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2月4日……梅の開花状況を見学に池上梅園に行ってみました。初めて入園料を払って訪問しましたが、梅園だけではなく北側には庭園がありました。 茶室 清月庵……私は心得がないのでお茶室には興味がありませんが……佇まいは好きです。インフルが猛威を振るっているこの時期のお茶会は難しいでしょうね。 伊東深水のアトリエを設計した川尻善治という方が、自宅に建てた離れだったそうです。川尻氏は大正時代、池上門前で温室園芸と料理屋を営んでおられたらしいですが、小倉氏といい、料理屋さんはもうかったのかしらね? 川尻家の離れですが、マンション建設が計画された折に保存運動が起こり、区内在住の華道・茶道家中島恭名という方が尽力され、買い取って大田区に寄付しここに再建されたようです。みなさん太っ腹ですね…… お茶は全く分からない私ですが、これも扁額っていうのでしょうか? 木の木目がいい具合なことは理解します。 清月庵 裏木戸……かしら? 木戸をあけて -家出する少年が母親に捧げる歌-(詩・曲・歌・小椋佳) あなたの後ろ姿に そっと別れをつげてみれば あなたの髪のあたりに ぽっと灯りがさしたよな 裏の木戸をあけて 一人夜にでれば 灯りの消えた街角 足も重くなるけれど 僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない 許してくれるだろうか 僕の若いわがままを 解ってくれるだろうか 僕のはるかなるさまよいを …… …… …… 僕の遠いあこがれ 遠い旅はすてられない 夢を追いたい、旅立ちたい思いとわだかまり、木戸に手をかけた瞬間に吹っ切れる……甘酸っぱい青春の香りがプンプン…… 1971年だったかしら? 親にねだって、山水電気の4チャンネル・シンセサイザーを買ってもらった。ついてきたLPレコード『青春の詩』(非売品・山水がデモ用に作ったのかも)に収録されていた。小椋佳を知ったのもこの時、「六月の雨」「街角へ来ると」……まさにタイトルどおり青春の詩だったな~ 木戸の所にも案内があったのでくぐってみたら、今度は左へ行けって…… 清月庵の裏庭……とでもいうような場所 一つの庭園として独立させたかったからか、こんな石段がちょいと配されています。 座輪梅……まだ咲いていない右の樹です。「…当園の座論梅は一つの枝に対になって花が咲き、その姿が中国の賢人が座論を交わしている姿に似ていることから命名された」となっていますが、なんだかよく分かりませんね。 石碑を寄贈される方がおいでのようです。 聴雨庵……清月庵のとなりにもう一つ茶室があります。政治家藤山愛一郎氏所有の茶室だったそうだ。芝白金の自宅には三棟の茶室があり、岡田啓介・米内光政・末次信正らを集めて東条内閣打倒の密議が行われたのは聴雨庵だったらしい。 なんとなく政治家らしいネーミング…… 清月庵よりも大きいです。炉のある茶室も9畳と7畳の二部屋……茶会・句会などの催しには貸してくれるそうです。区内の住民なら[清月庵:2,200円]・[聴雨庵:4,200円](どちらも午後の3時間半)だそうです。昼寝じゃ貸してもらえないのかしら? 水琴窟(すいきんくつ)…… 絵が下手だったのでよくわかりませんでしたが、菊の紋みたいな石にかけるんですね。聴雨庵といい、水の音を楽しむ方が多いみたいです。風流ですね……『浴衣の君は尾花(ススキ)の簪……』こんなのを書いていたら終わらないから止めよーっと…… 和 室……庭の方へは「一方通行出口」って看板が目に入ったので、ここで失礼… 薬医門の案内……back gateってあるから出られるんだろうと思い、行ってみたら閉まっていました。なんてこった……園内管理には入退出口は一か所が良いのでしょう。 石 塔……次へ行く私には、薬医門から退園できたらありがたかったのですが、渋々もどったらありました。 和 室……戻りついでに一方通行入り口から入ってみることに……手前の梅がもう少し咲いていたらより良い絵になったでしょう。[さくら][やなぎ][くるみ]の和室各8畳……区民は600円(午前)・840円(午後)でお借りできるそうです。 池もありました。生物は未確認です。 急な石階段……和室庭園を見学して「さぁ出るよ」と、思ったら見つけちゃいました。なんでかな~ 好きなんです。 まだまだ元気だったので上りますが、そこそこな勾配…… とりあえず下の方……ちょっとだけしか上っていないのに結構高い…… 足元がしっかりしているので歩きやすかったけど、これで終わりじゃない…… 折り返してやっと終点かしら? 結構高いよ~ 梅園入り口方向……手前はツツジかしら? 800株あるんですってツツジ… 見晴らし台……らしいっす… 線路が見えました(南西)……池上線でしょう…… 満開ならきれいでしょう。来園者はポツポツでした。受付の女性は暇で困る事でしょう。門の前に立っている方もご苦労様です……一日中立ちっぱなしは今の私にはできません。 上りとは違う階段で退散です。見晴台のそばでお弁当を食べていたご夫婦がおられました。荷物を下げて上がっていかれますが、彼女たちもランチかしら? 梅はまださみしいから、花より団子ですよね~ 花より男子ってのもあるみたいですが…… 受付近くのこの階段の方が上りやすいです。上に行かれる方はこちらから…… 園外にでました。以前工事をしていたのはこの道だったようです……とてもきれいになっていました。 薬医門……梅園外を南へ向かう私……やっぱり完全封鎖中でした。 この後、近くにある未訪問の寺社をたどりますが、続きはまた今度…… 今日も散歩に行きたいけど、天気は今一……どうしようかな~
2019.02.07
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今日の「My First JUGEM」……『花屋の店先も寒そう』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『初冬の公園』
2025.11.13
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スバル BRZタミヤ 1/24(2012年9月完成) 大人になってから模型を作ろうと思ったきっかけは、何かでタミヤの1/12 エンツォ フェラーリを知り手掛けたことからでした。組み立てるということは好きだったので気軽に購入したのですが、塗装はまったくの素人…おまけに大きい…ボディーも複数分割…ドア等開閉式…最後まで作りはしたものの当然満足などできる代物ではありませんでした。エンジン等々パーツ盛りだくさんでしたが、最終的に見えなくなっちゃうことも体験した次第です。 リベンジをしようと作ったのが本作 スバル BRZ … 1/24スケールを手がけた第一歩です。素人ですから怖いもの知らず…とにかくやってみるしかないので、おそらく1か月もかけずに作ったと記憶しています。 タミヤのスプレー缶とエナメル塗料…ドアミラーの上下色違い、エンジンルームも色分け塗装など素人泣かせでした。窓まわりの黒塗装もしてありません。はみ出してもエナメルだったら綺麗に落とせるなんて分かっていなかったです。コンパウンドもかけずにクリアー吹きっぱなしでしたし、今考えれば大いなる手抜きでした。 本作を手掛けて以降、2013年度まではせっせと作りました。1か月に1台は当たり前で、2台の月もありました。数をこなすことで新しい知識や方法を発見し次作に生かしてはいましたが、ほんの少ししか進歩は無いようです。あるとすれば師匠に伝授してもらった汚しを活用できるようになったことでしょうか……ずっとピカピカを目指してきたのですが「汚れてない車はおかしいよな~」と思っている昨今今日この頃です。頂戴したベースに置いて撮ってみましたが、不自然ですね。 勉強したデジカメ技法を忘れないように、青だけ残したのを一枚… 車はともかくとして、道路と壁は最高です。また、過去作った違う車を置いて撮ってやりましょう。
2017.02.20
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朝日新聞・別紙「グローブ」(2020.1.5)より…… 連れ合いの愛するスナフキンが表紙を飾っていた。 ギターもハーモニカも持っていないな~ と思う私。原作の挿絵なのだろう……子供向けアニメには登場しないパイプをくわえている。 自由を愛するスナフキンの計画って何だろう……他人を巻き込まず「ひとりっきりでやる」ってとこが恰好良い。 ムーミン「義務って何のこと?」 スナフキン「したくないことを、することさ」 きっと、何かを禁止されることが嫌いなスナフキンらしい計画だろう。「孤独」ってなんだろう……「孤独のグルメ」は独りで食べるから孤独としたんだろうが、私は独りで飲み食いするのが好きだし孤独とは感じない。(連れ合いと一緒は楽しいけどね…) 居酒屋のカウンターの隅っこでおとなしく飲む酒は楽しい。おしゃべりなお客から話しかけられるのは好まない。やたらに話好きなお客をよく見かけるが、そんな彼らにこそ孤独を感じる。「孤独ってなんだ?」と尋ねたら、「人の中にいることさ」とスナフキンは答えるかもしれない。 百年の孤独……宮崎県の黒木本店が作っている麦焼酎。ネーミングは、コロンビア出身のノーベル賞作家・ガブリエル・ガルシア・マルケスの代表作「百年の孤独」からとか。一時飲んでいたのは何十年前のことか? ウイスキーみたいで美味しいんだけど、高いからな~ 昨日、関所への出勤時刻になっても下りて行かないので、心配した連れ合いが上がってきて言った「なんだ、作ってるんですね~」……今年はちゃんと取り組もうと、Pfalzの翼に田植えの合方の穴開けをやっていた。 6か所目で大失敗……0.2mmのドリル刃先が折れた。おまけに、折れた部分が翼に埋まってしまった。左が折れたドリル。 ピンバイスに咥える部分の直径が1mmあるので、咥えやすいので使っているが折れやすいみたい。0.2mmのドリル部分の長さは1.4mmなので、それ以上深い穴を開けるには全体が直径0.2mmの物を使う。こちらも以前折ってしまったので在庫がない。買ってこないとならないようだ。0.3mmは健在だけど、どうしても0.2で行きたい私……熱が冷めないうちに調達しよう。 ちなみに、[AXIAL]さんは0.1mmも使うようです。[シゴーニュ]さんもお使いなんでしょうね~ みなさんすごいです。
2020.01.06
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5月8日のちょっと散歩…… 道を間違えながらも駒場東大前駅を通過してから脇道に……閑静な住宅街 さらに一本曲がって発見……私道にしか見えないし、見過ごすところ……奥が駒場公園南門だそうだ。 木々がいっぱい…… でかい燈籠が……地震が来たら倒れるよ~ ジャングル……静嘉堂緑地にもこんな風情があったっけ… ブランコと砂場…… 一気に視界が開けました…… ぽつりポツリですが、木陰で楽しんでいました。芝生が気持ちよさそう。まだアリがいないからよさそうです。 目的地到着……でも立ち入り禁止みたい……月・火が休みだって調べて、水曜日に来たのにな~ 広い芝生を囲む木々が作る木陰がなんとも言えません。 洋館に行かれそうなところを探していたら……門発見! 旧前田家本邸・洋館……ありました。 車寄せのある玄関……これだけで贅沢が分かります。 旧加賀藩主前田家16代当主・侯爵前田利為(としなり)侯(1885~1942年)の居宅として昭和3年(1928年)から昭和5年にかけて建設されたそうです。 玄関……土足厳禁……靴はビニール袋に入れて持ち歩きですが、何といっても入館料無料が嬉しいですね~ 玄関ホールを入ってまず目につく階段……レッドカーペット敷き!!! 駐英大使館附武官を務めるなど滞欧経験が豊富だった利為氏は「わが国には外国からの貴賓を迎え得る邸宅がない」との思いから、迎賓館としても利用できる本邸を建てたそうです。しかし、すごいすごい……巨額の資金を要したことでしょう。 サロン……玄関ホールに続く、お客様を最初に通す待合。 私が通ってきた南庭に面していて、全面カットグラスをはめ込んだ扉……ガーデンパーティーなんてのもやったことでしょう。 第一応接室……侯爵夫人や令嬢のお客様が通された応接室で、サロンの脇にありました。写真右にあるのはタイルでできたマントルピースだって…… 小客室……大客室とつながります。 形の異なる暖房暖炉が各部屋にありましたが、これは大理石かしら? 大食堂から見た大客室……右が小客室…… 大食堂……最大26人のディナーが可能だった食堂。どんな晩餐会だったことやら?想像不可能。巨大なマントルピースは、白大理石だって。奥に小食堂…… 小食堂から見た大食堂……玄関からサロン、客室を経由して食堂へとつながる無駄のない一連の動線はみごとです。当たり前と言えばあたりまえなんですが…… 小食堂……家族のための食堂だって。地下の厨房から料理を運ぶ小型エレベーターがあったそうですが、豪勢だったんですね。ちなみにこの洋館は地上2階、地下1階建てですが、使用人は地下で食事をしたんでしょうね。 小食堂の壁一面に食器棚が設けられていました。 銀製品……手入れも大変だったでしょう……侍従や女中さん、ご苦労様でした。 左上がちょっと欠けていますが、なくなっちゃったのかしら? いずれにしても、私には無縁の世界です。 階段を二階に向かいます…… 二階の階段ホール……手すりも豪華豪華… ただの壁でもいいのに、こんな造作……はめ込むのは大変。柱時計は当時のものか不明ですが、動いていました。 照明器具も場所場所で変えられていましたが、特注なんだろうな~ ということで、重要文化財・旧前田家洋館を訪問しました。二階は次回です。 今日も天気は良いですが、散歩には行かれない私……どうしようかな~ そうそう、古い知人のMさん、ご指摘のものはここにありましたよ~ 庚申塔かと思っていたのですが、馬頭観音なんでしょうか? 自分の日記だから当然ですが、一発で見つかったからそれほどボケてもいないようです……ちょっと安心…
2019.05.10
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<スバル インプレッサ WRC 2001>前回に続き… ボディーにデカールを貼りました。 車体サイドのデカールですが、ちょっと大きすぎ……星のまわりの余白面積が大きすぎます。位置合わせの際にも厄介そうです。 そこで、カットして分割貼り付けを選択…なるべく不要透明部分を減らし、なおかつ動かしやすくと考えたのですが……いざ貼ってみるとこの黄色い部分は厚くてもろいことが判明しました。「こんなことで何故???」って思えるほど簡単にヒビが入りました。段差のある場所でもないのに…無理やり動かしたわけでもないのに… 本デカール近辺に貼る同色(黄色)のラインが別にあるのですが、これは短いですがほぼ直角に曲がる2つの段差にまたがって貼るため、軟化剤を使いましたが細かく割れました。反省を生かし、反対側は軟化剤プラス熱湯につけた綿棒と熱々布で対応したのでほぼ無傷で済みました。しかし、最初から万全の態勢で臨まなくちゃダメですね。過信したわけではないのですが、手抜きで済むだろうと思った私がバカでした。割れた瞬間には「デカール再発注して、貼り直そうかしら?」と頭をよぎったのでっすが止めました。 後で他の人の制作を拝見しましたところ、割れておいでの様子……先に知っていたらと悔やんでも後の祭りでした。デカール貼りには不満を残したまま、クリアー塗りました。砂吹き後、1日置いてから4回重ねました。天候とにらめっこしながら、久々のクリアー作業はなぜか面倒に感じられます。取りあえず1週間程放置しておきますが、サンドペーパーかけるか? いきなりコンパウンドで済ませちゃうか? 考えます。 小物に貼ったデカールにも、経年劣化剥離防止でついでにクリアーかけておきました。こんなところに神経使わなくてもいいのに……と、いつも思います。 内側から黒の枠塗をしたりデカールもたくさん貼るウインドウも、まだ手つかずです。6個あるライトや、人形2体、シャーシ下面の汚しもしなくちゃなりません。まだまだ先は長いです。年内に完成するかしら???
2016.11.16
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10月30日…冨士見地蔵からたけのこの碑を拝見した続き…… たけのこの碑の前の道……結構狭いです。軽乗用車でも、来たら脇で立ち止まりやり過ごしました。この先に寺があることを地図で見たので行ってみることに… この一角がお寺みたいですが、山門の位置は不明……直進するか? とりあえず左に…… 失敗…… 裏門でした。 仕方なく戻って細い道……右は星薬科大学のテニスコートみたい……2面はありそうです。大学本体の敷地とは道路を挟んで飛び地ですが、いいな~ 路地の左に見えてきました… 芳荷山長應寺山門……四脚の立派な門がそびえていました。修繕中なのでしょうか? 山門はくぐれませんが… 冠木に彫られた龍が、これまた立派だったので近づいてパチリ……デジカメあかんな~ シャープさに欠けます。 屋根の端に乗っているこれ、なんて言うんだっけな~ 怖い顔で尻尾の付いた亀みたいなの……うぅ~ん…なんだっけ??? もともと記憶力がない上に、健忘症が追い打ちをかける私です。 山門脇から失礼しました。本堂、庫裏などは昭和20年の空襲で焼失……山門だけ焼け残ったそうですから、このコンクリートの門も残ったのでしょう。 境内は広い… 本堂……入母屋造(いりもやづくり)っていうんでしょうが、美しい屋根です。 同寺は波乱万丈の運命をたどってきたようで、開山以来、他所での焼失や移転を繰り返したそうです。大正時代に当地で完成した本堂……焼夷弾で焼けたのでしょうが本当に残念です。戦争はこりごりです。 同寺の敷地はとても広く、本堂の後ろ側は墓地……本堂から左に渡り廊下で庫裏につながっているみたいです。 本堂扁額……「昭和52年吉日 総本山本成寺七十七世 荒井日幹」……法華宗陣門流の総本山・本成寺は新潟県三条市にあるようですが、この時期に現宗派に落ち着いたのかもしれません。 庫裏……本堂左 本堂正面に…… 土中出現出世不動尊……昭和18年5月と記された扁額があるってことは、この不動尊も戦禍から守られたんですね。 海中出現どっかで見たな~……「微妙庵の海中出現毘沙門天」でした。結構記憶力いいじゃないの? 不動尊の隣の石碑にはこんな文字が…… 古い手水舎…… 彫り物つき……劣化していますが龍なんでしょう。 巨大な碑…… 喜不自勝…… 親父が生きていたら教えてもらえたのに……相対詩は「怒不可遏」らしいけど、連れ合いなら分かるかもしれません。 大勢の方のお名前が刻まれていました。 山門に向かって…… つくづく立派な山門です。焼け残ってくれてありがとう…… 冠木に彫られた龍ですが、顔が外側にあるので、内側は背中みたいです。良くできていることに改めて感激…… 扉に彫られた三つ葉葵……徳川家とご縁があったのかもしれません。「頭が高い!控えおろう!」……なぜか一礼して失礼した私です。 山門を出て長應寺の外壁に沿って北東方面に……先にもお寺があるみたいなので…… 外壁ごしに本堂……手前には右方向に延々お墓が続きます。 なんだかダラダラしちゃいましたから、続きはまた今度…… おまけ… 台風19号が東京を去った翌朝(10月13日)、作業員さんらによって折れた太い枝がきれいにカットされましたが…… 今朝見たら、スッパリ切られちゃってました……上部切断面が大きかったので危ないのかもしれません。残念ながら、この辺りの桜の木は年々数が少なくなっていきます。 しかし、ぼろコンパクトデジカメと比べて、スマホ画像はなんてきれいなんでしょう。通信機能なしでカメラとして安く売ってないのかしら? あったら買うんだけどな~
2019.11.03
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2月22日の大田区散歩…… 大森八幡神社を後にして、大田区大森中の住宅街を進むと…… 綺麗な塀…… 密乗院……到着 真言宗智山派の寺院……玉川八十八ヶ所霊場第77番札所……88の内、なんとか都内だけは制覇したくて伺いました。76番「密厳院」もと思ったのですが、大森北はルート外だったから断念。そのうちに…… いつもの一枚……かつては、大森の諸神社の別当寺だったと。 本堂扁額……海光山 密乗院 大森寺 およそ800年前に、不動明王を安置して真栄が開創したそうです。徳川家康が狩りの折に休まれたそうで、寺領20石を賜ったが、御朱印状は天明年間(1781~1789年)の火災によって堂宇と共に焼失したと。 なにげなく手水盤…… 南無大師遍照金剛……結構高い所にお立ちです。 北を向いておられましたから、品川方面を目指すんでしょう。14時48分……斜め逆光。 本堂前から山門…… 蓮のモチーフに…… カエル発見……「無事帰る」の遊び心かしら 相生地蔵尊……『この地は明治の頃まで大森村字相生(あいおい)と呼ばれていました。相生には助け合って生きる意味があり、水子地蔵様と六地蔵様に相生地蔵尊と名付けることにいたしました。』……菅首相も口にする「自助・共助・公助」だけど、「互助」はどこにいってしまったのか? 互いに支えあうという意味では「共助」と共通点はあるが、「互助」は費用負担が制度的に裏付けられないから消されたのか? 都市化や高度経済成長とともに核家族化が進行し、自発的な「互助」は姿を消したんだろう。暮らしていくには大切なことなんだけどな~ 寺務所兼庫裏でしょうか……モダンな建物でした。山門脇は枝垂れ桜みたい。咲いたらきれいだったでしょう。 コンパクトながら手入れの行き届いた密乗院でした。 桔梗紋……真言宗智山派の宗紋。なんと木目の美しい事か……南無大師遍照金剛 ということで、今日はこれでおしまい。昨日の散歩で少々足がだるい私。玉川八十八ヶ所霊場83番札所の「秀明寺」を訪ねましたが、さすがに大田区本羽田は遠いな~
2021.04.11
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「赤影」ならぬ「安倍影さん」であります。 パロディっていうのでしょうか? 日頃、幅広い画材を用いてさまざまなジャンルの絵を描かれたり、造形や模型などなど創作に励んでおられる私の師匠の作品です。どれも素晴らしくていらっしゃいますが、技量だけではなく、逞しい発想力にはいつも驚かされています。このような画像を引用しての作品は珍しいのですが大笑いをさせてもらいました。 本編は安倍影登場までのイントロも見事です。さらに、有名現職議員を模した「白影」「青影」も見事なまでにパロッています。何度見ても笑ってしまう私であります。でも、赤影は正義の味方だったかと??? さて、白影・青影は誰でしょう~ お楽しみください。 爆笑必至の本編はこちらから… 師匠の真面目な作品はこちら… 素敵なエピソード付きの作品… 師匠、また勝手に載せてしまいました。ご容赦くださいませ。
2018.02.13
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1月31日の散歩…… 双龍鳥居から石段を登って境内に……左が浅間神社で、右には石碑群が…… 東京八名勝入選の碑……『此の碑は中央に位置する心棒を昭和7年に当品川神社が東京八名勝の第三位に入選した記念に吾々の先人が時の協賛者と共に建立したもので丁度60周年の節目を期に常夜灯と記念碑を建立し品川神社の敬神の昮揚と境内の景観に粋を添え先人の鎮魂の意も含め更に社会に役立つ心の地形をなし人の和を基本としながら江戸町火消しの永い歴史によって培われた伝統文化の灯を消す事なく之を後世に伝承せんとするものである。』町火消の粋と心意気が伝わります。 何の碑か不明……残念……説明書きが欲しいよ~ とにかく撮っておく私…… 包丁塚……中央の碑には「内閣総理大臣三木武夫書」『抑もここ品川の地は 往昔より江戸出入りの要宿にして近代となりてその地域広大となるも、まことに殷賑をきわめ、ゆえに調理をなりはいとする店多く、またそれらに使用されし包丁数知れぬなり。 このたび品川区鮨商組合連合会発足二十五周年を記念し、ここに縁りの地品川神社の神域に包丁塚を建立、調理に役し、使い古されし数多包丁を納め、とわにその労を謝すと共に、同じくそれら包丁により調理されし鳥獣魚介の類、はた又蔬菜等を慰霊し、併せて業界の発展を期し、 とこしえに連合会の隆昌を願うものなり。 昭和51年4月27日』 ※ 殷賑(いんしん)=大変ににぎい、盛んなさま。 ※ 蔬菜(そさい)=栽培作物を指す語だが、今日では「野菜」と同義らしい。 どちらも東海七福神めぐりの碑ですが、左は「千客万来・商売繁盛」かしら? 右の丸いのは七福神が彫られて分かりやすい。昭和26年(1951年)とあるから、20周年記念でしょう。「天地開闢 大日本大社廻」と彫られた石碑……隅に「応需 勝安芳」と署名がある。安芳(やすよし)って誰? って思ったら勝海舟なんだと。麟太郎(りんたろう)なら知ってるんだけど。いずれにしても頼まれて書いたのでしょうが、断らず引き受ける良い人です。奥に小祠が見えたので行ってみることに…… 御嶽神社鳥居……右方向に上記の石碑が並んでいました。 修験道の場として独自の山岳信仰として栄えるようになった御嶽山。修験者・役小角(えんのおづぬ)が開山したとされるが、覚明行者(享保3年・1718年・生)、普寛行者(享保16年・1731年・生)、一心行者(明和8年・1771年・生)らが開山尽力に続いたらしい。「信者の魂は死後に御嶽山に引き取られる」と説かれ、やがて霊神碑を建立する風習が盛んになったようです。 三笠山元講が建立したこの三神碑にも「覚明霊神」「普寛●神」「一心霊神」と記されています。(●の字だけは読めない) 隅に「二品熾仁書」とあるのは有栖川宮熾仁(たるひと)親王のことでしょうか? 達筆だが、末尾の「神」の書体が三字とも異なるのはなぜなのか? 一度に書いた物じゃないのか? あえて変えてみたのならおしゃれ過ぎる。 ボルトで補修がされた大きな石碑……八海山、御嶽山、三笠山名が読めます。 脇に「正四位山岡鐵太郎」とありますが、山岡鐵舟(てっしゅう)にしておいてくれたら、江戸城開城に貢献した人だとすぐに分かったのに。西郷隆盛や勝海舟と同じ時代を生きたんでした。剣客として有名だけど、書も上手なのね~ 御嶽神社…… 扁額…… 小祠前から品川神社社殿方向…… 境内に盛り土がされているのでしょう、小高くなっています。 御嶽神社の狛犬……かわいいな、と思ったら? 頭のてっぺんに穴が開いてる…… 井戸もあるのね~ 御嶽神社から参道に戻ると、二之鳥居で威嚇する狛犬…… 備前焼だって。珍しい!!! 品川神社社殿はそこだけど、なかなかたどり着けない。「また後日なの~」と連れ合いに言われてしまいますが、今日はこれでおしまい。
2021.02.18
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<スバル インプレッサ WRC 2001> 以前、<アルピーヌ ルノー A110>なるラリーカーを作ったことがある。 最近は筆塗りばかりだったのだが、気候も良くなってきたし、たまにはスプレーやエアーブラシを使ってみようかと……今年5月に雷王模型店で見かけて購入したインプレッサのラリー仕様車を作ってみようと思う。 ちなみに、1/24 タミヤの本製品は、現在3,000円(税別)。雷王模型店は旧価格バージョンで2,400円だった。 2,400円にしてはパーツがたくさん。人形2体付き。塗装しない人の為にでしょうが、ボディーはそれらしい青色。「サーフェイサー吹くんだから白がいいのになー」と思うのは私だけか? おまけにホイールもゴールドっぽい色で仕上げられている。少々安っぽいのでこれも塗り直さねば… ボディーまわりを少し切り出してあてがってみた。シャーシに歪みはなさそう。エンジンもどきこそ付属していないが、ラジエターやエアーダクト等ボンネット内側のパーツはいくつかある。「なんとなく塗りにくそうな部分もあるなー」ライトポッドもそうだが、フロントスポイラーのラジエター開口部は斜めにして奥まで吹いてやらねば…… ルーフに付ける空気口も考え物。先に接着したほうが良いのだが、入口が狭いのできちんと塗装する自信と技術が私にはない。従って、今のところ別塗装で後付の予定だが、別塗装ではそれぞれの色味がきちんとそろわない難点がある。吹き付け回数を同じにしても、それぞれ塗装の際の距離と速度で微妙に異なるので始末に悪い。とは言え、「どうせ後で汚すんだー」と思えば少しは気が楽。 切り出してはヤスリがけをするが、リアウイングのパーツにヒケっていうのか凹みを発見。下側だったり内側だったりだが、つまらないことも気になるのが私の悪い性分。埋めるためにパテを置いた。 ついでにライトポッドのつなぎ目も気なりパテ置き。実車もここで繋いでいるのかもしれないが、私には目障りだ。後で汚すことを思えば、ここまでやらなくても良いのに…… と言うわけで、ボチボチ作っていきます。
2016.10.09
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今日の「My First JUGEM」……『桂坂と柴田錬三郎旧居』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『牛バラ炒め……』
2022.05.22
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