フェンスの中は、御覧のように何もありません。僕が中学生だかの頃、まだ埋め立て中だった現福浦や幸浦に釣りに来ていた頃からこんな感じだったように思います。あの頃は、まだベイサイドマリーナは無くて木材港として機能していましたね。(今ではバス停の名前ぐらいでしかありませんが>木材港)
この広い空き地と、隣にある日本飛行機という工場からして、子供心にも「絶対滑走路に違いない・・」と思っていた場所です。
道路で寸断されていますが、海側にも伸びています。ここが富岡倉庫地区と呼ばれた場所なんですね。
どうやら、戦前に航空隊の飛行艇訓練基地として作られ、敗戦後は米軍に接収され通信部隊施設や資材置き場として利用されていたそうです。その後部分的に返還されたりして公園になったりし、極最近5月に全面的に返還されたそうです。どうりで米軍の看板がなくなっていたはずです。横浜市内に米軍施設があるということは、あまり意識されていないでしょうね。現在6か所あることが横浜市の HP上 で見ることが出来ます。柳ジョージが歌った「フェンスの向こうのアメリカ」は根岸の米軍居住地区を題材にしたものだったのです。
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