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「わが妻のむかしの願ひ音楽のことにかかりき今はうたはず」一握の砂より啄木の妻・節子は女学校時代にバイオリンを習い、美しい声で歌う女性であったそうな。そんな妻の為に、啄木は東京でバイオリンの弦を捜し歩いたりもしたそうだ。彼女の人生は啄木との結婚により左右された。生活に追われるうちに音楽について彼女は語らなくなってしまった・・・・・・そんな歌だ。子や啄木の母の看病にくわえて啄木の看病もし、苦しい生活を余儀なくされた。東京の音楽学校へ進学するだろうという、女学校の同級生の予想に反して節子は結婚を選んだ。自分が選んだ道ではあるが、後悔したこともあるはずだ。大好きなことを犠牲にしても、それでも自分が信じた道を歩めたのは連れ合いの気遣いも大きい。この歌には、啄木の妻に対する詫びが込められているように感じてならない。一昨日、おでんの仕込中にゆで卵の殻をむいてくれている連れ合いに、「あとでやるから良いよ」と少々辛くあたってしまった。出汁をとっている最中であったり、いくつかの要因が重なって私が短気になっていたのだが・・・・・・当然彼女は黙って二階に行ってしまった。謝る言葉を失ったまま後悔していたのだが、しばらく時間を置いて連れ合いは降りてきて言ってくれた。「何か手伝うことありますか?」ありがたかった。続きの卵を頼んだ。黙ってやってくれた。「ごめん」の言葉をまだ私は言っていない。でも詫びる気持ちだけは二日間引っ張っています。
2004.11.29
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何とか準備を終えて出張に行でかける仕事の中身は辛い案件ばかりだが天気がいいから救われる「顔が赤いわよ・・・」と昨晩連れ合いに言われた「飲んだからじゃない?」と言うと「そんなに飲んでないじゃないの・・・」と言われた気にしていなかったが今 何となく熱っぽいかもしれないとりあえず今日の仕事をやっつけて早めに寝ることにしよう今回出張のメインは明日だし今日は休肝日だしお付き合いもせずに寝ますよそれでは行ってまいりますお墓参りよろしくね
2004.11.25
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勤労を感謝しつつ、今日も晩御飯を作れることに感謝した。母も連れあいも美味しいと言ってくれる事に、本当に感謝感謝だと思う。感謝を忘れた隣人……早く立ち退いてくれ……そう祈る毎日である。
2004.11.23
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大沢在昌「私はよく”永久初版作家”だと言われました。『大沢君、本には二刷、三刷というのがあるのを知ってる? 僕は家を建てたから作家だけど、君は家を持ってないから作者と言わなければいけないのだよ』と。」井沢元彦・著『だからミステリーは面白い-対論集』の中での談話。「へぇー、作家と作者か、家の違いかい?」家を持ちたい人間と、そうでない人間がいるはずだが、願望を持った人間が圧倒的に多いはずだ。自分の力で掴む人もいれば、親から譲り受ける人もいる。何の努力もせず、1円の金も払わずに新築一戸建てに住み続けてきた男を知っている。そして彼はもう直ぐそれを自らの愚かさから捨てざるを得ない。
2004.11.22
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急遽、出張が1週間延びた・・・と思ったら、急な用件で外出することとなった仕事が増えて嬉しいやら追いつかないやら・・・大変だ・・・・・・行ってきましょう雨が降りませんように・・・・・・
2004.11.18
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昨晩は、何故か「火曜サスペンス劇場」がなかった。無いと知っていたから、帰りにCDを1枚買った。「YOSUI TRIBUTE」井上陽水の歌をいろいろな方が歌っているやつだ。数日前にCD屋の前を通りかかったときに、女性が歌う「いっそセラナーデ」が流れていたのを歩きながら耳にしていた。別にこのCDが目的では無かったのだが、入ってみたら平積み状態だった。「売れてますよ・・・・・・」私が手にすると店長が声をかけた。(売れていようがいまいが余計なお世話だ)が、夕食後の楽しみに買ってみた。以前、興味本位で山口百恵のトリビュートも買ったが、こちらも同様に満足度の薄いCDだった。歩きながら聞いた「小野リサのリバーサイド ホテル」と「忌野清志郎の少年時代」が変わりネタで許せる程度。3,200円は高い。但し、「何で“白い一日”が入ってるの?小椋佳じゃないの?」「へぇー、曲は陽水なんだ・・・・・・」作詞も作曲も小椋佳だとばかり思っていた私の間違いを正す結果となった。無駄な出費とは考えないようにしよう。
2004.11.17
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最近は焼肉屋に行っていない。身近に美味しい店が無くなったのと、さほど体が欲しなくなったからだろう。それでも、たまには牛肉が食べたくなり浅草の「フジキッチン」に出かける。米沢牛のシチューである。じっくりと柔らかく煮込んであり、余分な脂は落ちている。芳醇な味と香り、とはこのことなのだろうと噛み締める。皿の主役は肉だが、一緒に添えられているポテトも私は好きだ。前菜は写真(携帯の為小さかった)のホワイトアスパラ・サラダ。サラダなど滅多に食べないが、これでもやっていないとシチューが出てくるまで待ちきれない。チリワインを飲みながら待っている時間も楽しい。(シチューの写真も撮ろうと思っていたが、テーブルに置かれた時にはフォークが先に出ていた。暖められたロールパンで掃除をした皿だけを写しても仕方が無いので今回は画像なし。)浅草にはもう一軒、行きたいキッチンがある。「アリゾナキッチン」であり永井荷風が通い詰めた名店。今度、連れ合いと行ってみようと思っている。料亭・梅ケ枝で、一人の客・信介が待っている。30半ばの遊び人風情のいい男。やがて芸者・袖子がやってきて、二人は座敷へと上がっていく。宮下順子主演、日活ロマンポルノの名作「四畳半襖の裏張り」は荷風の原作だ。学生時代、自由が丘で見たなーと懐かしい。吉永小百合、永島敏行が登場するのは「夢の女」。貧しい家族のため、女中奉公から商人の妾、待合の女将へと変貌をとげる元藩士の娘お浪。「薄幸の美女の懸命に生きる日々を、情緒豊かに描く名編」という帯キャッチのとおり、抒情性豊かな作品だ。などとわけのわからぬ能書きを書いている割には、1冊の日本文学も読まないままに今年の秋も終わってしまった。まぁ、私には「太田和彦・著・日本全国居酒屋紀行」が合っているかもしれない。
2004.11.16
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「ボジョレ・ヌーボー」が船便で大阪港に到着したらしい。空輸でなければ間に合わない?とばかり思っていたら、船でも大丈夫なんだね。一時のワインブームはなりを潜めたかとの私の推察は誤りだった。輸入量は昨年の3割増だって。飛行機だけじゃ間に合わないのだろう。どちらかと言えば、寝かせたワインが好きだが、今年は飲んでみよう。赤ワインと醤油の相性は嫌いだが、こいつは日本料理でも結構いける。タンニンが強くないからかもしれない。それに、安いのが助かる。残念ながら木曜日は休肝日だから、金曜日にでも飲んでみよう。焼き鳥にボジョレ・・・・・・お願いねと連れ合いに頼んでおこう。
2004.11.15
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明治5年11月12日付で発布された太政官布告令・「爾今礼服には洋服を採用す」により、昭和4年にこの日を「洋服記念日」として制定したらしい。制定した「東京都洋服商工協同組合」では、同日以来、和服から洋服への採用を決断された明治天皇の御遺徳を崇敬し、毎年11月12日に明治神宮へ参拝し、明治神宮参集殿において記念式典を挙行しているそうだ。ちなみに、組合では毎年11月12日から1ヶ月間を注文洋服サービス月間として、「直しを廉価で行う等のサービス」を実施しているらしい。直しを廉価で行う「等」と言うところにひっかかる。冬着を作りたいと思っているが、オーダーのサービスが無いかどうか聞いてみようと思っている。新調するかどうかは、財布と相談してからだが・・・・・・
2004.11.12
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小学生6人に聞いてみた「赤い靴」の童謡 知ってる?手を上げたのは、たった一人だった小学校で扱う音楽も様変わりをしているから仕方が無いが寂しかった「野口雨情」の名前はいつまで生きるのだろうか・・・・・・と「シャボン玉 飛んだ 屋根まで飛んだ屋根まで飛んで こはれて消えた」純粋に子供の無邪気な様子を表現したものではなく、「間引きの唄」だと教えられたことがある。「七つの子」も同様に、7歳の子供という説や7羽という説があるようだ。ただ、そうした解釈の違いを超えて多くの人に親しまれて、雨情の代表的な童謡の一つとなっていたはずだ。雨情は、「この歌詞中に丸い眼をしたいいこだよと歌ったところに童謡の境地があることを考えてください。童謡の境地はいかなる場合にも愛の世界であり、人情の世界でなくてはならないのであります。」と著書の中で述べている。そのとおりだと思う。愛や人情などいらない世界になってしまったと言うことなのだろうが、代表的童謡がすたれて行く現実には驚きと寂しさを感じると共に、私に出来ることは何があるかを考えさせられた。
2004.11.11
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昨日、連れ合いはお袋と一緒に上野の山に行ったらしい「日展」とやらを見てきたとのこと(いいねー)「今度は反対方向の元町にでも行ってきなよ・・・・・・電車繋がったし便利だからさ・・・・・・中華街で飲茶でもしてさ・・・・・・天気のいい日に行ってきな・・・・・・赤い靴の銅像でも見てきなよ・・・・・・」そんな話を昨晩した今日になって午前中に連れ合いからメールが入る「事件だ!」と言うから何事かと思いきや思い立ったら吉日?とばかり、早速今日出かけるとのこと(天気がいいから行ってきな、元町・中華街駅は地下4階だよー)「赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった よこはまの 波止場から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった」明治35年7月15日静岡で「岩崎きみ」ちゃんは生まれました。母「かよ」さんはだらしの無い父親の力など借りず、未婚の母としてきみちゃんを育てるのだが、やはり男の力は必要でした。かねてよりの知り合い鈴木史郎氏と手を取り合って開拓地・北海道へ渡り、期待を膨らませ開拓農場へ入植するのです。ところが現実は厳しいもので、期待は裏切られるのであります。生活の厳しさに泣く泣くかよさんは、函館の教会で宣教師をしていたヒュイット夫妻(アメリカ人)にきみちゃんを養女として託します。ところが、きみちゃんが6歳になった頃ヒュイットさんはアメリカへ帰国することになるのです。きみちゃんが幸せならいいと思う反面、もう会えなくなってしまった責任を、かよさんは痛感するのです。この、悲しい事情でアメリカに行ってしまった娘の話を、鈴木史郎氏が知り合った野口雨情に語り、詩になったそうです。「今では青い目になっちゃって異人さんのお国に いるんだろう 赤い靴見るたび考える 異人さんに逢うたび 考える」(悲しいなー だけどもっと悲しい)ヒュイットさん夫妻とアメリカで幸せに暮らしていると思われたきみちゃんですが、不治の病・結核にかかり行かれなかったのです。ヒュイットさんはアメリカでの治療を願ったのですが、船に乗せてはもらえませんでした。やむなくヒュイットさんは、東京麻布にある孤児院に預け、横浜から帰国の船に乗ったのです。結核が進んだきみちゃんは、たった一人孤児院でこの世を去りました。わずか9歳でした。2度、親に捨てられたのでした。そして、かよさんは生涯この事実を知らずに過したそうです。横浜の山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」の像は、アメリカを向いているのだろうか?ちなみに、生まれ故郷・静岡県日本平には「母子像」、北海道・留寿都(ルスツ)村・赤い靴公園 には「母思像」と、きみちゃんの母「かよ」さんの「開拓の母像」、麻布十番商店街のパティオ十番に「きみちゃんの像」と、ゆかりの地には必ずきみちゃんがいる。蛇足ながら、留寿都村にはもう1体意外な銅像があるらしい。「指圧の心、母ごごろ。押せば命の泉湧く」の浪越徳治郎の銅像だって。おそらく故郷なんでしょうが、「マリリンモンロー」を触った上に、銅像まで作ってもらったんだから羨ましい。
2004.11.10
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朝から仕事で「足柄山」の見えるところまで行ってきた何度か漠然と眺めてはいたが「ああ、あれが金太郎の足柄山か・・・・・・」としみじみ見たことはなかった平安の中期、源頼光に仕える四天王の一人「坂田金時」の幼名が「金太郎」とのこと「なーんだ、実在したのか」と驚く子供の頃、絵本で見た金太郎の顔は赤かったが赤い顔の人を「金時」と言うそうな「赤シャツの顔をみると金時のようだ・・・・・・」と夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場するらしい「なーんだ、知らなかった」と感心夏に食べるカキ氷何で「金時」って言うのかと思ったら赤い小豆で作ったアンだからだそうだ「なーんだ、知らなかった」と納得今年の夏は連れ合いが食べていたが私は「レモン」の方が好きだそう言えば、私はお酒を飲んでもあまり赤くならない「金時の火事見舞い」なる言葉があるようだが金時は私には無縁のようだ
2004.11.08
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ドトールに寄った日曜日の午前中でも結構混んでいるレジカウンターには先客が3人並んでいる全員女性だ二人目までの先客はコーヒーだけだから比較的スムーズに終わった私の前のオバサンが問題だった「ジャーマンドックとコーヒー一つ」そこまでは順調だった(早く会計しろよ、僕もジャーマン頼むんだから一緒に作ってもらえるじゃんか・・・・・・)そう思ったが、オバサンはカウンターに貼り付けられたメニューを覗き込んで顔を上げない「コーヒーはブレンドでしょうか?」「はい」「サイズはいかがいたしますか?」「??????」「S・M・Lとございますが・・・・・・」(目の前に見本のカップが並んでるじゃんかよ)何を勘違いしたのか、レジのお姉さんがテイクアウトのSサイズ紙カップを見せた「こちらがSサイズですが・・・・・・」「??????●●さん、それ何?」テーブルに既に座っている男性に声をかけた男性の前と、脇にはカップがそれぞれ置かれている(何だよお代わりか、さっさと頼めよ)私はイライラし始めた「M・・・・・・」オバサンは男性の言ったサイズを口にしたが、又しても視線をメニューに向け無言になった(何だなんだよ、もたもたすんなよ)私はポケットから小銭を出して、手の上でチャラチャラさせてやった普通この状態なら「お次の方お決まりでしたらどうぞ」と声をかけるのがレジ担当の仕事だが、そんな気配りの出来る女性ではなかったオバサンが考えている間に、すでに決まったMブレンドを作ってしまえばいいのに、やらないただボーっとオバサンのオーダーを根気良く待っている決めかねているのが見え見えに伝わってきて、繋ぎのようにオバサンが言った「アメリカン一つ」視線はまだメニューにある(あとアメリカン一つ、と言わないからまだ頼むんだよね、早よせんかい、オッチャン起こるでー)サイズを言わないから又聞かれた「サイズはいかがいたしましょうか?」同じ聞き方しかしないのがこの手の店の常識だが(Mって言うに決まってるじゃんか・・・・・・Mサイズでよろしいでしょうか・・・ぐらい言えよ)私が思ったとおりオバサンは「はい」と答えたそれからしばらくして、ゆっくり顔を上げたオバサンは、ついに最後のオーダーを伝える「あとベーグル」やっと終わったかのように見えたがそれからが又長かった「店内でお召し上がりでしょうか」「はい」「お会計は、910円頂戴いたします」世の中のオバサンの決まり事なのだろうが、言われてから財布を出す手提げ鞄の中からゴソゴソと引っ張り出し、カウンターに硬貨を並べ始める並べてはみたが足りない様子で、また財布に戻し始める完全に戻してしまってから、1万円札と10円玉を1枚改めてカウンターに置く(並んでる客のことも考えるよ、もう3人並んでるんだぜ、4人目に入ってきた男性は直ぐ出て行ったじゃんか)メニューはカウンターの正面に大きく写真入で張ってある(並んでいるうちに考えとけよ! アンタが座っていたところからでも充分見えるでしょ!)ジャーマンを真っ先にオーダーしたのは、連れの男性の分だと予想する「もう一杯飲む? オレ、ジャーマン食べるから△△さんも何か食べれば・・・・・・」「そうね、食べようかしら」なんて会話のあとでオバサンがレジに並んだ情景が見える見えすぎることがたまにある・・・・・・このオバサンのコーヒーを作ると、残りがなくなるかもしれない今はコーヒーサーバーのランプは点いているが、消えるかもしれない「ただいま新しいコーヒーをお入れしておりますので少々お待ちください・・・・・・」レジ嬢の声が頭に浮かんだ(これだけ待たされて、またまた待たされたんじゃ本気で切れちゃうよ)「5千円冊がありませんので、千円札で失礼します」レジ嬢がオバサンの目の前でバカ丁寧にお釣りを数える仕草を見ながら、私は店を出た気持ちとは裏腹に空は青かった今日は関所に寄ろうかな・・・・・・
2004.11.07
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いよいよ、ズワイガニの底引きが始まった乱獲防止策のお陰で大漁らしい「来年こそは本物の越前ガニを食べよう」の1年越しの思いはもうじき達成する黄色いタグの付いた本物だお鮨屋の若大将に頼んである「いいのが上がり始めたら電話しますよ」の言葉を信じて楽しみにしている仕事は忙しいが、唯一の楽しみが食べること出張にあたらなければと願っているちなみに京都の「間人ガニ」には緑のタグが付いているらしいこっちも食してみたいが、ボーナスないから無理ですね来年の楽しみに取っておくか・・・・・・
2004.11.06
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何かにつけ 仕事が増える明日も朝から出かける用事が出来た会社に戻って 夕方は神奈川に行く自分の仕事をしながら部下ではない他人の面倒を見ることに疲れた歳とともに神経も図太くなってくるが精神的にここまで疲れたことはないブツブツ言っても やるしかない一つひとつ片付けるしかないでも でも 時間が欲しい
2004.11.04
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世の中「七五三」弟の娘も七つのお祝いだ着物を着てベッピンさん着疲れか いつもの元気が足りないみたいそれでも お父さんは大満足のご機嫌さん僕は半袖姿の にわか写真屋ついでにトップページの写真も撮ってみたいつまでも 干物じゃー 連れ合いに注意されるそれにしても 家族中で今日は朝から大変だったらしい着付けに行ってプロの写真を撮ってお宮参りに行き親戚に挨拶回りをし・・・・・・皆さんご苦労様でした
2004.11.03
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