キラキラ☆の部屋

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グラバーさん

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* トーマス・グラバー[トーマス・グラバー] *
* (1913~?) *
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英国スコットランドのブリッジ・オブ・ド-ンに生まれる。
1859年、開港後1年目の長崎に上海から渡来。
その後グラバ-商会を設立し貿易業を営んだ。
維新の若者たちを援助, 支持し、
伊藤博文を始め、多くの若きエリ-トたちに海外勉学の旅を斡旋した。
1865年、 大浦海岸に我が国初の蒸気機関車、 アイアンデュ-クを試走させ、
1868(明治元)年、 高島炭鉱を開発し、 同年、小菅に修船場を作った。
ジャパン・ブルワリ・カンパニ-の設立に尽力し、
「キリンビ-ル」を発売する。長崎での事業が衰えたのち、
三菱合資会社に招かれ、 終身顧問となり、 余生を東京で送った。
妻は日本人ツル。 長男は倉場富三郎。 長女ハナ。
日本在住50余年。東京で慢性腎臓炎となり、 70歳で死去。
墓は、長崎市坂本町の国際墓地にある。
日本政府から、 外国人としては最初に、
1908(明治41)年7月10日、勲二等旭日重光章が贈られた。
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* 参考文献検索 *

―どんな人物だったのか。

自己顕示欲が強く、時代の風向きを読む商売人としての
したたかさがある一方で、破産の一因にもつながる経理面での
おおざっぱさを併せ持った人物。
薩摩藩の武士を英国に留学させるなど人がいい面もある。
グラバーの本質みたいなものはむしろ破産後に表れ、三菱の終身顧問時代にあるといえる。
伊藤博文ら人脈が豊富だった。
三菱はグラバーの面倒を見る一方で、明治の元勲らと交友がある上に
いろんな情報源を持ち、政治的な動きもできる人物として重用したのではないか。
一言で言えば、明治建国の日本を利用し、利用されたエトランゼ(異邦人)。 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/genbaku.html


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