おもしろき こともなき世を おもしろく 

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2005 堀井学氏 2/25


堀井学氏講演会!



第一回講演会はお陰様で無事終了致しました。


北海道非凡塾第1回講演会が決定いたしました。

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第二期の記念すべき第一歩、第1回講演会が決定いたしました。
講師はあのスピードスケート元オリンピック日本代表の堀井学さんです。
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堀井学氏
講師はあのスピードスケート元オリンピック日本代表の堀井学さんです。       
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講師紹介


94年のリレハンメル五輪500mで銅メダルを獲得。96年にはW杯500m総合優勝、
1000mで世界記録を樹立するなど、スピードスケートの第一人者として世界の
頂点を極める。長野五輪を目前に控えた97年、新兵器・スラップスケートの
出現に翻弄され、翌98年長野五輪での金メダル獲得への大きな期待を寄せら
れるが、不本意な結果に。この長野五輪で惨敗の後に再起して「不屈の男」
と呼ばれた。 「何度失敗しても、立ち上がる」という心意気。
その成果が、01年W杯ヘルシンキ大会500mで3シーズン振りのW杯優勝という
かたちで見事に花開く。
迎えた02年、ソルトレーク五輪出場後、記録、そして自身の心と闘い続けた
競技人生にピリオドを打った。                   



現在堀井さんは実業家として活躍中です。
能力開発プログラム販売会社のSMIジャパンの副社長を務めると同時に、
地元北海道・苫小牧で同社の代理店(有)サクセスダイナミックス北海道を
経営する社長さんでもあります。


昨年5月の非凡会では、参加者として来場されていたにも拘わらず、即興で
すばらしい講演を聞かせて頂きました。
おじいさんの「学!お前はやれば出来る!」という言葉に励まされ、
どんどん自分の夢を追いかけた青春時代のお話に涙した方も多かったのでは
ないでしょうか。
時間が20分と限られており残念だったという声をたくさん聞いております。
昨年の講演を見逃した方も、ちゃんとした時間の講演を聞きたいという方も
是非ご参加下さい。

きっと自分のやる気に火がつきますよ!

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第二期北海道非凡塾第一回講演会開催要項

講師   : 堀井 学氏

日時   : 平成17年2月25日(金曜日) 受付18:00~
                           講演18:30~20:30
会場   : かでる2.7 7階 720研修室
       (札幌市中央区北2条西7丁目 011-271-5527)
参加費 : 1,500円 (お釣りが出ない様ご準備頂けると大変助かります)
定員   : 50名(お席に限りがございます。お申し込みはお早めにどうぞ)

懇親会 : 講演終了後21:00-23:00を予定。会費は3,000円前後。

申込み : 講演会申込みフォーム
方法    メールでの申込み。
       お手数ですが

        氏名 連絡先(TEL、メールアドレス)、懇親会の出欠 

       を記入の上
        hokkaido_hibon@jj-link.com 宛にメールお願いします。

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『堀井学物語』



昨日堀井さんとの打合せで、昨年5月に非凡会で話して頂いた幼少期~
高校時代は、時間の関係で少し飛ばしてコンパクトにまとめてしまう事
になりました。
とてもいいお話で残念ですが、仕方ないです。


そこで、非凡塾の大本、武沢信行さんが『がんばれ社長!今日のポイント』
04/5/31 VOL.976 でまとめて下さってますので、ご紹介したいと思います。

ちょっと長いですのでご興味のある人だけどうぞ。


『堀井学物語』


(文中、敬称略)

●先週末の「札幌非凡会」が異様に盛り上がった。

堀井学(Horii manabu 32才)、冬季五輪3大会連続出場、世界大会通
算27回優勝を誇る元スピードスケート選手が、友人の誘いで札幌非凡
会に参加した。

堀井は、98年の長野五輪ではフラップスケートに対応できず惨敗した。
だが96年、97年のワールドカップでは総合優勝を果たしている他、97
年の世界選手権でも優勝している。
「また堀井か」と思えるほど堀井無敵時代があり、長野五輪ではもが
き苦しむ姿があり、その後、また世界チャンピオンに返り咲いている
のを私は知っていた。

●そんな堀井が最前列に座っている。せっかくの機会だ。急遽、お願
いして20分間、体験談を語っていただくことにした。その内容が実に
感動的で秀逸。どの程度、私の筆力をもってお伝えできるかと、もど
かしく思うが、以下は、私の記憶に残った堀井講演のハイライトだ。

・・・

●期待された長野での敗北。正直、「もう辞めよう」と思った。だが
「このまま終わっちゃダメだ、もう一度勝負したい」と決意し、3年後
の01年W杯ヘルシンキ大会で世界チャンピオンになれた。
そのことが自分の誇りとなり、今の仕事の原動力になっている。また
その自信が、後進たちに向かって、「夢と目標を持て、そして決して
あきらめるな」と講演などでお話をさせていただく力にもなっている。

●おじいちゃんっ子だった私は、幼児体験でおじいちゃんに基本的な
考え方を叩き込まれた。

初めてキャッチボールをやり出したときには、
「学(まなぶ)、プロ野球選手をめざせ」
「おじいちゃん、そんなのムリだよ」
「一生懸命やればなんでもできるようになる」

●小学生のある時期、ものすごく太り始めたときには、
「学、おまえはやっぱり横綱をめざせ」
「おじいちゃん、ムリだよ、あんなに大きくなれないし、強くもなれ
ない」
「一生懸命やればなんでもできるようになる。同じ室蘭出身の大関・
『北天佑』や近所の有珠郡壮瞥町(そうべつちょう)からは『北の湖』
という大横綱が出ているじゃないか」
「わかったおじいちゃん、僕は横綱をめざすよ」と、素直に横綱を目
指し始めたときもある。

●そんなある日、通っていた小学校にスケートがとても早い子供が転
校してきた。
その子に早い理由を聞くと、「少年団に入って練習している」という。
「僕も少年団に入ってスケートで早くなりたい」と思って家族に話す
と、まずはスケート靴を買うお金がない、と言われた。
そこでおじいちゃんに相談すると、

「学、スケート靴はおじいちゃんが何とかしよう。そして将来、オリ
ンピック選手、日本代表をめざそう」
「おじいちゃん、むりだよいきなり」
「一生懸命やればなんでもできる」

●小学校卒業のときに書いた作文「ぼくの将来のゆめ」は、オリンピ
ック選手になりたい、黒岩選手も橋本選手もみんな努力してオリンピ
ック選手になったので、ぼくもがんばってオリンピック選手になりた
い、と書いた。それはおじいちゃんの教えの影響だった。

作文の内容については、友達からも先生からも誰からも何にも反応が
こなかった。おじいちゃん以外、誰も信じていなかったのだろう。

●「スケートなんか辞めよう」
記録が伸び悩み、焦りを感じる自分に向かって、「おまえはフォーム
が柔らかく、良いバネをもっている。きっと良い選手になる」と、い
つも励ましてくれた中国の恩師も大変すばらしかった。

そして、とうとう高校進学について先生と親との三者面談の時期がき
た。

●進路指導の先生は「堀井はFランクだから行ける高校はここかここだ」
という。でも私は、全国からスケートのエリートが集まる「白樺学園」
に入りたいと言った。
母はそれを聞いて、「あんた何をばかなこと言っているの、あんたに
行けるわけがない。」と激しく怒った。

父にお願いしても、父は、「学、スポーツでメシは食えん」。
その瞬間、私の夢というお皿は、こなごなに砕け散ったように思えた。

●だが、その後ろ姿をおじいちゃんが見ていて、
「おまえは親の反対にあって夢をあきらめるのか?」という。
「わかった、おじいちゃん。もう一回父にかけあってくる」

とうとう父も根負けして、
「わかった、学。おまえがそこまで言うなら行かしてやろう。ただし、
条件がある。次の大会で16位以内に入いることができたら白樺学園を
受験してもよい。」

●うれしくなって母にそれを報告に行くと、
「おまえが16位以内に入れるわけがない。もしそんなことが出来たら、
ハダカで逆立ちして町内一周したる。」と言った。
結局、次の大会で百分の16秒差で16位入賞を果たしたそのレースで、
一番苦しいときに頭に浮かんだのは、「お前にはムリ」という母の顔
と声だった。

●「ちくしょう、絶対に入ってやる」とがんばった。
母は、後日、お前の神経を逆なですることで奮起を期待したのだ、と
笑っていた。母にも感謝しなければならない。

とにかく私は両親との約束を果たし、白樺学園を受験させてもらえる
ことになった。そして、無事、入学試験に合格した。

●ところが入学式に行き、スケート部の集まりに参加して愕然とした。
日本全国から早い選手が特待生として集まっている。自分より早い女
子選手までいた。
どうやら試験で入ったのは自分だけのようだ。周りはみんな自分より
早い。すごい所へ来てしまったと焦り、不安になった。

・・・
2005年2月24日(木)

<明日につづく>





『続・堀井学物語』

いよいよ、堀井学講演会、当日となってしまいました。
楽しみですが、何か心配ですね。
早く懇親会になればいいのに・・・

どうでもいいのですが、日記の日付が一日ずれてしまっていて、
日にちが変わらないとアップできない状態です。
いつものサボりが出れば解決なのでどうでもいいことですが、
おかげで、美しくさんをお待たせしてしまいました。

それでは昨日に引き続き、武沢 信行さんのメルマガより引用させて頂きます。
(『がんばれ社長!今日のポイント』04/6/1 VOL.977)

まだ2,3席は空いていると思いますので、この話しを読んでビッと感じた人は
速攻申し込んでください。


以下引用 


『続・堀井学物語』


(文中、敬称略)
●堀井学ファンは全国にいるようだ。昨日号に対して各地から頂戴し
たメールより、二通をご紹介したい。

・・・ご無沙汰しております。東京の新島です。
早速ですが、堀井選手。ぼくは長野五輪のときからですが、惹かれて
います。
確かキリンビールのCM、山下達郎のあの曲を頭の中に流すと、今で
も涙がでてきそうなくらい気持ちが高ぶります。
結果を出せなかった後、以前と比しては、けっして十分とはいえない
スポンサードをなんとか獲得しつつ、お父さん(?)をコーチとして
頑張っているドキュメンタリーも観ました。非凡会にご参加なさるな
ど、今もご活躍中のようで、とてもうれしく読ませていただきました。
続きの内容を楽しみにしています。
・・・

・・・こんにちは、北海道のWと申します。私も高校二年までスケー
ト競技をやっていました。堀井選手は、私とは別格で雲の上のエリー
トだと思っていたのですが、全然違うということを知り、勇気がでて
きました。
できれば、機会があれば堀井さんの講演を聞いてみたいと思いました。
・・・

●さて、昨日号の続き。堀井講演のハイライト後半をお届けしたい。

・・・
念願かなって白樺学園に入学し、スケート部に入ったが、まわりを見
ると自分よりすごい選手ばかりが集まっていた。
気後れした気分のなか、監督のあいさつが始まる。
「みんな、入学おめでとう。ところで、君たちの夢と目標は何だ。出
したいと思っているタイムを紙に書いて部屋に貼っておくように」
という訓示があった。

●家に帰り、さっそくカレンダーの裏側に『43.0秒→40.0秒』
と書いて貼りだした。一年間で3秒もタイムを早めようという目標だ。
ちょっと欲張りすぎたかなぁ、と思っていたが、いつもこの紙を見て
いるうちに、絶対やるんだという気持ちに変わっていった。
そして、一年生で40.0秒を達成。二年生でも同じように『38秒
7』と書き、それを達成。三年生でも『38秒2』と書いてそれをク
リアした。

●白樺学園の二年後輩で、金メダリストの清水選手や、Fさん、Kさ
んなど世界で活躍した人は皆、先生の指導通りに目標を紙に書き、壁
に貼って記録を達成している。ところが、そんな単純なことすらやら
ない選手もたくさんいたのは意外だった。

●今でも忘れられないエピソードがある。それは高校一年生の時、大
会で私が予選落ちした時だ。周囲で予選落ちするような選手はほとん
どいない。部活のペナルティとして、先輩の道具運びはもちろんの事、
歌ったり踊ったりしなければならない。それはもう、みじめな気分で
宿舎に戻った。そのあわれな私の姿を監督とコーチが部屋から見てい
たのだろう。
部屋に戻るなり電話があり、「今すぐ来い」と呼び出しがあった。

●「お前みたいな選手はいらない。もう辞めろ」と言われるに違いな
いと思って覚悟して部屋をノックした。

入室するなり、監督から
「堀井、おまえは本当に悔しいのか」と聞かれた。
緊張して足をふるわせながら、「はい、くやしいです」と答えるのが
やっとだった。
すると監督は意外にも、
「おまえは、日本を代表する選手になるためにここに来たんじゃない
のか?」と言う。予想外の言葉だ。
しかも、それに続いて
「堀井、一生懸命がんばれ、あきらめるな」
と言われた。

●自分はダメだ、と思っていた矢先のこの言葉に感極まってお礼を言
い部屋に戻ろうとした。すると、となりにいたコーチから、
「堀井、一生に風呂はいるぞ」と言われた。
風呂に入って、コーチの背中を流していると、
「おまえも反対になれ」と言う。
なんと、コーチが私の背中を流してくれつつ、こんな言葉を発して下
さった。

●「堀井、おまえが一生懸命やっているのは、オレにはわかる。お前
は特待推薦で入部したのではない。他の選手と同じことをしていては
ダメだぞ。オレは、おまえに期待しているからな、あきらめるなよ」

私はブワーと涙があふれてきて、「絶対に早くなってやる」と心に誓
った。
もし、あのとき
「おまえなんか辞めてしまえ」って言われたら、本当に辞めていたと
思う。

・・・

●堀井の講演はここで終わった。時間さえあれば、大学編や社会人編
も聞いてみたい。
2002年に現役を引退した堀井は、苫小牧に在住。講演活動、北海道教
育局非常勤講師、白樺学園スピードスケート特別コーチ、SMIプロ
グラム代理店「サクセス ダイナミックス 北海道」の代表取締役など、
多方面にわたって活躍中。

●こぼれ話

「堀井さん、金メダルの実況中継MDを作っていつも聞いていたって
本当ですか?」
と私は二次会の席で堀井さんに質問した。
イメージトレーニングのためにプロのアナウンサーに依頼して世界記
録で金メダルを取ったときの仮想テレビ放送を収録したというのだ。

「武沢さん、その話は本当です。普通は音楽を聞くなどしてリラック
スするのですが、僕のMDは実況中継なんです。この中継を聞いて、
なんど涙したことか」

良いと助言されたことはそれを信じてトコトンやる。おじいちゃんの
教え通り、野球をめざし、横綱めざし、スケートをめざした。やる以
上、てっぺんをめざした。お母さんの苦言にも立ち向かい、高校の監
督・コーチの助言もすべて堀井は吸収した。
素直で、とことん努力の手を抜かない天才だ、堀井の話を聞いて思っ
た。

★堀井学の実況金メダル
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/olympic/feb/o20020202_30.htm

★堀井学の本 「終わりなき挑戦―100分の2秒が人生を変えた」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4906631975.html

2005年2月25日(金)


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