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気まぐれの風
中国 母と娘の二人旅
値段は安くても通常の二倍はするし、何処へ行っても人込みだし。
だけど、心の奥ではゴールデンウィークに旅行ことに憧れていた。ゴールデンウィーク近くになると、みんななんとなく浮かれ気分だし、それに休んでもあまり目立たないし、気兼ねも少なくていい。
今回の北京行きはそんな背景もあった。
今回の旅行はガイドも付けない、本当の個人旅行。自分の語学力を試してみたい!(そんなに自信はないのだけれど)と思い、計画したのだ。
チケットとホテルの手配を旅行社にお願して、あとは現地に行って自分で廻ってみよう、遠い所はホテルなどで企画しているツアーなに参加すればいい、と思っていた。
四月二十九日(水)
成田発十六時三十五分のUAで北京に向かうため、YCAT十二時五分のリムジンバスに乗り込む。毎回思うが出発の四時間前には家を出なければならないのが辛い。今回はゴールデンウィーク真っ只中なので道路と空港が込み合うことを考慮して五時間前に家を出た。
そんな時に限って道路は空いていて、なんと成田空港まで一時間しかかからなかった。出発まで四時間もどうやって時間を潰そうか…。
まずはUAのカウンターでチェックインして、荷物を預け身軽になった。第二ターミナルならお店が沢山あるので退屈しないが、UAは第一ターミナルだったのでお店も少ししかない。どうせなら免税のお店を見た方がいいと、税関を通った。免税店も規模が小さく、あっと言う間に見尽くしてしまった。それでもここぐらいでしか時間潰しが出来ないので、化粧品を買ったり、スカーフを見たりしていた。
やっと出発の一時間前になったので、ゲートの待合所まで行く事にした。
ゲートの待合所にはやはり中国人が多く、次にちょっと変わった日本人(ツアーのお客はいないようで、個人で行っちゃうような中国かぶれのような人達)と欧米人がチラホラといた。
もしかしたら関係会社の知っている人がいるかも、と見まわしてみたがいなかった。
時間になり飛行機に乗り込んだ。窓側の席は取れず、しかもスクリーンの目の前の席。隣には赤ちゃんを連れた若い夫婦。
食事が始まり映画が始まった。映画は「ホームアローン3」で字幕は中国語、英語と日本語はチャンネルで分けられていた。
母は食事を終えて、YCATで購入した北京事務所へのお土産の雑誌を読んでいたが、いつの間にか眠りに入っていた。きっと食事の時の赤ワインが効いたのだろう。
映画を見ているとスチュワーデスが食後のお酒を持ってきた。映画を見ながらお酒を飲むなんて飛行機の中ぐらいしか出来ないので、どれとはなく選んだ。結構甘いブランデーだった。
映画が終わり北京空港に着いた。
十三年ぶりに来た北京だがその時とはまるで違っていた。
それは良くなっていたのではなく、殺風景になっていたのだ。それに強烈に印象に残っていたお香の匂いも無い。
荷物を受け取り、外に出た。
空港の時計を見るのが恐かった。それは飛行機の中で気づいたのだが、時差があったのだ。
八時に王さんのお兄さんが迎えに来てくれるはずになっていたが、私は時差(日本よりも一時間遅い)のことを忘れていて、今は七時。
電話をかけた方がいいと思い、公衆電話を探した。空港の待ち合いロビーには公衆電話が見当たらない。歩き回ってみると、人だかりする場所があったので覗き込むと電話があった。
それはホテルの部屋にあるようなプッシュホンで、かけた時間によって料金を請求されるものだった。だから、かけれるのは市内に限られていて料金は最低三元。
中国元が全く無いので両替をしようと銀行を探した。
銀行は荷物が出て来る所の横、すなわち飛行機から降りてきた人しか両替が出来ないようになっている。一度外に出てしまったので、恐い顔をした太っちょの係員に両替をすることを話して中に入れてもらった。
すごい人の列。
しかたなく並んでみたが一向に進まない。十分ぐらい並んだが一歩も進まなく、途方に暮れていたら、ふと思い出した。
そうだT社長から二百元と五角を貰ったんだ。
列から離れ、再び電話をかける所に行った。
順番が来て、ダイヤルを押す。
「こんにちは、私はjiaziと申します。王さんはいますか?」
と中国語で言った。
無言のまま、しかし、受話器の向うで何か話している声は聞こえ、しばらくして王さんが出た。
「えっ、jiaziさんですか?今どこですか?」
「今、北京空港なの。時差を忘れていて一時間早く着いちゃったの。」
王さんは
「私は今出ようとしていた所です。じゃぁ、すぐ行きますね。」
それから三十分ぐらいして王さんが来てくれた。
お兄さんに簡単な挨拶をして車に乗り込んだ。外は真暗で町並みは見えない。
やがて市内に入り、ネオンが見え始めた。ケンタッキーやマクドナルド、その他の飲食店などの看板が眩しいくらいに光っている。車の数も東京と変わらなく多い。
この時初めて中国も変わったと感じた。
天安門広場の近くになると、明後日に控えたメーデーの為の飾り付けがきれいに光っていた。
中国ではメーデーはお祭りで、会社も休みだそうだ。
王さんに空港から電話した時、誰が出たのかを聞いたら、王さんの甥子さんで
「なんかわかんないこと言ってるぅ」
と言って王さんに代わったのだと言われた。
(あ~、あんな簡単な会話さえも通じなかったのか)とショックを受けながら、これからの六日間をどう過ごそうか不安に思った。
すると王さんが
「明日はどうするんですか?」
と聞いてくれて
「特に決まっていなくて、ホテル周辺をぷらぷらしようかと思っているんだ」
と言うと
「じゃぁ、一緒に天壇公園にでも行きましょうか」
と言ってくれた。
私は王さんのせっかくの帰郷を邪魔したくなかったので断ったが、王さんの友達も来ていて、
「どうせ行くから一緒に行きましょう」
と言ってくれた。
うれしい!
ちょっと肩肘をはってみたけど、やっぱり不安だし、王さん達にもそんなに負担にならないようだから、と明日は一緒に行動してもらうことにした。
王さんが
「本当は今日、礼平さんが空港に迎えに行ってくれるって言っていたんですよ。でも急に出張になって行けないって電話がありました」
と言った。
礼平さんは王さんと同じく、元BKBの社員だった。礼平さんとはよくハイキングへ行ったり、勝浦に泊りに行ったり、豊洲の職場ではたまに中国語を教えてもらったりしたのだ。
迎えに来てくれようとしてくれたその気持ちだけで感激だ。
私は礼平さんが中国に帰った時から、連絡も取っていなかったのに…。
ホテルに着いて王さんのお兄さんに、王さんのお姉さん、甥子さんに、もちろんお兄さんにと持ってきたお土産を渡し、チェックインをして別れた。
ポーターさんに部屋を案内してもらい、電気の点け方やお湯の出し方を教えてもらった。
するとバスタブの栓の調子が悪く、水が流れない。
「部屋を変えて欲しい」
と言うと、
「修理するから」
と言われ、仕方なく承知した。
暫くして修理の人が来て直してくれた。
一応直ったが、きっとまた調子悪くなるだろう。
早速バスタブにお湯を溜め、入ってみるとやはりお湯が流れない。それはそうだろう、お湯の圧力がかかり空の時よりも難しいはずだ。
仕方なくボールペンの後で栓を開け、お湯を流した。
これから六日間もあるのに…。
まぁ、駄目で元々、明日時間があったら部屋を換えてくれるよう頼んでみよう。
四月三十日(木)
七時のモーニングコールと自分で持ってきた目覚し時計で目が覚めた。
少し肌寒い。
窓から外を見ると曇り空だった。
着替えと化粧に一時間、食事をして戻ってきて歯を磨くので一時間。母が一緒なので余裕を持って行動しようと思ったのだ。
しかし、それでも時間が足りず、九時の待ち合わせ時間ギリギリになってしまった。
母は「もっとゆっくりしたい」と言ったが、私は王さんを頼りにしているので、一緒に行動しようと必死になっていた。
今日の日程は私達が泊まっているホテルで待ち合わせをして、天壇公園に行く。
王さん達が来て天壇公園まで歩いていくことになった。ホテルから歩いて十五分ぐらいだそうだ。
賑やかな路地を通り、途中道を聞きながら向かった。
リヤカーで野菜などを運んでいる人、自転車の荷台に鶏を入れた籠を取り付けて走っている人を見ながら、ごみごみとした路地を歩いていると中国を感じる。
天壇公園の前まで行くと、既にチケット売り場は人の山だった。
料金は三十元。
以前は中国人と外国人の料金は二倍近く違っていたのだが、最近の中国は外国人の観光に目を向けて、もっと外国人を呼び、外貨を稼ごうとしているようで、外国人も中国人と同じ金額になったのだった。
入り口ではあの有名な山査子(サンザシ)の串刺しが売っていた。食べてはみたいのだが朝食を済ませたばかりなのと、やはりちょっと不衛生な感じがして、買うまでには至らなかった。
中に入るとまっすぐに伸びた広い道が両脇の芝生と大きな木々に囲まれている。
広い!
そして綺麗だ。
ゴミなどひとつも落ちていない。
ここ天壇公園は皇帝が天と交信した場所と言われている。
出口を出ると自転車やバイクに焼きいもを乗せたやきいも屋が私達を待ち構えていた。焼きいもなら皮が付いているし皮を食べなければ良いだろう、と四人でひとつ買うことにした。焼きいもやお兄さんは天秤の秤を使って王さんに確認させながら金額を言う。しかし、王さんは焼きいもやお兄さんの言い値を負けさせて、一元五角になった。私が二元を払うとその焼きいも屋のお兄ちゃんはお釣を返そうとしないで行こうとした。私も五角ぐらいいいや、と思ったが王さんは許さなかった。大きな声で焼きいもやのお兄さんを呼び止めた。焼きいも屋のお兄さんはブツブツと文句を言いながら、お釣を返してくれた。やはりズルはいけないのだ。外国人には値段を吹っかけるので言い値では買ってはいけない。
時間がある時は値段交渉も楽しい。
しかし、値段を交渉しながら買い物をすることはエネルギーがいる。楽しい旅行の貴重な時間を使って、ほんの少し負けさせて価値があるのだろうかとも思う。
焼きいもは甘いが水分もあり、ビチャビチャした感じだった。
焼きいもを食べ終わるとバスに乗って北京動物園に向かった。
バスは「公共汽車」と言い、二台の車両を連結したものだ。
バスの番号を見て乗るのだが、これがまた恐い。
乗降口が全部で四つあり、バスが止まると我先に乗ろうと人が群がる。数少ない座席に座るためだ。
バス代は五角。しかし、キップを買うタイミングがわからなかった。
本来はバスに乗った時にキップを買って、席に着く。しかし、席に座るのだったらキップは買えない。
まぁ、降りる時までに買えばいいだろうと思っていたが、そうでもないらしい。乗る時も恐怖なら、降りる時も恐怖。
それはバス停で乗って来る人が席を取ろうと我先にと乗り込むらしいので、運が悪ければ、降りれないこともあるようだ。
そんな事を知らなかった私達を心配して、阿部さんはせっかく座った席を犠牲にしてキップを買ってくれた。
バス停ごとに人が乗ってきて、あっという間にギュウギュウ詰めになってしまった。
途中で昼食を食べることになっていたので降りる準備をする。
降り口の所で待機していないと乗って来る人達に押されて降りられなくなってしまうから。
王さんの後について、なんとか無事降りることができ、食事の場所へと向かった。
店は立派なビルの地下に入っていた。点心料理らしい。
本来中国で言う点心とはお菓子の意味なのだが…。
点心が好まれるのは色々な料理を少しづつ食べることが出来るからだ。本場の料理を美味しく楽しく食べ終え、動物園へと向かうため地下鉄に乗った。
地下鉄は一人二元でどこまでも乗れる。時間帯のせいか電車はそんなに混んでなく、二、三駅過ぎると座れた。
動物園の最寄りの駅「西直駅」で降りたが、だいぶ地下深い駅だったようで、地上に出るまでが大変だった。エスカレータが人が乗りすぎたようで途中で止まってしまった。私達は階段で地上に上がった。
駅を出ると方向がわからず、人力車で人待ちしているおじいさんに道順を聞いた。
おじいさんの言ったとおり進んだが、行けども行けども動物園には着かず、三十分以上は歩いただろうか。後で聞いた話では駅から動物園までは二キロ以上あったらしい。
動物園に着いた頃には足が棒になっていて、早くどこかに座りたいと思った。
以前、王さんとハイキングへ行った時は王さんより私の方が体力、持久力、忍耐力は上だったと思ったが…。
しかし、ここ二年以上一緒にハイキングは行ってなく、いつの間にか王さんの方が上になっていたようだ。
王さんはまず何を見ようか、と聞いてきた。私はどこかに腰掛け休みたかったが、休めるような場所もなかったので、
「猿山へ行き、その後パンダを見よう」
と言った。
どこの動物園に行っても、猿山は面白い。
日中、夜行性なのかまったく動かない動物も多いが、猿はひっきりなしに動いているので何時間見ていても飽きない。
猿山へ行く途中、孔雀のソーンを通った。大きな孔雀が羽を広げまるでモデルの様にゆっくりと一回転していた。
猿山に着くと、そこには冬毛が抜け落ち、少しみすぼらしい猿達が投げ込まれたスナック菓子や果物を食べていた。私の想像していた猿山とは違っていた。
その後、ライオン山に行ったが、ちょうどメスが子供を産む時期らしく見ることはできなかった。
次に本場中国のパンダを見ようとパンダゾーンへ行った。
館内には子供のパンダが昼寝の最中でピクリともしなかった。
外の囲いの中にはドロで汚れた三頭パンダがいた。
一頭は木の上で昼寝をしていて、他の二頭は遠くでゴロゴロしていた。これじゃ、日本のパンダと変わらない、と言いながらも見ていると、飼育係のおじさんが出てきて一声かけた。
「元気か」と言ったのか、それとも「もうすぐご飯だよ」と言ったのか、その一声に三頭ともすぐ反応して、おじさんの方へと寄って行った。
木に登って昼寝をしていたパンダさえも、いそいそと木から下りてきておじさんの方へと向かった。
すごい!
日本のパンダも飼育係の人に対してはこうなのだろうか?
再びパンダ館の中に入ると、ちょうどその飼育のおじさんが子供のパンダにブラシをかけているところだった。人間の子供みたいにおじさんにじゃれていてかわいい。日本の動物園でも飼育係の人とのコミュニケーションの場を公開してくれたら良いのに…と思った。
帰りは来る時の歩きに懲りてタクシーに乗ることにした。しかし、帰る時間が悪かったのかタクシーがつかまらない。
今日の夜は、王さんは友達の誕生日会があるらしく、私達は北京事務所のIさん、森本さん、そして駒先生と食事をする約束になっている。待ち合わせの時間が刻々と近づいてきた。十五分ぐらいタクシーを待ってみたが、まったくつかまらないのでバスに乗ることにした。
またまた恐怖の二連結バスに乗るのだ。しかも、今回は王さんと阿部さんは途中で降りてしまう。
王さんは車掌のお姉さんに、私達にホテル近くのバス停に着いたら教えてくれるよう、頼んでくれた。
王さん達が降りてから、パスには二十分以上乗っていた。たぶんバスの路線は複雑で遠回りになっているのだろう。待ち合わせ時間の五時三十分ギリギリにバス停に着いた。
ホテルを通り越して二百メートルぐらいの所にバス停があったので、だいぶ戻ることになった。ホテルまで早足で歩き、ロビーに着くと、既に駒先生とIさんが待っていた。
簡単に挨拶をして、荷物を置きに一旦部屋に戻った。三人へのお土産を持ち、再びロビーに行くと森本さんも来ていた。お土産を渡し、さぁ食事に行こうとした時、例の事を先生に話した。そう、部屋を換えてもらいたいこと。
先生は快く引き受けてくれた。早速、今日食事から帰ったら換えてくれるそうだ。安心して食事に出かけられた。
お店は今北京で流行っているチェーン店で、野菜や魚、肉などの材料を選んで好きな方法で調理してもらう所だった。魚は水槽を泳いでいるし、野菜も新鮮そうだ。
これならベジタリアンの先生も好きな料理を頼めるだろう。
料理が順番に出てきた。
ここはアヒルが看板になっているお店で私達もアヒルの丸焼きを頼んだ。Iさん曰く、
「脳みそを食べないと…。」
中国では猿の脳みそ、ヨーロッパでは羊の脳みそを食べると聞いたことがある。蟹みそも珍味だし(これは脳みそでは無いか…?)きっと美味しいのだろう、と食べてみた。アヒルの頭は鶏の卵を二廻りぐらい小さくした大きさで、その中にある脳みそは小指の先ぐらいもあるかないかだったので味わうまではいかなかった。しかし、少しでも食べたことには変わらないので一応Iさんの面目もたっただろう。他にも知らず知らず、注文していたようで、テーブルの上に乗り切れなくなってしまった。あまり美味しくない料理はすぐに下げてもらったりしたのだが、それでも食べきれない。中国では食べきれない時の為に、どのお店にもテイクアウト用の入れ物を用意してある。食べ物を無駄にしないし、ゴミも出ないし、良い事だと思う。
私達の食べきれなかった料理もテイクアウトできるように入れ物をもらって、森本さんに持ち帰ってもらうことにした。
話の途中で、Iさんは四日に私達の買い物に付き合ってくれると言ってくれた。四日の午後に私達は北京事務所で待ち合わせることにした。
食事の帰りはお店の前でタクシーを拾おうとしたが全然つかまらず、ならばと夜の街を少し歩くことにした。
場所は王府井の中だったのでお店が色々とあり、賑やかだった。
途中の通りには左右ぎっしりと夜店が並んでいたのでそこを覗いてみることにした。食べ物屋の出店で点心やうどん、お粥、それにサソリのから揚げなどもあった。庶民的な食べ物なのだろうか。
夜店通りを通り抜けた所でタクシーをつかまえてホテルへと向かった。
ホテルに着いてフロントで、部屋を換えてもらうことになっていると話した。
新しい部屋番号は三〇四四号。クローゼットにしまった洋服なども移さなければならないので大変。
しかし、これからの滞在を考えると大したことはない。エレベータホールを挟んでの部屋で約五〇メートルぐらい離れている。
まず、先に三〇四四号の部屋を確認した。
水はちゃんと流れるか?
今度はバッチリだ。それではと、移動を開始した。
部屋の移動を済ませ、崔さんへ電話をかけた。
明日の待ち合わせ時間を決めるのだ。
今日は非常にハードな一日だったので明日は十時にしてもらうことにした。
崔さんは三日にも故宮を案内してくれると言ってくれた。そんなに悪いと言ったら
「休みだから大丈夫です。」
と言ってくれた。本当に感謝する。母も感激して鼻を赤くしていた。
電話を切ると、またすぐにベルがなった。誰からだろうと思いながら出てみると、なんと礼平さんからだった。
(何故このホテルに泊まっている事を知っているの?あぁ、王さんから聞いたのか。でも、出張中じゃなかったっけ?)
そんな事が頭をよぎった。
礼平さんの話を聞くと、今出張から帰ってきたばかりだそうだ。
「空港に迎えに行けなくってごめんなさい」
なんでそんなに優しいの。うぅぅっっ…。つくづく良い友人に恵まれたと思う。
そして私達の旅行の日程を聞いてきて
「では、三日の故宮を崔さんと一緒に案内します。崔さんには僕から電話します」と。
礼平さんに逢えるなんて思ってもいなかった。
結果的に全ての日程に誰かしら案内くれることになった。
旅行社のツアーに参加しなくて良かったとつくづく思った。
五月一日(金)
今日はメーデーで中国は祭日。
テレビもまるでお正月のような番組を朝からやっている。
たまたま見た歌番組の司会にレンホウが出ていた。そうか、彼女は今、中国に住んでいるんだっけ。なにげなくそのままテレビを付けていると、なんと懐かしの渡辺真知子が出てきた。そう言えば日本でも最近なんかの歌番組で見かけていた。もちろん、唄った歌は「かもめが飛んだ日」だ。
今日は崔楨宇さんが頤和園を案内してくれる。ホテルのロビーで待ち合わせをした。
昨日は歩き疲れたので、今日は十時に待ち合わせをした。
しかも車だし、楽な気持ちで出かけられる。
ロビーで半年ぶりに崔さんと会った。
崔さんは去年の十二月に仕事で日本に来て、その時、一緒に食事をしたのだ。しかし、逢う所が違うせいか、それとも崔さんの髪型が変わったせいか、なんとなく違う人のように感じた。
隣には御主人の戴さんがいた。背が高くて格好良く、優しそうな人だ。
それでは、と戴さんの車、ワインカラーのシトロエンに乗り込み、頤和園へと出発した。
頤和園は郊外にあり、市内から車で約一時間。頤和園までの道はとても混んでいた。
切符売り場も混雑していた。戴さんは私達をそこで降ろして、車の駐車場所を探しに行った。果たして駐車場所があるのだろうか?
切符を買ってしばらくすると戴さんが戻ってきた。優しそうな人で良かったと思う。
頤和園の中に入ると、あちらこちらがフォトポイントで、戴さんが写真を撮るように勧めてくれる。やはり思い出になるので写真は撮っておこうとシャッターを押す。
頤和園は別名「サマーパレス」と呼ばれ、昔の皇帝の離宮だった。広さは二百九十haでそのうち3/4は湖だそうだ。
「長廊」と言われる湖に沿った廊下を通ると、湖から涼しい風が吹いて汗が一瞬に引っ込んだ。自然を上手く利用していると思う。この長廊の梁や柱には故事や歴史の絵が描かれている。崔さんがこの絵の説明が書かれている本を買ってくれた。
昼食は途中の売店で簡単な食事にした。しかし、中国四千年の歴史を感じさせる深い味わいだった。食事が終わって、いよいよ頤和園のシンボル的な建物、仏香閣に登る。
蘇州街は皇帝のお買い物遊びの為に造られた街で、昔の女性の靴の形をしたお金が使われている。
似顔絵描き屋や鼻煙草屋、印鑑屋などがあり、賑やかだ。お茶屋もあり、そこではお菓子のお茶が飲める。
私は去年、杭州へ行って以来、龍井茶が好きになった。
龍井茶は毛沢東が好んで飲んだと言われるお茶で、百グラム百元はする高級茶だ。中国茶はジャスミン茶と烏龍茶、鉄観音ぐらいしか知らなかったが、杭州へ行ってこの緑茶と出会ったのだ。
お茶屋には龍井茶、蘇州花茶、茉莉花茶(ジャスミン茶)などがあり、好きなお茶を選ぶことができる。
初めは龍井茶を選ぼうと思ったが、ここは蘇州街、それに「蘇州花茶があるよ」と言われ、せっかくだからと蘇州花茶にした。
蘇州花茶は蓋付きの湯飲みにお茶の葉そのままが入っていて、蓋をちょっとずらして飲む。飲んでみると龍井茶と同じ味の緑茶で美味しかった。
近くには大きなやかんが置いてあって、各自でお湯を足しながら飲むのだ。一杯のお茶で何杯も楽しめていいと思う。そして何故か何杯飲んでもお茶の味が続いていた。お菓子も中に餡が入っている包子なのだが甘さ控えめで美味しかった。
夕食は崔さんの実家に招かれた。
優しそうなお父さんとお母さん、なんとなく似ている妹さん、叔母さん、それに従姉妹まで来ていた。みんな歓迎してくれた。ゆっくり話せば会話できるのだが、中国人はもともと早口なのか、私があまり話せない、理解出来ないと解っていてもゆっくり話そうとはしてくれなかった。崔さんがいないと話が通じないので得意の変な笑いでごまかす。
それでもお父さんは、
「今日は何処へ行ったのか?」
とか、
「いつからいつまで中国にいるのか?」
とか、
「明日は何処へ行くのか?」
とかを聞いてくれた。
私は
「今天去了頤和園」
「从二十九日倒五月五日」
「明天打算去長城」
などと短文でしか答えられなかったが一生懸命話した。。
もっと話ができれば良かったのにと思った。
帰ったら会話を中心に勉強しよう。
そんなことを考えているうちに食事の仕度が出来た。
トマトの砂糖がけ、きゅうり、他に二皿の料理とメインの水餃子。
お父さんがわざわざ天津で買ってきたと言う黒酢で食べた。日本の酢とは違ってツーンと鼻に来ないし、少しトロリとしたお酢だ。
あっと言う間に八個ぐらい食べてしまった。まだ後から後からとお湯から上げたばかりの餃子が出て来る。既にお腹はいっぱいになっているのだが、美味しいのでまだまだ入る。お父さんは二十五個食べたと言い、妹さんと従姉妹はいつもなら二十個以上は食べると言う。餃子の時は餃子が主食になるのでご飯は食べないそうだ。それと中国人はいつでも餃子を食べているように思っていたが、餃子はお客さんが来た時とか何かお祝い事があった時などに作って食べるそうだ。餃子は手間がかかるからだろうか?
お腹いっぱいに餃子を食べ終わると、今度は「黒米で作ったお粥があるから」と言われた。お腹はいっぱいだが、黒いお米で作ったお粥とはめずらしいので少しだけ頂くことにした。見た目はお汁粉の様で食べてみるとさっぱりとしている。崔さんはこれにお砂糖を入れて食べるそうだ。きっとお汁粉と同じような味になるのだろうと思う。中国でも黒いお米はめずらしく、栄養もあるらしい。食事の時に出してくれたジュースがアンズの種?のジュースで乳白色のものだった。飲んでみるとなんだか懐かしい味がする。よくよく思い出してみたら、杏仁豆腐の白い寒天の味だ。
崔さんは
「だって杏仁豆腐の杏仁は杏仁と書くでしょう。」
ああ、言われてみればそうだ。ちゃんとそういう名前がついていたんだと納得した。
私はこの時初めて知ったのだが、仁とは杏や桃などの種の中にある柔らかい種のことらしい。そんなのがジュースになるなんて、驚いた。
食事が終わって一息すると、今度はスイカを出してくれた。
本当はまだスイカの季節ではないのだが、私がスイカを好きだと知っていて、わざわざ探して買ってきてくれたそうだ。よく憶えていてくれたとまたまた感激した。
味はまだ若く、甘くなかったが、気持ちがうれしくて特別の味に感じられた。
五月二日(土)
今日は王さん達と万里の長城へ行く。
お兄さんが車の運転をしてくれる。
「普通なら一時間半ぐらいで行けるけど、今日は土曜日なので二時間ぐらいかかるかもしれない、トイレは大丈夫?」
と王さんが言った。
昨日頤和園へ行くときも渋滞していたし、一日はメーデーで休みで今日明日は土日で三連休の会社が多いそうだ。その真ん中の日なのだから渋滞するだろう。
車は崔さん家の車と同じシトロエン。色はシルバー。
中国の交通は難しい。もちろん信号などはあるけれども、追い越しや割り込みが多く、とても私には運転できないだろう。そんな渋滞している道を少しづつ万里の長城へと向かった。
気がついてみると時計は十二時を廻っていた。
ホテルを九時に出てから既に三時間。
お腹は空いていないし、喉も乾いていないが、車に乗っているのが厭きはじめてきた。
景色が全く変わらないのだから面白くもない。
中国にもこんな渋滞があるのだと初めて知った。それは最近、自家用車を持つ事がステータスになっているらしく、休みの日は家族で郊外へ出かける事が多いかららしい。
前の車が全く動かないので、運転している人が車から出てきて、お互い知らない人同士だが話をしたり、伸びをしたりしていた。
日本ではいくら渋滞していてやることがなくても隣の車の人と話しなんてしない。
日本人は何故か警戒心をもっているようだ。
私達も車から出て写真を撮ることにした。渋滞の道路を背景にした写真も良い思い出になりそうだ。
そうこうしていると前の方の車が動き出し、慌てて車に乗り込んだ。どの車も我先に、少しでも先に行こうと、隣の車線が空くとすぐ車線変更する。私から見れば大して変わりがないと思うが…。こういう無駄な車線変更が渋滞の原因になっているのかもしれない。
前方に城壁が見えてきた。
しかし、それは八達嶺の城壁ではなかった。
このままだと何時に着くのだろう。あと五分で一時になる。
まだまだだとは思うが、いくらなんでも二時には着くだろう、と思ったが口に出すのが恐かった。
少し進んでは暫らく止まり、の状態を何度か繰り返し、やっと目の前に八達嶺が見えた。
既に、車に乗り厭きて道路を歩いて八達嶺に向かっている人達がいる。
王さんが
「兄はいつも来ているので、私達は車を降りて歩きましょうか?」
と言った。
「えっ、そんなに近くなの?でもお兄さんも一緒じゃないと…。せっかく一緒に来たんだし、後で逢おうとしても逢えなくなっちゃうよ」
と私と母が言った。
そうだ、あと少しの辛抱だ。目の前に見えているのだから…。
しかし、その思いはむなしく、時計は二時を指していた。
暫らくして、私は王さんに
「まだまだかなぁ」
と突然、聞いた。
母は
「何言ってるの?みんな我慢しているんだから…仕方ないでしょ」
と子供をなだめるように、また、半分あきれて言った。
そうじゃない、トイレに行きたいのだ。もう限界。
十二時頃から行きたいな、と思い始めたけど、まさか二時を過ぎるとは思っていなかったから…。もう少し、もう少しと思っていたからギリギリの今まで言えなかった。
現在地は大きな橋の上で、もちろんトイレも無いし、隠れてできる場所さえも無い。
今まで男の人が二人一緒だったので、トイレに行きたい、なんて言えなかったのだ。だけど、もう限界。
王さんに
「トイレに行きたいの」
と言うと、やはりよっぽどの事だと思ってくれたらしく、すぐにお兄さんに言ってくれた。お兄さんは困惑した様子もなく、すぐに割り込みをしながら少しでも早く、と車を走らせてくれた。橋の終わりはトンネルになっていてこれを越えると八達嶺だと言う。
しかし、トンネルの約二百メートル手前でまたまたストップ。
王さんと私は車を降りてトンネルの横にある山まで走った。気持ちは走っているのだが、もう歩くのも大変なぐらいだった。山に入ると、やはり同じように我慢できなかった人達があちらこちらの場所で用を足していた。
王さんに
「そこでどうぞ」
と言われたが、やはり人前ではできない。
たまにトイレを我慢していると、トイレに行きたくなってトイレに入るがそのトイレは汚かったり、ドアがなかったりしてどうしても用を足すことが出来ない、という夢を見ることがあった。
これも夢じゃないかと思ったがどうやら現実。
仕方なく山の上のそのまた上に登ってすることにした。山の上だからもちろん車が渋滞している道路も見渡す事ができるし、少し下の方で用を足している人達も見える。向うからは見えているのか?
しかし、限界もとうに過ぎていて、「これもきっと良い思い出になる!」と自分に言い聞かせながら用を足した。そうだ、公衆トイレより遥かに気持ちがいいんだと自分に良い解釈をする。
用を済ませて爽やかな気持ちで車に戻った。すると車はすぐに動き、十分もしないで長城に着いた。
さて、ここからはまた別な問題が発生。
駐車場がない。
結局、駐車場がなくお兄さんが車で待つことになってしまった。
せっかくここまで来たのに…。
時計を見ると三時を廻っていた。なんと六時間以上もかかってしまったのだ。
お兄さんに申し訳なく思いながらも、四人で長城へ向かった。
入り口までの道で、山査子やブドウの干したものを売っていた。食べてみたいのだが、衛生的でないので買う勇気がない。
まだまだ中国を好きな気持ちが足りないのだろうか?
歩いているとケンタッキーがあった。万里の長城へまでも進出しているのか。
ケンタッキーでも良かったのだが、普通のレストランに入った。時間が無いのでラーメンを頼むことにした。
坦坦面(麺)、タンメン等を注文して、みんなで少しづつ食べることにした。
値段は平均十二元。高い。それに美味しくない。やはり観光地は高くて美味しくないのだろうか。
美味しくないと言いながらも食べ終えてお店を後にした。
既に陽は西日になっていた。
入場券を買って長城へと登っていく。
さて、今回は右と左のどちらにしようか?
昔聞いたのは右は女坂、なだらかな傾斜だが距離がある。左は男坂、距離は短いが急な傾斜。
どちらが良いか。
母も一緒なのと、前回は男坂だったので今回は右の女坂を登ることにした。道路も渋滞したが、長城も渋滞。
まるでバーゲンセール中のデパートの様な人込みだ。ちょっと目を離すと迷子になってしまう。まだ明るいうちに写真を撮ろうと男坂をバックに立つ。今まで色々な場所で写真を撮ったときもそうだったが中国人は自分の知らない人がレンズに入ることをすっごく嫌う。私は観光地なのだから周りに人がいるのは仕方ないし、それも景色のひとつだと思うのだが…。
やっとの思いで写真を撮り、いよいよ登りはじめる。初めはなだらかで周りの景色を見ながら、おしゃべりしながら登った。
王さんは十年ぶりに長城に登ったと言う。
王さんに
「左右どちらに北京があるかわかりますか?」
と聞かれた。
左の城壁から下を眺めるとまだ渋滞している道路が見えた。
「こっち?」
と聞くと当たっていた。
しかし、そんなことをしないで一目瞭然に区別がつくと言う。
左右にある城壁は敵側と味方側とで高さが違う。
左側の城壁は私の胸あたりの高さで、しかも平ら。右側の城壁は凸凹になっていて高い所は二メートルぐらいはあるだろう。低くなっている所から敵に向かって鉄砲で攻撃したらしい。
突然、急な斜面になり、少し進むと今まで以上の斜面になっていて、そこは階段になっていた。その階段も奥行きが少なく、左右にある手すりに掴まりながら登らないと恐いくらいだ。それなのに登る人もそれぞれで、ヒールの付いた靴で登っている女性もいた。きっとお洒落をしてきたのだろう。
今日は天気が良いので遠くの山々まで見える。中国の広大な大地を伺うことができる。
いつのまにか母と手をつなぎながら、世界遺産の万里の長城を歩いている。なんと感動的なことだろう。
帰りの高速道路はスムーズで早かった。それでも二時間ぐらいはかかったのだけれど…。
王さんのお兄さんと王さん達と一緒に食事を取ろうと思ったが、お兄さんは奥さんとお子さんが家で待っているだろうから、今日はこのまま別れることにした。
ホテルに帰って背中のリュックを降ろすと、いままでの緊張が取れて、少しお腹が空いてきた。別に食べなくても良いのだけれど、まだ八時を過ぎたばかりだったのと、ホテルの周りを少しも知らなかったので、散歩がてらに歩いてみることにした。
持っていたガイドブックの地図を握り締め、ホテルを出た。やはり日本の街とは違って薄暗い。
途中で楽器と踊りの練習をしている団体があった。中国の特長とも言える周りの取り巻きをかき分けて覗いてみた。中年のおばさん、おじさんで結成されているようだが迫力がある。
しばらく見ていたが特に面白くなかったので、そこを後にした。瑠璃廠が近くにあるはずなので、信号待ちをしている家族に聞いてみた。
「瑠璃廠在 ?」
「瑠璃廠在那儿」
と答えてくれた。
このまま、まっすぐ行けば瑠璃廠に行くらしい。しかし、道は暗く、両サイドにある店はほとんど閉まっている。閉まりかけのコンビニみたいな店に入ってみた。
石鹸や歯ブラシ、お菓子、パン、ラーメン、アイスキャンディー、ペットのえさまで売っていて、やはりコンビニなのだと認識した。
特に買う物はなかったので、一通り目を通して店を出た。
もう少し先まで歩いてみよう、と進んでみたが、屋台の果物屋さんぐらいしかなかった。だんだんと薄明かりも無くなりだしたので、引き返すことにした。
せっかくだから今度は反対の道を歩いていると、明るい店作りの「天津包子 家常菜」の看板が目に入った。
続く。。。
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