともまだある。理由は別として列挙すると 「住(とど)まり」はすなわちさとりである。 「至ること」はすなわちさとりである。 「不二」はすなわちさとりである。 「等しい」はすなわちさとりである。 「無為」はすなわちさとりである。 「知ること」はすなわちさとりである。 「接触しないこと」はすなわちさとりである。 「合しないこと」はすなわちさとりである。 「場所のないこと」はすなわちさとりである。 「仮の名であること」はすなわちさとりである。 「化現のごとくであること」はすなわちさとりである。 「乱れがないこと」はすなわちさとりである。 「善く静まっているということ」はすなわちさとりである。 「認識しないということ」はすなわちさとりである。 「異ならぬということ」はすなわちさとりである。 「無比ということ」はすなわちさとりである。 「微妙(みみょう)ということ」はすなわちさとりである。
2014.01.28
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ひとの心臓ひとの心臓は、一日10万回以上拍動し、平均耐用年数は、70年間以上あり、その間25億 回以上拍動する。その間保守点検や不凍液も必要ではない。機械装置のように性能アップもす るし、無茶な扱いをしてもそこそこ無事に機能してくれる。この拍動する筋肉のかたまりは、 小さな奇跡と言える。その信頼性の精確さにおいて、ロレックスの腕時計をはるかに凌ぐとい う。 心臓は、これまでずっと体の中心的な臓器と思われてきた。心臓手術をした先駆者たちは、み な第一人者としての名声を手にしてきたが、いまでもまだ一部には、その能力以上に尊大な態 度をとる心臓外科医もいる。からだをつかさどる存在があるがあるが、その機序さえ把握でき ないでいる。まだほんの一部の知識でしかない。医者の存在も社会的地位まで届いてはいな い。
2014.01.28
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資源は無尽蔵ではない。人間も同じだ。限られた時間と限られた世界で生きている。個人にとって、未だ自分のスペースを選択できるが、いつかそうもできなくなる。のびのびしていられるのにも限界があるだろう。私たちはただ黙って、それを受け入れるしかないのだろうか。一生恙無く生きられれば幸福といえるだろうか。何か今しなければならないことが私にもあるのではなかろうか?それが、正直な気持ちでもある。 ・石炭や石油や、或いは人間の生命でさえ限界がある。自然は、人間の文明や社会的活動を後押ししてくれた。私たちは子孫に誇れるものを残せるだろうか、悩み始めている。彼らの健やかな一生を守るべき資源を残すことができるだろうか?それだけの時間と智慧があるだろうか。生気を失った残骸だけを残すのではないだろうか。勝ち負けや損得だけを追求している社会が、人間の叡智といえるだけの資源をのこせるのか? ・へ2・・・個人主義の限界があるのではないだろうか。無謀な野心がすべての存在を絶滅させ、目的を見失いショートしてしまうかもしれない。そう思い始めてはいないか。少なくとも個人としてそのことを思っている。人間の未来を類としての存在として考えることはある。そろそろ部屋の中にたまった資料を整理しなければならない。このままではゴミの山になる。後継ぎはいないから、妻子はすべて焼却場に捨てるに違いない。消されないためにもこれから少しは残ったエネルギーを使わねばなるまい。。
2014.01.28
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それこそ、のびのびと爽やかに生きることは段々厳しいが、だからこそでもある。口ばかりで終わるのが常だが。自分がそうありたいと思うだけではつまらない。有能な指導者と思われているひとが暴力を遣っていたりする。それを反対できないでいる選手は、毎日は爽やかだろうか。練習の厳しさと、コーチや監督に逆らわない体罰という名の暴力とは違う。自覚のある選手であればそれが厳しさか暴力かは理解できる筈だ。 ・暴力を正当化して戦前の軍国主義は推進された。志願して将兵になった少年が、年配の招集された兵たちを軍事訓練したと聴いている。それは階級の名を遣った暴力だったという。それがかたちを変えているに過ぎない。体育系の伝統はそうした名残ではないだろうか。金メダリストが、持て囃されて、美名のもとになされた卑劣な行為がある。一流のスポーツ選手が必ずしも健全な精神の持ち主とは限らない。 ・へ2・・・それこそトラウマになったスパルタ方式の練習があるのではないのだろうか。どうも聴くだに痛々しさを感じる。プロ選手になろうという若者を持て囃す社会がある。どれだけのプロ選手が、幸せな人生を送っているのだろうか。スポーツは自分の健康のためにするものであり、プロはたまたまのヒトではないだろうか。人を人とも思わない人間が指導者の資格はない。
2014.01.28
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もうツアーも、明日になってしまった。まだまだと思っていたが、こうなると鳥渡慌てた気分がする。どうせ、行って帰ってくるだけだが、それでも遠いところではある。ジョン・フオードとか、西部劇とか、ラスベガスも見ることはないと思っていた。どんな因縁からか知らないが、これもめぐりあわせでもあるのだろう。予定表もまだ大して頭に入っていない。 ・和白海域に来るクロツラヘラサギやミヤコドリの方が気になって毎日出掛けていたが、手荷物にする薬とか、アメリカ入国の審査は厳しいらしい。ハワイの時も指紋や写真まであって時間がかかった。ハワイは楽しい思い出になったが、今度はどうだろうか。人種差別のある国家でもある。 ・へ2・・・オフシーズンでもあり、現地は寒いのではないだろうか。カイロの手荷物はアウトらしいが、トランクケースに入れるかどうかまだ決めていない。それにしても初日がハードになりそうだ。6時前に出発し、福岡空港から羽田経由で成田まで、そこからロスまで10時間、更に宿泊地のラスベガスまで行かなければならない。若いから平気だが。
2014.01.28
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人の特性は環境に如何に適応するか。それが出来たから70億人近い人口が在る。だが、いつまでそれが続くか解らない。デッドロックが在り、それを乗り越えるかでもある。その知恵があるか。なければたとえ100億人いたとしても、絶滅もある。障害者の諸問題が、一つの日本の社会現象のサインでもある。巷では、新卒者の深刻な就職難の事態が報道されている。 ・そういう日本経済の地盤沈下と高齢化社会の中で未曾有の経済不況がありの、そういう厳しい時代の到来がありの、そういう中で、障害者の就労という問題は、日本が先進国でも一番遅れている。財政赤字は国民一人当たり700万円に当たる。雇用は国家に対する国民の権利である。それをこれまで蔑にしてきたのは障害者への偏見からでもある。それを是正しないことには「国連障害者の権利条約」の批准も出来ずにいる。 ・へ2・・・社会的弱者を守るのは国家だけではなく国民でもある。障害者に生き甲斐を与えるのもその社会の文化レベルだ。働くのは食うためばかりではない。遣り甲斐や、社会参加などの意味がある。働き易い職場とは、どんな人も一緒に働くことのできる公共の場でなければならないのだ。知ることによって理解も深まる。丁寧なレジュメを戴いたので、これから勉強したい。
2014.01.28
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「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。知識ではない。・小説は説明の世界であり、それを梶井は、「感覚」で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価が高い。・草稿は散文的で、「決定稿」で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや?」、の感覚。日常が非日常に変わる。・刺激が強すぎる。・・・老人には。理解できるかどうか?・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。「ふっー」と浮かぶ。・「おりてくる」。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲には容易には分からない事が多い。・この作品の梶井のアイデア。「こころの緊張」が別のものをもたらすという。・「破れ目がもたらすもの」。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。固まるようになる。聴衆は、演奏者に注目が集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。に梶井はその相互作用に関心がある。・他人に知られない犯行。・侯爵を殴り倒すことを想像する。危険なことを想像する。・調和して物を壊す。「石化」で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。
2014.01.28
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折角生きてきたのだからいい旅をしたい。自分に相応しい人生であれば。今朝は、ウオーキングを辞めようと思っていたが、できることはしておきたい。枯れ木もひとの役に立つだろう。知恵の無いものは、生きることを壁としか見ないかも知れない。ネガティブな側面だけを見ていても恐らく人生が厭になるだけだ。然し良いだけの人生であるはずはない。光と影とこの社会を形成している。一葉の世界が遠くなってきた。然し、私も老耄れたお蔭で見えてきたものがある。多分若い時には感じなかっただろう複合の文脈が面白い。でも、一葉や、明治や、昭和に嵌っても仕方がないだろう。本当に分かるものが分かるだけだが、それでも仕方がない。時代は、ただ必要なものだけを残す。
2014.01.28
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少年のころから、自己卑下ばかりしていたが、自己否定を意味せざる人生の肯定はないという考えが根底にあった。励まされるより、否定されてばかりいたこともある。なぜ成績が上がらないのだろうかとあとで考えたら、勉強をしていなかった。漫画の様な事ばかり考えていたのだろう。大学を卒業するころやっとどうすればが分かったが、社会人になってから役に立たなかった。 ・大学は一部のエリートのためにあり、そうでないひとは飾りでしかない。飾りでは役にも立ちはしないのだ。多数決の役に立つくらいだろう。冷静に振り返ると反吐が出るようなことばかりしたような気がする。あまり弁解もできないが、中途半端ばかりした。何とかできたのだろうか。おそらくそれは無理だったに違いない。潰されたのが落ちだろう。 ・へ2・・・俺なんかと思うのも、仕組まれた罠でもある。期待される人間像というのがあったが、この社会に逆らうなということでしかない。唄を忘れたのではなく。唄さえ知らないカナリアなのだろう。・・・な妻と、・・・なこどもと、それにふさわしいのだろう私である。
2014.01.28
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自分の考えとは違う世間があり、それはそれで仕方がない。勘違いされると困ることがないではない。それは自分の過失もあるが、そうとばかりは言えないかもしれない。世間があって私もあるのだから、自分を先に考えると間違いもする。腹が立っても自分の思い上がりもある。世間に負けてばかりも居れない。 どういう因果かこうしているが、それも悪くはないが、困ることにもなる。「莫迦は死ななきゃ、解からない」。死んでからでは取り返しが利かないが、そうなるのだろう。科学を利用し、それで自業自得にもなる。利用してあとで迷惑だと言っても遅い。便利に生きてきたが、それで苦しまねばならないのがある。色が好きで、あとで厭になったからと言っても、知らないふりもできない。あと始末をしなければならない。それがなければけじめがつかない。 ・へ2・・・「面白」の語源というのが、天岩戸神話の 「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ!」と叫び、ともに歓び踊る。から来ていると歴史読本にあった。それは、アメノウズメノミコトの踊る姿がぽろりとみえて、それをみた神々が、いっせいに花が咲いたように大笑いして騒いで踊りだしたという。何が種になるか解らない処がある。それが人間性でもあるのだろう。おおらかな時代があったというべきだろう。生きることは運動であり、体を動かさねば頭も動かなくなる。誰も振り向かなくなるまでが自分の存在でもあるのだろう。そういう意味では、家族もそのためにいる。家族を愛することもそうしないことも自分のためにしているようなものだ。愛されたくない人は、他人を愛さないことでしかない。
2014.01.27
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異文化交流の講座が、これまで結構多くあったが、自分がそこで何を学んだのだろうか。それこそ周囲に外国語が多く聞かれるようになってきた。これまで日本では、外国との交流が少ない国家でもあったのは、極東に位置し島国でもあったからだ。それは朝鮮半島の人たちとは異なる。特徴は時に弱点にもなる。個性は不利にもなる。世界の孤児になったこともある。ドイツでできたことが、朝鮮半島ではまだできていない。何故だろうか。東アジアでの紛争は、漁夫の利を狙うハイエナたちが背後にあるからだろう。いつも未来は順風ばかりではない。敵を殺すしか知らない人間はやがて自滅するだろう。誰もそんな社会で暮らしたくはないからだ。ひとはほんとうは誰と戦うのだろうか。その時々で変わる敵がいる。自分の中にも敵がいることを忘れてはならない。chaosの中では見分けられないだけだ。自分の心を裏切らないためにすることはある。それを信じるしかない。やがて異文化の中で暮らさねばならなくなる。
2014.01.27
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アルツハイマー病の予防ができるかもしれないという報道があっていたが、とても私たちの時代には間に合わないだろうし、脳の委縮も仕組まれた遺伝子の為せる技だろう。それにどこまで逆らいきれるかだ。一日でも長生きしようとして、してきたことは無駄ではない。今日の命も過去の行いの成果でもある。いまの努力が明日に繋がる。ひとにはみえないが天網恢々。 ・モニュメントバレーなどでジープに乗るので、サングラスとマスクを忘れないで、と添乗員が言っていた。余程山道を行くのだろう。都会の中で暮らしていると、ワイルドの世界を忘れている。屹度カルチャーショックがあるのだろう。贅沢しか知らないと、生き残れないことだってある。何でもあるところから、何もないところでは違うし、生きるためのABCがある。 ・へ2・・・半分は壊れかけたからだと一緒の旅で、薬も持参しなけらばならない。まだこどものころの好奇心が鳥渡は残っているらしい。
2014.01.27
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まだそれ程悧巧でもない人間にとっては「生老病死」は自然に従う。自然に任せた方がいいだろう。下手に逆らうから余計紛らわしいことにもなる。中国の人は、自然の厳しさを知っているから大らかなのだろう。どこまでも拘らず現実的な生き方を好むが、恩義にも篤い。死後も田中角栄にさえ仁義を尽している。 「君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す」ということばがある。あっという間もなく二週間が過ぎて、大分読書のスピードが落ちている。意欲の所為だろうか。君子も解釈によって色々ありえるが、あまり硬直して考えることはない。当時の賢者は君子だろうからだ。昔は、要するに完璧なものはないのだ。 何故能弁ではいけないのだろうか。能弁でも口先だけの人間が多いからだろう。だからこの格言も全部が正しいのではない。戒めでもあるからだ。これを悪事に使われては困るだろう。訥弁であっても真意をどこまで相手に伝えることができるかだろう。ことばを弄んでも踊るのは一時の迷いでしかないのだ。 善人と悪人に峻別したがるのはそれが簡単な選別法だからだろう。併し、現実はそれ程単純でもない。江青が後日評価されないとも限らない。毛沢東や周恩来の実像にしても色々評価が分かれている。そういえば金正日もそうだろう。彼が10年先にどんな評価が北朝鮮でされるだろうか。彼の取巻く幹部の中からもうひとりの林彪が出ないとも限らない。 重苦しいと思うのは当り前だ。私たちは重力に逆らって生きているし、生老病死の中にいる。それでも面白いことを見つけて生きていた方が余程愉しいだろう。どうせままならない世の中を生きてきて、こうしておれるのは何故だろうと、考えても分かるわけでもなく、只管前を向いてやるしかない。草臥れて、もうだめかと思うまで。犀の角のようにあるくしかない。アメリカに行くつもりはなかったが、こうしてツアーがあるのは天からのミッションだと思えば行かないわけにはいかない。そのうちなにもできなくなるだろう。母のことを思い出していた。手遅れの最期の一年を看病したが、母も一緒に旅をしているように思える。
2014.01.27
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時々自分でも、こんなことで好いのだろうか、と悩んではいる。まだ謂わば<ヒント探し>の旅でしかない。あちこち見てまわっている。直接現場に行ったと言える訳でもない旅でもあるが。やがて、タイムリミットも来るかも知れない。それは唐突に来るだろう。恐らく自分自身で思っている以上にそれは早く来るのだ。少なくとも私がこれまで、その人の死をみてきた範囲では皆そういう生き方をしていた。人は自分の死を直視できていなかったのだ。 ・自分が愚かな生き物であることはだれよりも知っている。その自覚なしに語ることはできない。だから自分にできることの意味を知りたい。神が「普遍性の確信」と言えるには、科学が進化し過ぎている。時が不可逆であるとすればもう、元には戻れない。<神>なしには、生きられないとしたら、それは重いカセ付けて歩く人生でしかないだろう。それを必要としない人間だけが、明日を見ることになるかも知れない。違うかも知れないが。それはまだ分からないというべきだろうか?否、そうではない。 ・へ2・・・まだ、選択肢がある以前であることは、幸運なことだろうか?すべてが終わったときから始まったのではないからだ。まだ、重力と闘いながら、酸素のある時代にいる。真空の世界に還ることがあるかも知れない。そして冷たい闇が周囲にあり、無限の時間と怖ろしい戦いを繰り返している前の僅かな安らぎの中にいるのだ。それは奇跡に近い時間でもあるのだろう。そして私は、まだ<ヒント探し>というゲームをつづけられるという真にささやかな夢を見ているのだ。
2014.01.27
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般若心経も就中、そのことをいっているのではないだろうか。昨夜は、久しぶりにビールを飲んだので早く寝てしまったが、今朝は2時起きになった。もうすこし頑張って、ウオーキングをしておこうかと思ったが、無理をしないことにした。明日からアメリカツアーをすることにしている。 福岡市の日照時間と気温 年月日 曜日 日の出 日の入り 現在気温2014/1/1 水 7;22 17;20 62014/1/2 木 7;22 17;21 2014/1/3 金 7;23 17;22 12014/1/4 土 7;23 17;22 62014/1/5 日 7;23 17;23 62014/1/6 月 7;23 17;24 42014/1/7 火 7;23 17;25 52014/1/8 水 7;23 17;26 82014/1/9 木 7;23 17;27 72014/1/10 金 7;23 17;27 32014/1/11 土 7;23 17;28 22014/1/12 日 7;23 17;29 12014/1/13 月 7;23 17;30 32014/1/14 火 7;22 17;31 12014/1/15 水 7;22 17;32 22014/1/16 木 7;22 17;33 02014/1/17 金 7;22 17;34 22014/1/18 土 7;22 17;35 62014/1/19 日 7;21 17;36 52014/1/20 月 7;21 17;37 42014/1/21 火 7;21 17;;38 62014/1/22 水 7;20 17;39 12014/1/23 木 7;20 17;40 -12014/1/24 金 7;19 17;41 22014/1/25 土 7;19 17;42 102014/1/26 日 7;18 17;42 122014/1/27 月 7;18 17;43 32014/1/28 火 7;17 17;44 2現在のラスベガスの日照時間は6;45~17;02らしい。グランドサークルを見てくる予定にしていますが、夜空も綺麗だと思います。
2014.01.27
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一プラス一は、三と信じているひとも「自分は正しい」と思うだろう。中枢神 経系のメカニズムが、自分の信念や判断を根本から疑うようには造られてい ないらしい。だから宗教やイデオロギーが必要なのであろう。それに反する不都合な情報や事実を避けようとさえするのだ。加えてその信条を共有する「仲間」のみと交流しようとする。その例が、小規模のカルトや、宗派だ。ひとは、自分の信念に揺さぶりをかけてくるものを排除するだけでなく、絶 滅させたいと熱望するだろう。それがたとえ真実であろうとなかろうと。ひとは、根本的には、真理ではなく快感を求めているのではないか、そうで きているのではないだろうか。戦前には、軍神を信じた日本人が、戦後には戦犯を弾劾する側に回って憚ることはなかったのだ。わたしたちは、救い難い存 在であるかも知れない。
2014.01.27
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ゆっくり どこまで理解できるか解らないが、いまだから感じるものもあるに違いない。こともの頃聴いていたお経とか、どこかの葬式で聴いたとか、何となく頭の中に残っている文句が、仏典の中にある。どれだけの宗派があるかも知らないが、般若心経から、阿弥陀経、維摩経、そして法華経、華厳経、勝鬘経など。まだ先がある。古典世界文学の全集を読むつもりでいる。それかあら世界歴史もある。日本歴史、日本文学など。生物学もある。 ・「ガンジス河の砂の数ほどもあるほとけがおられて」とある。なぜだろうか。何故日本人は、仏教を知ろうと思わなくなったのだろうか。勿論理由はあるだろうし、時代背景もある。ものがすべてであるという思想が現代社会を支えている世界で活きてもいる。有と無と、目に見えるものと見えないものと、どちらが大事かといえば、価値観は、有形のものが優先している。からだとこころと、本音と建前もあるが、この社会の常識は、仏教とは違っている。 ・へ2・・・現代法の「法」と同じ「法」が、宗教では違う。理解するためには、間に合うかどうか分からないが、ゆっくり読むしかない。
2014.01.27
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アルテミス神殿(Wikipediaより) アルテミス神殿は、リディアのクロイソス王によって始められた、120年に及ぶ大事業であ った。世界の七不思議のリストの編纂者であるシドンのアンティパトレスは次のように表現し ている。 「私は戦車が通りうるほど広いバビロンの城壁を見、アルペイオス河畔のゼウス像を見た。 空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウ ソロスの巨大な霊廟も見た。しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。私は言った、「見よ、オリンポスを別にす れば、かつて日の下にこれほどのものはなかった」 ? アンティパトレス, 『パラティン詩選集』9巻58アルテミス神殿は、トルコの漁港イズミルから南に50kmの古代都市エフェソスにあった。神殿は、3つあり、古い神殿の跡に新しい神殿が建設されていた。最も古いものは紀元前700年ころと推定されている。 >アルテミス神殿
2014.01.27
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個性が確立しなければ自己主張もあったものではない。曖昧な態度は自分の考えが明確でないからだろう。これは幼児教育から養成されなければ至難なことでもある。それがない社会であったことも事実だ。個性を重視した教育ではなかった。社会の歯車としての人づくり優先されていたからだ。これは占領政策下の戦後教育の日本の悲劇でもある。 ・人権意識も、民主主義の思想も皮相的なものに過ぎない。人材育成の欠落も将来に禍根を残すだろう。現在国会議員たちが国民の代表者として国会活動をしているが、どれだけ国際社会で通用する人たちだろうか。党利党略で自己保身の器ばかりではないだろうか。金権や当選回数で総理が決められているだけではないのか。未だに出自やカネで当選しているではないか。頭は空っぽではないか。 ・へ2・・・何のための二院制だろうか。都合のいい解釈で政治がされている。現代を正確に理解した頭脳集団であり、真剣に政治がされ、国民による、国民のための政治だろうか?国民が真に期待している政治が行われているとは誰も思っていないのではないだろうか。それほど偏頗になってはいないか。何故雇用情勢は悪化し続けているのだろうか。それを黙って政府は見過ごしている。
2014.01.27
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なぜ変貌するか?経済社会はなぜ変化し、変貌しなければならないのか?アメリカと日本の経済について、リーマンショック以後と以前について、学んできた。金融資本主義のあとにどんな経済・社会が来るのだろうか。経済の変貌は必ずある。成長と危機は循環する。果たして資本主義は変質するだろうか。そこまでは見通せないようだ。講師は最後に二人印象的なフレーズを紹介された。 1.資本主義はその成功ゆえに没落する。(シュンペーター) 2.何も根本的に変化しないためには、すべてが常に変化しなければならない。 (ヴィスコンティ監督「山猫」) ・上記(1)の「成功」の中にはリスクを包含しているのではないか。完璧な成功もないからだろう。何を成功とみるかもある。(2)は、何も変化しないものはないのではないか。変化しないという前提が問題だ。資本主義が利潤の追求という意味では、モノやカネを商品化することによって成長をしてきたが、それが人に向かっているのは最近の傾向でもある。ひとや心まで商品化しようとするとすれば、あとがないような気がしてくる。 ・へ2・・・「順調な経済社会は必ず危機に陥る」。というのは人体に喩えれば必ず病気になるということでもある。それを克服できるかどうかであり、経済社会ではそれ(病気)は「危機」と呼ばれる。今後の経済の変貌を見極めるだけの能力をもちたいものだ。
2014.01.27
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ハエの如く逆境で、苦悩を続けているとしても、何かに夢中で打込んでいれば苦痛は薄らぐらしい。真剣さとはそういうこと。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるもの。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。そうしているのは自分である。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか?
2014.01.27
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怠け者脳由来があるので、初心に戻ってもすぐ元に戻ってしまう。オオカミ少年になるのではないだろうか。チャンスは二度とない。ひとつのことが起きて終わるのであり、過去は過ぎ去るものだ。記憶に残っている記憶は幻想でしかないのだろう。育ててくれた人たちが亡くなり、今見ているものはすべて夢でしかない。夢だが血が流れてもいる。 ・過去たちはどこ消えたのだろうか。図書館の本棚の裏の物陰だろうか。閉じられた本のページに埋もれているのかもしれない。開けなければみられることもないセピア色の写真のように。私たちの知っている次元だけがないかも知れない。それで商売するつもりはない。頭の中のげーうのようなものだ。疲れやすい脳でしかない。 ・へ2・・・ツアーも、旅の一つだろう。それは帰る場所のある旅だ。ゲームで死んだらゲームにはならないが、それでもそういうこともある。犬死だってある。集合時間に遅れたらそこに置いていかれると妻が言っていたが、これまでも遅れたことが何度もあったそうだ。
2014.01.27
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本地垂迹(ホンジスイジャク)は、平安時代ごろからの神仏習合の思想でもある。時の権力者によって利用された宗教がある。宗教国から視れば日本の宗教は訳のわからないものに見えるのだろう。クリスマスだったり初詣だったりする。何でも都合のいいように考えている。素性のわからない民族だと思うだろう。それは言えないでもない。外国の良いところを自分たちに同化して利用して来た。 ・解かっているからできることと解かっていないからできるものもある。良いが悪いになり悪いも好いにもなる。良いと思ったがその時で変化もするからだ。日本にとって、アメリカも中国も、その時の風の向きで違うだけだろう。敵に味方にもなる。まあ国家とは似たようなものだが。成功が没落の原因にもなる。日本の時代も今では嘘のようだ。中国もバブルになるだろう。 ・へ2・・・栄枯盛衰。どんな人も社会的ステータスで変化する。老人は老人のような考えになるし、どこから視ても若くはない。老醜というが、どんな綺麗な牡丹だって最後は萎れて行く。五百羅漢の石仏を見て感じることはある。先日宗勝寺の露天の石仏も風雨にさらされていたがあれもあのままで好いのだろう。祖母が五木の子守唄をよく唄って呉れた。・・・雨は天から貰い水。
2014.01.27
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「天才と分裂病の進化論」から、確定した事実の要旨とは、 1、人間とチンパンジーは、共通した祖先であること。 2、ヒトは、殆ど皮下脂肪がなく、菜食で、言語を持たず、半ば樹上、半ば地上で生活していた。 3、原人の遺骸の発見は、川辺、湖畔、海などの水辺であること。 4、人間に必要な放熱システムには、水が供給されなければならない。腎臓はあまり水を貯蔵できず、皮膚や裸の身体は汗によって効果的に冷やされる。人間に充分な水がなければ、死が おとずれること。 5.人間とチンパンジー・類人猿との違いは脂肪である。脳の大きさ、皮下脂肪の蓄積、体形は、すべて脂肪が関与している。 6.分裂病は、人間が分岐する前に人間に入ったこと。 7.人間が、以前の脳の大きさのままで、人間としてジャンプしたのは謎であり、こころの機 序が未だ説明できないこと。 科学的解明が確定した事実から、物事を出発するのが有効であろう。余計な ことを知り過ぎて挫折を味わうことになるのは、減数分裂に学ぶことができる。 長文過ぎると駄文になるのと同じように、できるだけ無駄をなくすことが必要である。科学の解明は単純ではないが、言葉に置き換える能力がいるの ではないか。膨大なコストを払うことになるが、生命の機序が解明されねば次のジャンプはできない。
2014.01.27
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その人の立場によって、「現代の世界」の評価も違う。人々はその共通項を探している。それがまだ建前と本音がある。その間が遠いから困る。日本語でどれだけ世界に近いかが問題だった。国民に知らされないことも多かった時代が長い。鎖国の意識があったのだろうか。余計なことを知らせたくないという支配者が多かった。諸々の原因があって結果もある。アメリカのしてきたことがすべて善ではない。中国の政府のやっていることも後で現在と未来では違うだろう。 ・信じているのものの中に嘘もある。何を信じているかでもある。何でも信じてしまう人は騙される。虚偽が多い社会だからだ。或いは何も信じられない人は、ストレスで潰されるかも知れない。或いは病気にもなる。適度に信じ、適度に疑って、適応できるかが問われるだろうか。すっきりと過ごせないのが普通だろう。自分の体調も揺れている。保湿性も環境でその対応も違う。格差社会が大き過ぎると悲劇が起きる。・へ2・・・素直だけでも皮肉屋でもやっていけない。どこに答えがあるわけでもない。自分の見ている世界は自分だけのもでしかない。それでも社会や世界はある。自分の姿を映している鏡で世の中だと思ってしまう。宇宙の渚の一粒の泡だとしても、自分の目が視ているものは小さい世界ではない。感動する心を以って生きるしかないのだ。
2014.01.27
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自然に順応して人間は生き延びたのであって、人間が自然を克服したのではない。人間の驕りには果てしがない。自分のことを過信して尊大に振舞う人がいるが、あさましいというべきだろう。雑草でさえ、光をあてさえすれば宝石のように輝いて見えるものだ。まだその価値を知らないだけだろう。何かを支え健気でさえある。一人の人生もそうではないだろうか。自分が凡庸だとしても卑下することは何もない。 ・人としてあるべき生き方を謙虚に学び、他人とともに生きようとさえすれば、やがて道が開けると信じたい。自分にとっての世界史の時間がある。 ・へ2・・・軽佻浮薄が一般的な社会になっている。安易な判断が、人々を苦しめている。容易に落胆しない強い精神を鍛えねばならない。それを自然に学ぶことができるだろう。自然に親しむということが、そのことを必ず教えてくれるだろう。草花を愛することができれば、人間をもっと好きにもなるのではないだろうか。歪んだ価値観が、世界を覆っているのではないだろうか。
2014.01.27
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。
2014.01.27
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保守性 旧制五高は、漱石でも有名だが、寮歌も流行ったらしい。当時地元出身の学生がどれだけいたのだろうか。地元との関係も余り深いとは言えない。どこか遠い存在だったのではないだろうか。いまも九州でも遅れている熊本の行政・文化レベルではないだろうか。福岡は九大ありだが、熊本はどうだろうか。大学や学生は、熊本にどれだけ貢献しただろうか。 ・熊大の原田正純氏は、水俣病で有名だが、大学の仕打ちは風上にも置けないものだ。日本の最後の内戦の西南の役で歴史は止まったが、熊本城はどんな役割を果たしたのだろうか。庶民たちはなにをしたのか。九州は、文化でも僻地だろうか。有為な若者たちが九州から出て行き、アフリカ大陸のようになってはいないか。こころの砂漠になっていく運命ではないだろうか。 ・へ2・・・九州に優秀な人材が残らないのではなかろうか。そうしたのは中央政権を目指すからでもある。その体質はすべてにある。低い文化レベルに甘んじているのは誰の責任だろうか。自己卑下してしまう百姓根性が抜けないでいる気がする。
2014.01.27
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ことばにすれば 五高寮歌の歌詞をみていたら、熱心にうたっている人たちの青春とは何だったのだろうと思う。それは、他の寮歌も、流行歌も同じだが、歌詞がどうも。応援歌も、ことばにするとどこか違う気がしてしまうのだろうか。 「武夫原頭に草萌えて花の香甘く夢に入り・・・」 (旧制五高寮歌より) 抽象的なことばを通じて、何か通じるものを感じていたのだろうか。夫々の思いはあるとしても、それはその人たちのイメージでしかない。何の魂もないように聴こえてくる。「武夫」なのだろうか。勿論三木武夫の「たけお」ではない。広辞苑をみたら、「もののふ、武人、武士」とある。学生のそれではない。 ・学生が、もののふでも、武人でも、武士でもあるまい。それが彼らの心情だっただろうか。女々しい歌が好いというのではないが、それこそ墨で塗りつぶされた青春があったのではないだろうか。熊本で育ったが、保守的な土地柄で、私の青春も灰色だった。 ・へ2・・・語彙やことばが余り大事にされていない。皮相的な精神が上滑りをしている。
2014.01.27
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誰しも囚われたくて囚われるわけではないだろうが、ままそういう状況に陥りがちだ。前に書いた山崎富栄もその一人ではないだろうか。それは見えるものと見え難いものがある。夫婦とか、恋愛、友人関係でさえあるだろうし、宗教集団や国家と個人との関係でもある。それと気づかないソフトなものがある。公序良俗に反すれば非難されるべきだが、そうでないものがほとんどだろう。 ・どうにもすっきり生きているわけでもない。多くの柵がある。それをどう分析できているかであろう。周囲に理不尽なことがあるのではないだろうか。気付いていないだけではないか。今は見えなくても何かのきっかけで解かることもある。その努力を私たちはしているだろうか。いつまでも気づかないでいたら小さなことも大きなダメージになるだろう。 ・へ2・・・サイトで読めるので、少しづつでも所謂近代の名作を読んでみようかと思っている。足もとが見え難い時代になっている。それは自分が何かにとらわれているからではないだろうか。それを確かめねばならない。固定観念だろうか。休眠打破をしなけれなならない。
2014.01.27
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弟子某甲。ベンチは誰が坐ってもいいのだろう。誰と一緒か。一人でも構わない。みんな一所懸命でもある。自己責任のルールがある。自分の世界をどこまで広げられるか。遊んでばかりでは成長もないし、その報いもある。ストレスと休息と使い分けながらいくしかない。人生塞翁が馬。楽をすれば苦もある。作用と反作用でもある。これまでのことはこれからとどう係わるのだろうか。これから暫くは、三寒四温ではないが、気温も不安定なのだろう。 ・どこに行こうと自分は自分でしかないが、自分がどんな環境で暮らしているか見直す契機にはなるのだろう。いつも同じ景色ばかり見ていては、怠け者の脳が眠り込んでしまう。時々刺激も与えないといけない。目が覚めるようなことがあるだろう。ひとにはそれぞれ役割がある。それをやり遂げるしかないに違いない。 ・へ2・・・今度のツアーも結構ハードスケジュールだが、まだ何とか行けるのも体力があるからだろう。いつまで遣れるかわからないが、できるうちにしたいと思っている。
2014.01.27
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>玄海灘作品を通じてみる太宰治と情死した山崎富栄の側から見た太宰の姿はかなり違うようだ。彼女は美容師としての側面をもち、新婚生活もほんの僅かで、夫を戦争で失った戦争未亡人であり、結核の悪化と仕事の行き詰まりと厭世感をもって死に場所を求めたいた作家の心中に付き合わされた女性の側では違うのは当然ではある。そして当時の文壇の女性蔑視があったのだろう。太宰は女に殺されたという風評が創り出されたようだ。それこそそういう創作はお手の物であっただろう。死人に口なしのとおりで、好き放題の脚色がされたというのも頷けない話ではない。 ・ぶらりと出かけるつもりでいたがまたチャンスを逃してしまった。すこし体が重い。これからショッピングモールにでも出かけて野菜でも仕入れてこようかと思っている。明日は、太宰の講座がある。寒いせいかよく眠っている。こんなに眠れるのかと思うくらい寝ている。決して体調が悪いわけではないのだが、どうも気分が乗らないのだ。碌な本を読まないからだろうか。 ・へ2・・・冬景色というのは寂寥としていてさびしいものでしかない。太宰の作品も絶望からくる投げやりの感がある。「一緒に死のう」などという男の気持ちが、それを示している。そうしてそういう男について行く女の気持ちがまた判らない。勝手にさせればいいのだ。寧ろ、病院に連れて行きここで死ねと言ってやればいいのだ。薄情なのは太宰なのか女性なのかよくわからなくなる。
2014.01.27
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誰がつくったとも知れない、知らない間にでき上っている意識を使っているに過ぎない。誰かの考えを真似ている。それが自分だと思っている。確かに身体は他人と識別できるけれども、意識はそうだろうか。私は存在していると思っているだけではないのか。 ・ゆるやかに時間が流れていますか。自分の意識の中に飛び込んでくるものは心地いいものばかりではない。刺々しい悪意を経験してエリアを拡げていかねばならない。自分の境界を広げ続けている。少なくともそれが生きるということなのだろう。私たちは、日々読みかけた本の続きを読みつづけようとしているが、そのストーリーはハッピーエンドにはならない。 ・へ2・・・私たちは悲劇の主人公になろうとしている。それはこの世界が余りに悲惨だからだろう。喜劇はある。笑止もある。そして悲劇ばかりしか知らないのだ。だから描くものは悲劇になる。それこそ、死にかけていた男が、女を道連れにしたのだろうか、「玉川上水情死行」を読んでいるとムカムカする。太宰の最期の相手は山崎富栄28歳だ。戦争未亡人だった。 TWITTER
2014.01.27
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言葉で終わっているのではないだろうか。スローライフというのも、老人のそれは初めからそうでしかなく、必然的にスローならざる得ないのであって、心身は動いても環境が許さないことが多いのではないだろうか。高価なものしかないというのもある。裕福な人が、教養が高いわけではない。やはり必然性がないと心と体がついて来ないのは皮肉でもある。ぼーっとしているのが好きというのは負け惜しみだろう。本当に欲しいものは中々手に入らないようにできている。あれが欲しい、これが欲しい、とないものねだりの人間が多いのではないか。それでは所詮欲求不満で死ぬだけだろう。損得しか考えてこなかった人間の報いを受けることになる。他人の力ばかり借りてきた人間の行く末は、惨めな自分が残るばかりではないだろうか。 ・群れているから孤独でないとは言えない。家族が揃っていても、心が通じていないこともある。厳しい戦火で暮らす人々にも心の安らぎがあると信じたい。ただ憎しみが身を焼かないことを祈りたい。異教徒を憎悪することで一生を終わってほしくない。それは無理なことなのだろうか。それは、私にはわからない。身内が無差別攻撃で死ぬとはどういう想いがするだろうか。テロとの戦いが欧米では正当化されているがそれは本当に正義なのだろうか。 ・へ2・・・世界では日本人の理解を超えた現実がある。それとどう向き合うのか、それはこれからの日本人たちの現実の課題になるだろう。そのためには他国の言語を知識としてではなく道具としなければならないだろう。そのための準備をしておくべきだ。喋れるのが目的ではなく、意思疎通でなければならない。多くの課題が山積されている。 今日と明日は、ツアーに備えて、ウオーキングも軽めにしようと思っていr。なにしろ、朝早く家を出て、羽田経由で成田へ、そこからまたロスへ長旅をしなければならないし、そのあとすぐ朝から観光しなければならない。ロスからラスベガスまで約360キロ、5時間かかる。今度は、福岡から6組で、東京から乗る人が30組くらいあるようだ。ハードスケジュールになりそう。
2014.01.27
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ひとのいのちが軽くなったのではないが、軽く扱われるように思えてくるのはそれは私だけではあるまい。テレビでは殺人事件ばかりあるし、社会もどこか刹那的な感じになっている。斜陽も時代認識の違いがあるが、明るさよりも暗さがある。高齢化社会から、超高齢化社会になり、誰の意見が尊重されるべきかが問われている。. ・1分、1秒が、勝敗を決めてしまう時代になった。ジェット機は、時速約千キロでヒトを運ぶ時代だ。成田からロスまで、飛行時間は9時間40分間。50年前、熊本から東京へ、みずほという寝台列車で上京した時は、熊本を夕方に出て、翌朝の8時ころだった。今度は、成田出発は15時で、同じ日朝の8時ころになるが、これは日付変更線を越えるからだ。 ・へ2・・・肩身の狭い思いをするのは仕方がないが、居場所がなくなるのは困る。社会からひととして尊重してほしいものだ。それは生きる自由のことだ。そしてまだ見ていない世界を見てみたいという願望を・・・。 福岡市の日照時間と気温 年月日 曜日 日の出 日の入り 現在気温2014/1/1 水 7;22 17;20 62014/1/2 木 7;22 17;21 2014/1/3 金 7;23 17;22 12014/1/4 土 7;23 17;22 62014/1/5 日 7;23 17;23 62014/1/6 月 7;23 17;24 42014/1/7 火 7;23 17;25 52014/1/8 水 7;23 17;26 82014/1/9 木 7;23 17;27 72014/1/10 金 7;23 17;27 32014/1/11 土 7;23 17;28 22014/1/12 日 7;23 17;29 12014/1/13 月 7;23 17;30 32014/1/14 火 7;22 17;31 12014/1/15 水 7;22 17;32 22014/1/16 木 7;22 17;33 02014/1/17 金 7;22 17;34 22014/1/18 土 7;22 17;35 62014/1/19 日 7;21 17;36 52014/1/20 月 7;21 17;37 42014/1/21 火 7;21 17;;38 62014/1/22 水 7;20 17;39 12014/1/23 木 7;20 17;40 -12014/1/24 金 7;19 17;41 22014/1/25 土 7;19 17;42 102014/1/26 日 7;18 17;42 122014/1/27 月 7;18 17;43 3但し、現在の気温は、私の起きた時の気温。
2014.01.27
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