
軽く視てしまう癖
慣れると云うことは「恐ろしい」ことでもある。段々生きている事が何でも当然と思うようにもなる。簡単にできるとついそれが当前にもなる。そしてそのことのゆえに失敗もする。成功のゆえに没落する。遣らなければならないことが結構あるが、つい目先のことに目を奪われてしまう。漱石も遣らねばならないが、「堀辰雄」の次回予定の分も読まなければならない。5時から朝食もしなければならない。そのあと朝のウオーキングに出かける。自分で決めたことだが、日課だから仕方がない。
どうも物事を軽く視てしまうようだ。
・毎日のことが矢のように過ぎてもいる。これで好いのだろうかと思わないでもない。出来るうちしかできないのは確かだが、抜けている事は沢山あるだろう。他人のことはあまり心配しないことにした。出来ることは遣るが、出来そうにないことが多過ぎることもある。他人の力を借りてしたことが、自分の力ではないことは昔から感じていた。人の存在は余りにも小さい。何でも軽く見てしまう傾向がある。それはエゴイズムもある。個人主義の定義は、人によっても違う。
・へ2・・・他人を軽く見るものは結局、自分も軽くするだけだ。大きなテーマに向かわなければ、小さな存在でしかない。関心のあることが自分のレベルでもある。固執すれば、その殻の中でしかない。準拠枠をどれだけ拡大できるかで、その人も価値も違う。自己保存で終わるのか、そうでないかは、出てきた結果でしかない。暖かくなり、ノートPCを、キッチンテーブルに持ってきて、お茶したり、料理したり、本を読んだりしている。これまでは電気こたつを机にしていたが、この方が都合がよい。いつでも運動が出来るからだ。いまいくつかの・・・「ながら族」で、得意の? 人参と牛蒡炒めを作っている。