そして今日も日は過ぎる

2003/12/22
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テーマ: 社会問題一般(4)
カテゴリ: 司法関係覚書
 裁判員制度の採用の目的は、市民の司法参加にある。
 立法・行政に比して、司法への国民の参加の場面は限定されており、司法は国民一般にとって遠い存在であった。
 それゆえ、国民の司法に関する無関心や不信が生じている。このような現状において、市民的感覚を司法に反映させよう。このようにして現在、裁判員制の採用が議論されているわけである。
 このような裁判員制を採用する事により、どのようなメリットがあるのか。
 いくつか考えられるが、1:判決における市民的感覚の反映、2:国民の司法への関心を高めるといったところが大きいのではないだろうか(*1)。
 昨今、マスコミに限らず多くの人々が『あの判決はおかしい』『裁判官には常識がない』と言っている訳だが、こうした批判を一程度避けられるようになるというのも、メリットとしてあげても良いかもしれない。
 だが、採用するにあたっては様々な事について定める必要があり、また議論も必要である。現在はこうした様々な議論がなされている最中である。
 また、裁判員制度の採用がメリットばかりかといえばそうでもない。
 例えば、裁判員制度の採用によって、では、昨今言われるような『おかしな判決』がでないのかというと、それはまずありえない。理由はいくつかある。

 法律論的な批評は出来るが、出された結論がおかしいように見えても、それは弁護士が巧みだったのかもしれないし、決定的な証拠が提示されなかったが故なのかもしれないのだ。すなわち、結論がおかしいかどうかの判断にあたってその過程、詳しい事案を調べる事が重要なのが裁判なのである。
 マスコミ等がそれを為した上で批判しているようには私には思えない。表面のみを切り取っているのではないか?そして、そうした感覚的な批判が『裁判官に常識がない』という批判につながっているような気もする。裁判官に常識がないのではない。訴訟の流れや、それぞれの法の理念というのがあり、それに沿った判決を為すのが裁判官の仕事である。それ故に感覚にそぐわない判決が出る事があるのである。もっと深く判決を検討すれば、様々な検討が加えられたものであることに気付くだろう。
 しかし、こうした事情が分からないと、裁判官の判断がおかしいように、非常識のように見えてくるのである。こう言っては何だが、マスコミの短絡的な批判は勉強不足を裁判官のせいにしている気がする。批判をするなら様々な角度から為すべきであり、それが一般的な批判のあり方であろう。
 以上のように詳しく判決に至った過程を調べずして批判を続ける以上は、裁判員制度が採用されても『感覚的におかしく感じる』判決はいくらでも出てくるように感じられるだろう。裁判官・裁判員がどれほど真摯に事件にあたったとしてもである。
 次に2:アメリカの陪審員制を想起していただきたい。より『感覚的におかしな判決』が出される恐れがあるという事である。これは、陪審員の能力の問題ではなく、やる気の問題だ。つまり陪審員にとって見れば他人の事件だ。安易に流れる恐れがあり、また傾向操作(*2)をなされる恐れもある。
 だが、こうした様々な問題点を抱えてなお、裁判員制度の採用は為される必要があるのだろう。行政のみならず法曹三者も一致して採用を目指しているということは、やはり採用するメリットを重視しなければならない現状があるということなのだから。
 では、採用されるとして、議論をしなければならないことにはどのようなものがあるのだろうか。
 これについては明日、記してみたいと思う。

*1
 これに対して、民主主義国家である以上、国家権力作用に民意が反映されるのは当然で、民主的コントロールが強化される点もメリットとして挙げる方もおられようが、司法に関しては民主的コントロールの強化が必ずしも善なりとはならない事に留意して欲しいところである。
 というのも、司法には、『民主的政治過程から外れた少数者の権利をも保護する』という目的があるからである。これは、立法過程においてどうしても多数者の意見が反映されがちで、少数者の意見が反映しにくいという事実を想起していただければ分かりやすい事と思う。

 そこで司法の手によって是正を求めるわけである。
 当然、司法の独善化は避けるべきであるが、それにしても民主的コントロールを完璧にもたらす事は、結果として少数者の権利に対する配慮を欠くことになる。その為、どうしても司法に対する民主的コントロールは、ある程度緩やかなものとしなければならない。
 もっとも、これまでの司法は、あまりに民主的コントロールが及んでいなかったのではないか、もう少しコントロールを及ぼすべき(裁判員制度を採用する程度のコントロールは許されるのではないか)であろう、という事が裁判員制度の採用にあたって念頭に置かれたというのはあるのだろう。

*2
 陪審員がどのような傾向の人であれば有利な判決を得られるかを考え、忌避を利用する事である。例えば、白人の黒人に対する暴行事件において、黒人は暴行者に対して厳しい判断を下す恐れがあるとして、陪審員から黒人を排除するなどである。これだけならともかく、白人の陪審員を増やす場合は今度は逆に、暴行者に対して甘い判断を下す恐れがある訳だが、そうした陪審員を採用するよう、なにかれと忌避を利用するわけである。





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Last updated  2004/12/25 10:00:30 AM
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聖書預言@ Re:8番出口(05/01) 神の御子イエス・キリストを信じる者は永…
剣竜 @ パク・チャヌク監督作品 ocobaさんへ その2つの映画,評価高いよ…
ocoba@ Re:殺人の追憶(03/04) 韓国映画では、パク・チャヌク監督の「オ…
剣竜 @ Re[3]:投票義務制の問題点(11/10) サムスさんへ いえいえあまりお役に立てず…
サムス@ Re[2]:投票義務制の問題点(11/10) 剣竜さんへ ありがとうございます!

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