
親父の存在
赤ん坊の頃、父が髭の残っている顔で、顔をすりよせるのがチクチクして厭だったことを思い出した。可愛がってくれたのはいうまでもないが、それでもそれに相応しい親孝行もしていない。母は50歳を過ぎたころ胃癌の手遅れだった。自分のことしか考えられなかった頃で、せめてと一年間付き添った。ひとの死の厳しさを教えて貰ったと思う。それ以上に父のことは想い遣ることをしなかった。
・親子というのは、余程環境が恵まれているか、そうでない厳しい暮らしでもない限り形成され難いのではないだろうか。平凡な家族ではそこそこの関係でしかない。一緒に旅行するとか、食事に出かけれこともなかった気がする。丁度戦後の貧しい暮らしの中だったこともあるのだろう。青島から戦後引き揚げてきて、その日暮らしの生活だった。
・へ2・・・親たちがどんな苦労をしたのか、殆ど知らないこともある。子どもだけは見せまいとしたのだろう。優しい両親だった。戦時中に熊本で結婚して、ハネムーンを兼ねて朝鮮半島を北上して満鉄で青島まで赴任したらしい。そして敗戦直後、引揚げて来たが、親戚を頼ってあちこち引っ越した。親父と一緒に暮らしたのは、父の最後の数年間だった。親父は、こどもからは煙たいだけなのだろう。これも趣味の遺伝の繰り返し。