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石原都知事がこんなことを言い出した。時代錯誤では…慎太郎“花見禁止令” 戦争時の「連帯感は美しい」東京にも桜の季節がやってきた。例年、花見で盛り上がるところだが、石原慎太郎都知事(78)が「待った」をかけた。東日本大震災の被災者、節電への配慮から、今春は自粛すべきというのだ。 「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」 死者・不明者だけで2万7000人を超えた大震災。29日の会見で石原氏は、太平洋戦争を引き合いに「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」と、都民に対し、事実上の“花見禁止令”を通達した。 上野恩賜公園では、すでに「うえの桜まつり」の中止を発表。園内の至るところに宴会の自粛を呼び掛ける看板を設置。恒例のぼんぼりは点灯せず、ごみ置き場や仮設トイレもない。 上野恩賜公園管理所の渡辺裕チーフは「来園者の反応は、『こういう時だからこそ、盛り上がりたかった』という声と、自粛は当然という意見の半々。例年は朝から場所取りで大にぎわいですが、今朝(30日)は1組だけでした」と話す。 上野公園をはじめとする都立公園では、飲食を伴う花見自体は禁止しないが、アルコールが入り、過度に盛り上がっている団体には、ガードマンが自粛協力をお願いするという。千鳥ヶ淵緑道のライトアップや、国立劇場や靖国神社などのお花見イベントも中止が決まっている。‥‥‥会社の同僚同志で話し合って「今回花見はやめようよ」というのはいい。けれども、都知事が言うことじゃない。確かに、節電なんだからと言って、ぼんぼりの点灯はなくしてもいいと思う。けれども、そうでなくても活気がなくなっているといって、危惧が広がっているのに、それを後押ししてどうなるのか。花見ほどエコな娯楽だ。弁当と風呂敷さえあれば、都民がどれだけ元気になれるか。日本人はこれで一年の始まりを自覚し、人生の区切りをつけ、仲間との思い出をつくるんだ。「アルコールが入り、過度に盛り上がっている団体には、ガードマンが自粛協力をお願いするという」都知事が花見禁止を言うと公園ガードマンが「騒ぐな」と言うのだ。けれども、楽しみ方はそれぞれであっていいはずだ。被災者や被災者の家族を励ますために騒いでいるのかもしれない。そうして銘々の大事な花見が出来なくなる。ひいては、最も必要とされている被災地の花見が出来なくなる。花見は庶民のやり方に任せるべきだ。都民よ、お願いだから、この最低の知事を再度選ぶようなことをしないで欲しい。サウジアラビアより大きな都予算を、裁量で大きく動かす権限を持つ、そういう意味では内閣総理大臣よりも権限を持つ主張を誕生させないで欲しい。この大事な時期に、政策論争を一切やらないでやり過ごそうとする、原発推進を言ってはばからない知事を誕生させないで欲しい。
2011年03月31日
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一応見ておきました。「SP野望篇」で憂慮したことはほぼその通りになりました。一生懸命(でもないか)時間を作ってみたテレビスペシャル「SP革命前日」を別に見なくても、「野望編」を見なくても、十二分に筋は追うことが出来る内容でした。監督 波多野貴文 出演 岡田准一 (井上薫) 香川照之 (伊達國男) 真木よう子 (笹本絵里) 松尾諭 (山本隆文) 神尾佑 (石田光男) 堤真一(尾形) いま、国は未曾有の危機に直面しています。映画を見ている間中、こんなままごとをしている事態ではないだろ、と映画の責任ではないけれどもついつい思わざるを得ませんでした。こんな映画を見るくらいだったら、もう少し有意義な映画を探したほうがいいんとちゃう?全額1800円で野望篇、革命篇2本を見た私です。元気な人は映画館に行って、沢山本を買って、日本の経済を立て直さなくちゃいけません。もっといい映画を観ましょう。以下ネタバレ。見ていない人は読まないように。あまり内容に付いて言及する気分にはなれないけれども、いちおうこの映画をこき下ろす根拠を書いておかなければ、この映画ファンに対して失礼なので書きます。例えば「この腐りきった世の中を変えるために民衆を覚醒させるのだ」という以上、国民がそうせざるを得ない綿密な仕掛けがあるのかと思ったら、全国民がおそらくそうではないかと思っている国会議員の汚職の実態を国会を占拠して告白させるだけ。伊達の裏切りは、ものすごい仕掛けがあるのかと思ったら、単に尾形にたてついて英雄気取りをするだけ。マンガや小説で何度も何度も描かれた展開です。国民がそんなことで覚醒するはずもないし、伊達を英雄として祀るはずもありません。尾形の綿密な計画としてオリジナルなのは一点のみ。なぜ彼が「SP」となったかというのは、結局一つのアイディアがあったからだけだということがこの映画で明らかになりました。国会を占拠するためには、国会の周りで武器を使用できるのはSPしかないという事実。それならば、SPに「大義」を与えれば、国会占拠できるじゃん。これのみです。でもそれで「革命」が保証されることでは全然ありません。しかも、リーダー尾形の元もとの動機は私怨であることをわざわざ時間をとって首相に語らすという幼稚さ。まるで次があるかのような終わり方でしたが、尾形は明確に自らの死を意識していたので、あの革命計画はまさに「ごっこ」だったのです。それに対抗する井上の理屈も幼稚だというのは、前記事で書いた通り。
2011年03月31日
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原題「アクマルボワッタ」日本語と韓国語の音が同じなのは多いが、「悪魔」も同じなんですね。監督 キム・ジウン 出演 イ・ビョンホン (Kim Soo-hyeon) チェ・ミンシク (Kyung-chul) オ・サナ (Joo-yeon) チョン・グックァン (Squad Chief Jang) チョン・ホジン (Section Chief Oh) 暴力描写が激しい、と噂を聞いていたので、相当な覚悟で観に行ったのだが、あれぐらいで済んでよかった。総ての暴力描写を克明に描いていたならば、流石に心を折れていただろうと思う。しかし、今日(3/17)しか見る機会が無かった。たった二週間で打ち切りだったからである。チェ・ミンスクの復帰作をぜひとも見たかったので、少し無理をした。イ・ビョンホンは赤いコンタクトでも入れていたのだろうか。彼の瞳は異常だった。私はビョンホンが次第と悪魔に乗り移ったような表情になるのかな、と想像しながら鑑賞したのであるが、復讐鬼になりはしたが、悪魔にはならなかった。あれは鬼の瞳である。鬼の瞳は涙を流すのである。韓国映画ほど、罪と罰の問題を繰り返し繰り返し描くところは無い。監督の復讐三部作。「シュリ」から始まって一連の「北」モノ。数々の「韓国戦争」モノ。「シークレットサンシャイン」などの一連の名作‥‥‥。しかしやはり究極の問題提示の仕方は、殺人事件の犯人を法が裁くだけで「許せるのか」という問題だろう。そのひとつの試みが、この映画だといっていい。徹底的に復讐したならば、痛みや恐れを十二分に味わせ、血縁に苦しみを与えて(このあたりが韓国らしい)、それで果たして「完全なる復讐」は成り立つのか。あとは観客に丸投げされる。チェ・ミンスクは素晴らしかった。一時期、韓国のクォーター制度の規制緩和に反対して映画界から五年ほど離れていたのだが、どういうわけか今回再び復帰した。死刑を望む被害者の遺族がおそらく考えられる最大の肉体的精神的苦痛を彼に与えても、平然とイ・ビョンホンと闘う彼の存在感は彼でないと出来なかっただろう。思いっきり楽しんで演じているように思える。最後の詰段階の設定は非現実的(チェ・ミンスクは警察が包囲しているところから逃げおおせるのはあまりにも韓国の警察を馬鹿にしている)だった。あれがなければ、80点だったのに。
2011年03月31日
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震災前ですが、第九回津島遺跡文化財講座に行ってきました。最終回です。これで講座修了書をもらえます。何の資格にもなりませんが。岡山大学考古資料展示室に行きました。松木武彦准教授の豪華解説付きです。ずっと来たいと思っていた展示室なのですが、平日に限りしかも予約が必要ということで、来そびれていたのです。なぜ来たかったかというと、私の一番興味のある吉備の弥生晩期の時代、楯築遺跡の発掘成果が展示されているからです。岡山大学の近藤義郎教授が発掘したのでここにあるのですね。「これがこの展示室の主です」松木氏は先ずは弧帯石をみせてくれます。これはレプリカで、岡山県立博物館にもありますが、「非常に良くできたもので、傷の一つ一つも再現されています」とのこと。実物はもともと楯築神社の祭神だったということもあり、倉敷の楯築遺跡の側のコンクリート製の祠の中に保存されています。間違いなく弥生時代晩期楯築の墓を造る際に作られたものです。と、いうのは墓を発掘した際に中から、これと瓜二つの弧帯石が出てきたからです。その弧帯石の実物も展示されていました。初めて見ます。これは、わざわざ火をかけて脆くさせて打ち砕いているのです。しかも、墓を埋め戻す土の中に混ぜているのです。同じ土に混ぜているものとして、人かたちをした土製品、土の勾玉もわざわざ割って同じようにしているのです。非常に特異な儀式が行われたということが推測されます。レプリカの弧帯石の前には顔らしきものがついています。目と口らしきものがついています。しかし、これは後世彫られたようです。じつは良く見ると、その前に線刻があるのです。つまり、本来あった顔の線刻をハッキリさせるために後世彫られた可能性があるというのです。その先刻を見ると、他の土器に描かれている「竜」の絵ににているとのこと。竜を弧帯文に巻きつけて祀る儀式とは何か。竜は雨を降らすとも言われている。そのような儀式を行うものは何か。(此処からは私の想像)卑弥呼が仕えたと言う「鬼道」ではないのか。だからといって、薬師寺某氏が述べているように楯築を卑弥呼の墓だとは思いません。しかし、どこかで関係があったと想像を逞しくするのではあります。この展示室には貴重な展示物が目白押しです。楯築の特殊器台が展示されています。一部有名なのですが、この特殊器台にはなんと弧帯文がないのです。これは私はずっと不思議でした。楯築よりも前の墓の特殊器台には弧帯文があるからです。なぜなくしたのか。松木準教授に聞きました。「楯築より前の特殊器台は特殊器台とはいえません。実質特殊器台が始まったのは、楯築からです。そしてその始まりでは、弧帯石と特殊器台とそれぞれ役割が分かれていたのかもしれません」そうだったのか。これですっきりした。そういう意味では、楯築の王(あるいはそれを主催した巫女)はまさに弧帯文に代表される祭を始めた最初の王であったのだ。棺も特別でした。木の棺をさらに木で囲ったような棺になっていました。また、鉄剣、当時としては通常の三倍の大きさがある緑の管玉も貴重なヒスイ製の勾玉もその力をを表していました。しかし、なんといっても特徴的なのは、30キロ以上もあった朱です。これは例えば徳島で生産されていたそうですが、一日数グラムしか獲れない物です。これをまるでベッドのように敷き詰めていた。松木準教授に「述べ何人要ったのでしょうか」と聞くと、一日10人とすると、のべ1000人要ったでしょうか。とのことでした。他にも様々ななぞがあります。楯築の名前の由来のあった、どの古墳や弥生遺跡にも無いあの石の盾のようなオブジェは何なのか。(パンフの吉備のあゆみと書かれた背後の五つほどの立石がそうです)特殊器台から埴輪に移るちょうど過渡期の器台である都月坂遺跡の器台はなるほど、たしかに見事な弧帯文があるけれども、これは既に特殊器台じやない。四年前に場所が分からなくて撤退した遺跡ですが、またチャレンジしてみようとそのとき決意しました。そして、つい先日探しに行ったのです。前回は道なき道を行って途中で撤退したのですが、今回は津島小学校正門横に都月坂に向かう道がありました。「よしよし」そこまでは順調だったのですが、そこにあったのは「都月坂」という坂のみで、都月坂墳丘墓は見つからなかったのです。説明版は無くても、位置ぐらいは明示してくれていると思った私が馬鹿でした。仕方ないので都月坂遺跡から見えたであろう景色を写真に撮りました。ドームがあって森があるところが県営グランドであの辺り一帯が津島遺跡です。日本で有数の弥生遺跡がきれいに見えるところにこの都月坂の主は墓を造ったというわけです。でも、ここは日本史上重要な遺跡なんですよ。埴輪の起源は特殊器台であることは現在では定説ですが、それを決定付けるミッシングリングが見つかっていなかったのです。そしてこの器台がまさに見事にそれを証明したということなのです。このあと、この形をしているけど弧帯文が省略された器台が古墳の周りに立ち始め、やがて朝顔型とかに変化していき、最後に人の形や家の形になっていくというわけです。閑話休題、松木準教授に楯築の「鉄」はどこの鉄なのか聞いてみました。「たぶん弁辰の鉄だと思う。確かに金海の鉄かどうかは分からない。それとおっしゃるように、鉄はなかなか技術含めて製鉄技術は難しいものがあり、輸入は難しいところがある。製鉄はいわばコンビナートを造るようなもので、山師、製炭、製鉄炉など組織的にならざるを得ない。しかし例えば熊本に小さい製鉄があったのではないか、というような遺構が出てきたりしている。私は3世紀に「こぶりながら」製鉄はあったのではないかと思っている。」製鉄を行ったかどうかの確認は非常に難しいのだそうだ。だから、可能性としては弥生時代に製鉄が成功したことはある、という確信を私は持った。松木さんは「製鉄を始めるよりも、輸入するほうが効率的だった」とも言った。これは私には、初めての「視点」だった。もし本当にそっちのほうが効率的ならば、確かに製鉄を始めるのは遅れたかもしれない。どきどきしてきた。
2011年03月30日
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1-3月に読んだ本の感想を幾つかまとめて載せます。(このブログの一番大きな目的は、映画、読書、旅の記録なんです)「武士道エイティーン」誉田哲也 文芸春秋社予約してから約半年。やっと来ました。あっという間に読んでしまいました。彼女たちも高校三年生。最上級生としての責任もあります。また、集大成としてのインターハイでの宿命の対決もあります。けれども、その対決がクライマックスにくるということはありません。彼女たちは夏の大会の目標として淡々と戦い、そして「何か」を得ていくのです。そしてそのあとは進路の決定。じつはこれが、この作品のクライマックスでした。淡々と描かれますが。香織も早苗も、淡々と大人になっていく。さらりと自立していき、自分の人生を決めていく。少女フェチの私としては、もっとぐちゃぐちゃに悩んで欲しかったところもあるのであるが、まあこんなもんだろ。今回は二人の一人称が交互に現れるのと同時に、一章づつ、今までの他の登場人物たちの過去と現在の状況が一人称で語られる。すなわち、早苗の姉、桐谷道場の玄明先生、福岡南高校の吉野先生、後輩の田原美緒。それでこの物語世界が豊かになった。同時にこの物語に「武士道ナインティーン」が無いことも明らかになった。最後の二章はすでにナインティーンの中味までに踏み込んでいたのである。唯一不満なのは、彼女たちに「恋の話」がなかったことだ。あればあったで気に食わないだろうけど、なければまた寂しいものだ。できれば「武士道トゥェンティ」もほしいけど、ちょっと題名的にありえないか。「あかね色の風/ラブ・レター」あさのあつこ 幻冬舎文庫あさのあつこの初期の中篇。「ほたる館物語」と同じように小学校六年、五年の女の子が主人公。けれども一子のように、家族のことを心配する「いい子」じゃない。親の言うことは、ちがうぞ、と反発する自我を持った子供だ。そうしてたった半年だけど遠子はかけがえのない友を持つ。遠子は「バッテリー」の原田巧の原型だという説があるらしいが、むべなるかな、と思う。甘え上手の女の子がいて、自分の世界を守ろうとして突っ走ってしまう。巧のように素晴らしい才能があるわけじゃない。だから世界は広がらないけど、この中篇だけで私は書くべきことの多くは書けているのではないかと思った。あさのは無理やり中篇とか一冊の文庫にまとめてしまったほうがいいのを描けるのではないだろうか。遠子と奇妙な友情を育む千絵は、化石探しに夢中である。化石拾いも土器拾いの考古学も本質は同じようなものだ。彼女にとても共感した。「夢は枯野をかけめぐる」西澤保彦 中央文庫この本を選んだのは主人公の境遇が私とよく似ていたからである。しかも本人プロフィールを読むと、私と同じ歳だとわかった。読み進めると、ほんとうに羽村さんと私と違うところは片付けが得意で、料理が得意で、謎と女がついて回るぐらいだということが分かった。とても共感するのである。でも、小説としてはとっても雑である。強引な推理が其処彼処(そこかしこ)にある。いいかげんな展開も多い。もちろん文庫にまでなっているのだから、秀逸な描写もあるが、これだともう二度とこの人の著作には手をとらないだろう。たぶん脱サラをして20年近く作家として生きてきたのだろうが、生活するために書き散らしてきたに違いない。著作リストを見ると、年2-3冊コンスタントに書いている。このテンポと筆力が同じ歳なだけに非常にリアルである。「老い」を巡るアレやコレや、テーマ自体は面白い。案外みんな同じものをもっているのだと思う。 「ドリームバスターズ」(3)(4)宮部みゆき だからシェンは今でも、ハンパな疑念と確信をカクテルにして抱えている。"穴"を抜けて地球に行くのは、やっぱりデータじゃないんじゃないか。魂とか精神とかそういう言葉でないと置き換えられないものがいってしまうんじゃないか。 でも、それもまたおかしい。魂も精神も、人間の身体が発する生体電気が起こしている反応に過ぎないって、ドレクスラー博士は言っているもんな。だったら、生きている身体の存在しない場所には、魂も精神もないはずなんだ。 そうして考えてゆくと、結局―こっちのテーラとあっちの地球が、そもそもどういう関係にあるのかという問題が、根っこのところに横たわっていると気づかざるをえない。 テーラは地球の何なのか。地球はテーラの何なのか。どっちかが虚で、どっちかが実なのか。裏と表なのか。それとも相互にまったく関係のない独立した存在で、「消失」の原因はほかにあるのか。(「モミズの決算」より)シェンとマニエストロが"賞金稼ぎ"をしているテーラという場所は、遠い昔に大災厄が起こり大きな"穴"が残っている。そこはなんと地球の人類の「夢の中」に繋がっているのだと言う。50人の凶悪犯罪者が逃げ込んだその異次元へ二人は金を稼ぎにむかうという筋書きである。しかし、三巻目にしてもまだこの「世界」の全体像が立ち現れない。それでも読ましてしまうのだから、まあ宮部みゆきのストーリーテラー振りには感心するのではある。一巻目、二巻目を読んだのは既に五年前だ。宮部の久し振りの本格SFなので期待していたのだが、いっこうに全体像が現れないし、かつ刊行も遅いのですっかり忘れていたが、この前図書館を見ると三巻目と四巻目が出ていて、なんと人気作家なのに借り出されていなかった。(岡山県立図書館は一冊のみ購入の"主義"を取っている。私は大いに支持しているが、当然人気作家の本はいつも借り出し中で原則図書館には"存在"しない現象が起こる)この本も刊行から五年経ったし、今流行の推理小説でもファンタジーでもないので、一時のこういう空白が起きるのだろう。本格SFと言いながら、やっぱり宮部は宮部であり、日本のS.キングなのである。冒頭引用した一文がこの「世界」を結局言い当てているのではないかと思う。「胡蝶の夢」の「蝶」の立場から描いた話なのかもしれない。宮部の世界は宇宙を描いても小松左京の「はてなき流れの果てに」のように、わけの分からないけれども骨格のしっかりした宇宙観を描くことはない。結局心の問題に入っていくのである。けれども、心そのものが宇宙以上に広く果てしないものだという意味では、彼女の立場は一貫していて、「模倣犯」(現代推理小説)も「ICO」(ファンタジー)も「日暮らし」(時代小説)も、結局は同じテーマを描いているのではある。三巻目もあっという間に読んだので、四巻目も借りてみる。07年刊行。これ以降、このシリーズを出していない。無駄に寡作で無駄に長い。四巻目は、ドリームバスターというよりは、ヒアアフター(来世)バスターという感じである。三巻目の終わりから、シェンとマエストロは時間鉱山に飛ぶ。そこは時間の源泉のそばにあり、湧き出した時間が結晶化しているのだという。そこには地球では仮死状態になっている三人の日本人がいた。今までは夢の「場」が舞台だったが、今回は臨死の「場」が舞台になっているというわけだ。今まで最大の冒険が始まる。
2011年03月29日
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ちょいとあらすじ暴力夫を殺害した罪で服役中のジョンへは女子刑務所内で息子ミヌを出産する。現行法によって我が子と過ごせるのは生後18ヶ月まで。別れの日が徐々に迫る中、慰問に来た合唱団の歌声に魅了されたジョンへは在監者仲間で合唱団を結成することを思い立つ。所長を説き伏せ、元音大教授の死刑囚ムノクを指揮者に担ぎ出す。賢明に練習を重ねた結果、殺伐としていた刑務所内に明るく美しいハーモニーが響き渡るようになる。監督 カン・テギュ 出演 キム・ユンジン (Jeong-hye Hong) ナ・ムニ (Mun-ok Kim) カン・イェウォン (Yu-mi Kang) チョン・スヨン (Hwa-ja Ji) パク・ジュンミョン (Yeon-sil Kang) 隣のオバサンは始まって直ぐのあたりからずーと鼻をズルズルいわせていて、五月蝿かったのであるが、そんな醒めた目で見ていた私でも、久し振りに泣かせるのだから、韓国映画の「泣かせ」のテクニックっていったらハンパじゃない。男と女が別れて泣くとか、死に別れて泣くとか、人情で泣くか、色々あるけど、最も泣かせる要素は母親の情ですね。そんな色々な泣かせの要素を理屈ではなくても歌に乗せて持ってくるのは、まあなかなかすごいと思う。収監されている人たちが余り屈折していないというのは「本当かな」とあまり思わせないうちから、次から次へと畳み掛ける技はすごい。‥‥‥これを見たのは、3月11日二時半開演の回だった。岡山はもちろん震度一でもなくて、全く気がつかなかった。映画が撥ねたあとにふと携帯のヤフーニュースを見ると「津波10m」という文字が飛び込んでくる。「なにこれ?」というのが最初の言葉だった。岡山県北の米軍低空飛行で「民家が全壊したらしい」というニュースを聞いたときも「なにそれ?」と半信半疑だった。しかし、実際に行ってみるとまるで爆撃にあったかのような惨状を呈していたのは、既に記事に書いた。そのあと、私は映画「無言館」の試写会があるということで、それでも会場までは行った。時間が来るまでに書いた記事が上である。しかし、その間にもツイッターでフォロワーの情報を盗み見る。東北で起きたはずの地震だが、東京も凄いことになっている。M8.8というかつて経験したことのない数字も出てきた。会場には次々と人がやってくるけど、このまま映画を見てみたら、帰りは11時ぐらいになるのは確実だった。こんなことをしていられない(親類も何もいないので関係ないのだが)、のんびり映画を見ている気分ではなくなって、駅に帰ることにした。そのあと、ツイッターで情報をな得ながら、夜中の明け方まで眠れなかったということは既に書いた。‥‥‥そういう意味で忘れられない映画になった。
2011年03月28日
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冒頭、パリのカフェでくつろぐアンジェ。当然彼女は自分が見張られているということを知っている。ところが、彼女はやすやすとデジタル技術を身につけた追っ手をまくことに成功する。パリのたぶん有名なファッションを身につけた彼女がスマートに地下鉄に消える。監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 出演 アンジェリーナ・ジョリー (Elise Clifton-Ward) ジョニー・デップ (Frank Tupelo) ポール・ベタニー (Inspector John Acheson) ティモシー・ダルトン (Chief Inspector Jones) ルーファス・シーウェル (The Englishman) 彼女はギャングから大金を盗んだピアーズの恋人だった。ピアーズから2年ぶりに手紙が届く。「自分の体格と似た男と旅をしろ」列車ののなかで数ある男の中からたまたま選んだのがジョニー・デップだった。(この描写が結局この映画の肝だっただよねえ)この時点で、ピアーズは2000万ドルかけて整形手術をしていたということが分かっている。アンジェには知られていないが、彼女のことだ、顔は違ってももしピアーズならば絶対気がつくはずだ、と私は当初からジョニー・デップが怪しいと睨んでいたが、なんとアンジェは心底単なる旅人だと思っているようだ。さて、私はここで考える。ひとつ、これはサスペンス映画である。しかも宣伝では「お互いの騙しあい」という言葉が使われている。だとすると、アンジェはジョニーを騙してベニスにつれてきたけど、ジョニーもどこかで何かを騙している可能性があるということだ。一番の可能性は「ジョニーが実はピアーズだった」というよくあるパターンだ。しかし上に書いているように、アンジェは偶然にジョニーを選び、しかもきちんとした絆で結ばれているようなのに、ジョニーがピアーズだとはとうてい思っていないようだ。まあ、MI6がジョニーは正真正銘のアメリカ数学教師(3年前に妻を亡くしている)という見立ては金次第でいくらでもごまかすことが出来るだろう。しかし、アンジェの目をごまかすことは出来ないはずだ、はずだ……。ひとつ、終始明るいサスペンス超のオリジナル音楽が流れる。これはシリアスではなく、ロマンチックサスペンスだと、述べていることと同義である。結局、物語の終末を確信したのは、終盤ギャングのボスが言ったピアーズ評であった。ベニスの観光映画としても、良く出来ている。俳優の魅力を充分に生かした娯楽映画でした。
2011年03月28日
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「はぐれ鷹」熊谷達也 文芸春秋社熊谷達也の真骨頂は、動物小説である。しかも、東北や北海道の風土に根ざしたマタギを主人公にした小説で彼は生きてきた。その変形バージョンは最近では沢山書いているが、今回、この若い鷹匠を主人公にした作品で新たな地平を開こうというような意気込みを感じた。岳央はつくづく作者の分身のように思える。大学を出た平凡な青年のようでいて、非常にマイペース超世俗的なところがある。鷹匠は人間は従、鷹が主でなければならない。しかし、育てるのは鷹匠の根気である。朴訥な青年に惹かれる女性の存在がでてくるのも、いくつかの突然の挫折の後に、鷹が突然の次の成長段階に入っていくのも、作者の半生を反映しているかのようだ。人間とは実にちっぽけな存在だとあらためて思う。懐深い山塊の狭間にあっては、人の営みなど無に等しいものであり、自然の気まぐれの一捻りで、いともたやすく生命そのものが呑みこまれる。人の生き死になど、自然にとっては、なにほどのこともない瑣末な事象にすぎない。それでいい。それでいいのだ。もの言わぬ自然によって、かろうじて生きることが許されているのが、人間の、そして、すべての命の真実の姿だ。岳央はそのように呟くが、それはたぶん作者の思いそのものだろう。「はぐれ鷹」とは岳央であり、物語終盤岳央とともに過ごす親鳥から見離された鷹であり、そして作者である。ラストは非常に厳しい決意する岳央を描く。物語の流れから言うと、もっと希望を持たせたラストでもよかったのではないかと思うのではあるが、これをラストにもっていくところに私は作者の「美学」を感じた。「鷹のことを分かったかのように描きたくは無い……」あえてエンタメをぶち壊してまでこれを描いたところに私は作者の未来を感じる。(3/4読了)‥‥‥今回の地震に対して、作者はどのように感想を抱いたのだろうか。興味があってHPやツイッターを探してみたが見つからなかった。「それでいい。それでいいのだ」と果して言うのかどうか。
2011年03月27日
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「箕作り弥平商伝記」熊谷達也 講談社文庫 熊谷達也は文章が上手い。 97年に「ウエンカムイの爪」で小説すばる新人賞を受賞してデビューしたときには、マタギ小説という素材の良さだけで文を書いていたが、2004年に「邂逅の森」で直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞をしたときには、別人かと思うような滑らかさを得ていた。 ……描きたいものさえしっかりしていれば、技術なんて後からついてくるものだ。ここに、その見本があると思う。この表題からは「箕作り名人の弥平の成功記」という印象を持ってしまうが、話はそうではない。本当にひとりの東北青年の生活と仕事と恋を、それだけを描いているのである。それなのに、こんなにも面白い。最後までどきどきしながら読める。
2011年03月27日
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この間印象に残ったことなど幾つか。以前三陸と大槌で震災以後呟きがなくなっているツイッター利用者をフォローしたと書いた。3月14日、祝島に行く電車の中で「ご無事を祈っています」とメッセージも出しておいた。その後何人かは呟きを始めていたのを確認したのであるが、今日もう一度良くみたら、八人中五人が呟きを再開してた。 kazu007さんからは返事も来た。三陸の人です。@KUMA0504 お見舞いありがとうございます。まちは壊滅的な被害を受けましたが、家族全員無事です。こちらでは、家族を亡くした人たちも復興のために毎日、必死に頑張っています。@KUMA0504 ありがとうございます。私は大船渡に拠点を置く地域紙の記者をしていますが、被災者に少しでも多くの必要な情報を届けられるよう、がんばります。 釜石のhappykamaishiさんは釜石のぞみ病院上の駐車場から怖くて動けないでいます。停電してるみたいです。下の様子が全くわかりません。消防車と救急車の音のみ… 3:18 PM Mar 11th twitbeamという呟き以降途切れていたので、この後津波が襲ったのではないかと心配していたが、15日に呟きを再開してた。タウン情報誌の編集者で今は精力的に動き回っているようだ。YukichiMさんは大船渡の漁師だ。自己紹介には「ウニやアワビをとったり、魚を釣って売ったり、釣り船を営業したり、ホタテの養殖漁家に雇われたりしながら赤字人生を送っている三陸の新米漁師。」とある。震災直後にはもしかして、終わったかな?あはははは 3:08 PM Mar 11th 船逝きました 3:17 PM Mar 11thひでえ http://twitpic.com/48dhlx 3:19 PM Mar 11th おしまいです 3:25 PM Mar 11thとまあ地獄を見ていたわけですが、やがて、ゆきちもう死んだだろうな、って思ってた人、手を挙げな。なんとか生きてたぞ。船も家もなくしたけどな。 4:51 PM Mar 16th みんなありがとう。がんばって絶対復活するからね! 5:07 PM Mar 16th と、呟くまで至る。最近は携帯が完全復活したらしく、瓦礫を片付けながらこう呟いています。@satoko 間違いなく今までで一番死に近かったです。残ったからには負けません。何年かかってもまたここで漁師をやります。いつか俺がとったものを食べてくれたらうれしいです 私のフォローしたのはたった八人ですが、いまも呟きない人ももしかしたら携帯PCが無くなっただけかもしれないし、通信始めたときにメッセージが入っていたほうが嬉しいに違いない。それに第一、たまたま見つけた彼らの動向を知るだけで私も励まされます。他にツイッター情報で印象に残ったこと。yuuny1 宮城県のスーパーにて。壊れたDSを持って泣いてた子供がいたそうなんだけど、母親との会話を聞くとDSはサンタさんにもらったものらしい。中学生くらいの男の子が近づいていって、「サンタさんに頼まれた」って言って壊れたDSと自分のを交換したそう。今、悲観なことばかりだけど、希望を感じる。 10:05 AM Mar 17th webから golgiasu『世界』1月号。マイケル・シュナイダー「原子力のたそがれ」。世界的に見れば、明らかに原発は斜陽産業だという。建設コストは10年で2倍となり、技術投資と効率化が反比例している。事故が頻発し、返ってCO2排出量まで引き上げている。今では世界の電力の2%に過ぎず。今後も減り続けていく。 1:25 PM Mar 20th webから sudamitsuteru 東京・墨田区の公共施設の節電に伴って施設で夜間働く東部労組匠工房支部の組合員2人が解雇された。組合はただちに撤回を要求。施設管理会社は先ほど継続雇用を組合に約束した。大震災関連で労働者への不当な仕打ちが相次ぐ中、団結の力ではね返した好例。「震災切り」にあった労働者は2人に続こう! 7:25 PM Mar 23rd TwitBirdから 「震災切り」は確実に起きていると思う。要注意だ。@hatumins 石原都知事 24日選挙出陣式で、再度「地震は天の声」と発言。「高校卒業者の徴兵制」の必要を訴える。?都民の皆さんこんなバカな現職 石原には、絶対に投票は辞めましょう。自分の大事な子供が戦争に行かされてしまいます。 約17時間前 Twitter for Androidから 震災のどさくさにまぎれてこのまま行けば、最悪の石原都知事が出現する。東京都のみなさん、目覚めて!!一昨日地元のスーパーではミネラルウォーターが見事に棚から消えていた。この岡山の田舎で!!!確かに熊野古道水2リットル88円は安いけど。少しは思考して欲しい。情けない。
2011年03月26日
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旅館に荷物を取りに帰っていると、外に出ていた役場の職員の方が声をかけてくれた。「遺跡にはいけましたか?」「残念ながら……」もう少し詳しい話が聞けた。あの弥生土器が出たという遺跡はどうやら発掘調査はしていないようだ。誰かが採取したのだろう。「墓ですかね」私は自説を述べてみる。「博多沖には航海の無事を祈るために国宝級の遺物が多数ある沖ノ島とという島があって、聖なる場所の遺跡が山中にあります。ここもその可能性がある。どちらにせよ、発掘はするべきです。」話を聞くと、弥生時代はわりと上のほうまで海は来ていたらしい。ものすごい山の中とは少し違うかもしれない。また、村と完全に反対側に岩陰遺跡といって横穴式古墳らしきものが発見されている。その資料をみせてもらった。郷土史家の手作りレポートもコピーして渡してもらった。ありがとうございました。今回風が強くて行くことが出来なかったところとか、いくつかの興味はある。それになによりも、島民の人たちが温かい。日本語もできるから、突っ込んだことも世間話も出来る。こんな旅は初めてだったかもしれない。ぜひともあと一回は来たいと思います。みさき旅館とはこれでおわかれ。女将さん色々とありがとう。今度来たらまた泊まるからね。和た家でランチをしながら船待ちをすることにした。今日は焼きそばランチです。お味噌汁は何かの魚のだしが入っているのだけど、良く分からない。ここのお茶はいつもびわ茶が出ます。隣の食堂で若いお嫁さんとおばあちゃんが忙しく準備しています。このときには最大10人入って満員だった。小さなお子さん二人連れた家族連れの方は、朝早く島の特産石豆腐の生産現場を見学したそうである。にがりを使わずに海水を使って非常に固い豆腐を作るのだそうだ。海水の取水場所も決まっているそうである。食べてみたかったし、お土産に持って帰りたかったのであるが、生ものであるということと、ひとつ420円と聞いて腰が引けてしまった。いまは少し後悔。写真は和た家内部。四年に一度の祭「神舞」の様子を描いた絵が飾っています。お土産を買った。朝食にも出ていたが、とってもやわらかい「ひじき」です。それに和た家で飲ませてもらった「びわ茶」。びわの香りが少しして、体があったまりそうなお茶でした。そして島でとれたわらびを使った羊羹。12:30の船に乗る。1.5mの波なのだけど、追い風なのでびっくりするほど揺れません。ラッキーでした。海から祝島に別れを告げる。風でもやが晴れていて、行きのときに見えなかった上関原発工事現場が間近に見えた。(たぶんこのあたりだと……)この上関原発は岬の突端に築かれようとしていて、周りに民家はほとんど無い。しかし海を隔てた4キロ先に、素朴にそして助け合いながら生きている500人の村人がいる。「中電の奴らは本当はわれわれ500人なんて小さな犠牲だと思っていやがるんだ」船長らしき人が知り合いの学生に訥々と話している。島の人たちは20数年前原発開発が決まった後から何回も何回も学習をわれわれ以上にはしてきたのだろう。だけれども、かれらの言葉から一度たりとも専門用語は出てこなかった。自らの言葉で自らの感情で、明確に原発NOと言っていた。今回のような原発事故でなくとも、ほんの少しでも放射能が漏れたならば、もう魚は売れなくなる。若い人は逃げて寄り付かなくなる(原発建設時点でそうなるかもしれない)。絶対安全だといいながら、彼ら(中電)の心の奥は信用できない、そのように彼ら(島民)は「直感」で思ったのでないか。「マガジン9条」で鈴木耕さんが「原発が奪ったもの」と題し、書いている。腹立たしいのは、高みにたって批判する人たち。 「私は原発賛成でも反対でもない。もっと冷静に議論せよと言っているだけ」とか「賛成派も反対派も感情論になっているだけ」などと。 しかし、数十万人の人たちが逃げ出しているのだ。それはまさに、ディアスポラ(離散漂流)だ。故郷を捨てる。そして還れない。ただの一時避難とは違う。放射能汚染が続く限り、この人たちは自分の故郷には還れないのだ。 原発とは、そういう危険性を持った技術なのだ。そんな事態を目の当たりにして、なお「私は原発賛成でも反対でもない」と言える人の心が、僕には分からない。自分というものはどこにあるのか? 私には専門的知識はない。しかし、この後必ず起きる原発論議の中で、私は脱原発を選ぶだろう。専門的知識よりも「人間的直感」を信じる。「小さな犠牲」か?本来的にもそうでないのはもちろんだ。電気設備建設のために人一人たりとも犠牲には出来ない。しかし、それだけではない。今回の旅で私はこの祝島がもしそうなってしまったら、日本国民に対して取り返しのつかない大きな文化遺産を壊してしまう結果になるだろうことを確信した。文化遺産とは何か。その内容は既に書いた。
2011年03月25日
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昨日の続きです。玄関門から見ると、壁が全部木造。玄関がわからない。ちょっとお邪魔して中を覗き込んだわけです。そしたらそうか、木造の壁は風除けのための壁だったんだ。廃屋のあとにはこんなものが。道を通ったおばあちゃんに「これは五右衛門風呂ですか」と聞いてみる。「昔はこんなんだったねえ」「いまもあるんですか」「いまはなくなったよ」と答えて、役場のそばの売店で買い物をしたのか、ビニール袋を提げて今さっきの風除けの木造壁のある家に入っていった。これは別の場面で撮ったおばあちゃんの写真このあたりの人々は旅人の私にも気軽に挨拶を交わしてくれる。おばあちゃんも声をかければ、世間話に付き合ってくれる。この島に入ったとたんに、全員身内になったような温かさがある。おばあちゃんだけではない、小学生だけではない、20歳くらいの青年がむこうから「こんにちは」と言ってきたのは、少なからず驚いた。この共同体。これは別に家の前の庭を通っているのではない。これが路地の道なのである。祝島の総ての家が練塀なのではない。むしろ島の四~三割くらいだろうか。この家は、道に面したところだけは白い漆喰にしていた。練塀は人手が要る。昔は隣近所を動員して修繕に当たることが出来ただろうが、今はなかなかそれも許されないのだろう。まだほとんどの家には井戸があるのであるが、此処の井戸は大きかった。覗いて見ると、池のようになっている。いざというときの消防水などに今は使われているのかも。そうとう海に近づいたと思ったのに、まだこれだけ高い。階段である。さらに階段である。この一つ一つの石、どうやって運んだんだろう。ここの練塀は少し造り方が変わっていた。詳しく調べれば、歴史的な流行(お城の石垣がそれで築造年代を判定できる)とか、伝統の違いとかがあるのかもしれない。やっと平地らしきところに着いた。引き戸の内側に今は使われなくなったのか、それともいざというときのために飾っているのか、船の錦旗(?)があった。子猫が休んでいた。と、思ったら20cmほどの漆喰で作った「お遊び」だった。こういう職人さん、好きです。この家の隅の入り口、これは家の中に入る木戸ではありません。中をのぞくとこのようになっています。さらに進むとこのように細い路地になっていて、さらに進むとやっと突き当たりにたどり着きました。このように人がやっと通れる幅で家々が建てられている。今でも少し残っているそうだが、練塀の中に六軒から八軒ほどの親類ではない家々がまとまって入っていたそうだ。そうやって「チームを組んで」助け合いながら生きて来た。この路地はそのひとつの変化なのだろうか。中から今さっきの入り口を見たところです。こんなふうに路地の入り口の門を作っていたわけです。おじさんが通りすがりに挨拶をしてくれました。まさか中でカメラを構えていたとは思いもしなかったでしょう。路地にベンチを置いている。大阪の街中では路地に縁台を置くのが流行り、そこで世間話などをしていたが、祝島の路地は狭いので、ベンチを使ったり、井戸の前が井戸端会議の場所となるようだ。やっと自転車置き場まで戻ることが出来た。そこに自転車を返してもう少し歩くことにする。練塀のバリエーションを楽しむためだ。練塀のこの違いはどこに由来するのだろうか。さて、やっと11時過ぎになった。ちょっと早いけど、宿に荷物を取りに帰って清算して、食事をしながら12:30の船を待つことにしよう。
2011年03月24日
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3月16日 祝島三日目朝、台風のような風が一晩中吹いていた。「いつもこんなに風が強いんですか」と朝食のお膳を用意していた女将さんに聞いてみる。「今日は特に強いねえ。冬過ぎてこんなのは珍しいねえ」冬風はこんなものだということか。宿の二階から見ると、家の主人らしき人が屋根の漆喰を塗りなおしていた。祝島の屋根は白い漆喰を塗っているものが多いが、あれは決して見た目ではなく、風に向かうための島人の知恵なのだろう。。「今日はレンタル自転車を借りようと思います」「それならレンタル自転車置き場から勝手に取っていって、船の切符を買うときに200円出せばいいから」「勝手に……なんですね」さすがだ。本来は自治会が管理しているのだが、常駐していないらしい。まあ、そりゃそうだ。「でも、今日は西に行くなら風が強いよ」自転車に鍵は本当にかかっていなかった。空気圧が良好な自転車を選ぶ。路地を通っていくと、こんなのは行き止まりじゃないのです。それをさらに行くと、こんな道に出て、やがて海に出ました。風が強い。女将さんの忠告は本当だった。島の西には山桜の群生がある。さらに行けば豚の放牧もあるらしい。さらには岩陰遺跡なるものもあると地図には書いていた。ところが風が強い。半端じゃない。西の端の桜の群生場所らしきところはまだ裸木ばかりだった。ここで心が折れて引き返すことにする。帰りはもちろん楽珍である。海にはもしかしたら中国電力の上関から撤退する台船かもしれない船が向い波を受けて曳航していた。島の上のほうに登ってみた。日当たりのいいところでは山桜が咲いている。昔の墓は総て整備したといいながら、さすがに戦死者墓は壊せなかったようだ。フィリピン方面戦死、海軍二等兵、けっして上の階級ではないが、この島の中では昭和19年末、英雄的な扱いをされたのだろう。こういう墓を見かけたのは、これが唯一だった。此処から、島の東から見た景色が素晴らしい。これは韓国の伝統的家屋の作り方に似ている。家に中庭があるのだ。この家は先祖墓を廃している。祝島は過疎の島である。一時は2000人(?)近くいたといわれるこの島の人口も今は高齢者を中心に500人である。しかしながら、若い人はいる。当然階級差もあることだろう。このような墓もあった。しかし、このような明確に差別化された墓は私が気がついたのはこれ一基のみである。地図上ではこのまま西に行けば、船乗り場に帰れる。少し狭いが、そういうところは自転車を押しながら通っていく。不味い、階段だ。狭い道だ。不味い、また階段だ。狭い道だ。なかなか味のあるお地蔵さんである。昔ながらの家の造りが懐かしい。ポスト、引き戸、雨戸、物干し台、総てが木造である。この家はなかなか変わった作りだなあ。玄関門から見ると、壁が全部木造。玄関はどこだろう。ちょっとお邪魔して中を覗き込む。ここまで載せて、1日の写真掲載許容量が越えてしまいました。まだ「彷徨」の半分くらいなんですけど‥‥‥。続きは明日です。
2011年03月23日
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そのあと、役場に行って弥生土器が出土したというカタイ遺跡、山惣津遺跡への行き方を聞いた。山惣津は良く分からない、カタイも難しいという話だったけど、挑戦することにした。村の散策を少しする。練塀の道が続く。いかにも現役の釜場があった。井戸があって、薪があって、大きな鍋を沸かせる釜場がある。島の特産の「ひじき」を煮る場所だろうか。旅人にとっては、迷路のような道である。これはべつに家の敷地に侵入したわけではない。路地なのだ。ここを抜けると、やっと「大きい道」に繋がる階段までたどり着いた。なんとも懐かしい家の裏側。けれどもこれも、道沿いにある。お寺は確か三つあった。そのうちのひとつ。真言宗だろうか。この道は練塀がすごいね。今度は山のほうに上がっていく。弥生時代の土器が見つかったカタイ遺跡に行くためである。その途中に平家塚や行者堂がある。ちょっと上なので、村全体が見渡せる。こちらのびわは袋かけが始まっていた。この島のタンポポは白かった。この道でいいのだろうか。不安を覚えながら、山道を歩く。山道は厳しい。棚田行きより距離は短いけど、汗びっしょりだ。その途中にあるという平家塚を見つけることが出来た。平景清の墓と伝えられている。しかし、この石積み方式は高句麗の古墳に似ている。私は何らかの古墳ではないかと思う。この墓の曲がり角なんかこんな小さな目印だ。先行き不安を覚える。なんとか行者堂を見つける。奈良時代初期、山伏の租といわれる役小角(えんのおづぬ)の修行した場所らしい。入社、入試試験の祈願になかなか有効らしい。私は中吉でした。さて、カタイ遺跡はこの堂の手前を左に曲がるらしいのですが、谷になっている。とうとう見つけられなかった。しかし、どうも平家塚と同じ雰囲気なのではないかと思う。こういうところで、弥生土器が見つかったところが非常に興味深い。山奥に聖なるものを求めて、航海の祈願をしたのではないかという思いがわく。ちょうど博多から釜山に行く途中に見た「沖ノ島」(写真参照)のように。降りた。もういぢと、島を上から見渡す。いい瓦の波だ。ランチを食べた和た屋でコーヒーを飲みにいった。上手く行けば、原発の話がご主人の奥さんと出来るかもしれない。いくと、中年の村人が三人福島原発について四方山話をしていた。私と一緒に入ってきた外国の英語教師も彼らの話を聞いた。どうやら一人は長い間、原発反対運動をしてきた人みたいである。一般に運動している人というと、若いインテリの人というイメージであるが、この人は漁師然としていて、まさしく島一体となった運動なんだな、と思う。「上関原発はどうなっているんですか」「一時中止ということだな。また開始するときには、ご説明させていただきます、ということだ」此処に来る前は、大震災があってもまだ工事を継続しているということだったが、やはり昨日大きな変化があったらしい。私は大いに頷く。「こんなことになったら、もう作れないでしょう」「最悪のことを考えたらとても作れないはずじゃ、とずっと言ってきたのに、造るからこんなことになったんじゃ」「このあたりの地盤はものすごくやわらかい。直ぐ水がでるのに、作ろうというんだからむちゃなことじゃ」そうなんだ、びっくり。いかにも、自民党支持者みたいなお父さんもそのように付け足した。「どうしても作ろうというのだったら、中電の幹部が今福島に視察に行けばいいんじゃ。どうせ行けないじゃろうけど」「原発の技術は世界一なのだから、絶対安全だという。中電の人が今の福島に行ってあの原発を止めることが出来たら、その技術力は認めてやろうじゃないの」「みんな目先の利益を求めている。人は自然に即した生活をすればいいのだ。そういうことを一度、みんなの前で発言したら、みんな感激して朝日の記者なんか原稿がほしいと言ってきたけど、わしは原稿なしで話した。そのあとは、そんなこと忘れたようになっている。」「われわれには海と山さえあればいいんじゃ。それがありさえすれば人間らしい生活が出来る」島の生の声を聞けてよかった。夕食は、さごし(?)の煮つけと鯛とひらめの刺身(すごい)。蛸の酢漬け、鯛のステーキ。美味しかった。今日は良く歩いた。29786歩。原発と被災者のテレビを見ながらいつの間にかコタツの中で寝入っていた。外は台風のような風が吹いている。
2011年03月22日
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ある家の洗濯物。別に風が強くて外れているのが珍しいのではなくて、宮本常一の写真集をみると、洗濯物を必ず撮っているのに習ったわけである。つまり、洗濯物を見れば、その家の普段着が分かるのである。役場の前にあるごみの分別入れ。ペットボトルは徹底して回収しているさまが伺える。気がついたのは、島内を歩いてみて、ごみがまったく落ちていない。これはすごいことだ。家の建て方が韓国と似ているのではあるが、どこが違うかというとゴミゴミしていないのである。共同体として意思統一が出来ているせいだと思うが、これは「日本の美徳」に繋がるものである。もちろん、島独自の努力の賜物である。(絶対ごみを捨てないモラルが確立しているかというと、そうではなくて、このあと海沿いの道を歩いているときに男の人が崖にビンを投げ捨てているのを見たし、山道で少しはごみを見た)山にむかう。島内には流石に猫くんが多い。みんな丸々太っている。食べ物には苦労していないのであろう。50-60基の先祖墓を発見。後で役場で聞いたところによると、祝島の墓は昭和40-50年代から総てこの形式になったらしい。骨も此処に納める。びっくりしたのは、墓誌がない。法事はどうするのか。家々にある過去帳とおばあちゃんの記憶と寺の記録で執り行うのだそうだ。地域の人々は、だれだれの家はどこの墓かだいたいわかっていて、特別不便は無いそうだ。祀るのは50回忌でおしまいである。恵比寿家は屋号ではなくて、ちゃんとした苗字である。えんえんと海岸沿いの道を歩く。平さんの棚田を観に行くためである。これは港遠景。いろんな花や虫に出会う。踊子草。名前不明。山桜が咲いていた。このカタツムリ、あまり見たこと無い。この地域はびわ畑が多い。少ない土地と厳しい自然に合った果物なのだろう。のちに定食屋「和た家」で聞いた会話。「びわはそろそろ袋かけをしなくちゃいけないのかな」「実が人差し指くらいになったら掛けなくちゃいけない」「多くなったらなったで、送ったり、捨てなくちゃいけないし、少なかったら困るし」「6本あったら、100箱くらいになるかな」びわの実はまだまだ小指くらいである。 びわは急峻ながけに植えられているので、それを道に引き上げる装置がそこかしこにあった。1時間以上歩いても棚田が出てこないが、小さい棚田はそこかしこにある。やっとたどり着いた。平さんの棚田。島の宝百選に選ばれたそうです。親子3代、家族だけで作り上げている。石を一つ一つ重ねていき、たかさ8m以上です。村からこんなに遠いところでよくもまあ……。こんな歌碑もありました。耕す土地をつくる、その一心だったようです。しかし、まるでお城の石垣と一緒だ。個人でよくもまあ……。上に上がれば、本当に土地を耕して作物を作っている。昼前になった。飯を食べに村に戻る。その前に買い物。金万和洋酒店が開いていた。おばあちゃんに祝島の特産品は無いかなあ、というと無いという。「どこからきなさんたったんか」「岡山です」「このあたりは岡山の人が多いよ。隣の嫁さんの実家も岡山だし、うちの孫も岡山理科大学にいっている。岡山はいいところだてなあ」「そうなんですよ」「台風は無いし」「渇水もないし、地震もないです」「食べ物も美味しいし」ランチを「和た家」で食べる。おからのコロッケがおいしかった。
2011年03月21日
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3月15日 2日目祝島の朝があけた。原発反対小屋には人が集まっていた。実は昨日「祝杯だな」と言って連れ立って歩いていく一団を聞いた。なにか進展があったのかもしれない。団結小屋に掲げられたこの文字は激しさも無い代わりに確固とした信念が歳月とともに刻まれている気がした。朝焼けの港だ。集落の右上に墓場が見て取れる。翌日その場所から下りるのに非常に苦労するのであるが、それはまた後の話。少し散歩。村内は練塀の道だけではない。基本、家のつくりは昔ながらの木造である。この「板塀」の作り方が、練塀同様とっても貴重だと思う。家の前に花を置いている処もあるけど、道が狭いので少しだけ。今はどこでも椿が目立っていた。祝島にはおそらくどの家にも井戸がある。おそらく直近まで水道が通っていなかったのだと思われる。反対に言えば、どの家にも井戸があるぐらいに昔までは水が豊富な島だったのではある。石を見れば分かるが、この島は火山でできた土地だと思われる。それゆえに雨水が上手いことろ過できて、真水を取ることが容易だったのだろう。これは古代の港としては、重要な条件である。郵便局隣のお店である。大きなつくりなので、昔は手広くやっていたと思われるが、私がお土産を買いに行ったときにはおばあちゃんが奥から出てきて「此処には置いてないんよ」とすまなそうに言った。確かにお酒やお菓子、乾物などのほかには品数が本当に少ない。この島には店が10近くあったが、品数が多い店は恵比寿屋一軒のみだった。朝食である。ご飯が立っていて、とっても美味しい。宿にかけてあった軸。「草枕旅ゆく人を祝島 幾代経るまで斎い来にけむ」いい歌だと率直に感心。「遣新羅使一行が航海の無事をひたすら祈ったという祝島。その名の由来であるが、「祝」という語は古代以来の神職の名称の一つ、”ほうり”とも言い、祝部とも称した。この語の初見は、「日本書紀」に仲哀天皇が正月条で海路安全を祈るため伊賀彦を以て祝として祭らしむとある。つまり、その祝のいる島が、祝島と呼ばれるようになったとも言われる。祝島から姫島、国東への航路が先史・古代における九州へ渡る主要な、かつ最短コースであって祝島はその最後の中継的寄港地であり、航海の平安を祈る為の島であったと思われる。」とホームページにはある。そのページをちらりと見ていた私は、この歌は謂れを聞いた近代歌人の誰かの歌かと思った。斉藤茂吉の名前がふと頭に過ぎった(印鑑の文字が斉藤の斉に読めた)。単純だけども「斎ひ来にけむ」幸あれと願う気持ちが良く現れている。まさか名も無き人の歌じゃないだろう。ところが、あとで万葉歌碑にいくと、これと同じ歌が石に刻まれているのでびっくり。万葉歌人畏るべし。碑にはもうひとつの歌が先にに刻まれている。「家人は 帰り早来と祝島 斎ひ待つらむ旅行くわれを」詠み人は遣新羅使だという。古代、なぜ重要な中継港は「島」になるのだろうか。勒島もそうだった。勒島は紀元前後には楽浪郡つまり中国と倭国を結ぶ重要な中継港だった。直ぐ隣には大陸があるのに、島が港として選ばれる。もちろん潮の流れとかがそれを決定したのだろう。それにしても、物流の不便さは否めないのではないか。大変興味深い。
2011年03月20日
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途中いくつかの港による。室津の港は「鳩子のてんぷら」というのが売られていた。NHK「鳩子の海」の舞台だったのだ。しかし、未だにそれが名物になっているなんて。あれは40年位前の作品なのではないか?室津で隣に座ったおばあちゃんに話しかけてみる。「船の中から上関原発工事現場は見えますか。」「見えるよ。女の人は陸から工事しているし、台船というクレーン船で石を運んで海を埋め立てている。」曇りで工事現場は良く見えなかった。私は勘違いしていたのだが、原発は祝島に出来るのではないのだ。1982年に中国電力が山口県上関町四代田ノ浦に出力135万キロワット級の沸騰水型軽水炉2基の建設計画を発表した。原発建設予定地は祝島の対岸、海を隔ててわずか4キロ先だ。もしここに原発が建設されれば、祝島の島民は毎日原発と向かい合って暮らさなければならない。また、祝島と建設予定地との間は豊かな漁場で、祝島の漁師さんたちの生活基盤になっている。いや、漁師さんたちだけではなく、祝島の島民はみんな、ここで獲れる新鮮な魚や貝や海草を毎日のように食べているのである。だから今、祝島は反対派(9割)と推進派(1割)に二分され、対立するという不幸な状態が続いているという。祝島の港に上がって直ぐのところに、このような掲示物を見かけた。歴史を感じさせる。予約していたみさき旅館に入る。一人旅でも快く泊まらせてくれたので、どのような部屋か心配していたのだが、とっても広い部屋だった。これで一泊二食付き6900円は安い。(食事もとっても満足)暗くなるまでの約一時間半。村を散歩することにした。雑貨や恵比寿屋の横には、田ノ浦ニュースとかが張られている。2月16日のニュース。おばあちゃんは「毎日反対に行っているよ」と言っていた。さあ、石積みの練塀にご対面。島内では強い季節風を防ぐためにこのようになっているらしい。そういえば、軒が低い家が非常に多い。この練塀の特徴は、一般の塀と家自体の塀が一体になっているという点である。練塀の中は一軒だけではなく、数件の家が軒を連ねていることがある。別に親戚同士ということではなく、昔の強いつながりがあった家同士が共同体として助け合っている名残だと思われる。こんな練塀もある。小学校の上に上がる。此処まで高台に上がれば、どんな津波も大丈夫。10分で上がれる。宮戸八幡宮に上がる。島内では唯一の神社らしい。非常に古い神社で、趣があった。石の信仰がある。翌日えびすやの奥さんに聞いたところによると、海にあった石を力持ちが上げたそうだ。神社の裏では一般的な祠以外に石そのものが祀られていた。島のガスは総てプロパンガスである。プロパンガスの置き場所をこのように作るのは久し振りに見た。家と家との距離が近く、通路に置くことを避けるためだと思われる。板塀のところになぜか鍵穴があった。これは完全に謎の鍵穴。夜が迫ってきた。宿に帰ろう。夕食はサヨリの煮付けと鯛とたこの刺身、煮しめとささみのソテーだった。これに鯛の澄まし汁がつく。肴は総て祝島の特産。刺身はこりこりとしていて、美味しかった。
2011年03月19日
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東日本大震災四日目3月14日、祝島に行くことにしました。一月に見たNHKのドキュメントに祝島の練塀のことが描かれていていました。祝島は古い島です。古代から、瀬戸内ルートでは、西の一番端の港として重要な位置にありました。此処の郷土史家がこの練塀の由来を大分県とかに求めていたのですが、ふとしたことから済州島にもあることが分かるのです。しかし、わたしはたそがれちえぞーさんの蔚山市の民家の土蔵を見てここにも祝島式の塀があることを知りました。その祝島を見たくなったのです。鈍行でまず、山陽本線柳井港駅を目指します。午前中、一時間弱余裕があったので、尾道に途中下車しました。降りてみると、NHK「てっぱん」のロケ地めぐりマップが二つもあります。流石に旬の話題です。時間がないのでその企画に乗りました。まずは「ダイビング突堤」にいきました。ドラマの冒頭、此処でヒロインは祖母田中初音(富司純子)の投げ捨てるトランペットを救おうと、この突堤から海に飛び込ぶのです。二回も飛び込む。案外きれいな海であった。しばらく尾道を歩くと、これでは一日いても見るべきものが見れないということに気がつく。いつでも往復3000円ほどで来れるのだから、今度また来ようと心に決める。天寧寺、ヒロインの母親の墓があるとの設定である。育ての親(安田成美)がヒロインあかりに言う。「千春さんはここから見る尾道の灯が幸せそうじゃゆうてつけたんよ」帰りもいい雰囲気の道が沢山あった。地震が起きてもし火の手が上がったならば、一夜にして尾道の町は壊滅するのではないか。林芙美子の銅像である。噂のシネマ尾道をはじめてみた。閉館した岡山シネマクレール石関の豪華な椅子が転用されているところである。細かなサービスがあると聞いている。また来ようと思う。駅に向う道、有名人の足型がえんえんとあった。びっくりしたのは、谷川俊太郎の足の小ささである。大林監督の足と比べてほしい。一時間ほどだったが、尾道の雰囲気のみは堪能した。また鈍行の電車に乗る。ツィッターでタイムラインを見ると、福島原発の3号機が爆発したという。暗澹たる気持ちになる。山口県の東端岩国を過ぎてすぐ、柳井港駅に着く。祝島ゆきの船は小さな連絡船だった。博多ビートルの悪夢がよみがえる。「今日の波はどのくらいですか」先頭さんに聞く。「今さっきまで波はほとんど無かったけど。波の高さまでは知らないなあ」とつれない返事。走り出して私は私はやっと安心した。玄界灘は港がいくら凪いでいても、海に出たら大波がくるのではる。しかし、瀬戸内はどこまで行っても同じ波だ。瀬戸の海は素晴らしい。
2011年03月17日
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今日岡山は、春を思わすようないい天気だった。倉敷ではツーデーマーチという大歩け歩け大会が開かれており、非常ににぎわっていた。それ自体は全然悪いことではないのだが、何だかこの陽気が済まないことのように感じてしまう。岡山は晴れの国である。しかも、災害が非常に少ない。台風もめったに直撃しない。大雪も降らない。渇水もまずない。太平洋に面していないので、大津波も来ないだろう。断層は少しはあるみたいなので、直下型地震が絶対無いとは言えないが、私の一番揺れた記憶は10年ほど前の鳥取大地震だった。此処に生まれたことに感謝しつつ、16年前の神戸のように応援に行くこともできない現在、暫くはことの推移を見守りたい。「日本人のモラルに世界が驚く」このようなツィッターの呟きを見ると、目頭が熱くなってしまう。例えば「ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。」たとえば、「バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品してそのお金全部募金してた。お友達も続々と募金しててすごい感動した。 すごいよ」出来ることは、ほとんどないけど、私の出来ることをしたいと思います。たとえば、今日ツィッターで、三陸と大槌に住んでいる方を何人かフォローしました。みなさんフォロワー少ない方です。嫌な想像はしたくないけど、今呟いていない方がほとんど。私は何もできないけど、無事で電気通じたときに、フォローが増えていることを見てもらって、少しだけ繋っていることを知らせたい明日から三日間、数週間前から予定していた上関祝島への個人旅行に行ってきます。いまさらキャンセルも出来ないので。祝島ホームページ別に原発反対にいくわけではありません。一月にNHKが祝島のドキュメンタリー番組をしていて、古代からの瀬戸内海航路の立ち寄り港だったと描いていて、なんと家々の壁が韓国の壁にそっくりなのです。そんなのを見て来たいと思ったからです。ところが、行くのを決めてから原発問題があるのを知りました。住民が一致して反対しているのに、原発建設を強行した中国電力。しかも、この未曾有の事態にツィッター情報によると、いまだ工事を継続しているらしいのです。と、言うわけで、決して原発反対にいくわけではありませんが、見てきます。と、言うわけでしばらくお休みします。もしかしたら、携帯で更新するかも知れません。
2011年03月13日
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心配で夜の四時ごろまで起きていたのだが、朝七時のニュースを見たら、もう見るも無残でどうしようもない。人がまだ助けを求めているのならば、大変だから助けないとと思うし、県立病院の20名の緊急を要する人は早く搬送してほしいと思うけれども、まるっきり人気のない家がなぎ倒された平野を見ると、いくら自然のすることとはいえ、何てことをしてくれたのだと思う。岡山はびくとも何もなかった。私は四時過ぎに映画が撥ねて携帯ヤフーのニュースを何気なく見ると、「津波10m」と書いているではないか。超低空飛行の一報を聞いたときも「家屋全壊」という言葉に「なんですか、これ?」と言ってしまったけど、今回も「なんですか、これ?」だった。TVにたどり着くまでの四時間の間にツィッターをずっと見ていて、私がフォローしているひと達の呟きが例外なくすべて地震情報、安否、避難所、交通、政府、原発情報になっていて、日本もこういうときには一致団結して危機に対処しようとしている気がして嬉しかった。けれども、人気のない爪あとを見ると、それさえもむなしくなる。被害に遭われた方、お見舞い申しあげます。安否がわかっていない方は一刻も早く消息が分ることを願っています。
2011年03月12日
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「野球の国のアリス」講談社ミステリーランド 北村薫まだ文庫化されていない北村薫の新刊である。とはいっても、2008年刊行ではあるが。図書館で借りた。題名から分かるように、「不思議の国のアリス」のパロディである。数多(あまた)あるパロディの中でも、成功している部類だろうと思う。アリスは現代日本の小学六年生。少年野球チームのエースでした。ところが、中学生になれば野球はできない。がっかりしていたときに、「大変だ」と急ぐ記者の宇佐木さんを見つける。彼はなんと鏡の中に吸い込まれていった。アリスも続けてはいると、そこは鏡の国、新聞の文字も総て逆転、野球の一塁も左にあるという国であった。でもあとはおんなじ。いや、びみょーに違っているところがいくつか。中学校全国野球大会では、裏の大会があって最後まで負け続けた学校を決める大会が盛り上がっていた。そこでは、なぜか中学一年になっていたアリスの学校が一番の負けチームに。一念発起したアリスは、救援に出向くのでありました。講談社ミステリーランドというのは、子供も読めるし、大人も読める小説をめざしたシリーズらしくて、所謂日本の推理小説家とファンタジー作家が一堂に会している。全巻書き下ろし、文字も大きいし、これから借りまくろうっと。あ、内容でした。この鏡の国、文字が反転してどうしてこんな国で人間は生きていけるのか。どうやら、人間はそんな環境に慣れるらしい。アリスのお父さんが、そうとは知らずに解説してくれる。我々は本来ものを逆さに見ているらしい(目のレンズの構造)。「そのままじゃ生活しにくいだろう。だから脳の中に変換装置があるわけだ。本来、上下逆に映っている画像を、またひっくり返して読み込む」「すごいね、人間」「すごいぞ、人間」……この話は示唆的だ。この国はほんの少し、おかしいけれども、外から来たアリスには、とってもおかしく見える。まだ慣れていないのである。だから、宇佐木さんの力も借りて大胆なこともできるのである。最初は、負けたままの学校を残すなんて、教育上よろしくない、ということで始まったこの野球大会、最近では負け続け一番を決める「最終戦」には全国放送のテレビもやってきて、真面目にへまをする試合を見ては、全国的な注目を浴びるようになった。教育とは離れていっている高校野球のパロディである。こんなこと許せない、アリスは一番負け続けた学校と、夏の大会での優勝校が練習試合をして「いい試合」をすれば、これを止めさせることができると考える。元の世界でバッテリーを組んでいた兵頭君と天才スラッガーの五堂君を呼ぶ。さあ、試合の結果はいかに……。ところで、鏡の国で裏の大会が始まった頃、参加を拒否して家出して逃げた子がいた。親は世間の糾弾を浴びた。子供は行方不明のまま。じつはその子が宇佐木さんだった。「母が言っていました。《世の中の流れは大きすぎるから、動き出したら、一人でどうにかするのは難しい》って。黙って参加していれば、試合だって終わる。あとはのんきな日が送れたのにねえ」「その子が宇佐木さん?」「《走るウサギ》の姿があの人に重なったんです。ウサギは弱いから、逃げなきゃオオカミに食べられちゃう。必死になって逃げて、必死になってどこかに向う。自分のことじやない人には、ただもう、おかしくて変な奴に見えるウサギさん。」……世の中の流れ、それはときに人を押し潰すだろう。どうにかしようとしたならば、闘うしかない。けれどもそれもできない人も多い。そのときはひたすら逃げるしかないのだ。2008年の刊行だけど、北村薫には既に「貧困問題」の本質が見えていたのかもしれない。
2011年03月10日
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3月9日、岡山県平和委員会は県庁を訪れ、県北低空飛行対策の申し入れを行いました。以下その内容。県北低空飛行による被害の調査と原因究明及び損害賠償対策の申し入れ 日頃から県民の安全と生活向上に努力されていることに対し、敬意を表します。さて、貴職もご承知のとおり、3月2日に津山市上田邑の井口貞信さんの土蔵が米軍機の超低空飛行によって突然崩壊し、母屋の屋根、壁、ガラス戸なども破損しました。井口さんの母親(88)は全くの偶然で土蔵から離れており、あわやのところで命拾いをされました。この事故は人命をも巻き込む危険きわまりない事故であったと言わなければなりません。しかし、これだけの被害が、井口さんをはじめ多くの目撃者の証言で米軍機の超低空飛行によるものと強く疑われていたにもかかわらず、事件発生から1週間経った3月9日になってようやく米軍機が原因であることが判明したことは、国民の安全も生命も尊重されていないと考えざるを得ません。貴職が、米軍機の低空飛行問題に関しては、情報収集と国への意見表明など、県民の立場に立った対策を講じていただいていることをよく承知し、敬意を表するものですが、今回のこの事件についても下記の対策を緊急にとって下さるよう、申し入れるものです。 記1. 3月2日の低空飛行と津山市の民家の土蔵が崩壊した事件の因果関係を明確にし、県北一帯の爆音被害を調査して記録すること。2. 県の責任において、低空飛行を行った米軍機の所属、目的、コース等を一刻も早く明らかにし、このような事件・事故が再び繰り返されないようにあらゆる対策をとること。3. 県民の安心・安全な暮らしを守る責任を有する県として、アメリカ政府及び米軍に抗議するとともに、低空飛行を即時中止し、井口さんと爆音被害者に対して謝罪を行うよう求めること。4. 津山の土蔵崩壊被害者の井口さんと、県北一帯の爆音被害者に対する補償が早急に行われるよう努力すること。対応した岡山県の危機管理監の佐藤氏は「国を通して対応することだから」と非常に消極的でした。平和委員会としては県民の安全を守る危機管理の問題だとして、再度の調査を要請しました。さて、米軍は8日なってやっと「あの飛行物体はわれわれの戦闘機だった」と認めました。その報道の詳細は以下のとおりです。米軍機2機が津山市近辺飛行(3/9山陽新聞)これによると、予想とおり、米軍は「日米でつくる合同委員会で決められた飛行高度は守っていた」と言って、いかにも我々は日本の法律とおりに飛んでいるのだと宣伝していますが(それをそのまま流すマスコミも問題ですが)、昨日の記事にあるとおり、仮に150m以上の高度だったとしてもそれは「遊覧ヘリコプターが飛んでも安全な高度」ということであって、決して戦闘機の安全高度であると想定されていたわけではないのです。ましてや、これよりもっと下を飛んでいたという証言も飛び出しています。「危機管理課」という課をわざわざ設けているのならば、今こそ働くべきときでしょう。
2011年03月09日
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米軍戦闘機の超低空飛行によって、民家の土蔵が倒壊した事件に対して、米軍が3月2日の同時刻津山市上空を飛行していたことを認めました。これは8日、岡山県平和委員会に入った情報です。岩国の米軍から防衛省中四国防衛局に回答があったとのこと。これ以上の情報は入ってきていません。米軍がどのようなルートで、どういう目的で、市街地の近く超低空飛行でを飛んだのか、全然分かりません。写真は、7日午後壊れた土蔵の前で当時の様子を聞く防衛省の人たちです。今回、果たしてどのくらいの高度で米軍戦闘機が飛んだのかはまだ分かっていません。米軍は従来、日本の航空法が規定する「最低安全高度」を守っているなどと「言い訳」しています。これは人口密集地上空では300m、それ以外のところでは150mです。昨日の中四国防衛局課長の話では、津山市上田邑は「人口密集地ではない」という話です。仮に今回の戦闘機が150m以上の上空を飛んでいたとしても、この「安全高度」自体が「遊覧飛行を行うヘリコプター」を想定したものであり、そもそも一般航空機とかは低空飛行を想定していないし、爆音を撒き散らし、音速を前後して衝撃波を広げる戦闘機などは完全に想定外の高度なのです。そもそも住宅地上空を米軍機が飛ぶこと自体、米国内では禁止されています。米国内では住宅密集地の真ん中にある普天間基地なんて「アンビリバボー!!」なのです。しかし、日本では「安全高度」にしても米軍の「自主規制」であり、実質的には米軍に対する低空飛行の規制は一切ありません。問題は、今回の被害は一歩間違えれば人命を損なうような衝撃をもったものであり、徹底的な原因の究明が必要だということです。今回のルートはたまたまパイロットが慣れていなくていつもと違うところを飛んだのか、または日米共同訓練をしている日本原演習場を敵地とみなして急降下を行い、1-2分後津山市上田邑上空で高度を上げるときに衝撃波が出たのか等々、中四国防衛局の言う「調整協議」で明らかにするべき中味は色々とあるはずです。日本国民の生命と安全を守る責務を担った防衛省がそのあたりを曖昧にするはずは無いと信じています。
2011年03月08日
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3月2日午後3時過ぎ、米軍戦闘機らしき飛行体が岡山県津山市上田邑上空を低空飛行し、上田邑のIさんの母屋に併設されている土蔵が崩壊するという被害がありました。岡山県平和委員会では7日現地を訪れ実態調査をしました。同時刻の目撃情報は奈義町、美作市、真庭市でももたらされており、尾翼2枚の戦闘機が2機、西から東に爆音を残して飛び去ったという報告もあることから米軍戦闘機ホーネットである可能性があります。今まで米軍の訓練のための低空飛行が蒜山、奈義山などの県北で目撃されたことはありますが、このように南の市街地に近いところで目撃されたのは初めてです。また、その衝撃波と思われる原因によって建物が壊れたという事例は今までありませんでした。Iさんの土蔵は二間半四方の二階建てで、今まで大風が吹いてもびくともしなかったそうです。Iさんは「3時過ぎに昼の休憩をしていると今まで聞いた事も無いような、雷のようなゴーという音とともに家の中がだいぶ揺れた。すぐに家を飛び出すと、土蔵から瓦が落ちてきた。犬を呼び寄せた瞬間、土蔵が崩れた」と言います。あと1時間早かったならば、Iさんの母親が土蔵の裏で洗濯機を回しており「潰されるところだった」と冷や汗をかきます。飼い犬のクールもそれ以降吼えなくなったし、餌も食べれなくなった。被害を受けたのは、土蔵だけではなく、母屋のほうも瓦がずれています。また、母屋の壁にもひびが入りました。Iさんが家の中にいたときにそうとう揺れたので出来たひびでしょう。午後に防衛省から調査に来ました。中四国防衛局業務課長の山下晴男氏はマスコミの質問には「この時間帯、自衛隊機の飛行は無かった。現在米軍が通ったかどうか問い合わせているところである。米軍の飛行ルートは把握していない。もし、米軍機飛行の確認が取れたならば、調整協議を行いたい。責任の所在、補償等は、米軍と協議しないとなんともいえない。土蔵崩壊の原因も不明である」と煮え切らない答えに終始しました。米軍低空飛行で被害を受け弁償を行った例では、2004年島根県の中学校の窓ガラスが割れた件があります。Iさんの家の周りを少し回りました。Iさんの家以外に被害を受けた家は分かりませんでした。遠くから見ると、Iさんの家のあたりが山の麓ですっぽり囲まれている地形になっており、衝撃波がちょうどここに集まる可能性はあります。ホーネットの最高速度は音速の1.8倍とされます。全長17.07m、全幅11.43m、全高4.66mです。巡航速度は音速の0.8程度ですが、音速前後では衝撃波を広げます。Iさんの奥さんが人から聞いた話では、ちょうど東の山の稜線に神楽があるが「そこをすれすれに飛んできた」とのこと。Iさんは直接飛行体を目撃していませんが、私たちはちょうど見かけたというTさんの証言を得ました。写真の位置からシュロの上をとんだとのこと。頭の上ではなく、ほとんど目線の位置でした。しかも、シュロより少し大きめの大きさということで、非常に近くを低空で飛んだことが分かります。写真には、Iさんの描いた飛行体の略図と位置、大きさを付け加えました。平和委員会の0さんは「Iさんは土蔵が壊れた原因をハッキリさせてくれ、と言っていましたが、これからの運動でそれが一番重要です。状況や証言を聞いた時点では、間違いなく米軍戦闘機ホーネットだと思いますが、先ずはそのことを米軍に認めさせなければなりません。その上で、単に補償だけしてあとは何もしないで終わらすことの無いように気をつけなければならない。今回の場合は特に一歩間違えたならば、人命にかかわる事例だった。このまま済ませたならば、同じことが繰返されます。米軍に原因をハッキリさせ、現在の飛行基準が甘いようならば改善させ、一番いいのは低空飛行訓練を止めさせなければならない。」と述べました。
2011年03月07日
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「革命篇」の直前の週ですが、前売り券を買って見せると、500円で見せてくれるという宣伝の乗っかり、つい見てしまいました。合計二本を1800円で見ることができるので、お得と考えたわけです。監督 波多野貴文 出演 岡田准一 (井上薫) 真木よう子 (笹本絵里) 松尾諭 (山本隆文) 神尾佑 (石田光男) 野間口徹 (田中一郎) でも、「野望篇」はみごとに「革命篇」へむかう二時間近くかけた壮大な予告編という内容でした。今まで「SP」を一度も見たことが無い私のような人のためにそれとなく今までのあらすじを不親切な編集で紹介してくれて、なおかつ、二回見せ場があるのですが、革命とはほとんど関係ないアクションエピソードを長々と流すだけの作品でした。私は見た直後、ツィッターに「予想とおり、岡田君目当ての人と真木さんに殴って欲しい人がみるような映画だった。予告編が少し突っ込んで描かれています。亀山プロデューサー、これが邦画のあるべき姿なんですか?」と呟いた。すると、gohgtohさんから「亀山氏は、面白い映画ではなく面白そうな映画を作るのが仕事だ、と踊る3でのインタビューで語っています。そういう観点から、SPは充分アリじゃないでしょうか」というreplyが来てしまった。gohgtohさんが言われているインタビューとは、私が以前記事にしたこのインタビュー特集だと思われます。そこでフジテレビの亀山プロデューサーは大筋このように述べていました。「僕たちは別に映画界の真ん中にいたいと思ったことは一度もない。ぼくにしても、わくわくしてみてきた映画は時にはATGだったり、時にはハリウッドだったりした。芸術としての映画を邪魔する気持ちは無い。 テレビ局が参入してきたのは決して悪いことじゃないと思いたい。大事なのは「面白い」はあたりまえ。「面白そう」にするということだ。「面白そう」をどのように喚起するかにかかっている。僕たちはそれの腕を磨いている。」確かに、私のような者までこの映画を見たのだから、亀山プロデューサーの力量が凄いのだと思う。gohgtohさんの言うことも一理ある。しかし、本来は数十分で済ますことができそうな内容を長々と、しかも私は500円で見たから怒り心頭までは達しなかったけど、万が一1200円(深夜料金)、1300円(前売り)で見たならば、大いに怒っていた内容だと思う。ところが、この映画は30億の興行収入を突破したというのだから、本当に信じられない。亀山氏も「大事なのは「面白い」はあたりまえ」と言っている。しかし、亀山氏自身は「面白い物を作ったかどうか」では評価されないはずだ。亀山氏本人もその基準での自己評価をしているとはとうてい思えない。結局、興行収入という「数字」で評価されているし、しているのだ。それが、どれだけ邦画の未来に暗雲をもたらしているか、私は亀山氏に問いたい。……というようなことを思っていたら、なんと昨日「SP革命前日」というスペシャル番組があって、二時間の番組の中、なんと半分は「野望篇」を編集したものだった。あの野望篇がおそらく46分ぐらいに短くなっている。ちょっと稚拙な切り方もしているが、あの映画はこれくらい切ったぐらいで充分であることが図らずも証明されてしまった。さて、長い長い前振りでしたが、これからが本文です(^^;)井上(岡田准一)の上司尾形総一郎(堤真一)は、彼に革命の内容についてかなり突っ込んだことを言います。「大義のためだ。目的が正しければ、手段は正当化される」「武力を使ってですか?」と井上が尋ねてそれを否定しなかったから、そうするのでしょう。「この腐りきった世の中を変えるために民衆を覚醒するのだ」とも言います。あるいは革命仲間にメールで「日本国のために」という言葉を送ったりしています。具体的なことは一切分かりません。革命篇まで待て、ということなのか。あるいは革命篇になっても、具体性は無視されるのか。彼の言う「大義」とは何なのか。作家の金城一紀が原作と脚本をかねているのですが、いまのところ、かなり非現実的な内容です。革命篇では、どうやら国会を占拠するようだけども、そんなテロでどうして「民衆が覚醒する」のか。尾形の「革命」は見るまでもない、最初から失敗が運命付けられています。主人公に井上(岡田)を対置した時点でそれは明らか。それでは、その大義とやらに対置する井上の理屈はこんなものです。「手を触れることのできない大義に殉じるより、目の前にある温かなものに私の能力を使います」これはこれで、どうかなと思う。このような「感覚主義」では尾形の大義の理屈に対抗できない。例えば、身近な仲間や家族が大義に走れば、いつでも自ら大義に走るということになるのではないか。「野望篇」を見る限り、井上のこの理屈がこの映画の結論のような気がしてならない。先週日曜NHKスペシャル「日本はなぜ戦争に向かったのか」を見た。今回は新聞・ラジオの役割を論じていた。最初軍部に批判的だった新聞が1931年満州事変を境に大きく変わる。なんと新聞は最初から事変が関東軍の謀略だったこと知っていたというのだ。しかし、彼らは軍部の動きを応援する。それが「国益」だからである。きっかけは事変直前に起こった中国人による日本兵の虐殺事件だった。一つの刑事事件が、「論調」をころりと変えたのである。なぜか。「世論」が変わったからである。新聞たちメディアが世論を変え、メディア自身が世論に巻き込まれて、雪だるまみたいに止まらなくなる。井上の理屈では尾形の大義の理屈に対抗できない。もしも、「革命篇」が井上の理屈で終わったとすれば、笑止、としか言うしかない。いま、中東では「革命」と言っていいリアルな現実が進行している。リビアでは何千人も「大義」のために死んでいっているのかもしれない。中東では「独裁国家」という何十年にも渡る長い長い「不正義」があった。それが、だんだんとそれを放置すれば「国のため」にならないという段階まで来ていた。そういう条件が整って初めて、革命が始まったと私は理解しています。大義とは、正義と国益である。と、一応定義してみます。いまのところ、日本にもしそのようなものがあるとすれば、TPP反対とか、ぐらいしかないような気がする。もしかして、尾形はTPP反対(あるいは反米)の為に国会を占拠するのだろうか。その後独裁国家をつくって強引に反米独立国家でも作るというのだろうか。まさか。もしそうだとしても、やり方があまりにも幼稚だ。まあ、前売り券買ってしまったから、革命篇見に行きます。
2011年03月06日
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恋に仕事に悩み多き女性たちへ-突破口教えます!というあおり文句の映画である。うーむ、でも突破口になるかどうかはとうてい補償できない内容でした。監督 ロジャー・ミッチェル 出演 レイチェル・マクアダムス (Becky Fuller) ハリソン・フォード (Mike Pomeroy) ダイアン・キートン (Colleen Peck) パトリック・ウィルソン (Adam Bennett) ジェフ・ゴールドブラム (Jerry Barnes) レイチェル・マクアダムスは「きみに読む物語」でしっとりとしたヒロインを演じたと思ったら、「シャーロックホームズ」では峰不二子みたいな男を手玉にする女を演じた。今度は登場の仕方から、せっかくのデート自分でずーと喋りっぱなしはまだいいとして、仕事の電話はデートの途中ではもうとらないと最初に宣言しておきながら、電源を切らずについには取ってしまうという、昔の日本によくいたモーレツ社員(死語)そのまま。(恋に)仕事に頑張りすぎて、空回りする見ようによっては「かわいい」28歳の女性を演じている。着実にキャリアを重ねている。実際のレイチェルも頑張りすぎる女性なんだろうな、と思わせる、絶好のキャスティングである。さて、今回の役は「空回り」するか否か。さすが、テレビ界を題材とする映画はハリウッドが専売特許である。朝番組のあわただしさを上手く描いている。テンポも非常にいい。ハリソン・フォードも最近はむっつり老人が増えてきたけど、良く似合っているし、ダイアン・キートンは流石ベテランの味で上手くこなしている。レイチェルは結局最後にはハッピーエンドで終わるのだけど、あれで本当にいいの?と思わざるを得ない。現実ではあの恋愛、映画を見る限りではとうてい上手く行くとは思えない。それにしても、アメリカという国はつくづく労働者に厳しい国だと思う。いつでも頸になる危険がある。しかも、退職金さえもらえない。今回はたまたま成功したからいいけど、あれだといつでもホームレスになるだろう。こんな国では生活したくないな。
2011年03月05日
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この作品がアカデミー作品賞監督賞脚本賞主演男優賞を獲った次の日に観に行った。なかなかの入りだったと思う。ともかくも本来は怪物的な現代を淡々と描いているだけの「ソーシャル・ネットワーク」がアカデミー賞を獲らなくて良かったと思いながら、今作を見たのではある。悪い作品ではない。けれども傑作ではない。最近のアカデミー賞にはこんなのが多いなあ。私的には「ソーシャル……」よりこっちのほうがお気に入りです。本来個性的な役が多いヘレナ・ボナム=カーターとジェフリー・ラッシュが派手な化粧もせずに誠実に役作りをしているのが大変印象に残る。監督 トム・フーパー 出演 コリン・ファース (King George VI) ジェフリー・ラッシュ (Lionel Logue) ヘレナ・ボナム=カーター (Queen Elizabeth) ガイ・ピアース (King Edward VIII) ティモシー・スポール (Winston Churchill) 吃音症のジョージ6世が1939年に感動的な対ドイツ宣戦布告放送をするまでを描いているのであるが、これも淡々と時代の雰囲気を映しながら、英国王室秘話を綴っていく。しかしながら、歴史モノは、現代モノとは違い、歴史を俯瞰する視点がどうしてもわれわれに身についている。だから、淡々とある誠実な青年のコンプレックス克服秘話に陥りがちな話が、同時に非常に洗練されたファシズム宣伝の雄ヒトラーと対比して、自由陣営の少しどもりながらも誠実なジョージ6世の対する映画として終わっているので、普遍性を持ったというわけだ。この時代から既に世界は「宣伝」の時代に入っていると、支配者たちが強く自覚していたということも、大変興味深い。翻って、日本は宣戦布告にとうとう天皇は一言も発しなかった。神聖帝王として、国民の目に見えないところで、ずっと国民にプレッシャーを与えていた。それは結局、現代にも続いている。この映画で初めてエドワード8世の「世紀の恋」の状況が分かった。まったく現皇太子君と状況が同じだ。今度はどのように決着がつくのだろうか。そろそろエリザベス女王も寿命が尽きるだろうに。
2011年03月04日
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「本は、これから」岩波新書珍しく文学的な書名である。電子ブックの登場で「本は、これから……どうなるのか?」いろんなタイプの書き手、読み手、書店、古書店、図書館、取り次ぎ、装丁、編集の位置からの短文を37そろえている。以下、私が線を引いたところ(抄)である。池澤夏樹われわれは本を読みすぎるのだ。その大半は読み捨て、読み流し。かつて新井白石のような優れた知識人が生涯に読んだ本の何十倍もの量をわれわれはただ消費している。紙という重さのある素材を失ったために文筆の営みはすっかり軽くなり、量産が可能になった分だけ製品はぺらぺらのものばかりになった。そもそも人類の智の総量が変わるはずないのだからインターネットによって生産を加速すれば中身は薄まる理屈だ。→まさにその通り。私はおそらく、江戸の知識人よりも多く本を読んでいると思うが、その中味は到底彼らに追いつかない。それどころか、こんな文章を書いて、「中味を薄める」お手伝いをしているというわけだ。しかし、世代は変わるのだ。新しいがジェットは若年層を突破口に社会に浸透する。今の子供たちはもう固定式の電話をほとんど使わない。韓国とシンガポールではあと二年もすれば教科書が電子端末に変わるという。実を言えば、今の段階で電子ブックなどよりずっと恩恵をこうむっているのはこのインターネットによる古書のシステムだ。かつては欲しい本を探して神田の古書店の棚を尋ね歩いたものだが、今はたいていの本は即座に手に入る。古書というものの概念が変わってしまった。それはまた、手元の本を惜しげもなく放出できるということだ。必要ならばまた買えばいい。日本中の本全体が一種の共有財産と化してきた。池内了記録媒体としての電子書籍(やたら記憶が得意なシリコン頭にうってつけである)、自分のあたまを鍛えるための紙の本(考え想像するカーボン頭に最も相応しい)という棲み分けができそうである。岩楯幸雄(幸福書房社長)でも、五年後にはどうなっているのでしょう。新宿・渋谷に超大型店が出店し、大型店通しの潰しあいが始まっています。それぞれが一人勝ちを狙っているのでしょうが、それは無理でしょう。電子書籍の影響を近い将来全部の店が公平に受けるのだとすれば、ダメージは大型店が一番大きいはずです。多くの借金や高い家賃を負担しているはずだからです。アメリカでは大型店の廃業が始まっているそうです。そう、5年後はどうなっているのか分からないのです。老人大国の日本で若い人が営む小さな本屋が、もしかしたら一番必要とされる時代がやってくるかもしれません。健闘を祈ります。→私はおそらく、三年後には電子書籍を手にしていると思います。新し物好きですから。けれども、一方では老人が陽だまりの中、、20年積んだままにしている中江兆民全集や植木枝盛全集、マルエン全集などを読むことや、何度も読んだあの本やこの本を読むことを夢見ているというわけです。本屋の未来、この社長の言うとおり、これからは個性的な本屋さんの時代かもしれません。私ならば、こんな本を並べるのだけどなあ、というのはあるのだけど、誰か雇ってくれないかしら。
2011年03月03日
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しばらく父親の顔は出てこない。自転車の前に座らされて風を切って走る生涯忘れられない瞬間、お父さんのお酒を少し飲んで知ったばかりの歌謡曲を歌ったこと、よそ行きの服と靴を買って貰ったときの嬉しさ、田舎道でバスを緊急停車させて用を足したあと田んぼの泥濘で靴を汚してしまったこと。そんなことだけが9歳の少女の記憶に刻まれる。名優ソル・ギョングの顔が映るのはほんの一瞬である。寂しくすまなそうな貌はおそらく少女の記憶の中には落ちていなかっただろう。1975年、児童養護施設に預けられたジニは、父が必ず迎えに来ると信じ、頑なに周囲と馴染もうとせずに反発や反抗を繰返す。秋から春にかけて、それでも仲がよくなった11歳のオンニはアメリカに養子に行った。一番年長のオンニは、初恋が破れ、韓国の家庭に「家政婦」を覚悟して出て行った。終始、不機嫌な顔をしていたジニだが、それでもフランスの夫婦から養子にもらいたいと申し入れがある。彼女がフランスの空港に降り立つ顔はまさによそ行きのような顔であった。監督 ウニー・ルコント 出演 キム・セロン (Jinhee) コ・アソン (Ye-shin) パク・ミョンシン (Bomo) ソル・ギョング (Jinhee's father) パク・ドヨン (Sookhee) 少女の言葉は少ないが、その行動で十分に気持ちは伝わる。門から出て、一人で父親を探そうとしたり、少しづつ穴を掘って自らを生き埋めにしようと試みたり。その試みを諦めて施設に戻っていく描写は無い。養子に出る少女たちを送り出す「蛍の光」と「ふるさと」の歌が三回歌われるのも効果的である。三人ともまったく同じ表情をして、同じタイミングで門を出て行くのである。女性らしい細かな演出と女性らしくない大胆な編集が、非凡なものに感じた新人女流監督だった。「グエムル漢江の怪物」の少女(コ・アソン)が年長のオンニを演じていて、流石だった。自殺を試みて、みんなの前で反省の弁を言っているときに、幼児たちの笑顔に連れられて泣き顔がだんだん顔がほころぶところが、彼女たちが本当に少女なんだな、というところが分かる。韓国では昔は養子として外国に行くことが普通だったようだ。そうやって、成人して韓国に戻ってくる映画やドラマが絶えない。彼女たちは死んでしまった小鳥のように深く深く傷つく。そして、秘密の缶のケーキのように甘い甘い瞬間も過ごすのだ。原題は「ヨヘンジャ」。(旅する子供)という意味だろうか。これは邦題の方が素晴らしい例となった。
2011年03月02日
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監督 山田火砂子出演 村上弘明 工藤夕貴 中条きよし 隆大介 笛木優子 石倉三郎 市川笑也 山田太郎製作 現代ぷろだくしょん"不良少年更生の父"と呼ばれた留岡幸助。感化院(現代の児童自立支援施設)教育の実践化、北海道家庭学校の創始者と知られている彼の生涯を描いた映画である。一般人の寄付で作った独立プロの作品は、時として非常に忘れがたい作品を作る。語るべき主張がハッキリしていて、なおかつ採算を求めるために変に観客に媚びるようなことがないからである。また、財界のタブーからフリーで作ることも可能である。一方、資金不足から十分に準備して製作に当たることができない。役者も経験不足の役者が出てくることがままある。この作品は、終わりに自治体やいろんな会社からの「後援」を受けていた。また内容から、キリスト教関係のたぶん熱心な支援を受けたのだろうと推測できる。そのせいなのか、豪華な配役ではないが、基本的に重要な役は総てプロの役者が演じていた。時代考証やロケ地もひどいことはなかったと思う。しかし、褒められた映画ではなかった。言いたいことは良く分かるし、その主張には賛成する。高梁の牧師から北海道監獄の教誨師になった幸助は、犯罪の原因の大部分は10代の家庭環境に問題があると気がつき、家庭学校を作るのである。二時間の中に、生涯のエピソードのほとんどをつぎ込み、関係人物を紹介しつくしていた。よって、映画の台詞がすべて「説明調」になっていた。脚本が面白くないためか、役者たちの存在感が浮き上がってこない。みんな説明調に台詞をしゃべってしまい、まったく面白くなかった。倉敷ムービックスにしては、珍しくたくさんの人が来ていた。高梁から来たのだろうか。平均年齢はかなり高い。久し振りの映画鑑賞だろうに、もっと質のいい作品を見させてあげたかった。
2011年03月01日
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