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「吾輩は猫である」の先生の家の裏にある車屋の八っちゃんは主人が怒り出すと必ず泣き出す。「泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられる」のである。読んでいて可笑しくなるが漱石に創意のユーモアが世間の感情を知り抜いていると思う。そこで暮らした人でなければ解からない機微がある。人生の襞のような人間関係があちこちに絡まりあっているのではなかろうか。一見意外な関係が浮かび上がるのだ。 ・八っちゃんが泣くにも理由がある。何もないのに泣きはしない。それがまさか先生と赤ん坊というラインを想像することは新しい発見である。たとえ隣同士に住んでいたからといって常識では繋がりようがない関係であるが、じつはそうではないということだ。かみさんは赤ん坊をどうするのだろうか。そんなことは関係がない。漱石はどうするか書いていない。泣き出せばいいからだろう。名のない猫だって喋るのだ。 ・へ2・・・点と点を「線」にすることもできる。そこにユーモアもある。リスクもあるだろう。喜怒哀楽もあるかも知れない。「あなたである女」と、「女であるあなた」は違う。くだらないフレーズも、或る人には意味があるかも知れない。意味を付けるのはその人の想像力であり、理解力である。判らない人にはわからない。漱石は文学者だけの漱石ではないだろう。
2023.03.31
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「視覚」は動物にとって重要な情報源だ。それは人間も変わらない。ふたつの目もそれぞれ役割が違う。ふたつあることは、ものを立体的に見ることを助けているだけではない。それぞれの目は、右脳と左脳に交叉して繋がっている。こうして考えると、無駄な働きはない合理的な動きをしている動物や人間の存在は、驚嘆に満ちてもいる。自分はこうして自分の脳で五感からの情報を得ながら書いているが、自分の周囲の人たちも、違う目を持ち考えていることがどうも容易には実感できないだけでなく、不可解な存在にもなる。そして、動物となると尚更だ。人間とは違うシステムをもってもいる。つかまえどころのない宇宙の中で小さな存在である自分を見出すのは至難でもある。 ・加えて、植物もある。さらにその先には「自然の摂理」があるのだろう。45億年をかけて地球の形成から、やがて、生命が誕生して、それぞれ現在では数千万種の生命が存在し、進化を遂げている。人間のエリアで生きているが、個人は60兆の細胞の集積物であり、多細胞の複雑系に存在している。こうしてみると、他人の存在も夫々が、惑星外生物のようにさえ思えてくる。まして、犬や猫ともなると、彼らの世界も異次元のようでもある。彼らに人間はどのように映っているだろうか。それはさらに深い闇の中だ。 ・へ2・・・「他人の心」を思いやるということが如何に難しいかということだ。日本の人工衛星「希望」で何が解かるだろうか。その名付けた意味がどういうことなのだろうか。自分で判っていると思っているのは、まだ犬や猫の目でしかないのではないだろうか。もっと人生にはふかいものがあるのではないだろうか。そして、植物をみて、動けないと嘲笑することはできない。自分も動けないでいるかも知れない。ただ自分の狭いエリアの花を咲かせることしか考えていないかも知れない。
2023.03.31
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現代病はいくつもある。食生活や運動といった生活習慣の歪みが大きく介在している。 "life-style related disease" の観念が一般化してきた。日常のライフスタイルの活性化が基本である。散歩やジョギングによる有酸素運動を一日30分以上が目安になる。せめて自分の年齢に見合う歩数を目標にすべきだろう。私は、今一日2万歩を歩いている。 ・何も準備する必要がないのがウオーキングだろう。戦争をしているわけではないのだから、日本でならどこでもウオーキングはできる。場所を選ぶ必要もない。同じところをぐるぐる回っても好い。景色のよい場所でなければならないのでもない。自分の歩く場所が散歩道だ。夜でも昼でも、どこでも歩けば良い。足は、第二の心臓と言われる。心臓は動いて価値があるのだ。 ・へ2・・・綺麗な足ではなく、働く足で好い。この大気の重力に逆らって歩くことが、健康を増進させる。眼が覚めて動き出すのは歩くことだ。歩くことで臓器も働きだす。食欲を増し、意欲も湧くだろう。歩くことに対する障害がないわけではない。あるのは当然でもあるだろう。どう工夫して続けるかが問題でもある。それでも呼吸を止めるわけにはいかないし、心臓を止める訳にはいかないように、歩くのを止めるわけにはいかない。
2023.03.31
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読書が面白いのは、視点の面白さでもある。だから童話でも駄作でも、読み方次第で果てしなく興味が湧いても来る。読者の読解力が問われもする。今日は梶井講座の最後の日で、そのひとつに「温泉」というのがあり、それが三作品あり、みな「断片」である。作品ではなく断片である。作家が、書きかけている。それを並べてある。文学をできたものしか喜ばないのは、文学を娯楽にしている者たちだろう。 ・文学で食っている者は、少しシビアに読むのではなかろうか。表からばかりではその建物の造りが見えないからだ。素人はばらばらにしても組立直すことができない。解体屋でしかないのだろう。自分では書こうとはしない。無駄な努力をしない。無駄かどうか遣って見ようともせず、他人の描いた建物ばかり見ている。花を見ても観賞するだけなのだろう。他人が苦労していても、自分はバスの窓から覗いているだけで、人生を終わろうと考えている。 ・へ2・・・ひとは元々勝手な生き物でもある。だから自分の好きなものを見て好きなことを考えようとする。梶井も自分が肺病で死んでしまうと諦めていた。彼が結核がこんなに簡単に克服されるとは思ってもみなかっただろう。ひとは自分の心の中にデッドロックを造ってしまってしまう。それは、何でもないかも知れない。がんもあと5年もすれば、特効薬ができるかも知れない。自分の一生を生きているのは胡桃の中の フレーム・オブ・レファレンス でしかないのだ。
2023.03.31
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オリンピックのメダル取得と報奨金とか、外国の話かと思っていたら日本でもあるらしい。それに企業が絡むと宣伝広告費を出す話にもなる。カネとスポーツが、絡んでくると途端に、いやらしくなる。スポーツマンシップのオリンピックが汚されてきた。高校野球もプロに入るための登竜門でしかない。文化が高くなるとは勝利優先の社会のことだろうか。 ・特権階級を作り出して、貴族と奴隷と作り続けている世界がある。そこでは強者でなければ生き残りはできない。1億人以上の戦争犠牲者を出して20世紀は、戦争の世紀と言われた。その教訓の下に国連も生まれたが、戦勝国の安保理が世界を牛耳ってもいる。アメリカの未だに戦争を続けている。それこそこれだけ事件事故が起きても銃規制ができないでいる。 ・へ2・・・明治維新後、武士の廃刀令があったが、武士たちの反乱の最後が西南の役でもある。西郷どん」が、大河ドラマで始まった。150年前の日本人は、武士階級を捨てたのだ。トランプ政権は、それこそ特権階級のシンボルなのだから、銃規制をするはずがない。世界に戦争をさせようとするのだろう。
2023.03.31
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ローテンブルク。時代にスポイルされる。企みのある社会である。純粋なスポーツと言っていたが、最早理想でしかないのだろう。選挙年齢が18歳にもなっているから、日本人も変わらねばならない。健康寿命が、男は72歳らしい。勿論平均年齢だ。そして寿命との間にはタイムラグがある。世の中の世話になりたくはないが、介護もしてもらわないと安らかにあの世にも行けなくなる。 ・自堕落になるように庶民は誘導されているのだろうか。選挙の時しか、政治家は頭を下げなくなる。選挙権の有効な審判をさせないように仕向けられる。安倍内閣は、憲法上は正当に選挙された国民の代表でも実際は違う。その体裁を取っているだけだ。数のマジックがある。尊敬できない人がヒエラルヒーの上にいるのだ。 ・へ2・・・歴史上の人物が偉大だったわけではない。その下で働いた人たちの自己犠牲がある。なぜ神風連や佐賀の乱、そして西南の役が九州だったのだろうか。13,000人の薩摩から西郷が立たねばならなかったか。維新の英雄が、悲劇で終わるのだろうか。解らない明治の人たちがいる。そしてその末裔が私たちだ。
2023.03.31
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昨日は、3か月一度の定期診察で、10キロほど離れた国立病院に行ってきた。定年前から通院しているから、20年以上になる。マイカーで通院していたから然程苦痛でもなかった。そろそろ免許の切り替えがあるが、更新しないつもりでいる。視力があまり自信がないこともある。高齢者事故が多くなりやってからでは遅いからだ、運転は好きだし、買い物や通院のこともあるが、通院は年に4回でもあるし、妻が送迎してくれるらしい。いざとなれば、ほかに手もあるだろう。 ・妻は、運転が好きで、若いころから乗り回していた。結婚してからも妊娠するまで、熊本市から玉名市の電話局までマイカー通勤していた。福岡に来てからも、かなり長い間、毎日数キロの最寄り駅までマイカーで迎えに来てくれていた。どうやら、寄り道させないためだったのだろうが、車に乗りたかったのだろう。義母が入院して、毎月福岡と玉名と数回は見舞いに行っていたが、たいてい彼女が運転していた。6歳年が離れているので、運転はまだ自信があるらしい。 ・へ2・・・ドライブにまだ未練がないわけではないが、失明しかけたこともある。恐らく最近は、年間5,000キロも走っていない。その半分くらいだろう。バス観光をするようになったら、バスも中々気楽でいい。来週は、小倉から、新門司港から名門大洋フェリーで、大阪南港。そこからバスで、吉野山の千本桜と、奈良公園の東大寺などをバスツアーしてくる。帰りは、新幹線の予定だ。自分は不完全な人間であるが、社会がまだ生かしてくれている。
2023.03.31
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それこそ肉体は鍛え方次第なのだろう。元々化学反応で運動もしている。飴とサーカスというローマ帝国以来の伝統がある。戦後アメリカの占領軍が残した爪痕は、日本人のトラウマになってもいる。それは中国や韓国人が未だに反日だという事実もトラウマでしかない。恨みはいつまでも続くのだ。執着心こそ、人間の性でえもある。 ・中学生の頃、クーベルタン男爵の話をスポーツマンシップに感動した。理想と現実は、ますます乖離していくばかりである。オリンピックもメダルを取って報奨金を貰うのがいつか目的になるのではないだろうか。高校野球もドラフトのためでしかないとすれば、興味を薄れていく。大相撲もこれだけ外国人の力士が多くなれば国技ではない。商業主義が支配もしている。単なるショーでしかない。 ・へ2・・・現代の大企業の本質は、番頭と丁稚ドンでしかない。世間を誤魔化してお店を守ろうとする。労働者をこき使おうとするだけだ。汚ない政治の背景には汚ない経済が下部構造としてある。汚染されたものを食べで私たちもモンスターになるのだろう。それでも生き残るものだけが生きてもいる。
2023.03.30
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五位は「芋粥」をあきる程飲んでみたいと思う、それが唯一の欲望になっていた。彼は、一切の不正を、不正として感じない程意気地のない、臆病な人間だった。まるで周囲の軽蔑の中に、犬のような生活を続けて行かなければならなかった。五位は身分が低く、当時の芋粥は、貴重品で年に一度、僅かに喉を潤おすに足る少量しか飲めなかった。やがて、敦賀の男から誘われて旅をして、念願の「芋粥」を山のように積まれたが、堤にいれた「芋粥」を目の当たりにした五位は吐き気を覚えてしまう。そして五位は、「芋粥」を飲んでいる狐を眺めながら、此処へ来る前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返った。「芋粥」、五位、狐とそれは、いろいろ読み替えることができるだろう。芥川の作品は、この種の比喩が多いようだ。これも、現代に置き換えると興味深いようだ。善良な市民とは五位のような人間をいうのかも知れない。「芋粥」は、カネだろうか。何か切なくなるが、芥川の才知が時代をを超えて蘇る思いがする。
2023.03.30
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神風特別攻撃隊の著者猪口中佐は「最早事態は人智を超えていた。人智を超えていたからこそ、いまはこれら青年達の純一無垢な精神と、自己の精神の潔癖を保持しようとする瑞瑞しい気力を措いては、他に奇跡の行なわれよう筈がなかった。」彼らは、日本的精神主義の最悪の代表者だ。ある収容所長の訓示は、(「あれから七年」)「・・・わが国には古来日本精神がある。これが結晶した精華が軍人精神である。お前たちが軍人精神を横溢さして、毅然として俘虜に接するならば、それは俘虜の精神状態をひきしめ、物質文明に毒されている彼らといえども、おのずから物質にたいする精神の優位を感知し、困苦欠乏によくたえ、栄養失調のどとき軟弱病を克服し、全面的に増産に協力するようになる・・・」「至誠天に通ず」とか、精神主義は、今日でもその影響が強くのこっているだろう。精神が肉体あるいは物質に優先するという考え方は、日本人の抱えている課題でもある。窓外の夕暮れに染まる風景に見惚れていた。木々が風に戦いでいた。ヒトの祖先がまだ木の上に過していたころどういう姿勢で眠っていただろうか。不安な夜に慄きながらながい一夜を過していたのだろうか。祖先のながいながい苦闘の末に私たちがあるだろう。
2023.03.30
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日常で不断に起きている当たり前の現象はかたっぱしから無視して、もっぱら特異な現象を拾い出すようにできている。人間はオートマトン部分の上に乗っているヒューマン部分との総体なのだ。世の中には、正常なものにしがみついている人間がいるが、実はそういう人間ほど、本当の意味では、世の中に適応する能力に欠けた人間というべきであろう。何が異常なのかを見据える能力がなければ、土台正常なものの正しい認識をもつことができない。寧ろユニークとの出会いが人間が健全な適応能力を育むために必要な要件である。高価でダメな本など読まなくても、いくらでも代替するものはなるだろう。地球には2000万種以上が生きており、人間にも多くの人種がいるのは、可能性の問題なのであろう。私たちに必要なのは、紛れもない真実であり、真実こそが明日の価値を問うている。人間が、ユニークであることは当然の形質なのだ。他人の真似をすることの方がエネンギーを浪費することになる。 数日前、体調不良で、検査結果を心配して定期検査をしてきたが、メディカル・チェックでは異常値が出ていないようだ。また、検査入院かもしれないと覚悟していたが、4月初めから吉野山と、奈良へツアーの予定もあるので、直近でもあり、妻は、一人で行かんければならないかもしれないと。屋久島に行くとき、台風で行けなくなったことがあったくらいで、なんとか。どうやら、だが。それでも少しくらい運が残っていたのだろう。病院の桜も満開だったが、昔は、陸軍病院で桜が有名だったところである。
2023.03.30
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世界が複雑化していく中で、そのツゥールがどうかが問われるようになっている。記録情報源からさまざまな情報や文献を効率よく求めるには、その手がかりとして役立つ適切なツゥールを選び、それを活用するための知識と探索技術を身に付けることだろう。学生と研究者の違いは、ツゥールの差でもある。昔は、資料も手近なものしか入らず大したことのできない環境であったが、現在は違う。できないのは自分の遣り方や、意欲の問題でもある。また情報量が違うだろう。論語も、日本文学や日本史も一分野でしかない。レファレンスブックには、豊富な情報を得ることができる可能性がある。問題はそのガイドであろう。どこかで読んだことがある。「いいジャーナリストは、こまかいことは、知らなくていい、何か課題を見つけたとき、どこをあたればよいかを考えることのできる人間だと。」人間は、「準拠枠」の中で生きているがその枠組みがみえなければ、本当は何もできない。潰されるだけだろう。その枠組みがいつも問題だ。
2023.03.29
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私も相当うぬぼれだがブログをみていると日本人は、その傾向が強いのではないかと思えてくる。謙虚な民族では?さて現在、高血圧のひとは全国で約3400万人、加療中1700万人、服用中が1500万人だとされる。この「サイレントキラー」はどこにでもいる。最終的に、脳卒中や心筋梗塞、腎不全となり死に至るハイウェーだ。そろそろかと予想はしていたが、ついに仮面高血圧を疑われてしまった。これまで、不思議と何度が測定したが高血圧ではなかったが、父がそうだったし、自分でも怪しいと思いだしていた。月1度病院に行く度に測定だけはしていた。先日デジタル自動血圧計を買ってきて測定を始めたら、「ひやァー、こりゃ!」である。平成17年4月に日本独自のメタポリックシンドロームの診断基準が制定された。1)ウエスト 男 >85cm 女 >90cm2)脂質代謝異常 中性脂肪 >150mg/dl HDLコレステロール値<40mg/dl3)血圧 >130/85mmHg(外来血圧)4)血糖 空腹時 >110mg/dl以上のうち2項目以上に該当すれば、立派なメタポリックシンドロームに診断されることになった。心血管イベント発症の8年間の調査で40歳以上の男性では、メタポリックシンドロームの人は、そうでない人の1.8倍の危険度を示した。しっかり家庭血圧測定を遣りましょう。
2023.03.29
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子どもたちが腰を据えて学習に専念する環境を整えようとする配慮からではなく、大学入試に焦点を合わせて、少しでも進学競争に有利なトラックに立たせようという功利主義でしかない風潮が見られる。それが、今日の教育システムの現状ではないだろうか。 「勉強」と「遊び」とは。まるで正反対のように捉えられているが、 「勉強」は、外から強制されるものであり、「遊び」は、自らの創意、工夫するものであろう。親も教師も子どもたちに勉強のみを強要し、子ども時代の「遊び」がなくなっていく社会は、将来、どんな社会になるのだろうか。或る意味恐怖さえ感じられてならない。 機械文明は、徒弟制度をはじめ多くの生活や文化の伝承を絶滅危惧種にしてしまったが、その中には、私たちの存在の根拠ともいうべきものをも包含していたのではないだろうか。それは、破壊されれば、再び復元できないものもあるに違いない。失ったものが大きいのではないだろうか。 現在の学校教育は、劣等生を唾棄すべきものとし、恥ずべき存在としてはいないか。それはまるで大量生産される不良品扱いではないだろうか。子どもたちの欠点ばかりを直そうとする親や教師が多いのではないだろうか。それで、いいのだろうか。それが子どもたちにとってよい環境といえるのだろうか。 「遊び」を通じて、学ぶものもあるに違いない。それは、創意・工夫して問題に取組む自立性を育てるという人間本来の姿でもあるのではないだろうか。 寧ろ「勉強」と「遊び」は、対峙するのではなく共生すべきものではないだろうか。
2023.03.29
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物がつがいになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから数万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2023.03.29
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欧米諸国の非白人たちの多くは、こう観た。ルワンダ問題(少なくとも80万人が100日の間に殺害された。その大半はツチ族だった)は、欧米がアフリカに無関心なことを如実に示す実例だ。だがそれ以上に、欧米の政府が、アフリカの人びとと欧米人、白人とでは命の重みが違うと考えている証拠である。アフリカの国同士の紛争よりもヨーロッパで起きる紛争のほうが、アメリカ政府には常に重要度が高いのだ、と。ツチ族は全人口の15%に過ぎない少数派で、残りの85%はフツ族である。植民地時代宗主国ベルギーはツチ族を重用し、フツ族を残酷な差別で弾圧した。そしてアフリカ全土で独立の動きが加速すると、独立前にベルギーがツチ族を見捨て、フツ族支持に乗換えた。フツ族の独裁政権となり復讐がはじまる。作家フィリップ・グレビッチは「広島・長崎の原爆投下以来、最も効率的に行われた大虐殺」だった。ひとたび世界のどこかで人道上の危機が起きれば、アメリカが立ち上がる、という神話がまたしても打ち砕かれた。アメリカの安全保障にとって、重要なパートナーはヨーロッパでしかない。それはアメリカ社会のルーツであり、身近な存在だからだ。アフリカやアジアなどの非白人に対する差別意識は根強い。憎しみあったひとびとの殺し合いは筆舌に尽し難い。それは、中世のヨーロッパの宗教戦争も同じだろう。時としてみせる人間たちの狂気は、人類の暗澹たる未来を予見させずにはおかないだろう。にも拘わらず、人間の信義に未来を委ねばならないのだ。悪に無力な宗教だとしても、まだ人びとには宗教が必要なのだろう。
2023.03.29
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陽光が薄くなるとどうも人間も不活動になるらしい。太陽のエネルギーの恩恵とは何と果てしないものだろうか。それにしても冬眠があるから、冬眠する動物たちは、時間を無駄にしないで済んでもいるのだろう。餌を取らないでいられるのからだ。生き残るための戦略は多様である。人間も常に活動的ではいられない。適度な休息が必要だ。処が、その「適度」が難しい。その受容性を誤るとストレスにもなるだろう。何でも一挙に理解したいが、時々休まないと集中力が途切れてしまうようだ。どうも読書の拡がりが鈍化している。寒さの所為にしても仕方がないが、フットワークが悪くなっている気がしている。ひとは環境次第でどうにでもなるものらしい。自分の環境を変えることが必要なのではないだろうか。そうして、多くを学ぶように出来ているのかも知れないと思う。どんどん変わる必要があるのだろう。
2023.03.28
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所謂「一次資料」に基づく視座を持ち得るかが、ポイントで在るが、「一次資料」となるべきデータが確立されていないものが多く、議論が噛み合わないのが、殆どだ。その努力がされないのは、日本の知的レベルの向上を阻害してもいる。第二次世界大戦の「戦後処理」に関して、未だに国民のコンセンサスが問われるというのは、世論の知的レベルの低さを物語るものだし、今日のニューリーダーと言われる人々の倫理観の欠如は、分別のなさの延長でもあるだろう。情報化社会の一次資料も怪しくなっていると思う。やらせの思想は、マスコミだけのことではない。民意を反映させるという政府機関でも発覚した現実があるだろう。それは、この社会が仮装社会になっていることの証明ではないか。単純に色分けしてしまうメディアの性向はつづくとすれば、やがて個人の思考も熟慮するという性質を排除するのではないか。大衆は、鈍感な反応を助長して行くだけだろう。若者たちは、自分のことしか考えなくなりつつある。妹殺しの一例も、その前兆ではないだろうか。多くの惨禍が放置されだしている。誰も手をつけない。国が遣るだろうと何もしない。そしてその政府もカバーするつもりのないまま、風化して行くのではないか。繰り返される大地震にしても、被害者たちが切捨てられていく状況が観られるようになった。
2023.03.28
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寒い風景だが、どこか凛としている。生きている。この寒さの中で、葉を散らしても生きている力があるだろう。生物は、私の目には数百しか見えないが、実際は、数万か、数十万か、或いはそれ以上の種の共存があるのだろう。寒さも決して、「死」ではない。アーネスト・サトウの息子の久吉は、サトウの40歳の時の子だ。長男の栄太郎は46歳でデンヴァーで死んでいる。アメリカで結婚し永住しようとしたが、肺の病があった。サトウは息子にアメリカで農業をさせようとしたのだ。久吉は、母の兼のために日本にのこることをサトウは要請したようだ。幾つかの手紙が残っている。サトウの優しい人柄が偲ばれる。サトウは、自分の庭に日本の植物を取寄せている。それを手配したのは久吉ではないかという。久吉は、1910年4月28日にながい船旅をして、ロンドン港に着いた。サトウとの再会は感動的だ。その折のことを、母に便りで知らせている。植物に連なる思いは、何か言葉にならないイメージとなるコミュニケーションではないだろうか。観察していると、豊饒な何かが見えても来る気がする。まるで多くのファンタジーを抱えているように思える。現代の私たちは、感動を忘れていないだろうか。遥かに多くの知識を得ているが、その感動を感受でなければ、木偶の坊と同じだろう。そうならないために目の玉の奥の脳を使わねばならない。
2023.03.28
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90年代から「拝金主義」が中国では、自嘲的につかわれるが、しっかりした倫理観がない訳ではない。その倫理観の範囲内に於ける裕福になることをストレートに求めているのだという。既に明らかに、お金は二の次なのではない。インターネットの時代でもあるだろう。にも拘わらず、何故日中関係は、停滞したままなのだろうか。然も、未だに改善の兆候さえみられない。問題の原因が相手国だとしているようでは、いつまでも歩み寄りはできないだろう。南京事件の歴史的事実の解明や、広く日中の歴史認識のコンセンサスを取るべきだろう。思えば、鑑真のように両国の橋渡しをした偉大な先人たちがいた。時は移り、人心も変わるだろうが、相応しい日中の友好関係は世界の安定にも寄与するだろう。類的存在としての人類は、愚かな人間たちによって危機は高まりつつあるかも知れない。それは、同時代人として、すべての人々に向けられた人間としての責任の重さを示してもいる。
2023.03.28
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クスコ郊外。一番知っているつもりでも、外ばかり観ている目には見えないことをも多いのではないか。そんな気がしている。日中関係も、お互いに嫌いでは前進がないだろう。相互理解が進まないのは、歴史的経緯が大きいだろう。国民性の違いといえばそれまでだが、和解の道は、共存をも意味するだろう。「いまどきの中国人」というのを読んでいる。ー13億人の素顔に迫るーという副題が付いている。データを中心に書かれている。衣食住という点では、とくに違いはないのだから、後は政治・経済などの相違や、文化の違いだろう。日本の文化が、中国から来ているものが多いのは今更いうまでもないが、明治以後、日本は、西欧文化にシフトして、やがて西欧の帝国主義に加担した。中国の「中華思想」自体が、時代の波に乗れなかった原因でもあろう。世界の潮流に翻弄されたのは事実だが、歩んできた道は、別世界でもあった。そして、国民性も反目し合う時代が長く続いただろう。そして、日本人も、本当の日本を知らない人びとが増えてきているのではないか。それは、多くは政府の無責任な政策にあるだろう。アメリカ追従が齎す悪弊がこれから顕在化して来るに違いない。それは、歴代内閣が、重要な多くの課題の取り組みを先送りしてきたからに他ならない。日本人が、これから遣らなければならない、多くの仕事を熟すべき足腰になる教育が、疎かにされてきた所以でもあるだろう。それは、国家の品格でもある。公徳心でもあるだろう。弱者を苛めるなどの行為は、一番恥ずべきことだ。何が恥かさえ判らないようでは、人間として拠って立つ大地がないのと同じだろう。
2023.03.28
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絶滅危惧種のクロツラヘラサギ長い地中の年月を経由して、蝉は、脱皮して一週間ほどの短い夏を燃焼し、子孫を残して死んで行く。役割を終えた脱殻が、自宅の小さな庭の植木のあちこちで、去年の夏も観られた。誰でも子どもの頃蝉の声を聴いて、夏が来たと感じ、蝉の声が消えて、草むらの虫の声で秋を感じたものだ。今は、それも都会では、無くなって来たけれど、田舎では、まだ蝉は夏を知らせる使者だし、蝉の脱殻も見ることができる。そういえば、それももう感慨でしかないだろうか。都会では、蝉の声も聴けなくなっている。長年福岡市の郊外に住んでいて、蝉の声を聴くことが、未だどうにかできるので、つい書いてしまったが、もう大昔の話になった街多いことだろう。いいたいのは、「蝉の脱殻」が、ふと頭に浮かんだからだ。今回の「不二家」の不祥事で、またも、世襲の一族が追われることになるだろうか。それは自業自得だろうか。やたら、老舗の会社がぼろぼろと消されていくようだ。古い体質の企業は消えていくことだろう。或る意味で、これまで、この世を謳歌していた有名企業が時代の流れに対応できずに、脱殻のようになってきている。あっと言う間に消えてしまうだろう。思えば、大人たちも同じだろう。今年は、団塊の世代が大量定年を迎えることになるが、日本社会の森にも、あちこちに生気を失ったような、「蝉の脱殻」が見られるようになることだろう。
2023.03.27
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立山・黒部アルペンルート。数日前から、突然の体調不良でダウンしていましたが、やっと食欲が出てきた様です。キリスト教では女性は思慮が浅く、ふしだらで、罪深い存在だとみられる傾向があった。女性は男性よりも劣った存在だと考えられた。当然女性の聖職者は、長年認められなかった。20世紀になるとプロテスタントが女性の聖職者を認めるようになるが、未だにカトリックと東方正教会では認めない。ヴァチカン公会議(1962~1965)は、胎児は受胎した瞬間から最大の保護を与えられなければならないと強調した。これは、キリスト教の女性観の表白でもある。人工中絶の拒否は、女性の選択よりも胎児の命が重視される所以だろう。2005年に死去したローマ教皇ヨハネ・パウロ二世も、中絶や避妊を激しく批判した。キリスト教の倫理と女性の権利のどちらを尊重すべきかは、未だに論争の的でもあるのだ。20世紀になって漸く、対立ではなく対話が活発化している「エキシュメニカル運動」だ。キリスト教間だけでなく、仏教やイスラム教などの他宗教との対話の道も開かれた。「世界平和の祈り」が、どこまで進められるだろうか。そして、それは、真の意味の女性の解放でもあるだろう。
2023.03.27
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ブッダの俗人としての名前はゴータマ・シッダールタという。「人は誰でも年をとり、病を患い、いつか死ぬ」それなのに「人は、他人が老いたり病気になったり、死ぬのを見て嫌悪する。自らも老いるのに、他人の老いた姿を嫌悪するとは何と浅ましいことか」と自問自答を繰り返して、シッダールタは、29歳で出家した。所謂「四門出遊」の伝説がある。三大宗教は、世界宗教と呼ばれる。然しキリスト教徒やイスラム教徒は、三大宗教とは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を指す場合が多い。多神教を認めないからだ。これからも、所謂「青いバラ」のように、不可能といわれる課題に果敢に挑む努力を人間は繰り返していくことだろう。刷り込まれた間違った常識から、自分を解放できるかは、自問自答から始まるだろう。この世界を侮ってはならない。自分を狭くしているのは、自分であるかも知れないと気付くことだろう。
2023.03.27
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天網恢恢、疎にして洩らさずとかや。科学を知らない時代でも、ひとは知っていたのだろう。ひとつ悪事だけではないが、人間が犯す過ちは何と愚かだろうか。犯罪とはそんなものだろうか。二度と繰り返さないためにと吐露されることばも、どこか空しくなる、繰り返される報道は、公正という名を借りた公共放送だろうか。多くの反対を知りながらブッシュ大統領は、イラク増派を指示し、既に一部が実施された。アメリカ軍を指揮命令するのは大統領である。彼らはそれに従うだけだ。服務に従わなければ排除される。誰が正義を行うかではない。正義は、自分が正義と思うものが正義でしかない。戦争は、正義が問われない。戦場に送られた兵士は、人間ではなくて軍隊という名の兵士でしかない。それを諾々と任じる民主主義国がアメリカでもあるだろう。悪事をあとで認めても何になるだろうか。死んでしまったものにどれだけ誤ろうと、それが何になるだろうか。犯罪者は、悪をなすとき、どういう気持ちであろうか。その状況は思うだにおぞましいものだ。にも拘わらず、歴史は繰り返されている。天知る、地知る、我知る。にも拘らず、・・・。
2023.03.27
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多くのアメリカ人が政府発表を全部信じていて、要するにアメリカ万歳で、アングロサクソンは優秀だ、政府のいうことは詰まるところは正しい、アルカイダは悪いと信じているだろうか。日本人も多くのひとが、同じようなことを単純に信じている。「政府は信用できる」と思わないと、それこそ毎日が不安で一杯になるからだ。普通の人間は、不安で堪らない日常など好まない。まさか、兄から殺されるとか、妻から酔っ払って寝ている所を殺されるとは、思っただけでもぞっとするのに、切り刻まれるなどとは・・・。それがまだ、レアケースとしても、そんなことが起きている世の中でもある。拾い上げれば枚挙に暇がないくらい荒んだ社会でもある。冬の時代には、寒くなり、眠ってしまいたくなる。周囲を見たくなるのだろうか。たとえ身近で起きていることも眠っていれば知らなくてすむだろう。動物だって冬眠する。多くの植物の冬には葉を散らして春を待つのだ。長い冬があっても、やがて、春が「休眠打破」を知らせてくれる。都合の良いことを考えてしまう。自分は幸運な人生だと思いたいのだ。そんなひとが突然、思いがけない不幸に愕然とするのではないか。気のいいひとほどそんな目に遭っているのではないだろうか。多分それこそ殆どの人が、他人から殺される謂れがないだろう。国家が死刑をする制度を持っているのはコストの問題でしかない。厄介者は消してしまえなのだ。それは、少なくとも、「人間愛」ではない。動物の「休眠打破」は、どうして知るだろうか。昨夜は、晩酌して、眠くて堪らなかった。少し手を抜いたブログになった。多分酒を飲むから、何もしたくなくなり、眠くなるのだろう。つい人間は莫迦なことをするものだ。ありがたいことに朝が来てくれる。
2023.03.24
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今の地球は、妄想的な考えをもつひとと、恐怖心や死を振りまく人たちが指導している世界でもある。生命にとって、一番の危機である温暖化現象や、深刻な病気、貧困、戦争が放置されている。アメリカは、敵はいないといっているのに、いくつかの敵が現れるかも知れないと、危機を煽っている。その赤字を埋めているのが日本だ。その日本は、既に赤字超大国である。9.11で何が起こったのだろうか、わかっていることは、アメリカが軍産複合体に乗っ取られており、変な秘密結社の白人優越主義で、非白人をなくすとか、わけのわからない妄想で動いていることだ。そういうアメリカの狂信について行こうとする、如何にも愚かな政府があるということだ。グローバリゼーションとは、多国籍企業に莫大な利益を齎すことでしかない。今の市場原理主義では、貧困も無知もなくならない。地球経済に永遠に参加できないからだ。今9億人がスラム街に住んでおり、住まいの権利も場所もないのだ。この10年で発展途上国では環境破壊が深刻だ。今後は、更にもっと激しい破壊が繰り返されるだろう。世界の森や、野菜や、魚、水など全部汚染されるだろう。食物連鎖は、やがて人類にも及ぶだろう。白人たちは、何をしているのだろうか。欧米の良識はどこへ行ったのか。自国の安泰だけをかんがえているだろうか。日本は、遂に自分で立ち上がろうとしないままか。中国は、結局中華思想の中国人のままでいようとするだろうか。虐げられた続けたものの反撃と復讐があるだろうか。
2023.03.24
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アメリカの「混沌」を「多数派なき未来」と呼べるのだろうか。中国への期待は、更に厳しい紛争の火種となるだろうか。頑迷なものたちがもつ妄信のために世界は危機へと向かうだろうか。何れにしても、アメリカの齎すものは平和というには程遠いものでしかないだろう。呑み込んだものの為に崩壊するのではないか。分裂か崩壊かしかない。国連の目指したものが正しいのだろうか。強者の論理でしかない現実が突きつけて課題に、本気で取り組もうとしているようには見えない。事務総長のたらい回しでしかない。理性と呼ばれるものが、もはや死滅した神経のネットワークでしかないのではないか。床屋に行ってきた。これから、三毛猫の捜索に行ってみます。ゴルフ場周辺を探して見るつもりです。奥さんから頼まれているからでもあります。もう追いかけても仕方がないのですが、散歩をしなければならないという都合もあります。ドイツ在住の国際結婚されているブログー名「普段着のドイツ」のsuh さんが、今週日本に一時帰国されるらしい。日本の女性が国際結婚して外国で暮らしている人が多くなっているようですね。女性のキャパが、男より遥かに広いことを物語っていますね。
2023.03.24
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「もしも・・・」の世界の話ではなく、紛れもない本当の「過去」が史実だろう。一次資料はそのために重要だ。日中戦争で、日本軍が中国国内で残虐行為をしたことは疑いようがない事実だろう。それを否定することはできない。それが、世界で日本人は野蛮な国だと評された。いえるのは、それが戦場であれば、日本軍だけではないことだ。キリスト教徒やイスラム教徒だとしても、神の「愛」や「戒律」を信じるものが、殺し合いをするのが戦争だからだ。優しい戦争などありはしない。日本人の悪いところは、口封じができると思っている節がある。それは宗教性にあるかも知れない思う。日本人の世界観だろうか、神と言う存在を信じないことからだろうか。何れにしろ「上官の命令は、天皇陛下の命令だ!」という絶対服従を日本軍は強いられた世界である。「島原の乱」がテーマの「その時、世界は動いた」がある。12万人の幕府軍が3万数千人の農民を皆殺ししたが、殆ど一次資料が残っていない。軍隊でもない農民が、「死にたくない」くらい残していても不思議ではない。どうも、口封じをしただろう。そういうことをする国民の歴史があるから、中国の残虐行為もありえる話だと思う。然し、人間性を否定するまさに軍隊とはそういうものではないだろうか。今年のアカデミー賞で「硫黄島からの手紙」が作品賞にノミネートされたというニュースが流れている。戦後61年経過して、初めてアメリカの監督が、敵側の日本語で、日本側から観た映画だとして評価されているという。それは、日米の落差を物語っていることでもある。日本人がもつ自分の評価というものは、世界で通用している評価ではない。寧ろ、本当の「過去」を知ること重要だ。
2023.03.23
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ヨーロッパ人は社会人になっても「歴史」を繰り返し学んでいるという。世界史を軽視した高校の授業が話題になったが、ただ履修させればいいという問題ではないだろう。私たちが、世間と付き合う上で、前提としているのは、相手が日本人なら、人間としての知力ならば一人前にあるだろうと思って話をしているだろう。それが、どうも怪しくなってきたらしい。環境の変化もあるだろうが、私などは、未だに家をでるとき、つい鍵をかけるのを忘れることが多い。どうも田舎で育ち、窓も開け放しの習慣が抜けない。それでも最近、海外旅行をするようになり、それが世界では「非常識」であることは知っているが。自分たちの社会を、ただ単に善し悪しで判断するなら、狭い識見しかえられないことは誰でも知っている。歴史を学ぶことが、将来を予見する目安になる。そして、いまや、日本の歴史だけでは狭隘に過ぎるだろう。高校の世界史の教科書では、物足りない。だが、それにしても西欧の歴史書は、お粗末な翻訳本しかないのも事実だろう。喩え、歴史認識において甘い思考しかないとしても、せめて、人間としての知力ならば一人前の日本人でありたい。
2023.03.23
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福祉で介護者が、被介護者に対する心構えに「相手の靴をはいて歩くように歩け」というのがあるらしい。これは、良いことばだと思った。強者が弱者に対する押し付けではない。相手の措かれた状態を理解して、思いやりを示すことではないだろうか。アメリカが、イラクに対しているという協力とは、「相手の靴をはいて歩くように」しただろうか。宗派の争いを煽っていないだろうか。軍人の戦略が優先しているのではないか。政治家と軍人がお互いに責任の擦り合いをしているだけではないか。人間社会では、優れた能力を示すものは少数ではない。一部の者にだけ叡智があるのではない。智慧は、繋ぎ合わせなければならないだろう。私たちの日々の自惚れや傲慢は、しばしば忘却されがちだ。それを思い知るのは、被介護者に接する時ではないだろうか。他人の介護を必要としている人たちが大勢いるはずだ。赤ん坊がそうだろう。年老いた親たちがそうではないだろうか。相手が、どんな状態か、どんな靴を履いて歩いているだろうか、と考える時、どんな声をかけるべきかが分かるのではないか。日本と北朝鮮の関係も、外交面でうまく行かないのは相手国の靴を履こうとしないからでもあるだろう。軍事力や経済力を背景とした交渉など話し合いではないだろう。勿論、抽象的な表現で外交はできないだろうが、そこにあるのは基本となる精神だろう。虎の威を借りるような外交をしないことだろう。かさにかかることをいわないことだ。絵に描いたような紳士でないことだろう。日本の女性が、悪くなった。そして男をつまらない男にしていないだろうか。自分だけのことしか考えられない女が、子供や男たちをげすなものにしていないだろうか。悪くしたのはなんだろうか。科学の進化がそうしただろうか。苦労を知らない子供時代がこころをそだてなくなったためだろうか。
2023.03.23
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Berner Oberland. その人が何に関心をもつかで人生も違ってくる。不可能なこともあるが、困難はあるとしても大抵のことはできるものだ。自由自立の自分があるかでもある。戦争をしている兵士たちは、本当は戦争などしたくはないのだろう。平穏に生きていたいはずだ。そうしなければならないからに違いない。犯罪を犯せば、拘束されて刑務所暮らしをさせられる。しかし兵士たちは違う。名誉のためにだろうか。ウクライナ戦争の教訓として、指導者は判断を誤ることが、証明されようとしている。到頭、親たちにお世話になったまま、なんの恩返しをしないままで、妻の両親も、私の父母も亡くなってしまった。そして今年も、ひな壇が飾られている。そのうち、私も妻もいなくなるのだろう。数年前から、娘が一人で飾り付けをしている。ねこが5匹もいるので、大変だったが、慣れたのだろうか、悪戯をしなくなった。 ・義父母か初孫のために贈ってくれたものだ。そして玉名で祝ってくれた。親戚の人たちが、集まってひな壇の前で祝宴をしてくれた。それは私たち家族が、福岡へ転居する送別の時でもあったが、あれから30数年になる。長い歳月が流れた。それから、様々な出来事があったのだ。平穏な日ばかりではない。 ・へ2・・・平和の危機が近づいているのだろうか。徴兵制度が始まり、殺し合いをしなければ生きていけない人たちができるのだろうか。国民は、戦争などしたくはないが、政府は、そうしなければ生きていけないのだというだろう。その道しかないと。戦争は政府が始めるのだ。戦争の原因も作る。平和憲法が泣いている。
2023.03.23
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知りたいこ知りたいことは誰も・・・ 教えてくれない。探すほど見えなくなる。皮肉な巡り合わせが待っている。好きな人と一緒になれないし、厭なことばかり続く。考えるほど不運なことばかり起こるものらしい。そんなに他人より怠けているわけでもないのに、何故だろうか。人並みに生きているだろうか。ちぐはぐなことばかり起きるのは誰の所為だろうか。聊か辟易三昧している、何故、どうして続けるのだろうか。酒でも呑んで忘れるか。それでも生甲斐があるというのだろうか。もう大して先が無い人生で、すべての価値は自分で決めるしかない。自分よりも他人は容赦の無いことばかり言うものだ。慰めてくれるのはそのうち自分しかいなくなるだろう。そして知りたいことを自分で探すしかないと思う。 わが道を歩く・・・のみ。とは誰も・・・ 教えてくれない。探すほど見えなくなる。皮肉な巡り合わせが待っている。好きな人と一緒になれないし、厭なことばかり続く。考えるほど不運なことばかり起こるものらしい。そんなに他人より怠けているわけでもないのに、何故だろうか。人並みに生きているだろうか。ちぐはぐなことばかり起きるのは誰の所為だろうか。聊か辟易三昧している、何故、どうして続けるのだろうか。酒でも呑んで忘れるか。それでも生甲斐があるというのだろうか。もう大して先が無い人生で、すべての価値は自分で決めるしかない。自分よりも他人は容赦の無いことばかり言うものだ。慰めてくれるのはそのうち自分しかいなくなるだろう。そして知りたいことを自分で探すしかないと思う。 わが道を歩く・・・のみ。
2023.03.23
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「この物静かな婦人は、20世紀中期のうちで、もっとも大きな問題の一つ・・人間による環境汚染・・に対して、あらゆるところに住む人びとの関心をよびさましたのである。」これは、1964年4月14日、レイチェル・カーソンが56歳で死んだ時の追悼演説の一節だ。 こんにち、環境汚染の問題を語るとき、彼女の「沈黙の春」を抜きにすることはできない。 「・・・シュバイツァー博士のさまざまな著作の中で、私たちはその語句の哲学的な解釈に触れるかもしれません。しかし、私たちにとっても、「生命への畏敬」に対する最も正しい理解は、彼の場合にそうであったように、個人的な経験によってもたらされます。それは予期しない時に、野性の生物を突然見かけることであったり、ペットと一緒にいる時のある種の経験であったりするでしょう。それが何であれ、それは私たちを自分自身の外へ連れ出す何ものかであり、そしてまた私たちに他の生命の存在を気づかせる何ものかであります。・・・」 数年前に、彼女の著書"The Sense Of Wonder "を本屋で見つけて感動した。 ・「潮風の下で」(1941) ・「われらをめぐる海」(1951) ・「海辺」(1955) ・「沈黙の海」(1962) ・「センス・オブ・ワンダー」(1965) 彼女が書き残したものは、彼女の周到で緻密な調査研究、逆境や妨害に直面した時の勇気であり、そして何よりも詩人としての天賦の優れた才能を物語っている。科学と文学を融合させた資質の高さでもある。
2023.03.23
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卑屈なる根性を根絶し、「自主自由の真意義」を自覚し人間としての真価を取り戻すべきだと宮崎toutenn は論じた。「ワマカシ」(肥後方言)とは、人間本来の自由をみずからのもとを取り戻すための、因習への反逆であり、時代風潮に対する反抗の精神である。 「己れを馬鹿にし了って而して人を馬鹿にし世を馬鹿にする」 当時の肥後藩は、朱子学が盛んで「屁理屈」が多く「小党分立」し、いがみ合っていた。「偽善」と「虚礼」で鼻持ちならない風潮があったなかで、一部には反骨の精神の気風も育っていた。 そのころ永山という権勢を驕る男がいて、横にいざるようにして歩き、コシで出かけていた。 「永山は一人か、つれしゆ(衆)はないか、つれしゆァあとからコシで来る、 キンキキラ(綺羅)キンの蟹政(ガネマサ)どん、 蟹政どんの横バイバイ。 」 当時大流行したこの歌をある子供が歌っているところにばったり行き合わせた永山はカッとなって無残に斬殺した。このように、藩公の威光をかりた権力がとぐろを巻いて閉塞感が漂ってもいたのだ。 この「ワマカシ」の潮流が、明治に入り、一方で「神風連」事件となり、このあと精神は徐々に堕落したが、個性的な熊本人である、蘆花や蘇峰など、の人物たちも輩出した。 私も熊本で育ったが「ワマカシ」ということばも伝統も、知らない・ただ「モッコス」ということばは、残っている。意味的には近い意味であろう。
2023.03.23
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現実と理想・目標との区別とその上での関係づけがなければ、大まか過ぎて不十分である。現実批判の基本的視点「精神」と批判視点となるべきいっそうの個別具体化と実践が連関しなければならない。岡倉天心の「アジアは一つ」は、そのつきあいの仕方に問題があった。実物離れー現実逃亡の心的傾向は、日本人の陥り易い特質でもある。 日本ファシズム運動史をそれとして追い叙述する仕事がある。さらには、20世紀初めから1950年代に至る時代構造の基本骨格を見通すという作業は、必須のものだろう。古典教条主義に埋没することなく、それをむしろ否定的媒介とした展開がなければならない。今日のファシズムとは何か、といった端的な議論の実態を知りたいと思う。 アジア主義とかファシズムといった、全体的イメージとして悪しき・マイナスの遺産の中に必ず、今日的搾取や抑圧に繋がる負(マイナス)・スパイラルが見出されると思うからだ。 どうして、戦前の日本が金縛りに遭遇し、脳性まひになったのだろうか。それには必ずそれに至るメディカル・ステージがなければならないだろう。個々が集積して一つの勢いをもち、膨大なフローを造っていったのではないだろうか。 ひとは個として愛されるべき人間であり、人びとでもあるだろう。しかし、いつか群れをなして唾棄すべき行動をもして来たのだ。その善悪の二面性は、ひとに付き纏うものであって、時に評価され、時に非難され、そしてどちらかに区分されてきた。その作業をし続けることになるだろう。それは、まだ私たちがプロセスの途上にいるからでもある。 時は過ぎて行くが、歴史には、感覚・感情を持込むことはできず、したがって個々の内在している生き生きとした感受性もそこから抜き落ちてしまうだろう。そこにこころを安める場所はないのだ。そこにある生の現実の一次史料を継ぎ合わせることが歴史でもあろう。
2023.03.22
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私利私欲では世界はまとまらないと思う。いつか九州と韓国がトンネルやブリッジで繋がるだろうし、ゴビ砂漠や海底が仕事場にだってなるだろう。種としてのヒトは、世界をひとつの船にして、宇宙にだって出かけるに違いない。人間の叡智はそのために数百万年の時を必要としたし、或いは、そのための40数億年だったかも知れない。 ただ目先の苦しみに耐えるだけでは成就しないものもあるだろう。未来に届けるものは私たちの持つ全てではないからだ。誤ったことを続けているだけでは先に進むことは出来ない。正義がいつも明日を目指すとは限らないだろう。拉致された娘をどこまでも追憶して止まない親の気持ちも理解しなければならない。併し、それを好餌にする政治もあることを忘れてはならない。それが、私たちの愚かな時代でもある現実だからだ。 日本政府は娘を忘れない親のために指一本動かすことはないだろう。もしそれをしているというのであれば、それは見せかけのポーズでしかないし、偽装でしかない。それはあとの歴史が証明してくれるだろう。少なくともこれまでその気が若干でもあれば、こんな問題が起こり得ようか。 朝の匂いは、人間を勇気付ける力を持っている。睡眠が、活力を与えてくれるだろう。国家が個人を不幸にして来たのは歴史的事実であろう。多くの犠牲を強いてもいる。それは悲しい事実だが、それを直視しなければならない。そうしなければ、いつまでも時代が先に進むことができないだろう。時計を止めているのは誰だろうか。それを気づこうとさえしないのは、朝の芳しい香りの所為でもないし、その匂いを嗅ごうとしない者たちの怠慢でしかないだろう。
2023.03.22
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ヒーローはしばしば後世のひとをしてその期待を裏切るものだ。客観的に描かれてこその歴史なのだと思う。必要以上に美化され、誇張されているケースが多いのではないだろうか。毛沢東や周恩来の存在も漸く、その本当の姿が語られようとしているのだろう。 西欧では、宗教が国民を教化の手段と使われてきたが、中国はどうやら歴史がその役割を果たしているといわれる。歴史或いは歴史に対する評価が国民を導いてきたのだという意見がある。日本と中国は、ようやく研究者による歴史の共同研究が始まっている。近現代史について議論がされることになるという。それこそ対等な立場で議論をすべきだろう。恐らく、スムーズにはいかないだろうがそれは当然でもあるだろう。 間違ったままでいつまでも国民を愚弄してはならないだろう。苦悩し、びくびく震えているのが人間の姿であり、歴史家の存在でもあるだろう。歴史を客観的に考察するとはそういうものであるかも知れないのだ。 どうやらそんな生の歴史が明かされようとしているだろうか。殆ど中国の近現代史の実態を知らないできた日本人たちである。これから長く付き合わねばならない隣国の本音を知らねばならない。そんな気がしている。周辺にぽっかり空いていた大地を埋めて行かなければならないだろう。
2023.03.22
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シジュウカラ。振り向けば遠ざかる日々 誰も明日行く先を知らないのだと思う。 地球は、そしてヒトも、宇宙の塵になる。限りある世界だからこそ美しいのか。何と儚く壊れやすい生命だろうか。科学は未だ踏み出して一歩とも言えないくらいのステージだ。 政治では、強国が利権を貪り、小国が圧殺され続けている封建時代と変わらない。 何も学ばない無反省で無恥な社会が現在している。振り向けば生臭い悪臭が漂い、 無為に時代だけが遠ざかる。人体の細胞がアポトーシスへ向い、細胞分裂を停止させる。 日々は人を待たず。 優しかった人たちは、いつか「草場の蔭」となってしまった。
2023.03.22
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雀の声が聴こえる。馴染み深い雀の声だ。チィチィと騒いでいる。外は未だ庭に出るほど陽射しも射していない。曇天で、暫く日も射しようにない朝。三毛猫が眠そうな目で寄ってきた。少し前に起きて、「小倉庫次侍従日記」昭和16年12月6日(月)前後の箇所を読んでいた。成る程、このあたりの出来事は色々読んでいるが、一次史料の重みはあるのだろう。 戦時中のことは、これまでも厭というほど聴かされている。そして無力感を覚える。もう取り返しの利かないことをどれだけ聴いても同じではないかと。それでも、胸が段々空しさが増していくのも事実だ。61年を経過した今も、この国の戦争への引きがねや装置は錆びついてはいないのではないか。 誰が日米開戦を推進されたのだろうか。その疑問は抜き難く国民の中にあるだろう。310万人以上の日本人が犠牲になっただけではない。甚大な汚名をも背負った背景は何だったのだろうか?それに対して、免疫系は、国民の意識に、ちゃんと出来ているだろうか?体を張っても阻止する覚悟が浸透しているか? 日光東照宮の左甚五郎の「眠り猫」の裏に雀が遊ぶ彫刻があったのを思い出した。猫が、静かに眠っている姿が平和なのだという願いが込められているという話だった。猫がいつ雀に飛び掛るようになるだろうか。そういうことになって欲しくはない。それぞれ棲み分けて生きていて欲しいものだ。 知らねばならないものを知らねばならない。それが私たちの義務でもあるだろう。
2023.03.22
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報道特集で「40年ぶりに再会」した兄妹の南北に引き裂かれた北朝鮮の妹と韓国の兄の話だ。脱北者の話とか。それこそ毎週のように話題が尽きない話が繰り返されている。何かのキャンペーンでもあるようだ。取り込まれた家族の悲惨な現実があるだろう。その延長に拉致問題があるだろう。 かたちを変えた冷戦対決が底辺にあるだろうか。国家を優先した思想が克服できないでいる。哀しいことだ。この兄妹を引き裂いているのは、国家の論理である。これだけ豊かな感性を持つ優しい兄弟が逢えないのだろうか。逢わしてやれないのだろうか。誰に止める権利があるのだろうか。 私には兄弟がしないから、兄弟愛はよく判らないが、肉親の情は理解できる。私にも家族がいるから、もし引き裂かれたらどんなことでもしたいと思うことだろう。「男と女」のそれではなく「弟妹への愛」が中国のモラルだという。それは、アジアのモラルでもあるだろう。 ただ一度だけ、子どもの頃に別れて、40年ぶりに札幌で一週間だけ逢い、そして、その後も逢えないでいる兄妹は70代と60代で、死ぬまでにもう一度だけでも逢いたいという。なんとも切ない話である。そんな現実の中に、私たちは生きていると思うと胸が痛くなる思いがして来る。
2023.03.22
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ウエンブリースタジアム。フランス語のテキストで「星の王子さま」をやらされたが、いつか愛藏書になっている。奥の深い童話である。本当のことは目には見えないという。サハラ砂漠や、バオバブの木とか。川端康成は、あらゆる芸術の極意は「末期の眼」であろう、と書いた。龍之介が死んだ時、芥川氏ともあろうほどのひとが、そして「僕はこの2年ばかりの間は死ぬことばかり考へてつづけ」ながら、なぜ「或旧友へ送る手記」のやうな遺書をかいたかと、やや心外であった。あの遺書は芥川氏の死の汚点だとさへ思つた、と述べている。 「我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れている。所謂生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであろう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに澄み渡つた。病的な神経の世界である。僕はゆうべある売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。」(芥川「或旧友へ送る手記」より) 川端は、この作品を読んで「芥川氏は自分が凡人であることを語らうとしてゐるのだといふ気がした。」と書き、芥川について「作家としても、文章家としても、さほど尊敬することは出来なかった。」という。「吾々の最もすぐれた小説家たちは常に実験家(エクスぺリメンタア)であつた。」「末期の眼」は、やはり「実験」であらうが、死の予感と相通ずることが多い、という。そして、「我事に於て後悔せず」と述べているが、彼もまた自死した。
2023.03.22
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ロンドン。人は何を考えているか判らない。習近平主席は、ロシアでプーチンと会談し、ロシアと中国の運命を道連れにするつもりらしい。そして今夜岸田首相は、ウクライナに電撃訪問して、ゼレンスキー大統領と、会談するという。日本国内の世論は彼をどれだけ支持しているのだろうか。「チョコレートの箱」は、開けてみないと分からない。どんな未来が詰まっているだろうか。誰にも明日は判らない。芥川「或旧友へ送る手紙」の中に「・・・けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」というフレーズがある。龍之介の最晩年の作品群の話だ。外「三つの窓」「西方の人」「続西方の人」。芥川のぼんやりとした不安とは、リアルなのだろうか? 君 看 双 眼 色 不 語 似 無 愁 「三つの窓」で、省略した書き方を好んで芥川は使っている。省略されているが、彼の死への意識が根底にあるだろう。比喩を使っているのは、特徴的といえる。芥川は、本当にぼんやりとした不安で死んだのではない。それはポーズでしかないだろう。殊に「西方の人」「続西方の人」に見られる芥川のキリスト教観がユニークである。 キリストは、ジャーナリストだという。「情報の発信者」という意味でだ。世界に教えを広めようとしたのだという。キリストの生きた時代に理解されなくとも後世に理解されれば良いと考えたのだと。聖書は、殆どが比喩で語られ、誰もが理解できるようには書かれていない。解るはずがないものを理解しようがないのだ。聖書が広がったのは、ひとつひとつの言葉が比喩になっているために多様な個別の解釈がされうるからだという。 芥川の作品のこの時期の省略も比喩的に描かれている。「源氏物語」が、世界で読まれるはずがない。それは長文だからだという。むしろ俳句がもつ省略が、世界で受け入れられるかも。西洋と東洋の違いは、キリスト教のパラドックスの解釈の違いだというI教授の指摘だった。面白いと思う。 聖書は、すぐ理解できるようには書かれていない。「炉辺の幸福」のうそが、マリアとキリストが一緒になれないというのが、芥川のキリスト教観でもある。ラザロを生き返らせたのがイエスの悲劇の始まりだったという。
2023.03.22
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FEZ人の生き方を決めるのは自分だが、そうなっているかどうかは簡単ではない。貧乏だから、金持だから、でもないようだ。国によっても、時代でも違っており、どうやら理想的な環境というのはないのかも知れない。まだそんな人間を見たことはない。縦しんばあったとしても、その人が、どうして苦難を克服したかというのは一様ではないだろう。 それよりか、寧ろ逆境から這い上がるという状況はそれこそテストすることはできない。何が成功かも問題だ。貧乏からリッチになることがサクセスストーリーだとするのは余りにも安易な発想であろう。旨いものを食べ、快適な住宅に住んでいるからセレブだというが、そんなことがサクセスというのは浅墓でしかない。それこそ量より質的なものが問題だろう。 USAが質的に高い文化を持っているとは思えない。それほど単純な世界でもあるまい。寧ろ自分たちは豊かな文化だと思い込もうとしているだけではないか。そんな文化を真似しようとすることこそチープだろう。 生まれた国の文化の何たるかを学ぶ必要があるだろう。他人がどうであろうと自分が何ができるかだ。先人は、何をよろこび、何をかなしみ、何を苦しんで。何に感動して生きていたのだろうか。それは、いま私たちが得られるものと得られないものがあるだろう。それでも、わたしたちの、いま持っている、感じることのできる感性をこそ研くべきではないだろうか。
2023.03.21
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高塚地蔵尊。ルソーの年譜をみていると彼の書いていることが少し理解できる気がする。生まれてすぐ母と死別し、伯母に育てられる。父が喧嘩で出奔したりで、牧師にあずけられたり伯父の家の世話になったりする。13歳で徒弟となる。その後も修道院に入ったり出たりをし、20歳でヴァランス夫人の愛人になる。その後も自堕落な放蕩を繰り返している。 33歳の時テレーズとの関係がはじまり、翌年年末第一子を出産するが捨て児にした。続いて第二子も捨て児にしている。酷い男だ。併し時代背景を考えると当時結婚できないものが多かったのは、家族をもてなかったのだ。裕福なものしか家族はもてなかった。そこに寄宿していきるしかなかったのだろう。そして、39歳の時の第三子も捨て児している。 50歳「社会契約論」「エミール」を公刊する。併し高等法院「エミール」の焚書およびルソーの逮捕を命じている。ルソーはテレーズを残して逃げた。ルソー弾劾がされた。ロンドン、パリと転々としている。一時は、ルヌーと仮名を使ったようだ。テレーズを妹と称した。 晩年テレーズが病気をしたり経済的にはくるしいおもいをしている。その日1778年7月2日、散歩ののちテレーズと朝食、午前11時、ルソー死す。翌年テレーズは、ジラルダンの従僕と結婚した。1794年国民公会は、ルソーの遺骸をパンテオンのヴォルテールのかたわらに移葬した。 ルソーとは、18世紀を代表し、19世紀と20世紀とを作った偉大なる人物である。そこに住む人びとはその意味を知るのがいつも後からであろう。 「告白」は、それこそ「ただひとりで生き、そしてただひとりでたたかった」人間の一生を描く自伝なのである。ただひとりで、新しい信念を確立し、共和国を予告した。
2023.03.21
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スイス。ルソーとは、18世紀を代表し、19世紀と20世紀とを作った人物のことである。ロマン・ローランは「ヴォルテールとルソーの二人のうち、はるかに重要な役割を演じたのはルソーである。ヴォルテールは百科全書派という、多くの星をいっぱいかかえた星座の中の、もっともよく光る星であった。ルソーはただひとりで生き、そしてただひとりでたたかった。」 彼は、ただひとりで、新しい信念を確立し、共和国を予告したのだ。そして、ロベスピエールはルソーの教訓によって革命を徹底化させ、ルソーの遺骸をパンテオンに祭った。 市民ルソーの魂のほうが王のそれより良質であるという自負。これが、ルソーをして近代的告白の創始者たらした一因である。神によっても、宮廷によっても、その他の何ものによっても権威づけられぬ、ただ自分ひとりの信じる自分の価値。これこそ、「近代」のすべてを作りだしてきた精神的動機であった。 中世になり、唯一カトリック的価値体系が、世界を統制しおわると、人間の生き方も統一化され、自叙伝というジャンルは姿をひそめた。まさにルソーによってその道が開かれた。率直に、あらわに全存在をしめすという近代的告白は、西洋の自叙伝の開祖である。 ブルジョワ階級の勃興による個人主義の成長と、プロテスタンティズムによる内的生活の尊重とが、近代的自叙伝の生まれる条件であったが、それがルソーによって現実化しえたのは、一つには彼が「独学者だった」からだ。
2023.03.21
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ルソーは「告白」の記述の中で、従兄弟のベルナールについて、「わたしたちはたがいに愛するようにできていたのだ」と書いた。ルソーには、たいして涙もみせず別れ、以来、手紙のやりとりもせず、会いもしない。残念なことだ。と思い、その善良な従兄弟をお互いに愛していたと思えるのだ。 休眠打破がないと花が咲かない。それがいつになるかと開花予想がされているが、自然は気紛れでもある。併しそれはそう見えるだけに過ぎない。ちゃんと因果律のないことはない。それを知らないだけのことである。無神論者からいえば、キリスト教は、何故「処女受胎」などというのだろう。すべて誤魔化しではないだろうか、と考える。奇跡はありえないことだと考える。これまで解らないことが解ったからといって奇跡ではない。 何故子どもが生まれてくるのか昔のひとには解らなかった。現代でも生命の誕生を厳密には解明できていない。にも拘らず、すべてを知る全能の神をつくりあげた。そして解らないことが起きると、奇跡や悪魔の仕業にしたのだ。それに善良な人びとは従ったのだ。 そして、愛がなければならなかった。「愛の守護」がなければ生きていけなかったのではないか。その最たるものが「母の愛」であり、更に、「マリアの愛」の姿になったのではないだろうか。人びとの願望であったかも知れない。
2023.03.21
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屋久島。日本の裁判の歴史をみると、水俣病、イタイイタイ病などで見られる企業の態度は卑劣という外はない。これこそ企業が如何に企業防衛のためなら破廉恥なこともするかという証明でもある。その企業に働くもののこころも荒び切るということでもある。国民の健康が無視され、それに対する企業や、国家が無慈悲なものであったかでもある。 利益の為に奔走するする姿は、現在でも企業の体質として枚挙に暇がない。そのために結局企業で働く社員も苦しまねばならないのだ。忘れてならないは、それも正義感に燃える弁護士をはじめ多くのサポートがなければ勝ち取るができないという現実でもある。 セクハラ・パワーハラ・アカハラと、強者が弱者を食い物にして、レイプや暴力や、嫌がらせ、或いは自殺に追い込んでいるという現実でもあろう。社会から切り離されれば、単なる弱い立場でないしかない無抵抗な女性や、子どもたちを苛んでいるのだ。 多くの公害こそ、まさに安易に見逃せば、やがて国民の健康を害し、人びとの心をも蝕み続けるのではないだろうか。その油断こそ、社会の巨悪が蔓延り続けることにもなるのではないか。公害は、謂わば一部のものの責任だけではない。それを避けられない責任は誰にもあるだろう。そのことをも忘れてはならないのではないか。 正義感こそ、人びとに勇気を奮い起こさせるだろう。
2023.03.21
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本物か? リアルか? コピーか? そんなことばかり見ているのだろう? 評価する人間にどれだけの能力や見識があるだろうか?公正さのない社会でことが正しく判断されていることでもない。どこのブログだって、監視しているのだろう。腹が立つが仕方がない。彼らにも言い分があるだろう。最低のモラルがあるかのだろうか。 確かに、本物か、どうかの判断は、社会的地位で判断されるのが通常だろう。レポートして価値あるものが、それほど流失している訳ではない。それを拾うとすれば並大抵ではないだろう。探す時間が無駄であるが、そうしなければ見つかりもしない。中々成果があげられないのではないだろうか。人の価値を見極めるも力も減退していることだろう。与えられた設問の5問のうちの一問に必ず回答がある選択肢など、現実の社会にあるはずがない。そんな簡単な課題などありはしないのだ。 何が リアルか? そして、mad は、何をどう指すのだろうか? 時代により、非常識が常識になることもあるだろう。
2023.03.21
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必ずしも手を広げることが善いことばかりではないのかも知れない。ビッグスリーにしても、巨大企業にしても、優れた人材が集まるとは限らないのではないか?そんなことを考えさせられることが起きている。マス化してきたのは、それだけパワーを増すことだと信じられてきたからだろう。神話は壊れることになっている、だろうか。バブルが弾けるのも物理的現象であり、社会現象でしかない。 ・あの中国でも信じられない価値観が動いている。毛沢東思想とは何だったのだろうか。その子孫たちがやっていることは、全く違うことではないだろうか。それを平気でやっているし、アメリカもそれこそコペルニクス的転換を政策なのではないだろうか。それは変節ではないのか。自由なアメリカはどこへ行ったのだろうか。或いは、日本も、私たちも無定見でしかないのかも知れない。どうも、みな妙は観念をもってきてはいないだろうか。それは集中力を欠如した証拠ではないか。或いは破滅の入口に立っていることを意味しないだろうか。 ・へ2・・・嵐の前の静けさとは、ぼんやりした状態ではないだろうか。一見平穏な空が拡がり、誰も騒いではいない。これから何が起きるのか、誰も予想してはいない。頭が回らなくなっている。猫に睨まれている鼠のようにぼんやりと、見ているだけなのではないか。次に何が起きるのか想像さえしていないのだ。
2023.03.21
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