P・Rと分かるまで


P・Rと言う名を知った日



ピエールロバン症候群と分かるまで時間はかからなかった。

5日目の夕方に近くの内科の病院に救急車が近づいていた。
(あ~誰か搬送されてるんだ…)
のんきに思っていた私は奈落の底に突き落とされる事になる。
「お母さん、赤ちゃんの様子が変だから救急車呼んだよっ」
「・・・・・・・・・」
そう、近づいてきている救急車はキノコちゃんを迎えにきてたんだ。
看護師さんが「動ける?赤ちゃん見に行ける?」
「・・・・・・・・・」
無言で首を横に振った。この現実を認めたくない、認めたくない、
体が硬直して動けなかった、頭の中は真っ白だった。
違う看護師さんがやって来た。深い意味はなかったんだろう
「何してるの、これで最後なんだから来なさい。」
まばたきせずに止めどなく涙があふれる
(最後?最後?死ぬんだ・…)
新生児室には救急車に便乗して来ていたN病院の先生がいた。
キノコちゃんは保育器にいた
「赤ちゃん、呼吸が上手くできなくて保育器に入れたんだけど
良くならなくって、救急車を呼んだのよ。」
移動用の保育器に移されるキノコちゃんは小さな声で泣いていた
体や顔の色は不健康な色をしていた
N病院の先生が1言

「ピエールロバン症候群のお子さんですね」

(何?病気なの?死んじゃうの?)
聞いた事もない病名だった。もう立っているのが精一杯だった。

産後の脊髄麻酔の後遺症で1分として立っていられない
ダンナが来てN病院に説明を聞きに行ったけど
メマイと吐き気で椅子に座る事も先生の目も見れない
キノコちゃんの病気の説明もろくに聞く事が出来ない
(なんて母親だ、なんて母親だ、キノコちゃんは必死で戦っているのに)
泣く事しかできなかった、この日の事はこの辺りまでの記憶しかない。
とにかく「ピエールロバン症候群」と言う名の病気である事は
間違いないようだった。

(※ここでは病気と表現していますが、ピエールロバン症候群は病気ではなく
奇形が奇形を随伴する先天性疾患です。)

ぷりん3




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