5匹のコブタとママ

5匹のコブタとママ

お空の天使


流産した後につくったHP こちらです

妊娠?
生理が遅れて、まさかという思い。
それとともに、赤ちゃん大好きな私にとっては嬉しい予感でした。
数日の遅れの時点からいつもの事ながら、体調が悪くなる。
つわりと腰のだるさ。
早いと思いつつもこっそり検査薬を購入して、検査。「プラス」
今までは通院して治療を受けての妊娠だっただけにチョット驚いた。
パパにはいつ言おうかな、何ていわれるのかな、などと一人で考えていた。
慌てて、翌日から次女の断乳の決行となり、おっぱい大好きの次女にとっては最悪の事態。

私自身は授かった命は決して消すなんてことは考えられない。
もちろん、大変なことはわかっていたけど、
私の中には「中絶」という言葉は存在しない。
パパに話した。
驚いていた様子だけれど、「車が乗り切れないなー。みんな大学行きたいって言ってたら大丈夫かなー」
とか言っちゃって、、、。気持ちは私と一緒みたい。
「みんなにはもう少し黙っていよう。万が一流産したりすることがあるとな」
なんて、笑いながら冗談言っていた。
そのときにはお互い我が家には流産なんて無縁と思っていた。
いつも、検査薬でプラスですぐに受診して、早すぎるといわれて、
「1週間後にもう一度」とか言われる。
どうせ今行ってもそういわれると思った。「あと1週間くらいいいや。」
私自身自分は順調に決まっていると思い込んでいた。
女の子がいいなー。
名前は上の二人と同じ「希」で閉めたいなー。未来の未で未希とかいいなー。
マタニテイもベビー服あげちゃったからどうしようかなー。
私の中でいろんな考えが浮かんでいた。
ちょうど、A型ベビーカーとベビーベットや布団をリサイクル掲示板で譲って欲しいという人と交渉をはじめた矢先の事。急いでお詫びとお断りのメールを書いた。

長女と長男に聞いてみた。
私「神様が家に赤ちゃんをくれるって言ったらもらいたい?」
二人とも「欲しいー。もらいたい」
私「でも赤ちゃんがきたら、今よりももっとままは忙しくなるから大変になるか   ら、今よりもお手伝いしなきゃいけないよ?」
長女「するする。マキちゃんの世話とかもするからー」
私「わかった。神様に話しておくね」
二人「赤ちゃん楽しみ」

受診・胎児が見えない??
1週後と思っていたけど、いろいろと忙しかった。行きそびれているうちに次の週になってしまった。
ちょうど7週の終わりだったから、ぴったり8週で3ヶ月に入る日に行こうと決めた。尿検査のときだけは子供達を見ていてもらいたくて、パパを呼んだ。
そんなに込んでいなくて、早く終わると思ったから、診察のときも見ていてくれないかなーと思ってパパに頼んだけど、
自分も体調が悪いからと、さっさと帰ってしまった。
診察の前の看護婦さんの検査室。
NS「今日は?どうしましたか」
私「生理が遅れて、、、。市販薬で妊娠しているみたいなんですが、、、。」
NS[診察で妊娠していたら、、。あの、、、。いいんですよね、、。」と言葉を濁している。
私「はい。もちろんです。産みます」
さすがに5人目とのなると、看護婦さんも確認しなくちゃと思うのかな。
NS「5人目ですか。子供は沢山でいいですよ。がんばってね」
4人目を産んだあと、言われた。
「入院は天国だったでしょ。また、来てね。あなたなら大丈夫よー」と。
そのときには、「もう、いいですよー」とか言ってたのにね。
つわりで、待っているのも辛かった。

診察室で呼ばれた。
いつもの先生。長女の時からずっとお世話になっている。
「内診して、赤ちゃんの状態超音波で見ましょう」
どきどきしながら内診へ。
超音波の画像を見ながら先生が「??あれー?」
何々??また小さいのかなーと思った。(いつも小さいと言われるから。)
しばらくして、嚢が写った。
私も目を大きくして見入ったが、嚢しか見えない。
DR「これはさー。今回はうまくいかないかもよー」
私「???」
DR「説明しますね」
何もわからない二男は私の足元でおとなしく待っていた。
次女は看護婦さんに抱かれて遊んでもらっていた。
支度をして、説明に呼ばれる。
次女を抱きながら話を聞く。
DR「嚢はさー。ちょうど7週くらいの大きさなんだけどね。
赤ちゃんが見えないんだよね。今回はだめかもしれないよ。
つわりはあるの?それもなくなるよ。
多分2-3日中に出血してきて、流産しちゃうと思うよ。
赤ちゃんはもう死んじゃってると思うよ。
まあ、もう一度2日後に来て見てさー。それでも同じだったらさー。
手術しなくちゃだめだよ。家族と相談してきな」
話を聞いていて、涙をこらえるのがやっと。
次女をぎゅっと抱きしめながら、自分を抑えていた。
いつのも看護婦さんで、顔見知り。
「大丈夫?でもつわりあるんでしょ?」
色々話し掛けてくれたけど、よく覚えていない。

二人を連れて家に帰る。運転しながら涙が止まらない。
家に戻ってパパの帰りを待っていたけど、なかなっ帰らない。
携帯も通じない。何でこんなときに、、、。
やっと携帯が通じて「どうだった?いつだって?」と弾んだ声で。
私「帰ってきて。話すから」それ以上話せなかった。
すぐに帰ってきて、話をする。
パパも信じられない様子。忙しくてゆっくり話せないまま仕事に戻る。
夜子供達を寝かし、なかなか帰ってこないパパを待つ。
こんな時に飲みに行かなくちゃいけないなんて、、、。
やっと帰ってきたパパは少し酔っていた。
そっと抱きしめてくれた。
「まだわからないんだから。片付けなんていいから寝なさいー」
「もしだめでも、仕方ないよ。お墓つくってあげなくちゃ。
またつくって産んであげよう。パパはすごく楽しみだった」
酔いのせいもあり、普段は口数が少ないくせにいろんなことを言っている。
眠れない私を抱きしめて「ごめんね。俺がなおのこともっと優しくしてあげないからこんな事になるんだよな。ごめんね」また涙が止まらなかった。

翌日もつわりはあった。出血もないし、腹痛もない。
「もしかして、たまたま見えなかっただけでは??」という思い。
でも、もとナースのもう一人の自分が「あの嚢の大きさであの画像ではだめ、けいりゅう流産か」と言っている。
「もっと早く私が病院にいっていたら、こんな事にならなかった?」という思い。
もとナースの私は「流産は妊娠初期の10-20%でおきる。無事に生まれるかだめになるかは、受精した時点ですでに決まっている。たまたま弱い精子と弱い卵子だったんだ」と言ってる。頭の中でいろんな考えがぐるぐる回る。家事も手につかない。PCで流産に関するHPをあさるように見続けた。

再受診・死亡宣告

再診の日。
ちょうど土曜日で、おばちゃん(義母)が上の3人を遊ばせたいと言って連れて行った。
まだおばあちゃんには妊娠のことも話していない。できれば話したくなかった。
その間にパパと次女とで病院に。診察室へ。
祈る気持ちで画像を見ていた。同じだった。
超音波画像をパパにも見せて、説明。
DR「おそらく、赤ちゃんはすでに死んでしまって、吸収されていないよ。
  周りがはがれ始めているから、出血してくるよ。手術早くしないと、、、。
  人間も動物も5-6回の妊娠のうち1回くらいはだめになる。それが先にくるか、後にくるかで、、。
  たまたまあなたの場合今回だったと言うだけのことです。
  嚢の大きさからして、ここ1週間くらいの間に  こうなったと思うよ。
  赤ちゃんが駄目になると嚢も成長しないからね。7週くらいの大きさはあるからね。
  もっと前なら、治療法も無くもないけど、もこうなっちゃってからは、どうにも出来ないよ。」
先生の言葉がつきささる。
じゃあ私がもっと早く来ていたら、違っていたというの?
私が受診を遅らせた事で、赤ちゃんを殺してしまったの?

ついた診断は子宮内胎児死亡で子宮内除去術をするとの事。
支度宅のために一度家に帰り、すぐに入院するように言われる。
日帰りは無理とのことで、黙っていようと思っていた義母にも話して子供達を見てもらわなくてはいけなくなった。パパが話してくれたが、あまり驚いてはいないみたいだった。

入院・手術

支度をして、入院。
ちょうど、昨日の夜から何も食べたり飲んだりしていなくて、今日手術になった。
点滴をしたり、色々とはなしを聞かれたりした。
事務的で必要なことだけ話した。看護婦さんもそれ以上の事は話さない。
ちょうど昼前でパパが昼食に出かけた。
その間に今から手術と言われて、パパはいないし、急でチョットパニック。
携帯も通じなくて、つかまらない。食べたらすぐに戻ると言っていたのだが、、。
どうしよう、、、。
動揺が伝わったのか、午後の手術に延ばしてくれた。
ほっとした。
一人でベットで寝ていると、色々考えてしまい、涙が止まらない。

パパが戻ってきた。ラーメン屋で梅ハイを飲んだと言う。
私がこんな気持ちでいるときにお酒なんてと、少し腹が立った。
午後になり、2時半に手術室に呼ばれた。歩いて手術室へ。
次から次へと準備が進んでいく。
看護婦時代の手術室研修で流産の手術を見学してことがある。
まさか自分が経験するなんて、、、。
寒くて、手が冷たかった。
そばにいた看護婦さんが「冷たいね。」と言って手をさすって温めてくれた。
その手が温かくて、涙が出てしまった。
肩に筋肉注射を1本。麻酔中に咳とかたんとかを抑えるためのもの。
支度が出来て、点滴から麻酔を入れますよと言われた。
1から20まで一緒に数えてくださいと言われ、数える。
ちょうど20を数えたら意識がなくなった。
どこか未知の国に吸い込まれていくようで異様な気分だった。
何か聞こえるけど、目が開かない。下腹部から下にかけて、痛みが走る。
その直後に「終わりましたからね」という看護婦の声・
「はい」と小声で答えるのがやっとだった。
涙が止まらなかった。
少しずつ意識がはっきりしてきた。
寒さなのか、自分の足ががたがたと震えているがとめられない。
処置が終わり、目をとじたまま、立って、隣の部屋に移るという。
両脇を二人に支えられながら、目をとじたまま、歩いて行った。
ふらふらして、気持ち悪かった。
ベットに横になっても何だかくらくらしていた。

パパは手術でとった嚢を見せられ、中にすでに赤ちゃんはいないことを
まのあたりにしたという。
パパにとってもかなりショックだったと思う。
そのまま1時間その部屋に居るように言われた。
そのあと、自分の部屋の歩いて行った。

パパは夕方には帰った。
子供達も心配だし、義母一人では見きれないだろうと。

一人になると余計にいろんなことを考えてしまう。
夜勤の看護婦は顔見知りだった。
足をとめて、話を聞いてくれたのはその看護婦が初めてだった。

夜は腹痛で眠れない。
他の部屋から授乳なのか新生児の声が聞こえてくる。
余計に眠れなかった。

2泊3日の入院。
妊娠・出産以外で入院したのは学生の時以来だった。

上の子二人に話した。
私「あのね。赤ちゃん神様からもらえなくなっちゃったの」
二人「なんでー??」不満そう。
私「神様がね。今回は他にどうしても赤ちゃんが欲しい人がいて、
 その人の方に赤ちゃんをあげるって決めたんだって。だから家にはもらえないの」
長男「えー。じゃあ次はもらえるの?神様が又今度ね。って言った?
    病院にいた赤ちゃんかわいかったのに」 
私「そうだね。ママもかわいい赤ちゃん、欲しかったな」
長女「いいじゃん。また今度ッテいったんなら、待ってれば、次はくれるよ」
長女の言葉に思わず深くうなづいてしまいました。
みんなで待っていようね。

術後

手術の後、入院中は安静にしていた為か、出血は少なかった。
シャワーは翌日に許可が出た。
手術の後1週間は安静にするように言われた。
私の場合は上に子供がいたので、なかなか安静とはいかなかった。
そのせいもあり、退院した日から出血が生理の3日目くらいあった。
下腹部に鈍い痛み、腰が重いような痛みが続いた。
入院中から止血剤と子宮の収縮剤が処方された。
私は出産後でも助産婦さんに驚かれる程収縮がいい。
そのためか、収縮剤を飲むと、下腹部痛が強くなり、辛かった。

退院の3日後に受診。
内診と血液検査。貧血のチェックと炎症反応がないかのチェック。
止血剤と収縮剤をまた処方される。
トイレのときなどには塊のような出血も。

そのまた2日後に受診。術後1週間目にあたる。
出血は少なくなっていたが、内診ではまだ中で出血があるという。
入浴は許可された。

1週間後に受診。手術後2週間目。
出血はほとんどなし。内診でも出血は止まっているとのこと。
内診で子宮を動かすと?痛みがある。少し子宮が後屈しているとのこと。
また収縮剤を処方された。

1週間後受診手術から3週間目。
出血もない。流産後の問題はなく、「完治」らしい。
何の制限もなく生活するように言われる。あとは生理の再開を待つだけ。
夫婦生活もポリープの出血が止まり、傷が治ればよいとのこと。
ポリープが見つかり、切除された。
3日間消毒に通う。結果は2週間後らしい。

手術後25日目に生理再開。2日目、3日目は本当に辛かった。
もともと生理痛はひどい方だったが、さらに辛い痛みだった。
下腹部が絞られるような痛みと、腰の痛み。量も多い。市販薬では効かなくて、受診して薬をもらった。
助産婦の話では、生理が再開すれば、妊娠解禁とのこと。
でも、まだそんな気分になれなくて、関係を持つ気にならない。

供養

我が家は特に宗教はない。
でも、何もせずにはいられなくて、色々と調べてみた。
はじめはインターネットで検索をして色々なところを見た。
でも、あまりに遠くて、躊躇していた。パパに相談したら一言。
「近い方がいいよ。いつでもいけるしね。」
そうだよね。いつでも行ってあげれるほうがいいよね。

パパの言葉で私は電話帳(タウンページ)で探してみた。
決め手は、一番近くて、宗派にこだわらずに受け付けてくれる事でした。
電話で問い合わせてみた。

電話口に出たのが女の人だったので、話しやすかった。
ここに決めよう。車で20分くらいだし、、、。
HPでいろいろなサイトで価格なども見ていたが、比べてみても、特別差はなかったし、きちんとはじめから決まっているので、かえって、安心に思えた。
そこでは、位牌や、お札ではなく、お地蔵様を水子安置壇に安置するそうだ。
家には仏壇もないので、その方がよいと思った。
調べた中には、位牌や、お札を持ち帰るという所もあった。
永代供養で小さいお地蔵様で3万円、大きい方の場合は5万円とのこと。
他のサイトで見た価格と大きな相違はなかった。

予約なしでもいいが、行事や他の接客などで、待たせるといけないので、
予約した方が言いといわれた。パパの都合のよい日に予約をした。

上の二人が幼稚園の時間で、下の子達はおばあちゃんにあずけた。
はじめに名前などを書いたり、お地蔵様を選んだりした。
いくつもの中から一つ一つ顔が違うので、自分達がこの子と思うのを選ぶように言われた。パパが迷うことなく、ひとつ、「この子だ」と選んだ。とてもやさしい顔をしていた。
両親の名前を自分達でお地蔵様の赤の前掛けの裏に書き、それをはめてあげた。

時間になり本殿で30分くらい供養を。選んだお地蔵様を前に置いて拝む。
難しくて分からないところもあったけれど、「この幼き命の子、親知らずして、抱かれることなく。
また、この親ら、この子知らずして、抱くことなく。哀れみて、この魂を迎え、抱きたまえ」みたいなこと
聞いていたら、やっぱり、泣いちゃいました。

供養が終わると、パパがお地蔵様を抱いてあげるように言われ、抱いて安置壇に。
真ん中に大きな幸福水子地蔵と6地蔵があり、その両端に安置壇。
決められた場所に安置して、お線香をあげました。
案内の方の話によると、これほどの水子の安置壇は県内だけでなく、国内でも珍しいらしい。

安置し終わり、供養してくれたお坊さんと話をした。
両親がいつまでも思い出しては、嘆き悲しんでいると、いけない。
赤ちゃんの魂がいつまでも、心配する。
今ごろもう、あちらの世界で楽しく過ごしているから、安心していなさい。
月命日だけでなくても、いつでも、来て、お参りしていいですから。
と言われた。きれいな空だった。この空にいっちゃったんだなーと思った。
産んであげられなくて、ごめんね。

人は4人もいるんだから見たいなことを言う人もいる。
一番嫌だった言葉。
何人目でも命の重さは変わらないと思う。
我が家の5番目に生まれてくるはずだったこの命は、何ものにも変えられない。









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