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・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。「女語りをするものは女である。」女語りを太宰はやめようとしなかった。・太宰と鱒二との相違点 ・太宰も芥川も、生涯にわたり庶民への差別意識をもっていた。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰の本質。・太宰:ブルジョアに生まれた。貧困に対して屈折したコンプレックスがある。・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭い。庶民の考えに共鳴できないという思い。・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。・太宰は落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。・太宰は、同じキーを叩き続ける。・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。・太宰は自意識過剰の人。・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。・太宰の心理的コンプレックス・・あばただった。・堤重久「太宰との七年間」・・なぞるように書いている。作品・・をそのまま評価できない。・作品だけが救い。芸術は私だ。という太宰が、芥川賞に落選した。自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。・太宰にとって、芸術とは自分のこと。「芸術は私だ」・太宰の読み方は普通(単純)にはいかない。・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」一方的に書いている。・鱒二と太宰の師弟関係。師はいやなもの。オリジナル・・・めざめる。・「ヒューマンロスト」・・・「パピナール中毒」になり太宰は拘りを持っている。・太宰の入院。鱒二に入院させられたことを恨んでいる。・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いている。太宰の恨みは続いた。・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・作家の発想はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。それから抜け出せない。・「背後にひそむ何者かがいる」「死は背後にある」・・・気付かない。・太宰の純潔に対する考え方。嗅覚の比喩。悪臭という表現を使う。・文壇・・・ 井伏、川端。 太宰は、疎外されていた。集団嫌い。被害妄想。・富嶽百景は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから変わる。・小説に使う「私」を使うのを嫌った。大庭葉蔵ペンネームとして気に入っていた。「人間失格」に出てくる。・「滝」をみたら滝を忘れない。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし作家はぼんやりと書くときは実は本気である。 ・恥ずかしことを書く。本当のことはなかなか書けない。作家になりたくない。・「ぼんやり」という表現。・・・アンニュイ。ボードレール。・ストーリーがない。分かり難いのは当り前。・・・太宰の本質。 ・才能のある人間のある話を書く。小説家が、小説家を書く。 ・川端を憎んだ。菊地寛は、当時文壇のボスだった。芥川賞に絡んで太宰は落選。 ・昭和10年は、太宰のターニング・ポイント。 ・道化の華。道化の精神(太宰の道化)
2017.07.31
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「暑い、暑い」と言っている間にも、盆が近づいてくるとともに朝晩が凌ぎ易くなり、秋がわっと押し寄せるのだろう。四季の移ろいも随分慣れたはずなのに、いつもその変わり身の早さに戸惑いも感じる。自分のことと言えば、また1年間という時間を虚しく過ごしてしまいそう。然し、焦っても仕方がない。取り敢えず ・何時まで、続けられるか分からないが、歩くことを諦めないことだろう。3か月過ぎたので、次は、年内まで15千歩のウォーキングをつづけられれば何とか、体力もつくのではないだろうか。体力がついたら、山歩きがしたいと思っている。自然に触れる野山を歩きたい。幾ばくかのカネをもって、知らない土地の放浪のぶらりの旅をしてみたい「街歩き」の気分も味わってみたいものだ。忘れていた気持ちが歩いているとふつふつと蘇ってくる。 ・へ2・・・歩くという行動がこれほど愉しいということを忘れていたのだろうか。歩こうとしなかったのは何故なのだろうか。時間ばかり気にしていただろうか。明日を見ようとしなかったのは、惨めな自分の行く末を考えたくなかったのではないだろうか。出口の決まった半強制の生活でしかなかったのだろう。何ももう怖れることもない。あるがままで、あとは留まって逃げないだけでいいのだろう。
2017.07.31
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ものには限界がある。生命にも限界ある。自然にも、社会にも、そして個人にも限界はある。然し、その多様性は言うまでもないのであって、そのひとつひとつがちがってもいるだろう。私の言う限界も、ひとによって見方も違えばコンセプトも違っている。あとはそのおかれた時代の常識や通念があるかも知れない。それでも、それは厖大な存在のほんの一瞬のことでしかなく、私たちの常識や通念は、やがて過去のものになるだろう。 ・人に対する評価も、その時の評価でしかない。社会は常に間違いを冒し易い。あるものを杓子定規で見がちだからだろう。その社会的ステータスで見てしまう。そのおかれた社会的評価は誰が決めているかでも違ってくる。より強い存在であろうと国家や個人は腐心してもいる。世界の情勢も、その表象でしかない。 ・へ2・・・棲み分けられた世界の中で生きている。それをどう変えていくかでもある。現在の社会が公正でもなければ、平等でもないからだ。偏頗でいびつでもある。それをその時代の公正さに修正していかなければならない。そうすることで人間は進化もしてきた。人は常に自分の一生かけて取り巻く限界に挑んできたからだ。 どんなに優れた研究もスポンサーのできない研究は、先に進まないし、企業の継続も金がなければ続けられない。それに最近では、社会的信用もある。しかし、それも食の安全にしたところが、どこでどんな企みに遭遇するかわからない。ブラックホールもあるらしい。少なくても表現の自由と言いながら、誰のための自由かとなると簡単ではない。日記は日記でしかなく、マスではない。メジャーでもない。道具を持つ者には、上がおり、その上にも上がいる、そして先が判らないほど先に黒幕がいるかもしれない。上の同意なしには書けないし、反対すれば職を追われる破目になる。そして、自分が道具だと気づくだろう。モノはこちらから見ているばかりではないだろう。 ・まあ、あまり考えても、辟易するだけだ。世の中は因果律でできている。原因と結果は相関関係でできている。繋がらない事象はない。素直だから良いでもない。汚れていいはずもないだけだろう。目に見えるものの多くは、氷山の一角で、その潜在しているものの実態はわからないだろう。この前までの北朝鮮は、韓国と友好ムードだったのではないだろうか。それが、一変してしまったが、どちらが変わったからだろうか。それとも、何も変わっていないだろうか。ただ、どちらが本当かということだろう。同一民族でさえこれである。人間関係の複雑さは人知を超えてあるだろうか。
2017.07.31
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生と死の間に生きている。その間に何ができるだろうか。そこでその人の価値が決まる。おかれた環境でかなり違う生き方を強いられもする。それが何であれ、そこから這い出すのが巣立ちだろう。それが上手くいかないと酷い目に遇う。それも人生かも知れない。その酷い目に遇うことで昇華した人も多い。挫折のない人生は大きなジャンプができないのかも知れない。それこそジャンプをした樋口一葉は天才だろう。何れにしろ、短い「間」の時間が、その人も持ち時間だろう。そのタイムリミットに向けて走り出すことが大切なのだ。 ・さて今日は、ひとつ試してみようと思っている。いつも行く女子大でこれまで図書館にPCを持ち込むことは了解を大学サイドから取っているが、公開講座はどうだろうか。今日の講座の担当教授に申し入れてみようと思っている。時々知らない文学者の名前が出るので、後で調べるよりその時分った方がいいし、何か便利なのではないだろうか。そういえば殆どの会議でもPCを使っている。そこがまた、講義となるとどうなのだろうか。学生は持ち込んでいるのだろうか。教授は認めているのだろうか。いま殆どの図書館には持ち込めるようになった。 ・へ2・・・もうノートのメモするよりか、ワードに入力する方が早いし、整理もし易い。ペンでノートしているが、脳の働きは書いた方が良いのだろうが、昔のようにさっと書くスピードが思うようにいかなくなり、ノートが溜まるばかりにもなっている。寧ろ整理する時間をとられて貴重な時間を無駄に使っているのではないだろうか。そういえば、この今使っているワードは酷い。さっと思う漢字が出てこないし、人名にしろ、地名にしろ、性能が大分前のPCより悪いようだ。これもグレードだろうか。けちな話だろう。それが差別化というのだろう。カネを出さなければ良い性能ではない、ってか。い ・いいだしたら切りがないから書かないが、それで日本は良くなるのか。いま大学の一般人の受け入れ態勢をみていたが、もっとハードルを低くして勉強させたらいいではないか。そして文化レベルが向上するなら、向上心のある人に門戸を開放して、その意欲を活かしてやるべきではないだろうか。その熱意が一番足りない社会ではないだろうか。 ・へ2・・・まあ社会は急激に変化しているのは事実だろうが、だからと言ってすべて良い方向に進んでいるわけでもない。それはスパイラルでもあるのだろう。だが少なくとも周囲から変えていかねばならない。そのためにも思ったことをすべきではないだろうか。さて今日も一日が始まる。まだ外に出ていないが欅の落葉が散っていることだろう。そういえば三連休だ。私は、今日、明日大学の講座がある。
2017.07.31
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お盆も、休日という観念が優先しているのではないだろうか。日頃亡くなった人たちのことを忘れていることが正直多い。毎年墓参りも嫌がっているわけではないが、特別のことがなければ、行こうかというくらいの気持ちでしかない。墓参りとレジャーと買物と、その他の用事をこじつけてもいる。どうも不純だろう。それでも、不思議と罪悪感がないのは、何故だろうか。私たち家族が喜べば父母も義父も許してくれる気がしている。親たちが死んでからまで、子は我儘である。 ・無償の愛というのは、自分では中々できないが、親たちは当然のように自己犠牲をしていた気がする。したいこともせずに、子のために尽くしてくれた。とても真似などできない。時々天罰でも受けるのではないか、と思うことがある。自分のことばかりかまけていないか。上の写真のクマゼミのメスを手で捕まえた。なんとも間抜けな蝉である。こんなのろい蝉は生まれたばかりなのだろうか。それにしてはちゃんと羽根も乾いていた。捕まえて写真を撮ろうとしたら、ひっくりかえってバタバタしていた。どこか間抜けなアウトローという感じがして失笑した。それでは、どこにも逃げられないよ。
2017.07.31
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基次郎の評価が急速に高まったのは没後三年目の1934年に友人らによる初の個人全集が編まれたときからである。萩原朔太郎、広津和郎、川端康成、横光利一、北川冬彦、井伏鱒二、小林秀雄、河上徹太郎ら同時代の第一級の作家、詩人、批評家が最大級の賛辞を送ったからだ。朔太郎は、 「・・・即ちゲーテの言う如く、すべての文学者は、素質の詩人と素質の哲学者とを、性格に於いて要素として居る人物でなければならぬ。そしてしかも、日本にはかうした文学者は少ないのである。 梶井基次郎君は、日本の現文壇においては、稀れに見る真の本質的文学者であった。彼は最も烈しい衝動によって創作するところの、真の情熱的詩人であって、しかもまた同時に、最も冷酷無情の目をもつニヒリスティックの哲学者である」。 ・こうした親近感をもった朔太郎らの評価があったのは事実のようだ。どうも、理科的な単純さがある。「泥濘」「路上」を一読したが、これも「まち歩き」のようである。果たして小説と言えるのだろうか。欧米でも朔太郎の作品は評価されるようになってきたとあるが、どこまでメジャーになるだろうか。私は疑問だ。素質とは何だろうか。ありのままであることを言うのだろうか。ゲーテの言っている意味をどこまで理解しているだろうか。評論集を読み始めた。
2017.07.31
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・蓋然とは、或いはそうであろうとするとおもわれるさま。と広辞苑にある。反対語は必然。蓋然性とは、あることが実際に起こるか否か確実さの度合。確率。 ・へ2・・・議論の中でその主張の蓋然性が問われるのは、それがその主張が実際に起きる確実さの度合いで決まることになる。空論か否か。誰が言うからではない。主張の本質が問題だろう。南北朝鮮の関係も興味深いだろう。両国政府がアメリカの動向に左右されていることが顕著であるからだ。それは結合双生児のべトちゃんとドクちゃんのように下半身がつながっているだろうか?少なくと民族の血は理屈では計り知れないものなのだろう。それはまた愛憎の激しさにもかわる蓋然性がることを示すことでもあろうか? ・これから考えられる東アジアの情勢についてその蓋然性をどう把握すべきだろうか?それは即ち国際社会の動向次第だし、南北朝鮮、中国、アメリカ、日本、台湾そしてASEANの問題でもある。その力関係は急激な変化がみられるだろう。 ・へ2・・・最早日米関係のハネムーン期は遠く過ぎている。それを口にすることさえ恥ずかしいくらいだ。それを歴代の日本政府は使い続けているという現実を、国民はどうとらえればいいだろうか。所謂日米の運命共同体とは、その蓋然性とは? P.S. ・国家のもつ力学は個人の意思とは関係なく非情なものだろう。それを人道という隠れ蓑にするのは政治の常套手段だが、翻弄される人々がいるのは歴史的な事実でもあるだろう。 ・へ2・・・拉致問題は、それこそ議題にも上らないような問題だったが図らずも、現実の問題となり表面化したという稀有な例だろう。国家の行為は正義だと主張している北朝鮮に、土台拉致問題を突き詰めてもまともに応えられはずはないのではないだろうか。「お前は悪人だから、それを認めろ」というようなものだろう。
2017.07.31
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漸く、原爆の投下について多くの真実が明らかになってきている。原爆を製造した科学者が原爆の威力を知らない筈はない。投下したあと、その被曝の影響を詳細に調査している。それが、ようやく公開されてきたからだ。数十万人の人間が被曝して死ぬことをアメリカの政治家も科学者も知って、原爆を落としたという事実を改めて考えてみるべきだろう。そのことなしには原爆という犯罪を正しく捉えることはできない。 ・戦争というものが人間を狂わせて行くことを歴史は示している。自分たちが勝利を得るためにあらゆる非道を厭わないだろう。負ければ殺されると思ってもいる。正義は勝利者のみが使うことのできることばでしかない。善良な市民を凶暴な狼に変えてしまうのが戦争だろう。原爆を正当化してしまったアメリカはいつか、その報復を受けることがあるだろうか。自分が使えばいつか自分に返ってくるというルールは適用されるだろうか。 ・へ2・・・奢れるものは久しからず。数十万もの人間を殺して、罪悪感も感じないような人間が真の正義を理解できるだろうか。もうアメリカ人も原爆の犯罪行為を知らなかったと言い逃れはできないだろう。自分たちの都合のいいことだけ言いつづけるアメリカはこのままでは何れ崩壊するに違いない。アメリカ人の好きなハッピーエンドにはならないだろう。
2017.07.31
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「ZONE と 人間 」メモ 昨夜7日NHKスペシャル「ZONEと人間」は、原爆投下と放射能汚染区域:ZONE と核の恐怖と戦う人間の言葉、叫び、勇気をテーマにしたものであった。 人間は、かけがえのない地球をすべて破壊し尽くす「絶望」を見てしまっただろうか。 アインシュタインをはじめとする現代の科学者は、ひととしての無知を曝け出して これまで進化を遂げてきた生物や、善良な人たちをもアポトーシスに一瞬にして 追い込んだのだ。これほどの罪があるだろうか。 そして、チェイノブイリ事故にしろ、筆舌に尽くせない、忌まわしい ZONE が存在する。 そこにあるものは、「核の何たるか。」を、自分たちの都合の良いように 利用しようとする国家レベルの醜悪と陰謀とがあるだろう。60年前、広島や長崎を襲った、 米国の原子爆弾が何であったのか。を人類は深刻に思い知るべきであった。 人類は、忌まわしい「ZONE 」によって封殺され、為すべき反省を封じられたのだ。たとえば、数百万の ひとが殺されていたらどうであったであろうか。広島や長崎は被爆テストがされたというのか。 戦争と言う公然の殺戮を誰が許したのか。戦争の抑止力になったと正当化される論理は、テロではないか。 何という思慮のなさだろうか。身勝手な論理だろうか。 戦後72年経っても反省さえしない国家が、世界をリードしているとしたら わたしたちは、平和だといえるだろうか。被爆国の日本でさえ隔絶して「ZONE」を見よう とさえしなかったのだ。殺されたひとたちの「無念」はいまも消えないだろう。 わたしたちがつくろうとしているものは、誰のための・・・「文化」だろうか。 わたしたちは、ただ「絶望」に向かってひた走るだけの「生命」でしかないだろうか。 わたしたちは、憂鬱で虚ろな酷暑をまだ暫くは過ごさねばならないのか。
2017.07.31
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どこか違うものを必死に探しているが、探す場所が違うのではないだろうか。見当違いを探し求めている。言っていることは逆のことではないだろうか。どうもすべてが逆ではないだろうか。そう思えてならない。楽をしようとして、寧ろ苦しみを背負いこんでいるのではなかろうか。子供のためと言いながら、子供を苦しめているのではないか。 ・勉強しろというが、それでどうなる確証もない。国連も、オリンピックも平和にどれだけ力があるだろうか。アメリカの言う「テロとの戦い」は、支持する日本政府にとって赤字国債を増やすことでしかないのではないだろうか。それはやがて国民を破綻させる要因にもなる。最近の偽装問題も実はほんの氷山の一角でしかないのではないか。商売とは使い回しをすることではないだろうか。現に病院でも使い回しをしていたのだ。 ・へ2・・・誰も他人の生命を救おうとはしない社会なのではないだろうか。自分さえ安楽に暮らせれば、他人はどうでもいい、というのが自己責任の本音ではないか。段々、長年自分の使っている世の中を見る眼鏡のピントがズレてきている。どうやら歪みでもあるのだろうか。どうやら日本の自動車メーカーに影が落ち始めたようだ。何れは斜陽になる。あの石炭業界になる。どこかへ落ちていくだろう。博多の球団も随分変わった。それは時代の景気を反映してもいる。移ろいゆく季節のように時代は流れている。
2017.07.31
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義祖母は、随分前に亡くなった。それでも80歳くらいまで生きていたので長生きした方だろう。頑丈な身体をしていた。野良仕事をしたからだと言っていた。子供のころ、何度か足の爪を切るのを手伝わされた。自分ではよく切れないようだった。驚いたのはその爪の骨のようになった硬さと厚みだった。とても爪切りでは切れなかった。 ・最近自分の足の爪が硬くなったと感じている。それでも爪切りで充分だが、義祖母のあの爪は、厳しい労働の所為ではないだろうか。脚の親指に余り力が入らなくなったような気がしている。どうやら、それも歩かなくなったからではないかと、気になっていた。歩くと足の親指に力がかかるので、当然負荷もかかるに違いない。義祖母は、野良仕事をしていて重い荷物を担いでいたという。幼い頃、驚くような重さの薪を背負っていたのを見たことがある。牛馬の爪をあまり見たことはないが、ばあちゃんの足の爪は盛り上がって骨のようになっていた。 ・へ2・・・婆ちゃんの野良仕事も、いまの私の年齢には止めていただろうから、それまでの労働でできたのだろう。いまの自分の爪と比べてみて、その違いは余りにも大きい。私の足の爪は、働いていない爪なのだろう。重い荷物を背負って歩いてことはない。バアちゃんの爪を何で切っていたのだろうか。よく思い出せないが、大きなニッパーのようなものではなかっただろうか。ヤスリのようなものだったかも知れない。何れにせよ、私は、義祖母の人生の証をみたのであり、爪の垢でも飲ませてもらうべきだっただろう。
2017.07.31
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アメリカが日本に原爆を投下した論理がイラクでも繰り返されているということが問題だと言っているのだ。その間には、ベトナム戦争を初め、多くの戦争が介在している。そして今もその論理が正当化されている。アメリカがやることは間違いがないという独善的な思想でしかない。それを糊塗するために何が為されているかでもあるだろう。 ・72年も過ぎたのに、学習しない国家は衰退するしかない。何れは枯渇する。偏頗な論理はためにするものでしかない。求心力が無くなりつつあるのは当然でもある。餌をばら蒔いても、それはその場限りでしかないだろう。中国も分裂するのではないだろうか。論理が一貫しないからだ。場当たり的な政策は長くは続かなくなるだろう。次代は必ずしも中国やインドが担うとは限らないのではないだろうか。少なくともそれは、日本ではないし、アメリカはその資格がないのだ。 ・へ2・・・未来の足音の聴こえるひとが現代にどれだけいるのだろうか。天井ばかり見ていても解かりはしない。昆虫や、バイ菌でも追いかけている研究者ではないだろうか。音のない世界や、光のない世界にそのひとたちがいうのではないだろうか。大国が何かできる訳でもないだろう。梶井のいう感覚だけで、或いは詩的は表現で現実が見えてくるのでもないだろう。針小棒大でしかないのではないだろうか。さて、今日は午後から講座に出かける。もう何度も書いているが。蝉が鳴いている。お前にも時間がないと聴こえてくる。
2017.07.31
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人間というものは、金や権勢によって右にも左にも動くものだ。という認識が世間に広くリアリズムにはある。所謂「恥の文化」など幼稚でしかないのだろう。 ・へ2・・・適者生存。虚飾を排して生々しい人々が大らかでなければ生き残れなかったのだろう。狐のように狡猾な知恵を必要としたのではないか。それが非情な自然に対する盾となる大きな拠り所をもとめて作り上げた偶像ではないだろうか。天命を持たない皇帝は容赦なく追放された。それが高じて紫禁城というハーレムをも造り上げてしまったのではないか。 ・日本人が日本の風土の空気ばかり吸って生きるのは容易いことだろう。そうではなく、外の時代を知り、次の世界に移動しなければならない時が来るかもしれない。自分が変わらねばならないのではないか。芳しい匂いを持たねばならない。そのキーワードは明日を予感させるものだ。それができなければ、子孫は生き残れない。 ・へ2・・・日本人は忘れている。自分たちがなぜここにいるかを。
2017.07.31
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ベストではないが、ベターでないともいえない。それほど強力なサポートを受けているわけではない。まあ、ないことはない。運動の強度について余り自信がないが、手探りしている。兎に角、自分のからだの主治医は自分でしかない社会である。自分が社会から疎外されればいつ不幸に襲われるか解かりはしない。 ・上の血圧が61だった。頭が白くなった。普通に歩いたのだが、人間の体は判らない。微妙で繊細だ。鳥渡した加減で大きく変わっても来る。今日は1日だ。8日には北京オリンピックがある。また、何かショックを受けるようなことがあるだろうか。それでも、ベターでないというわけでもない。愉しみもあるだろう。 ・へ2・・・中国は、まだ未知の部分の多いところである。それがこれから明らかになるのを期待したい。彼らの可能性が、また私たちの可能性の一部でもある。彼らの真摯な行動が未来にかかわるのも事実だろう。13憶人の存在は、66億人分の13憶人であることはいうまでもないからである。少し気分がよくなってきた。今日も晴天になりそうだ。
2017.07.31
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「がいどう]で、すぐ「街道」と出てこない。それにしても日本語はどうなるのだろうか。こうしてキーを叩いているが、癖の悪い道具に悩まされてる。それも訓練になるのだろうか。あまりPCが利口になり過ぎると、人間が脳を使わなくなるだろうか。そんな単純でもないだろうが。語彙の数が減少していき、日本語という言葉もなくなるのではないだろうか。つまり、日本語も文字もこれだけ一般化するとは予想していなかったのではないだろうか。 ・敵がいつ攻めてくるのか分からないまま防人は、故郷を離れて、過酷な生活を強いられていたのだろう。目に見えない敵と戦うほど苦しいものはない。この豊前街道のせまい道を通って、薩摩から江戸まで「篤姫」も登って行ったのだそうだ。街並みが残っているのは、コメに係わる商家が集まっていたからだろう。すぐ近くには菊池側があり、米の船着き場がある。コメどころの菊池平野も近くにあり、菊池川を下って米も運ばれていた。 ・へ2・・・米屋、味噌、酒屋、近くに山鹿への惣門があったようだ。お米を中心に生活が営まれていた。山鹿には温泉があり、芝居小屋も生き残ったのだろう。それを支えた住民たちがいた。その子孫が豊前街道に新しい価値をみつけようと奔走している。その努力は報われるだろうか。それは容易ではないことだけは言える。ハードだけでは長続きはしない。ソフトをどれだけ揃えることができるかでもある。気まぐれな観光客を引き留めるのはひとつやふたつのアイデアでは無理だろう。
2017.07.31
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天邪鬼が何故いるのだろうか。突然やっていることが嫌になる時がある。そこまでいけば出来ることを敢てやらないひともいる。ポーは、「黒猫」でそういう人間を表現している。何故同じように生きようとしないのだろうか。皆が同じ価値観ではない。好き嫌いも様々である。20時までに散歩を終えて家に帰るつもりで、19時に家を出てきたのに、途中で何故それをしなければならない理由がない気がした。別に「篤姫」が好きな訳でもないし、同じ道を歩かなくても、別にテレビを見なければいいわけで、歩きたければ歩けばいいのだ。 ・こうしなければならない。というのがどうも嫌である。決められたことをしたくない。誰が決めたのだろうか。絶対遣らねばならないのはそうたびたびはない。したくなければしなければいい。ゲーテが70歳を過ぎて、若い娘と求婚しても世間は愚かだと思うだけだろう。あとどれだけ生きるか分からない人間にとって、世間などどうでもいいのだ。色気違いだろうが、破廉恥だろうが、どうでもいいのではなかろうか。そういう気持ちにならない人間にはわからないだけだ。 ・へ2・・・山頭火はぶらりと旅に出た。すべてを棄てて放浪した。ひとはそれが中々できないのは未練があるからだろう。後ろ姿が時雨たくない、だけだろう。昨日の自分とあっさりと別離ができないのでは、日頃の決意がないのだろう。フレキシブルな生き方をしていないのではないか。いつか、旅に出る。それは死出の旅ではないが、もう帰らない旅立ちではあるのだろう。天邪鬼には、穏やかな死などない。首がねじれても目だけは開いている。今日は随分遠回りをしてきた。それでも「篤姫」は莫迦の一つ覚えのように時間通り放送されていた。
2017.07.31
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仏教者の寿命 [ カテゴリ未分類 ] ・梅原猛の「日本仏教をゆく」の略年譜から、没年齢 <仏教者> <年齢> <場所> ・聖徳太子 49 ・役小角 ・行基 82 菅原寺 ・鑑真 76 ・空海 62 高野山 ・最澄 56 比叡山 ・円仁 71 ・円珍 78 ・空也 70 西光寺 ・源信 76 恵心院 ・覚ぱん 49 円明寺 ・法然 80 東山大谷の禅房 ・親鸞 90 京都 ・一遍 51 兵庫の観音堂 ・明恵 60 高山寺 ・叡尊 90 西大寺 ・忍性 87 極楽寺 ・栄西 75 寿福寺 ・道元 54 京都 ・日蓮 61 武蔵国池上 ・日親 82 本法寺 ・蓮如 85 山科 ・西行 73 弘川寺 ・運慶 73 ・快慶 ・円空 64 ・無外如大 49以後 ・夢想疎石 77 ・一休 88 報恩庵 ・雪舟 87 ・千利休 70 切腹 ・天海 108 寛永寺 ・崇伝 73 ・白隠 84 松陰寺 ・隠元 82 ・良寛 74 ・大谷光瑞 73 ・河口彗海 80 ・鈴木大拙 97 ・宮沢賢治 38 ・へ2・・・当時の平均寿命からすると長生きしているのではないだろうか。どう解釈したらいいのだろうか。何かあるのだろうか。少し気になります。
2017.07.31
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山鹿市「八千代座」という最近復元された芝居小屋を見てきた。現在は山鹿市の所有になっている。玉三郎も来るし、一般の市民がこの芝居小屋を利用してもいる。小さな舞台のように見えるが、人力で廻る「廻り舞台」もある。本格的なものだ。莫大な修繕費用をかけてもいる。恐らく、叩き壊して新しいビルが建つ費用だろう。それでも復元に拘った人たちがいたのだ。新しいビルを建てても100年は持たないのだ。莫迦か利口か誰が評価するかでもある。 ・八千代座設立は明治44年。温泉地に芝居小屋はつきものでもあっただろう。有名な温泉地でもあった。豊前街道があり宿場町でもあった。昭和40年代に閉鎖した。そして再建のために市民が動き、平成5年玉三郎が公演した。平成8年から大修繕工事が始まり、同13年竣工した。八千代座というのは各地にもあったようだ。これまで残ったのは珍しいのだろう。そしてそれがいまや新しい商品価値をもったのだ。 ・へ2・・・こうしてみると、玉三郎の存在も大きいのかも知れない。何しろ熱狂的なおばさんパワーがある。八千代座の商標も、こうしてみると、妙にとぼけた味がある。千代に八千代に、の八千代であり、カタカナの 「ヨ」を、8つの「チ」が円く囲んでいる、それで「8チヨ」なのだそうだ。ばかばかしいような、洋風建築も入っている。見かけはそれこそ小さな地震でも潰れそうだが、鉄骨が入って補強されている。筋金入りだ。ここまで残すことだけでも、多くの人たちの温かい血が通っている。
2017.07.31
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何をしているのか? という書き込みがある。この人は何をしているのだろうか?今の人は簡単に訊いてくる。気易いのかもしれない。気楽に生きているのだろうか。自分で調べるより人に聞いた方が早い。学校では何でも答えてくれるし、家では親が何でも聞いてくれる。友人もあまり諍いを好まない人が多いから、ひとと口論することもない。ブログをやってもみんな親切だ。結婚して配偶者も何でも好きにさせてくれる。そんなひとが多いのだろうか。 ・以前どこかの有名な大学の学生が色々尋ねてきたが、そんなことを何故他人に訊くのだろうかと不思議だった。自分で調べれば分かることは自分でやればいいのだ。理解は簡単ではない。知ることだけで自分で考えないのではないだろうか。そんな不遜な人間と話したくはない。そういうことを優しく答えてくれる先生があればそのひとに訊いてくれ。どうせ、何も知ろうとしていないのだ。他人を巻き込むことはない。ひとりで自己満足していればいい。 ・へ2・・・そんなに親切な人間ではない。自分のことも碌に解らないでいる。何をしているのか、商売をしているのであれば、どれだけでも親切に応えてくれるだろう。それは商売だからで、人の付き合いとは違う。自分のことは何も言わないで、答えてくれで誰が、応えるだろうか。解からなければ自分で調べるしかない。知ろうとしなければ何も解かる筈がない。自分の足を鍛えねばならないだろう。どうも最近の若者は内向きな生き方をしている人が増えているようだ。
2017.07.31
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奇しくもバス旅行をする機会があった。日本人の「グリーンミーム」(和のミーム)を見ることができるのではないかと密かに期待していたが、既に5回講座をともにした受講者のツアーでもあり、同じ会社の社内旅行のような気やすさがないわけでもなかったし、講師同伴の修学旅行でもあっただろう。おまけに韓国ツアーに相当嵌まっておられる奥様のお喋りに夢中になり、いつかその崇高な目的を忘れてしまってもいた。かなり平均年齢は高いツアーであり、働き盛りの人間は大学サイドの人たちばかりだったし、目的不明の中年女性たちも附いてきていた。夫々のツアーの目標は高いか低いか分かったものではないのだろう。ただ大学側には総務部長も来ていたから確たるハードルはあったのだろう。 ・どうも大学の思惑ばかりが先行しがちな講座や現地学習なのだろう。学生であれば、授業内容に対するテストというハードルが用意されており、それで或る程度の理解のレベルも知れるのだろうが、こういう企画はフィードバックがないから遣りっぱなしの農薬か薬剤のようなもので効くか効かないか、それは主催者側の独断でしかない。面白いのこういうツアーによって日本的ミームの世界の発現が見られることだろう。恐らく、韓国人でも、中国人でも、或いはアメリカ人も、ヨーロッパ人にもみられないグリーンミームが見られるに違いない。先ず、二人掛けの座席を誰と座るかである。同じ民族でありながら尚且つ気安い人と座わりたがる。高齢者ほど、他人と座りたがらない。そういう意味では韓国ツアーの好きな女性は、社交的である。 ・へ2・・・日本人の長所と短所を分析するのは面白いが、時々嫌気がさす。「吾唯知足」のアナログ的ミームは中年女性の辞書にはない。誰とでも仲良くしようとするが、本音は違っている。ロンドンパリをしているだけだろう。女性は男に比べて自分の置かれた雰囲気や状況を把握する能力が優れているから、どこでも生きていけるのだ。だから、格安のお昼の料理に痛く感動している女性が多かったのではないだろうか。何のこっちゃ。
2017.07.31
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・「魏志倭人伝」に書いてあることがすべて正しいことではない。後漢の後期から三国時代までの百年間以上中国本土と倭国の直接交渉がない。 ・H2・・・倭の実情をどこまで正確な知識をもっていたかは疑問だ。何せ倭国には記録がないし、どこにあったのかも定説がないくらいだ。「後漢書」倭伝の中元2年(57年)の倭の奴国と永初元年(107年)の倭の面(土)国も北九州に存在した小国でしかない。その中国の史書にあらわれるのは卑弥呼の邪馬台国でしかない。景初3年(239年)卑弥呼は遣使を送った。魏は250年前後にほろんでいる。 ・8世紀に編集された「古事記」「日本書紀」でわかるより前の日本の古代史は「魏志倭人伝」しかない信頼できる記録がない。それこそ中国の当時の歴史学者によって書かれたものだ。 ・H2・・・「日本の歴史」全集(倭国の誕生)を2階の書棚から引っ張り出して朝から読んでいる。どうも時間が停まってしまった感なしとしないが、テレビでは話題の人稲田氏が辞職するニュースが流れている。どうも本人の意思というより、安倍首相の意向のようだ。これまで庇いながら庇い切らないというところが今流なのだろうか。おそらく取り巻きの進言ではないか。どんどんやれやれのときは精力的に動くが、都合が悪くなると穴倉に閉じこもる類の人物ではないだろうか。まるで駄々っ子の所業だろう。 ・中国には司馬遷もそうだが出来事を記録に残す官吏がいた。勿論時の権力者に有利な記録しか残さなかったにしても、記録の重要さを知っていただろう。文字が如何に文化に貢献したかがわかる。 ・H2・・・何しろ古代は闇の中にあるようなものだ。手探りでやらねばならないが成し遂げる意味は大きいだろう。 文化的には、日本人はまだレベルが低いのではないだろうか。過去を引き摺ってもいる。レーニンや毛沢東まではいかなくとも、スケールの大きい人物は出てこないものだろうか。そろそろ出てこいヒーローでもいないと消えてしまうのではないだろうか。
2017.07.31
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・「秋霜烈日」刑罰・権力など厳しいこと。また信念・意思など威厳があること。 ・へ2・・・誰に対してか?だろうね。公正でなければ意味がない。相撲協会も、安倍内閣もそれがいえるのではないだろうか。税務官も検察も下っ端が頑張っているが上は弛んでいるのではないか。官僚も医師たちも若手が体を張っているが報われないことが多い。 ・国家システムは、老害になりがちだ。 ・へ2・・・それには若者たちが清廉でなければ、何事も社会の正義は遂行されない。これが現実だ。それが夢をなくした若者たちが急増しているんではないか。それは教育のシステムだけの所為ではない。「風貌凛として秋霜烈日の気迫みなぎる」ような先輩たちがいなくなってきたからだろう。 ・姑息なことが多すぎるのではないか・ ・へ2・・・責任を取らない政府が元凶だろう。 私たちは現実社会と言う現場で日々、人間のさまざまなふるまいを見せられているというべきだろう。誰が本当のことをしているのか言って居るのか。誰の顔を伺っているのだろうか。稲田朋美女史の言動は世間の批評を買ったが、巧くやったと本人は思っているのかもしれないが、そうだろうか。
2017.07.31
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・社会は複雑化し価値観は多様化しておりその権威が揺らいでいる現在誰のことばが価値があるか、中々わからなくなった。年功序列でもない。年寄りに知恵がある訳でもない。 ・へ2・・・国家に従うことが義務だろうか?むしろ間違いを質すことではないか。何が真の民主主義だろうか?政府は正しいことをしているのか。リーダーが正しい行いをしているのか。疑問はいくつもある。日米安保を掲げて国の平和を追求してきたが、もはやそのベースになった冷戦がない。ソ連はロシアへと変革された。中国ももはや毛沢東思想ではない。時代は大きく変貌している。アメリカも一年前と中国政策を変化させている。そういう中で日本政府はどのような戦略で世界に伍していくのだろうか。その方針を国民に普く知らしめているだろうか。そのために一丸となって人々は努力しているだろうか? ・私たちは戸惑いの中にいる。疑心暗鬼が溢れてもいる。信用できない政府があり、納得のいかないことが多すぎるのではないか。個々人は正しく評価されているだろうか。偏見や差別に苦しんではいないか。そして格差社会が加わろうとしている。 ・へ2・・・それを多くもたらすものは為政者たちの政策に他ならない。そして先見性だ。リーダーの資質でもある。人柄のよさとか、新鮮さとか、若いとか、見栄えの良さでもない。それこそクールだろうか。ある面で正しく、ある面で違うだろう。アメリカの概念で日本のそれと重なってはいないからだ。よくわからない漠然とした不安というべきなのだろうか。その曖昧を醸しているのは自分の識見のなさでもあるのだろう。しかも明日が見えるものにはこころがないのだろう。
2017.07.31
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・日本人はどこから来たか、どのように成立したのか、明治の学者は古代人の人骨を調べようとした。一般人の関心は薄く、縄文時代人の発掘さえほとんど行われてはいない。 ・へ2・・・日本人の祖先は縄文時代人とすればどこから来たのだろうか。長谷部言人氏によれば、現代のアジアの諸民族の体質をしらべた結果、中国南部の人々が日本人にいちばん似ているという(「日本人の祖先」)がある。 ・そのほかに有力な手がかりは言語学がある。江戸時代では新井白石らは日本語と朝鮮語の類似を指摘し、日本人は朝鮮人の末裔だとした。明治以後はより多くの言語との比較研究gされている。ウラル=アルタイ語、南方語、アイヌ語などが関係が深いといわれる。 ・へ2・・・日本語のルーツとしては、早く南方語系統が日本にひろがり、その基調の上にウラル=アルタイ語系の言語が重層したというのが有力になりつつあるようだ。すこし安易だろうか。それと雑穀栽培とむすびついた「照葉樹林文化複合」を形成して中国南部と朝鮮からルートもあったのだろう。 ・長い日本の歴史をみると日本人も日本語もけっして固定したものではなく、海外から新しい人種や言語を受け入れてきたのであり、同化と流動をくりかえしながら現代を形成しているのだろう。 ・へ2・・・まさに日本人と日本語は他の民族や言語とおなじく、歴史的産物であろう。今後もさらに多くの民族と混血し、言語をも取り入れて変化していくのだろう。そこに日本の未来もある。
2017.07.31
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・無防備なのだろうね。それは自然災害だけではないが・・・。 ・へ2・・・リスク管理と言えば、一般的にいって日本人にはその意識レベルが低いといえるね。それこそ「日本人は水をタダだと思っている」とか言うけれど、良くも悪くも「大甘ちゃん」なのだろう。あとで慌てても仕方がないのにね。原爆が投下されて、それは酷いと嘆いても、気がついたら「地獄の中だ」ということだってあるだろう。それを覚悟しなければならないということだ。政府の無責任を許したら、必ずそうなるだろうと思う。 ・最悪のケースを覚悟すべきだろう。それがそうならなければラッキーだと思えばいいだけだ。 ・へ2・・・そうだ。自分たちの蒙昧を顧みるべきなのだ。どうやら台風が近づいているようだ。取り返しのきく間はいいが、そのうち「ポイント・オブ・ノーリターン」がくる。 外国を旅行していると、窓に格子があったり、高い塀があったりする。或いはガードマンがいたりするのは、治安が悪いこともある。日本の家屋を見ると、どこからでも侵入できる。治安の必要は言うまでもないが、法を守るという精神やモラルを守るという考えがが根付いていなければならない。そのための教育もドラスチックになければならないのだろう。
2017.07.31
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・般若の智恵を阻害する執着心とは何だろうか。 ・へ2・・・ひとはいったん自分が役立ったり大切であったりしたものを、決して離すまいとし、価値あるものを見逃してしまいがちだということではないか、それが余計な背負いこみだというのだろう。執着心が大切なものを壊してしまうことをいうのだろう。 ・子供のころ勉強がよくできたとか、一流大学出身だとか。昔は偉かったとか、いうのは過去への執着だというのだろうか。 ・へ2・・・だからいま、何ができますかと、問われているのだろう。落ち込んでしまうだけだね。人が生きることは、それ自体は進歩であり、前進であろう。過去にすがりついていても惨めになるだけだ、むしろいつも空っぽになり、自分を自由にしておくことではないか。 ・そんなことができるのだろうか。 ・へ2・・・人が空っぽになれるかとうかというのは確かに疑問があるね。でも「空」というのは固定観念や既成概念をなくして、つねに新鮮な学びや出会いを得て、新たな取り組みをすること、進歩や向上することを指しているのだろう。それは現代科学にとってどうなのだろうか?少なくとも、人は「空」では観念的にはありえても現実ではありえないのではないかという疑問があるからね。おそらく数百万か、数十万の情報で、物を見て行動しているのが人間だから過去を捨ててはおれないものね。過去に囚われるというコンセプトがよくわからないこともあるが飛躍があるのではないだろうか?
2017.07.31
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・ああいえば上祐というフレーズが流行ったことがあった。坊さんの書いた本というのはどこか似ていると思わないか。自分だけで完結しているところがある。 ・へ2・・・誰がこういった、が多いのは比喩だから仕方がないとしても勝手な解釈だったりする。都合の好い引用でしかない。坊さんの説教を聞いていると、いつも同じ話になる。何故いつも「般若心経」なのだろうか。それしかないのか。物心がつかないころからこの般若心経を聴いていた気がする。ちと大袈裟か?幼い頃から毎月命日に坊さんが家に来てお経をあげていたが、真宗だったのでそう感じていたのだろう。 ・お葬式でしかお経も聴くことがなくなってしまった。どうやらお説教も、本で読むくらいで聴かなくなってしまったが、話すこともなくなってしまったのだろうか。説教できるだけの宗教家がいなくなったのだろうか。とても寂聴さんの説教を聞きたいとも思わないが。 ・へ2・・・宗教の存在が日本では衰退したのは、多くは宗教家の責任だろうね。人心を掴むことができなかったからだろう。権力の側に立ってしまったからでもある。人材を育てることを怠ったこともある。それだけ貧しかったのだろうか。封建社会が長かったこともあるだろう。ひとびとは宗教を信じることができないまま来たのかもしれない。今更昔の出来事で、現代の人を納得させるだけの言葉を失ってしまったのだろう。長い時間の経過は、人の心をつなぎとめるだけの力を喪失しただろうか。最近晴天が続いているが、朝のウオーキングも続けている。今朝は、相変わらず毎日、早朝のウオーキングをやっている先輩と出逢った。もう80歳くらいになるが、一人暮らしを居られるが、元気らしい。私もあやかりたい。 ・その場の空気で言い逃れの上手いひとがいいのだろうか? ・へ2・・・おそらく赤城前農水相も更迭がなければ、言い逃れを続けただろう。彼はそれが政治家だと思っていたのではないか。それが政治家の常識だとでも信じていたのではないだろうか。「ああいえば上祐」がなければ、なにも続けられないと思っているような節のあるひとがどこにでもいるのではないか。自分の信念がないのだろう。
2017.07.31
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何でも自分たちの色に染めようとする人たちがいる。中世の宝石と言われるローテンブルクには、犯罪記念館というのがあって、刑具というのがあって、見学できることになっているが、チャンスがあったが覗いてみる気がしなかった。写真で見たことがあったが、酷いものばかりだ。お喋り女の檻は、川に沈めたらしい。 ・領主の命令で、手足を斬られたりした。「平家にあらずは人に在らず」というのが日本にもある。安倍政権に在らずば人にあらずかもしれない。そんな思考能力のエリートたちばかりだから、風通しが悪くもなる。国家が、虎の威を借る狐のようなことをしてはいないか。こそこそするにんげんが出世をしてはいないか。知らない知らないという人が偉いのだろうか。 ・へ2・・・安倍政権だって一寸先は闇だろう。尊敬もできない人が上司なら、どんな仕事も落ち着いてすることはできない。それこそチルドレンたちが、どんな大望があるだろうか。操り人形になっても権力の座に就きたいような人間では、国際社会で仕事はできない。狭い視野の人間たちが、国民を不幸にする。
2017.07.31
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・日本の武士は嫌いですね。武人というともっと厭な人たちだという気がする。 ・へ2・・・体育系のむさ苦しい連中をイメージするからではないか。忠義とか腹切りとか仕事もせず、他人を見下すようなイメージもある。そういえば「葉隠」を思い出してしまう。美化されたり、人の命を軽んじる気風とかイメージは良くないね。戦時は武人精神とか言って日本兵を玉砕させた。敵から恐れられた死生観でもある。 ・その武士が、食べるものもないのに、高楊枝というのは見栄でしかない。 ・へ2・・・あほらしい見栄もあるのだろう。それを庶民は嘲笑していったのだ。食うにも困るということがある。追い詰められた人だ。それを揶揄することができるだろうか。私はそこに武士の悲壮感をおもう。餓死するかもしれない。水ばかり飲んでいる。もう刀はとうに竹光だろう。他人さまの温情にすがるしかないとそのひとは感じているのだ。 ・武士はそれであって人格者ではなかったのだろうか。正しい教育を受けなかったからだろうか。 ・へ2・・・上級武士でなければろくな教育は受けていないだろうね。それこそまねごとをさせられていたのだろう。寺子屋で論語しかなかった時代でもあったろうし、優れた教師がいたわけでもない。それで武人魂といわれても自分勝手な解釈でしかなかっただろう。素読で理解しろと言ってもそれこそ死ぬまで本当の意味を知ることはなかったのではないか。中国に行ってもいない人が勝手に解釈したのだから。だから国学になったのだろう。亜流の学問をつくって威張ってみても限界があるだろう。 ・すごい伯母さんがいたんだって・・・。 ・へ2・・・武士の娘という伯母だった。母は少しあきれて話してくれたけど、使った醤油を捨てないで残して使うというのだ。私の家も貧乏だったがそんなことまではしなかった。それを聴いてその伯母が急に怖くなったよ。そういえば違っていた。物腰がどこか他の人たちと子供心にもわかったのだ。向上心のない男は駄目だといわれた。その先に武人魂があるのではないかとふと思ったことがあった。
2017.07.31
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和白干潟・日本の神話、伝説、祭儀、儀礼などと北アジア・東北アジアの騎馬民族との密接な関係が指摘され、とくに現御神としての天皇と、即位儀礼の大嘗祭が本質的な相似性があることは興味深いことだ。 ・へ2・・・日本における統一国家の起源の問題や、その初期の様相から、今日につながる日本人の意識のルーツを解明することは科学的な洞察として意味があると思う。そしてそれがひろくアジア史的なものになれば、「比較研究」としての価値も出てくるだろう。我が国における最近の実証的古代史研究の飛躍的発展の成果が問われている。韓国や、中国との間の共同研究も遅ればせながら進みつつあるようである。一国の見解だけであってはならない。それこそ一次史料を収集するためのアジア規模のシステムが構築されるべきである。 ・やがて研究の成果が実り、各国が統一した歴史観を持つようになればより深い相互理解もできるようになるだろう。違う畑を耕して違う果実では困る。 ・へ2・・・必ずしも利害が一致するとは限らない。それを融和、調和させる努力がいるだろう。その先鞭をとる人間がいるのだ。強かな外交の能力のある人たちがいなければならない。 ・日本の神話、伝説、祭儀、儀礼などと北アジア・東北アジアの騎馬民族との密接な関係が指摘され、とくに現御神としての天皇と、即位儀礼の大嘗祭が本質的な相似性があることは興味深いことだ。 ・へ2・・・日本における統一国家の起源の問題や、その初期の様相から、今日につながる日本人の意識のルーツを解明することは科学的な洞察として意味があると思う。そしてそれがひろくアジア史的なものになれば、「比較研究」としての価値も出てくるだろう。我が国における最近の実証的古代史研究の飛躍的発展の成果が問われている。韓国や、中国との間の共同研究も遅ればせながら進みつつあるようである。一国の見解だけであってはならない。それこそ一次史料を収集するためのアジア規模のシステムが構築されるべきである。 ・やがて研究の成果が実り、各国が統一した歴史観を持つようになればより深い相互理解もできるようになるだろう。違う畑を耕して違う果実では困る。 ・へ2・・・必ずしも利害が一致するとは限らない。それを融和、調和させる努力がいるだろう。その先鞭をとる人間がいるのだ。強かな外交の能力のある人たちがいなければならない。
2017.07.31
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モンサンミッシェル内にあった。「アルファからオメガまで」の文字。教会には今もなお一人の修道女が守っているらしい。奥が深い。 ・折角の脳が遊んでいるのではないか?どんなに大事にしてもマイナーではしようがない。 ・へ2・・・鍛え損なった脳でなにができるだろうか。むざむざ腐らせてもいるのだろうね。まだ理解できるスペースがある。脳には空地がある。でも愚痴を言ってもつまらない。誰も助けてはくれない。古井戸の中から外に飛び出すにはどうすればいいか。それくらいの知恵がなければ始まらない。他人のせいではない自分がこの21世紀に生きていながら、学ばない方が悪いだろう。OCWで勉強すればいいのだ。しない方が悪い。 ・のこのこ大学へ行けばいいだろう。大学のことなかれ主義を変えさせればいいのだ。どうどうと図書館を使わせろと言えばいい。 ・へ2・・・知的社会ではない。まだほど遠いが、こんな内閣に任せていたら、尻の毛まで抜かれてしまうだろう。自分の「毛」くらいは抜かれないようにしたい。まだ騙されない。けちな若造に負けられない。巨悪はいる。そいつらを白日の下に引っ張り出して血祭りにあげて政府に悲鳴を上げさせる必要があるだろう。平和の実現を現在の権力者たちにまかせておけない。 ・脳に新鮮な空気と正しいデータを送り、こき使うべきだろう。まだやればやれる。 ・へい2・・・毎日情けない政治家たちの顔ばかり見ていたら、反吐が出る。叩きなおすのが遅れたら、しんでも死にきれなくなるだろう。だからやれることから始めよう。 ・・・そういうひとに私はなりたい。誰にも孫たちがいるだろう。
2017.07.31
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・血管が脆くなるのは中々分かり難い。じわじわとくる。DMもそうだが、健常者よりかなり寿命が短くなるのは血管がやられることが多いためだと言われる。 ・へ2・・・先日も知り合いの人がクモ膜下出血で亡くなった。彼は酒の飲めない人だったが禁煙しなかった。毎年胃カメラで胃腸の検査を怠らなかったが、血管それ自体についてはそれほど関心がなかったようだ。何度も母の話をして恐縮だが、私は多くを母から学んだと思っている。それはおそらく個人的な体験があるからだろう。実社会に出る前に母の胃がんの看病という体験からスタートしたからだ。その時アメリカで血管の研究をした若い外科医が母の担当医で、風変りな付き添いに同情して、色々教えてくれたが、母はDMで血管が脆くなっていたらしい。注射を痛がったのも原因がそれらしかった。血管の劣化が早いらしい。 ・それこそ見た目より、血管だということだね。 ・へ2・・・人も顔も体も内側から変わってくるのだ。どれだけ化粧をしようとそれを止めることはできない。化粧品代で家が建ちそうな女性が多いけれど、それより自分の血管を大事にすることだろう。それと代謝異常だろうね。食べ物や運動やストレスや多くの要素が血管にかかわっているから、容易ではない。厄介な強敵だ。この身近な敵が、私たちのいのちを狙っている。 ・自分の血管が脆いとか簡単にはわからないだろう。注射でもしてベテランのナースでもないとその硬さなどがわからないだろう。そういえば、君は毎月血液の検査をしているが、ナースに、時々そのことを訊いているようだね。 ・へ2・・・うん。まあ気休めだけどね。それでも、少しは解るらしい。医師になると総合的に解析する。皮膚の表面とか、血液の検査結果などで、およそのことは分かっているだろうが血管のことまでは専門医でないと詳しくは解らないだろう。高血圧とか、血管を流れるどろどろの血液とかで血管が脆くなってしまう、いつ決壊するかは日頃の注意にかかっている。出血の場所だけ問題ではない。血管そのものだ。 「ひとを殺すにゃ刃物はいらぬ、血管のひとつも破らりゃいい」
2017.07.30
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ルーブル美術館・近未来は必ずしも理想社会ではない、と考えているひとたちがいる。 ・へ2・・・そう考える人が増えているのではないか。不安感を煽るような映画や小説があるからではない。「不都合な真実」にみられる種々の事実が、必ずしも明るい未来を予想させなくなってもいる。「お祭りだ、お祭りだ」で騒ぐだけで、巷の喧騒に現を抜かしていいのだろうか。そういう人たちが世間には多いのも事実だ。それは現実を客観的に見ることができなくなっているからではないか。勿論、理想主義で言っているのでもない。 ・国家が個人の生命や、財産を守るというのは幻想だということだろう。保障できないことを保障するといって憚らない政治家が、この国のリーダーであり、「小沢か安部か」、と選択を呼び掛けておきながら、負けたら、自分にはなすべき政治責任があるというのだ。そんなことは始めから分かっていることだろう。おそらく勝ったら、自分は国民から信任されるといって政策のごり押しをするつもりだったのだろう。国民はそれほど莫迦でも阿呆でもなかったということだ。今度は慎重にやりますというのだから、裏で何をやるか信用できない話だろう。 ・へ2・・・日本の政治家はこの62年間何をしていたのだろうか。安倍内閣のような政府を選んだ責任は、政治家だけの問題ではない。民主主義や、多数決という原理が有効に生かされていないことを示しているのではないだろうか。トカゲのシッポでことを済まそうというような姿勢でいいのだろうか。それこそ厳しい態度で非難しなければならないだろう。このようなことを見逃したら、だんだん理不尽がエスカレートとしていくのではないだろう。 ・まさにトゥモロー・ワールドは理性をなくした人類が崩壊した自然の中で悲嘆にくれているのではないか。 ・へ2・・・近未来が世界の人びとに明るい夢を描けなくなっているのは事実だろう。何が為されるべきなのだろうか?それは怠惰な日常から自分を見詰め直すことからではないだろうか?
2017.07.30
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テーマ「自分らしい生き方探し」臨床心理学 H講師 ・「価値観」と「生きがい」がキーワードになる。 ワークショップの手法による体験型学習について ・自分にとって重要な体験を書き出す。6件以上。 ・もし抵抗がなくできるとしたら何がしたいかを書き出す。6以上。 ・上記項目の中で共通するものから、自分にとって大切なテーマを見つけて 書き出す。3件。 自分にとって、大切なものが何で、自分らしいビジョンを描き、自分を引き 止めている存在を知ること。内なる知恵に耳を傾ける。 >自分を引き止めているものとは、 ・おカネ、時間がないから無理 ・自分は怠け者だから ・どうせうまくいかない ・まわりの反対、批判される ・もっと余裕のあるときに遣ればよいだろう ・今更遅いよ etc. >心理学者フランクルは、「夜と霧」の中で、アウシュビッツでの体験で 逆境で生き残れるのは、未来への希望を持つことだという。 >生きがいとは、充実感をもち、内なるコンパスがあり、社会的認識 と活力あるエネルギーを周りの人にも与え、未来への展望を持つことだという。 >夢の実現には、 ・遣りたいことを誰かに宣言する ・自分に夢を見ることを許す ・「抵抗」にコントロールされない ・偶然の一致に注目する ・小さな一歩を、いま踏み出す
2017.07.30
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・人それぞれに、いまこころを支配しているものがあるのだろう。勿論個人差があるとしても、移ろいやすさがあるとしても・・・。 ・へ2・・・信じて捉われているものが、それが権威があると信じている。不確かなものかもしれない。兎に角信じようとしている。愚かなことかもしれないがそれしかないと思う人は多いのだ。自分の心さえ定かではないというのに、他人を信じることはできない。現代社会はその前提で動いてもいる。絶対は神しかいないと信じている。何も信じられないという人もいる。取り敢えず、国家や、自分の属している社会に帰属して生きようとしている人々がいる。 ・他人に寄生するとは、どこまで許されるのだろうか。それとも許されないだろうか。 ・へ2・・・それもひとつの生き方ではないか。しかし自分がそうありたいとは思わないが。共生はあると思う。しかし絶対的なものはないだろう。今日一日PCのセキュリティを弄っていたら時間ばかり経過してしまった。おそらく何かを守ろうとすれば膨大なエネルギーを必要とするのではないだろうか。そんな気がした。 ・現代人も自分たちの生命や財産を守ろうと躍起になっているが、それはどこまで可能なのだろうか。万里の長城も、今や単なる遺物でしかない。アメリカの安全も実は、ハリケーンの一つでボロボロになったし、経済破綻もあるだろうし、完璧な防衛などあり得ない。それこそ世界を相手に戦争でもして皆殺しにでもしないとパーフェクトな防衛とは言えないだろう。 ・へ2・・・どれだけ外圧を防げたとしても、内からの破壊は止められないだろう。家族を破滅されるだけでも人はそこから立ち上がれないだろう。
2017.07.30
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・「住めば都」というのは、辺鄙な所でも、慣れてしまえば住みよい土地だと思うようになるという意味だろうが、単に「都」ではない。京都でもないし、東京でもない。その土地の風土や習慣になれることが、その土地の風土や習慣に慣れることがその人にとっての真の都となるのだろう。 ・へ2・・・”One's home is one's capital." というのがあるが、引用かも知れないが、誰しも思うことなのだろう。博多っ子純情などというわけの解からんのもあるが、ことばが独り歩きすることもある。慣れていいのあるだろうが、そうとばかりはいえない。捨てねば先に進めないものもある。都は意味が昔とは違っている。そのことを理解しなければ、「住めば都」にはならないのではないか。狎れあいの社会にもなる。それが訳のわからない安倍内閣をも造った土壌があったのではないか。 ・冷戦期には、あれだけ同じ天を仰がずの米中が歩み寄り、日本の頭越し外交が続いている。そのうちに日本は二流国、三流国と呼ばれるようになるだろう。それはアメリカの裏切りだろうか。それは違うとアメリカも、世界も言うだろう。それは日本が自覚や、国際感覚がないからだと嘲笑されるに違いない。目先しか見ない政治とは、「住めば都」でいるからでもあるだろう。けじめのない生き方こそ、何れ置いて行かれる国家であり、やがてそのニッチを追われるだけのことだろう。 ・へ2・・・生命は、常に自然淘汰という生存競争の中で生き残りをかけてきたが、澱み滞留した社会は切り捨てられるだろう。どこに住もうと最大限の力を出し切ることができるかが問われるだろう。明日死すといえども我行かんの気概が必要だ。
2017.07.30
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カワセミ ・人は本来自由ではない。自由に生きようとするだけかもしれない。近代法で基本的人権はひろく認められた権利であるが、名目的でしかないことが多いだろう。 ・へ2・・・社会の成員としてのいくつかのカテゴリーのどれかに属していなければならないというルールは厳然としてあるだろう。人間の一生は、胎児、幼児、子ども、青年、成人、未婚者、既婚者、壮年、中年、老人、死者というそれぞれのカテゴリーに区分される。その一定の役割を果たすことが期待されている。そして、犯罪を犯せば罪人になる。それでも成人であるか未成年であるかで違う扱いを受ける。それは本人が自覚していようとしまいと関係がない。ただ社会の側からは、ある人が、成人か未成年か、未婚者か既婚者か、金持ちか貧乏人かでどう対応すべきかがはっきりしていなければ困るのであろう。 ・差別化が行われやすいのは、その方が社会が理解しやすいからでもある。欧米でも身分社会がなくならないのは、そういう長い歴史があるからでもある。ケンブリッジとオックスフォードはイギリス社会ではその違いを誰でも知っている。 ・へ2・・・日本でもその拠って立つ存在で多くの人たちのライフサイクルが決められていく。ペットの猫のようにただ食べて寝ているだけではなら、こういった区分は必要ではないだろう。人間である限り、なんとなく年を取りあるとき死んでいるのが発見されるというのではないのだ。社会の中で、一人の人間として、なんらかの役割をはたさねばならない。それがその社会的地位に相応しい行動をしないと世論の厳しい反発にあうことになるだろう。まさに安倍晋三首相の今回の行動はそれに当たるだろう。いずれ退陣に追い込まれることがわかっているのに本人がそれを無視しようとしているように見えてならない。
2017.07.30
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・案外自分が莫迦ではないと思うほど利口でもないのだろう。大抵馬鹿げたことでくよくよもしている。何とかなるのに何故そう早く死にたがるのだろうか。 ・へ2・・・せっかちなのどうやら狭い国に生まれた所為もある。先を急がないとバスに乗り遅れると思いがちだ。下手をすると本当は自分は何をやりたいのかが分らなくなるものだ。何でこんな会社に自分がいなければならなのだろうと思ってしまう。これは食うためであるが、勿論拘束されているわけではないが、職場を替わるとすれば厄介な目に遇うかも知れないと思ってしまう。結婚だって性格が合わなければ離婚すればいいが、それも簡単に確信が持てることでもない。相手が悪いのではなくて自分の方が性格が悪いのではないかと考えたりする。要するに考え過ぎなのだが決断ができないまま、ずるずると時間だけが過ぎてしまう。 ・他人の迷惑をかけない自分の優柔不断ならまだ許せるが、ことは他人を巻き込むことが多いだろう。好かれてもいないのいつまでもペアを組んでいる相手が可哀そうでもあるだろう。何も嫌なことをつづけることはない。 ・へ2・・・太宰の昭和15年の作品を読んでいた。書いてあることが解るだけに小説はばかばかしいと思ったりする。目先のことにくよくよではないだろうか。太宰の作品がなくてもひとは無関係に彼の作品で描かれている世界をのうのうと生きているし、生きていくのだろう。彼の悩みは何なのだろうか。虚構という幻想でしかないのだろうか。ただの思い上がりの作家でしかないだろうか。それは青年にありがちな衒いでしかないのだろう。 ・目先のことにくよくよしているように見えるだけではないだろうか。ひとはもっと深刻に生きているのではないか。 ・へ2・・・本当にそうだろうか。これまでそうではないかと考えていたが、違うかもしれないと思うようになってきた。現実がもっとおおらかではないのだろうか。
2017.07.30
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ローテンブルク観光 ローテンブルクはやはり一入のこと感慨深い思い出になった。若くして亡くなった元同僚の旅行好きのOLが、旅の記念にこの古い町のガイドブックを記念にくれたのを大事にしていた。一度見たいとは思っていたが、二度ほど出かけている。 寒いだろうと防寒服で出かけたが意外と暖冬で快適なツアーになった。ローテンブルクではフリータイムがあったので、妻と二人で白ワインボトルを買って、半日散策することができた。誰もいないベンチに座り、その友人の話を妻と語り合った。彼女は余程ローテンブルクが気に入っていたらしい。「一度行ってみたら」と薦められてもいた。短いツアーの日程の中で、奇跡のような素晴らしい時間だと思った。そして、そのかけがえのない貴重な時間を、彼女が私たち夫婦にプレゼントしてくれたのではないかとさえ思えた。(ハイデルベルクのクリスマスマーケットで買ったグリューワインカップで乾杯した) 思いがけず日本人らしい若い女性がいたので声をかけたら、町の中で画廊を開いている画家の奥さんだった。この町で数年間暮らしているといわれた。私たちの歩いてきた市壁の外の散歩道を訊いて、昨日は靄がかかっていたので周囲が見えなかったが、今朝は晴れて良かったですねと喜んでくれた。心優しい日本人が母国から遠く離れたローテンブルグの美しい自然のなかで暮らしていると思うとうれしくなった。そしてこの町には他にも日本人が十数名暮らしているとのことだった。 ローテンブルクは、中世の宝石と称されている。タウバー渓谷の高台にあるこの町は、おとぎ話のような美しい町だった。
2017.07.30
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シドニー・心がどう動き、人間がどのように学び、成長し、文化がどのように進化するか、新しい進化論で説明が心理学を変えるだろうか。 ・へ2・・・ミームは概念をもつものを情報の適応進化という形でまとめて議論できる非常に便利な概念である。識別ミーム、戦略ミーム、関連づけミームに分類できる。ミームの進化には人類の本能が深く関わっている。人間の本能に訴えるミームは、そうでないミームより、うまく自己複製しながら拡大する。人類は遺伝子の複製をつくるために存在すると考えられている。これを利己的遺伝子と呼ぶ。 ・ブロディは進化の本質を次のようにいう。 「進化は物事がいかに複雑になっていくかを記述する科学モデルである。進化には信頼性をもつ複製と改革が必要である。 ・信頼性が高いと変化がない(改革が必要) ・信頼性が低いと、もともとの性質が失われる(信頼性のある複製が必要) ・因って適応性は複製されやすさであり、適応性が高いものは複製される機会が多い。 ・遺伝子の立場からいえば、人間はただ遺伝子を生み出すための道具である。進化は生命体が進化するのではなく、遺伝子が進化するのである。」 ・ミームの進化は、私たちの心が考えや行動の複製と改革に優れているために起こり、ミームのコピーをつくるために存在している。心だけでなく、都市や国家も、テレビなどもミームの複製のために存在している。従って、ミームの進化の方向性は、より文明化され、より思いやりのある社会へではなく、単により多くのミームの複製がつくれる世界へ、である。あるミームが人類のためにあるかどうかは、関係がないのだ。ファシズムはミームによって拡大した例であろう。人類のもつ危険な側面でもあるだろう。
2017.07.30
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よく英国の「身分社会」といわれる。それはある意味で中国も戸籍制度で色分けされる身分があり、また違った意味でアメリカにも、日本にも、世界中で広くステータスによる格差や差別がある。 ・へ2・・・国によってかなり社会システムが違い。ひとことで表現できないが、明らかな階級的な差別もあるが、それとは違う曖昧なものも多いだろう。かっての日本もそれに近かったかもしれない。みな自分たちは「中流」だと思っていた。今は少し違う社会になったと感じている。それこそ下層社会が形成されつつある。 ・一つの社会が、国民に期待している役割が個人一人ひとりにはある。封建社会ではそれを日本では「分」といった。所謂「分」を知らないものは場合によってはその社会から排除された厳しい時代があった。それが徐々に崩れてきたが、時代によって逆行することもある。それはヒエラルキー社会を意味しているが、官僚社会を指すこともある。 ・へ2・・・社会制度が違っても、中国や韓国や或いは日本でも同じことだが、厳しい大学の受験による選抜制度がある。それは学力テストによる最もシンプルで安易なやり方であるがそれがまだ使われ、より分けの役割を果たしており、それがそれしかないと信じられてもいる。メリットだけが主張されその弊害が調査されたことはない。本当にそれでいいのだろうか。それしかないのではないかもしれないと識者たちは疑問をもちだしている。 ・誰がどのような目的でそのシステムを利用するかによって随分と違うものにもなる。再チャレンジが可能かどうかもあるだろう。学歴社会がもたらす不幸は多い。それは上流社会が、あるいは経済社会がヒエラルキーを維持するために造り出したシステムだからだ。少数のエリートを創出するためでもある。 ・へ2・・・文筆家が、そのヒエラルキーを維持するために奉仕することが前提条件で、「有名作家」という肩書を得ることができた。だから日本文学では落ちこばれた作家たちも多くいたのだろう。それらは「自分の恥辱を告白しているもの」と看做されるに過ぎなかった。その社会が個人に求めた生き方をせず、役割を果たしていないと見たからでもある。排除されたのだ。それは、広い意味で現代もそれが言えるだろう。その社会的ステータスがないものがそれに相応しくないメッセージであるかが吟味されるのだ。それは誰によってであろうか。それはケース・バイ・ケースで違うのが常だ。 ・ということは、このブログも自身の恥辱を告白していることになる。恥を知らないのだろうか。世の中にもっと恥を知らないやつがいるが、それが許されている社会的ステータスがあれば許されるのだろうか? >ハイデルベルク大学周辺。やや中央の遠景にハイデルベルク城が見える。やっぱりドイツ旅行記をかこうかなあー。いつもためこんで腐らせてばかりいる。でもまだ脳の神経回路に残っているものもある。 P.S. 中学生のとき、一度書いたけど、後に初代かどうかは知らないけど県の美術館の館長になった校長から褒められたことがあった。別に褒められることをしたわけではないのだけれど、兎に角一心不乱にひとの顔を描いていたが、私はその線が決まらずに真黒になるまで、線を書き直していた。知らないうちに先生は後ろで見ていたらしい。「プロも迷いながら何度も線を描くのだ。君はセンスがいいよ」と肩を叩かれた。それだけだが、その意味を自分なりに何度も考えてもきた。
2017.07.30
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司馬遷の家は周の時代から王朝の記録を司る家系で、彼の父の代に、再び漢王朝で同じ官職をえた。そういう先祖代々の職業柄、ひろくさまざまの土地をまわり、記録をとっていたのだ。彼の旺盛な好奇心が「史記」という創造的な大書を書かせたのだ。 ・彼は史官として王朝の正当性を代弁しただけではない。忘れてならないのは興味ある人物を「列伝」の形で書き遺したことだろう。史官としての役割を解放されたとき、人物の描写はのびやかであるという。 ・へ2・・・司馬遷は前にも書いたが去勢という屈辱的な刑を科された人物であったという。そこに何があっただろうか。他人には想像することのできない苦悩があったはずだ。その屈辱を耐え抜いたとき、彼は大きな可能性を手に入れたのではないだろうか。もし司馬遷が日本に生まれていたら、どんな作家になりえただろうか。
2017.07.30
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・歴史の研究法には三段階がある。一は史料の部分的復原、二は比較研究或いは分類的研究、三は総合的研究だ。 ・へ2・・・その古典的研究法によれば、未だ第一段階、ワン・ステップでしかない。恐らく「三」のステップはジャンプにはならないだろうし、あの世になる予感がする。日本人の祖先も、遠くに遡れば騎馬民族の時代があり、僅かでも遺伝子が残っているだろうか。 ・何か忘れてしまった記憶があるのだろうか。乾燥地帯を生き抜いたエネルギーとは・・・、其の欠片でもあればバミール・チベットの高地、天山・アルタイの山脈を歩いてみたいね。 ・へ2・・・高山から氷雪が流れ下るタリム河、イリ河、チュ河などが大小のオアシスが造り点在する。ウルムチ、トルファン、クチュ、コータン、カシガル、クルジア等のオアシスがある。僅かな人たちだが、「遊行聖」が日本にもいたのだ。 ・「何をくよくよ川端やなぎ」なのではないか。明日に待つ敵は、少なくとも農耕民族ではないだろう。天を駆ける「遊牧騎馬民族」たちとの争いになるだろう。けちな知識で闘おうとすべきではない。 ・へ2・・・そうかもしれない。何が価値があるか、さえ分からないでいるのは、まだ第一段階でしかないからだろう。これから先が延々とあるのだろう。一つのオアシスに止まるべきではない。先を目指すべきなのだ。
2017.07.30
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・遊牧騎馬民族国家としての「突厥」(トックツ)は突厥文字をもっていた。江上波夫「騎馬民族国家」。 ・へ2・・・ビルゲ・カガン、キュル・テギンの両碑には、ひとしく「上に蒼い天、下に闇い地が形成されたとき、そのあいだに人の子(人間)が生まれた。その人の子の上に、われらの祖先ブミン・カガンとイステミ・カガンが王位についた。王位について突厥の民の国家を組織し、法律を定めた」とあるという。三蔵法師は「カガンは狩猟などを事とし、兵馬がはなはださかんである。・・・」と記している。 ・騎馬民族国家は興隆するのも早いが没落も急激だという傾向があって突厥の歴史もほとんど二世代おきに激しい消長を繰り返した。カガンの位は終始阿史那氏によって継承されている。 ・へ2・・・「人にして神、神にして人たるの天子」だという思想だ。これは日本的には、現御神(あきつみかみ)・天皇(すめらみこと)の思想と共通している。刑法がある。 ・謀反人、殺人者、他人の妻を姦したもの、馬具を盗んだものはみな死刑。 ・性的犯罪者は去勢してその腰を斬る。 ・他人の娘を姦したものはおもく賠償させたうえ、その娘をめあわせる。 ・手足を折ったものは馬をだし、馬や穀物を盗んだものは、おのおの十余倍の罰金。 ・死者に対しては、屍体を天幕のうちにとどめ、子孫および親族はおのおの羊や馬を殺して天幕の前に並べ、その周囲を乗馬して七度廻り、天幕の入口にきて、ナイフで自分の顔に傷つけ、血涙をともに流して、慟哭すること七度に及んだという。ついで日を択んで、死者の乗馬、服用したものをとって屍骸とともに焚き、その余灰を収めて、時を待って葬るのだ。 ・何とも羨ましい葬儀だろうか。 ・へ2・・・彼らは「戦場で死ぬことを重んじて、病死を恥じた」勇敢な騎士でもあった。世界観は違うとしても、それは潔い生き方ではある。
2017.07.30
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瀬戸内海 ・家永三郎「検定不合格 日本史」では、日本国家の成立はどう描かれているのだろうか。 ・へ2・・・「4世紀後半までに、大和盆地に起こった一小国家の支配者すなわち皇室の先祖によって全土が統一されることになった。その経過についてはほとんどわからない」と書かれている。「また国内統一の余勢をかり、4世紀の後半、朝鮮半島南部に進出し、弁韓を領土として、ここに任那日本府を置いた」とある。どうも曖昧な表現である。 ・少なくともアバウトでしかない日本史でしかない。どれだけ長くなろうと公正な「一次史料」公開すべきだろう。それを一つ一つ地道に事実を積み上げていけばいい。自分たちの国の存立を知るのは物事の評価を決する基本的なデータであろう。 ・へ2・・・日本史だけ見るだけでは主観的になってしまう。中国やその他の国ではどう見ていたのだろうか。その視点も需要だ。そこには血が流されたはずだし、当然厳しい現実があったはずだろう。
2017.07.30
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・古墳時代は日本の原史時代と言える。大和朝廷ができ、文字や記録を持つようになる。そして、江上波夫の日本人の「騎馬民族説」がある。 ・へ2・・・確かに東南アジア系の騎馬民族が、先ず南部朝鮮を支配し、やがて北九州に侵入して、さらに畿内進出して、大和朝廷を樹立しのではないだろうか。誰が考えてもあまり違和感のないところだろうと思う。もう少し江上説を読むことにする。この時代の研究には明治時代から、一は記紀・伝承を中心とした民族学的・歴史学的研究、二は考古学的研究、三は中国史にみえる当時の東アジアの形勢と、日本・朝鮮の情勢を中心した歴史学的研究のアプローチがあろう。 ・日本国を創建したという崇神天皇は、天神(外来民族)が、南部朝鮮から北九州に移動したときの立役者なのか、それとも北九州から畿内に進出したときの立役者なのか、江上は、要するに、任那すなわちミマナの語源はミマで、そのミマnim(主君・王の意)の転訛。そうすると崇神天皇の居城のあったところがミマが、南部朝鮮の任那であったと解釈可能だ。任那が日本の肇国の天皇の本拠であったのだろうか。そこを根拠として崇神天皇を主役として天神が北九州に進撃し、ここを占領したのが、いわゆる天孫降臨の第一回の日本建国であった。そうして「旧唐書」の「日本旧(も)と小国、倭国の地を併(あわ)す」と一致する。 ・では、北九州から畿内に進出した時の、第二回の日本建国の立役者は誰だろうか? ・へ2・・・江上によれば、たぶん応神天皇だという。大和朝廷を創始したおおだてものだったというのが水野祐・井上光貞らの推定だ。江上も肯定している。古代史のアプローチはこれからだ。 ・これからどこに行くんだい。
2017.07.30
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・足りたものなどないのであって、まだまだ知らねばならんことばかりだろう。私たちの受けた教育システムは充分ではない。 ・へ2・・・望むべくもないというべきか。自己責任で背負わねばならない。潰さればそれまでなのだ。うんうんいいながら生きていかんばならない。誰もが耐えている。中国もわかなければ、朝鮮半島も分かり難い。まして台湾もある。それぞれのニッチを得ようと必死に生きているだろう。それがどれだけできるだろうか。忍耐がつづくだろうか。図り難い現実にとまどってもいるだろう。何が待つのだろうか? ・積まれていく課題に辟易しているのではないか。まだ多く足りない。 ・へ2・・・段々重く苦しくなる未来だろう。それを撥ね退ける力があるかだろう。遊行せよ。権力や権威に頼るものは何もありはしないのだ。記述された裏を読まねばならない。真実は書かれていないものばかりだろう。うその海を渡らねばならない。 ・どこまでもつづいてはいない。万里でしかない万里の長城でしかない。復員は4mしかない。遺物は人工衛星からでさえ見えはしない。
2017.07.30
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・5世紀の初めころから、朝鮮半島から人々がぞくぞくと日本に渡ってきて、大和朝廷国家に帰化し、いろいろな技能や知識を伝承して、古代日本の経済的・文化的発展にひじょうな貢献をしたことは間違いではないだろう。 ・へ2・・・集団移民はどうして行われたのだろうか?彼らは日本に定住して、大和朝廷に仕えたが、特異な集団的存在を続けた。しかし渡来人たちは、強い血縁関係で結ばれた閉鎖的な結合体ではなかったようだ。分化・分裂をした。集団移民は5世紀から7世紀にわたって断続的に行われたらしい。その規模は決して小さくはない。古来の史籍にあらわれたものでは畿内の約30%に及んだともいわれている。この比率は、地方の農民層ではずっと低くなるのは違いないが、大きな数字であることはいえる。それだけ大きな影響力を与えたのは確かだろう。大和朝廷国家における渡来人の存在は、それ自体がその特徴を示すものであっただろう。 ・農耕民族国家が、集団移住を許容し、長期にわたりその存在を可能にしたのは、外国人の傭兵をもって外敵を防衛する意図があったのではないだろうか。 ・へ2・・・しかも騎馬民族国家では、しばしば集団移民の事実は普遍的な現象であったのだ。彼らは自給自足が不可能で、略奪と交易などを通じて、つねに外界への依存度が高く、経済的・文化的に外国人を利用するのを建前としてきただろう。その形質が歴史上にも現われているのだ。
2017.07.30
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アオサギ ・民のふえるさまを草にたとえていう語。たみ。人民。あおひとぐさ。と広辞苑にある。 ・へ2・・・ふと「民草」という語が浮かんだ。これは多分かなり高いところからイネの生育していく様でもみながら思った人もいたのだろう。その実りは豊穣のシンボルでもあった。環境をさえ整えてやれば間違いなく収穫できただろう。多くが不安定な時代に為政者にとってそれは信用のおける少ないなかのひとつでもあっただろう。水を与え、防虫しなければならなかった。手間のかかる収穫でもあっただろう。農耕民族は戦闘は日常ではない。 ・夜明けを待っている。未だ九州では5時が近いというの外は暗い。しかし関東ではもう明るいだろう。日照も一様ではない。この狭い国土でも日照時間のタイムラグがある。当然環境に影響されて多少性格も違うかもしれない。 ・へ2・・・与えられた環境と個性で一人一人違うが、似たような形質もある。もう民草にたとえられるような時代ではないが、遺伝子として残るものもある。自分では気づかないが潜在的な意識とはそうとう根が深いだろう。自分の二つの目は、目の前にあるものしか信じようとしないのはそれが即自分の生命にも係ることだったからだろう。 ・5世紀ころから朝鮮半島からどっと渡来人たちが集団移動してきた。そして多くのものを伝えたのだろう。土着の人々は彼らを必要としたのだ。それは外圧から身を守るためでもあった。騎馬民族の末裔の血が必要だったのだ。 ・へ2・・・長い目で見たら、無駄なように思えることもよくみるとそうしなければならなかった理由があったこともわかってくるものだ。因果関係があるだろう。私たちは、個人という殻の中でしか物事を理解しない。それこそ天皇のように高見から民草をみることはできなかった。しかし「民草」という語は、確かに現在も私たちの脳裏に残っている。前にも書いたが、今ほとんどのイネは改良されて、背か高くならない。水と防虫剤がないと生きていけないと思えば少しイメージも変わってくるかも知れない。高見からみれば皆同じようなイネであろう。
2017.07.30
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・いつも離れられない現実がある。どうやら空想や想像力では足りないらしい。黙々と牛のごとくという作家がいた。牛には到底なれない。豚にもなれないし、雌豚の息子になぞ、なりたくもないが、もしかすると、そう言われることはあったりするかもしれない。 ・へ2・・・自分を差別主義者だとは認めたくはないだろうが、厳密に分類されたらどうだろうか。そういうチェックを受けたことはないし、受けたくもないが、客観的に見て身分社会で生きていることは間違いないし、汚染されてもいるだろう。日常はそれほど面白くもなんともないのだろうか。自己撞着しているだろうか。 ・腐っていく果実を止めることはできない。どこかの首相が、「・・・の果実(法定果実)を皆で分配する、云々」と高らかにいっていたが、誰も信用しなかったようだ。もう愚衆政治は通用しないことを、国家のリーダーは気づいていないらしい。その政党はこんどの選挙で大敗した。 ・へ2・・・愚かなのはどっちだろうか。それでも単純ではない社会の現実がある。何かを間違えると、瞬く間に公正さを見失うだろう。そして自分さえ分からなくなる。どれだけ学んだところで答えなどないのだ。書籍は、未来を語るが、仮想でしかなく、過去は過去でしかない。小さな勇気という友人をつくって行くしかないのだろう。今日も猛暑の予報が出た。
2017.07.30
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