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こくごの先生の部屋
プリズム(2)
【2st・ショット】 2006.6.17
すっかり日が長くなり、もう5時近くなろうとしているが、まだまだ陽は高かった。少し薄暗い感じのする進路指導室の窓からは外がよく見えた。
遠くの団地や街路樹が、幾らか赤味を帯びた西日にキラキラと輝いているようにさえ見える。
「先生は、どうして英語の先生になろうと思ったの?」
「そうね…、月並みな理由なんだけど。…私、映画が好きでね。ハリウッド映画なんかを、いつかは字幕なして映画を観たいなって…それがきっかけかナ。」
「ふうん。…でも、それじゃどうして『先生』なんだ?」
「うん…。通訳とかじゃなくって『先生』になったってコトだよね。…確かに、そうね。
でも、実際に英語で食べていくって難しいのよ。
最初はそういう道も考えたんだけど、…ちょっと無理かなって、挫折しちゃった。
それよりね。私、学校って所が大好きなのよ。だから、先生になれば、一生学校にいられるじゃない。…だから、かな。ごめんね。あまり参考にならなくて。」
「ううん。」
柊哉はじっと自分の目を見て話をしてくれる先生に、ちょっと照れのようなものを感じ、目線を逸らして聞いてはいたが、それでも、時々は先生の黒目がちな瞳に時々視線を合わせたりしながら、真剣に耳を傾けていた。
柊哉は高校3年になっていた。
総体も終わり、いよいよ大学入試に向けての進学指導が始まった6月。
中川晴菜は3年C組の副担任であったが、全員の面接を一通りするためには、担任の岡田先生だけでは間に合わず、個人面接を手伝っていたのだった。
その日は、放課後4人面接をする予定であり、その3番目が柊哉だった。
「おいっチに、おいっチに…」
外からは野球部の連中だろうか、トレーニングの掛け声が聞こえてくる。
窓の外のポプラには鮮やかな緑の葉が生き生きと伸びており、時折吹き込んでくる初夏の風が気持ちいい。
「で、斎藤君は、志望校決まったの? 」
柊哉は、先生の質問に対し、わざとゆっくりと悩むような感じを見せていたが、すぐに、「
「国立は国立なんだけど…ま、地元でいいかなって。」
中川先生はそれを頷きながら聞いていたが、柊哉が話し終わると、ゆっくりと言った。
「そ…う。でも、斎藤君はもっと上を目指してもいいって岡田先生はおっしゃってたわ。もちろん、地元の学校もかなり難関校だから、みんながみんなって訳にはいかないけど。」
「あまり、上を目指す気には…。オレ、ここ好きだし。」
「でも、『地元』って言ってもここからだと、ちょっと通うのは難しいでしょ。下宿するのなら、都市部でも一緒じゃないかって…。」
「それって、誰が言った?」
少し反発するような口調になった柊哉に、先生は、ちょっと困ったような顔をして眉を寄せた。
その様子を見て、柊哉はちょっと悪いと思ったのか、口調を変えて、
「近くだったら、すぐ学校にも遊びに来れるしさ。先生にも会えるし…。」
と、窺うように言った。
「まあ。それは嬉しいけど。」
先生はそう言いながら、ちょっとはぐらかすように
「マイさんも、同じ志望校なのよね…。」
「え、あ…『マイ』って。キマチのこと? でも何で…。」
慌てて視線を泳がせる柊哉を見ながら、
「あ、やっぱり噂は本当だったのね。」
と、少し上目遣いで柊哉を見る。
「ヤだな…。先生、カマかけたの? でも、実際関係ねェし…。」
「マイ」というのは、同じクラスの来海麻衣(キマチ マイ)だった。
柊哉とは、昨年から同じクラスで、特に恋人とか特定の付き合いはしていないものの、2年の時のクラスが本当に皆仲の良く、二人もその中のメンバーとして良い関係だった。
端から見れば付き合っているように見えたかもしれないし、お互い満更ではないなという感じではあったのだが、「恋人」となるには決め手がないままだった。
三年になって二人は同じクラスにはなったものの、2年の時とは少しクラスの雰囲気が変わって、男女も余り仲良く話をするような感じではないので、何となくそのまままになっていたのだ。
「でもさ、先生…なんで」
「彼女、写真部でしょ。私、こう見えて写真部の顧問なのよ。彼女とはよくお話するのよ。
凄くイイ子じゃない。可愛いし、頭もいいし、性格も…。」
その言葉を柊哉は複雑な思いで聞いていたが、ポツリと言った。
「先生…には、かなわい…さ。」
「まァ…。」
柊哉は、宙ぶらりんになっている麻衣への想いと、「憧れ」がただのそれではなく、微妙な色合いを持ちつつある、先生への想いを図りかね、戸惑っていた。
2006.6.17
【2st・ショット/続き】2006.6.17
柊哉は、何となく気まずくなり、話題を変えようと、苦しまぎれに尋ねた。
「先生も、ウチが母校なんでしょ。」
「ええ。そうよ。大学を出たばかりの卒業生を、講師として雇ってもらえるなんて光栄だわ。」
柊哉の通う高校は、地方の進学校で、多くの者が地元の国立大学を目指していた。が、近年大学難度が2極化しており、彼の目指す地元大学は学力上位層を集める大学の方へとシフトしており、地方の国立大学の中ではかなり難関になっている…という現状があった。
「先生…、来年もウチにいるの?」
「分かんない…。今年の採用試験次第かな。合格すれば、どこか新採用者として、赴任するだろうし、落っこちちゃうと、もう講師として雇ってもらえるかどうか…。」
「大丈夫だって。先生の授業、一番分かりやすいもの。他の先生にも、見習えっていってやりたいぐらいだしさ。グラマーのハゲオヤジなんか最悪だし。
…だから、先生が三年生に持ち上がってくれて、ホントよかったよ。」
「まあ、他の悪口の先生はここでは言わないでね…。リアクションに困るから。 …でも、ありがとう。成績上位者の柊哉君にそう言って貰えると、光栄かな。」
先生は本当に嬉しそうな顔をした、そして左手の薬指で髪を掻き上げ、耳に掛けた。それは、先生のお得意の仕草であった。
柊哉は見慣れた先生の仕草ではあったが、間近でそれを見て、何だかちょっぴり胸がドキドキするのだった。
「ふうん。でも、…先生が居なくなっちゃうんだったら…学校に戻ってもしょうがないし、…じゃあ、オレもどっか遠くの大学に行っちゃおうかな…。」
柊哉はその台詞を、少し小さな声で、呟くようにいった。
そして、ちらりと先生の方を見た。先生は目を伏せて「面接の記録」と書かれたカードに何か走り書きをしていた。その表情は顔にかかっている髪でよく見えなかったけれど、その口元には笑みが浮かんでいるような気がした。
柊哉は、ちょっと恰好を付けてそんな慣れない事を言った自分に、逆にたじろいでしまい、その彼女の微笑みの意味を考える間もなく、話を打ち切った。
「あ、じゃあもう…そろそろ時間ですよね。…次の進藤を呼んできます。」
そう言うと、席を立った。
そして、
「部活は、もう引退したので、とにかく勉強…がんばります。ありがとうございました。」
と、早口で告げるとお辞儀をして部屋を出て行った。
長身の柊哉が立ち上がると、椅子に座っている晴菜からは見上げるようであった。が、180センチを越える身長でも、その美しい顔立ちの中にあどけなさも残っている。
けれども、2年生の頃から比べるとすっかり男らしくなった柊哉であり、そんな彼の後ろ姿を、彼女は優しい瞳で見つめていた。
2006.6.17
【スナップ・ショット 1】2006.10.7
「おおい。早く並んでくれよ~。」
「ウイーっス」
「ワハハ」
「キャー、もう~やめてよ~。」
舞台を終えたばかりで、興奮と充実感がまだ体の中にあふれているのであろう、クラスの皆はそれぞれに衣裳を身にまとい、中庭の芝生の上でワイワイと大騒ぎであった。
文化祭の舞台後の恒例の記念撮影だった。
カメラマンの尾崎先生は、興奮状態の生徒達を並べるのに必死だった。
「岡田先生~、中川先生も並んで下さいよ~。」
柊哉も、最後の歓声と拍手の興奮が体に余熱のように残っていたが、大騒ぎをしている連中の輪の外で、その余韻を楽しんでいた。
そして、次第に集まり始めたクラスメートの最後尾に、小道具の槍を持ち、段ボール製の鎧をつけたまま立っていた。
と、隣にすっと誰かが立つのが分かった。
柊哉は兜を被っていたので、横が見にくかったが、それでも少し首をひねって横を見た。
それは、何と中川先生だった。
「じゃあいいか~。」とだみ声の尾崎先生が叫ぶ。
「1タス1は~?」
「にー!!」
「じゃあもう一枚いくぞ~。『ルート2』は~?」
「なんだそりゃ~。ギャハハー」
「おいおい、崩れすぎだぞ~。撮り直しー!」
その時だった。自分の右手が何か柔らかい感触でつつまれるのを柊哉は感じた。
「えっ!?」
と思って彼は横に首を向けた。そこにいるピンクのドレスの中川先生は、微笑みながら前を向いたままだった。
しかし、自分の右手を握り締めているその手は、紛れもない、先生の手であった。 柊哉は、驚きはしたが、その情況をどうすることもできず、結局どぎまぎしながら、そのままカメラにおさまった。
そして、撮影が終わると、「すっ」とその掌はどこかへ逃げてしまった。
「今の…、何だったんだ?」
柊哉は、右手に残っている柔らかい掌の感触を確かめながら、中川先生の後ろ姿を目で追いかけていた。
が、先生は何事も無かったように、また別なところに出来はじめているクラスの輪の中に入って行くのだった。
2006.10.3
【3st・ショット】2007.3.24
風が気持ちよかった。
まだ、殆どの樹がまだ芽を出しかけたばかりというところであるが、もう山全体が薄い緑の靄がかかったようになっている。
柊哉は、「ここに来るの、中学の時以来だ。」と伸びをしながら声を上げた。
「私、ちょっと息切れしちゃった。やっぱり男の子ね。」
少ししんどそうな顔をして、中川先生は追いついてきた。
「ここから、学校、よく見えるんだな。」
柊哉の言葉に、少し息をきらせながらも、
「そうなのよ。」
と晴菜は答えた。
「教室から、ここ見える筈なのに、あっちにいると気にならないんだな。」
「ふふふ。そうね、何だか象徴的ね。」
そこは、最近は遊歩道に整備されていて、ちょうどそのゴールになっている高台には、小さな休憩所のようなものが作られていた。
以前は車道は山の麓までしか無かったけれど、今ではかなり頂上付近まで車で寄せることができるようになっている。
晴菜はベンチに腰掛けた。
柊哉は立ったまま、暫く黙って景色を眺めていた。
それほど高くない山であるが、頂上まで来るとさすがに見晴らしはよかった。
卒業式の数日後。
学校を訪ねてきた柊哉を連れ出して、晴菜は学校の見える近くの山にこっそりドライブ出かけたのだった。
「先生、あのさ…。」
「なあに?」
「あの、手紙のこと…だけど。」
「うん…。」
「気にしないでくれよ。」
「…。」
困ったような表情の晴菜に、柊哉はそれ以上に申し訳ないような感じで答えた。
「何だか、自分でもよく分からないんだけどさ…。
取りあえず、思いだけ伝えたくてさ。」
「そう…。すごく嬉しかったわ。でも…ごめんね。」
柊哉は、その台詞を遮るように言った。
「謝らないでくれよ、先生…。別に、交際を申し込んだとか、そんなのじゃない んだから…。
ただ、先生がオレにとって凄く大切な存在だってこと…伝えたくて。
…メールとかじゃ、嫌だったんで、…手紙にしたんだ。
何となく、後に残したくて。」
「そうね。ありがとう。」
そう言って微笑んだあと、顔を上げ柊哉の目を見て、晴菜は続けた。
「でも、やっぱりゴメン。私にも責任はあるもの。」
「…。」
柊哉は、その「責任」という言葉の意味を考えながら黙っていた。
あの、文化祭の後の写真撮影の時の出来事。
あれをきっかけに、柊哉の心中の先生に対する憧れは、確かに恋心へと変貌した。
しかし、それ以上は何も起こらなかった。…というよりも、先生の自分に対する態度は明らかによそよそしいものになっていたのだ。
どこからか、鳥の鳴き声が聞こえていた。足下に目をやると、オオイヌノフグリが、緑の上に鮮やかなライトブルーの小さな模様を描き出していた。
「私…、高校時代写真部だったのよ。」
少し、重苦しい雰囲気を振り払うように、晴菜は突然話題を変えた。
「知ってるよ。」
「…そうね。前話したわね。…でもね、本当に結構頑張ってたんだよ。」
そう言うと、晴菜は遠い目をして遠くを見つめていた。そして、続けた。
「…今は、もうすっかりデジカメになっちゃってるけどね…、当時はまだフィルムをこだわって使ってたのよ。一眼レフをもってあちこち風景を撮って回ったりしてたわ。」
「へえ、本格的だったんだ。」
「そうなのよ。」
「それでね…、柊哉君を…ここに連れてきたの、理由があるのよね。」
「?」
「ちょっと、私の苦い思い出を聞いてくれる?」
そう言われて柊哉は何となく、晴菜の横に控え目に腰掛けた。晴菜は向こうの山を見ながら続けた。、
「私が高校2年の冬よ。今からもう6年も前になっちゃうのね…、イヤね、早いものよね…。
…この辺りって、雪が少ないでしょ。殆ど積もらないし、積もっても少し薄化粧するぐらいだから。
でも、…あの冬、珍しく凄く雪が降ったのよね。」
「あ、オレ…覚えてる。小学生の時、大喜びでさ、午前中授業中止でみんなで雪合戦したり、雪だるま作ったりした記憶がある…。」
「そう、柊哉君は小学生だったのね。」
その台詞はどことなく淋しそうに聞こえた。が、それは…どこか自分の心を映したもののような気がするのも事実なのだった。
「そう、あの年にね、私この街の雪景色を撮るために、ここに登ったのよ。」
「え…。どうやって?」
「歩いてに決まってるじゃない。」
「覚えてる? あの日、雪は明け方から降り始めたでしょ。だから、学校もみんなが集まってきてて、結局休校が決まったの9時頃だったのね。
で、突然そこから思い立って、一旦家に帰ってから一人で歩いて登ったのよ。麓までは自転車で何とか来たんだけど、上にはとても登れなくって。
…着いたのはもうお昼前だった。もう、靴なんかぐちょぐちょ。」
「へえ…。」
「でもね、ここからの雪景色。最高だったわ…。
ちょうどう学校が正面に見えて、ほら、あそこ…学校の裏手にもちょっと小高い丘があるでしょ、あそこも真っ白で、まるで学校が雪の中のお城のようだった。」
「それでね、何枚も写真を撮ったわ。でもね、そこで私大ドジをしちゃったの。」
「フィルムが入ってなかったとか…。」
「バカ、やあね。そんなミスするわけないでしょ。」
「帰り道でね、あと少しで自転車を停めているところまで着くところ、そこで、私…滑って転んじゃったのよ。
でね、その拍子にね、カメラをアスファルトの上に落としちゃったのよ。
それが…運悪くカメラの蓋が開いちゃってね、カメラも壊れるわ、フィルムも光に当たっちゃうわで、折角の写真がパアになっちゃったのよ。」
「キツいね。」
「そうよ。本当にショックだったのよ。でもね…、もう、そこから改めて撮り直しに山を登る気力なんかはなかったのよね。」
「それは、ドジっちゃったね。」
「そうよ。最悪な気分だったわ。…でもね。」
「でも?」
晴菜はにっこりと微笑んで言った。
「楽しみにすることにしたのよ。」
「何を?」
「だから…さ、もう一度、雪が積もったら。撮り直しに必ずここにくるってこと。」
「ふうん。…何だか、…いいね。」
柊哉はベンチの背もたれに寄り掛かって深呼吸した。そして、何となく心がふわりと浮き上がるような気がして、自分でも信じられないほどに安らかな気分になるのだった。
そんな柊哉の様子を見ながら晴菜も微笑みながら立ち上がった。
「もし…。柊哉君が覚えてたら…で、いいんだけど。また、ここで逢わない?」
「え?」
その突然の申し出は、また柊哉の心を戸惑わせた。
「ふふふ。今の、半分冗談で、半分本気。」
晴菜は笑っていた。柊哉は困惑しつつ、
「雪が積もったらってコト? そんな、…いつになるかワカンナイよ。」
「だから、…いいんじゃない。」
そう言うと、晴菜は少し黙って遠くを見つめていた。
が、突然ぽつりと言った。
「私にも、あなたにも、色々な意味で『時間』が必要なのよ…。」
その晴菜の声は、何だか清々しそうであった。
柊哉も、その言葉を噛みしめていると、何だかもやもやがすっきりとしたような気がして、すっくと立ち上がると、
「うーん。」
晴菜の側で大きく背伸びをした。
そして、
「地球温暖化が進んでるから、もう、ここに雪が積もることなんてオレたちが生きている間には無いかもしれないよ。」
「そうね。でも、それならそれで…。」
「おじいちゃんとおばあちゃんになっているかも…」
「その時は、ここでお茶でも飲みながらひなたぼっこしましょう。」
「先生、何言ってんだよ。雪が積もってるってことは、寒いんだよ。日向ぼっこなんてできるわけないだろ。」
「ふふふ、そうね。じゃあ、カイロ持参ね。」
「ははは。」
「ふふふ。」
二人で笑い合ったあと、柊哉は気持ちを込めて言った。
「オレは…、絶対忘れないよ、その約束。だから、先生も、必ず来てくれよ。」
その言葉に、晴菜は静かに頷いた。柊哉の目をじっと見つめて、微笑んで。
柊哉はどこからともなく静かに吹いてくる春の風に向かってもう一つ伸びをした。
2007.3.24
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