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建築家45年(6)

建築家45年(6)

 そういう意味で自然は偉大なる師匠である。自然は様々な事象から真理を導き教えてくれる。それを感じ取る事が人間には出来るのである。つまり、真理を見出すだけの能力が備わっているという事であり、それだけに上手くそれを応用すれば快適な生活が出来る様になる。決して、よこしまな考えを起こさなければ戦争なぞと言う殺し合いは起きない筈である。人間が命の尊厳さと大切さを己の命で知っている以上、他人の命は軽いとする身勝手さは自分が神に成った積りに成った傲慢な時に起きる。しかしながら科学技術の発達は人間をより神に近付ける。無知だった人間が自然から真理を学んだ最初は、リンゴの木の枝に居たヘビが、ふと悪魔的な考えをイヴに教えた知恵の実のリンゴであった。それを食べた瞬間、神に近づいて恥じらいを知る話は比喩的過ぎるが、それも一つの真理ではあるのだ。

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 知恵の実は毒でもあり薬でもある。知恵の実を独占していた神々は、それを味わった人間をエデンの園から追放する。が、殺しはしない。神々は決して戦争(殺し合い)をしない事になっているからだ。そもそも神々が偶然なのか必然なのか人間の形をしているのがおかしいのだ。否、神々を真似て泥をこねて造られたから当然ながら人間が神々と同じ形をしているのだと言う事も出来るが、何かプロトタイプとなるものが無ければ無から有は生じないとする考えがそこにはある。つまりは、手本となるものが無い状態から有を生じさせる事なぞ神々であっても出来ないとする発想が余りにも人間臭いのであり、それは人間の考え出しものである証拠でもある。子供なら極当たり前に考えるその発想も、実は、宇宙と言う際限なく形の無いものを人々に知らしめる為に考え出された仮の姿なのであろう。

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 だからこそ神々が人間の形をしているのは当然なのである。猿の惑星なら猿の形をしたのが神と成り、無重力の宇宙ではETの様な形に成るのである。何処かで自分達に近いアイデンティティを得ようとするなら自分達の姿に似させるのは当然である。ところが、人間は死ぬ。死ぬ事で神に成るのである。だからこそ神は死なず、生も死も無い永遠の存在なのである。それを強く願望した大帝国の支配者であった秦の始皇帝は日出ずる国へ不老長寿の薬を探しに使いを遣らせ、そんな事は不可能と知っている使者は日本に亡命してしまうのだ。なかなか賢い使者ではあった。脱北者が政治亡命するよりもスマートで誰にも迷惑を掛けず遠く離れた国で優雅に温泉に浸かりながら酒を飲む事こそ不老長寿の一歩手前の薬を手に入れた様なものだ。記録こそ無いが、多分その使者は大いに寿命を伸ばした筈だ。

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 浦島太郎の話も面白い。多分、日本海の対岸の何処かの国へ連れ去られ(拉致され)これまで見た事も無い美味い料理を食べ、観た事も無い美女の舞いに酔いしれ時の経つのも忘れ、楽しく過ごす内、次第にそれに飽きて来て、故郷が恋しく成り、無理を言って故郷へ帰してもらう。が、其処には落ちがあり、無事に帰った故郷はすっかり変わり果て見知らぬ人々ばかりが住む処なのだ。最早生きる意味も目的も見失った男は、最後の頼みとする玉手箱(自爆装置)を開け、煙(薬)に巻かれて老死してしまう。極楽を夢見た男は夢から覚め、現実(地獄)を知り絶望の果てに墳死をする訳である。それは仙人を夢見た中国の杜子春と似た話だ。何処の国にもそれに似た話はあって寓話とはそういうものである。否、事実は小説より奇なりと言うではないか。脱北者の苦悩がそれを物語っている。

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 人間には寿命というものがあり、精々長生きをしても100歳と少々である。そんな長生きをしたところで友人も無く、体力的にも何の欲望も満足させる事なぞ出来ないまま、脳の欲望ばかりが露骨に現れ、権力を行使する事だけが楽しみとなる。しかし、その権力も裸の王様よろしく側近に騙されていては笑い話にも成らない。権力を手にした者が死を意識した時、既に悟りを得た者でない限り、死の恐怖に取りつかれ、死に対しても権力を行使して喰い止めようとする。が、無様な醜態を晒して終えるだけだ。往生際の悪い者は今も昔も変わらず、権力の座を追われてもポーズで四国のお遍路周りをし偽善者ぶる。そして人々から顰蹙(ひんしゅく)を買うご時世だ。何でも在りの時代、恥じも外聞も無く世も末と言われる由縁である。本来ならば心ある者は恥を知り天を仰いで身の程を知るのである。

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 それすら出来ない連中は益々増長して恥の上塗りをする。誰にどう想われようと無関係と想う輩は鉄面皮にも恥という言葉を知らないのである。そんなものは犬にでも喰わせと想っているのだ。他人が何をしてくれると言うのだ、自分で勝ち取った権力の座は死んでも放したくはない、世の中は自分を中心に回っていると信じてやまない。身勝手で他人を返り観ない輩は人の心が読めない。そういう連中が政治をやり役人をやっているのが現代社会である。そういう現実を見据えながら我々は心して取り組まねばならないのである。しかし、相手がそうならこちらも、と対抗手段を講じるのも人間だ。騙し合い危弁論の集積で論理的に相手を捩じ伏せる事で不遜な連中を抑え込む。それが上手ければ売れっ子弁護士として売れる。役人も政治家もうかうかとはしていられず、やがては彼等も有能な市民にやられる時が来るのである。(つづく)

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