ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.01.28
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考えてみるとこうしてぼーっとしているというのもいい時間なのかも知れない。さしあたりのことが強制ではなく、自分の自由であり、何も考えているわけではない。精確に言うとそうではないだろう。自分がそう思っているだけにすぎない。感覚は右往左往している。一杯のコーヒーを飲むのでさえ多くの機能が同時に作用しなければならない。いまはそれが当り前で、何の障害もなくできているので感じないが、たった一杯のコーヒーでさえ他人の手を経ないと飲めないとしたら、寧ろ苦痛にさえなるだろう。私はこれまでそういう苦しみを知らないだけだろう。かかわりのない人生でもなかったから、多くの人たちにも迷惑をかけたのだろう。それが心の負担になっていないのは、よほど私が鈍感か、それほど酷くでもないかも知れない。


 ・こうしていられるのも自分があまり執着していなかったからだろうか。厭なことはあったけれど、相手を殺したいと思うほどの目には遭わなかったからだろうか。それとも忘れてしまっているのかも知れない。どうやら前頭葉も都合の悪いものは消去するらしいから。それこそ砲弾の下を這いまわったことはない。それは思えば有難いことなのだろうが、凡庸にもなったかも知れない。若いころは自分の老後などということを考えたことはない。


 ・へ2・・・自分たちが楽をしているのだという自覚もなかった気がする。ただ目の前の仕事が手放せなかったのが、それがカネのためだなどという思いさえなかったくらい無知だったということなのだろうか。他人の尻を追いかけているという自覚もなかったくらい歯車でしかなかっただろうか。ただの親父でしかない。段々冷たくなっていくコーヒーを飲みながら、最初の一口目の熱くて豊潤な香りが飛んでいることに気付いてはいる。だがコーヒーはコーヒーだとも思っている。古女房だって同じだろう。




政治家は、一度は首相の座に就きたいと思うらしい。VIP待遇を受けることが夢でもあるらしい。居心地が良いと一日でも長くと思うのだろう。ケチな政治家が多いのもある。権力闘争に明け暮れるからだろうか。麻生家の家訓は、一寸先は闇だという話を聞いたことがある。百戦錬磨の麻生太郎も、数々の失言をしながらまだ未練があるのだろうか。二度目を狙う人もいる。恐らく死んでも治らない。岸田政権も、脇の甘い内閣である。誰でもそうなるのだろうか。どうやら本人よりも周囲が、はしゃぎすぎるのかもしれない。これは韓国にもある。一族郎党というのかもしれない。一人ではできないことばかりだからもある。学歴や門閥も、組織の力に頼るところがあるのだろう。個人はたいしたことはないが、束になってくると怖いという。国家権力と個人の関係は、封建時代からまだ脱してはいない。





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最終更新日  2023.01.28 02:10:06
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