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ある人から言われた 「お前は八割適当二割ウソ」 こと shanghai-kです!ある日、嫁から言われた。「お前は自己中心的だ」なぬっ ヽ(`Д´)ノ < ハイチュウ 、 ジコチュウ 、ホッペニチュウ!おっしゃる通りだ。嫁以外にもいろいろな人から言われる。。。反論の余地もない。が、どっちもどっちだ。「お前は自己中心的だ」という言葉自体がおかしい。自己中心的でない人は、きっと相手を自己中心的だとは思わない。中心が自分にあり、相手の主張が自分と反するために、相手を自己中心的だと思うのだ。つまり、自分が自己中心的だということだ。兄弟喧嘩で、「お前のかーちゃん でべそ!」って言うぐらい、自分の事を言っているのだ!なんて事を真顔で冷静に言ったら、更に怒られた。。。火に油を注いでしまった。いや、ダジャレばかり言う酔っ払ったおっさんのグラスに酒を注いでしまった。夫婦喧嘩 、夫婦間の問題は、全て自分だ。言い換えると、全て鏡に映った自分だ。相手に問題があるのではなく、自分自身に問題があるのだ。何故その問題が起こるかというと、自分が正しいと思っている思い込み、自分の心の中の抑圧された問題、自分の心の中の幼い頃のトラウマ、といった、自分が改善すべき問題が潜在意識下から顕在意識上に現象として現れたものだ。自分が改善すべき問題点を気付かせてくれているのだ。結局、その自分自身の問題点が解決されなければ、同じような事がいつまでも繰り返される。他の人間関係上や普段の生活上でも同じだ。ただ、夫婦の関係上、一緒に生活する時間も長いし、素の自分をさらけ出した、無意識状態で接する事も多く、それが潜在意識下で、ぶつかり合ってしまうのだ。そして、自分の柔らかい場所を容赦なく刃物で刺されてえぐられて、奥深くに隠されているドロドロとした汚いヘドロを外にぶちまけられるのだ。きっと、これらをお互いに気付かせてくれるために自分の一番良い部分と一番嫌な部分を凝縮して固めて作ったものが結婚相手あり、自分に一番良い事し、一番嫌な事をしてくれる存在こそが、結婚相手なのかもしれない。良いも悪いも表裏一体だし、愛情も憎しみも表裏一体で全ては一元的なのかも。真剣に夫婦喧嘩をして、自分の醜い場所をえぐり出してそのえぐり出された中に、翳りのない純粋で無色透明な綺麗な玉をそっと埋め込んでくれるのが、真の配偶者であり、ソウルメイトであり、前世との因縁であり、それを経験させるために、今世で出会わてくれたのだと思っている。自分の嫌な部分を改善し、自分の良い部分を相手に与えていこうとしていけば、自分自身が変わり、相手も変わっていくのだと思う。最近もたまに夫婦喧嘩をするが、表面的な部分だけでなく、その本質は何なのかとか、何故こんなことが起こったのかとか自分の改善すべき点は何なのかとか、自分に何を気付かせようとしているのかとか、結構真剣に朝まで寝ずに考え続けたりしている。最初はすぐわかったのだが、近頃はより根が深くなり、深層心理に眠っている幼少期のトラウマだったり、もしかすると前世の因縁だったりと、理解できない事も多々ある。夫婦喧嘩が悪いことだとは思わない。するべくしてするのだ。苦しいことは苦しいが、そんな相手に出会えて良かったと心から思う。「夫婦は合わせ鏡」なのだと思う。☆夫婦は合わせ鏡いつものようにわかりにくくshanghai-k的にまとめると、鏡の自分に対し、ボールを投げればボールが返ってくるし、う○こを投げればう○こが返ってくるのだ。。。全て自分とのキャッチボールだ。う○こを投げている場合ではない!色々と反省し、感謝し、もっと、自分を変えていこう!嫁の声が遠くから聞こえてきた。「パソコンばかりいじってないで、何なに手伝え!」とか中国語で言っている。「うるせー。今 真剣にブログ書いているんだ!」嫁「お前は自己中心的だ」僕「お前こそ自己中心的だ」なぬっ ヽ(`Д´)ノ中国語を直訳するとこんな感じ、嫁「何エラそうな事言ってん!!コラ!」僕「何がやりたいんだ!!コラ!」嫁「何がコラじゃ!このぉ馬鹿やろう」 僕「何コラ!タコ!コラァ!」 嫁「なんやコラぁ」 僕「来いよこの野郎!」 嫁「やれんのか?オイ」 僕「ぶっ潰してやる! ガンッ(マイクを投げ捨てる)」 『江山易改,本性难移』『三つ子の魂百まで』自分を変えるって難しい。。。自分って何なのだろうか。。。もしかすると、永遠にわからないのかも知れない。。。
2014年12月19日
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桃栗三年柿八年中国生活十二年 shanghai-kです!※山田くーん 座布団一枚やっとくれある日、何だか忘れたが、嫁と言い合いになり、怒ってる嫁に言われた。嫁「お前はバカだ!」なぬっイラッとした。(怒)僕「そんなバカと結婚したお前がバカだ!」嫁「結婚したのが間違いだった」僕「今頃そんな事に気づいたお前はやっぱりバカだ!」嫁「ぬぬっ」僕は勝った。夫婦喧嘩という試合に勝った。言わば、肉を切らして骨を断つ!試合に勝った。捨て身の戦法で勝利の女神は僕に微笑んだ。が、その後まくらを投げつけられた。試合に勝って勝負に負けた感があるのは、何故だ?というように、些細な事で日々、小競り合いが繰り広げられる。その後、お互い反省し、謝り、和解し、言い合った事も忘れる。たまにはお互い褒めあったりもする。が、またいつものように試合が始まる。なんというか、お互いバカだ。。。何故、夫婦喧嘩をしたり、怒ったりするのだろうか?理由は簡単だ。単に、自分の思い通りにならないのが、不快なのだ。自分を否定されたり、批判されたり押しつけられたり、強要されたり無視されたり、なんやかんやある事ない事いろいろ言われたりすると、不快な感情が生まれてイライラするのだ。その、不快な感情を生み出すのが、「自我」という自己防衛本能の自動プログラムだ。自我(エゴ)は、欲しがったり、人と比較したり、争ったり、自分が!自分が!と自分を主張するのがするのが大好きだ。そして、相手に対して、「お前はどうたらこうたら」なんて自分の正当性を主張し、相手の欠点を指摘する。はて、自分が相手に言っている事って正しいのか?まぁ(子供と家族を第一に考えている嫁の言うことは大体正しい)と言うことはさておき、世の中は自分の鏡なのである。自分自身のフィルターを通し、自分の好きなように世界を見ているそんな自分自身が投影されている。相手に対する不満って、自分自身が直すべき、自分自身の弱点だ。弱点の正体である「エゴ」が鏡に映っている。自分自身を客観視するための鏡が目の前にあり、鏡に映った自分と喧嘩している。。。相手や物があたかも目の前に存在するように思われるが、自分が生み出した幻想だ。目の前にあるものこそが、自分自身だ。自分=他人 、自分=子供、自分=テーブル・・・そこに境界線はないのだ。。。何を書いているのかよくわからなくなってきた。格言風にまとめると、「夫婦喧嘩とは自己を習うなり!」つまり、夫婦喧嘩をする事により、お互いが本当の自分に気づき、お互いが本当の自分を見つめ、お互いが本当の自分に近づいていくのだ。そうすれば、いつの日か、透明なフィルタ越しに、本当の自分が見えるのだ。。。そんな事を考えながら、また、仲直りして嫁が作ったご飯を一緒に食べた。が、おかずがすげーしょっぱい。イラッとした。(怒)僕「何だこのしょっぱい料理は? お前はバカか?」嫁「そんなバカと結婚したお前がバカだ!」僕「ぬぬっ」やはり夫婦は鏡であり、相手にした事は自分に跳ね返ってくる。なんというか、お互いバカだ。。。とりあえず、「ごめんなさい」と謝った。そして、「ありがとう」と小さな声でつぶやいた。
2014年03月04日
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嫁のアイブローで息子の眉毛をクレヨンしんちゃんみたく太くしたら、本気で怒られた shanghai-kです!夫婦は合わせ鏡なんて言葉を聞く。意味はわからない。。。夫婦喧嘩が絶えない。ささいな事にいら立ち、昭和時代のプロレス興行のスケジュールのごとくバトルが繰り広げられていた。が、ある事をきっかけに、ほとんど夫婦喧嘩をしなくなった。夢にまで見た、ヘビー級三冠統一のチャンピオンベルトを一度も腰に巻かずに挑戦をあきらめた。ある事をきっかけにある事に気が付いた。「平日の昼間からゴロゴロォゴロゴロ。あーあ旦那がジョニーデップだったらいいのになー」ってありえない!異常にデッブな旦那に嫁ぐのが関の山だ。平日の昼間からゴロゴロしているような女性とハリウッドスターが出会うチャンスは皆無だし、出会っても、そんな女性に惚れる訳がない。結局、自分と似たような年齢、人種、家柄、宗教、所得水準、文化水準、教育水準、行動パターンの人と出会う確率が高く、結婚する人は大体自分と近い価値観だろうし、そして、同じ物を食べ、同じテレビを見ながら同じ言語で会話して、同じ布団で寝ていれば、趣味嗜好、思考パターンなどもいつの間にか似てくる。そう。夫婦は鏡 なのだ。。。そして、夫婦に限らず、世の中って自分の鏡みたいなものかもしれない。例えば目の前にリンゴがあるとすると、人がそれをリンゴと判断するのは、その物を目で色や形を見て、その物の音を聞いて、その物に触れて、その物の匂いを嗅いで、その物を味わった五感を通じて認識された情報を頭や心で過去の知識や経験などを元にそれがリンゴであると判断される。色弱の人と普通の人では違う色に感じるかもしれないし、味覚の違いにより、甘いとか酸っぱいとか違う味に感じるかもしれない。そしてそれらを総合した結果、このリンゴはおいしくて好きだとか、不味くて嫌いとかのリンゴの評価が判断される。たとえ同じリンゴであっても、自分と人が判断するリンゴは異なるものに違いない。つまり、そのリンゴは自分の五感や脳や心のフィルターを通して映し出した自分が勝手に想像した自分の世界の自分だけのリンゴだ。もっとわかりにくく例えると、「自分の周りはバカばっかりでろくな奴がいない」なんて言う人は自分が難しい話がわからず、バカな話しか理解できないし、自分がバカだから、バカしか周りに集まらないからそのように見えるのかもしれない。「街中はいやらしい恰好をしたビッチばかりだ!」なんて言う人は女性をそのような目でしか見ていないし、自分がエロくていかがわしい場所にばかり行っているから、そのように見えるのかもしれない。結局自分の目に映る世界は自分が見たいものだけが自分が考えて思った通りに、自分の考えや心といった、自分自身が写しだされている。そう。世の中は鏡 なのだ。。。例えば、目の前の人をぶん殴るとすると、きっと同じようにぶん殴られるか、、訴えられて、周りには同じように理不尽に人をぶん殴るような似たような奴ばかりが集まるような場所に監禁される。鏡に向かってした行為は、自分に跳ね返ってくるのだ。鏡に映った物を嫌だと感じたのなら、きっとそれが自分の嫌な所なのだ。話を元に戻して、夫婦喧嘩の話を続けると、そう。ある事をきっかけに気が付いた。嫁が、時折ドアを開けたままトイレに入ってう○こする。そんな自分も時折ドアを開けたままトイレに入ってう○こする。ドアが開いてようが閉まってようがトイレの中でする事は同じだ。別に大した問題ではないので、お互い全く気にしない。ある日、開けっ放しのトイレの中にいる嫁と目があった。そして、嫁はにこっと微笑んだ。そして、僕もにこっと微笑んだ。やはり。夫婦は鏡だ。。。どちらかがトイレのドアを開けたままなら、相手も開けたままだし、どちらかが微笑めば、相手も微笑し、どちらかが不機嫌であれば、相手も不機嫌だし、どちらかが喧嘩をふっかければ、相手もそれに応じる。鏡の中の自分に微笑めばよいし、鏡の中の自分を褒めればよいし、鏡の中の自分に感謝すればよい。鏡の中の自分からもらうのではなく、 鏡の中の自分に与えればよい。鏡の前の自分が変われば、 鏡の中の自分も変わっていく。。。なんて事をぼんやりと考えていると、となりの方が騒がしい。嫁が子供をお風呂から上がったが、体を拭かれるのを嫌がり、子供は 「不要! 不要!」と言いながら、裸で逃げ回っている。嫁は 「待て! 待て!」と言いながら、裸で追いかけている。そう。親子も鏡だ。。。ブログなんて書いている場合じゃね~裸祭りの開催だ!!!服を脱ぎ棄て、自分も裸祭りに参加した。。。◎補足大切な人に「愛してる」とちゃんと伝えてますか?僕はちゃんと伝えてますよ!ウォー アイ ニーと言ってみる
2013年09月08日
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おしりよければ、全て良し。shanghai-kです!とある日、嫁が家出した。いつものように夫婦喧嘩をした時、嫁がぶちきれた。リュックサックに荷物をまとめ「もう帰らない」といい放ち、家を飛び出した。嫁が家出したのは初めてのことだ。(いつもは僕が家を出る)子供と二人きりで家に取り残された。子供は母親がいないことに気付き泣き出すし、オムツがうんこでたっぷんたっぷんしてるし、子供がお腹がすいたらしく、更に泣き出すしやたらと動き回ってじっとしていないし、物がどこにあるかよくわからないし、僕もお腹が空いて泣きそうになった。。。そして、子供に灰太狼与喜羊羊のアニメを見せると、ようやく落ち着きおとなしくなった。その間にいろいろ考えた。さて、どうしよう。二日後には、上海に出張しなければならない。もし、嫁が帰って来なかったらどうしよう。最悪、一緒に上海に行き、抱き抱えて一緒出勤するかとか今後子供をどう育てようかとか、子供が大きくなった時に母親のことを聞かれたら何と答えようかとか、言い過ぎた。喧嘩しなければよかったとか、自分のことばかり考えた子育てや家事をもっと手伝うべきだとか、とにかくお腹が空いてふらふらしながら、頭がぐるぐるするぐらい考えた。自分にとって大切なものって何だろうって考えた。。。本当に大切なものって意外と自分では気付きにくいのかも。。。そして、子供がアニメを見るのに飽きてまた、泣き始めた。「ママー、ママー」言いながら泣き続けている。僕も泣きそうだ。。。僕にとって何が大切なのかようやくわかりかけてきた。。。子供が泣き続けてらちが開かないので、子供を散歩連れて行こうと、玄関を開けたところ、嫁が帰ってきた。すごく嬉しかったし、すごくほっとしたし、すごく感謝した。。。子供もとても嬉しそう。3時間ぐらいの家出であった。そして嫁が、僕の大好きな、番茄炒蛋を作ってくれた。なんだか、涙が出そうだ。目をうるうるさせながら、番茄炒蛋を食べながら、気付いた。そう、僕にとって大切なものにようやく、気付いた。番茄炒蛋ってすげー美味しい。僕ってこんなに 番茄炒蛋が好きだったことにようやく気付いた。僕にとって 番茄炒蛋を食べることって大切なことだ。。。今度また、嫁が家出したら、近所の中華料理屋さんで、たらふく番茄炒蛋を食べようと思った。。。
2013年06月29日
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ブログを更新せよと神のお告げにより、仕方なくブログ更新中のshanghai-kです!いつも、子供を抱きしめ、「ウォー アイ ニー」と言っている。すると、子供はいつの間にか言葉を覚え、「アイ ニー」と言って僕に抱き着いてくる。何だかとてもうれしい。。。。。ある日、嫁にも「ウォー アイ ニー」と言ってみた。すると、怪訝な表情で、僕の携帯を取り上げ、着信履歴やら、ショートメッセージ記録やらを調べ始める。嫁「何だか怪しい。。。」僕「勝手に人の携帯見るな!」と中国語で バトルの口火が切られる。。直訳するとこんな感じ。僕「何がやりたいんだ!!コラ!」嫁「何がコラじゃ!このぉ馬鹿やろう」 僕「何コラ!タコ!コラァ!」 嫁「なんやコラぁ」 僕「来いよこの野郎!」 嫁「やれんのか?オイ」 僕「ぶっ潰してやる! ガンッ(マイクを投げ捨てる)」 まぁ何と言うか、日頃の行いってとても重要だ。。。
2013年05月17日
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無慈悲な筋トレで無慈悲なマッチョ化計画推進中のshanghai-kです!ついに、日中戦争が勃発した。いや、正確に言うと、家庭内日中戦争が勃発した。すなわち、夫婦喧嘩が始まった。嫁はほとんど日本語ができないので、中国語で口げんかする。直訳するとこんな感じ。僕「何がやりたいんだ!!コラ!」嫁「何がコラじゃ!このぉ馬鹿やろう」 僕「何コラ!タコ!コラァ!」 嫁「なんやコラぁ」 僕「紙面飾るなって言ってんだコラァ」 嫁「お前が言ったんだろ!このぉこの野郎」 僕「言ったのはてめぇだろう、コラァ」 嫁「おい・・・」 僕「何コラァ」 嫁「いつでもやるぞ!コラァ!お前死にてぇんだろうこの野郎。」 僕「お前今言ったなコラ」 嫁「おう言ったぞ」 僕「吐いた言葉飲み込むなよ!お前」 嫁「それはお前もじゃコラァ 舐めとんなよ(?)このやろぉぉ!」 と、まさに、武力行使(無慈悲な鉄槌)が行われるその時、子供が泣き出した。。。そこで、ふと冷静になった。自分たちは何をしているのだろうか?何故争っているのだろうか?そうそう。発端は、僕が買ってきたお菓子を嫁が食べてしまった事だ。たしか、僕の大好きなチートスだったと思う。いや、ポッキーだったかもしれない。ってそんなのはどっちでもいい。つまり、楽しみにとっておいたお菓子を横取りされてしまい非常に腹がたった。そこから、夫婦喧嘩となった。。。よくよく考えると、実にくだらない。喧嘩の原因なんてこんなものだ。原因は単なる大人のエゴだったり、ちっぽけな自尊心だったり。利己主義で自分の利益しか考えていない。勝手に自分と相手との間に線引きをし、自分だけが、楽しく、利益を得て、得をすればよいと考えている。そうそう。しかもそのお菓子は、僕のでなく子供のお菓子だった。。。このくだらない大人のエゴで傷つき、被害を受けるのは、子供だ。おっさん、おばちゃんや生い先短いお方の勝手な都合や利権で物事が決断されてしまってよいのだろうか?いろいろな場念で、いろいろな選択がある。その選択って一体誰のための選択なのだろうか?子供や、次の世代を担う人達が幸せに、安心して暮らせる社会を作り上げていく事こそが、大人達が決断する正しい選択なのでは。。。なんてことをふと冷静に考えてみた。。。結局、新しいお菓子を買ってきて、3人で仲良く食べました。。。そして、バクバク食べ続けていると、嫁が、「お前一人で食ってんじゃね~」みたいな事を中国語で言い 論争が開始される。。直訳するとこんな感じ。俺「来いよこの野郎!」 嫁「やれんのか?オイ」 俺「ぶっ潰してやる! ガンッ(マイクを投げ捨てる)」 これが、家庭内第二次日中戦争へ突入したいきさつである。。。
2013年05月16日
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お前は一言多い。とよく言われる shanghai-kです!家族で動物園に出かける。コアラがいる場所を歩いていた。コアラを触りながら、写真を撮るサービスがある。横のボードには、写真1枚50元と書いてあった。嫁は、「触って写真撮るだけで50元なんて高すぎる!」なんて言っていた。僕は、日本人同僚と話すような感じで、「50元なら安い。飲みに行ったら、300元のチップを払っても触れない!」みたいな事を思わず、口ずさんでしまった。嫁は笑顔で一言、「来月から、こづかい 一切なし!」口は災いの元。。。
2013年05月07日
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カラオケで曲を入れ間違えると必ず、演歌が流れる。とても不思議。。。 shanghai-kです!ある日、家に帰ると、嫁が子供にドレミの歌を歌っている。以前僕が歌っているのを聞いて、マネして歌っているようだ。「ドー はドーナツのド」「レー はレモンのレ」「ミー はミカンのミ」なぬっミカンのミ ????お腹すいてる???片言の日本語で、しかも、全部同じ音階で歌っている。。。なんだか嫁、可愛い。。。そして、あまりの可愛さに抱きしめようかと思ったが、子供の方が100万倍ぐらい可愛いので、子供をギュ~っと 抱きしめた。。。
2013年05月03日
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恥の多い生涯を送ってきました。shanghai-kです!夫婦って何だろう?一言で言うと「エロとエロのぶつかり合い」それも一理ある。僕が思うに「エゴとエゴのぶつかり合い」だ。違った環境で育った赤の他人が、限られた空間と時間と資産の中で、一緒に生活を続け、エゴがぶつからぬはずがない。ましてや年代も国境も異なり、お互い自分が正しいと頑なに思い続けている。そんな訳で、まぁしょっちゅうケンカする。奥さんは日本語が話せないので、中国語で口げんかし、連戦連敗だ。白帯が黒帯のホームで試合をするようなものだ。怒涛の攻撃で常に防戦一方だ。しかもいろいろと脛に傷を持ちたたけば埃の出る身。戦う前からすでに胴着は穴だらけでボロボロ。まず、勝ち目はない。というな感じでいろいろと話し合っている内に口げんかになり怒りという感情が生まれる。怒りって何だ?自分が絶対的に正しいと思い込み、物事が思い通りに進まなかったり、妨げられたりしたときに発生する感情のようなもので、自分がその感情に囚われて周りが全く見えなくなっている状態というようなものだろうか。何だかよくわからないが、怒って得することなど全くなく、精神と肉体が傷つけられていくだけだ。こんな風に自己中心的に怒ってばかりいる自分は何てちっぽけな器なのだろうか。犬のチンコ程の器しか持ち合わせていない。夫婦げんかをし、怒りの感情が生まれた時には、決まってある行動をする。全裸になり奇声をあげながら外に飛び出したい気持ちを押さえつつ、無言のままドアを大きな音で力強く閉め、外へ出かける怒りをコントロールするなんて簡単なことだ。まずは、怒っているという感情を認識し、次に怒りが発生した箇所の現象を突き止め、次に怒りが発生した原因を追及し、最後にその現象を多角的に分析するだけだ。それだけで怒りはコントロールされ自然と鎮まっていく。僕は大抵近所の24時間営業のマクドナルドへいき、ハンバーガーを口にしながら、この怒り撲滅分析作業を遂行する。が、分析しても何故自分が怒ったのかよくわからない。しかも自分が何に対して怒っているのかもよくわからない。でも、いつの間にか怒りの感情は消え去っている。全ての謎はとけた!!! (時計型麻酔銃の用意)単にお腹が減ってイライラしていただけだったのだ。偉そうに理屈ぶり小賢い話なんかをしているが結局、人間が持つ本能のような欲に支配され、それに振り回されてもがき苦しんでいる。自分って救いようのないバカだな~とつくづく思う。そして颯爽と家に帰り、怒ってごめんなさい。お腹がいっぱいになりました♪ と一言告げて、何事もなかったように口元にソースをつけたまま、話の続きを行う。。。。
2012年11月25日
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