吉日ヒロコ☆Happy homeの作り方

吉日ヒロコ☆Happy homeの作り方

ライターというお仕事


よく、「どうやってフリーライターになったの?」って聞かれるので、今日はそのあたりについて書こうと思います。

私は学生時代、町田の丘の上で畜産学を勉強していました。
適当に授業を受けて、放課後はバスケットボールに汗を流し、夜は先輩とデートという、夢にまでみた東京のキャンパスライフ(←なんかこの言葉恥ずかしいですね)を謳歌していたのです。
そのときはまだ、卒業したら文章を書く仕事につこうとは考えていませんでした。

そんな私に大きな転機がやってきたのは、大学3年生のとき。
生まれて初めて大きな挫折を経験し、その結果、たくさんのお世話になった方に迷惑をかけました。
そのとき思いました。
「これからは何があっても続けられる好きなことだけしよう。そうでないと、壁にぶつかったときに逃げだして、たくさんの人に迷惑をかけてしまうから」

そこで思いついたのが、昔から大好きだった文章にたずさわる仕事でした。
就職活動中だった私は、食品メーカーへの就職活動を中止して、新聞社、出版社、編集プロダクションへのアプローチを始めました。

活動を始めてすぐに、大手企業は候補から外しました。
学生時代に全然勉強していなかったので、成績表の提出が必要なところは出すだけ無駄です。それに、もし受かっても、大手では経理や総務といった、事務系の職種に配属されるかもしれないからです。私に、そんな才能がないことは明白でしたし、やりたいことでもありませんでした。

それに気付いてからは、小さな出版社に狙いを定め、電話攻勢、会社訪問を繰り返しました。
しばらくして、どうせなら畜産の知識を生かせるところがいいな、と思い、農業系の専門誌に的を絞りました。

農林水産省の図書館で、農業系の専門誌のリストを手に入れ、かたっぱしから出かけていきました。
その中で、働いている人たちがみんな楽しそうにしている会社がありました。
「ここがいい!」と思った私は、「今うち、募集してないからね~」という編集長の言葉にもめげず、電話や手紙で自分の存在をアピールし続けました。
すると、いつの間にか「そんなに入りたいなら入れてあげるよ~」ということになり、念願の畜産専門誌の記者となったのです。

そのとき、大学4年生の10月でした。
研究室で最後まで就職が決まっていなかった私の内定が決まったとき、先生は、「なんでもやってみるもんだね~。吉日さんが本当に出版社に入れるとは思わなかったよ」とおっしゃいました。

入社してからは、毎日が楽しくて楽しくて、仕方ありませんでした。
多少の辛いことがあっても、「あのとき、決めたことだから」と大学3年生の日の決意を思い出せば、すぐに乗り越えられました。
なによりも、好きなことだったから打ち込めたし、会社の先輩たちも、一番年下で一人きりの女性社員である私のことを、本当にかわいがってくれました。

でも、3年後、私は会社を辞めてフリーライターになりました。
会社には何の不満もありませんでした。でも、もっと広い世界に出たかったんです。
その会社は、私が辞めた後、「生活が苦しいだろうから」といって、とても良い条件で、アルバイトとして雇ってくれました。

結局、フリーとして独り立ちするまでの半年間くらいは、前の会社に生活費の半分を頼っていたと思います。今でも、その会社の皆さんには感謝しています。

幸い、私の周囲には、すでにフリーで活躍しているライターやカメラマンがたくさんいました。
そのうち、私がフリーになったことを知った先輩の1人が、竹橋にある新聞社の雑誌部の次長を紹介してくれました。

次長はセクハラが生き甲斐の困った人でした。まずは何回か、仕事の話抜きでお酒を飲みました。ここで、「このおじさんは女の子とお酒飲みたいだけなんじゃ」と諦めてしまう女性は多いと思います。でも、私は農業の世界にいたため、セクハラを交わすのは平気でした。それに、彼を紹介してくれた先輩のことも、信じていました。
そしてある日、新聞の切り抜きを決まった字数にまとめるというテストに無事合格し、その雑誌のレギュラーライターになりました。

そこからは、一緒に仕事をしたライターやカメラマンの紹介や、業界の人が集まる交流会やセミナーでの人脈で、仕事はどんどん広がっていきました。

今年3月に一緒に本を出した相棒の大安ケイコさんとも、きっかけは作家の植西聡さんの主宰する「出版交流会」でした。

彼女と出会ってから、本が出るまでは、何か特別な力が働いたかのように、とんとん拍子にことが運びました。
1人で安全な食べ物についての本の出版企画書を持って歩いていたときは、どこも相手にしてくれなかったのに、大安さんと一緒に「幸せな結婚」をテーマに活動を始めたら、すぐに出版が決まりました。
この出版のいきさつにも、いろいろな裏があるのですが、まあそのへんは長くなるのでカットします。
いずれにせよ、色々などんでん返しがあり、結局、最後は私と大安さんの希望がすべて叶う形で本が出されたのです。

そして私は、ただのライターから、「恋愛&結婚出会いのバイブル~本モノの王子様の見つけかた~」という著書を持つ、恋愛ライターになりました。
この幸運には、本当に感謝しています。

おまけに、この本を出す際に、大安さんから恋愛の奥義をたくさん教わったために、結婚相手まで見つけてしまいました。
これは断言できるのですが、この本を書かなかったから、今の夫とは絶対に付き合いませんでした。

私は、大安さんの指示に従って、アホみたくこの本に書いてあることを実践しました。
そして、本モノの王子様を見つけたのです。
この本がなかったら、彼は私を見初めなかっただろうし、私も彼の魅力に気がつかなかったと思います。
だから、大安さん、そしてこの本との出会いは、私にとって、本当に貴重で素晴らしいものでした。

ちょっと話がずれましたが、私がライターを目指し、ライターになり、初めの本を出版するまでの流れは、こんな感じです。

「ライターになりたい」という方。
私は特別な学校にも行っていませんし、特別な才能を持っていたわけでもありません。
ライターになるのに、資格はいりません。
PCと名刺さえあれば、今日からすぐ始められる仕事です。

今日はあまり、恋愛とは関係ない内容になってしまいました。
でも、恋愛も職探しも、自分一人では思い通りにならないという点では同じです。
熱意と、努力と、覚悟があれば、ある程度の結果は手に入れられるのだと思います。
少なくとも、私は、そう思っています。


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