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こくごの先生の部屋
第4部~エピローグ
『猫が見た空』
【第4部】
1
祭の当日。
朝方、急に雨が降り始め、遼介はちょっと驚いた。
が、実はそれは天気予報通りであったということを彼は後で知った。そして、これも予報通りらしく、昼前から、空はまさに雲一つ無い快晴となっていた。
お昼のニュースでも、アナウンサーがここのところ連日の真夏日だということを、凄いニュースのように連呼していた。
そして、午後。
時計の針は5時を回った。
鈴香は約束通り、電車で遼介の街にやってきた。
駅舎から外へ出てみると、もうかなりの人が街に繰り出していた。駅を出てすぐの所にも、もう既に屋台のようなものが出ている。
鈴香はそれを横目に見ながら、博物館を目指して歩いていた。
夜店は6時頃から始まるということであったが、もう営業を始めている店も随分あるようだった。「大きな道には山車も出て凄い人出になるので、少し早めにやってきた方がいいよ」、という遼介のアドバイスは的確だった。
少し進んで行くと、法被姿の老若男女があちこちに見える。。
どこで手に入れたのか、キラキラと光る風船とアイスクリームを持って嬉しそうに歩いている子どもとすれ違い、鈴香は思わず微笑んでしまう。
水路脇の道路に出ると、先日は暗い水面に街灯がちらちらとしていた水路も、今日は提灯やら何やらの明かりで、色とりどりの光が反射していて、とても綺麗だった。
次第に辺りは薄暗くなり始めていた。
もう9月だから、この時間でも結構薄暗くなっちゃうんだ、と少しだけ秋を感じる鈴香だった。
完全に陽が暮れたらまた綺麗だろうな、と華やぐ界隈を楽しみながら彼女は歩き続けていた。
祭ということで、この間ともまた様子が変わっている街並みにちょっと迷いそうになった鈴香だったが、やはりあの目印になるマンションが助けてくれた。
そして、あの角が近づいてきた。
この間、既視感めいた妙な感覚にとらわれたあの場所であったが、今日は何も感じなかった。
今日もまたあの感覚が到来するのだろうかと少し構えていた鈴香だったが、「まあ、そんなものかな。」と軽く思いながら、そこを曲がった。
お祭りの喧噪は一気に後ろへとボリュームダウンしていった。
路地を抜け、博物館のテラスに出た。
が、意外なことに、そこには誰もいなかった。
鈴香はゆっくりとテラスの模様の上を歩いていくと、あの黒猫のブロンズ像の下のベンチに座って、暫くぼんやりと考え事をしていた。
「お待たせ。」と、後ろから突然声がした。
鈴香はちょっと驚いてしまい、すぐに立ち上がって振り向いた。
そこには遼介が立っていた。
「あ、びっくりさせてゴメン。待った?」
「ううん。大丈夫。」
そんな会話を交わしながら、鈴香の姿を見て遼介はちょっと驚いた。
鈴香は、この間初めてここにやって来た時と同じ恰好をしていたのだ。
ただ、髪型だけが少し違っていた。
あの時は肩口まである髪をそのままにしていたが、今日は後ろで束ねていた。
自分を見つめる鈴香の視線を感じ、鈴香も、
「…この間と同じ恰好の方がいいかな…なんて思って。
髪は…何となく、くくっちゃった。」
遼介は、その鈴香の思惑が分かったような気がしたが、敢えてそこは何も言わず、
「いいんじゃない。可愛いよ。」
と、照れくさそうに、それだけ言うと、
「お祖父ちゃんは多分家で一杯やって、それから花火に合わせて出てくると思うんで、
…8時頃かな。」
「…そう。」
遼介は、ちょっと鈴香が肩透かしを食らった感じに見えたので、
「ウチに招待してもいいんだけど…。
良かったら一度連れておいでってみんなに言われてるんだ…。」
と言ってみたが、
「そう? でも、今日は急だし…悪いから、また今度にするわ…今日は外をぶらぶらしましょうよ。」
「そう。じゃあまたそれは今度の機会ということにしようか。」
「うん。」
時刻はもう6時を回っていた。
辺りはかなり暗くなっていた。
「もう、屋台とか色々始まってると思うんで、行ってみようか?」
「うん。」
そう鈴香は言いながら、歩き始めるとすぐ、
「あの…。」
と、立ち止まった。
「何?」
鈴香はやや申し訳なさそうに言った。
「もう…、閉まっちゃってるよね。」
鈴香の視線の先には博物館の新館があった。
遼介はすぐに言った。
「やっぱりそう言うと思ったんだよね。」
遼介は、鈴香の気持ちを前もって読んでいた。
彼は徐にポケットからいくつかの鍵がぶら下がっている銀の輪を取り出すと、ちょっと照れ臭そうに笑って彼女の目の前に差し出した。
「やっぱり、あの絵…見たいんだろ。もう一度。」
鈴香はにっこりと頷き、そして二人は薄暗い博物館の中へと入った。
「灯りは一部だけでいいよね。」
と、そんなことを呟きながら、遼介はあちこち違う所をパチパチと点けたり消したりしていたが、結果的に一階の入り口と階段の所だけ、灯りを点した。
そして2階の一部にも電灯が点るのが分かった。
「お祖父ちゃんにはちゃんと言ってあるから。」
そう言って遼介は鈴香の手を引いた。
何となくであったが、遼介は思わず鈴香の手を握っていた。
まだ少し昼間のエアコンの冷気が残っている中、それでも少し冷たく感じる鈴香の手は柔らかく、それでいてほんのりと温かかった。
階段を上りながら、遼介はどきどきしていた。
彼は「足もと…気を付けて」というのが精一杯だった。
そして、再びあの絵に二人は対峙した。
「千代子さん…、きっと、昔ここで…この絵を見たんでしょうね。」
「うん。」
二人は暫く沈黙していた。二人の手はつながれたままだった。
鈴香は、 稚拙ながらも、少女だった千代子が、この絵に思い入れ、その思いをあの絵に重ねたのだろう…そんな確信を持っていた。
…そして、きっとあそこに描かれた少年のことも。
「お祖父ちゃんに聞くのはやっぱり野暮だよな。」
ぽつりと遼介が言う。
「うん。」
鈴香も、そうは言いながらも、本当にあそこに描かれた少年が、若き日の平蔵なのだろうか…と、
そしてそれを確かめたいという気持ちは、強くなる一方だった。
そして、遼介も同じことを考えていた。
平蔵と千代子…
二人の間に、何かロマンスめいたものはあったのだろうか。
結局、そこでも結論は出ずじまいだった。
けれど、二人は妙な満足感に浸っていた。
そして、『黒猫館』を後にした二人は、祭囃子の聞こえ始めた通りへと歩き始めた。
2
祭囃子。山車を引く掛け声。
熱気の中に、時折吹く秋の匂いを含んだ風。
遼介にとっては、いつもの祭であったが、鈴香にとって、それはとても新鮮な感覚であった。
かき氷、たこ焼き、綿飴…と、二人は祭りを楽しみながらぐるりと近回りを一周して、また博物館のある通りへと帰ってきた。
時刻は、7時50分だった。
テラスに入ると、ベンチに誰かが坐っているのが分かった。
お祖父ちゃんだった。
平蔵は、濃紺の短パンに白いTシャツ。その上に革のベストを引っかけて、やはり、ベレー帽を被っていた。
常夜灯の明かりは抑え目であるので、あまり良くは見えないけれど、顔は少し紅潮しているように見えた。アルコールが入っているのだろう、ご機嫌そうだった。見れば、ベンチに缶ビールが置いてある。
「やあ、いらっしゃい。お祭りは楽しんだかね。」
「はい。」
そう答える鈴香を、やはり平蔵は暫く懐かしそうな目で見つめていた。
遼介は、
「もうすぐ、花火が始まるよね。…オレ、何か買ってくるから。」
そう言い残し、すぐにそこを立ち去った。
平蔵は、その遼介の様子を眺めていたが、
「あいつは何を慌てているんじゃろな。」
と言うと、にっこり微笑んで、
「…まあ、お嬢さん、ここへお掛けなさい。」
お祖父ちゃんは、ベンチに置いていた缶ビールを右手に持ち替えながら横を空けてくれた。
「あ、アリガトウございます。」
そう言いながら、ちょこんと腰掛ける鈴香。満足そうにお祖父ちゃんは鈴香の方に目をやりながら、一口ビールを飲んだ。
鈴香は、
「…あの、今日も黒猫館、ちょっと見せて頂きました。ありがとうございました。」
「そうか、そうか、それはよかった。あいつが畏まって『鍵貸して下さい。』なんて言うもんだから、一体何かと思ったが…。
お嬢さんの為なら、いつでもOKですぞ。ふァっはっは。」
平蔵は高らかに笑った。
鈴香も、
「はい、それにしても。とっても素敵なネコちゃんたちですね。」
と告げた。
すると、平蔵はにこにこしながら、
「…遼介に聞いたんじゃが、お嬢さんは、あの2階の正面の黒猫の絵がお気に入りだとか。」
鈴香は一瞬、ドキリとしたが、遼介がそのぐらいのことは話していてもおかしくはないだろうと、すぐに思い直し、平蔵に笑顔で答えた。
「あ、はい。何だかとっても懐かしい感じがするんで…。」
それは鈴香が何気なく口にした言葉であったが、その言葉に、ほんの少しではあるが、平蔵が動揺する様子がうかがえた。
鈴香は、自分が何か不味いことでも言ってしまったかと、今度は本当にドキドキしてしまった。
…が、平蔵は、暫くして、
「あなた…。桜井鈴香さんとおっしゃっいましたな。」
そして、
「その…、…あなたの血縁者の方で、この辺りに縁のある方がいらっしゃいますかね。」
それは、いきなり核心をつく質問であった。
が、ここは鈴香は、腹を括って惚けることに決めた。
「いいえ、残念ですけど。ちょっと…思い当たらないです。」
「そうですか…。」
その平蔵の言葉は、残念そうにも、ほっとしたようにも受け取れた。
「もう一つお尋ねしてもいいですかね。…あなたのお祖母様。お二人いらっしゃるかと思いますが、どちらのご出身の方ですか。」
「えっ…。」
と、鈴香は思わず驚いたが、今度も「二人」という言葉の意味を自分が勝手に取り違えていたということに気づいた。
それに気付くまで、暫く妙な間が空いたが、それを挽回するかのような明るい口調で答えた。
「えっと…。父方の祖母は私の実家のすぐ近くですが、母方のお祖母ちゃんは…県北です。」
「そうですか…。」と平蔵。
思わず「県北」と言ってしまったが、鈴香は正確には違ってたな…と、少し気まずく思った。でも、それは仕方のないことだった。
平蔵は、彼女の動揺を察知したのか、やや申し訳なさそうに言った。
「…すみませんな。いきなり変な質問ばかりで。」
「…いえ。私も、実はあの絵を見て何だか懐かしい感じがしたので、お祖母ちゃんに、ひょっとして私が子供の頃、この博物館に来たことがあるかどうか尋ねてみたりしたんですよ。
…でも、全然心当たりがないって。ちょっぴり残念でしたけど。」
「そうか…。やっぱり…。」
やや落胆する感じもあったけれど、平蔵の言葉の調子は明るく、ご機嫌な様子に変わりはなかった。
「始めてこの街に来た時も、何だか昔見たことのある風景みたいな所があちこちにあるんで、ひょっとしたらって。」
平蔵は黙って頷いていた。
鈴香は、そこで逆に問いかけてみることにした。
「お祖父ちゃん、あの絵に関して何か特別な想い出とかあるんですか。」
「うむ…。」
平蔵は、そこでもう一度、缶ビールをごくごくと、今度は少し多めに飲み下し、暫く虚空を眺めていた。
鈴香は、
「…あ、ごめんなさいね。
この博物館にあるものは全部お祖父様の大切な想い出が詰まってるものですよね…。変な質問してゴメンナサイ。」
平蔵は、鈴香のその言葉に直接返事をしなかったが、暫く間を置いてゆっくりと口を開いた。
「お嬢さん。ワシの戯言を聞いてくれるか…。」
3
平蔵の突然の申し出に、鈴香はやや驚きはしたが、すぐに答えた。
「…はい。もちろん…。」
その時だった。
「ヒュー ドドーン」
夜空に、突然一輪の大きな薄紫色の花が開いた。
思わず声を上げる鈴香。
「うああ、花火大会…始まっちゃいましたね。」
平蔵は、ほんのりと残像を残し、再び暗闇に戻った空を見上げたまま言った。
「いや、アレは試し打ちでの…。あれが上がった後、10分ほどしてからが本番じゃよ。」
平蔵は、流石に何年もここで花火を見ており、その辺りは熟知している様子であった。
鈴香はそっと、手元の時計を見たが、本当に7時50分を少し回ったところであった。
花火大会の開始時刻は8時の予定であった。
遼介はまだ戻ってこなかった。きっと、気を利かせてくれているのだろう。
心の中で「遼介、ゴメン。」と、感謝しながら鈴香は言った。
「ええ、是非…そのお話…聞かせて下さい。」
平蔵は、ゆっくりと鈴香の方を向き、懐かしそうに目を細めてまた鈴香の姿を見つめながら言った。
「もうかれこれ60年ほども前になるかの…。」
それから。
平蔵の言葉は、止め処なく流れる水の用に緩やかに、そして情感を持って流れ続けた。
それはとても悲しいロマンスだった。
「ワシがまだ中学2年だった時のことじゃ。もう、その頃…本館の方は、博物館として公開されていての、もともとあれも私の祖父が道楽で始めたんじゃが…。
ワシはここが大好きでの。いつも学校から帰ると、ここに寄って、宿題をしたり、遊んだり、と、ここを生活の拠点にしておっての。
あの黒猫の絵も、当時は本館…と言っても、その頃は本館しかなかったが。
…その1階の隅に掛けられておっての。
作者は、『阿藤』とか言う、この街出身の名もない洋画家の手によるものなんだそうじゃが、そんなこととは関係なく、ワシはあの絵が大のお気に入りじゃったんじゃ…。」
そこまで言うと、お祖父ちゃんはまた一口ビールを飲み、漆黒の闇に戻った空を暫く見上げていた。その眼は遠かった。
「ある時の…。ふらりと一人の女の子が博物館にやってきての。
あの絵の前でずーっと立っておったんじゃ。
それでの…。ワシも、あの絵が好きじゃったし、声を掛けようかなと思ったが、 なかなか純情な頃での…よう声をかけんかったんじゃよ。」
鈴香は、時折頷きながら聴き入っていた。平蔵は続けた。
「ところが、その子は暫くして、またやって来ての。またあの絵の前に立って、ずーっと見ているんじゃよ。その時は、ワシもよっぽど声を掛けようかと思ったんじゃが。やっぱりできんかった。
そして、三度目じゃよ。
ワシは1度目も2度目もよう声を掛けられんかったんで、『三度目の正直』と思って、…もしも、もう1度あの子がやって来たら絶対に声を掛けようと決めていたんじゃよ。」
そこで、初めて鈴香は言葉を挟んだ。
「それで…。3度目はあったんですか?」
平蔵はまたそこで少し間を置いたが、少し声のトーンを下げて言った。
「ああ、2回目からは暫く間があったんじゃが…。
あの日のことは本当によく覚えているよ…。
2回目から随分間が空いてしもうたんで、もう半分諦めたというか…忘れかけておったぐらいでの。
…その時、ワシは外に遊びに出ておっての。
夕方、いつものようにここに戻って来んじゃ…。」
「その子が…いたのね。」
鈴香の言葉に、平蔵は黙ってゆっくりと頷いた。
3
どこからともなく、ひんやりとした風が吹いてくる。
山車も、かなり遠くへ行ってしまったのか、祭囃子も微かにしか聞こえてこない。
平蔵はもう一度軽くビールを口にした。そして、再び話し始めた。
「そうじゃ…あの時。…あれはもう閉館間際じゃったんじゃがの…。
ワシは、『ただいま』って言うて、いつものように正面の玄関から入ったんじゃ。すると、私の父が何やら指さすので、その先を見るとな…。」
「いたのね、あの子が。」
「ああ、…やっぱり、あの絵の前にいたんじゃよ。」
「お祖父ちゃんのお父様も、その子のこと…覚えてたってことね。」
「うむ…。まあ、印象的な子じゃったし、ワシがあの子のことを気にしてるとい うことも、まあ端から見ればみえみえじゃったということかの…。」
「ふふ…。それで、お祖父ちゃ…ん声を掛けたの?」
「ああ。」
「何て?」
「ワシも本当にうぶじゃったと思うんじゃが、『あの…、もうすぐ閉館です』ってのが第一声じゃった。」
それを聞いて、鈴香は思わず笑い声を漏らしてしまった。
「ふふふ。可愛いわね。…でも、それで、その子が帰ってちゃって終わり。ってワケじゃなかったんでしょ?」
「ああ…。それでの、…ワシの顔を見て、その子が慌てて帰ろうとするんで、『閉館…だけど、もう少しいていいよ。』っての、ワシも慌ててつけ加えて…。
ホント、阿呆な声の掛け方じゃった…。」
「ふふ。それで?」
「うむ…。あの子はの、ぺこりとワシに頭を下げるとの…、
にっこり微笑んでくれたんじゃ。
…あの笑顔は今でも忘れられん。」
その時、平蔵の瞼の裏には、きっと色褪せないその子の笑顔が輝いていたのだろう。
彼は、暫く次の言葉を発することなく、目をつむって黙っていた。
そして、また再び話し始めた。
「それでな。ワシは、あの子に、勇気をふりしぼって、『この絵好きなの?』って、聞いたんじゃよ。」
「…それで?」
「控え目に、『はい』ってな…。」
「で…?」
「それからの…、ぽつぽつとじゃったけれども、暫く話をしたんじゃよ。
ただ、その話の内容はちーっとも覚えておらんが。」
「ふうん。でも、そんなものかも知れませんね…。」
とちょっぴり残念そうな鈴香。
「で、帰り際にの…。『また見においでよ』とだけ言ったのは覚えとる。」
「…それで、その次はあったの?」
鈴香は、どきどきしながら尋ねた。
彼女の脳裏には、病院のベッドで弱っているその子…千代子の姿が浮び上がっていた。
しかし、平蔵の返事は、彼女の想像を良い意味で裏切ってくれた。
「ああ…。その次はあったんじゃ」
それを聞いた鈴香は、ちょっぴりほっとしながらも、平蔵が発した『その次は』の『は』に微妙に力が込められていることにも気付いていた。
「それから随分と長い間、その子はこなかったんじゃが、夏休みになってふいに現れての…。」
「で、どうなさったんですか。」
「それはもう…、ワシは嬉しくて嬉しくて、照れながらじゃったが、ここぞとばかりに話しかけて、沢山話をしたんじゃ。」
「でも…どうして、そんなに長い間来なかったのかしら、お祖父ちゃん…そのことは…尋ねたの?」
それは酷な質問かもしれない、そう思いながらも、鈴香は勇気を出して尋ねた。
「いや…。それは何となく聞いてはいけないような気がして、尋ねずじまいじゃった…。
あれは、夏真っ盛りじゃったんじゃが…。」
そこで平蔵はゆっくりと深呼吸した。
「もともと色白の可愛い子じゃったんじゃが、何だか一層色が白くなっておっての…。ひょっとしたら病気じゃったのかも知れないと…。」
鈴香は、想像はしていたものの、実際にその言葉を平蔵から聴くと、さすがに胸が疼いた。
そして、思わず目を伏せてしまったが、平蔵は構わず続けた。
「ちょうど、今頃時分でしての。
…ワシはまた勇気をふりしぼって、『今度の夏祭りにおいでよ』と誘ったんじゃ。『この博物館の前から花火がよく見えるよ』…っての。
…この間、ワシがお嬢さんに言ったのと同じ台詞じゃの。
ふァっはっは。」
平蔵の笑い声は、少し哀愁を帯びていて元気がなさそうな感じもした。
しかし、鈴香は同時に、その笑い声の底にある何かしら温かなやわらかみも感じとっていた。
そして、すかさず彼女は、「それで?」と再び問いかけた。
「うむ…。約束してくれたんじゃよ。
『お祭りの晩に、ここに来ます』っての。」
4
鈴香は、もう驚かなかった。
自分の中で、今まで点と点だったものがすべて繋がったような気がしていた。たとえ、それが憶測の域を出ないものであったとしても…。
しかし、自分が思い描いていた以上に、平蔵に対しての自分の「役割」の重さを、彼女はひしひしと感じずにはいられなかった。
そして、慎重に尋ねるのだった。
「そう…。それで、お祖父ちゃん…その子と進展は…あったの?」
そこで、平蔵はゆっくりと鈴香の方へと向き直った。
「実はの…。
お嬢さんを初めて見た時じゃ、ワシは腰を抜かしそうになったんじゃよ…。
お嬢さんは…あの子に、そっくりなんじゃ。
『生き写し』という言葉があるが、まさにその言葉通りでの。
…ワシは時間が逆戻りして、あの子が帰ってきたのかと思ったよ。」
「そうだったんですか…。」
鈴香の言葉の後、暫く沈黙があった。
そして、平蔵は続けた。
「それがの…。
約束の晩。…祭りの晩になってもあの子はなかなか現れなくての。
ワシは友達の誘いも断って、ずーっと、この広場であの子を待っておったんじ ゃ…。
花火が終わっても、ずっと待っとった…。 ずーっとの…。」
最後の言葉をぽつりと呟くと、平蔵は静かに夜空を見上げた。
鈴香はその時、本当の意味で「確信」した…。
あの絵に描かれた「少年」は、このお祖父ちゃんに違いない…と。
…祖母の妹、千代子は、きっと…約束の日を前にして病気が悪化したのだ。
それで、祭の日にここへ来ること…平蔵との約束を果たすことができなかったのだ。
そして…。
病床で…、平蔵のことを思いながらあの絵を描いたんだ…。
だから…。
あの猫の絵に少年を描き加えたんだ…。
鈴香は胸が詰まった。
そして思わず…あたたかい涙が頬を伝うのが判った…。
鈴香はその涙を、平蔵に悟られないように左手の人差し指でそっと拭った。
何という偶然…。そして、なんて切ない話…。
思わず、鈴香は「やはり全ての真実を平蔵に語った方がいいのではないか…。」
そう、迷うのだった。
けれど…。やはりそれはいけないことのような気がし、思い直した。
そして、自分も黙って夜空を見上げた。
その夜空には、今日は星はあまり出ていなかった筈だった。
しかし、涙ぐんだ鈴香の目には、…そこには無数の星が、輝きながら揺れているように映っていた。
「…まあ、思えばあれがワシの初恋じゃったのかも知れん…。」
また、ぽつりと平蔵は呟いた。
そして、またすぐに平蔵は明るい調子に戻って続けた。
「しかし…。あれがきっかけで、ワシの『猫蒐集』がスタートしたんじゃから、
人生、分からんもんじゃの…。
考えようによっては、まだワシの初恋も終わっておらんちゅうことかも知れん の、ふァっはっは。
…もっとも、これは家内には内緒じゃがの。」
そう言って平蔵はもう一度高らかに笑うのだった。
それを聞いて、鈴香も言った。
「…そうだったんですかァ。
それがきっかけで、お祖父ちゃんは猫を…? そうなんだ…。」
平蔵はゆっくりと言った。
「ああ、そうなんじゃよ…。
もともと猫も、あの絵も好きじゃったし、で…の。」
その後、平蔵が何か口にしようとした、その瞬間だった。
その平蔵の言葉に、突然聞こえてきた高い音が重なった。
「ヒュー。ヒュー。」
そして、
「ドドーン。ドドーン。」
夜空に花火の大輪が開いた。
「わあ。」と、思わず鈴香は声を上げた。
「ドドーン。ドドーン。ヒュー、ヒュー。」
「パチパチパチ。ドドーン。バチバチバチバチ。ヒュー、ドドーン」
次々に花火が上がり、夜空は鮮やかな色とりどりの花で覆われた。
美しい花火だった。
暫くは、その光景に、言葉も目も奪われていた鈴香であったが、ふと横を見ると、平蔵も眼を細めて花火を見つめていた。
もう、平蔵もそれ以上は何も言わなかった。
鈴香も黙って、花火と、花火を満足そうに見つめる平蔵を交互に見つめていた。
その時。
平蔵の肩越しに、鈴香の眼に飛び込んできたものがあった。
そこには、花火の光を受けて静かに光っているものがあった。
…あの、ブロンズの猫だった。
鈴香はそこで気が付いた。
あの、ブロンズの猫が…。
あの猫が、いつも眺めている方角、いつも見上げていた空…。
そうなのだ。
それは、まさに、あの花火の上がっている方向であった。
あの猫は、平蔵の側で、こうして毎年一緒に花火を見上げていたのだ。
…しかも、よく見れば、その猫のポーズは、あの絵に描かれた猫と同じ…。
階段に坐って首を擡げている、あの猫と同じ恰好をしているのだった。
…『お祖父ちゃん。あのブロンズ像、かなりこだわって造ってもらってさ…、
置く位置にもめっちゃ拘ってたんだ…。』
遼介の言葉が、今、鈴香の耳に甦っていた。
鈴香の頬をまた一すじの涙が伝った。
「ヒュルルー、ドドーン。ヒュー、ドドーン」
花火は後から後から打ち上げられ、夜空は色とりどりの光の粒で埋め尽くされている。
「お祖父ちゃん。あのね…。」
鈴香はそこまで言って、言葉に詰まってしまった。涙が後から後から溢れ出ていた。
「ドドーン。ドドーン。」
花火の音は鳴りやまない。
平蔵は、左手を右にあてて、
「何かの?」と、鈴香の言葉を聴こうとしていた。
鈴香は、少し息を吸い込むと、肩と肩が触れ合うぐらいに平蔵に近づいた。
そして力一杯言った。
「今日は誘って下さってありがとう。
私…またここに遊びに来させてもらっていいかしら。
いっぱい…いっぱい遊びにきてもいいかしら。」
どうやら今度は平蔵にも、その言葉が聞こえたのであろう。にっこりと優しく微笑むと、
「…ああ、いつでもいらっしゃいよ。」
平蔵の幸せそうな笑顔が、夜空に輝く花火の光で映し出されていた。
そして鈴香は、そのまま平蔵と肩を並べたまま、夜空を埋め尽くす花火を見つめていた。
平蔵の肩越しに見えるブロンズの猫も、今夜は満足そうだった。
【エピローグ】
…あれから10年の歳月が流れていた。
「ここでいいかな。」
「そうね、もう少し近い方がいいかも…。」
「でも、ちょっと間隔が狭すぎない?」
「いいのよ。この2枚の絵はセットみたいなモノなんだから。」
「でも、これ、やっぱり右側の方が良くない?」
「左がいいの。すぐ右手に窓があって屋根でしょ。バランス的には絶対左よ。」
「判った。やっぱり学芸員さんの意見を尊重しなきゃね。」
「もう、ヤあね。」
「ははは。」
そして…、
その小さな絵は大きくて立派な額の左横に並べて展示された。
並べてみると、その小さな絵に描かれた黒猫は、明らかに大きな絵のそれを模倣したものだと判った。
ただ、小さな絵の方に描かれた猫の横には、優しそうな目をした少年がいた。
「お祖父ちゃんに…結局言えずじまいだったね。
…怒ってないかな…お祖父ちゃん。」
「大丈夫だよ。きっと天国でさ、彼女…千代子さんと再会して、黒猫を膝にのせてのんびりしてるんじゃない。」
「そうだと…いいわね。」
そこで、遼介は一歩絵の方に進み出て言った。
「…オレ、最近気付いたんだけど。」
「何に?」
「この絵のサインがあるだろ。」
遼介が指さしたのは、小さい方の絵だった。
「うん。」
「これってさ、『C・H』ってサインがしてあるけど、真ん中の『・』って何だか大きくないかなって。前から思ってたんだ。」
鈴香も遼介の横に進み出てそれに顔を近づける。
遼介は、
「これ、掠れててはっきりしないけど『&』じゃないかなって…。」
鈴香は、その部分を黙って見つめていたが、
「確かに、ふつうの『・』じゃないわね。言われてみると『&』に見えるわね。」
と呟いた。
「だろ。だから、ひょっとすると」
「ひょっとすると?」
「だから…、これって『Chiyoko& Heizo』なのかなって』
「まあ…。」
鈴香はそう言うと、改めて二つの絵を静かに見つめるのだった。
遼介は絵をみつめる彼女に、
「まさか、『Cat&Heizo』じゃないだろ…」
とついでに軽口を叩いた。
「もォー」とちょっぴり怒ったような顔をする鈴香。
遼介は笑いながら、
「よし。」
と一声発した。そして、
「じゃあ、ちょっと。仕事行ってくるな。」
と言った。鈴香は、
「はい。館長さん。」
「…その、『館長さん』ってのやめてくれよ、形だけなんだから。実質は学芸員の鈴香が管理してるんだからな。」
「ふふふ。」
「それより、そろそろミルクの時間じゃないの?」
「うん。そろそろ起きて泣き始めるころよ。」
二人の視線は同時に階段下の入り口のフロアの隅へと移った。
そこには可愛いベビーカーが置いてあった。
その中には、すやすやと寝息をたてて眠っている可愛らしい赤ちゃんの姿があった。
そして…、
その外ではあの黒猫が、今日も静かに穏やかな空を見上げていた。
《了》
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