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・スタートは、単細胞の原核細胞という原始的なバクテリアである。・生命の条件 ・独立した存在 ・自己維持ができる能力 ・自己再生産ができるシステムをもっていること。・ダーウィン 以前は、神に似せて人間は創られた。 以後は、自然のメカニズムや機構を調べるだけ真理はない。 生命の誕生は問題ではない。この世界は、既に生命で満杯だ。・生命とは、奇跡かありふれたことか。・1953年 シカゴ大学院生 スタンレー・ミラーが放電実験で大量のアミノ酸ができることを発見した。・1988年 ランドマーク理論。・ドレイクの方程式・・・銀河系だけで1万以上の文明をもつ星がある。・プラネット・ハンティング・・・カナダ研究チームでは、「他の恒星に惑星はない」のレポートを出した。ところが直後にスイス研究チームにより次々と発見されたが、地球に似たものはひとつもないことから、「地球は孤独だろうか」の疑問。・全海洋蒸発・隕石衝突・・・ 岩石蒸発 4000度。 略一日で地球の裏側まで覆い地表は焼き尽くされた。・生命の多数派は、「微生物」である。生命の母は、微生物か。・生物の大型化は、6億年前。大型生物:多細胞生物の出現。・全球凍結二回目(1回目は22億年前)真核細胞。・メタンの温室効果で温暖となる。・酸素・・・22億年前 1% 6億年前 20%(現在も同じ)・地球環境の歴史は、二酸化炭素の歴史でもあること。大気中の二酸化炭素は、推進物となって海底や大陸の岩石となって貯蔵される。・酸素をめぐる歴史・光合成による酸素・・・自由酸素。何故、酸素濃度は20%なのか。 35%以上であれば、山火事が頻発する。 10%以下であれば、動物の生存に大きな影響。 酸素の研究が遅れていること。全球凍結が、二回起こっており生命に与えた影響は大きい。
2017.09.30
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自閉症患者に映る世界は、異質で、まとまりがない。他人とうまくコミュニケーションができないか、全くできない。共感が欠如して、相手の身になって考えられない。「心の理論」と呼ばれる能力が低下している。自分の欲求に歯止めがかからない。激情にもなる。アスペルガー症候群は、300人に1人の割合で発生するという。しかもすべて男性だ。直観に欠けるだけで知能は高く、全員が病気と診断される訳ではない。然し、彼らの振る舞いは、かなり珍妙である。決まりごとに異常に執着し、収集して分類する趣味に全身全霊を傾けて憚らない。人づき合いは苦手で、人間をネタにしたジョークを聞いても笑えないし、誰も興味のない話題を何時間も喋りつづけたり、ひとが話している目の前で居眠りしたりする。本人は平気で、他人が自分をどう考えるか意識しない。従って、アスペルガーとの結婚は、何が原因かわからないながらも、相手との関係が根本的に間違っていると言う思いが強くなる。精神科医ジョン・レイティ著「シャドー・シンドローム」でダンとスーザンの証言を紹介している。サイコパスは、冷淡、威張り屋、嘘つきで良心が痛まず、リスクを冒したがる。右脳の扁桃体に機能異常が見られ、他人が苦しんでいてもびくともしない。私たちは、田圃の中にひとりで棲んでいる訳ではない。
2017.09.30
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1815年夏、マリアンネが、ゲーテの暮らしぶりに、ずっとあとになって書きとめた。 「ゲーテは午前中は独りで過ごした。正午には、お客がなくても身なりをととのえて現れた。午後は好んでいっしょに散歩した。特に森に行き、陽気に生き生きと話をした。彼はいつも大きなナイフを持ち歩いて、小枝を切り取ったり、目についたものを地面からえぐり取ったりした。動物や植物の世界で心を引くものに注意したが、とりわけ光と色の現象、樹木のまわりの光線、青い影、日没時の色彩に注意を払った。晩は格別あいそがよく、白いフランネルの上着を着て現れ、だんだんふえて行く<ディーヴァン>の詩を最も多く朗読した。旧作を朗読することは好まなかった。・・・朗読しながら彼は感動して涙を流すことがよくあった。・・・強いワインを用意していて、10時の二度目の朝食の時、携えていた銀の杯で飲んだ。」 才能溢れるマリアンネの、つつましくひそやかに愛情を寄せていた人妻らしい視線が感じられる。 控えめなマリアンネのもてなしが、ゲーテのこころを優しくつつんでいた。 ゲーテの一日が目に浮かんでくるようです。時の流れがとまったような感じさえしてくる。
2017.09.30
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「昆虫なんか非常にちゃんと生きている。何億年もああいう生活して生きている。何も要らないわけですよね。犬猫だって、われわれよりは利口だと思えないけれど、ちゃんと生きているわけで、私は余分が人間に相当多いと思う。たとえば、お喋りとか・・・」。なんだそうだ、養老孟司のことばだ。 脳のオーバー・デザインの結果としての「お喋り」。 要するに、リダンダンシー(剰余)。例えば、言語では、お喋り。実は、哲学的な思考は、抽象的であって、結局は自慰的な行為といえるのではないか、と。 ところが、「お喋り」というのは、脳を維持する為に大事な運動でもある。寧ろ、ポジティブ・フィードバックをかけると、脳が小さくならず大きくもなってくる。器官は使わないと機能しなくなる。 脳があるから仕方ないから「お喋り」もするが、その道具の使い方が問題なのだろう。 いままでないものを若いころからつぎ込んで、その先がどうなるかを見るのが、教育のひとつの側面であり、それは、私たちにとっても、新しい試みを常に心がけることが大事なのではないか。 ・どうも最近お喋りをしなくなっている。このブログもモノトークでしかないが、弁証法がないと進化しない。
2017.09.30
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自分でもあまり面白くないからだろう。他人のことだから平気でいられるというのは、それは他人事だからと簡単に割り切っているわけでもなく、割り切れるものではないが、それでも自己保身の本能がある。都合の悪いことは忘れるという。前頭葉でさえそんな手の込んだことをする。ニュートンのSCIENCE SENSOR というコラムがあるが、これが好きで読んでいる。素人にもわかるように簡潔に書いてある。 ・点は点でしかないが、誰が何をしているか、鳥渡だけでも視えるのは嬉しいことだ。楽しい。楽しい気分というのはなくてはならない潤滑油でもある。人はいくつも自分の癒しをもたねばならない。時々滅入るからだ。ネコだって病気もするし、気を遣って活きている。それは人間よりも長い先祖をもつ所以でもある。 ・へ2・・・私の人生だって、別に長生きしなければならないような理由があるわけでもなく、生きている意味があるわけではない。産まれたからいきているのであり、或る出来事があってここにいるし、何もしなければ枯れてしまうだろうし、そこで死ぬだけだ。動くから考えるし、食べるから、更に食うために動かなければならない。当り前のことであり、孫悟空でも、沙悟浄でもない。ボケてきたが、死ぬまでは生きている。
2017.09.30
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冬季鬱もある。天候に左右される気分もある。高齢者に自殺が多いのは理由がある。3.11の仮設住宅での自殺が増えているが、身寄りのない人が多いという。将来を悲観したお年寄りが、災害が無くても問題なのに、災害というトラウマを抱えればなおさら増えると懸念されている。東北はこれから寒くもなってこの冬は重く厳しいものになりそうだ。 ・3.11のダメージは、数十万人~数百万人とその影響のスケールで拡がっているのだろう。それこそ毎日流されるテレビを見て、日本人は滅入ってしまう。被災者の痛みを共有しなければならないという気持ちがそうさせてもいるが、逆宣伝もされる。日本が世界に与えたイメージは甘いものではない。秋晴れのようには行かない。 ・へ2・・・福島第一原発が、何をしたのか。関係者にはその意味さえわからないでいたようだ。自分の仕出かしたことに気付かない経営者が、テレビの前に顔を晒していた。おそらくそんな無責任な人たちなのだ。戦前の軍人たちや戦争推進した政治家や経済人や文化人たちも、自分たちが何をしたか、自覚が無かったに違いない。歴史は繰り返される。文化レベルは、簡単には上がらない。
2017.09.30
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色んな発見があって、それが長期記憶になるまでには、相当努力をしないと、自分のものには為らない。撒き散らされているモザイクのような知識を、徒遣い。あたら才能を消耗して死んでいくしかないのが、ふつうの人生でもある。知識を蓄積しても新しい自分だけの発見。なんてことはそう簡単には出来ない。大抵他人がやっている。リンゴが落ちても、ニュートンの引力の発見まで行かない。 ・オリオン座を視ても意味が解からないでは意味が無い。漱石の「西洋の発見」が、どうして「発見」になるのだろうか。西洋は、漱石以前からは存在した。漱石は複雑な人格だったようで、素直に西欧の文化に順応しようとしなかったのは、彼の見識の高さでもあろう。それでも外来種は、在来種を駆逐しながら拡大して、漱石も現代社会の隅に押し遣られてしまったようだ。 ・へ2・・・淘汰の世界で、厳しい生存競争の中で私たちは生きている。何をするか、である。自分の発見はどこにあるか。それを知る努力をしているだろうか。どんなかたちにしろ自分次第で運命は決まる。日本の作家を縦糸と横糸の文化の紡ぎの中に見出していく発見は、まだこれからではないだろうか。
2017.09.30
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宇宙を見ていると自分の無に近い小さな存在に絶望観さえ覚えてくる。果てしなく無に近い存 在から、スタートした。白紙に近い所から来たのだから、何も知らない位置にある。その沁み のようなドットは動き出すかどうかだ。まるでパレットの中の細菌の活動に似ている。同じ場 所、同じ時間、同じことを繰り返している。そこから出て行かなければ、そこで終わるまで だ。知らないことは恥ずかしいことではない。そこから始まるからだ。恥ずかしいのは何もし ないことだろう。ミミズだって、外に出ようとしてチャレンジする。
2017.09.30
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ウイルスは地球上に生命が誕生した時から存在していると考えられる。ある意味では、生物進化のパートナーでもあったと専門家はいう。エマージング・ウイルスの出現とは、ウイルスが人間を攻撃しているというよりも、人間がウイルスのすみかを荒らしているのではないかという。森林伐採や人口増加による自然破壊が、奥深い森林に生息しているサルやネズミ、蝙蝠などを自然宿主にしていたウイルスを否応もなくその封印を冒したためではないか。人への過剰な被害意識がある。科学者はエマージング・ウイルスの根絶は不可能だという。ウイルスは非常に多様性があり適応能力が優れており、生態変化に応じて変異してしまうからだ。相手にしてはウイルスは強敵過ぎる。 ・全面戦争をしても人類が勝つとは限らない。ウイルスは地球に生命が誕生してから生き延びている生物である。病原菌は強くても、空気感染しないものであれば、対策を間違えなければ不用意に怖れることはない。日本でエマージング・ウイルスが出現する可能性は薄いとしても、これだけ航空機の交通網が発達した中ではいつでも日本に入ってくることが考えられるが、不測の事態に備えておかなければならない。 ・へ2・・・敵を想定して、それを潰そうとばかり考える発想は危険だし、時にはそれが致命傷になるかも知れない。人類は万能ではない。強敵を惧れることは当然のことであり、共生、共存の道を模索する努力を忘れてはならない。人類とウイルスの闘いは、相手の存在を確り知ることから始まる。
2017.09.30
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読書を人生にともにするのは、相当の努力も要る。安易な友なら、それだけのともだ。厄介でしんどい相手の<とも>もいる。強がっても年齢には勝てない。60歳を過ぎるとどんなひとも脳の委縮と闘うのだ。学者となれば、殊にそのことを強く感じるに違いない。利用価値のないものは棄てられることを一番知ってもいるからだ。他人を莫迦にしていたことが自分のことにもなる。 ・立場がかわれば物事を視る目も変わってくる。上に立つものがどういう目線で下を視ているか自分でもわかるだけに余計腹も立つ。よくしたもので世の浮き沈みはある。祖先の恩恵も3代といわれるのは、そうして社会は活性化してきたからだ。働くことの意味を教えている。動かないものは結局は損をするのだ。世にあることは反対に視えるらしい。 ・へ2・・・祖母が口癖のように言っていた言葉が脳裏にあるのは、幼児体験になっているからでもある。ことばを覚えた頃の言葉でもあるからだろう。何を言っているのだろうとぼんやり聴いていたが、今頃になって、思い当たる節がある。ばあちゃんは、私に教えていたのだ。読書が中々人生の友になってはくれないが、昔のことわざが、いくつも頭に残っている。これも<とも>のひとつなのだろう。外は雨である。雨も<とも>かもしれない。
2017.09.30
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和白干潟から見た志賀島(約10キロ)。娘たちを視ているとはらはらする。俺も昔はああだったのだろうか。他人にどうこう言えるほど利口でもないが、遣り方はいくつもあるし、努力のしようでは活路もあるに違いない。しないからできなくもなる。ぼんやりしているのは危機感が足りないのだ。自分の出来る範囲はそうあるわけでもないから、それを確実に熟して行けば好いだけだろう。どんなにやってもアクシデントはあるし、病気もする。努力は報われるとは限らないが、遣っただけの意味は必ずあるだろう。 ・人生を徒にしたことはない。徒に終わったものはあるが、その努力は他のことで報われたに違いないのだ。作用と反作用がある。化学反応でしかないこともあるが、人間は機械ではない。当り前にからだを動かしてもどこも痛くもかゆくもなかった若い頃が、一番いい時だったのだろう。何を食べてもうまかったし、モノさえ愛したし、誰でも好きになれたのだ。 ・へ2・・・人間として、後悔のない人生はないに違いない。皆欠陥をもちどこかで間違いもしたに違いない。ひとは、なにかにであい、そこで自分を試されている。そして死んでいく。自分に与えられた生命を、自分で守るしかない。神がいようといまいと、それは自分の心に訊けばいい。若い頃の愚かさを多く持っている人の、老後の楽しみだ。
2017.09.30
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小さくするから小さくなる。大きく広げていかなければならない。小さい国だから、大きくなろうとして努力している。ミクロはマクロより奥行きがある。脳はブララックボックスではなくなりつつあるが、未知の世界であり、そのスケールは、半端ではない。ことを小さくしようとして、本腰を入れて取組もうとしないから、ことが遅れている。3.11で目立つのはその点だろう。 ・この小さな島国を守れないで、国家はない。崩れやすい山にしたのは人間たちではないか。自分で墓穴を掘っている。博多湾も海底にはヘドロが堆積しているという。何故そうなったのか、理由は解かっている。目先の利益を求めたからそうなったのであり、和白干潟もあとどれだけのこるのだろうか。いずれ九州も砂漠になるかも知れない。日本列島さえなくなる日が来るかもしれないのだ。そうなって慌ててもあとの祭りだ。 ・へ2・・・何でも切り刻んで小さくしている。社会は分析ばかりして、総体を視ようとしなくなっている。人間もパーツにしている。一部のことばかり気にして、その一部を手術をして、成功しても、患者は死んだになる。被災者ばかりに目が行き、日本人は死んだにもなる。なにが本当は必要かが、解かっていないのではないか。細かくばかり見ようとして、総体を無視している。
2017.09.30
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小さくするから小さくなる。大きく広げていかなければならない。小さい国だから、大きくなろうとして努力している。ミクロはマクロより奥行きがある。脳はブララックボックスではなくなりつつあるが、未知の世界であり、そのスケールは、半端ではない。ことを小さくしようとして、本腰を入れて取組もうとしないから、ことが遅れている。3.11で目立つのはその点だろう。 ・この小さな島国を守れないで、国家はない。崩れやすい山にしたのは人間たちではないか。自分で墓穴を掘っている。博多湾も海底にはヘドロが堆積しているという。何故そうなったのか、理由は解かっている。目先の利益を求めたからそうなったのであり、和白干潟もあとどれだけのこるのだろうか。いずれ九州も砂漠になるかも知れない。日本列島さえなくなる日が来るかもしれないのだ。そうなって慌ててもあとの祭りだ。 ・へ2・・・何でも切り刻んで小さくしている。社会は分析ばかりして、総体を視ようとしなくなっている。人間もパーツにしている。一部のことばかり気にして、その一部を手術をして、成功しても、患者は死んだになる。被災者ばかりに目が行き、日本人は死んだにもなる。なにが本当は必要かが、解かっていないのではないか。細かくばかり見ようとして、総体を無視している。
2017.09.30
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オリオン大星雲まで、1,500光年離れている。冬も代表的な星座でもある。少し目が悪くなり、裸眼でみつけるのが少し怪しくなったが、それでも、三つ星を探してしまう。その近くには四つ星がトラベジウムといわれる赤ちゃん星だ。やがてM45のような散開星団として見られるには、まだ随分と先の話になる。ヒトの本性とは、ダーウィンのいう「普遍性特性」とゴールトンのいう「遺伝」と、ジェームズのいう「本能」と ド・フリースのいう「遺伝子」と、パブロフのいう「条件反射」と、ワトソンの「連合」と、クレペリンのいう「経過」と、フロイトのいう「形成期の経験」とボアズのいう「文化」と、デュルケームのいう「分業」とピァジュのいう「発達」と、ロレンツの「刷込」と・・・ひとつでも欠けると、ひとは自由になれない?
2017.09.30
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和白干潟 アオサ「食べる、生きる、楽しむ」秘訣はあるのか?ヒントはあるという。女子大の秋季講座が始まった。6回シリーズで、2回ずつ講義がある。今日は「食品の安全と安心」と「食品成分のはたらきと健康維持の考え方」。二人の講師は、食品衛生化学と食品科学の専門家。40歳と30歳代の若手の研究家だった。若い先生たちから、「食」について秘訣など学ぶというのも、時代なら出はだろう。 ・食品の安全性についてリスク分析から、生肉を食べると危険。新鮮だから生でも安全ではない。タレントで女優のギラン・バレーシンドロームの事件がある。カンビロバクターが原因らしい。同じものを食べても、保菌者に為るだけの人や、軽い下痢で済む人がいるが死者も出るから怖い。食の難しさは、年齢や、体調や、生活習慣でも相違する。保菌者が知らないで細菌をばらまいていることもある。 ・へ2・・・「放射性物質と食品」の話もあった。如何に、WEB などで安線情報を得るかもある。サイトをいくつか紹介された。後半は、老化の予防について。世界の平均寿命は男性は、66歳らしい。女性は70歳。何故女性は長生きなのだろうか。「筋肉の維持」「骨の強化」「充分な休養」と食品由来抗酸化成分だそうだ。「死ぬまで元気で暮らす」ことが理想ですとのこと。異存はない。
2017.09.30
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・いつか肺機能が止まり酸素を取り込むことができなくなる。時計の針が止まるだけだが、それまでは ego-based の組織化がある。勿論 ancestor-based 組織化という。これは祖先を中心として成り立つ descent group でもある。これを明確に認識しているものを「リニージ」共通の始祖の子孫であることが伝承されているものを「クラン」という。リニージは土地などの保有体を意味し、クランは内部での婚姻が禁止されたりするタブーを共有したりする>。 ・へ2・・・段々と自己を基点とした周囲の人々を知りたくなるものらしい。それは組織化された一定の範囲の親族・姻族であり、文化人類学では、kindred という。日本でいえば、「シンルイ」の一種。生きている間はこの柵に縛られているが、それが無くなりつつある。なくなるのは仕方がないにしても、どこまで自立できるかだろう。ただ飛び出せば何とかなるものでも酸素のないところでは生きていけないように、私たちの世界にはルールともいえるものがある。それは自分と他者との境界でもある。そして時に、権力は圧殺者にもなる。 ・日本では「同族」「家」がある。あったというべきか。それは因習であり、固定観念でもあったが、構成員たちの生命を守っても来たのだ。冠婚葬祭における交際や、祖先祭祀の共同や、家格の上下差などは完全に消滅していないのは、それに内面では頼っているところがあるからだ。 ・へ2・・・私たちの日常は昔とは大いに違ってきている。それは確かだ。だが違わないものはある。そこに回帰しないまでも守るべき何かを知るべきだ。それでも、私は最後の息が消えるまで自分でいたい。
2017.09.30
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陽が傾いてきましたが爽やかな風が吹いて気持ちがいい。庭に野良猫たちが寝転んでいる。あっという間に野良猫が増えてしまったが、その要の母猫が死んだので、この状態は長くは続かないだろう。母猫の子どもたちが5匹いるが、家猫が1匹と、オス猫たちもいる。2代目の仔猫が3匹で、もうサイズは大人と同じくらいあり、3台目が2匹で、まだ1カ月くらいでしかない。猫たちは、妻が夕方、帰宅するのを待っている。 ・午後6時前後に妻は帰宅するので、それを待って猫たちが集まってくる。勿論餌を食べるためだ。私は遣らない。2代目たちは随分妻に慣れたようだ。猫が人間に慣れるまでには時間がかかる。そして3代目の仔猫たちはまだ人間に近づくことを知らない。餌を食べなければ死んでしまう。猫の活き方から学ぶものはあるようだ。 ・へ2・・・母猫は、2代目たち3匹を、自分の縄張りから追い出そうとしていた。3代目が産まれたからだ。子別れがある筈だった。それが母猫の死で状況は一変してしまった。人間と猫の世界では、ルールも違っている。それでも生存競争という側面から見ると、誰が残るのか。猫は家に付くという。そうではなく、もっとリアルな現実だろう。
2017.09.30
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・最新の化石記録によると、過去最大の絶滅は2億5000万年前のP/Tr 境界で起こったとされる。この時期に海生生物の90%、陸生脊椎動物の70%、そして陸生植物の90%以上が絶滅したとされている。史上最大規模の絶滅でもたらされた異常気象は、1100万年もつづいたというのが、最新の結論である。大半の意見では、原因は火山活動である。 ・へ2・・・その激しさはそれまでになく、それ以後、現在にいたるまでない。しかし異変が一度始まってしまうと、温暖化は地球的規模で拡大し、陸と海の生命体への脅威となる。私たちが何も手を加えなくとも自然に、地球は冷蔵庫から温室に変化しようとしている。そのサイクルはとても速くて数1000年単位になった。 ・とても眠れそうにない話だが、もっと恐ろしいのは人類が変化のサイクルに及ぼす影響の大きさではないだろうか。 ・へ2・・・直径20キロメートルの隕石がメキシコ南東部のユカタン島沖に落下したために地球史上最大の物理的な危機を招いた。そこが浅い海であったためにより大きなダメージになった。もし落下地点が深海であったらまったく異なる展開をしたに違いない。偶然がもたらす結果の違いは計り知れない。わずかの違いが時に生死を分けることになる。
2017.09.30
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「街歩き」というのは、何か大きな悩みごとがあって彷徨するときとか、何かを新しい感情で眺めたいと想うのかも知れない。梶井は例えば道端に落ちている落葉にさえ愛着を覚えてしまう。明日のない死病だからこそいえることだ。とても若い連中に湧く感情ではあるまい。然し、そういう人間がいることを伝えねばならない。彼の才能は実に反逆の視点でもある。 ・キンモクセイを探して歩いた時、その花を新しい感情で眺めていたのかも知れないと思った。それは新鮮なよろこびと驚きでもある。家の前のキンモクセイさえそれまで気付かなかった。珍しいと思っていたものが実は平凡なものでしかなかったこともある。どこにもある花だったことも。キンモクセイとも気付かずこれまでもぼんやりと見ていた。家の前に20数年前から現に植えられていた。キンモクセイを誰が植えたのか妻が知っていた。その苗木を植えた時に立ち会ったそうだ。それは新しい公園と隣接する家の人が離婚した妻と一緒に持って来て記念に移植していたらしい。 ・へ2・・・香り立つキンモクセイに、そのひとは毎年花の咲く季節には遣る瀬ない思いがするのではないだろうか。
2017.09.30
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「殺すな」も明治の文語訳で「汝、殺すなかれ」とされているが、英語ではshall ドイツ語では、sollen が使われる。だから、「殺すな」は、実は神からの強い禁止命令ではなく、「おまえは人を殺したりするんじゃないよ」「人を殺したりしないと信じているよ」ということになる。しかし人間は殺人を犯すかもしれないという危惧が含まれている。人間の自由意思を神は完全には拘束していないといわれる所以だろう。 ・「偶像を造るな」も実は、簡潔なものではない。 刻んだ像をつくってはならぬ。高く天にあるもの、低く地にあるもの、地の下にある もの、水の中にあるものの、どんな像をもつくってはならぬ。その像の前にひれふし てはならぬ。それらを礼拝してはならぬ。おまえの神なる主、私は、私を憎む者に対 しては、父の罪を三代、四代の子供までおよばして罰する、ねたみ深い神である。し かし、私を愛して、おきてを守る者には、千代までも、慈しみを示す神である。(出 エジプト記) ・こうした厳しく禁じている神のことばがあるため、ユダヤ教徒、イスラム教徒は決して刻んだ像を持とうとはしない。偶像は徹底的に忌み嫌われるのであり、タリバンのバーミヤンの大仏の破壊も、彼らにとっては偶像破壊でしかないが、それが許されるわけではない。 ・へ2・・・キリスト教では像に向かって祈ったりするが、それは象徴だということを踏まえていて、像そのものをキリストだしているのではない。だから彼らは自分たちの行為が偶像崇拝にはあたらないとしており、キリスト教会にも神の像はないという。しかしユダヤ教徒やイスラム教徒たちの目からは、象徴として礼拝するキリスト教とその行為が偶像崇拝に見えるのだ。自分たちがアブラハムの正当な子孫だと主張するのだ。
2017.09.30
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フランクフルト市街のゲーテハウスに、やはりツアーの皆が集りました。オプションとフリータイムのグループが別れたのですが、私は、すぐに部屋に行かず、中庭を歩いてみました。手入れはされていましたが、季節外れでバラ園もさびしいものでしたが、ゲーテのいた18世紀ころから、200年近く経過しているのに、庭の中のベンチに座っていると、若かりし詩人の声がするようで、去り難さを感じました。 板張りの部屋にはいり、中を見学しましたが、歩くと軋む音が響いて、踏み抜きはしまいかと心配になるほどでした。各階には、監視員がいて、見学者の行動を見張っていました。それでもどこか若くて学生のアルバイトのようでした。隣のゲーテ博物館も見学しましたが、やっと最後のところに、マリアンネの肖像を見つけました。 詩人の部屋は、4階にありました。この部屋で、「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」一部などの初期の作品が書かれたとのことです。窓から外を覗くと向かいの建物の屋根の上に空が見えました。ゲーテもみたのでしょうか。戸のそばには、ロッテの横顔のシルエットがあり、とても印象的でした。
2017.09.30
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一般的に、男性は社会的地位を認められることに価値を置き、女性の場合は、お互いが平等な 関係にあって初めて成立する共感を大切に考えると言われる。どちらか一方だけでは、現代は形成さ れなかったに相違ない。然し、公正に機能しているとは言えないのは確かだろう。何故なら、男と女は、 それぞれの欠点を克服してはいないからだ。どちらかに傾斜すれば、忽ち歪み捩れるだろう。それが、人間 の歴史でもある。時に「共感」は障害として扱われ、「システム化」は、人々を部品化して拘束する道具でしか ない。文化的ステレオタイプ化は、人間らしさを喪失させもする。やがて活力を見失うのではないか。 そして、女性たちが、どこかに旅立とうとしているだろうか。彼女たちは母性を捨てようとさえしているの だ。何故自分たちだけが子供を産み育てねばならないかと問うている。男社会は、宗教を育ててきたが その秩序は破壊されようとしている。母性をなくした人間たちは何を絆にするのだろうか。
2017.09.30
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今朝の福岡の気温は17℃になっているが、それでも少し寒いと感じるのは、この記録的な猛暑を経験しているからだろう。気持ちが良い朝だという思う前に寒く感じてしまうらしい。つまり人の感情は、それまでの経験が大きいのだ。自分で思うことも単なる視点の違いでしかない。或るジャーナリストが中国は威圧的だというのも一つの見解でしかない。彼らは昔から中国人でしかないのだろう。そして、私たちは狭い視野の日本人らしい観念でしかない。 ・すぐに動揺しがちだ。何故悠然として居られないのだろうか。大局的な観念で事を処理できないのか。追い込まれた感じた主任検事やその上司たちでさえ、自分が何をしているのか解からなくなる。社会正義の騎手が保身のため卑劣なことさえするのだ。それこそ自分に課しているだろう社会正義の使命に反している。戦前のそれと変わらない。墓穴も掘る。「肥った豚になるな!」・・・報道で映し出されるその検事をみて思うことはある。 ・へ2・・・人の思想は、見た目ではない。然し人の精神は、体に宿るものだ。体は嘘をつかない。日常の生活態度が体の特徴にもなる。金正日の後継者と言われる人にも、何か特徴がある。それはそれですべてを評価できるものではないにしろ、体は、化学反応であり、因果律でもある。努力をすれば或る程度出来るものはできる。目的のために手段を選ばないのは、してはならないことを自覚できないからだ。それさえできない人間には、どのような社会的ステータスも与えるべきではない。それができなければ明るい未来はない。
2017.09.30
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私はどう思うかという視点は、それがどんなに次元の低いものであっても問うべきあらゆるスキルを持つべきだ。この世の中に簡単に解ける課題ない。自分がすぐに行詰るのは、私が未熟だからである。 ・どんなに唾棄すべき人間でも優れているところはある。それを知らねばならない。好人物は受け入れ易く、難しい人間もいるからだ。私たちの一生の自分の時間は、長くはない。すべてを知り尽くすほどこの世界は狭くはない。個人が生きて経験することも「プランク時代」の約10のマイナス43乗秒(よりも少なくとも) < だ。学ばねばチャンスを失うことになる ・へ2・・・愚かな人間ほど増長する。客観的真理に謙虚になれないのはその証明でもある。人間は利口でも愚かでもない。自ら求めて利口になるのであり。自ら愚かにもなるのだ。人の評価に絶対はない。最後に評価するのは自分自身でしかない。満足して死ぬか、後悔して死ぬか。それは限界内の果てしない彼方にある。 ・社会が自分に何をするかを悩むのではなく、自分がどこまでやれたかだ。与えられた課題は個々に違うのだから他人と比較することはできない。日本に生れて日本人らしくあることは何も恥でもプライドでもない。日本人としてどう生きたかだ。
2017.09.30
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俊寛は、我が身を振り返り、「女房も死ぬ、若も死ぬ。姫には一生会えぬかも知れぬ。屋形も 山荘もおれのものではない。おれは独り離れ島で老いの来るのを待っている。・・・これがお れの今のさまじゃ。が、この苦艱を受けているのはおれ一人に限ったことではない。おれ一人 衆苦の大海に、没在していると考えるのは、仏弟子にも似合はぬ増長慢じゃ。・・・」とい う。 自分の身の処遇を嘆く前に、世の中には、多くの「俊寛」がいる。 運不運をどれだけ嘆いても仕方がない。己の能力のなさをこそ嘆くべきだ。己に能力があれ ば、その地位がないからと何も嘆くことはない。時の運でしかない。 その実力もないのに、身に余る地位につくことこそ嘆くべき。さっさと自分の未熟を認めて出 直すべきだろう。いたる処に青山はある。 増長慢、常に自分を戒めることばだ。
2017.09.30
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人生は、経済だけに左右されるのではないし大金を手にすることしか考えないのが精緻な頭脳といわない。人間は、もっと政治的動物だろう。このストレス社会の現状 で追い詰められた人間の不安や苦難はどこから来ているのだろうか。おそらく世界で起こっていることは、鎖のようにひとつに繋がる病根があるはずだ。歴史の史実が 整合しないのは、させない勢力が強いからだ。然しそれでもいつか将来に対する明るい希望を持つことができる。それは、歪めているものを見出し、ただ現在のように 無思慮にサーチライトをあてるのではなく、太陽のような「やわらかな光」をあてる必要がある。自然光でみることによって、影になっている部分をも見ることもできるようになるからだ。 何よりも雄弁なのは、真実だ。世界で起きている事実を冷静にみていけば、何が間違っているか、分かる。人間の頭脳はそれくらい理解できる「精緻さ」は持っている。
2017.09.29
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講座で、酸性雨に注意すべき点の話があり、降り始めで、粒の小さい雨ほどリスクが高いということだったが、その両方に合致するような雨の中を歩いてきた。逃れようもないとはいえないがつい、無視して歩いてしまう。排ガスの多い街の中を歩くことといい、意外と健康には悪い選択をしている可能性もある。莫迦なことをしてしまう。無知だからでもあるのだろう。それだけリスクが高いので、行政は知らないふりをしているし、研究者も発言しようとしない。僅かに、知識を披歴するにとどめている。 ・進歩的な科学者が、業界から攻撃されて潰された例はいくらもある。大企業に不利益なデータを作らせない。有害な化学物質がそうして世界中にばら撒かれた。戦争では人体に有害な化学兵器が使われている。戦争屋たちが暗躍して、兵器を売っている。それを平和、平和といいながら、国家が裏で買い込んでいる。 ・へ2・・・酸性雨に濡れて歩かねばならない。多くの微生物たちが死滅しているだろう。やがて人間にもその時が来る。気付いた時は体中が汚染されていることだろう。或いは子孫の身体を蝕んでいることだろう。たとえば「血の雨」でも降らなければ解からないだろうか。
2017.09.29
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・或る意味で古い社会の中で、新しい生命が生まれているわけで、いつか衣を替えるように新しい生き方をしなければならないだろう。伝統として継承するものだけではこれからの、新たな事態に対応できなくなるときが必ず来るだろう。伝統ばかりにしがみ付いていたら生き残れないことにもなる。そこに自立した考えがないと、選択肢を誤ることにもなる。 ・へ2・・・私たちの時代が、全世界を敵に回して敗戦したという混乱期の中から出発しなければならなかったのであり、公正な世界観や、歴史観が正しく教育されたわけではなかったし、身につけるべき道徳についても日本人としての確立したものがないまま来たのも事実だろう。そのために「自由」と一緒に頼りなさと曖昧な思想を持っているものが多いのではないか。よき指導者が周囲にいないまま来てしまったのではないかという心の喪失感が確かにあるだろう。政治家や官僚、学者や芸術家が、確たるモラルもなしに仕事をしてきたのではないだろうか。そこに将来に対する危うさを感じてもいる。 ・しかし、少なくとも私たちは周囲にあるものから道具を探さねばならない。そうしかできないからでもある。それでも有難いことに、いまや多くの情報収集が手に入るようになった。道具はいくつもあるだろう。問題はその道具が使えるかどうかを確かめねばならない。意図的に流されるものがあるからだ。自立した信念を身につけて用心深くことをなすべきだ。 ・誰も障害のないものはいないだろう。ハードルは次々に出てくるものだ。それに耐えねばなるまい。おそらくある意味で直前の死に逝くものには苦悩や苦痛はないのだろう。あちこち故障があるから人間の証明だと思えば、少しは気が楽になってくる。
2017.09.29
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見る者の関心が視る相手に向けられて、こころとからだが動く。動くものは卑しいという。働かない人が貴族で、働く人たちは身分が低い時代があり、その貴族趣味が日本の文学にも影響していると思う。言葉や文字は雅の文化があった。文学も上流社会のものである。女や子供は浮世絵やかるたを見るくらいの知識であった。説話や噺家の滑稽くらいでしか知らない庶民たちでもあった。文字も中国から伝来し、支配階級の中で発達したに過ぎない。 ・貴族は視たいものしか見ないから、庶民の生活などどうでもよかっただろうし、源氏のような人もいたかも知れない。大奥もいわば仕組まれた鳥かごのようなものだ。今なら「コウノトリ」の飼育のようなものだ。日本人の思考というものは、あまり進歩がない。 ・へ2・・・直ぐにお里の知れるような文学を善しとする。ぐうたらな作家を叱らない。甘やかしもしないだけだろう。すぐに干してしまう。タレントたちも一時の慰みものでしかない。使い捨てたがる。自分の人生も一緒に捨てていることを忘れている。
2017.09.29
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ヒト脳が、宇宙と比較できるくらい広大な未知の世界だと知って思うことは、自分自身が世界を小さく見ている。そういえば、子どもの頃、遠くに見える山の向こう側は外国だと考えていた。それから、徐々に自分の世界は拡がったが、まだそれこそ「井底の蛙」だろう。生半可に知ったくらいのことで、社会が分かった気がしたりしたが、所詮針の穴からでしかない。自分の二つの目は、見ていても本当に真実を理解していない。漱石にしろ、これまで一般論で、また少し読んだくらいでもう文化の遺物ではないかと断じたりしたが、今、よく読んでみると含蓄があり学ぶべきことはまだ多くある。所詮、自分の知識など蒙昧でしかなく、「本の蟲」どころか「垢」だろう。 「汝らこころを上げよ!!」。これまで、まじめに真理を求める先人は迫害されたのだ。過酷な運命を生きてもいる。そうしなければならなかった。安易に得られる情報など大したことはない。ヒトの進化は、デッドロックを乗越えてきた。平坦な人生など取るに足りない。
2017.09.29
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和白干潟周辺断固として遣ろうとするなと言われる。強く遣ろうとするからストレスになる。ストレスは万病の 源だ。然し、適度のストレスも進化のためには必要。 最近、何かを強く思うことが少なくなっている。でも一言では言えない難しさもあ る。広く浅くが生きる上で利口なのかはよくわからない。全てに当てはまる訳ではない。 どうやら、何も思おうとしないのではないか。だからのほほんと生きている。 若いうちはまだ時間があるが、老人には時間がないというのはうそ。 心身共に「健康寿命」か? これまで役に立たないと思っていた近世の文学や、四書が面白いと思うのは、いくつも空地がある。自分なりの。 どうやら、研究しても価値がないと放置されていたのではないか。西欧流を真似しても 所詮仮想でしかない。 故郷が消去されかけている。消去してきたのは自分たちだ。消してしまえば綺麗になるが、自分た ちの存在もなくなる。それは漠然としているが、何かを強く思うことが、いま必要ではない だろうか。何かを強く思い描いてそれに向かう。 それが何であるか。 自分を見出すのには時間がかかるものだ。そして、何があろうと私も自分らしく生きている考えである。 「シキの人間が南京虫になっても、・・・・」(漱石「坑夫」より)
2017.09.29
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敦煌の洞窟から発見された中から 孟 姜 女 杞 梁 妻 一 去 燕 山 更 不 帰 造 得 寒 衣 無 人 送 不 免 自 家 送 征 衣 杞梁は春秋時代の斉の人。その妻が戦死した夫を思ってなくと、そのこころに感じれ城が崩れたという言い伝えがある。長城築城のために何万、何十万もの若者が犠牲になっただろうし、その妻たちもいた。無数の孟姜女がいたのだろう。山海関の孟姜女伝説もある。 築城の人夫として駆り出された男の妻が夫の身を案じて冬着をととのえてはるばる工事現場まで夫を尋ねたが、夫は過酷な労役のため既に死んでいた。それを知った妻は、悲しみのあまりに長城のもとで泣き崩れた。すると、にわかに雷鳴がとどろき、長城の壁が崩落し、そこから夫の遺骸が現れた。妻はその遺骸を抱いて海に身を投げて死んだ。 ・あるいは誇張があるかも知れないが、真実だろう。時代の冷酷な悲惨があり、人々には赤い血が流れ優しさと暖かい夫婦愛がある。 ・へ2・・・それこそ濃密な人間の触れ合いがあった。自然はあくまでも厳しく、圧政は過酷であればある程、人間は気高く、どこまでも崇高に成り得た。
2017.09.29
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日本の文化レベルは低いので私の暮らしも高くはない。生物は取り巻く環境に適応しなければ死ぬ。それだけのことだ。自分があわせなければ。それ以外に生きていけない。勿論自由ではない。自由であろうとする意識があるだけだ。そう考えることさえできなかった歴史がある。閉じ込められた社会はある。そして誰にも「ヘイフリックの限界」がある。 ・へ2・・・最近、テーマから大分離れている。これも蒙昧だろう。危なくなった会社で、自転車操業と言うが、商売も痒い所に手が届かなくなり、ストレスが講じて破綻する。ひとに油断があると。この世界からはじかれかねない。 ・そんなことはどうでもいい。はじかれるのは容赦はないだけだ。自分で決めることではない。社会のルールが決めることだ。用済みになれば要らない訳だがや優秀である理由はどこにもない。社会的ステータスは極端に悪くなる。囲いの中には入れなくなる。差別されても文句を言えなくなる。並ぶ列が違いもする。個人的には体調が悪くなり、運動能力が劣化している。なるほど遣わない脳は呆けてもくる。なべて人間の認識は「準拠枠」でしかない。 「 ・へ2・・・自分の知っている世界でないと生きていけないが、実際の世界は、無限大ではないが地球サイズだ。どうやら少し、自分だけのサイトでものを見過ぎている。自己流は自滅への序曲になるだろう。
2017.09.29
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どこかで約1億冊の本が現在出版されていると書いてあった。それが本当とすれば、一生個人の読む本には事欠かないことになる。良本や悪本もあるだろうが、読む価値のある本も相当あるに違いない。それと読めない言語の本もあるから、自分が必要とする書籍も限られては来る。こうなると図書館の存在は小さくはない。100万冊の本が置いてある図書館というのもある。田舎の図書館はそういう訳にはいかないし、あちこち探してみて兎に角自分の能力と体力と見合うところで図書館を利用している。大学の図書館も市民に開放してくれるようになり、努力をすれば相当読めるようにはなっている。高価な本が多い。価値はそれだけあるかどうかは知らないが、確かに高価本は多いし、高い棚の上に飾られているものもある。 ・江戸時代まで、大衆は本を読むのも身分制度があったし、以後すべてのひとに良本を読むチャンスが与えらているとはいえ、どこまでそのチャンスがあるかと言えば疑問もある。何しろ難し過ぎて読めないような本もある。それは半分自分の無学のこともあるが、市民向けではないこともある。化学者が化学記号を使うのはやむを得ないし、外国語や英語で書いてもそれは仕方がない。折角日本語があるのだから、判り易く日本語で書いてあっても好い。忙しい人が多いから手間がはぶれることもある。翻訳のレベルの問題もあるが。 ・へ2・・・何が言いたいかと言えば、いま自分で何を読めば良いのか、いつも迷っている。それは仕方のないことでもあるが、この社会は誠意を以って本当に市民に良本の読書を進めているのだろうかと思う時がある。読書を楽しめる場所があるだろうか。いつでも自分の向学心を満足させる書物が近くにあるだろうか。どうも不親切な社会ではないだろうか。昼から自転車で近くの図書館に行くつもりだ。
2017.09.29
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どうやら野鳥が飛来し始めたようです。野鳥の姿も多く見かけましたもう数十羽いるようです。白い鳥もいます。丁度真正面に海の中道大橋がみえるところが、長い護岸の堤防があって、塩浜海岸と言いますがそこを時々歩いています。 ・眺望のいいところでもあります。もう少ししたら冷たい風になるのでしょうが、今は一番いい季節なのかも知れない。歩いている人もいますがちらほら程度なので、のびのび歩けます。野鳥が増えてくれば、色んな渡鳥が見られる。これからは、此処を歩くことが増えそうです。 ・へ2・・・寒風に耐えて立つ野鳥の姿は、どこか生き物の存在を象徴しているようでもあります。この干潟で越冬して、また各地へ帰っていく渡鳥の姿は、見る価値があります。
2017.09.29
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マタイによる福音書15-17 「・・・口に入るものはみな腹に入って厠におちるのがわからぬか。だが口から出るものは、心から出たもので、これが人を汚す。つまり、悪意、殺人、姦淫、淫行、窃盗、偽証、讒言などは心からでる。これらが人を汚すもので、手を洗わないで物を食べても、人は汚れない」。 ・ユダヤ教の律法を厳格に守るという視点だけでなく、倫理の根本がどこにあるかを問題にしているのだろう。巧妙なごまかしのように見えるが、人間のこころを強調したのだろう。イエスが貧しいものに近かったのは、言行一致があったからではないだろうか。人々は圧政に苦しんでいたからだ。 ・人の生き方は、生まれた国や出自や経済などの置かれた環境で決められるべきではない。人間の真摯な志こそ尊重されるべきだ。かたちだけにこだわっていると真実を見失うと、教えている。
2017.09.29
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・ムハンマドは紀元571年ころメッカの商人の家に生まれ、40歳のときから不思議な啓示を受け、632年にメディナで死んでいる。コーランは大天使ガブリエルから受けた啓示をまとめたものだとイスラム教では主張する。ガブリエルは旧約聖書では預言者ダニエルに歴史を教え、新約聖書ではマリアにイエズスの誕生を告知したとされる。 ・岩山の洞窟の中で瞑想にふけるようになったムハンマドは、610年のある三日月の夜、突然天使ガブリエルから声をかけられる。イスラム教は三日月がシンボルだ。ある大学の記章も三日月で「未だ央(なかば)ならず」である。ルーツをたどればおもしろいことがいくつもあるのだろう。日本でも、イスラム教の研究が増えているのではないだろうか。固定観念にとらわれず、視点をかえることはこれから大切なことではないだろうか。 ・へ2・・・思うことは、真理は才能のひらめきだけではないことだろう。若いからできることでは限らない。真理の探求にはパーフェクトな環境というものは元々あり得ないのであり、必ず挫折を伴うものだ。イスラム教は、いまの私には新鮮に思える。
2017.09.29
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どうやら漱石の小説の中には小旅行が物語の素材になったりしているものがあるが、文豪ともなるとそのわずかな体験から物語の構想が湧いたりするものらしい。「草枕」にしろ、度々「小天温泉」に行ったのではない。今読んでいる「虞美人草」も比叡山の経験を生かして書いている。「一夜」ふうの美文調は読者の受け入れやすい仕掛けがある。この社会は万人のものであり、個人のものではない。そこに悲劇が生まれる。相手がおり、自分の思い通りにはならない。それだけのことだが、それで終わらない。 ・小説とは、ネタの尽きない商売だ。だからいまだに小説家は続いているが、どれだけ社会のためになっているのだろうか。疑問だ。碌に経験もないのに、言葉だけで終わってはいないか。一度山に登ったばかりで征服したようなつもりではないだろうか。世の中を甘く見てはいないか。小説になるような現実は素朴ではない。小旅行したくらいでないが分かる。何も分からない。見ているだけだ。 ・へ2・・・ツアーで分からないのと同じだ。漱石のように、ただ田舎を汚い臭いところにされたり、下男、下女にされたり、かってに炭坑夫を侮辱されては困る。どうも小説家の中に文筆が高尚で、働く人間が下等にされたりするような貴族趣味の人がいる。働くのがまともで、じっとしている人間は長生きしない。
2017.09.29
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すべてのことは過去になる。「よいものもわるいものもともに滅ぶしかない」 と書経にあるという。気紛れな偶然に拠って立つ世界に生きているが、条理 はあるだろう。神を信じ殉じるひとがおり、信仰に生きている人びとから、 信念は奪えない。が、絶対神であるかぎり、他の宗教は排斥される。どうも そこから先に進めないのは、悲劇だけではすまない。人類は、幾つものデッ ドロックを超えて生き残ったが、「玉石混淆倶に焚く」を止められない。 動物は巨大化して生き残りを図ってきたが、そのために恐竜は自滅したかも 知れない。ひとも巨大化してきた。脳の巨大化はいまのヒトを生んだ貢献者 のひとつだ。男も女も大きく産まれることは有利なのだろうか。日本人も背が伸 びている。できるだけ早く大きく産まれる事は動物には有利だと言わ れている。然し、多くは、それだけでは彼の人生は決まらない。取り巻く環 境が生死を決めるかも知れない。 言いたいことは、宗教は共存するしかなく、ひとの巨大化も意味がなくなる だろうということだ。全方位で生物は生きており、そしていつか限界がくる。
2017.09.29
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この日本が今やまがいもの社会であることは子どもにだってわかる。そして依然として科学の名を借りたものが蔓延っている。根拠のない治療や食事療法がされ、ダイエットと称して金儲けがされている。医者は薬で儲けてもいる。訳の分からない化粧品が高価なまがいものとして宣伝されている。創り出されるブームはまがいもののオンパレードだ。マスメディアは加担して生きている。確りしたデータを示さない科学者がいる。正しくなくても面白ければよいメディアがある。何でも信じてしまう国民大衆さえいるのは、そういう甘い、ばかな教育のおかげだ。まがいもの社会が根底にある。 ・21世紀入り、先人たちの夢見たような輝く21世紀を生きているだろうか。人間らしい生き方や環境が尊重されているか。甚だ疑問だ。それこそ、こんな話は誰でも考えていることだろう。それが、何故改善できないのだろうか。どれだけ高等教育を受けても役に立たない人間ばかり生産されている。それこそこれでは、国民が全員大学を卒業しても、まがいもの社会は変わらない。 ・へ2・・・この社会の根源的な問題の所在を、明確にできない知識では何もできはしない。いつまでもまがいものを許している国家が栄える筈がないのは、火を見るより明らかなことだ。未だ、外は雨だ。
2017.09.29
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隣の人が誰であろうと、それがお妻や子どもであろうと、他人だろうと同じですが、隣の人は同じものを見ても違う色や光や匂いや様々な感じ方をしている。目は違う世界を見ているのだから、個性も違ってくる。だから地上に世界人口75憶人いようと、個人は狭い世界で生きていようと、一人一人の見ているものは違ってくる。危険と感じるものもそれぞれ違っている。同じものを見ても、感じる世界が違う。 ・それは日々の暮らしの中で、感じてもいる。同じようなことをしているが、全く違う反応さえすることがある。それでも折り合うだけの適応性をもっているのは不思議なことでもある。そんな生活に慣れているのだろうか。男と女でも相当違う。求めているものが天と地ほども違うのに、なぜ一緒に暮らしているのだろうか。何を信じているのだろうか。時々、遺伝子の進化の謎を思わざるを得なくなる。平気でいられるのは何故だろうか。そう創られているからか。 ・へ・・・ヒトという生物は遺伝的に大変均一につくられているという。タンパク質では500~1000個に1個しか違わない。それが何故こうも違ってくるのだろうか。これからそのあたりを書いてある本を読んでみるところです。
2017.09.29
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F大公開講座「脳の加齢」講師 H教授 メモ13;30・・・16:30・脳の加齢には、「成長」と「老化」がある。・国家レベルでの脳研究戦略として「脳の10年」米国1990年から10 年が火付け役となった。・日本では、1994年「脳の世紀」脳科学を21世紀の日本に於ける科学研究の中心テーマのひとつと位置づけた。・脳を知る、脳を創る、脳を守る。がメルクマールとなる。・2002年新しい戦略として「脳を育む」・・・健やかな脳とは。・神経系の説明 ニューロンとグリア細胞 樹状突起と軸索 神経細胞はお互いにシナプスを介して、次のニューロンに刺激を伝達する。・1平方ミリ分の1億個ニューロンが存在する。・グリア細胞は、ニューロンの生存、機能をサポートすること。・ヒト脳は、胎生期7ヶ月までにできる。・出生後脳の重量が50%増加する。成人脳は、平均1300gくらい。・脳の生後発達の特徴 グリア細胞の増加と成熟、神経突起の増大、シナプスも一過性に増えるが、使わない回路のシナプスは消失する。・視覚刺激には、視覚の臨界期があること。・オートラジオグラフィーでの細胞の写真説明。・抑制性神経細胞とは何か。子どもが、興奮しやすいのは、興奮性神経細胞が多くあるため、抑制性神経細胞が不十分で起きる。痙攣など。・ローマ皇帝フリードリヒ2世の実験で、赤ん坊に声をかけないで育てたところ、ことばを話す前に皆死んでしまった。・動物の母性行動の重要性 本能行動(教えなくてもできる)、定型的行動、子供からの刺激が開始に必要、特定の神経回路をつかう、ホルモンによる影響、匂いによる影響。・げっ歯類の母性行動 巣造り、連れ戻し行動、なめる、抱きかかえ行動。・母性行動を誘発しないと、子供を無視したり、食べてしまう。・母性行動に係る遺伝子がある。・「遺伝情報によらない、母性行動とストレス反応性の世代を超えた伝達」がある。・子育て良好ラットに育てられたラットは、不良ラットよりも子育て良好ラットになりやすいこと。ストレス反応性も良いこと。更に、不良ラットの子を良好ラットに育てさせると、子育て良好ラットになることが証明されたことで、遺伝性よりも「氏より育ち」の可能性が高い。・1日1回子供を不良ラットから、15分間離して2週間つづけた実験で、子育て不良ラットが良好ラットになった例がある。・接触不十分、ストレス、遺伝子異常、親子代々の非遺伝的母性行動の障害が、こどもの虐待に影響があるかも知れない。・「さわること」の重要性。・脳の老化と神経細胞の死 20歳以上になると1日1万乃至数10万個ニューロンが失われる。 頭部への衝撃や、アルコール、薬品、たばこなどによる減少もある。脳血管障害による神経細胞は局部的に死亡する。・豊かな環境と自発的なトレーニングが脳の老化に有効であること。・一部の神経細胞は、大人になっても新しい神経細胞を供給していること。・良い脳を維持するために アルコールを適量にする。病気から血管を守る。衝撃から頭を守る。ストレスをなるべき避ける。楽しみながらできる運動をする。変化に富んだ生活を送くること。「高齢者の歩行」については省略。
2017.09.29
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「虞美人草」 二 紅を弥生に包むたけなわなるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝を冴冴と菫に刻んで、細き金脚もはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に返る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威を作すは、春にいて春を制する深き眼である。この瞳を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵かんに帰るを得ず。ただの夢ではない。模糊たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着ている。(漱石「虞美人草」より) ・写経ではないが、美文なのでコピーしてみた。解説でも、定評のある「美文調のさわり」、とある。漱石の小説連載の予告が大々的に発表された。「虞美人草」を冠した浴衣や指輪まで売り出す騒ぎになったとある。読者に受け入れやすい仕掛けをちりばめている。 ・へ2・・・何かの本で、好きな作家の作品を、自分でも写し書きをしてフレーズの練習をしてみるという話を聞いたことがある。他人のものまねでは一人前の作家にはなれない。オリジナルがなければ通用しないだろうが。それでも写し書きは参考にはなる。PCでは消えた漢字もある。漱石の作品を全部、「写経」した人がいるだろうか? そんなヒマ人はいないだろうか。
2017.09.29
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ハイデルベルク城内。ゲーテとマリアンネがキスした場所。ゲーテ叙事詩「ヘルマンとドロテア」(1797)ライン河に近い小さな田舎町の旅館の息子が、革命から逃れてきた避難民救済の仕事を手伝っているうち、避難民の一人の少女を見そめ、種々の経過の後、ついに結婚するというラブ・ストーリーだが、古い、新聞記事に載った記事に基づいている。 思想とか、戦争とか大義ではなく、個々の人間の小さな運命こそ、身近で強く、こころに訴えるものがある。産婦にすばやく救いの手を差しのべる娘とか、人々の争いを諭す賢者のような老人とか、無秩序や、混乱とか数々の不幸の中で、何時の時代にも繰り広げられてきたもっとも素朴にして美しい人間の姿があるのだ。 この簡素にして牧歌的な「ヘルマンとドロテア」の叙事詩こそ、読者が待ち望んだものだ。登場人物は、みな平凡な庶民たちであり、無口であるが情け深い、しっかり者のヘルマンと、純情で、健気なドロテアと。頑固で厳しいが、根が善良な父、愛情深いやさしい母、寛容な牧師、世話好きな薬屋、彼らはみな人間的であり、ドイツ的な人びとの世界であり、ゲーテの求めた故郷なのだろう。 ゲーテを読んでいる。何という至福の時間だろうか。どれだけでも好きな時間浸ることのできる自由なときに、ゲーテを読むことができる。これは、たとえ私だけの思い違いのものであろうと構わない。彼の存在をどこまで理解できるかもわからないが、そんなことはどうでもいい。私の描くゲーテであればいい。
2017.09.29
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自分の人生においてテーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。此処1年半余、毎日歩いていると、現在は歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだ。病気をしたり、怪我をしたりの不可抗力もある。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処するか。 ・いまでも足の重い時がある。それを自分のライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。挫折もする。その挫折感を克服できるかだ。人格形成はそうした蓄積でしかない。そしてキャリアはその人の形質になり、人格にもなる。そのひとの表現や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・一日の始まりは無からではない。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとする。脳は措かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で、脳は何か気楽に遣れないかの口実を探しつづけている。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでも新たなテーマを探さねばならない。
2017.09.29
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日本は浪費の癖が抜けないのではないだろうか。無駄なことばかりしているようだ。オリンピック招致にしても、前回の大阪も惨敗だった。見栄っ張りの都知事の口車に乗っていたのではないだろうか。土台無駄遣いばかりしている。エリート意識の強い連中が国家のリーダーになるのは浪費のもとでもある。だから、普通の人がリーダーにならねばならない。常識のある人だ。それは庶民感覚でもある。何が大切なのか、優先順位が確り解かる人のことだ。 ・これまで、日本は「空白の10年間」を経験してきたが、また繰り返すのではないか。バブルは何度でもはじけるのではないか。懲りない人たちが政治をしている。民主党は東京オリンピックに反対していたのではないか。それがころりと変わったとすれば、どうも日和見ではないだろうか。派手なことを追い求めているような知事の誘導に乗ったのではないか。 ・へ2・・・日本はもう斜陽である。そのことを認識すべきだ。その認識のできない間は、客観的な判断は難しい。
2017.09.29
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・現代社会は、地縁・血縁よりも、むしろボランタリー・アソシエーションが広がりつつある。それは宗教団体であり、学校のサークルであり、NGOであり、老人会、さらには趣味の会でもある。任意に参加する団体だ。遡れは、アメリカの入植者にも及ぶといわれる。これがさらには、地縁、血縁を超えた存在となり、ネットワークを広げ、時には威信を与えるものとなっている。これも広義の「縁」だ。そして、華人・華僑のネットワークがある。 ・へ2・・・世界各地で経済的な活躍をする華人・華僑のネットワークの威力を抜きには話ができない。それは血縁・地縁・業縁による組織でもある。海外に進出した華人・華僑は、それぞれの土地で経済団体をつくり、その内部で経済活動を調整し、交流を推進し、問題を克服して大きく発展していく。大地に広がる芝生のようにネットワークを形成し、与えられた環境で経済支配していこうとするだろう。まさにシンガポールがそうだ。漢民族の出自集団はまだ根強く、宗族の祖先祭祀がある。 ・職場や趣味の会などのブログもそうだが、情報技術による新しいタイプのインターネットを通じた「縁」もある。個人的な新しい関係性のなかで人とのつながりを模索しはじめている。 ・へ2・・・自分の参加しているボランタリー・アソシエーションについて、どれだけ問題の所在を明らかにし、分析できるだろうか。情報技術の利用によって、行動範囲の拡大と、知識の向上を可能にすることができるだろうか。課題は多いだろう。世界は変化しつつあり、これまでとは違う新しい常識ができあがるまでにはまだ時間がかかるのだろう。
2017.09.29
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フランスで起こった革命がドイツでは何故起こらなかったのか、という問題は、ドイツの「後 進性」との関連で、歴史家が好んで取り上げるテーマらしい。その幾つかの指摘の中にルター 主義の負の遺産がある。ゲーテは、どんな態度をとったのだろうか。 いっぱし我とわが身を治めることができるような顔をして 自由なんぞを口にすべきではないのです! いったん柵がとり払われると、法におさえられてほんの片隅に ひっこんでいたあらゆる悪が、忽ちのさばりだしてくるのですから ゲーテがこれを書いたのはフランス革命から、すでに8年経過して、冷静さを取り戻していた。 ・ひとは思い上がりをしたり、勘違いする。その根拠となるものがある。政治家は権力をもつと余計なことしたがる。そして自滅する。しなければよいことまでするからだ。カネがあると使いたくなる。権力も同じだ。ひとは自分にあるものを使ってみたくなるからだろう。 ・ゲーテのことばの中にあるように、「いったん柵がとりはらわれると、ひっこんでいたあらゆる悪」が・・・動き出すこともあるかも知れない。麻生内閣は大盤振る舞いをした。その後始末がある。無理を通そうとすれば必ず軋轢になる。メッキがはがれないように民主党もしてほしいがどうだろうか?
2017.09.29
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マクロ・スコピックとミクロ・スコピックとの間で物事は存在している。その双方の見方が大切である。よく言われるように、「木をみて森を見ない」ことになりがちだ。宇宙の膨張を見る望遠鏡と、極致の組成物質を発見しようとする顕微鏡の違いがある。この中間的な見方をメゾ・スコピックと呼ぶ。 ・それにしても、私たちの時代認識の「空白」は永過ぎるのではないだろうか。ものには限度があり、ポイント・オブ・ノーリターンがある。生命の限界はいかんともしがたいが、人間社会は何とでもある。それを決めるのは人間自身だからだ。どうも日本人の目はミクロに偏りがちではないだろうが、巨視的な側面が欠落しがちである。眼鏡のように遠近両用というわけにはいかない訳だ。それにしても福田政権を選択した日本人の政治感覚が短絡的ではないだろうか。それと民主党の頼りなさも脆弱な組織を窺わせている。それこそ淀君か石田三成軍の寄せ集め集団のようなものだろう。 ・へ2・・・オフィスレス時代を前にして、他人に頼らない個人の能力が試される時代が来ようとしており、自立の準備がされ始めているのではないか。小さく固まって力を発揮していた日本人たちが、ばらばらにされようとしている。「お盆の上に撒かれた砂である中国人」の砂としての自立心や自己主張の個性がなければならなくなるだろう。それに耐えられるものだけが、これからのマクロとミクロの間に存在理由を持つことになるのではないだろうか。
2017.09.29
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理学博士東大教授の人が書かれた本だからではないが、昔の教科書に書かれていたことが、「これはうそでした」とあった。これは「舌」の味覚地図のことだが、そういう話がいくつもある。それだけ本当のことが判るようになったといえなくはないが、私たちが習ったことは何だったのだろうか。科学だけのことに限らない。絵まで描いて「こうですよ」と教えられたことが間違いでした、が多過ぎる。冷戦時代といまでは常識が違いもする。敵が味方だという。それでは味方がいつ敵になるとも限らない。もしマスメディアが国民を騙して、ある国を仮想敵国にしても国民はそれを信じてしまうのではないだろうか。そしてまたぞろ冷戦時代に戻りそうでもある。 ・あり得ないことではない。あのアメリカでさえ、そういうことが行われていた。21世紀だからと言って、皆正しい情報というわけではない。簡単に騙されるのは素直で正直だと悦んでもいられない。仕方がないと諦めるには情けない。誰がウソをついていたのだろうか。それは日本という国民が文化が低いか、科学的な知識が低いからでもある。正しい知識を軽視して間違いをいち早く指摘し訂正しないから、ウソになる。 ・へ2・・・この社会の文化は、国民全体の総合力でもある。裏と表の違いが大き過ぎる社会では真実から遠くなる。虚偽が罷り通る見せかけの社会にもなる。老舗の店が使い回しても何時までもそのままである。先程「一葉の恋」を読んだが、田辺聖子も誰かの下敷きで書いているに過ぎなかった。というより、一葉の日記の引用でしかない。もともと底の浅い情報をネタにしているから好い加減なエッセイでしかない。足で稼いだ記事を書かないからマスメディアが堕落している。日本の文化は堕落している。それはみんながそんな生き方をしているからだ。そんな国家は奢れるもの久しからずだろう。
2017.09.29
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