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2025年10月12日
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技術をコメた米づくり 神戸市埋蔵文化財センター コメづくりの努力が大事です
神戸市埋蔵文化財センター_01
神戸市埋蔵文化財センター_01 posted by (C)きんちゃん
10月11日は、神戸市埋蔵文化財センターに行きました。

神戸市埋蔵文化財センター_02
神戸市埋蔵文化財センター_02 posted by (C)きんちゃん

技術をコメた米づくり
技術をコメた米づくり posted by (C)きんちゃん
令和7年秋季企画展「技術をコメた米づくり」をやっていました。

技術をコメた米づくり パンフ01
技術をコメた米づくり パンフ01 posted by (C)きんちゃん
はじめに
中国大陸から稲作が伝来した弥生時代。
狩猟採集に大きく依存してきた人々のくらしは、水田を切り拓いて米を生産し、貯蔵することによって大きく変わったと考えられます。以来、2千年以上にわたり日本列島では米づくりが行われ、その技術に改良が加えられてきました。現代の生活においても米は欠かせない存在といえます。
人々は米づくりとどのように向き合い、歩んできたのでしょうか?
今回の展示では、米づくりの歴史のうつりかわりを考古資料からご紹介します。

Ⅰ 稲作伝来
イネは中国大陸の中南部が原産地と考えられています。長江中下流域の遺跡から約1万数千年前の野生のイネがみつかっており、約9千年前には中流域で水田稲作が始まったとみられます。やがて6,500~6000年前頃には下流域・河口部に至り、いくつかのルートを経て、朝鮮半島や日本列島へ伝わったと推定されます。
稲作は、縄文時代晩期に中国大陸から北部九州などに伝わり、弥生時代初めには瀬戸内海や大阪湾沿岸などの各地に定着したと考えられます。神戸市兵庫区大開遺跡や東灘区本山遺跡は、大阪湾沿岸地域において最初期に水田稲作を行った集落(ムラ)と考えられ、鍬や鋤などの木製農具や未成品が出土しています。


技術をコメた米づくり パンフ02
技術をコメた米づくり パンフ02 posted by (C)きんちゃん

①稲作伝来_01
①稲作伝来_01 posted by (C)きんちゃん

①稲作伝来_02
①稲作伝来_02 posted by (C)きんちゃん

①稲作伝来_03
①稲作伝来_03 posted by (C)きんちゃん
籾痕のついた弥生土器。

①稲作伝来_04
①稲作伝来_04 posted by (C)きんちゃん
弥生時代の人骨。

技術をコメた米づくり パンフ03
技術をコメた米づくり パンフ03 (C)きんちゃん
Ⅱ 米をつくる
日本列島に定着した水田稲作は、やがて全国各地へと展開します。米をつくるためには、水田を拓いて水を引き、ムラの人々を指導するリーダーのもとに共同体が結束して行わなければならなかったと考えられます。米づくりはどのように広まり行われたのか。神戸市内の遺跡からみつかった水田跡や農具を中心に、水田稲作の進展を探ってみましょう。


技術をコメた米づくり パンフ04
技術をコメた米づくり パンフ04 posted by (C)きんちゃん

②米をつくる_01
②米をつくる_01 posted by (C)きんちゃん
最初は小規模だった水田が、しだいに大区画になっていきました。

②米をつくる_02
②米をつくる_02 posted by (C)きんちゃん

②米をつくる_03
②米をつくる_03 posted by (C)きんちゃん
銅鐸にも農耕が表現されました。

技術をコメた米づくり パンフ05
技術をコメた米づくり パンフ05 posted by (C)きんちゃん
Ⅲ 米をめぐる社会
日本列島における人々のくらしは、米づくりと共に歩んできたともいえます。人々は、いかに米を口にするかを目指し、奈良時代以降は経済の中心として税の対象にもなります。米づくりをめぐる社会の姿と食はどのように移り変わっていったのでしょうか。


技術をコメた米づくり パンフ06
技術をコメた米づくり パンフ06 posted by (C)きんちゃん

③米をめぐる社会_01
③米をめぐる社会_01 posted by (C)きんちゃん
稲穂を刈り取る、石包丁と木包丁。

③米をめぐる社会_02
③米をめぐる社会_02 posted by (C)きんちゃん
石包丁です。

③米をめぐる社会_03
③米をめぐる社会_03 posted by (C)きんちゃん
農耕が表現された銅鐸。

③米をめぐる社会_04
③米をめぐる社会_04 posted by (C)きんちゃん
水田を耕すのに馬にひかせた農具。

③米をめぐる社会_05
③米をめぐる社会_05 posted by (C)きんちゃん
時代ごとに残っている地層。

③米をめぐる社会_06
③米をめぐる社会_06 (C)きんちゃん
コメは焚くだけでなく、蒸す調理器具もできました。

③米をめぐる社会_07
③米をめぐる社会_07 posted by (C)きんちゃん
コメの交易に使われた木簡。

③米をめぐる社会_08
③米をめぐる社会_08 posted by (C)きんちゃん
灌漑用水も発展しました。

技術をコメた米づくり パンフ07
技術をコメた米づくり パンフ07 posted by (C)きんちゃん
Ⅳ これからの米づくり
江戸時代には、さらに多くの米の収穫を得るために、各地で新田開発や灌概用水などの整備が進められました。そして、明治時代以降の近代国家への変遷は、米づくりにも大きな変化をもたらしました。米づくりを取り巻く環境はどのように変化してきたのでしょうか。


④これからの米づくり_01
④これからの米づくり_01 posted by (C)きんちゃん
圃場整備も文化財保護のなかで。

④これからの米づくり_02
④これからの米づくり_02 posted by (C)きんちゃん
日本各地の灌漑用水。

技術をコメた米づくり パンフ08
技術をコメた米づくり パンフ08 (C)きんちゃん
エピローグ
~私たちのくらしと米~

明治時代に入り、新政府は近代化と共に外貨を獲得するため、産業の向上と貿易の促進を強化します。生糸や茶と並ぶ重要な輸出品は米であり、その最大の輸出港は神戸港でした。神戸港では1878年(明治11)と翌1879年に、米の輸出額が第1位となっています。
しかし、明治時代の後半には、近代的な土地改良やイネの品種改良が行われる一方で、人口増加に伴う米の消費量増加や度重なる不作によって、米は輸出から輸入される状況に転じます。
そして、1941年(昭和16)から始まった太平洋戦争の戦局悪化と共に、外国からの米の輸入が途絶し、国内は深刻な食糧不足になりました。
1945年に終戦となり、耕作地の荒廃、労働力の不足、占領地からの供給停止から、国内は深刻な食糧危機となります。1950年以降に東南アジアなどから本格的な米の輸入が行われ、1952年には「食料増産五カ年計画」が立てられるなど、食糧不足解消の中心施策として、穀物の生産量増大への取り組みが進められました。そして、1967年に米の自給率100%が再達成されました。
一方、戦後の高度経済成長により人々の食生活は多様化して「米離れ」となります。米の1人当たりの年間消費量は1962年の118.3kgをピークに減少していき、近年では約50kgとなっています。このため、1971年から本格的な米の生産調整が行われるようになりました。
おりしも、昨年から米不足が叫ばれ、各地で大きな混乱が生じています。過去にも不作により飢謹が何度も発生するなど、米づくりは大きな苦難の歴史でもありました。また、それを乗り越える歴史であったともいえるでしょう。2千年以上にわたる「技術をコメた米づくり」を、今一度見つめなおす必要があるのではないでしょうか。


⑤おわりに_01
⑤おわりに_01 posted by (C)きんちゃん

⑤おわりに_02
⑤おわりに_02 posted by (C)きんちゃん
神戸市内と日本各地のコメの遺跡。





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最終更新日  2025年10月12日 07時05分39秒
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