全97件 (97件中 1-50件目)
できないことをするのが 練習なのだ -3 無 智 亦 無 得 以 無 所 得 故 ム チ ヤク ム トク イ ム ショ トク コ 何かを得たと思ったところで 物であれば壊コワれるし あの世まで持っていけない 悟りを開いたお釈迦さまは その境地キョウチに安住しなかった 悩み苦しむ人々を 放っておくことをしなかった 何かを得た で 終わりではない そこから次への一歩が始まる 毎日が より良い変化への スタートラインである 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 31, 2009
コメント(0)
老人の食事 衰老スイロウの人 あらき(切り出したままで 皮をむいていない木材 素ス) 物を 多く食うべからず 精クワしき物を少し食らうべし と 元ゲンの許衡キョコウがいった 老人の脾胃ヒイが弱いからで 老人の食は このようで なくては ならない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 31, 2009
コメント(0)
急に流行に関心を持ち始めた人 の 心境シンキョウとは 自信喪失ソウシツの心理 世の中には 流行にとんと 興味キョウミを示さない人もいる 周りが その年の 流行色の服を着ていても 自分は無関心で ファッション誌など 買ったことがないといった 人たちだ こういう人は 実は 人並み以上にファッションや流行に 関心を持っていることが多い ただ 世間の流行よりも 自分のセンスの方が いいと思っているので あえて流行を追わないのだ 流行ハヤりの格好カッコウをするのは メーカーやデザイナーの 言いなりになることであり 多くの人と同じ格好をすることでもある その意味で 流行に左右されない人は 人の言いなりは嫌イヤ と 考える 高いプライドの持ち主ともいえる 自分は その他大勢とは違チガう と 思い 流行に左右される人を 一段下に見るタイプなのだ ただ こんなタイプも 突然 流行に関心を持つ ようになる ことがある 流行ハヤりのブランドの バッグを持つようになったり 洋服に流行色を取り入れる といった具合グアイだ そういうときは その人が これまで抱イダいていた 自信が失われた可能性が高い これまでは 自分に自信があったからこそ 世間に合わせる必要はない 自分は自分 と 思う ことができた ところが 失恋をしたり 仕事上で大きなミスをするなど 自信が大きく揺ユらぐ 出来事があると 自分の生き方やセンスへの 自信まで失われてしまう すると 今の 自分のファッションが 急に恥ハズカしくなり 流行を取り入れ始めるのだ 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 31, 2009
コメント(0)
老人の食事 衰老スイロウの人 あらき(切り出したままで 皮をむいていない木材 素ス) 物を 多く食うべからず 精クワしき物を少し食らうべし と 元ゲンの許衡キョコウがいった 老人は脾胃ヒイが弱いからで 老人の食は このようで なくては ならない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 30, 2009
コメント(0)
できないことをするのが 練習なのだ -2 何かを得る主体である 自分自身に 実体がないのだから - これが 得エる所 無きが故ユエに という意味である それと同じように 智慧チエもないし 得エることも無い ( 更サラに 得ないということも無い 無 無 得 ム ム トク の 語句が 付加されいる 般若心経もある ) そんなことに こだわらなくなる智慧が 般 若 波 羅 蜜 多 ハン ニャ ハ ラ ミッ タ だと言う 智慧チエだ 智慧チエだと 必死になって修行している中に 本当の智慧はないだろう ニッコリ笑う笑顔の中に あったりするものである 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 30, 2009
コメント(0)
老人と小食 老オいると 脾胃ヒイの気が 衰オトロえて弱くなる 食事は 少なめがよい 多食することは危険である 老人の急死は ほとんど食べすぎである 若くて脾胃ヒイが強かった ときの習ナラいで 食べすぎると 消化不良を起こして 元気がふさがり 病気が起こって死ぬ 心に決めて 過食をしないようにすることだ ねばっこい飯 堅カタい飯 餅モチだんご 麺類メンルイ おこわ 獣肉ジュウニク などの 消化しにくいものを 多く食べてはいけない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 30, 2009
コメント(0)
流行に敏感ビンカンな人 の 意外な本性とは 暗示アンジにかかりやすい心理 どの職場にも一人か二人は 流行に敏感な人がいるものだ こういう人は 職場の ファッションリーダー的存在で 周囲を引っ張っていく 人のように見えるが 実は 人の意見に左右されたり 暗示アンジにかかりやすい 傾向ケイコウが強いのだ どんな流行であれ それが 他人のつくり出したものである ことに変わりはない 自分で 選んだ つもりでも 実は人に 選ばされて いる のである しかも 流行が移れば 今 いい と 思っている ものも すぐに 飽アきた つまらない ものとなる これは ファッションの良し悪しを 自分で判断していない ことを意味する その意味で 流行に敏感ビンカンな人は 自分で判断することが 苦手ニガテな人ともいえる こういう人は 自分が 詳クワしくない分野では すぐに人のいうことに 左右されてしまう たとえば 友人と新しくできた レストランにいって 友人が いい と いえば 本気で自分も いい と 思う あるいは 男性から告白されたとき 特に好意を持っていなくても OKを出してしまう つきあっているうちに 昔から相手のことを 好きだったような 錯覚サッカクすら 抱イダきはじめる ある意味 御ギョしやすいタイプなのだ 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 30, 2009
コメント(0)
できないことをするのが 練習なのだ 無 智 亦 無 得 以 無 所 得 故 ムチ ヤク ムトクイ ムショトツ コ 智チもなく 亦マタ得トクも無し 得ウる所トコロ 無きが故ユエに 何かを得エたとする自分自身が 空クウなる存在である 昨日と今日では 体内物質も皮膚ヒフも入れ代わり 知識も増え 経験も増えている 昨日まで 正しいと思っていたことが ひっくり返ることもある 一晩ヒトバンで 愛が憎ニクしみに変わる こともあろう あなたも 十年前と同じではないだろう 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 29, 2009
コメント(0)
老人と外出時の用心 老人は 大風雨フウウ 大寒暑カンショ 大陰霧インム(濃コい霧キリ) の ときは 外出してはいけない こうしたときは 家にいて 外邪ガイジャを避サけて 静養セイヨウするがよい 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 29, 2009
コメント(0)
いつもきちんとした服装の人 の 特性とは 顔を見せない心理 身だしなみがきちんとして いつもスキのない 格好をしている人がいる スーツやズボンに シワがよっていることはなく 靴もきちんと磨ミガかれている 着こなしのセンスもよく 頭から足元まで 文句のつけようがない人である そういう人は もちろん オシャレな人ではあるのだが 同時に 他人からの 干渉カンショウを嫌キラう タイプと思っていい スキが感じられない服装は 他人からは口出しされたくない という心理の表れなのだ こんな人に たとえ善意でも 今日のネクタイよりも 昨日のネクタイの方がよかった などと言おうものなら 不愉快フユカイな顔をされる ことは間違マチガいない 仕事についても同様で 自分の仕事に関して ここはこうしたら? などと 人から 口をはさまれるのを好まない プライドが高すぎて 人の善意を純粋に 受け取ることができないのだ その一方 大きめのサイズを好み いつもルーズな スタイルの人もいる 手が隠カクれるほど 袖ソデが長かったり ウエストがダブダブで 今にもずり落ちそうな ズボンを穿ハいている こういう人は 心の底に 強いコンプレックスを 抱イダいているケースが多い ダブダブの服は 自分をより大きく見せたい 意識の表れと考えられる 本来の自分に自信がなく 自分はちっぽけな存在だと 思っているので せめて大きい服を着て 自分を大きく見せよう としているのだ ファッションから 人の心理を分析する 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 29, 2009
コメント(0)
杉の木立を飛び越える方法 第一日 杉の苗を植える 二日目 杉の苗木を飛び越える 三日目 今日も飛び越える こうして 数十年後には 杉の木立を飛び越える ことができる が そうはいかない このように ある意味で 100%正しくても 役に立たないことは多い 正しいという理由だけで 何が何でも自分の意見を 押し通そうとするのは 考えものである 般若心経では いつまでも こだわるな という 解明されたことであっても かつ それが正しくても それにこだわり続けると 苦悩からの脱却ダッキャク は できないだろう 正しいこと だけに こだわらない生き方 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 28, 2009
コメント(0)
朱子シュシの 食 養生ヨウジョウ 朱子(栄エイ代の大儒ジュ) は 六十八歳のとき その子に与える書にいう 衰病スイビョウの人 多くは過度飲食によりて 病ヤマい加わる 殊コトに 肉 多く食するは害あり 朝夕 肉はただ一種イッシュ 小食すべし 多く食うべからず あつものに肉あらば さい(副食)に肉なきがよし 晩食には 肉なきがもっともよし 肉多くは 滞トドコオりて害あり 肉を少なくするは 胃を寛ヒロくして気を養い 用を節にして財を養ヤシナう 老人だけではなく 若い人でも このようにすべきであろう 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 28, 2009
コメント(0)
場違いな服装をする人の性質とは たとえば キャンプへいくとき 普通の人は それにふさわしい 格好カッコウで行こうと考える それなのに 革靴カワグツを履ハいてきたり いかにも高そうな服を着てくる 人がいれば 周りから 浮いてしまうのは当たり前だ 革靴では 長時間 歩くのは 難ムズカしいし 高価な服を着ていれば バーベキューの準備など できるはずもない そういう人は チームワークが苦手ニガテと 考えたほうがいい 職場でも 会社の雰囲気フンイキや 職種ショクシュによって それにふさわしい服装は おのずと決まってくる おかたい職場なら 男性は 紺コンやグレーの背広に 白いワイシャツ 女性は 清潔な印象の スーツやブラウスが 相場だろう にもかかわらず カラフルな色の背広を着たり ラフなワンピースや ミニスカート姿で 出勤してくる人は 場の空気が読めない タイプといっていい 自分の服装が浮いている ことに気づかないから 自分が着たい服装をしてくる 周囲に不快感を与えることなど 気づきもしない 社会的に未成熟な人ともいえる こういう人には 業務においても 協調性を発揮するのは難しい 一人だけマイペースで仕事し 自分のノルマが終われば さっさと帰宅するタイプだ ただし 仕事ができないことではない こういう人には マイペースで仕事をさせると 思わぬ能力を発揮する 人もいる ファッションから 人の心理を分析する 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 28, 2009
コメント(0)
相手の気持ちを察サッする余裕 -2 夜更フかししたい理由があり 昼間 眠ネムくて仕方ないし ご飯は ゆっくり食べたいし 勉強は好きではないし 今 自由な生活をしたい こうすれば ああなることは 分かっているが 今こうしたいという気持ちが 優先ユウセンされる わかっちゃいるけど やめられない ということである まず こうした 理由を受け入れないと ああなるという結果だけから 今の気持ちを変えることは かなり難問ナンモンである 夜更フかし しなくてはならない 用事があるなら それをやめればいい その代わり 朝は どんなにつらくても しっかり起きなさい 昼間 眠ネムくなったら 二十分後に 目覚ましをかけて 寝ネればいい 一人でご飯を 食べてもいいけれど 自分で片づけをしなさい 勉強が嫌キラいなら いい学校へ入るという 目標は捨スてること 自由な生き方を するのはいいけれど それが原因で 不自由な生活を しなければ ならなくなっても 愚痴グチを言わないこと こんな言い方ができれば 相手の気持ちに 少しだけ余裕ができそうな 気がするのだが いかがだろうか? 正しいこと だけに こだわらない生き方 無 苦 集 滅 道 ム ク シュウ メツ ドウ 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 27, 2009
コメント(0)
心労シンロウをさける 老人になったならば 徐々に事をはぶいて 少なくするのがよい 事を好んで 多くに 関カカわってはいけない 好むことが多くあると 事も多くなる 事が多いと心労シンロウして 楽しみを失ウシナってしまう 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 27, 2009
コメント(0)
ノースリーブを好む女性 の 微妙ビミョウな真意シンイとは 男心をくすぐる心理 肌ハダの露出ロシュツが 多い服と少ない服では より セックスアピールが強いのは もちろん露出の多い服である そこで セックスアピールを したいのだが 胸の開いた服や超ミニスカートは 露骨ロコツすぎて恥ハズかしい そんな女性にとって ノースリーブは好都合なのだ 二の腕ウデや肩まで見せる ノースリーブは 見ようによって 相当にセクシーである 特に 今ほど女性が 開放的でなかった時代は 二の腕を見せるだけで 女性は大いに恥しがったものだ そんな時代には 男性側も 女性の二の腕を見るだけで 性的興奮コウフンを覚オボえた そうした気分は 今でも少し残っている たとえ胸は開いていなくても ノースリーブの服は 長袖ソデや半袖よりは ずっとセックスアピール度が高い 夏真っ盛り以前 早い時期から ノースリーブを着る 女性の心中には 男性の目をひきつけたい という 気持ちが隠カクされている 可能性が大なのだ ファッションから 人の心理を分析する 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 27, 2009
コメント(0)
心労シンロウをさける 老人になったならば 徐々に事をはぶいて 少なくするのがよい 事を好んで 多くに 関カカわってはいけない 好むことが多くあると 事も多くなる 事が多いと心労シンロウして 楽しみを失ウシナってしまう 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 26, 2009
コメント(0)
相手の気持ちを察サッする余裕 こうすれば ああなることが 分かっている場合がある 子どもを育てるとき 今こうしていると 結果としてどうなるか おおよそ察サッしがつくので よかれと思って子供に注意する 夜更ヨフかしすると 朝起きるのがつらくなるぞ 昼間 あまり寝ると 夜 寝られないぞ みんなと一緒にご飯を食べないと いつまでも片づけられない 勉強しないと いい学校に入れないからな あまりに自由奔放ホンポウな 生活をしていれば いつか不自由な 生活をしいられるぞ これらは100%正しい かもしれないが これらのアドバイスは ほとんど役に立たない 人は 正しいことだけ 言われると 現在の自分のことを 分かろうとしていない という 拒否反応キョヒハンノウが 出るものである 正しいこと だけに こだわらない生き方 無 苦 集 滅 道 ム ク シュウ メツ ドウ 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 26, 2009
コメント(0)
日々を楽しむ -3 たとえ 老いてから 家が貧マズしく 不幸にして 飢ウえて死ぬとしても 楽しんですごすがよい 貧乏だからといって 人にむさぼり求めて 不義の輩ヤカラになって 命ばかりを 惜オしんではならない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 26, 2009
コメント(0)
露出度ロシュツドの高い服を着る 女性の性向セイコウとは ミニスカートや胸の開いたブラウスなど 露出ロシュツの多いファッションの 女性を見て 男に誘サソわれたがっている と 考える 男性は多い だが それは早計ソウケイだ たしかに 露出度の高い服を好む 女性には 男性からの誘サソいを 待っている女性もいる だが その一方で 男性など まったく眼中ガンチュウにない 女性の少ないないのだ 今どきの女性たちにとって ミニスカートや胸の大きく開いた ブラウスは 単なるファッションの 選択肢センタクシの一つである あるいは 自分のスタイルのよさを 誇示コジするため そのような 格好カッコウをしている場合もある この手の女性は ナンパされたからといって ホイホイついていくことはまずない 男性を誘うために そういう格好をしている わけではないし もともと 自己主張が強いタイプなので イヤなものはイヤ と はっきり断コトワる ナンパしてくる チャラチャラした男 など むしろ バカにしているといっていい 服装の好み で わかる その人の心理状態とは -3 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 26, 2009
コメント(0)
正しいこと だけに こだわらない生き方 無 苦 集 滅 道 ム ク シュウ メツ ドウ 仏教の 苦 の 定義は 都合ツゴウ通りにならないこと 換言カンゲンすれば 都合通りにしたいという 煩悩ボンノウや妄執モウシュウが 集まった結果 苦が生じると考える そして この原因である 煩悩や妄執を滅メッすれば 安楽な境地に至ることができ そのために 八つの道がある この教えを 苦集滅道クシュウメツドウの 四諦シタイ(諦は真理の意) と言う 先の十二因縁インネンと 双璧ソウヘキともいえる 仏教の根本的な考え方である お釈迦シャカさまが説トいた この四諦シタイさえも 般若心経ハンニャシンギョウでは 無い と 言い切る 無明ムミョウ ( 煩悩ボンノウのために 悟サトりを開くことのできないこと ) の 中にいる 人にとっては 悟りに至る正しい道であっても 心が安らかな人にとっては 意味がなくなってしまうのである 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 25, 2009
コメント(0)
日々を楽しむ -2 また 老いてから 自分が不幸で裕福ユウフクでなく しかも人が我儘ワガママで 道理に従シタガわなくても 浮世ウキヨの習ナラいは こうしたものだと思って 天命として 憂ウレい悩ナヤんではいけない 常に楽しんで日を送るがよい 人を恨ウラんだり 怒オコったり 身体カラダを憂ウレい嘆ナゲいて 心を苦しめ 楽しまないで 果敢ハカなく 年月を過ごすことは惜オしい このように 惜しむべき大切な年月を 一日も楽しまないで むなしく すごしてしまっては 愚オロかという ほかはない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 25, 2009
コメント(0)
派手ハデな服を着る人 の 類型ルイケイとは 身体カラダと外部を隔ヘダてる心理 街を歩くと 驚オドロくような ド派手なファッションに 出会うことがある こういう人は 他人とも積極的にかかわりたがる 人かと思いきや 案外そうではない 心理学的に 身体像境界シンタイゾウキョウカイ と 呼ばれる考え方がある 身体像シンタイゾウとは 自分の身体カラダに関する イメージのことで このイメージと外の世界を 隔ヘダてる境界キョウカイが 身体像境界シンタイゾウキョウカイ 身体像境界が ハッキリしていれば 自分と他人との距離間が うまく保タモたれ 人間関係を円滑エンカツに 築キズくことができる 逆に 身体像境界が ハッキリしていないと 他人とつきあうことに 困難コンナンが生じたり 苦痛にも感じてしまう この身体像境界は 着ている服に影響を受ける ことが少なくない たとえば 身体像境界が ハッキリしている人でも 露出ロシュツの多い 服を着ていたり 自分で恥ハズかしいと思う 服装をしていると 他人との距離間が 普段と違チガったものになる いつもは人前で 堂々としている人でも 今日は変な格好をしている と 思っていると 自信なげな態度になってしまう 逆に 身体像境界が ハッキリしていない人でも その日 自信が持てる 格好をしていれば いつもより堂々とした態度で 人と接することができる 身体像境界が ハッキリしていない人には 周りから浮くほど 過剰カジョウな 服装をすることで ようやく人と普通に つきあえるというわけだ 特に 原色の服や 革の服 ミリタリー風のデザインを 好む人に 身体像境界の ハッキリしていない人が多い 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 25, 2009
コメント(0)
心を磨ミガけば 何があっても大丈夫! ボケたらあかん は 23日のブログに入っています ぜひ ご覧ランください
Oct 24, 2009
コメント(0)
日々を楽しむ 老いてからは 一日を十日と思って 毎日を楽しむがよい 常に一日を惜オしんで 一日もむなしく 暮らしてはいけない 世間の人の在アり方が 自分の心にかなわなくても 凡人ボンジンだから 無理もないことだと思い 自分の子弟シテイはもちろん 人の過失カシツをも許ユルし とがめてはいけない 怒オコったり 恨ウラんだりしてもいけない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 24, 2009
コメント(0)
服装の好みでわかる その人の心理状態とは 見た目と同様の心理 服装の派手な人を見ると 性格も派手に感じるもの 逆に 地味だと 性格も地味に感じる この印象は正しい 服装には 着る人の性格や心理状態が 投影トウエイされている ロールシャッハテストで有名な スイスの心理学者ロールシャッハは 派手な服装を好む人は 外向的な人 と 述べている 外向的な人とは 人づきあいが好き 物事に対して積極的 感情が豊か といった傾向を表す 要するに 目立つのが好きな 派手 な 性格のことだ ロールシャッハによると こういう傾向の人は 色彩に敏感ビンカンだという そのため 服装も色づかいも 派手なものになりやすい 逆に 地味な服装を好む人は 内向的な性格であることが多い そういう性格の人には 人づきあいが苦手ニガテ 物事に対して消極的 感情をあまり外に出さない といった特徴がある 色彩にもさほど敏感ではなく そのため服装も単色で 無難なものになりやすい また ふだん きちんとした格好をしているか だらしない格好をしているかでも 性格を判断することができる 会社などの公の場で スキのない格好をしているのは もちろん 近所のコンビニに 行くときや自宅にいるときも それなりの格好をしていないと 気がすまない・・・・・・・・ こういう人は 自意識が かなり強いと考えられる いつもスキのない格好をするのは 人の視線を 気にせずにはいられないから 本当は 誰も見ていなくても いつ誰ダレに見られているとも 限カギらない と 考えるタイプだ 一方 いつも だらしない格好をしている 人はどうか 会社にシワだらけの 背広を着ていったり パーティ会場に 無精髭ブショウヒゲを 伸ばしたままで行く こういう人は 自信家であることが多い 自分は 外見でなく 中身で勝負できる 人間だと思っているからこそ だらしない格好でも平気で 人前に出られるというわけだ 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 24, 2009
コメント(0)
心を磨ミガけば 何があっても大丈夫! ボケたらあかん・・・・・・・・ の 文言では こんなことを言う年寄りには なりたくないと私は思う 今のうちから 心を磨ミガいておけば 何を言ってやっても 気にすることはないと 考えるのである 孔子は 七十にして 心の欲するところに従い 矩ノリ(四角形の定規)を こえず という境地キョウチに 突然 至ったわけではないであろう 若いうちから 自分の心を磨くために その時 その時 やれることやっていった結果 七十にして矩ノリをこえず という心境になれたはずである わが子に孫に世間さま どなたからでも慕シタわれる いい年寄りに・・・・・・・・ 無理してなることはない 自己保身のために いい人になるよりは まず 自分が わが子や孫や世間さまを 好きになってしまえばいい 心のそうじも 楽しんでやって行こう いい年寄りにならなくていい 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 23, 2009
コメント(0)
言わぬが花 も 時と場合による -2 苦労は買ってでもしろ とは よく言われることであるが せめて 困難コンナンに 直面チョクメンした時に こんな選択肢センタクシがある こんなやり方をした人がいるよ こんな理由で失敗した人がいた という アドバイスが欲ホしいものだ 人の歴史は 先人たちの知識を土台に 次の世代が 新しい物や 価値観を作り上げて 成り立っている 先人たちが努力し 苦労して得エたものを 後アトに続く者が 自分のものにするならば こんないいことはない その分 新たな ステップを踏フみ出せる そのような言葉で 躾シツケとアドバイスがあるが 正しい言い方があるわけではない しかし 忠告チュウコクする側ガワに 情 人間性の温か味があれば 受けた側は 余計なお世話 とは思わないと信じている せっかくの人生経験を 出し惜オしみしないで いただきたいものである いい年寄りにならなくていい 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 23, 2009
コメント(0)
七十歳をすぎる頃コロ -2 また この年頃トシゴロになっては 一年の経過ケイカは若い頃の 一 二ヵ月をすぎるよりも 早く感じられる こんなに早く 年月がすぎていけば これからあとの 年齢ヨワイが 本当に 少ないことを 考えなければならない 人の子たるものが こうしたときに 心を開いて孝行せずに むなしくすごすことは もっとも愚オロかなことである 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 23, 2009
コメント(0)
組んだ足の爪先ツマサキを 相手に向けていたら? カフェや居酒屋で 彼女と話すときは 彼女の爪先ツマサキの方向に 注意を払ハラうといい もし彼女が足を組み 上になった側の足の爪先を 自分の方に向けていたなら あなたに好意を抱いている とみていい また 彼女が 膝ヒザを閉トじた状態で 座っていれば 膝の方向に注目する 膝ヒザがこちらをまっすぐ 向いていれば脈ミャクありで 別の方向を向いていたら 脈なしだ 爪先や膝の向く方向は 本人の関心の程度に左右される しかも だれも 爪先や膝の向く方向に 自分の心理が表れるとは 思っていないから 本音ホンネを知るには 好都合な部位ブイなのだ 本人がさも関心ありげに 話を聞いていても 爪先の方向が こちらを向いていなければ それは見せかけの態度と みてとれる この爪先や膝の向く方向 による 判定法は 恋人同士だけでなく ビジネスや友人関係にも 利用できる 相手の本心を知りたければ 爪先や膝の向きを それとなくチェックすればいい 足 から 心理を分析する -4 性器に近い部分に現れる思いとは 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 23, 2009
コメント(0)
言わぬが花 も 時と場合による 世間のお年寄りが よく口にすることを うまくまとめた 手拭テヌグいの言葉は みな 本当ですよ と 答える しかし 文中の 聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも知らんふり の クダリは 今でも私には納得できない 余計な口をきくと 嫌キラわれる 波風が立つ ことが多い というのは分かるが それでも 知っていることなら 教えてください と 私は思う いい年寄りにならなくていい 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 22, 2009
コメント(0)
七十歳を過ぎる頃 年齢が 下寿カジュ(六十歳)をこえて 七十歳になったならば 一年を 無事にすごすことだけでも ひどく難ムズカしい 老人もこの頃になると 一年の間でも 体力 気力の衰オトロえが 時とともに変わっていく その変化は 若いときの 数年をすぎるよりも なお明瞭メイリョウである このように 衰オトロえていく 老いの身であるから よく養生しなければ 天寿テンジュを 全マットうすることはできない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 22, 2009
コメント(0)
強く足を組むポーズは 相手への拒否キョヒか? デート中 彼女が足を ギュッと組んで座っていれば 彼女に対する言動に十分注意を 払ハラったほうがいいだろう 人前で足を強く組んで座る人は 心の奥底に不安や疑念ギネンを 抱えている可能性が高いからだ 人は不安や疑念を抱えたとき それを他人に知られたくない という心理が働く その隠カクしたい心理は 体にも現れ 足には 強く組むしぐさで表出する むろん それは 防御ボウギョや警戒ケイカイの 気持ちを表している また 足をギュッと組むのは 相手への拒否キョヒを 意味することもある 太股フトモモを交差させて 足を組む女性の性的願望は? 女性は 座るとき 足を閉トじるか 足先を組むかが一般的だが 中には足を大きく組み上げ 太股フトモモのあたりを 交差させて座る女性もいる 女性が 太股を交差させて座るのは 自分の性器の部分を人目に さらしたくないからだが それは 警戒心ケイカイシンが 強いというより 自分の性器願望の強さを 悟サトられまいとしている ためと考えられる 女性は自分の性的不満や 性的欲求を露アラわにする ことを はしたないと考える 特に セックスへの 欲求が強い女性ほど 覆オオい隠カクしたい という気持ちが強くなり それが 太股フトモモの交差 となって現れるのだ 足 から 心理を分析する -3 性器に近い部分に現れる思いとは 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 22, 2009
コメント(0)
ボケたらあかん 長生きしなはれ 観光地に行くと 手拭テヌグいに 印刷された 名言メイゲン集を お土産ミヤゲとして売っている その中に ボケたらあかん 長生きしなはれ という お年寄り向けの関西弁で書かれた 傑作ケッサクな文章がある 年をとったら出しゃばらず 憎ニクまれ口に 泣き言に 人の陰口カゲグチ 愚痴グチ言わず 他人のことは褒ホめなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも知らんふり いつでもアホでいるこっちゃ 勝ったらあかん 負けなはれ いずれお世話になる身なら 若いモンには花持たせ 一歩さがってゆずるのが 円満にいくコツですわ いつも感謝を忘れずに どんな時でも へぇおおきに お金の欲は捨てなはれ なんぼゼニカネあったって 死んだら持っていけまへん あの人はええ人やった そないに人から言われるように 生きているうちにバラまいて 山ほど徳を積ツみなはれ というのは表向き ほんまはゼニを離ハナさずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても お金があるから大事にし みんなベンチャラ言うてくれる 内緒ナイショやけど ほんまだっせ 昔のことは みな忘れ 自慢話ジマンバナシはしなはんな わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り 力リキんでも 体がいうことききまへん あんたは偉エラい わしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ わが子に孫にお世話さま どなたからでも慕シタわれる ええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために 頭の洗濯センタク 生き甲斐ガイに 何か一つ 趣味 持って せいぜい長生きしなはれや いい年寄り に ならなくていい 乃 至 無 老 死 ナイ シ ム ロウ シ 亦 無 老 死 尽 ヤク ム ロウ シ ジン 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 21, 2009
コメント(0)
無理をしない 老人は気が弱い 万事について 用心深くするがよい すでに その事に とりかかっていても 自分の身をかえりみて 気力の及ばないことは してはならない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 21, 2009
コメント(0)
足を組み ハイヒールをブラブラさせる 女性の欲望とは デートや合コンの場で足を組み 脱ヌぎかけたハイヒールを ブラブラさせている女性がいたら しめたものと思っていい それは 明らかに 男性を誘サソうシグナルだ 組んだ足をブラブラさせるのは その人がリラックスしている 証拠ショウコ しかも 女性がそうする場合は 単に リラックスしている だけではなく 性的に 開放的な気分になっている ことが多いのだ 足は性器に近い その足を 自由に ブラブラさせているのは セックスの受け入れ準備OK という 深層シンソウ心理の表れと 見てとれる しかも 女性のハイヒールは セクシャルの象徴ショウチョウ といえる そのハイヒールを ブラブラさせるのは 性的な記号を強調して 意中の男性を 誘サソおうとしているとみて まず 間違マチガいない 足 から 心理を分析する 性器に近い部分に現れる思いとは 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 21, 2009
コメント(0)
いい年寄り に ならなくていい -2 乃 至 無 老 死 ナイ シ ム ロウ シ 亦 無 老 死 尽 ヤク ム ロウ シ ジン その因果インガ関係の分析を 十二因縁インネン という 老死という苦が なぜ生じるかといえば 生まれたからである ではなぜ生まれたかといえば ・・・・・ という具合に 次々に十二段階にわたって その原因を明らかにしていった のである そして 老死の苦を滅メッする(尽ツくす) ためには その原因の 生を滅すればいいと考えた その十二段階の 最後に行き着いたのが 前の 無明ムミョウ ( 煩悩ボンノウのために 悟りを開くことのできないこと ) ということであった つまり 根本原因の 無明を滅メッすれ(尽ツくす)ば そこから発生するものが あとかたも無くなっていき ついには 老死という苦も滅する(尽くす) ことができるのである ところが 般若心経ハンニャシンギョウでは その十二因縁インネンにしても 実体は無いと説トく であるから 乃至ナイシには 無明から老死にいたるまでの 十の段階が含まれていることになる 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 20, 2009
コメント(0)
温暖な日の散歩 温暖な天気の日は 庭園や田畑に出たり 高い所に上がったりして 心を広くして遊ばせ 気の滞トドコオりを 開放させるがよい 時々 花木カボクを愛し 観賞カンショウさせて その心を 快適カイテキにさせるのもよい けれども 老人が自分で 庭や畑や花木カボクに 心を奪ウバわれて 心労することがあってはよくない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 20, 2009
コメント(0)
足 から 心理を分析する 性器に近い部分に現れる思いとは 組んだ足をブラブラさせる人が 相手に求めているものは? 足を組み ブラブラさせながら 話す人がいる そんな人を ただ無作法な人と 思わないほうがいい 足をブラブラさせるのは 目の前の相手に もっとリラックスしてほしい と 求めるポーズでもあるからだ 足は プライベート空間と 公オオヤケの場所では いちばん 扱アツカい方 を 変えなければならない体の部分 自分の部屋なら 足を組もうと 大股オオマタを 広げようと 自由だが 公の場では きちんと足を揃ソロえるのが マナーとされる その足を人前でブラブラさせるのは 相手に対して 緊張キンチョウ していない証拠ショウコである しかも プライベート空間と 同じような気分で リラックスして話したいという シグナルでもあるのだ 自分だけではなく 相手にも リラックスすることを 求めているわけで 特に 今一つ盛り上がりに 欠けているとき 意識的に足をブラブラさせる 人もいる 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 20, 2009
コメント(0)
いい年寄り に ならなくていい 乃 至 無 老 死 ナイ シ ム ロウ シ 亦 無 老 死 尽 ヤク ム ロウ シ ジン 乃至無老死 ナイシムロウシ 亦無老死尽 ヤクムロウシジン は 本来 ( 無 無 明 ム ム ミョウ 亦 無 無 明 尽 ヤク ム ム ミョウ ジン 無明ムミョウ ( 煩悩ボンノウのために 悟サトりを開くことのできないこと ) も無く また無明の尽ツきることも無く という前の言葉があって ) 乃至ナイシ老死も無く 老死の尽ツきることも無い という 乃至ナイシという言葉は ~ という意味で 何かが省略ショウリャクされている 仏教の最終目標は さまざまな苦しみから脱して 心が安らかな状態になる ことである そのために 当面の苦しみの代表格である 老死はなぜ生じるのか 十二段階にわたって 分析されてきた 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 19, 2009
コメント(0)
老人と寂寞セキバク -2 もし友人や妻子には 穏オダやかであって 長く対談するが 父母に対しては かたぐるしく とだえがちに敬遠するのは 自分を愛さないで 他人を愛することである これは はい徳 ( 道理にそむくこと ) であって 極キワめて不孝である 愚オロかなことである 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 19, 2009
コメント(0)
右手を心臓において話す言葉は 信じていい? アメリカの大統領は 演説中 右手を左胸の心臓あたりに 置いていることがある あるいは スポーツの世界大会などで ヨーロッパ人は国家吹奏スイソウ のとき 同様の姿勢をとる こうした姿勢は 彼ら流の誠意の表し方だ 古代ローマ以来 相手への誠意を示すとき 心臓の位置に手をやってきた このしぐさは 戦後60年の アメリカ化が浸透シントウした 日本でも チラホラ見かける たとえば 交際中の男性が 心臓の上に手をやって 話しているときは 彼女に対して心から 誠意を示そうとしていると 考えられる 語っている言葉はウソでなく 本心とみていいだろう 腕ウデを組む位置から判断する 相手の心理 腕を組みながら話す人がいるが 彼らがみな同様の心理状態に あるわけではない 心理状態や性格によって 組み方は微妙ビミョウに 違チガってくるのだ まず 高い位置で組む人は 自分の強さや地位の高さを アピールしようとしている たとえば サッカーチームの集合写真を 見ると 選手はみな一様に 高い位置に腕を組んで 写っているものだ 腕ウデを高い位置に組むと 怒イカり肩ガタの姿勢に なりやすく さらには 胸板ムナイタを厚く見せる ことができる 無意識にそのことを知って 人は自分を強く見せたいとき 高い位置で腕を組むものだ 一方 低い位置で腕を組む人は 何かに不安を抱イダき 自分の身を守ろうとしている と 考えられる 不安を抱カカえた人が 腕を組むのは 心理的なバリケードを 張ろうとするからであり さらに 心臓から腹部のかけての 重要な部分を相手から守る という意味もある 特に 低い位置で 腕を組んでいる人は 大きな悲しみや不安に 苦しんでいるとみていい 彼は 悲しみや苦しみを どうすることもできず 気持ちをまぎらわせるために 自分で自分を 抱ダきしめているのだ 手でどこかを隠カクす 心理を分析する 隠した部分の奥にある本意とは 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 19, 2009
コメント(0)
女心とバカ坊主 ある時 知りあった看護師が 乳房チブサにシコリがあることに 気づいて 自分の勤める がんセンターで受診 結果は 早期 乳がん だった 私は 彼女の話を聞いて 早期に発見できてよかった 人間 生きているだけで 丸儲マルモウけと言うじゃないか と 思った しかし 彼女は 自分の思いもよらないことを言った 私は その日 家に帰って タンスの引き出しをすべて開け 乳房が片方なくなってしまうと 着られない洋服 水着などを 泣きながらハサミで 切キり刻キザみました 切セツなくて切なくて 朝までかかりました 当時 乳がんの手術は 現在のように 温存オンゾン手術 主流ではなく 乳房チブサを切除セツジョする 全摘ゼンテキ手術が一般的だった そのことは知っていたが 私はそれでも 手遅れでなくて良かった のではないかと思った 今でも女心に疎ウトい私ですが 生命の存続ソンゾクと 同程度に重要なことが 生きている ことの中にあるのだと 思い知らされた 仏教では 現実こそ真理である ということを 即事而真 ソクジニシン 諸法実相 ショホウジッソウ という言葉で表す 私にはそれがまだまだ 実感できていなかった 生きているだけで丸儲マルモウけ そんな馬鹿バカな! 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 18, 2009
コメント(0)
老人と寂寞セキバク 年老いてから 寂サビしいのはよくない 子たるものは ときどき傍ソバにいて 古いことや現在イマの出来事を 静かに話しながら 親の心を慰ナグサめるがよい 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 18, 2009
コメント(0)
胸を手で覆オオい隠カクす 女性の ショックな心 とは? 女性と話していて 彼女が 手で胸を覆オオい隠カクす ポーズをとったら 男性なら 気配りや優しさを示したい 女性がそんなしぐさをするのは ショックや驚オドロきを 感じているときだからだ 人間にとって 胸から腹にかけては もっとも弱い部分 四足歩行動物は 胸から腹を地面に向けていて 外敵の攻撃を受けにくい 体形を持つ 一方 二足歩行の人間は 胸から腹を前面に向けて 弱い部分をさらしている 特に 女性の場合は バストが 性的な意味合いを持つため 胸に対して いよいよ神経が 過敏カビンになっている 人は ショックや驚オドロきを 受けたとき 自分のいちばん弱く 特別な部分を守ろうとする 女性の場合 それは胸であり 無意識に胸を手で覆い隠す ポーズをとってしまうのだ 特に 両手で胸をおおったときは 大きなショックを 受けているとみていい 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 18, 2009
コメント(0)
ガンの妻を見舞えない理由 もっとも信頼できるはずの家族も 以前は ガンを告知コクチできず 嘘ウソをつき通した 父は お母さんに 嘘をつくことなどできない 一度でも病室を見舞えば 心の底から 病状回復を祈りながらも 口では退院したら 旅行に行こうと言いながらも 溢アフれ出る涙が 無言のうちに ガンを告知コクチすることになる と 一度もお見舞いに行かなかった 一度も見舞いに来ない父を 母は 冷たい と 言った これが 末期ガンを 告知コクチしないことが招く 切なく やりきれぬ実状だった しかし 私は母を看ミ取ったあと 心のケアの専門家であるべき 僧侶ソウリョが 家族に三人もいたことに気づき 痛烈ツウレツに悔クやんだ もちろん ガンを告知することは 家族にとってかなりの 覚悟カクゴが必要だ 生命としての 死への不安はもとより 社会的な死 たとえば 残った家族はどうなるだろう 仕事はどうなるだろう などについて 自ミズカら答えを出すためには 安心できる家族が 常に付き添う必要があるからだ 忙しいから病院に行けないでは 心のケアはとてもできない そこで私は 告知の問題と心のケアの問題の 両方について何とかしたい との思いで 月に一回 超宗派の団体仏教情報センターの 主催シュサイする ガン患者 家族と語り合う集ツドい に 参加することにした この会の構成メンバーは 医師 看護師 僧侶ソウリョ ガン患者 患者の家族 だった 毎回 全国から 40人以上の方々が集まり 患者カンジャさんや 本当のことを言えない 家族の悩みを真剣に聞き そして話し合った この会は 毎回 最初の一時間は ゲストの話を聞き 次にグループに別れて 個別の問題について 会を進めることになっていた 生きているだけで丸儲マルモウけ そんな馬鹿バカな! 亦 無 無 明 尽 ヤク ム ム ミョウ ジン 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 17, 2009
コメント(0)
老人と五味ゴミ 老人は 特に 生ナマで冷ヒえたもの 堅カタいもの 消化しにくいもの 焦コげで乾カワいたもの 古いもの 臭クサいもの などがいけない 五味ゴミのかたよったものは 味がよくても 多く食べてはいけない 夜食はことに注意して 慎ツツシんだほうがよい 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 17, 2009
コメント(0)
手を隠カクして話すのは 警戒心ケイカイシンの現アラわれか? 初対面の人と話すとき 知らずと 自分の手を 腰の後ろに回したり 服の袖ソデに隠カクした 経験はないだろうか これは 相手を信用せず 警戒ケイカイしている 気持ちの表アラワれである 自分の手を隠カクすのは 自分の心理状態を 悟サトられたくないからなのだ 心理状態を隠したいとき 人は表情がかたくなる その一方 手にも自分の気持ちが 出るのではないかと恐オソれ つい手を隠してしまうのだ ビジネスの場でも 相手が 手を隠すような格好をしたら なかなか打ち解トけられない 相手とみていい 相手はこちらを 警戒ケイカイしているのだ また 男性が ズボンのポケットに 手を突っこんだまま話すときも 警戒心ケイカイシンが働いている 表情は穏オダやかでも 内心では警戒しているとみていい 心理分析があなたもできる本 心の謎を探る会編 河出書房新社
Oct 17, 2009
コメント(0)
より大切なこと って何? 1985年2月母が57歳で 膵臓スイゾウガンで亡くなった 当時 ガンの告知コクチは されなかった 末期ガンの場合は もはや医学では なす術スベがない状態である ( 今は痛みを コントロールしている ) そのため 医師から あなたはもうすぐ死にます 医学的には もう何もできません と 言われた場合 残されたことは心のケアになる 残念ながら 当時 心のケアをする人がいなかった 日本の医師が 生命を延ばす ことのみを扱アツカい 生命の質 に ついては 医学外と考えていた 母の場合も同様に 本人には膵臓スイゾウが悪い としか伝えられなかった ドクターも嘘ウソをつきながら 母に抗がん剤を投与した しかし 抗がん剤の副作用は 否応イヤオウなしに母を苦しめた 母はドクターを信用しなくなった 体調が悪くなるから当たり前だ 生きているだけで丸儲マルモウけ そんな馬鹿バカな! 無 無 明 尽 ヤク ム ム ミョウ ジン また無明が尽ツきることも無い 無明ムミョウ = 煩悩ボンノウのために 悟サトりを開くことのできないこと 般若心経 ハンニャシンギョウ 心の大そうじ 名取芳彦 三笠書房 知的生き方文庫
Oct 16, 2009
コメント(0)
寒暑の外邪ガイジャに用心 衰弱した老人は脾胃ヒイが弱い 夏期はもっとも注意して 保養しなければならない 暑いために 生ナマの冷たいものを食べると 下痢ゲリをしやすい ぎゃく痢リ(高熱をともなう下痢) も 大いに恐オソろしい ひとたび病気をすると 身体カラダが ひどくそこなわれて 元気がへってしまう 残暑のときは 特に恐オソれて 用心しなければならない また寒期は 老人は陽気が少ないので 寒邪カンジャに傷つきやすい 用心して 予防しなければならない 養生訓 貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫
Oct 16, 2009
コメント(0)
全97件 (97件中 1-50件目)