ココ の ブログ

冬枯れの頃(4)

冬枯れの頃(4)

 今回の東北大震災や大津波や福島原発の事故を観て阪神大震災とは違ったイメージを持った。ボランティアについてもだ。今回の震災は余りにも膨大で広範囲だけに人力やボランティアには限界がある事をまざまざと知らされたからだ。更にはボランティアでは如何ともし難い原発事故とメルト・ダウンへの東電や政府の無能振りをまざまざと見せつけられ、東北人は死ねとばかりの政府対応に怒りを覚える国民も多い事だろう。そんな中、現在のところ冷温停止状態であるからと政府はあろう事か事故終息宣言を出したのだ。当然、何も解決していない状態で、問題が山積しているにも拘わらずその様な宣言を出すナンセンスを世界のメディアは批判した。常識で考えても分かる理屈を覆す宣言をした訳である。その批判を観て日本のマスコミの一部も批判的な論評を出す様になった。

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 三基もの原発が同時にメルト・ダウンした福島原発事故の核燃料が今どうなっているかの状態も分からずして9か月目に「事故は終息した」と何故宣言できるのか不思議でならない。想わず「嘘もいい加減にしろ!」と叫んでしまった。終息宣言をした翌日の日曜に細野担当相がテレビ番組で如何にも嘘を本当の様に並べ立て、赤面しながら抗弁していたが、浮足立った言葉の節々に政府の出鱈目ぶりが出ていた。ボクでなくともテレビを観て居た人は呆れかえった筈だ。放射能がこれ以上洩れ出ないように分厚いコンクリートの石棺で覆い込み核燃料を取り出す算段をするならまだしも未だ何も前向きな事はしていないのだ。水を注いで冷温停止したと政府や東電は想い込みたいだけなのである。それに危険区域に地域住民を戻す案まで出ている。サッサと逃げ出すのでは無く原発の近くに戻りたいと言うのだから無知も此処まで来れば救いようが無い。

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 正義感から敢えて憎まれ口を言うなら「福島県人も、お目出たいのう」の一言である。此処まで言っても未だ堪えないのだろうか。親の無知で子供達が原発事故の放射能の犠牲に成る不憫を視なければならない現実に憤りさえ感じる。政府は数多くの既成事実を作ってしまえば怖くないとでも想っているのだろうか。成長期の子供が被曝すれば甲状腺癌が発症し易い事はチェルノブイリ事故の経験や科学的根拠で知っている筈なのだ。「知らなかった」では済まないのである。その原因を作った菅直人前首相や野田現政権や閣僚達は末代まで無能の象徴として語り継がれるだろう。多分そういう状況を考えるから今年は不愉快な気分にしか成れないのだ。成るべく楽しい事を考えたいのだが考えれば考える程鬱陶しい日々が続くのである。早く正常な政治が行われる様願うしか無い様だ。

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 だが、冷静に考えてみれば、世の中は嘘でまみれている事が分かる。自分の経験で観てもそう想う。例えば、3年ほど前だったが、50年ぶりに小学校の同窓会に初めて出席した京都の料亭で、宴が興に乗って皆が夫々席を立って久しぶりの再会を祝って酒を酌み交わし始めた頃、ボクは女性恩師の前へ行き酌をしながら「先生、覚えていますか。社会の授業の時だったかな、先生が天皇についてどう思うかと訊いた事があって、ボクが、天皇陛下は・・・と言いかけると、陛下は要りません!と叱られた事を」と笑顔で言ったのだった。すると恩師は少し戸惑った顔をし「あの頃は、そういう時代だったものねえ」と逃げたのだった。美人の恩師は当時は新婚早々だった事もあって毎日着飾って授業をしていたから生徒間で着せ替え人形という渾名がつくぐらい綺麗だった。おおよそプロレタリアート的な思想を持っているのが似つかわしく無かった。

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 当然、小学生のボクには幾ら高学年の生徒であっても思想的な事は全く分からず、後年になって初めて「陛下は要りません!」という敬称否定の意味が分かった程度の子供だった。高校時代になって60年安保闘争があってデモに参加していた頃、同級生に小学校時代に天皇の事を「天皇陛下」と言って担任の教師に叱られた事を話すと「アホと違うか、その教師。天皇陛下と呼ぶのは当たり前の事やし、天皇と呼び捨てにする教師は共産主義に毒されているのと違うか」と言われたものだった。デモに参加する意味からすればアメリカの軍事同盟(反共)である安保条約に反対する立場同士にも拘わらず反共(天皇崇拝)の言葉を平気で使っていた矛盾する学生だった。片方ではアメリカのブルジョア帝国主義に反対し、片方では共産主義にも反対していたのだ。が、当時はアメリカ帝国主義とか反共という言葉を当然の様に使っていた割には本当にその意味を理解していたかどうか分からない。

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 唯「陛下は要りません!」という言葉がトラウマのようになってしまっのは事実だった。50年ぶりにその事を想い出し恩師に言うと簡単に言い逃れされてしまった事で、恩師が御都合主義の嘘つきというイメージが出来上がってしまった。更に、その年の暮に恩師に初めて年賀状を出したのだったが返事は来なかった。矢張り恩師にとっても50年ぶりに会った生徒から人間性を問われる様な質問をされて戸惑いがあったのだろう。しかし、ボクにとっては信念の無い恩師から義理で返事が来るよりも来なかった方が気が楽だった。いい加減な教師だった事が50年ぶりに分かった事の方が気持ちの整理が出来た。今年の祇園祭に京都で小学校の同窓生数名と飲み会を開き、酔った勢いでその事を言うと「あの先生が、そんな事を言うのか。信じられない」と驚いていたのが印象的だった。(つづく)

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