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串本・太地・紀の松島・那智の滝・熊野三山・熊野の古道(2024年5月3日~4日) 6
敦賀半島・中池見湿地・池河内湿原と加賀の旅(2022年5月) 5
安曇野ちひろ美術館・安曇野散策・無言館(2019年5月21~22日) 4
志度・屋島・高松・琴平・善光寺・丸亀城・銭形・父母ケ浜(2019年5月3~4日) 7
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阿波と土佐の旅 最後は安芸の野良時計です 【5月4日】国道55号線。吉良川を出てからほどなく渋滞に巻き込まれ…。安芸に到着した時は、予定より40分あまり遅れていました。安芸の野良時計_01 posted by (C)きんちゃん武家屋敷や、伊尾木洞なども見る予定でしたが、とてもそんな時間はとれない。しかたなく、野良時計だけですませました。安芸の野良時計_02 posted by (C)きんちゃん【野良時計の起源】野良時計の説明板 現地に設置されている説明板によれば、土居村(当時)の大地主の息子として生まれた畠中源馬氏は、明治20年(1887年)、アメリカ産の八角中の掛け時計を見て時計の仕組みに興味を持ちます。そして、源馬氏は、自ら時計を分解して研究し、時計の仕組みを独学で学び、そして自作の大時計を作る事を決意。彼は幾度つなく改良を試み、分銅から歯車までのすべての部品を、たった一人で作り上げたと言われます。つまりこの野良時計は、源馬氏の努力の賜物という事になります。 安芸の野良時計_03 posted by (C)きんちゃん【みんなの時計】野良時計周辺風景 当時は、時計がどこにでもある時代ではありませんでした。源馬氏が作り上げた時計は、近くで農作業に勤しむ人々に正確な時間を告げ、そして人々を静かに見守ってきたことでしょう。このような事もあって、今でもこの櫓時計は「野良時計」という愛称で、地域の人々にとってはもちろんのこと、全国的にも観光資源として親しまれています。また、平成8年(1996年)には、国の登録有形文化財にも指定されました。実は、時計の針は、向かって正面・右側・後ろと三面に付いているのですが、常に見る人を考えて、見やすい方向の針を動かしていたそうです。作った当初は、三面同時に稼動していたとも聞いています。(その後は一面のみ) 安芸の野良時計_04 posted by (C)きんちゃん【畠中秀雄さんと時計】野良時計遠景 平成16年(2004年)11月に、「120余年もの間動き続けた野良時計が止まった」という悲報が伝えられました。長年時計を守り、大事に管理し続けていた畠中秀雄さん(源馬氏の孫)が亡くなり、管理できる人が居なくなった為です。(この野良時計を動かすのは至難の業なのですね)その後、止まったままの状態が続きましたが、平成17年(2005年)6月10日の「時の記念日」にちなんで時計が動かされました。亡き秀雄さんのご家族が協力して、約7ヶ月ぶりに時計が動き始めたのです。以降、常に動いているとは限りませんが、豊かでのどかなまち並みに調和して静かに佇む野良時計は、120年以上の年月を経ているとは思えないほどの美しさで、思わず目を疑ってしまいます。町の人たちにとっては、今も昔も待ち合わせ場所であったり、目印であったり、もちろん時間を確認する時計であったりと、生活の一部になっているようです。話を伺ってみると、時計が止まってしまった時はやはり寂しかったといいます。けれど、この先もずっとこのままで、町のシンボルとして、観光資源として残していきたい、とおっしゃっていました。 町のゆったりとした雰囲気と、町の人々に愛され、人々を見守る「野良時計」。この雰囲気を味わいに、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?とても癒されますよ。【Web高知 野良時計】から僕が訪れた時も動いている様子ではありませんでした。訪れた時は午後5時を廻っていたのですが、時計の針はまだ午後2時前でした。時々、動いているという事ですので、今度は情報を仕入れてリベンジしてみましょうかね。安芸 火の見櫓 posted by (C)きんちゃん国道55号を南国市に向けて走り、南国ICから高知自動車道→川之江東JCT→徳島自動車道→藍住IC→県道1号→板野IC→高松自動車道→淡路鳴門自動車道と走りました。明石大橋の手前で渋滞に巻き込まれ、垂水JCTでそのまま第二神明に入るとそれこそ大変ということで、布施畑JCTまで走り阪神高速北神戸線に入りました。こちらは渋滞の問題なし。白川JCTから神戸山手線に入り神戸長田ICから一般道にでました。これが正解で、第二神明や阪神高速神戸線の渋滞に巻き込まれることなく帰れました。
2013年05月16日
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白壁と水切り瓦の吉良川の町並みを散策 【5月4日】重要伝統的建造物群保存地区となっています。色んな案内板がありました!吉良川の歴史吉良川町は室戸市の西部に位置し、室戸岬より約16kmほど国道を西に移動したところにあります。吉良川の主要な産品には近世から木炭と薪があり、特に明治期から昭和初期にかけて、良質の木炭の集積の地として繁栄しました。吉良川の伝統的建造物群の多数がこの時期に建築されており、現在の吉良川町の町並みは近代の経済的繁栄を背景に形成されました。町並みの特徴吉良川町の集落は、海岸に近い下町地区と、山側の上町地区で構成されています。下町地区には旧土佐街道の両側に切妻造りの町家が建ち並び、強い風雨から土佐漆喰の壁面を守る水切り瓦が美しい伝統的建築の町並みが見られます。上町地区では、江戸時代中期頃の方形に近い農家型の地割りで、周囲にいしぐろを巡らせ、上町地区の景観を特徴あるものにしています。その、白壁と水切り瓦の町並みを歩きます。煉瓦の壁の建物も残っています。以前の郵便局の建物です。南阿波や室戸地方の一部に残っている「ぶっちょう造り」です。塀に亀の彫り物がありました。山手の上町地区の「石ぐろの塀」です。吉良川のまちなみ館に立ち寄りました。御田祭御田祭は、鎌倉時代より天下泰平を願い、五穀豊穣を記念して、隔年5月3日に奉納される古式祭典行事で、田楽、猿楽など、古風な能楽を演じ、芸能史的に極めて重要な物として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。子供の産まれる場面もあって、子授けの祭りとしても有名です。秋の神祭秋(10月の第2の土、日)の神祭には町内から提灯で飾り付けた四つの花台や船が出され町中を練り進みます。夜になると花台は、御田八幡宮の境内に集まり、順番に激しく回転し、いよいよ祭りはクライマックスを迎えます。境内では花台の提灯の灯りが乱舞し幻想的な宵闇を満喫できます。【吉良川の特産品】施設野菜ピーマン、なす、ししこう、はすいも、すいかなどが栽培されている。やまもも花は高知県花。6月には暗紅色で甘酸っぱくおいしい実をつける。びわ日本一早い露地びわの産地。3月下司~5月頃まで黒目地区の国道沿いに店が軒を並べます。土佐備長炭ウバメ樫や青樫を原木に焼く白炭。黒炭よりも硬く火力が強く火も長時間もつ。ビニールハウス群西山大地や平野に並んだビニールハウスは大正時代、油紙から始まった長い歴史がある。【クリックすると大きい画面で開きます】吉良川の町並みを楽しんだ後は、安芸の野良時計を見に行きます。その途中で大渋滞に巻き込まれました。
2013年05月14日
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室戸岬展望台 隆起した室戸半島・ジオパーク 【5月4日】室戸灯台から室戸スカイラインをさらに走り、室戸岬展望台にやってきました。室戸岬の測候所が見えます。すぐそばには電波塔がありました。風力発電の風車もありました。【ジオパーク・室戸岬】平らな大地と急な崖室戸岬周辺の山を眺めると、急な崖とその上の平らな台地からなる階段状の地形が繰り返しているのがわかります。これは、大地が盛り上がる場所に特徴的な地形で、海成段丘といいます。スカイラインのヘアピンカーブはちょうどこの急な崖の部分にあたります。崖を登りきると平らな台地に出ます。海底地形もし太平洋の水がすっかり無くなると、起伏に富む海底があらわになります。すると、室戸岬の東海岸側は約1000mの急な崖をなすのに対して、土佐湾側はなだらかなことがわかります。室戸岬を囲む海太平洋に突き出た室戸岬の東西で、天候が全く異なることがよくあります。これは、波や風が室戸岬によってさえぎられ、岬の反対側に届かないためです。東西で異なるクジラ室戸岬周辺の海底地形は生物多様性に影響を与えます。比較的浅い土佐湾側はミンククジラやセミクジラ、陸から急激に深くなる東海岸にはマッコウクジラがそれぞれ生息しています。室戸岬展望台 案内_02 posted by (C)きんちゃん室戸半島は海だったの?海と陸が出会い、新しい大地が誕生する最前線。ジオパークは大地の公園。地球と人の関係をジ~ンと感じることができる場所です。大地の成り立ちを知り、大地の恵みを実感してください。約10万年前の海面 → 約6万年前海面 → 約3万年前の海面室戸岬展望台 案内_03 posted by (C)きんちゃん室戸岬展望台 案内_04 posted by (C)きんちゃん室戸岬観光マップ posted by (C)きんちゃん【クリックすると大きい画面で開きます】引き続き走り、国道55号線に戻り、白壁と水切り瓦の町・吉良川まで行きました。
2013年05月13日
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阿佐海岸鉄道、そして四国の東南端の室戸岬へ 【5月4日】いわゆる第三セクターの阿佐海岸鉄道の駅に寄ってみました。まず、JR牟岐線と連絡している海部駅。こちらはJR側。こちらは、阿佐海岸鉄道側。駅のホームだけ複線になっています。こちらは阿佐海岸鉄道の終点、甲浦(かんのうら)駅です。お遍路さんがバスを待っていました。終点の駅なので、線路が止められています。室戸岬に行く途中。夫婦岩に立ち寄りました。室戸岬に到着。夫婦岩では雨もちらつくお天気だったのですが、室戸岬までやってくると晴れてきました。最初に入ったのが、御厨人窟(みくろど)。弘法大師伝説のある洞窟です。昼食を済ませて、室戸岬の海岸を散策します。中岡慎太郎の像が目立ちます。室戸岬のタービダイト層です。タービダイト層(Turbidites)白(砂)と黒(泥)のシマシマの地層(ダービダイト)は、約1600万年前に深海にあった。室戸は千年あたり1~2m程度隆起し続けているため、深海の様子を身近で観察できる。隆起する地層は大きく傾いた。タービダイト層は、(1)河口付近に砂や泥が降り積もる、(2)砂や泥が地震や台風が引き金となって起こる土砂崩れや激しい水流によって深海に運ばれる、(3)深海に運ばれた砂と泥は、粗い粒の砂が先に海底に積り、後で細かい粒の泥が降り積もる、というできごとが何度も繰り返してできた。一枚の砂の層をよく見ると、下から上に向かって砂粒が次第に細かくなっていくようすがわかる。室戸岬灯台を見上げます。室戸スカイラインで、一気に灯台まで駆け上がります。四国霊場24番札所の、最御崎寺(ほつみさきじ)の参道です。お遍路さんたちが、たくさんお参りしていました。仁王門は、駐車場からは反対側にありました。この最御崎寺の奥に室戸岬灯台があります。室戸岬灯台~日本一の一等レンズ~四国の南東端に位置する室戸岬灯台は、明治32年(1899年)4月1日に完成しました。その後、昭和9年(1934年)の室戸台風と戦災、昭和21年(1946年)の南海地震で灯台のレンズが破損し修理を行いました。鉄造りの灯塔はほとんど被害はなく、建設当時の姿を残しています。光源は最初は石油を使用しておりましたが、大正6年(1917年)12月に電化されました。位置 北緯 33度14分50秒 東経 134度10分32秒光り方 単閃白色光の強さ 160.0万カンデラ光の届く距離 26.5海里(約49キロメートル)高さ 地上から灯台頭部 約15.4メートル 水面から灯火 約154.7メートル管理事務所 高知海上保安部 電話 088-832-7114さらに、室戸スカイラインを走りあがっていきます。
2013年05月10日
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民宿竹ヶ島で海賊料理、翌日は海中観光船・ブルーマリンで海底散歩・・・ 【5月3日~4日】宿泊先は民宿竹ヶ島です。駐車場です。自由に停めれます。宿はここからすこし歩きます。この路地を入ります。すると、民宿竹ヶ島が見えてきます。玄関には白いサンゴが並んでいました。夕食は午後6時からでした…。お魚とアワビのお刺身です。アワビにサザエ、マナグリに伊勢海老の海賊焼きです。伊勢海老はまだ生きていて、まさに「残酷焼き」でした。その他にも、イカなどがあって充実した海賊焼きでした。海賊料理を楽しんだ後はお風呂です。お風呂は、宿泊客がお互い譲り合って入りました。朝食も、みりん干しやしらすなど海の幸でした。チェックアウトの際に、海中観光船・ブルーマリンに乗ると伝えると、割引券を売っていただきました。通常1800円のところが1200円です。マリンジャムの建屋。民宿竹ヶ島のすぐそばです。ここでブルーマリンのチケットを売っています。受付でもあります。午前8時半ごろ、窓口が開いて受付をしました。僕の場合はすでに支払っているので、本来のチケットとの交換です。ここから乗船場は、徒歩で3分です。50人乗りの船です。午前9時定時に出航します。まずは湾内の案内です。生けすはマグロの稚魚をいれるものだそうですが、今の時期は何も入っていないそうです。この島、ウサギとカメだとか…。ガイドの案内を聞きながら、魚の案内も見ます。観察スポットに到着。いよいよ、船の底に下りていきます。船の底はグラスボートになっています。海底散策を終えて港に返ってきました。ガイドさんありがとうございます。最後に、宍喰と竹ヶ島とを結んでいる橋。今は普通の橋ですが、以前は吊り橋だったそうです。引き続いて、室戸岬に向かいます。その前に安佐海岸鉄道をちょっと紹介します。
2013年05月09日
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阿波の旅、引き続き南阿波サンライン、引き続く美しい海岸線を楽しみました! 【5月3日】今回のメインスポットの南阿波サンライン。しかし、昼から曇りがちのお天気になり、雨がちらつくことも…。それでも、時折、太陽が顔を出して、海を青色にしてくれました…。第一展望台からの眺めです。正面に見えるのが大島です。遠くに見えるのが、津島、小津島、それに出羽島です。南阿波サンラインを走っている途中。美しい景色があったので、車を停めて撮影…。この時は、太陽が出て青い海が戻ってきました。第二展望台から。第三展望台から。角度の関係でしょうか…。第二、第三展望台からも、大島がよく見えます。第四展望台までくると、メインは津島、小津島、出羽島です。曇りがちのお天気が、逆に功を奏して、まるで墨絵のような雰囲気です。南阿波サンラインを終わり、牟岐駅、海部駅をやりすごして国道55号をさらに南下。那佐湾の静かな海です。まるで淡路島の成ヶ島を思わせます。今日の宿、民宿竹ケ島に行くために国道55号から脇道に入ると、すぐに宍喰浦の化石漣痕があります。化石と言っても、生物の痕跡ではなく、砂の粒がうね状に堆積して、それが固まったものです。後で紹介する予定の室戸岬でもそうですが、南海トラフの押す力で、海底が押しあがり、ほぼ垂直状態になったものです。これほどの大きい規模で残っているのは珍しいそうです。その先には、美しい水床湾です。この脇には海賊料理のお店があります。さて、宿の民宿・竹ケ島はすぐそば。約束の午後5時には余裕で間に合います。
2013年05月07日
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阿波の国、阿波水軍の里・椿泊と四国最東端の蒲生田岬へ 【5月3日】連休のお休みで、南阿波と室戸、安芸と旅しました。まずは、阿波水軍の里・椿泊と四国最東端の蒲生田(かもだ)岬です。神戸から、淡路鳴門自動車道で鳴門まで渡り、国道11号線と55号線を鳴門市~徳島市~小松島市~阿南市とひたすら南下。途中脇道に入り、椿泊まで行き、自動車が1台やっと通れるだけの道を走って、燧崎(ひうちざき)までやってきました。刈又崎(かりまたざき)灯台です。崖の下から撮っているように見えますが、灯台の海側に回るスペースがすこしだけあるのです。初点が昭和40年(1965年)11月です。岬からの眺めです。岬と灯台の景色を楽しんだ後は、阿波水軍の里と言われる椿泊の町並みを散策しました。このお家も、普段は住んでいないとの事。時々帰ってきて掃除しているそうです。椿泊から蒲生田岬との分岐に戻る途中。澄み切るような海と青空です。蒲生田岬に行く手前のかもだ温泉で、「しらす丼」を食べました。食堂が込み合う前に入ったつもりが…。食堂から出てくると、先ほどの青空は消え失せて雨もちらつくほどに…。これは失敗でした。蒲生田岬の入り口のモニュメント。四国最東端だそうです。心臓破りの石段を登ります。何段あるか数えた人がいるようで、途中に100段目とチョークで書かれていました。150数段あるようです。蒲生田岬の灯台。普通の灯台の様に回転しないで、紀伊水道の一つの岩礁(シリカ碆)を照らしているとの事です。こちらは古く、初点は大正13年(1924年)10月、改築が昭和47年(1972年)3月です。蒲生田岬下の岩礁です。沖合に浮かぶ、棚子島と向こう側の伊島です。椿泊の沖に浮かぶ島、舞子島も見えます。蒲生田岬の脇にある入り江です。意外に見落としてしまうスポット。蒲生田岬の駐車場前にある沼です。引き続き、南阿波の海岸の景色を楽しみました。
2013年05月06日
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