気まぐれなページ

気まぐれなページ

PR

Calendar

Comments

ojisan175 @ Re[1]:『根もとっておかないと』&『トンボ獲った』(08/18) 銀色の手紙さんへ お忙しいのに、励ましの…
銀色の手紙@ Re:『根もとっておかないと』&『トンボ獲った』(08/18) お暑うございます。 ごぶさたしております…
ojisan175 @ Re[1]:『茹卵』&『大変身したマーガレット』(05/10) 安斎治療室さんへ すっかりご無沙汰をし…
安斎治療室@ Re:『茹卵』&『大変身したマーガレット』(05/10) どうもお久しぶりです ブログを拝見して元…
ojisan175@ 『タンパク質摂取は大変……』&『集団移動待機中か……』(02/05) ご多忙のところ、適切な情報をくださりあ…
銀色の手紙@ Re:『タンパク質摂取は大変……』&『集団移動待機中か……』(02/05) 時々にしかコメントできずに、しかも中途…
ojisan175 @ Re[1]:『お札を置きに……』&『メジロの観察……』(01/12) 銀色の手紙さんなら別の加工方法もおあり…
銀色の手紙@ Re:『お札を置きに……』&『メジロの観察……』(01/12) 小鳥と柿のお話、興味深く拝見させていた…
2021.03.20
XML
カテゴリ: 寺社
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​  品川神社訪問の帰りに、バッテリー切れだったから寄らなかったのでコピット行ってきた2月7日……


 百反坂を少し下って……


 北に向かうと、品川区大崎……電信柱の「アシダ音響」はヘッドホンを作っている会社。


 品川区立芳水小学校の裏側のこんな道……トラックの後ろを右に曲がると……


 石段発見……方向感覚だけで行ったから、正しい入社ではなかったみたい。ちなみに、正面の屋根はかつて居木神社の別当寺だった観音寺。


 居木神社(いるぎじんじゃ)参道……


「居木神社と 居木橋貝塚 」が、しながわ百景だって……石燈籠と「遷宮(せんぐう)記念碑・ 昭和8年(1933年)9月 」がありますが、『…昭和5年には氏子の崇敬熱意によりご社殿の改築にかかり、同8年9月に竣工されましたが、その荘厳を極めたご社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上しました。(同社HPより)』残念です。もったいないです。


『居木橋遺跡は、居木神社の南方に位置する台地上にあり、縄文時代前期(約六千~五千年前)の貝塚を伴う遺跡で、竪穴住居も多数確認されています。
 貝塚は、食用にした貝の殻や魚・獣の骨のほか、土器片などが堆積したもので、当時の生活を知る重要な手がかりを現在の私たちに提供してくれています。


 猫が鎮座……石段の横手は石がごろごろしていると思ったら、溶岩積による富士塚なんだって。富士山はネコと反対方向。昔々は富士山がよく見えたことでしょう。


「大崎の鎮守」……創建年代は明らかではないけど、古い記録によると、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村とあり、現在の山手通り居木橋付近に位置していたと。また、 当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられているそうです。山手通り居木橋付近というと、目黒川が氾濫したりしたから引っ越したのかもしれません。
 雉子ノ宮(きじのみや)でいいのかしら? ゆるぎの松は意味不明……


 鳥居の脇に阿吽一対の狛犬……


 大正12年(1923年)奉納……


 手水舎……石段を上がった左。


 柄杓は置かれていません……


 水を噴き出しているのは獅子かしら?


 左右に裸電球がぶら下がってます……季節の節目や祭事には境内随所に提灯が架けられるようです。見事でしょうね~ 今年もお祭りは我慢かな~


 JA東京グループありました……
居留木橋カボチャ 『居木神社を中心とした、桐ヶ谷から居木橋一帯の旧荏原郡大崎村(現在の品川区大崎)は、江戸時代以前から農業の盛んな地域でした。居留木橋カボチャは、江戸時代の始めに沢庵和尚が上方から種を取り寄せ、当地の名主・松原庄左衛門に栽培させたのが始まりという伝承があります。
 海岸に近く気候温暖で、適地であったため、甘味のある良質のカボチャが早い時期からとれたことから有名になり、地名としては居木橋であるが、居留木橋カボチャと呼ばれて親しまれました。
 果実の大きさは中型で、別名を縮緬カボチャといわれたように、カボチャには十五本ほどの浅い溝がありますが、全面をごつごつとしたこぶで覆われていました。外観に似ず中は黄色く味は美味しく、当時わが国を代表するカボチャでした。
 江戸時代から明治の中頃まで、この地方の特産品として長く名声を博し、後世の新種改良の親となりましたが、黒皮早生カボチャの出現や、当地域が宅地化するに及んで、しだいに栽培は減少していきました。』とさ……


 正面に社殿・右に社務所……社務所側のイチョウが御神木らしい。
『江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に御動座されました。 その折、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」と称されました。
 元禄郷帳に居木橋の石高は230石余、72戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く社頭は大変賑わったと記されております。(同社HPより)』


『明治5年(1872年)、社号を「居木神社」と改め、同6年旧制の「村社」に列格、続いて同29年(1896年)および同42年(1909年)には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」の3社6座が合祀されました。』
 現在の社殿は昭和53年(1978年)再建……


 居木神社社殿扁額……明治神宮の宮司さんの書です。仲がよろしいのか、両社にJA東京の説明板があるのが理解できます。
 主祭神:「日本武尊(やまとたけるのみこと)」
 配 祀:「高龗神(たかおかみのかみ)」
     「大國主命(おおくにぬしのみこと)」
     「倉稲魂命(くらいなたまのみこと)」
     「天兒家根命(あめのこやねのみこと)」
     「菅丞相(菅原道真)かんのじょうしょう)」
 合 祀:「手力雄命(たぢからおのみこと)」
     「淀姫命(よどひめのみこと)」
     「大山咋命(おおやまくいのみこと)」


 江戸消防記念会の奉納……消防記念会、以前見たのはどこでだったか?


 社務所の右が「御神輿奉安宝物殿」で、その右が神楽殿……


 社殿左から……梅がさきはじめていましたっけ…
​​
 ということで、今日はこれでおしまい。後編は明日……モデムの具合が悪かったので、電話したら修理交換に来てくれました。素早い対応はありがたいけど、時間をロスしてしまった今日でした。
​​​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.03.20 15:27:22
コメント(0) | コメントを書く
[寺社] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: