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久能山東照宮。マラリア原虫の複雑なライフサイクルや宿主の概日システムとの密接な相互作用は、体内リズムの生物学的な意味を解明することは治療に役立つ。マラリアのほかにも、ガンなどのさまざまな病気について、外科療法や薬物療法の効果を最適化する試みがされ始めている。これをクロノセラピーという。薬剤等の実験動物としてラットやマウスは夜行性であり、昼行性動物であるヒトに適用することの問題性もある。薬を最も効果の高い時間に投与するのは理に適ったことであるが、殆どの薬は、刻一刻と変化している患者の生理的、生化学的状態とは無関係に処方され、服用されている。薬の処方は、血中レベルを維持するのが目標でしかない。本当に薬が効くかどうか。薬の効果が患者にどれだけ影響するのかを医者は、どれだけ責任をもてるのであろうか。甚だ疑問だ。薬に対してどれだけの知識を持っており、患者の病態をどれだけ把握しているだろうか。医療メーカーのマウス実験の効能だけの知識を鵜呑みにしただけで医療行為をするのであれば、やぶ医者と言われても仕方がないだろうし、現代医療ではないだろう。人間の生命は、教科書に載っているほど貴重に扱われてはいないし医療もおざなりで、医師も必ずしも有能ではない。若い連中は傲慢で生意気だし、そうでない人たちも卑屈だったり、無神経だったりするが、誰も時間を止められない。私たちが時間をどう考え、どう感じるかだろう。これはひとつの世界観だ。自然から急いで立ち退こうとするか。そこへ飛び込もうとするか。時間は直線と考えるか。
2023.01.31
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若いころの悲喜交々の体験はその人の財産にもなる。大して経験もないのは自分でも残念だが、これは後の祭りだ。それでも、考えてみるとこれまで10回以上居所移転している。ひとは移動して自分のニッチを得ようとするものでもある。民族の大移動で故郷を棄てた民族もいる。それに比べれば、正月やお盆の移動も経済効果もあることを考えれば意味のないことではない。然し、都会へと流れていく大量の労働のための動きは悲喜交々の物語だっただろう。 ・私は、赤ん坊のころ中国の青島からアメリカの船で父母と引揚げて来た。戦後の混乱した社会で貧しい体験もした。学生の時、大阪から熊本まで長距離トラックの助手席に乗せて貰って帰省していたが、何度もうとうとして頭をガラス窓にぶつけては目が覚めた。深夜の国道を星を見ながら走る印象的な強烈だった。友人二人と卒業記念に夏休みの時、熊本旅行し私の親戚巡りをした。帰りには別府からフェリーで大阪まで帰ったが、往きは、大阪から熊本まで、普通電車で乗り継いで行った。あの長い時間は貴重な体験だったのだろう。 ・へ2・・・さっさと目的地に着いてしまえばそれまでだが、それまでの短い時間でしかない。人生も同じではないだろうか。他人が準備した乗り物で墓場に直行してもそれだけの人生でしかない。苦労を背負ってもぼつぼつ歩く人生もあって好い。他人からバカにされても恥を掻いても若いころに何かをしていれば、気付くことも多いのではないだろうか。したくてする苦労ではなくても嫌でも世間には苦労が付いて回るものだ。
2023.01.31
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こう世の中で信じられないようなことばかり起きると、何を信じたら好いか、解からなくもなる。盤石な道徳や権力が支配していた時代は、それを突き破ろうとして、もがき苦しんでいた若者たちがいたが、其の重い蓋は外されたが、そこは灼熱の砂漠の中に放り出されたような世界でもある。この社会では、自己責任で生きていかねばならないと急に言われても戸惑うものは多いだろう。何故なら、そういう明確なスキルを受けたものはいないからだ。 ・ゆりかごから墓場まで、社会福祉が整備されていると甘い見通しの教育を受けていたからでもある。戦後の教育はそうして始まっている。平和憲法も絵に描いた餅ではないだろうか。武器を放棄すれば、国際社会は歓んでそれを歓迎して呉れただろうか。日本が戦争を放棄したことは反対しなくとも、どこの国も真似をするところはない。そんな甘い世界ではないことを知っているからだろう。その後東西冷戦が在り、朝鮮戦争が起きた。日本も資本主義国の一翼を担うことに為る。 ・へ2・・・「誰も信用するな」、が現在の国際社会のルールである。人は自分の利益を優先するのだから、人は狼にもなる。神の前では平等だが、人間社会では、必ずしも平等でなくても構わない現実がある。何を信じて活きるのかは、そのひとの死命を決することにもなるだろう。広い識見と、深い洞察力、そして普遍的妥当性、言うのは簡単だが真実を見極めることは困難でもある。混迷の隘路を行かなければならない。
2023.01.31
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久能山東照宮。 人生のマイルストーンとなる重大な変化を何度となく経験する。それを戸惑いながら通過儀礼のように熟すことができればいいが、意外と人生のハードルは高い。一見うま く遣ったようで、実は消化不良も多い。 ・殊に人間関係で、苦労することになるのは何故だろうか。有機体としての私たちはホメオスタシスを求めるあまり変化の態様に対応できないことが多いからだろうか。 へ2・・・どうしたら、うまく世渡りができるかではない。この本を読めば頭が良くなるというのもまやかしでしかない。作者の準拠枠は、他人には当て嵌まらないからだ。それは偽善でもあるだろう。ブサンのマインドマップに関する本もよく読んでみると殆ど、「脚注」が確りしていないだろう。どうも成功するいうのは、なにが成功かよく分からないものが多い。
2023.01.31
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美しい日々は帰らず 輪廻転生を考えるほど・・・でもないが、それでも世の中に溢れている不可解なことは言を俟たない。21世紀も始まっているが、格別の事もない。20世紀の延長としての移ろいのような気さえしてくる。然し、違う何かが在るのだろう。それは容易には凡人には視えない。世界の潮流はそれほど単純ではない。はっと気付く時は既に出来上がっているのか知れない。自分たちの人生の美しい日々は過ぎたが、それは夢の中の出来事のようにさえ思えてくる。そんなものだろうか。 ・日本文学の講座を、一葉、芥川、太宰、梶井、漱石、堀辰雄と一葉は半年だが、あとは一年間の講座を5年間余り文学部教授の講義を月二回のペースで受講して来たが、やっと、解かってきたものがある。これだけ続けられたというのは、そうあるチャンスではあるまい。学生たちが青春の貴重な時間を犠牲にして、苦労して受験勉強に耐えて勝ち得た大学の講座を、こうして聴講できたのだからだ。そのチャンスを与えた講師や大学に感謝するしかない。 ・へ2・・・大学が変わろうとしている事の証でもあるだろう。時代の流れだ。日本社会の閉塞した文化は変わらなければ生き残ることはできないだろう。美しい青春時代とは何だったのだろうか?何が楽しかったのか?日々は輝いていただろうか?思えば砂を噛むような話ばかりが浮かんでくる。若い頃文学部の講座を受けたいと思ったことがあるが、その時はそのチャンスがなく、老境に入って、そのチャンスが目の前に現れたが、昔のような情熱は冷めている。そして、今だから解かる事もある。
2023.01.31
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久能山東照宮。神社やお寺巡りも信仰からではない。日本人の習慣でもある。それが形式的な巡礼だとしても、精神は違うところにある。それが日本人たちでもある。信仰を凌駕しているのではないだけだ。狭い島国の日本では、散歩する場所がないのかもしれない。自然がそこにあるからかもしれない。色んな思いがあるのだろう。なぜこんなに神仏があるのだろうか。ひとはいつも暇あれば出かけようとする。出掛けて来よう 出掛けて来よう 出掛けて来よう、出掛けて来よう 寒さの中を、出掛けて来よう 何がなくても、出掛けて来よう ここにいてもなにもない 陽は昇り、陽は沈んでしまう いつかは帰れなくなる日も来る トレードオフの自分の人生が突き動かしている 何か大きなものが動き出している それを知りたい 出掛けて来よう、出掛けて来よう 出掛けるのは、どうしても必要だからではない。生きていることは活動することでもあるそれはノルマもあればそうでないものもあるが、日課がなければならない。目的を失えば、糸の切れた凧にもなるだろう。自分に相応しい生き方を考えるべきなのだろう。堀辰雄の講座で「菜穂子」作品の中で「為合わせ」(しあわせ)という文字があって興味深く思った。何かすべきことを見つけることが「為合わせ」でもあるのだろう。
2023.01.31
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田舎の人たちは「暦」で生きている。英国農民にも「マザーグースの暦」がある。 ※春は花 にわか雨 したたる緑夏は実を結ぶ季節 ポップ香り けし爛漫秋の風 ひときわ冷たく身にしみる冬はいつとしもなく忍び寄り 冷たい雨は肌を刺す (マザーグースより) ※英国の農民は、四季と聖祭日を特別の関心をもって見守った。日本の農民も天候には大きな関心を寄せている。天気予報は、生産に直接関係することだからだ。お祭りや土着の歌には季節が散りばめられてもいる。自然に一番近いところで農民は、自然破壊を見て来ただろう。自分たちには何もできない現代社会が立ちはだかっている。短絡的で分かり難い節目の時代だろう。何を読む解くかで世界が変わりもする。わらべ歌や民謡に出てくる四季が消えて行くのかも知れない。それでも語り継ぎたいものがあるだろう。いつか消えてしまう命だけれど、こうして書いている自分がいる。これまで知り合い語り合った人たちも少なくなってきた。一人寂しく消えていくのだろう。でも本当に寂しくはない。それが時の流れであり、ミッションでもあるからだ。父母はまた遠い昔に記憶を残して去っていった。兄弟はいないが、懐かしい従姉妹たちがいる。優しかった人たちにどれだけ慰められたことだろうか。
2023.01.31
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話の中でぼんやりと理解したことを文字に落とさないとどうも本当の理解に為っていない気がしてしまう。頭が悪いのだろうか。人の記憶のメカニズムを未だ好く理解でいていないようだ。文学の講座もそうだが、時々サッと解からない処が在るのはそれだけ文学から離れていたからでもあるだろう。日本文学を軽く見ていたこともある。文学で飯が食えないという腹があったし、学生時代には、文学が権力に迎合しているという印象を持っていたからでもある。 ・二元論で物事を判断するという悪い癖が抜けないでいる。宗教は好きでも嫌いでもないが在るのはあるから仕方がないと考えるようになってから、二元論では解決できないことを知った気がする。私は、日本人であるが、その存在としては、それ以外のものであり、外国人でもなく、宇宙人でもなく、ただの人間である。表現というのは面白い。一つものが他の物にもなるからだ。 ・へ2...厄介な親父が、なくてはならない存在にもなる。それは親父が必要な時に変化するからだろう。無用の長物も、或る時変化もする。昼行燈も必要な時があるということだ。じっとその時を待つしかないが、要らない時もある。どれだけ文学を知ったところで、それは何だろうか。研究者が研究の成果を上げれば業績に為るが、素人では教養でしかない。明治の上士たちの論語の教養も役に立たなかった。知らない下士たちが次代を担ったのだ。中世の文字も読めない庶民がステンドグラスで神の世界をイメージしたのも想像力のちからでもある。 戦争による大きな犯罪が起きている。最大のものは人道に対する罪だ。巨悪ほど見逃しやすいといわれるが、知らないふりをしている人間たちがいるからだろう。その罪は必ず問われなければならない。
2023.01.31
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アンチエイジングの最先端の研究者は「病気から全く解放された、健康で充実した長寿が目の前に控えている」と。「2100年までには、150歳を超える高齢者が誕生している・・・」。なぬ、ヘイフリックの限界は、どうなるか? 現代の「錬金術」に過ぎない議論だろうか。究極のアンチエイジングが「永遠の生命を手に入れようとする・・・」とか、という話になると、胡散臭い。それでも、ケンブリッジ大学の老人学の専門家で、コンピュータの応用研究でも知られるグレイ博士の研究では、既に中年のマウスを使い、寿命を二倍から三倍に延ばす実験をしている。実験の核は遺伝子治療である。染色体に新たな遺伝子を組み入れ、あるいは老化した遺伝子と新たなものと交換する。 実験段階では、レスぺラトロールはマウスが心臓病やガン、糖尿病、そしてアルツハイマー病にかかることを抑えることも確認されたという。これまでにもカロリー制限やホルモン剤の注入などが、人の老化の進行を遅らせる効果あるとされてきたが、劇的な処方があるのだろうか。 「生物の中には、全く歳をとらないものがいる。魚の中にも、爬虫類にも歳をとらない種類が確認されている。アメリカン・ロブスターなど、捕獲されなければどこまでも大きく成長し続ける。これらの事実は、未だ知られていない遺伝子の中に永遠の命をつかさどる因子が含まれることをことを示唆するだろうか。人類の遺伝子の中にも、成長や老化のスピードをつかさどる因子が含まれている可能性は否定できない」というのが彼らの考えである。 人間の能力や生命力も、コンピュータの処理能力とナノテクノロジーが加われば、人間の進化のスピードが加速するというのだ。科学の驚異的な発展が、人間性を忘れた原子爆弾をも生んだのであり、常に一部の科学者の倫理なき暴走があることを忘れてはならない。
2023.01.30
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一夜 短編である。漱石には長編はないという。「倫敦塔」「琴のそら音」「一夜」と読んできた。「一夜」の中で二人の男と一人の女が登場する。三角関係であるが、たった数ページの短編である。まるで俳句のように隠喩や比喩が籠められている。 「思う百年は、一年のごとく、一年は一刻のごとし。一刻を知ればまさに人生を知る。・・・ 日月は欺くとも己を欺くは智者とは云われまい。・・・」(「一夜」より) どれだけ長く一緒に暮らしても、百年一緒の夫婦はあるまい。それは一年であり、一刻でしかないかも知れぬ。小説で描かれる三角関係も、聖書のころからあるテーマでもある。いつも書き過ぎるような物語を読んできたし、人が生きている間、物語が終わらないのだろう。 ・近未来では、医者は要らなくなるかも知れない。病人は自分の身体の状態をコンピュータで管理できるようになるだろう。データベースをちゃんと持っていれば、機械が病名を教えてもくれるし、薬も治療も的確にされるだろう。これこそ省略してしまえば一片の絵でしかない。
2023.01.30
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久能山東照宮。どんなことが起きるか分からない時代だ。挫けない決心がいる。何があろうと生き抜くという勇気がなければならない。あらゆることに気を配り、準備しなければならない。「対岸の火事」ではないことばかりだ。世界経済は荒れ模様になりつつある。温暖化もある。 ・日本も戦場になるのではないだろう。経済格差が広がり憎しみが増幅している。親子の断絶や、亀裂がやがて社会に拡がりつつあるのではないだろうか。豊かな自然を失ったダメージがボデーブローになり、原因をつくった人間たちに報復し始めただろうか。 ・へ2・・・ただカモメのように群がり餌を食うだけの存在に人間たちはなり下がっただろうか。だんだんゼロに近づきつつある。眠い目を擦りながら、考えている。どこに行こうとしているだろうか。朝は来るのか?挫けないでいられるのか?もうタイムリミットは過ぎているかも知れない。気付かないだけだろうか。 時間よ、とまれ! とまる筈はない。
2023.01.30
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今考えること その時に為って見ないと、解からない。今年も始まったが、さていま何を考えなければならないか。現実的でなければならない。現在進行形の課題がある。講義を受けるだけではなく、こちらから調べることもしたい。受け身ばかりでは荷物が増えるばかりだ。一つ一つ荷物を下ろす必要がある。体質改善に取り組んできたが、末梢神経とか改善したのもあるが、増悪化している点もある。心配してばかりでは身が持たない。 ・遣りたいことばかり。ないよりかは好いが、出来なければ詰まらない。詰まらないことが多くなると意欲も無くなるだろう。
2023.01.30
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久能山東照宮。<作品> 「永日小品」・元日 ・「蛇」 ・「泥棒」 ・柿 ・火鉢 ・下宿 ・過去の匂い ・猫の墓 ・暖かい夢 ・印象 ・人間 ・山鳥 ・「モナリザ」 ・火事 ・霧 ・懸物 ・紀元節 ・儲口 ・行列 ・昔 ・「声」 ・「金」 ・「心」 ・変化 ・クレイグ先生。 ・漫然と見ていたら分からない作品。・大阪朝日から依頼された。・「元日」、「紀元節」・・・別記載された。その日に合わせて記載された。・「蛇」から始まる・・・意味がある。伯父と甥の関係。覚えていろ。伯父さんの声。漱石の作品には裏がある。「金」、「こころ」・何故、「蛇」の次が、「泥棒」か。伯父が泥棒。・金のこと・・・丸を書く。「こころ」にもある。・「永日小品」は、簡単な作品群ではない。・「夢十夜」と違い「永日小品」は、無構成のように見えるが、そうでないところもある。・よくある解説のような、漱石の単なる身辺に題材をとった作品ではない。・「神々の復活」を漱石は読んでいる。・「三四郎」・・・モナリザ・・・火事。連関。・「モナリザ」・・・女性の秘密がある。・男に興味がある。「三四郎」。男のことしか書かない。圧倒的に男である。・「声」・・・小説的。幻想が破れる。単なる事実ではない。・「心」・・・百年の恋。結婚と恋愛は違うと漱石は考えていた。・漱石には、差別意識が強くある。・作品群には、いくつかのカテゴリーに分類でできる。ロンドンの回想など。・キーちゃん・・・漱石の実在の友人。「柿」 に出てくるこども。・heirloom 家宝・Procession 行列・キルト・ピトロクリ の間違い。・「山鳥」・青桐・・・梧桐・「儲口」 メモがある。・"I am a man!" おれは人間だ。 人間の意味。作家は話の種が増えた側にいるか。・漱石はどこにいるのか。漱石の意識はどこにあったのだろうか。現実を冷ややかに見てはいないか。・「柿」・・・友人キーちゃんの側に漱石がいるのではないか。金持と貧困。貧富の差。落差を書いている。・「毬と柿」 仕返しをする。「泥棒」の後に柿がくる。連句。連想。連想中枢が漱石は発達していた。・「蛇」から「泥棒」・・・「柿」へ。「蛇」はどこからくるかわからない。「泥棒」は手の内が分かっている。対比がある。・「蛇」・・・明解に読み説いた人はまだいない。蛇のような心。印象的に書いている。暗示している。・「アダムとイブ」。まっすぐな人間がある時からねじれてくる。変化を書く。・「渦」ということばの描写が出てくる。伯父と甥の財産をめぐる争い。漱石のメモがある。・「それから」の後に「門」がある。連想タイプが漱石にある。・「泥棒」・・・「柿」にも泥棒が出てくる。「毬」を泥棒され、そのあと仕返しをする。・「元日」は別。1年前の話。メモ。元日だから目出度いわけではないと漱石は考えている。・「元日」の仕返しに「蛇」をわざと書いた。・1月15日ころ・・・女の正月。「蛇」「泥棒」。蛇から始まる意味がある。・「永日小品」・・・佐々木充「漱石推考」 「永き日や太鼓打つてのゆるむなり」(漱石の俳句)・・・本妙寺。・無限の時間を閉じ込める。・ロンドンの回想。・「変化」交友関係。・漱石は、敬愛している。「変化」・「クレイグ先生」。現実から過去の回想に戻る。・「永日小品」には、回想が織り込まれている。・百年・無限時間・無時間。恋愛のモチーフ。・「文鳥」女の比喩。文鳥の死。鳥が女のモチーフ。・異界への導きとして獣が出てくる。・「金」現実的な側面を描いている。尊い仕事を得たものは色を付ける。金・・・唯物史観。仕事には貴賎があるという考えを漱石は持っていた。・金の物神化。・マルクス「資本論」・・・漱石は賛成しないと書いている。「こころ」。恋愛と金と「変化」が隣り合わせになっている。・連関性・・・連想的。・「火鉢」・・・灰に丸を書く。「金」にもある。・はたして「永日商品」に構成はあるのか。・「火鉢」・・・庄野潤三「火鉢」論。湯に行って気分が変わる。「とうとう湯に行った。」・俳句的な表現。蕪村にもある。感覚的。どう文章にするかを漱石は考えている。・どう読むかが分かる。・「とうとう・・・」が重要。・変化を書いている。湯に行ったことによる変化を書いている。・他の作品にもこの変化がある。敏感であるかどうか。作家的な発想があるかどうか。・「下宿」・・・異教の女と男。男・・・だけが生気がある。男の登場で変化する。アグニスとの関係。物語を隠している。「門」に繋がる。・「過去の匂い」・・・アグニスをどう読むか。この小説が動く。Kがアグニスを引き取ったのか。関係は。Kが必要な理由はないか。・「印象」ネルソン提督の像。印象派の絵画風に書いている。ターナーを知っている。抽象的に書く。意図的に書いている。具象性を排除している。・「山鳥」・・・人間のこと。「モナリザ」もひとのこと。・「火事」・・・夢のような話。昨晩と違う。「霧」につづく。夜の話から始まっている。「夢十夜」の構想。・「懸物」・・・三代の違い。それぞれの違いを書いている。・「紀元節」・・・関係がないが、分岐点にしている。・ロンドンは漱石には忌まわしい思い出だったが、「ピトロクリの谷」は違っていた。・「変化」・・・「クレイグ先生」に繋がる。・「変化」あとにもの「変化」がある。キーワードが「変化」。
2023.01.30
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トルコツアーは、西側を半周したが、バス移動だったが、長い旅になった。調べる ・問題の所在 ・何を対象に設定するか ・方法を決める ・先行研究を検討 ・仮説の検討余地があるか ・作業ステップ ・データを収集と分析 ・検証と反証 ・モデルの構築 ・発見と意義を主張 ・限界と課題を自覚する。 何をどう調べるか。瞬間的な閃きををもつひとが論理的思考を以って物事に当たることが必要だ。モノにならないのは、方法を知らないからだろう。スキルがない。順調な時は疑問を持ち難い。課題をパスしてしまうのではなく見逃してしまう。
2023.01.30
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テーマ「ストレスと健康」メモ・ストレスは、神経系、内分泌系、免疫系のシステムと病気の発生と進行に関わること。・厚生労働省の16年度基礎調査で「自分の健康・病気・将来・収入・家計・借金」の順でアンケート。・戦後の社会環境の変化に因るストレスが見られること。原因:人間関係の希薄化・家族の崩壊など。・ストレスとは、当初は、物理学で、物体に歪みを生じさせる外からの刺激をストレッサーといい、歪みを生じる状態をストレスと言った。・セリエは、ストレスとは、外界からのあらゆる要求に対する生体の非特異的反応。ストレッサーは、引起す刺激や要因であると言った。・ストレス度について。配偶者の死が最大。・心理的要因・身体的要因に分類される。・日本人の現在60歳余命・・・平均男22.17歳: 女27.74歳。・ストレッサーに対するホメオスタシスの個人的資源により個人差がある。<依存症>とは、・物質摂取依存のケース・・・アルコール・ニコチン・薬物・食事など。・プロセス依存のケース・・・ギャンブル・仕事・買物・PCなど。・人間関係依存のケース・・・恋愛・Sex・親子関係など。<ストレスの個人差>とは、・罹りやすい性格とは、Aタイプ(野心家など)・過剰適応・プライドや面子にこだわる人など。・高齢者は、心身の機能衰退によるストレスが発生し易いこと。・夫婦関係のストレス・・・男女差があること。夫が想うほど妻はいい夫とはみていない。意外なアンケート結果など。<ストレスの対処法>について、・ストレッサーの軽減・認知的評価の修正・・・心理療法など。・生体反応のコントロール・・・リラクゼーション法バイオフィードバックなど。・ソーシャルサポート・システムの確立。<対処のポイント>・心配や不安の原因の究明・自己能力の限界を正確に見極める。・エンドルフィンの効用。笑うこと。・楽観的思考をもつ。・散歩などの気分転換を図る。など。<心理療法とストレス> 論理療法・ABCDE理論・ Activating event・ Belief・ Consequence・ Dispute・ Effect 「非合理的・非論理的な思考(過度の一般化、どうせ思考、べき思考など)に対して、有効な反論をすること。合理的・論理的思考の導入。 安らかに死にたければ、自己中心的な思考ではなく、他人の為に尽くす。 人生は、楽しいことばかりではないが、偶に楽しいこともあるから、やめられないのかもしれない。冷たい人間ばかりでは、世の中が嫌いになるのは当然だろう。突然他国から侵略されて何の罪もないのに殺されるとしたら、誰だって怒るだろう。復讐もされて当然だ。公平でなければならない所以でもある。まだ文化レベルの低いことばかりしている岸田政権は、長くはあるまい。情けない。それだけだ。
2023.01.30
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久能山東照宮。日光東照宮には、3回行ったことがあるが、ここは初めて。映画やテレビで、何度も見ている家康の物語だが、作家の数だけ視点の違いがある。時代によってその人の評価も違う。日本の歴史を読み直してみるのも面白い。人間世界を語ることはそう簡単ではない。地球でさえたった円周4万キロでしかなく、宇宙の中では、青白いドットでしかない。それでもいまの私たちには、世界はまだ複雑で、変化に富んだ宇宙のように見えている。その変化は加速度的変化しており、10年前の科学では解らなかったことが明らかにもなってきている。環境、社会、国家レベルで様々な問題が提起されてもいる。 ・現代を表現するとすれば、それでも足りない。金融やテクノロジー、文化もある。すべてを網羅できるとすれば、厖大な範囲になってしまう。視点を世界に求めるとすれば、それだけでも圧倒されてしまうだろう。分類できたとしても、それをまとめることは至難だ。部分的な知識で満足するかしないかで、その人の見解も違うに違いない。 ・へ2・・・優れた翻訳が可能になり、私たち日本人も世界の英知を得ることができるようになったのは、広い視野をもつことにもなる。それでも得られる情報は世界を掌握しているマスメディアのものでしかない。公正なものかどうか疑問でもある。ただ流れ出してきた情報がいつかは公正なものになっていくに違いない。客観的事実は動かせないからだ。sいつかは史実としての真実が残るだろう。
2023.01.30
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久能山東照宮。山門。どこにいようと、私は私であり、それ以下でも以上でもなく、この二つの目の奥の歪な形の脳の中で描いているイメージこそ自分の本体でもある。数百万の昔から種としてのヒトが誕生して、累々と続く遺伝子が、設計した通りに生きているが、自我に目覚めたときから、へばり付いている喜怒哀楽とともにある。神さえ創り出した。21世紀は、人間の怨念の炎の中で揺らいでいる。 ・いくつかの都市を観たが、そこにみたものは容の変わった相に過ぎない。みな呪わしく生きているだろう。人類が汚した異物で満ちている。過去の残影を視ているだけではないだろうか。「おまえ、既に死んでいる」と告げられるまで、分からないような、そんな人間ばかり増えている。動いているのは自働人間でしかない。本当の自分を利益社会に売り渡した吸い取られた人間どもだ。 ・へ2・・・貪り食べた物を排泄して、悦んでいるだけの醜いものたちよ。お前の視ているものは幻影でしかない。その造形の美は、美でない。化粧した仮面の下で腐っていく臭いさえ気付かないでいる。何のために生きているかさえ知らない。踵の高い靴は直ぐに崩れてしまうだろう。それがお前の人生だ。
2023.01.29
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久能山東照宮。言論を用いることは、その物事をさししめす営みである。言論を通じ合うことがどこまでできるかで、ある。人間同士が向き合うことができるかでもある。そして問題は言論だ。言論による「世界」の存立ができるだろうか。これだけ長い間に言論が分散してしまっている。それを統合へ振り向けられるだろうか。解決への妙手があるのだろうか、それとも手遅れで時間がないだろうか。 ・言語は文化である。営みであれば、それを変えることは容易ではない。しかしできないことはない。それだけは分かっているが、それに至る道を探さねばならない。
2023.01.29
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あまり弁の立つような男はいなかったけれど小利口はいた。そしてそのなれの果てがうろうろして社会を食い物にしているのではないか。小利口が造る社会が行き着く社会など見たくはない。本当の知恵を持たなければ世界に伍していけそうにない。そういう危機感さえある。その責任は男ばかりではない。力もないのに「木偶の坊」にされ続けている政府や大衆の責任でもあるだろう。「ノー」と言わねばならない。それが、世論になる時が来るだろう。大風を起こさねばならないそれが、大きなエネルギーを持つようになるだろう。 ・小利口な奴の下心を見破るだけの知恵を持たねばならない。そのためにももっと多くの国を知り世界を見なければならない。自分の脳を眠らせてはならぬ。妥協ばかりしている弱い性質を叩き直していかねばならない。いまでも正月になると賀状をくれるのは小利口でない人たちばかりの気がする。私のようなものに賀状をくれるのは、少なくとも義理は半分あるかも知れないだろうが底抜けにいい人なのだろうと思える。自分勝手な解釈だが。 ・へ2・・・小利口が増えてもらっては社会は良くならない。その本音がエゴイズムだからだ。損得で世の中を見てもいる。ひも付きでない人間が外交をやれるような社会にならなければ真の友好などできはしない。日中関係もそうだろう。歴史の軋轢を払拭したひとたちが新しい関係を構築すべきだろう。過去に拘っていてはまともな関係などできはしない。何が「日中」これから必要なのか、それさえ確りと認識した者たちが、協力して、国際社会に参画していくべきなのだろう。
2023.01.29
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久能山東照宮。「言語は根源的に創造的であり、人は常に「新しい文」を聞くし、新しい文を話し得る」(Chomsky の Skinner 批判) 同一の文でも、文脈によって全く異なる物理特性をもち、あるいは、同じ物理特性が文脈によっては全く異なって聞こえる。 故に、言語は、生得的な言語能力によって習得や経験の積み上げでは習得不可能であるという。(ある「人間を科学する」という講座から引用した。) ・語彙を理解したからと言って、文が書けるわけではない。小説はひとつの事例でしかない。すべてを表現することなどできはしない。まして短歌や俳句で、それが、どれだけ優れたものであっても限界があると思う。それは短歌や俳句の世界で通用するものでしかないだろう。日本文学も日本という国が作り上げた文化の一現象でしかないだろう。お山の大将も所詮は狭い世界の話だろう。そして、現代は「あなたが、「おもしろい」と思ったことを、「あなたがやりたいやり方で」やりなさい」としか言わないのだ。 ・へ2・・・それは認識科学が、いかなる意味での「科学」かを問い、新しい意味での「科学」を、「ホント」であろうと「ホント」でなかろうとも・・・「おもしろい」をつきとめることが、「ホント」を突き詰めることになるというのだ。成程。広い視野という漠然としたものでは宇宙など分るはずはないのだろう。
2023.01.29
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PPMの「レモンツリー」を思い出した。かなり以前から植えたあり、何度かレモンの白い花を見ていたので、レモンの実を見つけに行ってきた。 レモン(檸檬、 lemon)はミカン科の常緑低木。原産地はインド北部(ヒマラヤ)。別名を枸櫞(くえん)とも言い、クエン酸の名はこれに由来する。柑橘類のひとつ。樹高は3mほどになる。枝には棘がある。葉には厚みがあり菱形、もしくは楕円形で縁は鋸歯状。紫色のつぼみを付け、白ないしピンクで実と同じような強い香りのする5花弁の花を咲かせる。果実はラグビーボール形(紡錘形)で、最初は緑色をしているが、熟すと黄色になる。 ・日中は福岡では「小寒」だが、気温も上がり14℃になったらしい。穏やかな一日だった。プリンターが使えるようになったのJOCW 中から関心があるものをコピーしていた。それこそ、親切と言おうか、やたらご丁寧なものが多い。手とり足とりというか、学問の押し売りではないが、サービス過剰ではないだろうか。どちらがお客さんかわからない。 ・へ2・・・米では“レモンのような女性”とは意地悪な女性といったネガティブなイメージを伴っているそうだ。(日本では、レモンちゃんと言っていたりする)また、レモンに「安っぽい物」というイメージがあり、安価な自動車を保証する「レモン法」もある。さらには、根から他の植物を枯らす作用のある成分を放出するので、周りの樹木や芝生などを枯らしてしまうこともある。中々酸っぱい話である。
2023.01.29
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久能山東照宮。その平和主義を主体的に実践しようというのが日本国憲法の恒久平和主義である。それが危うくなりつつある。それとも破綻したというべきだろうか。われわれが有している最大の責任は、未来にその精神を承継することであろう。また人間は、単に自らなしたことのみの責任を負うだけでなく、自らがなさざることも時には連帯責任を負わねばならないことがある。どれはその時代を担った同時代人としての責任である。環境破壊による地球温暖化は、現代を生きている私たち全員の責任でもある。 ・平和主義は人々が長年念願してきた思想であろう。それは世界を敵として戦って敗れた日本だからこそできた平和憲法でもあるだろう。敗戦国だから、脅されたから制定した憲法というのは、むしろ日本国民を愚弄するものでしかない。日本国憲法は崇高な目的を掲げた憲法でもあるからだ。憲法改正は、その高い理想を後退させよう、としているのではないだろうか。審議を尽くさず、強行採決を常套手段としている自民党など信用することはできない。 ・へ2・・・私たちは、「平和呆け」しているのかも知れない。だから、平和の良さを本当は知らないのではないだろうか。しかし独り芝居で終わってはならない。それは子孫に大きな重荷を負わせることになるだろう。何故そうしなければならないのか。一つ一つ検証していかねばならない。政府の行為を監視していかなければ、権力はすぐに腐敗していくだろう。平和憲法を廃棄させてはならない。
2023.01.29
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日本平ロープウエイ。九州から横浜に単身赴任するとき、気が重かったのは事実だ。何せ家事のことを忘れていたこともある。毎日の食事とか洗濯とか、考えると憂鬱になったからでもある。それまで一度も現場の経験がなく、本社から転勤してリタイヤした連中を何人も知っていたし、冷遇されることが分かっていたからだ。何しろ、長く会社に居過ぎた。若いころならまだしも、大都会が面白いとも思えなかった。 ・処が、赴任してすぐに日頃の不摂生が祟って病気になり入院したりして、少し反省する機会があり、これでは駄目だと思った。何でも嫌がっていたらネガテッブ・マインドになってしまう。それまで、止めていた休日の大学の公開講座と図書館通いを始めた。ノートPCを買い日記を書くようになった。家事も、毎日のワイシャツは10枚買い土日にクリーニングに出し、下着類も好きな時にマンション備付きのコインランドリーを利用することができたので洗濯からも大して手間もかからず解放されていたし、食事もご飯だけは炊いて、あとは簡単な料理をしたり、近くのスーパーへ買物に散歩がてら出かけていた。どうやら、それは独身時代が長く、自分で家事をした経験があったことが役に立ったのだろう。毎日の帰りは遅かったが、土日は自分の時間として使えるというのは、苦痛よりも開放感になっていったのは、多分に気持ちの持ちようでもあったのだろう。 ・へ2・・・当時も考えたのだが、単身赴任は会社にとっても、個人にとっても余程の理由がなければすべきではないのではないだろうか。双方に取っていいことはないのではないか。それを敢えてやるのは、会社の都合であろう。それも一部の人間の悪意でしかない。と私には思えた。そんな事に振り回されるよりも、自分でそれを利用して、長期旅行でもしているつもりになればいいのだと考え直した。家族と離れている寂しさよりも、独りになって、遣れることが、それ以前よりも多くなった気がしてきたのだ。もうふたりの子供も大学生になっており、身近にその大学生活を見れない恨みはあったが、頻りに妻子が遊びに来たし、私も度々帰省して、その穴を埋めることができたと思う。 ・単身赴任の憂鬱があるのは事実であるが、叩けば音が出るものがある。それの行方を見定めることではないだろうか。ひとつは、私が病気になったことだが、これも心と体のバランスが悪いから引き起こされることもあるのだろう。病気の原因を考えることができたのは、自分にとっては人生を振り返る機縁になったのだろう。単身赴任の憂鬱も立ち向かえば見えてくるものがあるのだろう。自分ではその時は、新しい自分のような気がしたが、それは昔の自分の姿でもあったかもしれない。
2023.01.29
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日本平ロープウエイ。近代化を進めるために外国の真似をしてきたのは日本の拠って立つ所以でもある。しかしそれだけでは限界がある。これからはオリジナルだろう。独創的な物を大事に創造していかなければ、物まねばかりの似非文化に陥ってしまうのではないか。今後は、時間はかかっても、オリジナルを目指さねばならない。物まねで終わってはならない。価値があり、残るのはオリジナルだけだろう。 ・これまで新しいと思われるものも多くは外国のモノマネばかりである。コンピュータも、自動車も、テレビも、プロ野球も、電車も、ファッションもデパートもアウトレットなどの商業施設も皆同じだ。今日本のオリジナルは、どれだけあるだろうか。それこそ、それを全部取り除いたら、何が残るだろうか。裸の日本人ばかりではないだろうか。海外からのアイデアばかりを取り入れていれば、やがて日本人はいなくなるのではないだろうか。モノだけの豊かさを追いかけてきたのではないだろうか。そして心が枯渇してしまっている。 ・へ2・・・他人ばかり頼ろうとする弱い人間ばかりを造り上げたのではないだろうか。どれだけ、日本中にゴルフ場ばかり増やしても、それは人工の緑でしかない。それは日本人のオリジナルでもない。自分たちの文化を造り上げていかねばならないのだ。脳みそに夢を見せてやるべきではないだろうか。
2023.01.29
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日本平ロープウエイ。こうして、3年余り国内ツアーで、なんとか慰められているが、日本が嫌いなのではない。知っているようで知らないことばかりでもある。富士山のことも、北海道も、ツアーして初めて気づいたこともある。暇あれば旅をすればいいのではないん簿だろうか。もちろんカネや時間のこともあるから、行けるときは限られているが、行こうともえばできることはあるに違いない。逢いたい人に会うとか、見たい風景もあるに違いない。気分良くさせてくれるとは限らないが、他人から好かれるためだけに生きているのではないからだ。もっと自由に生きることができれば、見識も広がるに違いない。なぜ人権が守られなければならないだろうか。自分勝手な人間を権力の座から追放しなければならないからでもある。結局長生きするものが生物学的にも精神的にも強かなのだろう。そういう視点から見れば男より女の方が強いのだろうか。利用しているとか利用していないとかというようなことではないだろうが、他人を上手く使うコツは女性の方が上手いのだろう。日本が平均寿命が世界一というのも、出てきた結果はそうだということなのだろう。それこそしぶといばあさまたちが長寿を全うして何を残しているのだろうか。金さん銀さんは、皆から愛されて、笑顔を残して逝った。その素朴さが愛らしかったのだろう。 ・日本の婆さんたちは、昔は、それこそ弱さと強かさを兼ね備えた人が多いように思う。でも現代の娘たちはどうなのだろうか。ちやほやされ過ぎてはいないのだろうか。どうも生け花の花のような気がしてならない。水が切れたらすぐに枯れてしまうのではないだろうか。併し野に咲くは花は違う。確り地べたを噛んで生きている。花を咲かせず野草のままの人もいるがその存在感はあったと思う。知識や教養はなくとも、身内を愛するこころは溢れるように豊かだったのではないだろうか。今の娘のように化粧もせず、背が低くて、肌も浅黒かったが、笑うとやさしい顔になる人ばかりだった。 ・へ2・・・いまは腹黒い女が多いが、それは強さとは違うだろう。カネを手に入れるのが上手くなったかもしれないが、本当の強さも失っているのではないだろうか。何が弱さで強かさなのだろうか。考える必要があるのではないだろうか。写真を撮りに出かけようとしたのですが、急に気分が悪くなった。今日は用心した方がよさそうです。
2023.01.29
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日本平ロープウエイ。過去のことをいうなと言うが、過去のほうが良かったかもしれないではないか。殊に自然がそうだろう。今のこの人工的な造形美が美しいとは思えない。それこそ、都会の中でそよ風一つ造ることができないではないか、それは見せかけの風景でしかない。人間がすり寄って生きているだけではないだろうか。林立するビルに感動するものは、はじめだけだろう。やがてその実態を知ることになる。過去から、現在、そして未来とよくなるという幻想は崩れつつある。 ・或いは、田舎に帰り、まだ微かに残る自然を見ることができるのは、未だいいほうではないだろうか。この自然に背を向けて利益を追いかけている者たちが、本当に目指しているものは何なのだろうか。それは、夢を追いかけているだけではないだろうか。人間が、自分の「脳みその本当の使い方」を知ろうとし始めたのは、それほど昔からではない。これまで戦後という時代を経験して、豊かな社会を目指しながら、実はそれは見せかけでしかなかっとちう苦い体験を経て感じ始めたことからでもあるだろう。 ・へ2・・・目の前の自然を愛するということができているのだろうか。それを守ろうとする知恵を持っているだろうか。そのことを感じてならない。探しに出かけよう。
2023.01.29
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日本平ロープウエイ。圧倒的な人類愛が少ないのではないのだろうか。私小説か、少し出たくらいではなく、もっと人間臭いものがないのであり、浮世絵や、漫画では描き切れないものだろう。軽い政府が、また新資本主義などといっている。ロシアや中国が侵攻したらどうするのだろうか。鋼のような精神があるだろうか。鍛え上げられた民主主義があるだろうか。決意のない理念は滅びるしかない。勿論比喩に過ぎない。「氷河期」何て大袈裟だが、恐らく戦前の日本の作家たちは心身ともに凍り付いていなのではないだろうか。太宰は表面的には戦争という歪な時代を比較的に動いているが虚ろなものしか書いていない。日本の作家たちは孤立し、孤独だった人が多い。恵まれた巨人たちは何もしていない。これは芸術家を育てるホームがなかったからでもあるだろう。日本に文化と言えるものが入ってきたのは明治維新からなのだろうか。 ・それまで日本には文学と呼べるものさえなかったのだろう。まして樋口一葉のように埋もれていった作家たちには、大衆は降り積もる雪でしかなかったのだ。そういえば、どこか、日本の近代の作家たちは昆虫のようである。人間らしい扱いを受けてはいない。そして自滅を余儀なくされていったのではないか。まるで、氷河期ではないだろうか。そういう中で、日本の作家たちは、読者である本人にとってもアドレナリンでしかなかった。 ・へ2・・・樋口一葉も、芥川龍之介も、太宰治も、本当の自分たちのスペースを与えられてはいなかった。ただ書くだけでしかなかったのではないだろうか。彼らを殺したのはその時代の社会ではないだろうか。それは酸性化した肉体に似ている。活性酸素が殺したのだ。彼らは、あの西欧に伝わる幼い十字軍の詩のように、凍ていつた大地を放浪したのではないだろう。あてのない旅をつつけた少年たちであり、親たちを亡くしていたのだ。
2023.01.29
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富士山。夢のように過ぎていく人生であるが、悲惨な歴史があることを学ばなければならない。日本だけではなく、ポーランドの歴史も、読んでいたが、今の彼らのウクライナ情勢への支援の意味が分かる気がする。ロシアの支配が何だったかを歴史が教えている。属国が如何に哀れであるかはどこも同じだろう。だから敗けてはならない戦争もある。今我慢しなければ、あとで百倍以上の苦難があるからだ。日本の近代の作家たちが悲惨であったことを知るだけ、中学生の頃教科書や読んだ本の落差に落胆を覚える。確かに作家と作品は違うかも知れないが、やはり根底に作家の真情があるのであり、人生に敗れた人たちであったという現実は消しようがない。そういう作家群しか、子供たちに読ませるような教科書がなかったのかということでもある。それこそ戦時中大きな顔をして戦争を煽った学者たちが否定され、上流社会に寄生し文壇サロンの甘い汁を吸っていた作家たちが沈黙していったのだろう。そして残ったものが荒廃した言論界であり教育界でしかなかったわけだろう。そのトラウマを抱えているのだろうか。それは克服しつつあるのだろうか。 ・戦後、日本文学が軽視され、あるいは軽蔑されていたのは事実だろう。身をもって言論の自由を叫んだ作家がどれだけいたのだろうか。そういうものがなかったことが、訳のわからない日本文学を習う破目になったのではないだろうか。不毛地帯でしかない。西洋文学に入らざるを得ない状況が、いよいよ文学から学生を遠ざけたのだろう。真実のない所に魅力はないのだ。芥川や太宰にしても、焼き直しの上手い作家でしかなかった所以だろう。 ・へ2・・・私たちが今中々拭えない思い違いは、教育にあるのではないだろうか。正しいものを尊重するという姿勢が弱いのではないだろうか。断固とした確信がないからだ。ふら付いた文学でしかないものを読み過ぎたのだろうか。教育者が信念を持って生徒たちに教えているだろうか。曖昧なものを排して断固たる意思の見解を示せる教師たちがどれだけいるのだろうか。私は、そういう教師にめぐり逢わなかった。
2023.01.29
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寒気団が、上空に入り込んでここ数日寒いが、太陽の陽射しが明るくなってきた。一日数分ずつ日照時間が長くなっている。東北はまだ遅い春なのだろうが、九州の春は、そこまで来ている。もう菜の花がみられるのではないだろうか。木の葉も、太陽の日照時間を10数分単位で感知できるらしい。もう芽を出す準備をしているに違いない。植物だって、春を待っている。 ・愚か者の人間たちが、戦争を辞めようとしないのは、墓穴掘っているようなものだろう。わざわざ早死にしたがっているのは、プライドのためだろうか。人間を殺して、その報いを受けない人間はいない。天が下すか人間が下すかどちらかだろう。戦争を拡大しようとさえしているのではないだろうか。核を使うかもしれないというが、最終兵器ではないのか。そんなものを作る人間の科学が狂っている。そのために人類が滅ぶとしたら、悲劇であり喜劇だろう。 ・へ2・・・喜んで死ぬ人間はいないだろう。何故かならば、この世界が素晴らしいからだ。少しだけ世界を周ってきたが、どこも絶景で満ちていた。砂漠でも、荒野でも、高山病になった高地でも、人間はどこでも生きていかれる。平和の尊さは、まもられなければんらn
2023.01.28
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カラスは不吉だといわれるが、そう思うのは自分の心の中に不安を持つからではないだろうか。百舌が鳴いたといって怖れるようにもなる。他人が不吉だというと段々そう思えても来るからだろう。カラスに聴いてみればいい、そんなことはありませんというだろう。啼きたいからないでいるだけだろう。カラスが本当に不吉なら、それこそ、とっくに絶滅しているに違いない。何でも白だから、黒だからと言っていたら限がないだろう。 ・最近目が悪いので、近づいてみるまでよくわからなかった。暖かいので虫でも出てきているのだろうか。あまりカラスの習性は知らないが、昔はどこにでもカラスがいるのを見たが、最近は大都会に引っ越ししているとばかり思っていたので、田舎のカラスも珍しいと思った。これは休憩しているのか、遊びに来たのだろうか。いや遊びではあるまい。私のような人間のひま人はいないだろう。 ・へ2・・・真面目そうな人間を信用しない。
2023.01.28
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宮地嶽神社参道。みな何でも早いほうがいいというがそれは経済の法則でしかない。皆が効率化ばかり考えていたら世の中はギスギスしてくるに違いない。その兆候もあちこちに出ている。強者が勝つに決まっているのだ。「柔よく剛を倒す」というが、偶々倒すということであって、いつも勝つのではない。そして、負けるとわかっている勝負をさせられている。陽のあたる場所の苗木がよく伸びるのは当たり前だが、人間はそう単純でもない。遣れと言われればしたくない人間見るからだ。寧ろ素直な奴ほど、早く伸びて早く潰れるかも知れない。中学の優等生が、有名高校に入って、却って自信を無くしてしまったという。どうも人間は解らない。何が契機になるかわからない。 ・「もしも・・・」、芥川や、太宰の幼児体験由来や、東大に行かなければ妙なプライドもなかっただろうし、自殺などせずに、大作家になったかもしれない。もっと素晴らしい作品をのこしたかもしれない。「もし」を考えるのは面白い。それは、既成概念を切り離して、新しいニューロンのネットワークを創造することでもある。近道だけを考えるのではなく、わざと遠回りをして考えることも必要ではないだろうか。語彙の一つ一つをゆっくり精査しながらつなぎ合わせていけば良いものができるに違いない。それをしない。価値がないと思い違いしているのではないか。 ・へ2・・・発想の転換とは、オリジナルだということだろう。意識的思考を高めていけば必ず、問題の所在は見えてくるのではないだろうか。人ごみのするところを歩くより、人間には自然の中にいるほうが相応しいのではないだろうか。
2023.01.28
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これまで、私たち日本人は、狭い島国の密集地帯でほとんどの時間を生きてきた民族でもある。それが重荷だった人もいるかもしれないが、それは社会的環境の一環でしかない。「同行二人」という言葉がある。お遍路さんのキーワードだといわれているが、旅を弘法大師と会話しながら旅をするというものらしい。弁証法的であることは、思考を深めることに役立つだろう。問題は、弥次喜多道中になりがちだということだろう。そうではなく、手強い相手にすべきだろう。流石に相手が「空海」では気が重いだろう。このブログも境界が明確ではない。それをやりだすと書くスピードが落ちてしまうだろう。お喋り優先でしかない。 ・孰れ、そうしたいが、ふたりが三人になってもいいが、一人では詰らない。書くことも広がりがない気がする。およそこの社会は単細胞では理解し難い。問題は、固定観念では多くの課題を乗り越えることができないということだ。経済的側面だけを考えて中国やアメリカと外交交渉をしていても必ず息詰まるだろう。いくつかの選択肢を多く持つことが、解決には必要な要素ではないだろうか。選択肢を失くしたものが、破綻することになるだろう。 ・へ2・・・楽に書いている時は、どれだけでも書けるが、書けなくなって根を上げそうになることがなければならないのだろう。そこでじっと我慢して書くことだろう。それまでがどんなに長かろうと100年間はないと信じたい。それでも、為るようになる。自然はいつも優しいとは限らないが、わたしたちがもとめるものをすべて包含しているのではないだろうか。
2023.01.28
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国家とは国家権力の意味である。それは漠然としたものだが、それは見ようによっては非常な力でもある。それを感じるのは、恐らく、国民の目には、しばしばではないかも知れないし、それは大き過ぎて見えないかも知れぬ。歴史を学べば、それはどこにでも散らばっている。というよりも、その歴史そのものが国家権力と国民の自由の歴史でもあろう。帝大と言われた時代で学んだ者たちはいわばその洗礼を早く受けていたに違いない。作家たちはそれをどう表現するかで苦心し、正直な者は自滅したかも知れない。 ・私の場合、法を学び田舎の裁判所の傍聴席でやくざの、恐らく娑婆では肩で風を切っているだろう人物が、肩を落として萎れている姿を見て、これが国家権力のパワーの一断面なのだろうと直感した。法に触れれば処罰される。たとえ総理大臣でも逮捕される。ブタ箱に入れられる。そこでは人間扱いなどされはしない。唆されようが、甘い罠にかかろうが、言い訳にはならない。或いは何もしなくても、犯罪者にされるかも知れない。それは現実にあることだ。どんな生き方をしようと勝手だが、そういう時に自分を助けてくれるものがいるだろうか。それは誰にもわからない。確かに、弁護士はいるし、裁判所も公正な裁判をするというが、それは本当に公正で、誤りのない裁判になるだろうか。それは誰にも保障などできはしないのだ。 ・へ2・・・何をどう信頼しているといえるだろうか。それは何を根拠にしているだろうか。それは確実と言えるのか。おそらく半端な愛情で相手を守るだけの勇気があるだろうか。自由とは、その勇気がなければ勝ちえない社会でもあるだろう。花たちも心ない人間に踏み躙られれば同じだろう。私たちは何を信じて安穏と生きていられるのだろうか。何も信用などできないだろうか。いざという時に自分を守ってくれる安全弁を持っているだろうか。
2023.01.28
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こうして毎日惰性で書いていると、ぼろぼろ抜け落ちる髪の毛のようなもので、自分では気づかないが、老けこんでいるのだろうか。どうやらよくしたもので、人間は自分に都合よくボケるらしい。一番大事なものを隠したがる習癖があるのだろうか。まあそれはひとそれぞれの特質でもあるだろう。太宰はよく、「女語り」をした。自分はそれができると勘違いしていたようだ。それは歪んだ思い上がりだろう。こうして批評できるのも彼が書き残したものがあり、過去の人だからでもある。過去の天才も、現代の遺物にすぎない。 ・書き残すやつは莫迦だろうか。わざわざ足跡を残すようなもので、分析されればけちな人間でしかない。そして、現在がどんな世界であろうと、未来から見れば萎んだ化石の中の姿に見えるのだろう。断面でしか見ようとしないのは自分のスケールがそれだけ小さいからに他ならない。たった個人の50年間や、100年間で自分がこの世で知るものは何ほどのものであろうか。 ・へ2・・・太宰は素直ではない。本当は莫迦ではないだろうか。掻き混ぜた場所が違うのではないか。文壇サロンを羨んだに過ぎないのではないだろうか。そしてそれは自分の愚劣な性格でしかない。どんな作家も自惚れている。自分を科学的に分析できていない。それが日本文学の弱点ではないだろうか。苦悩する場所が違うだろう。社会をトータルで見ようとしない作家はただの自慰のようなものだ。自分の中に留まったままなのだろう。
2023.01.28
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パリ。多くの肉体の苦役から逃れているが、それが、どれだけの意味があるかなど考える人はいなくなりつつある。これは日本だけではないが、世界がすべて同じではない。飢餓に苦しむ人びとが大勢いるのを忘れてはならない。そこに行くのも車で行くようになった。それをしなければ、えらく不便な生活になるからでもあるし、自分の寿命を短縮させかねない。そういう思い込みだけかも知れないが、半分くらいは当たってもいるだろう。 ・自分本位である。我儘である。「自分に甘く、そのくせ他人には冷たい」どうしようもないエゴイズムが蔓延りだして、少し慌て出しているが、自分の子供から反目され、挙句に殺されても仕方がないことをしてきたのではないだろうか。個人がどうのではなく、社会的な現象として噴出している。それは強力な伝染病のように汚染し続けてもいる。やがて大津波のように、人間性のかけらもない社会になるのではないだろうか。漫画の世界が現実化してくるのでhないだろうか。ひとの幻想は全くニューロンのネットワークに無関係のものからは生まれない。 ・へ2・・・この世に存在するものは、みな繋がっているだろう。どこからでも過去や現在に関係し、因果関係がある。耳をすませるべきだろう。そして目には見えないものを感じるこころを取り戻さばならない。ただ足りないものがある。まだまだショートしている。私たちは終わりのない渇望に苛まれている。私もまた田舎の土産店の一つの玩具になろうとしている。
2023.01.28
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美しい北海道。つい傲慢な心を持ってしまうのが、人間の弱点でもある。太陽の光と、その恩恵に浴している事前があってこその命でもある。奢れるのほど愚かなことはない。ポイント・オブ・ザ・ノーリターンまであまり時間がないのではないだろうか。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、 人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはないだろう。 レイチェル・カースン(1907~64年) 海洋生物学者。62年「沈黙の春」により、世界で初めて環境汚染を警鐘した。豊富なデータと深い洞察力、自然への愛情に溢れた名著。他に「我らをめぐる海」「センス・オブ・ワンダー」など。 楽天ブログは、いつもの定期メンテナンスらしい。時間は一応記載されているが、余り守れられたことがない。具体的な内容とか進捗とか、つど告知されないところをみると、親切とは言えない。それと、スタンスや方針が明らかにされない。それでも黙って使っているほうも、ある。世の中には、崇敬する人もいるものだと思う。だが、少なくとも一杯はいない。そういう先祖ばかりだと、もっと違う世界だろう。楽天も企業でしかない。営利会社で利益を追及している。社長のいくつかのメッセージも読んだことがあるが、あちらさんの考え方でもある。 ・今午前5時だが、予定時間を30分経過している。予定は未定だというのだろう。確かにそうだが、日本で最大の利用者数というブログが、これでは、「お寒い」のではないか。まあ、写真の容量が少ないとかも一向改善されない。まあ、それも企業のスケールだろうか。思惑は外れることに大方決まっているらしい。 ・へ2・・・レイチェルのいう、「人生にあきてつかれたり、孤独にさいなまれる」ことがないとは言えないが、私だけではなく、何かに耐え、そして乗り越えようと努力もしているのだろう。障害はつきものであり、何時も腹がたつが、それを我慢しなければならない。それは、きちんとできていれば覚悟もある。「地球の美しさ」をどこまで私たちは知っているだろうか。「センス・オブ・ワンダー」の本をもっているが、彼女が見ているのは、誰でも知っている世界である。孫と海辺に行って感動して書いている。誰でも知っている自然で暮らしていた。そして計り知れない自然に触れたのは心だったということだろう。そして、彼女は科学者でもあったのだ。感動はどこにでも転がっている。 それは、やはり「センス」なのだろうか。
2023.01.28
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考えてみるとこうしてぼーっとしているというのもいい時間なのかも知れない。さしあたりのことが強制ではなく、自分の自由であり、何も考えているわけではない。精確に言うとそうではないだろう。自分がそう思っているだけにすぎない。感覚は右往左往している。一杯のコーヒーを飲むのでさえ多くの機能が同時に作用しなければならない。いまはそれが当り前で、何の障害もなくできているので感じないが、たった一杯のコーヒーでさえ他人の手を経ないと飲めないとしたら、寧ろ苦痛にさえなるだろう。私はこれまでそういう苦しみを知らないだけだろう。かかわりのない人生でもなかったから、多くの人たちにも迷惑をかけたのだろう。それが心の負担になっていないのは、よほど私が鈍感か、それほど酷くでもないかも知れない。 ・こうしていられるのも自分があまり執着していなかったからだろうか。厭なことはあったけれど、相手を殺したいと思うほどの目には遭わなかったからだろうか。それとも忘れてしまっているのかも知れない。どうやら前頭葉も都合の悪いものは消去するらしいから。それこそ砲弾の下を這いまわったことはない。それは思えば有難いことなのだろうが、凡庸にもなったかも知れない。若いころは自分の老後などということを考えたことはない。 ・へ2・・・自分たちが楽をしているのだという自覚もなかった気がする。ただ目の前の仕事が手放せなかったのが、それがカネのためだなどという思いさえなかったくらい無知だったということなのだろうか。他人の尻を追いかけているという自覚もなかったくらい歯車でしかなかっただろうか。ただの親父でしかない。段々冷たくなっていくコーヒーを飲みながら、最初の一口目の熱くて豊潤な香りが飛んでいることに気付いてはいる。だがコーヒーはコーヒーだとも思っている。古女房だって同じだろう。政治家は、一度は首相の座に就きたいと思うらしい。VIP待遇を受けることが夢でもあるらしい。居心地が良いと一日でも長くと思うのだろう。ケチな政治家が多いのもある。権力闘争に明け暮れるからだろうか。麻生家の家訓は、一寸先は闇だという話を聞いたことがある。百戦錬磨の麻生太郎も、数々の失言をしながらまだ未練があるのだろうか。二度目を狙う人もいる。恐らく死んでも治らない。岸田政権も、脇の甘い内閣である。誰でもそうなるのだろうか。どうやら本人よりも周囲が、はしゃぎすぎるのかもしれない。これは韓国にもある。一族郎党というのかもしれない。一人ではできないことばかりだからもある。学歴や門閥も、組織の力に頼るところがあるのだろう。個人はたいしたことはないが、束になってくると怖いという。国家権力と個人の関係は、封建時代からまだ脱してはいない。
2023.01.28
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関心をもっていることだけしているようでは新しい発見は少ない。寧ろ関心がなかったことに目を向けるべきではないだろうか、と思うようになった。そう思ったのは、数年前から少し熱心になっている公開講座が齎した好い点ではないだろうと思っている。日本文学というのは、頽廃の文化だろうと思い込んでもいた。世界にアピールしていないではないか。それが抑制されていたかもしれないが、それを跳ね除けてあるべきなのではないか。まあ偏見だろう。作家が好きではない気がしていた。そして、いまもそれが変わったわけではない。ただ見えてくると、それは無関心から来ていると思うようになっている。 ・確かにいいところもあるのだろう。工夫もされてきた。日本人の形質は、狭い国土で肩を寄せ合って生きる知恵もあったに違いない。それが複雑な進化にもなったのだろう。だから、これから愈々世界が狭くなっていく中で、周辺とどう付き合っていったらいいかという側面で参考になることもあるかも知れない。それが日本人自身で発見できるかでもある。外国人から指摘されるようでは意味がない。 ・へ2・・・どこに価値あることがあるか、それを見出す知性が必要だ。それが感性でもある。知識ではない。自分の目で見ないと新しい発見はできないだろう。眼が腐るくらいあちこと見て歩くべきではないだろうか。それが日本人には欠けている。じっとしていても何も得られないということだ。殺されてもモスクの中に入っていく勇気がいるだろう。キリスト教も同じだ。遠慮していたら、自分の寿命が先に尽きてしまうだろう。無関心は恥だ。金日成の遺訓が、金正日、金正恩の息子と孫に引き継がれているという。「中国人は、嘘つきだ」ということらしい。朝鮮半島を、チベットや新疆ウイグル自治区のように扱えるために米軍撤退を画策しているというのだ。。隣国同士の大国と小国との関係は、歴史を見ればわかることだ。常に朝鮮半島は、中国に半ば支配されても来たからだ。彼らの今日の複雑な形質は、歴史的背景を抜きには語れないだろう。もし韓国から駐留米軍が撤退したら、朝鮮半島が、中国の標的にされることは目に見えている。中国は、そういう国家でもある。チベットや新疆ウイグル自治区が、その証明でもある。そして香港が、その延長にあり、今度は台湾であろう。その次が朝鮮半島だろうか。沖縄かもしれない。それこそ口実はどうとでもなるだろう。然し一枚岩といわれたものが、内部から崩壊することはある。中華思想を掲げて、いまだ実現したことはないからだ。
2023.01.28
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星野リゾート。西側が、一枚岩でないように、東側もそれぞれの悩みを抱えているようだ。日本も、保守と革新では、激しい対立がある。経営者と労働者もウインウインではない。森友。加計、桜、五輪汚職、そして、今は旧統一教会がある。保守政権の裏側は、蛭の裏返しのようなものだ。こどものころ蛭を捕まえて血祭りにあげていた。日本の戦後は、確かに戦争を銃を持ってしたことはなかったかも知れないが、朝鮮戦争や、ヴェトナム戦争もそうだが、一つ間違えば戦争に巻き込まれかねなかったし、常にリスクにさらされていたといえなくもない。何故なら冷戦時代の部外者ではなかったからだ。20世紀の多くの紛争や戦争が、まるでパンドラの箱のように、それぞれが原因となり、結果となって重層的な様相を呈したといえる。 ・それこそ、暮らしの中の隅々にまでそれは及んでいるのであり、誰一人その柵から逃れることはできないのであろう。それが直接に銃を突き付けられなくとも、日本という国家につきつけられた脅威は、国民一人一人の運命を決めるからである。何故これほどまでに不幸を背負い込もうとするのであるか。それは解らない。おそらく、ただ事ではない社会が招いているからでもあるだろう。或るものは血を吐いて死に、或るものは癌死し、或いは憤怒し、そして頓死もする。7000万年前にマンモスは突然姿を消した。何があるだろうか。恐らくちっぽけな人間の考え及ばないスケールでことが起こり、一挙に絶滅もあるに違いない。知らないのはその絶望に耐える力がヒトにはないからではないだろうか。 ・へ2・・・自分の脳のニューロンのサイズは、どれだけこの世界をカバーすることができるのだろうか。それは、宇宙の総体を把握できない以上解る筈がない。解らないからすべて神にしたり、無限にしたり、不可思議にしてしまう。大昔から、自分たちの知っているものと、知ることができないものを区別してきた。だから、まだ不安になり、先祖の真似をしている。
2023.01.28
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星野リゾートトマムザ・タワー。時代は激変し、長く生きてきた人間はいつも置いて行かれる。恐らく私もその一人である。誰も明日が見えない。或いはレイチェル・カースンが言うように、大人たちは感性を失い、すべてを失いながら生きている。燃え滓になっていくだろうか。明日に届かない生命だからだろうか。すべては頷ける話だ。だが、それを口に出さずに生きていこう。それは人間の優しさだろうか、非情さだろうか。時々分からなくなる。恐らくその双方なのだろう。 ・焚火を見ると不思議な気分がする。火を発見して、人間は変わった。それからずっと変わり続けてきた。私たちはその子孫であり、そして祖先になる。遺伝子は引き継がれていくだろう。先祖が見つめた焚火が、いま私たちが見つめている。「どんど焼き」を幼い時みつめた炎だった。そして夫々の人生の個としての人間として、ひとびとは黙って見つめている。 ・へ2・・・人生は「塞翁が馬」だという。どうやらそれは西欧でも同じらしい。どこか人間の形質は、通じているのだろう。人類は殺しあわねばならない運命があるのではない。平和の論理を見つけられないだけだろう。誰かがそれを早く見つけねばならない。そのために、あらゆる努力を尽くすべきだろう。火を囲んで語り合い武器を捨てねばならない。
2023.01.27
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和白干潟のクロツラヘラサギ。寒椿と山茶花の区別がつかなかったようです。どうも花の名前とか、植物とか知らないものが多いのは、中学ころからの自然離れがある気がします。どうも同世代で、農家の人がいたことさえ知らない。熊本市内で育って私ですらそうだから、都会では、自然に親しんでいる人が如何に少ないだろうかということです。ブログで詳しい人がいて感心しますが、私が以前載せていたのは山茶花のようです。Webで調べたら、 ・ツバキは春に咲くが、サザンカは秋~初冬に咲く。 ・ツバキの花は、花ごとにひとかたまりになって(首が落ちるように)落花するが、サザンカは花びらが一枚づつバラバラに散る。 ・ツバキの花は葉の裏側に隠れたように咲くが、サザンカの花は葉の表側に付き、小さくても目立つ。 ・ツバキは首が落ちるから縁起が悪いと祖母が行っていたのを思い出しました。昔私が見ていたのは椿だったのだろうと思います。それで寒い時に咲くから寒椿だと思い込んでいた。見分け難いのもあるらしいですね。段々、自然が遠のいている。 ・上の写真は、上記の特徴を疑う余地なく示しています。山茶花です。
2023.01.27
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何とも厄介なのは、この社会が営利社会だということだ。功利主義がある。誰かを餌にして利己的に生きている人が、寧ろ成功者と看做されがちだ。華麗さが、欧米風だという偏見でもある。そういう価値観がまかり通っている。それを打ち破らねばならない。それは、容易ではない。 ・多分一挙には変わらないだろう。自分一人ではできない。自分の内なる卑屈を打破しなければならない。とても漱石の漢文の素養には勝てそうにない。当たり前だ。しかしあとから来た私たちには、漱石にないものがある。それは時間だ。時間をかければ出来るだろう。漱石の限界を見ることができる。それをやるかどうかだろう。切っ先を誤らないことだ。 ・へ2・・・あちこちにある落とし穴は、仕組まれた罠でもある。運などに自分の人生を任せてはならない。近くの和白干潟には、越冬する渡り鳥がいる。寒風の中で耐えている姿は感動的ですらある。彼らは春がいつか来ると信じて耐えているのだろう。西欧に負けないだけの知的社会を構築しなければならない。それは真似ることではない。阿ることでもない。自分自身の知的教養を向上させることによって達成されるだろう。
2023.01.27
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せめて「人生のテキスト」があればどんなにか無駄なく生きたことであろうか、などとくだらないことを考えるのは凡人の常かも知れない。人の数だけ「座右の銘」も違うだろうか。当然が、必ずしも必然ではない。苦悩が多いだけ悧巧になるのであれば、この世界ももっと住み易いものになったのだろう。聊かもって皮肉な世でもある。漱石の「草枕」を読んでみた。何度読んだだろうか。育ったところが、<「おい」と呼んだが返事がない。>の峠の茶屋の近くだったので、多分中学の頃から知っていて、よく前を通って、<「おい」と呼んだが返事がない。>と、口の中で繰り返しながら茶屋を覗いたものだ。確かに誰も見たことがなかった。峠の茶屋の前を通って、すぐ近くの金峰山という小さな山に登っていた。子供でも登れる山だった。まっすぐに山頂に登れる「猿滑(さるすべり)」というのがあり、かなりの急勾配を登るのが常だった。 ・金峰山は、熊本の人たちと同じように、毎日朝な夕な眺めていた。やがて私も熊本を出て、父母のいる熊本に帰るときいつもこの山の姿を見ると懐かしさに、「ああ、キンポウザン」と呟いたものだ。人生の道標が見つけられずに悩んでいた。鹿児島本線の遠く玉名市辺りからその山の姿が見つけられた。学校で、どうやら物心ついた中学生頃からいくつかの教科書で学んだが、心に残っているのは断片でしかなかった。千切れた破片のようなものばかりで繋ぎ合わせることができなかった。自分を責めてばかりいたのだろう。 ・へ2・・・自分の人生の責任は、自分でしかない。自分が自分の人生を決めている。世間のそれは、つけたしでしかない。「草枕」の「智に働けば角が立つ、情けに棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。・・・」 のフレーズが口癖になっていた。先走ってばかりいた。中学生で老人のような心持がしていたのだろう。人生のテキストがなかったからだ。 そうして、いまも、<「おい」といったが返事がない>人生を続けている。
2023.01.27
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三保の松原。漱石の時代から、どうやらそれから、とんと頭髪が抜け落ちたのではないだろうか。どちらがもの思う野蛮人だろうか。それとも草木の生えない禿山の住人になってしまったか。ニューロンのネットワークが欠落したのは現代人ではないだろうか。 「草枕」に、長良の乙女の話がある。 あきづれば、をばたが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかな 「・・・普通ありふれた恋とか愛とか云う境界はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。」 はてさて、漱石は稀に見るタヌキだろう。知ったかぶりの現代の流行作家ではない。下手な週刊誌の上前を刎ねかねない。これは朝から妙な所へ迷い込んだ気分だ。 ・長良の乙女と、似た話が中国にもいくつかあるが、真似たのだろうか。どうもそうではないだろうか。それこそ、ガラスのような女性が日本にいたとは思えない。どこかの池に飛び込んでも底が浅くて、すぐに浮いてきただろう。 ・へ2・・・漱石は、読者の蒙昧を突くコツを知っていたのだろう。芥川は師を亡くして孤児になってしまった哀れな作家だった。
2023.01.27
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和白干潟のクロツラヘラサギ。別に専門的な知識がなくても興味をもったことを遣ればいいと思う、それはきっかけでありそこから始めればいい。更に興味があれば深化させるだけだ。部分的な専門家になっても「木を見て森を見ない」では意味がない。偏頗な人間にならないことだろう。近所に大学があるから出かけてみる。散歩がてらに図書館があれば利用すればいい。周辺を調べて、自分の本拠地に何があるか知らないでは始まらない。自分の生きてきたのが完璧な人はいないから、必ずしも、すべて自分の環境が満足なはずがない。 ・さて、今日は和白干潟に時間を見て越冬する渡り鳥でも見に行こうかと思っている。少し寒そうだが、運が良ければクロツラヘラサギ(日本では、九州および沖縄で毎年冬鳥として約100羽が記録される。日本で観察される個体数は1990年代半ばから少し増加している。また、日本で夏を過ごす個体例も報告されている。生息数が少なく世界的に貴重な種である。)でも見られるかも知れない。実はまだ見たことはないけれど。和白干潟は渡来地として知られている。 ・へ2・・・フレキシブルな発想が必要だろう。こうでなければならないものはない。疑い、観察してみる。そこから始まることが多いのではないだろうか。ずっと新しい新車はない。
2023.01.27
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和白干潟。 和白干潟が野鳥の生息地として重要だというのは言うまでもない。多くの生物が生息している。それを目指して渡り鳥たちも集まってくる。これだけ大きい干潟も日本では少なくなっている。それを人間たちは自分たちの利便のために地元の反対を押し切り人工島を造り、その人工島によってもたらされる影響すらまじめに調査しようとさえしていない。一部の魚介の影響を調べるだけらしい。九大や女子大の研究チームが、乏しい予算の中で定期的な実査をされて成果を発表されているのを聴いたことがある。博多湾は10数mの浅い湾である。湾奥にある逃げ場のない和白干潟に、人工島が全部ではないが塞ぐのだから影響がないはずはない。 ・人工島は利権に絡む汚職もありの、色々自然破壊だけではない問題を惹起させている。果たして、それだけのスペースが他になかったのだろうか。それこそ大都会というわけでもなく、周辺には、いくつもそれに代わる土地がないわけでもなかった。ただ言えるのは、和白干潟が無視されたことだ。大して重要な自然ではないと和白干潟は国や、福岡県や福岡市や経済界から見られていたのであり、市民も大多数が反対しなかったという理由だろう。 ・へ2・・・その証拠には、だからこそ、全国で宅地開発がされ、これだけ自然破壊が進んできたのでもあろう。地元のエゴが何にでも反対すると思われているだろうか。間違ったことを改めるのに何十年もかかっている。水俣病が患者が救済されるのに何十年間かかっただろうか。熊大の原田正純講師の研究が無視され続けたではないか。まず弱いものから殺されていく、国民が気づいた時には危険が身に迫っている。 世界の温暖化もあとタイムリミットが10年を切っているというのに、アメリカも中国も京都議定書さえ調印していない。これでは人類は滅亡するしかないと思うのは当然ではないか。 和白干潟もいずれ・・・なくなる運命だろうか?
2023.01.27
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星野リゾートマムザ・タワー。好々爺などではない。なりたくもない。そんな年齢でもないが。どうも足がそちらに向きつつあるのは思うだけで吐き気がする。雪の降らない年はあっても、腹の立たない日がない。ストレスは溜まる一方で、血管の中にはヘドロが流れている。 ・和白に住んで40数年経過したが、ここで死ぬかは決めていはいない。先ず和白といったら和白干潟だろう。それしかない。かも知れない。ただのありふれた福岡市の東部に位置した街である。田舎であることには違いがない。ゴルフ場がある。国道3号線が走り、福岡の中心街までJRで20数分、車で都市高速を通れば10数分で着く。まあ副都心の香椎に隣接したベッドタウンである。人口増加が続いてもいる。 ・へ2・・・航空機が着陸態勢でタッチダウンする福岡空港まで数分の距離でもある。多い時は数分ごとに飛来してくる。滑空してくる航空機が好きだ。ああいう風にして静かにタッチダウンして、死ねたらどんなにいいだろうかと思ってしまう。ここから見る景観がが好きだ。
2023.01.27
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「薬も毒だ」と学生の時、薬学部のペンフレンドが教えてくれた。幼馴染だった。ガールフレンドではなかったが、熊本と大阪と離れていたので励ましあって盛んに文通していた。「薬には必ずリアクションがある。毒でないものはない。今死にたくないから、飲まねば死ぬのであって、それを回避するだけだ」と。その時、私にはショックだった。薬に副作用があることを明確に考えたことがなかったからだ。そして、「薬と毒」がいつも頭から離れなくなった。それは、「薬」だけのはなしではない。「物」のばかりのことではないのではないだろうか。物理ばかりでもない。人間社会にも当て嵌まるかも知れない。善悪にもあるかも知れない。 ・レイチェル・カースンも「殺虫剤」が環境破壊を招くことを警告したが、アメリカ社会はそれを無視しようとしたし、いまだに薬品メーカーは、薬を製造して大儲けてもいる。政府は国民にとって薬にも、毒にもなる。権力は「諸刃の剣」だろうか。処方箋を誤ると大変なことになるし、なっている。彼女とは、子供のころは一緒に遊んだが、中学生の頃から余り顔を見なかった。家が向かい側にあり、水を飲みに真夜中台所に立つと、彼女の勉強部屋がみえて、いつも電気が点いており励みになった。また行くとまだ点いている。朝まで競争した。そういえば、大学になって文通を始めたのは、長い手紙を貰った。内容はもう忘れた。大事に手紙の束は残していたが、いつの間にか失くした。 ・へ2・・・友情は愛情にはならなかったが、いい友達だった。表でなく、隠れた友であったのあろうか。このことを誰とも話していないが、こうしてブログで書いている。そして蘇ってくるものがある。それは、幼いころから傍にいて励ましあっていたことだろう。その存在は軽くはなかったといまさらながら感じてもいる。「薬は毒だ」という言葉は、私のこころにずっと人生の教訓の言葉でもあるからだ。それを彼女が教えてくれた。 ・誰も好きではないと思ったりするが。それは表面的、皮相的なものでしかない。これまで平気に生きてきたのでもないのだろう。刻まれている顔の皺も深くなるわけだ・
2023.01.27
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北海道。星野リゾートマムザ・タワー。トマム。老化の機序 「老化」は「加齢」だけの問題ではない。生命に係る問題でもあるが未だ解明されていない。基本的特徴は、アメリカのストレーサー(1982年)によれば、4つある。 ・老化とは、斬進的、不可逆的である。 ・老化とは、生体に有害で、機能の低下を齎す。 ・老化とは、生命体の内因に由来し、環境要因によらないこと。 ・老化とは、種の全構成員に等しく起きること。 と言われる。ヒト正常細胞には寿命があることはわかっても、何故生命が誕生するのかのメカニズムが分からなければ意味がない。老化も同じだろう。 老化することはわかるが、答えは一つではない。人間も好きになったり嫌いになったりする。嫌いで堪らなかった相手が急に好きになったりする。一葉の作品や、古典文学でも飽きるくらいにストーリーがあるが、現代でも同じことが繰り返される。 況して、人生は不可解だらけだし、「老化」もそうだろう。一寸甘い汁を吸って世の中が甘いなどと勘違いしている向きが多いのはそのうち泣きをみるだろう。
2023.01.27
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日勝峠~新千歳空港。好きなものに溺れないことだ。恋愛に溺れてしまえば人生も暗くなる。兄弟愛がわからない人間は不幸でしかないのだろう。学問を餌にしようとしているのではないか。これも商業主義か。時代だろうか。利益が悪ではない社会である。利益社会が今日の繁栄のベースになって来たのだ。ロシアや中国でさえ個人の自由を拡大させてきている。スポンサーがカネを出さないと研究もできない。ひも付きの研究が今日の学問の正体でもある。つまり研究者は首輪をつけられ、後ろに飼い主がいる。 ・雨後の筍のように、新しい研究が生まれ、分岐がされている。まるで蜂の巣のようでもある。研究者はその「蜂の巣」の住人であり、迷路の案内人であろう。彼らは働き蜂でしかないかも知れない。オスはいない。姉妹たちばかりなのだろう。こうした人間性をなくしつつある社会を研究者自身どう考え捉えているのだろうか。また、戦時下でものが言えなかったと弁解するだろうか。彼らの得意なのは弁解だろう。弁解の巧さだけが際立つようになった。 ・へ2・・・詳細な「脚注」をのせ「論文の書き方」のマニュアルに沿ったものが所謂「論文」なのだそうだ。経済学でも取ってつけた「数式」を載せないと博士号は取得できないと、ある若手の博士が言っていた。そういう謂わば「箔」が要請されている。右足と左足の軸がズレ出している。バランスが崩れてきたのではないだろうか。妙な話が多すぎるようだ。漱石の「非人情」かも知らぬ。群れているだけで創造性をなくしつつあるのだろう。それは個としての自信がないためではないか。自信を失くした学者など学生は尊敬しない。先生のない学校ばかりではないか。それとも競馬馬のようなサラブレットか、クローン人間ばかりになってしまうのだろうか。なにかぞっとするものがある。背中に冷たい戦慄を感じてならぬ。
2023.01.27
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