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「盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本」北方謙三編著 集英社文庫私は確かに最終巻に於いてこうお願いしておいた。「集英社さん!「読本」は出すんですよね⁉︎お願いしますよ!その時は、シリーズを通しての年表と地図をお願いします!」遅れたが読本は出た。一応年表も地図もついている。だから先ずは感謝の辞を述べておく。その上で大きな声で非難したい。私が言ったのは「シリーズを通しての年表と地図」である。大水滸読本と冠している以上は、岳飛伝年表と地図では不足なのは明らかである。私のイメージしていたのは、楊業の吹毛剣獲得の頃から始めて、上に小説上の出来事、下4分の1は中国の正史を載せる。というものである。それが揃って、大水滸伝を多重的に読み直す事ができるだろう。地図は簡単だ。51巻まで作ってきた地図を全て載せればいい。年表は今までの蓄積があるから、編集者にとっては他の駄文を書く時間を省けば簡単だろう。そんなページ数は無いって?冗談は止して貰いたい。山田某という編集者が、今回はページ数が足りなかったので、わざわざ自分の書いた妄想を新たに50ページも書き下ろして、(本篇よりも120円近く高くして)作ったと言ってるじゃないか。私は「怪文書」なるものもホントに妄言であって必要なかったと思う(それを入れれば73pも空きが出来る)。私は99%は異論があると思われる人気ランキングベスト10なんぞも要らなかったと思う。ただ読み損なっていた、著者が既に亡くなっていた好漢たちに会いに行く「やつら」は、素晴らしかった。いやあ全篇読み応えがあったと思う。特に朱貴の饅頭の秘密が分かったのは良かったし、石勇が知られざる自分の過去を聴いてそして落ち込んでいる場面、扈三娘が著者に聞いた意外な事、著者に自分が死んだ時に弔い酒を飲んでいなかったと告白させた李袞、宋江への想いを正直に語った宋清、等々はとても面白かった。ひとつ、この本を読んでとっても驚いたことがある。テムジンが胡土児の隠し子であるとかの身も蓋もない展望のことではない。著者が元々構想していた「岳飛伝」では、ある人物に吹毛剣が渡り、その人物が岳飛を切って終わらす予定だったという。ところが、その人物は早々に死んで仕舞ったので胡土児に渡ったらしい。誰なのか?どう考えても出てこない。岳飛を切る事が出来て早々に死んで仕舞った人物?梁山泊第一世代ならばみんな資格があるけれども、老人に岳飛を切らすのか?南宋にそんな人物はいなかったはずだ。李師師?物語がムチャクチャになる。辛晃か?あまりにも小物だ。金国には?ウジュは最後まで生きていた。他には人物はいない。蕭炫材?1番資格があり、話も繋がるけれども、まだ生きているじゃ無いか。蔡豹?蔡豹なのか?でもどうして?ともかく、大きな謎だ。
2018年09月09日
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「岳飛伝17」北方謙三 集英社文庫遂に「大水滸伝シリーズ」が完結した。ずっと私は、最後の場面を想像していた。王清の笛の音で終わるのかと思っていた。或いは、水の滸の物語であるのだから、象の河のほとりで終わるのかと思っていた。ところが、「あの山」の麓で終わった。終わってみれば、やはり「彼」で終わらすのが当然なのだ。彼だけが、一巻目から登場していたのだから。それぞれの主人公の終わり方も、それぞれ象徴的だった。宋江は旗を次の主人公に託して自死した。スーパーマン楊令は、岳飛とウジュに勝って毒殺された。主人公は負けないのである。けれども退場するのである。蕭珪材が「剣が私に死ねというのか」と叫び岳飛に切られて「岳飛伝」が始まったように、ちゃんと対になるように、岳飛の死が描かれた。流石としか言いようがない。「音もなく、見えることもなく、国は崩れるのか」「腐るよりは、いいな」低い声で、秦檜が笑った。秦檜の人生も、自分の人生も、この程度で終わるのだろう、と岳飛は思った。「面白かったなあ、秦檜。おまえいて、俺は生きられた」「同じだ、岳飛。面白かったし、愉しかったとも思う」(226p)こんな宿敵が居たなら、ホントに人生愉しいだろうな、と思う。漢(おとこ)の見果てぬ夢である。ただ、南宋の場合は、秦檜と岳飛の会話で、なんとなく決着の付け方はわかったが、金の行方がわからなかった。あれほど抗金のために命をかけて戦った結果を全く見せなかったのは、納得いかなかった。あれで、ホントに金国内の民は幸せになるのか?もしかして、それは「チンギス紀」で描くというのか?「大水滸伝シリーズ」は結局「続・楊家将」だった。つまり、「漢」の物語だった。ならば、その二つを取りまとめて「吸毛剣シリーズ」となし、「大吸毛剣シリーズ」と「チンギス紀」を位置づければいい。何れにせよ、私の読み継ぐ本はまだまだ続く。どうやら水滸伝ロスをなんとか誤魔化せそうだ。「チンギス紀」文庫本発刊迄のあと4年ほどは雌伏の秋を過ごす。ところで、集英社さん!「読本」は出すんですよね⁉︎お願いしますよ!その時は、シリーズを通しての年表と地図をお願いします!2018年3月末日読了
2018年04月02日
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「岳飛伝16」北方謙三 集英社文庫呼延凌陸軍vs.ウジュ金軍、張朔水軍vs.南宋水軍、岳飛軍vs.程雲軍、秦容軍vs.徐成軍、果ては致死軍羅辰の独自の戦い、三つ巴とも、六つ巴とも思われる争闘が行われた。「史進殿、戦のあとになにが立ち現れるか、私は見ていただきたいのです」「死ぬな、と言っているのか?」「はい、そう言っています。李俊殿にも、ほかの方々にも、見ていただきたかった、と思います。梁山泊がなにかを考えぬいて、はじめて立ち現れるものも、見ていただきたいのです。つまり、夢が現実になります」(352p)宣凱は、戦略的に既に勝っているのだ、梁山泊は負けない勝たない、負けない戦いをしているのだから、負けるはずもない、と屁理屈のような展望をいう。その点でその屁理屈は正しいと、私も思う。それならば、この最後の戦いも、避ける手段は無かったのか?と私は思う。もちろん、呼延凌や史進は肯んじ得ないだろうとは思うが。次々と敵も味方も亡くなってゆく。もはや、主要人物が雄々しく戦死を遂げても涙は出ない。もはや「ここに、豪傑はいらない。乾坤一擲の勝負もない。数だけがある。相手の数を、どれだけ減らしたか。それは戦ではなく、殺し合いだった」(346p)ただ、彼らの死を何度も読み返す。しっかり覚えておきたいと思う。一つのエポックとなると思っていた王清と梁紅玉の再会は、ひとつの名曲を生んだ。これが物語の最後の方に来ると思っていたのだが、一巻早かった。セオリー通りならば、最終巻の次は主人公岳飛の戦死のはずだ。どう決着つくのか、未だ全然わからない。しかし、史進には生き延びて欲しい。2018年3月1読了
2018年03月07日
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「岳飛伝15」北方謙三 集英社文庫 ふり返ると、雄州の城郭に、旗が翻っているのが見えた。 戦だけではなく、すべてのことが、自分が考えていることの、先へ先へと行く。 あんなところに、あんな旗を掲げることなど、候真は考えてもいなかった。楊令が帝になるべきだと、酔っては言っていた戴宗のことが思い出される。 候真は、雄州の城郭に背をむけて、歩きはじめた。 体術を競った褚律が、心を病んでいる。自分は、ただ酒に溺れている。そして、酔うと、死んだ者のことしか思い出さない。 老いるとは、こういうことなのだろうか。 山道になった。候真は立ち止まり、気息を整えて、また歩きはじめた。(389p)読み終えた。あと二巻だ。それこそ「気息を整えて」読んでいかねばならない。戴宗が酔いながらでしか主張できなかった「楊令戴帝論」は、この水滸伝シリーズが始まった時に多くの読者が「歴史的事実じゃないからあり得ない」とは思いながらも、当然そうなのだろうと思っていた道だろうと思う。それと違う道を模索した為に(何しろモデルはキューバ革命なのだ)、第3部に移って、かなり(おそらく)読者を減らしながらもこういう展開になっている。秦容などは、「中華に二つの国家があっても、国境は有名無実で、やがて消滅する。国家を支えるのは、物流である。」という「くに」を夢想して、その為に「命を投げ出す」覚悟を決めた(323p)。後の世の私などにとっては、それはあまりにも甘い考えの様に思う。しかし、物流そのもの、商品そのものの正体がわかっていなかった時代に、彼らの夢を嗤うことなどができるはずもない。候真の戸惑いも無理からぬことだ。「自分が死ぬのだろうと思ったとき、それこそが人生なのだと、私には見えてきたのだよ」(247p)「やるだけやって死ぬ、でも。インコが言う。でも、は崔如が教えたら、いつの間にか言うようになっていた」(353p)私の人生も、彼らと同じく、未来は見えない。やるだけやって死ぬだけだ。しかし、褚律が放っておけない(^_^;)。2018年2月読了
2018年02月12日
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「岳飛伝14」北方謙三 集英社文庫この巻の白眉はやはり梁山泊の九紋竜史進が、金国の楊令遺児の胡土児へ、「血涙」楊業からずっと伝えられて来た吹毛剣を渡しに行く場面だろう。ことが終わると胡土児はすぐさまウジュのもとに行く。「そばにいさせてください、父上」「ならぬ。吹毛剣で、梁山泊の人間を斬ってはならぬのだ。それをやれば、おまえは人でさえなくなる」(112p)ウジュは、3年は南に降りるなと言い渡す。つまりそれまでに梁山泊との決着が着くということなのだろう。胡土児が北に行く。吹毛剣がモンゴルに行く。北方謙三の意図はどうであれ、これで吹毛剣の命が継がなれた。他の場面で、秦容と岳飛と潘寛が夢の継承について語り合う場面がある。「戦の目的などを考えると、夢に向かって進んでいくような、高揚した気分になる。しかし夢は、あんな風にも朽ち果てる」「秦容は、いやなことも平気で言うのだな。俺など、いつも顔をそむけているよ」「夢に、人の生が届くということは、ないのでしょうか、秦容将軍?」「ないぞ、潘寛。男はみんな、見果てぬ夢を抱いて死ぬ」「そうなのでしょうか」「届いたと思ったら、それは夢ではない。夢にどうやって向かって行ったかが、男の人生さ。ただ、夢は受け継がれる。振り返ると、夢という墓標が、延々と続いている。その先端に立って、俺たちはいまいるのさ」(42p)秦容・岳飛連合軍は、本格的に南宋に進軍する。終わりが近づいている。2018年1月7日読了
2018年01月19日
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「岳飛伝13」北方謙三 集英社文庫「一度だけ、申し上げておきます、総帥。大きな戦いの前ですし」戦死するかもしれないので、言っておくということだった。秦容は、黙って次の言葉を待った。「俺はここへ来て、よかったよかったと思っています。できるだけ、心を動かすまいとしてきましたが、人が生産をして生きていくことが、これほど素晴らしいと、ここへ来なければわからなかったでしょう」恒翔が、ちょっと笑顔を見せ、腰を上げた。秦容も、立ちあがった。「礼を言う、恒翔。この地で、森を拓き、土を耕しながら、自分はここでなにをしているのだ、と何度も考えた。これでよかったのかと。いま、おまえはこれでよかった、と言ってくれたような気がする」(227p)戦いが少なくなって、面白く無くなった。と感じている読者は多いと思う。けれども、町つくり、国つくりを戦いだとするならば、岳飛伝は、大きな戦いの連続であり、間違いなく岳飛ではなく、秦容がこの作品の主人公だった。楊令が始めた国つくりを、長いことかけて、梁山泊の若者や岳飛たちが、反芻して作り上げていった。岳飛伝とは、そういう物語である。替天行道も盡忠報国も、「民のための国をつくる」その一点で、結局は同じだった、と秦容と岳飛が話し合う場面がある。大きな戦いの前に、この大河物語のテーマがさりげなく示される。2017年11月読了
2017年11月29日
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「岳飛伝12」北方謙三 集英社文庫浪子燕青が亡くなった。おそらく、大水滸伝シリーズを通じて(楊令は試してないので除く)素手では最強の使い手だったのだと思う。それでも、70歳という歳には勝てなかった。最後は自分の心の赴くままに李師師の元に赴き、劉正を道連れにして笛を吹いて終わった。最愛の出来すぎた妻も居るのに、男は最後は、悪女だけど片想いの女の処に行くのだろうか。女にはわからないだろう。男としても、彼ほどの男になってみないとわからない。梁山泊側も他に孟康、喬じょうなどを失ったが、南宋も韓世忠や南征軍の有力武将を亡くした。死者が多くなって来て居る。彼らを斬る李俊、秦容の強さは圧倒的だ。燕青ではないが「ほんとうになさなければならないものを、持っているか持っていないか」の違いだったのかもしれない。17.11読了
2017年11月07日
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「岳飛伝11」北方謙三 集英社文庫「なあ、呼延凌殿。若い者たちが、なにを作り上げようとしているのか、俺にはわからん。しかし、志というものが、少しづつかたちを見せ、命を帯びはじめている。俺はそれを、ただ感じるだけだが」「俺の親父のころから、志は確乎としてあったのだと思います。あのころは、わかりやすかったのでしょう。俺など、いまでも不意に、霧の中に迷い込んだような気分になることがあります。統括も王貴も張朔も、霧のむこうが見えるようなのですが」「俺たちは、軍人さ。志に眼を奪われると、戦がおろそかになる。ここにある戦場で、ただ闘えばいい。俺は、いつもそう思っている。勝ちも負けも、衆義庁が意味をつけてくれるわけさ」山士奇が、笑った。歳をとった、と呼延凌は思った。(159p)歩兵隊隊長の山士奇が戦死した。「楊令伝」以降のベテラン兵士だった。命をすり減らして、彼らは獅子奮迅の働きをして散って行った。山士奇自身その命の重みの価値を知ってか知らずか、統括や王貴の立てた政策を認めているように、本作ではなっている。しかし、今回の闘いはホントに必要だったのか?わたしはよくわからない。戦いの意味を、衆義庁は「戦いそのものを無くすための戦い」だと位置づけている。しかし、歴史が教えるように、それは支配者層の言い訳、或いは理想に過ぎない。勿論宣凱たちにそう言い募るのは酷だとはわかっている。そもそも楊令が始めた戦い自体が理想だったのだから、その運用の責任を、あの若者たちに言い募る資格は、私には無い(←だったら言うなよ)。長い物語は、あと6巻を残して(6巻しか残していなくて)、想いは千々に乱れる。岳飛は再び歴史の舞台に登らなかった。それなのに、今彼は北へ北へと夢を追いかけている。金国は、やがて蒙古に破れるだろう。それなのに、綻びが出始めているとはいえ、梁山泊と互角の戦いをしている。夢は大陸を駆け巡る。暫くは、夢を見させて貰う。2017年10月6日読了
2017年10月07日
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「岳飛伝10」北方謙三 集英社文庫 「民の営みのかたちが、なかなかできないのだな、宣凱。政事が、物流を物流として受け入れない。物流が政事を乱すより、飢えの方が政事にとってはよほど深刻だ。わかっていても、別の思惑が入ってきてしまうのが、政事というものなのか」 「私は、いずれ物流が、民の営みを作っていくことを、信じ続ける。国の関わることの無い物流だ」 道は遠い。しかし、いつも、どんな時でも、道は遠かった。近い道など、ほんとうは道ではないのかもしれない。(324p) 王貴と宣凱の語らいは、この水滸伝シリーズの河の行き着く先を見せたのかもしれない。それは現代の、世界に動くモノとカネの流れを見据えたものかもしれない。しかし、私は納得できない。そういう、未来を予測するような落とし所を選ぶ前に、無数の漢たちの「死」の意味はなんだったのか。そこにハッキリと意味のあるものを作って欲しい。梁山泊メンバー以外の蕭炫材に物流を担わせるのを認めるのは、そのことをハッキリさせないまでは、納得できない。 蔡豹が死んだ。壮絶な最期だった。私にとって、唯一の慰めは、彼に守るべき女性ができたことでも、王清の笛の音でもなく、彼の呪縛だった母親の見当違いの怨みを正しく解釈できた後に亡くなったことだ。蔡福と天国で出会って欲しい。 梁山泊は、金国にも南宋にも勝った。未だ、負け知らずだ。強い。強いのに、滅びゆく運命しか、感じない。今回もあっという間に読んでしまった。次巻が待たれる。 2017年8月読了
2017年09月01日
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「岳飛伝 9」北方謙三 集英社文庫 いまはある肉も、市場ではもうなくなってくるだろう。肉が、麦と交換されはじめ、その麦も尽きると、市場には食物がなくなっていく。 民は怒り、その矛先は、金国の朝廷や丞相府にむかう。いくら兵糧を蓄えていようと、金軍は戦どころではなくなってしまうのだ。 宣凱が、数年前から考え、そして実行に移し始めたことが、いま生きようとしている。まるで、新しい命が生まれている、という感じがあった。 つまらない、と思う気持ちを、侯真は抑えこんだ。そういう情況をつまらないと感じるのは、戴宗そのままではないのか。 侯真は、思念を、蕭炫材と宣凱という、2人の男にむけた。 「まずいな。好きになっちまいそうだ」 呟いた。侯真は酒の瓶を空け、新しいものを註文した。 早く酔ってしまいたい。そう思うことが、時々ある。(382p) 宣凱の戦略は、当たりつつある。張朔は、南宋水軍との戦いに於いて、終生の友であり兄である狄成(てきせい)を死地に送り込む。今や、30歳そこそこの彼らが、決定的な梁山泊の戦いを指揮する。 岳飛伝も中盤を折り返した。佳境に入りつつある。それでも、私にとって最も印象深かったのは、王清の生き方だ。子午山の最後の子供たち、王進や燕青により鍛えられ、公母により育てられた彼が、燕青に笛を吹かされて、漫然とした生き方を言外に批判される。 「子午山に帰るには、資格が必要だ」。周り回って王清はやっと其処に辿り着く。おそらく王清は梁山泊から離れて、純粋に生きようとしたのだ。しかし結局その生き方はなんだったのか。梁紅玉という「恋」のためにただ笛を吹いていた数年間、漁師をしながら1組の夫婦を破滅に導いた数年間、その落とし前をつけるために夫婦の娘を養っている数年間、そしてその娘は大人になって王清に決断を迫る。王清や蔡豹が、梁山泊の一見戦とは関係ない仕事(米の買い付け)を手伝い始めたのは、やはり必然ではあるのだろう。人生には、まるでエアポケットのように、あと一歩間違えると、罪人のように暮らしていかねばならないようなことしかできなかった時期があるのかもしれない。あの頃の自分も今の自分も同じだけど、なぜあんなことまでしたのか、どうも理解出来ない頃が、人にはあるのかもしれない。王清のこれからの生き方を見守りたい。 2017年7月31日読了
2017年08月01日
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「岳飛伝 8」北方謙三 集英社文庫 「おまえや梁山泊の力で、なんとか俺は立った。これからも立ち続けているつもりだ。おまえには、迷惑な話だろうが」 「南宋を、南から牽制している形だ。岳家軍の存在は、小さくない」 「まだ小さいさ」 「そうだな。中華を統一するには、砂の一粒にもなっておるまい」 「中華の統一か」 「梁山泊は、それを認めるぞ。あそこは水みたいなものだ。おまえは器を作ればいいのだ。金国も南宋も、そうなることを恐れている」 「俺は」 「独立不羈。それはわかっている。それでいいのだ。器がよければ、水はその中にきれいに収まる」 「金国はともかく、それは南宋でもできることではないのか」 「できんさ。秦檜という男は、南宋を器にし、同時に水にしようともしている」 梁山泊は器など考えていない、ということなのか。(128p) 梁興という「商人」の言葉でももって、初めて、梁山泊と岳飛との連合の展望が開けた瞬間だった。結局、第三者の眼が必要だったのだ。この遥かなる「理想」を言葉にするには。今気がついたが、梁興という名前には、梁山泊を興すという意味があった。 南で、戦争の端緒が開かれ、東で、海戦の端緒が開かれる。 「侯真殿。戦になれば、そうたやすく勝敗は決しない、と私は思うのです。何度か決戦をしても、それは決戦になり得ない。戦が起きる地域が広すぎるのです。しかし私は、その広さが梁山泊を利する、と考えてはいるのです」(308p) 宣凱は、恐ろしいほど鋭く情勢判断をしている。呉用やましてや楊令のような鋭さを、わざと外しながら、王貴や張朔と共に、梁山泊を動かす。世代交代とは、こんな風にやるのか。羨ましい。 嵐の前の静けさ。深慮遠謀の巻であった。 2017年7月2日読了
2017年07月03日
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「岳飛伝7」北方謙三 集英社文庫 いつもレビューは発行日の翌月の5日前後になっているので、読むのに2週間近くをかけているかのようではあるが、実際は違う。 たいていは発行日の5日以内に購入して、その5日以内には読み終わっている。いや、実際は2日で読み終える。読まないでは、いられなくなる。出来るだけ、ゆっくり読みたいと思う。読んでいる時だけ、現(うつつ)の憂さを忘れることの出来る本は少ないからだ。読み終わったら、何度か読み直す。そしてレビューを書き始める。そうやって、既に40巻以上の大水滸伝シリーズを読んで来た。 まだ10巻もあるのだけど、なんか既に終わるのが辛くなって来た。ここにいる登場人物たちとの別れが刻一刻と近づいている。 久しぶりに蔡豹が登場した。本人も本文の中でも「わたしは梁山泊ではない」と言っているが、なぜか王清と共に目次の登場人物欄に彼らは梁山泊として数えられている。実父を殺したのは、育ての親の蔡福だと信じてしまっている蔡豹の人生は、子午山でも真っ直ぐになる事はなかった。しかし浪子燕青が彼に仕事を与えた。そこから何かが変わらないか。期待したい。 宣凱さえも目に見えなかった史進の剣さばきに、日本の剣豪を当ててみたいなどの叶わぬ夢を持ってみる。長編ならではの超奥手・宣凱のエピソードが愛おしい。史進が言う。 「行け。行先は、おまえより、万里風が心得ているさ」(233p) 10万人の町は既に町ではない。国だ。南に行って、ただ営々と砂糖を作り、交易するという単純な仕事から、営みが大きくなっていって、生活だけではなく、幸福さえも求めてゆく。秦容が始めるその試みは、しかし梁山泊があるから出来たことではある。「替天行道の志が、なぜ存在し続けていられたのか。その理由が、はじめてわかるような気がした」(119p) 理想を追い求めるとは、どういうことか。ひとつのかたちを見せつけてくれて、わたしには、とても興味深い話である。 2017年6月1日読了
2017年06月03日
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「岳飛伝6」北方謙三 集英社文庫 呉用は死ぬ前に「岳飛を救え」と言い遺した。燕青が久しぶりに立ち、侯真、羅辰ら致死軍が久しぶりに活躍する。褚律がきちんとかっこいい処を見せる。 岳飛と秦檜が訣別し、岳飛が捕らわれて形の上では「死ぬ」前に、2人は何度も話し合う。その言葉の端々で、やっと軍閥の岳飛が南宋に合流しなかったのか、読者である私にも分かって来た。 「軍閥であり続けて、何になる、岳飛?」 「拠って立とうという国が、俺にはありません」(125p) 結局、岳飛は南宋という国が「嫌い」だったのだ。非常に知性的な人間だとは思うが、しかし最後の選択は「好きか、嫌いか」で行う。そこが著者の北方謙三と被るかもしれない。本来は梁山泊に入るべき人間が、楊令を生涯のライバルとしたために違う道を選ぶ。男というのは、マアどうしようもない生き物ではある。 岳飛は遂にチェ・ゲバラのように南の国を彷徨する。遂に本当の岳飛伝が始まるのかもしれない。 2017年5月7日読了
2017年05月08日
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「岳飛伝 5」北方謙三 集英社文庫 5巻目だ。大水滸伝シリーズでは、今思い返せば5巻目でいつも重要人物が1人死に、物語が折り返した。いや、そうでないと19巻とか15巻とかいう大長編は作れないのかもしれない。「水滸伝」では楊志が死に、吹毛剣が楊令に渡った。「楊令伝」では方臘が死に、その時の心の傷は、なんとこの「岳飛伝」5巻に至ってやっと癒されようとしている。革命の伝承と革命の光と闇が、このシリーズのテーマなのだとしたら、智多星呉用の死亡は、いったい何を語るのだろうか。 「心に梁山泊がある者が、梁山泊を作る」 「わかったぞ。光は、己が発するものだ」 呉用は今際の際で、言葉を発した。忘れないようにしたい。 私が岳飛に抱いていた疑問は、宣凱も抱いていたようで、冒頭宣凱は単身戦争中の岳飛の陣中に入り、戦が終わればどうするのだと問い詰める。岳飛は「その先まで考える器量はない」と正直に告白する。よって「岳飛伝」の主人公は、未だ岳飛ではない。のである。 それでも戦は熾烈を極め、そして戦は終わる。 呼吸にして、ふたつ。どちらが動くのか。それも消え、 かすかな風の音が、静けさを際立たせるだけになった。 ウジュは、草の間に、白く小さなものを見た。それは動いていた。見え隠れしているが、やがて風の中に出てきた。蝶である。一匹だけの白い蝶が、かなり高くまで舞い上がり、そしてまた、草の中に降りてきた。 「開封府に帰還する」 低く、ウジュは言った。(221p) 終わるから始まる。次巻はどうなるのだろう。 2017年4月6日読了
2017年04月10日
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「岳飛伝4」北方謙三 集英社文庫 「次の戦いでは、おまえたちには耐えに耐えて貰わなければならん。それが総指揮官としての俺の命令だ。岳家軍は、いま他国に蹂躙されている漢土と民のために、闘い続ける。臨安府で、それを認めないということも考えられる。その時は、俺の指揮下を離れるだけだ。それでいいな」 「臨安府で認めないというのは、どういうことでしょうか?」 雷恭が言った。 「臨安府では、金国との最終決戦は、10年後、20年後と考えているふしがある。それが、いまの南宋の国力なのだとな。しかし、国力とはなんなのだ。いま他国の手にある漢土も民も、ついこの間までは、漢の国力だった」 「つまり、この戦は、どこかで収束が計られる、ということですか?」 「間違いない、と俺は思っているよ。兵站は、ぎりぎりだ。つまり北へ攻めのぼっていくには、絶対的に不足している」 「それは収束ではなく、戦の遂行が不可能ということではないですか?」 「岳家軍は、続けられる。そのために、岳家軍でいたのだ。北へ攻めのぼれば、いるのは、漢の民がほとんどなのだぞ。つまり、同胞がいるということだ」 秦檜には、当然それもわかっている。ただ国力の差をつけて、金国を圧倒しようと考えているのだ。そのために、どれほどの歳月が必要なのか。金国を圧倒するだけの国力を得られる保証があるのか。 攻めるなら、いまだった。金軍の主力と、対峙しているのだ。それを破れば、北へ進攻出来る。 「われわれはいま、岳飛将軍の指揮に従うだけです」 雷恭が、その話題を切り上げるような口調でそう言った。(187p) 岳飛と秦檜との考えの溝は深まりつつあった。岳飛がここまで「読んで」戦を遂行しているのが、びっくりというしかない。岳飛には、呉用も宣凱もいないのに、だ。 しかし、私には岳飛の「尽忠報国」の理想は、危なかしい。自分のすることは、武力で漢土を快復する迄、と思い定め、そのあとの構想がないのだ。あとは、秦檜に任せると気楽に思っているふしがある。それならば、秦檜が梯子を外したらどうするのか。 やっと岳飛伝らしく、岳飛が全面に出てきたが、まだ私は岳飛を主人公として認めたくない。彼の「志」に、まだ共感できない。 一方、梁山泊本寨では、「志」か「夢」か論争が起きていて、とても興味深かった。「志」は引き継げることができるのかどうか、という論争もメンバーの間で起きていた。 おそらく水滸伝が始まり「替天行道」が唱えられて、40年以上の歳月が流れていると思うが、「革命」の実現と継承は、そんなに容易いことではない、ということか。物語の推移を見守りたい。 2017年3月5日読了
2017年03月11日
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「岳飛伝3」北方謙三 集英社文庫 しかし、金国と講和をするなら、梁山泊はどういう国の姿を求めているというのか。物流による支配は、金国も南宋も拒絶する。それでも、染み出す水の流れのように、物流はどこへでも入ってくるのか。 「楊令の理想が、そのまま生きるのか」 「それは、わかりません。自由市場は、闇市ということになるのですから。しかし自由市場は、物流のひとつのかたちに過ぎません。物流はどんなかたちをとることもできるのだ、と私は思います」 「ならば、梁山泊は国を見ていない。人を見ているだけだ。つまり民ではないか。そして民が、揃って豊かになるのか。民のほとんどは、今日のことしか考えていない。結局は、商人が勝手に支配する国ができあがる」 秦檜は、わずかだが酔いを感じた。 「梁山泊と金国との講和、というところまでにしておこうか、許礼。それ以上は、きわめて見えにくい」 「はい、私も見えません」(95p) 当代随一の知識人、秦檜にも見えるはずはなかった。誰も、楊令さえも、見えてはいなかったのだから。しかし流石に秦檜、一瞬とはいえ、現代世界の自由市場の問題点までも見透かしてしまった。ただ、大切なのは「替天行道」に導かれてこの時代にあって「帝を戴」かず「民が揃って豊かになる」道を、梁山泊の人々は夢を見て、未だそこから外れていない。ということだ。空想的社会主義と言えばそれ迄だが、そのためにこの大河物語の中では、何百人という英雄たちが死に、何万人という兵士たちが死んだのである。 黒旗兵の照夜玉は、危惧した通りに胡土児に討ち取られ、大水滸伝一話以来の登場人物九紋竜史進は生を拾う。已に水滸伝以来の英雄たちは11人を数えるばかりであるが、智多星も操刀鬼も退場の日は近い。宣凱、王貴、張朔の成長は著しいが、彼らに何処まで替天行道の志が貫徹するのか、あと14巻を愉しみに辿ってゆきたい。 2017年2月9日読了
2017年02月25日
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「岳飛伝2」北方謙三 集英社文庫 「おい、泣くな」 李俊に言われて、宣凱は自分が涙を流していることに気がついた。 「俺らはな、振り返ると、何人も何人もの顔が浮かんじまうんだ。その全員が、死んじまってる。志なんてものを心に持つと、死んじまうんだよ。燕青など、ほとんど人間ではないな。生き延びているんだからな」 「私は、自分が自分であるために、何をやるべきかは、いつも見えていた。志があったからだ、と思っているよ。替天行道。盧俊義殿は、その言葉を口にするたびに、ほとんど涙を流されるのではないか、と思うほど心を打たれた表情をされた。父のような方だ。私は、あの顔だけは忘れられぬ」 「よせよ、燕青。今夜は、二人で宣凱という小僧を、奈落に突き落とそうと画策しただけじゃねえか」 「奈落に、落ちてくれたようだ」 「奈落にある光。それが、ほんとうの光かもしれないしよ」 「宣凱。苦しむだけ、苦しめ。この戦が終わった時に、自分の意思をはっきりさせろ」(358p) 替天行道。北方謙三は、遂に一行たりとも、それを我々の前に明らかにせずに、大水滸伝シリーズを終えたと聞いた。しかし、この第二巻において、最も語られたのは「志」という言い方の「替天行道」である。彼らの言葉から、旧宋を倒すための意義が書かれているということはわかった。どうやらその後の政権構想などは書かれていなかったらしい。童貫が死んで、旧宋が倒れた時に、楊令が選んだのは、梁山泊が政権を獲る道ではなくて、何処にも帝を戴かない、物流が世界を支配する、いわば自由資本主義革命だった。そのことの本当の意味を誰も知らなかったのだから、成功するはずもなかったのだが、綻びが出始める前に物流の道そのものが洪水で流されて、頭領楊令も暗殺されて仕舞う。しかし、そのおかげで、というか替天行道の志は残った。おそらく、帝を抱かないまま、梁山泊の英雄たちは一生を終えるのだろうと思った。 岳飛伝が始まって、登場人物たちに傑出した人物は現れず、皆思い悩んでいて、岳飛さえも冴えない。そう思って読み進めて来たのだけど、これはこれでいいのではないかと思い出した。このまま17巻も続けば気も変わるかもしれないが、今はこれでいい。 世界を生きるとは、戦いだけじゃない。明確な目的をもって生きることだけじゃない。 「人は、うまいものを求める。しかし、ほんとうは必要ではないのだ。生きるためだけなら、こんなに手間をかけることはない。羊を殺して、ただ食う。それでいい。王清、この肉は、香料と酒に十日漬け込み、一晩、風に当てて乾かしたものだ。うまい方がいい。うまい方が、生きている。人がうまいものを求めるのは、人として生きているからだぞ。無駄なものを求めるのが、人というものだ。王清、おまえの笛も同じだ。無駄なものだ。なくても、生きていける。しかし、人は笛の音を求める」 「梁興」 「なんだ、岳飛?」 「喋りすぎだ」 「そうだな」(302p) 金と梁山泊の戦いはまだ終わっていない。楊令の仇を討つためにウジュの首取りに執念を燃やしている照夜玉その先に、楊令の遺児・胡土児が居るのだ。心配でならない。 2017年1月8日読了
2017年02月08日
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「岳飛伝 1」北方謙三 集英社文庫 王貴の持っている腕に、手を突っ込みながら張朔は言った。 「俺はこのところ、戦というものに、そんなに強い関心を持てないんだよ、王貴。父が童貫戦で討たれた。それを思うと、軍に入らなければならない、という気もするのだが」 「俺の親父は、俺や王清に会うこともなく、死んだ」 「御母堂は、やはり童貫戦で死なれた」 「そうだな」 「なあ、王貴。俺たちは、なにを受け継いでいるんだろうか?」 「俺は、そんなことは考えない。その場所で、1番になる。俺は、ずっとそうだったよ」 意地が悪いのか、性格が悪いのか、よくわからない時があった。いつも1番というのなら、なんとなくわかる。 西域の旅でも、なにをやっても王貴は1番で、張朔はいつも駄目だった。顧大嫂に、しばしば張り倒されたものだ。強烈な平手だが、しかしどこか気持がすっきりした。 「沙門島で、顧大嫂殿から手紙を受け取った。自分のことは、自分で考え、自分で決めろ、というようなことが、書いてあった」(349p) 4年以上待った。長かった。しかし、秋(とき)は過ぎ去ってみれば一瞬である。前回「楊令伝」で、主人公楊令が突然の暗殺死でなくなってから半年後の物語。単行本完結で「大水滸伝シリーズ」が51巻で終わった。そして文庫本が、遂に刊行され始めたのである。文庫本でのみ、私はこのシリーズを「買って」読むことに決めているので、仕方ない。その代わり、4年間を17ヶ月という1/3に短縮して、このシリーズを一気に駆け上がりラストまでもってゆくことが出来る。 一巻目は、登場人物の紹介でもあり過去の物語を各人物から解説するようなものだった。それは、それで新たな発見もあり、面白くないわけではなかった。岳飛伝、と言いながら、岳飛の比重は恐ろしいぐらいに低い。文章量だけでなくて、存在感もまだ低いのである。その代わり、南宋の宰相として確固とした地位を確保した秦檜と、以前は金国の太祖阿骨打の不肖の息子、ウジュが、何時の間にか物語を引っ張るような大きな漢(おとこ)として登場してきた。 楊令がいなくなり、梁山泊を侵した洪水は楊令の国造りに壊滅的な打撃を与え、新頭領の呉用さえも、新たな展望は見出せずにいる。それらが全編を覆い、大きな物語はまだ動いていない。しかし、物語は王清の鉄笛から始まった。「水滸伝」の英雄たちの息子たちが、今、正真正銘その全面にでてきた。王清の異母兄の王貴や張平の息子張朔の会話は、だから、今後の岳飛伝の未来をも語っている気がしてならない。彼らたちは「なにを受け継いでいるんだろうか?」「自分のことは、自分で考え、自分で決めろ」戦争はあるだろう。しかし、歴史とは、戦争だけの物語ではない。のである。 2016年12月18日読了
2016年12月24日
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「史記 武帝紀5」北方謙三 ハルキ文庫 北方版「李陵」であることは公表されているので、そのつもりで読んでいる。だとすれば、この巻がクライマックスになるはずである。どうしてあとニ巻も残っているのか不思議なくらいである。 李陵は遂に匈奴と全面対決をして捕らえられ「族滅」(武帝の逆鱗に触れ一族皆殺し)を受けて、慟哭する。 司馬遷は李陵を擁言し宮刑(睾丸を抜き取られる刑)を受け、慟哭する。 匈奴に捕らえられた蘇武はバイカル湖の畔で哭くことなく独り三冬を越す。 漢(おとこ)は、それでも立ち上がる。どのように立ち上がるのか。それがこの小説の最大の見せ場である。 自分は生きている。漢の李陵は死んだが、匈奴の李陵として生きている。そして、男としての誇りも、失っていない。 男らしく生きたかっただけだ。そのために、幼いころから武技を磨き、軍人になった。もっとも男らしく生きられる場所は、そこだと思ったからだ。 戦に出るのは、死ぬことだ、と教えてくれたのは、祖父の李広だった。祖父は自裁というかたちで死んだが、それもまた戦だったのだ、と衛青は言った。 男らしく生きられる場所が、いまはもう、ここしかなくなった。(356p) 日々は過ぎていく。 なぜ死ねないのか、ということも、少しずつわかってきた。男ではなくされた。しかし、心の男まで失っていない。心の中の男は、志を持っていた。憤りの中で死んでいった、父から受け継いだ志である。 (略)父が記述したものを、再び読み返した。自分が記述したものも、読んだ。 なにかが、足りない。そう感じた。 それからは、足りないものがなにかを、見つけようとする日々になった。 もっと、いいものが、書ける。書けるはずだ。ただ記述すれば、人は感情に左右される。思いこみたい、という欲求もある。しかし、それは歴史の記述ではない。(184p) 「生き延びたのか、蘇武」 「ああ」 「羊も、食わなかったのだな?」 「食わない。あれが仔を産んだら、俺は帰れるのだから」 「雄が仔を産むかよ」 「産むさ、いつか」 捜牙支は、呆れたような顔をしていた。(略) それから捜牙支は穹盧の中を見回した。 「こりゃ、大したもんだ。これだけできるとはな。まあ、俺は望みはない、と思っていたんだが」 「運がよかった」 「運だけじゃねぇさ」(164p) そして、武帝は独り老いてゆくのである。 2014年1月20日読了
2014年02月02日
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「史記 武帝紀4」北方謙三 ハルキ文庫 帝に即位しても、制約を受け続けた。その制約にはじっと耐えた。耐えている間に、帝の心の中には、何か暗いものが醸成されていった、と桑弘羊は見ていた。 帝が成長するにしたがって、制約は少しずつなくなっていった。その間、じっと耐えていただけでなく、帝は衛青という武人を見つけ、苛酷な試練の中で、大きく育てあげていったのだ。 帝の非凡さがなければ、衛青という非凡な軍人は育たなかっただろう。 自らの非凡さで未来を切り拓き、匈奴戦に勝利という、輝かしい結果を出したのだ。明るい光に、満ちていた。しかしその明るさの底から、時折、暗いものが頭をもたげるのを、桑弘羊は何度か感じた。 陳皇后が廃されたときがそうであったし、張湯が自裁に追い込まれたのもそうだった。 それでも、泰山封禅という、漢の帝の誰一人もなし得なかったことを、実行したところまで、暗いものは輝きで消されていた。 泰山封禅を終えたころから、帝は、自分が死なないと思いこみはじめた、と桑弘羊はしばしば感じた。天の子なるがゆえに、不死である。いくら思い込もうとしても、死ぬだろうという、自覚は別のところにある。死なないというのは、死の恐怖の裏返しでもあったのだろう。 ほぼ全てのものを手にいれても、それは一瞬で死が持ち去ってしまう。その理不尽を、天の子であろうと受け入れなければならない。 そこから、なにかが曇りはじめている。ただ光に満ちていた人生に、霧のようなものがたちこめてきている。(382p) 大司農になってしまった桑弘羊は、今のところ1人のみ処罰もされないでずっと帝の側にいる。その桑弘羊から観た劉徹論である。実は桑弘羊は、司馬遷「史記」には記述されていない。司馬遷の亡くなったのちに死んだからである。しかし、一巻目からずっと桑弘羊から見た世界がこの「史記 武帝紀」を彩っている。よって私は、桑弘羊こそが筆者(北方謙三)の分身かもしれないとさえ思うのである。 全七巻のちょうど真ん中。遂に北方版「史記」の主要人物が、歴史の舞台で活躍を始める。 司馬遷は、父親司馬談の「私の仕事を受け継ぎ、歴史を書きあげてくれ」という遺言ともいえる言葉に出会う。しかし、「史記」にある「憤死」は、司馬遷の主観であったという描き方になっていた。 李陵は「霍去病に並ぶ軍才がある」と衛青に認められていた。しかしこの巻では戦は起きない。 蘇武が終に匈奴の囚われの身となる。 ずっと北方謙三版中国歴史物語を読んで来て、桑弘羊にしろ、司馬遷にしろ、蘇武にしろ、ここまで文官が主要人物として登場して来た物語はない。しかし、当たり前といえば当たり前、歴史は戦争によって紡がれるものではない、むしろ政治の延長の上に戦争があるに過ぎない。これは北方謙三の新たなる「挑戦」というべきなのだろう。 2013年11月13日読了
2013年11月29日
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「史記 武帝紀3」北方謙三 ハルキ文庫 この三巻めで漢飛将軍李広の悲運にまみれた自殺が起きる。 衛青、霍去病、武帝共にその死は惜しんだが、司馬遷の書いたように「これを聞いて国中の百姓たちが、広を見たことがある者もない者も、老人も若者も、みな彼のために涙を流した。」という場面はついに現れなかった。また、「天命である」と云う李広の最期の言葉は伝わったが、「かつ広は年六十余なり。ついにまた刀筆の吏に対するあたわず」と、小役人の前でバカにされることを恐れたという記述もなかった。 北方謙三の中に、「立派な漢(おとこ)の最期は世間の評判も気にしないし、小さなプライドは捨て自分の大きな矜恃のみを守るのだ」とでも言うべき「美学」があるのだと思う。 李広去りて、孫の李陵が大きく前に出て来る。蘇健の息子の蘇武も李陵の友人として登場する。この武帝紀の前半は終わり後半に入ろうとしている。霍去病は一瞬の眩いばかりの輝きを見せ消えていった。李陵と蘇武は後半の主人公になるはずである。しかし、残念ながら「史記」には李は数行、蘇武は完成時に存命だったために書かれていないのである。 眠りに落ちると思った瞬間、劉徹は不意に異様な気分に襲われた。それは恐怖と呼んでいいものだったかもしれない。 いなくなる。ふと、そう思ったのだ。この自分でさえ、いなくなるのか。 霍去病が、いなくなった。自分にさまざまな圧力をかけた、外戚たちもいなくなった。しかし、自分がいなくなることがほんとうにあるのか。(362p) 名君武帝の暗君への始まりである。 西の匈奴は駆逐した。西域から張騫がサラブレッド汗血馬を引いて戻って来る。武帝の新たな野望が始まるだろう。 2013年9月12日読了
2013年10月20日
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「史記 武帝記 2」北方謙三 ハルキ文庫 遂に司馬遷が登場する。二十歳。彼が淮水に向かい最初の旅を終えたあと、将軍になる直前の18歳の霍去病と会話する。少し長いが、書き写す。 「私は、戦は嫌いなのですよ、霍去病殿。避け得ることができる愚かさが、戦だと私は思うのです」 帝が愚かだと言っているようなものだが、そういう意識は司馬遷にはないらしい。 「司馬遷殿は、匈奴をどれほど御存知なのですか?」 「深く知っているわけではありません。しかし戦をせずとも、なんとか付き合っていく方法はあるはずです。それを言う廷臣はいないのですか?」 「匈奴は、戦のために生きるような民が、作っているような国です」 「片方では、関市などやりながらですか?」 「そうなのですよ。どんなに優遇しても、無駄ですね。闘わずにいられなくなるのが、匈奴の男たちです」 「平和に暮らしていれば、そして豊かさがあれば、戦など起きない、と思いますね」 「死んだ学識で考えれば、ですよ」 「私の学識が、既に形骸となっている、と言われるのか、霍去病殿?」 「そういう答しか出てこないなら」 司馬遷の顔が、蒼白になった。怒ると、顔を紅潮させるのではなく、青ざめるようだ。そのぶん、怒りは深く暗いものに感じられた。 それ以上の言い合いにはならなかった。 霍去病が、わざわざ入ってきて、司馬遷と話そうとしたのだということが、桑弘羊にははっきりわかった。霍去病の、人への興味の持ち方が、まだ桑弘羊には掴みきれない処がある。 「失礼します」 桑弘羊だけに言い、司馬遷は部屋を出ていった。 霍去病が、低い声で笑った。 「頭で、考えたことがすべて、という人ですね。」 「馬鹿にしているのか、霍去病?」 「まさか。あの人が政事に携わったらどういうごとになるのか、考えただけです」 「で、どうなると思った?」 「理路で割り切れないものを認めなければ、政事はできません」 「なるほど。それで戦は?」 「戦もですね。たったひとりの勇猛さが、戦の流れを変えたりします。勇猛さは理路では割り切れません」 「言っている意味はわかる。司馬遷に何がたりないと、おまえが考えているかも」 「あの人の足りなさは、政事でも戦でも、ほんとうに見ようとしていない処ですよ。それだけです。役人の考えようなことは、つまらないと決めてかかっている、と俺は思いました。それならば、役人が思いつきない大きなことを、陛下に語れるのか。それも駄目ですね。細かいごとに、入り込みすぎるのでないか、と思います」 「司馬遷はもっと深いところへ行く、という気がするがな。それにしても、おまえの生意気な言い方を聞いたら、衛青は張り飛ばすだろうな」(218p) まるで現代の尖閣諸島問答のようではある。この古典的な「武力優先か、話し合い外交優先か」論争の是非は置く。ここでは司馬遷の頭でっかちを年下の霍去病に批判させる処が面白い。確かに司馬遷は「現実」に即しては語っていなかったと思う。果たしてこれから司馬遷はどう変わってゆくのか。注目したい。 「史記 衛将軍驃騎列伝」で蘇健が戦い敗れて部下を捨てひとりだけ逃げ帰った場面が、この小説にも出て来た。衛青は処断がわからなくて、武帝に処罰を任せたのではなく、衛青自身の戦略の大きな判断ミスを蘇健の贖罪に変えてもらったことで、恩賞の代わりを受けたという形にしていた。判断は武帝にあったのではなく、衛青にあったのである。つまり、司馬遷の史記では武帝が(李陵と違い)蘇健の罪を減じたと描いたが、北方版では大将軍の判断だったとなったのである。 解説に於いて、この北方謙三「史記」執筆の動機が「高校の時に読んだ「李陵」を再現したい」ということにあったことを明らかにしていた。だとすれば、このあとの展開は司馬遷の見た「史記」とは全く違ったものになるだろう。 2013年8月11日読了
2013年09月01日
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去年の今ごろ「史記」の解説本を読んで、この紀元前の偉大な史書に対して興味を持った。「水滸伝」シリーズの北方謙三が小説に書いていると聞き、いつかは読破しないといけないと思っていた。やっと文庫化されて全7巻の武帝紀を読むことが出来る。カテゴリーは「水滸伝」に入れます。 「史記 武帝紀 1」北方謙三 時代小説文庫雪が、肩に降り積もっている。大地も、白い布をまとったように見えた。肩の雪は、振り払えない。後ろ手で、縄を打たれているからだ。「いまでしょ」の林先生が「名作を見分ける」方法として勧めていたのが作品冒頭の一頁その一行目を見るということだった。よって、この大長編の冒頭三行を抜き出してみた。北方版「史記(司馬遷)」と言いながら、この作品第一巻には司馬遷はおろか父親の司馬談も出ては来ない。武帝は即位間もない頃の劉徹として現れ、次第と力を蓄える28歳頃までが描かれる。初めて匈奴の奥深くまで侵攻した衛青がこの巻の主人公であり、冒頭の描写は衛青が無名の兵士だったときに皇后の母親の気まぐれで捕らえられ殺されそうになったときの描写である。まるで、景色を楽しんでいるかのような衛青の大物感を描き、歴史上有名ではない衛青を先ず中心に据えることで、この物語の壮大さが強調されるだろう。ともかく、私が名前を少しでも聞いたことがあったのは、武帝と、最後の方に出てくる衛青の甥、13歳の霍去病ぐらいのものだった(その後調べたら、衛青も李広も史記の列伝に採用されていた)。このあと、約50年の前漢の歴史書が紐解かれるわけだが、北方謙三は何を描こうとしているのか。日本は弥生時代中期の未開地、倭国大乱はまだ始まっていなかった。朝鮮半島では楽浪郡が大きな力を持っていた。遊牧民族匈奴が広大な北を支配し、西域では大月氏、大宛、大夏などの民族が漢帝国との交易を望んでいた。その中で描かれるのは衛青たち騎馬軍団の成長、漢(おとこ)の姿、青年武帝の野望だ。今のところ、予想は「北方版 漢(おとこ)列伝」のように思えるのだが、果たしてどうだろう。2013年6月18日読了 produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2013年06月19日
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「独り群せず」北方謙三 文春文庫驚いた。「杖下に死す」の正統続編があった。驚いてAmazonで取り寄せて2日目には読み切っていた。つまり、夢中になるほどに面白かった。大塩平八郎の「乱」から21年が経っていた。時は幕末の動乱期に入ろうとしている。利之は一流の料理人になり、料亭から隠居をする歳になっていた。しかし、友達だった格之助の事は忘れることはない。お勢も亡くなり、養子直治の息子利助の料理修行に手を貸しながら、料理別館に精を出す日々である。見事な幕末小説であり、料理小説であり、漢(おとこ)の小説である。驚いた事に利之の超人的な剣の腕は衰えていない。「俺は思うんですよ。利之さんは、ずっと料理を造ることで、剣の修行を続けてきたのやとね」ここら辺になると既に「水滸伝」の王進先生か、黒旋風李逵である。釣りや料理の場面が生き生きとしており、流石、北方謙三長い修行(道楽)が活きている。利之は最後に命を投げ出す。そりゃ利之ほどの剣豪でも投げ出さざるを得ない、相手は誰でも知っている「彼ら」なのだから。しかし、利之は基本的に決して動乱には入っていかない。それはやはり利之が作者の分身なのだからだろう。2012年10月2日読了
2012年10月20日
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「吹毛剣 楊令伝読本」集英社文庫(北上次郎) いいなあ、すごく。それはきれいな完結になると思う。第一部が夢の話で始まって、戦うというのは基本的に夢の話ですからね。第二部で現実の話になって、最後は人生の話になるわけですよ。すごくきれいな形で終わりますよね。(97p)文庫版の「楊令伝」が完結して、恒例の読本が出た。今回は全体的に本格的な評伝は載っていなかった。みんな物語が完結していないという気持ちが強いからだろう。所々に北方謙三の「ホンネ」が散りばめられている。それが、それだけが、この本の価値である。岳飛とはライバル関係だった。この二人にいい戦をさせようと思いながら書いていたが、なぜか死なせてしまった。作者にとっては、残念な死を遂げた男である。(人物辞典 花飛麟への作者コメント185p)李英は、本当は生き残らせようと思っていた。あの死闘の場から逃げると、載宗なんかが現れて、本寨へ連れて行かれる。すると楊令が罰を与えるのだ。その罰を何にしようか、馬糞掃除だと林冲と同じになってしまうから‥‥などと考えているうちに、死んでしまった。(187p)「楊令伝」は1118年より始まり、1136年に閉じる。このことだけは、メモしておかなければならない。2012年9月19日読了
2012年09月30日
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「楊令伝15」北方謙三 集英社文庫最終巻である。今巻ほどページをめくるのが辛かった本は無い。「楊令伝」の最後には主人公である楊令が死ぬことは定められている。それだけは定められているが、他の人物の死は定められてはいない。しかし、一つの物語が閉じるのだから、主要登場人物が死ぬのは、ある意味当然だろう。まさかこの人が、という人が次々と死んでゆく。思えば、「水滸伝」以来の人物は20人しか残っていなかったのだ。それがこの巻だけで9人も亡くなるのだ。もちろん彼らは十分に生きた。しかし、この「楊令伝」では彼らに必ずしも「水滸伝」の様な「滅びの美学」という舞台は与えられない。前作は戦って華々しく散るのがテーマだったからそれで良かった。しかし、「楊令伝」は国家建設の物語である。どの様な事情があろうとも、途中で退場は、その建設に棹さすことなのである。私は最終巻に梁山泊に大洪水が襲うと聞いていた。だから、この洪水が楊令の命と共に国そのものを押し流すのだろうかと思っていた。しかし、そんな単純なことではなかったのである。敵役では遂に李富が死んだ。思いもかけず、呉用がトドメを刺した。「水滸伝」「楊令伝」通して最大の敵役だった。物事の順番を「国の秩序」に置き、その為にありとあらゆる権謀術数を使った。しかし、決して自らの利益の為に動かなかった。自らの子供を皇子にしたが、それも自らの為ではなかっただろう。いや、単なる金のためではなかったが、もしかしたら「国を自らのものにする」という魔物に取り憑かれたのかもしれない。その事の答えは次の「岳飛伝」で明らかになろう。その李富の最期は実に呆気なかった。「なるほど。わしは、ここで死ぬのか」李富はかすかに笑っていた。(192p)この長い物語は最大の敵役が死んでもそれで終わりでは無い。そんな単純なことではなかったのである。「死なぬと言え、公孫勝」「いや、死ぬ。死なぬふりをしているのも、ここまでだろう」「死を選んだのか?」「見たくないのだ、呉用殿。夢が、実現していくのを、私は見たくない。見るべきでもない」「心の中に、見果てぬ夢を抱いたまま、死んでいった同志が、多くいすぎるのだな」「林冲など、いつまで経っても、どこにも行かん」「おまえは、私の心の中に居座ろうというのか?」「あんたが、死のうというのは、虫が良すぎる。もっと、苦しむんだな」公孫勝が、低い声で笑った。(195p)「楊令伝」では、宋江の様に楊令は次の頭領にバトンは渡さない(渡すことが出来なかった)。その代わり、公孫勝が呉用にこういう形でバトンを渡したのではないか。もっと苦しめ。長い物語の最終巻で、こんなにもカルタシスが無い終わり方というのも珍しい。光が見えない。あゝ良かった。という様な物語ではないのか。河の流れはいったい何処へ辿り着くというのか?そんな単純なことではないのか。頁を変えて別の機会に、この「大水滸伝」構想に関しては語って置きたい。とりあえず、次の「岳飛伝」の文庫化が始まるまでの約4年間、またもや雌伏の秋を過ごさねばならない。2012年9月15日読了
2012年09月29日
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「楊令伝14」北方謙三 集英社文庫前の巻で、若さ故に裏切り者が出た、と書いた。申し訳ない。私の浅はかさだった。志で結びついた若者たちは、そう簡単に全てを裏切らない。李英は梁山泊の一員として立派な最期を遂げる。最終巻近くになって、やっぱり、まさか、という感じで英雄たちが死んで行く。新しい時代を理解出来なかった古いタイプの革命家の戴宗は成る程という形で死んでいった。いい死に方だったと思う。楊令は言う。「なんのために戦をするか。それはもう、梁山泊を守るため、ということではなくなっている。新しく、現れてくるものを守る。新しいものを、ただの夢で終わらせない。そのために戦をする。俺は、そう思っている。新しく現れてくるものが、どんな姿をしているのか、俺はまだ言葉で言うだけだ。実際に現れてきたら、それは俺たちを押し潰すようなものなのかもしれん。しかし、俺はそれを見たい。梁山湖の湖寨に拠って、宋とのいつ終るともしれぬ闘いを始め、死んでいった梁山泊の先人たちは、みんなそこに光を見ていたのではないか。おぼろだが、「替天行道」の導く光を。志の導く光を」全員が楊令を見つめている。楊令は低く「替天行道」を暗誦した。途中から眼を閉じた。湖寨にあった聚義庁の、燃える炎が見えた。背後の岩山で、ひとりで待っていた宋江の、静かな眼が見えた。心の中の、黒々としたものに光を当てよ、と言った宋江の声が聞こえた。(282p)楊令の国は共和制になっただけではなかった。梁山泊を越えて燎原の火の様に「自由市場」が広がる。膨大な物資を動かして、その利鞘だけで運営する国。それは現代でさえもまだ実現していない、究極の資本主義社会である。楊令初め、この時代の登場人物たちがその正体を見極め、コントロール出来るはずがなかった。金や宋はこれを畏れ、梁山泊は守ろうとする。そうやって、最後の闘いの機は熟していこうとしていた。国とは何か。革命とは何か。大きな問が立ち上がろうとしていた。ここまで来てまだ混沌としている。果たしてどの様に決着が着くのか。あと一巻しか無いのである。
2012年09月27日
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24日朝日新聞社会面に「オスプレイなぜ頭上に 憤る住民「運動会の最中にも」」(山口周防大島)が載っていた。23日には周防大島の運動会をしているグランドの真上をオスプレイが通ったらしい。今回の政府との約束「人口密集地は飛ばない」「出来るだけ水上を飛ぶ」ということ以前に、「学校施設の上空は飛ばない」という取り決めがあったのにそれさえ無視している。おそらく「150m以下の高度では飛ばない」という取り決めも無視するだろう。そもそもあの普天間基地のどこを飛べは人口密集地を避けることが出来るというのか。最初から米国は守る気などさらさらなかったということだ。これでも政府は安全というのか! と、言うことと関係なく韓国から戻って読み終わった本を幾つか載せます。「魂の岸辺」北方謙三 集英社文庫北方謙三の少年モノである。どうして女が描く少年は小学5年から中学2年までの大人一歩手前になって、男の描く少年は大人になるまでを描くのだろうか。眠れなかった。躰の芯の方に痛みがある。佐野とやり合った時より、ずっとひどいようだ。一発一発のパンチがずしりと肚にこたえた。やるだけはやった。久我とやりあって、勝てるはずも無いことは、頭のどこかでわかっていた。だからやめる。そうしなくてよかった、と周一は思った。最初からやめていれば、闘う前に負け犬だ。やりあって負けはしたが、それは第一ラウンドの負けのようなものだ。寝返りを打とうとしたが、背中あたりがひどく痛んだ。顔も腫れているので、横にはむけられない。仰向けでじっとしているのが、一番いいようだった。くやしくはなかった。やるだけやって負けたのなら、くやしくもなんともないことが、はじめてわかった。久我というのは、強い男だ。それを認めるような気持ちはある。(148p)1986年「小説現代」初出。古いタイプの男たちが出てくる。最後は高倉健の様な男が怒りを爆発させる。雪は降らない。藤純子の代わりに、周一がそれを見守り、大人の世界に入る宣言をする。負けても負けても強くなる。それは、やがて岳飛の姿にも繋がっていくだろう。2012年9月14日読了
2012年09月26日
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「楊令伝13」北方謙三 集英社文庫「第一、戦いをやめようと思ったら、やめれるのか。やがて、戦いは起こる。その準備を梁山泊はしている。いいか、いずれ交易は、商隊を出さなくても出来るようになる。西域の国々から、隊商がくる。日本からも、南の国からも、交易船がくる。物が梁山泊に集まり、散っていく。梁山泊には、金銀がのこるだけだ」「なるほどねえ」「そんな国を周囲が許すと思うか。税が安く、商いが自由な国を。よってたかって、潰しにかかる。それは、楊令殿も呉用殿も、よくわかっているだろう。どう凌ぐか。楊令殿の頭は、それで一杯のはずだ」「凌ぎきったら?」「周囲は、自然に梁山泊になる。そうなるために流れる血は、童貫戦の比では無いだろうが」「凌げなかったら、潰れるだけかい?」「その時、私に何が出来るのか。ほかの商人は知らず、紡鵺盛栄に、なにができるか。いまは、そればかりを考えているのだ、私は」「楊令殿は、北京大名府を、呼延陵に占領させたよ」「戦をやりたがっている連中を、宥める意味もあったのだと思う。いずれ、周囲が梁山泊と同じようになるか、試しているのだとも思う。呉用殿の考えが大きいだろうが」「いずれにせよ、戦はある、とあんたは思っているんだね?」「思っているよ。生きるか死ぬかの戦いを、梁山泊は通り抜けるしかない」「底なし沼を、掻き回さなくてもか」「沼が、口を開けて嗤っているだろう。人の愚かさや醜さを飲み込もうとな」「わからないよ、あたしには」「酔っているものな」「素面だって、わかりゃしないさ」(159p)梁山泊、金国、斉国、南宗、入り乱れての混沌の中で、岳飛は僅かに蕭珪材に辛勝する。先が見えない戦乱。楊令の理想は、果たして実を結ぶだろうか。梁山泊から、一番に裏切り者が出るとしたら、戴宗、韓伯竜、そしてこの盛栄を予想していた。処が、この巻で彼らは一様に「漢」を見せる。意外にも最初の裏切り者は「あいつ」だった。思うに、若いということは、こういうことなのかもしれない。2012年7月3日読了
2012年07月14日
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「楊令伝12」北方謙三 集英社文庫「何もかも、『替天行道』が悪いのじゃよ、宣賛」 「おかしなことを、言われますね」「いや、悪い。悪いということにしておこう。宋江殿はあれに、新しい国を作る夢まで書かれてしまった」杜興の言葉に、冗談を言っている響きはなかった。 「腐敗した権力を倒すべし。それだけが書かれていたら、宋を倒して、梁山泊の闘いは終わりであった。新しい国は、誰か別の者が作ればいい。梁山泊で闘った者は、人民の海に消えていくだけで良かったんじゃ。そしてまた、権力が腐敗すれば、 『替天行道』 を読み継いだ者が、立ち上がればよい。闘いの輪廻はあっても、闘う者たちはそのたびに変わる」「新しい国を作ることは、間違いだと言っているのですね」「そんなことは、言っておらん。そこまでできるのだろうか、と言っている」「おかしなことを、言われます。現に、この梁山泊は」「うまくいっておるのであろうな、多分」「まだ、この世に顔を出したばかりの国ですが」「難しいな。ここは国なのか?」「国です」なんという話だ、と思っても、杜興は途中でやめない。「わからんのう」(213p) 大いなる不安の中で、梁山泊は苦しんでいた。杜興は小さな綻びを直す為に、自ら命を落とす。古株たちも水滸伝の英雄に負けない見事な最期を遂げたが、 私はこの古狸の死に方が1番心に残った。思えば、楊令が初めてみんなの前で新しい国つくりの理想を語ったとき、一番冷静に沈思して聞いていたのは、この杜興だった。 「のう、宣賛。いま梁山泊はいい夢の中じゃ。夢は醒める。醒めた時、いい夢が現実になっておる。そうするのは、おまえたちの仕事じゃよ。わしは、もうきつい仕事はできん。おまえたちが、やれ」 いま日本は、外面は穏かな大木だが、中味はグズグズに腐っている陽だまりの樹なのではないか。真の意味で、憲法が暮らしの隅々まで活かされている国、そんな未来は果たして来るのだろうか?もし出来た時、私たちはもしかしたら、途方に暮れるのではないか。そんなことさえ、思ったのである。私は、杜興の立場か、宣賛の立場か。
2012年06月08日
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「楊令伝11」北方謙三 集英社文庫「退け。退き鉦」初めて岳飛はそう言った。しかし、遅い。「珪」の旗が、すぐそばにあった。それからどうしたか、わからない。駆けに駆けた。追撃が熄んだ時、一万騎は七千に減っていた。そのまま隆徳府の軍営に駆け込んだ。馬を降り、顔をあげて営舎に入り、ひとりになると膝を折った。床に額を叩きつけた。流れた血が、視界を塞ぐ。(略)「会議を開く。敗因について、俺が説明する」「そこまでしなくても」「いや、俺の誤りで負けた場合は、それは説明すべきだ」徐史は、迷っているようだった。岳飛は、大声で従者を呼んだ。隆徳府の軍営にいた将校は、全員集められた。岳飛は出動し、斥候を出したところから説明を始めた。壁に大きな紙を貼り、両軍の動きを、筆で書き込んでいった。質問は、幾つか出た。その時、その時の心の動きまで、岳飛はできうる限り説明した。そうしながら、負けるのは当然だった、とまた思った。蕭珪材の動きには、気負いというものがまったくない。自然体で、ただ前に出てきている。だから、どうにでも動ける余裕があったのだ。勝つためにどうすべきだったのか、ということも話した。岳飛が話している間、軻輔はただ腕を組んで、黙って聞いていた。(208p)十一巻目に至り、かすりもしなかった岳飛の実力は、少しだけ楊令軍に近づく。しかし、あと四巻しか無いのだ。これがどうやって、楊令伝から岳飛伝に移ることが出来るというのだろうか。これからの展開が、岳飛に限っていえば、全く読めない。楊令の国造りは、とりあえず順調だ。経済的基盤は何とか出来た。あと、何が必要なのか。
2012年05月13日
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「黒龍の柩(下)」北方謙三 毎日新聞社見果てぬ夢。この夢は、美し過ぎたのか。だから、薩摩も長州も、それを認めることができなかったこではないか。京で、攘夷派の志士を倒し続けた自分に、美し過ぎる夢はふさわしかったのか。(362p)あるいは、こんな会話があった。「私は聞いたことがあります。この国にも、外国にも、民の血さえ見ること無く、権力の移譲がなされた歴史は無いと。いつか誰かが、それをたたえるはずです」「江戸と京だけは、戦火で焼いてはならん。それをやれば外国の介入がある。そう信じた自分を、私は否定する気はない。いまも、正しかったと信じている。しかし、夢もまた、正しいと信じて私が抱いたものであった」「薩長が、小さ過ぎました。自分たちが安心する国を作りたい。民ではなく、自分たちがと考えたのだろうと思います」「土方、私は生きられるかぎり生きて、この国の行末を見つめていこうと思う。願わくは、平和な国として大きくなってほしいと思う。薩長さえも、恨むまいぞ、土方」「はい」(320p)一方は土方歳三、一方は徳川慶喜である。北海道を独立国にする。「カムイ伝」でも、「男一匹ガキ大将」でも語られた「男の夢」が此処でも語られ、そして閉じられた。此処での夢の語られ方が私は一番好きだ。非戦の夢。しかし、それは決して夢物語じゃないと、私は思う。むしろ、弥生時代の国譲りから始まって、我々の伝統でもある。日本はかつて内戦でも戦争でも、一族郎党を殺し尽くす戦いをしたことは、殆んどない(例外は信長と南京、重慶だけだ)。だから、彼らの夢は正しい。あり得たかもしれない夢を描いただけなのである。土方歳三という、歴史の中では全く傍系の人物を通して、夢を描く。その手法は、やがて「水滸伝」「楊令伝」、そしておそらく「岳飛伝」に繋がって行く。
2012年05月12日
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今日5月11日は土方歳三の命日です。歳三忌とかいうような名前は付けられていないようですが、それを記念してということでもないのですが、この前読んだ土方歳三を主人公にした小説を紹介。「黒龍の柩(上)」北方謙三 毎日新聞社滅びるまで、生きる。生ききったという思いの中で、滅びる。それが男ではないか。なんとなく、そんなことを歳三は考え続けた。(352p)この前書評を書いた「草莽枯れ行く」の脱稿7年後、大作「水滸伝」連載開始前後にこの作品が出来上がっている。しかも、「草莽枯れ行く」と、相楽総三と清水次郎長以外は登場人物がかぶるのである。(2人は同作の主人公なので登場させないようにしたのだろう)だから、これも明確な日本版「水滸伝」なのである。新撰組、特に土方歳三という二癖三癖ある人物を中心に、今のところ山南敬介、近藤勇、沖田総司、勝海舟、坂本龍馬などが登場して幾人かは物語の途中で退場して行く。最後に「生ききって」退場するのが、土方歳三という仕掛けなのに、違いない。前巻では、その最後の前に一つの「夢」があったということを匂わせている。そこに「林蔵の貌」で語られたあの「構想」が述べられる。裏の幕末モノといってよい。もしかしたら、他の作品もリンクしているかもしれない。多分「水滸伝」を前にこの作品で幕末モノの集大成を図った感がある。と、いうわけで、期待して下巻へ。
2012年05月11日
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「草莽枯れ行く 下」北方謙三 集英社 「新しい政府ができたら、俺はやろうと思っている事がある」 「お前なら、結構いいところに行けると思うぜ。どうせ、薩摩と長州で官の奪い合いだろうが、薩長の幕府という非難を避けるためには、お前の様な草莽を加えるのがいい、と誰もが思うだろう」 藩を後ろ盾にしているわけで無いから扱い安い。そんなことは、総三にも分かっていた。総三がやろうと思っているのは、新政府の仕事ではないのだ。 商売をやってみる。例えば、清水には松本屋平右衛門という回船問屋がいる。清水には、幕府の米が集められ、駿府に運ばれている。幕府がたおれれば、その米が無くなる。つまり船が余るのだ。 薩摩や長州や土佐の商人は、政商になっていくのが目にみえていた。そうでない道を、松本屋とならば探れる。政商ではないものの強さも、どこかにあるはずだ。それに清水には次郎長がいた。(105p) 前巻の感想で私は「これは日本版「水滸伝」だ。革命小説だ」と書いた。 内政の腐敗の一掃と外交、二つの危機をどうするか。それを解決する方法として、「佐幕開国」「尊王攘夷」「公武合体」「薩長連合」「大政奉還」「版籍奉還」があり、僅か数年のうちにそれが目まぐるしく変わった。 その中で周辺の知識人たる相楽総三は、持てる手段の全てを打って「未来」を作ろうと(この小説の中では) している。しかし、彼らに待ち受ける未来は「敗北」であることが既に決定している。その意味で、「水滸伝」であり、「楊令伝」なのである。 岩倉という男なら、どんなことでもするだろう、と次郎長は思った。いかさまでも、半端はやらない。華奢な男だが、そういう所はあった。いかさまをいかさまと思わない。博徒にも、そういうのがいる。岩倉は似ていた。総三がなにをやったかというと、それだけなのだった。つまり、少数の人間の都合のために、殺されたのだ。殺しただけでなく、汚名も着せた。やくざでもやらないことだ、と次郎長は思った。喧嘩は勝負。終われば、汚ないことはしない。何がなんでもというのは、長脇差を抜いている間だけのことだ。幕府が潰れようと、新政府が出来ようと、次郎長にはどうでもいいことだった。(264p) 次郎長は最後に岩倉具視を斬る(それで岩倉具視が死んだかどうかは、読んでのお楽しみ)。この小説では、西郷隆盛も権謀術数を駆使する悪人として描かれている。他にも伊牟田小平、益満休之助、勝海舟、山岡鉄舟、新門辰五郎、土方歳三、板垣退助などが登場、側面から幕末を活写している。それに「ヤクザ」の視点を入れることで、幕末の「上からの革命」部分が見事に描かれていると思う。そういう所もヤクザ者が多い「水滸伝」とよく似ていると思う。
2012年04月21日
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今日は大風が吹いた。ガラス窓が至る所で破れ、救急車のサイレンがひっきり無しに聞こえてきた。岡山南部にこんなに風が吹くことはめったにない。何事かと思えば、72候では今日は「雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす)」という日らしい。昔からちゃんと警告は発せられていたということだ。寒冷前線が通りすぎるこのころは、雹が降り、遠雷が鳴り、花散らしの風が吹く。閑話休題、楊令の国造は財源確保の為にシルクロードから東北藤原京までの道作りを目指そうとしていた。発想やよし、まだ鎌倉幕府誕生まで間がある、史書には載っていない彼らの国だけど、見守りたい。「楊令伝 10」北方謙三 集英社文庫「役に立つのかな、それ?」「ああ」「よかった。あたしは、働いたよね」「働いた」徐絢が、眼を閉じた。唇は、動いている。羅辰が、かすかに首を横に振った。縫った傷のところから、出血が続いている。「死ぬのかな、あたし」「俺がついている」おまえには俺がいる。いまさら言っても、空しいだけだった。「何か、足りない、と思ってた」徐絢が眼を開いた。「いつも、なにか、足りなかった」徐絢の眼から、涙が流れ出してきた。「ありがとうって言ってみたけど、それでも、足りない」徐絢の躰に、なにかが襲いかかっているのを、候真は感じた。「いま、わかる。ありがとう。続きがあるのよ。ありがとう、あたしみたいな女、好きになってくれて」徐絢がいなくなるということが、候真にははっきり分かった。(226p)楊令伝、ちょっと女性に厳し過ぎはしないか?徐絢には生きて欲しかった。国造り、それぞれの処で闘いは続く。泰容が遂に動き始めた。
2012年04月03日
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今日、春一番が吹いた。気がついたのは窓をひとしきり鳴らして通り過ぎたあとだった。「ああ、もしかしたら春一番かもしれない」夕方のネットニュースでそうだったことを確認する。まあ、そういうものだ。それでも今朝はいつもよりは楽に起きることが出来た。春一番 楊令始めた国造り「楊令伝 9」北方謙三 集英社文庫 楊令の正面に岳飛が出てくるのが見えた。一度だけ剣が交差した。岳飛の剣が、宙を飛ぶのが見えた。 それだけだった。楊令は岳飛軍を突き抜け、長平もそれに続いた。『幻』の旗は、揺らいでいない。『蒼』の旗もだ。 右手。童貫だった。楊令を、押し包もうとしてくる。息を呑むような、鮮やかな動きだった。しかし楊令は、それより速く反転した。(79p)遂に楊令と童貫との決着がつく。どのように剣を交わしたのか、描写されない。我々の想像に任せる、ということなのだろう。戦の終息。それはつまり、宋江が魯智深が思い描いていた、そして楊令が梁山泊の頭領になるに当って死ぬほど苦しんだ「国造り」の構想が明かされるということだ。「俺は北で幻王と呼ばれ闘ってきた。その闘いには、正しいものも間違いもあった。いま思い返すと、そうだ。一つの城郭で反抗してくる者を皆殺しにしたこともある。それでも俺が見つけようとしていたものは、光だ。なんとかして、光を見つけようとした」「わかりません、光などといわれても」「俺も、わからなかった。闘いながら、考え、捜した。宋江様が、最後に俺に言われたのが、光、という言葉だった。『替天行道』の旗が、俺の心に光を当てるとな」楊令が言葉を切った。杜興は、まだ眼を閉じていた。「民のための国。『替天行道』の旗を見つめながら、俺が見つけたのは、民のための国、という光だった。多くの男たちが、なんのために闘ってきたのかを考えても、やはり出てくるのは、民のための国だった。帝など、国には要らないのだ。苦しみや悲しみがあっても、民のための国があれば、民は救われる。それこそが光だ。俺が、宋江様に対して言える、唯一の答だ」(211p)帝政は取らない。税金は10%、あとは交易から収益を取るのだという。徴兵制を取る。常時軍隊6万、いざというときに20万、30万人を集める力を蓄えるのだという。12世紀の中国で、いや世界でそれはやはり「革命的」な考え方だっただろう。この小説はキューバ革命の中国小説版なのだから、それは当然なのである。しかし、もしこれが総べてなどだとしたら、やはり国造りは失敗に終らざるを得ない。「of the peaple ,by the peaple ,for the peaple」に即していえば、ここで述べられているのはfor the peapleのみだ。特にby the peapleが完成しないと、国造りは失敗になると思う。それは呉用に掛かっている。
2012年03月06日
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今日は啓蟄、一日中雨でした。体温動物には冷たい雨だけれども、大地には染み渡っていくような雨なのでしょう。人の世に冷たい試験雨が降る「楊令伝 8」北方謙三 集英社文庫「呉用殿が見舞いに来るとは、私ももう目醒めなくなるのだな」こんなことを、言いそうな気はしていた。呉用は笑いかえしたが、それは覆面で見えなかっただろう。「偽の書類は必要としていないのか。遠慮することはない。私はまだ、一通や二通の書類なら、書けるかもしれん。ほかに、書ける者はいないのだからな」「もういいのだ、しょう譲」呉用は、皺で隠れてしまいそうな、蕭譲の眼を見つめた。「偽の書類でこそこそやる時期は過ぎた。宋とは、正面切った戦になる」「そうか、安心して死んでいい、と言いに来てくれたか」(略)「面白いところに誘われたものだ。塾の教師がな」「私もわか若いころは塾の教師だった」「別れはしたぞ。またの見舞いはいらぬ」「わかった」この巻は全面、童貫と梁山泊との戦いであった。堰を切ったように多くの英傑たちが死んで行く。海棠の花と云われ、不幸ばかりが襲ったあの女性には、この大河物語の最後まで生きて欲しかったのであるが、ほとんど必然性を持って泥土に沈んだ。唯一礫という飛び道具を持ったあの英傑も、岳飛という新しい時代の若者の前にあっけなく斃れた。「水滸伝」時代の英傑ばかりでなく、若者も次々と斃れた。そうして冒頭にある様に、呉用をして「一軍を率いている指揮官がいないより、大きなことだった」と言わしめた蕭譲も静かに亡くなった。私もおそらく病院で死ぬのだろうが、この様に友に別れを告げたいものだ。それだけではない。戦いの中で若者たちの目の覚める様な「成長」も描かれる。思うに、この楊令伝、中盤の白眉であろう。
2012年03月05日
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「楊令伝6」北方謙三 集英社文庫呉用が楊令を見つめてくる。「行こうか、梁山泊へ」「ほう、本気になったか」「いままでも、本気だった。本気であるがゆえに、勝つ道筋が見えなければ、立つこともできなかった」「そんな道筋はどこにもない。俺たちにもないが、童貫にもない」「確かに、そうだ。私は、確かに、いや楊令殿自身に、手を握って引き摺り込まれたかったのかもしれない」「いくらでも引き摺り込んでやる。反吐が出るほどにな。俺が足りないと思っていたものが、これで揃った。あと足りないのは、兵力ぐらいなものだ。それはおまえの頭でなんとかして貰うしかない」「わかった」この巻は大きい戦の続いたシリーズの「転」巻のようものだ。今まで揃った漢たちの小さなエピソードを繋げている。一番大きいのは、聞煥章の人生に決着がついたことである。思えば、優秀な男だった。優秀なだけの男だった。頭だけよくて志がない男が国政に係わるとろくなことがない、ということの象徴のような男だった。「水滸伝」で消えるべきだと私は思っていた(あれだけ多くの漢がなくなったのだから、敵役の重要人物も死んで欲しかったという意味である)。生き残るにはそれなりの意味はやはりあった。彼が企てた燕州の「夢」は、その後いろいろとバリエーションを持ちながら活きていくのだろう。ただ、そういう男の運命の決着の付け方としては、これは私は一番相応しかったと思う。扈三娘にとっては、可哀想だったが。彼女には悲劇ばかりが襲い掛かる。美人薄命ならぬ、美人薄運か。せめて、長生きしてもらいたいものだ。候真の昇格(?)も非常に興味深い。童貫の王進の里訪問も大きなトピックだった。おかしいなあ、と思っていたが、青蓮寺も禁軍もちゃんとここのことは把握していたのだ。それでもここを急襲するようなことは何故かなかったのだという。少し青蓮寺を好きになった。意外にも吉田戦車の解説は今まででピカイチのものだった。楊令のことをよく理解している。日本には珍しい「革命小説」いよいよ快調である。
2011年11月28日
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「楊令伝5」北方謙三 集英社文庫「方臘殿に、お伺いしたい」燕青は、階を見あげて言った。「この乱で、血が流れすぎた、とは思われませんか?」「燕青、叛乱では、血は流れないのか?」「多すぎたのではないか、と申し上げております」「ひとりの血も、百人の血も、同じだ。一万であろうと、百万であろうと、俺の信徒どもは、死ぬほうが幸福だと信じたのだ。大地は血と同時に、信徒の喜悦も吸った」「わかりません」「わかる必要はない。俺は叛乱を起こして、面白かった。生きて生きて、生ききった、といま思える。教祖だけやっていては、そんな思いは得られなかったと思う」「流れた血が多すぎました」「どれほど多かったのだ。半分だったら、それでよかったのか?」「いえ」「血は流れるものだ。生きていれば、血は権力に吸われる。その権力に刃向かって流した血ならば、吸われる血よりましだっただろう、と俺は思う」「言い訳に聞こえます、方臘殿」「燕青、言い訳をしているのは、おまえだ。梁山泊は、これから宋と闘うのだろう。その時に流れる血の言い訳を、いまからしているのではないか」一瞬、そうかもしれないと燕青は思った。志のために流す血、と言える。しかし、方臘は笑い飛ばすだろう。「流れる血に意味はない。血は、ただ流れるだけだ。それが、連綿と続いた、人の世というものだ」方臘は再び背を向け、階を上っていった。方臘対童貫の戦に決着がついた。方臘側の犠牲、70万。ほとんどが信徒で、抵抗もなく死んでいった。燕青は、この小説では珍しく、何度も何度も繰り返し方臘に詰め寄った。ここでの問答は、この巻だけの問題ではなく、所謂「革命」の何たるかを問う永遠のテーマだからだろう。もちろん、ここでは結論は出ない。この巻で楊令は一挙に「水滸伝」以上の革命拠点を占領してしまう。しかし、それでは終らない。これから、「革命」が始まる。
2011年11月27日
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楊令伝(4(雷霆の章))著者:北方謙三楽天ブックスで詳細を見る「なんだったのでしょう、史進殿?」花飛麟がそう訊いたのは、宮殿を出てからだった。「さあな。国とはこの程度のものだ、と楊令殿は、俺たちに見せたのかもしれん」第四巻は、いままでとは打って変わって、大きな戦いが立て続けに起きる。けれども、なんだか満足度が少ないのはおそらく私だけではない。梁山泊の戦い自体が少ないのである。宋対梁山泊という単純な戦いだった前シリーズとは違い、今回は複雑な様相を示している。南では宋禁軍童貫対宗教反乱方臘との戦い。北では禁軍の趙安対燕国を建てようとする耶律大石たちとの戦い、そして金国と絡んだ楊令が入っていく。梁山泊が絡んだときだけ、すぱっと気持ちのいい読後感がある。ほかの戦いは仕方ないけど、どろどろとしている。思惑が入り乱れ、金国でクーデターを起そうとした企みを、楊令はあっという間に沈めていく。その政変の決着を部外者であるはずの花飛麟たちが眺めるということも起こる。そして冒頭の呟きにつながるのである。もう、戦いに勝てばいい、というような物語ではないのだと、著者は私たちに見せたのかもしれない。花飛麟は成長しているだろうな、とは思っていたけれどもまぶしいくらいにいい男になった。堅物の花飛麟をからかう史進が面白い。また、子午山メンバーが二度集まってしんみりするところも今回の見所ではある。もう出て来ないと思っていたが、案外新しいキャラも次々と出てきており、前回の英傑たちの人数に迫ってきた。あたらしい将校の穆凌を評して公孫勝が楊雄を思い出し、しみじみというのだ。「黙々と、ただ自分のなすべきことをやる。腕が立つことも、人に知られようとせず、ひたすら致死軍で働いた。働いたことについて称賛を求めることもせず、私の眼から見て充分な働きをしたが、名を残すことなく、同志の胸になにか刻み付けることもなく、死んでいった」著者はあっさりと死なせてしまった梁山泊の英傑たちにこのように一人づつ、言葉の勲章を与え、同時に穆凌の紹介も果たしてしまった。あっという間に読んでしまった。また、一ヶ月が長い。
2011年09月23日
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この変哲もない写真は、昨日の夕方、18時40分の倉敷の風景である。街灯がつき始めた。空は曇っているが、夕方のわりには明るい。雨はちょうど止んだ。しかし、ちょうどこのとき、大型台風12号が真上にいたはずなのである。晴れの国岡山では、台風の直撃は生涯数えるほどしか起きてはいない。ましてや昼間のうちに真上を通るなんてことは、しかもそれが土曜日で一日中観察可能な日であったということは、もちろん初めての経験である。大変不謹慎だということは承知の上であるが、私はドキドキしながらずっと空を見ていた。この日は何処にも出かけず、一冊の分厚い小説を読破し、懸念の宿題をひとつ済ませた。で、結果は楽しみ(?)にしていた台風の目は現れず、このように比較的明るい曇り空が現れただけだった。ちょうどこのころ、岡山県下全域の多くのところで川の氾濫の恐れが出て(一部本当に氾濫して)、十何万人も避難勧告が出たばかりであった。幸いにも数十軒のの床上浸水があったくらいで、過去の直撃のときと比べたら被害は大きくはなかった。びっくりしたのは、倉敷地域すべてに「避難準備」の地域放送が流れたことである。大震災があって、自治体の災害に対する備えはどうやらギヤが一段上がっていたらしい。以下の本は、この日に読んだ小説ではなくて、楽しみにしていた「楊令伝」の三巻目。発売日翌日には買ってその翌日には読破していた。楊令伝(3(盤紆の章))著者:北方謙三価格:630円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る【内容情報】(「BOOK」データベースより)楊令は、幻王として金軍を率いながら、梁山泊の重装備部隊とも連携し、遼に侵攻した。呉用が潜入する江南では方臘の叛乱が拡大し、宋地方軍に大きな痛手を与えている。一方で聞煥章は、帝の悲願の地である燕雲十六州に、ある野望を抱いていた。ついに宋禁軍に出動の勅命が下り、童貫は岳飛を伴い江南へ出陣する。宋、遼、金国、方臘と入り乱れての闘いの火蓋が切られた。楊令伝、擾乱の第三巻。「これより、梁山泊の頭領となる。すべての同志を、わが血肉としよう、わが心としよう、わが命としよう。そして、宋と闘おう。かつての戦いで死んでいった、ひとりの同志の血も、無駄にはすまい。一度だけここで頼む。ともに、闘ってくれ」ついに楊令が宋江より受け継いだ替天行道の旗を掲げた。私も身体が震えた。「楊令伝」明らかにギヤが一段チェンジされている。まだまだ、童貫は最強で宋との戦いは永遠に続くかのようではあるのだが、最初のほうから楊令は「国つくり」を視野に入れているのである。一方、宗教を利用して方臘の乱が描写される。この方臘もなかなかの人物で、「あの」呉用がすこしづつ惹かれて行くのだ。この行方も楽しみである。 方臘の言っていることが、ある意味では正論だと、呉用は認めざるを得なかった。自ら戦おうと決意した人間は、みんなそれなりの道理を持っている。度人と替天行道のどこが違うのだ、という問いかけが襲ってきたのは一再ではなかった。 最後に持つものは権力。その生臭さは、むしろ方臘のほうが率直に出している。という気がしないでもないのだ。「考え込むのはやめにせよ、趙仁。はじめてしまったことを、悔むな。国などというものは、できる時にはできるのだ。殺戮の果てであろうと、無血であろうと、同じことだ。人の愚かさが、積み重なって国になる」
2011年09月04日
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楊令伝 2 (集英社文庫) (文庫) / 北方謙三/著一巻では、最後になって登場した楊令が今度は出ずっぱりだ。「俺はね、汚れたのですよ、青燕殿。梁山泊軍にいたときとは較べられないほど、汚れきってしまった。そんな俺を待つことを、空しいと思われませんか?」「汚れたかどうか、余人が決めることではない。おまえ自身が決めることだろう」「俺は汚れましたね」「いいな。子午山から降りてきたおまえは、若いくせいに非の打ちどころが無かった。それは、いくらか異常でもあった。人なのだからな。汚れを持っていて、当たり前と言っていい」楊令はいま、新しい国を模索している。いまは、まったく具体的ではない。しかし、呉用とも、史進とも、公孫勝とも、比べてもまったく見劣りしないのが頼もしい。今回の見所は、呉用のスパイ大作戦と、杜興が孟康に無理な要求を(泣き落としを使って)拝み倒す場面と、楊令と岳飛との運命の出会いであろう。「水滸伝」が19巻、「楊令伝」が15巻、しかしそれで終わりではなかった。現在「岳飛伝」を構想し、これで「大水滸伝(水の辺の物語)」三部作を完結させるのだという。この物語がキューバ革命を擬しているのだとしたら、楊令伝は革命直後のキューバ、となるだろう。そして、岳飛伝はもしかしたらゲバラの最後になるのだろうか。ともかく気が早い。まだまだ楊令伝は序章だ。
2011年08月21日
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「楊令伝一」北方謙三 集英社文庫ついに始まった。待ちに待った北方「水滸伝」の続編である。私のカテゴリーには「水滸伝」というのがあって、ここに北方歴史モノをぶち込んでいます。単なるエンタメ作品だといえば、その通り。別に読まなくちゃいけないような必読書でもありませんが、私の大のお気に入り。図書館で借りることを自ら禁じて文庫版が出るのをずっと待っていました。約三年間。これから約15ヶ月、胸躍る漢(おとこ)の世界に浸れます。「水滸伝」全19巻の概要を著者自身が書いています。楊令の視点から見事にまとめていて、この二ページの一文自体が独立した作品になっています。そのまま、書き写したい。内容もそうですが、「文体」も私のお気に入りなので。 何もかもが、真暗だった。 覚えているのは、顔の青い痣からだ。青面獣・楊志。賊徒に破壊された村から救い出されたその日から、その顔の持ち主が、楊令の父となった。 楊志は、「替天行道」の旗を掲げて腐敗混濁した宋の支配を覆さんとする反乱組織、梁山泊の一員だった。ある日、梁山泊の仇敵・青蓮寺の謀略によって、楊志は闇の軍に囲まれる。息子を守るため、楊家伝統の吹毛剣をふるって百人を斬り、楊志は壮絶な戦死を遂げた。そのときに浴びた火の粉によって、楊令の顔にも楊志に似た痣がついた。眼に焼き付けた父の死の光景は、顔の火傷と同じように、けっして消えることはないだろう。話す言葉を失い、ただ「強くなりたい」という思いだけが、楊令の中で大きくなった。 楊志の死後も、楊令の居場所は梁山泊にあった。楊令の体には、父の遣った剣が強く刻み込まれている。やがて、豹子頭・林冲に剣技を鍛えられるようになった。林冲立ち合いに、言葉はなかった。ただ打ち据えられる苛烈な稽古だったが、ひとりの男として対等に向き合ってくれているのだと感じた。 梁山泊は楊志の後継者として、青洲軍将軍であった秦明を同志に引き入れる。楊令は秦明のもとで養育されるが、秦明を父と思い定めることはなぜかできなかった。ある日、熱を出した楊令のために、一人の男が薬草を取って崖から落ちて死んだ。その蔓草を秦明から手渡されたとき、溢れ出す涙を止めることは出来なかった。男の命が、そこにあった。以来、小さな布袋に入った蔓草は、楊令の懐にしまわれている。 やがて魯達に連れられて、かつて史進や武松も暮らしたことのある子午山へと送られた。子午山に隠棲する王進から、楊令は本当の強さを学ぶ。王進とその母と、同じく子午山に預けられた長平と穏やかな暮らしを続けていたが、成長した楊令の元へ、病を得た魯達が訪れた。魯達は、梁山泊の同志たちとその志のすべてを楊令に語ったあと、憤死する。魯達が楊令に伝えたことの本当の意味は、まだ分からなかった。 宋との戦は最終局面を迎え、ついに禁軍最強の童貫元帥が出陣した。激戦の末、梁山泊の要衝は、ひとつひとつ陥されていく。楊令は梁山泊に合流するため子午山を降りるが、カクキンとともに北に行き、女真族の阿骨打について遼と闘った。梁山泊では秦明、林沖らが戦死する。戻った楊令は林冲亡き後の黒騎兵を率い、父譲りの吹毛剣で兜を飛ばし頬を斬るも、ついに童貫を討つことはできなかった。 かくして、梁山泊は陥落した。官軍に包囲され炎上した梁山泊で、楊令は頭領の宋江から「替天行道」の旗を託される。楊令にとって、生きることは別れの連続だった。瀕死の宋江に吹毛剣で止めを刺し、自らの胸に問いかける。人が生きることはなんなのか。すべてが闇のようなこの世に、光はあるのか。 敵中を斬りぬけ、楊令は、ひとり梁山湖へと跳んだ。曙光を求めて。第一巻は梁山泊陥落より三年後。まだまだ助走である。楊令は遠く女真族が起こしたばかりの金国で幻王と名乗り、梁山泊とは一切連絡を絶っていた。やがてこれから北宋の滅亡が描かれるのだろう。そのとき、梁山泊の生き残りたちはどうなるのか。楊令はどうなるのか。新しく登場してきた英傑たちの落とし子たちはどうなるのか。「魯達が楊令に伝えたことの本当の意味は、まだ分からなかった。」と、書いているがそれはおそらくこの「楊令伝」を予言しているのだろう。男たちは寡黙だ。語る言葉ぽつぽつと。魅力的なのはやはり新しい人物たちだ。武松と燕青に鍛えられ体術の達人になりつつある候真、自信家でそれだからこそ危うい花飛燐、まだ12歳秦明の落とし子秦容の才能が開花していくさまを見るのはどきどきする。
2011年07月14日
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「海嘯」田中芳樹 中央公論社【中古】 遥かなる海嘯(ウミナリ) (徳間文庫)海嘯とは津波のことである。ときは1275年から1279年にかけて、南宋末期フビライ汗率いる元の大軍の前に、杭州臨安府は津波に攫われる町のように為す術も無く蹂躙され、そして南宋は滅びていく。その最後の三年半の宋の群像を描いている。滅亡を前に元に次々と寝返る高官も出るが、一方忠義に生きる高官、勇猛果敢な将軍も現れる。結局勢いのある元の前には如何ともし難い。まろさんの「優れた王政と衆愚制」の感想において田中芳樹の「銀河英雄伝説」に触れ「中国モノが得意な著者は、中国の聖賢政治が中国三千年の歴史から言えばほんの一時だったということを知っているのです。」と書いた。それでふと、田中の中国歴史モノを読みたくなって手に取った次第である。のちに田中は南宋初期(北方「水滸伝」の続編「楊令伝」で南宋側の宿敵となるはずの)猛将岳飛を主人公にして長編をモノにしている。これを読んで田中の歴史モノは北方「水滸伝」とは対極にあることが分かった。歴史を背景にして一人の人間のロマンを描くのではなく、複数の人間の運命を描きながら結局歴史のロマンを描こうとしているのである。つまりあくまでも田中芳樹にとって物語は「歴史」が主なのであった。ところで関係ないといえばないが、そのまろさんが昨日「制服工場委員会」の「ダッ!ダッ!脱原発の歌」の紹介をしてくれた。正直驚いた。時はちょうどAKBの総選挙の結果発表があったばかり。日本でグループ少女アイドルのうねりが頂点に達したかのようなこの時期に、決してテレビ電波に乗らないこのような歌を発表するプロデューサーの心境はいかばかりか。少女たちがあまりにも無邪気そうに踊って歌っているのだが、彼女たちの気持はどうなのか。ますばそっちの方が心配になった。おじさんなんです。彼女たちの発表媒体のひとつ、ユーチューブでアクセスの多いものでも半年で7000くらいしかいっていない。ところがこの歌は、発表たった3日と少しで10000を超えた。評価もすこぶる高い。(私も評価しようとしてアカウント取ったのになぜかできない^_^;)基本的に彼女たちに影響力はないと思うが、もしかしたらこの歌は化けるかもしれない。完全アイドルソングの形を取っているが、中味は過激である。特にみんなに迷惑かけちゃって、未熟な大人で恥ずかしいよね」「原発推進派、安全だったらあなたが住めばいい」という歌詞がいい。もう少し歌手として洗練してほしい。というオジサン的な感想を抱きつつも、一生懸命やっているのならがんばってね、といいたい。
2011年06月12日
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異変が伝えられたのは、19日の早朝だった。仙蔵は、すでに出かけていた。伝えてきたのは、仙蔵が連れていった板場の若いものである。「そうか」ほかに言葉はなかった。利之は部屋に戻った。お勢が、火鉢に炭を足していた。「洗心洞から、隣の屋敷に大砲が撃ち込まれたそうだ。それから外へ出たらしい。門弟数十人。それが、次第に増えているという」「どういうことでございます、それは?」「つまり洗心洞の叛乱に加わろうと、人が集まり始めているということだ」叛乱という言葉に、お勢は息を呑んだ。言った利之も、背筋が寒くなるような心地がした。「洗心洞の建物は燃えている」「まあ」「洗心洞から出た連中は、救民という旗を掲げているそうだ」「杖下に死す」北方謙三 文芸春秋社1837年2月19日。大阪で「大塩平八郎の乱」が起きた日である。幕府は当時「大塩騒動」と言った。利之は「叛乱」という言葉を使った。後世の歴史家は「乱」という言葉を使う。「騒乱」と言い、「戦争」と言い、「革命」と言い、「運動」と言う。思うに、評価は世間と時が決める。そのときの行動責任は本人にあるだろう。それはエジプトの「革命」でも同じ。「林蔵の貌」に繋がる江戸時代の歴史モノである。ときは天保「大塩の乱」前夜の大阪。幕府お庭番村垣定行の妾腹光武利之は父より大阪探索を命じられる。大阪の町で光武は大塩平八郎の息子格之助と知り合う。剣のみ強くて自分をもてあましていた光武は真面目一遍の格之助と付き合ううちに「友達」というものを知るのである。(わりと重要な役で間宮林蔵も登場する)ここで大塩平八郎は中心人物ではない。ただし、常に正義を唱え、知行合一と救民を唱える「正しい人間」として出てくる。彼の理想は、ついには洗心洞塾での陽明学講義だけにとどまることなく、直接行動に向わざるをえない。そして彼の思想はあくまでも体制内変革の急進派であり、幕閣の思惑のなかで潰えざるをえないのである。最後の最後に「乱」が思うように行かなかったときに、平八郎自身はどのような心境にいたり、大塩親子はどのように自害したのかは、ついにこの物語の中では語られなかった。この本の中で語りたかったのは、理想ではなくて、理想を信じて付いて行った「友達」への追悼だったからである。光武は作者の分身である。さしずめ、大塩平八郎は核マルとかの自称革命家の幹部、格之助は彼らについていって消えていった作者の友達なのだろう。最後は武士を捨てた光武が、大阪の川べりで包丁を研ぎながら料理人修行をしているところで終わる。波乱万丈の光武の半生に比べてあまりにも平凡な終わり方だろうか。決してそうではない、と作者は言いたいのだろう。
2011年02月19日
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北方謙三の「水滸伝」ノート私は北方「水滸伝」のどこがよかったのだろうか。革命の物語だった。人が死ぬ話だった。その二つが私の琴線に触った。もうひとつ、いつかは書きたいと思っている、弥生時代、ひとつの国を作るまでの物語、の大きなヒントになる気がした。この新書では、読本である「替天行道」には書ききれなかった裏話と共に、今書き続けられている「楊令伝」のテーマと見通しが書かれている。「楊令伝」はあと一年待って文庫にならないと買わないが、どうやら「ユートピアを作って、それが破綻する」物語になるらしい。それは偶然にも、私の弥生時代のテーマともかぶる気がする。読む日が楽しみだ。
2010年01月15日
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絶海にあらず(上)北方謙三 中公文庫03年から05年までの新聞連載小説だったというから、「水滸伝」とほぼ並行して書かれていた歴史小説だったということになる。心なしか、よく似ている。時は藤原摂関北家忠平の時代。藤原の傍系純友は、自由に生きる、自分らしく生きる場所と時を探していた。伊予に赴任した彼は「誰のものでもない海」に自分の生きる場所を見つける。だからこそ摂関家が唐物の通商を重視するあまり、海の通商を制限しているのが許せなかった。北方らしく、当時の経済関係で筆を進め、もともと京からの役人に過ぎなかった純友がいかに力をつけて行ったかを明確に描く。将門との連携説には一顧だにしない。「水滸伝」で例えるなら梁山泊軍の敵側の青蓮寺の袁明の役割を忠平が担っている。彼は別に栄華をもとめるタイプではない。中央主権国家の完成を目指して、執拗に唐物の集中による財力のたくわえを追求しているだけだという風に描かれる。純友もべつに金を求めていたわけではなかった。つまりは、世の中に対する見方の戦いだったという風に描かれている。終わり方も、北方らしい。藤原純友は大宰府の焼き討ちに成功する。「藤原純友。ここでわしの首を奪るがいい」藤原良平だった。忠平の影のように、大宰府にいた男。「良平卿は、いきられよ。生きて、海のこわさを、太政大臣に伝えられるがよい。いまここに攻め込んだのは、人ではない。海の怒りが、大波となって押し寄せているのだ」「私を殺さぬと?」「良平卿には、おやりにならなければならぬことがある。海の平穏を、その目で見続けていかれることだ」小説の中では、純友は圧倒的に強い。実際最後は、殺されずに中国との貿易商人として生き延びることになっている。(重要なネタバレなので隠します。)NHKの大河ドラマでは、将門を加藤剛、純友を緒方拳がしていたのを覚えている。内容はまったく覚えていない。けれども、あの緒方の人を食ったような明るい純友がこの小説の純友と重なって仕方なかった。「水滸伝」の続編「楊令伝」がいま九巻までの刊行を数え、もともと10巻完結と言っていたのが、いつの間にやら、しかし予想とおり、15巻完結という風に変わっている。予想とおり、文庫が出てくるまであと2年ほど待たなくてはいけないみたいだ。それまで、少しづづ、北方歴史小説群を読んでいきたい。
2009年06月25日
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血涙(上)(上)(下)PHP文庫 北方謙三 来い。石幻果は吸葉剣を構えなおした。結局、弟妹のすべてを、自分の手で殺すことになる。そのために自分は生まれ、ここまで生きてきた、という気にさえなった。 六郎。顔もはっきりと見えてきた。石幻果は、両手で吸葉剣を構えた。馳せ違う。六郎の兜を、斬り飛ばしていた。血にまみれた髪を振り乱しながら、六郎が馬首を回してくる。石幻果は、駆けず、六郎が近づいてくるのを待った。 両手で吸葉剣を構えた石幻果の胸に、さまざまなものが去来した。父、もうひとりの父、兄と弟。妻と子。自分は生きて、これからも生き続ける。 石幻果は、六郎にむけた吸葉剣に、わずかだが力をこめた。「新楊家将」である。前作「楊家将」も男の物語であって、非常に読み応えがあったが、ひとつ不満だったのは、史実だから仕方ないとはいえ、楊業はあくまでも宋の帝に忠誠を持って仕えており読みようによっては愛国心闘士の戦場物語と見えなくもなかったという点であった。もちろん敵方の遼の「白き狼」耶律休哥の物語もしっかりと作っていたので、勧善懲悪の話になっていないところはさすがではあった。この「血涙」は違う。すでに楊業の息子の代の話になっており、代々の武将の楊一族がいつも宋軍の捨て駒として位置づけられているのを悟っている。北方謙三らしい「アウトロー」の話として、やがては「水滸伝」梁山泊の将軍として生きる楊志、楊令の前史としての位置づけがしっかりできているのである。運命のいたずらで敵味方に分かれることになった楊一族の六郎、七朗、九妹、五郎と石幻果(四郎)との死闘の場面は、「男の生き方」の集大成として読み応えがあり、感じるところも多かった。象徴的なのは、吸葉剣と吸毛剣との戦いである。この剣の優劣が個人的な勝敗を決した形になっている。剣にこめられた思いの違いは何なのだろうか。それは決して歴史の使命とかそういうものではなく、「人生悔いのない様に生きる」ということを見守る楊一族の神意だったのかもしれない。なお、驚いたことにこの北方版「血涙」は本当の「楊家将演義」とは違うらしい。(ウィキ参照)四郎をめぐる物語、つまりこの作は丸々北方の創作なのである。思うに、吉川英治文学賞を取った前作はこの物語を作るための前ふりであったのだ。
2009年05月11日
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「私はあなたとは違うんです」という言葉が流行語大賞に選ばれそうな勢いである。この言葉の何が面白いのかと言うと、「大人気ない」ということに尽きるだろう。記者は何も自分の感想を言ったわけではない、一国の首相たる人の態度に対して国民が感じている感想を指摘したのである。それを誰にでも分る表情を抑えた怒りの言葉で返されたら堪らない。さて、奔放な発言でマスコミにちやほやされている柔道金メダリストの石井に対して同じく金メダリストの内柴が一喝したらしい。石井は先日、電撃辞任した福田元首相について「発表6日前に予感していた」など柔道関係者が聞いたらまゆをひそめる発言を連発。内柴は「世界一努力をしていることは認めるが、あまりにも簡単に世界一になったから、人の気持ちが分からない」とピシャリ。石井に「雄として戦いたい」と“異種格闘技対決”を求められた太田も「僕じゃ勝ち目はありませんから」と大人の対応で流していた。 (スポーツ報知)金メダルを取った試合は大きく評価している私ですが、最近の発言は柔道の品位を落とすものとして「もう絶対石井にはしゃべらすな」と言う感じだったので胸がすく思いです。ここに「大人気ない」態度と正反対の態度があります。やっとここから本題。破軍の星内容(「BOOK」データベースより)建武の新政で後醍醐天皇により十六歳の若さで陸奥守に任じられた北畠顕家は奥州に下向、政治機構を整え、住民を掌握し、見事な成果をあげた。また、足利尊氏の反逆に際し、東海道を進撃、尊氏を敗走させる。しかし、勢力を回復した足利方の豪族に叛かれ苦境に立ち、さらに吉野へ逃れた後醍醐帝の命で、尊氏追討の軍を再び起こすが…。一瞬の閃光のように輝いた若き貴公子の短い、力強い生涯。柴田錬三郎賞受賞作。 皇族であること、若干16歳であること、それは必ずしも大人でない、ということを意味しない。小説的な脚色はもちろんあるだろうが、北畠顕家が歴史的に奥州を数年で見事に治めたのは確かであるし、負け戦直前の楠木・後醍醐側を、奥州から誰も想像し得なかった速さで舞い戻り、足利尊氏を敗走させたのも確かなのである。しかしいくら才能があろうと、天皇の臣下であることは顕家は逃れることができない。武家の戦いを理解できない皇族の戦略的失敗のなかで彼も敗れていく。顕家は21歳で壮絶な最期を遂げるのであるが、最初から最後まで「大人」として描かれる。小説のなかで、顕家は実は奥州の安倍一族から奥州独立国家の盟主にと望まれていたという設定になっている。一代の麒麟児として、それでもそのころはすでに何百年も続いた皇族の楔からは逃れ得ない顕家の悩みをも描いて、単なる軍記モノにはしていない北方の思いが溢れた傑作ではある。
2008年09月05日
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北方謙三は「三国史」を中国歴史小説の最初に書いた理由を「替天行動」のなかでこのように説明している。「日本の皇国史観です。へぼくは歴史小説では南北朝を中心に書いたんで、皇国史観にぶつかることが多かった。ぶつからずにそのままかける舞台が「三国史」だったわけですよ。」魏は反皇国史観を代表し、蜀は漢の王室を守り立てていく。日本の南北朝時代をさらにスケールアップして書ける舞台が三国史というわけなのだろう。よって、同じく有名な英雄が入れ替わり立ち代り登場する物語とはいえ、「水滸伝」の革命ピカレスクロマンとは大きく方向が違う。 一巻目と二巻目を読んだ。(ハルキ文庫)ここに出てくる劉備や曹操、孫堅はいずれも従来の三国史のイメージでは、君子、野心家、才子であるが、この北方版では違う。みいんな「野心家」なのである。だからと言うわけでもないのだが、この三人、皆どうも共感できなかった。泣けないのである。噂では三巻目に「泣ける場面」として呂布の最後があるらしい。さもありなん。この人間くさい呂布ならば泣けるかもしれない。けれども、三巻目までたどり着く前に挫折宣言です。やはり私は国盗りゲームには興味を持てない。
2008年09月04日
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