
悲観と楽観のあいだ
悲観と楽観の両者は対極にあるのだろうか。その使い分けをしているだけだろうか。モードで変わるのもそのバランス感覚だろうか。何れにしても脳が生みだしているそれらの状況は生き残るための戦略でしかない。現実を直視してばかりでは疲れる。酸化して腐敗もするだろう。最後の晩餐になりかねない。
・やっていることがちぐはぐなのは経験がないからでもある。誰も初めての人生である。悲観的でもない、楽観的でもない、その間で針が振れるだろう。過ぎた人がババを引くのだ。適当に生きることは、適応には必要なのだろう。相手の言っていることを確り訊かねばならない。ただ相手の目を見なければならないだけだ。こちらを見ていない相手はウソをつくだろう。相手の目の中に自分が写っているかを確かめてみなければ信用はできない。
・へ2・・・自分は明日へ走っている電車に乗っているつもりでも、引込線に入り込んでいるかも知れない。寝ぼけていては後悔するだろう。外の景色は一瞬にして換わりもするのだ。停まったままの電車に乗り続けている人もいる。電車には動力がいる。しかも人生の電車はない。歩かねば明日は来ないのだ。レールがあるから電車が来るとは限らないだろう。