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森羅万象に宿る神々
●無信教
小生、多くの日本人と同様に無信教です。葬式は仏教式、結婚式は神前、クリスマスはパーティーもする。そうはいっても、心によりどころとする何かを、誰でも持っているのではないでしょうか。小生の場合、それは自然に対する畏怖の念から来る、宇宙も含めた自然全体を崇拝する信仰のような感情です。恐らく、古来日本人が持っていた感情に近いものではないかと思います。
もちろん、科学が発達する以前の人達は、地球の外がどうなっている、どころか、自分の村の外にすら一度も出ずに一生を終える人も多かったらしいので、現代人のものとはだいぶ違うのかもしれませんが、根本的な部分は近いのではないかと思います。それは非常に漠然とした感覚ですが、自分は自然の一部であり、非常に小さな存在である事。また自然の営みの中では人間の力など無力で、それを理解せずに自然を侮る者は必ず罰(ばち)が当たる、といったようなものです。
キリスト教のように絶対神がある場合は、「どこにいて何をしていても神様は見ている」という「罪の意識」が宗教のベースとなっていますが、昔の日本のように多神教の場合は、各個人が持つ信仰心にも、西洋以上に個人差が大きく生じ、それゆえ現在でも日本人に「モラル」を求めても無理だという事になってしまうのではないかと思います。
少々逸れましたが、小生の自然に対する感覚を以下に羅列してみます。
●御神木(1)
自宅マンション(3階)の窓の外に、立派なイチョウの木があります。というか、一昨年引越して来た夏~秋頃までは立派な枝に葉を沢山つけて、秋には見事に黄色くなってとても綺麗でした。ところが去年の冬、幹と太い枝を残して枝がバッサリ切られてしまったのです。おそらく、そのイチョウが立つ敷地のマンション(やはり、3年程前に建った)の住人が、葉っぱの掃除が大変だから、ぐらいの理由で伐採を要望したのではないかと推測します。
切られた姿を見てビックリしたと同時に、非常に心が痛みました。それ以前の立ち姿ときたら、本当にその周辺の木々の中で最も立派で、枝にはリスが走り小鳥が休み、何か守り神のような雰囲気さえあったのです。イチョウの木は隣のマンションが建つ何十年も前からそこに立ち、毎年葉をつけては落として育ってきたのに、後から来た人間の都合で無残にも枯れ木同然の姿にされてしまったのです。まさに「人間のエゴ」という言葉が真っ先に浮かぶ光景でした。また「来年から、春夏のあの青々とした葉っぱも、秋の紅葉も見られないのか」と思うと、本当に残念でした。またそれとは別に、地内に新たに植樹していますので、それならあの木を残した方がどれだけ良いか、と思いました。
ところが、今年の春先です。残った太い幹と枝から、細い枝が弱々しく伸びている事に気が付きました。イチョウは死んでいなかったのです。しかし、いかにも弱々しい。あれじゃ、葉っぱをつけてもわずかだろうし、木全体を養う光合成が出来ずに、数年で枯れてしまうのだろうと思いました。しかしまたこれが、現時点で出てきた葉っぱの数ときたら、後から生えた細い枝々に隙間なくビッシリ。恐らく、以前縦横に伸ばしていた枝につけていたと同じ数の葉を、今年も出しているのではないか、と思う位です。それで「イチョウは生命力が強い」というのを何処かで聞いた事を思い出しました。その木も、生きるために必要な葉を、健気にもあの細い枝々から可能な限り出して、一生懸命に生きようとしています。というか、見方によっては「枝を切った人間をあざ笑うかのように」と表現する事もできるかなと思います。逆に、後から植樹した木は北向きの斜面という事もあってか育ちが悪く、程なく枯れてしまいそうです。
いずれにせよ、そのイチョウの生命力に感動したと同時に、今年も(枝の形は不細工でも)真黄色になる木を見る事が出来るな、と今から秋が楽しみです。また、今のマンションにいつまで居るか分かりませんが、数年後にはまた、今は弱々しい枝も太くなって、元のような堂々とした姿に戻ってくれると良いな、と応援しています。
追記:植木や植物の専門家ではないので知りませんが、あれが「剪定」の範囲だとしたら、随分乱暴な事をしても良い木なんですね、イチョウって。まあ、殺すつもりで切ったようにしか見えませんでした。根元から切り倒すのが大変だからそうしたのであって、です。
●御神木(2)
会社に通う電車の途中駅(鶴見線の鶴見小野駅。3両編成の支線の半無人駅で、小さな駅です。)の改札を出てすぐの所に、立派な桜の木があります。並木になっているでもなく、また天然記念物という程古いとか大きい訳ではないのですが、電車からも見えるその姿は、通勤途中の楽しみでさえあります。また、以前はその駅が最寄だったため、毎日その下を歩いて通っていましたので、春の見事な花や、秋のまだらな紅葉も楽しみでした。(30年住んだ実家の前の小学校が桜並木になっているためか、小生は紅葉の中で桜が一番好きです。)
ところが、その駅周辺が近年再開発されて、マンションや、研究施設団地のような物が多く建つようになったのに伴い、駅前もきれいにする工事が一昨年あたりから始まりました。新しい歩道を作ったり、それ沿いに花壇を整備したり、結構大掛かりな事をやっていたので、駅前にデンと居座るその桜の木がどうなるか、不安でした。そうしたある日、通り掛ってはっと見ると、「今、見えなかった気がする」。さて、不安が的中して、邪魔だからと切られてしまったのかな、と思い、朝から気が重くなってしまいました。
でも、違いました。見間違い。その木は残っていました。歩道も、完成後に見たら木の根元を避けるように作られ、桜はちゃんと大事にされていました。嬉しかったですよ。大体が、前項のように木の一本や二本、また植えりゃ良いじゃないか、ぐらいの考えで簡単に切られてしまうのが常なので、そうして守られるあの木の事を考えると、地域住民を始めやはり自分以外の多くの人も、あの木に特別なものを感じているのではないかと思います。駅がそもそも小さかったのも幸いしていると思います。また、工事に際して住民か誰かがJRに掛け合ったのかもしれませんね。
ともあれ、今年もその桜は綺麗な花を枝一杯に咲かせ、今は若葉が力強く、眩しく枝を覆っています。それが何より、嬉しいです。
●人間の小ささ
科学以前の昔の人々は、大地に立った視点で空や山を見上げ、川や海を見渡していたでしょうから、雲も、風も、雨も日照りも、自然現象は全て「神様の思し召し」と思うのが最も説明がつき、納得できた事なのでしょう。しかし、小生はそれを愚かだとは決して思わず、人間本来の大きさに合った物の見方だったのではないかな、と思うのです。山には山の神様がいて、川には川の、空には空の神様がいて、自分達の事などお構いなしに良い事も悪い事も起こす。雨が降らずに凶作が心配されれば、それは自分達の命に直結するので、空の神様に雨乞いのお祈りをする。
神様がいるかどうかの議論ではなく、そういう自然を尊び畏れる気持ちを、現代人ももっと強く持つべきだと考えるのです。逆に現代は、多くの人々が、自然の何たるか(科学)を知らないままに、人間の英知は自然を超えた、ぐらいの「おごり」だけで、あるいは本当に何も考えぬまま、消費と浪費、汚染と破壊に陶酔しているように思えます。人類滅亡に向かって、真綿で自分の首を絞めています。
こんな事になるなら、いっそ科学なんて発達せずに、人は森と川と海と空に抱かれて、大地に根を張って生きていた方がどんなに幸せだったろうか、と思えてなりません。今よりも、生物としてはその方が自然だし、心も豊かだったに違いありません。
●宮崎駿のメッセージ
風の谷のナウシカ、となりのトトロ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、等々、宮崎アニメの「未来少年コナン」(下注)の頃からのファンである小生にとっては、ストーリーや映像の面白さと別に、強く前面に押し出しているメッセージに、非常に共感するものがあります。
「風の谷のナウシカ」では、最終戦争という愚行を犯す人類と、地球全体規模で有害物質を無害化する自浄を行う自然の対比を描き、「となりのトトロ」では少し昔の田舎の風景を、純粋な心で自然に接する子供の目を通して描き、「もののけ姫」では「神」さえ殺す人間の愚かさを痛烈に訴え、「千と千尋の神隠し」では森羅万象に宿る神々を人間がその活動によりやはり次々と殺している現状を訴えています。
これらの作品に一貫しているのが、彼の持つ自然観と人間の愚かさを訴えるメッセージですね。こういうのをきちんと受け止められるのは、小学校や幼稚園の子供ではなく、ある程度物事を考える事ができる大人であるはずなので、宮崎アニメは決して子供向けではないのです。ですから「アニメは子供のものだ」という理由だけでこれらを観ない大人に、あまねく観てもらいたいと常々思うのです。
(注)最近流行ったアニメに類似品があるようですが、「コナン」と言えば、我々の世代は「未来少年コナン」です。もう20年以上前に、NHKで週1回、30分枠でやっていたもので、宮崎駿の原点とも言える作品です。非常にマイナーだったのも事実(<母>も知らなかった程です)ですので、宮崎ファンを自称しつつ観た事のない人は、ビデオを借りて是非観て下さい。間違いなく、面白いです。
●金に目がくらんだ人間の蛮行
前述の木の一本や二本という話ならまだ、心は痛んでも周辺の生態系全体への影響はさほど大きくないでしょうが、小生の中で大きく印象に残る3つの公共工事があります。長良川河口堰、諫早湾干拓事業、そして三番瀬干拓計画です。
3つ目の三番瀬干拓計画は、東京湾に残る貴重な干潟を残そうという市民団体の活動と、その保護を公約にして当選した千葉県の堂本知事(女性)のタイミングが合致したために計画が白紙撤回され、危ういところで救われた希少な例です。ニュースでも取り上げられていたので、ご存知の方も多いでしょう。(関東以外ではちょっとマイナーかな?)
1つ目の長良川河口堰は、建設省と県が進める計画と地元住民の反対で話題になりましたが、結局役所が強行する形で建設されてしまいました。その後の遡上(魚が川を遡る行動)調査でもさほど悪い影響が出ている結果は見られず、(自然環境から見れば)結果オーライの、税金浪費・利益誘導型公共工事の例でした。
諫早湾についてはもう、全国ニュースでも多く取り上げられ、知らない人はいないでしょうが、干拓事業と銘打って、今となっては必要のない30年前の農地計画を見直す事もなく、「やると決まった事だからやる」という役所の硬直性と、建設省や県から天下りした元役人を抱えるゼネコンと現職の役人の癒着、建設族議員の暗躍等が見え見えの、典型的な官業癒着型公共工事です。そのせいで、豊かなで広大な干潟が失われただけでなく、水門の外側の生態系にまで悪影響が出て、漁民曰く「諫早の海は死んだ」状態になってしまいました。水門閉鎖の式典で、合図と共に水門が連続的に閉められて行く映像をニュースで見て、破滅的、絶望的な感覚に襲われた方も多かったでしょう。調査結果により悪影響が確認されれば計画を再検討するという所まで、役所も地域住民や環境団体に譲歩したものの、実体のない口約束程度に過ぎなかったようで、未だに水門の開放、干潟の回復作業には一向に掛かる気配はありません。実際、干潟は既に死んでいます。三番瀬なんかと比較にならない位、多くの生物を育み、地域の人々の生活の基盤となってきたその干潟は、葬り去られてしまったのです。
日本に限って見ても、他にもダム、ゴルフ場、オリンピックのようなイベント施設、そしてもちろん住宅地開発等により、山が崩され、森が破壊されて、貴重な自然がすごいスピードでむしばまれて行く(近年、バブルの頃よりは開発も下火になりましたが)現実に、経済最優先の現代日本人が、いつか山の神、森の神から痛い痛い罰が当たると信じて疑いません。そう、ちょっと考えれば分かりますね。今我々は、天につばを吐いているのです。
●木々のやさしさ
こうして見ると特に小生の場合、「木」に感じるものが強いという事を自ら再認識します。当然、自分を含む人間の遠い遠い祖先は森の住人だったので、木や森をやさしく感じる感覚は多少の差はあれ皆さんが持っていると思います。誕生以来、長く都内に住んでいた小生でも、幸いにも季節感のある木が多くある地域に住んでいたため、季節の移ろいに心が動く感覚も自然と持つ事ができました。逆に、結婚してしばらく住んだ場所ではそれが全くなかったため、非常に違和感を感じたものです。また、今の鎌倉でさえ、周囲を林に囲まれているとはいえ、桜と広葉樹が少ないため、ちょっと寂しいというのが正直なところです。とはいえ、都内と圧倒的に違う今の環境を挙げてみると、
1.空気が良い
まあ、当然ですが、街の真中にいるのと違い、前は海、背中は森という環境では、海沿いの道路が観光の車で混雑しても、その汚れた空気が逃げる場所がいくらでもあるので、やはり空気がきれいです。見た目にも違いを実感したのは、自分の車の汚れ方ですね。都内の頃は、何回か雨が降ると屋根やボンネットがホコリでまだら模様になってしまったものですが、今は遠目にはほとんど目立ちません。洗車の回数も随分減りました。要するに、雨粒に混じって落ちてくる空気中のホコリの量が、全然違うんですよね。
2.風が涼しい
前項同様、海と森に囲まれていると、アスファルトとコンクリートに囲まれ、猫も杓子もエアコンをつける都内の風とは全く違う風が吹いてきます。特に、<母>も言っていましたが、去年の夏は一度もエアコンをつけませんでした。真夏の昼でも葦簾(よしず)で日よけをすれば十分だし、夜はちゃんと涼しくなるのです。まあ、熱帯夜の日もありますが、それでも都内のように夜でも30℃なんて事はあり得ません。ちゃんと、25℃ぐらいにはなるのです。冬は、逆に海が近い分、内陸より気温は若干高いですしね。
3.小動物が戯れる
もうひとつの楽しみが、木々に集まる小動物です。何種類もの小鳥が来ては色々な泣き声で歌い、前述のようにリスが枝を走ります。鳥といえば、トンビはいますがカラスはいないですね。
でも、こうして「風致地区」といって自然環境と景観を守る取り組みをしている鎌倉も、航空写真で見ると、灰色の住宅地が山肌を侵食している様子が痛々しいのです。自分もその住人の一人なので矛盾しますが。大昔、頼朝が幕府を開いた頃には、この辺りも松が茂る山と海を区切る白い砂浜が続いていただけだったのだろうな、と当時の風景を想像する事もよくあります。
●人間も自然の一部
人類は、地球を汚し、壊すためだけに地球に生まれて来たのではないか、と常々考えていますが、壊すのも人間の都合なら、自分が住みやすいように本能的に守ろうとするのも人間の都合。悠久の地球・自然の営みの中では、恐竜がかつて栄え、滅亡したように、人間が自然を食い尽くして自ら滅亡しても、何万年か後には、また新たな生物がこの惑星に栄え、数十億年後に太陽が寿命を終えて太陽系が消滅するまで、その輪廻(りんね)は続くのでしょう。今地球上で人間が行っている事なんて、地球の一生の中だけで考えても、ほんの一瞬の出来事なのです。宇宙全体で考えたら、それこそ素粒子の一粒ぐらいの事でしかありません。
平成15年5月5日
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