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「映画評 シン・エヴァンゲリオン」「家族で楽しめる正月映画を教えてくれ」「君の家は中学2年の男の子だったよな。アマゾン・プライムは登録しているか」「している」「ならば、エヴァシリーズを4作全部観ることをお勧めする。今ならば、今年の新作含めて全部アマプラで観れるし。何しろ今年のマイベストワンは庵野秀行監督の『シン・エヴァンゲリオン』なんだ。面白いぞ」「お前の趣味はオタク気質だから信用できないな」「それは否定しないけど、息子さんと内容を巡って、ああでもない、こうでもない、と会話できるぞ。4作ムリならば、最新作だけでも良い。息子さんが既にチェックしている可能性はあるし、冒頭には過去作のダイジェストもある」‥‥と、ここまで書いて月一度の映画評に再度「シン・エヴァ」を書く企ては諦めた。何故ならば、エヴァシリーズは確かに全て配信されている。しかし、それはAmazonプライムに限った話だ。DVDでも未だ「シン」は出ていないのである。よって、12月号の映画評はいったん「初恋のきた道」になり、やがて「グランパ・ウォーズ」になった経緯は既に書いた。今年のBest10も既に書いた。一位は「シン」になった。どうしようもない。Best10を載せようかとおもい!この文章を書き始めたのであるが、既に発表していることを思い出してやめた。ネタを描き始めてやめた話を2つも書いたので、この辺りでやめにしたいが、色(写真)がないので、年末の年越しそばを二つ載せたい。上は、岡山市内に場末の食堂で食べた蕎麦。下は、岡山国際ホテルで特別食としてメニューに入っていた年越しそば。どちらも850円。どちらも、6割蕎麦ぐらいで、特別美味しくはなかった。
2022年01月14日
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ホテルで正月を迎えた。屋上から御来光を拝めると言うので、登ってみる。この時にしか開いていないからである。登ってみると、2年前にきた湊茶臼山古墳から朝日が登る設計だった。まさか意識していたのか?今日は良い御来光だった。朝日を浴びた岡山市街。ホテルのおせち料理。雑煮は、すましのぶり、ほうれん草、煮た丸餅というシンプルなものだけど、ウチとは魚のぶりが入るところは違う。
2022年01月01日
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久しぶりに総社市福山登山を敢行した。ブログ検索したら、最後の登山は2005年4月になっている。流石にその後も登った記憶があるから、おそらく10年以上上っていない気がする。と思ってTwitter検索してら、2012年にも登っていた。1234段(合ってるよね)のショート低山登りです。二回休憩取って、往復約1時間半だった。かなり体力が落ちている。でも、最初に登った時のような長時間(2時間ー3時間)、死ぬほど大変だったような気はしない。直ぐにこの時間は短縮出来そうな気がする。やはり、人は変わるのである。15年前からいえば10キロぐらいは減量できているのが大きいかもしれない。また、当時は古墳群や野の花に興味深々だったけど、いまはコケに目がいってしまう。人は変わるのである。それから、頂上近くの大岩の不自然な「穴」は、下の古墳群のための石室のための加工跡だと確信した。あそこで、大岩の加工があるとしたら、それしか考えられない。だいぶ離れているみたいだけど、急坂なので、問題ないはずだ。何かの理由で加工途中で終わったのだろう。だとすると、6世紀の人の手のあと。こういうこともこの15年間で類推できるようになった。人は変わるのである。登ってから5日経ったたけど、未だふくらはぎがパンパン!
2021年12月04日
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昨晩、十三夜の月に現れた「月の輪」。少しわかりにくいですが、よく見てください。 月の輪古墳という名称もあるように、 幻想的なこの景色に 何かを想う人々が多くいた ということなのだろう。
2021年10月19日
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見ようによっては、とても怖い写真。
2021年09月04日
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「ごはんを残したら、一生懸命に作ったお百姓さんに申し訳ないのよ」 こう言われて育った私は、今まで好き嫌いや食欲無くて、食事を途中まで食べて残したことは数えるぐらいにしかない(もしかして病気を除くと一度も無い)。 食事を残さないことを信条にしていたので、当然好き嫌いは無くさないと実現できない。よって、私には好き嫌いはない。そもそも「ヌタ」等の苦手な食べ物は最初から近づかないようにしていた(今は好物です)。 母親は身体が弱く、子供たちには健康に育ってほしいと強く願っていたので、何はともあれたくさん食べさせるという教育方針を貫いたようだ。お陰で、子供は悉く肥満気味になった。一長一短ではある。 これが「せっかくあなたのために買ったのに、勿体ないから食べなさい」と言われていたならば、「親のいないところでは残して良いんだ」「お金を自分で使うことができたなら残して良いんだ」とか逃げ道を発見したかもしれない。 「お百姓さんに申し訳ない」という言葉は逃げようがない。しかも、うちは兼業農家だったのでイメージも明確で説得力があった。しかも、高校生の時に観た「七人の侍」で、左卜全が用心棒獲得のためになけなしの米を侍のために用意していて、それが溢れた時に一粒一粒拾っていた場面を観て、最初の鑑賞後はこの場面が1番心に残ったほどに頭の中に刷り込まれてしまった。大人になっても、これは私の信条になり、悪いことにバイキングでも、職場の賄いでも、「残してはいけない」信条が発動してしまい、生活習慣病は私を困らせている。 こういう「教え」は、現代で一般的にはしていないようだ。(喩えが悪いが)不登校が当たり前のように、「残す」ことも認められているようだ。 果してそれは正しいのだろうか。 私は「無理してでも食べる習慣」は、つけるべきだと思うのである。
2021年08月14日
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柔道週間が終わった。 日本柔道に5個の金メダルをもたらし、混合団体では銀メダルを獲得した。絶対視されていた団体で金を取れなかったのは、柔道の神さまが慢心を諌めたからかもしれない。技での決着を重視する今回のルール改正は、いずれにしてもこれからのしばらくは日本に柔道黄金時代をもたらすだろうと、私は思う。 私は、この前夢を見た。 マンガ原作になりそうな内容だった。 誰か描いてくれないかな。 大野がゆきずりに不良に絡まれている少年を助けようとする。助けたつもりが刺されて仕舞い、そのまま死亡。大野は金メダリスト大野だった。少年は、公に私に、「コイツのせいで日本の宝がなくなった」と言われる。 少年は柔道部に入る。目標は初めから、大野が目指すはずだったオリンピック三連覇である。しかし、体格も、才能もない少年が選んだのは、やればやるだけ強くなる寝技オンリーの柔道だった。監督は、少年の覚悟を見抜き、寝技に特化したメニューを組む。 やがて一年後、少年は寝技だけで中学生日本一になるが、どんなに勝っても決して笑わないのが評判になる。マスコミは手のひら返しで特集するが、少年は無視するし、知人は少年の人生がなくなるのではないか?と心配するが、大野のライバルだった笹野だけは目にかける。この試練が、いつか少年を武の道に導く。それは10年後になるかもしれないが、きっとなる、と。 やがてインターハイを優勝して、全日本で勝ち進む高校生になった少年は研究されて、寝技を避ける方法、寝技に持ち込む立ち技を返される方法を作られて失速する。しかし、それをもう克服して、やがてオリンピックに出る。 驚異的なパワーとスピードの前に、少年は何度も限界に陥る。その度に生前大野の言ったことが蘇り、少年は金を取る。少年の前に人生が広がっていた。 2021年7月27日妄想
2021年08月01日
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46年前には、あの小さな家に6人家族が確かに毎日暮らしていた。ところが、今日、その6人のうち生きながらえているのは2人しかいない。実に一般的な現象であるし、一昔前ならば46年と言わずに、30年ほどでそうなっていたのが一般的だったかもしれない。 それが自分の身に降りかかってくると、やはり大きな感慨を持たざるを得ない。 具体的に書くと差し障りがあるのだが、 6人のうち、現代に遺伝子を子孫に残す仕事をしたのは、最近亡くなった1人だけであって、残った2人に我が家の遺伝子を遺す仕事はもうできない。という厳然たる事実がある。そうなると、6人家族は、結局(姪の)2人にしか還元されなかったという結果が残る。 人間の価値は、後世に遺伝子を遺すことである、という風に規定してまうことが出来たとしたら、もはや残った2人の生きている価値は無くなったと言っていいのかもしれない。 ところが、残ったこの人間は、そこまで思い詰めてはいない。 何故か? 人間は社会的動物である。 2人は遺伝子を遺すという仕事はしなかったが、約40年間、教育や流通や福祉の分野で、確実に「仕事」をこなしてきた。その仕事の価値は記録としてちゃんと残っており、回り回って、人間の遺伝子を後世に残すことになんらかの寄与を果たしたのではないか?と「この人間」は信じているようだ。何処までそれが正しいのかは、わからない。 また、それよりもっと怪しい「根拠」なのではあるが、そのうちの1人は約30年間、SNSの世界にずっと文章を書き続けている。そのほとんどは駄文なのかも知れないが、いくつかは、人間の物語ろうとするエネルギーを、少しは援けていたのではないか?と、1人は自らを慰めている可能性がある。 よって、1人は未だに自分に絶望せずに生きてる。
2021年07月30日
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厄除けマンボウ、皆さんのために画像を貼っておきます(by 和歌山市立博物館) 疫病除けマンボウ?版画を再展示 「まん防」措置で和歌山 4/4(日) 18:12
2021年04月05日
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少し前ではあるが、「文藝春秋3月号」の芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」の書評をした時!他のSNSにも書いていたら、「KUMA0504さんのイメージに合わない」とコメントを頂いた。その反応は予想していたので、嬉々としてお返事を書いた。もはやコメント欄などは誰も見にこない時だったので、もっと早く反応してほしかったとさえ思った。 それから1か月、ネタが無くなったので、ここにも転載する。ここの人は私がAKBの数人を推していたのはご存知だったと思う(えっ?知らなかった?)。重なるところはあるかもしれないが、わりとまとまっているので、転載する所存です。最近はもう推し活動はしなくなった。何故か、ということもここで初めて書く。 ◯◯さんへのコメント ◯◯さん、よくぞコメントしてくれました。ありがとうございます♪ ◯◯さんの教えてくれたサイトはよくわからなかったのですが、「推し活」という内容の情報を見ると、かなりアイドルへの依存状態が進んでいて、私のいう「推し」とはかなり隔たりがあるようです。 この記事に対して、「私とイメージが合わない」という感想を持つのは予想していました。ハッキリ言って「引く」人もいたのではないかと思います。でも、それに対していろいろ解説すると「言い訳」じみてくるし、私の文体に合わないので、ちょっと触れるぐらいで済ませていました。よって、ここで「言い訳」させてもらいます。 日本語は日々変化します。 「推し、燃ゆ」が芥川賞をとったことで、さらに「推し」という言葉は、病的にまでもアイドルに依存した状態という意味合いを持つようになるのではないか?と危惧します。本来の「推し」はそうではなかった、と思います。 少なくとも、2012年にYouTubeで見ていた時の「推し」は、軽く「私のファン宣言」みたいなものでした。オタクと違うのは、広くある分野のファンなのではなく、一人の人物のファンになる事です。「単にファンになる」とどう違うのか、ほとんど同じですが、唯一違うのは「その子の成長を責任持って応援する」という決意です。責任感が違うのです。 私の「推し」という言葉はもっと広い意味で使っています。 「推し」を初めて聞いた時、思い浮かべたのは、京都で舞妓、芸妓と移ってゆく過程で、2号さんとして囲うのではなく「旦那さんたち」が集団で「贔屓」にして「成長を見護る」習慣でした。現実にはホントに2号さんにする人もいたかもしれませんが、現代の舞妓のほとんどはそうではありません。AKBは、その日本の伝統(江戸の色街にもあった文化)を、現代の制度に移したものです。秋元康が発明した制度ではなく、秋元康が利用した制度なのです。 私は調べたことはありませんが、日本の芸能史を紐解けば、おそらく芸人はそうやって生き延びてきたのではないか?雪舟にせよ、光悦にせよ、そやって育てられてきたのではないか?「梁塵秘抄」で「今様」が平安時代の都の中で流行っていた時に、後白河法皇自身が「推し」を決めて、ずっと籠って歌を習っていたのは、現代とほとんど同じです。 私はそんなにお金を注ぎ込んではいませんが(握手会に行ってない段階で日本中の推している輩からは総スカンを食うかもしれません。けれどもそいつらに言いたい。須藤凛々花の結婚宣言をあそこでしようとした勇気を、いったいどれくらいのファンがきちんと理解してあげたというのか?)、彼女たちの発言やパフォーマンスを愛を持って集め、解釈してきたのには自負を持っています。あの時の発言の意味はこうだったのだと、書評や映画評で書き、誰も触れていないのを不思議に思ったことは多くあります。これって、私も「推し」ていると見ていいんじゃないですか? 私の推しは、最初は大島優子。一年で卒業発表、次に川栄李奈、ところが推しと決めた直後に「あの事件」が起きて直ぐに卒業発表、優子と同じ頃にずっと応援していたのは、松井珠理奈、彼女だけは10歳から今まで10数年間AKB、SKEを文字通り引っ張ってきた、正にエースであり、彼女の発言やドラマは欠かさず見てきて、絶対卒業するはずはないと思っていたのに、総選挙で一位をとった直後に総パッシングを受けて体調不良になり、卒業発表、そして須藤凛々花です。大島優子以外は、みんな不幸な形で卒業発表した。私が推したから?というところまで思ってしまうのが、「推し」ている者の運命・責任感なのです。 私の「推し」の意味が、これで少しはイメージが湧いたでしょうか?
2021年03月26日
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昨日、県立図書館に福袋を貰いに行きました。開館15分後に着いたら、もう77袋あった福袋は数えるぐらいしかなくて人気のない社会科学系でも2つしか残っていなくて、会社図鑑よりもこっち「新社会人さんへ」を選ばざるを得ませんでした。4冊はそのまま借りるわけですが、図書館特製トートバックはプレゼントです。 たくさんのローカル局が取材に来ていてインタビューを受けました。(華がないので、採用されないでしょうが) 「福袋目当てで来たんですか?」 「そうです(ホントは予約本を借りるために来た)」 「コロナで年末年始は本を読まれましたか」 「そうですね。5冊ぐらいは読んだかな」 「1日一冊の割合ですか?」 「そうですね(実際には年末年始8日間で8冊読んだ)」 「福袋を手に取ってどう思いましたか?」 「未だ中身わからないのですが‥‥。図書館の人は本のプロだと思っています。どんな本を選んでくれたのか、そのセンスを楽しみたいと思います」 私も長い間、ミニコミ紙でインタビューする側にいるので、記事にするために必要な言葉は知っている。「具体性とキーワード」だと思っている。ちょっとサービスしてしまったのかもしれない。けれども、テレビの場合にはそれに「見た目」がつく。目が泳いでグニュグニュ言う男の話は採用し難いとは思う。
2021年01月06日
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あけましておめでとうございます🌅 初日の出を撮り損ねたので、初日の入りをパチリ。 もはや、この歳になれば、なるようになると生きていくだけです。 お墓参りをして近所を散歩していたら、岡山にもこんなお地蔵さんがいました。他にも同様な群像お地蔵さん祠があったので、この地方の流行なのかもしれません。今日は、とりあえずここまで。
2021年01月01日
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「岡本唐貴の誕生100年記念」展 倉敷市立美術館 12月20日まで。 倉敷市連島町西ノ浦出身の岡本唐貴が、画家を志して神戸へ、更に東京に移り住んだ。それを記念して、初期から晩年までの貴重な絵を多数展示、同時に同時代の資料を展示している。 思ったよりも本格的なものでした。 プロレタリア画家唐貴の周辺も丁寧に展示していてとても貴重です。 唐貴が二き展に入賞した「神戸灘風景」を初めて観た。明るく存在感のある、地に足がついた、素朴な絵だった。 その後、まるでブルジョワ女の海遊びにみえる「海と女」(ポスター参照)等、急速にプロレタリア運動に入ってゆき、ナップ等のプロレタリア雑誌の表紙をかく。 その頃、多喜二と知遇を得て、後年多喜二の肖像、多喜二の母親の肖像画も描いていて優しい。唐貴の家族(妻、娘、息子2人)のスケッチもあり、学生帽をかぶっている、前を向いてきかん気の一重の少年は白土三平だろう。 戦後、プロレタリア運動を始め、共産党にも入党し、「獄中にて」、「法と対決する労働者」、「地区の政治集会」を描いているが、これらは初めて見た。のちに共産党とは分かれるが、本気で党活動をやっていたとわかる。多くが岡本登氏寄贈とある。学芸員の方に話を聞くと、前回の回顧展(平成13年)の後に岡本登(白土三平)と連絡ができるようになり寄贈された、と聞いた。だとすると、ものすごい貴重な回顧展であるが、全然注目されていないのは何故なのか?もったいない。しかも、図録さえ作っていない。もったいない! 図録で見るのとは全然違う。ホンモノだけが見せるプロレタリア画家の迫力をみんなにも観て欲しい。
2020年12月08日
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8月23日、岡山シティミュージアムにて「災害の記録」展があり、見てきた。お目当ては、漱石が被災した明治25年の水害で漱石の行跡が少しでも展示されていないか、確かめたかったのだが、それはなかった。 ただし、想像以上に豊富な資料があった。古文書が読めたら楽しいのだろうが、まぁ雰囲気だけでも楽しめた。 【全体の口上】 【安政の大地震】 【昭和21年南海トラフ地震の記録】 【水害の記録】 【明治25年の水害の記録】 【感染症の記録】
2020年08月25日
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この前、某労組室に用事で行ったら 桑の実を干していました。 ずっと 「食べれるんだろうなあ」 「どんな味がするんだろう」 と思っていたので、 つまんでもいいよ、と許しを貰って 一粒食べてみました。 酸っぱくもない。甘くもない。 一言で言って「味がない」 みずみずしい食感だけが残りました 「このままでは、味がぼんやりしているので 水分を飛ばしているんだ」 との説明でした。 あゝこんな味だったんだ! ドライフルーツにしたり、ジャムで煮込まないと美味しくないのかな 窓から見える1本の桑の木から採っただけで、 新聞二枚ぐらいに干せるほどに採れたらしい 昔はコレが貴重なオヤツだったんだろうか 気になって栄養素調べてみました (WEBより) 桑の実には、健康や美容にいい成分がたっぷり含まれているんです!生は日持ちがしないのですが、簡単に摂取できるドライフルーツやジュース、ジャムなどにたくさん加工され、アサイーなどと並んで人気があります。 栄養価と効能 みかんよりも多いビタミンCを含み、カリウム、ポリフェノール、ビタミンEも豊富!ビタミンCはコラーゲン生成、免疫力の強化、抗ストレスホルモンの分泌などの役割を果たし、カリウムは体内の塩分コントロールに有効とされる栄養素です。ポリフェノールやビタミンEには強い抗酸化作用があり、アンチエイジングに効果的♪また、糖値の上昇を抑制する「DNJ(デキオシノジリマイシン)」という物質を含んでいることが、最近の研究でもわかっています。 桑の実ってどんな色?どんな味? 白、ピンク、紫の桑の実の色 出典:Pixabay 桑の実のなり初めは白く、だんだん赤くなり、熟すと黒紫色に変化します。酸味とほのかな甘みがあり、良い香りです。たくさんの品種があるため、実のサイズや甘み・酸味のバランスはさまざまで、糖度は8~15度ほどですが、品種によっては25度を超えるものもあります。 そんなに糖度はなかったよ! 育った環境、品種によって違うのかもしれません。
2020年05月31日
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安倍首相のお話 「(黒川検事長の定年延長については)法務省、検察庁において人事について厳正なプロセスを経て整理がなされたが、最終的には内閣として決定するので、総理大臣として当然、責任がある。ご批判は真摯に受け止めたいと思っている」 その翻訳 「(黒川検事長の定年延長については)検察庁がやったことだし、内閣は了承しただけ。ボクには責任ないよ。文句いうのは、何処かの陰謀だな」 ちょっと川柳 「責任」も無数に言えば「無責任」
2020年05月23日
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新年 明けましておめでとうございます 近くの氏神さまにお参りに行ったときに、こんなものを見つけました。 いいことやっているな、 真似したいけど、勇気ないな。 でも、元旦に良いもの見ました。 これだけではアレなので、 今年の金メダルを願って サービスのシブコです。
2020年01月01日
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4月8日は、お釈迦様の誕生日。近所の宝島寺では、昔から「花まつり」をしている。植木市といくつかの出店と、宝島寺秘蔵の屏風絵を展示している。今回は久しぶりに見ることが出来た。近世の四大書僧とも言われる寂厳和尚の書を多く所蔵している。例えば、今回はこんな書が出ていた。達筆過ぎてさっぱりわからない。びっくりしたのは、入ってすぐの突き当たりにあの菅茶山の直筆屏風が置かれていたこと。加藤周一の『夕陽妄語』の書名のもとになった茶山の代表詩「黄葉夕陽村舎詩」の一部が書かれている屏風が展示されていた。菅茶山(1849-1911)。江戸時代後期の儒学者、漢詩人。備後福山の藩校で出講していた。ここの説明文によると、茶山は近くの江長三宅家と縁あり、徳寿院や谷汲寺に度々往来したらしい。この一帯は連島というが、もとは海の中の島だったので、陸地になって連なる島になったというのが、つい最近までの定説だった。ところが、実はここの地名は都羅というところであり、そこから都羅の島、都羅島(つらしま)になった、というのが定説になっている。江戸時代後期のこの時に、菅茶山はこの代表詩の中の1詩として「都羅」という詩を書いていた。びっくりである。江戸時代を代表する漢詩の中に連島を冠した詩がある!それを見ることができた。説明書も一緒に載せる。また、幕末児島郡郷内村の画家、古市金峨の屏風絵も置いていて、その説明に長じて岡本豊彦に師事したと書いていた。和尚に「この岡本は、この近所の岡本唐貴(白土三平の父、昭和を代表するプロレタリア画家)と関係あるのですか?」と聞いた。和尚のいうには、「西浦は文化人をたくさん輩出した。そうかもしれないが、よく知らない。何処かで繋がっているのはよくあることだ」ということだった。岡本唐貴引いては白土三平は、突然生まれた突然変異ではなかったのだ。それも大きな収穫だった。古市の絵を載せる。
2019年04月09日
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全く油断していたのですが、どうやら今日! 400万アクセスを突破したようです! ありがとうございます!!ブログを始めてあと二ヶ月でまるまる14年になります。最近自覚を強めたのですが、私は「軽い」アスペルガーのようです。特に「〆切恐怖症」というものがあり、〆切が迫ると何も手につけらけなくなります。【一週間前】よし、予定に組み込んだ。でもまだ余裕があるから、映画とか見ておこう。【三日前】いかん、この調子だとまた〆切が来て何も手につけられなくなるぞ。あらゆる予定はキャンセルして、とにかく机に座るようにしよう。【当日】なんでひとつも手に付けられないんだ。どうして、ついついネットサーフィンしてしまうんだ。どうして本を読みだすんだ。バカヤロー!でも徹夜は避けよう。【三日後】昨日晩は「完徹」してしまった。ともかく今回は、曲がりなりにも乗り切った。しばらくは体調崩すけど仕方ない。毎日普通通りにブログを読んでいる方は想像できないと思いますが、これはずっと前の私の姿ではなくて、今月6日から7日にかけて「完徹」してしまった私の記録です。〆切対象はブログ記事ではないんです。ブログは本当に何のストレスもなく「すらすら」と書けるし、たいていは数日のストックもあるので焦ることはないのです。でも、その横でこういうことが起きていたのですよ、みなさん。ホントにもうどうしようもない。て、そういう悩みを書きたかったわけではなくて、ブログの方は義務感とかないというのはあるのですが、もう全く休むことなく、落とすこともなく、ほぼ14年間週6日の割合で、ずっとUPできています。これはもう、せかすことなく、でも確実に(時々訪問含めて)全国の推定数百人の方の読者がいるという確信があるからにほかなりません。ホントにありがたい。ありがとうございます!!!今日は、(ホントは別にUPすべき記事もあったのですが)そのお礼だけ述べて、記事に代えさせてもらいます。
2019年03月09日
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旭川の水を引き込んで、岡山城のお堀になっている川の畔の町は出石町と言って、江戸時代は商人の町だった。其処彼処(そこかしこ)に昔の面影がある。例えば、この「商店」の玄関口の上にこのような漆喰飾りがある。何か謂れがありそうなのだが、わざとわからないままにしておきたい。大通りを挟んでその昔の街道の南隣には、このような大黒天さんもおられる。油をかけるのが功徳なんだそうだ。俗気の多い御尊顔ではある。その南隣には、楠木神社があるのだが、やはり謂れを調べることは止めておこう。さて、この街道の北の玄関口辺りに、アートスペース油亀という美術画廊がある。見た目は、完全に下級武士長屋である。しかし、奥は案外深く、昔に何かの商店だったのをそのまま利用しているのがわかる。ここで、様々な器展をしていて、毎年この時期には珈琲カップ展をしている。開催間近の日曜日ということもあるのか、私の想定以上の有名画廊なのか、若い女性でごった返していた。2千円台から5千円台の珈琲カップが所狭しと並んでいる。出張喫茶店も繁盛してる。ペタンと座ってお客さんが品定めしている。実は、ここ数年珈琲を1日4杯前後飲んでいる。健康のためというよりも、煙草を吸わない私の純粋な嗜好品として、もうこれにはお金をかけようと「決意」したからに他ならない。とはいっても、ワインでつくづく分かったのではあるが、私は生来鼻が悪くて、味や香りをきちんと味わうことが出来ない。だから、雰囲気だけを愉しむ嗜好品である。基本的に安い豆を買って、ドリップして飲んでいる。器を愉しむことはしていないのだが、ひとつぐらい買ってもいいか、と思ってやってきた。様々な器がある。ひときわ目をひいたのは、福岡市在住の作家らしいこの方の作品が、どこにでも目に止まるのである。自由自在の表現が楽しい。それで、1番安いタイプのこの青色が美しく、指に馴染む、この器を買った。気分が乗った時に使いたいと思う。
2019年02月15日
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地元(とは言っても氏神様ではないが)水島福田神社は、最近珍しくなった神主が常駐する神社である。そこで、小雨降る2月3日の節分の日に、節分まつり、すなわち獅子舞奉納と福まきをするというので、民俗行事取材(?)として行って来た。これでここの節分祭に参加するのは2回目なのだが、他の神社も獅子は登場するのだろうか?東塚の提灯の先導で、獅子が登場して来る。ところが、獅子だけではなく、天狗の面を被った「神様」も登場して、獅子と対決するのである。獅子とは「鬼」の位置づけだったけ。よく見ると、「退治」するのではなく、最後にはおとなしくさせて、何やら「説教」して終わりとさせていた。その言葉は完全に現代語であり、観客の笑いも誘発するものだった。途中、子供の頭をかじって、「福を授ける」という獅子舞本来の役割を果たしていた。備中神楽と獅子舞の「安易な合体」のような気もするが、子供連れを呼び寄せるための、こういう柔軟な対応こそが、民俗行事と言われればその通り。そのあとは、子供中心の豆まきならぬ福まきのあと、一般参賀の福まき(豆は一切入っていなくて、餅少しとお菓子のみ)を行う。今日は、弱雨模様ということもあり、200人弱、天気が良ければ、日曜日だからこの倍は来たかもしれない。そのためか、近年の棟上げでも滅多にない九品という大量ゲットだった。いや、これはあくまでも民俗行事取材の副産物です(^_^;)。恵方巻きを始めたというセブンイレブンに敬意を表して恵方巻きを買いに行ったら、既に売り切れていた。民俗行事取材の締めとして、そうは言っても民俗になるかわからないが、恵方お菓子として、こんなのも買って、東北東を向いて一息で食べさせてもらいました。
2019年02月03日
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今日は近所の子供会がとんど祭をやっていたので、家のお飾りをもって、焼かせてもらった。近所には30年ほど前に一山を潰して(幾つかの古墳を壊して)ニュータウンが完成し、古臭い田舎の村だったのだが、子供だけは多くいるという地域になった。よって、現代的な「伝統継承行事」がいくつか残ることになった。夏の明らかな虫送り行事「なんめえだあよ」や、秋の曳神輿を回す「千歳楽」とかはずっと前から続いていたが、この冬の「とんど焼」も10年ほど前から大々的にやるようになった。これは全国的にある正月の歳神様を送る行事なのではあるが、下の説明の「日付」にあるように、祝日の変更から、ここでは第二土曜日の午前中に行うのがここ数年の習わしである。このように、少しづづ変更を加えて、「ムラの民俗行事」が続いていくのが「正しい民俗」なのだと私は思う。ウィキペディアでは宮中の行事がさも「起源」であるかのように、説明しているが、私はそうではないと思う。もっと素朴に、「一年の始めを祝った正月」を「締めるために」この行事が行われたのだ。でないと、全国的に名前を変えて存在している理由が見つからない。わがムラでは、ビンゴゲームで参加者が盛り上がっていた。また傍ではずっと餅をついていて、おそらくゲームの後に「ふるまわれる」と思われる。ビンゴゲームは人集めのためだとは思うが、餅つきは大切な歳神様との「直会(なおらい)儀式」である。また、本来生計形態が各々違う住民たちの「結束の場」として、「伝統行事」の原則を果たしている。私の親の世代や私たちの世代が役員として頑張って作ってきた成果だと思うが、ご苦労様と言いたい。ウィキペディアでは左義長として説明されていた。以下に関連部分を載せる。内容1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。地方によって焼かれるものの違いがある。 だるまを焼くかどうか 1.縁起物を祭りで焼く事により、それを天にかえす2.目がつぶれるとされ、祭りでは一切焼かない3.だるまそのものが登場しない九州地方では鬼火焚き(おにびたき)、鬼火、おねび、ほっけんぎょう、ほうけんぎょう、ほんげんぎょうなどと呼ばれ、7日正月にあたる1月6日の夜または1月7日の朝に行う[1][2]。橙(みかん)は代々続くようにと子孫繁栄を願った物を、燃やし易くする為に踏み潰す事が縁起上良くないとされる。実施する地域の分布図や形態については、川崎市市民ミュージアムに展示がある。また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある(12月29日など)。近年では消防法やダイオキシン問題で取りやめているところもある。起源[編集]『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合うもの(「打毬」)があり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり[3]、その年の吉凶などを占ったとされる。すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。世界的には、中国で旧正月に次いで旧暦1月15日に祝う「元宵節」にも関係しているという人たちもいる。 [4] 元宵節は現在でも、夜に提灯や様々な灯を用いて盛んに祝われている。日付[編集]国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。
2019年01月12日
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この2週間ほど、夕食を電子手帳に記録することにした。この手帳では一覧で見れないのが難点で、とりあえず一週間分だけ内容紹介。目的は、短期記憶の思い出しを確認するということだ。テレビドラマ「大恋愛」を見て居て、テストを何気無く自分でもやってみると、初期アルツハイマーが疑われたからである。夕食を記録すると、ダイエットにもイイかも、と思ったが、今のところ悪くなりこそすれいいところはない。特徴は見てわかるように3点。(1)おかずを2日分作って使いまわししている。(2)おかずはだいたい3点は用意するようにしている。(3)ワインを一本4回に分けて(一回186mlぐらい)飲むようにしている。つまり、こういう仕方で健康には気をつけているのである。オリジナルレシピは、「豆腐コロッケ和え」だ。3個95円の木綿豆腐をキッチンペーパーで水気をとって豆腐1個と惣菜コロッケ一個をぐちゃぐちゃにしてマヨネーズで和える。豆腐の水気をコロッケが吸ってくれてちょうど良くなるのだ。他にもう一品のおかずや辛めの調味料その他(例えば韓国海苔)を入れる。簡単、速い、安い、ヘルシー、バリエーションがある、そして美味しい。ワインに合う。いいこと尽くしである。12日(月)豆腐コロッケ和え小松菜炒めチーズ海苔巻きワイン13日(火)キノコ厚揚げ炒め卵とじ野菜天ぷらキムチ添え冷奴ワイン菓子14日(水)冷奴春菊のサラダ小松菜炒めコロッケのせ豆腐コロッケ和えのチーズのせ春菊の茎炒めワイン15日(木)冷奴春菊の茎炒めニラ卵とじお菓子ワイン16日(金)ニラ卵とじヒジキ煮冷奴お稲荷3個17日(土)おでんカミナリこんにゃくオニギリ18日(日)冷奴おでんおからベースの天ぷら惣菜ワイン
2018年11月19日
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「『この世界の片隅に』こうの史代原画展」(岡山天満屋〜15日)に行ってきました。呉美術館所蔵の原画の巡回展のようです。アニメの原画は一切ありません。『この世界の片隅に』は、思い入れも思い出もある作品なので、とりあえず観ました。高倉健展のような大々的なものではなく、ホントに原画と作画関連資料が少しあるものなので、思い入れのない人にはあまり勧めません。びっくりしたことを羅列的に書きます。・原画はこんなに小さかったのか、と思った。ほとんど週刊誌の大きさ。あの緻密な画を本当に丁寧に描いている。何処までアシスタントが入っているのだろうか。後で説明することを勘案するとあまり入っていないように思える。・幾つかの連載時の表紙は、単行本に入っていないので、初めて見るものが幾つかあった。また、忘れていただけと思うが、アニメには無い描きこみもたくさんあった(反対にアニメには原作には無い場面も多くある)。・入口に巡回展用に史代さんが書いた手書きの挨拶文があり、「今思い出しても逃げ出したくなるくらい」とある。そうか、そんなに、やはり苦しんだのか。でもそのあとの言葉「ただずっと遠くに暮らす友達からの手紙のように読んで貰えたらいいな、と思いながら描いていました」は素敵です。・1番びっくりしたのは、すず右手を失くした以降、背景は左手で描いたどのこと。道理で線が歪んでいる。しかし、そうとは思えないほど上手い。しかも、最終ページの方は、まるで効き手で描いているが如く違和感が無い。このことからもアシスタントはほとんど使っていないと思える。・鉛筆で描いたり、羽ペンで描いたり、そしてリンさんとの別れの場面では、リンさんから貰った口紅で描いたの如く実際に原画は紅い口紅で描かれていた。これは、単行本で読んでいた時は一切知らなかったことである。・取材ノートが展示されている。一筆で描いたとは思えない、ものすごく上手い絵。・図録はこういう原画展にしては比較的安かった(1200円)が、ページ数も、内容もとても貧弱。お勧めではない。・改めて漫画の方はアニメには無い様々な画の実験が施されている。すずではないけど、こうの史代さんはホントに絵が好きなんだと思う。
2018年10月12日
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人はどのように「老成」してゆくのか。そのひとつのモデルタイプなのではないか?「うらをめくるとおもしろいことがあるよ!」某有名ファーストフード店で、このような表示を見たときに、どのように感じて、どのように行動するか?幾つかのパターンがあると思う。(1)文字を覚えたての子供のように、ドキドキしながら裏をめくる人。(2)常に好奇心旺盛なので、青年や大人になっても無条件に裏をめくる人。(3)好奇心に駆られて過去裏をめくったが、失望して、反感のために、めくりたいけど、めくるのを一生懸命我慢している人。(4)好奇心に駆られて過去裏をめくったけど、1度見たらもう「こんなもんだな」と見切ってしまって、確認するまでもないと思い込んでしまっている人。(5)一目見ただけで「子供だましだな」と思い、1度もめくったことがない人。(6)全ての事に無関心で、こんな表示があること自体知らなかった人。貴方はどれでしょうか?私は今日(3)から(4)に移っていたことを発見しました。私は自分のことを「とっても好奇心旺盛な人物である」と分析しています。でも、それはもしかしたら、「人よりもほんのホンの少し好奇心が強い人物」なだけなのかもしれない。私は歳なりに充分「老成」しているかもしれない。もちろん、悪いかどうかはわからない。ただ、若くはない、瞬発力はない、ということを改めて自分に突きつけられた気がしたのである。
2018年05月15日
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ずいぶん前の番組ですが、やっと録画で見たので。NHK朝イチ イッセー尾形インタビュー(11.8)(ホントには現代人を演じたいのに、漱石の一人芝居で明治から演じたのは)現代人というのは、どうしても僕に迫ってこない。典型的なのは、スマホに目を落としているから、直感的な、目の窓が見えないんですね。(そういう姿は)パロディにはなるかもしれないけれど、なんかつまんない。もっと本質的な肯定的なものを掴みたいですね。それは「生きる力」「生きている力」です。(明治時代の人たちには)欲望を隠していない。そういうものにもう一度出会いたい。舞台人として、演じることのできる「現代人」とは、どんなものなのか?私もわからない。イッセー尾形を改めて見直している。1番最初に彼に気がついたのは「トニー滝谷」の主演だった。村上春樹原作、市川準監督のそれは、しかしサッパリわからなくて、世間の評価が高いのが理解できなかった。次に見たのは、外国監督がつくったとしても、初めて敗戦前後の昭和天皇を描いて主演を勤めた「太陽」である。ただ淡々と演じたその姿、勇気に感動した。そういうわけで、イッセー尾形とは、シリアス俳優だとばかり思っていた。トラさんシリーズの柴又の警官をずっと演っていたなんて、この文書を書くためにフィルムグラフィティーを調べるまで気がついていなかった。イッセー尾形をジャンルに分けるとしたら、喜劇役者らしい。朝イチでは、様々なドラマの映像と共に、自ら主演・プロデュースしている一人芝居の映像も流していた。漱石の「坑夫」「草枕」「行人」などを一人芝居で演じているのだが、爆笑を誘っているのである。その題材だけでも、かなり理論派の喜劇役者だと推察できる。実際、今年の前半の力作「沈黙」における長崎奉行の姿は、飄々とした佇まいとは180度違う知的な内面を見せて、我々を圧倒した。笑いを演じるとは、現実を充分咀嚼した上で、相対化し、本質をえぐり、すかし、そして面白みを見せなくてはならない。かなり知的な行為なのだと思う。彼の演じる「本質的で肯定的な人間の姿」を見てみたい。いまは、土曜日夕方NHK「アシガール」における、戦国時代の爺の喜劇的な役がお気に入り。あと数回、愉しみにしている。
2017年11月21日
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映画の上映時間に遅れた。 この日は岡山市街に出向いて、1日に2本の映画を見ようと決めていた。久しぶりの1日完全フリーの平日の休日、5日タイムリミットの2本の締め切りが守れたならば、この日をその「ご褒美の日」にすると決めていた。見事、今回は守れた!私は綿密に計画を練った。 平日の朝1番の映画上映時間に遅れることは今迄もあった。一回や二回ならばまだしも、おそらく3回はやったと思う。同じ轍は踏むまい。上映開始は、9時50分か10時。駐車場を見つけて、歩いて行くには、少なくとも9時30分に岡山市内に着かなくてはいけない。この日は8時過ぎに野暮用を済ませて行くので、それを10分と見ると、8時に出れば、いくら渋滞にかかっても大丈夫だろう。そのためには何時もよりは30分は早く起きなければならない。 当日は目が冴えて5時に起きた。二度寝して目が覚めたのが7時過ぎ。でも、8時に出たならば30分間が空いて、喫茶店に行かなくては、とふと思ってしまった。それでつい他の用事をやっていると、いつの間にか8時30分に迫っていた。大丈夫、今迄朝ならば1時間で着いた覚えがある。 ところが、ノロノロ運転時に上映開始を調べると、二つの作品が50分、10時開始と思っていたのが、40分、50分開始だった。大丈夫、5分くらいは遅れても、10分あれば走って間に合う。ところが、私の渋滞予測は完全に当てが外れた。きっちり一時間半かかったのである。もう逆立ちしても間に合わない。 私の「締め切りに間に合わない」クセは、こういう場合にも発揮するのが、このように書いてみてよくわかる。 (1)過去の経験を元に予測するが、上手くいった方を優先させて、結果予測が甘くなる。 (2)途中で雲行きが怪しくなると、次々と楽な方向に軌道修正する。 (3)始める時に限って、次々と用事を思いつく。 因みに、駐車場は全て満杯だったので、時間通りいっても多分無理だったと思う。因みに、急遽予定を変えて、車で郊外の東宝シネマズに「トリガール」を見にいったが、着いた時に無料ポイントが溜まっているカードが紛失しているのに気がついた。通常料金で、映画を観る気はしなかったので、今、この反省記をスタバで書いている。 因みに、午後の予定の映画「幼な子われらに生まれ」はしっかり見ました。モントリオール映画祭受賞も納得の力作でした。
2017年09月08日
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〆切地獄が終わった。 終わってみれば、まるまる二週間何も手がつかなかった。14日間、約70時間以上、無為に過ごした。多くの用事は縮小され、又は取り止めになり、仕事や約束事だけはなんとかこなしたものの、一切運動をしなかったので体力は落ち、昼夜逆転の生活をしたので、体調を崩して、今なんとか回復しつつある。 その間、実質約束の原稿書きに費やした時間は、おそらく10数時間だろう。 他は何をしていたか、といえば、溜まっていた録画を観た。Yahooのニュースをかつてないほど、毎回チェックした。欅坂46について異様に詳しくなった。(このことについて書き始めると、一つの記事になるので又次回)初期には映画を二本観た。「楽しそうじゃない?」などとは言う勿れ。生活を破綻させてまで、私はそんなことはしたくない。 原因は、はっきりしている。二ヶ月前から、実質は四ヶ月前から、三ヶ月に一回だった映画サークル会報が、二ヶ月に一回となり、そして遂に毎月になったのだ。先月はなんとか乗り切ったが、今回はダメだった。 ホントに順調にやれば5時間ぐらいで済むものなのだ。それが60時間、机から離れて悶々とした時間を含めれば、13日間かかったことになる。ダメだ。なんとかしなくてはならない。展望は未だ無い。二週間以内にまた、あの地獄がやってくる。 以下は、〆切をともかくも終わらせた「ご褒美」に、イタリア料理のコースを食べに行った。やわらかいフィレ肉である。ワインはカベルネソーヴィニヨン。美味しかった。そうだ、今度〆切を守って脱稿したら、盛りを過ぎてすぐに入れるかもしれない美味しいうな重を食べに行こう。そうだ、そうしよう!
2017年08月11日
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いよいよ、ダメになりました。以前「乄切本」について書いた時に「私は連載を二本抱えていて、たいていは締め切りを守れないでいる」と書いた。井上ひさしは、締切守れないものには、第三段階がある。と書いていた。(1)締切が間近なのに、まだ大丈夫とたかをくくる段階。(2)他のことに夢中になる段階。(3)「私はだめな人間だ」「殺してくれ」と叫ぶ段階。井上ひさしは、それでも缶詰めになると症状は治ると書いていたが、素人もの書きの私に缶詰めは来るはずがなく、今までは、ブログ書きや、ネットサーフィンや、少なくななったが映画鑑賞などが(2)にあたっていたが、すでに締切は4日を過ぎ、しかも一日後には次の締切が来るに及んで、(3)のむ非常事態に移った。もはや、ブログ書きに逃避行している場合ではない。すでに自主缶詰は10日ぐらいに及び、50時間ほどは机を前に無為に過ごしているが、もはやブログ書きに逃避行している場合ではない。しばらくブログをお休みします。すみません。、
2017年08月04日
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一ヶ月以上(6月3日)前に録画していた「ブラタモリ 倉敷編」を一昨日やっと観た。倉敷市民の多くが、思っていた「倉敷の地名由来は、蔵がたくさんあるから」というのは、冒頭で否定される。実は、「倉敷地」という「中世、荘園から年貢などを本所・領家に輸送する際、中継地として一時保管した場所の名前」の意味から来ていたのである。 予想通り、倉敷が天領として栄えたところから、大原美術館ができるところまで説明していた。天領(幕府直轄地)なので、武士は少ない。よって、商人の力を借りる必要があったので、新田開発など、いろんな面で倉敷では産業が発達して、それが明治に引き継がれたのである。本当は、どうして岡山にこれだけの遠浅の海が広がっていて、なおかつそれを利用してこんなにも広大な新田開発ができたのか、タモリ得意の地理の知識からもっと解明して欲しかったのだけど、ロケ地的に無理だったのかもしれません。その他、めったに見ない倉敷の古地図が豊富に紹介されて、しかも現代の地図と照合されるなどわかりやすくなっていて、これだけでも「保存モノ」だった。 お題は「なぜ美しい町並みが倉敷に?」というもので、これも変な誤解を与えず、キチンと答えていた。都市伝説として、リットン調査団が大原美術館を評価したから、空襲にあわなかったというのがある。しかし、これは都市伝説である。私は1度図書館のレファレンス記録を読んだことがあり、リットン調査団はここを訪れていないし、そもそもそんな人たちの一言で戦いの戦略目標が変更になるはずない(赤井克己「またまたおかやま雑学ノート5」 )。また、倉敷は当然空襲目標としてリストに挙げられていたのである(日笠俊男「空襲の史科学」 )。空襲にあわなかったのは、たまたま、ということであっさり終わらしていた。何故美しい街並みが倉敷に残ったのか?基本は「残った」のではなく「残した」ということを、説明していた。大原聡一郎が30年代につくった大原美術館別館の壁を城壁のように作っていたこと。倉敷を大原城下町のように思っていたことの是非は別として、あの高度成長期にこの町並みを守ろうという明確な意思で倉敷を見ていたこと。個人の力で、でき得ることをしていた。流石、大原社会問題研究所を打ち立てた大原孫三郎の直系だと思いました。その他、初めて知ったことも多く、有意義だった。
2017年07月29日
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猛暑の中、今月も「戦争法廃止、共謀罪反対、安倍政権を許さない」を掲げる市民集会が、倉敷駅前でありました。44人が集結して、集会とパレードをして来ました。 倉敷9条の会の方は「たいへん嬉しいことがあった。核兵器禁止条約の成立。しかし、これに安倍政権は不参加。安倍政権は核兵器を認める立場に立っている。非核三原則を踏みにじる立場は許すことが出来ない。みなさんの力を合わせれば、三割を切った内閣支持率、安倍政権を倒せれる所まで来ている。頑張りましょう!」と訴えました。 2015年の戦争法反対集会より、月一回、52回を数える倉敷駅前の集会です。
2017年07月15日
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遅くなったが、今年のAKB総選挙について、コメントしておこうと思う。 結果は以下の通りで、指原莉乃の堂々の三連覇で終わった。かつては、「AKBは私が守る」と言ったまゆゆが卒業を発表した。「推し」ではないので深刻には考えないけど、卒業してAKBから離れて彼女に未来があるようには思えない。AKB劇場プロデューサーとしてAKBに戻るのならば、未来はある。その他、いろいろ思った所を述べる。 1位 246,376票 指原莉乃(HKT48 Team H)予想 渡辺麻友 2位 149,132票 渡辺麻友(AKB48 Team B)予想 指原莉乃 3位 113,615票 松井珠理奈(SKE48 Team S) 予想松井珠理奈 4位 82,803票 宮脇咲良(HKT48 Team KIV) 予想 宮脇咲良 5位 73,368票 荻野由佳(NGT48 Team NIII)予想 岡田奈々 6位 63,124票 須田亜香里(SKE48 Team E)予想 横山由依 7位 58,314票 横山由依(AKB48 Team A)予想 高橋朱里 8位 52,475票 惣田紗莉渚(SKE48 Team KII)予想 北原里英 9位 48,143票 岡田奈々(AKB48 Team 4)予想 加藤夕夏 10位 45,684票 北原里英(NGT48 Team NIII)予想 荻野由佳 11位 42,663票 高橋朱里(AKB48 Team 4)予想 須田亜香里 12位 41,491票 白間美瑠(NMB48 Team M)予想 倉野尾成美 13位 41,230票 本間日陽(NGT48 Team NIII)予想 小栗有以 14位 40,202票 古畑奈和(SKE48 Team KII)予想 向井地美音 15位 38,576票 高柳明音(SKE48 Team KII) 予想 高倉萌香 16位 35,540票 吉田朱里(NMB48 Team M) 予想 須藤凛々花 今回はあまり当たらなかった。ピッタリは、三位珠理奈と四位咲良のみ。 選抜も、10人しか当たらず、6人は外した。11位以下は、まるきり外した。私だけではない。事前予想をピッタリ当てた人なんていなかったのではないか?とも思う。これはつまり今回の選挙が如何に波乱に満ちたものであったかを物語るだろう。 私はかつて、AKB総選挙は国政選挙結果とリンクしている、と言ったことがある。今日は都議選結果がわかる日だが、そのことにへも影響するかもしれない。 確かに、指原莉乃の3連覇は波乱ではない。波乱の要因は出場辞退が招いたことかもしれない。 しかし、今回の3連覇でわかったのは、1部の金持ちの組織票だけでは、荻野の五位(7万)が精々ということであり、前回と並んで24万票を取るのは、もはや組織票を超えた一定の「指原を支持しなければならないファンの意識」が存在していることを認めざるを得ない。 バラエティ番組で生き残る道か、 次々と生まれるアイドルグループを管理する道か、 その二つを体現しているのが指原莉乃であり、 個人の力が引っ張る「歌と踊りと演技力」という「芸能のプロ」をAKBに求めているわけではない、ことを示していることに同意せざるを得ない。(その対局に、今や松井珠理奈がいる) 来年は一位二位の約40万票が宙に浮く。来年こそは大波乱になる。それは即ち、若者の意識動向として、国政選挙を占う意味でも重要な選挙になりそうだ。 さて、長くなるが申し訳ない、私が二ヶ月前に「推しメン宣言」をした、須藤凛々花について、述べざるを得ない。結論から言えば、私はあの「結婚宣言」を支持します! 先ずは、彼女の(本当は徳光さんに促されるまでは言うか迷っていた)スピーチを聞いて貰おう。 ■総選挙スピーチ全文 たくさんいっぱい応援してくださって、ありがとうございました。20位一番うれしいです! 私は人として足りない部分がたくさんあって、そんな中このグループに出会って、皆さんの愛をくれて、一緒に青春してくれたNMB48メンバーも本当に優しくて、そんな大好きな大好きな皆さんに囲まれて、私は人の愛を知って、初めて人を好きになりました。 えっと…私、NMB48須藤凜々花は結婚します!! えっと(ざわつきに)あの…すごくふざけているつもりに思われるかもしれませんが、私はいつも本気です。そんな中で、私は本当に初めてこんなに好きになれる人に出会いました。私はこれまでのアイドル人生に一点の曇りもなく、須藤凜々花として皆さんのことが本当に大好きでした。私が結婚するという気持ちは本気です(ざわつく会場)皆さん本当にありがとうございます。私はいたって本気です。 (司会の徳光和夫から「真剣なんだよな?」)はい、すごく迷惑をかけることもわかっているんですけど、自分にも皆さんにもウソをつきたくないと思って…。(おめでとうって言っていい?)ありがとうございます。 本当に本当に私は自分のことをアイドルと思ったことはなくて、ひとりの人間として皆さんのことが大好きで、皆さんのおかげで人への愛を知ることができました。真剣に生きていきたいと思います(計画?)それは折り入って、NMB48の大人たちと…。相手はいます(キャーという歓声とざわつきが止まらず)こんなに応援してくださる皆さんに、私の口から説明したいと思いました。改めて、結婚します(メンバーから「おめでとう!」) これは、彼女の哲学宣言でもあった。もう可哀想なくらい、自らの哲学的信念に沿った言葉だったと思う。彼女の哲学的信念の詳しくは、彼女の主著「人生を危険にさらせ」に対する私の書評を読んでもらいたいのであるが、「存在そのものを愛されたい」「愛したい」となれば、その対象が生まれた時には(初恋らしい)、突っ走るのは当然だし、大人の哲学ではなく、青年の哲学を選ぶ彼女には、自律的にAKBよりも結婚を選ぶのも、当然であった。 ファンを裏切ったと、(本当のファンが言うのはいいとしても)ファンでなかった者が言うのは、良くないと私は思う。AKBに迷惑をかけているのは、その通りだと思うので、卒業するのは一つの選択肢として仕方ない。しかし、秋元康も慰留したそうだし、本当の意味でAKBに迷惑をかけたとは、私は思っていない。私は彼女の哲学者宣言に共感してファンになったのであるから、私が彼女の哲学的行動を貫いたことを応援しこそすれ、非難するはずがない。 残念なのは、卒業することだ。結果、自分を発信するツールがあまりなくなるだろう。それをどう克服するのか、これからも見守っていきたい。
2017年07月02日
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毎日が最低賃金生活の私には、今年も「臨時福祉給付金(市民税無課税の市民に送られているらしい)」の申請書が4月に来ていたが、先週、やっと役所で手続きした。郵送でも手続きできるけど、免許証のコピーが面倒なので、いつも役所でやる。 いつも思うのだが、役所(支所)では、この手続きのためだけに毎日2人も役所に詰めている。おそらく四ヶ月。お知らせの封書代金、更に2ヶ月後には支給決定のお知らせも来るらしい。これの手間代金(人件費含む)は、全国でいったいどれくらいかかっているのか?是非とも、議員の方か、ジャーナリストのかた、調べて貰えないだろうか? これで貰えるのは、たった1万5千円である。月ごとに貰えるのならばいい。一年でこれだけ貰えて、どうして消費税増税の歪を解消できるのか、私には理解出来ない。 私の場合は、貯金を「計画的に」取り崩しているので、1.5万円で「命を食い止める」かどうかは判断できないが、仮に月9万円の収入だとして、それに月1200円ほど増えたからと言って、「自民党公明党ありがたや、ありがたや」となるだろうか? 万が一、そのために経費が月に1000円近くかかっているとわかったならば(300円でもいい)、普通の貧乏人は「あの役所のおねーちゃんの給料を払うために、わてらは苦しんでんじゃない!」と怒るに違いない。
2017年06月21日
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前回、「お金はいらない」と言いながらマンガのプロットを公開した。しかし、あまりにも短いので「これはお金以前の問題だな」と後で思った。それでもう少し詳しく書いてみた。これぐらいになると、「原案」とまでは言えなくても、「プロット」ぐらいは言えるのかな。ただ、共謀罪が成立したら、これさえも先ずは捜査の対象になるような気がする(^^;)。マンガのプロット。テーマは「能力とは何か」(改訂版)下線部分が新たに書いたところです。 20XX年、教育基本法が改正されて、国民の青少年は国民ナンバーによって管理され、学年ごとに通しで成績が打ち出されいた。その20年年後、今度は国民全体を「評価」して、適性場所に勤めさせる法律ができる。 「遂にNR法が通ったな。今度の適性発表が愉しみだよ」 「僕は憂鬱でならんよ」 「そうだな、お前はいつも学年7Rだったからな」 「加地くんはいいよ、いつも1Rなんだから」 「そんなことはない。今度は別に共通試験をすることはなかったし、第一国民18歳以上の8000万人が対象だ。そのうち100万人しか枠がないGJに入れるかどうかは、実はドキドキなんだ」 「加地くんは大丈夫だよ」 「そうだよな。俺の上司を見てきて、確信している。あいつらは20年先に就職しているだけで、管理職になった。あいつの給料が、俺たちの汗水たらした努力を掠め取ったものだと思うと腹が立つ。今回は、やっとそれが是正されたんだ。キシ首相は、首相任期を10年延長したりして、軍事産業に舵を切って、一部批判している人がいるけど、それは出来ない奴らの僻みであって、正当な実力に正当な褒賞を与えるのは、至極真っ当なことだし、歴代首相の中でも最も革新的な首相だと思う」 処が、加地は平均よりも下のPTに入り、学年7Rだった山下がGJに入った。加地は卑屈になる。山下は、「評価」の仕組みに疑問を覚える。そして、GJトップの高本から、そのとんでもない「秘密」を知らされるのである。山下は地下組織と連絡をつけ、加地と連絡を取りながら、政府の野望を覆す。 主な登場人物 山下 ずっと学校の成績が中の下で、一度だけ加地と共に出場したロボコンで、画期的な作戦を思いついて優勝した。そのメンバーだったコネで加地と同じロボット生産会社に入社。営業担当。 加地 学校の成績は常にTOP。ロボコン選手権で、ロボット制作の中枢を担う。山下の会社で制作部課長に歴代最年少で昇進。 キシ首相 アメリカの有名IT産業CEOの孫ではあるが、なぜか日本の元首相のミドルネームも持ち、20歳代で日本に帰化。27歳で初入閣。30歳で官房長官。35歳で首相に。以後、日本をアメリカに次ぐ軍産国家に作り変え、貧富の差も激しくなったが、世界二位(一位とは国民当たりで追い抜く)の富裕国になって、圧倒的支持を得て首相二期目にして更に10年延期法を通し、国民総活躍法(NR法)を通す。 坂本参与 キシ首相の懐刀。経歴不明。 高本 NR法で暫定一位を取った。知識並びに直感力並びに豊かな感覚と人望を持っているが、好奇心から秘密保護法で隠されていたNR法の真の目的を知る。「それも面白いかな」と思っている。 岡田 抵抗地下組織の東京支部リーダー。相次ぐデモ、宣伝、選挙の失敗から、キシ首相暗殺並びにテロによるNR法暴露、全国呼応による臨時政府成立にしか、道はないと思い出した。 京子 岡田の姪。両親を共謀罪違反で、長期拘留、獄死させられた恨みで、岡田の片腕になろうと決意している。 村上 東京支部の副リーダー。テロによる抵抗に未来はないと信じている。最終的に選挙による民主政府を作るのは、岡田と同じ考えだが、その過程は、あくまでも「非暴力主義」を貫くべきだと思っている。しかし、その具体的な戦術も行動力もない。 高本が盗んだその秘密とは、全国民の40年間のWeb閲覧履歴、健康保険証利用履歴、住所、遺伝子情報などから、すべての国民の適性と将来とも予測して、限られた1万人の「選民」とこれを進めた10万人の「良民」だけが、これらを管理運営する権利と権力を持つ究極の管理運営国家の創設である。(いわばアニメ「サイコパス」の前史であるが、反対運動によりこれを粉砕する未来を描くのが目的。そういう意味では、私の目指す未来はニヒリズムではない) その過程で、山下の潜在能力(直感力のハイパー級、並びに健康遺伝子の証明)も引き出されるが、加地の個性的な能力(情報整理能力ハイパー級並びに集中力)も明らかになる。 加地は、初めて自然と接して、自分が如何に狭い世界の情報のみを整理していたかに気がつくのだった。 最後、山下は加地と対等宣言をする。
2017年06月07日
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漫画のプロット。テーマは「能力とは何か」誰か、これを基にして漫画に描いてくれないかな。お金よこせとかせこいことは言わないから、掲載する前にちゃんと事前に連絡してくれて内容を見せてくれるだけでいいからさ。20XX年、教育基本法が改正されて、国民の青少年は国民ナンバーによって管理され、学年ごとに通しで成績が打ち出されいた。その20年年後、今度は国民全体を「評価」して、適性場所に勤めさせる法律ができる。「遂にNR法が通ったな。今度の適性発表が愉しみだよ」「僕は憂鬱でならんよ」「そうだな、お前はいつも学年7Rだったからな」「加地くんはいいよ、いつも1Rなんだから」「そんなことはない。今度は別に共通試験をすることはなかったし、第一国民18歳以上の8000万人が対象だ。そのうち100万人しか枠がないGJに入れるかどうかは、実はドキドキなんだ」「加地くんは大丈夫だよ」「そうだよな。俺の上司を見てきて、確信している。あいつらは20年先に就職しているだけで、管理職になった。あいつの給料が、俺たちの汗水たらした努力を掠め取ったものだと思うと腹が立つ。今回は、やっとそれが是正されたんだ。キシ首相は、首相任期を10年延長したりして、軍事産業に舵を切って、一部批判している人がいるけど、それは出来ない奴らの僻みであって、正当な実力に正当な褒賞を与えるのは、至極真っ当なことだし、歴代首相の中でも最も革新的な首相だと思う」処が、加地は平均よりも下のPTに入り、学年7Rだった山下がGJに入った。加地は卑屈になる。山下は、「評価」の仕組みに疑問を覚える。そして、GJトップの高本から、そのとんでもない「秘密」を知らされるのである。山下は地下組織と連絡をつけ、加地と連絡を取りながら、政府の野望を覆す。その過程で、山下の潜在能力も引き出されるが、加地の個性的な能力も明らかになる。最後、山下は加地と対等宣言をする。
2017年05月26日
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「孤独のグルメ」第四話 三軒茶屋すずらん通り「すし台所家」 今週(金曜日深夜)はなんと回転寿司だった。食べ方が参考になったので、感想を書く。 私は最初に卵で始めることが多い。しかし、彼は赤マグロ(120円)で始めた。これで店の実力を試そうというのだ。合格だったらしい。 次は柔らかさとプリプリを試すイカ(120円)。その次は変わり種、光もの三種(アジ、サバ、イワシ)。その次は汁物、真鯛の潮汁。「沁みる。胃が癒される」唐辛子入れてグイと旨くなるらしい。 炙り穴子を頼む。 大赤海老(300円)。甘い海老を贅沢に食べる。 マグロ三種(中トロ、赤身、大トロ580円)。このチョイスは、やはり関東人。 カニサラダ「この辺で脇道にそれて見る。脇道に宝あり」その後茶碗蒸し。「茶碗蒸しは何時だって優しい」 「俺も本気出す」その後、特上ウニ。「醤油マジック、特上が極上に」ウニって、醤油につける美味しくるの? トロハマチ二枚。普通にないものがあるのがこの店らしい。トロは相当美味しかったらしい。これで締め。 お勘定の時で「釣りバカ日誌」の濱田岳が出てきた。番組通しのコラボだったらしい。 私は何時もこの人のように孤独のグルメである。この人は何時もあまり値段は気にしない。今回もよくわからなかったけど、3000円近く払っているのではないか。私は回転寿司に1000円以上は使わない。しかしそれでは楽しくないのではないかと思った次第です。
2017年05月06日
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今日は(去年もやったけど)岡山城となりの後楽園内にある廉池軒(れんちけん)で、恒例の映画サークル兼その仲間たち主催の花見会です。一年前から場所を予約しているので、なかなか満開の日には当たらないのですが、今年は見事にちょうど満開に当たりました。しかも、昨日も雨、明日も雨、今日も長期予報は雨だったのに、なぜか今日だけは雨がよけてくれたという絶好の花見日和。私じゃないけど、どなたか、強力な晴れ男がいたのに違いない。そういうわけで、日本三大庭園の一つ岡山後楽園にやってきました。プロの庭師が日々手入れしているだけあって、小川を流れる花びらさえも美しい。この一角が桜の咲いている場所。たくさんの花嫁御寮が撮影に来ていました。花花花。場所取りなのか、一人来ているのか。物思いにふけるおじさん。この木が岡山気象台の「ソメイヨシノ植物季節観測用標本木」らしい。こんなに若い頼りない木とは知らなんだ。聞くと、ほかの木よりも1~2日咲くのが遅れるらしい。道理で今年の開花は4月1日で遅いと思った。最近代変わりしたらしいが、暫くは開花日が遅れそうだ。千入(ちしお)の森。秋には紅葉が美しい。その隣に弁財天がある。見事な相似形。さて、今日の花見の宿の廉池軒(れんちけん)に入る。11時過ぎから、花見弁当も届いて乾杯。会費3000円のほかに、みんな強制ではないけど、必ず思い思いにお酒やつまみを持ってきてくれてとても豪勢な花見になる。この日だけは思いっきり珍しくおいしい酒を飲む。今日は主催者が趣向を凝らして、岡山大学落語研究会からゲストを読んでくれた。飲んで食わして噺を二席聴こうという段取り。二人の写真も撮ったけど、差しさわりがあるかもしれないので、高座の後ろの景色だけ載せます。一人は風流亭コタツさん。「タケノコ」。という超短い噺。もうひとりは風流亭ダニエルさん。「八五郎坊主」を演った。もちろん名人の松鶴ほどではないけど、さすがトリをとるだけあって、堂々としたものだった。目の前で久しぶりに生の落語を見ることができて、なんかものすごくうれしくなった。電車やバスを乗り継いで帰るとよるになった。近所の小径にも桜が満開だ。夜灯をつけている。日本の春である。
2017年04月09日
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5月7日まで岡山県立美術館で開かれている「THE 世界名作劇場展」を観た。絶対観たいとは思わなかったのだが、過去「ハイジ」に救われた経験もあり(行って気がついたが、ハイジは名作劇場の作品ではなかった)、その流れで「赤毛のアン」は好きだったこともあって、前売り券を買った(900円)。 岡山会場限定ラスカル缶バッジ(1000枚限定)がついているのに惹かれたということもある。(←こういうのに弱いんです) 「フランダースの犬」や「あらいぐまラスカル」など、1975年に始まり、40年間の仕事を公開。その間に作られたシリーズは26作。 背景美術がすごいのは知っていたが、それ以上に驚いたのは、キャラデザインや設定の細かさ。 アニメは、マンガとはまた違った文法で作られている。マンガのように数人の職人たちが一回だけの絵を描くのではなく、何十人もの職人たちが、何千枚ものセル画を描くために、そのための技術が、今は世界では少なくなった手描きアニメの技術が、極限まで洗練されて残っている。実物を観るとよくわかる。むしろこれは、浮世絵から続く、日本の職人たちの専売特許かもしれない。 というようなことを思ったのであるが、しかし、普通つい買ってしまう図録にも食指が伸びなかった。いま全国を回っている途中だそうだが、アニメ作家希望者以外では、キャピキャピのファン以外は得る処はないかもしれない。しかし観客は多かった。かつてなく多かった。 元ジブリなのだから当然かもしれないが、「この世界の片隅に」の片渕須直監督や「耳をすませば」の近藤喜文監督が数作監督していたのは知らなかった。関修一という人の設定画が多かった。 ホームページより 1975年に創立された制作スタジオ・日本アニメーションは、「フランダースの犬」や「あらいぐまラスカル」などで知られる『世界名作劇場』シリーズ(全26作品)のほか、数々の人気作品を世に生み出しています。 遠藤政治 「あらいぐまラスカル」 設定画(部分) 魅力的なキャラクターと心温まるストーリー、綿密な世界観で作り上げられた『世界名作劇場展』シリーズは、今もなお名作アニメとして人々に親しまれていますが、その制作の背景には豊かな表現力と確かな完成度で高い評価を得た「職人」たちの存在がありました。 本展では『世界名作劇場』シリーズを中心に、貴重な設定資料や原画のほか、映像や立体物など約300点を一堂に展示します。アニメーションの礎を築いた「職人」たちによる制作過程にスポットをあて、日本アニメーション40年の軌跡とともにご紹介します。
2017年04月02日
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23日に「夢のある」ニュースが飛び込んできた。「地球に似た7惑星持つ恒星系、39光年先に発見 生命存在の可能性」というものだ。しかし、これで直ぐに「すわ!宇宙人に会える!」と思ってはいけない。私などは、「地球人のようなひどい星人は少ないのかもしれない。だとすると、出会えるまでに向こうが避けて会ってくれないだろう」などと思ってしまう。記事を読んでみよう。【AFP=時事】地球からわずか39光年離れた銀河系内に、地球に似た7つの惑星を持つ恒星系を発見したとの論文が22日、発表された。太陽系外生命体の探査において、これまでで最も有望な領域を提供する驚くべき発見だという。 英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された論文によると、7惑星はすべて地球に近い大きさと質量を持ち、岩石惑星であることはほぼ確実とされる。さらにうち3つは、生命を育む海が存在可能な環境にあるという。今回の発見で最も重要とされるのは、7惑星が地球に近く、主星である赤色矮星「トラピスト1(Trappist-1)」の光も弱いため、個々の惑星の大気を観測して生命活動の化学的痕跡を探すことが可能な点だ。論文を共同執筆した英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)のアモリ・トリオー(Amaury Triaud)氏は記者会見で「生命体の発見に向け極めて重要な前進となった」と言明。「これまでは、(生命体を)発見できるふさわしい惑星がなかった。ついに適切な目標を見つけた」と述べた。 1恒星を公転する地球サイズの惑星の数は、トラピスト1星系の7個が観測史上最多。さらに、水が液体のまま存在できる領域内にある惑星の数も観測史上最も多いという。【翻訳編集】 AFPBB Newsこの記事の主眼は、「遂に地球外生命体に出会える」ではなく、「地球外生命の発見を観察する条件が揃った」である。ましてや発見しても、彼らが地球に来る可能性は限りなく低い。それでも地球外生命体が発見される期待は否が応でも高まる。UFOとかいうマヤカシではなく、科学的にきちんとした生命体だ。見つかったならば、次は会うことを望むのはことの順序ではある。例えば、この惑星群のうち、(もしいち早く科学が発達するならば)惑星外へ旅立てる星は、おそらくひとつだけだろう。そしてその星人は、少しづつ少しづつ、隣人との付き合い方を学ぶ星人になるだろう。その星人が星間旅行する時に、果たして星人は「戦争」や「環境破壊」という過ちを引きずっているだろうか。星人は、長い間をかけて「共存」の道を学ぶのではないか。そして、それに成功した星人たちだけが恒星間旅行をも実現し、例えば光の速さの半分の宇宙船を開発したとして、地球にもやってくるのだ。彼らは頻繁に行き来出来ない者との付き合い方を知っている。「ビッグイシュー303号」で池内了氏の言っていたように、たった数十年の間に地球を滅ぼすような戦争や環境破壊を進めてしまった地球人の資質を、おそらく彼らは地球人が原始人の辺りで気がつくだろう。そして「呆れて」二度と地球には寄らない。宇宙は、それ程にも広いのである。害虫には寄らないのに限る。星人交信で、それはあまねく宇宙の知ることになるかもしれない。だとすれば、古代に頻繁に「見学」に来ていた星人たちは、この最も危険な(もしかしたら滅亡までのカウントダウンに入っている)時期には、「絶対渡航禁止」情報が行き渡るだろう。宇宙年表から見れば、ホントに地球の表面上が「アウト」になって来たのは、核兵器が開発され、人口爆発が目の前に迫り、原発が無数に作られ、温暖化ガスが充満して来た、このたった70年間ぐらいだ。人類史で見ても、ホモサピエンス20万年、文明化1万年のうち、ほんの一瞬である。まあともかく奇跡の自力更生があるのを祈りつつ、数百年は「君子近寄らず」を決め込むのが、賢いやり方だろう。
2017年02月24日
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台湾旅は新年編に移って、しばらくお休みします。映画とか、ちょっと記事がたまっているので。とはいえ、今日はついさっき行った「どんど焼き」の行事を。正月のお飾りを正月明け(小正月)に焼いて、その火で焼いた餅などをたべるのは、全国的に行われていることだと思う。ちなみに、手元のブリタニカ百科事典を紐解くと、「左義長」「さいと焼き」「ほっけんぎょう」などともいわれているらしい。たまたま時間が合って、実に数十年ぶりに参加してみると、ずっと前は簡単に行われていたのが、今は地域の子供会の一大行事になっていて、小学校のグランドに子供たちの半数以上が集まっていて、ビンゴゲームやら、恒例の餅焼などをしていた。地域はこの40年間の間に(私たちの遊び場だったところを潰して)ふたつの大きな新興住宅地ができていて、子供たちの数は非常に増えて、試行錯誤をしながら地域の伝統行事を伝えている。私はずっと処分できずにいた昔の地父親が作った飾りや、この前家を解体した時に出てきた神棚などをやっと神様に戻すことができた。時はこの冬最大の寒波が来ていて、午前中はピカピカの晴天ながら、寒風吹きすさぶ日になり、いわばどんど焼き日和になった。ビンゴも、お餅も、子供たちの特権事項のようなので、私は暫く放射熱の物凄いエネルギーを浴びた後歩いて家に帰った。
2017年01月14日
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今日12月21日は冬至である。古代より最も重要な日であった。太陽の日照時間が最も短くなり、これより以降は長くなっていく。そこから、むしろ祝うべき日とされた。ところが、つい最近知ったのであるが、日の入り時間は、実は半ヶ月前に最も早くなって最近はまた夕方の時間が長くなっているらしい。その反対にあと半ヶ月かけて日の出時間が遅くなる。正月の日の出があんなに遅く感じるのは、実はそういうわけであった。冬至はあくまでも日照時間が一番短い日に過ぎない。二十四節気では当時であるが、72候では今日は及東生(なつかれくさしょうず)という。及東(だいとう)は「つかれくさ」ともいうし、夏枯草ともいうし、靭草(うつぼぐさ)ともいうらしい。一面の冬枯れの中、地表近くでは靭草がひっそりと蔓のような茎をのばし始めるらしい。庭の雑草手入れをしている身にとっては、とってもいやな奴ではあるが、古の人たちはそのことを吉とみたのだ。今日は柚子湯につかり、南京カボチャを食べる、という言い伝えに加えて、今年ぐらいから「ん」のつくものを食べればよいというのを言い出した。「こんにゃく」「レンコン」「大根」「蜜柑」。いずれも、不足がちな栄養を補い、対抗力をつけ、体を温めるものだ。そうやって体力をつけ、この日の出前の最も暗き時代を生きてゆかなければならない。
2016年12月21日
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今日は立冬。暦の上では冬ですが、季節的には秋まっさかりです。でも、木枯らしを感じたりしています。椿の花はまだ見ていませんが、山茶花の花は、今日初めて見ました。紅い花の周りには、出番を待つ無数の蕾が頑なな緑の垣根を覆っていました。 私の近況はというと。また悪い癖。5日締め切りの、何時もの県労会議機関紙に連載している映画評に、まだ数行しか手をつけれていません。今日月曜日だから、月曜日の朝に送ればいいと甘く見ていたんです。甘かった。情けない。ということで、今日はこの辺で(;_;)。
2016年11月07日
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今日より24節気では霜降(そうこう)である。72候でも霜始降(しもはじめてふる)と、季節を告げている。しかし、車のフロントガラスが朝見るとガチガチに凍って「しまった!」と思うのは、此方の地方では昔は12月、最近では1月まで待たないといけない。それでも、やっと昨日から長袖のTシャツだけでは肌寒くなった。近所の神社では小雨降る中千歳楽(せんざいらく)という曳く方式の御輿を引き廻し、秋の大祭を祝っていた。私は午後の曳航ならぬ午睡をむさぼっていた。こんな夢を見た。昼寝で、20分ほど眠るつもりがしっかり1時間半眠って、大学に行っている夢を見た。「卒論を書かないの?」と当時憧れていたS先輩が聞く。「ほんとはもう何を書くのかわかっているのよ」ともいう。そういう気がする。私は喫茶店に行く。あと30分の休憩時間の10分で簡単に食べれるようにカレーを頼む。ところが、彼らはおしゃべりしながら、これからサラダを作るので遅くなるのだ、と言い訳をする。お客はほとんどいなくなっているのに、店の従業員は4人以上いる。それでもなかなか出来て来ない。25分経った。「急いでいるんだけどな!」と大声を出す。そこで目が覚めた。なんか、二度目の大学に行っていたような気がする。それでも、何も目標を達成していない。こんな夢を過去に何度も見ていた気がする。なんかものすごく悲しくなって、そのままじっとしていた。
2016年10月23日
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9月12日。季節は十二節気で白露に移っており、72候では、この日から「鶺鴒(セキレイ)鳴く」になる。残暑はまだあるが、朝晩には白い露が実を結ぶのがこの気らしい。実際、朝晩はすっかり過ごし易くなった。この夏の酷暑に戻ることはもうあり得ないとホッとしてところである。 この8年間は、家がある程度は風が通ることもあって、ずっとクーラーを一切使わないで過ごしてきた。でも今年の夏は、お盆をすぎても熱帯夜が続いた。何度も心が折れそうになった。今更昔ながらのクーラーは使えないということと、「意地」があって、クーラーを使わずに乗り切った。オトコ独り家なので、家を開け放して寝ても怖くないということもある(高額な品物も現金もない)。しかし、だんだんと耐え難くなってきた。日本列島この数年間で確実に熱帯化している。間違いない。ともかく、今年は乗り切った。来年は乗り切れるだろうか。(ちなみに、8年間クルマもクーラーと暖房は使わずに乗り切ってきています) そんなこんなの「白露」である。そして「鶺鴒鳴」。写真のセキレイは黄色かかっているが、これはなかなかお目にかかれない。私がいつも目にするのは、ハクセキレイだ。白と黒とのコントラストが特徴的だ。ただし、尾っぽを上下に振る仕草は、同じ。その特徴からイシタタキの異名も持っているらしい。もっと興味深い異名は、オシエドリである。「日本書紀」にイザナギとイザナミが、この動きから、いわゆる「性交」のやり方を学んだというくだりがあるらしい。それはつまり、一般的にもそういう風に、1400年前から人々はやり方を教えあいしていたということを示しているだろう。いわば、セキレイは数少ない「生きている古代遺物」なのである。
2016年09月12日
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昨日、「親鸞」との出会いについて書いた序でに、長年の疑問についてもう少し書きたい。悪人正機説というものがある。親鸞思想の入門編にして、最も核心を突いていると評価されている唯円「歎異抄」には以下のように書いている。「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」吉川英治「親鸞」は、恋愛などの悩みから無明の世界にいた頃、法然上人に出会い、この考えに辿り着いたごとになっている。だから、親鸞自らを凡夫だと云うのは分かる。親鸞自らを悪人だと認識している。それでも往生出来る、と発見したところに、真宗の真髄があった。しかし親鸞とわたしでは「次元」が違うのではないかとも思う。そういう目から見て、「悪人」でも「往生を遂げる」(=天竺に行ける?)という時には、やはり自分は「善人」の部類にはいるのだろうと、この40年間ずっと思っていた。しかしそれは大きな勘違いだったようだ。そのことを五木寛之「親鸞」は全体を通して描いたのだが、正に真宗ホームページにわかりやすい解説があったので、写してみたい。悪人が助かるの?悪人正機「悪人正機」といえば浄土真宗の教え。浄土真宗の教えといえば「悪人正機」と言われます。この「悪人正機」を誤解して、「悪をするほど助かる」までは行かなくとも、「善をする必要はない」と思っている人があります。「悪人正機」は、果たしてそんな意味なのでしょうか。「悪人正機」とはどんなことか、正しく知らねばなりません。「悪人正機」とは、悪人が正客ということです。「悪人」は、やった悪によって、悪因悪果で苦しんでいます。「悪人」といえば苦しみ悩んでいる人、苦悩の人ということです。だから苦悩の人が正客ということです。苦悩の人が正客と言われたのはどなたでしょうか。阿弥陀仏の仰せです。つまり阿弥陀仏の本願は悪人正機なのです。「苦しみ悩んでいる人が正客だぞ」そういう者を助けると言われたのが阿弥陀仏の本願です。阿弥陀仏の本願=悪人正機浄土真宗は阿弥陀仏の本願を明らかにされています。浄土真宗の教えは悪人正機です。悪人正機をいちばん印象深く、多くの人に知らせたのは『歎異鈔第三章』です。善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや(歎異抄第3章)これが歎異鈔でも特に有名な歎異鈔第三章の書き出しです。これは普通の常識では理屈に合いません。善人でさえ助かる。悪人ならなおさら。皆を驚かすのに十分です。世間の常識では、悪人でさえ助かるんだから善人ならなおさらだ。と思っています。倫理道徳では悪人は善人より助かり難い。それが常識です。ところがその常識をぶち破って反対のことを言われています。倫理道徳、私たちの考えから言うと、悪人でさえ助かるんだから善人ではなおさら。こうでないと納得できません。倫理も道徳も間違いだということになってしまいます。浄土真宗は阿弥陀仏の本願。阿弥陀仏の本願とはこういうものなのです。これらの常識を皆否定してしまうということです。阿弥陀仏の本願は「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」阿弥陀仏の本願は私たちの大前提になっているものを否定されるんです。その阿弥陀仏の本願を教えられたのが浄土真宗。どうしてこういうこと言われたのでしょうか。阿弥陀仏の御心は悪人正機。悪人を助ける為に立てられた本願なんだから悪人正客だから善人でも助かる。ではなぜ阿弥陀仏は悪人正客の本願を立てられたのでしょうかこの世に悪人以外はないからです。するとすべての人が正客。すべての人を助けるということが悪人正機です。では、悪人正機では、善人はどういう人になるでしょうか?本当の自分を知らず、自分が善人だと自惚れている人です。本当の自分を知れば悪人と分かります。悪人正機というのはそういう深い意味があるのです。ですから、考えて進むのではありません。聞いて進むしかないのです。自分の考えというものは、このように間違いですから聞いて進むのです。その為に浄土真宗の教えがあるのてす。阿弥陀仏の本願、浄土真宗は聴聞に極まるなのです。「聴聞に極まる」のは、まだよくわからない。「それは貴方がまだ自力に頼っているからだ」と言われそうですが、私はそれでもいいとまだ思っています。なぜならば、私は神を信じていないので、私の力は信じていないけど、人間の力はまだ信じている、というか信じざるを得ないのです。閑話休題、テーマはそこでは無く、悪人とは何か、にやはりなる。確かに、私は悪人です。しかも極悪非道かもしれない。ここでは詳細にはのべないけど、具体的な実在の人を何人も見殺しにしたのかもしれない、と時々思うことがあります。それについて夜も眠れないほど悩むことはありません。普段はほとんど忘れています。こう書くとやはり極悪非道だ。それを忘れることが出来ない人がPTSDになるのだろうから、私は私を守っているのでしょう。私に子どもはいないから、私の生涯の人類への貢献は「平和活動」なんだろうとぼんやり思っています。でも、もしかしたら奥のところでは、殺人に対する贖罪もあるのかもしれないと「今」思ったところです。果たして私の贖罪はホンモノなのかどうか、も厳密にいえば問われるところだろうと思います。というのは、「親鸞 完結編」で、「青春編」「激動編」通して、親鸞と悪人正機説で決定的に対決して来た黒面法師との最後の問答でこういうのがあったからです。「親鸞、おまえにききたいことがある」と、ざらついた声がいった。「きくがよい」「ひとつだけだ。わしは十悪五逆の極悪人。それでも浄土に往生できるのか」「もし、そなたが心から懺悔し、阿弥陀仏の本願を信じることができるならばかならず往生できるはずだ」「心から懺悔できる者は、悪人ではない。真の悪人とは、懺悔を知らず、生涯、弥陀の救いを信ぜぬ者のことだ」黒面法師の笑いが闇の中にひびいた。(354p)自分の悪を自覚し、真から悔いて、真からホトケを信じ、そして贖罪の気持ちを持つものだけが、往生出来るというのだ。それならば、黒面法師ではないが、わたしも往生出来ない。あ、ごめん。そもそも往生を願っていないのだから、わたしのことは考えるべきではなかった。人の多くは、と言い換えた方がいいかもしれない。しかし親鸞の云うのは、死ぬ間際でもそれは可能なのだろうか。そこら辺になると、果たして親鸞でさえ答えているかどうか。住職によって変わってくるところかもしれない。あの加藤周一が最晩年になって、キリスト教に入会しているのが、わたしはやはりよくわからないでいる。鷲巣力さんは一応の結論をつけているようだが、私はまだ読んではいない。そして、私の両親が、最晩年になり、家の宗派とは別にやはり新興宗教に入会している。そのことについて、果たして来世のためだったのか、現世利益のためだったのかを、私は遂に聞いていない。もちろんどこまで真剣だったのかもわからない。ただ、父親は真光教には、死ぬ一ヶ月前、遂には頼らなくなっていた。人はなんために生きているのか人はどのように人生を終えたらいいのか人とはなにものなのかなんか、次々といろんな疑問が湧いてくる。学者は、答えることが出来ない。身近な物識り(知識人)もむつかしい。結局、宗教者の出番なのか。しかし、私は若い頃、宗教に頼らないと決心した。確信はない。そっちの方に賭けただけである。神の不在は証明出来ないのだから仕方ない。ごめんなさい。ちらかったまま、この文章を終わります。吉備路の五重塔
2016年06月01日
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ちょっと映画紹介をお休みして、今日は今年の花見をご紹介。場所は天下の三大名園岡山後楽園の中の殿様の休憩所だったところを一日借り切っての飲み会です(^^)/映画を語る会と語る会のY氏の友人たちとで毎年行われる後楽園の花見。後楽園の中にある由緒ある休憩所も諸低料金を払えば借りることができるのですが、なんと一年前に予約しないとだめなのです。近年はそれでも一番見ごろの一週間前の予約はできなくなったみたい。この花見はそれでも12年も続いています。いつも花見弁当を取り寄せるのですが、それ以外にみんなが銘々お酒やお菓子や果物を持ってくるので、もう飲みきれないほどです。総社に住む人は、地元の酒屋から蓮華祭に由来するお酒を持ってきました。私はシャブリを用意しました後楽園はプロのしかも一流の庭師が丁寧に管理しているので、どこを切っても絵になります。この日は花嫁御寮の撮影会が三組ほどありました。いい気持になって帰り。17時9分発の山陽本線福山行きの電車で、25分過ぎ翠松高校前の踏み切りで「人身事故がありました。運転再開まで1時間半かかる予定です。電車から出るとたいへん危険ですので、出ないようにお願いします」とアナウンスがあって突然止まったのです。電車内では一様に「えー!」の声。10分ほどで救急車とパトカーが到着。電車内の席からは人身現場は見えないが、道路の人の動きは見える。踏み切りから5mも離れていなくて、人々が注視している。山陽本線では、非常に珍しい人身事故ではある。18時17分再開。自殺かどうかはわからない。わからないのだけど、花が引き寄せたのだろうか。
2016年04月10日
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春を思わす陽気のなか、岡山市散策をしました。ランチパスポート(雑誌本のパスを提示すると、ランチがワンコインで買える)使用の後楽園前のカレー。上手く城が収まりました。景観、味ともに合格です。今日の目当ては、県立博物館でした。見たかったのは、今回初めて見る「個人蔵」倉敷市中津貝塚。磨消(すりけし)縄文という独特の文様。うーんゾクゾクします。西日本の縄文土器は、明確に東日本のそれとは違う。その辺りも最近の新しい謎です。博物館の本来の企画は「鳥取藩池田家32万石」のあれこれでした。歴史好きには常識だと思いますが、岡山藩主池田光政と鳥取藩主池田光仲は従兄弟同士です。1番びっくりしたのは、鳥取藩の参勤交代一回分の費用。なんと、3億9140万円(1957両。一両=20万円で計算)かるんですって!しかも宿代は、そのうちの一割にも満たない1940万円。足軽雇う費用とかの人足費に1.7億円、通し馬などの「駄賃」に9800万円、諸物品購入費用に7740万円とか、よくわからない費用が多い。これこそ、財政削減するベキ最たるものです。なぜ、できなかったんだろ?
2016年02月14日
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今年の正月休みは長い休みが取れないので、身近なところで出雲に来ています。例のごとく、半分以上はあまり人のいかないところに行っています。これは今日食べた出雲そば。年越し蕎麦ですね。旧年中は読んでいただきありがとうございました。戦後70年を迎えて、いろんなことがあった年ですが、私自身もブログ生活10年を迎えて、アクセス数も210万を越え、一つのヤマを越えた気もします(山なんてそもそもあったけ(^^;)。ここまで続けることができたのは、つくづく読んでくれる人たちがいるからだと、それだけは確認した一年でした。こんな遅筆堂の私が、よくまあここまで書いたと思います。問題の携帯アプリの不具合は、結局解消されずにずっと不定期ブログアップが続いていたのですが、一念発起、83年WindowsXP以来のPCを買いました。引っ越しに自信がなくてずっとそのままだったのですが、もうそれはゆっくりと解決することにしました。携帯のようにフットワークよろしくブログアップはできませんが、この旅のように、行先のホテルにインターネットがつながっているとこんな風にアップできます(^-^)。さて、戦後70年。曲がり角を曲がった年だと、後世の歴史家が評価するのか、それとも日本型民主主義が生まれた年だと評価するのか、来年にかかっています。というわけで、二人の言葉をこの下に添えて年末のご挨拶とさせていただきます。
2015年12月31日
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今日の天声人語にこういう文章があった。夏痩せと秋バテの関係を面白く伝えているので、ご紹介して、追って残暑見舞いの言葉としたい。 (天声人語)夏痩せと秋バテ 2015年8月22日5時0分 先日に続いて子規と漱石の話だが、親友だった2人には掛け合いのような俳句がある。百人一首でよく知られる〈忍ぶれど色に出(い)でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで〉をもじったもので、子規はユーモラスに〈忍ぶれど夏痩(なつやせ)にけり我恋は〉と一句を仕立てた▼片や漱石は、「正岡子規へ送りたる句稿」として〈物や思ふと人の問ふまで夏痩せぬ〉。ともに明治29年の作だ。句作のいきさつや、あとさきは寡聞にして知らないが、2人して悠々と興趣の世界に遊ぶかに見える▼そのころ、子規は東京に、漱石は熊本に住まっていた。体ひとつで高温多湿に耐えるしかなかった時代である。夏痩せする人は多く、その言葉は万葉の昔からあった。時は移って、いまは夏場の「冷え」に注意が必要という▼室内も車内も冷房は備わり、多種多様な氷菓も手招きをする。体の外からも内からも冷やされて、疲れやだるさを呼び込みがちだ。〈一匙(ひとさじ)のアイスクリムや蘇(よみがえ)る〉子規。これぐらいなら、体に障ることはなかったろうが▼高校野球は幕を閉じて、あすは暑さが収まる候とされる二十四節気の処暑。なるほど、朝夕は秋の走りの空気を感じる。といっても残暑は油断ならないし、少しゆるんだ暑さのなかで、ひと夏の疲れが出るころでもある▼「秋バテ」という言葉を、昨今ときどき耳にする。夏場に体を冷やして自律神経の働きが乱れ、それが秋への変わり目に現れてくるという。文明病であろう。夏痩せより手強(てごわ)いかもしれない。 さて、私はというと、元気です(^-^)/。10年くらい前までは「夏痩せ」という言葉の意味が実感として理解出来なかった。夏は比較的活動的になる。しかも、かなりの汗をかくので、「とっても運動をした」という勘違いを起こしやすい。世間は夏痩せ注意としきりに言っている。結果として、防衛反応として「よく食べる」という行動を起こす。よって私の夏のイメージはいつも「夏太り」だった。私は「食欲をセーブする」ということをイメージ出来ても「食欲がなくなる」ということは、意味不明の言葉だったのだ。 流石にこの10年間の猛暑の中で、2回ほど「今日は食べたくない」ということを経験した(食べたけど)。世間並の感覚を垣間見て、やっとその人たちの苦しみに寄り添うことが出来るようになったかもしれない。これが成長というのだろうか。 しかも私は「秋バテ」ということも、実はまだよくわからない。7年前に父親が亡くなって父親の一軒家を私が譲り受けたのだが、おかげで夏はある程度風が通り、冬は底冷えしないまともな家に住むようになった。そこで私は経費削減のために一切クーラーを使うことを止めた。ついでに車も1人で乗る時には使っていない。つまり明治の子規の暮らし方を実践しているのである。よって、夏場に体を冷やして自律神経の働きが乱れるという「文明病」にはかかっていない。 ただ流石にこの間の猛暑は異常だったのでは無いか、と思う。真似はやめて欲しい。子規には出来なかった、夕方にはマクドナルドに入って涼しくなるまで待つという裏技もやっていた。それでも11時過ぎて涼しくならない日も、異常に増えた。 残暑見舞いの写真を探したのであるが、なかった。数日前の「記録的大雨」になる直前の風景を貼り付けます。こうやってみると、雨曇は時に「禍々しく」やって来ます。古代の人たちはこういう雲を「龍神」として畏れたのだろうな、と思いました。
2015年08月22日
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平田食事センターが閉まるらしい。という噂を聞いて、国道2号戦沿い、早島インターを降りて東の方向に2キロほど走った処にある、このトラックターミナルに行って見た。 ホントだ。貼り紙がしてある。案外素っ気ない。思ったほど長くはしていなかった。まるで戦後すぐに立ち上げたかのような、24時間営業の食事処兼娯楽場兼休み処だった。 ここの自動販売機はジュースの値段が上がっていったこの20年間、値上げをしなかった。岡山か、中国地方かは忘れたが、1番売り上げを誇っていた自動販売機だった。 常に人が溢れていたゲームコーナーは、撤去されてまるで廃墟のようだ。不良の溜まり場でもあったが、ここは何故か明るく、そんな怖い感じはしなかった。隣が明るい食事処だったからだろう。 名物料理はおでんやラーメン、牛丼などの基本料理。皿をとって、会見で清算する。今日は名物の会計のおばちゃんはいなかった。1番最初にきたころから、おばあちゃん顔で、いつもそこに立っていた。つまり、おそらく34年間、ほとんど歳を取らないかのように、立っていたのだ。一瞬の間にどんな皿を持ってきても計算するので有名だった。不在だったということは、もしかしたら彼女の引退がこの有名なトラックセンター閉店の引き金になったのだろうか。この料理で、560円だった。おでんは一品80円である。よく味が染みていた。 トラックの運ちゃんだけではなく、会社帰りのサラリーマン、若者が昔の半分くらいの人数で、テレビを見ながら食事をしていた。注文はセルフサービスでも、終わったあとの片付けは従業員がするのが、ここのやり方である。 この10年間で、トラックも停めれるようなコンビニも増えた。それがじわじわトラックセンターを潰していっているのだろう。車の免許をとって、同時に付き合ってきた店がなくなるのはやはりさみしい。 同じく、最近店じまいした所の思い出を書く。 岡山市表町商店街の中にあったカバン店の「ふくや」である。 25年前、20年前、5年前に3回くらいしかカバンを買ってはいない。しかし、昔買ったカバンはいずれも革製のカバンで、いずれも使い潰した。革製にしたのは、そのころはまだ余裕があったためである。驚いたのは、10年後くらいに使い潰す直前で、留め具が壊れた時に修理に持っていった時である。瞬時に店のご主人は「これはうちのカバンだね」と言ったのだ。見ればわかるそうだ。何処にもブランド名はないありふれたカバンなのに、である。そして、無料で修理してくれた。 商店街の店とは、そんなことが出来るのだ。 ビックリした瞬間だった。私はカバンは一切手入れしないで使い潰す主義だし、常に資料や本でパンパンにする質だし、いい客ではなかった。夫婦で細々とやっていたが、限界にきたのだろう。ゆっくり休んで欲しいと思う。
2015年06月11日
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