ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.01.31
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久能山東照宮。神社やお寺巡りも信仰からではない。日本人の習慣でもある。それが形式的な巡礼だとしても、精神は違うところにある。それが日本人たちでもある。信仰を凌駕しているのではないだけだ。狭い島国の日本では、散歩する場所がないのかもしれない。自然がそこにあるからかもしれない。色んな思いがあるのだろう。なぜこんなに神仏があるのだろうか。ひとはいつも暇あれば出かけようとする。





出掛けて来よう






出掛けて来よう

出掛けて来よう、出掛けて来よう

寒さの中を、出掛けて来よう

何がなくても、出掛けて来よう

ここにいてもなにもない

陽は昇り、陽は沈んでしまう

いつかは帰れなくなる日も来る

トレードオフの自分の人生が突き動かしている

何か大きなものが動き出している

それを知りたい

出掛けて来よう、出掛けて来よう

出掛けるのは、どうしても必要だからではない。生きていることは活動することでもあるそれはノルマもあればそうでないものもあるが、日課がなければならない。目的を失えば、糸の切れた凧にもなるだろう。自分に相応しい生き方を考えるべきなのだろう。堀辰雄の講座で「菜穂子」作品の中で「為合わせ」(しあわせ)という文字があって興味深く思った。何かすべきことを見つけることが「為合わせ」でもあるのだろう。






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最終更新日  2023.01.31 03:04:24
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