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海外で好かれるアニメキャラって?http://moonlight.big-site.net/misc/suki_kirai4.html海外で嫌われるアニメキャラって?http://moonlight.big-site.net/misc/suki_kirai3.html
2006.02.14
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オタクであると書けばこのブログも当然のように攻撃されると思っていたのだが何ともないな。これではどこまでも私が暴走しそうなので自戒のためにオタク叩きを貼ってみる。アキバ系オタクにありがちなこと・自分と少しでも異なる意見を持つ人を激しく攻撃するかバカにする。・少しでもお洒落をしている人は全てDQN(不良)だと脳内変換する。・一般人を「マスコミに踊らされているバカども」というふうに 思っているが自分たちは2chのデタラメな情報に踊らされている。・アニメの可愛い女の子は大好きだが、現実の女の子とは怖くて喋れない。・貧乏で育ちが悪いせいか、金持ちや成功者を妬む。・過剰に人の目を気にする。・携帯の登録者数は5件未満。・人の不幸を自分の糧とする。・声優を美化している。演じているキャラと同一視していることも多い。・結婚を否定する。結婚「しない」んじゃなく「できない」だけなのに。ただ、私はあんまりあてはまらないんだよなー、これ。>自分と少しでも異なる意見を持つ人を激しく攻撃するかバカにする。これはオタクに限らず人類の性ですね。ただ、オタクの場合、感情任せに叩くというより、理論的に(でも実は屁理屈)何に問題があるかを指摘するからかえってたちが悪いのかも知れない。もっとも基本オタクは衝突を避け無益な争いを避ける。攻撃されでもしない限り積極的に戦いを挑みに行かないです。誰かを傷つけるのも傷つけられるのもいやなんだ。>少しでもお洒落をしている人は全てDQN(不良)だと脳内変換する他人の服装なんて興味がないですね。男は特に。でも女の子の可愛らしい服は好きなのでどんどん着飾って下さい。あ、露出は少ないほど好き。ギリシャ神話のアテナみたいに全身を武具甲冑で固めるってのも良い。でもたぶん補導される。>一般人を「マスコミに踊らされているバカども」という風に思っている突き詰めていけば誰もが踊らされているのです。犯人は利己的な遺伝子ですね。ドーキンス先生が言っていました。少なくとも私はドーキンス先生に踊らされています。>アニメの可愛い女の子は大好きだが現実の女の子とは怖くて喋れない。これは当てはまる。トラウマになってるんですよ。ただ人間一般に恐怖心があるので女の子限定でもないか。もっとも最近二次元にはまりだして妙な余裕が出てきました。所詮現実世界なんて仮の住まいではないか、という(余計にダメじゃん)>貧乏で育ちが悪いせいか、金持ちや成功者を妬む。裕福な家庭で、この上なく素晴らしい両親を持っています。それで何で私みたいに育つのだろうね。他の兄弟は優秀なのにさ…。私の場合幼稚園の頃から変わった子と言われていたから真性か。金持ちや成功者を妬むことはないですね。他人は他人、興味なし。それに私はお金や成功にあんまり執着がないしなぁ(むしろそれが問題)>過剰に人の目を気にする。これは当てはまる。電車に乗っていても音漏れしてないかなとか、近くにお年寄りいないかなとか、空いているし漫画読んでも良いかなぁとか、何もしていないのにいきなりセクハラの嫌疑かけられたらどうしようかなぁとか・・・次から次へといろいろ考えてしまいぐったりです。座席に寝転がったり、おおっぴろにスポーツ新聞広げているおじちゃんがうらやましいよ。>携帯の登録者数は5件未満。30件。ただしよくメールを送るのは2人(母親と友達)。あぁ・・・。尚、友人とのメールの文字数はやたら多く20行くらいざらで、滝のような文章です。いや、案外みんなもこんなものなのかしら。比較しようがないから分からない。>人の不幸を自分の糧とするこれも人間の性ですね。何も否定的に捉える物でもない。他人の失敗から自分を見直し成長につなげることも大切だ。でもオタクは他人より自分自身の不幸を笑う事が圧倒的多数です。>声優を美化している。演じているキャラと同一視していることも多い。私は声優オタクではないからよく分からんけども、そういうこともあるかも知れない。ただ美化は声優に限らない。誰であれ好きなものは勝手に美化してしまうものだから。また誰もが役を演じているけど、それを信じることによって社会は成り立っているわけで何も否定的に捉えるものではない。儀礼の相互行為…ゴッフマンだっけ?忘れた。>結婚を否定する。結婚「しない」んじゃなく「できない」だけなのにそれならまだ良い。一般人には理解の出来ないさらにその先が、実はあるのですよ。つまり本当に「しない」という人達。人間よりも仮想世界のキャラしか愛せない人達。実際に美少女ゲームにはまって現実に付き合っていた女性をふった男もいるくらいですからね。世の中広いですね。あ、その場合でも「できない」になるのか。言葉遊びじゃん。こんな感じですね。悪意を持って書いたつもりだろうけども、ここに書かれているものよりさらに先の世界にいるんだよ。
2006.02.13
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ジャンプ最新号のこち亀で「ローゼンメイデン」が登場していました。掲載雑誌が超マイナーな割に確実に市民権を得て参りました。私の中でも文句なしに殿堂入り作品です。ちなみに以下のものが私の歴代の殿堂入り漫画です。名作度というより私の波長に合った作品なのでご了承を。「漂流教室」「火の鳥」「レベルE」「ジョジョ」「カイジ」「最強伝説黒沢」「バキ」「ルサンチマン」「あずまんが」「苺ましまろ」「ローゼンメイデン」一体どういう心境の変化があったのかを考えると、頭を抱えたくなりますね。これに今日、新たな殿堂入りが追加されました。かしましあぁ、どんどん危ない世界にはまっていく。これはある日突然女の子になってしまった主人公が、女の子と恋愛するという話です。もうそのまんま、私の願望じゃないですかー。これは萌え死ぬ・・・。戻れない所まで来てしまった・・・。 2月下旬まで楽天ブックスは送料無料なので、興味のある方はどうぞ。だけど・・・元の世界へ戻れなくなるかも知れませんがね。
2006.02.13
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テニスの王子様(動画)久々に笑った。もう、何だよこれ。ギャグだよね。これを見た外国人の反応も面白いです。「謎は解けたっ!恐竜はテニスボールによって滅亡したんだっ!」でも本編の漫画でも試合中に分身するからな・・・。最近のテニスってレベル上がったよね。中学レベルでこれだよ?大人になったら時を止めるくらい平気でやりそうだ。
2006.02.11
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オタクといっても定義が曖昧なので、ここでは余暇、あるいは可処分所得の大半を漫画・アニメ・ゲームなど虚構性の高い物に、費やす人のことをオタクと呼ぶことにする。といっても、定義したは良いが私の交友関係はきわめて狭く、オタク友達は3人しかいないので参考程度に留めて欲しい。オタクでない友達なんていないが気にするな。・゚・(ノД`)まず外見だが、これは至って普通・・・だと思う。太ってもいないし極端にやせているわけでもない。一人は文化部だが私を含む残り3人は運動部(なぜか全員武道関係)なので結構しまった体つきをしていると思う。顔も全員これといった特徴がないな。少し哀愁漂っているけど。ここまで来ると「ほらね、オタクは普通の人と変わらないんだよ」と結論づけたくなるのだが・・・ごめん、それは無理だ。全員かなり濃いのだ。普通なのは私くらいである。私は実に紳士的だ。いつもほほえみを欠かさず、下ネタにも参加せず、誰に対しても丁寧で上品な喋り方をする。密かに、私の空想上のイギリス紳士を演じているのだ。だから「伯爵」というあだ名はとってもお気に入りなのだ。でもどうやらこの「伯爵」はドラキュラ伯爵から来ているらしい。なんて事だ!確かに顔色が悪く太陽にも弱いが吸血鬼じゃないわい。しかも話によると私の笑い方はかませ犬になりがちな紳士ぶった悪役の笑い方だ、とか、喋り方が何となく悪徳弁護士や三流詐欺師のようだ、とかひどい言われようである。他にもすぐに演説を始める、全く人の話を聞かない(空想世界にいるんだよ)聞いていても都合の良いように曲解する(そ、そんなつもりはないんだよ・・・)慇懃無礼で、皮肉やブラックジョークがやけに多いと指摘が続くのだが、これ以上言われると枕を濡らす一夜を明かすことになるのでやめる。しかし言わせて貰えば私以外の3人も似たり寄ったりである。喋り方もなぜか全員標準語に近い(きっとアニメの影響)。少なくとも「まじうざいんすけど」みたいな喋り方はしない。「あれはよろしくないね。まず…(この後具体的に説明)」という。こういう喋り方は少なくとも関西では非常に嫌われることを少しは自覚して欲しい。私もだが。後、共通して格闘技やジョジョ、バキといったバトル漫画を鑑賞するのが趣味だ(私は実際の殴り合いは好きじゃないので、漫画オンリーだけども)。きっとゆるゆるの萌え系のものと格闘で、均衡を保っているつもりなのだろう。が、偏りすぎだ。まぁ3人は武道関係の部活だから、というのもある。萌え系でも格闘物はあるのだが、やっぱり「力の解放」といったカタルシスを得るには筋肉が必要なのだ。コメディーパートならともかくシリアスな場面で、細腕の女の子が筋肉隆々の大男を軽々と殴り飛ばす、というのを何度も見せられると辟易としてくるのだよ。そういう時、バキの主人公「勇次郎」を見るとすかっとするのだ。もう一つ特徴を加えるといちいち理論武装することだ。普通野球ファンの人が「なぜ野球は素晴らしいのか」ということを哲学的な問題として捉えることはないと思う。ところが男のオタクはしばしば、哲学、心理学、社会学、古典文学、脳医学、神話、偉人の名言などを用いていかに萌えが素晴らしいかと自己正当化を始める。その労力を別の所で使えば生産的で良いのだがなぁ・・・。男の、といったが女のオタクはあまりそういうことをしている所を(ネット上に限るが)見たことがない。ローゼンメイデンを見ても「かわいいー」というくらいで、私のように「ローゼンメイデンはピュグマリオン神話が元ネタなんだろうね」と延々書き連ねることはない。いや、本当は「かわいいー」と叫びたいのだけど、照れ隠しでついついおかしな方向に話が進むのだ。照れ隠しのはずが余計に気持ち悪くなっているのはタブーな。しかし私らも徹夜でオタク議論をしていると本音が出始める。「もういっそスーパードルフィー買おうかなぁ」「俺は女の子に生まれて、その上で女の子と恋愛したかった!」など…途端にその場が倒錯に継ぐ倒錯といった常人には近寄れない、危険区域に指定される。あ、えっと・・・この上の2つの願望は私のものではないからねっ!ないったら!ないよ・・・ない…きっと。普段から紳士的に振る舞おうとしている分、その反動は強力である。確かにこのギャップは薄気味悪いかも知れない。何とも悲しいのは、オタクは元々人の目を気にするタイプが多いということだ。外部的な視線を作り出して、そこから自分自身を確認したり検証したりすることが多いからこそ、誰かに攻撃される前に自己正当化を始めたり、自虐的になったりするのである。もし人の視線を気にしないタイプだったら、わざわざそんなことをせず、自分が思うままに生きている。ネットでこそオタクであることを誇ろうと努めているが、日常では徹底してオタクであることを隠している。たぶんかえって不自然な程に。まぁ、いくらオタクっぽい話題を避けた所で、オタクらしさが消えるわけではない。堂々とオタクしている人たちがうらやましかったりする。そんな隠れオタの日常。------追加あとこれも誤解されているけど、オタクは「萌えー」なんて言いませんよ。むしろ意図的に避けます。
2006.02.10
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試験に受かりたいのなら、まずは教科書や参考書のたぐいを一切合切焼き払うことだ。そうすれば受かる。ただし焼き払うのは自分の物ではなく他の受験生全員の物を、だ。これは大変骨が折れるし交通費もバカにならないが、こうした毎日の地道な努力はいつかきっと報われる。ただし頑張りすぎると、受験に失敗して浪人になるどころか、投獄されて牢人になるから気をつけろ。私は責任を取らない。この方法はあまりにもラディカルだよという人には、もっと地味な方法がある。それは机に向かって勉強することだ。それもただの勉強ではなく、心理学や社会学などのような、個人、もしくは集団の心理や行動を研究する学問を究めるのだ。そして志望校を貶めるデマを流布するなどの工作活動をして、志望校の倍率を落とすのだ。これが可能であることは、歴史が証明している。事実無根であっても、その情報が刺激的で、受け手の期待や願望に沿っていて、しかもそれが多くの人に引用され続ければ、事実として認知されるのだ。(ちなみに社会学者のG.W.Allportによると、社会状況が不安、情報源が曖昧、情報が人々の願望、不安、偏見などを投射するものである時にデマが広まりやすいとしている)しかし、この手の情報操作は素人にはちと荷が重い。手っ取り早いのは志望校を焼き払うことだ。これで志望者はぐんと減る。ただ自分自身も受けられなくなる、というリスクがある諸刃の剣なのでオススメ出来ない。もっと穏やかな方法はないのか、という人には受験会場で心理戦を仕掛けることをオススメする。例えば一教科が終わった後に「あー、まさか最後の問題冊子の裏に問題があるとはな。 途中で気付いて助かったよ」「何か、今回のマークはやけに2が多かったな」「名前欄って書いたと思ったはずが実は書いていないということが、 よくあるんだよなー」などと言って他の受験生の心を掻き回し集中力を落とさせるのだ。しかし大抵の場合、相手にはこの手が効かず、自分自身が餌食になってしまうことが多いのだ。「あれ、本当に裏に問題があったような気がしてきた」「俺こそ名前書いたっけ・・・」策士策に溺れる、である。しかも成功したとしても、効果範囲が狭すぎる。出題者の過去の出題パターンから、彼らの心理を読み設問だけで問題を解くという大技もある。清水義範の「国語入試問題必勝法」を是非読んで欲しい。達人ともなると、マークシートだけを見て、自然と答えが浮き上がって来るという。ここだけの話、私がその達人だ。四択のマーク試験なら25%くらいは当てる自信がある。四つに一つ当たったくらいでは受からないよ、という人は直前の3つのテストで全部0点を取り続ければ良い。当日を含めると計400点になるから、その25%なら100点。つまり当日は満点を取れてしまうのだ。素晴らしい裏技である。ちょっと待て、それは数字のトリックだろと思った方。あなたは正しい。それだけの判断力があるなら、こんなつまらない文章を読んでいないで、英単語の一つでも覚えよう。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.10
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翠星石も好きだけど、蒼星石も可愛いっ!!もう私はダメかも知れない(かもしれない、でもないか)とりあえず過去のローゼン批評は全部見当はずれだったので、後で全部消去するとします。まぁ、それはどうでもいいか。ではでは。日記は24:00くらいに更新するかなー。それはそうと、もうすぐ15万ヒットです。って、15万!?いつのまに・・・!!!とりあえず絵が描かれるまではウィトゲンシュタインの本でも読むとします。いいですね、萌えと哲学。実になじむ。
2006.02.10
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今まで軽視されていたものが突然評価される。いわゆる読み書き計算といった「勉強」がその一例だ。「100マス計算」「脳を鍛える大人のドリル」「声に出して読みたい日本語」などなど数え上げればきりがない。これらのものは従来、計算は電卓を使えば良い、生きていく上で必要のないものを丸暗記しても意味がない、などと批判されてきた。しかしこれらの訓練を通じて脳の前頭前野を鍛えることで、ボケを防止し、柔軟で独創的な発想が出来るようになるなどの効果が認識され再評価されるようになった。この評価の豹変ぶりは凄いものがある。つい最近まで勉強など無意味だと言ってきた人が突然「脳を鍛えろ!」と説教するようになっているのだ。この調子ならどこに行っても戦力外通告される私も、突然ちやほやされるようになるかも知れない。北川悦吏子の「すみません、握手してください」のようにやはりすぐに忘れられるのだろうけども。ただこの「脳を鍛えるブーム」というのは、何か空回りのような気がしてならない。というのも、鍛えてそれで何をするのかというのがいまいち伝わってこないのだ。能力をただただ向上させるだけで満足するというのは、戦前の大艦巨砲主義を彷彿させる。いくら頭が良くなっても、それを使う場所がなくては意味がない(戦艦大和を想起せよ)。東京大学学生部の調べによると同大学学部卒業者3416人のうち669人(約2割)は就職も進学も受験勉強もしていないという。いろいろ事情があるのだろうし、それが悪いこととも言わないけど、こういう事実があることは教育ママ・パパは知っておくべきだと思う。まぁ、私は誰かに著しい迷惑をかけない限り、自分が幸せならそれで良いと思っている。ひきこもりはまずいとしても、フリーターなら何の問題もない。お金がなければ幸せになれない、というわけではないからだ。確かに必要最低限のお金は必要であるが、奢侈品を買いあさる必要はない。デュルケムの時代は人が資本主義経済の中で際限ない欲望に駆られ成功者への妬みと自身への絶望から、自殺する人が絶えなかったが、現代(特に私の世代)は、さほどお金に執着がないのである。しかし一方で「何となく」とか「生きる意味がないから」といった漠然とした自殺が最近多いのも事実である。なぜお金にさほど魅力を持てないかというと、何だかんだいって日本は豊かで、かつてのようにお金と、最も切実な欲である食欲とが密接にリンクしていないからだと思われる。お金に魅力を感じない以上、それにかわる価値観を見つけなければ「生きる」ことへのモチベーションがわかない。せっかく脳を鍛えても、それを発揮する場所が見つからず、不完全燃焼になっているのだ。無気力だから何もしないのではなく、何もしないから無気力になっているのである。だからお金ではなく「誰かの役に立ちたい」とボランティア活動や福祉関係の仕事に精を出すことが流行ったり、デイトレーダーのように「ゲーム」として資本主義に参加したりと、新たな価値観が見いだされるようになっている。少年ジャンプで好評を博している「デスノート」は、名前を書き込む事で人を殺せてしまうデスノートを、犯罪の抑止力に使うことで新世界を創ろうとする主人公と、それを阻止しようとするライバルとの戦いを描いた話だが、そのどちらもこれを「ゲーム」として捉えている。デスノートによって世界を改変する前に、既に価値観が新世界に突入しているのである。そこでは何が正義で何が悪なのかも分からないまま、ただどちらが勝つかに重点が置かれている。しかしこうした流れもイラクの人質事件や、募金活動の問題点が指摘されるようになってから、ややボランティア活動ブームが下火になり、福祉関連の仕事も飽和状態になり、ライブドアの一件でマネーゲームへの憧憬も崩れかけているのが現状である。近代以降「生きる理由」の代表格になっていた恋愛も、重要な意味を持たなくなりはじめ、その反動で韓流ドラマや世界の中心で愛を叫ぶ、電車男などのような純愛ドラマが人気を博すようになっている。それがもてはやされるという事は、既にもうそれが現実には忘れられ始めていることの証左であろう。ただでさえ目標や価値観といったものが、曖昧になってしまっているのに、追い打ちをかけるように経済にしても恋愛にしても、モテる者とモテない者が二極化し、下位にいるものは現実で生き甲斐を見つけることは至難の業になってしまっている。こうした中でひっそりと「悟った」人達がオタクである。正確にはオタクの中の「仮想現実主義者」だ。つまり脳内に蓄積されている知識や現実の体験を駆使し、脳内世界に仮想空間を構築し、幸福を得ている人達だ。この仮想空間での幸福は全ての人に平等に与えられている。ただ、空想力さえあれば自在に脳内物質ドーパミンを分泌することが出来、誰でも幸せになれるのだ。よくオタクはアニメ、ゲーム、漫画などを鑑賞しているだけだと思われているが、それよりも大事なのは空想世界での補完作業だ。例えば私は度々「ローゼンメイデン」という漫画を薦めているが、私がはまっているのは漫画の面白さに加え、脳内補完しやすい作品であることが挙げられる。つまり脳内で、漫画内のキャラと一緒に高校に通ったり、ドタバタの日常を過ごしたりといった事がしやすいのだ(よし、これだけの記述で読者の8割を追い払ったぞ…って、わーん、逃げないでー)実際、ネット上でもいじりやすいと人気だ(私だけではないのだっ!)お絵かきスレ(翠星石)お絵かきスレ2(真紅)お絵かきスレ3(水銀燈)しかし漫画を読んだ人なら気付いたと思うが、これらは実際のキャラとは乖離してしまっている。はじめは元のキャラに忠実だったのだが、時間が経過するに従い脳内でキャラが一人歩きして行っているのである。翠星石はツンデレが加速し、真紅はジャイアニズムが加速し、特に水銀燈は本編では残酷なキャラだったのに、不憫ないじめられキャラになっていてもはや原形をとどめていない。ネットという集団的無意識の中で、おのおのの空想世界が接続され、まるで彼女たちが意志を持っているかのように変化し続けているのだ。その点、現実至上主義者はただ目の前にあるものしか、楽しむことが出来ない。それゆえ何でも実際に形にしないと気が済まない。なぜなら空想力が決定的に欠如しているからだ。たとえば異性と付き合いたくても、それがかなわないとなったら絶望するか、強引に実現しようとストーキング行為に走ったり暴行をしたりする。空想世界に住ませてしまえば誰にも迷惑をかけないのに、だ。何を考えようと思想の自由であり誰も心の中には文句を言えない。極論を言うと、破壊衝動を空想世界で済ますことが出来れば、世界は確実に平和になる。そのためには、空想力を鍛える必要がある。これがなかなか難しい。それこそ脳を鍛えないと話にならないのである。その方法については、長くなるのでまた暇があったら書こうと思う。まぁ、どうでもいいでしょうけど。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.09
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伯爵「あと高校生活で残っているイベントといえば、卒業式と 大きな桜の木の下で告白されるだけだな」市民「ないよ!百歩譲って前者はあったとしても、 後者は曙がK-1で優勝するくらいあり得ないよ」伯爵「そこまで言うか。これでも私はもてるのだよ。 球技大会で私にボールが回ったら観戦席から キャーキャーという声援が上がるくらいだ」市民「それは悲鳴だよ!」伯爵「クラスでは貴族のような扱いを受けているしな。 文化祭の準備の時も私が「何か手伝おうか」と言っても、 みんな口を揃えて「伯爵は何もしないでじっとしていて」と 言ってくれるしな。大事にされていると思うよ」市民「それは邪魔・・・いや、何でもありません」伯爵「何でそこで顔を背けるんだ」市民「でも伯爵さん。もし告白されたとしても、その後、 普通のお付き合いというのが出来るんですか」伯爵「大丈夫だよ。私はその道のエキスパートだから。 まずは一緒にメイド喫茶に行って、 君もこういう服を着てみないかとさりげなく言う」市民「怖いよ!そんな男とは一刻も早く別れたいよ」伯爵「大丈夫、心配しないで。僕も一緒に着てあげるから」市民「よけいに怖いよ!女装癖まであるのかよ!」伯爵「冗談だよ・・・」市民「含みのある否定はやめて下さい!本気で読者が焦りますから」伯爵「ではどういうことをすれば良いんだ」市民「これでなければダメという答えはないと思うのですが、 カラオケに行くのはどうですか」伯爵「それじゃ、君は歌う役、僕は曲を入れる役」市民「歌えよ!なんでそこで急に照れ屋さんになるんですか」伯爵「だって音痴だし・・・曲知らないし・・・」市民「そんなこと言わないで。何を歌ってもいいんだから」伯爵「ではお言葉に甘えて。ベルサイユの薔薇歌います! 薔薇は薔薇は~気高く咲いて~♪」市民「目を細めて熱唱か!しかもジュテーム!オスカール!の 台詞まで渋い声でちゃんと入れてる!」伯爵「次は傘がない。都会では自殺する若者が増えている~♪」市民「この人本気だ!延々アニソンと昭和歌謡曲を歌い続ける気だ」伯爵「思うに、こちらが向こうに合わせるばかりではなくて、 向こうがオタクに合わせるべきだと思うんだよな。 例えば日曜日は外出しないで家にいること」市民「何でですか」伯爵「土曜日23時~24時はスクールランブル、 その後24時からは地獄少女、ブラックキャット、 ローゼンメイデン、シャナ(蟲師は録画)、エウレカ、 マジレンジャー、仮面ライダー、プリキュア…と 延々オタク友達とアニメ実況することになっているんだよ。 午後からは某掲示板のローゼンメイデンお絵かきスレに 参加したいしな。デートしている場合じゃないんだよ」市民「伯爵さんがもてない理由を改めて思い知らされました」――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板いわゆる所のお絵かきスレほんと、もてなくて当たり前な気がしてきた・・・
2006.02.05
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さて、また語るとしよう(反省の色がないね)。昨今の教育の流行は画一的な教え込み主義を改め、児童が「主体」となり、児童一人一人の個性や多様性を認めた教育を実現していくことにある。確かに聞こえは良いが、1クラス辺りの生徒数の改善、教員の指導力やモラルの向上、学校教育の投資額の問題といったインフラが整備されていないから具体性を欠く絵空事になっているのが現状だ。大体、教え込み主義のどこに問題があったのかという論者も多い。日本の学校は日本独自の「掃除当番」「給食当番」「班別行動」「特別活動」などの活動を通して共通の生活感覚や上昇志向、勤勉性、協調性、平等主義といったものを培ってきた。その教育的インフラが高度経済成長を支えてきたというのだ。そういえば阪神大震災の時に暴動も起きず、配給をちゃんと列に並んで受け取っているという光景は世界を驚嘆させたが、それも日本の教育の素晴らしさを立証しているのかも知れない。IEAの授業評価でも日本の教育は思考力養成という点で、世界最高水準と評価されている。では誰が騒いでいたかというと、マスコミだったわけだ。曰く「独創的な人材が育たない」「いじめが深刻化している」「不登校児が多い」しかし、では日本に独創的な人材がいないのかといえばそうでもなくいじめや不登校と教え込み主義との因果関係もよく分からず、結局何の根拠もないのに「空気」で批判していたことになる。とはいえ、前にも書いているけど私は「ゆとり教育」賛成の立場だ。「3割カット」も大いに歓迎している。私は彼らが標榜する「多様性」や「個性化」は時代のニーズにあっていると思っているからだ。そのためなら勉強などこの際後回しで良い。学力低下と騒ぐが、それでも依然日本は先進国ではトップクラスだ。一方アメリカはこの手のテストでは成績が振るわない。だが、優秀なリーダーや科学者の数が多く、ビジネスでも科学技術でもアメリカが優位である。アメリカのように教育コストを考えるなら全国民の学力を底上げするよりも、一部の優秀な人材のみに集中的に投資する方が効率が良いのだ。勉強をしたくない人、苦手な人は無理して机に向かうことはない。耳と目を閉じ口を噤んで率直にエリートに従えばいいだけだ。乱暴な言い方だが、実際ゆとり教育をすすめている人たちはこのように考えているのだ。また「多様性」「個性化」を認めるということは、明瞭明確な「ルール」が形成されるということを意味する。というのもただ個性や多様性を認めるというだけでは、無法地帯になってしまうからだ。そこで「これだけはダメだ」というルールが出来、それ以外はモラルの問題で自由にして良いという欧米風の契約社会になるだろうと思われるからだ。日本は欧米のように「個人」と「社会」が二元論になっている社会ではない。お互いがお互いの行動を監視しあうという「世間」に根ざした社会だ。きわめて高い同質性の中でお互いを察しあい、思いやりをもって生活してきた。この甘えの構造が日本を支えてきた。これが実はなかなか優秀な秩序維持の方法なのだ。おかげで日本の凶悪犯罪率の低さは先進国ではぶっちぎりの一位で世界中から羨望の目で見られている。しかも日本には思想がない。宗教もない。皮肉だが、本来平和を目指しているはずの思想や宗教が重要視されていないため深刻な対立もなく平和に過ごせているのだ。そう・・・この制度は大多数の日本人にとっては大変素晴らしい。しかしこの「世間」システムは「この人は私と同じ考えを持っている」というドクサ(臆見)によって成り立っている。ところが、見渡してみるとそれが通用しない「得たいの知れない人」が散見される。例えば外国人やオタクだ。外国人は確かに表向き受け入れてはいる。しかしほとんどの場合「世間」システムには組み込まれない。「でも結局外国人には日本の○○の良さは分かんないだろうね」というように、究極的には相互理解は出来ないとしてあくまで世間の外部であり続けるのだ。オタクも「電車男」までは犯罪者予備軍として完全に「世間」から排除されてきた。しかし「電車男」以降は「世間」システムの最下層に置かれ「嘲笑」あるいは「同情」の対象として存在している。「ゆとり教育」は成功すれば私にとって迷惑な「世間」システムをじわじわと破壊することが出来る。すなわち「みんなが同じ心を持つことは出来ない」「世界は得体の知れない人たちで溢れているのだ」と気づかせ、この「世間」システムのピラミッドを破壊していくのだ。(尚、この頂点にかつて君臨していたのは「天皇」だったが、既にこれは薄れてきている)西欧は歴史上、何度も民族・宗教・倫理観・価値観などで争っており、「世の中には理解出来ない人たちばかりだ。こんなむちゃくちゃな人たちを国家として一つにまとめるには誰がやっても崩れないようなシステムを作る必要があるな」と「はなから人なんて信じてないんだからっ!」という制度を作り上げてしまった。この手のものを作るのは天才的だ。一方日本の制度は穴だらけである。なぜなら性善説を信じ「うちにそんな悪いことをする人はいませんよ」といい、結局「まさか穴を突かれるとは!」とびっくりする。延々と繰り返しているのになかなか懲りない。ゆとり教育によってそれを気付かせることが出来れば、システム作りが上手くなるだろうし、私も救われる。しかしどうすれば気付かせることが出来るのか。手っ取り早いのは日本に大量に外国人を連れてくることだ。しかしそれは面倒なことを嫌う日本人が賛成するわけがないので私は小さい頃からひたすらディベートをさせれば良いと思う。生ぬるい方法ではなれ合いの話し合いになってしまうから、「真剣勝負」であることを強調しよう。こうして意見を日常的にぶつからせていたら「あぁ、だめだ。みんな考えていることがこんなに違うのか」と思い知らされる。大人が同じことをやっても「いや、話し合えばいつか分かる」と思ってしまうが、「世間」システムにまだ毒されていない子供なら「そうか、みんな違うんだ。話し合っても価値観がヘーゲル的な弁証法的発展を遂げることはないんだ」と思ってくれるに違いない。小市民伯爵は「ゆとり教育」を応援しています。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.04
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卒業まであと僅か。つまりそれは次のことを意味する。「戦後教育の化石ともいえる伝統校に勝った!」人生としては負けているがそんなことはどうでもいい。ほとんどの高校が「個」の尊重を掲げた教育に取り組む中、私の学校は教師が主体になって精神主義的価値観を強要するという今時珍しい学校だった。「集団宿泊訓練」における一糸乱れぬ行進は見物である。しかし、私はある「型」にはめ込もうとする学校の方針には何の反感も持っていなかった。教育は結局の所、「どのような人間を育成するか」に収斂される。教育が恣意的になるのは当たり前といえば当たり前なのだ。ルソーの「エミール」のような徹底した性善説を唱えるならそれもまた尊重すべきだと思うが、常識的に考えて野放しにすれば自らの欲求のままに生きる野生児になるだろう。2002年の新指導要領の狙いは「従来のように生徒一律に同じ内容を一方的に教え込むのではなく、生徒自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応出来る能力を育成する」ことだ。理念は素晴らしいのだが、それだけのインフラが整っていないのに唱えるだけ唱えたって「3割削減」の部分だけが取り沙汰されるのは仕方ない気がする。私は大いに主体的に取り組むけどね。まぁこれと高校とはあまり関係ないのだが、全体の流れとして生徒中心主義になって来ていることは確かだ。「私の学校は未だに持ち物検査があるんですけど」と言っても、ほとんどの学校からは信じてもらえないと思うのだ。修学旅行先も生徒が決める所もあるくらいだ(こちらは訓練合宿だ)欧米でも「チャイルド・センタード・アプローチ」という同じようなことをやって失敗しているのだが日本はどうだろう。成功するのだろうか。ま、それは私の関心事ではないのでどうでも良い。問題は、あれだけ私を型にはめようとしたのに関わらず、結局最後まで染まらなかったどころか、むしろ反対方向に行ってしまったということである。詰め込み教育では画一的で個性がなくなる、という話だったのだが、私はその例外になりそうである。「お前は個性的ではなくてただの社会不適応者だろ!」と、脳内の住人(100人)が一斉に突っ込んできたが無視する。しかし考えてみれば当たり前なのだ。どうして学校教育だけで人格を決定されなければならないのか。我々の世代にはネットの海という広大な世界があるのだ。そういう意味で私はきわめて「近頃の若者」なのだと思う。身体に基づかない空疎な知識は豊富な一方、視覚や聴力以外の情報がきわめて希薄で、現実世界にリアリティーを感じない。勉強して覚えるというよりも、英単語ファイルを大脳にインストールすると言われた方がしっくりくるくらいなのだ。異性と話せば「フラグキタコレ!」とどこからか効果音が鳴るくらいなのだ。また、ごく少数の親しい友人(1人)を除いて、私は徹底して内面世界の侵入を拒む一方で、不特定多数の人間には内面世界をブログなどで垂れ流している。考えてみればそれがなぜなのかよく分からない。問題発言をして、ブログが炎上すれば閉鎖すれば済むが、現実の空間では責任を厳しく追及されるからかも知れない。仮面舞踏会に魅せられる中世の貴族を想起し賜え(何を偉そうに)もはや学校が生徒の人格を掌握・支配することなど不可能になっているといって良い。だから、保護者やジャーナリズムは学校に過大な期待をしてはいけない。従来は現実世界に顕在する物だけを見ていれば良かったが、残念ながら私などは現実世界よりも虚構世界の方に住処がある。家宅捜査をしようが全く無駄だ。全ては脳の中なんだから。ちなみに「最近の若者は活力がない。やりたいことが見つからずエネルギーのぶつけ場所を知らないのだ。彼らには出世欲のような向上心もなくただ虚ろに生きているだけに見える」というのは現実に現れるものだけを見てしまった例だ。私のように萌えについて延々と(誰も聞いてないのに)語るような熱い心を持った人間が結構いるのだ。あまり出世欲や金銭欲がないのも、それ以外の価値観を既に見つけてしまっているからだ。あと、虚ろな目をしている時は大抵仮想世界にゴーストがダイブしているのでその抜け殻は意味を持たない。私のような人間が若者の過半数を占めてしまった時、社会は未曾有の混乱に陥るのだろうが、個人的にはそれが楽しみでならない。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.04
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オタクは世間的に受け入れられにくい。これは仕方ないし、否定もしない。世間の構造に反しているから「オタク」と命名されているのであり、もし受け入れられたらそれは単なる大衆でしかない。それはこちらも願い下げだ。オタクはアウトサイダーであることにある種の優越感を持っているのだから。しかし「オタクは虚構に逃げず、現実を直視すべきだ」という批判は何だか腑に落ちない。この言葉の背後には「現実は虚構より価値がある」という大前提がある。しかし本当にそうだろうか。人類の歴史は現実からの逃避ベクトルが深く刻印されている。宗教の始まりは「死」にあったといわれている。今まで動いていた者が突然動かなくなる。これをどう理解するのか。「感覚器官や脳が停止したのだから見ることも考えることも出来ず、後はただ腐敗して白骨化するのを待つだけです」と淡泊に答えられても救われない。でも「人間というのは魂の入れ物だから、肉体は滅んでも霊魂は永遠だよ」と言われれば何となく救われた気持ちになる。人はどうやら「永遠」という言葉に弱いようなのだ。逆に自分がなくなってしまうことにこの上ない恐怖を感じる。死後は天国に行く、輪廻してまた生まれ変わるなどというのもこの永遠性を確保するためである。日本の家制度も血統を継ぎ祖先を供養することで永遠性を確保してきた。たとえ強引でも天皇制を維持しようとするのも未だにこの永遠性の神話を信じ続けたいからといえる。真に現実を直視するならお墓も先祖供養も死者のためのものではない。何しろ死者は何をされても分かりようもないからだ。私は、私が死んでも葬式はいらないし(たとえ数人でも死に顔を晒したくないんだよ)戒名もいらない(高いんだよ)お墓もいらない(日本は狭いんだから場所取るなよ)と思うのだが死人に口なし。これらは死者ではなく遺族の気を済ますための儀式だから私の意志など全く関係ないのだろう。プラトンはイデア論で、個別の事物や現象の背後にこそ完全不滅の真実があり、実在的存在であるとした。これは仏教などとも似通っているのだが、共通しているのは、万物は流転するものでそれ自身にはあまり意味がなく、虚構世界(観念の世界)こそ真実であるとしたことだ。考えようによっては科学というものも永遠性を持った真理の探究で、現実というものがしばしば忘れられがちだ。近代以降神の存在感は小さくなり、最近では家制度も薄れてきているが、それらはただ形を変えているだけということになかなか気づかない。私は都会に住んでいるが、どこを見渡しても全て人の手によって作られたものだ。家、道路、駅、電信柱云々。これらは全て人間が「こういうものがあったらいいのに」という空想の産物が現実になったものだ。私は「虚構がまずありき」の世界で育ってきたのだ。そればかりではない。恋愛というのも実は虚構の産物に過ぎない。映画、アニメ、小説などであたかも当たり前のように恋愛を扱うからそんなものがあるような気がしてくるが、あるのは性欲に過ぎない。もしくは「吊り橋効果」のように、恐怖や運動後などの心拍数の変化を恋愛感情と勘違いしているか・・・。さらにいえば「母性愛」などというのも虚構の産物だ。「子どもをいつくしむのは女性の本質的な性質に基づく」という発想が歴史に登場したのは、18世紀、産業社会の登場と男女の性別役割分業の固定化といった事態が生じてからである。それまでは子育てをしない、平気で我が子を殺すといった母親が結構いたようだ。確かに我が子を愛おしむ感情は普遍的なものかも知れないが、父親より母親の方がより顕著であるという科学的根拠も実はない。あっちをみてもこっちを見ても虚構に囲まれた世界なのだ。こうなると何が現実で何が虚構かの境界線もよく分からなくなる。そうだ!森林浴に行けば良いんだと思っても、そこは人間が手を施した作られた自然だ。人は永遠性を求めると同時に世界を自分好みに作ってしまおうという願望もあるようだ。学校のグラウンドにしても自分の脳内ワールドでは不要な雑草は無駄な情報であるため抜かれる。本来強い草を抜き、弱々しい花を保護し一から育て上げる・・・というのは「萌え」とやっていることは同じだ。また、しみやしわは化粧で消され、髪は植毛し、歯は矯正し、顔は整形され、脂肪は燃焼される、全ては頭の中にある「美しい自分」に近づける努力であり、やっていることは虚構世界を現実世界に持ち込むことだ。誰もありのままの現実を望んでいないことがよく分かるではないか。ニーチェは現実を直視出来る「超人」になれといってみたが、当の本人は発狂して死んでいるんだからあてにならない。オタクはわざわざ現実世界に持ち込まなくとも、虚構世界のままで満足出来る人間だ。人間は視覚と聴覚でほぼ全ての情報を取り入れているので、実際に虚構世界のものを現実に作るのも、虚構世界のまま楽しむのも、さほど違いがないのだ。結局、電気信号で伝わったものが事実なのだから。いわゆる大衆もオタクも目的は変わらない。ただその目的を達成する方法が違うだけだ。むしろあまり変わらないということを認めたくないがために、弾圧をしているのかも知れないが。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.03
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・剣道部の部室で、後輩の女の子と2人きりになった時、「先輩って彼女いるんですか」とのぞき込むように話しかけてくる。 期待と不安で狼狽する私「え、えっと今はいないけど」「やっぱり彼女いないんですね。私は彼氏いますけど」「おい('A`)ノ」・合唱コンクールの練習の時に私を含め4人でアカペラバンド結成。 ボイスパーカッションが取り合いになったが、 私が見事その役を勝ち取る。しかしその一週間後、 隣のクラスからボイパの達人が新規参入。 3人「というわけで伯爵、卒業おめでとう」私「おい('A`)ノ」 だが本当にやめさせられる。彼らの路上ライブを物陰で見つめる私。・体育祭の応援旗を作る班に配属される。応援旗作りも佳境に 差し掛かった頃、仮装の出し物をしている班が廊下で 演技披露していたので私の班員が全員廊下に出てしまう。 私は応援旗の色塗りに真剣に取り組んでいたので一人残って、 頑張り続ける。が、そこでペンキをひっくり返してしまう。 一階だったので「トゥっ!」と窓から逃走。しかし思ったのですが、私より友人の方がはるかにレベルが高いと思うのです。私とは格が違うのです。・ただチョークの音だけがするような静かな授業中、 突然友人が笑い転げる。先生「何か間違いがありましたか」 友人「いえ"の"という字を見ていたら可笑しくなってきて」・私「ピアノって押したら戻ってくるけど、あれは何でだろうな」 友「中に人がいて押し返しているんだよ。何をいまさら」 ・幼女誘拐事件があった時に友人が一言「二次元の絵があるのに現実の少女に手を出すなんて変態じゃないの?」 ('A`)ノお前もだ。しかしずるずると友人の世界に引き込まれる私・三宮のオタクビル付近での会話。 友「メイド喫茶なんて邪道です。偉い人にはそれがわからんのです」 私「そういいつつ店の中に入るなよ」あまり書くと怒られそうだからやめます。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板そういえば私、生まれてきてこのかた家族以外、義理チョコすらもらったことがないっ!!ある意味凄いよ。え、何、チョコいるかって?いります。はい、ありがとうございます。って、料金取るのかYO!!
2006.02.03
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私はこれまで「ローゼンメイデン」を「萌え」の観点から評論して来たが、もちろんこれはそれだけの作品ではない。(今読者の9割が「えっ、まだローゼンメイデンについて語るの?」 と不安な顔をしているのが目に浮かぶ。えぇ、語りますよ)ローゼンメイデンのテーマとは「生きることは戦うことでしょ?」という真紅の投げかけに集約されているといって良い。彼女らはたった一人の究極の少女「アリス」になる権利をかけて競争率7倍の激戦を勝ち抜くことになる。負ければもはや生きる価値はなく二度と動くことが出来なくなる。それが「アリスゲーム」の本来の意図である。真紅の言うように我々もまた生きるために戦っている。近代は我々は封建制度から解放し、「個人」と「社会」という二元論的な枠組みを持つに至ったが、同時に資本主義経済に巻き込まれ人は「商品」となった。商品である限り需要がなければ廃棄され忘却される運命にある。そうならないために我々は見た目の美しさを飾り、ブランド価値を上げるために学歴、資格、コネ、社会的地位などを欲し、もてたいという下心丸見えで、バンドを組んだり運動部に入ったりする(私のことではない)容姿、経済力、運動能力、趣味、性格、友人関係などありとあらゆるものが商品価値をはかるものさしになっている。恋愛、受験、就職、出世争いで戦うのはもちろん、バーゲンセールの限定商品を奪い合ったり、諸問題の責任を押しつけ合ったりしている。平和なようでいて、実は戦いの連続なのだ。良いか悪いかは置いておいて、封建社会ではこのような競争をほとんどせずに済んだ。庶民は自由恋愛だったが、もてなくても見合いという救済措置があった。(現代にも僅かながらあるが恋愛至上主義から結婚はまず恋愛ありきでなければならないという風潮がある)就職活動をしなくともそのまま親の仕事を継げば良かったしそれが奨励された。商品価値を上げる努力をしなくても、生まれながらにして人の価値が認められていたのだ。考えようによっては気楽である。我々はそういうわけにはいかない。日夜変化し続ける社会的な需要に応えるべく流行に敏感でなければいけない。生きることは戦うことであると生々しく描いた作品に福本信行の「カイジ」がある。一つ台詞を引用しよう。ドジャース(現タイガース)の野茂、将棋の羽生、 イチロー。彼らが今脚光を浴び、誰もが賞賛を惜しまないのは、 言うまでもなく、ただ彼らが勝ったからなのだ・・・・! 勘違いするな。よく闘ったからじゃない。 彼らは勝った。ゆえに今そのすべて、 人格まで肯定されている。 もし彼らが負けていたらどうか・・・? 負け続きの人生だったらどうか・・・? これも言うまでもない。おそらく 野茂はウスノロ、羽生は根暗、イチローはいけすかない マイペース野郎。 誰も相手にさえしない。わかりきったことだ。 そこまで言うか、という感じだが真理を突いている。需要のないものは淘汰され市場からは撤退せねばならない。ではローゼンメイデンもそのような主張をした作品なのか・・・これが違うのだ。そう解釈している人もいるが大間違いだ(たぶん)もう一度彼女たちの戦いの目的を思い出してみよう。それは完全な人形「アリス」になり生みの親に会うことである。そのために他の姉妹を殺す…何かバカバカしくないか。実際、アリスゲームに積極的に参加しているのはジャンクと呼ばれている水銀燈と眼帯をつけている薔薇水晶の二人のみである。確かに水銀燈に関しては戦う理由が切実に理解出来る。彼女の父ローゼンは第一ドールの水銀燈が未完成のまま放り投げ、次の人形を作っている。彼女にしてみれば父の愛を得られなかったわけで、自らが「不完全」であることに深いコンプレックスを持ってしまうことになった。そのコンプレックスは他の姉妹への強力なルサンチマンとなる。彼女が他の姉妹を倒し完全な人形になって父を振り向かせたいと思うのは非常によく分かるのである。だが他の姉妹には戦うべき理由がいまいち薄弱である。もっとも現実の戦いというのも同時にバカバカしいといえばバカバカしい。世界中の紛争や戦争も元々はちょっとした考え方の違いや誤解から始まることが多い。全ての争いに他人を押しのけてまで戦う理由があるのか。真紅は最終的に「戦う必要はない」という考えに至った。彼女は究極の少女「アリス」になることを放棄し、他の姉妹と仲睦まじく過ごすことを望んだのである。彼女は腕を失い「不完全になってしまった」と絶望の淵に沈んだが、契約者であるジュンに不完全でも構わない、それでも愛し続けるからというこっちまで気恥ずかしくなるような言葉によって克服している。その時、彼女は完全である必要などないと悟ったのである。それはこの事件以来、水銀燈をジャンクと言い続けて来たことを反省していることからも分かる。完全であることを求めようとするとどうしても争いが起きる。ガリヴァー旅行記に登場する「リリパット」と「ブレフスキュ」の戦争の理由は卵の殻の正しい剥き方は大きな方から剥くか小さな方から剥くかについての意見の違いに起因するが、これは些細な事が大きな闘争になることを示唆している。「ローゼンメイデン」のドールにしても、確かに短所もあるが、それも含めてそれぞれ魅力的で、存在を否定する必要などどこにもないように思える。私が人形師なら完全な人形を一体所有するよりも、個性的な7体の人形を同時に所有しハーレム状態にするのだが(どんなカミングアウトだよ)。争いをなくすにはどうするべきなのか。その一つの答えが個が商品であることを放棄しマイペースを貫くオタクである。主人公のジュンは少女趣味の傾向があるひきこもりという、社会的に見ればどうしようもないダメ人間である。しかしだからこそ不完全でも構わないという個=商品という風潮に流されない寛容な心を持っているのだともいえる。「ダメ人間でもいいではありませんか、幸せなら。戦ってばかりいないで、紅茶でもどうですか?おかしもありますよ。テレビもおもしろいです」そんなぬるーい社会もあって良い。それがこのローゼンメイデンの主張なのである。―――――――――――――――――――――――― ■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.02
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高校生活も残すことあと僅かです。私の高校生活のダイジェストをまとめてみました。・夜中自転車を漕いでいるときに「秘密戦隊ゴレンジャー」を 熱唱していたら後ろからクラスの女子に追い抜かれる・教室ではいつも4人で昼食を食べる(内3人は空想上の友達)・球技大会の時「伯爵はサッカーのキーパーやってね」と 言われたので快く承諾したら大会の種目が「バレーボール」・駅の階段で転んで腰の骨を折るも、しばらく痛みがなかったので そのまま登校。しかしなぜか足を少しずつしか踏み出せず、 おかしいなと思い保健室に行くも他に病人がいて半日放置される・お見舞いに「千羽鶴」を送られるも9羽しかいない(飛んだのか)・剣道部の大会ではじめて試合に出られるという大切な時に、 会場を間違えて出場出来ず(結局一度も試合に出ていない)・体育祭当日に体操服を忘れて登校(級友より神認定を受ける)・クラスの女子(ちょっと変わった子)から告白される。 唐突すぎるので断る。後で分かった話だが、その子には 好きな男がいるのだが、最近態度が冷たいので、 他の男と付き合っているふりをして仕返ししようとしたらしい。 私なら簡単にひっかかると思ったらしい。おい('A`)ノ」・ディべート大会の時、はじめは同じメンバーに期待されるも、 当日は勢い余って語りまくり、しまいには仲間に対しても 「それは違うのではないか」と反論。唖然とするメンバー。 結局、私vs私以外という凄まじい展開になる。当然負ける。・自己紹介の時、話がそれて天空の城ラピュタについて熱弁。 さらに話がそれて、黒板を使って素粒子について説明する。 「クォークやグルーオンはお互いの距離が離れるほど引力が 強くなるんだ。まるで恋人のようだね」クラス全員がドン引き。・スキー合宿の夜、クラスの男子が下ネタで盛り上がるも、 私は全く興味がないので布団をかぶって寝る。 翌日級友より「むっつりスケベー」の称号を得る。おい('A`)ノ」・合宿二日目の夜、クラスの男子が好きな女子の話で盛り上がる。 君たち何歳だよと思いつつも今寝るとまずそうなので話に参加。 私は「好きな異性はいない」と答え、早々に寝る。 翌日級友より「ホモセクシュアル」の称号を得る。おい('A`)ノ」・オタク友達とコミケに行く(当時の私はオタクではなかった) よく分からないので試しに表紙が可愛い同人誌を買ってみる。 絶世の美少女が昏睡状態で入院していて、その子を垣間見た 男子がこっそり会いにいくという筋書きだったが、 ページをめくるとなんとその美少女は男だった。 その後の展開は言えない。トラウマになったとだけ言っておく。 後でこっそり友人の鞄の中にいれておく・合唱コンクールの練習の時、ピアノ担当の子が欠席した。 そこでピアノ歴12年の私が「この曲は家でひそかに 練習していたから弾けるよ」とクールに名乗り出る。 少し弾いた所でリーダーが「アカペラで歌おうか」おい('A`)ノ」・高校最後の体育祭の前日の練習で私がトイレに行っている間に クラスが円陣を組んで「オー」と言っている。 あわてて私も輪に入る。でも違うクラスだったほんの一例だけど・・・なんだか凄いな。私みたいな高校時代を送った人どれだけいるのやら。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.02.01
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人の皮をはいでみました。
2006.01.31
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「日本人は」から始まる文章が多いが(この文章もだ・・・)、もはや日本は一元的に説明出来る国家ではなくなってきている。恋愛一つとっても二極化が起こっている。それは恋愛によって諸問題が解決するという恋愛至上主義と、虚構コンテクストによって救済されるとする仮想現実主義の二つだ。それぞれを簡潔に対比させてみる。【基本テーゼ】恋「恋愛が何より優先されるべきで愛のためなら犠牲も厭わない。 恋愛の出来ない人間は社会不適応社である」仮「旺盛な空想力によって愛の対象を『所有』するために 虚構化という手段をとる。現実の代償として二次元に 逃避するのではなくむしろ現実こそが仮想世界の代償である」※例えばメイド喫茶は現実の人間そのものでは魅力が乏しいために 二次元の記号的要素を纏うことで萌えが生じさせている。※声優の植田佳奈は「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」 という名言を残している。【経済活動】恋「エステ・コスメ・ファッションなどの自己投資や、 貴金属やブランド物など恋人へのプレゼント、 クルマや、音楽、クラブ、サーフィン、スノボなどの趣味等、 あらゆるものが恋愛のために消費されることを奨励する。 しばしば自分が不必要なものや機能性に乏しいものでも、 もてるために消費することもある。 消費は関係性の中でなされることに意味があり、 完全に自分のために使うことは自分勝手であると軽蔑される」仮「現実と仮想社会を繋ぐための呪術的なアイテムである DVD、ゲーム、漫画、フィギュア、ポスター、抱枕、 パソコンのスペック向上などに可処分所得の大半を消費する。 現実は仮の住まいであるためファッションにはあまり力を 注ぐ必要がないので見た目よりも機能性や経済性を重視する」※ドラマ「電車男」ではもてるためにファッションを改め、 興味のなかったサーフィンの練習をし、 デートのための高級料理店を駆け回るが、 これこそまさに恋愛至上主義的な発想である。 【宗教・伝統】恋「宗教や伝統行事は恋愛と結びつくことで理解される。 例えば初詣、クリスマス、バレンタインデーなどは、 その由来や本来の意図はどうでもよく、ただ恋愛成就のための イベントでしかない。近代以前は互いが神を信仰することで 両者の関係に永遠性と絶対性を持たせたが、近代は神を 抹消したため、恋愛至上主義では互いが互いを、 理想化・偶像化し神のような存在に見立てあげる」仮「伝統行事は現実の時間軸とは無関係に行われる。 初詣、クリスマス、バレンタインデーは仮想上の恋人との 仲を進展させるためのフラグに過ぎず意味づけは行われない。 仮想現実主義では、対象に美のイデアを見いだし、 神を幻視することで対象物を脳内補完する」【救済の過程】恋「何かしら問題を抱えている2人でも恋愛によって 何もかもが解決し(根本的に解決していなくても忘れられる) 幸福になるという神話を信じる。一方で恋人がいないことに 焦燥を感じさせ「やらはた」「負け犬」という言葉が示すように 過程はともかくとにかく付き合うことに意味があるという、 価値観も生み出している」仮「まず理想的な異性が登場しその後に不幸が語られる。 彼もしくは彼女は主人公(=自分)によって救済され 恋愛が成就するというパターンが基本。 例えば対象が義理の妹であれば、世間の目にあらがってでも 愛し続けると主人公が言うことで成就し、 不治の病を持った少女であれば、主人公が彼女を愛すことで、 奇跡が起こり治ってしまう。コンプレックスを持つ場合も、 主人公がそれを含めて愛すことでヒロインがそれを克服し、 成就するという場合が多い。一見こちらが救済しているようだが 実は憧れの対象の力になるということで自らの、 レゾンデートル(存在理由)を得ているのである」【恋愛の条件】恋「恋愛至上主義は資本主義と密接な関係にあるため、 恋愛によって個は商品となる。つきあいを通じて 容姿、経済力、趣味、性格、友人関係などを勘案し、 自分に相応しい商品かどうか値踏みする。 恋愛成就とは需要と供給の一致である。 もし利害が一致しなくなったのなら契約は破棄され、 特別が事情のない限りすぐに別れることになる」仮「幼い頃の約束など縁や運命が重要視される。 仮想現実の恋愛とは、自らが設定した人物を愛するものなので、 民法でいうところの自己契約である。 それゆえ裏切られることがなく自らが契約を破棄しない限り 永遠に対象との関係を持ち続けることが出来る。 その大義名分となるのが「縁」や「運命」なのである。 これにより自分に何の自信がなくとも、対象に愛されるという 大義名分を得ることが出来る」【問題点】恋「人は不安定な存在なので恋愛の契約は脆弱なものである。 それゆえいつ嫌われるか、そもそも愛されているのかという 疑念が常につきまとう。 また恋人との別離、もしくはふられた場合 幸福の空間も失われることになる。何としてでも 関係性を繋ぎ止めたいと暴走した場合、 ストーカー、監禁、暴行といった行動に出てしまう場合がある。 また重度の携帯依存症になったり、好きでもないものとも 付き合ったりといった事態も起こりうる」仮「仮想現実の世界を第一と置くため、現実との関係性が 希薄になる場合がある。 最悪、ひきこもりやニートといったものになる可能性がある。 また、仮想現実主義が社会の大半を占めれば 少子化を超加速させ社会が成立しなくなる恐れがある」これ以上は長くなるので割愛するが、恋愛至上主義と仮想現実主義の違いが分かっていただけただろうか。もちろん人が全てどちらかに分類されるというわけではなく、どれくらいの割合かの問題である。仮想現実主義者だからといって、現実の異性に全く興味がないかといえばそれは嘘で「二次元しか愛さない」といっていた人がちゃっかり恋人を作って恋愛至上主義者に転向することもある。逆に恋愛至上主義者が仮想世界のすばらしさに惚れいり、現実の恋人を振ってしまうということもある。しかし二極化してきているのは実感としてある。これが加速すれば一人が複数の恋人を作る一方で、仮想現実主義者がバーチャルの恋愛にはまるという社会が当たり前になるかも知れない。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板最近オタク評論ばかりでごめんね。正直こんな話どうでもいいよね・・・
2006.01.31
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「うちなー昨日怖いことがあってん」「それは災難やったね。ではラーメン食べにいこうか」「えっ、もっと話を聞いてよ」「うち怖い話嫌いなんよ」「昨日、夜中に道をあるいとってんけどな」「ちょっと、うちの話も聞いてよ」「後ろから何かぞくっとするような殺気を感じたんよ」「もしかして今、巷で噂になっている女の子の幽霊かな」「それに後ろからは、ふふふ・・・という笑い声も聞こえてきてん」「大変やん、それ」「うち思い切って振り向いてみたんよ」「あかんて。振り向いたら大変なことに」「でもな、なんてことなかってん。後ろにいたのは、 ナイフをもった単なる通り魔やってん」「なーんや。通り魔か。てっきり幽霊かとおもたわ」「幽霊に殺されても警察は動いてくれへんもんな」「人間やったらすぐにばれるもんな」「人間なだけに足がつく」「じゃ、ラーメン食べにいこうか」「えっ、笑ってよ」――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.31
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「萌え」について語った評論文を本当に学校に提出してしまった。そして返ってきたのですが、何のコメントもありません。この沈黙が怖い。とりあえず永遠のバカとして歴史に名を残しそうではありませんか。------------------------------------------------楽天広場でも誰も内容にふれないのを見ると、やはり相当にやばかったようです。ははは。もうこれ以上、訪問者数減らさないためにも、萌えについて語るのはよした方が良いかも知らんね。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板学校に提出した奴
2006.01.31
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綾波萌えー(*´д`*)――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.30
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(゚Д゚) (再現率30パーセント)――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.30
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彗星石。悪舌ですが怖がりな所が可愛いです。 左から真紅、雛苺、金糸雀。雛苺は太りすぎです。ごめんなさい。太ってないです。ごめんなさい。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞローゼンメイデンばっかですいません。
2006.01.30
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いくら小難しい言葉で理論武装した所で「萌え」を語ることが、自らの性的倒錯を赤裸々に暴露していることには変わりない。特に「萌え」の大半を占める「記号萌え」は異性の身体の一部(ネコ耳・幼児体型・八重歯等)衣類(メイド服・スク水・制服等)所持品(武器・本・眼鏡・包帯等)などの事物を愛好するものでありこれはフェティシズムに他ならない。プロポーズの時に「僕は君の目の下にあるほくろが大好きだ!結婚してくれ」などと言われてもあまり嬉しくないと思う。ましてや同性同士の恋愛を好む「BL」や「百合」に至っては、一般人には到底踏みいることのできない世界である。しかし、自然文学というのはこうした性的倒錯を扱うものが多い。田山花袋の「蒲団」などは読者を悪寒たらしめる作品だ。芳子が常に用いていた蒲団──萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。別れた女性が愛用していた蒲団の匂いをかいで、興奮する主人公。これに限らず純文学というのは、倒錯した世界観を持つ物が多い。江戸川乱歩の「芋虫」に至っては肉塊萌えという近寄りたくない世界である。日本文学の最高傑作といわれる「源氏物語」もその構造は萌え系ジャンルでは定番の「ハーレム物」に属し、近親愛はあるわ、少女誘拐はあるわ、ツンデレ萌えはあるはとんでもない作品である。「萌え」というと新しい概念のような印象を受けるが文学史では定番のものなのだ。だが、それを絵で表現してしまうと、これほどまでみなに毛嫌いされるわけだからよくわからないものだ。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.30
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この沈黙が恐ろしい。沈黙の原因… ちょっと、みんな後ずさりしすぎ!!こ、これは別に私の願望とかじゃないんだからねっ!!絵が下手だから描いているうちに偶然こうなっただけなの!!
2006.01.29
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私が掲げる「オタク論」についてEigoMontaさんから大変貴重な意見を頂いたので紹介します。>きれいでかわいい年を取らない(取らないよね?)人形が>恋愛(擬似恋愛?)の対象と言うのは生身の大人の女性に>ダメだししているようなものだと思います。>大人の女性の言う「少女趣味はキモイからやめろ」は>「私達をそこまで否定せんでくれ」という意味ではないかなぁ。>オタクさんが求めているものは自分にはないと>生身の人間は感じてしまうと思います。>だから近寄れないし、近寄らない、のではないかなぁ。なるほど。私はオタクであることに何かしらの被害意識を持って書いていましたが、確かにオタク自身ダブルスタンダードに陥っています。オタクからすれば女性はすべからず我々を否定する存在と捉えていますが、逆に女性からしてもオタクは自らを否定する存在であるというわけです。私は金髪に染めいかにもギャルっぽい化粧を施した女性を見れば「私を攻撃する存在だ!逃げろ」と逃避態勢に入りますが(可愛いですね)、女性からしてもオタクっぽい服装の人がいれば「彼らは二次元にしか興味がなく、自分をまっこうから否定する存在だ」と感じるのかも知れません。しかし人形に擬似恋愛するのが生身の女性の否定というのは少し違います。否定しているのは自分を含めた生きとし生けるもの全てのものです。ヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイブ」において主人公のエクルドは人間の魂の不完全さに絶望し、エディソンが創った完全な人造人間ハダリと恋愛します。これはガリヴァー旅行記の結末とも似ています。人間の醜さに嫌気を指したガリヴァーは、最終的に人との関係性を捨て馬と過ごすことに幸せを覚えています。彼らは詰まるところ厭世主義者だったわけです。しかし、その厭世主義者であるという結果だけを見るのは不公平だと思うのです。そこに至るまでには「存在自体否定されてきた」という暗黒時代を経験してきているのですから。「ルサンチマン」の越後と坂本の台詞を引用します。「小学校高学年になってようやくわかったのだ。 カッコイイやつ面白いやつ運動の出来る奴、 それらとの扱いが違うことが。 人間は平等ではないと知ったのだ。 俺たちの高校時代思い返してみろよ。 クラスの人気者・高橋のクソくだらんジョークが爆笑を かっただろう。俺のほうがはるかに知的でウィットにとんだ ジョークを言えるというのに、 発言する機会すら与えられず黙殺されたのだ!」「ほんのちょっと暗いだけで、どんどん孤立していってね、 存在自体否定されていくんだよ。特に女子は、遠慮なく モテるやつとモテないやつで差別するし…」こうして2人がたどり着いた結論が越後の言うような「現実を直視しろ。俺たちにはもう仮想現実しかないんだ!」であり、萌えの語られざる闇の部分でもあるのです。萌えとはルサンチマンの発露であり現実への復讐なんですよ。萌え系のアニメや漫画は「学園」が舞台になることが多いですが、それも暗黒だった学生時代を一からやり直すためなのです。>「私達をそこまで否定せんでくれ」という意味ではないかなぁ。もっとも世間が先に自己を否定したのか、世間を否定した結果、自らが否定されたのか、その前後関係は不明です。その両方だというのが妥当な見解といえましょう。それにしても「私を否定しないでくれ」というのはエゴイズムの結露です。換言すれば、「私を見て!私に尽して!」なわけですからね。恋愛至上主義においてはお金は自分の趣味よりも恋人に貢ぐ(自己投資も含む)のが基本ですから。オタクもまた同様のエゴイズムがあります。それは努力を放棄し勝手に諦めているのに、なおかつ自己を認めてくれという傲慢かつ自分勝手な思考です。例えば外見を理由にもてないという人が多いですが、実際は内面にも相当問題がある場合が多いのです。考えようによってはルサンチマン(嫉妬)やカタルシス(膿)が閉じた世界に生きているために解消されず、自我の世界に充満してしまったからだともいえますが…。>オタクさんが求めているものは自分にはないと 生身の人間は感じてしまうと思います。>だから近寄れないし、近寄らない、のではないかなぁ。これが面白い所でいくらオタクがあーだこーだいっても、自分を認めてくれる人間は誰でも好きなんですよ。妙にプライドの高い独身女性と違って、オタクは自分を好いてくれさえすれば誰でも良いみたいな所が恥ずかしながらあるのです。アニメや漫画のキャラが理想的な女性であるというのは、前の日記で述べたように「契約(=空想)」の力であり、生身の人間も契約次第であらゆる欠点が無に帰するのです。普段話しかけられることなどもめったにないものだからつい優しくしてくれる人を好きになってしまう。結果、バカ高い絵画を買わされたり、得体の知れない宗教に入ってしまったりという被害が絶えません。そんなことがあるから、ますます警戒心を強め、絶対的に安全が保証されている虚構の城に閉じこもってしまうのです。ま、確かに閉じた世界にいる以上、関係性を否定しているのだからもてる以前に、出会いすらあるわけがない。もてないと嘆くのは完全にお門違い。自業自得としか言いようがありません。でも、考えてみれば、オタク同士で付き合えば何の問題もないような・・・――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.27
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「私にとって昼間の世界は架空のようにしか感じられない。 かえって夜の夢の中に私の現実がある。 そこに私の本当の生活がある」―エドガー・アラン・ポー個性個性と声高に叫ばれているが、当然ながら建前である。本気にすると痛い目にあう。痛い目にあっている私がいうのだから間違いない。正直萌えを語っただけで、ここまでブログの常連が去ってしまうとは思わなかった(それだけでもないが)面接で「あなたが打ち込んでいることは何ですか?」と聞かれ「萌えです」「萌えって何?君はアニメの絵を見て欲情するの?」「違います。萌えとは対象物に美のイデアを見出し、神を幻視することです。その起源は古代ギリシャのピグマリオンまで遡ることが出来ましょう。そもそも宗教自体が萌えと同じ構造を持っておりましていわば萌えとは個別救済を目的とした個人宗教です」と拳を固く握り熱弁した所で体よくあしらわれるだけだ。私もそんな事をいう人がいたら怖いよ。近寄りたくないよ。やはりサブカルチャーは評価されない。これがクラシックや文学鑑賞、歌舞伎や古典絵画などのハイカルチャーなら高尚な趣味であると評価されるのだが。もっとも私に卓越した文章力と権威があれば下位文化でも評価されるのかも知れないが、ただのオタクでは分が悪い。本棚を表紙で美少女が笑っている漫画で埋め尽くしているような人間がもてるとも思えない。それだけならまだ良いが私など、現実の女性を見る時間よりも、2次元の女性を見る時間の方が長いくらいだから救いようがない。しかし、である。そもそも「仮想世界は所詮絵空事に過ぎず、無価値なものであり、現実世界のみが唯一である」という一元的な価値観こそが非難されるべきなのではないかと思う。「空即是色」といわれるように、現実というものは、大宇宙の表層的な一部分に過ぎない。むしろ空想することが出来ず、現実にしか生きられない者ほど虚しいことはない。かのアインシュタインも「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む」と言っているし、養老孟司も唯脳論の中で、まず空想がありそれが実現していったことを示している。例えば宇宙に行きたいという空想があったから、ロケットが発明され宇宙に進出することが可能になったのだ。諸外国の科学者が「人型ロボットなど馬鹿げている。困難な二足歩行をさせるよりも車輪にした方が合理的である」と言う中日本は頑なに二足歩行ロボットに拘ったのもアトムのおかげである。パスカルは「人間は考える葦」であると言ったがその通りで、人はそれ自体か弱い存在であるが、空想の力によってこれほどの進歩を遂げることが出来たのだ。現実の中でしか生きられないのは極めて動物的であると言わざるを得ない。現実原則に忠実になろうとする者は恋愛ひとつとっても、必死にならざるを得ない。結局それは好きでもない人と付き合ったりストーカーや暴行といった犯罪行為を誘発したりすることにもなる。よくオタクがその手の犯罪の代名詞とされているが、オタクはむしろそういうイドを空想によって発散出来るのであり、犯罪に走る人間というのは空想力の欠如した人間でありまた別のものである。なぜ現実の女性に手を出すのか。萌えキャラがいつも一緒にいるじゃないか、という所だ。しかし現実には暴力をふるったり、浮気性だったりする男がモテ、受動的で一途なオタクがモテないのだから分からないものである。それは「男らしさ」と関係があるのかも知れない。「男ならはきはきと喋れ、堂々としろ」「多少強引でもいいから先導しろ」「少女趣味はキモイからやめろ」これに加え未だに前時代的な「マッチョイズム」を求めてくる人もいるからたまったものではない。ユングの指摘するように男にも「アニマ」という女らしさが存在する。科学的に見ても男性にも「女性ホルモン」があるわけで男らしさばかり強要されるのは困ったものである。男だって部屋にお人形さんやぬいぐるみを飾ったり、甘いケーキを食べたり、可愛らしいドレスを着てみたりしてみたいものなのだ…え!?私だけか…!!ちょいまて!さっきのは無し!忘れて!マインドアサシン!まぁしかしオタクが完全な市民権を得るとなると、それはそれで問題があるのかも知れない。少なくとも晩婚化や少子化に拍車をかける可能性がある。だが、どうだろう。そもそもここまで世間的に「恋愛至上主義(恋人と成就することで救われる)」があらゆる分野で繁栄を極めているのは、恋愛が重要な経済活動であったからに他ならない。恋愛にかける投資額はとんでもないものなのだ。しかしオタクが認知度をまし、1兆円規模のマーケットになった今、これを無視することはもはや不可能である。そうなると、もてる人は恋愛にお金をつぎ込み、もてない人は萌えにお金をつぎ込むという二極化が進行するという事態が想像される。もっとも萌えもあまり拡がりすぎるとバブルがはじけ、空中分解する可能性もあるため、できれば萌えはあまり表に出さず静かに浸透させた方が良いのかもしれない。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.27
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【ローゼンメイデンを巡る契約と媒介について】『ローゼンメイデン』とは人形師「ローゼン」によって作られた7体のアンティークドールが究極の少女「アリス」になる権利をかけた姉妹同士の命の奪い合いである「アリスゲーム」に巻き込まれていく物語である。今回はこの物語のキーフレーズである「契約」と「媒介」について考察したい。「契約」とはドールとそのマスターの共闘契約のことであり、ドールはマスターの生命力を「媒介」として、契約以前とは比較にならない程の能力を行使することが出来る。一体これはどのような意味を持つのだろうか、今からそれを考えていくことにする。アリスが究極の美しさを持つ少女である以上、その資格を得るためには「美しさ」こそが「力」であることは間違いない。ここでいう美しさとは外見的なものもあるが、気高さや穢れのなさといった内面的なものも包括する。美しいものとは何だろうか。この問いに答えることは容易だ。例えば「薔薇」が挙げられる。ギリシャ神話の美と愛の女神アフロディテが、泡の中から誕生した時にアフロディテと一緒に生み出した花とされ、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」にも描かれているように、美の象徴とされている花だ。聖母マリアの象徴でもある。この薔薇を美しいと人が感じるのは学習されたものなのだろうか。それとも顕在的に美しいのだろうか。おそらく後者だろう。薔薇はアプリオリに美しいのだ。そうでなければ世界中で愛されているわけがない。つまり薔薇は元より美のイデアを持ったものなのである。ローゼンメイデンも同じように潜在的な美しさを持っており、それは媒介なしでもある程度の力を行使出来ることからも推測される。しかしもし薔薇が完全密封された箱の中に入っていたらどうか。それでも尚その箱を見て美しいと思うだろうか。これはまず思えない。第一これでは箱の中に何が入っているかどうかすら分からず、存在自体証明することができない。プラトンが「色は光なしに見られずそれぞれのものの色は全て光のうちで見られる」というように全ては光によってのみ、事実が見出されるのである。この関係は鞄という暗闇によって象徴されている。ローゼンメイデンもまた誰かが鞄を開けなければ誰にも存在を知られず、永久に眠り続けることになる。いくら美しさを備えていても認知されねば存在しないに等しい。しかもその美しさの程度は観測者によって左右される。なぜなら人はただありのままの事実のみを見る動物ではないからだ。人は対象物への興味の度合いで、事実にバイアスをかける。例えば私は「ローゼンメイデン」を熱狂的に支持しているが、他方興味のない人には、なぜ私がそれほど嵌っているのか理解に苦しむだろうし、気持ち悪がられているかも知れない。その違いとは何か。それが「契約」の正体なのである。古代ギリシャのピグマリオンは美の女神であるアフロディテを熱愛するあまり「理想の女性」の彫刻を制作し、遂に完成させた。そして彼はこの像に恋をすることになる。この像はピグマリオンのキスによって人間になり「ガラティア」という名前を与えられ彼の妻となる。ローゼンメイデンも同じで、キスによって契約がなされる。契約とは空想の力によって対象を究極の美しさを具備したものに仕立て上げることである。私はローゼンメイデンの媒介となり、ドールズの中に神を幻視し理想化・偶像化し、美しさを補完している。俗な言い方をすれば「萌えている」のである。この言葉は一般人には分かりづらいかも知れないが、実はこれは恋愛感情とほぼ同じものである。恋愛(特に近代以降)もまた恋人を理想化・偶像化している。その状態は「あばたもえくぼ」といった言葉に集約されている。しかし仮に婚約の契約が継続していても、恋愛の契約が切れればあばたが目立ち始め、理想化・偶像化していた状態には戻れなくなる。「萌え」と「恋愛」の何が違うかといえば「萌え」はそもそも高度に記号化された存在であるため、不安定な人間との契約と違い、かつての神との契約同様の強固な契約を結ぶことが出来る点にある。いずれにせよ「契約」は対象物を飛躍的に美しくする効果を持つ。もちろんそのためには「媒介」としての自分の存在は欠かせず、その存在意義によって自らのアイデンディディを確立することになる。これは「神」も「恋愛」も「萌え」も共通して持つ性質だ。これに従えば「ジャンク」というものは存在しないことになる。なぜなら対象物を愛する契約者さえいれば、欠点などないも同じだし、かえってそれが美点にもなり得るのだ。結局の所、潜在的な美しさというのは契約までの契機に過ぎず、それ自身で勝負をすることなど出来ない。それは契約者のいない水銀燈が契約者のいる真紅に勝てない理由なのだ(しかし契約者がいないのに関わらず、真紅に匹敵する力を持っていた水銀燈の潜在的な美しさは侮れない)これは我々のようなオタクにも希望となるメッセージである。つまり外見などというものは、ただの入り口に過ぎず、それ自身が意味を持つ者ではないのだ。とはいえ現実では入り口で門前払いされてしまう。ローゼンメイデンでいうなら鞄を開けたら即座に閉められるようなものである。結局、部屋にこもり、誰にも存在を知られることなく朽ちていく他ないのか。その答えはNOだ。契約者は人間でなくても良いのだ。たとえ仮想上のキャラクターであっても、契約は契約である。結局それは自分と自分との契約であり、まさにナルシズムなのだが、それは神であれ恋愛であれ結局は同じことだ。自分と似ている所か、もしくは自分にないものを補完する存在を愛しているだけなのだから。まとめると、ローゼンメイデンが伝えたいことは「恋愛に絶望することはない。私達には萌えがある」だ。位置的にはエヴァンゲリオンで「オタクはきもい」とはき捨てられたトラウマを治癒する作品であるといえよう。救いは何も人間との関係性にのみ求められるものではないのだ。 ――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板ごめんね…キモイ日記ばっかで…
2006.01.26
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ネギま…油断していたぜ…。コミックでまとめ読みしてみると意外と面白いじゃないか…。記号を羅列しただけのあざとすぎる漫画として敬遠していたのですが、完全な読まず嫌いだったなぁー(実際にあざといんだが^^;)それと、ローゼンメイデン6巻をついに手にしました!!あー…幸せだ。日本に生まれてよかった!!これのためにわざわざ都会に出たんですよ…。地元ではどこも取り扱っていない本ですからね。家に帰ってゆっくり、何度も何度もゆっくり読んでやるです。さてとー、次は何を読むかなー(せっかく都会まで出たので漫画喫茶にて読書中なのです)
2006.01.26
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旅人「ここは一体…」案内「ようこそいらっしゃいました。ここは、報われない人たちが 集う最後の町です。良ければ私が案内を致しましょう」旅人「それはどうも。しかし報われないとは一体。 結構ここは栄えているように見えるのですが」案内「寂れているなら寂れているで目立ちますからね」桶屋「そこの旅の方…。旅のお供に棺おけはいらないかい」旅人「旅のお供に棺おけを引きずっていく人はいませんよ」桶屋「困ったなぁ。ここでは誰も買い手がいやしない。 わしがいた町では飛ぶように売れたんだがな」旅人「飛ぶように?それならどうしてそこで売らないのです」桶屋「戦争があってね。町の若い者が次から次へと駆り出された。 そのおかげでわしはたんまりと儲けさせてもらった。 若者を戦場に送り出すたびにほくそ笑んでいた。 つい最近など町が絨毯爆撃にあってな。 わしはこれで億万長者だと嬉しくて仕方がなかった。 だが思うようにはいかなかった」旅人「誰も亡くならなかったのですか?」桶屋「その逆だ。わし以外全員死んだのだ。 おかげで誰も棺おけを買う奴がいなくなってしまった」旅人「なるほど」桶屋「仕方がなくこの町に来たもののなぜかさっぱり売れない。 このままではわしの棺おけを用意せねばならん」旅人「ご冗談を」桶屋「あぁ、冗談だ…。わしの棺おけを作っても、 誰もわしをそこに入れる奴がいないから作るだけ無駄さ…。 とにかく誰かが死なない限りわしは生きられない。 誰か死なないものかな…」案内「分かりましたか。ここでは報われることがないのです。 全ての努力は徒労に終わります」旅人「しかしこの町の人からすればありがたいことですね」薬屋「そこの旅の方。薬を試食していきませんか」旅人「薬を試食したくはないですよ」薬屋「しゃっくりが止まるという革命的な薬なんですがね」旅人「それはすごいですね。しかし、今は不要ですね」薬屋「そんな人のために、しゃっくりが出る薬もあるんですよ」旅人「何でわざわざしゃっくりにならなくちゃいけないんですか。 治す為にしゃっくりになるなんて本末転倒です。 それに副作用もないわけではないでしょう」薬屋「痛い所をついてきますね。 この薬は確かにしゃっくりも止まるのですが、 同時に心臓も止まりましてね…。まぁ止むを得ませんな」旅人「何がやむを得ないんですか。ただの劇薬じゃないですかそれ。 ん…その横にある薬は何ですか?」薬屋「これはダメだ!絶対に売れない。 実はここだけの話…これは不老不死の薬なんだ。 当然副作用もない。恐ろしいものを作ってしまった」旅人「不老不死の薬ですか。人類の悲願ですね。 どうして売らないのですか」薬屋「この薬は意外すぎる組み合わせというだけで、 実は作るだけなら子供にも出来るような簡単なものなんだ。 もしこの薬の存在が知られればすぐに複製され、 世界中に広がってしまうだろう。もしそうなれば、 私のような薬屋はいらなくなるだろう。それは困るのだ」旅人「なるほど。数十年以上長持ちする蛍光灯が、 市販されないのと同じようなものですかね。 電化製品もあえて頑丈には作らないですしね」案内「しかしいずれにしてもこの薬は売れませんよ。 この薬は不老不死の薬などではなくただの泥水です」薬屋「そんなバカな!私はそれを飲み不老不死になっているのです。 ほら、どんな毒薬を飲んでも死なないでしょう。 ナイフで切ってもすぐに元通りになります」案内「それを飲まずともここの住人は誰もがそうなるのです。 ここにいる人はみな死なないのです。 なぜなら誰も生きてもいないのですから」旅人「それはどういう意味ですか」案内「はじめに見た桶屋は戦争で既に亡くなっているのです。 薬屋もしゃっくりを治す薬を開発している時に、 副作用で既に亡くなっているのです。 しかしこの町ではそれを知っていても、 延々と自分が生前打ち込んでいたことをやり続けます。 桶屋は売れもしない棺おけを作り続けるし、 薬屋はやはり売れもしない不老不死の薬を作り続ける」旅人「それでは私は何なのですか?」案内「あなたは延々とこの町をさまよい歩くのです。 生前は樹海で同じことをしていたのですからね」――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.25
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曲の好みというのは本当に人それぞれで、誰もが認める名曲とはなかなか存在しません。そこで開き直って、特殊な波長を持つ人同士の名曲を独自に選んでいこうと思います。私が選ぶ曲が好きでたまらない人は他のまだ知らない曲も好きになる確率がきわめて高いと思うわけなのであります。あと楽天品揃え悪すぎ!参考にアフィリ貼ろうとしたけど、全然ないじゃないですかー。ま、いっか。【Cheap Trick_The Greatest Hits】09 Surrenderカヴァー曲がやたら多い曲です。それだけ多くのロックシンガーを惹きつけてやまないんでしょう。もっともチープトリック自体ビートルズっぽいんだけど。ハードロックと銘打つ割には軽快で親しみやすい曲です。タララーラ、タララーラ、と口ずさむも歌えず。【Backstreet Boys& Millennium】08 The One4曲目のIt's Gotta Be Youもノリが良くて好きだけど、私が好きなのはこちらの曲。恋人と聞きたい曲なのです(いないけど)サビの部分なんか心にジーンと来て震えが来るくらいです。もうこの曲流しとけばムードでなんとかなるんちゃうかと。【ALI PROJECT EROTIC&HERETIC】02 赤と黒ローゼンメイデンの主題歌「禁じられた遊び」と「聖少女領域」ですっかりアリプロに嵌り「地獄の季節」「阿修羅姫」で心酔。アリプロの曲の再生回数が総計で三桁になっています。うわぁ。とにかく独特すぎる世界観とゴスロリっぽいメロディーが特徴で、退廃的かつ妖美で神話的な雰囲気を漂わせている曲が多いです。スローテンポな曲も切なくて好きですが、この赤と黒のようにアップテンポな曲も聞き飽きなくて好きです。歌詞も凄いです。凄いとしか言いようがない。禁じられた遊びなど「薔薇の首輪つなげて銀の鎖くわえて今宵もひとり果てる あなたが憎らしい。跪いてお嘗めよ苦い愛の雫を」ですよ。すっかりアリプロ中毒になっている今日この頃なのです。【奥井雅美 TRUST [Maxi]】1.TRUST「これが私の御主人様」の主題歌。アニソン界で神様的存在である奥井雅美なら、他に良い曲がいっぱいあるだろうというつっこみがありそうですがあえて彼女自身が作詞作曲を手がけているこの曲で。アニメのOP映像と一緒に見ると爽快感があるんですよ。なお、本編はこの曲の清涼感とは打って変わって、まさに外道といった作品ですので騙されてはいけません。【The End Of Evangelion】甘き死よ、来たれ極限までダメな気分になっている時は、むしろこういう曲の方が元気になることがあります。無へ還ろう、無へ還ろう…。エヴァンゲリオン本編では世界が、物理的にも精神的にもがらがらと崩壊していく時に流れる曲です。この曲を十二分に楽しみたいのならエヴァは観るべきですね。【JUDY AND MARY THE POWER SOURCE】3.そばかす「るろうに剣心」の主題歌(アニソンとはいえないけど)。パワフルな曲でノリがよく楽しい気分になります。しかしこれは私がカラオケに行って歌い始め5秒で、友人に冷静に取り消しボタンを押された屈辱的な曲でもあります。キー高いんだよー!!思いっきり裏返ったじゃないか。【プリンセスブライド・アレンジアルバム】Princess Bride!萌え曲といえばこの人KOTOKO嬢の名曲中の名曲。これは一般人にも自信を持ってオススメ出来る曲です。早口で捲し立てる歌詞とノリノリのメロディーが印象的。特に超スピードで韻を踏みまくるサビ部分「Lovin' Callin' Feelin' Healin' Kissin' Again Darling!」「Cryin' Smilin' Fallin' Flyin' Charming Wedding Heroine!」が耳に残り脳内でエンドレスリピートします。恐るべし。この曲を完璧に歌い上げられる人は全国に数人程度と思われます。あと、この曲は絶対に普通の店舗には売っていないので、探すだけ無駄です。行くならゲーマーズ(私もそこで買った)。一体何の曲なんだという疑問ははやく飲み込んでください。【HOME MADE 家族 少年ハート】少年ハート「交響詩篇エウレカセブン」の主題歌であり、本編のダメ親父「ホランド」を励ます曲です(違う?)これは実に前向きで元気付けられる歌詞なのですが、著作権の関係で紹介出来ないのが残念です。最近のJ-POPは聞こえの良い歌詞を羅列するだけの軽薄で意味のない歌詞を持つ曲が多いのですが、これはじっくり歌詞を堪能できます。【攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX】inner universe攻殻機動隊の曲はどれも痺れる曲が多いのですが、これは知る人ぞ知る名曲。この曲の歌がはじまる瞬間なんか、かっこよくて感動のあまりふるえが来ます。まだ攻殻機動隊を見ていない人はレンタルビデオ屋で借りて、映像と一緒に聞くのがオススメ。とにかく圧倒されます。【パピーペット ナミダボシ】1.ナミダボシ「ブラックキャット」主題歌。下手なんだか上手いんだか、本気なんだか投げやりなんだかよくわからない歌い方が特徴。でも独特の可愛い声が見事にはもっていて面白い曲なのです。何度も聞くような曲ではないかなと思っていたら、聞くほどにだんだん嵌っていって、気付けばお気に入り曲に…。【桃井はるこ TVアニメ「らぶげ」ED主題歌 トンドルベイビー】しまった!10曲といいつつ既に11曲目じゃないですか。まぁいいや。どうせ誰も数えちゃいないさ。萌え曲の女王「モモーイ」の曲で、「らぶげ」のED曲。モモーイの曲はどれも萌えを計算し尽されていて、ハズレ曲がないのですが、この曲も同様に素晴らしい。みいたんの魔法でポンの「おにいたん♪」も破壊力があるのですが、モモーイの真髄といえる要素は一般人にはオススメ出来ないので却下。弟がテイルズオビジアビスをクリスマスに買ってもらったのですが、そのアニス役がモモーイです…まさか弟は中の人がこんな萌え曲ばかり歌っているとは知るまい…ふふふ。あぁしまった無計画にレビューしてしまったが、まだまだオススメの曲が残ってる。ま、それは別の機会にでも。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.25
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意味わかんないって?私もわからんよ、ちくしょー!――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.24
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<誘い>友1「ここにいる奴で今からカラオケ行こうぜ」友2「カラオケか、久しぶりだな。よし、行くか」友3「それじゃ、田中、また明日なー」田中「え…」<正直者>先生「みんな机にうつ伏せになって目をつむれー。 教室の窓ガラスを割った人は正直に手をあげなさい」生徒「…」先生「みんなもういいぞー。それから田中は後で職員室に来なさい」田中「え…」<遅刻>田中「すいません。遅刻しました」先生「なぜ遅れたのか理由を言いなさい」田中「目覚まし時計の電池が切れていまして」先生「言い訳するな!」田中「え…」――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.23
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只今、小市民伯爵は留守にしております。その間に「ローゼンメイデン」をよく復習しておくことー
2006.01.22
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ローゼンメイデン~究極の少女を求めて~ どんな花よりも気高くて、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れも無い世界中のどんな少女でも敵わない程の美しさを持った少女「アリス」。「ローゼンメイデン」は人形師ローゼンに作られた7体の人形がこの「アリス」になる権利をかけたアリスゲームに巻き込まれていく物語だ。だが、究極の少女を求めたのはローゼンだけではない。日本のアニメーション界もまさにこの究極の少女を追い求めてきたのである。世界的に認知されている人物としては宮崎監督と押井監督が挙げられる。まずは宮崎作品から見ていこう。彼の作品にはもちろん自然保全、反戦などのメッセージも込められているが全作品に根底としてあるのは少女讃歌である。彼の作品はどれも溢れんばかりの「至高の少女」への愛がある。「至高の少女」とは純粋無垢で慈愛に満ちた「天使」としての美しさと、気高さや誇りの高さ、少女特有の残酷さと凶暴性を秘めた「小悪魔」としての美しさを兼ね備えた少女のことである。一例としてもののけ姫の「サン」と天空の城ラピュタの「シータ」を挙げたい。サンは山犬に育てられた野生児であるから、穢れに満ちた人間には殆ど接触がないため純粋さを保っており前者はクリアしている。後者の攻撃性は人間への恨みという形で表現されている。「至高の少女」としては一つの理想型といえるだろう。シータはゴンドラの谷でひっそりと暮らしていたため、あまり人との接触はなかったと思われるので純潔は保っている。性格もこの上なく善良である。攻撃性は一見なさそうに見えるが、ムスカの頭にビンを叩きつけたり、大量殺人になることを覚悟で滅びの呪文を唱えたりと意外と気が強い。また魔女の宅急便の「キキ」やハウルの動く城の「ソフィー」などはいわゆる「ツンデレ(はじめはツンツンとした刺々しい態度だが、次第にデレデレとしたしおらしい態度を見せるようになる)であり、「天使」と「小悪魔」の両方を具備している。このように宮崎は少女讃歌をアニメーションによって巧みに表現してきているのである。しかし宮崎作品の少女には一つの避けられない問題があった。それは理想的な少女もいずれは年をとりその美しさが損なわれていくという現実である。その苦悩は彼の作品に常に登場している、少女と対をなす存在である老婆に象徴されている。ラピュタでは男勝りなタイガー・モス号の女船長ドーラの若い頃の写真がシータとそっくりであり、今ここにいる美しい少女もいつかはこうなるのだよという現実を表している。どうにかして少女を維持できないだろうか。その問題への一つの答えがハウルの動く城であった。たとえ老婆になってもかつては少女だったのだから魔法の力(=妄想)で少女の姿に戻せるはずであるという考えだ。しかし精神状態次第ですぐに戻ってしまうので恒久的な解決とはいえない。この問題に別の視点からの解決を導き出したのは「攻殻機動隊」で知られる押井守監督だ。彼は永久の少女を人形によって実現し、その上で人間よりも人形の方が優れていると作中で訴えている。それは映画「イノセンス」における「人間が子供を作って育てるという行為は、人造人間を作るという願望を実行に移しているにすぎない」などの台詞からも読み取れる。映画のラストは「お前たちは人形の気持ちを踏みにじったんだ」と、やむを得ず悪事を行った少女を怒鳴り、人形になったヒロインの素子を愛するという人形萌えここに極まりといったものになっている。しかしあえてこの作品に難をつけるとすると、その人形がかわいいと思えないことにある。作中に登場する人形に萌えるのは一部のマニアを除いて至難の業だ。萌えるキャラとは高度にデフォルメされ記号化されたものである。実写に近づけると余分な情報が増えてしまい萌えから遠ざかってしまうのだ。そこで登場したのが「ローゼンメイデン」である。「至高の少女」と「永遠の少女」この2つを兼ね備えた究極の少女。私はこの作品において一つの完成を見たと思っている。ヒロインの「真紅」は動く人形という設定上人目に晒すことが出来ないため多くの人と関わる機会がない。それゆえ人間に穢されることがないし、人形の性質上純潔で神聖である。壊れた人形に涙を流す、勝負に負けた雛苺に情けをかける、主人公のジュンを慰めるなど優しさに満ちているし気品や誇りも持っている。その一方で未完成の人形である水銀燈をジャンクと言う、雛苺、ジュン、のりを奴隷扱いにする、など小悪魔としての一面もある。また普段は女王気質だが、ジュンとふたりきりになるとしおらしくなって甘えるというツンデレキャラだ。まさに至高の少女に相応しい。しかも人形だから年をとることもなければ自らの老廃物で汚れることもない。また少しくらいの傷や汚れなら人工精霊によって自然修復することが可能なので永遠の美を保ち続けることが出来る。まさに究極と呼ぶに相応しい。もっとも、人形には肉体的な美であるエロスが欠如しているのではないかという批判があるかも知れない。確かにローゼンメイデンは背丈がかなり低く、球体関節の描写まであり明らかにこれが人形であると視認出来る。しかし少女愛とはプラトニックなものでありそのような事を考えること自体が間違っている。たとえ自分自身であっても少女を穢してはならないのである。むしろ誰にも穢せないからこそ人形が人間よりも優れている理由であるとすらいえる。しかしただ究極的な要素を持っているだけでは未完成だ。人形萌えというのは人形に自らの魂を吹き込み、擬似的恋愛感情を持つことである。そのためには常に人形との契約者の存在が必要だ。興味対象がかわったり自分自身が意識を失ったりすれば、人形はただのガラクタに戻ってしまう。つまり人形というものは人なしでは生きられないのだ。ローゼンメイデンにおいても契約者がいなかった水銀燈は契約者のいる真紅には敵わなかった。なぜなら人形はそれ自身が持つ魅力よりも、それを持つ者の愛情の強さによって輝くものだからである。「イノセンス」においても魂(ゴースト)のない人形は徹底的に破壊される運命にある。ローゼンメイデンが契約者との絆の強さで能力が飛躍的に向上するのも、それだけ人形へ魂を吹き込むことが出来るからだ。この作品が究極の少女を体現した作品としてアニメーション界の歴史に残るかどうかも、受け手次第なのである。
2006.01.19
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人は自分自身を目的にしては生きられない。アイデンディディは他者との関係性の中でのみ成立するから、完全に閉じた世界では自己を見失い狂気に陥るのである。また人は現実を超越した楽園の存在を設定しないことには不条理と不公平に満ちた現実に押しつぶされてしまう。近代以前はアイデンディディを保証するものとして神が存在し、快楽原則を満たすものとして、天国、エルサレム、極楽浄土といった神話上の聖地が存在していた。しかし近代科学は「神」と「聖地」を抹消してしまった。その代替として台頭したのが「恋愛」であった。絶対者である神と一対一の契約を結ぶかわりに、恋愛対象に愛される事でレゾンデートル(存在理由)を確立し、現世において楽園を創り出すことになった。またそれは資本主義経済を爆発的に発展させる起爆剤にもなった。ファッションやコスメ、エステといった自己投資はもちろん、喫茶店や遊園地といったデートスポット、クルマや、音楽、クラブ、サーフィン、スノボなどの趣味、プレゼントのためのブランド消費員や貴金属などなど、おびただしい消費が恋愛によってもたらされた。これにより「個」というものが意識され、人は制約のない自由を得ることになったが、一方で社会を不安定なものにした。普遍的で絶対的な神との関係と違い、人との関係はきわめて不安定で脆弱なものなのだ。愛を失えば同時に自身のアイデンディディも失われることになるし、万人が恋愛至上主義の恩恵に授かれるわけではない。クリスマスやバレンタインデーというイベントにしても、勝ち組と負け組が明瞭に分かれてしまう。いわゆるもてない人間は妄想に頼るか、風俗や出会い系サイトに走らざるを得ないということになる。恋愛弱者ともいえる人が時に救いを求めるが余り我を忘れ、ストーカーや監禁といった犯罪行為に走ってしまうのも「恋愛至上主義」がもたらした弊害といえるだろう。そのような事態を解決すべく発明されたのが「萌え」であった。これは高度にデフォルメされ記号化された空想上のキャラを恋愛対象にするという「偶像崇拝」に似たものである。実際フィギュアというものは崇拝対象を喚起するものであり、それを可能にするには物に魂(ゴースト)が宿るという汎神論的な思想がなければありえないものである。この偶像は人とは違い決して裏切ることがないし、自らの理想を高密度に詰め込まれ具現化されたものであるので、恋愛よりも崇拝対象としては優れている。また萌えは同時に信仰者のアイデンディディも保証する。いわゆる「萌え系」ジャンルの基本的な話の流れを見ればそれは良くわかる。理想ともいえるヒロインがまず登場し、その後彼女の不幸が語られる。そこに自己を投影した登場人物が救いの手を差し伸べ最終的に2人は結ばれる。こうして自己が存在する理由が神話を通して生まれることになる。しかし偶像崇拝の性質上それはプラトニックな愛にならざるを得ず、恋愛至上主義が幅をきかせている時代においてはもはや必ずしも快楽原則を満足させるものではない。しかも「自分が必要とされている」のは現実の世界ではなく、虚構世界においてであり、ふと冷静に現実の自己を省みた時に憂鬱な感情に支配されてしまう。それゆえ偶像崇拝には何かしらの空虚感があり、その崇拝者も信仰を黙秘するか自虐的にならざるを得ない。結局、我々のようなオタクに救いは永遠に到来しないのだ。神が抹消される以前は死後や来世に救いがあったが、偶像崇拝者にはそれがない。あるのはバーチャル世界に浸っている間の刹那な快楽のみだ。しかしだからといって現実に目を向けるのが良いことか。虚構であることを自覚し尚もマトリックスに飛び込む者こそ真の賢者といえるのではないだろうか。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.18
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だからこんな絵を描いている場合じゃないんだったら…。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板
2006.01.17
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カナエさんのブログでタイピングゲームが紹介されていたのでやってみました。タイピングモナー出てくる単語が凶悪過ぎます。もはや死語となっている2ちゃんねる用語が頻出しユーザーを困惑させます。「うらまーす」「ぞぬーり」を間違いまくり。でも今んとこ、30位/2784位 神++!!です。ブログ歴1年半の底力思い知ったかー!しかし1位の得点数は尋常じゃないぜー!人間かー!?楽天広場の人は毎日ブログ書いているから上位にいけそうな予感。
2006.01.17
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真紅がアリスになったらこんな感じになるんですかねぇ…。みなさんローゼンメイデンが呪い人形であることをお忘れのようだ。雛苺が勝った時。誰だよ…――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板「先生なんでだんだん下手になっていくんですか」「やかましいっ!」
2006.01.16
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こんな感じでみなさんもどんどん絵を描いていって下さいね♪――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板■お絵かきチャット も設置。
2006.01.16
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小雪牡丹さんの絵これも牡丹さんらしいほのぼのとした絵です。私も参考にしてウサギを描いてみました。今回は似せるよう努力してみました。ごめんなさい_| ̄|○――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ■お絵かき練習板■お絵かきチャット も設置。誰かが既に入っていれば私も出没するかも知れません。基本的に夜中になるでしょうが…。確実なのは時間を設定することですね。
2006.01.16
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MMR(真面目を装った最高峰のギャグマンガ)「オレたちは何もかも遅すぎたんだ…!!」何の根拠もないのに関わらず,何でもかんでも世界の滅亡へとこじつけ、全国のちびっこ達を絶望のどん底に突き落としたMMR。前半は超常現象を科学的に解明しようというスタンスでしたが、後半は予言詩を解明する話になってしまいました。個人的には前半の方が好きです。この異様に説得力のある科学的な説明を聞いて欲しい。登場人物はマガジン編集者で主人公のキバヤシ(以下樹林)。樹林に唯一つっこめる良識人ナワヤ。キバヤシの忠実なるシモベ・タナカ(以下田中)そして東京大学考古学教授のキタヤマ(以下北山)ちなみにΩΩΩは読者のつっこみだと思って欲しい。ナワヤ「おれは大学で航空学を学んだからわかるが… あんな円形の物体が空を飛ぶことは空気抵抗や バランスの問題やらで物理的に困難なんだ」(ここで樹林と教授がニヤっと笑う)教授「よろしい!なら私がUFOの飛行原理を説明してあげよう」助手「この機械には円形の盤がセットしてあって、 スイッチを入れると高速で回転する仕組みになっています。 そしてこれが円盤の重さをしめす重量計です。 ちょうど今5000mgをさしていますね」ナワヤ「フン 円盤を回したからって何が起こるってンだ…。 ほらみろ!何も起こらねぇじゃないか」樹林「お前の方こそ良く見たらどうだ」一同「なっ…なにぃーーーー!重量計の目盛りが動き出したーー! 僅かだが円盤の重さが軽くなっているんだ!!」ΩΩΩ「えーーーーーー!?」教授「そう…ごく最近わかった物理学上の大発見なのだあよ。 今見たとおり、円形の物体を高速で時計回りに回転させると 重量は…軽くなる!!」ΩΩΩ「な、なんだってーーーー!!!」読者の驚愕度…■■■□□□□□□□ 30MMR田中「この原理をUFOが応用しているとしたら…」教授「そう…回転を高めれば高めるほど物体の重量は 限りなくゼロに近づく…つまり円盤にかかる重量が 遮断されることになる。理論上…! UFOは高速を超えることが出来るんだよ!!」一同「光速!?」ΩΩΩ「な、なんだってーーーーー!!!」読者の驚愕度…■■■■■□□□□□ 50MMR田中「そ…そうか光速を超えればワープ航法で、 何万光年も離れたところからも地球に飛んでこれる!! なるほどUFOが円盤系なのはそんな理由が…」(ここで樹林がにやりと笑う)ナワヤ「ちょっとまて!!タナカ!!」本当に待てよ!田中。騙されてるよ!アンタ。重力の遮断と光速を超える事と何の関係があるんだよ。ナワヤ、君だけが彼らを救える唯一の人物だ!頑張れ!!ナワヤ「ナルホド!!それが本当なら光速を超えられるかも 知れない。じゃぁ、UFOはどんな力で進むんだ!?」ΩΩΩ「えーーーーー!!光速超えることは認めちゃうんだ!?」読者の驚愕度…■■■■■■■□□□ 70MMRナワヤ「光速を超えたりジグザグ飛行をしたりするには、 従来のロケットエンジンなどとは違った動力が 必要なハズですよ!!」(北山教授ここでも「ふっ…」とナワヤを小馬鹿にした笑い)教授「それじゃ、もう一つの実験を見てもらおう(にやにや)」田中「この実験なら知ってます!あの筒の中は真空になってて その中で鉄球と羽を同時に落とすとその二つは 質量に関係なく…重力に引かれて同時に落ちるんですよね」教授「その通り!いわゆるニュートンの万有引力の法則を 実験するための装置だ」田中「でもなんでこんな基本的名実験をいまさら大学の実験室で やっているんですか!?」教授「始めてくれ!!(にやにや)」田中「ほとんど同時に落ちてきますね…」ナワヤ「同時に落ちるのは当たり前だろうが…それを今更…」一同「!?鉄球の方がはやく落ちたーーーーーーー!!」ΩΩΩ「えーーーーーーーー!?」田中「教授!!これはいったい!?」教授「第五の力だよ!!(にやにや)」一同「第五の力ーーーーーー!!」ΩΩΩ「筒の中が実は真空ではなかったってことですかーー!?」教授「第五の力。すなわち地球上では使われていない力だ。 今の実験でも見た通り厳密には真空中でも 重いものは速く軽いものは遅く落ちるのだ。 どうやら質量が軽い物体には重力とはまったく逆の… 上に押し上げる力が働くらしい…」ΩΩΩ「だからそれが空気抵抗なんじゃないんですかーー!? 誰かそこを突っ込んでくれー!!頑張れ田中!!」田中「…とするともしUFOが高速回転して重量を羽よりも軽く ゼロに出来るとしたらその第五の力を利用して… 浮くことが出来るーーーーーーーー!!」ΩΩΩ「えーーーーーーーーーー!?」読者の驚愕度…■■■■■■■■■□ 90MMR教授「そうだ。UFOは高速回転することによって重力・慣性力を シャットアウトし、その第五の力を応用することによって 静止やジグザグ飛行が出来るのかも知れない(にやにや)」ΩΩΩ「騙されちゃだめだ!!誰か突っ込んで!! ナワヤ頑張れ!!君だけが頼りだーー」ナワヤ「うっ…ん~~~~(汗だらだら)」ΩΩΩ「ナワヤァァァァァッァア!!」読者の驚愕度…■■■■■■■■■■ 100MMR田中「UFOの推理力の秘密は回転にありか(清々しい顔)」樹林「そういえば…ミステリーサークルも円形じゃないか」田中「そういやミステリーサークルには 回転を意味するようならせん状の渦がありますね…」樹林「やはりUFOとミステリーサークルの間には 何か関係がありそうだな…」ΩΩΩ「やはりって何だ、やはりって!!」読者の驚愕度…■■■■■■■■■■ リミットこの後、実際にUFOを見るために、小型のストーンサークルを作って待つことに…。ここから先は涙なくして読めない。ナワヤ「いったいいつまでこんな所にいるつもりだよ。 もうかれこれ四時間以上はたっているぜ!!」教授「ナワヤ君!UFOにもよく出没する時間があるんだよ。 俗に言う丑三つ時というやつだ。 午前二時から三時までの間が一番よく目撃されているんだ」樹林「しっ!!今何か異様な気配を感じたんです」教授「そういえば…」田中「ぼ・・・ぼくも感じました」一同「我々のすぐ近くに何かが来ている。ミステリーサークル。 もしUFOが作っているとしたら一体何のために… 何かのメッセージなのか…それとも…(ドクンドクン)」カッ!!その時、彼らにまばゆい光が差し込む。樹林「な・・・なんだこの光は・・・!」住人「おまえらこんな所で何をしている」そして彼はちらっとMMRの力作「小型ストーンサークル」を見やる。住人「近所の人が牛が騒いでいるというから来て見れば、 またこんなもんを作りおって・・・。 いい加減にしろっ!!!(ドゴっと蹴り倒す)」樹林「あぁ!!(泣きそう)」田中「そんなことしたら…!(憤怒の顔つき)」住人「きさまら何のうらみでこんな人騒がせなことをする!! ふざけるのもたいがいにしろ!! いいか!!今度また同じようなことをしたら 警察を呼ぶからなーーーー!覚悟しておけよ!!」ここまで読んでやっと「あっ、これギャグ漫画か!!」と気付くわけですね。斬新過ぎる構成です。そんな予備知識を持ったところでこのフラッシュを見て、楽しみましょう。MMRフラッシュ――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ
2006.01.16
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大変不評だった前の「お絵かき掲示板」を閉鎖し、新たな「お絵かき掲示板」を設置致しました。このお絵かき掲示板は誰でも参加可能です。特に普段絵を描く機会のない人は是非描いていってください。お絵かき練習板
2006.01.15
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(前回までのあらすじ)銃を持った強盗犯が女性を人質にしてたてこもっていた。警官と強盗犯とのこう着状態が続く中、なんとあの伝説の刑事(名前はまだない)が颯爽と登場した。刑事「人を憎んで、罪を憎まず。 諸君、私が来たからにはもう事件は解決だ」犯人「何だお前は!おい、オレに銃を構えてよいのか? このグラマーなねぇちゃんがどうなってもいいのか」刑事「お前が撃つより先に私が撃つから安心だ」犯人「バカな。人質を楯にしているのに、 その距離から撃ってあたるわけが…」警1「当たったー!!女の子の方に」刑事「またつまらぬものを撃ってしまった…」警1「つまらん言ってるー!!」刑事「とりあえず…人質がいなくなったので一件落着だな」警2「さすがです。刑事!」犯人「なっ!!先に撃つってこの女のことだったのかよ」刑事「最後に一つ言っておこう。俺は峰不二子よりクラリスが好き。 つまりそういうことだ…」警2「さすがです。刑事!!」警1「こんな終わり方でよいのか…」――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞED曲「敏腕敏感敏捷刑事」びんわんびんかんびんしょうけいじーー名前はまだきめてないけどー、べつにししょうはないんですーびんわんびんかんびんしょうけいじーひとをにくんであくをにくまず今日もじけんをスピード解決。びんわんびんかんびんしょうけいじー(あなたのはいごにー)びんわんびんかんびんしょうけいじー(あなたのまえにもー)びんわんびんかんびんしょうけいじー(けしてにげられないよー)
2006.01.14
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時刻は3時47分…何やら頭に鈍痛がして起きてみたら「ぎゃふーっ!!何で枕に血が染み込んでいるんだ!!」恐る恐る頭に手をやって見たらべとりとつく固形化しかけた血…源泉はやはり私の後頭部だった。理解不能!!理解不能!!何で寝て起きたら頭から血が出てるんだ。巨大な蚊に刺されデモしたのか?出血大サービスか?誰か納得のいく説明をしてもらおうか。1、実は夢遊病で夜中にのび太と喧嘩した(そして負けた)2、実は夢遊病で夜の街では「ヤンキー狩」で通っている。 それで今日も喧嘩したわけだけど相手が柔道部で、 コンクリの地面に叩きつけられる。即死と思ったけど、 夢と浪漫が詰まったリュックサックが衝撃を積極的に吸収。 頭から血が噴水のように出るだけで済んだ。さすが天才だぜ!3、夜中にこっそりシータにビンで殴られた4、思春期はよく頭から血が噴出すのだどれかなぁー。
2006.01.13
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――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞただ叫びたかっただけなんちゃうかと。
2006.01.12
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はやわかり楽天騒動(最近の大きな事件に限定)【2005年7月23日~】楽天個人情報漏洩事件楽天個人情報漏洩事件の記事楽天市場で商品を購入した顧客の個人情報が漏洩。その数何と3万6239件。そのうち1万26件がクレジット番号まで漏洩。セキュリティー管理の甘さが露呈することになる(現在進行形)【2006正月】楽天ポイント祭り楽天騒動まとめサイト■漫画でわかる今回の騒動 楽天ポイント祭り ~前編~「ポイント祭り開幕編」 楽天ポイント祭り ~後編~「複垢破滅編その1」 楽天ポイント祭り ~後編~「複垢破滅編その2」 楽天ポイント祭り(テレビキャプチャー動画)楽天ポイント祭り(日刊ゲンダイ)ネット上の新聞楽天が正月お年玉企画でクリックするだけで、計2600円相当のポイントを貰えるという大盤振る舞いを始めたことが発端。期間限定ポイントだから早く使う必要があり、ちょうど楽天ブックスが送料無料だったので普段は上位に来ない「こどものじかん」などの萌系漫画が上位を占める(今回の祭り参加者の属性がよくわかる。私も購入)。またちょうどお手ごろな値段だった「みかん」がバカ売れする。楽天の規約では「1人が複数のアカウントを持つこと」は直接的に禁止されていないため複数のメールを使ってアカを所得し大量のポイントをゲットする者が現れる。中には数十万円分のポイントで家の中をみかんで埋め尽くす人も。楽天は急遽企画を中止。配布していたポイントも一旦抹消する。「既に使ったポイント分は現金で請求するぞ」という脅迫じみたメールが会員のもとに届く。当然非難轟々。すぐに楽天は一部の人にポイントを返却。しかし返却基準が不明確で単アカ組でもポイントを抹消されたり、複アカ組がポイント返却されたりとよくわからない。あと祭り期間中は大絶賛だった「みかん」の評価が、突然悪くなり「皮が苦くて食べられなかったのが残念です」などの書き込みで埋め尽くされる。楽天の企画の軽率さ、対応の酷さ、被害者だと開き直る態度、そして「みかん」の需要が高まる正月に事件が起こったことが、今回の騒動を拡大させてしまった。【1月12日】【楽天マニュアル丸見え事件】楽天マニュアル懸賞の裏側<厳正な抽選方法のアドバイス>1. RMSメインメニューの「R-Backoffice」内にある“プレゼント管理”をクリック2. 該当プレゼント商品名をクリックします。3. ご応募いただいているお客様の一覧が出てきます。こちらで、画面中ほどにある、“表示の切り替え”で「通常表示」ボタンを押してください。 4. 表示が切替わり、お客様のデータがより詳細に表示されるようになります。ここで「この人にきめた!!」というお客様のデータの、「当選」横のチェックボックスにチェックを入れます。ちょっとまてー!! どこら辺が厳正な抽選なんだよ。その気になれば身内に「この人だ!」とやれるじゃないか。闇市の仕組み当選にはずれた人に送るメールのアドバイス内容。>「あなただけに特別な商品をご提供しますよ」と、 限定感を出すことでお客様の購買意欲を通常の商品より さらに引き出すことが可能です。>もともとその商材に興味のある方々にメールを送る訳ですから、 R-Mail配信数に対して高い購買率が期待できます。 メール内で「残念ながらはずれてしまいましたが、 せっかくご応募頂いているので・・・」 といった感じでご案内をしてみましょう。なんだかなぁ…。他にも楽天の懸賞スロットが意図的に操作されていて、絶対に景品交換まで辿り付けない(ある得点に収束してしまう)などの問題も取りざたされている。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ
2006.01.12
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何だかもうだめです・・・ある意味ここまでひどく描けるのも才能か。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ
2006.01.11
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な、なんか違うな。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ
2006.01.11
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一番不憫な娘なんですよね…。真紅には「ジャンク」と言われるし、真紅との1体1のアリスゲームをやってもみんなによってたかってなぶられるし…。でも私は好きです。――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←一言コメントをどうぞ
2006.01.11
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もはや何がなんだか――――――――――――――――――――――――■ウェブ拍手■←他にもあればどうぞ
2006.01.11
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